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海道を行く(1) 若狭・丹後編

 (『ツーリングGO!GO!』2004年9月号 所収)

「よーし、若狭・丹後の海を味わい尽くしてやる!」
 若狭湾の奥、小浜湾の海を目の前にしたとき、ぼくはそう叫んだ。右手には内外海半島、左手には大島半島。2つの半島にはさまれた小浜湾は波静かな海だ。2つの半島の向こうが若狭湾になる。

 さっそく地図を広げ、若狭・丹後の海岸線をどのようにまわろうか…と考えた。若狭湾は東は越前海岸の越前岬から西は丹後半島の経ヶ岬までの広い海。日本海側では、というよりも、日本でも屈指の風光明媚な湾だ。
「カソリの選ぶ日本の名湾ベスト3」に入るほど。その若狭湾には東から西へ敦賀半島、常神半島、内外海半島、大島半島、内浦半島、大浦半島、丹後半島といくつもの半島が突き出ている。
「これが若狭湾だ!」

 ぼくはひらめいた。若狭湾の「半島めぐり」をしようと思った。小浜を出発点にして内外海半島→常神半島→敦賀半島とまわり敦賀から小浜に戻る。ここまでが「若狭湾・半島めぐり」の第1弾。次に小浜から大島半島→内浦半島→大浦半島とまわり舞鶴に出る。これが第2弾目。丹後の中心、宮津から第3弾目の丹後半島をまわるのだ。

「若狭湾・半島めぐり」の開始だ。まずは内外海半島。小浜港の「若狭フィッシャーマンズ・ワーフ」から観光船に乗って「蘇洞門」めぐりをしたあと2階の「海幸苑」で昼食。海鮮定食の「わかさ」を食べた。若狭湾の海の幸を存分に味わったところでスズキDR-Z400Sを走らせ、内外海半島に入っていく。無料化されたエンゼルラインで内外海半島の最高峰久須ヶ岳の山頂に登り、若狭湾を一望した。

 次に常神半島に入っていく。細長く延びる半島の西側の道を行く。破風崎の展望台からの眺めは絶景。右手には常神岬突端の常神岬と対岸の御神島を見る。正面には青く霞んだ丹後半島の山々。快晴の空を映した若狭湾の海はどこまでも青い。常神岬の道は常神漁港で行き止まりになる。目の前にそそりたつ常神岬の山が漁港を護る天然の一大防波堤になっている。

 来た道を引き返し、有料道路の三方五湖後レインボーラインを走る。常神半島の最高峰、梅丈岳にはリフトで登った。山頂に立ち、三方湖、水月湖、管湖、日向湖、久々湖と、足下に散らばる三方五湖を見下ろした。それぞれに色の違う三方五湖を見ていると何か不思議な気分になる。このような5湖が若狭湾のすぐそばにあるのだ。
 最後に敦賀半島に入り、立石まで行き、敦賀からR27で小浜に戻った。

 小浜では小浜湾を目の前にする国民宿舎の「小浜ロッジ」に泊まった。翌日もうれしい快晴。R27を西へ。青戸大橋を渡って大島半島に入っていく。半島の行き止まり地点は宮留。漁港前には旅館や民宿が建ち並んでいる。釣り客が多くやってくるようで、関西圏や名古屋圏ナンバーの車が目についた。
 次に内浦半島に入っていく。半島の行き止まり地点は音海漁港。岸壁では平日の早朝だというのに、何人もの人たちが釣り糸を垂れている。停まっている車を見ると、圧倒的に大阪ナンバーが多い。若狭湾の半島はどこも絶好の海釣りのポイントになっている。

 福井県から京都府に入る。海も若狭から丹後の海に変わる。舞鶴からは大浦半島に入っていく。三浜峠を越えると、前方には大浦半島北側の海岸線が見えてくる。三浜、小橋と通り、行き止まり地点の野原漁港へ。なんとも味のある漁港の風景だ。

 ここまでめぐってきた若狭湾の半島群には「半島一周」の道はない。ということで、すべての半島の行き止まり地点まで行ってみた。これがよかった。半島の行き止まり地点までいくと、我らライダーの旅心はすごく満たされる。また半島の行き止まり地点の漁村は、どこも風情があった。「文化の吹き溜まり」とでもいうのだろうか、伝統的な文化が色濃く残っている所なのだ。

 舞鶴から丹後の中心、宮津へ。そこから「若狭湾・半島めぐり」の第3弾の丹後半島がはじまる。だが、その前にどうしても行きたいところがあった。「元伊勢の里」だ。宮津でいったん海を離れ、府道9号で普甲峠を越える。峠を下って大江町に入ったところが元伊勢。奥宮の天の岩戸神社、内宮の皇大神社、外宮の豊受神社とまわった。ここには五十鈴川も流れている。江戸時代、「元伊勢参り」ということで、多くの参拝者を集めた。内宮前には昔ながらの門前の集落も残っている。

 伊勢神宮はもともとはこの地にあったものが、各地を転々として現在の伊勢の地に移ったという。丹後はかつては日本の先進地帯。大陸の進んだ文化がこの地に入ってきた。元伊勢は丹後が先進地帯だった証のひとつといえる。

 宮津に戻るとR178で丹後半島に入っていく。まずは丹後半島の付け根、「日本三景」の天橋立を見る。ビューランドの展望台で天橋立の「股のぞき」をしたあと、宮津湾とは天橋立で区切られた阿蘇海をぐるとまわり、丹後の一の宮、籠神社に参拝。この地も元伊勢で知られている。籠神社は伊勢神宮の元宮になる。
「伊根ブリ」で知られる伊根では国道沿いの食堂「かもめ」で昼食。「タイの活きづくり」やサザエの刺し身、壺焼き、珍味クラゲの刺し身を賞味した。

 丹後半島北端の経ヶ岬では、駐車場にバイクを停め、岬突端の灯台まで歩いた。そこからは丹後半島がストンと若狭湾に落ちる断崖絶壁を見る。岬の山頂の展望台にも立った。そこからはこれから走る日本海の海岸線を一望。
 経ヶ岬を過ぎると、同じ丹後の海でも、若狭湾から日本海へと変わる。間人では短い橋で城島に渡り、網野では浅茂川温泉「静の里」の湯に入った。

 夕日ヶ浦温泉近くの浜辺では、日本海に落ちていく夕日を見た。快晴の西空に落ちていく夕日は「素晴らしい!」のひと言。目をこらして西の水平線上を見つづけたが、海に沈むその瞬間まで、はっきりと見えた。これだけの夕日はそうそう見られるものではない。
 その夜は久美浜温泉の「元湯館」に泊まった。翌朝、丹後半島の西側の付け根にあたる久美浜湾から丹後・但馬国境の三原峠を越えて兵庫県に入り、「若狭・丹後の海」に別れを告げた。
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海道を行く(2) 関東編

 (『ツーリングGO!GO!』2005年6月号 所収)

 3月14日午前10時、東京・日本橋に立った。昨日までの曇天とはうってかわって天気は快晴。さすが「晴れ男、カソリ」。旅の相棒となるホンダCB1300SBのアクセルを軽くひとひねりして第1京浜(R15)を走り出す。これから関東の海道を走るのだ。新たな地平を切り開くような気分で背筋がゾクゾクッとしてくる。

 第1京浜で多摩川を渡って神奈川県に入り、横浜へ。横浜に到着するとR15→R1→R16経由でJR桜木町駅前からR133に入る。横浜港大桟橋入口までのミニ国道でその距離はわずかに1・4キロ。この道はメチャクチャ、なつかしい。

 大学受験を終えた18歳のカソリ、意気揚々と桜木町駅に降り立ち、大桟橋まで歩いた。バイクでの「アフリカ大陸縦断」を目指しての最初の資金稼ぎが横浜港だった。「沖仲仕」は金になると聞いてやってきた。それから何日か、1泊150円の安宿に泊まり、ハシケに乗って沖合に停泊している貨物船の荷物の積み降ろしの仕事をした。給料は日給で1日1260円だった。

 山下公園で横浜港を眺め、しばし18歳の頃の自分を振り返ったところで中華街へ。そこでは揚げパンの油條とチマキ、ゴマ揚げ団子を食べ、さらに粥専門店で「蝦仁粥」を食べた。とろっとした白飯の粥の中に何匹かの小エビが入っている。粥の上には香菜がのっている。中国料理に香菜は欠かせない。香菜の香りをかぐと、一瞬、中国を旅しているかのような気分になる。

 横浜からR16で三浦半島に入り観音崎へ。そこからは県道で浦賀から久里浜へ。この一帯は「黒船」がやってきた「日本開国」の舞台。ペリー上陸碑の立つペリー公園の裏手にある「あすか旅館」に泊まり、夕暮れの久里浜海岸をプラプラ歩いた。港には金谷港行きの東京湾フェリーと大分港行きの大型フェリーが停泊していた。

 フェリーターミナルの待合室をのぞいたあと、港近くの食堂「みやび」で夕食。マグロ丼(900円)を食べた。丼飯の上には味つきマグロのほかにタコがのっている。店のオバチャンは「久里浜産のタコはね、とってもおいしいのよ!」と自慢した。なるほど。しっかりとしたかみごたえだ。メカブ、ワカメの茎、ワカメの味噌汁とワカメの3点セットもついている。このワカメも久里浜産のものだという。

 翌日は三浦半島南端の剱崎、城ヶ島に立ち寄り、三浦半島の西海岸を北上。三浦半島の最高峰、大楠山山頂の展望台に立ったあと、海岸近くの大楠温泉の湯に入る。湯から上がり、大広間で「エビフライライス」の昼食を食べていると、隣りの年配の人に声をかけられた。会社社長の金子晴行さんという人で、「義経北行伝説」にたいへんな興味を持っている。その足跡も追っている。ぼくも同じようなことをやったことがあるので、話がおおいにはずんだ。
 金子さんは「義経は蝦夷から大陸に渡ったんですよ。そしてチンギスハーンになったのです。私の長年の研究からいって、これは間違いないことです」と断言するのだった。いやー、温泉に入ったおかげで、おもいもよらない人に出会った。

「三浦半島一周」を終えると、湯河原温泉に泊まり、つづいて「伊豆半島一周」。伊豆半島の「岬めぐり」をしながら松崎温泉、戸田温泉に泊まり、沼津に出た。その間では14岬に立った。
 沼津からは富士山を見ながら駿河湾沿いの旧東海道を行く。由比では由比本陣跡近くの 「井筒屋」で「由比定食」(1575円)を食べた。桜えびのかき揚げ(大、2個)と桜えびの佃煮つき。澄まし汁にもご飯にも、桜えびが入っている。

 桜えび三昧の食事に大満足し、旧東海道で薩埵(さった)峠を登っていく。CB1300SBではちょっときつい峠道。道幅は狭く、急勾配、急カーブの峠道だ。峠からの眺望は抜群にいい。東名高速とR1を見下ろし、富士山を眺める。駿河湾の対岸には伊豆半島の山々。標高90mの峠だが、海のすぐそばなので90m以上の高さを感じる。

 薩埵峠を下った興津からはR1→R149→R150で三保の松原へ。突端の吹合岬から海越しに富士山を見た。さらに「清水日本平パークウエイ」(無料)で登った日本平山頂の展望台からも富士山を見た。さすが富士山、どこから見ても「日本一」の山。すごくよかったのが、途中で寄ったJR東海道線の富士駅前から見た富士山。中心街の通りの正面に見える富士山は異様なくらいに大きかった。

「関東の海道を行く」(西編)もいよいよ最後。R150から久能山東照宮に上り、静岡から焼津へとつづく長い海岸線を見下ろした。夕日に染まった安倍川の河口を見たあと、静岡ICから東名高速で東京へ。富士川SAの手前あたりから見る夕暮れの富士山がまたよかった。こうして21時に東京に戻ったが、「西編」の全行程は807キロだった。

                 ◇

 3月19日午前6時、東京・日本橋を出発。「関東の海道を行く」(東編)の開始だ。ホンダCB1300SBを走らせ、千葉街道(R14)で千葉へ。千葉からはR16で富津岬へ。この富津岬を皮切りに、明鐘岬、大房岬、洲崎、野島崎と房総半島の「岬めぐり」をしていく。

 外房海岸を走るR128に合流し、鴨川市の誕生寺のある小湊を過ぎると勝浦市に入る。鴨川・勝浦の市境が安房・上総の国境。勝浦市の興津を過ぎたところが鵜原だ。国道には「鵜原」の表示がないので、気がつかないまま、通り過ぎてしまうようなところ。鵜原に着くと、鵜原海岸や鵜原漁港を見てまわり、理想郷の毛戸岬から太平洋を眺めた。

 この鵜原こそ、「生涯旅人!」カソリの原点なのだ。大学受験を翌春に控えた高校3年の夏休み、ぼくは前野幹夫君ら友人たち3人とテントや食料をゴッソリ持って鵜原海岸に向かった。ぼくたちは毎夏、キャンプをした。1年のときが伊豆半島の大瀬崎、2年のときが御前崎に近い相良海岸だった。

 鵜原海岸に向かう外房線の車内では、ヒョンな拍子から「アフリカに行きたい!」という話になった。鵜原海岸でも、帰りの車中でもアフリカの話で夢中になった。ぼくたちは東京に戻るとすぐさま、バイクでの「アフリカ大陸縦断計画」をつくり上げたのだ。それから3年後の春、メンバーは2人に減ったが、ぼくと前野君は横浜港からオランダ船の「ルイス号」にスズキTC250とともに乗り込み、アフリカへと旅立った。20歳の春の旅立ちだった。

 それ以降、何度か、鵜原には来ている。30代になって初めて「日本一周」したが、そのときも、第1夜目は鵜原漁港の岸壁で野宿した。「鵜原」に来るたびに胸がキューンとしてくるのだ。今回も鵜原海岸を見ていると、あっというまに過ぎ去っていった30数年間のツーリングの数々がまるで走馬灯の絵のようにぼくの目の前を駆けめぐっていった。

 鵜原では民宿「甚五郎」に泊まった。夕食がすごかった。マグロ、カツオ、カンパチの刺し身、キンメの鍋、イワシの酢の物、サバの煮つけ、アジのフライ、エビとサザエ…と、まさに「海の幸三昧」の夕食。民宿のご夫妻もやさしい人。これでますます鵜原は忘れられないところになった。

 翌日も房総半島の「岬めぐり」。勝浦の八幡岬、大原の八幡岬、太東崎、刑部崎とめぐり、最後が犬吠崎だった。銚子から利根川を渡って茨城県に入ったが、この先、日立よりも北の鵜ノ岬まで岬らしい岬はない。

 鹿島神宮に参拝したあとR51で大洗へ。夕暮れの大洗港に到着。フェリー港には18時30分発の苫小牧行きフェリー「へすていあ」が停泊していた。フェリーに向かって「待ってろよ、今度は乗るからな!」と叫んでやった。

 大洗港は無性に北海道への夢をかきたてられるところだ。大洗港近くの「潮騒の湯」(入浴料1000円 10時~21時)に入り、湯から上がると「あんこう鍋うどん」(900円)を食べた。アンキモが上にのっている。アンコウを先に食べ、そのあとで味のしみ込んだうどんを食べた。それを最後にR51から水戸大洗ICで東水戸道路に入り、常磐道で東京に戻った。東京着は22時。「関東の海道を行く」(東編)の全行程は630キロだった。

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海道を行く(3) 北海道編

 (『ツーリングGO!GO!』2005年7月号 所収)

4月19日・4月20日 札幌→大成 走行距離427キロ
 札幌ドーム近くの「北海道ホンダ」でXR250モタードを借りると、すぐさま「北海道一周」に出発した。海岸線をメインルートとし、反時計回りで北海道を一周した。
 こだわりの第一歩は羊ヶ丘展望台。ここのレストランで「生ジンギスカン定食」を食べた。最高にうまい生ラム。これを皮切りに北海道中を食べまくった。カソリの「鉄の胃袋」を朝から晩までフル稼働させ、主だったものだけでも39品、食べたのだ。

 札幌からR5で小樽へ。そこでは朝里川温泉の「ゆらぎの湯」に入った。無色透明のやわらかな感触の湯。湯船の中では「さー、やるゾ!」とガッツポーズ。「温泉のカソリ」、朝里川温泉を第1湯目とし、体力勝負で全部で55湯の温泉を湯破(とうは)した。
 小樽に到着すると、中心街を走り抜け、石狩湾を一望する「絶景岬」の高島岬に立った。右手には雄冬岬、左手には積丹岬が見える。やがて日本海を赤々と染めて夕日が積丹半島の山々に落ちていく。感動的なシーン。
 この高島岬を第1番目とし、全部で31岬に立った。このように岬、温泉、食べ物に徹底的にこだわった「北海道一周」だった。

4月21日 大成→上磯 走行距離313キロ
 小樽から積丹半島に入り、第1夜目は『ゼロ円マップ北海道』を参考にし、R229沿いの「野塚野営場」にテントを張った。海岸のキャンプ場。だが、4月の北海道を甘くみていた。夜中の寒さは強烈で、ウエア全部を着込んでシュラフに入ったが、夜中にはあまりの寒さで何度も目がさめた。

 積丹岬、神威岬と積丹半島の両岬に立ち、R229を南下。北海道の荒々しい自然が牙をむいて襲いかかってきた。日本海から吹きつける風が次第に激しさを増していったのだ。弁慶像の建つ弁慶岬で強風はピーク。信じられないことだだったが、サイドスタンドを立てて停めたXR250モタードが吹き飛ばされた。こんなのは初めての経験だ。

 R229を走り出すと横風にあおられ、反対車線まで飛ばされた。対向車線には大型トラック。運転手はさぞかしビックリしたことだろう。反対側車線まで風に飛ばされただなんて、ぼくにとっては南米のパタゴニア縦断以来のこと。おまけに真っ黒な黒雲が押し寄せ、ザーッと雨が降ってくる。嵐のような天気。まだ明るいうちに貝取○温泉の国民宿舎「あわび山荘」に泊まった。翌日はウソのように穏やかな天気だった。

4月22日 上磯→富川 走行距離445キロ
 日本海を南下し、江差からはR228を走り、松前を通って「北海道最南端」の白神岬に立った。ここで日本海から津軽海峡へと海が変わる。函館では朝市を歩き、「朝市丼」を食べ、R278で本州への最短地点の汐首岬に立った。ここでも津軽海峡から太平洋へと海が変わる。
「北海道一周」での海の境目をさらにいえば、納沙布岬で太平洋からオホーツク海に、宗谷岬でオホーツク海から日本海へと変わる。岬は峠と同じように世界を分ける大きな境目になっている。別に海上に線が引かれているわけではないが、この境目をしっかり意識してバイクを走らせると、ツーリングはぐっと面白いものになる。

 苫小牧からはナイトラン。R235ではなんと吹雪に見舞われた。シールドに雪がこびりつき、前方がまったく見えず、やむなく裸眼で走った。4月下旬の目に突き刺さってくるような雪にたまらず、富川のビジネスホテルに飛び込んだ。

4月23日 富川→厚岸 走行距離455キロ

4月24日 厚岸→網走 走行距離447キロ
 まさに「地獄のあとの天国」で、襟裳岬も納沙布岬も快晴だった。「日本本土最東端」の納沙布岬からは北方領土の島々がよく見えた。一番近い貝殻島などは傾きかけた灯台が肉眼でもはっきり見えた。平べったい水晶島が水平線にベターッと張りつくようにして長く延びているのが目の底に焼きついた。国後島もよく見えた。雪をかぶった最高峰の爺爺岳(1822m)がポッカリと海面に浮かんでいる。
 こうして歯舞諸島や国後島を見ていると、「きっといつの日か、北方4島をバイクでまわってやるゾ!」という気持ちがムラムラッと沸き上がってくるのだ。

4月25日・4月26日 網走→増毛 走行距離620キロ

4月27日・4月28日 増毛→札幌 走行距離462キロ
「日本本土最北端」の宗谷岬ではミラクルを演じた。宗谷岬ではポツポツ、雨が降るような天気だったのにもかかわらず、宗谷海峡の水平線上には日の光が差し込め、サハリンがはっきりと見えたのだ。
 サハリン南部の山々にはまだかなりの雪が残っていた。宗谷岬からサハリンを見ると無性に宗谷海峡を越えてサハリンに渡りたくなってくるものだ。それはもう抑えられないような衝動。

 ぼくはその衝動にかられて1991年と2000年の2度、稚内港からバイクともどもサハリンに渡った。サハリンを走った感動も大きかったが、それ以上に宗谷海峡の船上から見る宗谷岬とオホーツクの海岸線の風景が目に残った。

 宗谷岬を離れがたく、岬の突端に一番近い民宿「清水」に泊まり、2階の窓から何度となくライトアップされた最北端の碑を見下ろした。
 翌朝は快晴。宗谷海峡にまっ赤な朝日が登り、大岬漁港を赤々と染めた。だが、水平線上にサハリンは見えなかった。宗谷岬から43キロのサハリンは、晴れれば見えるというものでもない。

 宗谷岬から日本海を南下し、小樽へ。その間では手塩川、石狩川という北海道の大河の河口に立った。「小樽→札幌」間では「峠越え」ルートを走り、4峠を越えた。こうして札幌に戻り、「北海道ホンダ」にXR250モタードを返したが、「北海道一周」の全走行距離は3169キロになった。


■カソリの北海道一周ガイド■ ⇒メチャクチャ長~いので別記事として立てます! この超絶な長さはコラムじゃないっ(by管理人)

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海道を行く(3) 北海道編 番外編その1

■カソリの北海道一周ガイド■ 
 (『ツーリングGO!GO!』2005年7月号 所収)

(札幌→函館)編
1、羊ヶ丘展望台(美味度☆☆☆☆)
「北海道一周」の第1歩。ここからは広々とした牧草地の向こうに札幌の市街地を望む。札幌ドームが正面に見える。牧場の向こうの札幌というのがすごくいい。ここには黄金色のクラーク像。台座には「BOYS BE AMBITIOUS(青年よ、大志を抱け)」の文字が刻み込まれている。レストランでは待望のジンギスカンを食べた。「生ラムジンギスカン定食」(1650円)。鉄板の上で野菜類と一緒に豪快に生ラムを焼いて食べるうまさは、「これぞまさに、北海道!」。ジューッと音をたてて白くなった食べどきの羊肉には、くさみなどまったくない。ここは昔の月寒(つきさっぷ)種羊場。北海道の羊飼育の歴史はここからはじまった。

2、藻岩山(絶景度☆☆☆☆☆)
 藻岩山観光道路(320円 原付不可)のワインディングを登りつめると藻岩山(531m)山頂。そこには札幌を一望する大展望台。札幌の市街地を一望するだけでなく、遠くには湾曲した石狩湾をも望む。まるで大きな地図を見ているかのようだ。反対側に目を移すと定山渓から中山峠方面へと続く山並みを望む。4月も下旬になろうかというのに山々は一面の雪景色。札幌をとりまく自然と地形がよくわかる藻岩山だ。夜間に登ればまばゆいばかりの札幌の夜景。「百万ドルの夜景」と評されている。

3、大通公園(面白度☆☆☆☆)
 大通公園のテレビ塔を見ると、「札幌にやって来たなあ!」と実感する。札幌は碁盤の目状に整然と通りが東西南北に走っているが、その中心は大通公園の大通。この大通をゼロとして、それと平行する東西の道を北1条、北2条、北3条…と呼ぶ。南側も同じで南1条、南2条、南3条…になる。南北に走る道はテレビ塔横の通りを境に東側は東1丁目、2丁目、3丁目…になり、西側も同じように西1丁目、西2丁目、西3丁目になる。札幌の住所でたとえば南7西12とあれば南7条西12丁目のことですごくわかりやすい。大通公園の大通を頭に入れておくと札幌はじつに走りやすい町になる。

4、小樽運河(面白度☆☆☆☆)
 小樽といえば戦前までは北海道の玄関口。日本海が北海道の表玄関だった。今でも当時の繁栄ぶりをあちこちに残しているが、人気スポットの小樽運河もそのひとつ。かつては100軒を超えるレンガ造りの倉庫が建ち並んでいた。小樽に着くとさっそく小樽運河沿いの道を歩き、何軒もの食堂が入っている「小樽運河食堂」内の「大地」で小樽ラーメンの「味噌バターコーンラーメン」(880円)を食べた。バターとコーンがドカッとのっている。これを皮切りに各地で北海道ラーメンを食べた。小樽の食堂のメニューで目についたのは「刺し身」が「お造り」になっていること。古くからの海路による小樽と関西圏の結びつきを感じさせるものだった。

5、高島岬(絶景度☆☆☆☆)
 岬の高台には赤白2色の日和山灯台。そこからは石狩湾を一望する。雄大な眺めだ。正面に雄冬岬、左手には積丹岬。この2つの岬を結ぶ線が石狩湾と日本海の境。この岬に立つと、石狩湾の大きさがよくわかる。石狩湾の中でも高島岬に抱かれた格好の小湾が小樽港のある小樽湾になる。岬には「鰊御殿」と「小樽水族館」。「小樽水族館」前から高台を登った「北海浜節民謡碑」の建つ駐車場は夕日を眺める絶好のポイントだ。夕日が積丹半島の山々に沈むまで見つづけた。

6、R229(面白度☆☆☆☆)
 小樽から江差までの海沿いのルート(「小樽ー余市」間はR5との重複区間)。積丹岬、神威岬、雷電岬、弁慶岬、茂津多岬…と、日本海の岬を次々に見ていく。北海道では1本のルートでこれだけの数の「岬めぐり」をできるルートはほかにない。R229は北海道一の「岬めぐり国道」だ。

7、積丹(しゃこたん)岬(絶景度☆☆☆☆)
 積丹半島最北端の岬。駐車場から10分ほど歩いた岬の突端には赤白2色の灯台。断崖が連続する島武意(しまむい)海岸を一望する。眼下には女郎子岩。その名前の通りのはかなげな寂しげな岩の風情。反対側を見ると積丹岳(1255m)と余別岳(1298m)の雪山。海の青さと雪の白さが鮮やかな対比を見せている。

8、神威岬(絶景度☆☆☆☆☆)
 積丹半島北西端の神威岬は絶景岬だ。駐車場から遊歩道を20分ほど歩くが、その価値は十分にある。いかにも岬らしい岬だからだ。細長く突き出た岬の突端には黒白2色の灯台。その先の岩礁には「義経北行伝説」の「神威岩」がそそり立っている。日高・平取のアイヌの酋長の娘チャレンカは義経を慕ってここまで来たが、すでに義経一行は船出したあとだった。嘆き悲しんだチャレンカは断崖から身を投げ、彼女の化身が神威岩になったという。日高の平取には義経神社がある。神威岬を境にして積丹半島の東海岸と西海岸では天気が変わることがよくある。東海岸では快晴だったのに、西海岸では数メートル先も見えない濃霧に見舞われたこともある。が、今回は東海岸も西海岸も穏やかな晴天。

9、泊の鰊御殿(歴史度☆☆☆☆☆)
 泊漁港前に移築された旧川村家のニニン漁の番屋と修復された旧武井家の客殿がある。入口には昭和20年代の初めに建造されたニシン漁の船の保津(ほっつ)船が展示されている。旧川村家の番屋は大規模な造り。漁場の親方と漁夫たちは同じ屋根の下に住んでいた。泊村だけで50を超える番屋が建ち並んでいたという。ビデオではニシン漁の最盛期の様子をうかがい知ることができる。武井家客殿の「祝宴の間」を見ても、ニシン漁の親方の豊かな生活ぶりがよくわかる。北海道にこれほどの富と豊かさをもたらしたニシンは昭和33年以降、ピタッと来なくなってしまった。それが北海道の悲劇だ。

10、弁慶岬(面白度☆☆☆☆☆)
 寿都湾の西側に突き出た岬。R229のすぐわきにある。岬の突端には仁王立ちする弁慶像が建っている。弁慶岬の語源はアイヌ語の「裂けた所」を意味する「ペルケイ」。弁慶ゆかりの地なので弁慶岬になった。近くには「弁慶の土俵跡」が残されている。弁慶が地元のアイヌの若者と相撲をとった土俵跡だという。弁慶の高下駄をまつる弁慶堂や弁慶が別れの宴を催したという二ツ森の丘もある。雷電海岸には「刀掛岩」と呼ばれる大岩がある。弁慶がエイッとばかりに岩をひねってつくった刀掛けなのだという。「悲劇のヒーロー」、義経を守り抜いた弁慶の体力と気力を神業と信じ、弁慶を守護神とあがめた習慣がこの地方には色濃く残されている。この地では義経以上に弁慶の方が英雄なのだ。そのシンボルが弁慶岬。





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海道を行く(3) 北海道編 番外編その2

 (『ツーリングGO!GO!』2005年7月号 所収)

11、茂津多岬(面白度☆☆☆☆)
 狩場山地の山々がそのままストンと海に落ちた先端が茂津多岬。R229には断崖を貫くトンネルが連続し、トンネルを抜け出た道路わきに「茂津多岬」の碑がある。ここは神威岬、雄冬岬と並ぶ「西蝦夷三険岬」のひとつ。海の難所で、沖を通る船乗りたちに恐れられたところだ。岬を貫く全長1974mの茂津多トンネルを南側に抜けると、茂津多林道が分岐する。それを上りつめたところが白黒2色の茂津多岬灯台。標高290mの断崖上に立つ日本最高所の灯台だ。とはいってもそこからは断崖下は見えず、灯台もごく普通の高さなので「日本一」の実感はしない。

12、尾花岬(面白度☆☆☆)
 毛無山(816m)から続く山並みが海に落ち込む地点が「北海道本土最西端」の尾花岬。道道740号は岬の区間が未完成で行き止まりになっている。南側の大成町側から太田の行き止まり地点まで行くと、海に落ち込む尾花岬がよく見える。R229はこの間は内陸ルートの「峠越え」区間で、太櫓越(北檜山トンネル)を越える。

13、江差(歴史度☆☆☆☆)
 江差は松前、箱館(函館)とともに「蝦夷三湊」のひとつで、明治末期まではニシン漁の根拠地になっていた。完成したばかりの「いにしえ街道」を見ることができてすごくラッキー。この道は国道から1本、山側に入ったところで、1キロほどの通りはすべて昔風につくり替えた。その中に旧中村家や横山家などの回船問屋や商家がそのままの姿で残されている。バイクを停めてちょっとプラプラ歩いてみたらいい。江差港の目の前には鴎島。歩いて渡れる周囲2・6kmの小島だ。島の北端の台地上には「かもめ島キャンプ場」(無料)。島の南端には幕府の砲台跡。島の入口には戊辰戦争で沈没した幕府の軍艦「開陽丸」が復元され資料館として公開されている。

14、松前(歴史度☆☆☆☆☆)
 北海道唯一の城下町。松前港を見下ろす松前城(福山城)は嘉永2年(1849年)、北方警備の要として幕府の命令で建て替えがはじまった。それが日本での最後の本格的な築城となった。安政元年(1854年)に完成したが、東西240メートル、南北300メートル、16の門と4つの櫓を持つ大規模な城だった。ぼくは明治初期の城の写真を見たことがあるが、あっと驚くような大きさだった。この城は明治8年に天守閣と本丸御門を残して取り壊された。今の松前城跡には復元された天守閣と本丸御門があるだけで、昔の大きさとは比べものにならない。天守閣は資料館(入館料350円)になっているが、そこに展示されている江戸中期の「松前屏風」はすごい。濠りをめぐらせ、石垣を積み上げた福山館(松前城の前身)を中心に武家屋敷や商家、寺社、庶民の家々が建ち並び、港は何艘もの船であふれかえっている。当時の松前の繁栄ぶりがよくわかる屏風絵だ。

15、白神岬(絶景度☆☆☆)
「北海道最南端」の岬。R228のすぐわきに「北海道最南端」碑が立っている。正確にいうと、「白神岬」碑の裏側に倒れていた…。「北海道最南端」なのに。これが宗谷岬だったら大変なことになる。国道を見下ろす高台上には赤白2色の灯台。対岸は津軽半島の龍飛崎。白神岬を過ぎると海が変わり、日本海(松前湾)から津軽海峡になる。岬は大きな境目なのだ。

16、R228(絶景度☆☆☆)
「江差→函館」間の海沿いのルート。松前を通り、白神岬を過ぎると日本海から津軽海峡沿いのルートになる。矢越岬は通り抜けできないので、その間は内陸ルートで福島峠を越えていく。知内を過ぎたあたりから函館山が見えてくるが、函館に近づくにつれてその姿がどんどん大きくなってくる。海越しに函館の市街地も見えてくる。ちょうど夕暮れ時だったので函館湾の湾岸に次々と町明かりが灯っていった。R229→R228と走りつなげば、小樽から函館まで海沿いに走れる。

(函館→根室)編
17、函館(歴史度☆☆☆☆)
 渡島(おしま)半島は先端で松前半島と亀田半島に分かれるが、その2つの半島の接合部が函館。函館はもともとは箱館で日米和親条約によって伊豆の下田港とともに開かれ、日米修好通商条約によって日本の開港場5港のひとつになった。箱館は北海道開発の拠点だった。「箱館」から「函館」に変わったのは明治2年のこと。ぼくの北海道ツーリングにはこだわりがあって、東京から青森まで自走し、フェリーで函館に渡り、そこから北海道を走り出すというのがパターン。とくに夜明けの函館港に到着するのが好きなのだ。夜明けの空にそびえたつ函館山とまだ点々と明かりの残る函館の市街地、それを船上から見ることができる。

18、函館の朝市(感動度☆☆☆☆☆)
 函館の朝は早い。まだ5時前だというのに、朝市はすでに活気にあふれ、誰もが忙しげに動きまわっている。ここではなんといってもカニやイカ、新鮮な魚などの魚介類が目立つ。朝市の函館駅に一番近い食堂街は「どんぶり横町市場」となって新しく生まれ変わった。ここには全部で18店。ウニ丼やイクラ丼などの海産物の丼が目玉だ。その入口の「茶夢」で「朝市丼」(1250円)を食べた。イクラ、ホタテ、ズワイの3色丼。おかみさんは「あなたは最初の客よ」といって、サービスですりおろしたフキノトウやヤリイカの煮つけ、アイヌネギ、メフン、スルメイカのワタの粕漬など次々に小皿にのせて出してくれた。「朝市丼」もうまかったが、おかみさんの暖かな気持ちに感動!

19、高田屋嘉兵衛の銅像(歴史度☆☆☆☆)
 函館山を背にして高田屋嘉兵衛像がそそりたっている。銅像のみならず台座も高いのでほんとうに見上げるような高さだ。これは「箱館開港100年」を記念して昭和33年に建てられた。銅像の大きさからもわかるように、高田屋嘉兵衛は今日の函館の基礎を築いた偉人として評価されている。箱館を拠点に海運や造船、漁場の経営などを行い、国後・択捉への航路を開いた高田屋嘉兵衛。その銅像は故郷の淡路島・都志のものよりもはるかに大きい!

20、立待岬(絶景度☆☆☆☆)
 市電の終点の谷地頭から海沿いの小道を行く。その途中には石川啄木一族の墓。行き止まり地点の立待岬の展望台に立つと、正面には津軽海峡対岸の下北半島の大間崎、右手には津軽半島の龍飛崎が見える。目を北海道側に移すと、右側には松前半島の矢越岬、左側には汐首岬が見える。立待岬は津軽海峡をはさんだ北海道と本州の岬を見るのに最適のポイント。津軽海峡に落ち込む函館山の切り立った断崖の風景も印象的だ。

テーマ : 国内旅行
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海道を行く(3) 北海道編 番外編その3

 (『ツーリングGO!GO!』2005年7月号 所収)

21、R278(絶景度☆☆☆)
「函館→森」間の海沿いのルート。本州への最短地点の汐首岬、コンブ漁の盛んな南茅部(今は函館市)、間歇泉のある鹿部温泉と通り、森でR5に合流。汐首岬を過ぎると、海は津軽海峡から太平洋へと変わり、砂崎を過ぎると内浦湾(噴火湾)へと変わていく。鹿部町から森町に入ったあたり眺める駒ヶ岳の山の姿がじつにいい。牧草地の向こうにスーッと裾野を延ばした駒ヶ岳が聳えている。

22、汐首岬(絶景度☆☆☆)
 ここが本州への最短地点。下北半島の大間崎まではわずかに17・5キロ。ちなみに白神岬から津軽半島の龍飛崎までは20キロ。対岸の下北半島の山々がくっきりと見える。正面の大間崎のみならず、左手の尻屋崎もはっきり見える。ここまでが津軽海峡で、汐首岬を過ぎると海が変わり、太平洋になる。太平洋側の漁村ではコンブ漁が盛ん。家々の前にはきれいに小石を敷きつめたコンブの干し場が見られる。

23、恵山(えさん)岬(絶景度☆☆☆☆)
 火山の恵山(618m)が海に落ち込んだ突端の岬。恵山が爆発してそのまま海に落ちたという感じの地形で岬を通り抜ける道はない。で、R278から南側、北側、それぞれの行き止まり地点まで行った。南側には御崎海浜温泉の屋根つき露天風呂(寸志)、北側には水無海浜温泉の海中露天風呂(無料)がある。北側の行き止まり地点が恵山岬で海岸段丘の台地上には白亜の灯台。灯台に隣接して「灯台資料館」(入館料400円)。そこには初代の恵山岬灯台の模型が展示されている。

24、鹿部の「しかべ間歇泉公園」(面白度☆☆☆☆)
 ここでは北海道で随一の間歇泉が見られる。10分間隔で高さ15mまで噴き上げる。100度近い熱湯だ。ほぼ10分ごとに噴き上げる間歇泉を見ていると自然の不思議さを感じてしまう。園内にはその湯を使った足湯もある。国道をはさんで海側には鳥羽一郎の「北斗船」の歌碑。

25、静狩峠(面白度☆☆☆☆)
 長万部から海沿いのR37を行くと、静狩の集落を見下ろしながら静狩峠(静狩トンネル)を越える。この峠は中央分水嶺の峠なのだ。静狩峠ともうひとつの中央分水嶺の峠、礼文華峠(礼文華トンネル)までの短い区間は、太平洋スレスレなのにもかかわらず、その間の川は日本海に流れ出る。太平洋と日本海を分ける日本列島の中央分水嶺の線は北海道の宗谷岬から九州の佐多岬まできれいな1本の線になって延びているが、これほど片一方の海に片寄った中央分水嶺はない。

26、絵鞆(えとも)岬(絶景度☆☆☆☆☆)
 室蘭の絵鞆半島突端の岬。R37から室蘭港をまたぐ白鳥大橋(無料)を渡ると簡単に行ける。岬の展望台からの眺めがすごい。長々とつづく内浦湾(噴火湾)の海岸線を一望する。駒ヶ岳もよく見える。その下の砂崎と絵鞆岬を結ぶ線が内浦湾と太平洋の境目。さらに対岸の海岸線は恵山岬まで見える。恵山がいい目印になっている。これだけ長い海岸線を一望できるポイントは日本中探してもそうはない。

27、測量山(絶景度☆☆☆)
 絵鞆岬からの海沿いの道(一部ダート)はすごくいい。北海道屈指の重工業都市の室蘭が隣合っているとは思えないような断崖絶壁が連続し、その中に銀屏風、ハルカラモイ、ローソク岩などの名所が続く。最後に測量山(199m)。山頂までバイクで行かれるが、展望台からは室蘭と室蘭港を一望する。測量山からは室蘭の中心街へと下っていく。絵鞆岬から測量山までの間はあまり知られていないので、北海道ツーリングのとっておきの穴場的ルートといっていい。みなさん、ぜひとも走ってみて下さい。

28、地球岬(絶景度☆☆☆☆)
 絵鞆半島最南端の岬。展望台から見下ろす白亜の灯台と青い海の対比が強烈だ。北海道には白亜の灯台が少ないので、西日を浴びて色づいた灯台がひときわきれいに感じた。展望台の「地球広場」の直径は12・8m。地球の100万分の1のスケール。そこにはモザイク模様の世界地図が描かれているが、その中心は室蘭! 「地球岬」の語源はアイヌ語で断崖を意味するチキウからきているという。「チキウ」を「地球」にしたところに、ネーミングの絶妙のうまさを感じてしまう。その雄大な名前にひかれ、室蘭に来ると、ついつい足を延ばす。岬には名前にひかれ行ってみたくなるところが多分にある。

29、ポロト湖(面白度☆☆☆☆)
 周囲4kmの小さな湖だが「ポロト」は「大きな沼」を意味するという。湖畔にはアイヌ民族村の「ポロトコタン」(入園料750円)がある。「アイヌ民族博物館」で見たアイヌ料理の「オハウ」(汁)は興味深かった。山菜や乾燥させたウバユリ、魚、肉を入れて長時間、煮込んだもの。ここではアイヌの家(チセ)が見られる。民族衣装をまとった古老の話が聞けるし、イヨマンテ(熊祭)の歌が聞けるし、アイヌ特有の口に含むムックリの演奏も聞ける。ムックリの「ビヨーン、ビヨーン」という音はアイヌ人の悲しを感じさせて強くぼくの胸に響いた。

30、襟裳岬(絶景度☆☆☆☆☆)
 原始のにおいをとどめる日高山脈が北太平洋に落ち込むところが襟裳岬。岬周辺の台地に樹木は見られず、まるで敷きつめられたかのように笹が地面を這い、笹原の中にひと筋のアスファルトが延びている。岬の突端に立つと、さらに沖合まで岩礁が点々と続いてい。この岩礁地帯はゼニガタアザラシの生息地。襟裳岬は「風極の岬」だ。ここでは風速15mを超える日が年間200日を超え、風速3、40mの日も珍しくないという。この日も駐車場に停めたバイクが吹き飛ばされそうな強風だった。岬の「風の館」(入館料500円)では風速25mを体験できる。

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海道を行く(3) 北海道編 番外編その4

 (『ツーリングGO!GO!』2005年7月号 所収)

31、釧路の和商市場(美味度☆☆☆☆☆)
 釧路の和商市場といえば、我らライダーにとっては函館の朝市と並ぶ北海道の2大市場。海産物の並ぶ市場内を歩いたあと、「市場亭」で「いくら丼」(1470円)を食べた。ここのはすごい。上にのったつややかな輝きのイクラが丼を埋めつくしている。イクラ丼は北海道各地で食べられるが、ぼくにとって「イクラ丼」といえば和商市場なのだ。今ここで人気なのは自分好みのネタを選べる「勝手丼」。去年、ここで食べたときはサーモン、イクラ、ホタテ、ボタンエビ、甘エビ、本マグロ、クジラ肉、真ダイ、真ダコと選んで1650円。「安い!」と思った。そして何よりもすごいのはネタが新鮮なことだ。

32、厚岸(あっけし)(美味度☆☆☆☆)
 江戸時代からの道東開拓の拠点になった町。近藤重蔵や間宮林蔵らの探検家も厚岸を北方探検の根拠地にした。カキで有名な厚岸だが、R44で通り過ぎていてはわからない。R44を外れて一歩、町内に入ったらいい。カキのうまい店といえば厚岸駅前の食堂「浜のれん」。ここでは「カキ丼」に「カキラーメン」、「酢ガキ」とカキ三昧をした。厚岸大橋を境に厚岸湖と厚岸湾に分かれているが、厚岸湖はカキ漁の盛んな湖。湖上には大小数十もの牡蠣(かき)島がある。これらはカキ殻が堆積したもの。昔は30センチもある大きなカキがとれたという。今は養殖ものが大半だ。ちなみに厚岸はアイヌ語の「アッケシイ」(カキのいる所)からきているという。厚岸大橋を渡った先の国泰寺は「蝦夷三大寺」のひとつ。ここはまた桜の名所としても知られているが、「日本列島桜前線」最後の地。4月下旬でも、花の季節はまだまだ遠かった。

33、道道123号→道道142号(絶景度☆☆☆)
 厚岸から根室までの海沿いのルート。R44ではまったくみられない道東の北太平洋岸の世界を見ることができる。寒々とした風景。集落もほとんどない海岸線が続く。その途中では厚岸の愛冠岬や霧多布島のアゼチの岬と霧多布岬、落石港の落石岬、花咲港の花咲岬と道東の岬に立ち寄った。

34、愛冠岬(絶景度☆☆☆☆☆)
 R44から厚岸に入り、厚岸大橋を渡り、そのまま直進すると愛冠岬への入口。駐車場から岬の展望台までは300mほど遊歩道を歩く。岬の上は平坦な台地で草原になっている。正面には大黒島と小島の2つの島、厚岸湾の対岸には尻羽岬を眺める。大黒島は周囲5キロほどの無人島で断崖に囲まれているが、さまざまな海鳥が飛来し、北海道でも屈指の海鳥の繁殖地になっている。この島の周辺はニシンの好漁場。すっかり北海道から姿を消してしまったニシンだが、厚岸港には毎年、かなりの量の地元産のニシンが水揚げされている。

35、霧多布(きりたっぷ)島(絶景度☆☆☆☆)
 道道123号から霧多布大橋を渡って入っていく。もともとは砂州でつながっていた霧多布半島だったが、昭和27年の十勝沖地震と昭和35年のチリ沖地震の大津波で砂州が切られ、今では霧多布島になっている。この島の入口が浜中町の中心。町役場もここにある。島の突端が霧多布岬(湯沸岬)。岬には赤白2色の灯台。長くつづく海岸線の向こうに落石岬が見える。ここには「きりたっぷ岬キャンプ場」(無料)もある。それともうひとつ、島の反対側にはアゼチの岬。目の前には小島と嶮暮帰(けんぼっけ)島。琵琶瀬湾の対岸には霧多布湿原が広がる。ここには目の前に島が浮かんでいるので、霧多布岬以上の絶景をつくり出している。

36、落石岬(絶景度☆☆☆☆)
 北太平洋シーサイドラインの道道142号から入っていく。落石漁港を過ぎた行き止まり地点が岬の入口。そこから遊歩道を歩いていく。木道で湿地を歩き、木道が尽きると、岬の先端の赤白2色の灯台に出る。灯台の周辺はまるで絨毯でも敷きつめたかのようなフカフカの笹原。その先はストンと海に落ちる断崖だ。

37、花咲漁港(美味度☆☆☆☆☆)
 花咲ガニの本場。7月から10月にかけてが漁期でカニ漁の船は納沙布岬周辺の漁場に出ていく。漁港前の「吉野商店」ではその場でゆでた花咲ガニをまるごと食べられる。コンブ汁のダシ汁で10分ほど炊きあげたもの。鮮度満点。身だけでなく、ホクホク感のあるカニ味噌もメチャクチャうまい。カニ漁の船は歯舞港と落石港からも出る。今ではロシア産の花咲ガニが入ってくるので1年中、食べられる。

38、花咲岬(絶景度☆☆☆☆)
 花咲漁港の天然の防波堤になっている。落石岬もそうだが、「岬のあるところ、漁港あり」だ。岬の突端には赤白2色の灯台。そこからはモユルリ島とユルリ島の2島が見える。岬が海に落ち込んだ海岸には国の天然記念物にもなっている「根室車石」。放射状節理の球体をした玄武岩。車輪にも見えるし、大輪の花のようにも見える。

(根室→稚内)編
39、根室の「北方資料館」(歴史度☆☆☆☆)
 根室に到着すると、JR根室本線の終着駅、根室駅前でバイクを停めた。いかにも「日本の最果て」を感じさせるところで、「遠くまで来たなあ」という気分にさせる。根室は日本で一番東の市。市内では「北方四島交流センター」内にある「北方資料館」(無料)を見学したが、そこには高田屋嘉兵衛の「辰悦丸」の模型が展示されていた。また江戸時代の探検家、近藤重蔵の北方探検ルートも紹介。択捉島の最北端まで行っている。

40、道道35号(感動度☆☆☆☆)
 根室半島一周ルート。半島の南側(太平洋側)が納沙布岬への最短ルートで歯舞、珸瑤瑁(ごようまい)を通っていく。歯舞、珸瑤瑁にはともに漁港。歯舞漁港はかなりの大きさ。珸瑤瑁には日本で一番東の郵便局がある。歯舞は旧歯舞村の中心で、旧歯舞村には根室半島の東側と歯舞諸島が含まれた。納沙布岬をまわりこんだ半島の北側(オホーツク海側)からは海越しに知床の連山と国後島がよく見えた。感動の根室半島一周。

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海道を行く(3) 北海道編 番外編その5

 (『ツーリングGO!GO!』2005年7月号 所収)

41、納沙布岬(感動度☆☆☆☆☆)
 東経145度49分01秒の「日本本土最東端」の岬。「日本最東端」は東経153度59分11秒の南鳥島になる。岬の灯台に立ったときは心底、驚いた。今までも何度か、ここから北方領土の島々を見たが、今回はそれ以上にはっきり、くっきりと歯舞諸島の島々が見えたのだ。珸瑤瑁水道越しに見る貝殻島は手が届きそうなほど近かった。思わず「近い!」と声が出た。右手には萌茂尻(もえしり)島と勇留(ゆり)島、秋勇留(あきゆり)島。左手には平べったい水晶島が長々と横たわっていた。萌茂尻島近くを航行するロシアの警備艇も肉眼ではっきりと見えた。納沙布岬で太平洋からオホーツク海へと海が変わる。2つの海のぶつかる納沙布岬なのでしばしば濃霧に見舞われる。

42、R244(絶景度☆☆☆☆)
「根室→網走」間の海道ルート。知床半島のつけ根は根北峠で越える。別海から標津までの間では根室海峡(オホーツク海)越しに国後島を見ながら走る。海の上にぽっかりと国後島の雪山が浮かんでいる。右手前方には知床の雪の連山。海の青さと雪の白さの対比が鮮やか。この季節ならではのすばらしい光景だった。別海でR243と分かれるが、R243は「根室→網走」間の内陸ルートで美幌峠を越える。

43、根北峠(面白度☆☆☆☆)
 R244の根室・北見境の峠。4月下旬の根北峠はまだまだ雪がすごかった。峠近くの道の両側には、人の背丈よりもはるかに高い雪が積もっている。その雪の壁の中を走っていく。ここより知床岬へと知床半島の連山が連なっていく。北海道の峠名は根北峠のような峠名が多い。石狩・十勝境の狩勝峠、石狩・北見境の石北峠、日高・十勝境の日勝峠、釧路・北見境の釧北峠、手塩・北見境の天北峠…といった具合だ。

44、網走の天都山(絶景度☆☆☆☆)
 網走駅の裏手の山で標高207m。山頂までバイクで行ける。そこには「オホーツク流氷館」(入館料520円)。展望台からは網走の市街地を見下ろし、長く延びるオホーツクの海岸線、斜里岳、知床連山を一望。目の向きを変えると網走湖、能取湖を見下ろす。実物の流氷を展示し、氷点下12度の「流氷体験館」もある。天都山をすこし下ったところには「北方民族博物館」(入館料450円)。復元されたイヌイット(エスキモー)の竪穴住居が展示されている。丸木舟やカヤック、シラカバの樹皮でつくられた舟、漁労や狩猟の用具に目が行く。網走市のモヨロ貝塚から出土した土器の数々も展示されている。それらを見て北方民族の文化の高さを思い知らされた。オホーツク以北の世界というのは、決して「文化の果てる地」ではない。

45、「網走市サイクリングターミナル」(快適度☆☆☆☆)
 網走では「網走市サイクリングターミナル」に泊まった。整った設備の宿泊施設で、ここでは国民宿舎よりも安い料金で泊まれた。ぼくはけっこう日本各地で使っているが、山口県の防府では夜の8時過ぎに飛び込みで行って泊めてもらったことがある。「サイクリングターミナル」はけっこう無理を聞いてくれる。本来はサイクリング用の宿泊施設だが、我らツーリングライダーが行ってもいやな顔をされることはない。北海道ではほかに士別や音更、滝川など10ヵ所にある。

46、能取岬(絶景度☆☆☆☆☆)
 網走市内から道道76号で行く能取岬は知床半島の絶好の展望台。駐車場にバイクを停め、白黒2色の灯台のわきから断崖の突端まで歩いて知床の連山を眺めた。乳房型をした知床半島の最高峰、羅臼岳がひときわ目立っている。その右手のカクンと落ち込んだところが知床峠。知床岬へとつづくオホーツクの長い海岸線も一望する。距離を置いて眺める知床半島というのもいいものだ。今回は雪で入れなかっただけに、よけいそう感じた。能取岬の周辺は広々とした牧草地。そこは牛や馬を放牧する市営の美岬(みさき)牧場になっている。

47、R238(絶景度☆☆☆☆)
「網走→稚内」間の海沿いのルート。網走を出ると網走湖、能取湖、サロマ湖と湖を見ながら走り、紋別を過ぎたあたりからはオホーツク海を見ながら走るようになる。宗谷岬をめざしてオホーツクの海岸を北上していると、日本のてっぺんに向かっているかのような雄大な気分になる。海もデッカイ、陸もデッカイので、バイクに乗りながら「デッカイドー!」などと叫んでしまう。宗谷岬を過ぎると、オホーツク海から日本海へと海が変わり、稚内の町に入っていく。

48、キムアネップ岬(絶景度☆☆☆)
 サロマ湖に突き出たこの岬に立って北海道最大(日本第3位)の大湖を眺めた。日本離れした湖の風景。湖面が茫洋と広がっている。ここは海のような広がりだが、湖面には波ひとつない。正面の水平線上には長々と延びる砂州。砂州の途切れたところでオホーツク海とつながっている。岬の突端には「キアムネップ岬キャンプ場」(無料)がある。

49、北緯45度線(面白度☆☆☆☆)
 枝幸(えさし)を過ぎると、「北緯45度線」を越える。R238には「北緯45度線」のモニュメントが建っているが、それが実にいいのだ。「北半球のど真中」と書かれているからだ。いわれてみればその通りで、まさにここは北半球のど真中。西には中国のハルビンやルーマニアのブカレスト、イタリアのトリノ、東にはアメリカのポートランドやミネアポリス、カナダのオタワなどの都市名が書かれている。一瞬、「世界一周ツーリング」をしているような気分に浸れる。

50、クッチャロ湖(絶景度☆☆☆)
 道北最大の湖で北の小沼と南の大沼に分かれている。「白鳥の湖」で知られているが、湖に突き出た桟橋に立つと、白鳥がすぐ近くまで寄ってくる。思わず愛犬と同じように頭をナゼナゼしてあげたくなるほど愛くるしい。湖畔には浜頓別温泉の国民宿舎「北オホーツク荘」と「はまとんべつ温泉ウイング」の2つの宿。ともに入浴可。「クッチャロ湖畔キャンプ場」(有料)もある。

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海道を行く(3) 北海道編 番外編その6

 (『ツーリングGO!GO!』2005年7月号 所収)

51、宗谷岬(感動度☆☆☆☆☆)
 北緯45度31分14秒の「日本本土最北端」の岬。「日本最北端」は北緯45度33分28秒の択捉島北端のカムイワッカ岬になる。宗谷岬に着いたときはまさにミラクル。宗谷岬は雨がポツポツ落ちてくるような天気だったが、宗谷海峡の水平線上にはパーッと日が差し込み、サハリンがはっきりと見えたのだ。雪山も見えた。ほんの15分くらいのことで、そのあとはまったく見えなかった。。「最北の地」というのは何度来ても感動するものだ。すこしでも長く宗谷岬にいたかったので、「日本最北の食堂」の「最北端」で食事し、「日本最北の宿」の「民宿清水」で泊まった。宿のおばちゃんは大皿にいっぱいのタコの刺し身を持ってきてくれた。それを肴に缶ビールで宗谷岬に乾杯!

52、大沼(感動度☆☆☆☆☆)
 湖に着いたときは「ウワーッ!」と驚きの声を上げた。それほどの白鳥の数。スゴイ! この白鳥はコハクチョウだとのことで、春と秋の2回、群れをなしてやってくる。そのほかマガモなども多数、見られた。周囲10キロほどの大沼はまさに野鳥の宝庫。年間を通して100種類以上の野鳥を見ることができるという。湖畔には野鳥観察の「大沼バードハウス」(無料)がある。あまり期待もしないで、何も知らないで行っただけによけいに感動が大きかった。

(稚内→札幌)編
53、稚内港(面白度☆☆☆☆)
 稚内に着くと、JR宗谷本線の終着駅、稚内駅前に立ち、そのあと稚内港に行った。ちょうど東日本海フェリーの「アインス宗谷」がサハリンのコルサコフ港に向けて出港するところだった。「あー、このまま、サハリンに渡りたい!」と、本気で思ってしまったほど。「アインス宗谷」の出港はぼくにとっては刺激が強すぎる光景だった。北海道遺産にも指定されている北防波堤ドームが延びる稚内港の岸壁に立つと、宗谷海峡の向こうの世界に思いが飛んでいく。

54、稚内公園(絶景度☆☆☆☆)
 バイクで登れる稚内公園からは稚内の市街地と稚内港を一望。遠くには宗谷岬。運がよければ、ここからサハリンも見えるのだ。シンボルの「氷雪の門」は樺太に眠る我が同胞の慰霊碑。それに隣り合って「9人の乙女の像」と「皆さん、これが最後です さようなら さようなら」の言葉。旧ソ連軍は終戦後の1945年8月20日に樺太の真岡(現ホルムスク)に上陸し、激しく攻撃した。真岡郵便局の9人の乙女たちは交換台に向かい、「さようなら」を最後に全員で青酸カリを飲んだ。ぼくは最初の1991年のサハリンツーリングでは稚内からロシア船でホルムスクに渡り、熊笹峠(現ホルムスク峠)などの激戦地も見たので、「9人の乙女の像」の「さようなら」にはよけいに胸がいっぱいになってしまうのだ。

55、ノシャップ岬(絶景度☆☆☆)
 岬の突端には赤白2色のノッポ灯台。高さ42・7mで北海道では一番高い。その下に立つと、見上げるような高さだ。灯台に隣り合った「ノシャップ寒流水族館」(入館料400円)では北海に生息する魚類やアザラシなどが見られる。岬に隣接して新たにつくられた恵山泊漁港公園に「ノシャップ岬」の碑が立っている。

56、道道106号(絶景度☆☆☆☆☆)
「稚内→手塩」間の海沿いのルート。ズボーンと突き抜けるようなストレート区間が魅力。それともうひとつ、走りながら日本海越しに利尻富士を見られることが大きな魅力になっている。途中で抜海、稚咲内と通るが、そのうちとくに稚咲内から見る利尻富士はすばらしい。写真は稚咲内から見た利尻富士だ。利尻島よりもさらに北の礼文島に夕日が落ちていく。息を飲むような光景にバイクを停めたまま、しばらくは動けなかった。

57、手塩川河口(絶景度☆☆☆)
 道道106号で手塩の町に入ると、手塩川の河口まで行った。手塩港の先で道北一番の大河が日本海に流れ出る。日本海から手塩川の中へと波が押し寄せていた。源流の手塩岳(1558m)から手塩の河口まで308キロ。手塩川は石狩川に次ぐ北海道第2の大河。河口の風景は荒々しいもので、自分もバイクも大河に飲み込まれそうな危うさがあった。

58、R232(絶景度☆☆☆)
 手塩から留萌までは「日本海オロロンライン」のR232を走った。このR232は「稚内→留萌」で、稚内市内から手塩川を渡って手塩町に入るまではR40との重複区間になる。手塩からが海沿いのルート。遠別、初山別、羽幌、苫前、小平と通って留萌へ。その間は日本海を見ながら走る快適ルートだ。ただしスピードには要注意(ぼくはR232では3度もやられた…)。羽幌からは焼尻島、天売島へのフェリーが出ている。天売島ではオロロンライン由来のオロロン鳥を見られるが、今では激減し、絶滅の危機さえいわれている。

59、増毛(歴史度☆☆☆☆)
 JR留萌線の終着駅、増毛駅前には木造3階建ての旅館(現在は営業していない)が残されている。その隣りの「風待食堂」の建物と合わせ、風情のある風景をつくり出している。駅前通りにはそのほか「増毛館」(現在は旅宿の「ぼちぼちいこうか増毛館」)、「旧商家丸一本間家」、「食堂 志満川」、「國稀酒造」と明治から大正、昭和初期に建てられた木造の建物が残っている。あっと驚くのは増毛小学校。昭和11年に建てられた大きな木造校舎が現役で使われている。北海道内では最大・最古の大型木造校舎ということだが、おそらく日本でもほかにはほとんど例がないだろう。

60、石狩川河口(感動度☆☆☆☆☆)
 留萌から札幌まではR231を走ったが、厚田村の望来で国道を離れ、海沿いの道を走った。そして石狩川の河口へ。最後は砂道を走り、「北海道の母なる流れ」が石狩湾(日本海)に流れ出るまさにその地点を見たときは感動の瞬間。「やったねー!」という気分。石狩岳(1962m)を水源とし、上川盆地、石狩平野を流れ下ってきた石狩川が今、自分の目の前で日本海に流れ出ていくのだ。対岸は「はまなすの丘公園」。はるかその向こうには藻岩山から手稲山、春香山と続く雪の連山が眺められた。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

海道をゆく(4)「越前海岸編」ガイド

 (『ツーリングGO!GO!』2004年9月号 所収)

1、越前玉川温泉
越前岬にも近く、越前海岸探訪の拠点には最適だ。1965年に湧出した比較的、新しい温泉で、秋田県の玉川温泉と区別するために温泉名に越前をつけている。アルカリ性単純泉の湯は肌がスベスベになる。
越前玉川温泉は「越前ガニ」の本場、越前漁港にも近い。R305沿いには越前ガニが水揚げされる小樟漁港、大樟漁港などがあるが、それらを総称して「越前漁港」といっている。カニの季節に泊まると、湯上がりの食膳では狂喜乱舞の「越前ガニ三昧」を味わえる。
国民宿舎「まるいち玉川荘」でのカニのフルコースつきの宿泊は超おすすめ。高台に建つ温泉宿で、全室から日本海が望める絶好のロケーション。

2、越前岬
丹生山地の山々が海に落ち込んだところが若狭湾の東端の越前岬。越前加賀海岸国定公園の中心的な存在だ。
海岸段丘上には越前岬灯台。12月から2月にかけては岬周辺の山肌では自生のスイセンが咲く。断崖が海に落ちる岬の突端は岩のゴツゴツした海食崖。この越前岬は「越前ガニ」漁の漁船にとっては絶好の目印になっている。
越前港を出た漁船は岬の沖まで北上し、そこから西へと進路を変える。岬の北側には鳥糞岩や呼鳥門の奇岩。とくに風蝕作用によってできた天然のトンネルの呼鳥門は、越前海岸を代表する豪快な風景。ここで見る日本海に沈む夕日はすばらしいの一言。夕日に染まった若狭湾西端の経ヶ岬もはるか遠くに見える。

3、東尋坊
九頭竜川河口の北側に、輝石安山岩の柱状節理の断崖がストンと海に落ちている。それが東尋坊。高さは約25メートル。とくに冬、北西の季節風が吹きつけているときがいい。
鉛色の日本海は荒れ、大波が東尋坊に押し寄せる。北陸でも有数の観光地で、その入口には土産物店が並ぶ。海産物がメイン。越前名物の魚の糠漬け、ヘシコが目につく。イワシやサバ、コウナゴ、イカなどのヘシコだ。
九頭竜川河口の三国港は福井県内でも有数の港だが、その昔は日本海航路の北前船の寄港する港だった。三国の郷土資料館には北前船の「三国丸」の模型が展示され、当時の三国港の繁栄ぶりを描いた絵が掲げられている。東尋坊はそんな三国港を護る天然の防波堤になっている。

4、河野海岸道路
敦賀湾・若狭湾岸の有料道路。R8の大比田(敦賀市)の交差点から入っていく。別名「しおかぜライン」。その名のとおりの快適なシーサイドラインだ。料金が高いこともあって交通量は極少。そのためよけいに気分よく走れる。
左手に広がる越前の海がきれいだ。対岸は敦賀半島。敦賀半島突端の立石岬を過ぎると、青く霞んだ丹後半島を遠くに見るようになる。越前海岸の海岸線を走るR305とのT字の交差点(河野村)が終点になる。バイクの料金は620円(原付90円)。

5、敦賀の気比
敦賀の敦賀湾に面した一帯が「気比」。ここには北陸の総鎮守であり、越前の一の宮の気比神宮がある。敦賀港近くには市立博物館。ここでは敦賀の大陸と結びついた歴史を見ることができる。
敦賀港の西側、敦賀湾を望む砂浜一帯の松原は「日本三大松原」の気比の松原。東西1・2キロの松原には全部で1万7000本ものアカマツ。市民の絶好の憩いの場で、夏は海水浴場として賑わう。古代にはこの地で大陸からの使者を迎えた。
松原内には松原神社やこの地で処刑された武田耕雲斉ら「天狗党」の水戸浪士の墓がある。「ニシン倉」も保存されている。北前船で敦賀港に運ばれた蝦夷産ニシンを保管する倉で、敦賀のニシンが京都に運ばれた。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

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