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アフリカ縦断2013-2014(その1)

「ナイロビ→ケープタウン編」(1)

 2013年12月15日。いよいよ「アフリカ縦断」出発の日を迎えた。我が家は神奈川県の伊勢原市にある。飛行機は成田発ではなく羽田発なので、すごく楽だ。妻と夕食を食べてから、家を出る。小田急→相鉄で横浜へ。横浜駅から羽田空港までは京急一本。伊勢原駅から2時間もかからずに、羽田空港国際線のターミナルビルに着いた。
 そこで、旅行社「道祖神」のバイクツアー「賀曽利隆と走るシリーズ」第18弾目の「アフリカ縦断」に参加するみなさんと落ち合った。
 翌12月16日、01時30分発のエミレーツ航空EK313便でドバイへ。飛行時間は約11時間。ドバイで乗り換えてケニアのナイロビに向かうのだ。今回の「アフリカ縦断」はぼくにとっては12回目の「アフリカ行」になるが、機内では最初の「アフリカ行」がしきりと思い出されてならなかった。

 ぼくが初めてアフリカに行こうと思いたったのは、ある日、突然のことだった。
 1965年、17歳の高校3年の夏休みに、クラスメイトの前野君、横山君、新田君と「おもいっきり、泳ごうぜ!」と、東京から房総半島の太平洋岸、外房海岸に向かった。 ぼくたちが目指したのは鵜原海岸。思い思いにテントや食料を持ち、キャンプをしながら泳ぐつもりでいた。その日は、真夏の太陽がギラギラ照りつける、とびきり暑い日だった。外房線に乗ったのだが、東京から千葉まで切れ目なくつづく市街地を抜け出し、広々とした水田風景が車窓に開けてきたとき、心の中がサーッと洗われるような思いがした。「広いなあ!」
 胸の中に溜まっていた重苦しいものから一時的にでも解き放たれたからだろう、思わずぼくの口からそんな言葉が飛び出した。この「広いなあ!」の一言が、我が人生を大きく変えることになる。40数年間にわたり、世界を駆けめぐってきた「生涯旅人カソリ」の原点がここにある。
「広いって、いいなあー」
「狭っくるしいところは、もう、たくさんだ」
「俺たち、もっと、もっと、自由でなくてはいけないよな」
「そうさ、自由さ。もっと、もっと自由でなくてはいけないよ」

 高校3年の夏休みというと、翌春にひかえた大学入試のため、寝る時間を削ってでも受験勉強をしなくてはならなかった。とくにぼくたちの世代、「昭和22年生まれ」というのは戦後のベビーブームで大量生産(!?)された団塊の世代のはしりなのだ。ベルトコンベアに乗せられて続々とつくられていく工業製品と同じで、それだから、まわりからは受験が大変だといわれつづけて大きくなった。
 ぼくは中学、高校とサッカーをやった。授業をさぼってでも、放課後のサッカーの練習だけには行った。それほど好きなサッカーだったが、高校3年生になる前にやめた。成績がどん底にまで落ち、もうこのままでは浪人しないことには大学に入れないと自分自身でわかったからだ。大学に入ってあれをしたいとか、これをしたいとか、卒業したら何になりたいといった希望はまったくなかったが、ただひとつ、浪人だけは絶対にしたくなかった。一日も早く社会に飛び出したかったのだ。

 受験勉強がはじまった。あさましいとしかいいようのない受験勉強だったが、試験の点数だけは上がった。それとともに、自分でもよくわからないいらだたしさ、むなしさを強く感じるようになった。
「なんで、こんなことをしてるんだろう」
「あー、サッカーをやめたのが、間違っていたのではないか」
 ぼくはある日、急ブレーキをかけるようにして立ち止まった。
「すべが見えてしまった」からだ。逃げたくても逃げることのできないレールに乗せられた自分の姿が鮮明に見えてしまった。それは一度落ち込んだら、もう二度と這いだすことのできない蟻地獄のようにも見えた。
「これではいけない、絶対にいけない」
 そんな背景があっての外房線の車中での「広いなあ!」だった。
「広いなあ!」の一言に端を発したぼくたちの会話はさらに広がり、いつも冗談をいってはみんなを笑わせる前野がいった。
「オイ、いくら広いといっても、アフリカなんか、こんなものじゃないぞ」
 さもさも見てきたかのような口ぶりだ。
「俺、アフリカに行ってみたいなあ」
 前野は今度は冗談とも本気ともつかないような口調でいった。
 前野の口から出た「アフリカ」が、ぼくの胸をギュッとつかんだ。アフリカと聞いた瞬間、映画や写真で見たことのある大自然が、稲妻のように頭の中を駆けめぐった。はてしなく広がる大草原、昼なお暗い大密林、灼熱の大砂漠といったアフリカの風景が次々にまぶたに浮かんだ。それは、もう、どうしても自分自身のものでなくてはならないように思えてきたのだ。
「アフリカか。アフリカ、いいなあ」
「行けないことなんて、ないよな」
「行けるさ。足があれば」
「そうさ、意思があれば。男ならば」
 そのような会話をかわしているうちに、どうしてもアフリカに行きたくなった。日本を飛び出し、広い世界をおもいっきり駆けまわりたくなった。
「よーし、アフリカに行こう。なー、俺たちアフリカに行こうじゃないか」
 ぼくたちは、しょっちゅう、冗談をいう。まるで、ほんとうのことのように冗談をいいあう。だが、そのときは違った。誰もが冗談っぽい話の中に、本気の部分を強く感じた。 外房海岸の鵜原から帰ると、ぼくの頭の中は「アフリカ」でいっぱいになった。

 夏休みが終わり、2学期がはじまると、ぼくたち4人は学校(都立大泉高校)に近い西武池袋線大泉学園駅前の喫茶店「カトレア」に集まった。ここで夏休みの間中考えていたおのおのの案をぶつけた。それら各自の案を3時間も4時間もかけてまとめたのが、次のような「アフリカ縦断計画」だった。
1、アフリカ大陸南端のケープタウンを出発点にし、東アフリカを経由してアフリカを縦断し、地中海のアレキサンドリアに出る。
1、アレキサンドリアからはさらに北アフリカを地中海沿いに走り、モロッコのタンジールをアフリカの最終地点とする。
1、ジブラルタル海峡を渡ってヨーロッパに入り、西アジアの国々を通り、インドから日本に帰ってくる。
1、全コースをバイクで走破する。
1、出発は3年後の春とし、2年間で計画を達成する。
1、計画の資金は誰の援助も受けずに、すべてを自分たちでまかなう。
1、大学の入試を終えたらすぐに資金稼ぎのバイトをはじめる。計画を達成するためには体を鍛えなくてはならないので、朝は新聞配達か牛乳配達をし、昼は別な仕事をする。
1、西アジア横断の資金はヨーロッパで仕事をして稼ぐ。

 以上のようなことをまとめると、ぼくたちは「カトレアの誓い」だといって、「アフリカ縦断」の実現を誓い合った。
 それから3年後の1968年4月12日、横浜港からオランダ船「ルイス号」に乗って「アフリカ縦断」に旅立った。4人のメンバーは賀曽利&前野の2人になっていたのが何とも寂しいことだった。そんな20歳の旅立ちのシーンが、つい昨日のことのように思い出されてくるのだ。

 ドバイでエミレーツ航空EK719便に乗り換え、12月16日14時55分、ナイロビ国際空港に降り立った。日本とケニアの時差は6時間。羽田から20時間余りをかけて「アフリカ縦断」の出発点ナイロビにやってきた。

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エミレーツ航空で羽田を出発

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アラビア半島の砂漠を見下ろす

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ドバイの町並みを一望!

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ドバイに到着

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ドバイで乗り継ぎ

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アフリカ大陸を見下ろす

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ナイロビの上空

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ナイロビ国際空港に着陸
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アフリカ縦断2013-2014(その2)

「ナイロビ→ケープタウン編」(2)

 2013年12月16日、「アフリカ縦断」の出発点、ケニアの首都ナイロビに到着した。赤道直下(南緯1度17分)のナイロビだが、標高1660メートルという高原に位置しているのでじつにすごしやすい。雨期と乾期はあるものの、一年中、日本の初夏のような気候。冬の日本からやってきたので、ナイロビ国際空港に降り立つと冬用の上着を脱ぎ捨て、半そで1枚になった。それが何ともいえずに気持ち良いことだった。

 今回の「アフリカ縦断」はぼくにとっては12回目の「アフリカ行」になるが、ナイロビはいままでのアフリカ旅では何度となく重要なポイントになった。

「アフリカ一周」(1968年~69年)ではナイロビを拠点にしてケニア、タンザニア、ウガンダの東アフリカ3国をまわった。「六大陸周遊」(1973年~74年)ではやはりナイロビを拠点にして東アフリカ、北アフリカ、アラビア半島をまわり、さらにナイロビから赤道アフリカを横断して西アフリカに向かった。「子連れ旅」(1977年~78年)では妻と生後10ヵ月の赤ん坊を連れてサハラ砂漠を縦断し、西アフリカから東アフリカへ。9ヵ月あまりの旅のゴールはナイロビだった。

 それだけにナイロビ国際空港に降り立ったときは、あまりのなつかしさで、胸がいっぱいになってしまった。
 入国手続きを終えてケニアに入国すると、まずは空港内の銀行で両替する。
 100USドルを両替すると8337シリング10セントになった。1ケニア・シリングは約1・2円。これが46年間の変化というものだ。

 1968年の「アフリカ一周」のときは、1ケニア・シリングは約50円。当時はケニア、タンザニア、ウガンダの東アフリカ3国のシリングは等価で、イギリスのポンドとリンクしていたので強い通貨だった。
 それに対して円は弱く、1ドル360円(固定レート)。ブラックマーケット(闇レート)で替えると、1ドルは400円とか410円、420円で、弱い円に泣かされた。今回は羽田空港で両替したが、1ドルは102円。1ケニア・シリングが約1・2円というのは、46年間で円は世界でも突出した強い通貨になり、ケニア・シリングはすっかり弱い通貨になってしまったことを意味している。

 ケニア・シリングを手に入れると、さっそく空港内の売店でコカ・コーラを買った。1本70シリング(約84円)。100シリングを払ったが、店のオバチャンは20シリングのコインと「これでね」といって飴玉をくれた。飴玉が10シリングのコインの代わりということなのだろう。

 我々はナイロビ国際空港から2台のトヨタのハイエースに乗ってナイロビ市内へ。何年ぶりかのナイロビは、さらにトヨタ車が増えていた。レクサスも走っていた。すれ違った10台の車を見ると6台がトヨタ、1台がレクサス、1台がミツビシ、1台がVW、1台がランドローバーという結果だった。

 驚かされたのは猛烈な交通渋滞。46年前のナイロビからは想像もできないような光景だ。片側2車線の幹線道路でナイロビの中心街に向かったのだが、反対車線には何キロにもわたって延々と渋滞がつづいた。ナイロビの中心街に近づくと、市内方向も渋滞に巻き込まれた。これは何も特別なものではなく、日常的な渋滞なのだという。

 ナイロビでの我々の宿はナイロビ郊外の「オソイタロッジ」。ナイロビ・ナショナルパーク沿いの道を走ったところにある。ナイロビ国際空港から2時間以上かかって「オソイタロッジ」に到着。宿の中庭には我々のバイク10台がズラリと並んでいた。

 バイクは各人の愛車で、横浜港からコンテナに積み込み、ケニアのモンバサ港に送った。それを現地の業者がカルネ(旅行用で使う車やバイクの無税通関帳)で通関し、モンバサ港からナイロビまではトラックに積んで運んだ。10台のバイクはまったく無傷。それがとってもうれしいことだった。

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ナイロビ国際空港に降り立つ!

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ナイロビの大渋滞

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うれしい愛車との再会!

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アフリカ縦断2013-2014(その3)

「ナイロビ→ケープタウン編」(3)


 ナイロビの「オソイタロッジ」のレストランで夕食。まずはケニア産ビール「タスカー」(象牙を意味する)で乾杯。こうして無事にナイロビまでやってきて、バイクと対面できたことを心から喜んだ。そのあと「アフリカ縦断」の記念すべき第1食目、ガーリックフィッシュとチャーハンの夕食を食べた。

 翌朝は5時半に起きた。まだ暗い。「コケコッコー」と鳴く鶏の声を聞くと、「アフリカに戻ってきた!」という気分になる。いろいろな鳥のさえずりも聞こえてくる。

 6時過ぎになって、明るくなったところで宿の周辺を歩いた。半ソデのTシャツと半ズボンという格好だ。宿の前の道をバイクタクシーが行く。3輪の乗合タクシーも行く。露天の食堂では何人もの人たちが朝食を食べている。

 子供たちがかわいらしい。女性たちは誰もがオシャレだ。
「ジャンボー!」
 と、すれ違う人たちに声をかける。

 スワヒリ語のジャンボは便利な挨拶で、朝でも昼でも夜でも使える。
「ジャンボ」と声をかけると、「ジャンボ」のみならず、「ハバリヤ・アスブヒ」と挨拶を返してくれる人もいる。「ハバリヤ・アスブヒ」は「ごきげんいかが」。アスブヒは朝を意味する。それに対しては「ムズーリ・サーナ」(とってもいいですよ~!)と返す。こうしてスワヒリ語で挨拶をかわすと、ただそれだけのことなのだが、無性にうれしくなってくる。

 ケニアは旧英領だった関係で、英語がよく通じる。それとスワヒリ語。そのほか2大部族のキクユ族とルオー族の言葉がメジャーだ。

「オソイタロッジ」に戻ると朝食。まずはマンゴジュースを飲む。ぼくの好物だ。そのあとシリアルやフライドエッグ、ソーセージなどを食べた。

 朝食後は待望のバイクの整備。横浜港でバイクを送り出したときは、バッテリーの配線を外しているので、まずは接続し、エンジンをかける。我が愛車、スズキDR-Z400Sはセル1発とはいかなかったが、3、4発目でエンジンがかかった。DRのエンジン音を聞いていると、いよいよ「アフリカ縦断」が始まるという気分になった。
「オソイタロッジ」のレストランでマトンカレーとナンの昼食を食べると、午後は市内のスーパーマーケットに行き、これからの旅に必要なものを買いそろえる。夕方にはガソリンスタンドでバイクを満タンにする。これですべての準備は整った。

「オソイタロッジ」のレストランで夕食。みなさんとおおいに「タスカー」を飲む。軽いタッチのクセのない味。「SINCE 1929」とラベルにあるように、80年以上もの歴史を誇るビールだ。ぼくにとっては46年前の「アフリカ縦断」を思い出させる味。1本200シリング(約220円)。これから先、タンザニアでも「タスカー」を飲むことになる。

 タスカーを飲み、ガーリック・シュリンプとライスを食べながらの夕食は楽しいもので、我々は明日からの「アフリカ縦断」に胸をときめかせるのだった。

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「オソイタロッジ」の夕食

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夜明けの風景

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1時間ほどの朝の散歩

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ナイロビのスーパーマーケット

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アフリカ縦断2013-2014(その4)

「ナイロビ→ケープタウン編」(4)


 2013年12月18日。「アフリカ縦断」の出発の朝を迎えた。我々の宿「オソイタロッジ」でコーンフレーク、クレープ、目玉焼き、ベーコン、ソーセージといった朝食を食べながら、はるかに遠いゴールのケープタウンに想いを馳せた。「いよいよだな」と、気持ちがたかぶってくる。

 ところで今回の「アフリカ縦断」(ナイロビ→ケープタウン編)は東京の旅行社「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」シリーズの第18弾目。これまでの旅の一覧は次のようなものになる。

01、1993年「目指せエアーズロック!」(ブリスベーン→ケアンズ3739キロ)
02、1994年「タクラマカン砂漠一周」(ウルムチ→ウルムチ3000キロ)
03、1997年「モンゴル周遊」(ウランバートル→ウランバートル2423キロ)
04、1999年「目指せ、チベットの聖山カイラス!」(ラサ→ラサ2518キロ)
05、2000年「サハリン往復縦断」(コルサコフ→コルサコフ1491キロ)
06、2001年「キャニング・ストックルート」(パース→クヌヌラ2924キロ)
07、2002年「ユーラシア横断」(ウラジオストック→ロカ岬15970キロ)
08、2003年「アラスカ往復縦断」(アンカレッジ→アンカレッジ2888キロ)
09、2004年「南部アフリカ」(ウイントフック→ケープタウン3783キロ)
10、2004年~2005年「サハラ縦断」(チュニス→アクラ6763キロ)
11、2005年「韓国往復縦断」(釜山→釜山2774キロ)
12、2006年「シルクロード横断」(天津→イスタンブール13171キロ)
13、2008年「アンデス縦断」(リマ→ブエノスアイレス12574キロ)
14、2009年「チベット横断」(西安→カシュガル6912キロ)
15、2011年「環日本海ツーリング」(稚内→ウラジオストック4922キロ)
16、2011年~2012年「ニュージーランド南島周遊」(1933キロ)
17、2012年「マダガスカル」(アンタナナリボ→トリアラ1635キロ)

 そのうちの「ユーラシア横断」「サハラ縦断」「韓国往復縦断」「シルクロード横断」「アンデス縦断」「環日本海ツーリング」を、今回、ケニアに持ち込んだDR-Z400Sで走った。DRの走行距離はすでに12万キロを超えているが、目指すは20万キロ突破だ。

 朝食を食べ終わると、出発前のミーティング。アフリカを知り尽くしている道祖神の吉岡さんからいくつかの注意があった。通行は日本と同じ左側通行。この先、ケープタウンまでが左側通行。ランダーバート(ラウンド・アバウト。日本でいえばロータリー)の交差点が多いので、慣れるまでは要注意。ランダーバートでの走り方は、ロータリーにすでに入っている左方車が優先。

 ナイロビ南部のキセリアンからケニアとタンザニアを結ぶ幹線道路のカジアドに出るまでは、舗装路なのだが道路の傷みが激しく、穴ぼこだらけになっている。牛や山羊、羊などが頻繁に道路に出てくるので、家畜を見たら減速する。軍の施設や警察、国境の写真は撮ってはいけない。女性の写真撮影には十分気をつける。カジアドの町で見るソマリー族の女性や街道沿いで見るマサイ族の写真はダメ。カメラを向けるとお金を要求されるといった注意点を聞いた。

 今回の参加者は全部で11人。道祖神の吉岡さん、メカニックの小島さん、それと賀曽利のほかの8人を紹介しよう。ホンダのXR250バハに乗る石井さんとは2002年の「ユーラシア横断」を皮切りに「アラスカ往復縦断」「サハラ縦断」「シルクロード横断」「アンデス縦断」「環日本海ツーリング」「マダガスカル」を一緒に走っている。ヤマハのセローに乗る榛澤さんは最年長の70歳。メンバーの中では一番の元気者で、「人間は歳ではない!」と榛澤さんを見ると元気づけられる。「アンデス縦断」を一緒に走ったが、セローはそのときのものだ。

 今回はセローでの参加者が多かった。「韓国縦断」を一緒に走った栗山さんとヤマハ車の販売店「YSP川口」の伊藤さん、それと紅一点の平本さんがセローだ。オフロード大好きの尾原さんはヤマハのWR250。オーストラリアの「世界最長ダート」、キャニングストックルートを走ったことのある人だ。増田さんはホンダのCRFの新車を購入して参加した。愛称「亀さん」の亀石さんは唯一のビッグバイク、BMWの1250GSアドベンチャーでの参加。亀さんはすでに愛車のGSで6万キロ以上を走っている。

 ほんとうはもう一人、セローで参加する女性がいた。彼女は何とも気の毒なのだが、出発の直前になってキャンセルした。キャンセルせざるをえなかったのだ。

 我々は2013年9月30日に横浜港の本牧埠頭にバイクを搬入した。それらを1個のコンテナに入れてケニアのモンバサ港に送り出した。そのとき彼女は今にも泣き出しそうな顔をして、ホンダのロードバイクに乗って横浜港にやってきた。
「朝、起きたら、私のセローがないんですよ…」

 アフリカをバイクで走ることをすごく楽しみにしていた彼女は、部屋のカレンダーの9月30日のところに「バイクの積み出し」と書いていた。娘さんのアフリカ行に反対していたお父さんはそれを見つけて、9月30日の早朝、強行手段に出た。娘さんのセローに乗ってどこかへ行ってしまった。娘を想う父親の気持ちもよくわかるので、彼女に何といっていいのかわからなかった。そんなドラマもあった今回の旅立ちなのだ。

 我々のバイクにはサポートカーが1台、トヨタのランドクルーザーがつく。それには道祖神の吉岡さんとメカニックの小島さん、2人のケニア人スタッフが乗る。

「オソイタロッジ」のミーティングの最後にカソリが音頭をとって、みなさんと一緒になって、「目指せ~、ケープタウン!」と南の空に向かって大声で叫ぶ。それを合図に全車が走り出す。時間は8時。意気揚々とした気分。誇らしいような気分でもある。我々は道行く人たちの視線を一斉に集めた。

 キセリアンに通じる街道を南下。街道沿いには町々がつづく。交通量は多い。ナイロビの方向に向かっていく満員のバスと次々にすれ違う。東アフリカ最大の都市、ナイロビが郊外に拡大しているのがよくわかる光景だ。

 キセリアンの手前で左に折れると交通量はガクッと減り、広大なアフリカの自然が広がっている。その中をDRで走り抜けていく気分は最高。時々、牛が道路に出てくるが、減速して衝突を避ける。道路にあいた大穴も減速して避けていく。間違って大穴に突っ込むと吹っ飛びそうになるほどの衝撃を感じる。ところどころは新しい舗装路が完成しているが、その区間は高速で走れた。

 カジアドの手前の小さな町でケニアとタンザニアを結ぶ幹線道路に出た。快適走行の2車線の道を一気に走る。広大なサバンナの風景が広がる。カジアドを過ぎるともう町はない。ところどころでポツン、ポツンと小集落を見る。ナイロビから160キロ走り、国境のナマンガに到着。時間は11時。「アフリカ縦断」最初の国境越え。国境通過のメインルートは橋が落下していてう回路のドロドロズボズボの泥道を行く。

 ナマンガの国境は交通量が多く、大型トラックやマイクロバス、乗用車などがズラリと並んでいた。まずはケニア側のイミグレーションでの出国手続き。出国用の用紙を記入し、パスポートに出国印をもらう。大変なのは税関でのバイクの手続きだ。道祖神の吉岡さんはカルネを持ってかけまわり、全車の出国手続きをする。このバイクの手続きに時間がかかるのだ。

 ケニア側の出国手続きが終わると、国境を越えてタンザニア側のイミグレーションで入国手続き。それが終わると税関でのバイクの手続き。すべてを終えてタンザニアに入ったのは13時過ぎ。国境通過には2時間以上もかかった。

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ナイロビの「オソイタロッジ」を出発

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カジアドに到着

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道路脇の羊の群れ

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ケニア・タンザニア国境のナマンガ

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アフリカ縦断2013-2014(その5)

「ナイロビ→ケープタウン編」(5)


 ケニアから2番目の国、タンザニアに入った。まずは両替だ。国境の両替所で3000ケニア・シリング(約3600円)を両替すると、54000タンザニア・シリングになった。1シリングは約0・06円。100シリングが約6円ということになる。

 46年前の「アフリカ縦断」の時は、ケニア、タンザニア、ウガンダの旧英領の東アフリカ3国のシリングはまったくの等価で、紙幣ならば国境を越えても両替することなく使えた。

 それだけではない。
 ケニア、タンザニア、ウガンダの3国は友好関係を強調し、「東アフリカ連合」とか「東アフリカ合衆国」をつくろうという気運で満ちていた。あれから46年、東アフリカ3国はそれぞれの道を歩み、いまや連合とか合併という気運は、とっくに過去のものになってしまった。

 国境近くのレストランで昼食。スパニッシュ・オムレツを食べた。

 国境のナマンガからアルーシャの町に向かって南下する。前方には標高4556メートルのメルー山が大きく見えてくる。左手にはアフリカの最高峰、キリマンジャロ(5895m)も見えているが、雲に隠れ、長く伸ばした裾野が見えるだけだった。

 ナマンガから100キロほどでメルー山麓の町、アルーシャに到着。町中を走り抜け、キリマンジャロ山麓の町、モシに通じる街道を行く。

 今回の「アフリカ縦断」での宿泊はキャンプ場でのキャンプ泊がメインになる。アルーシャから20キロほど走ったところにある「ンドロ・ロッジ&キャンプサイト」が我々の宿泊地だ。

「ンドロ・ロッジ&キャンプサイト」は街道から500メートルほど入ったところにある。目の前に聳えるメルー山がよく見える。キャンプ場の周辺は一面の水田で農民たちは稲穂を刈り取り、ビニールシートの上で穂を落とし、それを袋に詰めていた。

「ンドロ・ロッジ&キャンプサイト」はきれいなキャンプ場。セキュリティーもしっかりしている。その名の通り、バンガローもある。きれいに刈り取られて草の上にテントを張り終えると、キャンプ場内のバーで冷えたビールを飲む。タンザニアでも「タスカー」だ。1本が3000シリング。日本円にすると約180円。夕食はキャンプ場内のレストランで「チキン&ライス」を食べた。タンザニアのライスはうまい。

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昼食のスパニッシュ・オムレツ

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タンザニアのサバンナ地帯を行く

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ナマンガからアルーシャへの道

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「ンドロ・ロッジ&キャンプサイト」に到着

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キャンプ場前の水田の稲の収穫

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アフリカ縦断2013-2014(その6)

「アフリカ縦断ナイロビ→ケープタウン編」(6)


 12月19日は夜明けとともに起きた。天気は快晴。目の前のメルー山には、まったく雲がかかっていない。右手に見えるキリマンジャロにも雲はかかっていない。西の空には十六夜の大きな月が残っていた。

 7時、キャンプ場内のレストランで朝食。スイカとパッションフルーツのミックス・ジュースを飲み、パンとイングリッシュ・オムレツ&ソーセージを食べ、8時に出発。メンバー全員で「目指せ、ケープタウン」を叫んで走り出す。

 DR-Z400Sを走らせてモシへ。キリマンジャロが大きく見えてくる。青空を背にしたキリマンジャロの雪はまぶしいほどに光り輝いている。60キロほど走ると、キリマンジャロ山麓の町、モシに到着。町中に入り、スーパーマーケットでの買い物。ここではほとんど必要なものは手に入る。カメラが壊れたといって日本製のデジカメを買うメンバーもいた。

 モシからはタンザニアの首都ダルエスサラームに通じる幹線国道を行く。大型トラックやバスなど交通量は多い。キリマンジャロの登山口、マラングーとの分岐を過ぎ、サメの町の食堂で昼食。「ワリ・ナ・ニャマ」を食べる。ワリはスワヒリ語でライス、ニャマは肉を意味する。肉汁つきのライスで、それにマラゲ(豆)とムチャチャ(青菜)がついている。

 サメ周辺の高原地帯ではサイザル麻が栽培されている。サイザル麻といえば、かつては船舶用や漁業用のロープの原料として欠かせないもので、タンザニアは世界的な産地だった。現在ではすっかり化学繊維に押されてしまっているが、一面のサイザル麻畑を見ると今でもそれなりの需要はあるようだ。

 このあたりからアフリカのシンボルのバオバブが見えてくる。国道沿いの大きなバオバブの木の下にバイクを止めて小休止。それを見て近くの村から子供たちが「ワーッ!」と歓声を上げて集まってくる。

 今日の宿泊地はルショット。平坦な高原地帯からウサンバラ山地の山道を登っていく。急カーブの連続する山道を登っていくと空気はひんやりとしてくる。途中の村では大露天市が開かれていた。野菜や果物のほかにカラフルな布が目を引いた。

 国道から30キロほど山道を登り、ルショットの町の到着。「ラウンホテル」のキャンプ場に泊まった。段々になったきれいな草地にテントを張る。ここではスイス人ライダーのカップルに出会った。2人はスイスから送った2台のBMWをケニアのモンバサ港で引き取り、我々と似たようなコースでナミビアまで行くという。

 夕食はホテルのレストランで。スープとスパゲティー。日が暮れると満天の星空。天の川が夜空を横切って流れている。気温がグッと下がり、厚着をしてテント内のシュラフにもぐり込んだ。

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夜明けのメルー山

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キリマンジャロを見ながら走る

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モシの中心街

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一面のサイザル麻畑

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バオバブの木の下で

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ルショットのキャンプ場に泊まる

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アフリカ縦断2013-2014(その7)

「ナイロビ→ケープタウン編」(7)


 12月20日4時30分。スピーカーから流れてくるコーランの声で目が覚める。ルショットの町にはいくつかのモスクがある。イスラム教は赤道を越えて南へ、南へと勢力圏を広げている。

 6時、夜が明けるとキャンプ場の周辺をプラプラ歩き、高台からルショットの町並みを一望した。キャンプ場に戻ると朝食。道祖神の吉岡さんが用意してくれる。パンにマヨネーズを塗ってトマトをのせて食べる。この「マヨパン」がこれからの我が朝食のベース。それをジュースを飲み、紅茶、コーヒーを飲みながら食べた。

 8時、ルショットを出発。来た道を引き返し、ダルエスサラームに通じる国道まで下った。

 コログウェの町を通り過ぎたところで、ランダーバート(ロータリー)の大きな分岐に出る。左方向の道はタンザニア北部の港町、タンガに通じている。右方向の道がタンザニア最大の都市ダルエスサラームに通じている。

 この分岐を過ぎたところでトラブル発生。谷を跨ぐ橋上で大型トラックがエンジントラブルで止まっていた。2車線の道だが、橋は狭くなっているので大型車のすれ違いが難しい。バイクはすり抜けできるので問題なく走れたが、サポートカーは道が開通するまで待たなくてはならなかった。

 我々バイク軍団は先に行き、古い港町、バガモヨとの分岐点に食堂をみつけると昼食にする。ライス&チキン、肉汁、それにプランタインがついている。プランタインは料理用バナナのこと。青いうちに収穫し、ナイフで皮を剥き、イモやキャッサバと同じようにして食べる。

 ずいぶんと遅れてやってきたサポートカーと合流し、チャリンゼへ。このあたりが今回のルートの中では一番、暑かった。気温は30度をはるかに超え、汗がダラダラと流れ落ちる。

 チャリンゼはダルエスサラームとザンビアの首都ルサカを結ぶ道との分岐点。T字路を右折してモロゴロへ。左折するとダルエスサラームで100キロほどの距離だ。

 この日はモロゴロを過ぎ、ミクミナショナルパークを過ぎたところのキャンプ場に泊まる予定だったが、想定外のトラブルで遅れ、モロゴロの町の入口にある「ロードビューモーテル」に泊まった。

 宿に入るのと同時に、猛烈な雨が降り出す。空が抜け落ちんばかりの激しい降り方。モーテルのレストランで「タスカー」を飲みながら豪快に降りつづける雨を眺めたが、1時間もしないうちに雨は上がり、きれいな夕日が山の端に落ちていった。

 モーテルのレストランで夕食。「ウガリ・ナ・セマキ」を食べる。ウガリはケニア、タンザニアの主食で、トウモロコシの粉を熱湯で練り固め、餅状にしたもの。セマキは魚のこと。焼き魚が1匹、まるごと皿にのっている。それに汁がついている。

 ウガリを手でつかみ、丸めて汁をつけて食べる。これがアフリカの食の基本といっていい。西アフリカのサバンナ地帯では雑穀を粉にし、同じようにして食べる。西アフリカの熱帯雨林地帯ではタロイモやヤムイモ、キャッサバのイモ類やプランタインを煮立て、それを臼で搗いて、やはり同じような餅状のものにして食べる。

 ウガリを食べながら、「アフリカに戻ってきた!」と強烈に実感するカソリだった。

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ルショット周辺の山岳地帯を行く

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ダルエスサラーム行きのバス

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ダルエスサラームとタンガの分岐点

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大型トラックが疾走するダルエスサラームへの道

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ここがチャリンゼの分岐点

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モロゴロの夕日

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夕食の「ウガリ・ナ・セマキ」

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アフリカ縦断2013-2014(その8)

「ナイロビ→ケープタウン編」(8)


 12月21日、モロゴロを出発。ザンビアの首都ルサカに通じるタンザニアの国道1号(T1)を行く。
 モロゴロから50キロほど走るとミクミ・ナショナルパークに入った。

 東アフリカの野生動物の楽園のナショナルパークはどこも2輪は通行禁止だが、このタンザニアのミクミ・ナショナルパークやケニアのツァボ・ナショナルパーク、ウガンダのクイーンエリザベス・ナショナルパークのように幹線道路が通ってるところは自由に走れるし、入園料は取られない。

 ミクミ・ナショナルパークでは、キリンやシマウマ、バッファロー、インパラ、トムソンガゼルなど、次々に野生動物を見た。キリンの群れと出会ったときは、思わず相棒のスズキDR-Z400Sを止めて見入ってしまった。

 ミクミ・ナショナルパークを抜け出、ミクミの町を通り過ぎると、インド洋に流れ出るグレートルアハ川を渡る。ここはカソリの忘れることのできない思い出の地なのだ。

 1968年の「アフリカ縦断」では、今回とは逆にザンビアの首都ルサカからタンザニアの首都ダルエスサラーム(現在のタンザニアの首都は内陸のドドマ)に向かった。

 このルサカからインド洋の港町ダルエスサラームまでの道は「ヘルラン」(地獄の道)と呼ばれ、恐れられていた。

 内陸国のザンビアにとって最大の輸出品である銅と、石油や機械などの輸入品の輸送ルートを確保できるかどうかは、この国の存続にもかかわる大問題。1965年にローデシア(現ジンバブエ)がヨーロッパ人絶対優位の国家として独立を宣言するまでは、ローデシアを経由して南アフリカやモザンビークの港に通じる鉄道が利用されていた。

 ところが、ローデシアが一方的な独立を宣言してからというもの事態は一変した。
 ローデシア問題は大きな国際問題となり、世界各国はローデシアに対して経済制裁を加えた。ザンビアもそれに同調し、ローデシア経由の輸送を全面的にストップしたのだ。

 ザンビアの輸送ルートは大幅な変更を余儀なくされ、タンザニアのダルエスサラーム港からの約2000キロのトラックルートが使われるようになった。その途中には険しい山道もあり、とてもではないが大型トラックやトレーラー、タンクローリーなどがひんぱんに行き来する道には見えない。そのため事故は日常茶飯事で、いつしかこの道は「ヘルラン」と呼ばれるようになったのだ。

 そのヘルランを悲壮な覚悟で走った。すさまじい道で、路面は洗濯板状に波打ち、内臓がもみくちゃにされるほどガタガタ揺られながら、必死になってバイクのハンドルを握った。ZTRS(ザンビア・タンザニア・ロード・サービス)とかCARS(セントラル・アフリカ・ロード・サービス)などの文字をつけた大型トラックが轟音をとどろかせて走り過ぎていく。そのたびに土煙がもうもうと舞い上がり、1メートル先も見えなくなってしまう。生きた心地がしない。トラックにはねとばされないようにするので精一杯だった。

 ザンビアからタンザニアに入ると、より険しい山道がつづいた。暑さも厳しくなった。バオバブの木が多くなり、猿がひんぱんに道に飛び出してきた。グレート・ルアハ川を渡るあたりは砂深い道。ここで痛恨の転倒。そのはずみで右足がバイクの下にはさまった。脳天をハンマーで殴られるような衝撃を感じ、あまりの痛さに一瞬、気が遠くなったほどだ。

 そのとき運よくタンクローリーが通りかかり、運転手の手を借りて起き上がった。右足はみるみるうちに腫れ上がり、痛みがひどく、頭がクラクラした。しばらく地面にうずくまっていたが、自分の見立てで骨は折れていないと判断し、痛みをこらえてダルエスサラームへと走った。右足の痛みはその後、2ヵ月以上もつづいたのだ。

 そんな「ヘルラン」もいまでは2車線のハイウェイ。大型トラックや大型バスが100キロ前後の高速でビュンビュン走り抜けていく。

 グレートルアハ川を渡り、渓谷沿いに走ると、ポツンと食堂があった。バオバブの大木の下にある食堂だ。チキンスープとウガリの昼食を食べていると、1968年の「アフリカ縦断」が無性になつかしく思い出されてくるのだった。

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ミクミ・ナショナルパークのキリン

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ミクミ・ナショナルパークを貫く国道1号

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ミクミの町で給油

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グレートルアハ川の渓谷を行く

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青々と茂るバオバブの木

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バオバブの木の下の食堂

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昼食のウガリ

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アフリカ縦断2013-2014(その9)

「ナイロビ→ケープタウン編」(9)


 タンザニアの国道1号を西へ、西へと走る。

 高原の町、イリンガを目指して走っていると、警官に止められた。スピード違反で捕まってしまった…。
 タンザニアでは集落内の速度制限は50キロ。集落の入口に50キロの道路標識が立っている。集落を出たところには50キロ解除の標識が立っている。それは知っていた。だが、まさかスピードガンでやられるとは…。

 78キロ出ていたとのことで28キロオーバー。罰金は30000シリング(約1800円)だ。現地の物価からいったらかなりの高額になる。

 国際免許証を提示し、罰金をその場で払い、領収証を兼ねた書類をもらい一件落着。日本の免許証に傷がつく訳でもないので、
「まあ、これもいい経験だ!」
 と半ば喜んだ。

 ところが、たてつづけに捕まってしまった。

 2度目は82キロで32キロオーバー。罰金はやはり30000シリングだという。このときはもうすでにタンザニアシリングは残り少なく、払えなかった。
「30000シリングも払えませんよ。ほらね」
 といって財布の中身を見せた。

 すると警官はドル払いでもいい、ドルなら20ドルだという。
 ここで警官との交渉開始だ。

「ぼくは日本からやって来ました。ナイロビからバイクで走り始めて、ここまで来たのです。これからマラウィ、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビアを通って南アフリカのケープタウンまで行きます。まだまだゴールは遠いし、お金もかかります。ということで…、半額の10ドルにまけてくれませんかねぇ~」
「う~ん、そうだな。確かにケープタウンは遠いな」

 警官は「よし、わかった」という顔をして、半額の10ドルにまけてくれたのだ。
「そのかわり、ペーパー(領収書を兼ねた書類)は出さないぞ」
 といって10ドル紙幣をポケットにねじ込んだ。

 その日はイリンガ郊外の「キンランザファーム」のキャンプ場に泊まった。

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タンザニアの国道1号を行く

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イリンガに到着

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ダルエスサラームからイリンガまでは501キロ

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イリンガのガソリンスタンドで給油

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イリンガの中心街。ジャカランダの花が咲いている

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イリンガ近郊の村の風景

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「キンランザファーム」に到着

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夕食のカレーライス

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アフリカ縦断2013-2014(その10)

「ナイロビ→ケープタウン編」(10)


 12月22日5時、起床。まだ暗い。満天の星空。天空の月を見る。トイレ、シャワーをすませると、夜明けのキャンプ場内を歩いた。

 7時、朝食。昨夜のご飯の残りを雑炊にして食べた。
 8時、出発。タンザニアの幹線、国道1号を西へ。マラウィとザンビアの2ヵ国との国境に近いムベアの町を目指す。

 2車線のハイウエイを100キロ超で走る。大型バスや大型トラックも100キロ前後で疾走する。恐いのは対向の大型バスの無理な追い越しだ。

 我が愛車、DR-Z400Sで相当、接近しているというのに、大型バスは強引に追い越しをかけてくる。衝突を避けるために速度を落として路肩に逃げたが、それがたび重なるとだんだん腹がたってくる。
「よーし!」
 と、対向の大型バスが無理な追い越しをかけてきたとき、最後の最後まで速度も落とさず、逃げることもしないで走りつづけた。大型バスは「ブブブブーーーー」とクラクションを鳴らしつづける。最後の瞬間で左に避けたが、大型バスの運転手は青い顔をしていた。

「神風バス」には、それなりの事情があるようだ。すこしでも早く走り、次の目的地にすこしでも早く着くと、より多くの乗客に乗ってもらえるという事情のようだ。モタモタ走っていると、ほかのバスに客を取られてしまうのだ。

 12時、イリンガから200キロほどのマカンバコの町に到着。国道1号沿いの食堂で昼食にする。食堂のオバチャンが肉を調理するところを見せてもらった。出来上がった「ワリ・ナ・ニャマ」(ライス&ビーフ)をペプシコーラを飲みながら食べた。

 マカンバゴを出発。標高1000メートルを超える高原地帯を行く。時々、黒雲が流れてくると、雨に降られた。猛烈な横風に吹かれたこともあった。

 マラウィ国境に通じるウヨレの町を過ぎ、16時にタンザニア最奥の町、ムベヤに着いた。イリンガから390キロ。ここからザンビア国境のトゥンドゥマまでは100キロほどだ。

 国道1号から坂道を登り、高原の町、ムベアの中心街に入っていく。町中の「マウントリビングストン ホテル」が今晩の宿。といってもホテルに泊まるのではなく、ホテルの中庭にテントを張って泊まるのだ。

 テントを張り終えると、さっそくムベアの町を歩く。洒落た店を見てまわる。イタリア料理店「MALIMBE DE VILLE」で夕食。野菜たっぷりのスープのあとスパゲティーを食べた。

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国道1号を行く

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国道1号を走る大型トラック

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マカンバゴの町の食堂

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ムベアに到着

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ムベアの靴店

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夕食のスパゲティー

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