「峠越え」から「新・峠越え」へ――新連載趣意書!

 ぼくがバイクでの「峠越え」をはじめたのは今から30年以上も前の1975年3月28日のこと。サハラ砂漠を縦断した250㏄バイク、スズキ・ハスラーTS250で奥武蔵(埼玉)の峠を越えた。

 記念すべき第1番目の峠は国道299号の高麗峠。気がつかないままに通りすぎてしまいそうな、ゆるやかな峠だった。つづいて正丸峠を越えた。当時は正丸峠を貫くトンネルもないような時代で曲がりくねった峠道を登りつめ、峠に到達したときはゾクゾクッと体が震えるような感動を味わった。峠の茶屋で熱いうどんをすすりながら思ったものだ。
「よ~し、これからは何年かけてでも日本中の峠を越えてやる!」

「奥武蔵の峠越え」では結局、そのあとさらに山伏峠、小沢峠、天目指峠など全部で14峠を越えた。

「峠越え」をはじめたころで印象深いのは、風間深志さんが同行してくれたときのことだ。「峠越え」は『月刊オートバイ』誌で長期連載されたが、『オートバイ』編集部に配属されてまもない若手編集部員の風間さんは、「カソリさんの峠越えはおもしろそうだから」と同行取材してくれ、晩秋の甲信国境の峠を一緒に越えた。

 最初は標高2360メートルの大弛峠。峠道はすでに雪に覆われ、ツルリンステーンで、何度も転倒した。次に信州峠を越え、峠下の増富温泉で1泊したが、それは忘れられない温泉宿での1夜になった。

 カソリ&カザマ、当時はお互いに若かった…。湯上がりのビールをガンガン飲みながら話のボルテージを上げ、とどまるところをしらなかった。なんでもできそうな気がした。それが後のカソリ&カザマの「キリマンジャロ挑戦」や「パリ・ダカール・ラリー参戦」につながった。

「峠越え」を始めたころは、「な~に、5、6年もあれば日本中の峠を越えてやる!」ぐらいのつもりでいた。ところが南北に細長く、国土の大半を山々に覆われた日本列島にはそれこそ無数の峠がある。1975年以来、30年以上の歳月をかけて北海道から沖縄まで細かくエリアに分けて「峠越え」をしてきたが、日本中の「全峠制覇」にはほど遠い。

 2005年末の時点で越えた峠は1555峠になったが、まだまだ越え残した峠は多い。日本の全峠といったら、おそらく3000峠近くにはなるだろう。これからもそれら越え残した峠をひとつづつ越えていこうと思っている。自分の全人生をかけた「峠越え」なのだ。

 それとは別に、ぼくはあたらに「峠越え」をはじめることにした。名づけて「カソリの新・峠越え」。いままでの「峠越え」ではエリアでいくつもの峠をまとめて越えていたが、「新・峠越え」ではひとつの峠をターゲットにしようと思っている。それと写真はいままではフィルムで撮っていたが、これからの「峠越え」&「新・峠越え」はともにデジタルでの写真になる。

 ぼくは神奈川県伊勢原市に住んでいるので、まずは地元、「神奈川の峠」からはじめ、都道府県単位で順次、日本の峠を越えようと思っている。またしてもエンドレスの「新・峠越え」になる。いままでつづけてきた「峠越え」は、もちろん同じスタイルでつづけていく。「峠越え」と「新・峠越え」の2本立て。ますますおもしろくなりそうな予感のするカソリの「峠越え」&「新・峠越え」なのだ。

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■オリジナル新連載■カソリの新・峠越え:神奈川(1)善波峠

 記念すべき「新・峠越え」の第1番目の峠は国道246号の善波峠(ぜんばとうげ)だ。

 2006年3月22日午前10時、スズキDR-Z400Sのエンジンをかけ、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。これからの峠越えの相棒となるこのDR400は2002年の「ユーラシア大陸横断」1万5000キロ、2004年の「サハラ砂漠縦断」6500キロ、2005年の「韓国縦断」2500キロを走り、そのあとさらに2006年の「シルクロード横断」1万4000キロ、2007年~2008年の「南米アンデス縦断」1万3000キロをノントラブルで走り抜いたバイクなのだ。

 国道246号で善波峠へ。この峠は我が家に最も近い峠で、今までに何度、越えたか知れない。ぼくが日本でも一番、多くの回数を越えている峠。その回数は何百回にもなる。東名高速で西に向かうときは、善波峠を越え、秦野盆地の名古木の交差点を左折して秦野中井ICから入るのを常としている。今回はそんな善波峠をあらためて越えてみようと思うのだ。

 東名が国道246号をまたぐ交差点を左折し、まずは鶴巻温泉に寄り道。「弘法の里湯」(入浴料800円)に入る。平日の午前中ということもあって、大浴場と露天風呂にはゆったり気分で入れた。湯から上がると、肌がツルッとしている。

 鶴巻温泉でいい気分になったところで、国道246号に戻り、善波峠へ。峠の手前では旧道に入り、峠下の善波の集落を走る。この善波にちなんでの善波峠。集落を走り抜けたところで国道246号に戻り、伊勢原市と秦野市境の善波峠の短いトンネルを抜ける。トンネルを抜け出たところでは真正面に富士山を見る。とくに冬だと、抜けるような青空を背に雪化粧した富士山の姿がドバーッという感じで目の中に飛び込んでくる。伊勢原市側ではほとんど富士山が見えないので、善波峠から見る富士山はよけいに印象深い。

 もう一度、伊勢原市側に戻ると、今度は峠のトンネルの手前を折れ、旧道に入っていく。すると世界は一変し、きらびやかな装いのモーテル街になる。その先で旧道の峠のトンネルを抜けるが、慢性的渋滞の新道のトンネルとはうってかわってほとんど交通量がない。

 旧道のトンネルを抜け、わずかに下ったところを右折し、ダートの細道を登ったところが善波峠頂上。そこには石仏がまつられ、「御夜燈」が残されている。峠を越える旅人の安全を願って「峠の茶屋」の主人が燃やしつづけたもの。菜種油を灯したもので、明治末までつづいたという。このように現在、我々が普通に使っている新道、忘れ去られたような旧道、さらにはそれ以前の古道と時代の変遷を見られるのが峠越えの大きな魅力になっている。

 善波峠を越えて秦野盆地へ。秦野盆地と丹沢の山並みを一望する弘法山に登り、再度、善波峠を越え、我が家に戻るのだった。

旧道の善波峠
旧道の善波峠

古道の善波峠
古道の善波峠

善波峠の石仏
善波峠の石仏

弘法山からの眺め。正面に大山が見える
弘法山からの眺め。正面に大山が見える

弘法山のめん羊
弘法山のめん羊

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カソリの新・峠越え:神奈川(2)津古久峠

 2006年3月24日9時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。目指すは、国道246号の善波峠同様、我が家から一番近い峠の津古久峠(つこくとうげ)だ。国道246号を善波峠とは反対の東京方向に走り、東海大学病院入口の交差点を左折。病院のわきを通り、東名高速の下をくぐり抜ける道が津古久峠に通じている。

 スズキDR-Z400Sのアクセルを開き、一気に峠へ。ほんのひとっ走りという感じで津古久峠に到着。我が家からは4キロほどの距離だ。通勤の時間帯以外、交通量はきわめて少ない。

 津古久峠は伊勢原と厚木の市境の峠。今でこそ忘れ去られたような峠だが、かつては八王子と伊勢原を含めた神奈川県西部を結ぶ要路。峠には茶屋があったという。

 切り通しの峠を道路がまたいでいるが、それはニッサン・テクニカルセンター内のもの。伊勢原、厚木の両市にまたがるニッサン・テクニカルセンターの広大な敷地内には、何棟もの高層の建物群が立っている。建設中の建物も見える。「世界のニッサン」の頭脳が、地元の人たち以外はほとんど知らないような「津古久峠」という峠にあるということが、何か信じられないというか、何かおかしさを感じてしまう。

 ニッサンの道路をくぐり抜けると、丘陵の稜線を行く道との交差点に出る。そこには「津古久峠」の石碑が立っている。交差点を直進し、峠を下るとすぐに津古久の集落に入っていく。津古久峠の峠名はこの津古久の集落からきている。

 津古久峠を越えたところで、今度はすぐ近くの大山の周辺をまわる。まずは日向渓谷。渓谷沿いの道を行くと日向林道になるが、林道入口には絶対にすり抜けを許さないゾといった感じのガチガチのゲート。これが神奈川県の林道の現状といったところで、どこも同じようなゲートで林道を閉鎖し、一般車の通行を禁止している。ゲート前で折り返し、日向薬師に参拝。本堂は大きな茅葺きの屋根。本尊の薬師像は国宝。正月の3ヶ日には拝観できる。境内では梅が満開で、黄色いミツマタの花も咲いていた。

 次に大山へ。大山温泉の湯に入り、参道の店で名物の豆腐料理を食べ、ケーブルカーで大山寺から阿夫利神社の下社へ。そこから山頂まで歩いた。けっこう急な上り。大汗をかく。山頂には阿夫利神社の上社と奥の院がある。標高1252メートルの山頂からの眺めは絶景だ。江ノ島から三浦半島、さらには房総半島を一望する。

 大山を下ると、我が家に近い太田道潅の墓のある曹洞宗の洞昌院と相模の三ノ宮の比々多神社に参拝し、午後5時過ぎに自宅に戻った。全走行距離は52キロでしかなかったが、津古久峠という自宅近くの峠を越えるだけで、1日たっぷりと楽しめた。

津古久峠の頂上。峠上をニッサン・テクニカルセンター内の道路がまたぐ
津古久峠の頂上。峠上をニッサン・テクニカルセンター内の道路がまたぐ

日向薬師の本堂。本尊の薬師像は国宝
日向薬師の本堂。本尊の薬師像は国宝

大山登山口への道。正面に大山が見えている
大山登山口への道。正面に大山が見えている

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カソリの新・峠越え:神奈川(3)土山峠

 2006年3月27日午前10時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。スズキDR-Z400Sに「さー、行くゾ!」とひと声かけて走りだす。今回、目指すのは土山峠(つちやまとうげ)だ。峠への途中では丹沢東山麓の「温泉めぐり」をする。第1湯目は我が家に最も近い伊勢原温泉。「ニュー天野屋」(入浴料1000円)の広々とした湯船にゆったり気分でつかった。湯から上がると肌がツルツルしている。このツルツル感が伊勢原温泉の特徴だ。

 伊勢原市から厚木市に入る。第2湯目は七沢温泉。「七沢荘」(入浴料1000円)の露天風呂に入った。ここの露天風呂は趣があって東京近郊では最高の部類に入るもの。湯から上がると、名物の猪鍋を食べた。「これぞ丹沢の味!」といったところだ。猪肉のうまさが腹わたにしみ込んだ。ここは予約なしでも食べられる。

 猪鍋に大満足したところで、休む間もなく、第3湯目の広沢寺温泉、第4湯目のかぶと湯温泉と連湯した。ともに七沢温泉近くの一軒宿の温泉。曹洞宗の広沢寺前にある広沢寺温泉「玉翆楼」(入浴料1000円)では露天風呂に入った。こぢんまりとした露天風呂。おい茂る木々に囲まれたかぶと湯温泉「山水楼」(入浴料1000円)はこのエリアでは一番の秘湯だ。ここでは小さな内風呂の湯に入ったが、泉質の良さには定評がある。

 厚木市から清川村に入る。第5湯目が別所温泉。村営の日帰り湯「別所の湯」(入浴料700円)があるが、この湯は温泉ではないので、その手前「旅館元湯」(入浴料800円)の湯に入った。以前、泊まったことのある温泉宿なので、湯につかりながらなつかしさを感じる。ここまでが我が家から10キロ圏。「さすが温泉のカソリ、じつに環境(温泉)のいいところに住んでいる!」と自画自賛。

 さらにもう1湯、飯山温泉に寄り道したあと、県道64号で土山峠へ。途中、煤ヶ谷では舗装林道の谷太郎林道に入り、道の行き止まり地点まで行った。丹沢から流れ出る渓流の美しさには目を奪われてしまう。バイクを停めるとブーツを脱ぎすて、渓流の中に入った。ヒヤーッとした感触。透き通った渓流の流れを手ですくい、顔を洗い、丹沢の自然を自分の肌で存分に感じとるのだった。

 県道64号に戻ると、唐沢林道(ゲート)の入口を通り過ぎ、ワインディングの峠道を走り抜け、標高400メートルの土山峠に到達。そこには神奈中バスの「土山峠」の停留所。清川村は昭和31年(1956年)に南の煤ヶ谷村と北の宮ヶ瀬村が合併してできた村で、土山峠は旧2村の境になっていた。

 土山峠を越えると風景は一変し、宮ヶ瀬ダムによってできた宮ヶ瀬湖が目の中に飛び込んでくる。宮ヶ瀬ダムは平成13年(2001年)に完成した巨大な重力式ダム。ダムの高さは156メートルで日本でも第6位。関東では奥利根の奈良俣ダムに次いで第2位。宮ヶ瀬ダムによってできた宮ヶ瀬湖は関東でも最大の人造湖になっている。そんな湖畔の道を走る。湖底には清川村の北半分、旧宮ヶ瀬村の各集落すべてが沈んでいる。残り半分になってしまった清川村は平成の大合併の荒波を乗り越え、いまだに一村として存続しつづけているが、神奈川県では唯一の村になる。「ガンバレ、清川村!」。

 東丹沢の山々に囲まれた宮ヶ瀬湖を眺めながらバイクを走らせ、湖のまわりをぐるりと一周する。その途中では宮ヶ瀬ダムを見、ビジターセンター(無料)を見学し、湖畔の園地をプラプラ歩いた。そしてもう一度、土山峠を越えて伊勢原に戻るのだった。

七沢温泉「七沢荘」の露天風呂に入る
七沢温泉「七沢荘」の露天風呂に入る

別所温泉の「旅館元湯」
別所温泉の「旅館元湯」

土山峠
土山峠

宮ヶ瀬湖
宮ヶ瀬湖

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カソリの新・峠越え:神奈川(4)ヤビツ峠

 2006年3月29日午前9時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。スズキDR-Z400Sで国道246号を西へ。いやはやなんとも悲しくなってしまうのだが、花粉症まさに最高潮といったところで、走り出して早々にクシャミの連発。鼻水ズルズル状態で走る。「花粉症なんかに負けないゾ!」と気合を入れたとたんに、「クシャーン、クシャーン」とクシャミの連発なのだから、もうほんとうにいやになってしまう…。
 
 伊勢原・秦野市境の善波峠(神奈川-1参照)を越え、秦野盆地に入っていく。この善波峠は関東平野と秦野盆地の境にもなっている。善波峠を下った名古木(ながぬき)の交差点を右折。その道が丹沢の山並みを越えるヤビツ峠に通じている。名古木の交差点には「ヤビツ峠」と表示された道標があるが、峠名の記された道標を目にすると、体がゾクゾクッとしてしまう。信州はさすがに「峠の国」だけあって、峠名の記された道標が数多くあるが、信州に限らず、この「ヤビツ峠」のように道標にはどんどんと峠名を入れてほしいものだ。

 最奥の集落、蓑毛ではバイクを停め、臨済宗建長寺派の大寺・宝蓮寺の本堂へ。そして道をはさんで反対側にある大日堂などを参拝した。この蓑毛からは大山への登山道がある。江戸時代には開かれていたという歴史の古い大山への裏参道だ。

 蓑毛からヤビツ峠の峠道がはじまる。途中からは道幅が狭くなるので対向車には要注意。峠道の途中ではうれしいことに右側に入っていくゲートのない林道を発見。六本松林道だ。ヤビツ峠への登山道にぶつかるところで行き止まりになるが、そこまでは2・7キロ。往復5・4キロの林道走行を楽しんだ。六本松林道の入口を過ぎてまもなく「菜の花台」に着く。ここは丹沢一の展望台といっていい。眼下には秦野盆地が広がり、相模湾もよく見える。背後には丹沢主脈の山々。ここはまた夜景の名所にもなっている。宝石箱をひっくりかえしたような秦野盆地のきらめく夜景が見られる。

「菜の花台」からの展望を目に焼き付け、ヤビツ峠へ。表丹沢林道入口を通りすぎ、標高761メートルのヤビツ峠に到達。そこには「水源涵養林春嶽山」の碑。峠には駐車場があって、小田急線の秦野駅からここまでバスが来ている。ヤビツ峠は丹沢登山の絶好の拠点。右側の登山道を行けば大山へ。ここからだと1時間ほどで大山に登れる。左側を行けば丹沢表尾根の二ノ塔、三ノ塔から主峰の塔ノ岳、丹沢山へと通じている。ヤビツ峠にバイクを停めて早朝に出発すれば、日帰りでの丹沢山まで往復は十分に可能だ。

 秦野盆地は日本の特異地帯といってもいいほどで、ほとんど雪が降らない。東京でひと冬に23日も雪が降ったとき、秦野盆地で雪になったのは2、3日だけだったという。ところがこのヤビツ峠の北側は対照的にひんぱんに雪になる。ヤビツ峠は冬期間も閉鎖されることはないので何度か冬にも走ったことがあるが、冬の峠越えは氷雪との闘いになる。新雪だとまだ走りやすいのだが、ツルンツルンに凍ったアイスバーンの峠道を下るのはなんとも怖いもの。「オーオーオーオー」と声を出しながら、あえなくステーンと転倒してしまう。そうとわかっていても雪道&アイスバーンをバイクで、それもノーマルのタイヤで走るのが大好きなカソリなのだ。

 今では県道70号になっているヤビツ峠越えの道だが、かつては東京に一番近い本格的なダートコースの丹沢林道として知られていた。オフロードを走ろうと、何度、丹沢林道にやって来たことか…。当時は表丹沢林道も自由に走れた…。ヤビツ峠から宮ヶ瀬へと渓流沿いに走りながら、そんなダート時代がなつかしく思い出されてならなかった。

 東丹沢の山並みを越えるヤビツ峠は貴重な存在だ。西丹沢の山並みを越える峠に犬越路があるが、一般車の通行は禁止されたままになっている。ということで、ヤビツ峠はすぐ西の菩提峠(次回参照)とともに車やバイクで越えられる数少ない峠になっている。

 宮ヶ瀬で県道64号に出ると、やまびこ大橋で宮ヶ瀬湖を渡り、湖畔を走り、土山峠(神奈川-3参照)を越えて伊勢原に戻った。

蓑毛の宝蓮寺
蓑毛の宝蓮寺

六本松林道
六本松林道

菜の花台の展望台
菜の花台の展望台

ヤビツ峠
ヤビツ峠

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カソリの新・峠越え:神奈川(5)菩提峠

 2006年3月30日午前9時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。スズキDR-Z40Sで国道246号を走り、善波峠(神奈川-1参照)を越える。峠を下りはじめたところで左折し、第1回目同様、弘法山に寄り道する。

 弘法山は善波峠の南側の山で、善波峠同様、関東平野と秦野盆地を分けている。駐車場にバイクを停め、プラプラ歩く。ここからは大山から岳ノ台、二ノ塔、三ノ塔へとつづく丹沢の山々が眺められた。標高237メートルの山頂には弘法大師の木像をまつる釈迦堂と鐘楼がある。「乳の井戸」跡もある。この「乳の井戸」の水で粥を炊くと乳が出るようになるといい伝えられ、昭和30年、乳期の若い母親たちや妊婦たちが遠方からこの水を求めて弘法山にやってきたという。

 弘法山からその南の権現山へと尾根道を歩く。満開目前の桜が見事だった。標高243メートルと、弘法山よりも若干高い権現山の山頂には展望台がある。そこからは秦野盆地とその向こうに連なる箱根の山々を一望した。

 こうして弘法山と権現山を楽しみ、国道246号に戻り、名古木の交差点を右折。県道70号でヤビツ峠(神奈川-4参照)に向かい、藤棚バス停のあるT字の交差点を左折。角にはコンビニの「ampm」。丹沢山麓の道を行く。途中で「実朝首塚」に寄る。

 源実朝は鎌倉幕府の3代目将軍。1219年(承久元年)、兄頼家の子、公暁に暗殺された。ここには実朝の五輪塔の墓がある。「首塚」というからには実朝の首が葬られたのであろう。小公園もあり、売店では地元産の野菜や特産品を売っている。水車で挽いたソバ粉をつかったそば店もある。富士山がきれいに見える。

 ここから菩提(ぼだい)の集落へ。葛葉川にかかる橋を渡ってすぐの十字路(点滅信号あり)を右折し、葛葉川沿いに登っていく。この道が菩提峠に通じている。青少年野外センターを過ぎると山中に入り、急勾配の曲がりくねった峠道を登っていく。表丹沢林道(ゲート)を横切り、さらに登ったところで菩提峠に到達だ(※URL先の「ちず丸」では”菩薩峠”とミスしていますが…=2008年5月21日時点)。峠には丹沢全体の案内図が出ている。ここからだと二ノ塔、三ノ塔が近い。

 峠には「日本武尊足跡」の木標。日本武尊には非常な興味を持っているカソリ、さっそく「日本武尊足跡」を見にいくことにした。バイクを峠に停め、山道を登っていく。二ノ塔の方向に向かっていきなり急坂がはじまる。ヒーヒーハーハー肩で息をし、あっというまに汗だくになる。たどり着いた「日本武尊足跡」は、ほんとうに足跡で、大石に見事なくらいに足跡がついている。

 伝説によると日本武尊は東国の蝦夷(えびす)平定の際、菩提山(二ノ塔)から大山へと向かったという。そのとき水を渇望し、大石を踏むと水が湧き出たという。「日本武尊足跡」からは同じ道で菩提峠に戻ったが、往復で1時間の山歩きだった。

 菩提峠周辺は広々したススキの原になっている。ここはかつてのスキー場跡。終戦後の一時期、東京から最も近いスキー場としてオープンさせたとのことだが、雪が少なくて長続きしなかった。そんなかつてのスキー場跡をバイクで走ってみた。

 菩提峠を下るとすぐに、ヤビツ峠を越える県道70号にぶつかる。そこには「富士見山荘」。その先、100メートルほどのところには丹沢の名水「護摩屋敷の水」がある。湧き出る名水をゴックンゴックンと苦しくなるほど腹いっぱい飲んだ。菩提峠で1時間、大汗をかいて歩いたので、体が水を欲していたのだ。渇いた体にはよけいにうまい水だった。

 ヤビツ峠越えのときと同じように県道70号で宮ヶ瀬に向かっていく。境橋を渡ると、秦野市から清川村に入る。そこは札掛。民営国民宿舎の「丹沢ホーム」がある。このあたりは丹沢の豊かな自然にふれられる一帯で、「東丹沢県民の森」もある。モミの自然林もある。丹沢をこよなく愛し、丹沢に住みつき、「丹沢ホーム」をつくった中村芳男さんの書いた『丹沢・山暮らし』(どうぶつ社)という本を読んだことがあるが、中村さんの自然に寄せる思いには感銘を受けた。中津川の渓谷を走り、宮ヶ瀬に出ると、ヤビツ峠のときと同じように土山峠を越えて伊勢原に戻った。

権現山の山頂
権現山の山頂

実朝の首塚
実朝の首塚

菩提峠の頂上
菩提峠の頂上

日本武尊の足跡
日本武尊の足跡

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カソリの新・峠越え:神奈川(6)牧馬峠

 2006年4月4日午前9時に伊勢原市の自宅を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ、まずは土山峠へ。うれしいことに峠周辺の桜は満開。華やいだうきうきするような気分でバイクを走らせた。

 県道64号で土山峠を越え、宮ヶ瀬湖から名無しのゆるやかな峠を越えて鳥屋(とや)に下る。そこからもうひとつ、トズラ峠を越えると国道413号の青野原に出る。伊勢原から青野原までが県道64号になる。すぐに国道を右折。この道が牧馬峠に通じている。

 相模川最大の支流の道志川を渡り、大きな採石場の前を通り、牧馬の集落へと登っていく。その途中からの眺めがすごくいい。眼下を曲がりくねって道志川が流れ、対岸の河岸段丘上には青野原の家並みが見えている。「これが河岸段丘ですよ」といわんばかりの、まさに「河岸段丘」の典型を見るような風景だ。

 家数の少ない牧馬の集落を通り過ぎ、牧馬峠に向かっていくと、裏丹沢の山並みを一望。丹沢は大山塊だ。峠の手前で道は突然、狭くなる。道の両側には鉄製のポールが立っている。バイクにとってはまったく問題ない道幅だが、このポールの幅以上の車は入れない。そんな細道を走り、広い道に抜け出たところが標高410メートルの牧馬峠(まきめとうげ)だ。

 牧馬峠から急勾配・急カーブの峠道を下ると篠原の集落。この牧馬峠北側の峠道は冬場だと雪や氷でかなりきつい道になる。篠原の間宮商店の自販機で缶コーヒーを飲む。店にはシャッターが下りていたが、ここで缶コーヒーを飲むのは牧馬峠越えのいつものパターンなのだ。

 今から30年以上も前のことになるが、東京の高尾山から何人かの仲間と一緒に東海自然歩道を歩き、石老山の山頂から篠原へと下った。その夜は篠原の手前の草原で野宿した。ぼくは篠原まで買い出しに行き、間宮商店で一升びんを3、4本買い込んだ。野営地に戻ると、満月のもとでおおいに飲み明かし、一升びんをすべてカラにした。翌日は二日酔でフラフラになりながら篠原から牧馬峠を越え、愛川町の半原まで歩いた。そのときのメンバーの1人が私の奥さん…。こうして篠原でバイクを停め、缶コーヒーを飲むたびに30何年も前のあの満月の夜がよみがえってくる。

 間宮商店を過ぎたところでT字の交差点になるが、そこを直進して相模湖へ。ぼくは中央道を使うときは伊勢原から牧馬峠を越え、篠原を通っていく。相模湖ICから入るときはこの交差点を直進し、上野原ICから入るときは左折する。

 今回は直進。山間を縫って走り、国道412号に出た。そして相模湖へ。湖畔の桜が満開だった。そんな桜の下でバイクを停め、しばし花見を楽しんだ。相模湖からは国道20号を横切り、JR中央線の相模湖駅前に出た。そこが「牧馬峠越え」のゴール。伊勢原からは42キロの地点。相模湖駅前からは来た道を引き返し、もう一度、牧馬峠を越えて伊勢原に戻るのだった。

道志川を見下ろす
道志川を見下ろす

牧馬峠
牧馬峠

牧馬峠北側の峠道
牧馬峠北側の峠道

篠原の間宮商店。我がなつかしの店…
篠原の間宮商店。我がなつかしの店…

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カソリの新・峠越え:神奈川(7)半原越(はんばらごえ)

 2006年4月4日午前9時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。目指すのは半原越だ。うれしくなるような晴天で、この季節とは思えない透き通った青空が広がっている。ぼくはツーリングに出ると、天気に関係なく雨でも雪でも、台風の大風の中でもバイクを走らせるが、やっぱりツーリングにはこの抜けるような青空が一番。思わず鼻唄まじりでスズキDR-Z400Sのハンドルを握ってしまう。
「いやー、バイクっていいねえ!」

 伊勢原からは県道64号を行く。厚木市から清川村に入る。村役場を通り過ぎ、煤ヶ谷のバス停を過ぎたところで県道を右折。そこには「リッチランド」の看板。この看板が半原越への目印になっている。峠下の法論堂(おろんど)の集落を通り過ぎたところで舗装林道の法論堂林道に入っていく。

 じきに「リッチランド」。ここにはキャンプ場やコテージ、バンガロー、それと露天風呂(入浴料650円)がある。緑に囲まれた露天風呂の湯につかる。3段になった岩風呂。一番下が温めの湯。森林浴しながら気分よくつかれる湯だ。露天風呂もきれいにしてあるが、まわりの庭園にもきめこまかく手を入れている。

「リッチランド」からは法論堂林道で峠を目指して登っていく。峠にかなり近づいたところで、ぼくの心臓は凍りついた。左への急カーブを曲がった瞬間、「バッファローだ!」と思ったほど大きな鹿が山肌を駆け降り、目の前を横切り、谷底へ下っていった。というより谷底にダイブするかのような勢いだった。ほんのすこしタイミングがズレていたら、大鹿に激突…。大鹿もろとも谷底に転落していた。北海道最長林道の道東林道や九州最高所林道などではひんぱんに鹿に出会った。そのほか日本各地の林道で鹿には遭遇したが、これほどの大鹿に出会ったことはない。目に焼きつくほどの巨大鹿だったが、さすが「強運のカソリ」、間一髪で助かった!

 半原越に到着。清川村の煤ヶ谷一帯はかつては養蚕が盛んだった。煤ヶ谷の養蚕農家の人たちは繭を背負ってこの峠を越え、半原へと下っていった。半原は江戸時代からの「糸の町」。「半原撚糸」で知られていた。

 そんな半原越にバイクを停め、仏果山に登った。これからの「新・峠越え」では、峠にバイクを停めて、目ぼしい山にはできるだけ登ろうと思うのだ。仏果山はその第一弾。最初は急な登り。ヒーヒーハーハーいってしまう。比較的平坦な尾根道になると、ホッとひと息つけた。土山峠への分岐を過ぎると、採石場からの音が聞こえてくる。

 革籠石(かわごいし)山を過ぎると、けっこう荒れた登山道になり、登り下りも急になる。そして標高747メートルの仏果山の山頂に到着。そこには展望台。清川村のコンビニで買ったおにぎりを山頂で食べた。半原越から仏果山までは2・6キロ。来た道を引き返し、半原越に戻ったが、往復で2時間30分だった。

 峠を下るとすぐに名水。手ですくって飲んだが、山歩きしたあとなので、体中にしみわたるようなうまさだった。峠道をさらに下ったところが清川村と愛川町の境。さらに下り、国道412号に出る。厚木方向に走り、中津川河畔の塩川温泉「こまや旅館」(入浴料500円)の湯に入る。ここには10年前にも来たことがあるが、そのときも入浴料は500円だった。10年間も入浴料が変わらないというのは、なんともうれしいことではないか。

 塩川温泉のわきから小道に入って塩川滝へ。すぐそばを国道412号が通っているとは思えないほどの「深山幽谷」を感じさせるところで、滝見台から眺める塩川滝は迫力満点。水量の多い滝が垂直に断崖絶壁を流れ落ちている。ここはかつては修験者の修行の場。中津川に近い八菅山の八菅神社から塩川滝、仏果山、さらには大山へと修験の道ができていた。塩川温泉&塩川滝を最後に厚木経由で伊勢原に戻った。

「リッチランド」の露天風呂に入る
「リッチランド」の露天風呂に入る

半原越
半原越

仏果山の山頂
仏果山の山頂

塩川滝
塩川滝

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行


カソリの新・峠越え:神奈川(8)三増峠(みませとうげ)

 2006年4月6日午前9時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ、三増峠を目指す。国道246号で厚木まで行き、厚木からは国道412号で愛川町の半原へ。

 半原越(神奈川-7参照)でもふれたように、半原は「半原撚糸」で知られた「糸の町」。その歴史を知りたくて半原小学校に行く。小学校の校庭内に郷土資料館があるのだ。校門の前には「辻の神仏」。そこには道祖神や二十三夜様、馬頭観音、地蔵、庚申塔などがまつられている。これらの神仏のご加護によって、「(集落内に)災いが入ってきませんように」という願いをこめたものだ。

 最近は小学生がらみの事件がひんぱんにおきているので半原小学校に入るのにも気が引けたが、意を決して校門をくぐり、校庭の一番奥にある郷土資料館まで行く。旧校舎を利用しての郷土資料館。入館は無料だ。玄関口には半原小学校や中津、高峰、田代の3小学校の戦前の写真が展示されているが、それらはどれも時代を感じさせるものだった。

 突き当たって左側には2つの展示室があるが、そこでは民具や農具を展示している。右側の奥にある展示室がぼくの見たかったもので、「糸の町」半原を象徴するかのような糸繰機や糸とり機、座繰機、機織機、そして撚糸機が展示されている。さらに「撚糸(よりいと)」がどういうものなのか、次のように説明されている。

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「原料としての糸はそのまま使うこともありますが、普通は必要の太さに撚り合わせて使います。まず何本かの糸を引き揃え、右撚りに撚ります。これを下撚りといいます。その糸を2本、または3本引き揃え、今度は左撚りに撚ります。これを上撚りといい、完成した撚糸となります。また、織物の緯(よこ)糸用などには、片撚りと行って下撚りだけで済ますこともあります。糸の使用目的によって、撚りの強弱が違います」
~~~~
 養蚕地帯の中心地だった半原は、江戸時代以来の「半原撚糸」で知られる絹撚糸の一大産地だった。

 目的を果たしたところで半原を出発。県道54号から65号へ。この道が三増(みませ)峠へとつづいている。幅の広い2車線の道。三増の交差点を過ぎると、前方にはくっきりと山並みが見えてくる。三増峠で越える津久井との境の山並みだ。県道65号はトンネルで峠を貫いているが、トンネル手前の右側には三増峠への登山道がある。

 バイクを停め、歩いて峠まで登ってみた。登山道を歩きはじめると、いっぺんに山深い風景に変わる。10分ほど歩くと、愛川町と旧津久井町(現在は相模原市)境の標高319メートルの三増峠に到着。峠には大きな石仏がまつられている。さらに峠ではダートの林道に出た。「走りたい!」と、そう思わせるようなダート林道で、すぐさま地図上でその林道を確認した。

 三増峠からは来た道を歩いて下る。バイクまで戻ると峠のトンネルを走り抜け、津久井側に入る。津久井側の方がはるか山深く、峠道の勾配も急だ。かなり下ったところが、さきほどのダート林道の入口。だが残念ながらゲート…。

 県道510号を横切り、戦国時代に津久井城が築かれた城山(375m)の西側を通り、中野へと下っていく。すると前方には相模川をせき止めてできた津久井湖が見えてくる。国道413号に出る。このあたりが旧津久井町の中野の中心地。津久井湖畔に出ようとさんざん走りまわったが、湖はストンと落ち込んでいるので、湖畔には出られない。

 そこで国道413号で城山町の方向に走って左折し、湖をまたぐ三井大橋まで行った。そこからは津久井湖を存分に眺めることができた。津久井湖は城山ダムによってできた人造湖。津久井湖の三井大橋から来た道を引き返し、もう一度、三増峠を越えて半原に戻った。

半原の郷土資料館
半原の郷土資料館

三増峠のトンネル
三増峠のトンネル

三増峠への登山道
三増峠への登山道

三井大橋から見る津久井湖
三井大橋から見る津久井湖

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


カソリの新・峠越え:神奈川(9)志田峠(しだとうげ)

 三増峠(神奈川-8参照)を越えたあと、愛川町の半原に戻ってきた。半原を拠点にして、ひきつづいて志田峠を越えるのだ。町中のコンビニで缶コーヒーを飲み、ひと息ついたところで出発。スズキDR-Z400Sを走らせ、中津川の河畔から急坂を登り、河岸段丘の台地上に出る。そこは開けた農地。耕した畑が広がっている。そのあたりが志田。志田峠は峠下の地名に由来している。

 三増峠から志田峠にかけての一帯は甲州の武田軍と小田原の北条軍が激突した戦国時代でも屈指の古戦場。県道54号の三増に通じる道の左側には、「三増合戦場」の大きな石碑が建っている。武田軍2万、北条軍2万の大軍同士が激突し、4000人を超える死者が出たという。石碑に並んで三増合戦での両軍の詳細な配置図と、「三増合戦のあらまし」が書かれた案内板が立っている。

 それには次のように書かれている。
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 永禄12年(1569年)10月、甲斐(山梨県)の武田信玄は2万の将兵をしたがえ、小田原城の北条氏康(北条五代の三代目)らを攻め、その帰り道に三増峠をえらんだ。

 これを察した氏康は息子の氏照、氏邦、娘の夫綱成らをはじめとする2万の将兵で三増峠で迎え討つことにした。ところが武田軍の近づくのをみた北条軍は、半原の台地上に移り態勢をととのえようとした。信玄はその間に三増峠のふもと桶尻の高地に自ら進み出て、その左右に有力な将兵を手配りし、家来の小幡信定を津久井の長竹に行かせて、津久井城にいる北条方の動きを押さえ、また、山県昌景の一隊を韮尾根に置いて、いつでも参戦できるようにした。

 北条方はそれに方々から攻めかけたのでたちまち激戦となった。そのとき山県の一隊は志田峠を越え、北条軍の後ろから挟み打ちをかけたので、北条軍は総崩れとなって負けてしまった。この合戦中、武田方の大将浅利信種は北条軍の鉄砲にうたれて戦死した。

 北条氏康、氏政の親子は、助けの兵を連れて荻野(厚木市)まで駆けつけてきたが、すでに味方が負けてしまったことを知り、空しく帰っていった。信玄は勝ち戦となるやすぐに兵をまとめて反畑(相模湖町)まで引き揚げ、勝利を祝うとともに、敵味方の戦死者の霊をなぐさめる式をとりおこない、甲府へと引き上げたという。
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 三増合戦は新田次郎の『武田信玄』(文春文庫)にも詳しく書かれている。

 志田峠は「三増合戦場」碑のわきから入っていく。「東名厚木カントリー倶楽部」の前を通る。このゴルフ場内に三増合戦の武田信玄が大将旗を立てたという「旗立松」がある。それを見たくてゴルフ場内に入り、三増峠と志田峠の間の中峠へと登っていく。そこに「旗立松」の碑が建っている。

 信玄が大将旗を掲げたという「旗立松」は大正12年(1923年)に失火で枯れてしまったとのことで、「旗立松二世」が大きくなりはじめている。中峠からの眺めは雄大で相模の原を一望し、丹沢の山並みを眺める。この風景を見ていると、天下を取ろうとした武田信玄の気分にも浸れるというものだ。

「東名厚木カントリー倶楽部」を過ぎると、老人ホームの前を通り、志田峠へのダートの突入。道幅は狭く、路面はけっこう荒れているのでおもしろく走れる。1キロほどのダートを登りつめると標高310メートルの志田峠だ。そこには木製のテーブル。バイクを停めて峠でひと休み。半原のコンビニで買ったペットボトルのお茶を飲んだ。志田峠は今でこそ忘れ去られたような峠だが、かつては厚木と津久井を結ぶ重要な峠で、その重要度は三増峠以上のものだったという。

 三増峠は愛川町と旧津久井町(現相模原市)の境だが、志田峠は旧津久井町に入ったところにある。峠を下っていくと朝日寺の前に出るが、そこまでの0・4キロがダート。志田峠のダートは合計1・4キロ。わずか1・4キロでも、こうしてバイクで走れるダートの峠道が残っているのはものすごくうれしいことだ。

 長い石段を登り、朝日寺に参拝したあと、桜並木を走り抜けて国道412号に出た。そのあたりが「三増合戦」で武田方の山県昌景軍が布陣した韮尾根。国道412号もその地点が名無しの峠になっている。韮尾根を下り、ふたたび半原へ。そして厚木経由で伊勢原に戻った。

「三増合戦」の碑
「三増合戦」の碑

古戦場から眺める丹沢の山並み
古戦場から眺める丹沢の山並み

三増合戦の戦死者の供養塔
三増合戦の戦死者の供養塔

志田峠
志田峠

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

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Author: 賀曽利隆
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