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世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


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Author: 賀曽利隆
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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(1)
「東日本大震災」1年後の東北太平洋岸を走ろうと、2012年3月10日10時、東京・落合の山手通りに面した「スズキワールド新宿」を出発した。

 バイクはスズキのニューモデル、V-ストローム650ABS。全車、ABSのブレーキシステムを装着している。

 山手通りから首都高に入り、三郷料金所から常磐道を一路、北へ。

 V-ストロームの高速性能は抜群の良さ。アクセルを軽くひねるだけでキュィーーーンという心地よいエンジン音とともに一気に加速する。

 V-ストロームはロングツーリングにはピッタリなバイクだ。

 ポジションのとり方が楽なので自然体で乗れるし、20リッターという大型のタンク容量なので500キロ近く走れるし、2灯式のライトは明るいし、リアにほとんど段差がないので荷物も楽々積める。

 ということで今回は宿がとれないときのために、キャンピング用具一式の入ったツーリングバッグをリアにくくりつけている。

 ところでその3ヵ月前、2012年の正月はニュージーランドで迎えた。

 ニュージーランド南島の中心、クライストチャーチを拠点にレンタルバイクで2200キロ走ったのだが、これが縁というものなのだろう、バイクはV-ストロームだった。

 ニュージーランド南島ツーリングの拠点となったクライストチャーチは、「東日本大震災」の1ヵ月前、2011年2月22日にM6・1の直下型地震に見舞われ、町の中心街は壊滅的な被害を受けた。

 ニュージーランド南島ツーリングでは大地震の10ヵ月後に行ったのだが、中心街の広範なエリアには非常線が張られたままで、立入禁止になっていた。そんな町の姿を目の底に焼きつけて日本に帰ってきたのだった。

 常磐道では一気に東北に入るのではなく、関東側最後の北茨城ICで高速を降り、大津漁港へ。こうして「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」が始まった。

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スズキの650ccバイク、V-ストローム

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V-ストロームのフロント

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V-ストロームのエンジン

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常磐道の三郷料金所を出発

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ニュージーランド南島クライストチャーチの地震の爪痕

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クライストチャーチの中心街は立入禁止

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16

Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(2)
 常磐道で一気に東北に入るのではなく、いわき勿来ICのひとつ手前、関東側最後の北茨城ICで高速を降り、まずは大津漁港に行った。

 そこはまるで大地震直後のような惨状。岸壁には大きな亀裂が何本も入っている。漁港の施設も壊滅状態。大津波というよりも大地震にやられたようだ。以前は無数の漁船で埋め尽くされ、活気にあふれていた大津漁港は閑散としていた。

 大津漁港からは海岸線を走り、五浦岬に立った。岡倉天心ゆかりの六角堂は10メートルを超える大津波で流されたが、復興プロジェクトが急ピッチで進み、まもなく完成するという。

 五浦温泉の「五浦観光ホテル」は営業していたが、日帰り湯「天心乃湯」は閉館したまま…。再建できるのかどうか。ここの湯には何度も入ったことがあり、食堂で「あんこう鍋」を食べたこともあるので、営業再開を願うばかりだ。

 関東と東北を分ける鵜ノ子岬にやってきた。
 岬をはさんで南の関東側が平潟漁港、北の東北側が勿来漁港になる。

 関東側の平潟漁港はアンコウ漁でよく知られている。ここもかなりの被害を受けたが、大津漁港よりはるかに復興が進んでいるように見受けられた。岬の突端まで行くと、断崖の岩壁が激しく崩れ落ちている。それはM9・0という超巨大地震のすごさをうかがわせるものだった。

 関東側の平潟漁港からいったん国道6号に出、茨城・福島の県境を越え、東北に入る。すぐに国道6号を右折し、鵜ノ子岬北側の勿来漁港へ。勿来漁港は茨城県側の大津漁港や平潟漁港ほどにはやられていない。それでも大津波に流されて破壊された漁船が何隻か見られた。

 漁港の岸壁にV-ストロームを停めると、ヤマハのセローに乗った渡辺哲さんがやってきた。渡辺さんのセローはすでに13万3000キロ。渡辺さんもセローもツワモノだ。

 渡辺さんの実家は楢葉町。爆発事故を起こした東京電力福島第1原発の20キロ圏内ということで、いまだ自宅には戻れない。すでに大津波から1年もたっているというのに…。そんな大変な思いをしているのだが、ライダー特有の明るさとでもいおうか、渡辺さんと話しているとかえって元気をもらってしまうほどなのだ。

 渡辺さんは今日一日、同行してくれるという。

 さー、鵜ノ子岬を出発だ。下北半島突端の尻屋崎を目指して行くぞー!

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北茨城の大津漁港

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漁港の岸壁は陥没している

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大津波から1年後の大津漁港

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天心ゆかりの六角堂

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勿来漁港に到着

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勿来漁港での渡辺哲さんとの出会い

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17

Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(3)
 東北・太平洋岸最南端の岬、鵜ノ子岬を出発。カソリのV-ストロームが先頭を走り、渡辺さんのセローがそれをフォローする。
 カソリ&渡辺の「浜通り」の旅がはじまった。

 国道6号経由で小名浜へ。

 2011年3月11日の東日本大震災の2ヵ月後に来た時は段差が連続した国道6号だが、今ではすっかり路面がよくなり、走りやすくなっている。

 国道6号から小名浜に向かう道も大半が新たに舗装され、段差や亀裂、陥没箇所がなくなっている。震災から1年、道路だけ見れば完全に復興しているかのように見える。

 信号もすべて点灯している。震災後しばらくは、信号の消えた交差点で各地からやってきた都道府県警の警察官が交通整理をしていた。そんな光景が今ではなつかしく思い出される。

 いわき市最大の漁港、小名浜には活気が戻っていた。

 東北最大の水族館「アクアマリン」は奇跡の復活をとげ、かつての人気スポット「いわき・ら・ら・ミュウ」も再開し、そこそこの人を集めて海産物を売っている。

 小名浜漁港の「市場食堂」も店舗を新しくして営業を開始している。わくわく気分で「市場食堂」で昼食。メニューは限られたものだが「マグロの漬け丼」(1350円)を食べた。一日も早く地元産の食材を使ったメニューが出ますように!

 ここまではよかったのだが…。

 漁港の岸壁で漁師さんたちの話を聞いたとたんに気持ちは暗くなる。

 魚市場は再開しているのに、水揚げされる魚はほとんどない状態がつづいているという。「小名浜」というだけで、まったく買い手がつかないのだ。金華山沖で獲ったカツオを小名浜漁港で水揚げすると、「キロ100円だよ」といって漁師さんは嘆いていた。福島県沖で獲れたのではないのに…。

 あまりの風評被害の大きさに、いいようのない怒りがこみあげてくる。

 小名浜からは三崎、竜ヶ崎、合磯岬、塩屋崎…と4、5キロの間隔で連続する岬をめぐる。それらの岬は漁港とセットになっている。竜ヶ崎の中之作漁港、合磯岬の江名漁港、塩屋崎の豊間漁港…と。それらいわき市内の漁港はどこも閑散としていた。

 漁は再開できるような状態なのだが、風評被害で漁師さんたちは漁に出て魚を獲っても、水揚げできないのだ。東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故の影響の大きさを目の当たりにするような思いだ。

 塩屋崎の南側は豊間海岸、北側は薄磯海岸で、海辺の集落はともに大津波に襲われて全滅した。いわき市内では最も甚大な被害を出したところで、300人を超える人たちが亡くなった。

 すでに瓦礫は撤去され、家々の土台が残っているだけで、一面の荒野にしか見えない光景が広がっている。住宅の高台への移転はまだ全くはじまってはいない。

 これが震災後1年の風化といものなのだろうか、あの大津波に襲われた直後の生々しい光景は、まるで幻であったかのようにさえ思えてくる。

 豊間と薄磯の両集落は全滅したが、岬の灯台の下に建つ美空ひばりの『みだれ髪』の歌碑は無傷で残った。ここはまさに浜通りの奇跡のスポットだ。

  暗らや涯なや塩屋の岬 
  見えぬ心を照らしておくれ 
  ひとりぽっちにしないでおくれ

『みだれ髪』の歌碑はまるで大津波を予見したかのようだ。

 美空ひばり人気とあいまって、この奇跡のスポットをひと目見ようと、観光バスやマイクロバスが次々にやってくる。大津波の被災地を巡る観光バスを数多く見るようになったのも、震災後1年という時間を強く感じさせた。

 塩屋崎の灯台は高さ50メートルほどの海食崖の断崖上に立っているが、いまだに立入禁止。それだけ大地震の被害が大きかったということなのだろう。

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小名浜漁港の岸壁

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小名浜の魚市場前の「市場食堂」

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「市場食堂」の「マグロの漬け丼」

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豊間から合磯岬を見る

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大津波で全滅した豊間の集落跡

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塩屋崎の美空ひばりの歌碑は残った!

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家々の土台だけが残る薄磯の集落跡

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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(4)
 塩屋崎からは舞子浜を北上。松林の中の県道382号を走る。カソリのV-ストロームが先を行き、渡辺さんのセローがフォローする。

 県道382号は夏井川にかかる橋に大きな段差ができ、長らく通行止めになっていたが、今は通行可。問題なく走れる。

 海岸には大きな瓦礫の山がいくつもできている。
「(この瓦礫処理が)一日も早く終わりますように!」
 と願わずにはいられない。瓦礫の処理が終らないことには、復興はますます遠のくばかり。日本各地で被災地の瓦礫受け入れを反対している住民たちに見せたい光景だ。

 四倉で国道6号と合流し、波立海岸へ。
 短いトンネルで抜けたところが岬。波立岬といってもいいようなところなのだが、岬に名前はついていない。

 国道沿いの「波立食堂」は大津波に押しつぶされたが、反対側の「波立薬師」は無傷で残った。それ以上に驚かされるのは岬の岩礁に立つ赤い鳥居が残ったことだ。

「なぜ、どうして…」
 といいたくなるが、鳥居には何か目に見えない力があるのだろうか。それとも鳥居の形に何か秘密があるのだろうか。今回の大津波の被災地では、いくつもの鳥居が同じようにして残った。これはもう「鳥居の奇跡」としかいいようがない。

 波立海岸から久之浜へ。

 久之浜の海辺の町並みは壊滅状態。ここでは大津波に襲われ、それに追い討ちをかけるように大火に見舞われた。その中にあって秋葉神社だけが残った。一面の荒野と化した被災地にポツンと残った神社…。

 ここでもまたしても「なぜ、どうして?」の声が出てしまう。秋葉神社は火除けの神としてよく知られているが、まるでそれを証明するかのように大津波から残っただけでなく、大火も秋葉神社の手前で止まったのだ。

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無傷で残った波立薬師

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国道6号沿いの波立海岸

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「波立食堂」の跡

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大津波にも耐えて残った岩礁上の鳥居

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殿上崎の北側の久之浜漁港

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一面の荒野と化した久之浜の被災地

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久之浜の被災地にポツンと残った秋葉神社

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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(5)
 久之浜から国道6号を北上。いわき市から広野町に入り、広野町と楢葉町の町境まで行った。

 そこが爆発事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所の20キロ圏で、警察の車両が国道を封鎖し、一般車両は通行止になっている。同行してくれている渡辺さんの家はここからすぐのところにあるのだが、行くことはできない。

 この東電福島第1原発の20キロ圏を折り返し地点にし、国道6号を戻っていく。

 それにしても信じられないようなことだが、国道6号という日本の幹線道路が1年たってもまだ通行止めなのだ。ぼくが知る限り、1桁国道がこのように長期間、通行止めになったケースは知らない。迂回路の県道35号→県道34号も通行止め。東電福島第1原発の爆発事故は福島県の太平洋側の浜通りを完全に分断してしまった。

 久之浜に戻ると、小学校の校庭の一角にできた仮設の商店街に寄った。そこの「からすや食堂」で夕食。ラーメンライス&餃子を食べた。ラーメンも餃子もじつにうまかった。

 この店は夫婦でやっている。もともとの店は久之浜の町中で、秋葉神社の近くにあったという。2人も秋葉神社が残ったのは不思議だといっている。我々が最後の客。我々が食べ終わると、2人は店の電気を消し、車で仮設住宅のある勿来に向かっていった。

 いわき市の北の久之浜と南の勿来では、かなりの距離がある。毎日、大変な距離を往復している。1日も早く久之浜に戻れるのを願うばかりだ。

 久之浜から四倉へ。
 今晩の宿、四倉舞子温泉の「よこ川荘」に到着。ここはいままでに何度となく泊まった宿。温泉に入ったあとは、渡辺さんと大広間でビールを飲んだ。

「よこ川荘」は海岸のすぐ近くにある宿で、大津波をまともに受けた。

 大津波直後の光景を見た渡辺さんは、
「カソリさん、よこ川荘はもう無理ですよ…」
 と、わざわざ電話をくれたほど。

 それが全国からやってきたボランティアのみなさんの支援もあって、見事に宿を再開させたのだ。
「大広間の50畳もの畳を全部、私が運び出したのよ!」
 というおかみさんの話は今や伝説だ。

 そんな「よこ川荘」のおかみさんは、「これ、食べなさい」といってマグロやカツオ、ホタテ、タコの刺身の盛合わせを持ってきてくれた。

「鵜ノ子岬→尻屋崎」第1日目の四倉舞子温泉「よこ川荘」では、渡辺さんとしこたま飲んだ。というよりも飲まずにはいられないような気分。復興からは、はるかに遠い東日本大震災から1年後の浜通りだった。

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閑散とした広野町役場

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国道6号の封鎖地点

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四倉舞子温泉の「よこ川荘」に到着

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渡辺さんとしこたま飲んだ

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「よこ川荘」のおかみさんの差し入れ

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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(6)
 いわき市の四倉舞子温泉「よこ川荘」で迎えた3・11の朝。「東日本大震災」からちょうど1年がたったのだ。

 渡辺哲さんと一緒に「よこ川荘」の周辺を歩く。隣の温泉旅館「なぎさ亭」は大津波に襲われ、3階建の1階部分が全滅、瓦礫はほとんど撤去されたが廃業した。

 舞子浜の海岸線を走る県道382号を渡り、海岸に出る。天気は曇り。冬を思わせるような冷たい風が吹き、太平洋の水平線上には厚い雲が垂れ込めている。

「この海が1年前、牙をむいて襲いかかってきたのか…」

「よこ川荘」に戻ると納豆と目玉焼き、塩ジャケの朝食を食べ、8時、出発。前日と同じようにカソリのスズキV-ストロームが先を走り、渡辺さんのヤマハ・セローがそれにつづいた。

 国道6号から県道41号に入り、県道35号との交差点まで行ったところでバイクを止め、ここで渡辺さんと別れた。自販機のカンコーヒーで別れの乾杯。それは同時に大津波で亡くなった大勢の方々への献杯でもあった。

 渡辺さんは県道35号を北へ。
 カソリはそのまま県道41号を走り、国道399号に出た。

 この国道399号は、爆発事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所の20キロ圏で通行止になっている国道6号の、最短迂回路になっている。

 小川から北上し、一気に山中に入っていく。国道399号を北上すると、周囲はあっというまに雪景色に変っていく。前日は東北の広い範囲で大雪が降ったのだ。峠道にさしかかると、路面は雪とツルンツルンのアイスバーン…。とてもではないが、V-ストロームで走れるような状態ではなかった。

 国道399号は通行止にこそなっていなかったが、地元の人に聞くと、チェーンを装着した四駆でも走行できるかどうかのような路面状況だという。

 国道399号はこの先、いくつもの峠を越えていわき市から川内村、田村市、葛尾村、浪江町と通って飯舘村に通じている。狭路の区間は舗装林道のような道。交通量も極めて少ない。そんな国道399号を走り、飯舘村からは八木沢峠を越える県道12号で南相馬市の原町に出るつもりでいた。

 その国道399号が通れない。
「さー、困った…」

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四倉舞子温泉の「よこ川荘」

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3・11の1年後の太平洋

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海岸には瓦礫の山

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「よこ川荘」の朝食

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「よこ川荘」を出発

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渡辺哲さんとの別れ。「またな~!」

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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(7)
「鵜ノ子岬→尻屋崎」の東北太平洋岸ツーリングは出だしから大きなピンチを迎えた。

「国道6号が走れれば、何ということもないのに…」
 と、改めて爆発事故を起こした東電福島第1原発に、ムラムラッと胸にこみあげてくる怒りを感じた。

 東電福島第1原発の爆発事故によって福島県太平洋岸の「浜通り」は完全に分断され、メチャクチャにされてしまった。このように「東日本大震災」から1年たったというのに、浜通りの南から北に行くのはいまだに大変なことなのだ。

 さー、怒っていても仕方ない。

 とりあえずは来た道を戻り、いわき市の四倉まで戻った。
 四倉の海岸にV-ストロームを止めて、しばし太平洋を眺めた。

 気分が落ち着くと、『ツーリングマップル東北』を見ながらのプランニング。その結果、「男は度胸だ!」と、高速道路に賭けることにした。というのは前日の大雪で磐越道の小野ICから先はチェーン規制がかかっていたからだ。

「北に行くのには、もうそれしかない」と心に決めた。あとは「なるようになれ!」だ。いままでも、いつも、そうしてきたではないかと自分で自分にいい聞かせる。

 いわき四倉ICで常磐道に入った。

 いわき中央ICまでは2車線の対面通行区間。この間に雪はまったくなかった。

 いわき中央ICを過ぎたいわきJCTから磐越道に入った。ここから東北道の郡山JCTまでは全線が4車線。東北道に出られるかどうかが、大きな問題だ。

 磐越道を走りはじめる。最初のうちはまったく雪がない。高速性能抜群のV-ストロームなので、存分にその走りの良さを楽しんだ。

 いわき三和ICを過ぎたあたりから雪景色になってくる。幸い天気は回復し、日が差してくる。路面に雪はない。大量の凍結防止剤がまかれているのでアイスバーンの区間もない。それでも速度を落とし、突然、現れるかもしてないアイスバーンに最大限の注意を払った。

 いよいよ小野ICに近づいてくる。V-ストロームのハンドルを握りながら胸がドキドキしてくる。この先チェーン規制がかかっていたら、高速を降り、下道の国道348号で行くしかないのだが、阿武隈山地の雪の峠を越えられるとは思えなかった。

「ラッキー!」
 磐越道の小野ICから先のチェーン規制は解除されていた。さらに郡山JCTまでの間も路面に雪はなく、アイスバーンもなかった。

 郡山JCTで東北道に入り、福島西ICへ。この間は問題なく走れた。

 福島西ICで東北道を降りると福島市内へ。
 福島からは国道115号で浜通りの相馬に向かう。

 福島の市街地を過ぎたところで最初の峠を越えるが、無事、通過。峠の周辺は雪景色だが、路面に雪はなかった。

 最大の難関は霊山(825m)越えだ。

 ここでは幸いなことに気温が上がり、かなり強い日差しになったので路面の雪はシャーベット状になっていた。そのおかげでタイヤのグリップがあり、転倒することもなく走れた。霊山直下のゆるやかな登りを慎重に走りつづけ、ついに伊達市と相馬市の市境の峠に到達。峠の周辺はかなりの積雪の雪景色だが、路面に雪はなかった。アイスバーンもなかった。

 阿武隈山地の名無しの峠を下っていくと、周囲の雪はスーッと消えていく。

 山地から平地に下り、まもなく開通する常磐道の相馬IC(南相馬IC~相馬IC間は4月8日に開通)の近くを通り、相馬市の中心、中村の市街地に入っていく。そしてJR常磐線の相馬駅前でV-ストロームを止めた。大きな難関を突破したのだ。

「勝ったな!」
 カソリ、賭けに勝ち、浜通りの北側にやってきた。

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東北道の福島西ICに到着

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福島から国道115号を行く

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霊山の雪

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国道115号の名無し峠

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JR常磐線の相馬駅前

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04

Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(8)
 相馬駅前を出発点にして相馬市、南相馬市の「相馬」をめぐる。
 まずは相馬市の中心の中村だ。

 福島から相馬までは国道115号で霊山を越えてやって来たが、この国道115号の「福島→相馬」間は中村街道といわれている。中通りの福島と浜通りの中村を結ぶ街道なのでその名前がある。

 中村は相馬氏6万石の城下町。相馬氏の居城だった中村城跡にある中村神社を参拝。勇壮な東国武者の祭り、「相馬野馬追」の相馬の騎馬武者は、ここから原町の神旗争奪戦を繰り広げる雲雀ヶ原を目指して出発していく。

 中村城は別名馬陵城。城跡はその名をとって馬陵公園になり、相馬市民に親しまれている。ここは浜通りでも有数の桜の名所だ。

 中村城跡には中村神社のほかにもう1社、相馬神社があるが、中村神社と相馬神社の関係がいまいち、よくわからなかった…。

 ここで宮城県大崎市の武内さんから電話をもらった。

 2010年の「林道日本一周」のとき、わざわざ秋田県の横手駅前まで来てくれた人。奥さんとお子さんたちと一緒に相馬まで来たとのことで、「一緒に昼食を食べましょう」という。すぐさま『ツーリングマップル東北』に載っている国道6号沿いの「白瀧」で会いましょうと返事する。

 スズキのV-ストロームを走らせ、中村神社から「白龍」へ。そこで武内さん一家と落ち合った。みなさんと一緒の楽しい食事。ぼくは相馬名物の「ほっき飯」を食べた。

 このあと武内さん一家は松川浦へ。松川浦の海辺で、「東日本大震災」の発生した14時46分を迎え、家族全員で黙祷するという。

 武内さん一家と別れ、カソリは「白龍」から国道6号を南下。南相馬市に入ったところで14時46分を迎えた。

 V-ストロームを路肩に停め、1分間の黙祷。その瞬間、神奈川県伊勢原市の自宅にいたときの、1年前のあの揺れの大きさが思い出された。

 M9・0という超巨大地震(M8・0以上は巨大地震、M9・0以上は超巨大地震と呼んで区別している)のすさまじさとでもいうのだろうか、震源地からはるか遠く離れているのに震度5強の強い揺れ。それまでに体験したことのないようなユサユサユサユサとした揺れが長くつづいた。

 あのときの何ともいえない不気味さ、恐怖感が蘇ってくるのだった。

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中村城址の中村神社

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中村神社の神馬

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中村神社の本殿

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相馬神社

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国道6号沿いの「白龍」

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武内さん一家との楽しい食事会

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「ほっき飯」を食べる

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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(9)
 南相馬市では相馬野馬追の原町の騎馬武者軍団が出発する太田神社を参拝し、国道6号の通行止地点まで行った。そこが爆発事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所20キロ圏の北側になる。

 南相馬市は2006年1月、原町市と鹿島町、小高町の1市2町が合併して誕生した。今回の大津波で大きな被害を受けるまでは、おそらく日本中のほとんど人が「南相馬市」を知らなかったことだろう。その南相馬市の南側が旧小高町になる。東電の福島第1原発の爆発事故によって、この旧小高町には入れなくなってしまったのだ。

 小高は相馬氏発祥の地といっていいようなところで、小高城跡の小高神社から相馬野馬追の小高の騎馬武者軍団は出発する。

 中村の中村神社、原町の太田神社、小高の小高神社とこの3社があっての相馬野馬追なのだが、原発事故によって小高神社に立入ることができなくなってしまった。

 それでも昨年、小高神社抜きの片肺状態で相馬野馬追がおこなわれた。ほんとうによかった。相馬野馬追の今年の開催も決定しているので、なんとか3社合わせての相馬野馬追になってほしいと願うばかりだった。

 国道6号の封鎖地点で折り返し、海沿いの県道260号→県道74号を行く。沿道には延々と大津波の被災地がつづくが、すでに大半の瓦礫が撤去され、はてしなく広がる無人の荒野を行くようなもの。もう何と表現していいのかわからないが、日本であって日本でないような光景だ。

 そんな県道74号沿いの蒲庭温泉の一軒宿「蒲庭館」で泊まった。ここは「東日本大震災」2ヵ月後の5月11日に泊まった宿。若奥さんはぼくのことをおぼえていてくれた。そのときに聞いた若奥さんの話は忘れられない。

 高台にある学校での謝恩会の最中に、巨大な「黒い壁」となって押し寄せてくる大津波を見たという。大津波は堤防を破壊し、あっというまに田畑を飲み込み、集落を飲み込んだ。多くの人たちが逃げ遅れ、多数の犠牲者が出てしまった。この地域だけで250余名の人たちが亡くなったという。

「地震のあと、大津波警報が出たのは知ってましたが、どうせ4、50センチぐらいだろうと思ってました。まさかあんな大きな津波が来るなんて…」

 3・11から1年後。今回、若奥さんから聞いた話も深く心に残るものとなった。

「被災したみなさんは1年たってもまだ現実を受け入れられないのです。悪夢を見ているのではないか、朝、目をさませば、また元の村の風景、元の家、元の生活…が戻ってるのではないかって思っているのです。あまりにも一瞬にして多くの人命と財産を失いましたから…」

 そんな話を聞いた直後にけっこう大きな地震に見舞われた。ガガガガガッと電気ドリルか何かでコンクリートに穴をあけるような衝撃だ。3・11から1年たっても、このように頻繁に余震に襲われるという。

 刺身や焼き魚、貝のグラタン…などの夕食を食べ終わったころ、一緒に「シルクロード横断」や「南米・アンデス縦断」を走った斎藤さんが、車を走らせ、横浜から来てくれた。何の前ぶれもなく、連絡もなかったのでビックリするやらうれしいやら。

「カソリさん、明日は途中まで一緒に走らせてくださいよ」
「どうぞどうぞ」

 2人で大津波で犠牲になったみなさんの冥福を祈り、ビールで「献杯」。そのあと深夜まで我々の宴会はつづいた。

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国道6号の封鎖地点

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大津波で流された漁船

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おびただしい数の車の残骸

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すべてが流された海岸地帯を行く

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堤防も破壊された

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2本だけ残った松

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ポツンと残った家

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道路もいたるところで破壊されている

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蒲庭温泉「蒲庭館」に到着

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「蒲庭館」の夕食

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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(10)
 相馬市の蒲庭温泉「蒲庭館」の朝湯に入り、大広間での朝食。この近くには東北電力の原町火力発電所があり、その復旧工事の作業員のみなさんで宿はほぼ満員。

 温泉卵、のり、塩ジャケの朝食を食べ、8時出発。カソリのV-ストロームが先頭を走り、斎藤さんの四駆がフォローする。

 県道74号でいったん相馬の市内に入り、県道38号で松川浦に向かう。

 国道6号の相馬バイパスを横切ると、その途端、大津波に襲われた被災地に入っていく。この国道6号のバイパスという1本の線を境にして、世界がガラリと変ってしまうのだ。それでも松川浦へとつづく被災地一帯の瓦礫は撤去され、乗り上げ船や散乱していた車の残骸はもうほとんど見られない。

 松川浦は「東日本大震災」から1年たってずいぶんと変わった。

 折り重なるようにして陸地に乗り上げた無数の乗り上げ船は、もう1隻も見られない。目抜き通り沿いのホテルや旅館、食堂の何軒かは営業を再開している。新しいビルの建設も始まっている。漁港には数多くの漁船が集結し、松川浦全体に活気を感じた。

 松川浦を拠点にしての漁が再開され、元通りの賑わいが戻ることを願うばかりだ。

 風光明媚な松川浦は北側の原釜と南側の磯部との間にある長さ7キロの潟湖。北端が海への出口で、そこには全長519メートルの斜長橋、松川浦大橋がかかっている。

 松川浦大橋を渡ったところが鵜ノ尾岬。そこから南へ、松川浦東岸の砂嘴が磯部まで延びていた。砂嘴上の道は大洲松川浦ラインと呼ばれる快適な2車線の海浜道路で、「日本の渚100選」の大洲海岸を通っていた。大津波の直撃を受け、大洲海岸の一帯だけでも500人近い犠牲者が出た。

 大津波は松川浦東岸の砂嘴をズタズタに寸断した。ものすごい破壊力だ。砂嘴沿いに今、仮設の道路が造られているが、それが完成したらまた大洲松川浦ラインは復活するのだろうか…。

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蒲庭温泉を出発

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松川浦の漁港

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2011年5月11日の松川浦

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