「カソリの1万円旅」(1):「伊豆半島一周」の温泉めぐり

 (『ジパングツーリング』1998年10月号 所収)

“バイク1万円旅”のおもしろさは、自分の持っている体力、知力の限りを尽くしてやるところにある。それだから「1万円でできそうなツーリング」などは論外で、1万円でできるかどうかわからない、ギリギリの線を狙うのが最高におもしろい。
 で、今回、計画したのは「伊豆半島一周」の温泉めぐり。共同湯をメインにし、20湯以上の温泉に入ろうというものだ。
 ルールはひとつ、入浴料の上限を500円とする。
“温泉のカソリ”が“湯魂”を旗印に、自分の持っているパワーのすべてを「伊豆半島一周」にぶつけるのだ。

 1998年7月13日午前5時、JR東海道線の三島駅前で“G麺ヒラシー”こと、カメラマンの平島格さんと落ち合う。
 それまでの10日間ほどというものは毎日、地図と温泉情報とのにらめっこ。その結果の、練りに練ったルートが「三島→熱海」だ。反時計回りに伊豆半島を一周しようというもの。三島駅前午前5時集合というのもすごく意味のある時間なのだ。1万円で最大限のツーリングをするときには、事前の情報収集と計画づくりは欠かせないが、これがまたすごく楽しい!

「さー、出発だ!」
“バイク1万円旅”といったが、今回はスクーター。
 スズキのスカイウエイブに乗って颯爽と走りだす。この250㏄のスクーターは、なんとも楽チン。シートの下には檜の桶とタオルの温泉セットが入っている。
 まずは伊豆の一宮、三島大社に参拝し“1万円旅”の成功を祈願する。三島は昔も今も伊豆国の中心だ。
「伊豆半島一周」温泉めぐりの第1ステージは“中伊豆篇”。R136を南下し第1湯目の伊豆長岡温泉へ。
 こにには4軒の共同湯があるが、早朝からやっているのは「あやめ湯」だけ。6時半のオープンと同時に「あやめ湯」到着。
 お見事、お見事! 
 この6時半という時間に合わせての、三島駅前5時集合だった。

 第2湯目の修善寺温泉「独鈷の湯」に入り、第3湯目の湯ヶ島温泉へ。よく知られた共同湯「河鹿の湯」は午後からなので、もうひとつの共同湯「世古の湯」に入った。こうして“中伊豆篇”の3湯に入り、幸先のよいスタートを切った。
 修善寺温泉に戻ると、コンビニで6枚入りの食パンと、6枚入りのスライスチーズを買う。それを持って戸田峠まで行き朝食にする。2枚のパンに1枚のチーズをはさんで食べるのだが、これが「伊豆半島一周」の主食。2年前の1996年には、ぼくはこのチーズサンドを主食にして「オーストラリア2周7万2000キロ」を走った。

 戸田峠を下り、戸田温泉に着いたところで、第2ステージの“西伊豆篇”の温泉めぐりを開始する。
 共同湯「壱の湯」は10時オープンだが、ぴったり10時に到着し、「あやめの湯」同様、最高に気持ちのいい一番湯に入ることができた。
 次の土肥温泉には4軒の共同湯があるが、朝からやっている「大藪共同浴場」に入り、湯から上がったところで番台のオジサンとひとしきり温泉談義をした。
 土肥からは国道136号で西伊豆の海岸を南下し、浮島温泉、堂ヶ島温泉、祢宜之畑温泉、大沢温泉、松崎温泉と5湯の温泉をハシゴ湯する。さらに岩地温泉、石部温泉、雲見温泉と3湯の無料混浴の露天風呂に入る。3湯とも若い女性たちと一緒になったが、全員が水着‥。

 西伊豆から第3ステージの南伊豆へ。
 弓ヶ浜温泉では「みなと湯」、下田温泉では「昭和湯」と共同湯に入り、「昭和湯」を出るころには夜になっていた。
 下田のスーパーで食料を買い込み、国道135号で今度は、東伊豆の海岸を北上。第4ステージの東伊豆に入っていく。
 稲取温泉の共同湯「都湯」に入り、熱川温泉に着いたところで海岸でテントを張ってキャンプする。夕食は豪華版。150円引きのカツオの刺し身を肴に、ヒラシーと“下田温泉ビール”で乾杯。3本58円のキューリと1束100円の葉ショウガに味噌をつけ、バリバリ食った。そのあと飯を炊き、味噌汁をつくり、半額セールのサンマの塩焼きとカレイのあんかけをおかずにして食べた。満腹だ!!

 翌朝は、夜明けとともに起き、太平洋に昇る朝日を眺める。心が清められるような瞬間だ。
 熱川温泉の共同湯「高磯の湯」は9時半オープンなので、その前に隣の第17湯目になる北川温泉に先に行く。
 6時オープンの北川温泉の混浴露天風呂「黒根岩風呂」は入浴料が500円を超えるが、ここだけは唯一の例外とした。長湯を決め込み、コンビニでパンと一緒に買った缶ジュースをなるべくもたせるようにチビチビ飲みながら湯につかる。若いカップルと一緒になったが、彼女はギュッと体にバスタオルを巻き付けていた。
 湯につかりながら聞く太平洋の潮騒が胸に響いた。

 次に大川温泉を通り越したところにある赤沢温泉の無料の混浴露天風呂に入った。
 ここでは埼玉からやってきた若者2人組と一緒になったが、胸がジーンとするほど、気分のいい若者たちだった。大学生とフリーター。夜中の1時に突然、「海に行こうゼ!」ということになり、オンボロ車を走らせてやってきたという。
 北川温泉、赤沢温泉と2湯の温泉に入ったところで、熱川温泉に戻り、海辺の露天風呂「高磯の湯」に行く。
 受付のお姉さんに、
「男湯は今、入れないのよ。女湯でよければどうぞ」
 といわれ、嬉しくなってしまう。
 お姉さんには「女性客が来たらここで待ってもらうから、ゆっくり入っていいのよ」といわれたが、「いやー、ぼくたちは全然かまいませんよ」というカソリ&ヒラシー。女湯というだけで、湯には若き女性の肌の香りが漂っているようだった。

 そしていよいよ第20湯目の大川温泉の「磯の湯」に入る。まずは目標とした20湯を達成したのだ。「磯の湯」は、海辺の男女別の露天風呂。ここは11時オープンなので、それに合わせてやってきた。入浴料の500円を払って残ったお金が2063円。まだ余裕を残している。次の伊東温泉の共同湯は午後2時から。時間的にもかなり余裕がある。
 そこで、「磯の湯」から上がると、東伊豆を観光することにした。
 最初に行ったのは、東伊豆第一の海岸美を誇る城ヶ崎海岸の門脇岬。岬突端の切り立った断崖上に立ち、門脇灯台(無料)に登り、城ヶ崎海岸を見下ろした。
 次に一碧湖に行く。周囲4キロの小さな湖だが、海の近くにあるとは思えないほどの奥深さ、神秘さを感じる。
 湖畔でチーズサンドの昼食にし、食後は30分の昼寝をむさぼった。

 13時45分、伊東着。
 第21湯目の伊東温泉では、伊東駅近くの共同湯「第一共同浴場」に行った。すでに常連の何人かの人たちが開くのを待っていた。ぼくたちも一緒に並び、午後の2時になるのと同時にオープンした共同湯に入り、湯につかりながら常連さんたちの話をそれとはなしに聞くのだった。
 第22湯目の宇佐美温泉に入り、ついに16時45分、第23湯目の熱海温泉に到着。共同湯の「駅前温泉浴場」の湯に入り、ガソリンを満タンにして熱海駅前をゴールにしたが、駅前の“トレビの泉”風の間歇泉に1円玉2個を投げ入れ、253円が残った。合計9747円の“1万円旅”。1万円でここまでできるのだ!

 熱海駅前をゴールにしたが、そのまま東京に帰るようなカソリではない。
 徹底的に“1万円旅”にこだわり、残金の253円で熱海で贅沢な夕食にする。残っているのはパン2枚とチーズ1枚、ニンジン1本。ここはヒラシーと勝負だ。同じ253円を持ってスーパーに行き、1円でも安い買い物をする。制限時間は15分。
 その結果はカソリが完熟トマト大1個(100円)、バナナ1本(40円)、ヨーグルト200g(98円)、消費税11円で合計249円。残金4円。ヒラシーは安売りコーラ(39円)、ヒレカツ(100円)、消費税10円で合計219円。残金34円。ヒラシーの打倒カソリへの道はまだ遠かった…。
 カソリはまず完熟トマトをガバッと食い、生のニンジンとヨーグルト・バナナをおかずにチーズサンドを食べ、ヨーグルトをデザートにした。
 ヒラシーはコーラを飲みながらチーズ&ヒレカツサンドを食べ、ヨーグルトをデザートにした。カソリ&ヒラシーともに満ち足りた夕食となった。


■「伊豆半島一周」で入った温泉
1、伊豆長岡温泉「あやめ湯」300円
2、修善寺温泉「独鈷の湯」無料
3、湯ヶ島温泉「世古の大湯」100円
4、戸田温泉「壱の湯」300円
5、土肥温泉「大藪共同浴場」200円
6、浮島温泉「しおさいの湯」500円
7、堂ヶ島温泉「沢田公園露天風呂」500円
8、祢宜ノ畑温泉「やまびこ荘」500円
9、松崎温泉「国民宿舎伊豆まつざき荘」210円
10、大沢温泉「かじかの湯」500円
11、岩地温泉「ヨット風呂」無料
12、石部温泉「平六地蔵露天風呂」無料
13、雲見温泉「雲見露天風呂」無料
14、弓ヶ浜温泉「みなと湯」300円
15、下田温泉「昭和湯」340円
16、稲取温泉「都湯」340円
17、北川温泉「黒根岩風呂」600円
18、赤沢温泉「赤沢露天風呂」無料
19、熱川温泉「高磯の湯」500円
20、大川温泉「磯の湯」500円
21、伊東温泉「第一共同浴場」170円
22、宇佐美温泉「おっとと村」500円
23、熱海温泉「駅前温泉浴場」350円
入浴料合計6710円


■「伊豆半島一周・一万円旅」で使ったお金
(第1日目)
温泉入浴料  4090円
ガソリン代   966円
食費      953円
缶ビール    228円
賽銭        5円
(第2日目)
温泉入浴料  2620円
ガソリン代   383円
食費      170円
缶ビール    230円
缶紅茶     100円
熱海駅前      2円
合計9747円
(残り253円)

スーパー食費  249円
(残り4円)


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「カソリの1万円旅」(2)「駆けた! 入った! 東伊豆12湯」

 (『旅』1991年5月号)

 1000円札9枚と、100円玉10個をギュッッと握りしめて、250㏄バイクのスズキDR250Sで神奈川県伊勢原市の自宅を出発したのは、1991年2月28日の、まだ暗い、午前5時のことだった。
 この1万円で、東伊豆の海岸線の温泉に、1湯でも多く入ろういう試みの旅だ。バイクは満タンにしてある。最後に伊勢原に戻ったときにガソリンを入れ、満タンにするというレンタカー方式をとる。
 朝食・昼食の食事代を浮かせるために女房につくってもらった弁当と、タオル、地図、カメラ、雨具を持っての日帰りのツーリング。宿泊費に一銭も使わなければ、1万円でもけっこうな旅ができるはずだ。

 熱海到着は午前7時。さっそく「駅前温泉浴場」に行く。いままでに何度も入っている公衆温泉浴場で、ここを第1湯目にするつもりでいた。ところが、閉まっているではないか…。午後2時から10時までが営業時間だった。
 それではと、駅周辺の温泉ホテルに入浴を頼むが、当然のことのように断られた。
 断られるたびに、シュンと気分は沈んでしまう。気をとりなおし、温泉旅館にあたる。やっと、駅近くの「竜宮閣」という温泉旅館の湯に入ることができた。無色透明の湯につかりながら、ホッと救われたような気分になる。入浴料600円。第1湯目の温泉に入ることのできた喜びで、思わずニコニコしてしまう。

 熱海から国道135号を南へ。
 第2湯目は網代温泉「あじろ第一ホテル」(入浴料500円)の湯だ。
「泊まりの学生さんが、お湯の中にシャンプーを入れちゃいましてね。今の若い人たち、いったい、なにを考えているのかしら…。それで、すこしあぶくが残ってますけど、どうぞごゆっくり」
 やさしそうなおかみさんが印象的な湯だった。

 第3湯目は宇佐美温泉の温泉民宿「おっとと村」(入浴料500円)。ここの大展望風呂はよかった。すばらしい景色をながめながらの入浴。眼下の宇佐美湾は、雲の切れ目から射し込む日の光を浴びて、キラキラまぶしいくらいに光り輝いていた。湯から上がると高台にバイクを止め、海にストンと落ちる山や湾、漁港、町なみをながめながら、朝食の弁当を食べた。
 第4湯目は伊東温泉。まず、伊東駅に行く。駅は情報の宝庫。駅舎内の案内板で共同浴場を探し、行ってみる。だがここも、熱海と同じように午後から…。そのかわり温泉旅館「松林館」(入浴料300円)の湯に入った。

 伊東温泉を過ぎると、雨になる。それも、“春一番”の強風をともなっての雨。まるで暴風雨だ。
 春の嵐の中を走り、第5湯目の大川温泉では温泉旅館「きむらや」(入浴料500円)の湯に入った。
 湯から上がると、宿のおかみさんはうれしそうな声で「湾岸戦争の停戦が発表されましたよ」と教えてくれた。
 第6湯目の北川温泉では温泉旅館「大屋丸」(入浴料500円)の湯に入る。ここまですべて無色透明で無味無臭の湯だったが、ここの湯は塩からい。東伊豆の温泉の大半は食塩泉だが、このように同じ食塩泉でも塩分の濃度には濃淡がある。

 第7湯目の熱川温泉では「ホテルみどり館」(入浴料500円)の露天風呂に入った。 第8湯目の片瀬温泉では温泉旅館「福松荘」(入浴料500円)の湯に入った。
 大川温泉から片瀬温泉までの4湯の湯は、まるで取り決めでもしているかのようにすべて入浴料500円。短い距離の間でのハシゴ湯なので、けっこうフラフラになる。それでも、
「もっと、もっと1湯でも多くの温泉に入るゾ!」
 と気合を入れる。
 温泉のハシゴ湯というのは気合がすべてなのだ。

 伊東以南の東伊豆では最大の温泉地、稲取温泉には高層の温泉ホテルや温泉旅館が40軒近くもあるが、これらの温泉ホテルや温泉旅館で入浴を頼んだが、どこでも「入浴はお泊まりのお客さまだけでして‥‥」と断られた。公衆温泉浴場の「寿湯」に行くと臨時休業。もう1軒の「都湯」に行くとまだ開いていない。ガックリ‥‥。
 温泉のハシゴ湯の難しさをかみしめる。
「困ったときには飯を食え!」
 というのがカソリの旅の格言なので、さきほどの半分残してある弁当をひろげ、白い波頭のたつ稲取の海を見ながら食べた。
 食べおわると気持ちがすごく落ちつき、
「稲取温泉はパスだ!」
 と、そう決め、第9湯目の今井浜温泉に向かった。

 地獄のあとの天国とはまさにこのこと。
 今井浜温泉の町営露天風呂(入浴料500円)は最高だ。目の前に広がる大海原を眺めながら湯につかる。断崖にぶつかる波しぶき‥‥。
「おー、これぞ、温泉!!」
 露天風呂の湯につかりながら、自分の体と大自然が一体になるかのような陶酔感にひたった。稲取温泉の湯に入れずに落ち込んだ気持ちなど、どこかに吹き飛んでしまう。
 伊勢原から148キロの下田到着は夕方の4時。ここで給油。
 6・7リッター入って959円だった。

 第10湯目は下田温泉の公衆温泉浴場「昭和湯」(260円)。
 下田からさらに伊豆半島南端の石廊崎を目指し、第11湯目、弓ヶ浜温泉「弓ヶ浜ロイヤルホテル文雅」(入浴料700円)の湯に入る。こうして東伊豆から南伊豆におかけての海岸線の温泉、11湯に入り、夕暮れの石廊崎に立った。灯台に灯が入る。誰もいない岬の先端に立ちつくし、水平線が闇の中に沈んでいくまで海を眺めつづける。潮の香に黒潮の匂いが入り混じっているようだった。
 さて、最後の12湯目に挑戦! 
 来た道を引き返し、稲取温泉まで戻ると、まっすぐに「都湯」(入浴料260円)に行く。ねらいは的中し、開いていた。営業時間は午後3時半から9時半までとのこと。
「やったネ!」という気分で、さっそく「都湯」に入る。
「ここの湯はな、ホテルなんかのボイラーで沸かした湯よりもよっぽど効くんだ。兄さんはいい湯に入ったよ」
 湯船で一緒になった地元の常連さんにそういわれた。
 のぼせるくらいに長湯し、意気揚々と湯から上がる。

 なんともいえない達成感を感じる。ここまで、温泉の入浴料とガソリン代しか使っていないので、まだ3421円残っている。最後のガソリン代を1000円ぐらいみておけばいいので、2000円は使える計算になる。
「よーし、ここで夕食だ!」
 伊豆急行の伊豆稲取駅近くの居酒屋で湯上がりのビールをキューッと一杯飲む。これがたまらなくうまいのだ。ビール代は500円。そのあと、キンメ(金目鯛)の味噌漬けとイワシの塩焼きをおかずに、ご飯と味噌汁の夕食にした。夕食代は1500円。山形県酒田の出身だという店のおかみさんとすっかり話し込み、気がつくと時間は10時を過ぎていた。
 ホロ酔いをさましたところで出発。(※管理人注:この当時はいざ知らず[当時もダメだろうが]、いまはコレやっちゃダメですよ!)

 夜道を走りつづけ、伊勢原に帰りついたのは夜中の2時。
 24時間営業のガソリンスタンドで給油し、DR250Sのタンクを満タンにすると、ガソリン代は7・7リッターで939円。まだ482円も残っている。
 21時間、9518円をかけての東伊豆温泉三昧。
 そして思った。
「1万円温泉旅はおもしろい! 今度は西伊豆温泉三昧をやろう!!」

■後日談
 この東伊豆12湯の1万円温泉旅はなんともおもしろいものだった。「うーん、1万円でここまでできるのか」といった驚きがあったし、1万円という枠を設定し、そのなかで懸命になって頭と体を使う旅の仕方がすごく気に入った。
 このあとすぐに、『旅』の誌面で宣言したとおり、西伊豆の1万円温泉旅に出た。
 1991年4月9日のことだ。
 バイクは250㏄のロードバイク、スズキ・アクロス。神奈川県伊勢原市の自宅を午前4時に出発し、伊豆半島南端の石廊崎には午前9時に着いた。
 そこから西伊豆を北上したのだ。

1、雲見温泉の温泉民宿「さかんや」(入浴料200円)
2、雲見温泉の海辺の露天風呂(無料湯)
3、石部温泉の温泉旅館「いでゆ荘」(500円)
4、石部温泉の平六地蔵露天風呂(無料湯)
5、岩地温泉の温泉民宿「やまさん」(入浴料300円)
6、堂ヶ島温泉の共同浴場(入浴料200円)
7、堂ヶ島温泉の沢田公園露天風呂(入浴料500円)
8、浮島温泉の共同浴場(無料湯)
9、土肥温泉の屋形共同浴場(150円)
10、戸田温泉の「壱の湯」(300円)
11、修善寺温泉の「独鈷の湯」(無料湯)
 という順番に、全部で11湯に入った。

 これら温泉の入浴料の合計は2150円。
 最後は沼津ICから東名高速に入り、秦野中井ICまで走り、午後10時に伊勢原の自宅に戻ってきた。全行程392キロ。
 行きに西湘バイパス(100円)、帰りに東名高速(1150円)を走ったので、有料道路代が1250円。ガソリン代が2610円、3度の食事代が2350円(朝の朝定食500円、昼のラーメンライス550円、夜の刺し身定食1300円)、それと石廊崎のジャングルパーク入場料が700円、土肥金山入場料が800円。合計9860円。
 140円、残った「1万円旅」だった。


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「カソリの1万円旅」(3):「1万円旅・北関東編」

 (『旅』1994年4月号)

“青春18きっぷ”の、冬期利用期間最終日の1994年1月20日、午前4時30分、ぼくは東京・上野駅しのばず口に立った。1日をフルに使い、鈍行列車を乗り継ぎ、バスを乗り継ぎ、徒歩を織り混ぜ、1万円でできるだけ多くの温泉に入ろうという“1万円温泉旅”に出発するのだ。

 上野駅を一番列車で旅立ち、最終列車で戻ってこようと思う。“列車1万円旅”の基本は一番列車での旅立ち。使えるお金は、1万円から青春18きっぷ1枚分(2260円)を引いた額の7740円である。
 何気なく過ごしているとあっというまに過ぎてしまう1日だけど、ふだんの生活に追われているとなんとも軽い1万円だけど、この1日、1万円を最大限に利用すれば、きわめておもしろい旅ができる。それが、”1日1万円旅”なのだ。

 自分自身の心の中にひそむチャレンジ精神がおおいに刺激され、財布から出ていく10円、20円といったお金にもいとおしさを感じるようになる。それに、テレビゲームなどよりはるかにおもしろいゲーム感覚をも楽しむことができる。
 今回は栃木県北部を目的地とし、塩原温泉郷を中心として14湯の温泉に鈍行乗り継ぎなどで入りまくろうという計画だ。
 さー、どうなることやら…。 

 ぼくは誘惑に滅法弱い。上野駅前のラーメンの屋台から流れてくる食欲をそそる匂いをかぐと、たまらずに、
「ラーメン、お願いします」
 と、衝動的に頼んでしまった。まずは、600円が飛んでいく。
「これから大変なことをするのだから、まあ、いいか…。腹ごしらえをしなくては」

“屋台のダンナ”は、「こんなに早くから、もう、仕事かね。大変だなあ…」
 と、声を掛けてくれる。
「いやー、これから栃木まで、温泉に入りに行くんです。でも、お金があんまりないんで、鈍行で、それも一番列車で行くんですよ」
「それはいい。金をたくさん使えば、いい旅ができるというものじゃない。今日日(きょうび)、あくせく働くばかりが能じゃないんだよ。温泉に浸かれば、気分も転換できるし…。気をつけて行ってきな」
 そんな“屋台のダンナ”の励ましが胸にしみる。600円を使ったけれど、気分のよくなる旅立ちだ。

 改札口で“青春18きっぷ”に日付のスタンプを入れてもらい、JR宇都宮線鈍行の一番列車、5時09分発の黒磯行きに乗る。7両編成の列車はガラガラ。5番ホームを定刻どおりに出発すると、ボックス型シートに足を投げ出して座る。
 夜明け前の、まだ暗い東京の町並みを窓ガラス越しにながめる。鈍行といっても、並行して走る京浜東北線の電車と比べるとはるかに速い。止まる駅は都内では尾久と赤羽。荒川を渡って入る埼玉県では浦和と大宮だ。大宮から先が各駅停車になる。

 大宮駅でチラホラと客が乗った。通路をはさんだ反対側の座席には、ミニスカートのポチャポチャ顔の、ちょっとかわいい女の子が座った。ミニスカートからはみだした彼女の太ももに、チラッチラッと視線を送るカソリ。“ミニスカートの女の子”は久喜で降りた。それとともに、また心安らかに車窓を流れていく風景に目をやることができるようになった。栗橋まで来ると、まだ6時を過ぎたばかりだというのに、上りホームは東京方面への通勤客で混み合っていた。

 利根川を渡り、茨城県をかすめて栃木県に入る。うっすらと夜が明けてくる。宇都宮到着は6時54分。列車は北へ。北関東の平野を突っ走る。昇ったばかりの朝日を浴びて、列車の影が平野に長々と延びる。氏家を過ぎると、山々がグッと間近に迫ってくる。矢板を通り、西那須野到着は7時34分。ここで列車を降りる。塩原温泉郷の玄関口にやってきたのだ。

 西那須野駅の駅舎を一歩、出た瞬間の寒さといったらない。冷たい空気が肌にキリキリッと突き刺さってくるようだ。東京とは気温が全然、違う。駅前道路の薄く積もった雪が凍りつき、ツルンツルン状態。見事にそれにひっかかり、ステーンとひっくり返る。まわりにいた人たちの視線を一斉に浴び、いやー、恥ずかしい‥‥。
 7時45分発の塩原温泉行きJRバスに乗る。バスは西那須野の中心街を走り抜け、国道4号を横切り、国道400号を行く。前方には塩原から那須へとつづく塩那の山々。東北自動車道の西那須野塩原インターを過ぎると、塩那の山々はみるみるうちに大きくなり、やがて塩原渓谷に入っていく。那珂川最大の支流箒川のつくり出す渓谷だ。

 西那須野駅から50分、塩原温泉郷の入口、大網温泉に着き、バスを降りる。この大網温泉を含め、全部で11湯の温泉を総称して塩原温泉郷といっているが、1湯ずつ、しらみつぶしに入っていこうと思う。目指すのは、塩原温泉郷の全湯制覇なのだ。
“温泉のハシゴ旅”で入る第1湯目ほど、うれしいものはない。期待で胸がふくらみ、ワクワクしてしまうほど。大網温泉の1軒宿、温泉ホテルのフロントで入浴料300円を払い、“天然岩風呂”に入りにいく。国道から箒川の谷底へ、長い石段を下っていくのだ。

 入浴客はぼく1人。巨岩がゴロゴロしている箒川の渓流を目の前にながめながら入る。「天然岩風呂」は、温泉情緒満点。自然と一体となって湯につかっている気分がたまらない。温泉がなんともありがたい“自然からの贈りもの”であることを実感できる湯。岩の割れ目の奥の方から湯が湧き出ているようだ。それと、木枠で囲った露天風呂もある。岩風呂の湯は温め、露天風呂の湯は熱めと、湯温の違う2つの湯に交互に入るのはいいものだ。そのほかに、女性専用の露天風呂もある。
「大網温泉には今度は泊まりで来よう」
 この天然岩風呂には、ひと晩、宿に泊まり、カンビールを片手に長湯を決め込んで渓谷の星空を見上げながら入ってみたいと、そう思わせるものがあった。

 大綱温泉から福渡温泉までは、箒川に沿った“塩原渓谷歩道”を歩く。雪が舞うようにチラチラ降ってくる。この、4キロあまりの遊歩道歩きは忘れられない。霜柱をサクサク踏んで歩いたり、薄く雪をかぶった落葉の上をガサガサ音をたてて歩いたり、雪の上に残るウサギやキツネの足跡を追って歩いたり、カチンカチンに凍りついたアイスバーンの坂道で何度もツルリンスッテンと転んだり…で、冬の山道のいろいろな状況を楽しめた。途中には塩原の名所、布滝の観瀑台もあって、歩きながら眺める風景は飽きることがない。

 福渡温泉に着くと、塩原渓谷歩道のわきには露天風呂の「不動の湯」がある。湯は若干、赤茶けた色をしている。湯量は豊富。樋から勢よく湯が流れ落ちている。混浴の湯で、黒磯から来たという中年夫婦と一緒になった。
「家からだと、那須も塩原も、すぐにやってこれるので、こうして、女房を連れてよく来ますよ」
 と、ご主人。そういわれて、奥さん孝行などほとんどしたことのない我が身を振り返り、思わず反省してしまう。

 温泉が大好きだという夫婦だけあって、2人とも、肌がツヤツヤしている。“温泉めぐりのカップル”の奥さんは湯で火照り、少女のようにほほを赤くしている。上半身を湯から出した時に見えてしまう乳首は、まるで紅を塗ったかのように赤い。あー、目の毒。
“温泉めぐりのカップル”に別れを告げ、もうひとつの露天風呂の「岩の湯」に行く。ともに箒川の河畔の湯。「岩の湯」も混浴で、草色っぽい湯の色をしている。「不動の湯」よりも熱めの湯だ。ここでは“3人のオバチャンたち”と一緒になった。
「兄さん、今、どこから来たの?」
「大綱温泉から遊歩道を歩いてきましたよ」
「雪で大変だったでしょ」
「ええ、そうなんですよ。でも、雪よりは氷。凍った道でひっくりかえりました」
「兄さん、そうやってね、歩いては温泉に入って、また歩くというのは、体に一番いいことなのよ」

 こうして“3人のオバチャンたち”と、なんとも楽しい“湯の中談義”が始まる。
「まあ、どうぞ、どうぞ」
 酒をつぐような仕草でコップに流れ落ちる湯をくむと、ぼくに飲ませてくれる。オバチャンたち、ノリがいいのだ。「岩の湯」の飲泉効果は大きいという。
「ひとつ、いいことを教えてあげましょうね。タオルを3つに折って、頭の上にのせてごらんなさい。そう、そうよ。その上から、お湯をあてるのよ」
 オバチャンの1人にいわれたとおりにしてみたが、ギャーッと、思わずのぞけったしまうほど、流れ落ちてくる湯は熱い。が、それをジッと我慢して何度かくり返しているうちに、なるほどオバチャンのいうように、体がシャキッとしてくる。打たせ湯の効果は知っていたが…。頭のてっぺんに熱い湯を当てるのは、オバチャンにいわせると、ボケ防止に最高に効く方法なのだという。
「それではお先に」
 といって「岩の湯」を上がったが、“3人のオバチャンたち”との別れには、ちょっぴり寂しくなるものがあった。

 箒川にかかるつり橋を渡ったところに料金所がある。「不動の湯」、「岩の湯」の2つの露天風呂に入ってたったの100円。福渡温泉は“1万円温泉旅”にはぴったりの温泉だった。
 福渡温泉では、ちょうどうまい具合にやってきたJRバスに飛び乗り、2つ先の停留所、塩釜温泉で降りる。バス代150円。箒川にかかる塩湧橋の畔ではポリバケツに湯をくむ人の姿。パイプからふんだんに湯が流れ出ている。誰でも、自由に湯をくんでいける。湯をくむ人の姿は、いかにも湯の町らしい光景だ。

 さー、第3湯目の塩釜温泉だ。塩湧橋を渡った「ホテル八峰苑」に行くと臨時休業。つづいて「ホテル塩原ガーデン」に行くと入浴のみは不可。やっと「塩原簡易保険保養センター」の湯に入れた。入浴料700円と高かったが、さすがに“カンポの宿”だけのことはあって、設備の整った大浴場だ。ところが男湯の大浴場には、女性が入っているではないか…。一瞬、あ、いけネー、男湯と女湯を間違えてしまったと思い、浴室の外に出てしまったほどだ。で、もう一度確認したが、やはり男湯なのである。男湯に入っている女性は50代後半ぐらいのオバチャン。

「ごめんなさいね。女湯にも入ったのだけど、男湯とどう違うのか興味があって、誰もいなかったので、ちょっと入らせてもらったのよ」
 この好奇心! ぼくは旅のおもしろさは好奇心に尽きると思っているが、“男湯のオバチャン”の旺盛な好奇心には拍手を送りたくなるほどだ。
 旅先で出会う年配の女性たちは、みなさん、例外なしに生き生きとしている。それに対して男性は力を無くしてうなだれている、ように見える。この差こそ、男女間の好奇心の違いだとぼくは思っている。女は年をとっても好奇心旺盛だし、何でも学びとってやろうという向学心がある。ところが男は、ある程度年をとると、まるで枯ススキのように好奇心も向学心もなくしてしまう。この差は大きいゾ!

 塩釜温泉から箒川の支流、鹿股川に沿って登り、塩ノ湯温泉へ。かつては大変なにぎわいを見せたという温泉だが、今はさびれている。最初に訪ねた「玉屋」は休業中。2番目の「明賀屋」は入浴のみは断られた。3軒目の「柏屋」は浴槽の清掃中で湯を抜いてしまっている。塩ノ湯温泉には、この3軒の温泉宿しかないのだ。困ってしまい、もう一度、「明賀屋」に戻る。
「あのー、今、塩原の温泉全部に入ろうと温泉めぐりをしているのですが、ここ、塩ノ湯温泉ではほかに入浴させてもらえるところもないので、なんとかお願いできないでしょうか…」
 平身低頭して頼み込む。が、ダメなものはダメといった取り付く島のない態度で断られ、塩ノ湯温泉に入れないまま、スゴスゴと来た道を塩釜温泉に戻った。往復3キロの時間のロスが痛い‥‥。

 塩釜温泉から畑下温泉までは、歩いてわけない距離だ。畑下温泉に着くと、国道から下った最初の宿「大和屋旅館」を訪ねる。玄関で何度か声を掛けたのだが返答がなく、次の「はとや旅館」に行く。出てきた宿の若奥さんはフィリピン人女性。生後1歳5ヵ月になるというかわいらしい赤ちゃんを抱いている。入浴を頼むと、すこしたどたどしい日本語で、
「いいですよ」
 といってくれる。ありがたい。塩ノ湯温泉での辛い思いが吹き飛ぶような”フィリピン人女性の若奥さん”のやさしい笑顔だ。
「あのー、入浴料は、おいくらでしょうー?」
「いいんですよ」
 なんと、タダにしてくれた。”フィリピン人女性の若奥さん”の好意に甘え、モスグリーン色をした湯に入った。ほんとうに、どうも、ありがとう!

 第5湯目の門前温泉と第6湯目の古町温泉は、箒川をはさんでひとつづきの温泉街で塩原温泉郷の中心になっている。ふつう塩原温泉というとこの地域を指し、2つの温泉を合わせると30軒以上の温泉旅館やホテルが建ち並んでいる。
 門前温泉には100円で入れる露天風呂の“もみじの湯”があるが、営業期間は5月から9月まで。冬期間はやっていないので、「塩原温泉ホテル」の、湯けむりがモウモウとたちこめる大浴場に入った。入浴料は700円。古町温泉では「中会津屋」の“武者の湯”に入った。木の湯船。入浴料は500円。2つの温泉の入浴料を合わせた1200円の出費は“1万円温泉旅”には痛い。共同浴場のたぐいが門前温泉、古町温泉にないのが辛いところだ。

 古町温泉からは、第7湯目の中塩原温泉を目指し、国道400号、愛称“湯の香ライン”を懸命になって歩く。この道はバイクで何度か走ったが、歩いてみると距離感がまったく違い、なかなか着けない。やっとの思いで中塩原温泉に着くと、国道沿いの食堂「いけなみ」の湯に入った。入浴料700円。雪に降られ、寒風に吹きさらされて歩いてきたので、湯に入った瞬間、手足の指先がはちきれんばかりに痛む。あっというまにひびの切れてしまった太ももはヒリヒリする。

 中塩原温泉の湯から出た時点で、国道からはずれた新湯温泉と元湯温泉を断念し、第8湯目の上塩原温泉に向かって歩く。上塩原温泉には、無料で入れる”いさきの湯”があるのだ。なんとしても、”いさきの湯”には入りたい…。だが、上塩原温泉までの距離も長かった。
 上塩原温泉14時28分発のバスで野岩鉄道の上三依塩原駅に出ないと、このあとの鉄道乗り継ぎで入る三依温泉、川治温泉、鬼怒川温泉の3湯に入れなくなってしまうのだ。残念無念‥‥。“いさきの湯”を目前にした塩原田代というバス停で、ついに上塩原温泉をも断念し、東武バスに乗った。

 バスはあっというまに上塩原温泉を通り過ぎ、降りしきる雪をついて尾頭峠を登っていく。峠のトンネルを抜け出ると雪の降り方は一段と激しくなり、一面の銀世界に変わる。峠を境にしての鮮やかな変化。路面は雪で覆いつくされている。雪の峠道を下り、東武バスは終点の野岩鉄道上三依塩原駅に着いた。
 
 野岩鉄道の上三依塩原温泉駅。ストーブの燃える待合室では、売店で買ったカンコーヒーを飲みながらあんまんを食べた。腹の底にしみ込むような計240円の味。14時51分発の快速浅草行きに乗る。会津鉄道の会津田島駅からやってきた4両編成の電車はガラガラだ。山間の雪景色を見ながら、東武鉄道のターミナル駅、浅草行き電車に乗っていると、現実離れした、何か、奇妙な気分になってくる。
 ひと駅乗って、次の中三依駅で下車。電車賃は270円。無人の駅舎を出、雪道を歩いて駅前の「中三依温泉センター」に行く。ところが臨時休業。

 そこで「みより荘」の“まるみの湯”に入る。入浴料300円。ヒノキの湯船につかりながら窓ガラス越しに降る雪をながめる。「みより荘」には食堂もある。湯上がりに、名物のとち餅を食べた。秋に山で拾い集めたトチの実のアクを抜いて粉にし、それを糯米に混ぜて搗いた自家製の餅。糯米とトチ粉は半々の分量だということだ。木の台に竹の葉を敷き、その上に3切れの焼いたとち餅がのっている。小豆色をしたとち餅には砂糖醤油がかかり、黄粉をまぶしてある。口の中にわずかに残る渋味が強烈に山の味覚を実感させる。400円のとち餅に大満足だ。

 15時58分中三依発の下今市行き電車に乗り、川治湯元駅で下車。電車賃は450円。川治温泉まで来ると雪はやんだ。駅から15分ほど歩き、男鹿川沿いにある男女別の岩風呂に入る。入浴料100円。つづいて、混浴の露天風呂に入る。こちらも入浴料100円。ともに料金箱に入浴料を入れるようになっている。
 地元の常連のみなさんたちが、男女を越えたような関係で、長湯しながら湯の中で話に花を咲かせている。さりげなくみなさんの会話に耳を傾けたが、サルの話が傑作だ。サルの群れが山から里に降りてきてさんざんワルサをしているらしいのだが、うまく子ザルを捕まえて「日光猿軍団」に売ると2万円になるという。ところが親ザルにひっかかれ「医者代に2万円以上も払ったよ」と嘆く人がいた。

 すっかり暗くなった川治温泉をあとにし、15分ほど歩いて川治温泉駅へ。17時59分発下今市行き電車に乗り、東武鬼怒川線の鬼怒川温泉駅で下車。いよいよ最後の温泉、第10湯目の鬼怒川温泉だ。駅から30分ほど歩き、「仁王尊プラザ」の湯に入る。入浴料350円。ここは24時間営業で、内湯と露天風呂がある。鬼怒川温泉にはフラッと行って入れる温泉がないので、「仁王尊プラザ」はありがたかった。

 凍てつく寒さの中を歩いて鬼怒川温泉駅に戻る。下今市駅までの切符(190円)を買い、ストーブにあたりながら、ここまでの出費を計算してみる。ガーン! なんともショックなのだが、出費は1万352円で1万円をオーバーしてるではないか…。痛恨のきわみは中塩原温泉だ。入浴料700円の中塩原温泉をパスして上塩原温泉の無料の湯“いさきの湯”に入っていれば9652円ですんだのだ。どうせ1万円を超えたのだからと、駅前のコンビニ店で一番安い309円の弁当を買い、待合室で食べたが、これで出費の合計は1万661円になった。

 20時36分発の下今市行きの電車に乗る。終点の東武下今市駅からJR今市駅まで歩く。徒歩15分。また“青春18きっぷ”のお世話になる。21時31分発のJR日光線宇都宮行きに乗り、宇都宮で乗り換え、22時08分発野宇都宮線上野行き最終に乗車。上野到着は23時49分だった。始発で上野駅を発ち、最終で上野駅に戻ってきた。残念ながら1日14湯の温泉には入れなかったが、1日10湯だったので悔いはない。ひとつ残念なのは1万円を661円、オーバーしてしまったことだ。だが、こうして1日をフルに使った満足感がこみあげてくる。
「また別な機会に“1日1万円旅”に挑戦してやるゾ!」
 とカソリ、到着ホームの上野駅8番ホームで吼えるのだった。

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「カソリの1万円旅」(4):「本州縦断・無料湯めぐり」

 (『旅』1995年6月号 所収)

 体力の限りをつくし、知力の限りをつくし、自分の限界に挑戦する“1万円旅”のおもしろさには、どんどんとのめりこんでいってしまう。
“1万円旅”のおもしろさに火をつけられたのは、「東伊豆編」の温泉12湯めぐりだった。バイクを1日走らせ、所持金1万円で、熱海温泉から弓ヶ浜温泉までの東伊豆12湯の温泉に入りまくったのだが、旅を終えて帰宅したときは、
「1万円でここまでできるのか!」
 と感動したものだ。

 つづいての「北関東編」のはしご湯紀行では“1日1万円旅”の温泉めぐりで塩原温泉郷と三依温泉、川治温泉、鬼怒川温泉の10湯に入った。地図と時刻表をくりかえしながめ、財布の中身と相談しながらの旅だった。1万円という限られた枠の中で、最大限のことをしようと一生懸命に考えるところが、すごくいい!
 ということで、今回の“バイク1万円旅”になるのだが、1万円札1枚を持って家を出て、できるだけ長い距離を走ろうと思った。
 ・宿泊費には一銭も使わない
 ・高速道路・有料道路は一切使わない
 ・食費をギリギリまできりつめる
 そんな3つの原則をつくり、本州中央部の無料湯めぐりをすることにした。

 まずは自分の知っている無料湯12湯を地図上に落とし、それらを結ぶコースをつくってみる。バイクの持っている機動力をふんだんに発揮し、列車やバス、徒歩ではなかなか行けない秘湯にも足を延ばそうという計画なのだ。
 旅立つ前の、この計画づくりがまた、限りなく楽しい!

 1995年3月23日午後12時半、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。250㏄オフロードバイク、スズキDR250Rのリアにテントやシュラフ、自炊道具などの入ったバッグをくくりつけ、ザックを背負い、カメラの入ったショルダーバッグを肩にかける、という格好で、国道246号を走り出す。
 都内へ。14時、日本橋に到着。これから日本海の直江津を目指すのだ。太平洋岸から日本海岸への本州縦断。その途中では、尻焼温泉、切明温泉、燕温泉という秘湯3湯の無料湯の露天風呂に入ろうと思うのだ。

 東京・日本橋から国道17号で群馬県の渋川へ。そこから吾妻川に沿って走り、長野原から六合村の山中に入っていく。20時、最奥の温泉、尻焼温泉に到着。さっそく川をせき止めた無料の大露天風呂に入る。川底から湯が湧き出ている。ジャスト適温の湯。外気温が低いので川面からは湯気が濛々とたちこめている。中年のカップルと若いカップル、2組の男女が湯につかっている。長湯できる湯。1時間ほど湯につかり、湯から上がると露天風呂のわきの崖下にテントを張った。
 さー、夕食だ。灯油用コンロで、家から持ってきた米を炊き、それに味塩をふりかけて食べる。炊きたてのご飯は、それだけで十分にうまい。お茶漬けのもとを湯に入れ、それを澄まし汁がわりに飲む。

 夕食を終えると、また、目の前の大露天風呂に入る。3人のオバチャンたちがやってくる。オバチャンたちは無邪気な歓声をあげながら、水泳大会を始める。自然の湯につかると、年に関係なく、男も女も無邪気になれる。午前0時を過ぎ、オバチャンたちが帰ったところで、ぼくも湯から上がり、テントで寝る。体の芯から温まったので、夜中の寒さも気にならず、ぐっすり眠れた。
 夜が明けるとすぐに露天風呂に入る。今度は誰もいない自分一人だけの湯だ。1時間ほど湯につかり、たっぷりと無料湯を楽しませてもらった。
  
 7時、尻焼温泉を出発。寒い。長野原駅に着いたところで、自販機の缶コーヒーを飲む。つかのまの幸せ。飲む前に缶を両手で握ってあたためる。そのあとで飲むのだが、1本の缶コーヒーのありがた味がグッと増す。このあたりが“1万円旅”のいいところ。すべてのことに感謝したくなる。
 長野原からは国道145号→144号で鳥居峠を越える。群馬・長野県境のこの鳥居峠を越えると劇的に変わる。群馬側は国道沿いに残雪が見られ、身を切られるような寒さだったが、峠を越えた信州側は“春うらら”といったところで、春霞に揺れている。上田に下ると、「セブンイレブン」で6枚入りの食パンと6枚入りのスライスチーズを買い、スーパーで4本入りのニンジンを買い、千曲川の河畔で食べる。朝食、昼食は、このパン&チーズ、おかずの生のニンジンという食事になる。

 上田から国道18号で直江津を目指す。長野で給油したが、新聞を見せてもらい、無料のコーヒーを飲ませてもらい、さらに無料の信州の地図までもらった。ガソリンスタンドは“バイク1万円旅”のオアシスだ!
 長野から切明温泉へと寄り道する。往復で180キロもの寄り道になるが、バイクならば、平気でこのくらいの寄り道ができるというもの。国道117号→405号で越後と信州にまたがる秘境、秋山郷に入っていく。道の両側にはまだかなりの雪が残っている。大赤沢の集落までが新潟県。その先の小赤沢になると長野県。秋山郷最奥の切明温泉まで行き、冬景色同然の雪景色を眺めながら手掘りの川原の露天風呂に入る。風が冷たいので、なかなか湯から出られなかった。

 秋山郷最奥の切明温泉から来た道を引き返し、国道18号に戻る。飯綱山、黒姫山と信州北部の火山を見ながら走る。野尻坂を越え、長野県から新潟県に入ると、あっというまに濃霧になった。国道18号から10キロほどの燕温泉へ。このあたりは日本有数の豪雪地帯。妙高山北麓の燕温泉に向かって登っていくと、道路の両側の雪壁はみるみるうちに高くなる。関温泉を過ぎると、なんと4、5メートルの高さ。とても3月下旬とは思えない。バイクで切る風も冷たい……。

 最奥の燕温泉まで行き、無料湯の露天風呂「黄金の湯」と「川原の湯」の2湯に入ろうとしたら、道が開いているのは旅館街まで。その先はすっぽりと雪に埋まり、無料湯に入れるようになるのは、5月も下旬のことだという。残念‥‥。
 この「黄金の湯」と「川原の湯」はともにぼくの大好きな温泉。白濁色をした湯の色。「黄金の湯」は巨岩を組み合わせた男女別の露天風呂。「川原の湯」は混浴の露天風呂で湯の白さが強烈だ。
 残念ながらそんな燕温泉の無料湯には入れず、国道18号に戻り、直江津を目指した。
 直江津到着は19時。直江津港の佐渡汽船ターミナルを日本横断の第1弾「東京→直江津」のゴールにした。缶紅茶を飲みながら、夕食のパン&チーズを食べていると、佐渡から「おとひめ丸」が港内に入り、岸壁に横づけされた。

 直江津を出発し、国道8号で糸魚川へ。途中で雨が降りだす。糸魚川到着は20時30分。ここから国道148号を南下し、葛葉峠を越えて長野県に入り、国道から10キロほど行った小谷温泉へ寄り道をする。小谷温泉まで行くと、道が開いているのは旅館街までで、その先の無料湯の露天風呂への道は冬期閉鎖中。オープンするのは5月1日だという。またしても残念‥‥。日本海側の雪のすごさを思い知らされる。
 日本海の海岸ででも野宿しようと糸魚川に向かったが、雨足が速くなり、大糸線の頸城大野駅で駅泊した。2重丸の寝やすい駅だった。

 ぼくは日本中のいたるところで野宿してるが、ずいぶんと駅にも世話になり、“駅泊”もしている。寝やすいのは次のような駅だ。
 ・駅舎のある無人駅
 ・最終の早い駅
 ・待合室がきれいな駅
 ・長いすのある駅
 ・周辺に民家の少ない駅
 ・国道などから離れていて静かな駅
 大糸線の頸城大野駅は上記のような寝やすい駅の条件をすべて満たしていた。

 翌朝、目をさますと、ザーザー音をたてて雨が降っている。もうガックリ……。7時になったところで、重い気分で出発。4、5キロで糸魚川に着いたが、100キロの小谷温泉往復だった。
 糸魚川から国道8号で富山に向かう。天下の難所、親不知を通って富山県に入り、朝日で小川温泉元湯へと寄り道をする。往復30キロ。立山連峰山麓の一軒宿「ホテルおがわ」から露天風呂への道は、雪崩で埋まり、通れない。露天風呂に入れるようになるのは5月の連休前後だという。日本海側世界の冬は長い。おまけに以前来たときは無料だったが、今は有料で、入浴料300円。その理由というのが何とも悲しいのだが、心ない入浴客が多いからだという。備えつけの賽銭箱を壊した入浴客もいたという。

 富山到着は10時30分。富山城の前に立つ。そこが日本横断の第2弾「富山→清水」の出発点だ。国道41号を南へ。雨は小やみなく降りつづく。寒くてどうしようもない。DR250Rのハンドルにしがみつくようにして、ガタガタ震えながら乗る。
 富山県から岐阜県に入り、神岡から奥飛騨温泉郷の栃尾温泉と新穂高温泉に寄り道する。往復60キロ。ただひたすらに我慢、我慢の連続で走ったが、なんと雨は雪に変わり、泣きが入る。
「栃尾温泉、栃尾温泉、栃尾温泉……」と、まるで呪文を唱えるかのように、口の中で栃尾温泉の名を繰りかえす。ところが、その栃尾温泉に着くと、無料露天風呂は工事中で入れなかった。期待が大きかっただけに、落ち込みも大きい。

 必死の力をふりしぼって、さらに上流の新穂高温泉へ。雪は一層激しくなり、寒さも一段と厳しくなる。川原の無料湯の露天風呂に着いたときには、震えが止まらず、歯がカチカチ鳴ってどうしようもない。それだけに、新穂高温泉の「新穂高の湯」につかったときのありがたさといったらなく、つかのまの天国の気分を味わった。ここは混浴の露天風呂で、3人の男性と中年のカップルが湯につかっていたが、中年カップルの女性は傘をさしている。その光景が雪見の露天風呂の風情を増していた。

 神岡に戻ると、国道41号をさらに南へ。数河峠、宮峠と越えていく。この2つの峠越えは雪で大変……。おまけに身を切られるような寒さだ。中央分水嶺の峠、宮峠通過は15時だったが、峠のデジタル表示の温度計は氷点下4度を示していた。寒いはずである。 宮峠を越え、下呂温泉に下っていくと雪は雨に変わった。下呂温泉では雨に降られながら、飛騨川河畔の無料湯の露天風呂に入った。ここでもやはり中年女性と一緒になったが、新穂高温泉の女性と同じように傘をさして湯につかっていた。この川原の露天風呂はまる見え。対岸の温泉ホテルからは双眼鏡でその女性を見る人たちがいた。

 下呂温泉から国道41号→国道257号で舞台峠を越え、18時、中津川着。気温6度。雨も小降りになって、いったんは、楽になった。
 ところが国道19号で長野県の木曽路に入っていくと、またしても雪。それも大雪の様相だ。雪にうちのめされ、何度“1万円旅”を断念しようと思ったことか。温かいラーメンでもすすり、どこか温泉宿で泊まりたい‥‥という誘惑にかられる。そんな自分にムチを打ち、雪道を走る。鳥居峠を越え、21時に塩尻に着く。給油。ガソリンスタンドのストーブにあたらせてもらったが、30分以上も離れられなかった。

 なんとしても降雪地帯を夜明け前までには突破しようと、塩尻から国道20号を夜通し走ることにしたが、塩尻峠が最大の難関になった。峠を登るにつれて積雪量が増し、雪で動けなくなった車を何台も見る。ゴーグルにこびりつく雪を振りはらいのけながら、やっとの思いで峠を越える。諏訪盆地への下りでは、ツーッと滑り転倒。膝をしたたか打つ。寒さが厳しいので、よけいに痛みを感じてしまう。
 下諏訪から上諏訪、茅野にかけては、交通麻痺の状態で大渋滞。やっと諏訪盆地を抜け、最後の難関の富士見峠を越えた。山梨県に入ると、路面の雪は少なくなった。

 午前1時、韮崎着。雪は小降りになる。韮崎から国道52号で清水へ。雪は雨に変わった。午前2時30分、身延線波高島駅着。前夜にひきつづいての駅泊。夜明けまでの短い時間、シュラフにもぐり込み、死んだように眠った。
 なんと、翌朝も雨……。山梨県から静岡県に入り、8時、清水に到着!
 本州縦断の第2弾「富山→清水」のゴール、清水港の岸壁に立った。ほんとうは長野県の白骨温泉(ここには以前、無料の露天風呂があった)と山梨県の芦安温泉に寄りたかったのだが、残念ながら、雪のためにともにパスした。
  
“バイク1万円旅”の最後の行程は「伊豆半島一周」。清水から国道1号で三島へ。柿田川公園で富士山の湧水群を見、三島大社に参拝し、伊豆半島に入っていく。修善寺温泉で無料の露天風呂「独鈷の湯」に入り、戸田峠を越える。「おー、伊豆よ、お前もか」と、思わず嘆きの声が出てしまったほどだが、けっこう激しく雪が降っている。峠は一面の雪景色。
 峠道を下ると雪は雨に変わり、西伊豆海岸の戸田まで下ると、ついに雨はやんだ。薄日が射してくる。いつものパン&チーズのほかに、スーパーでサラダとコーヒーゼリー、缶紅茶を買い、戸田漁港の岸壁で昼食にする。天気がよくなったこともあって、満ち足りた食事だった。

 西伊豆の海岸線を南下。石部温泉で最後の無料湯の露天風呂に入る。ここでは、まるで“天城の仙人”のような青年と一緒になった。雪の天城山でのテント生活の毎日。湯に入りたくなると、湯ヶ島温泉の共同浴場や、この石部温泉の無料湯の露天風呂に下りてくるという。“天城の仙人”に別れを告げ、伊豆半島最南端の石廊崎へ。岬の先端に立ったときは、思いっきり「万歳!」を叫んでやった。夕日が太平洋に沈んでいく。
 石廊崎を後にし、夜道を走る。下田、伊東、熱海と東伊豆を通り小田原へ。伊勢原到着は午後10時。最後の給油。満タンにし、ガソリン代を払う。すると財布の中には335円残った。全行程1702キロ、全費用9665円、“バイク1万円旅”達成の瞬間だ。


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「カソリの1万円旅」(5)「日本橋→出雲崎・一気歩き300キロ」

 (『旅』1994年6月号 所収)

 1994年3月10日14時、ぼくは東京・日本橋の日本国道道路元標の前に立った。ザックを背負い、カメラの入ったバックと水筒を肩にかけ、ジャンパーにジーンズという格好。これから新潟の出雲崎を目指して歩くのだ。地図を見ると約300キロ。その間をただ歩くのではなく、究極の「1万円旅」に挑戦し、全泊、シュラフのみで野宿するつもりなのである。

『旅』編集部の竹内正浩さんと渡辺香織さんが見送りにきてくれる。渡辺さんは手づくりのお弁当を持ってきてくれる。ありがたい!
 オフロードバイク誌『BACK OFF』編集部の丹羽和之さんも来てくれる。彼とは前年の12月に雪中ツーリングをし、雪中野宿をした仲なのだ。丹羽さんにはカンロあめとチョコレートを差し入れにもらったが、これから先、このカンロあめにはずいぶんと助けられることになる。
 竹内さん、渡辺さん、丹羽さんの見送りを受け、14時30分、日本橋を出発。あいにく雨が降り出したが、ぼくの心は燃えていた。
「なんとしても、出雲崎まで歩き通すのだ!」

 日本橋から国道17号(中山道)をたどる。JRの神田、秋葉原と駅前を通り、右手に神田明神、左手に湯島聖堂を見ながら本郷へ。いつもの見なれた東京の町なのに、今日は違う。新潟に向かって歩きはじめると、目に入ってくる東京が、キラキラ輝いて見えるのが不思議だ。今までに、これだけ胸をときめかせて東京を歩いたことがあっただろうか。新しい世界に通じる扉を自らの手で開いたような感動を味わうのだった。
 雨が上がる。本郷の東大赤門前を通り、JR巣鴨駅へ。そこから旧道に入る。とげぬき地蔵の参道。ワサワサとにぎわっている。今川焼きや人形焼き、あんころ餅の店が目に入ってしまう。つばを飲み込み、グッと我慢して通り過ぎる。そのまま板橋まで歩いた。江戸時代、東海道の品川宿や甲州街道の内藤新宿と同じように、ここは中山道の第一宿目の宿場であった。

 ふたたび国道17号を歩く。志村には、日本橋から数えて3番目になるという一里塚が、ほぼ完全な形で残っていた。都営地下鉄の志村坂上駅前にある。国道17号はバイクで何度、走ったかわからないが、「志村の一里塚」は目に入らなかった‥‥。これが、歩く旅のよさなのだ。
 日が暮れる。それとともに足が痛くなり、気分も重くなってくる。ほんとうに新潟まで歩けるのだろうか…と、気が弱くなってくる。東京と埼玉の境を流れる荒川まで来ると、自販機で缶緑茶(110円)を買い、渡辺さんがつくってくれたお弁当を食べる。肉、卵、サヤエンドウの三色弁当で、それに鶏のから揚、炒めもの、ミニトマト、デザートがついた豪華版。缶緑茶を飲みながらお弁当を半分食べ、半分は残しておく。
「おかげで元気がでましたよ、ありがとう渡辺香織さん!」

 荒川にかかる戸田橋を渡って埼玉県に入り、夜道を歩く。これから毎日、夜中の12時までは歩くつもりなのだ。浦和を通り、JR埼京線の北与野駅を過ぎた「グリーンプラザ与野」というコイン洗車場の片すみにシートを広げ、シュラフを敷いて一夜の宿にする。渡辺さんのお弁当の残り半分を食べ、23時30分、シュラフにもぐり込む。荷物を極力軽くしコンパクトにするため、持ってきたのはペラペラのシュラフなので、コンクリートから冷気がジンジン伝わってくる。体をエビのように曲げ、横向きになって寝るのだが、1時間もすると体は氷のように冷たくなる。寝返りを打ち、今度は逆向きになって寝る。そんなことを夜明けまでの間で何度かくり返して眠るのだ。
 なぜ、そんな薄いシートとペラペラのシュラフなのかといわれそうだが、すこしでも快適な野宿をしようとしてウレタンのマットとか厚手のシュラフを持ったら、それだけで大荷物になり、きわめて歩きにくくなってしまうからだ。徹底した軽装備で300キロを歩き通そうというのが今回の徒歩旅の作戦だ。

 5時半、起床。シュラフとシートをクルクルッとまとめ、ザックに詰め込み、5分後には出発だ。大宮、宮原、上尾と国道17号を歩く。JR高崎線が並行して走っている。上尾から旧中山道に入ったが、急に人の匂い、生活の匂いが感じられるようになり、うれしくなってしまう。「セブンイレブン」であんぱん(90円)を買い、歩きながら食べて朝食にする。桶川、北本、鴻巣と中山道の宿場を歩く。桶川では古い土蔵造りの家が目立つ。間口は狭いが、ウナギの寝床のように、奥に細長い。北本では、北本天神の紅梅、白梅が満開だった。鴻巣は人形の町。人形店が軒を連ねている。鴻巣からふたたび国道17号を歩く。

 それにしても腹がへった…。コーヒーも飲みたい…。とうとう我慢できずにファミリーレストランの「すかいらーく」に入り、日替わり定食を食べる。751円の出費は大きい。そのかわり、コーヒーのお替わりを全部で4杯も飲んだ。「まあ、いいか」と自分で自分に納得させる。751円も使って‥‥という、ちょっとうしろめたい気持ちがあるからだ。
 夕食はコンビニの「ファミリーマート」で買った食パンとマーガリン、それと八百屋で買ったニンジン。この3点セットが、これからの旅の主食になる。食パンを2つに折ってマーガリンをつけ、生のニンジンをおかずにして食べるのだ。

 ぼくは20歳の春に旅立った「アフリカ一周」を皮切りに、20代の大半を費やしてバイクを走らせ世界の6大陸を駆けめぐった。その毎日はまさに極限の貧乏旅行の連続で、宿泊費には一銭も使わずに野宿をくり返した。そのおかげで、ぼくの体はどこででも寝られるようになっている。ガソリン代は削れないので、徹底的に食費を削った。パンにマーガリン、ニンジン、タマネギというのは、ぼくの決まりきった食事になっていた。泣きたくなるほど辛くなることもあったが、それがぼくにとっては唯一の、旅をつづけられる方法だった。このような経験のおかげで、貧乏旅行には滅法強いカソリなのである。

 吹上、行田と通り、熊谷で夕暮れを迎える。
 関東平野の片すみで食パン・マーガリン・ニンジンの3点セットの夕食を食べていると、わずかな金を持って世界を駆けつづけた20代のころの、あの旅への熱い想いが、フツフツと音をたててよみがえってくるようだった。
 熊谷を過ぎると日が暮れる。夜間は歩くことだけに全精力を投入し、距離を稼ぐ。時々、つまさき立ちで小走りに走る。かえってそのほうが、足の裏がベタッと地面に付かないので楽だった。
 深谷から本庄へ、旧道を歩く。本庄着24時。真夜中の旧中山道沿いの町並みは静まりかえっている。中心街を通り抜けたところにある「金鑚神社」の境内を一夜の宿にさせてもらう。シート、シュラフを敷き、その上に座り込み、食パン・マーガリン・ニンジンの夜食を食べ、シュラフにもぐり込む。時間は24時30分になっていた。
 
 一夜の宿とさせてもらったので、「金鑚神社」には奮発して100円の賽銭をあげ、5時45分に本庄を出発。県境の神流川までは旧中山道を歩く。街道沿いの旧家の庭にはミツマタの黄色い花が咲いている。ツバキやチンチョウゲの花も咲いている。チンチョウゲの花の香りが旧街道にまで漂ってくる。
 小さな橋の近くには「泪橋の由来」の碑。それには、中山道沿いの住民たちの苦労が刻み込まれていた。江戸時代、住民たちは伝馬(通信用の馬)の苦役を課せられ、農繁期でも”酷寒風雪”の日でもおかまいなしにかり出された。そんな伝馬にたずさわる男たちは、この橋でしばしの憩いをとったが、家族を想い、我が身のはかなさを嘆いて涙を流したという。それで泪橋なのだが、いかにも江戸五街道のひとつ、中山道にまつわる話ではないか。

 国道17号に出る。利根川の支流、神流川にかかる橋を渡り、群馬県に入る。橋の袂には「神流川古戦場跡」の碑。天正10年(1582)、織田信長が京都・本能寺で倒されると、厩橋(前橋)城主として関東管領の地位にあった信長の重臣滝川一益は、すぐさま京都に向かおうとした。が、この地で武州・鉢形城(寄居)の北条氏邦の軍勢にはばまれ、激しい戦いとなり、神流川に浮かぶ屍は2千数百にものぼったという。「神流川古戦場跡」碑も東京・志村の「一里塚」と同じことで、何度もバイクでこの橋を渡ったが、気がついたのは今回が初めてであった。

 神流川の河原で食パン・マーガリン・ニンジンと缶紅茶の朝食をすませ、旧道で倉賀野へ。町の入口が中山道と日光例幣使街道の追分になっている。そこには「右 江戸道、左 日光道」と彫り込まれた常夜燈と道標が立っている。昔の追分がどのようなところだったのか、それがとってもよくわかる。倉賀野の町の中に入っていくと、「本陣跡」や「脇本陣跡」、「高札場(幕府の掲示板)跡」などの碑が見られる。倉賀野は中山道の宿場町の面影を「東京→高崎」間では一番濃く残していた。

 高崎では「可楽」という中華料理店でラーメンライス(550円)を食べたが、
「クワーッ、タマンネー!」
 という声が出るほど腹にしみた。何かをおいしく食べようと思ったら、腹をトコトンすかせるのが一番の方法。ラーメンのスープは最後の一滴まで飲み干した。
 ところでこのラーメンライスは、ぼくのバイク旅の定番メニュ-になっている。とくに寒風を切って走るときなど、ラーメンライスを食べると生き返る。冷えきった体を内から暖めてくれるだけでなく、体の芯からパワーが湧き上がってくる。ラーメンとライスの取り合わせが絶妙なのだ。

 ラーメンライスでパワーをつけたところで、旧中山道を歩き、高崎警察署に近い住吉町の交差点まで行く。そこで中山道は左へ。直進する道が三国街道になる。交差点角の菓子店の“三国だんご”のはり紙以外に中山道と三国街道の分岐点を感じさせるものはなかった。
 東京から高崎まで、ずっと中山道を追ってきたので、さらに中山道を歩きたくなる。
「今度は高崎から碓氷峠を越えて信州に入ろう。和田峠を越えて下諏訪まで歩こう」
 そう心に決めて中山道に別れを告げ、交差点を直進し、三国街道に入っていく。JR信越本線の北高崎駅のすぐわきを通るが、踏切は“三国街道踏切”になっていた。

 三国街道は雨。折りたたみ傘をさしながら歩く。三国街道第一番目の宿場、金古(群馬町)を通り、前橋市をかすめ、吉岡町に入るころには雨は上がった。左手に榛名山の峰々が大きく見えている。渋川で日暮れ。食パン・マーガリン・ニンジンの夕食を食べる。
 渋川から国道17号を歩く。JR上越線が国道に並行して走っている。沼田までがいやになるほど遠く長い。渋川から沼田までの距離がこんなにもあったのかと改めて思い知らされる。これも歩きのよさというものか。やっとの思いで沼田を通過し、国道を疾走する大型トラックの轟音におびやかされながら、24時30分、後閑に着く。

 24時間営業の「セブンイレブン」で2個入りのおにぎり(215円)を買い、歩きながら食べる。新治村に入り、国道17号沿いの休憩所で足を止めたのは午前2時。21時間15分、歩いた。木のベンチにシュラフを敷き、食パン・マーガリン・ニンジンの夜食を食べてシュラフにもぐり込んだのは午前2時15分。上越国境の山々から吹き降ろしてくる風が、身震いするほどの冷たさだ。

 翌朝は6時に出発。早朝の新治村の寒さは真冬と変わらない。手はかじかみ、あっというまに紫色に腫れあがってしまう。
 国道17号から旧道に入り、台地上の須川宿を通る。明治7年に新道が開通し、三国街道は赤谷川沿いの湯宿温泉を通るようになったが、須川宿はメインルートから外れたことによって昔の宿場の面影を色濃く今にとどめている。国道20号から外れた旧甲州街道の宿場、野田尻宿(山梨県上野原町)によく似ている。

 ふたたび国道17号に出る。三国街道の猿ケ京温泉へ。いつもならば、温泉でまずひと風呂というところだが、今回は入浴料を払ってはいられないので温泉はパス。バスの待合所で冷たい風を避けながら食パン・マーガリン・ニンジンの朝食を食べ、ここからまた旧道を歩く。集落が途切れると雪道だ。ザクザク音をたてて雪を踏みしめ、三国街道の上州側最後の宿場、永井宿まで歩く。
「さー、三国峠だ!」
 ほんとうは、旧道で三国峠を越えたかったが、峠はまだ3、4メートルの積雪で、とてもではないが歩けないということで、国道17号を登っていく。

 標高800メートル、900メートルと、高度を上げるにしたがって新潟側から吹き降ろしてくる風は一段と冷たさを増す。標高1000メートル地点を過ぎるとまもなく三国トンネルだ。
 群馬・新潟県境の三国トンネルには命がけで入っていく。トンネルの幅が狭いので、大型トラック同士がすれ違う時など、トンネルの側壁にペターッとはりつかなくてはならない。背中スレスレに大型トラックが走り過ぎていく。もう、生きた心地がしない。トラックのドライバーも、まさか人が歩いているとは思わないので、ヘッドライトに浮かび上がったぼくの姿を見たときは、さぞかし驚いたことだろう。

全長1218メートルの三国トンネルを抜け、新潟県に入った時は、
「やったゼーッ!」
 と、カソリ得意のガッツポーズ。ついに、最大の難関を突破したのだ。それにしても、歩いて三国峠の三国トンネルを抜けるのが、こんなにも難しいとは考えてもみなかった。 三国峠を越えると、春はいっぺんに遠のいた。冬とまったく変わらない風景になる。国道の路面にこそ雪はなかったが、路肩の雪はぼくの背丈をはるかに超えている。標高1000メートル地点まで下がると、デジタルで気温が表示されていたが、時間は正午過ぎ、天気は青空が広がっているというのに、マイナス4度。寒いはずである。

 三国峠を下ると三国街道の浅貝宿。といっても、宿場の面影はまったくない。苗場スキー場で滑るカラフルなスキーウエアのスキーヤーたちであふれかえり、なにか、ぼくだけが場違いな世界に飛び込んだかのような錯覚にとらわれる。腹をすかせてトボトボ歩いている自分がみじめになってくる。
「よし、こうなったら豪勢にいこう!」
 パン屋でレーズンブレッドとハムサンド(390円)を買い、“豪勢な昼食”を食べながら火灯峠を登っていく。

 浅貝宿から湯沢までの間は、火灯峠と芝原峠の2つの峠を越える。バイクで走っていると、とくに火灯峠などは峠だとは気づかないままに越えてしまうが、歩いてみると峠だということがはっきりわかる。天気は崩れ、強風にのって雪が舞う。タオルでほおかぶりして歩く。火灯峠のスノーシェルターを抜け、二居宿に下っていくと、雪は勢いを増す。寒さにたまらず食堂に飛び込み、“豪勢な昼食”にひきつづいてラーメン(450円)をすすった。今回はすこしでも節約するため、ライスなしでラーメンのみだった。

 二居宿からまた恐怖のトンネルを抜け、貝掛温泉の前を通り、三俣宿で日が暮れる。浅貝、二居、三俣は“三国三宿”と呼ばれているが、今では3宿ともに、三国街道の宿場町の面影はない。
 あいかわらず雪の降りつづく中、芝原峠を越えて湯沢へと下っていく。19時、湯沢着。自販機のコーンポタージュを飲みながらいつもの食パン・マーガリン・ニンジンの夕食を食べ、六日町を目指す。
 湯沢を過ぎると、雪質が変わった。それまではサラサラして体にまとわりつかない雪だったが、それが、水分を含んだベタッとべとついた雪になる。風がおさまったので、傘をさして歩く。石打を過ぎると小降りになり、塩沢を過ぎるとほとんどやんだ。

 24時、六日町着。中心街を通り過ぎたところにある「新潟靴流通センター」というディスカウント店の軒下を借りる。スニーカーやソックスだけでなく、ジーンズもグッショリ濡れているので、まずは着替えだ。それから定番メニューの食パン・マーガリン・ニンジンの夜食を食べ、シュラフにもぐり込む。時間は24時30分。ジンジン冷え込む夜だった。

 翌日は、夜が明けても、すぐには起きられない。東京からここまで歩いてきた疲れがズッシリと溜まっている。もうちょっと、もうちょっと‥‥で、起きたのは6時20分。出発は6時半。前日の天気とはうってかわって好天気。雲ひとつない快晴だ。朝日を浴びた雪原の輝きがまぶしい。「昨日は地獄、今日は天国」といったところで、天気がいいと、それだけで鼻唄気分になってくる。「セブンイレブン」で買ったコッペパン(90円)を歩きながら食べ、それを朝食にする。いつもとちょっと違う食事というだけでうれしくなる。人間というのは単純なものだ。それがこうした旅をしていると、よくわかる。右手に見える八海山(1775m)の堂々とした山の姿が印象的だ。

 六日町から大和町に入ると、駒ヶ岳(2030m)が見えてくる。さらに小出町に入ると八海山と駒ヶ岳の間に中ノ岳(2085m)も見えてくる。越後三山が顔をそろえたのだ。信濃川最大の支流、魚野川の清流が手前を流れ、その向こうに雪の越後三山がそびえてる風景は、強烈に目に焼きつく。まさに越後路の魚沼地方を象徴している。ぼくはこの風景が大好きで、
「カソリさんの日本で一番好きな風景は?」
 と、聞かれるたびに、“魚野川越しの越後三山”と答えている。

 そんな小出町の国道17号沿いに虫野という集落がある。そこが妻の故郷。突然ではあったがフラッと妻の実家に立ち寄った。義理の父母ともに東京から歩いてきたというとビックリした顔をする。ちょうど昼時だったので昼食を御馳走になった。新潟産こしひかりの本場、魚沼地方だけのことはあって、ご飯のうまさは格別だ。母はさらに持ちきれないほどのおにぎりをつくって持たせてくれた。

 生き返るような思いで国道17号を歩き、小出町から堀之内町に入った時のことだ。軽4輪がキューッとブレーキ音をきしませて止まる。降りてきた女性に、
「カソリさんですよね!」
 と、声を掛けられたのだ。近くの広神村の桜井まり子さん。4歳になるというお嬢ちゃんの淑乃ちゃんを連れている。桜井さんは、「カソリさんらしき人物が、17号を歩いている」という情報をキャッチすると、文具店で色紙とサインペンを買い、この近辺の17号を行ったり来たりしたという。「やっとみつけましたよ」といって喜んでくれたのだ。

 桜井さんは「桜井輪店」というバイク屋のおかみさん。ご主人と一緒に店をやっている。5歳の雄貴くんを筆頭に、淑乃ちゃん、2歳の時生くん、0歳の土筆くんの4人の子供のお母さんでもある。
「世界を駆けるゾ!」
 と、色紙に書き、歩き出そうとすると、
「ぜひとも食費の足しにして下さい」
 といって、桜井さんは紙づつみをさし出す。何度も断ったが、断りきれず、ありがたくいただくことにした。中には2000円入っていた。ギリギリの究極の貧乏旅行挑戦中に2000円もの収入があったのだ。

 信濃川と魚野川が合流する川口に着いたのは夕暮れ。きれいな夕焼けの空だった。夕食におにぎりを食べ、長岡を目指して国道17号を歩く。信じられないのだが、長岡に近づくと、また雪が降り出した。
「あんなに、いい天気だったのに…」
 長岡到着は24時。中心街を通り抜け、8号(北陸道)との交差点に出る。そこが東京からずっと歩いてきた17号の終点であるのと同時に、高崎からの三国街道の終点でもある。だが、それらしき表示は何もない。この交差点からは352号で出雲崎へ向かう。

 雪と戦いながら歩き、信濃川にかかる蔵王橋を渡る。狭い橋で、通り過ぎる車にさんざん水しぶきをあびせかけられた。クソーッ。やがて国道沿いに、24時間営業の無人のコイン精米所をみつけ、そこで歩みを停める。時間は午前1時半。この時間にまさか精米に来る客もいないだろうと、そこで寝かせてもらう。残りのおにぎりを食べ、さらに食パン・マーガリン・ニンジンのいつもながらの夜食を食べ、シュラフにもぐり込む。時間は午前2時。床が鉄板なので、氷の上に寝ているような冷たさだ。それでも風雪をさえぎってくれる屋根とアルミサッシのドアがあるだけでもありがたかった。

いよいよ、「日本橋→出雲崎」の最終日を迎えた。北陸自動車道の下を通り抜け、長岡市から三島町に入る。すると前方にはゆるやかに連なる頸城丘陵の山並みが見えてくる。「あの向こうが、日本海だ!」
 ゴールが近づき、胸が躍る。それにしてもコロコロとめまぐるしく変わる天気で、音もなくスーッと黒雲が忍び寄ってくるとチラチラ雪が降り出し、黒雲が通り過ぎるとまた青空が広がり、しばらくすると黒雲が空を覆うといったくり返しなのだ。
 いつもの朝食を食べ、頸城丘陵の山中に入っていく。中永峠を登る。日本橋で丹羽和之さんが差し入れてくれたカンロあめの最後の一粒をなめる。このあめの甘さが、どれだけ疲れをいやしてくれたことか。“カンロあめ効果”は大きかった。

 峠のトンネルを抜け出ると、そこは出雲崎町。あと、もう一息だ。足取りも軽く峠道を下り、JR越後線の出雲崎駅のわきを通り、日本海の海岸へ。
 出雲崎海岸の入口にある「良寛記念館」のバス待合所でパン・マーガリン・ニンジンの最後の食事。残ったものも全部食べつくし、水筒の水も飲み干す。この食パン・マーガリン・ニンジンの食事のおかげで「東京→出雲崎」6日間の全出費は4243円ですますことができた。1日平均700円。1万円をはるかに切る額だ。

 3月15日11時30分、出雲崎の海岸に到着。足の裏はマメだらけになっているが、その痛みも忘れ、高台に立ち、日本海に向かって思いっきり叫んでやった。
「万歳! 出雲崎だ!!」
 300キロを歩ききった喜びにしばしひたったが、それと同時に「これでもう、歩かなくていいんだ」という安堵感をも強く感じた。

「日本橋→出雲崎」を歩いた6日間というものは、日本を世界を駆けめぐってきた自分のこれまでの人生をギューッと凝縮したようなもの。なにしろぼくは“貧乏旅行のカソリ”なのだから。とくに20代のころの旅というのは、この「日本橋→出雲崎」以上の貧乏旅行の連続で、それを1年とか2年という長期間、つづけた。
 それともうひとつ、今回の「日本橋→出雲崎」を歩いたことによって、自分の体の中で眠りかけていた野性の血が、よびさまされたような気がした。ぼくの野性の血がまた騒ぎだしたのだ。
「野性の血をたぎらせて、また、新しい世界へと旅立っていこう!」

 出雲崎にゴールすると、桜井まり子さんにいただいた2000円で食事にした。良寛堂の隣りにある「まるこ食堂」に入り、ビール(550円)で一人、乾杯。タイ、ヒラメ、甘エビの刺し身定食(1300円)を食べた。これほどうまい食事というのも、そうそう食べられるものではない。出雲崎から長岡まではバス(600円)に乗り、長岡からは青春18きっぷ(2260円)を使って鈍行列車を乗り継ぎ、東京に戻った。
 全費用6953円の「東京-出雲崎」の往復。最後にちょっと贅沢したが、それでもはるかに「1万円」を下まわる額だった。


■後日談(2008年9月記す)
 この「東京→出雲崎」の徒歩旅は、ほんとうにきつかった‥。
 今までの、自分のすべての旅の中でも、一、二を争うきつさ。今だに、まだ足のまめの上にさらにまめができ、それでも歩きつづけたあの痛みがよみがえってくるほど。この徒歩旅のきつさの証明のようなものだが、このあとすぐにぼくはバイクで転倒し、鎖骨を折ってしまうのだ。「転ばぬカソリ」が。

 長岡から列車で自宅に戻ると、その足で今度はバイクで伊豆に向かい、湯ヶ野温泉でひと晩、泊まった。翌日、大鍋林道→カンス林道→長九郎林道と伊豆の林道を走り、最後が萩ノ入林道だった。あとわずかで舗装路に出るというところで、痛恨の転倒。なんでもないようなところだった。どうして転倒したのかわからないくらいで、受け身もとれず、全身を強打した。とくに右半身を強く打ち、そのため右肩の鎖骨を折った。
 幸い河津営林署の車が通りがかり、河津町の病院に運ばれた。右肩鎖骨の骨折は2ヵ所で、1ヵ所はポキンと折れる単純な骨折だったが、もう1ヵ所は骨が砕けて飛び散る粉砕陥没骨折。
 この右肩の骨折で、ぼくは原稿がまったく書けなくなってしまった‥‥。

 だが、“ただでは起きないカソリ”の本領を発揮し、動く左手でたどたどしくもワープロで原稿を打ったのだ。それがぼくがワープロで原稿を打つきっかけになった。なにしろ“天下の悪筆カソリ”なので、ワープロ原稿になったとき、各誌編集部のみなさんは、
「カソリさんの原稿が読めるようになった」
 といって、おおいに喜んでくれた。
「みなさん、こんなに喜んでくれるのか」と、驚かされた。
 ということで、それ以降、ぼくの全原稿がワープロに変わった。それが今のパソコンにつながっている。

 この「東京→出雲崎」の300キロを6日間で歩き通せたのは、サッカーをやっていたおかげだと思っている。
 40を過ぎても、草チームの現役選手としてプレーしていたのだ。
 ぼくはフォワードで、さすがに40代後半になると得点能力がガクッと落ちてしまったが、それまでは“点取屋カソリ”の名をほしいままにし、得点数が出場試合数を絶えず上回っていた。つまり平均すれば、1試合に1点以上は入れていたということになる。

 中学生のときにはじめたサッカーを20代も、30代も、そして40代も、ずっとつづけてやってきた。それがどれだけ自分の体力維持に役立ったかしれない。
 だが、50を過ぎると、それも今は昔‥‥。
 60を過ぎた今では、
「あー、もう一度、現役のサッカー選手に戻りたい!」
 と、心底、熱望している。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行


「カソリの1万円旅」(6):「東京⇔鹿児島・1万円バイク旅」

 (『旅』1998年7月号 所収)

 今回の“1万円旅”ではカソリ、その究極に挑戦だ。
 50㏄バイクのカブを走らせ、「東京-鹿児島」間を往復してみようと思うのだ。
 ゴロ合わせではないが、往路を国道1号→2号→3号と走り鹿児島まで行き、復路で国道10号→9号→8号と走り、最後は直江津から国道18号→17号で東京に戻るという計画だ。

 1998年4月18日午前8時、荷物満載のホンダ・スーパーカブに乗り、“福沢さん”(1万円札)1枚を持って一路、鹿児島を目指し、東京駅前を出発する。カブほど1万円旅にぴったりの旅の足はない。なにしろ1リッターのガソリンでカタログ上では100キロも走る。鉄道だと1620円かかる距離を、カブならばなんとわずか100円ほどで走ってしまうのだ。

 まずは東京から下関へと国道1号→2号を走る。天気はあいにくの雨。それも冬に逆戻りしたかのような冷たい雨‥‥。都内を走り抜け、多摩川を渡って神奈川県に入るとホッとする。はるかに遠い鹿児島が、わずかに近づいたような気分になる。

 それにしても東京から横浜にかけての国道1号の渋滞はすさまじい。その中を走るカブは、激流の中をさまよう小舟のようなもの。慣れないカブなので、さっそく尻が痛くなってくる。ただひたすらに尻の痛みに耐えて走るのだが、この難行苦行ぶりが1万円旅の、というよりも旅の大きな魅力だとぼくはそう思っている。

 茅ヶ崎、平塚と通り、小田原から箱根峠を登って行く。50㏄にはきつい峠道。ギアをセコンドに落として登る。雨に濡れた峠周辺の新緑がきれいだった。そのなかに点々と山桜が咲いていた。
 箱根峠を越えて静岡県に入っても天気は変わらず、雨が降っている。三島、沼津、富士と通り、国道1号の旧道でサッタ峠を越え、静岡到着は15時20分。ここでやっと雨があがった。静岡からは安倍川を渡り、旧東海道の宿場町、丸子から宇津谷峠を越える。東海道の峠越えがおもしろい。このあたりがカブの旅のよさ。なにしろパワーのない50㏄バイク、ひとつひとつの峠を苦労して登っていくので、峠がじつによくわかる。歩きや自転車に近い感覚で峠を意識できるのだ。

 峠を意識すると、日本の大きな境目がよく見える。箱根峠を越えれば関東から東海へとガラリと変わる風景が見られるし、鈴鹿峠を越えれば東海から近畿へと世界が変わる。その移り変わっていく世界を自分の目で見ていけるのがバイク旅のよさというものだ。

 島田、掛川、浜松と通り、愛知県に入り、19時30分、豊橋着。
 岡崎を通り、21時45分、名古屋着。
 50㏄バイクに乗りつづけてきた疲労感と猛烈な睡魔に襲われ、メロメロ状態。それでも「1万円で東京-鹿児島の往復をするんだ!」という気持ちをよりどころに、さらに夜の国道1号を走りつづる。木曽川を渡り、三重県に入ったところで野宿。東京から392キロの地点。時間は午後10時30分。木曽川河口近くの河畔にテントを張る。“カソリ流野宿”というとシュラフのみというのが定番で、軟弱なといわれそうだが、今回は全泊、テントを張っての野宿にする。

 テントを張り終わると、さっそく遅い夕食にする。まずはストーブでタマネギ入りの味噌汁をつくり、次に飯を炊く。飯が炊きあがるのが待ちきれず、その前にタマネギ入り味噌汁をすする。飯が炊きあがると、フーフーさましながら今度はタマネギ入り味噌汁と一緒に食べる。なんともいえない幸福感。腹をへらしきっているので、この一汁一飯のなんとも簡素な食事がことのほかうまいものに感じられる。

 食費をギリギリまでの削った旅というと、1978年の50㏄バイクでの「日本一周」がそうだった。赤ん坊連れの9ヵ月あまりの「シベリア横断→ヨーロッパ→サハラ縦断」の旅から帰り、2番目の子供が生まれてまもなく旅立った。女房には「悪いな、悪い、悪い‥‥」といって頭を下げ、家にあった金を全部かき集めて10万円。
「なんとしても、この10万円で日本を一周してやる!」
 という覚悟で“超極貧旅”に旅立ったのだ。

 そのため食事といえば、“一汁一飯おかずなし”ではなく“飯のみ”だった。1日1回、飯を炊き、それを3等分にして朝、昼、晩に食べた。おかずなしなので、塩をぱらぱらとふりかけて食べた。ふだんの生活だったら絶対にできないこのような1日3度の食事も、旅している毎日だとあたりまえのこととしてできるようになる。旅の魔力とでもいうのだろうか、バイクを走らせて“あの向こう”に行くためだったら、どんなことでも平気で我慢できるようになる。

 翌朝は6時出発。小雨が降っている。四日市から鈴鹿峠を越えると雨は上がり、空が明るくなってきた。大津、京都を通り、12時、大阪着。東京から563キロ。うれしいことに日が差してきた。
 大阪の中心街、大阪駅前の梅田新道の交差点を過ぎると、国道1号から2号になる。国道沿いのうどん屋の“160円”の看板が目に入る。なにしろ腹をすかせているので、このような看板に敏感になるのだ。よっぽどカブを停めて160円という超安いうどんを1杯、食べていこうと思ったが、グググッと我慢してそのまま通り過ぎた。

 淀川を渡るとまもなく兵庫県に入る。尼崎、西宮、芦屋と通り、13時30分、神戸着。国道2号を走っている分には、3年前の阪神大震災の傷痕も癒えたかのように見える。神戸から明石へ。完成したばかりの世界最長のつり橋、明石海峡大橋近くの海岸でパン&チーズの昼食にする。
 このパン&チーズというのは、食パンにスライスチーズをはさんだもの。それを生のニンジンをかじりながら食べるのだ。「東京→出雲崎」の徒歩旅のときにもさんざん食べたやつ。これが今回も旅の主食になる。
 だが、空腹で腹がグーッと鳴るころをみはからって食べるパン&チーズというのは、なかなかの味。栄養のバランスのとれた食パンと栄養価の高いチーズの組み合わせなので、栄養面での心配もいらない。安くてすぐに食べられるといいことづくめ。ぼくの“1万円旅”には欠かせない。さらに明石海峡大橋のように、すばらしい風景が最高のおかずになるので、粗末どころか贅沢な食事にすら感じられる。

 明石を過ぎると、姫路まで大渋滞。16時、姫路着。ここでは姫路城まで行き、城を外から眺めた。姫路を過ぎると、雷雨の直撃。雨具を着るのが遅れ、ずぶ濡れになった。
 船坂峠を越えて兵庫県から岡山県に入る。近畿から中国に入ったのだ。ここでもやはり、峠が2つの大きな世界の境目になっている。峠を境に天気は変わる。雨は上がったが、けっこう寒い。船坂峠を下ると、備前焼で知られる備前市の伊部。その先の岡山到着は18時30分。東京からここまで737キロだ。

 岡山からは国道2号のナイトラン。カブのわきを大型トラックや車はほとんどスレスレに走り抜けていくので、たえずバックミラーで後続車に気をつけなくてはならない。夜間になると、よけいに神経を使う。自分で自分の身を護らなくてはならない。このあたりが速度の遅い50㏄バイクの大変なところだ。
 倉敷、笠岡と通り、広島県に入る。福山、尾道、三原と通り、広島の手前の東広島市で第2夜目の野宿。国道わきの車両重量測定場の敷地のすみにテントを張った。眠りについたのは、夜中近く。国道2号は夜通し交通量が多く、大型トラックが轟音をとどろかせて走り過ぎていくが、なにしろ疲れきっているので騒音も気にならずによあけまでぐっすり眠れた。

 広島到着は7時15分。東京からここまで899キロ。大竹を通り、山口県に入ると岩国だ。錦川にかかる錦帯橋を見ながらパン&チーズ、ニンジンのいつもの食事。錦川の清流と対岸の山の上にある岩国城を見ながら食べる。錦帯橋は渡ると金をとられるので、見るだけだ。河原には露天のみやげもの屋が並んでいるが、そこからただよってくる焼きイカや焼きトウモロコシの匂いがたまらない。
 国道2号をさらに西へ。徳山、防府、小郡と通り、午後4時、下関着。東京から1100キロ。ここまでかかった費用は2964円。「うーん、いいぞ!」。これならば、間違いなく1万円で東京-鹿児島を往復できると、ぼくは初めて自信を持つことができた。

 国道2号は関門海底トンネルで九州側の門司に通じているが、50㏄バイクは通行禁止。通行料20円を料金箱に入れ、エレベーターにバイクごと乗って下り、人道トンネルを行くようになる。この人道トンネルというのは全長780m。カブを押していく。トンネル中央の県境を過ぎるとゆるやかな登りになり、門司側に着いたときには汗ダクになった。歩いて関門海峡を渡ったのだ。

 本州から九州に入った。国道2号は門司港駅近くの交差点で3号に変わる。今度は国道3号で鹿児島へ。福岡を過ぎたところで二日市温泉へと急ぐ。気持ちがソワソワしてくる。東京を出てから3日目の待望の温泉だ!
 二日市温泉に到着。ここには道をはさんで2つの共同湯がある。ひとつは「博多湯」で入浴料100円。もうひとつは「御前湯」で入浴料200円。どちらに入ろうかさんざん迷ったが、100円分の贅沢を選択し、「御前湯」に入った。

 湯船に体をドップリとつけた気分はもう最高。湯から上がると、20円の石鹸でおもいっきりガリガリ頭をかいて洗った。体にもたっぷりと石鹸をつけて洗った。湯上がりに飲んだ自販機の100円の冷たい“飲むヨーグルト”がキューッと腹にしみた。合計320円の極楽気分。この極楽気分を味わえたのも、「東京→下関」を2964円で走ったからなのである。
 夜の太宰府天満宮に参拝し、久留米を通り、小栗峠を越えて熊本県に入ったところで野宿する。脇道に入った道路沿いにテントを張ると、すぐさまオニオンスープをつくる。なんのことはない、タマネギ入りの味噌汁のことだが、ぼくはそれを“オニオンスープ”と呼んでいた。熱いのをフーフーさましながら飲むと体も心もスーッと休まる。オニオンスープは、“バイク1万円旅”の、毎晩のささやかな楽しみになっていた。

 交通量のほとんどない道だったが、オニオンスープをすすっていると、通り過ぎていった車が戻ってきた。
「寒くて大変だね。いやー、てっきり未成年の若者だと思ったので、家にでも泊めてあげようかと‥‥」
 なんとも親切な人だ。だが、その人は未成年の若者ではなく50男のぼくを見てすこし驚いたような顔をし、「それでは気をつけて」と言い残して走り去っていった。
 熊本到着は翌朝の8時15分。東京から1307キロだ。見事な石垣の熊本城を見たあと鹿児島を目指す。ガソリンスタンドで給油がてら洗面、トイレ。そのついでに新聞を見せてもらう。テレビもラジオもない毎日なので、こうしてガソリンスタンドで見る新聞が今、日本で世界で何が起きているのかを知る唯一の手段になる。

 八代、水俣と通り、鹿児島県境に近づくと、そこはかとなくミカンの花の匂いが漂ってくる。さすがに南国、季節が早い。駿河路ではまだだった。
 東京を発ってから4日目の4月20日15時15分、鹿児島に到着! 国道1号→2号→3号と走ってきたが、ここまで1520キロ。使ったお金は4404円。上出来だ。
「鹿児島に着いたら豚骨ラーメンを食べよう!」
 と、ただそれだけを楽しみにしてひたすら鹿児島を目指して走ってきたが、いざ着いてみると気が変わった。第9章「1万円温泉旅」での、あの痛恨の“352円オーバー”が思い出されてきたからだ。豚骨ラーメンのかわりに、城山展望台からのすばらしい桜島の風景をおかずにし、いつもどおりのパン&チーズを食べ、それをもって鹿児島到着とした。

 さあ、東京を目指しての復路の開始だ。鹿児島から国道10号で北九州へ。ひと晩、宮崎県の日向灘の海岸で野宿し、大分県では亀川温泉の共同湯「浜田温泉」(入浴料50円)の湯に入り、宇佐神宮に参拝し、中津の福沢諭吉旧居に立ち寄った。観覧料金が200円なので、中には入らずに外から眺めた。旧居前小公園の藤棚の藤がきれいな花を咲かせていた。
「福沢さん、あなたのおかげでこんなにおもしろい旅をさせてもらっていますよ」
 と、お礼する。
 それともうひとつ、次女の慶応大学入学のお礼もいっておいた。

 下関から京都までは日本海側の国道9号を走る。島根県の岩見海岸で野宿し、鳥取県に入ると、米子で自販機の缶コーヒーを飲んだ。これが涙が出るほどにうまかった。東京を発ってから初めて飲む缶コーヒーだった。
 羽合では“ハワイビーチ”でカブを停め、波の音を聞きながら砂浜を歩いた。潮の香りがたまらなくいい!
 鳥取では日本最大の鳥取砂丘に行った。遙かな広がりを見せる砂丘を歩き、砂の上に座り込み、パン&チーズの昼食を食べた。観光シーズンには間があったので、訪れる人も少ない。まさに目の前にはサハラ的風景が広がっている。
 なんと1万円旅でハワイ・ビーチに寄せる波を見、サハラ的景観の大砂丘を歩くことができるのだ。いくら激安の海外ツアーといっても、ここまではできないゾ!

 京都から国道8号で福井県に入る。島根県の岩見海岸から1日で最高の589キロを走り、敦賀の気比の松原で野宿した。敦賀からは日本海側を行く。
 石川県の片山津温泉の共同湯「総湯」(入浴料350円)に入り、旧道で倶利伽羅峠を越え、富山では平野越しにズラズラッと連なる立山連峰の山並みに感嘆の声を上げた。
 親不知の海に落ちる断崖を見、新潟県の直江津(上越市)から国道18号に入る。天気が崩れ、土砂降りの雨になる。1万円旅というのは、まさに難行苦行の連続だ。

 長野を経由し、碓氷峠を越える。第1番目の箱根峠から数えて碓氷峠は第37番目の峠になった。 碓氷峠下で最後の野宿。あまりにも雨がひどいので、小学校の自転車置場の屋根下にテントを張らせてもらった。さっそく缶ビールで乾杯。久ぶりに飲むビールのうまさといったらなかった。スーパーで買った1袋148円のミニウインナーを焼いてつまみにした。 最後は高崎から国道17号を走り、都内に入ったところで給油した。満タンにしても、10円玉が何個か残った。こうして4月24日午前11時30分、東京駅前に戻ってきた。全行程が3434キロ。ガソリンは全部で53・4リッター(5164円)入れた。なんとリッター当たり64・5キロという好燃費。全費用9958円の「東京-鹿児島」往復の1万円旅だった。


■後日談=2008年9月記す
 50歳になった直後の1997年12月29日、ぼくは心臓発作に見舞われた。この日があやうく自分の命日になるところだった。
 前日までは何ら体調に異常はなく、年末年始にはとくにスケジュールを入れてなかったこともあり、女房と「正月はゆっくりできるね」などと話し、喜んでいた。

 それが29日の未明、突然、首をギューッと締めつられるような息苦しさを感じ、とてもではないが寝ていられなかった。女房に診てもらうと、さすがに看護婦としての職業的なカンですぐにぼくの危機をみてとり、女房の運転する車で東海大学病院の救命センターに運びこまれた。心電図はまったく乱れ、心臓停止の一歩手前だといわれた。脈は途切れ途切れになり、いつもの半分くらいしかない。それもまったくリズム感をなくし、コットンと弱く打つと、そのあとしばらくは停まってしまうような状態。ぼくは自分の命の灯がゆらゆら揺れ、今にもふーっと吹き消されてしまうような心もとなさを感じるのだった。

 ぼくはそれまでの30年あまりの旅の中で、何度も命を落としかけている。
 エジプトの片田舎ではイスラエルのスパイ呼ばわりされ、暴徒と化した群衆に袋叩きの目にあったり、パキスタンでは28日間も下痢がつづき、「下痢死ぬ、下痢死ぬ」と呻いたり、アフガニスタンのアジアハイウェイではバイクの居眠り事故で気を失って反対側車線に倒れたり、インドネシアのスンバワ島のヒッチハイクでは、トラックの荷台に乗っているときに垂れ下がった電線を顔面にひっかけ、電線があと10センチ下の首に入っていたら間違いなく死んでいたといわれたり‥‥。しかしぼくはそのたびにピンチを切り抜けてきたので“強運カソリ”とか“不死身のカソリ”といわれてきた。

 だが、それには理由があった。
 自分自身の体の奥底からわき上がってくるような「生きるんだ!」といった強烈な生への執着があったからだ。
 ところが心臓発作に見舞われてショックだったのは、生きることへの執着がきわめて希薄だったことだ。
「もう、しょうがないか‥‥」といった諦めの気持ちが強くあった。
「これが50になるということなのか‥‥」

 この心臓発作でも“不死身のカソリ”の本領をかろうじて発揮し、なんとかもちこたえて命を落とさずにすんだ。だが、人間というのは心臓をやられると、まったく動けなくなってしまう。人間は心臓あってのものなのだ。
 家の中の階段を登ることさえ苦しくてしかたない。ましてや外に出ようなどという気はまったく起こらない。これが自分自身の持っている動物的な本能なのだろう、とにかく身を低くし、嵐が通り過ぎていくのをじっと待った。

 心臓発作に襲われた後、1ヵ月ぐらいというものは、レントゲン検査や血液検査、超音波検査、24時間ホールダーをつけての検査等、さまざまな検査を受けた。その結果、心臓の機能には何ら異常がないということで、先生にはもう通院しなくてもいいといわれた。だがそれ以降も、ぼくの体は元どおりには動かなかった。
 心臓発作に襲われ、
「あー、自分は心臓をやられてしまったんだ、もうだめだ」
 と思った瞬間から、ぼくはすっかり気を病んでしまったのだ。そのため、まるで氷づけにでもされたかのように、心身ともに萎縮してしまった。

“病気”とはなんともうまい言葉ではないか。ぼくの心臓発作にあてはめてみると、病気はまさに気の病なのである。ぼくはそれまで、自分が心臓をやられるだなんて、夢想だにしなかった。誰よりも自分の心臓は強いとさえ思っていた。
 そのため、突然、心臓発作に見舞われ、命を落としかけたとき、実際に体が受けたダメージ以上に、より大きなダメージを精神的に受けてしまった。それは自分の持っていた自分自身の体への過信が見事に打ち砕かれたからにほかならない。

 心臓発作に襲われてから3ヵ月あまりというもの、ほとんど何もできず、家からも出なかった。もちろんバイクに乗ることもなかった。というより、「もう、一生、バイクには乗れないかもしれないなあ‥‥」と、そこまで弱気になっていた。
 そんな生きる自信すら失いかけていたときに、『旅』編集部の竹地里加子さんから、いつもの明るい大きな声で、
「カソリさん、バイクでの1万円旅、お願いしますよ」
 という電話をもらった。
 その瞬間、ぼくはおおいに迷ったが、竹地さんには心臓発作のことは一切いわずにやらせてもらうことにした。

 ぼくは「1万円バイク旅」に賭けてみた。
 今までやってきた“1万円旅”以上の究極の“1万円旅”に挑戦することによって、自分の体も心も蘇るのではないかと期待したのだ。
 そんな期待とそれ以上の大きな不安をかかえ、心臓発作から111日目にして、50㏄バイク1万円旅の「東京-鹿児島」往復に旅立った。

 第1夜目の野宿が最大の関門だった。
 はたして野宿できるのだろうか、寝ている間に今度こそ、ほんとうに心臓が停まってしまうのではないだろうか‥‥といった不安にかられ、胸の動悸が激しくなるような思いをした。
 いつになく不安そうな表情でぼくを送りだした妻の顔が目に浮かんでくる。
 いつもはシュラフのみで野宿しているぼくがこの「東京-鹿児島」でテントを持ったのは、ひとえに心臓をやられたあとの不安感からなのである。
 それだけに、この第1夜目の木曽川河口の野宿で夜明けを迎えたときのうれしさといったらなかった。飛び上がりたくなるほどのうれしさだった。
 それは「自分は生きてる!」といった喜びだった。

 このひと晩の野宿のおかげで、それ以降、ぼくの体は急速によくなっていった。
 2夜目の野宿、3夜目の野宿と日を重ねるごとに体は楽になり、まるで夏の強い日差しを浴びて氷が溶けていくかのようにぼくの体は氷解し、元どおりに動くようになっていった。それとともに気持ちも前向きになり、バイクで向こうへ、さらにあの向こうへと走っていきたい!といういつものような気分にもなっていったのだ。
「東京-鹿児島」往復の3434キロを50㏄バイクで走ったことによってぼくは賭けに勝ち、蘇ることができた。やはり旅は病後のリハビリには一番だ。


【「東京⇔鹿児島」資料編】
(期間)
1998年4月17日~4月24日(7泊8日)
(ルート)
東京→鹿児島(国道1号、2号、3号経由)1520キロ
鹿児島→東京(国道10号、9号、8号、18号、17号経由)1914キロ
合計3434キロ

(走り抜けた都道府県)
1都2府24県

(越えた峠)
(東京→鹿児島編)
・箱根峠(神奈川・静岡)
・宇津谷峠(静岡)
・中山峠(静岡)
・鈴鹿峠(三重・滋賀)
・逢坂山峠(滋賀・京都)
・洞ヶ峠(京都・大阪)
・鯰峠(兵庫)
・船坂峠(兵庫・岡山)
・ハタキ峠(山口)
・椿峠(山口)
・吉見峠(山口)
・西見峠(山口)
・談合峠(山口)
・小栗峠(福岡・熊本)
・赤松太郎峠(熊本)
・佐敷太郎峠(熊本)
・津奈木太郎峠(熊本)
(鹿児島→東京編)
・中ノ谷峠(大分)
・赤松峠(大分)
・立石峠(大分)
・木戸山峠(山口)
・野坂峠(山口・島根)
・駟馳山峠(鳥取)
・蒲生峠(鳥取・兵庫)
・春来峠(兵庫)
・八井谷峠(兵庫)
・笠波峠(兵庫)
・夜久野峠(兵庫・京都)
・観音峠(京都)
・逢坂山峠(京都・滋賀)
・新道峠(滋賀・福井)
・武生峠(福井)
・牛ノ谷峠(福井・石川)
・倶利伽羅峠(石川・富山)
・野尻坂峠(長野)
・碓氷峠(長野・群馬)
合計36峠

(立ち寄った温泉)
・二日市温泉(福岡)「御前湯」(入浴料200円)
・山鹿温泉(熊本)0円
・亀川温泉(大分)「浜田温泉」(入浴料50円)
・湯村温泉(兵庫)0円
・片山津温泉(石川)「総湯」(入浴料350円)

(見た城)
・姫路城(兵庫)
・熊本城(熊本)
・中津城(大分)
・富山城(富山)

(参拝した神社)
・太宰府天満宮(福岡)
・宇佐神宮(大分)
・和布刈神社(福岡)
・気比神宮(福井)

(出費)9938円
4月17日(金)東京→桑名(三重)392キロ
(富士のサークルK)
食パン(6枚切り)170円
スライスチーズ(6枚)220円
しょうひぜい19円
(島田のGS)
ガソリン3・3リッター329円(リッター95円)
(掛川の食料品店「山田屋」)
タマネギ(3個)181円
ニンジン(2本)114円
味噌228円
消費税26円
(浜松のヤオハン)
2合入り米(2袋)330円
消費税16円
(岡崎のGS)
ガソリン1・9リッター170円(リッター85円)
以上ガソリン499円
  食費1303円
合計1803円

4月18日(土)桑名→東広島473キロ
(大阪のGS)
ガソリン3・0リッター284円(リッター90円)
(岡山のGS)
ガソリン3・0リッター261円(リッター83円)
以上ガソリン545円
  食費0円
合計545円

4月19日(日)東広島→小栗峠(熊本)400キロ
(広島のGS)
ガソリン2・4リッター239円(リッター95円)
(大竹のローソン)
食パン(6枚切り)160円
消費税8円
(下関のGS)
ガソリン2・4リッター209円(リッター83円)
(関門人道トンネル)
通行料20円
(二日市温泉)
「御前湯」入浴料200円
石っけん20円
自販機の飲むヨーグルト100円
(太宰府天満宮)
賽銭20円
以上ガソリン448円
  食費268円
  温泉200円
  その他60円
合計976円

4月20日(月)小栗峠(熊本)→日向460キロ
(山鹿のデイリーストアー)
食パン(6枚入り)200円
スライスチーズ(6枚入り)218円
消費税20円
(熊本のGS)
ガソリン3・5リッター316円(リッター86円)
(鹿児島のGS)
ガソリン3・2リッター326円(リッター97円)
(宮崎のGS)
ガソリン2・1リッター204円(リッター92円)
以上ガソリン846円
  食費438円
合計1284円

4月21日(火)日向→三隅(島根)452キロ
(大分のコンビニ)
食パン(6枚入り)128円
消費税6円
(大分のGS)
ガソリン3・5リッター392円(リッター106円)
(亀川温泉)
「浜田温泉」入浴料50円
石っけん30円
(宇佐神宮)
賽銭20円
(門司のGS)
ガソリン2・1リッター198円(リッター90円)
(関門人道トンネル)
通行料20円
(山口のスーパー「イズミ」)
バナナ(6本)150円
ニンジン(2本)198円
豚コマ(174g)200円
消費税22円
(益田のGS)
ガソリン2・2リッター231円(リッター100円)
以上ガソリン821円
  食費704円
  温泉50円
  その他50円
合計1625円

4月22日(水)三隅(島根)→敦賀589キロ
(松江のGS)
ガソリン2・5リッター245円(リッター93円)
(米子の自販機)
缶コーヒー120円
(鳥取のGS)
ガソリン1・7リッター175円(リッター102円)
(和田山のスーパー「ウエルマート」)
食パン(6枚入り)98円
スライスチーズ(6枚入り)218円
サラダ100円
消費税20円
(亀岡のGS)
ガソリン2・8リッター244円(リッター87円)
(敦賀のGS)
ガソリン2・6リッター264円(リッター95円)
以上ガソリン928円
  食費556円
合計1484円

4月23日(木)敦賀→横川(群馬)527キロ
(気比神宮)
賽銭20円
(牛ノ谷峠の自販機)
缶紅茶120円
(片山津温泉)
「総湯」入浴料350円
石っけん30円
温泉たまご50円
(小矢部のGS)
ガソリン2・9リッター285円(リッター93円)
(富山のスーパー「チューリップ」)
食パン(6枚切り)180円
ミニウィンナーソーセージ148円
消費税16円
(直江津のGS)
ガソリン2・4リッター239円(リッター95円)
(妙高の自販機)
缶ビール230円
(上田のGS)
ガソリン2・5リッター239円(リッター91円)
以上ガソリン763円
  食費744円
  温泉350円
  その他50円
合計1907円

4月24日(金)横川(群馬)→東京139キロ
(都内のGS)
ガソリン3・4リッター314円(リッター88円)
合計314円

(出費内訳)
ガソリン代 53・4リッター 5164円
食費 4014円
温泉  600円
その他 160円
合計9938円

(50・バイク燃費)
1リッター=64・5キロ

(食事)
第1日目
朝食 自宅
昼食 パン&チーズ(食パン2枚にスライスチーズ1枚をはさんだもの)、ニンジン(生
   かじり)
夕食 おじや(木曽川の河畔で)

第2日目
朝食 おじや(木曽川の河畔で)
昼食 パン&チーズ、ニンジン(明石海峡大橋を見ながら)
夕食 パン&チーズ、ニンジン(糸崎駅の待合室で)
夜食 オニオンスープ(タマネギ入りのみそ汁)

第3日目
早朝 オニオンスープ
朝食 パン&チーズ、ニンジン(錦帯橋を見ながら)
昼食 パン&チーズ、ニンジン(関門橋を見ながら)
夕食 パン&チーズ、ニンジン(二日市温泉で)
夜食 オニオンスープ

第4日目
早朝 オニオンスープ
朝食 パン&チーズ、ニンジン(広々とした熊本平野で)
昼食 パン&チーズ、ニンジン(鹿児島の城山展望台で)
夕食 パン&チーズ、ニンジン
夜食 オニオンスープ

第5日目
早朝 オニオンスープ
朝食 パン&チーズ、ニンジン
昼食 パン&チーズ、ニンジン
夕食 バナナ
夜食 ご飯、豚のみ汁(豚コマのみの味噌汁)、バナナ

第6日目
早朝 おじや、バナナ
朝食 パン&チーズ、ニンジン(宍道湖を見ながら)
昼食 チーズサンド、ニンジン(鳥取砂丘を見ながら)
午後 スーパーで買った100円のサラダ
夕食 パン&チーズ、ニンジン(米原駅の待合室)
夜食 オニオンスープ(気比の松原で)

第7日目
早朝 オニオンスープ(気比の松原で)
朝食 パン&チーズ、缶紅茶(牛ノ谷峠で)
昼食 パン&チーズ、ニンジン(富山平野越しの立山連峰を眺めながら)
夕食 パン&チーズ、ニンジン
夜食 缶ビール、ミニウインナーソーセージ、ご飯、オニオンスープ

第8日目
早朝 おじや
朝食 パン&チーズ、ニンジン(神流川の川原で)
昼食 自宅
夕食 東京・渋谷で開かれた編集者仲間の飲み会。手作りの盛大なご馳走

(宿泊)テントでの野宿
第1夜 木曽川の河畔(三重)
第2夜 国道2号沿いの車両重量測定所の駐車場(広島)
第3夜 国道3号の小栗峠下、脇道沿いの駐車場(熊本)
第4夜 日向灘の海岸(宮崎)
第5夜 国道9号の道の駅「ゆうひパーク三隅」(島根)
第6夜 気比の松原の駐車場(福井)
第7夜 碓氷峠下の小学校の自転車置場(群馬)






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Author: 賀曽利隆
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