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カソリの島紀行:第1回 屋久島一周・温泉めぐり

 (JTB『旅』2003年3月号所収)

「屋久島一周」の出発点は東海岸の安房だ。屋久島空港にも近い港町。ここで50㏄バイクを借り、島を一周しながら魅力的な屋久島の温泉、全5湯に入ろうと計画した。名付けて「屋久島一周・全湯制覇」計画。バイクの機動力を活かしたエリアの全湯制覇は「温泉のカソリ」の得意技。「さー、やるぞ!」と、「上山レンタカー」で借りた50㏄のカブにまたがり、安房港の岸壁に立った。

 屋久島を時計回りで一周する。その前に食事だ。安房の郷土料理店「いその香り」で早めの昼食にする。最初に「亀の手」を食べた。といっても本物の亀ではなく、形が亀の手に似た貝。店の人にいわせると、海亀の手は超美味だという。次にとれたばかりのキビナゴを若干、甘味のある島醤油につけて食べた。最後が地魚の握り。キビナゴとトビウオ、モハミ、ヒツオの4種が出た。モハミはブダイ、ヒツオはイスズミのことだという。

 屋久島の海の幸に大満足したところで、さっそく温泉を目指して走り出す。
 第1湯目は屋久島南部の尾之間温泉。安房からは15キロほど。ここにはいい共同浴場がある。入浴料が200円と安い。年中無休。入浴時間も7時から21時までと、すごく入りやすい。源泉は49・5度と申し分がない。島でも人気の温泉で、安房のみならず宮之浦からも車を飛ばして入りにくる人が多いという。男女別浴室。

 湯船の底の玉石の間からは、ブクブクと熱めの湯が湧きだしている。足の裏に感じる玉石の感触がいいし、その間から湧き出る湯は「いかにも温泉!」と実感させるものだ。泉質は単純硫黄泉。無色透明の湯で、若干の腐卵味があり、硫化水素の微臭がする。湯には肌にうすい膜が張るようなぬめりがある。湯につかりながら、さりげなく聞く地元のみなさんの会話が、「今、屋久島を旅している」という、よけいに盛り上がった気分にさせてくれる。ここは文句なしに、日本の島では一番の共同浴場だ。

 湯から上がり、地元のおばちゃんとちょっと立ち話をしただけで、「これ、食べなさい」といって屋久島名産のタンカンを袋に入れて持たせてくれた。冬の冷たい風に吹かれながらカブを走らせたが、温泉効果とタンカン効果の相乗効果で、いつまでもポカポカとあたたかかった!

 第2湯目は平内海中温泉。屋久島南部、平内の集落に近い海岸にある露天風呂。ここには全部で5つの湯船があるが、それぞれの湯船は微妙に湯温が違う。潮が満ちて来ると海水が湯船に入り込むので、干潮の2時間前後が入浴可能な時間帯になる。露天風呂入口の料金箱に100円玉を入れ、湯船の手前で靴を脱ぐ。脱衣所はないので、湯船のまわりの岩に脱いだ服をひっかけておく。湯温はジャスト適温。自然度満点の豪快な露天風呂につかる。目の前に広がる屋久島南端の海を眺めながら湯につかる気分は、もう最高だ。いうことなし! 飲湯も可で、コップに1杯、キューッと飲んだ。まさに自然の賜物。

 湯に中では、この露天風呂の主のような90を過ぎたおじいさんと一緒になった。毎日、欠かさずに入りにくるという。これが温泉のすごさなのだろう、おじいさんは足腰もしっかりしていて、とても90過ぎには見えない。畑仕事も山仕事も平気でやるという。もう1人、東京でのサラリーマン生活を早めに見切りをつけ、屋久島に移り住んだ人が一緒だった。「屋久島に移って寿命が延びましたよ」の言葉に実感がこもっていた。

 岩の上には若い女性が2人、座って海を眺めていた。ここは混浴の湯で、入口には「水着着用厳禁」の注意書きがあるので、2人にとってはちょっと入るのには辛い温泉だ。そこへどやどやっと、観光バスに乗った若い男女の一団がやってきた。彼ら、彼女らは湯船につかるのではなく、足湯だけを楽しんで帰っていった。

 ぼくは一昨年の3月から昨年の4月までの14ヵ月をかけて、50㏄バイクを走らせ、「島めぐりの日本一周」をした。その間では北は北海道の礼文島、利尻島から南は沖縄の与那国島、波照間島まで、全部で188島の島々をめぐった。50余湯の「島温泉」にも入った。その結果をもとにカソリ独断の「日本の島温泉・ベスト10」を選んだが、堂々の第1位は、この平内海中温泉だった。

 第3湯目は平内の隣の集落、湯泊の海岸にある湯泊温泉だ。ここはすっかり装いを新たにしていた。湯泊の集落から海岸に下る自動車道路が完成し、駐車場ができ、脱衣所とトイレもできていた。堤防の外側の海岸に新しい露天風呂がある。いちおう男女別になってはいるが、低い仕切りなので、お互いにまる見えだ。ひとつ残念なのは、ちょっと湯温が低いこと。その奥の波打ち際には、以前からの露天風呂がある。さらに岩壁の下にも小さな湯船の露天風呂。海草まみれになって湯につかる、この小さな岩窪の露天風呂の湯温が一番高かった。

 屋久島南部の3湯の温泉に入ったあと、屋久島北部へと舞台を移し、第4湯目の大浦温泉と第5湯目の楠川温泉に入った。屋久島北部の2湯はともに共同浴場の湯だ。

 大浦温泉は一湊の集落に近い海岸にある。小さな入江に共同浴場がポツンと1軒。屋久島の5湯の温泉の中では一番、秘湯の趣を漂わせている。入浴料の300円を入口の管理人室で払い、若干の濁り湯の湯船につかる。浴室の窓越しに海を見る。波が岩壁にぶち当たり、砕け散っている。湯から上がり、無料の休憩室で休んでいると、管理人が茶菓子と一緒にお茶を出してくれた。

 楠川温泉は屋久島一周道路から山中に入っていく。杉林の中に、やはりポツンと1軒、共同浴場がある。ここも入浴料は300円。小さな湯船で無色透明無味無臭の湯。アルカリ性単純温泉で源泉は25・8度。屋久島北部の温泉は大浦温泉もそうだが、屋久島南部の温泉群と比べると、泉温ははるかに低くなる。浴室の窓を開けると、目の前を渓流が流れている。渓流に覆いかぶさる緑の濃さが目に残る。とても冬とは思えない光景だ。

 こうしてそれぞれに趣の違う屋久島の5湯の温泉に入り安房へ。最後は「雨の屋久島」にふさわしい土砂降りの中を走り、すっかり日の暮れたころに安房に戻ってきた。第1弾目の「温泉めぐり」編の「屋久島一周」は103キロだった。

 安房では、民宿「あんぼう」に連泊した。そこを拠点に第2弾目の「林道めぐり」編、第3弾目の「岬めぐり」編と、さらに「屋久島一周」を走った。

「林道めぐり」編では10本の林道を走破したが、残念ながらその大半は舗装林道だ。だが、たとえ舗装林道でも、幹線の屋久島一周道路からはでは見られない豊かな自然を存分に味わうことができた。最長ダートは宮之浦林道で、行き止まり地点近くまでの往復20キロのダートを走った。強烈だったのは安房林道。標高1300メートルほどの終点まで登ると、雪が舞っていた。カブのハンドルを握る手はジンジン痛み、なんと南海の屋久島で凍傷寸前の目にあった…。屋久島は海岸地帯と山岳地帯ではまったく季節が違う。

「岬めぐり」編では、最北端の矢筈岬、最南端の浦崎、最東端の早崎、最西端の観音崎と屋久島の最東西南北端の岬をめぐった。このうち観音崎だけは岬への道がはないので、すぐ北の永田岬から海に落ち込む観音崎を眺めた。「温泉めぐり」、「林道めぐり」、「岬めぐり」の「屋久島3周」は471キロにもなった。カブよ、ご苦労さん!

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

カソリの島紀行:第2回 屋久島・縄文杉へ!

 (JTB『旅』2003年3月号所収)

憧れの「縄文杉」!
「いつの日か、行ってみたい!」と憧れて、憧れて、それでもなかなか行けないところがある。屋久島の「縄文杉」というのは、ぼくにとってはのその代表格だった。それだけに、「旅」編集部の鵜澤さんから「カソリさん、縄文杉に行ってもらえませんか」と電話をもらったときは、「やった、これで(長年の)夢がかなうゾ!」と小躍りして喜んだ。

 縄文杉を目指して東京を発ったのは12月上旬。身を切られるような冷たい風が吹いていた。羽田から鹿児島に飛び、国産プロペラ機のYS-11に乗り換えて屋久島空港に降り立つと、南国の日差しは強く、汗が出るほどだった。

 屋久島最大の町、宮之浦の民宿「晴耕雨読」で、縄文杉まで同行してもらうカメラマンの小形又男さんと落ち合った。山の取材が得意な小形さんは縄文杉には何度も行ったことがある。縄文杉を知り尽くしている小形さんの同行は、なんとも心強いことだった。

 縄文杉には1泊2日の行程で行くことにした。縄文杉の近くには高塚小屋という山小屋があるとのことで、そこに泊まることにした。宮之浦のスーパーなどで2日分の食料を買い込み、翌朝の夜明け前の午前6時に、車で宮之浦を出発した。

 屋久島東部の安房で夜が明け、そこから屋久島中央部の山中に入っていく。道路沿いの早朝からやっている弁当屋で朝食用弁当を買い、荒川林道(舗装林道)の終点まで行く。宮之浦を出てからちょうど1時間、標高500メートルを超える地点で、山の空気はピリリと冷たい。屋久島は海岸地帯と山岳地帯では季節のまるで違う島だ。無料駐車場に車を停め、さっそく弁当を食べる。食べ終わると、縄文杉を目指して出発だ! 


「安房森林軌道」をいく
 緊張し、意気込んで歩きだした瞬間、なんとプッツンと音をたてて、背負ったキスリングザックの肩ひもが切れた…。シュラフやマット、ガス、コッフェルなどのキャンピング用品や食料、水、酒、着替えなどを詰め込んだキスリングザックはズッシリと重かった。15、6キロぐらいはあるだろうか。それを頭に乗せて歩こうかとも考えたが、片方の肩ひもだけで背負い、もう片方の切れた肩ひもを肩越しに右手と左手で交互に引っ張っれば歩けるということがわかった。まさに「窮すれば通ず」。このトラブルが旅の醍醐味!

 荒川林道の終点からは「安房森林軌道」の軌道内を歩きはじめる。入口には「屋久杉の生産事業、造林事業のため、機関車の運行をしていますので、カーブ、橋の上等では危険ですので特に注意して下さい」との注意書きがあった。

 橋を渡り、トンネルを抜け、森林軌道を歩いていく。右手に渓流を見下ろす。所々には待避所。左手の岩壁からはいたるところで水が流れ落ちている。1時間ほど歩き、安房川の本流にかかる橋を渡って小杉谷に到着。ここにはかつて100戸を超える戸数の集落があった。郵便局や本屋、商店などもあった。小・中校の児童数は最盛期の1960年には108人を数えたという。

 小杉谷集落は1923年に木材搬出の最前線基地として誕生したが、1970年の「小杉谷製品事業所」の閉鎖とともに、半世紀に及ぶ歴史に幕を閉じた。今は住む人もいない。小・中校跡の広い校庭に立つと、子供たちの声がどこからともなく聞こえてくるようで、胸がジーンとし、しばらくは立ち去れなかった…。

 9時に小杉谷を出発し、さらに森林軌道を歩く。白谷雲水峡への道との分岐点を通過し、50分ほど歩くと「三代杉」に到着。一代目は1500年前に倒れた杉、二代目はその上に成長したもので350年前に切り倒された杉、さらに二代目の上に成長したのが現在の三代目で、このような大杉を見られるのも「杉の屋久島」ならではのもの。三代目は一代目、二代目をとり囲むようにして、幹のような太い根を張っている。その前を「プププー」と警笛を鳴らし、エンジン音を響かせて森林軌道のトロッコが通り過ぎていった。

 10時に「三代杉」を出発し、さらに50分歩き、「大株歩道」入口に着いた。ここまではフラットなコースで楽だった。屋久島の自然を存分に味わいながら、気ままにプラプラと歩けた。「縄文杉」までは、あと残り半分の行程だ。


巨大杉めぐり
 11時、「大株歩道」入口を出発。「安房森林軌道」に別れを告げ、きつい登りの山道に入っていっていく。最初に出会う大杉は「翁杉」。推定樹齢は2000年から2500年。木の舞台があってそこに座り、正面のスーッと延びる杉の大木を見た。すると「カソリさん、アレじゃないですよ。こっちこっち」と小形さんの声。

 翁杉は着地性の植物に覆われ、根は苔むしていたので気がつかなかったのだ。裏側にまわると、木の幹はボロボロと崩れかかっている。赤茶けた岩山の岩肌が崩れていくかのようだ。それは植物というよりも岩石。いくつもの洞があって連続し、大木は空洞化し、巨大なオブジェになっている。木のてっぺんは原爆ドームを思わせた。それを今にも折れそうな3本の柱が支えていた。「左甚五郎の透かし彫りを見るようだ」とは、小形さんの言葉。

 12時、ウィルソン株に到着。見た瞬間、「おー!」と思わず声を上げた。巨大な杉の切り株。その中に入ると、サラサラと清水が流れ、祠がまつられている。祠の前で柏手を打つと、その音が洞内に響いた。内側の木肌は鍾乳洞の鍾乳石のよう。切り株の中が小世界になっていることが驚きだ。1914年にアメリカの植物学者、ウィルソンによって発見されたのでその名があるが、この巨大杉は16世紀の末に伐採されたとのことで、屋久杉の中では一番古い切り株だという。このウイルソン株を見ながら昼食にした。

 13時、ウィルソン株を出発。あえぎながらきつい山道を登り、14時、推定樹齢3000年の「大王杉」に到着。木の根元に入れないように、登山道にはロープを張ってある。木の下まで行って、杉皮をはいで持って帰る人が多いからだという。大きく枝を張った
大王杉を見ていると、妖怪の世界に迷い込んだようだ。

 そのすぐ上には「夫婦杉」。2本の大杉がからみ合っている。右側が夫で左側が妻か。女が男を追っているようにも見える。小形さんはすかさずいった。「屋久島の女は情が深い!」。「縄文杉」までの登山道沿いで見る屋久杉の巨木はこのほかに何本もあって、そのどれもが、みごたえのあるものばかりだった。なお「屋久杉」といえば、樹齢1000年以上の巨木を指すという。


「縄文杉だー!」
 縄文杉を目指してさらに登る。疲れきって小形さんとの歩きながらの会話も途切れがちになる。縄文杉を見るのは簡単なことではなかった…。そんなときに縄文杉から下ってくるカップルに出会った。なんと藤原寛一さん、浩子さんの夫妻だ。2人はバイクに乗って日本中の「巨樹めぐり」をしている最中だった。藤原夫妻は日本のみならず、世界もバイクで駆けめぐっている。そんな2人と偶然の再会をし、登山道でしばしの立ち話をしたおかげで、また新たな力が体内によみがえってきた。

「大王杉」から1時間、ついに「縄文杉」にたどりついた。縄文杉を前にすると、「スゲー!」の一言で、もう声も出ない。すごすぎる!

 ぼくが縄文杉を見た瞬間、頭に思い浮かべたのは、八ヶ岳山麓の尖石遺跡の「尖石考古館」で見た縄文土器の数々だった。縄文土器の装飾に、縄文人の燃え上がるような情念を見た。縄文杉のゴツゴツした木肌と盛り上がった大きなコブが、尖石の縄文土器の装飾と重なり合って見えたのだ。

 縄文杉を見る観覧台にシートを広げ、そこに座り込んだ。植物というよりも、神仏に対座しているようだ。屋久島には推定樹齢が3000年の「大王杉」、「紀元杉」、「弥生杉」、推定樹齢が4000年の「大和杉」とあるが、推定樹齢7200年の「縄文杉」は他を大きく引き離し、はるかにその上をいくド迫力だった。

 縄文杉を見に来る人たちは、個人も団体もほとんどが日帰りなので、午後3時を過ぎるとこのあたりには誰もいない。ぼくと小形さんは縄文杉を独占した。いくら見つづけても見あきることのない縄文杉。日が西の空に傾き、急激に気温が下がりはじめたところで、やっと重い腰を上げ、さらに10分ほど登った高塚小屋に行った。

 そこには先客がいた。若いイギリス人旅行者のジェイ。彼は南の尾之間から2日をかけて屋久島を縦走し、最高峰の宮之浦岳から高塚小屋に下ってきた。明日、縄文杉を見、白谷雲水峡経由で北の楠川に下っていくという。ぼくたちはといえば、今日と同じルートで安房に戻る。

 夕食後、ジェイをひっぱり込み、小形さんと屋久島の焼酎「三岳」で縄文杉に乾杯した。熱い湯で割って飲んだが、腹わたにしみるようなうまさ。縄文杉への乾杯は「三岳」の大瓶が空になるまでつづいた。「縄文杉を見たい!」という長年の夢をついに実現させて、ぼくは興奮し、気分はいやがうえにも盛り上がっていた。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

第3回 三角線の終着駅・三角駅から天草、島原へ!

 (JTB『旅』2004年1月号所収)

さあ、歩くゾ!
 旅は出発までのプラニングが楽しい。今回の「終着駅から始まる旅」にしてもそうだ。『旅』編集部でIさん、Tさんと九州の地図を広げ、JR三角線の終点、三角駅と、島原鉄道の終点、加津佐駅をどのように繋いでまわろうかとプラニングしているときは、夢が自由自在に頭の中を駆けめぐり、胸がわくわくするほどの至福の時だった。地図を繰り返し眺め、徒歩、バス、船、フェリーを使って2つの終着駅を繋ごうという旅のプランが完成したときは、「やった!」という気分。それをもとに熊本に飛んだ。

 熊本駅から三角線に乗って終点の三角駅へ。三角駅に降り立ったときは、終着駅というだけで、何か胸にジーンとこみ上げてくるものがある。さっそく駅前から歩き始めた。「歩けるところは歩くんだ!」というのが今回の旅の基本。国道266号で天草へ。天草五橋の1号橋の天門橋を渡る。橋の中央まで来たところで、三角から島原に向かうフェリーが橋の下を通り過ぎていった。

 天草諸島の玄関口、大矢野町の大矢野島に入ると、ひたすら国道266号を歩く。島とは思えないほどの交通量の多さ。歩道が整備されていないので、スレスレに通り過ぎていく車に何度となくヒヤッとさせられた。

 大矢野島の南端まで来ると、天草五橋の2号橋、3号橋、4号橋と次々に渡り、天草松島の前島へ。松島温泉の国民宿舎「松島苑」に泊まった。三角駅前からここまで約18キロ。足の裏にはマメができていた…。

 さっそく4階の展望風呂に駆け登り、浴室から夕日に染まった天草松島の島々を見た。ここは日本三大松島のひとつ。夕日を売り物にしている「松島苑」だけあって、大きな夕日が天草松島に落ちていくシーンは圧巻。夕食もよかった。タイの塩焼きと刺し身が出たが、塩焼きはぎゅっと身がしまり、刺し身はコリコリッとした食感。いかにも海の幸の宝庫、天草を感じさせる鮮度のよさ。さらに1000円プラスで生と塩焼きのクルマエビを食べたが、これがまたよかった!


文字通りの「カニ丼」
 翌朝、「さー、今日も歩くゾ!」と気合を入れて出発。天草五橋の5号橋、松島橋を渡って天草上島に入り、松島町合津の国道266号と324号の分岐点では左折し、国道266号を行く。交通量がぐっと少なくなる。歩道が広くなり歩きやすくなる。おまけに天気も前日にひきつづいての快晴なので、鼻唄まじりの徒歩旅だ。八代海の海岸に出ると、さらに交通量は減った。八代海には小島が浮かび、その向こうの九州本土は水平線のかなたにボーッと霞んでいる。

 松島温泉から約20キロを歩いて姫戸に到着。足のマメはさらに大きくなっている。痛い…。「甲ら家」で昼食。ここでは天草名産のガザミを食べさせてくれる。ガザミとはワタリガニのこと。メニューを見て「カニ丼」を注文した。「カニ丼」とは「いったいどんなものなのだろう」と興味津々。出てきた「カニ丼」には目を奪われた。薄紅色のガザミの大きな甲羅が丼飯を覆い隠している。その甲羅を取ると、身がたっぷりのカニの足や菜類のてんぷらが丼飯の上にのっていた。「カニ丼」とはカニ天の天丼のこと。それにカニグラタンとカニの味噌汁がついていた。

 姫戸からは船で本渡に向かう。1日2便しかない船なので、乗り遅れないようにと、すこし早めに港に行った。すると定刻よりも前に、「ボーッ」と汽笛を鳴らし、白い高速船が港内に入ってきた。それを岸壁に立って見ていたが、高速船はくるりと向きをかえると、そのまま防波堤の向こうの港外へ出てしまうではないか。あわててふためいて、「おーい、おーい」と大声を張り上げ、思いきり手を振った。すると高速船はふたたび港内に戻り、姫戸港の浮き桟橋に接岸した。

 ところがそれは三角行きの船。船長は「船に乗るときは桟橋まで降りて合図するんだよ」とムッとした口調でいう。ぼくは「すいません、すいません」を連発した。船はすべての港に接岸するものだとばかり思っていたが、乗客のいない港ではそのまま素通りしてしまうとのこと。船長に迷惑をかけたが、これで船の乗り方がわかった。


島迷路に迷い込む
 三角行きの船が出るとまもなく本渡行きの高速船がやってきた。今度はその船に向かって大きく手を振った。だが、それは必要ないことだった。八代から来た船で、買い物帰りの人たちや高校生など何人かの乗客が降りたからだ。

 この船旅では、日本有数の群島、天草諸島を十分に実感した。次々と港に立ち寄っていくが、船内アナウンスもないので、地図とにらめっこでそれらの港を確認していく。島と島が重なりあった天草諸島、島の切れ目がなかなかわからずに、頭の中がこんがらがってくる始末。まるで巨大な「島迷路」に迷い込んだかのようだ。そんな迷路の中で絶好の目印になったのが、們島と樋島、御所浦島と牧島を結ぶ2本の橋だった。

 この船は人だけでなく荷物も運ぶ。途中の港では家の建築資材が下ろされたり、本渡の魚市場に送られる鮮魚類が積み込まれたりする。出港間際に宅配便の軽トラックがやってきて荷物を積み込むこともあった。島々を結ぶこの船はまさに天草の足になっている。

 最後に御所浦島の御所浦港に寄り、本渡港に向かう。その間でもいくつもの島々を見る。ここはまさに日本の多島海。天草諸島には全部で120余もの島々がある。「姫戸→本渡」の2時間あまりの船旅では、心ゆくまで「アイランド・ウオッチング」を楽しめた。


2度3度、海を越えて…
 本渡でひと晩泊まり、翌朝はバスで鬼池港へ。そこからフェリーで島原半島の口之津港に渡った。口之津は南蛮船渡来の地として知られているが、かつては南蛮貿易でおおいに栄え、キリスト教布教の中心地にもなった。海から入っていくと、口之津がよくわかる。南蛮船が入港するのには絶好の入江。キリシタン大名の有馬氏は永禄5年(1562)に口之津港を開き、ここを南蛮貿易の拠点にした。イエズス会の本拠地もここに置かれた。

 口之津港から島原鉄道の終点、加津佐駅まで歩き、諫早行きに乗った。1両のジーゼルのワンマンカー。カラフルな黄色い車両で、「島原の子守唄」のシンボルマークが描かれている。列車は島原湾に沿って走る。きらめく海の向こうの天草がよく見える。原城駅の海側には島原の乱で天草四郎らがたてこもった原城跡が、有家駅の近くにはキリシタン史跡公園がある。

 深江駅に近づくと、雲仙岳の平成新山がものすごすごい迫力で車窓に迫ってくる。焼けただれた山肌に樹木はない。島原駅に近づくと、今度は眉山が異様なほどに大きく見えてくる。日本の災害史上、最大級の被害をもたらした寛政4年(1792)の大爆発で、眉山は原型をとどめないほどに吹き飛び、崩壊した。火山と戦ってきた島原の壮絶な歴史を車窓の風景に垣間見た。

 島原駅に到着。島原城を模した駅舎の前には「島原の子守唄」の像が建っている。「おどみゃ 島原の…」と「島原の子守唄」を口ずさみながら島原を歩き、島原城へ。資料館になっている島原城を見学し、天守閣からは島原をとりまく四方の風景を眺めた。島原の風景を目に焼き付けたところで、通りの中央を水路が流れる武家屋敷街を歩いた。

 島原からはフェリーで三角に渡る。フェリーの甲板で三角名物の「甘鯛ちくわ」をかじりながらカンビールを飲んだ。離れゆく島原半島。雲仙岳の中央には平成新山。眉山は一番東側の山になる。目の向きを変え、進行方向左側の金峰山を見る。大きな目立つ山並みで、まるでポッカリと浮かぶ島のように見える。この金峰山の向こうが熊本の市街地になる。前方には宇土半島と天草の山々が切れ目なくつづいている。空には一片の雲もない。西の空に傾いた日を浴びて、島原湾をとりまくそれら四方の山々は光り輝いていた。

 フェリーは島原湾から宇土半島と大矢野島の間の狭い水路に入り込み、天草1号橋の天門橋の下をくぐり抜け、三角駅前の三角港に到着。島原から1時間の船旅。終着駅のその先を目指した旅だったが、最後はまた終着駅に戻ってきた。

カソリの島旅(4)

 (『ジパングツーリング』2001年7月号 所収)
 
伊豆大島
 ぼくは1999年の4月から11月にかけて、スズキDJEBEL250GPSを走らせ、全行程が4万キロの「日本一周」をなしとげた(そのときのことは昭文社刊の『日本一周バイク旅4万キロ・上下巻』に詳しく書いてますので、みなさんお読み下さい!)。 そのときの「日本一周」は日本本土の海沿いのルートをメインにし、何本ものミニ一周ルートで内陸に入っていくという周り方をした。いわば、「本土編」の「日本一周」だ。

 それに対して今回、「島編」の「日本一周」を計画した。やはり日本本土の海沿いのルートをメインにするが、今回はそのメインコースから外側へ、外側へとループをつないでいくやり方。「島めぐり」の「日本一周」で、バイクを積めるフェリーや船で次々と日本の島々をまわろうという計画だ。

 それを実現させる日がやってきた!
 2001年3月22日午前6時、ぼくは東京・日本橋に「島編・日本一周」の50㏄バイク、スズキSMX50とともに立った。日本橋には何人もの人たちが見送りに来てくれた。まず最初は「伊豆諸島編」。1日かけて東京の下町をまわり、22時、東京港竹芝桟橋出港の東海汽船「さるびあ丸」に乗った。

 翌3月23日午前6時、東海汽船の「さるびあ丸」(4965トン)は、伊豆大島の岡田港に着いた。東京から8時間の船旅だ。伊豆諸島最大の伊豆大島には、この北岸の岡田港と西岸の元町港、南岸の波浮港があるが、「さるびあ丸」が接岸するのは岡田港と元町港の2港のみ。その日の風の具合などによって岡田港に着いたり、元町港に着いたりする。

「島編・日本一周」のバイク、スズキSMX50の入ったコンテナが船から降ろされる。50㏄バイクだとチッキ(受託手荷物)で運んでもらえる。伊豆諸島をバイクでめぐるのなら50㏄は断然便利だ。「東京→伊豆大島」の2等運賃は3810円、50㏄バイクは2070円だった。

 岡田港の桟橋で「さー、行くゾ!」のガッツポーズのあと、さっそく伊豆大島を走りはじめる。反時計まわりに島を一周する。伊豆諸島最大の島といっても、一周は50キロほどだ。

 岡田から元町に向かっていく途中で温泉宿を発見! 平成の湯温泉「くるみや旅館」。ちょうど朝食の時間なので、入浴させてもらえるかな‥‥と、ダメもとで頼んでみた。すると、ありがたいことに入浴させてもらえた。入浴料500円。記念すべき「島編・日本一周」の第1湯目だ。

 ぼくは今までに日本の温泉1600湯あまりに入っている。目標は日本の全湯制覇。そんな「温泉のカソリ」なのに、ドジをやって、タオルを忘れてしまった。で、タオルを買おうとしたら、なんと宿の主人は「どうぞ使って下さい」といってタダで出してくれた。島の人のやさしさにふれカソリ、感激。

 伊豆大島最大の町、元町に着いたところで給油しようとした。ところがタンクのキャップのロックがあかない。あー、しまった! またしてもドジをやってしまった。

 スズキSMX50はスペインスズキの製造で逆輸入車。メインスイッチのキーとタンクキャップのキーは別だった。それに気がつかずに、タンクキャップのキーを家に置いてきてしまった‥。

 ドライバーでキャップをこじあけようとしたが、うまくいかない。すぐ近くに自動車の修理工場があった。修理工場の主人に頼むと、鮮やかな手つきでキャップをこじあけてくれた。修理代を払おうとすると、「いいんだよ」といって受け取らない。お礼に自販機のカンコーヒーを何本か渡したが、ぼくはまたしても島の人のやさしさにふれた。

 元町港の前にある喫茶店「モア」でコーヒー&トーストの朝食を食べ出発。
 伊豆大島の西海岸を南下し、波浮港へ。しっとりとした情緒の残る港町。
「磯の鵜の鳥りゃ 日暮れにゃ帰る
 波浮の港は 夕焼け小焼け‥‥」
 と、港の先端には野口雨情の「波浮の港」の歌碑が建っている。それを見ていると歌を自然に口ずさんでしまう。

 波浮から伊豆大島の東海岸を走り、泉津の大島公園へ。ここの「椿資料館」(入館無料)には、100種以上もの椿の切り花が展示されていた。「椿園」には5000本以上もの椿が植えられ、椿の木の下は落ちた椿の花で赤い絨毯のような華やかさ。泉津の集落内を走る「大島一周道路」沿いは椿並木だ。
「椿のトンネル」をくぐり抜けていく。ここでは樹齢200年以上の古木も見られる。こうして岡田港に戻った。

 再度、元町へ。「火山博物館」を見学し、SMX50のエンジンをうならせ、御神火スカイラインで三原山の山頂口まで登る。外輪山上の展望台に立ち、伊豆大島のシンボル三原山を一望。そこから山頂まで歩いた。50分ほど。残念ながらガスがかかり、火口は見えなかった。

 元町に下ると、「浜の湯」(入浴料400円)、「御神火温泉」(入浴料1000円)と温泉2湯に入り、最北端の乳が崎経由の道で岡田に戻り、民宿「とみや」に泊まった。

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ジャンル : 車・バイク

カソリの島旅(5)

 (『ジパングツーリング』2001年7月号 所収)

利島
 伊豆大島から東海汽船の「さるびあ丸」で渡った利島はまさに「椿の島」。全島が椿で覆われている。その数は数十万本といわれ、椿油の生産は日本一。

 利島は伊豆諸島の中でも最小の島で人口300人。集落は利島港周辺のひとつだけ。ここに利島村役場や「利島郷土資料館」(入館無料)、小学校、中学校、駐在所、島唯一の食堂「てづか」、「阿豆佐和気命神社」などがある。港近くの民宿「寺田屋」に宿をとってから島一周を開始した。

 島南端の南ヶ山園地の展望台からの眺めがよかった。目の前には無人島の鵜渡根島。右にフツシ根島、左にオタイ根島の小島が浮かんでいる。その向こうには、ぼくがこれから行く新島、式根島、神津島の島々が連なっている。島にいながら別の島を見るのもいいものだ。胸にぐっとくるものがある。

 この南ヶ山園地のすぐ近くに、阿豆佐和気命神社の本宮がある。周辺は見事な自然林で、タブの大木も見られる。ここはおそらく東京都では一番見事なの照葉樹林であろう。

 利島は2周した。2周目では、島の最高峰の宮塚山(507m)に登った。海岸からそのままキューンとそそりたった山なので、かなり急な登り。大汗をかいて山頂に到達したが、樹木がおい茂り、見晴らしがよくないのが残念。

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カソリの島旅(6)

 (『ジパングツーリング』2001年7月号 所収)

新島
 新島は南北に細長い島で、島一周の道はない。そこで新島港に着くと、新島の中心、本村からまずは北へ。全長739メートルという長い新島トンネルを抜け、北端の集落、若郷まで行った。10キロほどだ。

 昨年(2000年)の大地震のすさまじさをみせつけるかのように、集落をとりまく山肌はいたるところで崩れ、集落内でもずいぶんと大きな被害が出た。幸い死傷者は出なかったが、これは奇跡だと若郷の人たちはいっていた。

 若郷から本村に戻ると、今度は南へ、やはり10キロほど走ると、自衛隊のミサイル試射場で行き止まりになる。高台に立つと、新島最南端の岬、神渡鼻に立つ白い新島灯台が見える。その先に早島。さらにその向こうには神津島が見える。

 新島では本村の民宿「角七」で泊まった。夕食後、宿のおかみさんに無理をいって、土産物店で買った新島名産の“くさや”を焼いてもらった。青むろ(ムロアジ)の干物だ。それを部屋でビールを飲みながら食べた。部屋中にくさやの強烈な匂いが充満する。くさやは、味と匂いが反比例しているようで、くさければくさいほど味がいい。

 くさやは先祖伝来の、魚のはらわたなどが入った塩分の強い液に開いたムロアジなどの魚を浸し、それを天日で干したもの。伊豆諸島のほかの島々や伊豆半島にもあるが、くさやといえば新島が発祥の地なのだ。

 民宿の部屋で一人ビールを飲みながら本場もののくさやを食べていると、旅している自分をくさやの匂い以上に強烈に感じ、心底、うれしくなってくるのだった。


たまらず管理人:
「風呂入ってたよね?」て、違うか。

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カソリの島旅(7)式根島

 (『ジパングツーリング』2001年7月号 所収)

式根島
「伊豆七島」というと、伊豆大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の7島で、その中に式根島は含まれない。式根島を入れて「伊豆八島」という場合もあるらしい。また「伊豆五島」というと、伊豆大島、利島、新島、式根島、神津島のことになる。

 式根島は新島の属島なのだ。古くは新島につながっていたといわれている。近世初期には無人島だったものが、近世後期に新島からの漁民が移り住み、漁村ができたという。そのため今でも式根島は利島の倍の人口600人を数えるが、式根島村ではなく、新島村の一部になっている。

 式根島は周囲が12キロの小さな島。北の野伏港と南の式根島港を結ぶ「式根本道」が島の幹線道路だが、端から端まで全部走っても、わずか3キロでしかない。そんな小さな式根島だが、海岸美は見事だ。

 泊浦、大浦、中の浦はきれいな砂浜で、海水浴場になっている。そのうち、中の浦では、誰もいないのをいいことに、素裸になって今年の初泳ぎをした。すこし海水が冷たかったが、3月でも十分に泳げる。

 そんな式根島の海岸には足付温泉と地鉈温泉の海中温泉がある。ともに海を眺めながら湯につかる無料の混浴大露天風呂。自然そのまんまといった温泉だ。ほかには誰もいないので、この自然度満点の温泉を自分一人で独占!

 足付温泉の周辺は「式根松島」といわれ、温泉と黒松、白砂ならぬ白石の3点セット。風光明媚な温泉だ。

 地鉈温泉は「日本の秘湯」。駐車場にバイクを停め、鉈で断崖をブチ割ったようなV字の谷に歩いて下っていくと、その先の海岸に天然の露天風呂がいくつかある。ブクブクと湯が湧き出る源泉近くは熱くて入れないが、海寄りの岩間の湯溜まりはちょうどいい湯加減。こんな温泉が小さな島にある!

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カソリの島旅(8)神津島

(『ジパングツーリング』2001年7月号 所収)


神津島
 式根島の民宿「鈴豊」で朝食を食べる。夕食にはメジナの刺し身と煮魚が出たが、朝食にはカワハギの仲間のウスバハギの焼き魚が出た。魚が大好きのカソリなので、朝からうまい魚を食べられてご機嫌だ。これが島の民宿のよさというもの。

 8時40分発の東海汽船の「さるびあ丸」で式根島から終点の神津島に渡る。神津島到着は9時20分。「さるびあ丸」は多幸湾・三浦港の桟橋に接岸する。目の前には神津島の最高峰、天上山(574m)がそびえている。
 多幸湾の海の青さと砂浜の白さのコントラストがなんとも強烈だ。

 神津島の幹線道路「神津本道」で唯一の集落に向かっていく。ここに神津島村役場があり、店々があり、島民の大半が住んでいる。人口2400人の神津島なので、かなり大きな集落になるのだが、ここにはとくに名前がついていない。島のパンフレットを見ても「村落」とあるだけだ。

「村落」に着くと、ガソリンスタンドで給油。伊豆大島ではリッター131円、新島ではリッター165円だったが、神津島になると172円だ。島外から入ってくるモノの値段がピーンと跳ね上がるのが島の宿命‥‥。

 島の最高峰の天上山に登った。登山口にバイクを停め、そこから頂上を目指して直登する。あっというまに大汗をかく。樹林地帯を抜け出ると、岩肌がむきだしになった荒涼とした風景。猛烈な風が吹き荒れ、体ごと飛ばされそうになる。

 山頂に立つと、真下には「村落」を見下ろし、反対側に目を移すと、三宅島と御蔵島を眺める。三宅島からは白色の噴煙が上がっている。天上山は火山で、火口内は「表砂漠」、「裏砂漠」と呼ばれる砂漠の風景だ。

 神津島でひとつ驚いたのは、この島が昔からの黒曜石の産地だったことだ。黒曜石というのはガラス質の火山岩で先史時代には切れ味の鋭い石器として使われていた。九州の阿蘇山や信州の和田峠、北海道の十勝岳が黒曜石の産地として知られ、九州産や信州産、北海道産の黒曜石は広範囲に交易されていた。ところがこの神津島産も同様に広範囲に渡って交易されていたのだ。

 神津島産は伊豆諸島のみならず、関東を中心とした本土(内地)にも出回っていたという。おー、歴史のロマン。縄文の時代にも船を自由自在にあやつって黒曜石を売りさばく商人がいたとのだろうか。

 天上山を下ると、そんな黒曜石を使った工房を見学させてもらった。ぼくは初めて原石を見たが、表面は薄茶色、中はきれいな黒色だ。「村落」に戻ると「郷土資料館」(入館料300円)を見学。

 最後に神津島温泉の湯に入った。村営「神津島温泉保養センター」は休業中だったので、そのかわりに、神津島漁港を目の前にする「山下旅館」(入浴料400円)の湯に入った。塩分の強い湯。窓をあけると、ちょうど夕日が港の向こうに落ちていくところだった。さっぱりした気分で、今晩の宿となる民宿の「あさえ」に泊まった。

 翌朝は「村落」内をまわった。「流人墓地」には、オタア・ジュリアの墓がある。朝鮮貴族の娘だったジュリアはキリシタン大名の小西行長の養女になり、後に徳川家康に仕えた。ところが、慶長12年(1612年)の「キリシタン禁止令」に触れ、神津島に流された。そのジュリアを偲んで毎年「ジュリア祭」がおこなわれている。

 次に神津島を開いたといわれる物忌奈命をまつった物忌奈命神社に参拝。境内はタブやシイなどの照葉樹で覆われている。

 それを最後に、東海汽船の東京行き「さるびあ丸」にコンテナに積まれたスズキSMX50とともに乗り込んだ。

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カソリの島旅(9)八丈島(東京)

 (『ジパングツーリング』2001年8月号 所収)

「伊豆諸島編」の前半戦では、伊豆大島、利島、新島、式根島、神津島の5島を巡り、いったん東京に戻った。それにひきつづいての「伊豆諸島編」の後半戦の開始。出発は2001年4月9日。難問だらけの「伊豆諸島編」の後半戦だ…。

 最初の計画では「三宅島→御蔵島→八丈島→青ヶ島」と巡る予定だった。ところが三宅島は昨年(2000年)の雄山の噴火以来、火山活動は弱まることなくつづいており、渡島禁止で島に上陸することはできない。ということで、三宅島は断念せざるをえない。

 次に御蔵島はこの季節だと、船便は週1便なので、やはり断念せざるをえない。そのかわりに、東京発御蔵島経由八丈島行きの船に乗り、船が御蔵島に着いたとき、一瞬でも岸壁に下りてみることにした。

 これら2島はまたいつの日か、次の機会にぜひとも行こうと思う。
 さらに青ヶ島だが、八丈島から青ヶ島に渡る船はきわめて欠航の確率が高いという。
「カソリさん、そう簡単には青ヶ島には行けませんよ」といわれてしまった。

 このように難問だらけの「伊豆諸島編」の後半戦なのだが、すべてはやってみないことにはわからない。かえってチャレンジ精神に火がつけられた。
「島巡りツーリング」のおもしろさは、やってみないことにはわからないという、この出たとこ勝負にあると思う。

 4月9日22時30分、東海汽船の「すとれちあ丸」(3708トン)は定刻どおりに東京港・竹芝桟橋を出港した。船上から眺める東京の夜景はまばゆいばかり。夜が明けると、三宅島のすぐわきを通った。島の主峰、雄山には厚い雲がかかっている。今は無人の島となった三宅島だが、灯台には明かりがついていた。

 三宅島が遠ざかると、御蔵島が見えてくる。切り立った断崖がストンと海に落ち、何本もの滝が見える。6時に御蔵島着く。何人かの乗客が下りるとすぐさま出港だ。

 八丈島の八重根港に着いたのは9時20分。「すとれちあ丸」からスズキSMX50の入ったコンテナが降ろされる。岸壁でバイクを引き取る。

 青ヶ島は渡るのが難しいといわれていたので、このまま青ヶ島行きの青ヶ島村営船「還住丸」に乗り、まず先に青ヶ島に行こうとした。ところが海が荒れているとのことで欠航だ。ということで、八丈島を走ることにした。

 御蔵島では青空が広がっていたが、南下するにつれて天気が悪くなり、八丈島では雨が降っている。なんとも辛いことだが、雨具を着ての出発となった‥‥。

 八丈島は北に八丈富士、南に三原山がそびえ立ち、その間が平坦地になっている。島全体が3パートに分かれているようなものだ。

 八重根港を拠点に、まずは北部を一周。島の東海岸にある底土港に行き、そこから反時計回りで海沿いに走り、八重根港に戻った。島の北半分、北部の一周は33キロだった。

 昼食のあと、今度は島の南部を一周する。八丈島には島一周の都道が走っていて、キロ表示の地点標が1キロごとに立っている。地図つきなのでわかりやすい。「北部一周」のときと同じように、八重根港から底土港に行き、今度は時計回りでの「南部一周」だ。

 SMX50のアクセルを開き、まずは登龍峠を登っていく。50㏄にとってはかなりきつい登り。峠近くには展望台。底土港を見下ろし、その向こうにそびえる八丈富士を一望する。だが残念ながら八丈富士の中腹より上は雲の中。この八丈富士は標高854メートルで伊豆諸島の最高峰になっている。 

 末吉地区に入ったところで、八丈島の温泉めぐりを開始する。まず第1湯目は末吉温泉の「みはらしの湯」(入浴料500円)。大浴場に隣り合った露天風呂からの眺めは最高だ。正面には太平洋の大海原が広がり、右手には八丈島最南端の小岩戸ヶ鼻を眺める。すきっと晴れた日には水平線上に浮かぶ青ヶ島が見られるという。

 第2湯目は洞輪沢漁港のすぐ前にある洞輪沢温泉。ここはなんともうれしい無料湯。男女別の脱衣所と浴室がある。太いパイプから湯が豪快に木の湯船に流れ込み、そしておしげもなくあふれ出ている。

 第3湯目は裏見ヶ滝温泉。混浴の露天風呂で、ここも無料湯。そのあと中ノ郷温泉「やすらぎの湯」と樫立温泉「ふれあいの湯」に入ったが、入浴料はともに300円。猛烈な風と雨の嵐のような天気だったが、温泉に入っている間はすこしも気にならない。こうして夕方、八重根港に戻ったが、「南部一周」は58キロ。夜は底土港に近い民宿「そこど荘」に泊まった。

 翌日も天気は悪く、青ヶ島への船は欠航した。そこで午前中は島南部の最高峰、三原山に登った。標高700メートルの山頂に到達したときは雨と汗でグショグショ状態。山から下ると、樫立温泉「ふれあいの湯」に入った。
「う~ん、生き返った!」

 午後は島北部の最高峰、八丈島富士に登った。一周5キロほどの八丈富士中腹の周遊道路からちょっと入ったところが登山口。火山岩を使った石段を登っていく。全部で1280段はかなりの勾配。ヒーヒーいって登った。

 第2夜目も民宿「そこど荘」に泊まった。翌朝はかなり天気も回復したがやはり青ヶ島への船は欠航した。残念。青ヶ島も断念し、底土港から東海汽船の「すとれちあ丸」で東京に戻った。

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カソリの島旅(10)母島(東京)

 (『ジパングツーリング』2001年8月号 所収)

「伊豆諸島編」を終え、「小笠原諸島編」に出発したのは2001年4月20日。小笠原海運の「おがさわら丸」(6679トン)にスズキSMX50とともに乗り込んだ。

 東京港・竹芝桟橋を出港したのは午前10時。午前中の出港で、さらに晴天ということもあって、いやがうえにも「船旅」に気分が盛り上がる。

「おがさわら丸」はレインボーブリッジの下をくぐり抜ける。右手に東京港のコンテナ専用埠頭、左手に台場を見る。やがて羽田空港の沖合を通り、東京湾を南下。小笠原諸島最大の父島まで約1000キロ、25時間余の船旅がはじまった。

「おがさわら丸」の便数は月に4便程度。父島の二見港に2泊か3泊し、東京港に戻る。ぼくの乗った4月20日発の便は二見港に2泊する便だった。この2泊3日で父島と母島の両方を見てまわろうとした。これはかなり綱渡り的な芸当だ。

 翌朝の9時、小笠原諸島北端の島々が見えてくる。北島、聟島、嫁島‥‥とつづく聟島列島の島々だ。ここはどこも無人島。やがて弟島、兄島、父島とつづく父島列島が見えてくる。父島の近くでは潮を吹き、尾を海上に上げた1頭のクジラを見た。

 11時30分、父島の二見港に到着。港のターミナルビル前にはタコの木やビーデビーデの亜熱帯樹。鮮やかな朱色の花をつけたビーデビーデは南洋桜ともいわれるそうで、亜熱帯の島にやってきたことを強烈に実感した。

 ここで12時30分発の「ははじま丸」(490トン)に乗り換える。母島の沖港到着は14時30分だ。
「ははじま丸」に積まれたコンテナからSMX50が降ろされると、さっそく母島を走りはじめる。母島は南北に細長い島。北進線で母島最北の北村へ。

 ビッグベイ(猪熊湾)やロングビーチ(長浜)を見下ろし、亜熱帯樹がうっそうとおい茂る桑ノ木山を越え、二十丁峠を越える。北村まで10キロ。北港跡の石づくりの桟橋で北進線は行き止まりになる。

 この北村には戦前までは約80戸の家があったという。村役場や郵便局、駐在所、旅館、小学校などがあり、東京からの定期船も寄港したという。だが今は1軒の家もない。小学校跡は亜熱帯樹のガジュマルの中に埋もれていた。胸のジーンとする光景だ。思わず「諸行無常」の言葉が口をついて出る。

 北村から沖港に戻り、今度は南進線を南へ。4キロほど走ると母島最南端の南崎に通じる遊歩道の入口に着く。約1時間、汗だくになって亜熱帯樹の覆いかぶさる小道を歩き、南崎の海岸に出た。

 目の前には鰹鳥島、丸島、二子島、平島、その向こうには姉島、妹島、姪島といった母島列島の島々が見える。すぐ左手には標高86メートルの小富士。日本最南の富士山だ。

 夕日に照らされた南崎をあとにし、沖港の民宿「つき」に泊まる。翌朝は夜明け前の4時に起き、母島の最高峰乳房山(463m)に登った。宿に戻ると朝食を食べ、母島の郷土資料館の「ロース記念館」(無料)を見学した。

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