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「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(1)

(『月刊旅』1992年7月号 所収)

“青春18きっぷ”で東北一周
 鈍行列車に乗り継いで温泉めぐりをするようになったきっかけは、“青春18きっぷ”を使っての「東北一周」。それは、月刊『旅』(JTB発行)の企画だったが、編集部の上野光一さんからその話を聞いたとき、
「えー、上野さん、“青春18きっぷ”って、ぼくでも使えるんですか?」
 と、真顔で聞いてしまった。

「いやだなー、カソリさん、知らないんですね。“青春18きっぷ”には、年齢制限はないのですよ」
 と、上野さんは笑顔で答えた。

 ぼくは列車は小さいころから大好きだったが、20代の一時期には、夢中になって鈍行列車の乗り継ぎをしたことがある。列車の旅で一番おもしろいのは、“鈍行乗り継ぎ”だと信じて疑わなかった。1ヵ月あまりをかけて、寝袋ひとつを持って駅泊しながら、本州内の各線を乗り継いだこともある。あのころはまだ、“青春18きっぷ”はなかった。

 30代になっても列車の旅はあいかわらず続けてはいたが、ひんぱんに新幹線に乗るようになり、特急列車や寝台車にも好んで乗るようになった。そうなると、“鈍行乗り継ぎ”の旅は、なかなかできなくなってしまうものだ。

 そのようないきさつがあったので、“青春18きっぷ”を使って東北を一周することになったとき、ぼくは心の中で「しめた!」と叫んだのだ。あれだけ夢中になった“鈍行乗り継ぎ”のおもしろさが、40代も半ばを過ぎたこの年になって、きっとまた、よみがえってくるに違いないと、大きな期待を抱いたのである。

“青春18きっぷ”を使っての「東北一周」をよりおもしろいものにしようと、次のような“カソリ流5つのルール”をつくってみた。
1・列車は鈍行に限る。
2・旅の仕方は、鈍行列車と徒歩のみで、バス、タクシーは一切使わない。
3・毎朝、一番列車に乗って出発する。
4・宿泊は駅に近い温泉宿とする。
5・温泉宿はあらかじめ目星はつけても予約はしない。


 “カソリ流5つのルール”のうちの5だが、泊まる宿をあらかじめ決めてしまうと、どうしても行動が制限されてしまうからだ。旅は出たとこ勝負のほうが、はるかにおもしろくなるものだと思っている。

 このような“カソリ流5つのルール”を決めて、早春の東北を目指し、高崎線の一番列車、上野発5時13分の高崎行きに意気揚々とした気分で乗り込んだ。

 ところで“青春18きっぷ”だが、1冊が5枚つづりになっていて、料金は1万1300円ときわめて安い。1枚2260円でまる1日、JR全線の快速を含む普通列車に乗り放題で乗れる。ただし、一年中使えるというものではなく、使用期間が限られるという制限がある。

“青春18きっぷ”以外の持ち物といえば、JTBの大型時刻表とやはりJTB刊の『全国温泉案内1800湯』、『温泉宿泊情報』のJTBトリオ。これらは“鈍行乗り継ぎ温泉めぐり”には絶対に欠かせない“三種の神器”なのである。


日本海、伝説の地の温泉
 東京・上野駅を出ると、高崎、水上で乗り換え、13時11分、新潟に到着。新潟からは、13時49分発の白新線経由羽越本線の村上行きに乗る。4両編成の電車。

 豊栄からは“女子高生風4人組”が乗り、通路をはさんでぼくとは反対側の4人掛けの座席に座った。さすがに越後美人の国だけあって、4人ともそろって美人。

“女子高生風4人組”は座席に座るなり、持ち寄ったチョコレートやクッキー、キャンディー、シュークリーム‥‥と、いやはやいやはや、よく食べること。口をモグモグさせながらにぎやかに、楽しそうに話す。どうも仲良し同士の高校卒業旅行のようで、村上に近い瀬波温泉に行くようだ。高校生最後の一番楽しい時期を友人たちと温泉で過ごすだなんて‥‥、なかなか、やるではないか。

 そんな“女子高生風4人組”の会話をさりげなく聞いて楽しんでいるうちに終点、村上に着いた。

 村上からは、15時31分発の秋田行きに乗り換える。電気機関車に引かれた4両の客車。車内は座席がほぼ埋まるくらいの混雑度だ。左手に日本海を眺めながら北へ。沖には粟島が浮かんでいる。電気機関車のピューッという鋭い警笛音に旅心が刺激される。

 ところで、村上から山形県境に向かっていくにつれ、車内はどんどんすいてくる。県境を越えるころにはガラガラだ。それが、山形県内に入ると、また乗客は増えてくる。これを称してぼくは「カソリの鈍行列車県境の法則」と呼んでいるが、この法則があてはまるのは、なにも羽越本線の新潟・山形の県境にかぎったことではなく、ほとんどの県境にあてはまることなのである。

 16時45分、三瀬着。無人駅で、降りたのはぼく一人。出羽を貫く海岸沿いの街道の宿場町だった三瀬の町並みを歩き、国道7号に出、今晩の宿泊地の由良温泉に向かう。

 ここだけは、どうしても泊まれないと困ってしまうので、前夜、東京から電話を入れておいたのだが、海辺の高台に建つ国民宿舎の「庄内浜由良荘」に行く。ぼくの部屋は4階で、窓いっぱいに夕暮れの日本海が広がっている。さっそく、2階の大浴場へ。湯につかりながら、湯気で曇った窓ガラス越しに、水平線上に灯りはじめた漁火を見る。

 湯から上がり、浴衣に着替えると、食堂での夕食。夕食のあとは、今度はゆっくりと湯を味わうかのように長湯した。漁火の火が一段と輝きを増していた。

 この国民宿舎近くの浜辺には、由良の由来を書いた案内板が立っていた。その説明が興味深い。
「古代蜂子皇子(羽黒山開山の祖)が丹後の由良から船で北上し、出羽の由良近くの八乙女ノ浦で、8人の乙女の舞いに魅せられて上陸した」とある。

 その伝説は、海上の道でつながった日本海文化圏を強く感じさせるものだし、修験道の親玉のような人物が庄内美人にコロリとまいってしまうというのも、なんとも人間くさくて心ひかれる話だ。

 そんな伝説の地の由良温泉は、国道7号のすぐわきにある。ぼくは今までに何度か国道7号をバイクで走っているが、このようなところがあったなんて‥‥、気がつかなかった。これも“鈍行乗り継ぎ”の旅のよさというものだ。


“日本海美人地帯”を貫く羽越本線
 羽越本線の一番列車に乗るため、翌朝は4時半の起床。宿泊費は前の晩に払ってあるので、5時前に「庄内浜由良荘」を出る。玄関は閉まっているので、裏口の非常口からコッソリと出ていく。いくら一番列車に乗るためとはいえ、泥棒のようで、ちょっと気がひける。

 1時間かけて三瀬駅まで歩くと、駅舎には先客がいた。とれたての魚を売り歩く行商の“三瀬のオバチャンたち”。
「足が痛くてよー。困ったもんだのぉー。ピップ、はってんだども‥‥」
「それは困ったもんだのぉー」
「うんだ」
 と、そんな会話が聞こえてくるが、語尾の「のぉー」が耳に残る。

 三瀬発6時27分の酒田行きに乗ったのは、3人の“三瀬のオバチャンたち”とぼくの4人だけ。車内はガラガラだ。車窓には庄内平野が広がり、正面に鳥海山、右手に出羽三山がよく見える。3人の行商の“三瀬のオバチャンたち”は、鶴岡で降りた。

 酒田到着は7時38分。ここで7時58分発の秋田行きに乗り換える。電気機関車に引かれた3両の客車は満員。だが、「カソリの鈍行列車県境の法則」どおりに、秋田県境に近づくにつれて車内はガラガラになっていった。それが、秋田県内に入ると、あっというまに乗る人が多くなり、羽後本庄駅に着くころには満員だ。

 本庄ではゴソッと降り、また、ゴソッと乗った。乗客総入替えといった感じなのだ。ここでは、小さな子供を2人連れた“秋田美人の若いお母さん”と一緒に座る。子供用のお菓子をもらったりして‥‥。

 羽越本線最大の喜びは、なにしろ“日本海美人地帯”を縦貫する路線なので、こうして次から次へと車内で美人と出会えることだ。それともうひとつうれしいことは、“日本海美人地帯”の美人というのは、まわりにごくあたりまえに美人がいるせいなのだろう、自分が美人だという意識がうすく、あまりツンとしていないことだ。秋田美人のついでにいえば、その本場は横手、角館といわれている。

 羽越本線の終点、秋田には、9時59分に到着。“秋田美人の若いお母さん”と、すっかり仲良くなった2人の子供たちと分かれ、駅周辺を30分ほどプラプラと歩いた。


五能線で出会った津軽美人
 秋田駅で「わっぱ舞茸弁当」と「秋田魁新聞」を買って、奥羽本線の10時52分発東能代行きに乗り込む。日本各地の駅弁を食べること、地方紙をよむことは、“鈍行乗り継ぎ”の旅の大きな楽しみである。

 ところが、羽越本線以上の幹線の奥羽本線なのに、列車は1両の気動車。超満員の乗客なので、とてもではないが、駅弁をたべたり、新聞を読んだりすることはできなかった。

 東能代に着き、12時20分発の五能線深浦行き2両編成の気動車に乗ったところで、やっと「わっぱ舞茸弁当」を食べ、「秋田魁新聞」を読むことができた。

 左手の車窓いっぱいに広がる日本海を眺めながら走る五能線の旅は楽しい。白神山地の山並みが断崖となって日本海に落ち込む須郷岬を過ぎ、青森県に入るあたりの風景は、とくに見事だ。思わず窓ガラスに顔を押しつけて、流れていく風景に目をこらしてしまう。

 深浦では1時間以上の待ち合わせ。その間を利用して、漁港を歩き、日本海航路の北前船の資料を展示している歴史民俗資料館を見学する。深浦は上方と蝦夷を結ぶ北前船の寄港地として栄えたが、ここでも海路によって結びついた日本海文化圏というものを強く感じるのだった。

 15時30分発の深浦始発の弘前行きに乗る。2両の気動車。ぼくの乗った車両の乗客は5人だけ。深浦を発ってどのくらいたっただろうか、前の座席の女性が何かの拍子で立ち上がり、後を振り向いた。その瞬間、彼女とパッチリ目が合った。うそー。なんと、年のころは21、2といった絶世の津軽美人。細面の整った顔だち、まっ白な肌、長い黒髪‥‥。彼女と目があってからというもの、すっかり心がかき乱され、おちおち車窓の風景を楽しんではいられない。 

 鰺ヶ沢では16分の停車。すぐに駅待合室のキオスクに行き、アーモンドチョコを買い、車内に戻ると、「ひとつ、どうですか?」と声を掛ける。
 大成功! 
 そのおかげで同席することができた。彼女は弘前まで行くところだった。女子大生で、弘前で下宿しているという。

 ぼくは残念ながら五所川原で下車しなくてはならなかったが、“五能線の津軽美人”と向かいあっていろいろと話した30分あまりは、舞い上がるような気分で、あっというまに過ぎ去ってしまった。彼女と握手して別れたが、五所川原駅のプラットフォームに降り立っても、いつまでもポーッとしていた。

 五所川原からは440円の運賃を払い、津軽鉄道で金木に向かう。五所川原と津軽中里を結ぶ津軽鉄道はストーブ列車で知られているが、岩木川下流の津軽平野をトコトコと、といった風情で走っていく。

 五所川原から25分の金木は、作家の太宰治の生まれた町。生家は「斜陽館」という旅館になっている。ぼくが今晩泊まる宿は、駅から徒歩5分の金木温泉の一軒宿「金木温泉旅館」。泊まり客はぼく一人。大広間にポツンと座り、夕食を食べていると、何とはなしにわびしさを感じてしまう。

 温泉旅館は公衆温泉浴場をも兼ねているが、こちらの方はよかった。地元の人たちと一緒の湯に入っていると、駅の待合室でそれぞれの土地の言葉を聞くのと同じで、津軽弁での会話が聞こえてくる。それだけでのことで、金木が、津軽の世界が、ぐっと身近なものに感じられるようになってくるのだった。


奥羽山脈の峠上の温泉
 翌朝は、夜明けとともに「金木温泉旅館」を出発。金木の町を歩き、太宰治の生家の旅館「斜陽館」を外から眺める。そして6時58分発の一番列車、五所川原行きに乗った。五所川原から五能線、奥羽本線経由で青森に到着したのは、9時ちょうど。駅前食堂で朝食。本州の終着駅到着を祝って、一人で乾杯!

 朝っぱらのビールが腹にしみる。
 ビールを飲みおわったところで“すじこ定食”を食べた。

 青森からは9時47分発の盛岡行きに乗り、岩手県に入る。
 盛岡到着は13時50分。すぐさま13時53分発の田沢湖線の大曲行きに乗り換える。盛岡からはジグザグと何本かのルートで奥羽山脈を横断しながら南下していくのだが、田沢湖線がその“奥羽山脈横断線”の第1本目になる。

 奥羽山脈の県境の峠をトンネルで抜けて秋田県に入り、大曲へ。大曲からは、奥羽本線で横手へ。横手からは“奥羽山脈横断線”の第2本目の北上線に乗るのだ。 

 横手駅前の公衆電話で『温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら県境の峠、巣郷峠の真上にある巣郷温泉に電話したが、うれしいことに一発目の電話で「蘭寿苑」の宿泊がOKになった。今晩の宿も決まって、心豊かな気分で、17時30分発の北上行きに乗る。

 2両編成の気動車。新型車両なので、乗り心地が最高にいい。窓が広く、大きく、眺望も抜群だ。スピードが速いし、パワーもあって、ジーゼルのエンジン音も静か‥‥と、いいことずくめなのである。

 秋田県側の最後の駅、黒沢で下車。うれしいことに「蘭寿苑」のおかみさんが、乗用車でもって迎えにきてくれていた。このあたりが東北人のやさしさ。儲けにもならない一人ぽっちの客なのに‥‥。

「蘭寿苑」は木造2階建ての、新しい建物。プーンと漂う木の香がたまらない。すぐさま入った湯もいい湯で、湯船からはザーザー音をたてて湯が流れ出ている。湯量の豊富な温泉だ。おまけに、夜も昼も、1日24時間、入れるようになっている。

 湯から上がると、部屋に夕食を運んでくれた。なんと、刺し身、焼き魚、エビや山菜のてんぷら、煮物、酢の物、カニや鶏肉、野菜の入った鍋、茶碗蒸し‥‥などなど、全部で11品もの料理が出た。「蘭寿苑」の1泊2食の宿泊料金は7000円。とても7000円とは思えないような豪華な夕食に大満足。“温泉宿イコール高い”のイメージが定着してしまった昨今だが、探せばまだこのような温泉宿があちこちにあるのだ。

 翌朝は、目をさますなり、すぐに湯につかる。ぼくはこの目覚めの湯が大好き。温泉の朝湯ほど気持ちいいものもない。湯から上がったところで、朝早い時間なのにもかかわらず、宿のおかみさんには、黒沢駅まで車で送ってもらった。
 おかみさん、ほんとうにありがとう!


東鳴子温泉“駅前湯治宿”
 北上線の黒沢発7時05分の一番列車、北上行きに乗り、県境の巣郷峠を越えて岩手県に入る。峠を下ったところが「ほっとゆだ」駅。ここで途中下車。なにしろ、駅舎内に公衆温泉浴場のある駅なので、素通りすることはできない。

 入浴料120円を払って入った湯は、地元の常連客でにぎわっていた。絶好の社交場といった感じで、湯につかっていると、ポンポンと飛び交う地元ならではの話がぼくの耳に飛び込んでくる。さすがに駅舎内の温泉だけのことはあって、浴室内には信号灯がついている。列車の到着する45~30分前までは青、30~15分前までは黄、15分以内になると赤がつく。45分以上の時間があるときは無灯火だ。

 浴室内の信号が黄色から赤に変わったところで湯から上がり、売店で「岩手日報」を買い、8時36分発の北上行きに乗った。

 北上到着は9時18分。北上からは東北本線で一関へ。一関から大船渡線で太平洋岸の気仙沼に出、気仙沼線・石巻線で小牛田へ。小牛田からが“奥羽山脈横断線”の第3本目、陸羽東線になる。

 15時16分発の鳴子行きに乗り、終点の鳴子へ。
 駅周辺には、鳴子温泉の高層温泉ホテルが建ち並んでいる。温泉街を歩き、東北では数少ない延喜式の式内社になっている鳴子温泉神社に参拝。温泉地に“温泉神社”はつきものだが、東北では数の少ない延喜式内社の温泉神社があるということは、それだけで、鳴子温泉の歴史の古さを証明している。

 共同浴場「滝乃湯」に行く。すぐ近くの「高橋商店」で入浴券(150円)を買って湯に入る。常連のお年寄りたちと一緒の湯。熱めの湯と温めの湯の、2つの湯船がある。白濁した湯の色。打たせ湯もある。この「滝乃湯」は、駅前温泉の共同浴場としては最高の部類のもので、ぼくは鳴子温泉にくるたびに入っている。

 鳴子温泉の「滝乃湯」に満足したあと、鳴子からひと駅戻った東鳴子駅で下車し、東鳴子温泉の、ホームから見える駅前温泉旅館「初音」で泊まる。東鳴子温泉は大温泉地の鳴子とは違って、田園の中の温泉といった雰囲気。「初音」は湯治宿風。だが、春の彼岸も過ぎ、すでに湯治客は帰ったのだろう、宿はガランとしていた。湯治客用の炊事場も、きれいにかたづけられていた。

 さっそく、湯に入る。チョコレート色がかった茶褐色の湯の色。脱衣所は男女別々だか、中で一緒になる混浴の湯。ほかに入浴客もなく、自分一人で入る静かな湯だった。  

 夕食を終えると、今度はゆっくりと湯に入る。湯から上がると宿の近くを歩き、焼きいもを買って帰る。部屋の映りの悪いテレビを見ながらホカホカの焼きいもを食べていると、陸羽東線の最終列車が宿の窓ガラスを震わせて通り過ぎていった。

 翌日は「東北一周」の最終日。5枚つづりの“青春18きっぷ”だが、とうとう最後の5枚目の日になった。
 陸羽東線の東鳴子発7時00分の一番列車で新庄へ。新庄からは8時49分発の奥羽本線・仙山線経由の仙台行き快速「仙山6号」に乗る。山形~仙台間が“奥羽山脈横断線”4本目の仙山線。「仙山6号」はその間はノンストップだった。

 仙台からは11時13分発の常磐線、平(1994年12月1日より「いわき」に駅名を変更)行きに乗り、平到着は13時58分。だが、そのまま常磐線で東京に帰るようなカソリではない。阿武隈山地を横断する磐越東線に乗り郡山へ。郡山からは水郡線に乗り水戸へ。

 水戸到着は20時25分。いよいよ“鈍行乗り継ぎ”の最後の列車、水戸発20時45分の上野行きに乗った。8両編成の電車。土浦で4両連結され、12両編成で走り、終着駅の上野到着は22時48分だった。

 高崎線の上野発高崎行きを最初に、水戸で乗車した常磐線の平発上野行きを最後に、「東北一周」では全部で32本の列車に乗った。
 1万1300円の“青春18きっぷ”でこれだけ夢中になって楽しめるなんて‥‥。

 まるまる5日間の、時刻表だけを見ていればいいという至福の時に、ぼくは心から感謝するのだった。そして上野駅の到着ホーム、11番線で、改めて思った。
「列車旅は、“鈍行乗り継ぎ”が一番だ!」


■今回入った温泉
1・由良温泉(山形県)
2・金木温泉(青森県)
3・巣郷温泉(岩手県)
4・川尻温泉(岩手県)
5・鳴子温泉(宮城県)
6・東鳴子温泉(宮城県)

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(2)

(月刊『旅』1993年2月号 所収)

23時40分発の大垣行きに乗って
 東海道線の長距離最終、23時40分発の大垣行き列車に乗るために、東京駅の7番ホームに立った時は、胸がジーンとしてしまった。
「久しぶりだなあ…」
“鈍行乗継ぎ”をひんぱんにやっていたころは、何度もお世話になった列車だ。

 超満員でまったく空席ができず、通路でゴロ寝した時は、見ず知らずの女の子と抱き合うような格好で寝た。身動きできないので仕方なかったのだが、いまだに彼女の肌の温もりが残っているほどだ。

 かなり酔っぱらったサラリーマン風の人と同席した時のことも忘れられない。その人は静岡を過ぎたところで、突然、起き上がり、叫んだ。
「ここは、どこだー!」
「今、静岡を過ぎましたよ」
「エ? 平塚で降りるはずだったのに…」

 大垣行き以前の大阪行にも何度か乗ったことがある。電気機関車に引かれたチョコレート色の客車で、車内の暗さと座席の固さ、連結器のガシャガシャーンという音が、20年以上もの年月を越えて、鮮やかによみがえってくるのだった。

 大垣行きは23時29分の入線。11両編成の2つのドアの車両。23時40分、定刻どおりに出発したが、通路に立つ人が出るほどの混み具合。新橋、品川と停車し、深夜の東京を離れていく。

 今回の鈍行乗り継ぎ旅では、東京駅のみどりの窓口で、オーダーメードの乗車券をつくってもらった。「東京→豊橋(東海道本線)→岡谷(飯田線)→松本(中央本線)→糸魚川(大糸線)→直江津(北陸本線)→長岡(信越本線)→上野(上越・高崎線)」の切符1枚(1万2050円)を持って、鈍行列車を乗継ぎながら、3日間で沿線の温泉に1湯でも多く入ろうと思うのだ。

 ねらい目は、駅前温泉、もしくは駅から徒歩10分とか15分ぐらいの温泉。はたして何湯入れるやら、期待と不安の入り混じったような気分なのである。

 1時5分、大垣行きは小田原を発車すると快速になり、車内放送がなくなる。2時32分、静岡に着くと、かなりの乗客が降り、車内はガラガラになる。ゆったりと、足を伸ばして寝られるようになる。浜松まではノンストップ。4時15分、浜松を発車すると各駅停車となり、4時49分、豊橋に着いた。


飯田線の2つの駅前温泉
 豊橋駅でトイレ、洗面をすませ、さっぱりした気分で6時発の飯田線一番列車に乗り込む。2両編成の天竜峡行き。車内はガラガラ。定刻どおりに豊橋駅の1番ホームを発車する。するとまもなく、夜が明ける。東の空がまっ赤に燃えている。すばらしい天気で、空には一片の雲もない。

 豊川、新城、本長篠と通り、7時12分、湯谷温泉着。無人駅に降り立った乗客は、ぼく一人だ。
「さー、温泉めぐりの第1湯目だ!」
 この、温泉めぐりで入る第1湯目ほどうれしいものはない。

 さて、1200年の歴史を誇る湯谷温泉には、駅周辺に10軒あまりの温泉ホテル・旅館がある。そのほか、食堂「やまと」に併設された温泉浴場「温泉お風呂」(11時~24時。入浴料700円)、公共の温泉施設「鳳来ゆーゆーありいな」(10時~21時、入浴料600円)があるが、時間が早いので、まだ、ともにオープンしていない。そこで温泉宿を1軒1軒、聞いてまわる。
「あのー、入浴、お願いできませんか…」

 これが、けっこう辛いのだ。ケンもホロロに断られた時など、ガックリしてしまう。全部のホテル、旅館をまわったが、結局、全部で断られてしまった。が、そのくらいのことで諦めるような“温泉のカソリ”ではない。

 今までまわったホテル、旅館の中で、一番感じのいい応対をしてくれたところにねらいをつけて、再度、挑戦。駅前温泉ホテルの「グランドホテル鳳陽」に行く。フロントに、平身低頭してお願いする。鈴木博則さんという方だった。
「なんとか、入浴させていただけませんか」

 鈴木さんは、ぼくのあまりのしつこさに根負けして、
「これは、私の一存で…」
 ということで、鈴木さんの好意で、「輝陽の湯」に入浴させてもらった。それも入浴料はタダ。おまけにタオルまでつけてもらった。

 無色透明の食塩泉の湯につかり、ガラス張りの浴室ごしに宇連川の鳳来峡を見下ろしていると、第1湯目の温泉に入ることのできた喜びが、ジワジワとこみあげてくる。夜行列車に乗ってきた疲れもいっぺんに吹き飛ぶ。鈴木さん、ありがとう!

 飯田線も鳳来寺山下の湯谷温泉駅を過ぎると、急に山深くなる。このあたりの奥三河の山々にはイノシシが多いのだろう、トタン(シシ垣)で囲った山の田畑が目につく。谷は深く、トンネルが連続する。

 愛知から静岡県に入り、中部天竜、水窪を通って長野県へ。天竜川に沿って電車は走る。切り立ったV字の谷を行くのでトンネルの連続だ。

 第2湯目は、天竜峡温泉。1989年に湧き出た新しい温泉だ。ここには数軒の温泉ホテル・旅館があるが、湯谷温泉とはうってかわって、どこでも入浴させてもらえた。そのうち、駅前の「彩雲閣・天竜峡ホテル」の湯に入った。ちょうど窓の下が天竜船下りの乗り場で、湯につかりながら、船頭さんの鮮やかな棹さばきを見ることができた。

 天竜峡駅を過ぎると、山峡の風景から盆地の風景へと、大きく変わる。右手には南アルプス、左手には中央アルプス。日本アルプスの高峰の山頂周辺はすでに雪化粧をしている。抜けるような青空を背にした雪の白さがきわだっていた。

 飯田、駒ヶ根、伊那市と通り、15時16分、終点の岡谷に着いた。伊那谷(伊那盆地)から諏訪盆地へと入ったのだ。


上諏訪温泉&下諏訪温泉のハシゴ湯
 岡谷駅では、いったん改札を出て、上諏訪までの切符を買う。190円。「東京都区内発→東京都区内着」の切符から外れるルートだからだ。そのついでに岡谷駅周辺を歩いた。岡谷からは15時31分発の茅野行きに乗ったが、飯田線のあとだと、中央本線は鈍行といえども、急行か特急列車のような速さを感じるのだった。

 下諏訪を通り、15時40分、上諏訪着。温泉ハシゴ旅のはじまりだ。まずは上諏訪駅1番ホームの簡単な小屋掛けをした駅露天風呂に入る。湯の中では初老の人と一緒になったが、
「私はこの湯が好きでねェ。わざわざ“あずさ”をひと列車遅らせて、入ったんだよ」
 という。松本への出張の帰り道だそうで、この湯に入るために上諏訪で下車し、もう一本あとの“あずさ”で東京に帰るのだという。このように上諏訪駅の駅露天風呂の愛好者はきわめて多い。
 
 長湯するという“出張のサラリーマン氏”と別れ、駅を出る。次に、駅前デパートの「諏訪丸光」に入る。5階の丸光温泉へ。日本広しといえども、デパートの中に温泉があるのはここだけだろう。閉湯間際ということもあって、500円の入浴料を250円にまけてくれたが、客はぼく一人であった。

 上諏訪温泉の第3湯目は、「片倉館」(10時~19時、入浴料260円)の千人風呂だ。ところが駅から徒歩5分の「片倉館」に着くと、改装中で、休業。残念‥‥。
「まあ、仕方がないな」
 と、諏訪湖の湖畔に出る。夕暮れが迫り、小波ひとつない湖面は夕焼けに染まっている。諏訪盆地を見下ろす八ヶ岳の峰々が、紫色のシルエットになっている。

 今晩の泊まりは、下諏訪温泉だ。16時57分発の松本行きで1駅戻り、下諏訪で下車する。諏訪盆地の駅の位置関係だが、東京方面からいうと茅野→上諏訪→下諏訪→岡谷という順になる。下諏訪駅からプラプラと10分ほど歩き、諏訪大社下社の秋宮に参拝。境内の「ホテル山王閣」に泊まり、まずは湯に入る。

「ホテル山王閣」はぼくの好きな温泉宿のひとつ。宿泊料は安く、諏訪盆地を一望できる大浴場はすばらしい。夜ともなると、湯につかりながら諏訪の夜景を眺めることができる。食事も満足できるものだ。この日も、マグロの刺身とコイのアライ、コイのうま煮、てんぷら、茶碗蒸し、信州そば…と、料理の品数が多かった。

 ところで下諏訪温泉には、全部で8湯の温泉浴場がある。夕食後、8湯制覇に挑戦することにし、下諏訪案内図を広げ、・遊泉ハウス児湯→・旦過湯→・菅野温泉→・新湯→・矢木温泉→・みなみ温泉→・湖畔の湯→・富部温泉という順序で入りまくることにした。 8湯制覇の成功を諏訪大社に祈願したあと、夜の下諏訪の町を歩きはじめる。人どおりは少ない。町のネオンも少ない。店は早々とシャッターを降ろしている。

 3湯目の「菅野温泉」ぐらいまでは楽だったが、5湯目の「矢木温泉」を過ぎると湯疲れと歩き疲れでかなり辛くなってくる。7湯目の「湖畔の湯」を出るころには腰が抜けたかのように体はフニャフニャになり、歩くのも楽でない。

“湯疲れ”とはよくいったもので、心底、疲れきってしまう。体は鉛のように重くなり、心臓の動悸が激しくなり、「絶対に下諏訪温泉の共同浴場の全湯制覇をするんだ」といった意気込みも、もうどうでもよくなってくる。そんな自分を叱咤激励する。

 時間が迫っているので、湯疲れした体にムチを打って走り、ギリギリで富部温泉に飛び込み、ついに下諏訪温泉8湯制覇をなしとげた。最後の力をふりしぼって「ホテル山王閣」に戻ると、バタンキューで翌朝まで死んだように眠った。温泉のハシゴ湯は体力を激しく消耗する。でも‥‥、これがいいのだ。下諏訪温泉というものが、自分の体にしっかりと刻みこまれる。なんともいえない旅の達成感を感じるのだった。

 下諏訪温泉の温泉浴場は、どこも入浴料が150円(「湖畔の湯」は180円)。8湯全部入っても1230円。営業時間も5時30分から22時と入りやすい。なんとも安い、なんとも心に残る1230円の下諏訪温泉8湯制覇であった。


大糸線沿線の温泉ハシゴ旅
 翌朝は、5時半起床。すぐさま着換え、下諏訪駅へと、まだうす暗い道を歩く。6時05分発の松本行き一番列車に乗るころには夜が明けた。うれしいことに、今日も快晴だ。八ヶ岳と南アルプスの間の、ポコンと落ち込んだところ(国道20号の富士見峠あたり)に、富士山がクッキリと浮かび上がっている。八ヶ岳の山の端が、赤々とまるで炎のように燃えている。

 岡谷を通り、塩嶺トンネルを抜けて松本盆地に入ると、今度は北アルプスの山々が間近に迫ってくる。峰々の山頂周辺の雪が光り輝いている。気温がグッと下がったようで、あたりは一面、霜でまっ白。昇ったばかりの朝日を浴びてキラキラ光っている。

 松本からは大糸線に乗り、北アルプスの山々を眺める。松本→糸魚川間の大糸線沿線のハシゴ湯旅のはじまりだ。信濃大町で乗り換え、8時30分、信濃木崎着。ぼく一人が無人駅に降り立ち、木崎湖温泉へと歩いていく。左手に雪をたっぷりとかぶった針ノ木岳を見る。木崎湖温泉では「仁科荘」のかわいらしい湯船の湯につかった。宿の玄関前では奥さんがせっせと白菜、野沢菜を漬けていた。本格的な冬が、もう目前の木崎湖温泉だった。

 木崎湖温泉では、仁科三湖のひとつ、木崎湖まで歩いていく。湖畔のキャンプ場には人っこ一人いない。このあたりは森城跡。森城は武田信玄の越後に対する最前線基地といったところで、案内板によるとかなりの規模の城だったようだ。

 10時24分発の白馬行きに乗る。木崎湖、中綱湖、青木湖と、仁科三湖を車窓から眺めているうちに、ゆるやかな峠を越える。国道148号の佐野坂トンネルの真上を通っていくのだが、この峠は、安曇野を流れる高瀬川(松本盆地で犀川と合流し、長野盆地で千曲川と合流し、信濃川となって日本海に流れ出る)と、糸魚川で日本海に流れ出る姫川とを分ける分水嶺になっている。

 白馬からは11時発の快速南小谷行きに乗る。この列車は新宿7時発の“あずさ1号”で、信濃大町から快速になるのだが、特急列車にタダ乗りしたような得した気分を味わう。

 11時16分、南小谷着。駅前の国道148号を下里瀬温泉まで歩いていく。徒歩30分。「サンテイン・おたり」の湯に入る。ここには打たせ湯、寝湯、泡湯とある。クアハウス風の温泉施設だ。湯から上がると、徒歩15分の中土駅へと歩いた。

 中土駅からは、12時45分発の糸魚川行きに乗る。1両のジーゼルカー。それでも車内はガラガラだ。隣り駅の北小谷で下車。まずは徒歩10分の来馬温泉「風吹荘」の湯に入る。ここには食堂もあって、湯上がりにてんぷらそばを食べる。さすがに信州、手打ちそばが絶品だった。

 北小谷駅から次の平岩駅までは、国道148号を歩き、その間にある島温泉、猫鼻温泉、蒲原温泉、白馬温泉とハシゴ湯するつもりでいた。だが…。

 島温泉は国道沿いの、一軒宿の温泉。外で野沢菜を漬けている宿の奥さんに入浴を頼むと、「ごめんなさいね、湯を落としてしまって…」ということで入れなかった。猫鼻温泉も一軒宿。入浴のみの温泉施設で、宿泊はできない。国道から100メートルほどの急坂を下っていったが、なんと休業中。

 長野県から新潟県に入り、国道から200メートルほど下った蒲原温泉へ。ここも一軒宿。だが‥‥、浴槽の排水工事の最中で、またしても入れなかった。もう、ガックリ…。このように、温泉のハシゴ湯というのは、なかなか、思いどおりにはいかないものなのである。

 葛葉峠を越え、峠下の白馬温泉へ。やっと「白馬観光ホテル」の湯に入れた。白い白馬大仏の前にある温泉宿だ。北小谷から2時間以上も歩いた疲れも吹き飛び、温泉のありがたさをしみじみと実感する。

 16時30分、平岩駅到着。姫川を渡り、姫川温泉の「ホテル白馬荘」に泊まる。平岩駅は新潟県だが、徒歩3分の姫川温泉は長野県になる。さっそく露天風呂と内湯に入り、そのあとで夕食となったが、給仕してくれた若奥さんが話してくれた。

「このあたりでは、ずいぶんと雪が降りますよ。ひと晩で1メートル以上積もることも珍しくありません。雪を見たくて来られる常連のお客さまもいらっしゃいますが、雪を見たいだなんて…」
 若奥さんの口調はいかにも、「私には理解できません」といいたげであった。


ひなびた越後路の温泉、湯治宿
 鈍行乗継ぎの温泉めぐりも、あっというまに最終日。3日目は越後路の温泉だ。5時起床。朝風呂に入ったあと、5時半、宿を出る。前夜の若奥さんの話しではないが、天気が崩れ、雪がボソボソと降っている。

 雪道を歩き、6時04分発の糸魚川行き一番列車に乗った。糸魚川に着くと、雪は雨に変わった。糸魚川から直江津へ。天気がめまぐるしく変わる冬の日本海。直江津に着くと、雲の切れ目から日が射していた。

 8時、直江津から4つ目の潟町着。日本海に面した鵜ノ浜温泉に行く。徒歩7分。ここには共同浴場(11時~16時30分)があるが、まだ開いていない。そこで隣りの「グランドホテルみかく」で入浴させてもらった。塩辛い、緑色がかった湯。泉質は含重曹食塩泉。リウマチや神経痛によく効くという。

 湯から上がると、日本海の砂浜を歩く。猛烈な北西の季節風が吹きつけ、日本海は大荒れに荒れ、大波が押し寄せていた。

 9時32分、柏崎着。土砂降りの雨。ズブ濡れになって30分以上も歩き、柏崎温泉へ。だが温泉宿を聞いてまわったが、どこも入浴はさせてもらえない。濡れネズミになって、惨めな気分で柏崎駅に戻った。温泉めぐりも楽ではない。

 11時31分、柏崎から4つ目の越後広田着。降りつづく雨の中を20分ほど歩き、広田温泉へ。湯治宿の「湯元館」で入浴させてもらった。肌にツルツルする湯で、泉質はさきほどの鵜ノ浜温泉と同じ含重曹食塩泉。近郷近在からやってくるおじいさん、おばあさんたちでにぎわっていた。このあたりは、信越本線の直江津―長岡間でも一番の豪雪地帯だとのことで、温泉宿の建物や庭木の樹木は、長い冬に備えてしっかりと雪囲いされていた。

 越後広田発13時26分の長岡行きに乗り、2つ目の塚山で下車。徒歩5分の西谷温泉「中盛館」の湯に入る。ここも広田温泉と同じような湯治宿。広田温泉、西谷温泉はともにハデさはまったくなく、その土地にしみついたようなひなびた感じが漂い、ぼくの旅心をいたく刺激するのだった。

 越後路の最後の温泉は越後滝谷駅から徒歩20分の長岡かまぶろ温泉。無人駅に降り立つと、雨は雪に変わり、まるで吹雪の様相だ。横なぐりに吹きつけてくる雪のためカサもさせず、雪に降られっぱなしで長岡かまぶろ温泉まで歩いた(いや、走った)。

 入浴料700円を払い、すぐさま名物のかま風呂に入る。まわりの壁を土で塗りつけた大かまの中には、ゴザが敷いてある。木の枕をして、ゴザの上で体を横たえる蒸し風呂だ。汗が吹き出してきたところで湯船の湯につかり、また雪の中を越後滝谷駅へ戻るのだった。

 16時54分発の水上行に乗る。小千谷を過ぎると雪が多くなる。小出、浦佐、六日町と通り、越後湯沢を過ぎると、さらに雪が多くなる。それが清水トンネルを抜け、湯檜曽に下り、水上に着くころには雪は消えた!

 水上では共同浴場の湯に入った。湯谷温泉にはじまった温泉めぐりの第14湯目だ。残念ながら上越線の長岡~水上間の温泉には入れなかったが、また、次の機会に入ろう…。

 水上発19時45分発の高崎行きに乗り、途中、新前橋で上野行きに乗り換え、終着の上野到着は22時40分。乗った列車は全部で24本。使い慣れたオーダーメードの切符を改札口で出すのが、なんとも惜しい気がした。

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(3)

(月刊『旅』1994年1月号 所収)

池袋発の鈍行列車で東北へ
 1993年10月21日、東京・池袋駅。
 9時06分発の宇都宮線黒磯行き鈍行列車に乗り込んだ時は、「ヤッタネー!」という気分で、うれしさが胸にこみあげてきた。前から一度、池袋駅から東北へ、旅立ってみたいと思っていたからだ。

 池袋駅というのは、特別な意味を持っている。ぼくは西武池袋線の江古田駅近くで生まれた。その後、池袋が始発の東武東上線の常磐台駅近くに移り、西武池袋線の石神井公園駅近くで育ち、高校も西武池袋線の大泉学園駅近くの都立大泉高校だったので、小さいころからなにかというと池袋に出た。
 当時はまさか池袋から宇都宮や黒磯方面に列車が出るようになるとは夢にも思わなかった。

 11両編成の黒磯行きは通勤列車の折り返しで車内はガラガラ。後4両が宇都宮で切り離されたが、黒磯までゆったりと座ることができた。

 車窓を流れていく風景をながめながら、鈍行乗り継ぎ温泉めぐりの“3種の神器”、JTBの大型時刻表の10月号と、やはりJTBの「全国温泉案内1800湯」、「温泉宿泊情報・東日本編」のJTBトリオのページをくり返しめくるのだ。そのたびに、旅への期待感が、いやがうえにもふくらんでくる。

 今回は、福島→青森間の奥羽本線の鈍行列車を乗り継ぎながら、沿線の温泉に入りまくろうと思っているのだ。
 黒磯から福島までの東北本線は、4両編成の列車で、もとは栄光の寝台特急の車両。それだけに、何か寂しさが漂っていて、場末の飲み屋あたりで出会う厚化粧した店のママを連想させた。

 左手に那須連峰の山々をながめているうちに、栃木県から福島県に入る。関東から東北に入ったのだ。旧奥州街道の白坂宿が近い白坂駅を過ぎ、東北の玄関口、白河へと、列車はスピードを上げてスーッと下っていく。

 白河から郡山を通り、二本松駅に着くと、安達太良山がよく見える。
 吾妻連峰の山々が見えてくると福島だ。福島駅到着は14時26分。東北温泉めぐりの出発点に立った。
「さー、やるぞー!」と、福島駅のホームで叫ぶカソリ。

飯坂温泉の共同浴場めぐり
 福島から福島交通飯坂線に乗り、2両編成の電車で終点の飯坂温泉へ。料金は350円。今回の奥羽本線鈍行乗り継ぎでは、東北ワイド周遊券(2万2650円)を使ったが、この福島~飯坂温泉間の往復運賃700円が、東北ワイド周遊券以外に使った唯一の交通費になる。

 福島駅から20分ほどで飯坂温泉駅に着く。目の前が飯坂温泉の温泉街。摺上川の両側に温泉宿が建ち並んでいる。昔から鳴子温泉、秋保温泉とともに“奥州三名湯”に数えられる飯坂温泉は、芭蕉の「奥の細道」にも登場するので、駅前には芭蕉像が立っている。

 駅から歩いて2分くらいの「平野屋旅館」に飛び込みで行ったが、首尾よく部屋が取れた。内湯に入ってさっぱりしたあと、いよいよ飯坂温泉大探検の開始だ。

 まずは、天王寺温泉、穴原温泉の2湯へ。飯坂温泉の温泉街を抜け、国道399号を歩く。果樹園のまっ赤に色づいたリンゴがたわわに実っている。

 30分ほど歩くと、天王寺温泉と穴原温泉の2湯に着く。最初は摺上川右岸の一軒宿、天王寺温泉の「おきな旅館」に行ってみる。だが、入浴のみは断られた。次に対岸の穴原温泉の「吉川屋」で入浴を頼んだが、やはり断られた。

 仕方ないか…‥。
 ともに「泊まってみたいな!」と思わせる温泉宿なので、今度は泊まりで来よう。そのかわり、共同浴場「天王寺穴原湯」に入り、飯坂温泉に戻るのだった。

 飯坂温泉駅前にある案内所で飯坂温泉の案内図をもらい、共同浴場をチェックする。飯坂温泉は共同浴場が数多くあることでも知られているが、全部で9湯ある。これら9湯を総ナメにしようと思うのだ。
 共同浴場の入湯料は50円。時間は6時から22時と、きわめて入りやすい。

 売店で共通の入湯券を9枚買い、摺上川の川っぷちにある「波来湯」を第1湯目にする。熱い湯。ほかに入浴客が1人いたが、よくもまあ、入っていられるなと感心するほどの湯の熱さ。歯をくいしばり、じっと動かないようにして湯につかる。湯から上がると、体全体がゆでダコのように赤くなっていた。

 第2湯目は「切湯」。これまた熱い湯。熱い湯というのは湯疲れが激しく、2湯入っただけなのに足腰がフラつき、9湯全湯制覇への道の遠さを感じてしまうのだ。第3湯目の「仙気の湯」は木曜日が定休で入れなかったが、残念というよりも、ホッとしてしまった。

 第4湯目の「導泉の湯」を出るころにはとっぷりと日が暮れ、摺上川にかかる由緒ある十綱橋の上で冷たい風に吹かれ、体を冷ますのだ。
「平野屋旅館」にいったん戻り、夕食をすませると、共同浴場に再度、挑戦する。

 第5湯目は、飯坂温泉の中では一番よく知られている「鯖湖湯」。趣のある建物。このあたりが飯坂温泉発祥の地で、碑が建っている。やはり熱い湯。子供たちがザーザー水を流し込んでいる。これ幸いとばかりに、子供たちと一緒に入る。共同浴場では、同じようなことを大人がやると、たちまちひんしゅくを買ってしまうが、子供なら許されるのだ。

 第6湯目の「透達湯」は改装中(このあとまもなく「鯖湖湯」は閉鎖され、「透達湯」跡に新「鯖湖湯」が誕生した)で入れず、第7湯目の八幡神社近くの「八幡湯」に入った。湯から上がるとフーッと肩で大きく息をし、自販機の冷たい缶ジュースをたてつづけに2本、飲み干した。

 第8湯目の「大門の湯」は、木曜日定休で入れなかった。大門坂の高台にあるこの共同浴場からは、福島の夜景を一望する。光の海の中心には、信夫山の黒々した姿が横たわっている。目の底に残る福島の夜景だ。

 ついに最後の湯、第9湯目の「十網湯」までやってきた。ここも、熱い湯。飯坂温泉の共同浴場は、例外なしに、どこも熱い湯。飯坂の人たちには感服してしまうのだが、飛び出したくなるほど熱い湯なのに、平気な顔して入っている。

「その秘訣は何ですか?」
 と聞くと、
「慣れですよ、慣れ!」
 という答えが返ってきた。

 湯につかる前に、何杯も湯をかぶるというのも、熱い湯に入るコツのひとつのようだ。「十綱湯」を出るころには、腰が抜けたかのようで、もう、フラフラ。一歩一歩、踏みしめるように夜道を歩く。

「温泉はもうたくさん…」といった気分だったが、「平野屋旅館」に戻るとすぐさま浴衣に着替え、今度は宿の湯に入った。広々とした湯船を独り占めにし、湯船からザーザー流れ落ちる湯の音を聞きながら、思いっきり体を伸ばして湯につかった。

 つい今しがた「温泉はもうたくさん…」といっていたことなどすっかり忘れ、
「やっぱり、温泉は何度、入ってもいい!」
 と、思ってしまうのだ。湯上がりに飲む冷蔵庫のビールが、最高にうまかった。残念ながら9湯の共同浴場全部のうち3湯には入れなかったが、満足できる飯坂温泉の共同浴場めぐりだった。


共同浴場バロメーター論
 福島発7時00分の奥羽本線下りの鈍行一番列車に乗る。2両編成の新型車両の電車。福島~山形間(愛称は山形線)は、完成した山形新幹線用の標準ゲージの線路になっているので、乗り心地がよく、車内もゆったりしている。

 電車は板谷峠に向かって登っていく。天気は崩れ、雨が降り出す。福島県から山形県に入り、板谷駅を過ぎると、奥羽山脈の板谷峠の長いトンネルに入っていく。トンネルを抜け出ると、信じられない光景! 
 天気はガラリと変わり、透き通った青空が広がっていた。周囲の山々の紅葉が色鮮やかだ。

 板谷峠を越え、奥羽本線は奥州から羽州へと入っていく。列車での峠越えもおもしろい。
 板谷峠を下っていくと、その名も峠駅。名物“峠の力餅”で知られている。板谷峠の登りは急勾配なので、かつての奥羽本線鈍行はスイッチバックで峠を越えた。板谷峠をはさんだ2つの駅、板谷駅と峠駅の旧駅にもその名残が見られる。

 さらに板谷峠を下り、米沢盆地に入ると、すっぽりと霧に覆われている。福島は薄日が射す程度の曇り、板谷峠の福島側は小雨、板谷峠は晴れ、板谷峠の米沢側は濃霧と、峠を境にして天気がめまぐるしく変わった。

 米沢で山形行きの4両編成の電車に乗り換え、赤湯で下車。山形新幹線の開通に合わせ、すっかりきれいな駅に生まれ変わっている。駅舎内には「サーマル・プラザ」というインフォメーションセンターもある。駅の案内所で市内地図をもらい、「開湯900年」をキャッチフレーズにしている赤湯温泉を歩く。

 すっぽり霧に包まれた南陽市の中心、赤湯の町を歩きながら、「丹波湯」、「大湯」、「あずま湯」、「とわの湯」、「烏帽子の湯」という順序で、5つの共同浴場に入った。どこも入浴料は70円。2時間半かけて、赤湯温泉の全部の共同浴場に入ったが、ちょうど赤湯の町をぐるりとひとまわりするようなコースになるので、
「共同浴場めぐりは、町歩きの方法としても最適の方法だな!」
 と、カソリ、一人でウンウンとうなずくのだった。

 赤湯温泉の共同浴場めぐりを終えるころには、霧は晴れる。抜けるような青空。空が高い。爽やかな空気の肌ざわりに、東北の秋を感じた。

 赤湯発11時19分の快速「ざおう」に乗るつもりでいたが、東京行きの「つばさ」を見ると、「つばさに乗りたい!」という気持ちを押さえられなくなり、「このワイド周遊券でも乗れるのだから、まあ、いいか…」と、11時04分発の「つばさ113号」に乗った。

 米沢盆地から山形盆地へと、ゆるやかな峠を越える。峠周辺は一面のブドウ畑。わずか13分間であったが、次の駅、かみのやま温泉駅までの“つばさの旅”を存分に楽しんだ。

 かみのやま温泉駅で「つばさ」を降り、駅近くの中華料理店でカソリの定番メニュー、ラーメンライスで腹ごしらえをし、それをパワー源に上山温泉でも共同浴場めぐりをする。「中湯」、「新丁温泉」、「下大湯」、「湯町共同浴場」、「新湯共同浴場」、「二日町共同浴場」という順に6湯の湯に入った。入浴料は30円。つい、この前まではたったの10円で、“10円湯”で知られていた。

 ぼくは、共同浴場というのは、温泉地の格、つまり温泉番付の絶好のバロメーターだと思っている。これを「カソリの共同浴場バロメーター論」という!?

 草津温泉のように、誰もが、いつでも、それも無料で入れる共同浴場がいくつもある温泉というのは、きわめて格が高い。それ式でいうと、入浴料金が安く、営業時間が長く、外来者でも自由に入れる共同浴場の数が多い飯坂温泉、赤湯温泉、上山温泉の3湯は、奥羽本線沿いの横綱級の温泉なのである。


北国美人のほほえみ
 かみのやま温泉駅から山形へ。4両編成の電車。山形盆地の稲田の向こうに、青空を背にした蔵王の連山が、クッキリと浮かび上がっている。山形到着は14時56分。すぐさま15時06分発の新庄行きに乗り換えたが、電気機関車に引かれた4両編成の列車で、いっぺんにローカル線の雰囲気となる。

 “将棋の町”天童で下車し、駅にある「将棋資料館」(入館料300円 9~18時)を見学したあと、徒歩20分の天童温泉に行き、市営公衆温泉浴場「ふれあい荘」の湯に入った。

 天童からは、真室川行きの3両編成のディーゼルカーで東根へ。すっかり日が暮れた東根駅に着くと、『温泉宿泊情報・東日本編』を頼りに、東根温泉の「最上屋旅館」に電話を入れる。宿泊OK。このように、ぼくの宿選びは、いつものように出たとこ勝負。あらかじめ宿を決めておくことはない。

 東根温泉までの1キロほどの道のりを急ぎ足で歩く。列車以外の交通機関は、自分の足だけ、これが「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」の旅の仕方なのだ。

「最上屋旅館」の湯に入り、夕食をすませると、東根温泉の公衆温泉浴場めぐりの開始。
 第1湯目は「石の湯」。見たところはふつうの民家で、隣りの家に風呂をもらいに行くといった風情だ。男湯と女湯の境は、曇りガラス。女湯に入っている若い女性が湯船から立ち上がるたびに、彼女の体の線がガラスに映る。
胸のふくらみまで、はっきりと見えてしまう。

 なぜ、女湯に入っているのが若い女性だとわかるのかというと、玄関に若い女性向きの靴があったからだ。カソリ、そのあたりのチェックにぬかりはない。

 彼女が湯から出るまでは入っていようと、長湯を決め込む。彼女の裸身がガラスに映るたびに、目をこらしてしまう。なんとも胸の躍るひと時。彼女が湯から上がる。ぼくもそれに合わせて湯から上がる。玄関で、さもバッタリと出会ったかのように、湯上がりの彼女と顔を合わせた。

 思ったとおりの北国美人! 
 軽く会釈したが、白い肌がピンクに染まった“湯上がりの北国美人”は、
「いやーねー、あなた、私のこと見ていたでしょ」
 といった非難めいた素振りはまったく見せず、ニコッと、ほほえみ返してくれた。

 このあたりが、ほんとうにいいんだなあ…。
 東北人の心のやさしさが、そっくりそのまま顔に出ていた。
「石の湯」を出てからも、ぼくの心の中は、“湯上がりの北国美人”のほほえみのおかげで、いつまでもポカポカとあたたかかった。

 第2湯目「沖の湯」、第3湯目「オオタ湯」、第4湯目「市営厚生会館」と入り、東根温泉の公衆温泉浴場めぐりを終え、最後に「最上屋旅館」の湯に入る。湯上がりのビールを飲んでから寝たのだが、なにしろ1日の歩き疲れと湯疲れとで、布団に横になるやいなやバタンキューの爆睡状態だった。


駅から徒歩1分、横手駅前温泉
 東根発6時45分の奥羽本線下り新庄行きの鈍行一番列車に乗る。電気機関車に引かれた3両編成の列車。新庄着は7時34分。ここからが大変だ。山形県から秋田県へ、鈍行列車で県境を越えるのは、きわめて難しい。次の列車というと、11時56分なのである。

 鈍行での県境越えの難しさは、福島県から山形県に入る時もそうだった。福島発7時00分、8時30分の次は、なんと13時15分発になってしまう。さらに、秋田県から青森県に入るのも、大館発5時44分、6時38分、7時53分の次というと、13時40分なのである。

 新庄で4時間以上も待つことはできないので、仕方なく、7時50分発のL特急「こまくさ1号」(山形→秋田)で県境を越え、秋田県の湯沢まで行くことにした。

 特急列車は新庄を出ると真室川に停車し、県境周辺の山間部に入っていく。山形県最後の駅が、難解地名や難解駅名でたびたび登場する“及位”。これで“のぞき”と読む。
 渓谷沿いには一軒宿の及位温泉がある。その名前にひかれ、一度は泊まってみたいと思っている温泉なのである。

 及位駅を過ぎると、L特急「こまくさ1号」は雄勝峠のトンネルに入っていく。神室山地と丁岳山地を分ける山形・秋田県境の峠で、院内峠ともいわれる。奥羽本線と並行して走る羽州街道(国道13号)も雄勝峠をトンネルで抜ける。ピューッと鋭い気笛を響かせてトンネルを抜け、秋田県に入る。峠を下ると雄勝町の院内だ。

 阿武隈川流域の福島盆地を出発した奥羽本線だが、山形県に入り、中央分水嶺の峠、板谷峠を越えると、この雄勝峠までが最上川の世界、雄勝峠を越えると、雄物川の世界に入っていく。奥羽本線には、峠を越えるたびに変わっていく東北大河紀行のおもしろさがある。

 L特急「こまくさ1号」は雄勝川沿いの横手盆地に入り、水田地帯をひた走る。横堀(雄勝町)に停車すると、次が湯沢だ。このあたりは、奥羽本線沿線の中でも、一番の豪雪地帯として知られている。

 8時45分着の湯沢駅で降りると、駅近くの食堂で名物の稲庭うどんを食べる。細い麺。素麺に似ている。駅周辺の土産店でも、乾麺の稲庭うどんは大きなスペースを取って売られている。

 稲庭うどんは湯沢に近い稲川町稲庭でつくられる伝統的な製法のうどん。その起源は古く、江戸時代前期までさかのぼり、秋田潘の御用達で、幕府への献上物とされた輝かしい歴史を持っている。

「さー、歩くぞ!」
 気合を入れて早足に湯沢温泉へ。駅から20分ほど歩いた「サンパレスみたけ」の湯に入り、同じ道を駅に戻る。湯沢始発の2両編成のディーゼルカー、快速「おものがわ」に“すべりこみセーフ”といった感じで間に合った。

 湯沢の次は横手。横手駅前には“平成の湯”がある。平成2年12月にオープンした横手駅前温泉の「ゆうゆうプラザ」。ここでは宿泊もできる。47度の湯が毎分600リットル湧き出している本格的な温泉だ。

 魅力はなんといっても駅から近いこと。徒歩1分という、鈍行乗り継ぎで入るのには最適な温泉。「中部一周」の鈍行乗り継ぎで入った上諏訪温泉の駅前にある「丸光デパート」(丸光温泉)のようなものだ。

 さっそく湯に入る。男湯が「天人峡」、女湯が「由布院」。この名前も気に入った。天人峡は北海道、由布院は九州の名湯だ。広々とした大浴場の湯につかる。湯量が豊富で、肌がたちまちスベスベしてくる。泡風呂や打たせ湯、露天風呂もある。湯につかっていると、ピュー、ピューと入れ換え作業をしている電気機関車の汽笛が聞こえてくるところが、いかにも駅前温泉だ。
  

矢立峠越えの温泉めぐり
 横手始発の2両編成のジーゼルカーで秋田県へ。雄物川流域の水田地帯を走る。日本でも有数の穀倉地帯。この年、東北の稲作は記録的な大冷害で壊滅的な被害を受けたが、同じ東北といっても山形・秋田の日本海側は、宮城・岩手の太平洋側ほどひどくはやられなかった。

 このあたりが、奥羽山脈をはさんでの奥州と羽州の違いになる。
 太平洋側は夏の冷たい東風ヤマセの影響をモロに受けて冷夏になりやすく、日本海側はその影響をあまり受けずに気温が上がる。

 秋田から大館までは、新型車両の3両編成の電車。帰宅する高校生を乗せて超満員。高校生たちは次の土崎駅でゴソッと降り、八郎潟駅を過ぎると車内は空いた。前方に長々と横たわる白神山地の山々が見えてくると東能代。五能線の分岐する駅だ。ここを過ぎると、秋田県のもう一本の大河、米代川に沿って走る。

 大館からは弘前行きの2両編成のディーゼルカー。車内はガラガラ。大館駅を出発すると間もなく秋田・青森県境の矢立峠に向かっての登り勾配となる。列車は速度をガクッと落とす。

 15時31分、秋田県最後の駅、矢立峠下の陣場駅着。そこで降りた。下車した乗客はぼく一人。次の駅、青森県の津軽湯の沢駅までは歩いていく。歩いて矢立峠を越え、矢立峠周辺の温泉全部に入ろうと思うのだ。

 奥羽本線に並行して羽州街道(国道7号)を歩く。轟音をとどろかせて矢立峠を登り降りするトラックの風圧をまともに受けながら歩くのが辛いところだ。3分ほど歩くと下内沢温泉。ここでは大館市営「峠の家」の湯に入る。国道7号と分かれ、秋田杉の大木が空を突く山道を10分ほど歩くと一軒宿の日景温泉に着く。日景温泉にはどうしても泊まりたかったので、前夜、東根温泉から電話を入れておいたのだ。

 さっそく総ヒバ造りの大浴場に入る。青森特産のヒバの木は潮や風雨に強いので、下北や津軽の海岸地帯の民家ではよく使われている。そのことからもわかるように、温泉の湯屋や湯船の材質としてもきわめてすぐれている。

 ほのかに漂うヒバの香をかぎながら湯につかる。湯量が豊富。いかにも温泉らしい白濁色した湯が、おしげもなく湯船の木枠からあふれ出ている。露天風呂にも入る。燃えるような紅葉が、目の中に飛び込んでくる。温泉につかりながら紅葉狩りをしているようなものだ。

 湯から上がると、一人、ビールで乾杯。この日景温泉が、ぼくにとっては第500湯目の温泉になるからだ。日本中の温泉に入ってやろうと、自分の入った温泉の記録を取りはじめたのは、1975年2月のこと。

 第1湯目は広島県の湯来温泉。第100湯目は神奈川県の底倉温泉、200湯目は北海道の十勝温泉、300湯目は熊本県の山鹿温泉、400湯目は福島県の幕川温泉。温泉めぐりをはじめてから18年もかかっての500湯達成だが、ビールをキューッと飲みながら、
「さー、次の目標は1000湯だ!」
 と、日本の全湯制覇への思いを新たにするのだった。

 翌朝は、朝食を食べてから出発。国道7号を歩き、矢立峠へ。その途中で一軒宿の「矢立温泉」の湯に入る。矢立温泉は赤湯で知られている。赤湯の名前通り、赤土を溶かしたような湯の色。10人ほどの人たちが肩を寄せ合うようにして湯につかっている。秋田弁と津軽弁が入り混じって飛びかうあたりが、県境の峠の湯らしいところだ。

 天気は冬間近を思わせる時雨模様。青空が広がったと思う間もなく、黒雲が空を覆い、ザーッと雨が降ってくる。それもつかの間で、また青空が広がるといっためまぐるしさ。気まぐれな天気の峠道を歩き、秋田・青森県境の矢立峠に到着。吐く息がまっ白になるほどの寒さ。峠を吹き抜けていく冷たい風が肌に突き刺さる。

 矢立峠を青森県側に下り、相乗温泉の湯に入る。次に峠下で国道を左に折れ、30分ほど歩いた湯ノ沢温泉の「湯の沢山荘」の湯に入る。国道に戻ったところで、ラーメン屋でラーメンライスを食べ、12時ジャストに奥羽本線の津軽湯の沢駅に着いた。列車だとわずか7分の陣場駅→津軽湯の沢駅間を20時間かけて歩いたことになる。

 津軽湯の沢発の列車は14時05分。まだ、2時間5分あるので、古遠部温泉まで行くことにした。駅前は羽州街道と津軽街道の、2本の街道の合流点。そこにある復元された津軽藩の碇ヶ関の関所を大急ぎで見て、津軽街道(国道282号)を懸命になって歩く。まるで競歩のようなものだ。

 30分ほど歩き、国道からさらにダートの山道を10分ほど歩くと、一軒宿の湯治宿風「古遠部温泉」に着く。湯量豊富な石づくりの湯船にドボンと飛び込み、すぐさま着替え、来た道を引き返す。帰路ももちろん競歩的歩き方。このようなスレスレのきわどい芸当をやって14時05分の列車(1両のディーゼルカー)に間に合わせた。

 次の碇ヶ関駅で降り、碇ヶ関温泉の「大丸ホテル」の湯に入り、大鰐温泉駅へ。いよいよ、奥羽本線鈍行乗り継ぎの最後の温泉、大鰐温泉だ。飯坂温泉から数えて15湯目になる。

「沢田客舎」とか「阿保客舎」、「小林客舎」といった”客舎”(旅館よりもひとランク下の宿で、今の時代でいえば民宿か)の看板がかかる大鰐の温泉街を歩き、共同浴場めぐりをする。どこも入浴料150円。すっかり本降りになった雨に降られながら「山吹湯」、「若松会館」、「青柳会館」、「霊泉大湯」と4湯に入った。今回の奥羽本線鈍行乗り継ぎの温泉めぐりでは、最後まで共同浴場にとことん、こだわってみた。

「あー、これで終わってしまうのか…」
 そんないいようのない寂しい気持ちを胸に押し込め、大鰐温泉駅18時16分発の青森行きに乗る。2連の電気機関車に引かれた4両の客車には空席が目立つ。雨が雪に変わり、ポツンポツンと灯りの見える津軽平野がうっすらと白くなっていく。長い長い冬に入った東北を感じながら、奥羽本線の終着駅・青森へ。駅前食堂でいくら丼を食べ、20時12分発の急行「八甲田」に乗り込む。「津軽」とともにまもなく消えていく急行列車だ。

「八甲田」は定刻どおりに青森駅を出発し、20時51分に野辺地駅に着く。ここでかなりの乗客が降り、車内は空いた。窓の外を見ると月が出ている。日本海側と太平洋側では天気が違う。

 上野駅到着は翌朝の6時58分だった。



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管理人たまらず:
>・・・“及位”。これで“のぞき”と読む。
>渓谷沿いには一軒宿の及位温泉がある。その名前にひかれ、一度は泊まってみたいと思っている温泉なのである。

⇒てか、"ノゾキ温泉"は相当、やってるでしょ! "チラミ温泉"も含めたら相当数(笑)

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(4)

(月刊『旅』1994年5月号 所収)

「分割・日本一周」の旅に出発だ!
 1994年2月5日土曜日は、記念すべき日。“鈍行乗り継ぎ”で日本中をまわりはじめる第1日目になるからだ。「ヤルゾー!」とぼくは意気込んで東京駅にやってきた。これから1年間、鈍行列車を乗り継いで日本中を駆けまわり、日本中の温泉に入りまくろうと思うのだ。

 1989年には、50ccバイクを走らせて、全行程2万キロの日本一周を成しとげた(JTB刊『50ccバイク日本一周2万キロ』をお読み下さい)。

 それに対して今回は、鈍行列車を乗り継いでの、「分割・日本一周」と、自分ではそう意味づけている。何度かに分けて、九州から北海道まで鈍行列車に乗り継ぎながら、日本を一周をしようという計画なのである。

“鈍行乗り継ぎ”の「日本一周」の第1弾として、日豊本線と鹿児島本線を乗り継いで「九州一周」をしようと、九州ワイド周遊券(東京発35500円)を持って“鈍行乗り継ぎ”の定番列車、東京発23時40分の東海道本線の大垣行きに乗った。

 大垣到着は6時56分。接続している加古川行きに乗り米原で下車。そこでトイレ、洗面、朝食をすませ、姫路行きの快速に乗り換える。京都、大阪を過ぎ、神戸からは山陽本線になるが、さらに姫路で乗り換え、三原で乗り換え、岩国で乗り換え、大垣行きから数えて6本目の列車で19時27分下関に到着した。

 本州最西端駅の下関駅から、九州鉄道網起点駅の門司港駅には、どうしても関門海峡を渡って行きたかった。そこで下関駅で降り、夜道を20分ほど歩き、唐戸から20時00分発の関門連絡船に乗った。

 関門海峡の向こうには、黒々とした九州の山々が横たわっている。その麓には、海峡を縁どって門司の町灯りが帯のように延びている。海峡を行き来する船の灯り。海峡をまたぐ関門橋のイルミネーション。時間にすればわずか5分の連絡船の旅だが、海峡の夜景を十分に楽しんだ。

 関門連絡船で門司港に着くと、旅心を刺激されるとでもいうのか、いかにも九州に上陸したという気分になってくる。

 門司港駅の駅前旅館「群芳閣」に泊まる。
 宿の前には「日本のバナナの叩き売り発祥の地」碑。それは、この地と海の向こうの世界との結びつきの強さをうかがわせるものだった。

 一晩の宿を確保すると、さっそく夜の町を歩く。宿のおかみさんが「ぜひ歩いてみたらいいわ」と教えてくれたはね橋を歩いて渡る。船溜りから海峡に通じる水路にかかるはね橋は洒落ている。恋人たちのデートスポットのようで、熱々のカップルを何組も見る。

 創業明治42年と書かれた「平民食堂」という、ちょっとうす汚れた食堂に入り、夕食にする。ビールを飲みながら“洋食”のハンバーガー定食を食べる。九州に来る前に歩いたマレーシア・ペナン島のチャイナタウンの食堂を思わせる雰囲気がそこにはあった。九州第一歩の門司港で、あらためて海の向こうの世界との結びつきを強く感じ、ぼくの夢は大陸へと飛んでいくのだった。


“別府八湯”の温泉入りまくり
 翌朝は5時起床。“鈍行乗り継ぎ”の原則のひとつは、毎朝、一番列車に乗ることである。一番列車に乗ると、1日を存分に使うことができ、すごく得した気になる。これほどいい旅の方法はないと、ぼくは自画自賛しているのだ。

 門司港駅に行く。大正3年に完成したという門司港駅の駅舎は、かつてのターミナル駅の風格を今に伝えている。それをよけいに盛り上げるかのように、駅舎内に入ると「切符賣場」とか「自動券賣機」「待合所」といったひと時代前の表示が目に入る。

 改札口を通り抜けたところに、九州鉄道網の起点を示す「0哩標」が立っている。明治24年4月1日、この門司港駅(当時の門司駅)から玉名駅(当時の高瀬駅)までの間が開通したときに、それを記念して立てられた碑だという。かつての関門連絡船の通路跡も残されている門司港駅には、九州鉄道史の歴史の重さが漂っていた。

 5時31分発大分行きの4両編成の列車に乗り込む。小倉で鹿児島本線と分岐し、日豊本線に入っていく。行橋、椎田とまだ暗い。大分県に入り、中津まで来ると、うっすらと夜が明ける。糸のように細い月が、明けゆく空に残っていた。

 宇佐、日出と通り、7時52分亀川着。別府の2つ手前の駅。ここで下車し、いよいよ温泉入りまくりの開始だ。“別府八湯”と呼ばれる別府温泉郷を総ナメにするつもりなのだ。亀川駅前に立ち、大きく深呼吸し、まずは第1湯目の亀川温泉に行く。“鈍行乗り継ぎ”で入るのには絶好の駅前温泉である。

 公民館と一緒になっている共同浴場「浜田温泉」(入浴料50円)の湯に入る。趣きのある木造の建物。浴場には、熱めの湯と温めの湯の2つの湯船。2つの湯船に交互に入り、ほかに入浴客もいないので、湯船の中ではおもいっきり体を伸ばした。“温泉天国日本”に自分が生まれた喜びを実感する瞬間だ。

 亀川温泉からは、別府湾のすぐそばまで迫る山並みに入っていき、柴石温泉、鉄輪温泉、明礬温泉へと歩いていく。“鈍行列車+徒歩”の旅の仕方も、“鈍行乗り継ぎ”の原則のひとつなのである。パン屋でパンを買って歩きながら食べ、それを朝食にする。

 亀川温泉から鉄輪温泉への道筋には、点々と“別府八大地獄”があるので、それら地獄にもひとつずつ立ち寄っていく。「竜巻地獄」、「血の池地獄」を見、柴石温泉に着く。無料の共同浴場。「クワーッ」と思わず声が出てしまうほどの熱い湯。頭の芯がジーンとしてしまう。湯の中で動けずジーッとしてしまう柴石温泉だ。

 第3湯目の鉄輪温泉の高台に立つと、別府湾を一望のもとに見下ろし、きれいな曲線を描く湾の向こうに連なる国東半島の山々を眺める。温泉街のあちらこちらからは、モウモウという感じで湯けむりが立ち昇っている。“別府八湯”のなかでは、一番、“湯の町”を感じさせる光景だ。

 ここでは無料の共同浴場「熱の湯」に入ったが、もう1湯「渋の湯」が無料。そのほか「元湯」「筋湯」など、全部で11湯もの共同浴場がある。今度、別府に来るときには、鉄輪温泉に泊まり、これら11湯の共同浴場には、ぜひとも入ろうと、そう心に決めるのだった。

“別府八大地獄”の残りの6地獄は鉄輪温泉の周辺にある。それら6地獄を「白池地獄」「金竜地獄」「鬼山地獄」「かまど地獄」「山地獄」「海地獄」という順に見ていった。

 とくにすごいのは「金竜地獄」。青っぽい透明感のあふれる熱湯が湧き出ているのだが、その湧出量は1日に90万リッターにも達し、鉄輪温泉の11の共同浴場に湯を供給しているという。とてつもない大自然のエネルギー。

「鬼山地獄」も、グラグラ煮立った熱湯が、ザボーン、ザボーンとまるで荒波が海岸に押し寄せるような音をたてて噴き出していた。“別府八大地獄”ほどすごい大自然のショーは、日本中、どこを探しても見られないし、日本どころか、世界でもほかに例を見ないほどのものである。

 鉄輪温泉からほんとうは、明礬温泉まで歩いていくつもりにしていたが、距離は3キロ、往復で6キロにもなる。で、残念ながらパス。“別府八湯”の総ナメはこの時点でなくなったが、明礬温泉はまた別な機会にしよう…と気持を切り換え、来た道を亀川駅へと早足に、いや、走るようにして駆け下っていった。

 ところで明礬温泉だが、このときに入れなかったのはけっこう悔しいことで、その後、バイクでやって来たときには、もう一度“別府八湯”めぐりをし、しっかりと明礬温泉にも入った。


別府はさすがに日本一の大温泉地帯
 亀川発12時20分の列車に乗って、12時26分別府着。別府温泉の駅前温泉旅館「清水荘」に宿をとったあと、浜脇温泉、観海寺温泉、堀田温泉という順番で“別府八湯”をめぐることにする。

 東別府駅に近い海辺の温泉、浜脇温泉では、市街地再開発ですっかり新しくなった共同浴場「浜脇温泉」(入浴料60円)の湯に入る。60円という入浴料の安さのみならず、入浴時間が午前6時30分から翌日の午前1時までと、きわめて入りやすい。新しくて、きれいで、安くて、入りやすいということで、昼下がりの時間帯だったが、入浴客がけっこう多かった。熱めの湯から上がり、別府駅に向かってプラプラ歩いていった。

 別府駅から山手に向かって30分ほど歩いた観海寺温泉では共同浴場「復興泉」(入浴料100円)の湯に入る。温めの湯で、長湯できる。ところでこの「復興泉」は下の店で入浴券を買って入るのだが、入口に「無料湯ではありません」の注意書きのあるのを見ると、入浴券を買わない入浴客が多いということなのだろう。

 観海寺温泉からさらに30分ほど歩くと堀田温泉。ここには「堀田東温泉」と「堀田西温泉」2湯の共同浴場があるが、ともに外来客の入浴は禁止されている。で、「夢幻の里」に行く。別府の市街地のにぎわいがうそのような深山幽谷の地の温泉。ここでは1000円払って1時間貸し切りの、渓流のわきにある露天風呂に入った。若いカップルが何組か来ていたが、この時ばかりはぼくも連れが欲しくなった…。

 日が暮れたころに別府温泉の「清水荘」に戻る。さっそく宿の湯に入り、さんざん歩きまわった疲れをとる。30年来の、この宿の常連だという人と一緒の湯になった。

「ここはね、源泉のまんまの湯だから、とっても体にいいんだ。水でうめてもいないし、熱を加えてもいない。この温泉で流す汗が体をきれいにしてくれる。汗と一緒に、体に溜った毒素が抜け出ていくんだ。湯につかって汗をタラタラ流したら、こうやって湯を飲むことだよ」といって、“清水荘の常連サン”はのどをゴクゴク鳴らし、ヒシャク一杯の飲湯用の湯を飲み干した。

「これがまたいいんだ! 胃腸は丈夫になるし、絶対にガンにならない」
“清水荘の常連サン”は“絶対”を強調してそういったが、温泉にはガン予防の効果もあるらしい。

「清水荘」の夕食には、1泊2食6000円という宿泊料金の安さにもかかわらず、名物料理の城下カレイの刺身が出た。フグの刺し身風に薄く切ってあるが、淡白な味わいだ。城下カレイの本場は別府の隣町の日出。別府湾に面した日出藩の暘谷城沖の海底からは、大量の真水が湧き出しているとのことだが、そこに生息するマコガレイが城下カレイと呼ばれている。この湧き水のおかげで、泥くささがまったくなく、城下カレイの大きな特徴になっている、すがすがしい味わいが生み出されている。

 名物料理つきの夕食をすませたところで、別府駅周辺の共同浴場めぐりを開始する。

 第1湯目は「清水荘」に隣り合った「駅前温泉」。入浴料100円の並湯と入浴料300円の高等湯があって、何がどう違うのか好奇心にかられ、両方とも入ってみた。すると泉質は同じなのだが、高等湯のほうにはシャワーと噴射湯がついている。なるほど高等だ。だが、毎日入りに来るような人にとっては、入浴料の200円の差は大きく、並み湯は混んでいたが、高等湯はすいていた。列車の普通車とグリーン車の違いのようなものか。

 第2湯目は「海門寺温泉」(入浴料60円)。
 第3湯目は「春日温泉」(入浴料50円)。路地に面したドアをあけるとすぐに湯船なのだが、なんと女湯のドアは半開きで、中がまる見え。一瞬、ドキッとしたが、髪を洗っている2人の若い女性の裸身をすばやく目の底に焼きつけ、そして男湯に入る。男湯と女湯の境は簡単なもの。2人の女性は仲のよい友達同士で、彼女らの楽しそうな会話や湯に入ったり出たりする音がつつ抜けで聞こえてくる。別府温泉ではわずか50円でこういういい思いができるのだ。

 第4湯目は「梅園温泉」(入浴料50円)。
 第5湯目は別府温泉でも一番由緒のある「竹瓦温泉」(入浴料60円)。共同浴場には見えない豪壮な建物。「え、ほんとうに60円で入れるのかなあ」と、一瞬、入るのに躊躇してしまったほど。「竹瓦温泉」は外観だけではなく、中身の浴室も湯船も立派なものだ。さらにここには砂湯(入浴料610円)もあるが、残念ながら、その時間は終わっていた。「竹瓦温泉」の熱めの湯にくりかえして何度か入り、ゆでダコのように火照った体で「清水荘」に戻り、最後に宿の湯に入り、別府温泉郷の温泉めぐりのしめくくりとした。

 別府温泉郷は日本一の大温泉地帯。その湧出量は、毎分9万リッター。1日の湧出量といえば、1億2960リッターにもなる。そのうちの1割以上が全く利用されていないというのだから…。湯の不足に悩む温泉地にとっては、なんともうらやましいかぎりの話。日本一の別府温泉郷なだけに、共同浴場の数だけでも175湯と桁外れに多い。とてもではないが、ここでは“全湯制覇”というわけにはいかない。だが、そうとはわかっていても、いつの日か、1日で別府温泉の共同浴場に何湯入れるか、ぜひとも挑戦してみたいと思うのだ。


吉都線の2つの駅前温泉
 別府発6時11分の南宮崎行きに乗る。ホームの自販機で買ったコーンポタージュを車内で飲み、それを朝食にする。別府の3つ先の大分駅で下車し、大分市内温泉の湯に入っていきたかったが、断念…。

 なぜかといえば、大分駅で降りてしまうと、次の宮崎まで行ける鈍行列車といえば7時間後。日豊本線の鈍行列車で大分県から宮崎県に入るのは、きわめて難しい。日豊本線は鹿児島本線に比べるとはるかにローカル線で、ちょうど、中国地方の山陽本線に対する山陰本線のようなものだ。

 宮崎到着は11時19分。ここで乗り換え、椎葺弁当を買い、11時56分発西鹿児島行きの快速「錦江5号」に乗る。

 都城到着は13時00分。都城と鹿児島県の隼人の間は、吉都線、肥薩線経由で行くことにする。この間の日豊本線沿いには、温泉がまったくないからだ。13時23分発吉都線吉松行きの2両編成の気動車に乗る。ワンマンカーで、車内は学校帰りの女子高校生たちでほぼ座席は埋まっていた。

 列車は都城盆地から小林盆地に入っていく。スーッとゆるやかな曲線を描いてそそり立つ霧島連峰の峰々を左手の車窓に見る。西小林駅を過ぎると、なだらかな登り坂。名無しの峠を越え、小林盆地から加久藤盆地に入っていく。都城盆地、小林盆地は、宮崎で日向灘に流れ出る大淀川流域の盆地だが、加久藤盆地は鹿児島の川内で東シナ海に流れ出る川内川上流域の盆地になる。このゆるやかな名無し峠が、2つの世界に分けている。

 14時53分京町温泉駅着。ここで下車。小林盆地では薄日が射していたが、加久藤盆地は雨。霧島連峰の最高峰、韓国岳(1700m)は雨雲の中だった。まずは、駅前共同浴場「栗下温泉」(入浴料260円)の湯に入る。正真正銘の駅前温泉で、駅からは徒歩0分。駅舎の真ん前にある。

 湯から上がると、雨に降られながら吉田温泉に向かって歩く。学校帰りの小学生たちが「こんにちは」「さようなら」と必ず声を掛けてくれる。前方に連なる矢立高原の山並みに向かって、片道3キロの道のりを歩き、吉田温泉の共同浴場「亀の湯温泉」(入浴料260円)の湯に入った。吉田温泉は山あいのひなびた温泉地で、ここには湯治専門の宿もある。

 吉田温泉からは同じ道を歩き、京町温泉に戻った。17時40分発の列車までは、まだ時間があったので、「鶴の湯」(入浴料260円)、「ひさご湯」(入浴料260円)の2湯の共同浴場にも入った。「鶴の湯」には、地元の各地区ごとのみなさんの入浴札がかかっていたが、それが目についた。「ひさご湯」はその名のとおり、ヒョウタン形をした、タイル張りのきれいな湯船だ。京町温泉は駅前に「真砂旅館」「えびの荘」の2軒の温泉旅館があるし、駅前共同浴場もあるので、“鈍行乗り継ぎ”の立寄りの湯にも、宿泊の湯にも絶好だ。

 京町温泉駅前から『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら、吉都線の終点吉松駅に近い吉松温泉の「般若寺温泉館」に電話を入れる。だが、満員だとのことで宿泊を断られた。次に、同じ吉松温泉の「鶴丸温泉」を聞いてみる。宿泊OK。一晩の宿が確保できるとホッとする。

 さて、どんな温泉宿なのかな…‥と期待をいだいて京町温泉駅で列車に乗り、県境を越えて鹿児島県に入る。次の鶴丸駅で下車し、徒歩ゼロ分の駅前温泉旅館「鶴丸温泉」に行く。公衆温泉浴場と一緒になっている。夕暮れどきで、混んでいる。大浴場を独り占めにするのもいいが、大勢の人たちと一緒に入る湯というのも、これまたいいものだ。チョコレート色をした湯の色。湯から上がっても、体はいつまでもポカポカしている。

 湯上りのビールを飲みながら、刺身、酢のもの、和えもの、煮もの、肉料理、鍋料理…と、夕食に箸をつけていく時の幸福感といったらなかった。


塩浸温泉で秘湯、大発見!
 翌朝は、鶴丸から吉松までの1駅間を歩き、吉松発5時56分喜入行きの肥薩線一番列車に乗るつもりでいた。すると宿のおかみさんは、「吉松まで歩いたら、50分はかかりますよ」といって、車で送ってくれたのだ。

「隣り町の菱刈鉱山で金が採れるようになってからというもの、鉱山の見学に来られる外国人のお客さまが、よくウチにもお泊りになるのですよ。先日はドイツからのお客さまがグループで泊まられ、吉松駅までお送りしたら、予定していた肥薩線の列車が出たあとで、みなさんを人吉までお送りしました」
 と、日独親善に大きな貢献をはたした“鶴丸温泉のおかみさん”なのだ。

 肥薩線の一番列車は吉松始発で、隼人、西鹿児島経由の喜入行き。4両の気動車はガラガラのまま発車。6時23分到着の霧島西口で下車。ここから肥薩線の終点であり日豊本線への乗り換え駅でもある隼人まで歩くのだ。地図を見ると約20キロ。歩きながら、その間にある全部の温泉に入ろうと思う。

 まだ暗い道を歩きはじめる。ニワトリが鳴きはじめる。「コケコッコー」ではなく、ケの抜けた「ココッコー」と鳴いている。30分ほど歩き牧園町の中心に出る。そこから国道223号を南下していく。

 第1湯目は平川温泉。公衆温泉浴場(入浴料100円)に行くと、湯船に湯を入れはじめたばかり。「それでもかまわなかったらどうぞ」ということで入ったのだが、これがよかった! 湯船の中で何杯も湯をかぶり、湯船の中にある程度、湯が溜まってくると寝湯をする。かぶり湯&寝湯を楽しむ平川温泉だった。

 第2湯目は塩浸温泉。ここには「坂本龍馬・お龍新婚湯治」の碑が立っている。碑いわく、日本の新婚旅行は、ここからはじまったのだという。公衆温泉浴場の「鶴の湯」(入浴料150円)に行ったら、入浴時間は10時から17時でまだ閉っていた。10時まで待てないので、諦め、国道をふたたび歩きはじめる。200メートルほど歩いただろうか、ストンと落ちた国道左側の崖の下からモウモウと湯けむりが立ち昇っている。

「おー、ナンダ、ナンダ、これは!?」
 猛烈な興味をいだいたぼくは、命がけ(ちょっとオーバーかな)で垂直の崖を下り、竹ヤブをくぐり抜け、川岸に降りる。すると、テラス状になった岩棚の割れ目から、なんと、高温の湯がとめどもなく噴き上げているではないか!! 

 感動の光景に、しばらくみとれる。噴き出した湯は、そのまま川の中に流れ落ちていく。湯が川に流れ込むあたりでちょうどいい湯温。裸になって川の湯につかり、そこをぼくの塩浸温泉とした。すぐ近くの国道沿いの食堂で朝食にしたが、食堂のオバチャンも川岸の湯のことは知らなかった。北に林田温泉や丸尾温泉などの霧島温泉郷という華々しい大温泉郷のある牧園町にとっては、このくらいの湯では、誰も見向きもしないのだろう。東京近辺でこのような湯が湧き出したら、それこそ、大変な騒ぎになるのだが…。

 第3湯目の日ノ出温泉は「きのこの里」にある一軒宿。入浴料100円を払って、草色っぽい元湯と黒っぽい新湯の、隣り合った2つの湯船に交互に入った。

 第4湯目の新川温泉では、温泉旅館「せせらぎ荘」に行ったが、玄関には“本日休業”の看板。無理を承知で、
「すいませーん、なんとか、入浴させてもらえないでしょうか」
 と頼むと、露天風呂に、それもタダで入れさせてもらった。霧島連峰の韓国岳を水源として流れてくる天降川の渓流を目の前にながめる湯。迫力満点なのだ。

 第5湯目は安楽温泉。「佐藤旅館」(入浴料200円)の湯に入る。湯量豊富。大浴場には打たせ湯、寝湯もある。平川温泉から安楽温泉までが、牧園町になる。それにしても大変な“温泉天国”の牧園町だ。

 第6湯目は妙見温泉。ここから隼人町になる。「きらく湯」(入浴料200円)に入ったが、ここも湯量の豊富な温泉で、湯がふんだんに流れ出ている。豪快な打たせ湯にも打たれた。

 第7湯目は日当山温泉。“日当山温泉700年祭”をやっているくらいだから、相当に歴史の古い温泉だ。ここでは、公衆温泉浴場「清姫温泉」(入浴料280円)の湯に入った。大勢の人たちが車でやってくる田園の中の温泉。食堂もあり、いつものラーメン・ライスとはちょっと違って、ウドン・ライスにした。

 日当山温泉を最後に隼人の町並みに入り、大隅国の一宮の鹿児島神宮に参拝し、14時40分、隼人の駅に着く。列車だと30分の「霧島西口→隼人」間を8時間以上かけて歩いた。隼人発15時11分の西鹿児島行きに乗る。左手の車窓いっぱいに広がる錦江湾と、その向こうの噴煙を上げる桜島という鹿児島ならではの風景を楽しみながら、15時49分、日豊本線の終着駅、西鹿児島駅に到着した。九州一周の前半戦を終えたのだ。

◇◇◇
第1章で入った温泉
1、亀川温泉(大分県)
2、柴石温泉(大分県)
3、鉄輪温泉(大分県)
4、浜脇温泉(大分県)
5、観海寺温泉(大分県)
6、堀田温泉(大分県)
7、別府温泉(大分県)
8、京町温泉(宮崎県)
9、吉田温泉(宮崎県)
10、吉松温泉(鹿児島県)
11、平川温泉(鹿児島県)
12、塩浸温泉(鹿児島県)
13、日之出温泉(鹿児島県)
14、山之湯温泉(鹿児島県)
15、安楽温泉(鹿児島県)
16、妙見温泉(鹿児島県)
17、日当山温泉(鹿児島県)

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(5)

(月刊『旅』1994年6月号 所収)

“温泉都市”鹿児島
 門司港駅から日豊本線の鈍行列車に乗り継いで西鹿児島に到着すると、駅近くの「みどり旅館」に宿をとった。1泊3000円(素泊まり)という安宿だ。

 鹿児島ではまず城山に登る。鹿児島の市街地にせり出したシラス台地の先端、高さ108メートルの小山が城山だ。展望台に立つと、町の騒音が、まるで劇場の天井桟敷で聞くどよめきのように、緑濃い山肌を這い上がってくる。

 足元の、天文館、いづろ通り、朝日通りとつづく繁華街にはビルが建ち並び、その向こうの錦江湾には、桜島がどっしりと横たわっている。桜島からは、いつもどおりに、噴煙が空高く舞い上がっている。そんな城山からの展望を目の底に焼きつけたところで、鹿児島温泉の温泉めぐりを開始した。

「さー、鹿児島温泉のハシゴだ!」
 と、気合いを入れて、西鹿児島駅周辺の公衆温泉浴場めぐりを開始する。

 短時間で何湯もの温泉を“はしご湯”するときは、腹にグッと力を入れ、自分自身でほんとうにやる気にならないと、なかなかできないもの。この、気合の入れ方が足りないと、途中でいやになってしまう。

 最初は甲突川にかかる石橋の西田橋を渡ったところにある「西田温泉」。熱湯、温湯の2つの湯船につかったあと、サウナに入る。玉のような汗をドクドク流したところで、水風呂に飛び込む。このときの、心臓がキューンと縮む感じがたまらない。

 次に「霧島温泉」。
 3番目は「薬師温泉」。ここの「スーパーラジアントサウナ」はスグレもの。100度前後の高温サウナではなく、50度前後の低温サウナなのにもかかわらず、ドバドバーッと汗が吹き出してくる。高温サウナに長く入っているのには忍耐が必要だが、この低温サウナだと、忍耐はまったく必要なし。
 ここまでが鹿児島温泉の前半戦になる。

 夕食にはライスつきの鹿児島ラーメンの大盛りを食べ、後半戦では「丸善温泉」「みずほ温泉」「宝の湯温泉」「荒田温泉」「南開温泉」の5湯に入った。
 前後半戦合わせて、鹿児島温泉では8湯に入った。


九州最南端の開聞温泉
 西鹿児島駅からは、鹿児島本線で門司港駅に向かう前に、指宿枕崎線で薩摩半島の南端まで行く。一番列車の発車時刻が早いので、起床は4時30分。眠い目をこすりながら5時13分発の指宿行きに乗る。

 5両編成のジーゼルカー。列車はガラガラのまま6時22分、指宿に到着。それでも5両なのは、折り返しの列車が鹿児島への通勤・通学列車になるからだろう。

 指宿発6時35分の枕崎行きに乗り換え、山川を通り、6時51分、夜明けの日本最南端駅、西大山駅に到着。降りた乗客はぼく1人だけだ。西大山駅は田園地帯の中にポツンとある無人駅で、寂しさが漂っている。ホームの端に「北緯31度11分、日本最南端の駅」と書かれた木標が立っている。

 西大山駅を出発点にして徒歩のみで薩摩半島南端の温泉めぐりをする。
 最初は川尻温泉。西大山駅のま南にある温泉だ。畑の中の道を歩く。左手に見える大隅半島の山々から朝日が昇る。右手の開聞岳が朝日を浴びて徐々に赤く染まってくる。正面には東シナ海。目に焼きつくような夜明けの風景。薩摩富士の開聞岳は標高922メートルだが、海岸からいきなりスーッとそそり立っているので、数字以上の高さに見える。

 西大山駅から30分ほど歩くと、海辺の温泉の川尻温泉だ。
「この時間だと、まずいかな……」
 と思いつつも、一軒宿の「かいもん荘」で入浴を頼む。

 すると、フロントの若い女性は一瞬、困ったな……といった顔をしたが、ぼくの無理を聞いてくれた。入浴料は300円。ザーッ、ザーッと寄せては返す波の音を聞きながらつかる湯の気分は最高。塩分の濃い、黄土色をした湯。

 薩摩半島の最初の温泉にうまく入ることができて、意気揚々とした気分で薩摩半島最南端の長崎鼻に向かって歩いていく。天気は快晴。ほほをなでる風がやさしい。春というよりも、初夏を思わせた。

 長崎鼻への道の途中にある開聞温泉は、九州最南端の温泉。JR九州バス「開聞温泉」バス停から50メートルほど小道を入ったところに公衆温泉浴場がある。が、オープンは9時から。なんとしても九州最南端の温泉には入りたいし、かといって1時間も待てないしと困っているところに、公衆温泉浴場のオバチャンがやってきた。

 事情を話すと、
「ちょっと待っていなさいね」
 といって、すばやく男湯の掃除を終えると、湯船にドーッと湯を入れはじめる。
「さー、入りなさい」
 ありがたい。

 湯船の中で、バサバサ湯をかぶり、寝湯を楽しむ。湯は川尻温泉ほどは塩辛くない。こうして、九州最南端の湯を存分に味わった。

 この湯は、とにかく湯ざめをしないということで、湯のよさにひかれ、この地方の温泉の本場、指宿の人たちもよく入りにくるという。

 湯から出、入浴料の150円を払おうとすると、“開聞温泉のオバチャン”は、まだ湯が溜っていないから10円でいいという。10円では申し訳なさすぎるので50円玉を渡した。 お礼をいって出発しようとすると、冷たいコーヒー牛乳を飲ませてくれるし、地元で穫れたポンカンも持ってきてくれる。胸がジーンとしてしまう。

 温泉はドラマだ。温泉を切り口にして日本を歩きまわっていると、このようにいろいろな人たちに出会うことができる。温泉に入ることによって日本を知ることができるし、日本人を知ることができる。それが“温泉はしご旅”の最大の魅力なのである。

 ところで、こうして“九州本土最南端の温泉”に入ると、種子島や屋久島、トカラ列島から沖縄本島へ、さらには八重山諸島へと、さらなる南の島々にも行ってみたくなる。

 だが、そんな気持ちをグッと押さえ、
「また、次の機会だな」
 と、自分で自分にそういい聞かせるのだった。


「山川は、ウナギよ!」
 薩摩半島最南端の長崎鼻は、観光客でにぎわっていた。台湾からの観光客が多いのには驚かされた。さすがに九州、台湾が近い。

 長崎鼻からは、伏目天然砂蒸し温泉に寄って山川駅まで歩くことにする。かなりの距離になるので、早足に歩く。その途中にある浜児ヶ水温泉に立ち寄ってみる。浜児ヶ水の集落のはずれに共同浴場があるだけの温泉。だが、残念ながら入浴時間は15時30分から。湯船の湯は落としてあるので入れなかった。

 長崎鼻から1時間以上かけて歩いた山川町営の伏目天然砂蒸し温泉も、残念無念……。前日、海が大荒れに荒れ、海岸にある砂湯は波をかぶり、今日は入れないというのだ。

 冗談じゃないよ、長崎鼻から必死になって歩いてきたのに……といったぼくの不満そうな表情を見てとった職員は、特別に、ということで、同じく町営の宿泊施設「ヘルシービレッジ」の湯にタダで入れさせてくれた。チョコレート色をした塩辛い湯。それで我慢し、山川駅に向かった。

 山川駅到着は11時30分。昭和35年に枕崎線が開通するまでは、日本の最南端駅だった。

 駅近くの成川温泉の公衆温泉浴場「ますだ温泉」(入浴料200円)の湯に入る。明るく広々とした大浴場。ほかに入浴客もいないので、誰に気兼ねもなく、体を思いっきり伸ばして湯につかった。無色透明の湯だが、若干、塩味がする。湯から上がると、近くの食堂で定番メニュー、ラーメンライスの昼食にする。

 食べながら話した店のオバチャンに、
「アナタねー、山川は、ウナギよ!」
 といわれてしまった。
 鰻温泉に入らないことには、山川の温泉に入ったことにはならないというのだ。

“山川の食堂のオバチャン”の一言で、メラメラッと闘志が燃え上がり、制限時間120分で鰻温泉の往復をすることにした。といっても、往路はずっと登りがつづくのでキツイ。登山マラソンをするようなものだ。1時間かけてたどり着いた鰻温泉は、神秘的な鰻池の湖畔にある温泉。共同浴場(入浴料120円)の湯に入る。地元の人にいわせると、この湯は万病に効くとのことで、湯治に来る人が多いという。

 鰻温泉でぼくの目を引きつけたのは、民家の庭の片すみにある“スメ”。“天然蒸気カマド”といったらいいだろうか。吹き上げる蒸気を炊事に使う。サツマイモやトウモロコシを蒸したり、壺で湯をわかし、野菜をゆでたりする。見事な生活の知恵。光熱費ゼロの天然炊事道具なのである。

 鰻温泉から山川駅までの復路は下りなので楽。おまけに近道を教えてもらったので、13時59分発の列車には余裕を持って間に合った。


「西鹿児島―熊本」間の温泉めぐり
 指宿周辺の温泉はパスし、15時06分に西鹿児島に戻ってきた。
「さー、鹿児島本線だー!」
 と、15時20分発の熊本行き、3両編成の電車に乗り込む。

 鹿児島本線は、日豊本線に較べるとはるかに本数が多いので、“鈍行乗り継ぎ”での温泉のはしごはきわめてやりやすい。それと、日豊本線沿いの温泉は数が限られてしまうが、鹿児島本線沿いには点々とあるので、“温泉はしご旅”をよけいにやりやすいものにしている。

 鹿児島本線「鹿児島―熊本」間の第1湯目は、湯之元駅で下車する湯之元温泉。駅から徒歩10分ほどで温泉街。ここでは“特殊公衆温泉浴場”の看板を掲げた「だるま湯」に入った。

“特殊”なんていうからには、キレイなお姉さんが……と、一瞬そんな想像もした。

 しかし、入浴料500円でキレイなお姉さんがいるはずがないと強く打ち消し、フロントで借りたキーで、その番号の浴室に入っていく。すると、なんということはない、いくつかに仕切られた、1時間500円の貸し切り制の浴室だった。

 第2湯目は市来駅で下車する市来温泉。駅から徒歩20分、一軒宿の国民宿舎「吹上浜荘」の大浴場に入る。国民宿舎特有の設備の整った大浴場で、気分よく湯につかった。そのあとで、日本有数の砂丘がつづく吹上浜に出、夕日に染まる東シナ海を眺めた。

「あの夕日の向こうは、揚子江の河口だ」
 と思うと、胸がジーンとしてしまう。
 ぼくは、どこに行っても、さらにその向こうの世界へと、気持ちが飛んでいってしまうのだ。

 川内到着は18時02分。ここが第3湯目の川内市街地温泉。なぜ“市街地”がつくのかというと、川内駅の4つ先、西方駅から山中に入ったところに川内温泉があるからだ。

 川内駅から徒歩1分の駅前温泉ホテルの「川内ホテル」に泊まる。“鈍行乗り継ぎ”の泊まりには絶好の温泉だ。ここの公衆温泉浴場(入浴料250円。6時~23時30分。泊り客はもちろん無料)の湯に入り、ホテル直営のレストランで「さつま定食」の夕食にする。大根おろしを添えたさつま揚げと地鶏の刺身、ゴボウとコンニャクの入った牛肉の煮つけ、それと海草料理。さすがに本場のさつま揚げはひと味違う。

 これで駅前温泉「川内ホテル」の宿泊料金は5500円(1泊2食つき)。九州の温泉宿は、本州よりもかなり安くなるが、それにしても「川内ホテル」の宿泊料金は安かった。このような駅前温泉ホテルや旅館がたくさんあれば、どれだけ鈍行乗り継ぎの温泉めぐりの旅がしやすくなることか…。

 翌朝は、いつもどおりの一番列車で出発。川内発5時54分の熊本行きに乗り、阿久根で下車。駅から夜明けの道を10分ほど歩き、第4湯目の阿久根温泉では公衆温泉浴場「ふれあい温泉ぽんたん湯」に入る。営業時間は午前6時から午後10時30分までで、このような朝早くから夜遅くまでやっている公衆温泉浴場というのはありがたい。

 温泉は塩分の濃い湯。湯船には、ザボン(ブンタン)がプカプカ浮いている。そのほかにも真水を湧かした湯や露天風呂、サウナ、水風呂があって、280円の入浴料は安い。

 第5湯目は水俣駅で下車する湯ノ児温泉。ここでは勝負した。
 水俣到着は8時18分。9時57分発で水俣を発とうと思っていたので、鹿児島の鰻温泉の時と同じように走る。だが、ここもきつい。一番近い国民宿舎「水天荘」を目指したが、いったん峠に登り、そこからさらに稜線を走る。

 そのかわり、息を切らしてたどり着いた「水天荘」(入浴料300円)の大浴場はすばらしかった。展望抜群。湯につかりながら眼下に浮かぶ天草の島々を眺める。湯から上がると、すぐさま水俣駅に向かって山を駆け下り、9時57分の列車に間に合わせるのだった。

 第6湯目は湯浦駅で下車する湯浦温泉。ここは楽だ。徒歩5分と駅に近いので、町営の「温泉センター」(入浴料170円)と民営の「岩の湯」(入浴料170円)の、2つの公衆温泉浴場の湯に入った。無色透明の湯には、肌にうすい膜が張るようなぬめりがあった。

 第7湯目は日奈久駅で下車する日奈久温泉。駅から徒歩10分。鹿児島本線沿いでは最大の温泉地。ここでは、“日奈久温泉発祥の地”碑が立っている「温泉センター」(入浴料100円)に入った。湯上りに、日奈久名産のチクワを駅前の店で買い、駅の待合室でカンビールをキューッと飲みながら食べた。
「クワーッ、ウマイ!」
 と、思わずそんな言葉が出たほど。2本で140円。カソリの日奈久おすすめの味だ。

 こうして西鹿児島駅から8本の鈍行列車に乗り継ぎながら7湯の温泉に入り、熊本に着いた。水俣の湯ノ児温泉を除けば、駅で降り、温泉につかり、次の列車に乗る……と、そのくり返しができる「鹿児島―熊本」間の“温泉はしご旅”であった。


地獄温泉の混浴露天風呂
 舞台を鹿児島本線からいったん阿蘇に移す。熊本から豊肥本線に乗り換え立野へ。阿蘇の外輪山のスイッチバックで知られる立野で南阿蘇鉄道に乗り換え、阿蘇下田で下車。そこに“豪州軍団”の目木正さんと吉松久雄さんが車で迎えにきてくれていた。

“豪州軍団”というのは、1993年7月、東京・目黒の旅行社「道祖神」主催の“カソリと走ろう!”というバイクツアーで、オーストラリアの荒野を4000キロ走り抜け、大陸中央部にそびえる世界最大の一枚岩の岩山エアーズロックまで行った仲間たちなのだ。そのうちの西日本勢が、地獄温泉のキャンプ場に集まった。

 温泉旅館「清風荘」のバンガローが会場で、6畳の畳敷きになっている。メンバーはさきほどの2人のほかに、熊本市内の病院に勤務する美人看護婦の錦戸陽子さんと、鹿児島の大学生の吉川克寿さん。錦戸さんがせっせと料理の腕を振う。熊本の名物料理、団子汁もつくってくれる。ビールで乾杯。飲みながらオーストラリアの思い出話に花が咲かせた。

 さんざん飲んで騒いだあとは、全員で混浴の露天風呂「すずめの湯」に入りにいく。裸電球の灯る夜の露天風呂は風情がある。湯は粘土を溶かしたようなねずみ色をしている。入ってしまえば見えないということもあって女性の入浴客も多い。

“豪州軍団”の男どもは、錦戸さんを囲むようにして入る。彼女のすぐ隣りの特等席はカソリが独占。狭い湯船なので、時々、彼女の肌と触れてしまうが、それがたまらない。

 翌日、もう1日、阿蘇をまわるという“豪州軍団”の面々に別れを告げ、地獄温泉を歩いて下る。寂しい別れだったが、その寂しさを振り切るかのように温泉に入りまくる。

 地獄温泉からわずかに下った垂玉温泉「山口旅館」(入浴料600円)の露天風呂「滝の湯」に入る。「滝の湯」は、その名前どおりに、湯につかりながら、目の前の滝を眺められる露天風呂だ。

 垂玉温泉からは、南阿蘇鉄道の阿蘇下田城ふれあい温泉駅まで下る。そこには駅舎に温泉。阿蘇下田温泉(入浴料300円)とでもしておこう。JR北上線のほっとゆだ駅のようなもので、これからも日本各地にこのような“駅舎温泉”がどんどんできたらいいと思うし、きっと、増えていくことだろう。

 阿蘇下田駅から南阿蘇鉄道に乗る。立野方向に1駅、次の長陽で下車。国道325号を立野方向に歩き、栃木温泉の「荒牧旅館」(入浴料400円)の湯に入る。総ガラス張りの大浴場からは、阿蘇の外輪山を間近に眺める。つづいてそこから坂道を登り、栃木原温泉の「いろは館」(入浴料500円)の湯に入る。「いろは館」の湯も、「荒巻旅館」に負けず劣らずの大浴場。

 最後に長陽村営の「温泉センター・ウィナス」(入浴料400円)の湯に入った。長陽温泉とでもしておこう。大変な人気で、押すな押すなの人出。子供たちが大騒ぎをしていた。後ろ髪をひかれるような思いで阿蘇に別れを告げ、立野駅まで歩き、14時36分発の豊肥本線・熊本行き列車に乗るのだった。


さらば、温泉天国の九州よ!
 熊本到着は15時26分。すぐさま鹿児島本線に乗り換え、「熊本―博多」間の“温泉はしご旅”を開始する。
「熊本ー博多」間の第1湯目は玉名温泉。ここで1晩泊まるつもりにしていたので、16時30分に玉名駅に着くと、『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら宿に電話を入れる。だがどこも満員。何かの大会がこの町で開かれているようだ。さらに電話帳を見ながら全部で10軒以上の宿に電話したが、やはり満員なのだ。ガックリ……。
 宿はどうしても温泉にこだわりたかった。

 どこに泊まるか、決められないまま、とりあえず玉名温泉に入ろうと、徒歩20分ほどの市営公衆温泉浴場(入浴料200円)に行く。ところがここでとんでもないミスをやらかしてしまった。つい、うっかりと、女湯の方に入ってしまったのだ。

 夕暮れ時で、けっこうな数の入浴客。一番手前にいたのは、下着を脱ぎかけていた若い女性。彼女は大きく目を見開いた、ビックリしたような表情でぼくを見る。あやうく叫び声を上げられるところだった。あわてて戸を閉めたが、今、目の前で起きた出来事が、自分でも信じられなかった。

 いい訳をするつもりはないが、この市営公衆温泉浴場の「男湯」と「女湯」はともに黒い字で書かれ、のれんも似たようなものなのだ。おまけにぼくは宿を決められず、そのことで頭がいっぱいという事情というか背景があった。

 ところが、この“つい、うっかり”は、時間がたつにつれてうれしさに変わり、湯(彼女の下着姿ばかりが目にこびりつき、どのような湯だったのか、まったく思い出せない)から上がり、市営公衆温泉浴場から駅に向かって歩くころには、どうしても口もとがほころんでしまう。彼女の下着姿、ビックリした表情がくり返し目に浮かんでくる。

“玉名温泉の彼女”、ほんとうにゴメンナサイ!

 気持が明るくなると、いいことが起きるのは、間違いのない“人間の法則”。玉名駅に戻り、福岡県側の新船小屋温泉に電話すると「船小屋別荘」が宿泊OK。夕食も用意してくれるという。

 浮き浮きした気分で18時04分発の列車で玉名を出発し、熊本県から福岡県に入り、18時46分船小屋着。夜道を歩く。船小屋温泉を通り過ぎ、矢部川を渡り、駅から歩いて30分ほどで第2湯目、新船小屋温泉の「船小屋別荘」に到着。すぐさま湯に入る。湯から上がると夕食が用意されている。刺身、焼魚、酢のもの、鶏の唐掲げ、鍋もの……とボリュームたっぷり。ツクシの和えものが季節を感じさせてくれた。

 翌朝は、船小屋温泉に立ち寄っていくつもりなので、宿でゆっくり朝食を食べてから出発。第3湯目の船小屋温泉では「船小屋観光ホテル」(入浴料600円)のジャングル温泉に入った。亜熱帯樹がおい茂り、枝を広げている浴場だ。

 9時39分発の列車で船小屋を出発。久留米を過ぎ、筑後川の鉄橋を渡ると、背振山地の山々がはっきりと見えてくる。10時11分基山着。第4湯目の基山温泉は駅から徒歩10分。真言宗の法泉寺という寺の境内にある温泉で、公衆温泉浴場「基山ラジウム温泉」(入浴料300円)の湯に入った。このあたりには、温泉があんまりないこともあって、けっこうなにぎわいをみせていた。

 10時58分基山発の電車に乗り、11時06分、二日市着。第5湯目の二日市温泉では、道をはさんで向かい合っている2つの公衆温泉浴場、「博多湯」(入浴料100円)、「御前湯」(入浴料200円)の2湯に入った。「御前湯」は100円高い分だけ、広い湯船で、ゆったりした気分で湯につかることができた。

「御前湯」を出た時は、胸にぽっかりと穴が穴があいたような気分に襲われる。
「あー、終わってしまったなあ……」

 二日市温泉が「九州一周」の最後の温泉。「日豊本線篇」で17湯、この「鹿児島本線篇」で24湯と、合計41湯の温泉に入った。
 それぞれの温泉でのシーンを振り返りながら、「九州はたいへんな温泉天国だなあ」と思うのだ。

 博多で降りて博多ラーメンを食べたあと、門司港駅へ。九州にやって来た時とは逆に、関門連絡船で下関の唐戸に渡る。あっというまに九州の山並みは遠ざかり、海峡の向こう側になってしまう。
「さらば、九州よ!」
 おもいっきり心の中でそう叫ぶ。

 唐戸から下関駅まで歩き、16時40分下関始発の寝台特急「あさかぜ2号」で東京に戻るのだった。

◇◇◇
今回、入った温泉
1、鹿児島温泉(鹿児島県)
2、川尻温泉(鹿児島県)
3、開聞温泉(鹿児島県)
4、伏目温泉(鹿児島県)
5、成川温泉(鹿児島県)
6、鰻温泉(鹿児島県)
7、湯之本温泉(鹿児島県)
8、市来温泉(鹿児島県)
9、川内駅前温泉(鹿児島県)
10、阿久根温泉(鹿児島県)
11、湯ノ児温泉(熊本県)
12、湯浦温泉(熊本県)
13、日奈久温泉(熊本県)
14、地獄温泉(熊本県)
15、垂玉温泉(熊本県)
16、阿蘇下田温泉(熊本県)
17、栃木温泉(熊本県)
18、栃木原温泉(熊本県)
19、長陽温泉(熊本県)
20、玉名温泉(熊本県)
21、新船小屋温泉(福岡県)
22、船小屋温泉(福岡県)
23、基山温泉(福岡県)
24、二日市温泉(福岡県)

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(6)

(月刊『旅』1994年7月号 所収)

超満員の“大垣行き”
 “鈍行乗り継ぎ”の定番列車“大垣行き”に乗ろうと“青春18きっぷ”を手に、午前0時30分、東海道本線の小田原駅にやってきた。30分ほど待って到着した列車を見て、

「いやー、まいったなあ……」
 と、ぼくは思わず嘆きの声を上げてしまった。なんと超満員なのだ。
 春休みの最中で、なおかつ土曜日の夜の東京発ということで、よけいに混んでいるのだろう。

“大垣行き”は、静岡を過ぎても、浜松を過ぎても超満員のままで、座席には座れない。やがて、うっすらと夜が明けてくる。豊橋、名古屋を過ぎても、まだ座れない。立ちっぱなしのままで、とうとう大垣に着いてしまった。

 これには、まいった……。
 というのは、その2週間ほど前に、伊豆半島の林道をバイクで走行中、痛恨の転倒。右肩の鎖骨を折り、右足を強打してしまった。幸いなことに右足は骨折こそしなかったが、プクーッと腫れあがり、右側に湾曲し、足をズルズル引きずらなくては歩けないような状態で、立っているのも辛かった。

 そのような満身創痍の体で小田原から大垣までの6時間あまりを立ちっぱなしだったので、大垣駅のホームに降り立ったときは頭がクラクラッとしてしまった。

 接続している大垣発7時03分の加古川行きには、うまい具合に座れた。おまけに、なんともラッキーなのだが、京都・大阪・神戸の三都めぐりをするという“女子大生3人組”と一緒の席になった。

 3人とも、まだ女子高生の面影をたっぷりと残したかわらしい女性たち。そのようなめったにないチャンスだというのに、列車が動き出すと、もう目を開けていられない。「小田原→大垣」間の疲れがドーッと噴き出し、なんと、京都に着くまでコンコンと眠りつづけた。

 カソリ、一生の不覚。
 それも、“女子大生3人組”を目の前にして、ヨダレをたらしながら眠ったのだ。
 恥ずかしい‥‥。

 京都駅で一緒に降りた“女子大生3人組”には、
「どうぞ、いい旅をつづけて下さいネ」
 と、一声かけて、ぼくは山陰本線の0番線ホームに向かう。

 これから、行きは山陰本線、帰りは山陽本線でぐるりと中国地方を一周するのだ。
「九州一周」にひきつづいての「中国一周」。「分割・日本一周」の第2弾目といったところなのである。


城崎温泉の共同浴場「地蔵湯」
 山陰本線の京都発9時38分の園部行きに乗ると、次の丹波口駅で、行き違い電車の待ち合わせになる。山陰本線は、最初から単線。このローカル線ぽくて、不便なところが、山陰本線の魅力にもなっている。

「京都→園部」間は電化区間で、嵯峨野線の愛称がついているが、園部から先はジーゼルになる。福知山で乗り換え、京都府から兵庫県に入る。

 豊岡で乗り換え、14時18分、城崎着。山陰本線の沿線では最大の温泉地、城崎温泉に行く。1400年の歴史を誇る日本でも屈指の名湯だ。駅から5分も歩けば、共同浴場の「地蔵湯」(入浴料300円)に着く。城崎温泉には全部で6つの共同浴場(入浴料はどこも300円)があるが「地蔵湯」を最初として、それら6湯を“はしご湯”してまわろうと思うのだ。

 城崎温泉では、昔から、外湯めぐりが盛んにおこなわれていた。温泉宿(内湯を持たない宿が多かったし、今でもそのような宿が何軒もある。そのため温泉街は、外湯を中心にして発展した)に泊まり、共同浴場の湯にひとつずつ入っていくのが外湯めぐりである。今でもその影響は色濃く残り、宿の浴衣を着て共同浴場にやってくる人たちの姿をよく見かける。

 これは前にもふれたことだが、ぼくは共同浴場めぐりが大好きなのだ。温泉宿に泊まっても、共同浴場のあるような温泉地だと、宿の湯に入ったあとで共同浴場の湯に入りにいく。共同浴場が何湯もあるような温泉地だと、全湯に入ってみたくなるのである。

 城崎温泉の外湯めぐりをするとはいったものの、「地蔵湯」で、かなり緊張していた。というのは、骨折から17日目で、病院の先生からは温泉に入ってもいいといった許可をもらっていないし、痛みも、まだかなりのものだ。脱衣所では、右手を使えないので、左手一本で服を脱ぎ、肩を固定している“鎖骨バンド”をおそるおそるはずした。そして浴室に入り、大浴場の湯につかる。

 衝撃的な痛み。
 ガーンと、ハンマーで頭を一撃されたようなもの。
 思わず「ギャー!」と、叫び声を上げるところだった。湯船から上がると、洗い場のかたすみで、しばらくうずくまってしまった。

 ところで、栃木県の川俣温泉では、地元の猟師さんと一緒の湯に入ったことがある。そのときの猟師さんの言葉が、今でも忘れられない。
「わしら猟師は、山で怪我をするとすぐに、温泉に入る。そうすると、傷の治りかたが全然、違うのだ」
 ぼくは実際に、そのような経験をしたことがある。

 帝釈山脈の安ヶ森林道をバイクで走行中に転倒し、膝をかなり切ったときのことである。峠を下り、湯西川温泉の共同浴場のコンコンと湧き出ている湯で傷口をよく洗い、我慢して湯につかったが、そのあとの傷の治り具合は信じられないくらいに早かった。温泉の湯を使っての応急処置がよかったのだ。

 また、那須連峰の大川林道をバイクで走行中にも、やはり転倒。歩けなくなるくらいに足を強打したが、近くの板室温泉の湯で痛めた足をさすると、なんとか歩けるようになったのだ。温泉には、このようなミラクルを実現させる速効性もある。

 それともうひとつ、甲州各地にある“信玄の隠し湯”を代表として、日本各地には、戦国の武将たちが傷ついた将兵を湯治させたという伝説の温泉がいくつもある。ぼくは“武将たちの隠し湯”にも興味をもって入っている。

 このような猟師さんの話、自分自身の体験、さらには“隠し湯伝説”あたりをよりどころとして、ちょうどいい機会だから、自分の体を実験台にして温泉の効能を確かめてやろう、骨折した右肩をはじめとして、打撲した右腰、右膝、右足を治してやろうと、今回、旅立ったのだ。

 しかし、あまりの痛みに「地蔵湯」でうずくまっていると、弱気になってしまう。
「あー、やっぱり、無理だったのかなあ……」

 嵐のような痛みが過ぎ去ると、鉛のように重い体をむりやりに引きずって、次の「柳湯」に行く。円山川の支流沿いに城崎温泉の温泉街は細長く延びているが、その中に点々と共同浴場があり、「柳湯」でも激痛に打ちのめされて湯につかった。

 ところが不思議なことに、「一の湯」「御所の湯」「まんだら湯」と共同浴場にひとつ入るごとに、ハンマーで殴られるような痛みはすこしずつ弱まり、湯の中で肩や腰、膝、足をさすれるような余裕が生まれてくる。

 最後の「鴻の湯」では、一番最初の「地蔵湯」のときとは比べものにならないくらいに痛みが薄らいでいた。


カニ、カニ、カニ!
 城崎温泉の外湯めぐりを終え、城崎駅に戻ると、駅前から香住町温泉の温泉民宿に電話をかけまくる。松葉ガニで有名な香住町温泉に今晩、泊まろうと思っているのだ。

 10軒目くらいの電話で、柴山温泉の「たかはしや」が宿泊OK!
「これからすぐに行きますから」
 といって、城崎発17時20分の鳥取行きに乗る。香住町温泉というのは山陰本線の佐津、柴山、香住、餘部の4駅周辺にある香住町内の温泉の総称で、30軒ほどの温泉民宿がある。

 城崎を出発し、次の竹野駅を過ぎると、右手の車窓には日本海の風景が開けてくる。
 列車は山陰海岸国立公園を行く。山々は断崖となって海に落ち込み、小さな入江の海の色は、あくまでも青い。このあたりは、山陰本線の一番の絶景といっていい。

 17時42分、柴山着。駅の周辺が柴山温泉で、何軒かの温泉民宿がある。夕暮れの海辺を歩き、柴山漁港まで行ってみる。この柴山漁港と隣の香住漁港、円山川河口の津居山漁港が、但馬(兵庫県北部)の松葉ガニ漁の中心になっている。漁期は11月中旬から3月末まで。今晩の宿の「たかはしや」では、松葉ガニを食べさせてもらえることになっているのだ。

「さあ、カニだ、カニだ!」
 と、喜び勇んで、温泉民宿の「たかはしや」に行く。湯から上がると、部屋の食膳には“カニスキ”が用意されている。“カニスキ”とは、カニ鍋のことである。大皿には、野菜類やしらたきなどと一緒に、松葉ガニがまるごと1匹、ドーンとのっている。大鍋では湯がグラグラ沸いている。

 山陰の松葉ガニは、越前海岸では越前ガニと名前を変えるが、ともにズワイガニのことで、冬の日本海には欠かせない味覚。その日本海の味覚の代表選手に間に合ったのだ。

 さっそくカニ三昧を開始する。びっしりと肉の入った脚をさっとゆで、三杯酢につけて食べる。次に、生で食べる。さらに、宿のおかみさんに頼んで、焼いてもらう。ゆでてもよし、生でもよし、焼いてもよしの松葉ガニだ。脚を食べ終わると、甲羅をゆでて貪るようにして食べ、最後に、鍋の中にご飯を入れてカニ雑炊にする。汁にはたっぷりとカニのうま味がしみ込んでいるので、ことのほか美味だった。


“ハワイ”温泉でトロピカル気分
 翌朝は5時59分発の一番列車で柴山を出発。兵庫県から鳥取県に入り、7時25分鳥取着。ここでは鳥取温泉の湯に入った。

 池田氏32万石の城下町の鳥取はあまり知られていないが、鹿児島同様、県庁所在地の温泉町なのである。駅の近くには、温泉にちなんだ末広温泉町や、永楽温泉町、吉方温泉町といった町名がある。そのうちの末広温泉町にある公衆温泉浴場「日乃丸温泉」(入浴料250円)に行く。駅から徒歩3分。地元の常連のみなさんたちと一緒に、朝風呂を楽しんだ。

 この朝一番で入る温泉というのは、まさに快楽の極致といったところで、最高に気持ちがいい。ここにはもう2つ、「元湯温泉」と「木島温泉」という公衆温泉浴場があるが、この時間帯からやっているのは「日乃丸温泉」だけである。

 鳥取温泉の次は、鳥取駅から4つ目の浜村駅で下車する浜村温泉。ここには2軒の共同浴場があるが、ともに午後からなので、駅から徒歩5分の温泉旅館「たばこや対翠閣」(入浴料500円)の露天風呂に入る。山陰本線の線路わきの露天風呂で、湯につかりながら、通り過ぎていく列車の音を聞く。その音が“駅前温泉”を強く感じさせた。

 浜村駅の3つ先、松崎駅で下車する東郷温泉も、浜村温泉と同じように“駅前温泉”である。この“駅前温泉”というのは“鈍行乗り継ぎ”で入る温泉としては最高。それに何よりも、“駅前温泉”という言葉の響きがいいではないか。

 ここでは温泉旅館「谷水」(入浴料500円)の大浴場“羽衣岩の湯”に入ったが、信じられないような出来事がおこった。

 時間は昼前。脱衣所の脱衣篭にはほかの人の衣服は見られなかったので、自分一人で湯を独占できるゾと、ホクホク気分でガラッと大浴場の戸を開けた。すると、なんと20代半ばぐらいの若い女性が、一人で湯に入っているではないか……。
 ここは入口こそ男女別々だが、中で一緒になる混浴の湯だった。

 彼女はびっくりしたような大きな目でぼくを見たが、湯船から上がると、ぼくなど目に入らないかのように洗い場で体を洗いはじめる。たんねんに、まるで宝石を磨き上げるかのようにして洗う。胸の小さめの女性だが、腰から下は、“カモシカのような”の形容ぴったりで、スラッとした脚がのびている。

 ぼくは息をころして、音をたてずにジッと湯につかっている。
のぼせながらも、湯の中から、チラッチラッと彼女の裸身に視線を送る。
まっ白な彼女の裸身が目の底にこびりつき、白日夢でも見ているような錯覚にとらわれるのだった。


 東郷温泉は、東郷池に面した温泉だが、対岸には羽合温泉が見える。わけない距離のように見えるので、痛む足を引きずって歩いていく。が、実際には6キロ近くもあり、1時間半かかってやっと羽合温泉にたどり着いた。

“羽合“と“ハワイ”の語呂合わせですっかり有名になった羽合温泉だが、ここには絶好の立ち寄りの湯「ハワイゆ~たうん」(入浴料300円)がある。ガラス張りの明るい大浴場の湯には、トロピカル気分でゆったりと入ることができた。羽合温泉からの帰りは、15時20分発の東郷池の渡船(1日3便。料金280円)で東郷温泉に戻った。

 東郷温泉から『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら、日吉津温泉の一軒宿、国民宿舎の「うなばら荘」に電話を入れる。宿泊OK! 料金が安くて、設備がよくて、料理もまあまあの国民宿舎は人気の宿だが、平日だと、このように飛び込み同然で泊まれることもある。

 松崎発15時32分の米子行きに乗り、次の倉吉駅をすぎると、左手の車窓には蒜山の山々が見えてくる。中国地方の最高峰、大山(1711m)も見えてくる。16時27分伯耆大山駅着。ホームに立って眺める“伯耆富士”の大山は、傾いた西日を浴びて、残雪が茜色に染まっている。

 駅から日本海に向かって1時間ほど歩くと日吉津温泉。夕焼けに燃える日本海の砂浜を裸足になって歩く。城崎温泉と並ぶ山陰の大温泉地、皆生温泉の高層温泉ホテル群が前方にみえる。

「さー、温泉だ!」
 と、「うなばら荘」に到着すると、さっそく日本海を一望する大浴場の湯につかる。
 塩分の濃い湯だ。湯につかりながら眺める夕焼けは心にしみた。

 夕食を終えると、夜道をプラプラ歩いて皆生温泉まで行き、「皆生温泉浴場」(入浴料250円)の湯につかる。大きな温泉浴場だが、駐車場は車で埋まり、けっこう混んでいた。皆生温泉でただ1軒の共同浴場だからであろう。


“お湯かけ地蔵”が、ぼくの松江温泉
 伯耆大山発5時47分の一番列車に間に合わせるため、翌朝は4時に起き、4時半に「うなばら荘」を出発。一番列車は大阪発出雲市行きの寝台急行「だいせん」で、倉吉―出雲市間が普通列車(快速)になるのだ。

“青春18きっぷ”で急行列車に、それも寝台急行にのることができて、何かすごく得したような気分になる。次の米子駅を過ぎると、列車は鳥取県から島根県に入った。

 松江到着は6時37分。出雲路の温泉めぐりの開始だ。
 第1湯目は松江温泉。松江駅で下車し、宍道湖の名産ヤマトシジミがたっぷりと入っている駅弁の“もぐり寿し”を食べ、松江温泉まで歩いていく。

 宍道湖から中海に流れる大橋川を松江大橋で渡ったが、橋の周辺には何隻もの船が出てヤマトシジミをとっている。まさに松江の風物詩。30分ほど歩くと、一畑電鉄のターミナル駅の松江温泉駅に着く。そこから先が松江温泉。宍道湖の湖畔に高級温泉ホテルが建ち並んでいる。

 松江温泉では1軒1軒聞いてまわったが、入浴のみはすべて断られた。
「島根社会保険センター」には入れるというので行ってみたが、10時から……。
 温泉街の一番奥に“お湯かけ地蔵”がまつられている。そこには熱い湯が湧いている。その湯で顔を洗い、湯に浸したタオルで体を拭き、ぼくにとっての松江温泉とした。

(このように入れなかった温泉というのはチクチクと心にひっかかるもので、バイクに乗れるようになるとすぐに、山陰を走った。そのときには、しっかりと松江温泉の「島根社会保険センター」の湯に入った。建物の4階にある展望大浴場で、真下に宍道湖を眺める眺望抜群の温泉だ。入浴料も300円と高くはなかった)。

 第2湯目は玉造温泉。松江駅の2つ先、玉造温泉駅で降りる。桜並木の玉湯川の土手を15分ほど歩くと温泉街に着く。開湯1300年という歴史を誇る玉造温泉だが、ここでも湯に入るのは難しい。1軒、共同浴場があるが、午後から……。何軒かの温泉旅館を聞いてまわり、やっと「新寿館」(入浴料1000円)の湯に入れた。湯から上がると、茶菓子が用意されていた。

 第3湯目は、玉造温泉駅から3つ先、荘原駅で降り、5分ほど歩いたところにある湯ノ川温泉。田園の中にある温泉だ。駅から近い順に「松園」、「はらだ荘」と温泉旅館を聞いてまわり、3軒目の「内田荘別館」(入浴料500円)のジャングル浴場に入れた。やわらかなビロードのような感触の湯で、やさしく肌にまとわりついてくる。

 湯ノ川温泉は、出雲神話の美人伝説にも登場するような歴史の古い温泉だが、和歌山県の龍神温泉、群馬県の川中温泉とともに、“日本3大美人の湯”に数えられている。龍神温泉には何度か入ったが、川中温泉はまだなので、今度、吾妻線に乗るときは、ぜひとも川中温泉の湯には入ろうと、心に決めるのだった。

 山陰本線も、出雲市駅を過ぎると、列車の本数がグッと少なくなる。出雲路の温泉めぐりを終え、同じ島根県でも出雲から石見に入り、仁万駅で下車する湯迫温泉に行く。

 駅から徒歩30分の一軒宿「湯迫温泉旅館」(入浴料250円)の湯に入る。山あいの温泉宿のこじんまりとした湯船だ。

 夕暮れが迫るころに、温泉津駅に到着。歴史の古さを感じさせる町並み。江戸時代には、石見銀山の積み出し港としてさかえた港町でもある。駅から徒歩20分の温泉津温泉へ。 昔ながらの温泉街のただなかにある「長命館」という古びた木造3階建ての宿に泊まる。外湯の共同浴場に入るというスタイルも昔ながらのもの。温泉津温泉にやって来ると、時間の流れが止まってしまったかのような心の安らぎをおぼえるのだった。


温泉でよみがえった!
 温泉津駅を5時48分に発車する一番列車に乗って浜田へ。浜田で乗り換え、さらに益田で乗り換え、島根県から山口県に向かう。

 益田始発の列車は、1両の気動車。車内はガラガラで、数人の行商のオバチャンたちが乗っているだけ。そのオバチャンたちも島根県内の駅で降り、山口県に入ったのはぼく一人だった。

 列車は日本海に沿って走る。北長門海岸国定公園の美しい海岸の風景が、右手の車窓いっぱいに広がる。山口県内の各駅では、ポツリポツリと乗る人がいて、1両の気動車はやがて満員になる。そして萩の玄関口の東萩駅で乗客はゴソッと降りた。

 長門市駅着9時49分。下関行きの、これまた1両の気動車に乗り換え、次の黄波戸で下車。長門路の温泉めぐりの開始だ。

 徒歩10分の黄波戸温泉へ。漁港前の「龍宮荘」(入浴料500円)の湯に入る。浴室のガラス越しに青海島を眺める。

 次に、黄波戸の2つ先、人丸で下車し、油谷湾温泉へ。50分ほど歩き、「ホテル揚貴館」(入浴料800円)の展望大浴場の湯に入る。油谷湾を一望できる絶景の湯だ。

 油谷湾温泉からは、30分ほど歩き、伊上駅に出た。無人駅の伊上の待合室では、オバアチャンと孫の幼稚園児のような男の子が,列車を待っていた。2人の会話がおもしろい。「オバアチャン、ぼくねー、今夜、Jリーグのテレビを見るんだ。清水エスパルスの沢登が大好きなんだ」

 オバアチャンの、清水エスパルスって何だい? 沢登って何だい? といったキョトンとした表情がなんともユーモラスだった。

 14時02分発の列車に乗る。伊上の3つ先の駅が、山陰本線の難解駅名ナンバーワンの特牛。これで“こっとい”と読む。特牛の次の滝部で下車し、滝部温泉へ。一軒宿「滝部温泉」(入浴料800円)の大浴場と露天風呂に入る。あいにくと雨が降り出す。頭の上にタオルをのせ、雨に打たれながらの露天風呂になった。

 15時58分川棚温泉駅着。春の嵐のような天気になる。傘もさせず、ずぶ濡れになって30分ほど歩き、川棚温泉に着く。

 城崎温泉から数えて17湯目の川棚温泉では、「川棚観光ホテル」に泊まった。さっそく大浴場に入ったが、湯につかりながらホッとした気分を味わった。城崎温泉では不安いっぱいだった右肩鎖骨の骨折の痛みはほとんどなくなり、右足の腫れも引いてかなりふつうに歩けるようになっていた。身をもって温泉の効能を証明したのだ。

 湯から上がると、部屋に用意された豪華な夕食を目の前にし、ビールで乾杯!
骨折後、初めて飲むビールは、腹わたにキューッとしみた。

 ビールを飲みながら、ぼくはうれしかった。自分自身との戦いに勝ったなと思った。
 体を悪くすると、どうしても気弱になってしまうが、
「こんな体では、温泉めぐりは無理だよ‥‥」
 と、山陰本線の車中では何度、旅を断念し、東京に戻ろうとしたことか‥‥。
 途中で断念しないで、ほんとうによかった。

 川棚温泉では、あらためて人間は“気”の生き物であることを強く思い知らされた。
 病気などはまさに“気の病”で、気が弱くなり、気がボロボロになったところで、病につけこまれてしまう。怪我だって、まったく同じこと。気が弱くなると、それだけ治り方が遅くなってしまう。ぼくは川棚温泉の湯につかりながら、温泉のすさまじいまでの効能を知るのと同時に、人間の“気”と“体”の関係についても考えてみるのだった。

 翌朝、川棚温泉駅5時36分発の一番列車で下関へ。山陰本線の終点、下関駅到着は6時14分。京都から677キロ、本州の最西端駅に着いたのだ。
 骨折の辛さを乗り越えての到着なだけに、下関がひときわ感動的だった。

◇◇◇
今回入った温泉
1、城崎温泉(兵庫県)
2、香住町温泉(兵庫県)
3、鳥取温泉(鳥取県)
4、浜村温泉(鳥取県)
5、東郷温泉(鳥取県)
6、羽合温泉(鳥取県)
7、日吉津温泉(鳥取県)
8、皆生温泉(鳥取県)
9、松江温泉(島根県)
10、玉造温泉(島根県)
11、湯ノ川温泉(島根県)
12、湯迫温泉(島根県)
13、温泉津温泉(島根県)
14、黄波戸温泉(山口県)
15、湯谷湾温泉(山口県)
16、滝部温泉(山口県)
17、川棚温泉(山口県)

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(7)

(月刊『旅』1994年8月号 所収)

本州最西端の下関が出発点
 京都駅を出発し、山陰本線の鈍行列車を乗り継いで5日目の早朝、下関駅に到着。本州最西端のターミナル駅に降り立って、ぼくの胸は踊る。下関駅は大陸への夢を限りなくかきたててくれるからだ。

 ぼくは現在までに、全部で世界の123ヵ国に足を踏み入れているが、初めての異国の地は韓国の釜山で、1968年のこと。まだ、朝鮮戦争の余燼が残っているかのような、騒然とした釜山の町だった。

 その後、韓国には何度か行ったが、東京から下関まで列車で行き、下関から関釜フェリーに乗って釜山に渡るというのが決まったパターンになっていた。釜山の町は、韓国の経済成長に合わせ、行くたびに発展していた。このように下関駅というのは、ぼくにとっては大陸への玄関口なのである。

 1時間半ほどかけて、下関駅の周辺を歩く。
 駅前から東へ。唐戸方向へ数百メートル歩き、細江町の交差点まで行ってみる。角にはすっかり新しくなった下関警察署がある。旧下関駅は、このあたりにあった。現在の門司港駅を上回るような、立派な駅舎だったという。

 旧下関駅は、1942年(昭和17年)に関門海底トンネルが完成するまでは、まさに本州の終着駅であった。と同時に、駅に接続する鉄道桟橋からは、関門連絡船が関門海峡対岸の門司へ、関釜連絡船が朝鮮海峡を越えて釜山へと出ていた。
 下関は2つの海峡の町なのだ。

 下関の鉄道桟橋は、1901年(明治34年)5月の関門航路、1905年(同38年)9月の関釜航路開設に伴ってつくられたものだが、1914年(大正3年)7月には長さが562メートルの本格的な岸壁が完成した。その当時の時刻表を見ると、関門連絡船が1日26便、関釜連絡船が1日2便出ていた。

 その後、関釜航路は隆盛の一途をたどり、1936年(昭和11年)には、当時の最優秀船として海運界の注目を集めた7000トン級の金剛丸が就航し、1942年(昭和17年)には8000トン級の天山丸、さらに1943年(昭和18年)には同じく8000トン級の崑崙丸が就航した。

 この「天山」、「崑崙」の船名がいいではないか。
 中央アジアへの限りない夢をいつも胸に抱いているぼくにとって「天山」、「崑崙」は、胸にジーンと響いてくる船名なのである。

 当時、下関がいかに重要であったかは、戦前に計画された“弾丸列車計画”からも、うかがい知ることができる。

 それは、時速200キロの弾丸列車が東京―下関間を9時間で結ぶというもので、1940年(昭和15年)に着工、15年後に完成するはずであった。しかし、戦争の暗い影にはばまれ、東京―下関間の弾丸列車は幻のままで終わってしまった。

 さらに関釜航路も、太平洋戦争が激しくなるとアメリカ軍の攻撃をひんぱんに受け、旧国鉄の海の女王たちは次々に沈没したり座礁して消えていった。

 崑崙丸などは潜水艦の魚雷攻撃を受けて一瞬のうちに沈没。600人近い死者を出した(その慰霊碑が、関門海峡を見下ろす日和山公園に建っている)。
 1945年(昭和20年)8月の終戦とともに、関釜連絡船は40年の歴史にピリオドを打った。

 関門海峡を目の前にする旧鉄道桟橋跡に立つと、無性に、下関から朝鮮半島に渡りたくなる。
「釜山から列車で、朝鮮半島を北上するんだ。38度線を越え、鴨緑江を渡り、中国に入って……、そしてユーラシア大陸を横断するんだ。ゴールは、イギリスロンドンのビクトリア駅がいいな」
 などと、夢をみるのだった。


山陽本線は温泉不毛地帯
 山陽本線の“温泉はしご旅”の開始だ。
 下関駅の9番ホームから、7時44分発小郡行きの鈍行列車に乗る。新田原(日豊本線)始発の4両編成の電車。車内は通勤客でほぼ満員。さすがに山陽本線だけあって、ローカル線そのものといった山陰本線とは違う。乗客はどことなくよそよそしいし、列車のスピードもグーッと速くなる。

 ところで、鈍行列車を乗り継ぎ、温泉を“はしご湯”しながら「日本一周」をすることになったとき、『旅』編集長の秋田守さんにはすかさずいわれた。
「カソリさん、山陽本線はどうします?」

 さすが『旅』編集長、じつによくわかっていらっしゃる。
 そうなのだ、山陽本線沿線には、ほとんどといっていいくらいに温泉はない。

 そこで今回は、山陽本線をメインルートにし、臨機応変に支線に入っていくつもり。
 山陰本線沿線はまさに温泉天国だったが、山陽本線沿線になると、日本でもきわめつけの温泉不毛地帯。このように山陽と山陰は、なにかにつけて違うのである。
 小野田、宇部と通り、8時28分、厚東着。山陽本線“温泉はしご旅”の第1湯目、持世寺温泉への下車駅だ。

 この第1湯目というのは、心が騒ぐものだ。
「いったい、どんな温泉なのだろう……」
「はたして、うまく入浴させてもらえるのだろうか……」
 と、期待と不安が入り交じり心が落ち着かない。

 あいにくの天気で、雨が降っている。ホームの端に立つと、秋芳台から流れてくる厚東川の対岸に、温泉宿が見えている。ところが道は大回りしているので、歩くと30分以上もかかった。

 持世寺温泉には「上の湯」、「菊泉」と、2軒の温泉宿があるが、その手前に公衆温泉浴場(入浴料400円)もある。
 助かった!
 
 熱い湯、冷泉の、2つの湯船。第1湯目で、なおかつ、数少ない山陽本線の温泉ということもあって、いつくしむような気持ちで熱い湯、冷泉と、2つの湯船に交互に入った。こうして第1湯目に入ることができて、ほんとうにありがたいなと思うのだった。

 持世寺温泉の湯は、高濃度の放射能泉。体によく効くというので、湯治を兼ねてやってくる常連客が多い。湯船の中では、そんな常連客の1人と話したが、
「とくにこの冷泉がいいんだ。万病に効くよ」
 と、自信たっぷりの顔つきでいう。

 ぼくは温泉の、理屈や科学的根拠などでは説明できない、この体験的世界が好きなのだ。人間にとっては、自分自身の体で得た体験というものが一番。科学はしょせん、その後追いでしかない。科学が人間の体験で得た、得られたものを上回ることはありえないと断言しておこう。


歩いて、歩いて、また歩いて…
 山陽本線で厚東から小郡まで行き、山口線に乗り換え、湯田温泉へ。
 ここでは「アルカディア湯田温泉」という、温泉つき高層マンションの1階にある公衆温泉浴場(入浴料450円)の湯に入る。熱い湯で、水でザーザーうめて、やっと入れた。山口も湯田温泉があるので、温泉町の県庁所在地ということになる。

 小郡に戻ると、ふたたび山陽本線に乗る。
 徳山を通り、13時02分、戸田着。雨は音をたてて降っている。傘をさし、湯野温泉を目指して歩く。30分ほど歩くと、湯野温泉の「紅葉館」に着く。だが、入浴のみは断られた。

 さらに10分、ズブ濡れになって歩き、国民宿舎「湯野荘」へ。ありがたいことに入浴OK。入浴料は450円。国民宿舎の温泉というのは設備の整っているところが多いと前にもいったが、「湯野荘」も例外ではない。大浴場の湯に気分よくつかっていると、辛い思いがいっぺんに吹き飛んでいく。これが温泉効果というものだ。

 気持ちがいっぺんに明るくなり、また、平気で雨の中を歩いていけるだけの元気がよみがえってくるのだ。

 戸田発15時02分の列車に乗り、徳山を通り、15時36分島田着。今晩の泊まりは駅近くの三島温泉の「光楽荘」。だがその前に、三丘温泉、呼鶴温泉の、2つの温泉に行くことにした。かなりの距離があるので、気合を入れ、足早に歩く。雨が上がったのが、なによりもありがたいことだった。

 1時間半近くかかって、三丘温泉の「バーデンハウス三丘」に着く。が、なんと、入浴料は1400円…。
「仕方ないよなあ…、なにしろ、温泉不毛地帯の山陽なのだから」

 三丘温泉から、また1時間以上歩き、呼鶴温泉へ。この呼鶴温泉は、岩徳線の高水駅に近い。地元の人たちで混み合っている公衆温泉浴場(入浴料400円)の湯に入る。

 湯から出るころには、すっかり日は暮れていた。
 三島温泉の「光楽荘」に、
「すいませーん、すっかり遅くなってしまって」
 と、電話を入れ、懸命になって歩く。

「光楽荘」に着いたのは8時過ぎ。だが、おかみさんはすこしもいやな顔をしないで、夕食を用意して待ってくれていた。


穏やかな風景の毒ガスの島
 翌朝は、いつもどおりに、一番列車に乗る。島田発6時22分の広島行き。8両編成の電車だ。最初はガラガラだった車内も、柳井、岩国と通り、広島県に入るころには満員になる。中国地方第1の都市、広島の持つ吸引力の大きさを見せつけられる。

 東京への一極集中がいわれて久しいが、各地方ごとにみると、北海道は札幌に、東北は仙台に、九州は福岡に、それと同じように中国は、広島にどんどん一極集中化している。鈍行列車に乗って旅していると、そんな日本の現状がよく見える。

 さらに各県ごとにみると、県庁所在地への集中が著しい。
 東京への中央集権化と同時に、そのミニ版の各地方ごとの中央集権化がどんどん進んでいる。
 日本は地方分権化の難しい国だ…。中央集権国家としての、千何百年もの歴史の色が濃すぎるのだ。

 7時24分、大野浦着。目の前に、宮島を眺める。駅から30分ほど歩くと宮浜温泉。ここでは、国民宿舎の「宮浜グリーンロッジ」「宮浜シーサイドホテル」「宮浜グランドホテル」「旅館石亭」とまわったが、どこでも入浴のみは断られ、これが最後だと「旅館かんざき」で聞いてみた。

 するとありがたいことに、おかみさんは、
「いいですよ、どうぞ」
 と、やさしい声でいってくれる。入浴料500円。純日本風な造りの宿で、手入れのいきとどいた庭園がきれいだ。さっそく、湯に入る。なめらかな感触の湯だった。

(このような温泉宿というのは、強く心に残るもの。その半年後にバイクで山陽を旅したときには、今度は「旅館かんざき」で泊まった)。

 宮浜温泉の湯に入ったあと、大野浦発9時14分、呉線経由の三原行きに乗る。
 広島を過ぎると電車は呉線に入り、呉を通り、11時33分、忠海着。駅近くの波止場から、大久野島温泉のある芸予諸島の大久野島に船で渡る。

 わずかに15分ほどの船旅だが、瀬戸内海の風景を楽しめる。大久野島に着くと、目の前には、大三島が横たわっている。

 絵のように美しい瀬戸内海の風景とはうらはらに、大久野島は、どす黒いほどに暗い歴史を引きずっている。1900年(明治33年)に、軍港の呉を護る要塞地帯になって以来、一般人の立ち入りの許されない島になった。

 そんな大久野島に1929年(昭和4年)、日本陸軍の毒ガス製造工場が建設された。 最盛期には5000人もの工員がいたという大毒ガス製造工場となり、年間1200トンの各種毒ガスがつくられた。

 この毒ガス製造工場は、終戦の1945年(昭和20年)にアメリカ軍の手によって爆破され、徹底的に破壊された。しかし、その間に製造された膨大な量の毒ガスは、いったいどのようにして使われたのか……。日本国内で使われたとは考えられないので、当然、国外で使われたのだろう。

 日本人は戦時中に、日本がやられたことはいまだに一生懸命に訴えているが、日本人が海外でやったことに対しては無視というか、いたって冷淡だ。それではいけないことを、大久野島はぼくたちに教えてくれている。

 毒ガス資料館(無料)を見学する。
 展示されている工員たちの完全装備がものものしい。防毒マスク、防毒服、防毒靴…。このような装備をしても、毒ガスにやられた工員たちは終戦後、後遺症にさんざん悩まされたという。そのほか、陶磁製の毒ガス製造機器類や、何枚もの毒ガス製造工場の写真が興味深かった。

 そのあとで、大久野島温泉の「大久野島国民休暇村」(入浴料300円)の湯に入る。ガラス張りの大浴場の湯につかりながら、波ひとつない瀬戸内海を眺めていると、穏やかな風景と毒ガスの島という暗い過去のギャップのあまりの大きさに、驚かされてしまうのだ。
                                       

尾道の町を歩き、尾道の温泉宿に泊まる
 大久野島から三原港に高速船で渡る。芸予諸島の島々や、四国の今治への船が出ている三原港は、瀬戸内海に向かってのターミナル駅といったところだ。

 港を出ると、目の前がJRの三原駅。山陽本線の鈍行、15時19分発の岡山行きに乗る。 三原の2つ先の尾道で下車。今晩の泊まりは、尾道郊外の養老温泉だ。

 宿に向かう前に千光寺にいってみる。急な坂道を登っていくと、参道は、桜が満開。
「あー、日本の春だー!」
 と、感動してしまう。

 息を切らして千光寺まで登ると、茶屋のとろっと甘いあめ湯を飲みながら、尾道の市街地を見下ろす。さらに正岡子規や志賀直哉、林芙美子など、全部で25もの文学碑が建っている「文学のこみち」を登っていく。

 文学碑をひとつずつ見ていったが、
「あれは伊予 こちらは備後 春の風」
 という句碑が心にしみた。「物外」という地元の寺の住職の句だった。

「文学のこみち」を登りつめたところが、千光寺公園の山頂展望台。その上から、尾道をとりまく風景を眺める。まるで下から吹き上げてくるかのように、山陽本線の列車の音や国道2号の車の音、尾道水道を行き来する船の汽笛が、町のざわめきに混じって聞こえてくる。

 尾道水道の対岸には、向島がどっしりと横たわっている。さらにその向こうには、因島や大三島などの島々が見える。それらは、瀬戸内海に浮かぶ島々だと頭でわかっていても、大河をはさんだ対岸の、山岳地帯を眺めているような気がしてならなかった。
 それほど、幾重にも重なりあった山々だった。

 千光寺公園の帰路はロープウエーで下り、尾道の町をプラプラ歩きながら、養老温泉に向かう。
 山陽新幹線の新尾道駅に出る。

 そこから国道184号を歩き、ゆるやかな峠を越えた先で右に折れ、養老温泉に行く。3軒の温泉宿。そのうち、公衆温泉浴場と一緒になっている「養老温泉本館」に泊まった。

 ゆっくりと、時間をかけて湯に入る。桜の季節らしく、花見を終えてやってきた人たちもいる。ほろ酔い加減で、あそこの小学校の校庭の桜はどうだ、あそこの土手の桜はどうだと、花見の名所の品評会をやっている。

 湯につかりながら、そんな地元の人たちの話を聞いているのは、たまらなくいいものだ。
「今、自分は尾道にいる!」
 といった実感を持つことができる。

 湯から上がると、部屋の膳には夕食が用意されていた。
 タイ、ハマチ、イカの刺身とタコの酢のもの、煮貝…と、瀬戸内海の海の幸が並ぶ。そのほかに茶碗蒸しと鶏のから揚げがついている。これで「養老温泉本館」の宿泊料金(1泊2食)は6500円。うれしくなってくる。刺身を肴に、ビールをキューッと飲み干す。
「養老温泉に乾杯!」


頭をひねった岡山の温泉めぐり
 養老温泉から尾道駅まで6キロほどあるので、翌朝は4時起床。旅の毎日というのは、ほんとうに不思議なのだが、ふだんの生活だと、午前4時起きというのは、たんに苦痛でしかない。それが旅の毎日になると、ごくあたりまえにできてしまうのだ。

 4時15分に宿を出発する。夜明けの道を歩き、5時51分発の岡山行きに乗った。
 三原始発の4両編成の電車は、広島県から岡山県に入り、6時49分、倉敷に着く。

 伯備線に乗り換え、総社で下車し、総社温泉の温泉旅館「ニューきび路」(入浴料1000円)の湯に入る。大岩風呂の「吉備の湯」に足を伸ばしてつかっていると、早起きした疲れも、スーッと抜けていく。

 さっぱりした気分で、総社から吉備線に乗り、岡山に出た。
 岡山から姫路までは、何度も地図を広げ、どのようにしてまわろうか、さんざん頭を悩ませた結果、津山線、姫新線経由で行くことにした。

 岡山発8時37分の播州赤穂行きに乗り、次の高島で下車する。ここで山陽本線とはしばらくのお別れだ。
 高島駅から30分以上歩き、田園の一軒宿、湯迫温泉の「白雲閣」(入浴料600円)の湯に入る。豪華なつくりの浴室と湯船だ。

 そこから30分ほど歩き、津山線の備前原駅に出る。岡山から2つ目の無人駅。
 津山線はいっぺんにローカル線色が濃くなる。

 津山線の気動車に乗り、途中、福渡で下車。八幡温泉「みずほ荘」(入浴料1200円)の湯に入る。ここでは温泉と観劇がセットになっている。湯から上がると、舞台のチャンバラ時代劇を見るのだった。

 13時50分に美作の中心、津山に着いた。盆地の町だ。
 津山は花見客でごったがえしていた。ぼくも人の流れにのって、津山城址の桜を見にいく。さすがに西日本屈指の桜の名所といわれるだけのことはあって、城址の石垣と今を盛りに咲き誇る桜の花のとりあわせは、それは見事なものだった。        

 津山から姫新線で姫路に向かう。
 林野駅で下車し、“美作三湯”で知られる湯郷温泉で泊まることにする。

 ところが、駅前から『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら20軒以上の温泉宿に電話を入れたのだが、すべて満員。土曜日の午後で、なおかつ桜が満開となれば、当然のことか…。

 とにかく湯郷温泉まで行くことにする。
 30分ほど歩き、湯郷温泉に到着。温泉街を歩いていると、「湯郷サンシティ」というビジネスホテルが目に入る。聞いてみると、なんともラッキーなことに、部屋が空いていた。ビジネスホテルに泊まり、公衆温泉浴場「湯郷鷺温泉」(入浴料300円)の湯に入りにいく。人気の湯で、地元の人、旅人が合わさって、ワサワサと混んでいた。


「中国一周」の最後は有馬温泉
 翌日は中国地方一周の最終日。“青春18きっぷ”の使える最終日でもある。
 5時前に宿を出発。夜明けの道を歩き、林野発5時34分の姫路行き2両編成の気動車に乗る。車内はガラガラ。
 岡山県から兵庫県に入ったあたりから、座席はポツポツと埋まっていく。

 姫路着7時23分。
 姫路で乗り換えた山陽本線経由東海道本線の野洲行き新快速は、津山線、姫新線とローカル線の列車を乗り継いだあとだけに、目がまわるくらいの速さだ。

 8時05分、神戸着。5番ホーム中央あたりの海側には、東海道本線と山陽本線の接点を示す木標が立っている。木標の東海道本線側には“東京起点589K340M02”、山陽本線側には“神戸起点0K0M”と表示されている。

 それを見て、
「あー、とうとう、ここまで来たんだなあー」
 といった、うれしいような、寂しいような気分を味わう。
 神戸から下関までが山陽本線になる(なお下関―門司間も山陽本線)。

 中国地方一周“温泉はしご旅”の最後は、有馬温泉だ。
 神戸で降り、駅前の湊川神社に参拝し、多聞通りを新開地まで歩いていく。

 神戸電鉄(神鉄)の三田行き準急電車に乗り、有馬口駅で乗り換え、新開地駅から45分で有馬温泉駅に着く。持世寺温泉から数えて第14湯目の有馬温泉では、「有馬温泉会館」(入浴料460円)の湯に入った。

 塩分の濃い赤茶けた湯。さすがに関西の温泉の代名詞、有馬温泉だけあって混んでいた。湯から上がると、冷たいカンコーヒーを一気に飲みほした。

 ひと息ついたところで、ここまでの道のりを振り返ってみる。
 持世寺温泉から有馬温泉までの14湯中、山陽本線の駅から歩いていった温泉は8湯。だが、そのうち駅から徒歩30分以内の温泉といったら三島温泉と宮浜温泉の2湯しかない。さらにそのうち、温泉地となっているのは宮浜温泉しかない。
 山陽本線は“鈍行乗り継ぎ”で温泉めぐりをするのには、じつに大変な路線だ。

 有馬名物の“炭酸せんべい”を土産に買い、神戸電鉄で三田に出る。
 今回の「中国一周」では“青春18きっぷ”を使ったので、新開地ー有馬温泉(460円)と有馬温泉ー三田(410円)の合計870円が、途中で払った電車賃ということになる。

 三田からは、福知山線の快速で大阪に出た。
 ひとつ残念だったのは、福知山線沿線の温泉に入れなかったこと。武田尾駅のちかくには武田尾温泉があり、宝塚駅近くには宝塚温泉がある。これら温泉には、また、別な機会に入りに来よう。

 大阪からは、12時00分発の長浜行き新快速に乗る。
 東京までの長い、長い“鈍行乗り継ぎ”の旅。
 米原、豊橋、沼津で乗り換える。

 米原から東京まではずっと、中高年の登山者のグループと一緒だった。グループで“青春18きっぷ”を購入し、全員がそれをもっての旅だった。“青春18きっぷ”には、このような使われ方もあるのだ。

 21時26分に東京駅7番ホームに到着。下関から全部で25本の鈍行列車を乗り継いでの東京到着であった。

◇◇◇
今回入った温泉
1、持世寺温泉(山口県)
2、湯田温泉(山口県)
3、湯野温泉(山口県)
4、三丘温泉(山口県)
5、呼鶴温泉(山口県)
6、三島温泉(山口県)
7、宮浜温泉(広島県)
8、大久野島温泉(広島県)
9、養老温泉(広島県)
10、総社温泉(岡山県)
11、湯迫温泉(岡山県)
12、八幡温泉(岡山県)
13、湯郷温泉(岡山県)
14、有馬温泉(兵庫県)

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(8)

(月刊『旅』1994年9月号 所収)
 
旧宇高連絡船ルートで四国に入る
 四国ワイド周遊券(東京発2万7400円)を持っての「四国一周」だ。

 東京駅9番ホームから23時40分発の“大垣行き”に乗る。「中国一周」の、超満員の“大垣行き”とはうってかわって、梅雨に入ったばかりのこの季節。旅行者風の乗客は少なく、楽々と乗れた。乗客の大半は通勤客で、藤沢、平塚と過ぎると車内はガラガラになり、車内放送のなくなる小田原を過ぎたところで眠りについた。

 翌朝、列車が豊橋に到着したところで目がさめる。
 すでに夜が明け、うれしいことに晴れている。名古屋を過ぎ、終点の大垣到着は6時56分。すぐに網干行きに乗り換え、米原で下車。姫路行きの新快速に乗り換えるまでの40分間を利用し、トイレ、洗面をすませ、朝食の立ち喰いうどんを食べ、8時19分米原始発の新快速姫路行きに乗り込む。

 京都、大阪、神戸と通り、姫路で三原行きに乗り換え、12時25分に岡山に着いた。
 ところで今回の「四国一周」では、高松を出発点にし、終着点にするつもりなのだが、高松にはどうしても船で瀬戸内海を渡って行きたかった。
 そこで岡山からは、かつての宇高連絡船のルートをたどることにした。

 岡山駅の13番線ホーム先端にある短い12番線ホームから、12時34分発の宇野線宇野行きに乗る。“鈍行”のイメージどおりのローカル線。途中の茶屋駅で瀬戸大橋線と分かれ、13時25分に終点の宇野に着く。

 宇野駅を出ると、目の前が本四フェリーの乗り場だ。
 高松までの料金は380円。

 第八十七玉高丸に乗る。出航するとすぐに船内の食堂で讃岐うどんを食べ、甲板に上がる。胸がワクワクドキドキしてくる。瀬戸内海は海の銀座通り。東西に行き来する船の列をフェリーはたくみに横切っていく。本州の山々が遠くなるのにつれて、四国の山々が間近に迫ってくる。

 瀬戸内海の船旅を十分に楽しませてくれる高松港までの1時間だった。


城山温泉はビロードの湯
 高松駅は四国鉄道網の起点。四国の各地に出ていく列車がズラリと並んだ光景は壮観だ。そのうちの5番ホームから発車する15時03分発の観音寺行き鈍行列車に乗り、「四国一周」を開始する。

 観音寺行きは2両編成の電車。四国のJR線のうち、予讃線の高松―伊予市間と土讃線の多度津―琴平間が電化されている。

 15時23分、鴨川着。四国の温泉めぐり第1湯目の城山温泉に歩いていく。
 沿道のショウブの花が盛りで、目を楽しませてくれる。城山温泉は駅のホームから見えるが、高台にある一軒宿の温泉。駅から徒歩10分。ここには800人収容の演劇場があり、毎日、大衆演劇が上演されている。入浴料は温泉と観劇がセットになって1500円だが、すでにショーは終わり、半額の750円で入浴できた。

 無色透明の、ビロードのような感触の湯で、フワッと肌にまとわりついてくる。とってもやわらかな湯だ。
 温泉めぐりで入るこの第1湯目ほどうれしい湯はない。

 湯につかり、手足を伸ばしていると、東京から10数時間かけて四国にやってきた疲れがスーッと抜けていく。体がウソのように楽になる。重りがポロリと落ちたような軽やかさを感じる。体が軽くなると、心も軽くなる。
 鴨川駅までの帰り道は、鼻唄気分で歩いていくのだった。

 鴨川発16時11分の列車に乗り、坂出到着は16時16分。高松駅から電話を入れた今晩の宿、さぬき瀬戸大橋温泉の「瀬戸内荘」に歩いていく。坂出の中心街を通り抜け、郊外の常磐公園へ。徒歩約30分。

「瀬戸内荘」の展望風呂は、坂出の町並みを望み、気分よく入れる。湯には若干のぬめりがあり、肌がスベスベしてくる。24時間入浴可なのがありがたい。

 湯から上がると夕食。刺し身や焼き魚、てんぷら、煮物、酢の物のほかに、エビや野菜類、シイタケなどの入った讃岐うどんの鍋の出てくるところが、いかにも讃岐の温泉宿らしかった。

 夜の8時になると、宿のサービスで、マイクロバスで常磐公園の展望台まで乗せていってくれる。そこからの展望は忘れられない。

 イルミネーションに彩られた瀬戸大橋が曲線を描いて岡山側へと延びている。瀬戸大橋線の快速「マリンライナー」が、鉄橋を渡る音をともなって1本の光の帯となり、流れ星のように流れていった。


“湯の中談義”で温泉情報を得る
 翌朝は4時に起き、すぐさま朝風呂に入る。ほかに入浴客もいないので、大浴場を独り占めにし、ゆったりとした気分で湯につかる。これが24時間入れる温泉のよさというものだ。

 5時に出発。夜明けの道を歩き、坂出駅へ。5時42分発の一番列車、観音寺行きに乗る。車内では、前の晩に宿でつくってもらった朝食用のおにぎりを食べる。カン入り緑茶を飲みながら車中で食べる、このおにぎりがうまい。

 観音寺で今治行きに乗り換え、香川県から愛媛県に入り、伊予路の温泉めぐりの開始だ。四国には温泉が少ないといわれているが、“温泉不毛地帯”の山陽本線沿線とは違って、たんねんに拾っていくとけっこうな数の温泉がある。

 川之江、伊予三島、新居浜、伊予西条と通り、8時09分に石鎚山駅に着く。
 ホームに降り立つと、四国の最高峰、石鎚山(1921m)を中心とする四国山脈の山々がグッと近くに迫って見えている。このあたりは、瀬戸内海の海岸線から四国山脈の稜線まで、それほど距離がないので、立体感のある、迫力満点の山岳風景になっている。

 石鎚山駅は無人駅。駅舎を出ると、駅前を国道11号が走り、石鎚神社の大鳥居が立っている。交通量の多い国道11号を高松方向に200メートルほど歩き、右に折れた田園地帯の中に、一軒宿の温泉、湯之谷温泉がある。

 外来客の入浴は9時から22時まで。入浴料280円。かなりの人気の湯のようで、9時のオープンとともに、次々に入浴客がやってくる。湯の中では、「この一番湯に入りたくてねー」といって、車で今治からやってきたという年配の人と話した。この地方では湯之谷温泉のほかには本谷温泉と権現温泉の泉質がいいのでよく入りにいく、という。

 温泉の泉質の良さは、1度ぐらいドボンと入ったぐらいではなかなかわかるものではない。ところが通うようにしてひんぱんに入っている人たちにとっては、泉質の良し悪しがすぐに体にはねかえってくるのでじつによくわかっている。

 それだけに、このような地元の人たちとの“湯の中談義”で得られる温泉情報というのは貴重なもので、実際に自分でその温泉に入ってみたいと思わせるものがあるし、行ってみてまず外れがない。

 ということで、さっそく本谷温泉に行ってみる。
 駅から離れているので、最初の予定には入っていなかった温泉だ。

 石鎚山発9時23分の列車に乗り、伊予三芳到着は9時50分。駅から6キロの道のりを汗まみれになって本谷温泉へと歩く。一軒宿の「本谷温泉館」(入浴料300円。宿泊不可)は、建て替えられたばかりで、木の香がプンプン漂っていた。大浴場もきれいなものだ。掛け湯して汗を流し、どっぷりと大浴場の湯につかった。

 泉質自慢の本谷温泉は、道後温泉、鈍川温泉とともに、“伊予三湯”のひとつに数えられている。1300年前の開湯という歴史の古い温泉でもある。それだけ昔から知られていた温泉ということになる。

 気分よく入れる湯に満足したあと、休憩室で自販機のカップヌードルを食べ、それを昼食にし、また伊予三芳駅まで歩いていく。

“鈍行乗り継ぎ”では、“鈍行列車プラス徒歩”という旅の仕方を貫き通しているが、けっこう辛いものもあって、伊予三芳駅に着いた時には頭から水をかぶったような汗‥‥。ホームに誰もいないのを幸いに、裸になり、温泉で使ったタオルで汗まみれの体をよくふくのだった。

 伊予三芳発からは伊予北条に行き、駅から5分ほど歩き、目の前に横たわる鹿島に、渡船(260円)に乗って渡る。鹿島温泉のある島だ。したたるような緑の島で、野生のシカが生息している。一軒宿の国民宿舎「鹿島」に行く。だが、入浴は宿泊客のみ。そのかわりに、“伊予の江ノ島”といわれる風光明媚な島の小道を歩いた。今度は泊まりで来よう…。

 伊予北条発14時32分の列車で堀江へ。権現温泉は松山郊外の、この堀江駅から歩いていく。だが、ちょっと道がわかりづらい。

 そこで年配の人に道を尋ねた。
「私も権現温泉の近くまで行くので、一緒に行きましょう」
 ということになって、歩きながら、“堀江の年配の人”の話を聞いた。
「堀江駅も、すっかりさびれて…。今では無人駅になってしまいましたよ。だけど以前はにぎやかな駅でした。駅前から権現温泉に行くバスが出ていたし、タクシーの乗り場もありましたよ」

“堀江の年配の人”はほんとうに寂しそうな表情でそんな話をしてくれた。だれでもそうだが、自分の住む土地がさびれていくことほど、辛く、悲しいことはない。
「あとは、この川に沿っていけば、着きますよ。あそこはいい湯ですよ」
 と、教えられたとおりに歩き、権現温泉へ。駅から徒歩で30分ほどの距離だ。

 権現温泉では、「権現温泉センター」(入浴料310円)の湯に入る。若干、白濁した湯の色。湯にはぬめりがある。飲湯できるようになっている。無味無臭なので、抵抗感なく飲める湯だ。時間に余裕があったので、ゆっくりと湯に入り、帰り道もプラプラタラタラと歩く。川では子供たちが水遊びをしている。そんな“権現温泉の子供たち”の写真をとらせてもらったが、いわれてしまった。

「オジサン、また権現温泉に来てね。いつでも一緒に遊んであげるからね」


“鷹ノ子温泉の常連サン”
 松山到着は16時43分。『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら、松山市内温泉の「ビジネスホテル泰平」に電話を入れる。宿泊OK。駅構内の観光案内所で市内地図をもらい、伊予鉄の市電に乗って今晩の宿まで行く。まずは温泉だ。さっと大浴場の湯に入る。ここの湯は、奥道後温泉からの引湯だという。

 さっぱりとした気分でふたたび市電に乗り、道後温泉へ。
 有名な「道後温泉本館」(入浴料280円)に行ったが、超人気の温泉だけあって、入浴券の売り場には列ができていた。脱衣所も、浴室の中も入浴客でごったがえしていた。“立ち寄り湯”の客だけではなく、温泉宿に泊まってやって来る入浴客が多かった。

 道後温泉駅から市電に乗って、伊予鉄のターミナル駅、松山市駅へ。今度は、伊予鉄の郊外電車、横河原線に乗って鷹ノ子温泉に行く。

 鷹ノ子駅で下車し、歩いて10分ほどの「鷹の子温泉センター」(入浴料280円)の湯に入る。大浴場の湯はヌルヌルヌルヌルとぬめりが強く、肌にスーッと、薄い膜が張るような感触の湯だ。打たせ湯のついた露天風呂もある。

 おもしろかったのは、
「岩の上に登らないで下さい。もし落ちてケガをしても責任は負いません」
 と書かれた注意書。

 このような注意書があるということは、隣の女湯をついついのぞきたくなるような輩がいるということなのだろう。美人の多い松山だけに、わかるなあ…、その気持ち。ここにはスチームサウナもあって、たっぷり汗を流したところで、ドボーンと飛び込む水風呂が快感。280円の入浴料は安い。

「鷹の子温泉センター」には、屋台風の飲み屋もある。
 ホルモン焼きを肴に、湯上がりの冷たいビールを飲む。隣に座っているこの店の常連サンと飲みながら話したが、ぼくが神奈川から来たというとなつかしそうな顔をし、それだけで喜んでくれた。

“鷹ノ子温泉の常連サン”は、慶応大学を昭和30年代の前半に卒業している。
「あのころは、大学のある日吉からは富士山がよく見えたよ。溝ノ口に下宿していてね、駅の周辺にはペンペン草がはえていた。この前、東京に行ったついでにあの辺を歩いたんだけど、すっかり変わっていた。学生時代、遊びに行くといったら横浜でね、なつかしいなあ…、横浜は我が青春の地だよ」

“鷹ノ子温泉の常連サン”は大学を卒業したあと、東京の大手建設会社に就職したが、上司と大ゲンカして故郷の松山に帰ってきたという。過ぎ去った30数年という時の流れを振り返り、目尻に涙を溜め、感無量といった表情をする。

「いやー、キミはいいねー、じつにすずやかな顔をしている。関東人の典型だな」
 などとおだてられ、ついつい酒量が上がり、忘れられない鷹ノ子温泉になるのだった。


夕暮れの四万十川を眺める
 松山発5時54分の八幡浜行き一番列車に乗る。2両の気動車で、車内はガラガラ。車窓の風景をながめながら、駅近くのコンビニ店で買ったおにぎりを食べ、カン入り緑茶を飲む。JTBの大型時刻表のページをめくり、昭文社の分県地図をながめる。鈍行列車の旅のよさをしみじみと実感できる瞬間だ。

 この満ち足りた気分は、何といったらいいのだろうか…。自分だけの“動く書斎”を持ったようなもの。これが、鈍行の一番列車のよさなのだ。

 内子、伊予大洲と通り、八幡浜到着は8時00分。予讃線の終点、宇和島へ、ほんとうは8時42分八幡浜始発の鈍行で行きたかったが、その先、予土線の乗り継ぎがうまくいかないので、残念ながら8時59分発のL特急「宇和海3号」に乗った。3両編成のステンレス車両で、軽快な乗りごこちだ。

“鈍行乗り継ぎ”のなかで乗る特急列車というのは、きらめくような新鮮な感動を味わえるものだ。
 宇和島着9時34分。すぐに予土線の窪川行きのワンマンカーに乗り換える。1両の気動車だ。予讃線との分岐駅、北宇和島を過ぎると、列車はジーゼルのエンジン音を苦しげに響かせ、峠へと登っていく。

 峠の短いトンネルを抜けると、パーッと開けた盆地の風景。四万十川の支流、吉野川の水系に入ったのだ。宇和海の一番奥、宇和島湾に面した宇和島の背後、距離でいえば10キロにも満たないところが、もう、四万十川の世界なのだ。

 この鉄道の峠には名前はついていないようだが、“峠のカソリ”としては、このような峠にはぜひとも名前をつけてほしいのだ。
「ただいま列車は○○峠のトンネルを抜け出ました」
 などといったアナウンスがあれば、もっといいのだが…。

 列車は川沿いに走り、いくつもの駅に止まり、やがて峡谷に入っていく。そこが愛媛と高知の県境。いよいよ土佐路の温泉めぐりの開始だ。

 吉野川が四万十川本流に合流する江川崎で下車し、用井温泉へ。徒歩30分。一軒宿の「西土佐村・山村ヘルスセンター」に行く。だが、入浴は午後3時から……。残念。土佐路の温泉めぐりの第1湯目に入りそこねてしまった悔しさを胸にいだいて、ふたたび、予土線に乗る。

 江川崎からは四万十川の本流をさかのぼり、窪川到着は13時34分。この宇和島―窪川間の予土線は、ローカル線情緒満点で、さらに流れていく車窓の風景も美しく、十分に満足できる路線だ。

 窪川からは、土佐くろしお鉄道に乗り換え、終点の中村へ。その途中、荷稲で下車する佐賀温泉(入浴料500円)と、有井川で下車する井ノ岬温泉(入浴料600円)に立ち寄った。佐賀温泉も、井ノ岬温泉も、ともに駅から歩いて30分くらいの距離にある一軒宿の温泉。とくに井ノ岬温泉は、黒潮の洗う太平洋岸にあって、“カソリおすすめ”の温泉だ。

“四国の小京都”中村では、四万十温泉の「サンリバー四万十」に泊まった。1泊2食4800円からという料金の安さと近代的な建物、設備の“公共の宿”。大浴場の湯船で、豪華な気分でひと風呂浴びたあと、夕暮れの四万十川下流にかかる橋の上に立つ。

 中村から宿毛に通じる鉄路が建設中。
「ぜひとも、開通までこぎつけてほしい!」
 と願ってしまう。

 完成のあかつきには、高松から特急列車で宿毛まで行き、フェリーで九州の佐伯(日豊本線)に渡れるようになる。そんな新しい鉄道の旅のコースができるのだ。

 翌日は窪川まで戻り、今度は、土讃線沿線の温泉めぐりをする。
 とはいっても、駅から離れた温泉ばかりなので、セッセセッセと歩かなくてはならない。

 まずは吾桑駅で下車する桑田山温泉だ。
 雨の山道を歩く。見事な棚田。雨に濡れたアジサイの花が色鮮やかだ。40分ほど歩き、山間の一軒宿、桑田山温泉(入浴料600円)の湯に入る。湯から上がると、宿の入口で売っている5個100円の夏ミカンを買い、たてつづけに3個食べた。夏ミカンの酸っぱさが、湯上がりの体にしみ込んでいく。

“夏ミカンパワー”で、来た道を吾桑駅に戻るのだ。

 次に土佐加茂駅で下車する加茂温泉。ここは土讃線沿線では唯一の、徒歩2、3分と、駅に近い温泉なのだが、なかなかうまくいかないもので、金~月が休日。
 その日は月曜日…。
 宿のおかみさんに頼んで、カラッポの湯船にぼくが入っているところを写真にとってもらった。

 波川駅で下車する蘇鶴温泉は徒歩30分。
 一軒宿の温泉で、入浴料は400円。食堂つきの温泉宿。休憩室では、湯から上がったオバチャンたちが、ダンナの悪口や嫁の悪口、隣近所の悪口をこれでもか、これでもかといわんばかりに、大声で話している。
「もしもし、オバチャンたち、誰が聞いているか、わかりませんよ」
 と、ちょっと声をかけたくなるほどのすごさ。

 だが、これも温泉効果!?、いいたいだけのことをいうと、“蘇鶴温泉のオバチャンたち”はさっぱりした顔つきで、
「さ、お昼にしましょ!」
といって、食堂に出ていった。オバチャンたちのパワーのすごさには、ただ、ただ圧倒されてしまう。

 高知の2つ手前、円行寺口駅で下車する円行寺温泉は、一直線に背後の山並みに向かったところにある。徒歩40分の「ファミリー温泉・湯川」(入浴料600円)の大浴場の湯につかる。入浴料以上に豪華な気分を味わえる温泉だ。ここまで来てみると、高知の市街地のすぐ背後にまで、山並みが迫っているのがよくわかる。

 最後は土佐山田駅で下車する夢野温泉。片道5キロと、けっこうな距離がある。それを制限時間90分で勝負するのだ。
 ヒーヒーハーハーいって走り、30分ほどで、物部川の河畔の夢野温泉に着く。

 一軒宿の温泉(入浴料500円)。かわいらしい湯舟につかる。
 時間がギリギリなので、サッと湯から上がり、着替えて外に出た。ところが、そのわずかな間に天気が変わり、なんと、土砂降りの雨…。帰りは、ずぶ濡れになって土佐山田駅まで走り、土佐路の温泉めぐりを終えるのだった。


阿南海岸・宍喰温泉の湯
 土佐山田発16時29分の阿波池田行きに乗る。あっというまに山中に入り、トンネルが連続する。次の新改駅ではスイッチバック。峠の長いトンネルを抜け、土佐山田の2つ先、繁藤駅に下ると、そこは“四国三郎”の吉野川の水系だ。

 土佐穴内駅で吉野川の本流に出会うと列車はそのまま吉野川沿いに走り、高知・徳島の県境を越え、長い大歩危トンネルに入っていく。石鎚山の東、瓶ヶ森(1896m)を水源とする吉野川はおもしろい川で、本来ならば高知で太平洋に流れ出るのが自然なのだが、四国山脈をブチ割って徳島へと流れていく。その現場が大歩危・小歩危の峡谷ということになる。
 このような例は、日本ではほかには中国地方の江ノ川ぐらいしかない。

 17時45分、大歩危着。吉野川第一の峡谷美を眺めながら1時間ほど歩くと、今晩の宿の大歩危温泉「サンリバー大歩危」に到着。平成2年に掘り当てた新しい温泉。銘石“阿波の青石”をふんだんに使った岩風呂は、湯量が豊富で、24時間入浴可。気分よく湯に入ったあとの夕食の膳には、アユの塩焼きが出た。吉野川の、それも大歩危・小歩危周辺のアユは絶品なのだ。

 翌朝は4時に起き、たっぷり時間をかけて朝風呂につかり、5時に宿を出発する。
 今度は小歩危駅に向かって歩く。徒歩30分。
 朝霧のたちこめる吉野川を右手に見ながら歩いた。

 6時21分発の一番列車、阿波池田行きに乗る。吉野川が山地から平地に抜け出るあたりに位置する阿波池田駅への到着は6時41分。すぐに、吉野川沿いに走る徳島線に乗り換えた。

 右手に四国山脈、左手に吉野川、讃岐山脈を車窓に眺めながら徳島へ。
 徳島到着は8時59分。
「四国一周」もいよいよ大詰めだ。

 徳島から牟岐線に乗り換え、終点の海部へ。その途中、四国霊場八十八ヶ所の第23番札所、薬王寺のある日和佐駅で下車。薬王寺に参拝したあと、薬王寺温泉の一軒宿「ホテル千羽」(入浴料400円)の広々とした大浴場の湯に入る。この日和佐は海ガメのやってくる町としても知られているが、駅の改札口には「カメさん情報」のボードが掲げられ、それには「本日までの上陸頭数は16頭」と書かれてあった。

 牟岐線の終点、海部から、阿佐海岸鉄道に乗る。阿波と土佐を結ぶ鉄道だ。次の宍喰駅で降り、宍喰温泉へ。「四国一周」の最後の温泉だ。第1湯目の城山温泉から数えて第18湯目になる。

 駅から徒歩5分の「宍喰温泉保養センター」(入浴料400円)の湯に入る。灰を溶かしたような湯の色。窓越しに国定公園にもなっている阿南の海を見る。胸がジーンとしてくる。湯につかりながらいい風景を眺めるのは最高の贅沢だ。

 宍喰からさらに南へ、県境を越えて高知に入る。宍喰の次の駅が阿佐海岸鉄道の終点、甲浦。ここでは温泉のかわりに、人一人いない海岸で泳いだ。

 梅雨空の雲の切れ目からカーッと照りつける太陽が肌を焼いた。

 甲浦発16時36分の牟岐行きに乗り、牟岐で高松行きのL特急「うずしお22号」に乗り換える。徳島から高松までが高徳線。高松到着は19時44分。駅構内の店で、最後にもう一度、讃岐うどんを食べる。高松を発ってからわずか4日でしかないのに、なにか、10日も、20日も、ずっと四国をまわっていたような気がしてならない。

 カンビールを持って20時37分発の東京行き寝台特急「瀬戸」に乗り込み、「四国一周」を終えるのだった。

◇◇◇
第5章で入った温泉
1、城山温泉(香川県)
2、さぬき瀬戸大橋温泉(香川県)
3、湯之谷温泉(愛媛県)
4、本谷温泉(愛媛県)
5、権現温泉(愛媛県)
6、松山市内温泉(愛媛県)
7、道後温泉(愛媛県)
8、鷹ノ子温泉(愛媛県)
9、佐賀温泉(高知県)
10、井ノ岬温泉(高知県)
11、四万十温泉(高知県)
12、桑田山温泉(高知県)
13、蘇鶴温泉(高知県)
14、円教寺温泉(高知県)
15、夢野温泉(高知県)
16、大歩危温泉(徳島県)
17、薬王寺温泉(徳島県)
18、宍喰温泉(徳島県)

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(9)

(月刊『旅』1994年10月号 所収)

「亀山→新宮」間では、温泉はおあずけだ‥‥
「九州一周」「中国一周」「四国一周」にひきつづいての「分割・日本一周」第4弾の「紀伊半島一周」。

 今回も、東京駅発22時40分の“大垣行き”に乗った。切符は“南近畿ワイド周遊券(東京発1万9440円)”。このワイド周遊券は指定エリアを広くまわるのにはきわめて便利。いちいち切符を買うこともないので、気分的にも、より自由に旅することができる。

 名古屋到着は6時08分。名古屋起点・名古屋終点で紀伊半島を一周しようと思うのだ。

 その第一歩。6時41分発の関西本線・亀山行きに乗る。電車が動きだすと、ホームの売店で買った駅弁を食べはじめる。幕の内弁当の“なごや”。車窓を流れていく風景を眺めながら食べる駅弁の味は、いかにも列車の旅をしているような気分にさせてくれる。

 亀山で7時57分発紀勢本線・新宮行きに乗り換える。5両編成の気動車。津、松阪と通り、多気で列車切り離し。前3両が参宮線の伊勢市行き、後2両が紀勢本線の新宮行きになる。

 多気を過ぎると、広々とした伊勢平野からゆるやかに連なる山中に入り、山々は次第に高さを増していく。名産“伊勢茶”の茶畑が目につく。

 伊勢最奥の梅ヶ谷駅を過ぎると、荷坂峠のトンネルに入る。トンネルを抜け出ると、そこは紀州。同じ三重県でも、照りつける太陽の強さが違う。

“伊勢茶”の茶畑はあっというまに消え去り、それに代わって、“紀州ミカン”のミカン畑が目につくようになる。

 荷坂峠から熊野川河口までの間の三重県は旧国名でいうと紀伊になる。
 旅するときに、県境は誰でも意識すると思うが、もうひとつ、旧分国の国境を意識すると、旅はもっとおもしろいものになる。旧分国の影響というのは今でもきわめて強く残っているもので、国境を意識すると、それぞれの国の匂いをかぐことができるのだ。

 三重県は、ほかにはあまり例がないのだが伊勢、志摩、伊賀、紀伊と4つの国から成り、それぞれのカラーを今でも色濃く出している(兵庫県は摂津、播磨、丹波、但馬、淡路の5国から成っている)。

 紀伊長島、尾鷲、熊野市と、熊野灘沿岸の町々を通り、熊野川の河口を渡って和歌山県に入り、13時17分、終点の新宮に到着。

 ほんとうは亀山→新宮間の紀勢本線では、阿漕で下車する磨洞温泉、阿曽で下車する阿曽温泉、紀伊長島で下車する有久寺温泉に立ち寄りたかった。だが、この間、とくに多気→新宮間は超ローカル線で、ぼくの乗った列車の次の便というと、4時間後になってしまう。“鈍行乗り継ぎ”のきわめて難しい区間なのだ。そのため、それら3湯を断念し、一気に新宮までやってきたのだった。


“熊野三湯”の温泉の連チャンでもうフラフラ
“鈍行乗り継ぎ”では、鈍行プラス徒歩の旅の仕方を貫いているが、今回だけはそれを崩し、新宮からJRバスに乗ることにする。

「紀伊半島一周」では、熊野本宮周辺の川湯温泉、渡瀬温泉、湯ノ峰温泉の3湯をどうしても落とすことができなかったからだ。これら3湯を“熊野三湯”とでもしておこう。

 新宮駅前を13時25分に発車するJRバス(南近畿ワイド周遊券が使える)に乗り、14時29分、川湯温泉に到着。さー、温泉だ。

 川湯温泉といえば、河原の露天風呂で有名だが、みんな水着を着て湯に入っている。“温泉正統派”を自認するカソリは、ケシカランと一応は怒るのだが、チャッカリと水着を着て露天風呂の湯につかるのだ。だが、どうもしっくりといかない。そこで、共同浴場(入浴料150円)の湯に入り直し、気分をさっぱりさせるのだった。

 川湯温泉からは歩く。
 トンネルを抜け出ると、すぐに渡瀬温泉。「わたらせ山荘」(入浴料700円)の露天風呂に入る。“近畿最大の露天風呂”を謳い文句にしているだけあって、“看板に偽りなし”の広さ。紀州は夏本番。ジージーとうるさいくらいに鳴く蝉の声を聞き、ジリジリと照りつける日差しを浴びながら、大露天風呂の湯につかるのだ。

 渡瀬温泉の露天風呂に満足したあと、湯ノ峰温泉に向かって山中の曲がりくねった道を歩く。温泉の連チャンで足腰がふらつき、おまけに炎天下を歩きつづけるので、湯ノ峰温泉にたどり着いたときにはフラフラだ。

 山あいの温泉街を歩く。
“湯筒”と呼ばれる源泉は、100度近い高温の湯。観光客は卵を、地元の奥さんは野菜をゆでていた。
 飛び込みで、温泉民宿「あづまや荘」に宿をとると、湯ノ峰温泉の湯三昧の開始。

 まずは宿の湯に入る。木の湯船。高温の湯がこんこんと流れでている。湯につかると、川湯温泉から歩いてきた疲れもスーッと抜けていく。この湯は24時間、入浴可。

「あづまや荘」は1泊2食6500円。温泉民宿といっても温泉旅館とほとんど変わりがない。いい宿にめぐり会えたものだとうれしくなってくる。温泉民宿というのは、当たり外れはあるが、宿泊の穴場というか、狙い目だ。

「あづまや荘」の湯の次に、“壺湯”(入浴料260円)に入る。湯ノ峰温泉の名物湯で、一人で入ってちょうどいいくらいの小さな岩風呂。底の玉砂利の中から湯が湧きだしている。白濁した湯の色。とはいっても、1日に7回、色が変わるのだという。

“壺湯”の次にもう1湯、共同浴場(入浴料200円)の湯に入る。さすがに“木の国”紀州だけのことはあって、槇の大木をつかった木の湯船。気持ちよく入れる。

「あづまや荘」に戻ると夕食。ビールを1本頼む。宿のおかみさんは、「おつまみにどうぞ」といって、小丼に山盛りにしてチリメンジャコを持ってきてくれた。湯上がりの冷たいビールほどうまいものもないが、ビールとチリメンジャコの取り合わせにも、絶妙のうまさがあった。このあたりにも、温泉民宿の家族的なあたたかさを感じる。

 夕食後、“湯ノ峰温泉・湯三昧”の第2ラウンドを開始。さきほどと同じように“壺湯”、共同浴場とまわり、さらに温泉旅館「あづまや」の湯につかる。

「あづまや」は1泊2食1万8000円以上と、ぼくにはちょっと手の出ない宿だが、温泉民宿の「あづまや荘」の泊まり客は、夜の7時半以降だと自由に「あづまや」の湯にもはいることができるのだ。温泉情緒あふれる木の湯船の内湯、露天風呂、天然蒸気の蒸し風呂に入った。

 宿に戻ると、けっこうな湯疲れで、畳の上に大の字になってひっくりかえった。すると、下の女湯のほうから、何やら楽しそうな声が聞こえてくる。華やいだその声にひかれ、軽い気持ちで窓をあける。するとナ、ナント、階下の女湯の窓は、あけっぱなしではないか……。湯船につかっている女性と洗い場で体を洗っている女性、2人の若い女性がまる見えなのだ。信じられない、もう!

 洗い場で体を洗っている端正な顔だちの女性は、髪をアップにし、全身が色鮮やかなピンクに染まっている。形のよい胸のふくらみがぼくの目の底にこびりついてしまう‥‥。
 頭の中が、ジーンとしびれてしまうような感じなのだ。

「見てはいけない、見てはいけない!」

 と、自分で自分にいいきかせるのだが、なかなか首を引っ込められないカソリだった。
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※管理人、半ばあきれて(ついに)本文中に介入:
…通報しますた。
管理人も昨年の夏にこの記事を読んでいれば、オヤジ一人で忍び湯したのに~

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白装束をまとった若き巡礼者との出会い
 翌朝は、ニワトリの鳴き声とともに目覚める。時間は5時前。すぐに湯に入りにいく。 湯船には高温の湯が一晩中流れ込んでいたので、いやー、熱い!
 
 水をガンガン入れ、ふんだんに湯をかぶり、やっと湯船につかることができた。ニワトリの鳴き声を聞きながらつかる湯というのも、なかなか趣のあるものだ。

 たっぷり時間をかけて朝風呂に入り、6時過ぎに宿を出発。熊野本宮大社へ、“熊野古道”を歩く。京都から熊野本宮大社への参詣の道、“熊野古道”の中でも、最後のこの区間は、一番険しいのではないか。

 湯ノ峰温泉の温泉街を離れ、山道に入り、湯ノ峰王子(王子とは熊野街道沿いの熊野大社の末社)に手を合わせ、大日越のルートで山越えをする。

 1時間ほど歩いて熊野本宮大社に着いたが、体中、汗でビッショリグショグショだ。
“熊野大権現”の小旗がはためく参道の石段を登り、全部で4殿からなる熊野本宮大社を参拝する。

 ここでは白装束をまとい、脚絆をし、手に錫杖を持った青年に出会う。
 この“若き巡礼者”は、高野山から歩いてきた。熊野本宮大社からは、新宮の熊野速玉大社、那智の熊野那智大社と、“熊野三山”を駆けめぐり、那智の西国霊場33ヵ所の第1番札所、青岸渡寺を皮切りに、ひと夏かけて徒歩で西国札所めぐりをするのだという。

「あー、今の時代にも、このような青年がいるのか!」
 と、ぼくは感動してしまうのだ。


太地温泉の鯨料理
 “若き巡礼者”とは何度も握手をかわして別れ、熊野本宮大社前から、JRバスに乗って新宮へ。熊野速玉大社に参拝したあと、新宮発10時37分の紀伊勝浦行きに乗る。

 3両編成の電車。紀勢本線も新宮からは電化区間になる。
「南紀の温泉を総ナメにしてやる!」
 と、車窓を流れていくまっ青な海を眺めながら、ぼくは気合を入れるのだ。

 10時59分紀伊勝浦着。勝浦温泉が、南紀の温泉めぐりの第1湯目になる。
 駅の観光案内所で「忘帰洞には入れますかね」と聞くと、黒潮美人の女性はすぐに電話してくれる。入浴OK! 
“忘帰洞”というのは勝浦温泉「ホテル浦島」の大洞窟風呂。前から一度は入りたいと思っていた憧れの湯なのだ。

「ホテル浦島」には、勝浦港の観光桟橋(駅から徒歩5分)からホテル専用の船で渡る。小島にある温泉。入館のチケット(2000円)を桟橋前のホテルの案内所で買う。“忘帰洞”は、聞きしに勝る天然の大洞窟風呂。海食洞に湧き出る温泉で、湯量は豊富。湯につかりながら眺める太平洋の荒波が豪快な気分にさせてくれる。

「ウワー、やったネー!」
 と、湯につかりながら、思わず喜びの声が出てしまうほどだ。

“忘帰洞”に満足し観光桟橋に戻る。
 駅に向かって歩いていると、八百屋の店先に並ぶまっ赤なトマトが目に入る。店のおかみさんに
「ひとつだけ、売ってもらえますか?」
 と聞くと、コックリとうなずき、きれいに水で洗ってくれた。南紀の人は心やさしい。熟れたトマトはぼくの好物。歩きながら、1個50円の大きなトマトにガブリとかぶりつくのだった。

 紀伊勝浦発12時44分の紀伊田辺行きに乗り、次の湯川で下車。ゆりの山温泉、湯川温泉、夏山温泉の順にまわることにする。

 駅前を走る国道42号を勝浦方向に100メートルほど行き、左に折れ、300メートルほど入ったところにゆりの山温泉の公衆温泉浴場(入浴料300円)がある。湯量豊富。湯はザーザー音をたてて湯船からあふれ出ていた。

 次に、国道42号に戻り、さらに勝浦方向に歩いたところにある湯川温泉「喜代門」(入浴料500円)の湯に入った。ここの湯もおしげもなく湯船からあふれ出ていた。

 最後は海辺の一軒宿の温泉、夏山温泉。
「コンニチワー、ゴメンクダサーイ」
 と、10分以上も大声をはりあげてねばったが、誰も出てこない。列車の時間もあるので、ついに断念。湯川駅に戻った。

 湯川発15時07分の紀伊田辺行きに乗り、次の太地で下車。今晩の宿の太地温泉の国民宿舎「白鯨」に向かう。

 太地の町は駅からかなり離れているので、炎天下、汗ダクになって歩く。30分ほど歩くと「くじらの博物館」(入館料1030円)。さすがに鯨漁で栄えた太地だけあって、鯨の博物館があるのだ。1階は鯨の骨格標本、2階は鯨の生態、3階は捕鯨の資料といった内容の「くじらの博物館」を見学した。

 いったん国民宿舎「白鯨」の前を通りすぎ、太地漁港までいってみる。

 太地では今でも細々と捕鯨がつづけられているが、太地港所属の捕鯨船は2隻あるとのことで、そのうちの1隻を港内で見た。もう1隻は銚子沖で操業中だという。
 捕鯨船のほかに、突き漁で鯨やイルカをとる漁船(小船)が何隻も停泊していた。

 国民宿舎「白鯨」にチェックインすると、まずは温泉。ガラス張りの大浴場で、夕日にきらめく太平洋を眺めながら、ゆったりと体をのばして湯につかる。

 湯から上がると、夕食だ。
 さすがに鯨の町だけあって、鯨コースの夕食は、鯨料理のオンパレード。どのような鯨料理かというと、次のようなものである。

 1、オノミ(赤身)とウネス(脂身)の刺し身。ショウガ醤油につけて食べる。
 2、サエズリ。鯨の舌で、トロッとした味わい。酢味噌をつけて食べる。
 3、コロ。皮から脂分を抜いたもので、シコシココリコリとした歯ごたえ。さっぱりと   した味で、酢味噌をつけて食べる。
 4、オバケ(尾羽毛)。ワサビあえの薄いミント色で、シソの葉の上にのっている。か   むと、クチュクチュクチャクチャと、チューインガムのようだ。
 5、甘辛く煮つけた内臓。ダイコンおろしが添えられている。これがコクのあるいい味   。
 6、鯨肉の佃煮風ゴマあえ。
 7、スキヤキ。鯨肉がドサーッと入っている。

 すごいのだが、鯨料理以外のものといえば、酢にひたした小魚のフライとサラダ、つけ物だけ。鯨料理だけで満腹になるのだった。


本州最南端の湯に入ったゾ!
 翌朝5時、国民宿舎「白鯨」を出発。太地の海に昇る朝日を見ながら駅まで歩く。
 太地発6時17分の一番列車に乗り、6時45分、“本州最南端駅”の串本に到着。“本州最南端の温泉”串本温泉の湯に入るのだ。

 まず、駅前温泉旅館「海月」に行く。だが入浴のみは不可。次に駅から徒歩5分の町営「サンゴの湯」に行く。残念ながら11時から…。

 町役場近くの温泉旅館「和田金別館」に最後のチャンスを託すと、ありがたいことに入浴OK。入浴料600円。ちょうど朝食の時間帯なので、泊まり客の姿もなく、湯船を独占して湯につかった。九州本土最南端の開聞温泉、四国最南端の四万十温泉にひきつづいて本州最南端の温泉に入ることのできた喜びをかみしめる。

 このあたりが旅人心理とでもいおうか、“我ら旅人”は最端の地にこだわる人種なのである。
 最端岬、最端駅、最端温泉‥‥には、なんとしても行きたくなるもの。最端の地まで行くことによって、旅にふくらみが出るのは間違いないことだ。

 串本発8時02分の列車に乗り、周参見到着は8時31分。
 周参見温泉は駅に近い。次の列車まで時間はたっぷりあるので、駅前海水浴場でひと泳ぎし、「はまゆう荘」(入浴料300円)の湯に入った。海で泳いだあとに入る温泉というのも、なかなかいいものだ。肌にこびりついた塩水が、きれいさっぱりとぬぐいさられていく。

 周参見発10時02分の列車に乗り、椿到着は10時18分。椿温泉は駅から30分ほど歩く。

 南紀の強烈な日差しを浴びつづけたので、国道42号沿いの椿温泉に着いたときは日射病にかかったかのようにフラフラ。「椿楼」に行ったが入浴のみは不可。国道をはさんで反対側にある「ホテルしらさぎ」(入浴料500円)の湯に入った。

 ここの湯は4階の展望風呂。眺めが抜群にいい。湯から上がると、“ホテルしらさぎのおかみさん”にいわれた。

「この暑さなのに、よく駅から歩いてきたわね。歩いて疲れて、温泉に入ってまた疲れて……、ご苦労さま」
“ホテルしらさぎのおかみさん”の表情には、何てバカなことをしている人なんでしょうといったあきれ顔と、よくがんばっているわねといった、ちょっとほめてあげたいわという顔が同居していた。

 次の下車駅の白浜着は11時50分。最初は白浜温泉まで歩いていくつもりだったが、あまりの暑さに、無意識のうちにバスに飛び乗ってしまった……。

 湯崎で降り、海辺の無料の露天風呂「崎の湯」と共同浴場の「牟婁の湯」(入浴料200円)に入った。
「崎の湯」は旅行者のよく来る湯なので、「すいません、シャッターを押してくださーい」と、旅行者同士での写真のとりあいになる。それに対して「牟婁の湯」の入浴客は、一目で地元のみなさんとわかるような人たちだった。

 南紀最大の温泉地、白浜温泉のなかでも、このあたりは一番歴史の古い地区。“湯崎七湯”(崎の湯、浜の湯、元湯、礦湯、阿波湯、疝気湯、屋形湯)でその名を知られ、飛鳥時代の天智天皇や持統天皇が沐浴に来たといういいつたえもあるほどの歴史の古さだ。

 白浜発13時51分の列車に乗り、紀伊田辺到着は14時08分。弁慶の銅像の建つ駅前から、炎天下、汗まみれになって30分ほど歩き、田辺温泉の一軒宿「中嶋荘」まで行った。だが、休業中。ガックリ…。

 田辺駅に向かって歩いていると、和歌山放送のラジオカーが止まり、女性アナに声をかけられた。南紀の海のように明るい人。今どき、汗を流して歩いている旅行者など珍しいからなのだろう、“和歌山放送の女性アナ”にはあれこれと聞かれた。これが旅のおもしろさ、毎日、いろいろな人に出会えるし、いろいろなことが起きるものだ。

 紀伊田辺発15時35分の和歌山行きに乗るつもりにしていたが、その前に、15時21分発のL特急「くろしお20号」天王寺行きが到着。鈍行列車に乗り継いでいると、ときどき、無性に特急列車に乗りたくなることがあるが、このときもそうだった。

「わずか、ひと駅だから、まあいいか……」と、ホームに入った「くろしお20号」を見ると、衝動的に飛び乗った。

 白浜のバスといい、紀伊田辺の特急列車といい、“鈍行乗り継ぎ”の旅の原則を曲げてしまって……。渡辺香織さん(月刊『旅』での連載を担当してくれている若き美人編集者)に、「ゴメンナサイ!」と、心の中であやまっておく。

 15時27分、南部着。
 今晩の宿、南紀の温泉めぐりの第9湯目になる南部温泉の国民宿舎「紀州路みなべ」に向かって歩いていく。

 海沿いの道を30分ほど歩き「紀州路みなべ」に着くと、隣あった砂浜で夕暮れまで泳いだ。そのあとで入る温泉は、たまらなく気持ちいい! 
 湯につかりながら、夕日を浴びてまっ赤に染まる南紀の海を眺めるのだった。


忍者の里の伊賀温泉
「紀伊半島一周」の最終日は、南部発5時35分の一番列車に乗る。大阪のターミナル駅、天王寺行きの、4両編成の電車。御坊、海南を通り、7時09分、和歌山着。亀山からここ、和歌山までが紀勢本線になる。

 天王寺行きの電車は、和歌山で4両増結され、阪和線の大阪圏への通勤電車(快速)に変身。いっぺんに現実の世界に引き戻されたような気分を味わう。満員の乗客をのせ、8時32分、終点の天王寺に到着。天王寺駅は、大阪の紀伊半島への玄関口になっている。

 天王寺から名古屋までは、関西本線を乗り継ぎ、その間の温泉に立ち寄ることにする。 この間では、また、紀勢本線の荷坂峠のときと同じように、旧分国の国境にこだわってみた。

 関西本線は「大阪(湊町)→奈良」、「奈良→亀山」、「亀山→名古屋」の3区間ではそれぞれに違った顔を見せ、1本の路線とはとうてい思えない。

「大阪→奈良」は快速電車がひんぱんに走る幹線だが、奈良を過ぎるとぐっとローカル線の色彩が濃くなる。
 京都線、片町線の分岐する木津駅を過ぎると、山中に入り、線路も単線になる。
 電化区間は次の加茂駅までで、加茂、亀山の間は、気動車が走る。
「亀山→名古屋」は電化区間だが、一部を除き、大半は単線である。

 さて、8時50分発の奈良行き快速電車に乗り天王寺を出ると、大和川に沿って奈良盆地に入っていく。大阪・奈良の府県境が河内と大和の国境になる。

 奈良で加茂行きに乗り換えるとすぐに奈良・京都の府県境を越えるが、そこが大和と山城の国境になる。木津を通り、10時02分、加茂着。すぐに亀山行き2両編成の気動車に乗り換え、次の笠置で下車。木津川河畔の笠置温泉「笠置館」に行く。駅から徒歩5分。木造の重厚な建物。だが、冷泉で、客が来たときだけ沸かすとのことで、残念ながら笠置温泉には入れなかった。

 笠置発11時16分の亀山行きに乗る。
 月ヶ瀬駅を過ぎると、京都・三重の府県境を越えるが、そこが山城・伊賀の国境になる。伊賀上野着11時44分。伊賀上野駅からは、“和銅の道”といって、御斉峠を越えて近江(滋賀県)に通じる古道を40分ほど歩き、山中の一軒宿、伊賀温泉「星雲荘」(入浴料400円)の湯に入った。

 さすがに忍者の里の温泉だけあって、男湯は“忍の湯”、女湯は“くノ一の湯”と名前がつけられている。ぼくは“忍の湯”を独り占めにし、手足をおもいっきり伸ばして湯につかった。ちなみに、さきほどの御斉峠を越えれば、もうひとつの忍者の里の甲賀である。

 伊賀上野発13時40分発の亀山行きに乗る。拓殖駅を過ぎると加太越のトンネルを抜けるが、その峠が伊賀と伊勢の国境になっている。同じ三重県でも、伊賀は大阪に目が向き、伊勢は名古屋に目が向いている。

 亀山到着は14時25分。名古屋行きの2両編成の電車に乗換え、木曽川を渡って愛知県に入る。この県境が、伊勢と尾張の国境になる。永和で下車。歩いて30分ほどの尾張温泉に行く。「尾張温泉東海センター」(入浴料500円)の大きな庭石をふんだんにちりばめた“庭園大浴場”の湯につかり、それを「紀伊半島一周」の最後の温泉とした。

 名古屋からは東海道本線の“鈍行乗り継ぎ”で東京へ。
 浜松、静岡乗り換えで、東京着は23時49分。最初の“大垣行き”から数えて23本目の鈍行列車で東京駅に戻ってきた。

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(10)

(月刊『旅』1994年11月号 所収)

箱根の温泉を総ナメだ!
 東京駅発の長距離最終“大垣行き”に乗りつづけてきた“鈍行乗り継ぎ”の「分割・日本一周」だが、今回の東海道本線篇では、5時20分発の静岡行き一番列車に乗った。

 夜明けの東京を離れていくのも、またいいものだ。すっかり化粧を落とした女性の素顔をみるような、なんともいえないすがすがしさがある。

 多摩川の鉄橋を渡って神奈川県に入る。横浜を通り、6時45分、小田原に到着。いったん改札口を出、駅舎と駅前の写真をとる。これは駅に着いたときの、ぼくの儀式のようなものなのである。

 と、同時に、間近に迫った箱根の山々に向かって、腹に力を入れて吼えるのだ。
「今、行くゾー、箱根の温泉を総ナメにしてやるからなー!」

 小田原駅構内の売店で小鰺の押しずしを買い、箱根登山鉄道の2両編成の電車に乗り込む。冷房ナシ。電車が発車すると、窓をあけ、気持ちよい風を受けながら駅弁を食べる。食べ終わるころには箱根湯本到着。 

 時間は7時13分。
「さー、これからが、大勝負!」
 自分で自分の気持ちを奮い立たせる。
 いよいよ、箱根の温泉めぐりの開始だ。

 箱根の山々の入口に位置する箱根湯本温泉を第1湯目にし、東海道(国道1号)沿いの箱根の温泉に入りまくりながら、歩いて箱根峠を越えるのだ。泊まりは、三島郊外の竹倉温泉。はたしてうまくいくだろうか……と、自信半分、不安半分の揺れる気持ちの旅立ちになった。

 箱根湯本温泉には共同浴場がある。だが、9時オープン。そこで、温泉旅館を当たってみることにする。とはいっても、ここは箱根、うまく入浴させてもらえるだろうか……。

 小さめな温泉旅館に狙いをしぼり、何軒もまわる覚悟で歩きはじめたが、なんと最初の「大和館」で入浴OK!

 思わず「やったネー」のガッツポーズ。入浴料600円。宿のおかみさんに何度も「ありがとうございます」と頭を下げて浴室へ。無色透明の湯があふれ出ている湯船にそっと身を沈めたが、それでもザーッと音をたてて湯が流れ出る。湯につかりながら、第1湯目の温泉に、それもすんなりと入れたありがたさをかみしめるのだ。
                                      

猛暑の中の共同浴場めぐり
 箱根湯本温泉から早川の流れに沿って、東海道(国道1号)を歩きはじめると、あっというまに箱根の山中に入っていく。

 第2湯目の塔ノ沢温泉へ。徒歩5分。早川の渓流沿いに温泉旅館が10軒ほど建ち並んでいる。こぢんまりとした温泉街だ。

 塔ノ沢温泉には、共同浴場の「上湯温泉大衆浴場」(入浴料250円)がある。しかし、オープンは9時から。時間はまだ8時前で、1時間以上もある。

 断られてモトモトという気分で、共同浴場の入口の戸をガラガラッとあけると、
「いいですよ、どうぞ、どうぞ。早い人は7時過ぎに来ますよ」
 と、番台のお兄さんに笑顔で迎えられ、営業時間前に入浴させてもらうことができた。

 なるほど、つぎつぎに常連サンたちがやってきて、湯船の中で和気あいあいと話に花が咲く。この裸同士のつきあいが、共同浴場の大きな魅力だ。

 湯の中では、「私はここが痛むのですよ」、「いやー、私は膝の関節をやられましてね」と、2人の常連サンが“痛い痛い自慢”をしている。こういうときはどこかが痛くないと肩身の狭い思いをするが、“痛い痛い自慢”は共同浴場ではよく見られる光景だ。

 塔ノ沢温泉から第3湯目の大平台温泉へ。
 国道1号の登りは急坂になり、鋭いカーブが連続する。あっというまに暑さが厳しくなり、真夏の太陽がカーッと照りつけてくる。ヒーヒーハーハーいって歩く。汗がドクドク音をたてるかのように吹き出してくる。
「なんでー、ここは箱根なのに……」
 と、嘆き節が出るほどの猛暑なのだ。

 塔ノ沢温泉から徒歩30分、大平台温泉に着くと、まっ先に店に飛び込み、冷たいコーラとジュースを飲んだ。その店で、共同浴場「姫之湯」(入浴料250円)の入浴券を買い、さっそく湯に入る。

 暑い日にさっと熱い湯に入るのは、すごく気分のいいもの。「姫之湯」は木造の新しい建物で、きれいな浴室。円形の湯船が洒落ている。ここでも、地元の常連サンたちが、湯につかりながら世間話を楽しんでいた。

 それはまさに社交場といった光景。そうなのだ、共同浴場はわずかなお金で心身ともにリフレッシュできる社交場なのだ。
 ぼくは浴室の片すみで、みなさんのそんな世間話をさりげなく聞くのだった。

 大平台温泉から第4湯目の宮ノ下温泉までは徒歩15分。ここでも共同浴場の湯に入った。「太閤湯」(入浴料200円)で、入浴券は前の菓子店で買う。「太閤湯」というからには、豊臣秀吉の小田原攻めにまつわる何か伝説が残されているのだろう。

 ここの湯は熱湯で、源泉は71度だという。小さな湯船には、水が流しっぱなしになっている。これら塔ノ沢温泉、大平台温泉、宮ノ下温泉の3湯の共同浴場は、心に残るものだった。
                                   

ひたすら歩いて箱根峠へ
「太閤湯」の湯から上がると、宮ノ下温泉に隣り合っている堂ヶ島温泉、木賀温泉、底倉温泉の3湯に行く。

 まず最初は、堂ヶ島温泉。早川の谷底にケーブルカーで下っていく「対星館」と、ロープウェーで下っていく「大和屋ホテル」の2軒の温泉宿があるのだか、ともに入浴のみは不可だった。残念……。以前は入浴のみもさせてくれたのだけど‥‥。

 次は、木賀温泉。温泉旅館「初花」の玄関で、「コンニチハー、ゴメンクダサーイ」を何度も繰り返したが、誰も出てこない。諦め、国家公務員の共済施設「KKR宮ノ下」に行ったが、ここも入浴のみは不可。またしても残念……。

 最後は、“太閤の岩風呂”で知られる底倉温泉。豊臣秀吉の小田原攻めのとき、将兵の労をねぎらったという“太閤の岩風呂”だが、今では湯も涸れ、柵で囲われた渓谷の岩風呂跡は史跡になっている。ここでは温泉旅館の「つたや」に行ったが、入浴料2000円と聞いて断念……。結局、3湯、全部に入れなかった。

 やはり箱根の温泉は、入浴のみは難しかった。

 宮ノ下温泉を出発。第5湯目の小涌谷温泉を目指し、国道1号を歩く。途中から遊歩道に入る。しきりなしに通り過ぎる車の騒音から解放され、ホッと一息つくことができた。

 宮ノ下温泉から徒歩15分の小涌谷温泉では、箱根登山鉄道の小涌谷駅に近い温泉旅館「長楽荘」(入浴料500円)の湯に入る。“長楽荘のおかみさん”は、
「ウチの温泉は、水でうめてもいないし、沸かしてもいないし。湧き出たまんまのお湯だから、とっても体にいいのよ」
 と、自慢気だ。

 小さな湯船だが、その自慢の湯にドボーンとつかる。湯から上がると、座敷に冷たい麦茶が用意されていた。さらにフルーツゼリーまで出してくれた。そんな“長楽荘のおかみさん”のやさしさがうれしかった。

 つづいて第6湯目の二ノ平温泉。“源泉浴場”と銘打った「亀の湯」(入浴料500円)の湯に入る。

 箱根の6湯に入ったところで、国道1号沿いのレストランで昼食。ハンバーガー定食を食べ、それをパワー源にして、箱根峠を目指して歩いていく。

 だが、まさに難行苦行の連続。目の前が真っ白になるくらいの厳しい暑さと、苦しい登り坂。おまけに歩道がないので、疾走する車の恐怖にさらされる。歩いてみると、昔の人たちの峠越えの大変さがよくわかった。

 やっとの思いで芦之湯温泉まで来たが、泣く泣くパス。どうしても夕暮れまでに、三島郊外の竹倉温泉に着きたかったからだ。

 駒ヶ岳東麓の芦之湯温泉の歴史は古く、箱根湯本、塔ノ沢、宮ノ下、堂ヶ島、木賀、底倉とともに江戸期以来の“箱根七湯”で知られている。結局、この“箱根七湯”のうち、入れたのは3湯だけだった……。

 国道1号の最高所、標高874メートル地点を過ぎ、元箱根へと下っていく。芦之湯温泉から引湯している芦ノ湖温泉もパスし、ただひたすらに歩く。芦ノ湖の湖畔に出、旧東海道の杉並木を通り抜け、箱根関所跡からは一気に箱根峠へと登った。標高846メートルの箱根峠にたどり着いたときは、肩で大きく息をするのだった。

 箱根峠は、神奈川と静岡の県境の峠。休む間もなく、三島へと足早に下っていく。山地と平地の境目あたりまで下ったところで、国道1号を左折し、竹倉温泉へ。妙法蓮華寺という日蓮宗の大きな寺のある玉沢の集落を通り、新幹線と東海道本線のガードをくぐり抜けると竹倉温泉に到着! 

 温泉宿が3軒ある田園の湯治場。すでに日は落ち、あたりは薄暗い。箱根湯本温泉から12時間かかっての到着だ。

 電話で予約を入れてある「伯日荘」に行く。泊まり客はぼく1人。さあ、温泉だ。すぐさま浴室に行き、赤茶けた色の湯につかる。泉質は炭酸鉄泉。湯から上がり、体重を計ると、65キロ。まる1日、猛烈な汗をかいて歩いたので、いっぺんに3キロも体重が落ちてしまった。

 翌朝は4時に宿を出発。5キロほどの道のりを歩き、5時20分、三島駅に到着。東海道本線の鈍行列車だと30分ほどの小田原―三島間を22時間30分かけて歩いたことになる。わずか1日で、足の裏はマメだらけになってしまったのだ。


身延線は温泉の宝庫
 三島発5時38分の東海道本線下りの一番列車、浜松行きに乗る。右手の車窓には雪のない夏の富士山。富士駅で身延線に乗り換える。甲府行きの3両編成の電車。富士宮を通り、山梨県に入った最初の駅、十島で下車。富士川の両側には山々が迫っている。

 十島駅から徒歩15分、富士川を渡り、万沢温泉に着く。一軒宿の「別草旅館」で入浴を頼むと、
「ほんとうは10時からなのだけど、来ちゃったんじゃ、しょうがないわねー」
 と、若奥さんの明るい声。入浴料500円。

 富士川沿いに走る身延線沿線は、あまり知られていないが温泉の宝庫で、温泉があちこちにある。まずは、その第1湯目の万沢温泉の湯に入ることができた。すでに泊まり客はチェックアウトしたようで、入浴客はぼく一人。明るくてきれいな浴室の湯船に、ゆったりとした気分でつかった。

 十島駅に戻る。次の列車まで、1時間40分の待ち時間があるので、もう1湯、佐野川温泉までいく。4キロほどあるので、ギラギラ照りつける炎天下を走った。山間の一軒宿(入浴料550円)。浴室には熱い湯と冷泉(源泉)の2つの湯船。混浴の露天風呂もある。それらの湯にさっと入り、また、十島駅まで走っていくのだ。

 この炎天下、あまりの辛さに、
「いったい、自分は何をやっているんだろう‥‥」
 と、情けない気分にも襲われるのだった。

 次は、内船駅で下車する内船温泉。徒歩15分の、山間のひなびた温泉。だが、「寿楽荘」「喜遊荘」の、2軒の温泉宿はともに休み……。

 この“鈍行乗り継ぎ”の温泉めぐりでは、行く先の温泉に入れるかどうか、事前には一切調べない。というのは、もし入れないとわかっていたら、内船駅で降りるようなこともないだろうし、胸をときめかせて内船温泉まで歩いていくこともないだろう。

 もちろん、1湯でも多くの温泉に入るのは大事だ。しかし温泉という切り口で、見知らぬ駅で降り、見知らぬ町や村を歩くことのほうがもっと大事なことなのである。

 それともうひとつ、旅のおもしろさというのは、“一寸先が闇”というか、何が起きるのかわからないというところにあるので、できるだけ先は見えないほうがいいのだ。

 内船駅に戻ると、“駅前食堂”に入る。テレビの高校野球を見ながら、たっぷりと時間をかけ、いつものようなラーメンライスの昼食を食べる。

 そして、身延へ。身延到着は12時11分。駅舎を出ると、強烈な暑さだ。

 日蓮宗の本山、久遠寺で知られる身延だが、その門前には一軒宿の温泉、身延温泉がある。駅から歩いて1時間、久遠寺の総門にたどり着いたときには、さきほどの佐野川温泉への往復の疲れも重なって、もうフラフラ。

 すさまじい暑さで、日射病の一歩手前状態だ。
 そんな体にムチ打って、「身延温泉ホテル」に行く。入浴OK。入浴料は500円。不思議なもので、大きな湯船に身をひたしていると、また元気が出てくる。

 温泉で身を清めたところで、身延山の参拝だ。門前町を歩き、仁王像をまつる山門をくぐり抜ける。杉木立の参道を歩き、全部で287段あるという急な石段を登る。白装束に身をつつんだ信者たちの“南無妙法蓮華経”の声が、山々にこだまする。やっとの思いで石段を登りつめ、本堂で手を合わせた。

 身延山の帰り道も、すさまじい暑さに変わりはなく、まさに焦熱地獄。身延駅に戻っても、待合室でしばらくは動けない。鉛の重りを引きずるようにして、15時42分発の電車に乗り込むのだった。

 身延の次は塩之沢。駅前に塩之沢温泉があるが、なにしろ本数の少ない身延線なので、残念ながらパス。塩之沢の次は波高島。駅の近くに湯沢温泉があるが、残念の連チャンでまたしてもパス……。そして、次の下部温泉駅で下車する。

“信玄の隠し湯”で知られる下部温泉は、身延線沿線のなかでは、唯一の大温泉地。30軒以上の温泉ホテル・旅館が建ち並んでいる。

 ここではまず、公衆温泉浴場の「下部温泉会館」(入浴料250円)の湯に入る。そのあと、前から一度は入ってみたいと思っていた「古湯坊源泉館」の岩風呂に行く。だが、入浴のみは、8時から12時までだった。

 今晩の宿泊は、下部温泉の次、甲斐常葉駅で下車する常葉温泉の「光泉閣」。駅から徒歩5分。田園のなかの一軒宿で、身延線沿線の第5湯目。昨晩の竹倉温泉と同じように、泊まり客はぼく1人だった。硫化水素泉で、湯はサラサラしている。そのなかに身をひたしたときの、シュワーッとした爽快感がたまらない。温い湯と冷泉の2つの湯船があるが、この猛暑なので、冷泉が気持ちよかった。 

 湯から上がると、部屋の窓を開けっ放しにし、夕風に吹かれながらビールを飲む。
 クワーッ、たまらない! 
 腹わたにしみわたるようだ。

 暮れゆく山あいの里の風景をおかずにし、夕食を食べる。なんとも心豊かな食事だ。“光泉閣のおかみさん”は食後のデザートにと、庭の棚で摘み取ったばかりのブドウを持ってきてくれた。

 翌朝は一番列車に乗るため、5時半の起床。仕度を整え出発しようとすると、まだ6時前だというのに“光泉閣のおかみさん”はナメコ汁をつくってくれた。自家製味噌の味の濃いヤツだ。
 これがうまい!

 そのあとで、お茶漬けを1杯、もらう。おかみさん、ありがとう。

 甲斐常葉発6時28分の富士経由沼津行きに乗る。一番列車なのに、車内はけっこう混んでいる。若者のグループや親子連れの海水浴客が目立って多い。

 甲州人の海へのあこがれがつたわってくるような車内の熱い空気だった。
 こうして身延線の旅を終え、7時58分、富士に到着。さー、これからは、東海道本線沿線の温泉めぐりだ。
                             

「カソリさんですよねー」
 富士発8時11分の豊橋行きに乗る。
 さすがに東海道本線だけあって、ほぼ満員の乗客。清水、静岡を通り、8時58分着の焼津で下車する。焼津といえば八戸や銚子と並ぶ太平洋岸屈指の大漁港だが、駅前には“やいづ黒潮温泉”のモニュメントが立っていて、“焼津温泉”から“やいづ黒潮温泉”と名前を変えた温泉を売りものにしている。

 マグロが水揚げされている遠洋漁業の基地、焼津漁港をひと目みたあと、漁港近くの、国道150号に面した市営「サンライフ焼津」に行く。駅から徒歩10分。アスレチックジムやプールとともに、公衆温泉浴場(入浴料400円)がある。

 朝9時のオープンだが、すでに入浴客は多く、ワサワサといった感じで込みあっている。食塩泉で、無色透明の湯には、若干の塩味がある。露天風呂もある。「サンライフ焼津」は、焼津市民の絶好のオアシスになっている。

 焼津発10時04分の豊橋行きに乗る。

 この列車もほぼ満員。東海道本線の“鈍行乗り継ぎ”は、列車の本数が多いのできわめて楽だ。10時11分着の藤枝で下車し、駅から3キロほどの志太温泉を目指す。

 駅前の大通りを国道1号に向かって歩いているときのことだ。3、4人の女子高生にすれ違ったが、彼女らにジッとみつめられた。彼女ら、ニコッと笑顔を見せると、エイエイという感じでVサインを送ってくるのだ。
「おいおいキミたち、オジサンをからかうんじゃないよ」

 という言葉が出かかった反面、内心では、彼女らのかわいらしい仕草にうれしくなってしまう。そんなことがって、志太温泉に向かう足取りはいっぺんに軽くなった。

 国道1号の青木交差点を横切り、旧東海道の松並木の名残の松を見ながら、炎天下、大汗をかいて歩く。50分かかって温泉旅館が2軒ある志太温泉に着く。

「旅館元湯」(入浴料1000円)の湯に入れた。食塩泉。やいづ黒潮温泉よりも、はるかに塩分の濃い湯。木の香が漂うヒノキの湯船につかり、帰り道は、ゆったりとした気分で歩いた。

 駅近くのラーメン屋で、いつものラーメンライスの昼食を食べ、藤枝発12時41分の浜松行きに乗る。
 またしても混んでいる。

 今までの“鈍行乗り継ぎ”では、ガラガラの列車に乗ることが多かったので、
「やっぱり、東海道線は違うなあー」
 と、感心してしまうのだ。

 13時08分着の掛川で下車。法泉寺温泉に行くつもりにしていた。ところが駅舎を一歩出、ま昼の太陽にカーッと照りつけられると、急に弱気になってしまう。
 法泉寺温泉までは、6キロほどの距離があるのだ。
「あー、往復で12キロか……」

 掛川駅で降りてはみたものの、どうしても足が前に出ない。1湯でも多くの温泉に入りたいというぼくの気持ちとは裏腹に、体が拒絶してしまうのだ。さんざん迷ったあげくについに法泉寺温泉を断念。この猛暑に打ちのめされた格好だ。

「法泉寺温泉まで歩いていっても、温泉に入れるのかどうか、わからないことだし……」
 などと、自分で自分に言い訳をし、掛川発13時18分の浜松行きに乗るのだった。

 浜松で大垣行きに乗り換え、13時56分、弁天島着。浜名湖の太平洋への出口に近い弁天島の海水浴場は、大勢の海水浴客でにぎわっていた。この弁天島駅前に、弁天島温泉がある。何軒かの温泉ホテルが建ち並ぶ“駅前温泉”だ。

 ところが「開春楼」「丸文」「遊船家」「白砂亭」と聞いてまわったが、どこも入浴のみは不可。せっかくの“駅前温泉”なのに……、もう、ガックリだ。温泉のかわりに、水着に着替え、駅前海水浴場でひと泳ぎした。

 弁天島発14時56分の美濃赤坂行きに乗り、静岡県から愛知県に入る。
 豊橋を通り、15時39分、三河三谷に着く。

 三谷温泉へ。徒歩20分。高台にある温泉で、三河湾を一望する。ここでも何軒かの温泉宿で入浴を頼んでみたが、弁天島温泉と同じで、入浴のみは不可。すごすごと肩を落として三河三谷駅に戻っていく。

 その途中で、1台のトラックが止まった。
「あのー、カソリさん? カソリさんですよねー、やっぱり!」
 と、地元、蒲郡の坂本茂雄さん。

 坂本さんは、ふだんはオフロードバイクのヤマハTT250Rに乗っている。
「暑いだけで終わっちゃう……と嘆いていた今年の夏だけど、こうしてカソリさんに会えて、いい思い出ができましたよ」
 といって喜んでくれた坂本さんのおかげで、しょぼくれた気分も吹き飛んでしまった。


旧中村遊廓跡の中京温泉
 三河三谷発16時31分の快速米原行きに乗り、17時19分、今晩の宿泊地の名古屋に着く。
 あまり知られていないが、名古屋にも温泉がある。太閤口に出、駅前の道を20分ほど一直線に歩いたところに、中京温泉がある。

 一軒宿の「大観荘」に泊まった。このあたりは旧中村遊廓跡。「大観荘」は大正12年に建てられたということで、中村遊廓の時代をそのまま今にとどめている。建物全体にしみついた色香を感じ、何とはなしになまめかしい。

 温泉は昭和32年に掘り当てたということで、さっそく湯に入り、塩が吹き出すほど汗まみれになった体を洗う。湯から上がると、部屋にはたいそうなご馳走の夕食が用意されていた。

 冷たいビールを飲み、夕食を食べ終わったところで、町に出、名古屋市内にあるという温泉公衆浴場に行くつもりにしていた。

 ところが一日、炎天下を歩いた疲れは大きく、「ちょっとだけ‥‥」と横になったら、そのまま寝込んでしまった。気がつくと、夜が明けていた。

 あわてて飛び起き、名古屋駅へと急ぎ、からくも名古屋発5時53分の大垣行きに乗ることができた。車内はガラガラ。ホームの自販機で買った冷たいカンコーヒーを飲む。あやうく、この鈍行下りの一番列車に乗り遅れるところだったので、ホッとし、救われるような思いだった。

 大垣から米原へ。箱根湯本温泉から数えて15湯目の中京温泉を最後に、東海道本線の温泉めぐりを終え、米原からは北陸本線の列車に乗り込む。ここから北陸本線の温泉めぐりがはじまるのだ。

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

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