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  10 ,2017

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
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Category: 食文化研究

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六大陸食紀行:第1回 サハラ砂漠
 (共同通信配信:1998年~1999年)

 私はこの30年間、バイクで世界を駆けまわっているが、とくにこの10年あまりは「食」に興味を持って旅している。私のやりかたは徹底した現地食主義。バイクで世界を走りながら口にした様々なものをみなさんにお伝えしよう。

 アフリカのサハラ砂漠縦断では何度となく遊牧民の家に泊めてもらったが、まずは歓迎の意味をも込めて水を出してくれる。ヒツジの皮袋に入った水。それをホウロウの器に注いでくれる。ひやっとし冷たい茶色い水で、皮の臭いとでもいおうか、焦げついたような味がする。

 この色つきの、臭いつきの水が飲めなければもう失格。女、子供が2時間も3時間もかけ、大変な思いをして水場から汲んできたものなのだ。それをうまそうに飲み干したところで、はじめて彼らとコミュニケーションがとれる。

 夕食は木臼に雑穀を入れ、竪杵で搗いて粉にし、鍋で煮固め餅状にしたもの。それをホウロウの洗面器型の器に盛り、上からヒツジのミルクをかける。家族全員で器を囲み手づかみで食べる。私も一緒に食べさせてもらったが、粉とミルクだけの淡白な味なので、辛味とか塩味といった何かほかの味が欲しくなった。

 ラクダやヤギ、ヒツジなどの家畜とともに暮らすサハラの遊牧民だが、彼らが家畜を殺して肉を食べることはめったにない。彼らの生き方は、増やした家畜や乳製品をオアシスの市場で売り、それで得たお金で主食の雑穀などを買って帰るというものだ。

 夕食後のお茶の時間が楽しい。茶は中国製の緑茶。それをホウロウの小さな急須に入れ、水を注ぎ、火にかける。沸いてくると砂糖のかたまりを急須の中に入れる。砂糖が溶けると急須を目の高さくらいに持ち上げ、地面に置いた小さなコップに上手に注ぎ、飲みやすい熱さにする。

 同じ茶の葉で三度飲む。最初の一杯目は苦みが強く、二杯目は苦みと甘みが交錯し、三杯目は甘みが強くなる。家族団欒の茶飲み話しが、星空の下でいつまでもつづくのだ。



世界オートバイ図鑑 1200台

テーマ : 料理    ジャンル : 趣味・実用

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Category: 食文化研究

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六大陸食紀行:第2回 西アフリカ・サバンナ地帯
 (共同通信配信:1998年~1999年)

 西アフリカのサハラ砂漠以南のサバンナ地帯では、雑穀を栽培し、それを主食にしている。私が行ったのは乾期の11月で雑穀の収穫が終わる頃。バイクで走り過ぎていく村々では、収穫した雑穀の穂を穀物倉に入れたり、脱穀作業で忙しそうにしていた。

 泊めてもらった村で雑穀の脱穀作業を見せてもらった。
 幼稚園の運動場ぐらいの大きさの、きれいに掃き清められた広場に雑穀の穂を広げ、一日、乾かす。夜は牛などの家畜に喰い荒らされないように男たちが寝ずの番をした。

 翌日20人くらいの男たちが集まり、枝つきの木を切る。彼らは枝の方を手に持って一列に並び、その木の棒で雑穀の穂をたたき、穂から実を落としていく。「稗搗き節」のような胸にしみる唄を歌いながらの脱穀作業だった。

 そのあとは女たちの出番で、穂から落とした実を箒ではいて集め、器に入れ、頭の高さぐらいから下に落とす。風の力で殻やゴミは飛び散り、重い雑穀の粒だけが真下に落ちる。こうしてより分けられた雑穀の粒は、雑穀の穂の入っている穀物倉とはまた別な穀物倉に入れられた。

 この雑穀が彼らの主食になる。木臼と竪杵を使って粉にし、沸騰した鍋に入れて煮固め、餅状にする。それを器に入れ、別の器に汁を入れ、2つの器を囲んで食べるのだ。食べ方は手づかみ。餅状のものをつかみ、手の中で丸め、親指でへこみをつくり、汁をすくうようにして食べる。

 汁には木の実からとった脂や塩、乾燥させたオクラを木臼で搗いて粉にしたもの、南京豆を木臼で搗き、さらに石臼で磨って味噌状にしたものなどが入っていた。

 彼らの食事を見て、ひとつ感心させられたことがある。
 大人は腹8分目ぐらいになったところで食事の席を立つことだ。残ったものは育ちざかりの若者たちが食べる。それは年間を通しての食料の確保につながり、健康にもよいし、世代間のコミュニケーションもとれるしと、きわめて合理的な食べ方といえる。

テーマ : 海外旅行記    ジャンル : 旅行

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Category: 食文化研究

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六大陸食紀行:第3回 西アフリカ・熱帯雨林地帯
 (共同通信配信:1998年~1999年)

 北の地中海から南のギニア湾を目指してのサハラ縦断でおもしろいのは、砂漠を抜け出て南下すると、どんどん緑が増え、サバンナから熱帯雨林へと鮮やかにかわっていく風景を見られることだ。

 サバンナでは雑穀を主食にしているが、熱帯雨林になるとタロイモ(サトイモの類)やヤムイモ(ヤマイモの類)、キャッサバといったイモ類、それとプランタインが主食になっている。プランタインは料理用のバナナで青いうちに食べるが、その食べ方というのはイモ類と変わらない。(なお、これら4種の作物の中では、南米原産で16世紀にアフリカに伝わったキャッサバを一番多くつくっている)

 サバンナの村々では1年に1度収穫する雑穀を貯蔵するための穀物倉を必ず見るが、熱帯雨林になると、穀物倉を見ることはまずない。畑に行けばいつでもイモ類が収穫できる熱帯雨林は、畑自体が食料庫といった世界なのだ。

 プランタインを含めたイモ類の食べ方だが、包丁で皮を削りとり、鍋でゆで、木臼に入れ、竪杵で搗いて餅状のものにする。その餅状のものをフーフーと呼んでいる。ここでひとつ興味深いのは、イモ類を鍋で煮るだけで食べられるのに、さらに臼で搗いて餅状のフーフーにすることだ。

 各家、各人の好みのフーフーがあり、キャッサバだけのフーフーだったり、タロイモやヤムイモ、プランタインだけだったり、またはブレンドしたり、そのブレンドも混ぜる種類や割合を微妙に変えたり。私の好みでいえば、一番ねばり気の強いヤムイモのフーフーが好きだ。また、プランタインを加えると、若干、甘味が出てくる。

 さてこのフーフーの食べ方だが、出来上がったフーフーを洗面器型をした器に入れ、別の器にこの地方特産のヤシ油で味つけした汁を入れ、2つの器をみんなで囲んで食べる。これは雑穀を主食とするサバンナの食べ方とまったく同じ。私はフーフーを食べながら、これがアフリカの食文化なのだと感動してしまう。

テーマ : 海外旅行記    ジャンル : 旅行

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六大陸食紀行:第4回 南米・アンデス
 (共同通信配信 1998年~1999年)

「南米一周」で心に残っているのはアンデス山脈の峠越え。4000m級の峠だけでも全部で25峠を越えた。最高所の峠はペルーの標高4843mのチクリヨ峠だった。

 太平洋側の低地からアンデスの4000m級の峠を登っていくと、標高2000mくらいまでの間ではジュカ(キャッサバ)やプラタノ(プランタイン)、トウモロコシなどが栽培されている。

 標高3000mを越えるとジャガイモ畑に変わり、集落を点々と見かける。このジャガイモを栽培しているあたりの高地が、アンデスでは人口の一番多い地帯になっている。

 標高4000mを越えると耕地は急速に消え、農耕から牧畜の世界に変わり、アンデス高地特有の家畜リャマやアルパカを見かけるようになる。

 アンデスの町や村の食堂で食事をすると、必ずといっていいほどジャガイモが出る。ジャガイモと豆、豚肉の入った汁をご飯にかけたもの、唐辛子をきかせたゆでたジャガイモ、フライにしたジャガイモ‥‥。スープにもジャガイモが入っている。さすがにジャガイモの原産地アンデスだけあって、ここではジャガイモ抜きの食事は考えられない。

 ジャガイモからつくるチューニョ入りのスープもよく食べた。チューニョというのは日本でいえば凍豆腐のようなもの。ジャガイモを野天に広げ、夜間の寒さで凍らせ、昼間の天日で溶かす。それを繰り返し、ぶよぶよになったジャガイモを踏みつけて水分を抜き乾燥させたものである。

 一日の気温の差の大きいアンデス高地だからこそできる乾燥ジャガイモだが、保存食には最適で、使うときには水や湯で戻す。チューニョにアンデスの民の知恵を見る。

 アンデスのジャガイモが16世紀にヨーロッパにもたらされると、その栽培はたちまち燎原の野火のようにヨーロッパ中に広がり、ヨーロッパ人はジャガイモを手にしたことによって飢餓から解放された。ジャガイモのもたらした食糧革命が産業革命の引き金になったといっても過言ではない。

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六大陸食紀行:第5回 南米・アマゾン
 (共同通信配信 1998年~1999年)

 ブラジルのアマゾン川流域のセルバを行く。セルバとは大密林地帯。高木が空を突き、密林の中は“昼なお暗い”世界。樹海という言葉がぴったりだ。その樹海を伐り開き、シャシだけの専用トラックが原木を運び出している。

 街道沿いにはガソリンスタンドや食堂ができ、牧場や農場ができ、小さな町もできている。アマゾン開発の最前線といった光景を見せている。

 とある町に着いたところで食堂に入り、昼食にする。定食を注文したが、テーブルにはズラズラッと料理の皿が並ぶ。数えてみると、全部で10皿もあった。

 ご飯、豆汁、ビフテキ、チキン、赤カブ、野菜の煮物、サラダ、スパゲッティ、それとゆでたマンジョーカとファリーニャの10皿だった。

 これらの料理をとり皿にとって食べるのだが、“大食いカソリ”をもってしても、とてもではないが全部は食べきれない。ところがまわりのブラジル人を見ると、きれいに食べつくしている。ブラジルは南米大陸の半分近くを占める大国だが、この食事ひとつをとってもわかるように、たいへんな食料大国だ。

 ところでマンジョーカというのは、アンデス編や西アフリカ編に登場したキャッサバのこと。ファリーニャはマンジョーカの澱粉を炒ってつくる顆粒状の粉で、ブラジル料理には欠かせない。

 キャッサバの原産地はアマゾン流域の低地。今でもこの地方では一番重要な作物になっている。セルバを伐り開いて焼いた焼畑では必ずトウダイグサ科灌木のキャッサバが栽培されている。キャッサバのイモには無毒と、青酸性の強い毒を持つ有毒の2種あるが、有毒のキャッサバがより多くつくられ、それは毒抜きされて初めて食用になる。

 ジャガイモがヨーロッパに伝播して急速に広まったように、このキャッサバも16世紀に西アフリカに伝わると、またたくまに広まり、東西アフリカの主食用作物の座についた。このあたりが南米原産の作物のすごさであり、おもしろいところだ。

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六大陸食紀行:第6回 アメリカ
 (共同通信配信 1998年~1999年)

「50㏄バイク世界一周」の出発点はアメリカのロサンゼルス。バイク引き取りまでの2週間近くをここで過ごした。

 ロサンゼルスの銀座通りともいえるブロードウェイを歩いていて驚かされたのは、メキシコ人の多いこと。すれ違う人たちを見ていると十人のうち七、八人がメキシコ人というすごさだ。聞こえてくる話し声も米語ではなくスペイン語。店の看板もスペイン語が多かった。

“郷に入れば郷に従え”の旅の鉄則通りに“メキシコ国ロサンゼルス市”では、メキシコ料理を食べあるいた。

 一番よく食べたメキシコ料理といえばタコスである。円形の薄パンのトルティーヤに細かく切った豚肉やほぐした鶏肉、ひき肉、ソーセージ、チーズ、野菜などをのせ、トウガラシをつぶした辛いソースとトマトやタマネギ、コエンドロをみじん切りにした薬味をふりかけ、それを2つ折りにして食べるのだ。

“タコス”の看板を掲げる店をいたるところで見かけたが軽食には最適で、日本でいえばちょっとラーメンを一杯といった食べ方であろうか。

 タコスを包み込むパンのトルティーヤはメキシコ料理の基本といえるもので、日本の食事のご飯に相当する。いかにもトウモロコシの原産地メキシコらしい食べもので、トウモロコシの練り粉を薄く焼いたものである。

 あぶり焼きした牛肉や豚肉の塊を薄く切り、それをさらに焼いたカルネ・アサダの味とトルティーヤのとり合わせもよかった。

 ロサンゼルスからニューヨークまでのアメリカ横断では、いかにもアメリカらしいハンバーガー、フライドチキン、ホットドッグ、サンドイッチや、ナイフがめり込むくらいにぶ厚いビーフステーキなどを食べあるいた。

 だが、心に残る食べものというと、ロサンゼルスで食べたタコスをはじめとするメキシコ料理や、サンフランシスコのチャイナタウンで食べた中華料理、ニューヨークのすし屋で食べたボストン沖のマグロをネタにした握り鮨…といった、多民族国家アメリカを象徴するかのような多国籍の料理だった。

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六大陸食紀行:第7回 ヨーロッパ・ドイツ
 (共同通信配信 1998年~1999年)

「50㏄バイク世界一周」のロンドンからアテネまでのヨーロッパ横断で、一番、印象に残っている味といえば、ドイツのソーセージだ。通り過ぎていく町々の広場では、ソーセージを焼いている屋台をよく見かけ、何度となく足を止めた。広場に漂うその匂いがたまらない。

 屋台のソーセージは軽食に最適だ。ビールを飲みながら焼きたてのソーセージをかじっていると、
「今、自分はドイツにいる!」
 という旅の実感をも味わえる。さらにドイツ人の大好きな黒パンを一枚とか二枚、一緒に食べて昼食にすることも多かった。

 ドイツ人とソーセージは切っても切れない関係にある。肉屋をのぞけば何種類ものソーセージがぶらさがっているし、駅の構内やちょっとした街角にある軽食堂のインビスではソーセージを立ち喰いしている人たちを多く見かける。家庭でも、ソーセージ抜きの食事などはまったく考えられないほど、ドイツ人はよくソーセージを食べる。

 昔からドイツの農民たちは春になると小豚を買い入れ、秋まで育て11月ごろになると丸々と肥った豚をつぶし、各種腸詰のソーセージをつくってきた。ソーセージは厳しいドイツの冬の絶好の保存食で、窓のない北向きの食料室につるされ、冬から春にかけての大事な食料になった。

 だが今では、そのような自家製のソーセージも少なくなり、食品工場で大量生産された製品が大半を占めている。ソーセージと同様にドイツ人の食事に欠かせないハムやベーコンについても、まったく同じことがいえる。

 そのあたりはかつては自家製だった味噌や醤油、豆腐、納豆、さらには漬物までが、どんどんと工場製の大量生産品に変わっていった日本の食の現状とよく似ている。

 ところで、ライ麦粉からつくる若干、酸味のある黒パンはドイツ人の大好物だが、これがソーセージにはじつによく合う。それと、ビールといえばドイツの全国民的飲みもの。黒パン、ソーセージ、ビールの3点セットの食事こそドイツ食文化の象徴だ。

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六大陸食紀行:第8回 西アジア
 (共同通信配信:1998年~1999年)

「50㏄バイク世界一周」のアジア編ではイスタンブールからカルカッタへと西アジアを横断したが、そこで一番よく食べたのものは主食のパンのナンである。

 ナンは小麦粉に塩を加えて水でこね、それを半日ほど寝かせて発酵させ、饅頭型にしたものを型を使ってひらべったくのばし、地下式、もしくは半地下式の竈(かまど)の内側にペタッと張りつけて焼いた薄っぺらなパンである。

 イランの朝食ではパンにバターをつけるような感じで、蜂蜜とクリームを混ぜたものをナンにつけて食べたが、蜂蜜とクリームの混ざり合ったトロッとした味が焼き立てのナンにはよく合った。それをチャイ(紅茶)を飲みながら食べるのだ。

 昼食や夕食には、焼きトマトを添えた羊肉の串焼きのカバブーを毎日食べた。それにもナンがついてくる。ナンと羊肉というのは、ピッタリの味の取り合わせ。ナンには半分に切った生のタマネギが添えられている。それをカリカリかじるのだ。生のタマネギというのは、食べ終わったあと、急に元気が出てくるようなパワーを与えてくれる。

 イランからパキスタンに入ると、ナンと羊肉入りのカレーという食事が多くなる。イランでは羊肉は焼いて食べるものだが、パキスタンになると羊肉は煮て食べる。ナンは同じでも、羊肉の食べ方が違ってくる。このあたりが食文化圏の違いのおもしろさだ。

 ナンを主食にしている世界を“ナン圏”としておこう。
 その東のインドになると、パンがナンからチャパティに変わる。チャパティはこねた小麦粉を寝かせることなく、つまり発酵させることなくすぐに焼く“未発酵パン”なのである。

“ナン圏”の西のアラブ世界のパンはホブス。ヨーロッパのパンに近い“発酵パン”でナンよりも厚く、上下二層に分かれた円形パン。それを半分に切って中に詰め物を入れて食べる食べ方が、サンドイッチのもとになっている。

 小麦の原産地はカスピ海の南といわれているが、“ナン圏”というのはまさに世界の小麦発祥の地なのである。

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六大陸食紀行:第9回 東南アジア・タイ
 (共同通信配信 1998年~1999年)

「インドシナ一周」の出発点タイのバンコクには一ヵ月以上滞在したが、その間は“現地食主義カソリ”の本領を発揮して、毎日、せっせとタイ料理を食べあるいた。

 朝食で一番気にいったのはカオトムクン。カオトムとは粥のことで、クンはエビ、つまりエビ入りの粥。タイの主食は米だが、日本のような短粒米(ジャポニカ)ではなく長粒米(インディカ)で、ねばりけが少なく、パサついている。このパサついた米で炊いたご飯は腹にもたれない。この味に慣れると、日本米がなんとも重たく感じられる。

 なお、カオは米のこと。普通に炊いた飯はカオスワイ、粥がカオトム、焼飯がカオパットになる。

 ところで食堂のテーブルにのっている4種類の調味料が興味深い。砂糖、強烈な辛さの小さめな青トウガラシの入ったナムプラー、大きめな青トウガラシの入った酢、それと乾燥させた赤トウガラシの粉末。タイ人の食べ方を見ていると、これら4種の調味料をふんだんに入れ、かき混ぜて食べている。タイでは砂糖の甘味、トウガラシの辛味、酢の味、魚醤油の味の四味が味覚の基本になっている。

 魚醤油のナムプラーはナムが水でプラーが魚、直訳すれば魚汁になる。日本でいえば能登半島のイシル(魚汁)や秋田のショッツル(塩魚汁)のようなもの。魚醤油はインドシナ各国で欠かせない。

 昼食はバンコクの町のいたるところにある屋台を食べあるいた。とくに麺の屋台だ。
 麺類はバラエティーに富んでいて、幅広の麺のセンヤイや細麺のセンレク、センミーなどがある。さすがに“米の国”タイだけあって、これらの麺類は小麦粉ではなく、米粉からつくられている。このあたりが小麦粉を焼いてパンにするインド以西の西アジアとの大きな違いになっている。

 夕食にはタイ料理を代表するスープのトムヤムをおかずにご飯を食べることが多かった。私のお気に入りは、これもエビ入りのトムヤムクン。香菜のパクチーやレモングラス、ショウガなどの香辛料がドサッと入った、強烈に辛いトムヤムクンを汗をタラタラ流しながら食べるのだった。

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六大陸食紀行:第10回 東南アジア・ラオス
 (共同通信配信 1998年~1999年)

「インドシナ一周」で走ったラオスは忘れられない国だ。
 首都のビエンチャンから北に400キロ走ると古都ルアンプラバンに着くが、市場を歩き、屋台で麺を食べ、メコン川の岸辺を歩いた。河港には何隻もの船がつながれている。 船乗りたちが夕食の準備をしている。

 岸辺でご飯のカオニオを炊き、料理をつくるのを見ていると、
「一緒にどうだい?」
 と、誘われた。ありがたくいただく。船上での、ランプの明かりのもとでの夕食だ。

 カオニオやおかずの入った皿をまん中に置き、みんなで車座になって座る。カオニオを手づかみで丸め、おかずと一緒に食べる。カオニオは糯米(もちごめ)を蒸籠(せいろ)で蒸した強飯(こわめし)のことで、手づかみでもポロポロこぼれることはない。
「これも食べてみなよ。ニップーン(日本)にあるか?」
 といわれて食べたのは、なんとのりではないか。メコン川でとれる川のりだという。

 ルアンプラバンから北へ、北部ラオスの道はたいそうな悪路で、おまけに町らしい町もない。村に着くと、集まってくる村人に「キンカオ(食事)」といって、何か食べるものはありませんか‥‥と、身振り手振りで聞いてみる。

 すると村人の一人が私の手を引いて彼の家に連れていってくれる。高床式の家。ブーツを脱ぎ、階段を上り、家の中に入って竹を敷いた床に座る。ひやっとした竹の感触。

 その家の奥さんは、家の一角に仕切られた炊事場でマキを燃やし、鍋で湯を沸かし、青菜のスープをつくってくれる。スープができあがると、カオニオと塩漬けにした豚肉、それと魚醤油のナンパーにトウガラシを刻んで入れたものを持ってきてくれた。

 出してくれたカオニオは遠慮なく、手づかみで全部食べた。青菜のスープも全部飲みほした。ありがたい!

 稲の原産地はインドシナから中国・雲南省にかけての山岳地帯といわれているが、北部ラオスはまさにその中心。日本人は粘りけの強い米を好むが、ラオスはその源流のようなところで、世界で唯一、糯米を主食にしている国。ラオスの味、それは糯米のご飯(強飯)のカオニオだ。

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