著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
Administrator:ウザワ・K

電子で復刊!
カテゴリー
Amazon
ブログ内検索 by Google
広告も社会の窓。
最近のコメント
RSSフィード
FC2ブログランキング
このブログが面白いと思ったらたまに(あるいは頻繁に!)クリックしてくださいね(ポチっとな)。それで何が起こるのかは僕も知らんけど…。
カソリお役立ちリンク
管理人推奨リンク

本を旅する(2):浮谷東次郎『がむしゃら1500キロ』

賀曽利隆「15歳、疾走1500キロの足跡を追って」
(初出:JTB『旅』1996年5月号)


午前4時15分の旅立ち
 1996年2月28日午前4時、ぼくは総武本線市川駅前に、50㏄バイクのスズキ・ハスラーTS50とともに立った。ふつうの時間帯だと、バスや車、人波で混雑する市川駅前も、夜明けにはまだほど遠いこの時間帯は、ひっそりと静まり返っていた。自販機の缶コーヒーを飲み、ひと息入れ、4時15分になったところでハスラーのエンジンをかける。「さー、行くゾ!」と気合を入れ、2サイクルのエンジン音を残し、都内に向かって走り始めるのだった。

 今から40年ほど前の1957年7月31日、当時15歳の浮谷東次郎は、同時刻の午前4時15分に、ドイツ製50・バイクのクライドラーにまたがり、千葉県市川市の自宅前を出発。東京から東海道を一路、西へ、大阪に向かって走った。

 浮谷東次郎といえば、後に、すい星のごとくに現れた“天才レーサー”としてよく知られているが、23歳の若さで鈴鹿サーキットに散った。あまりにも惜しい死だった。

 その彼が15歳のときに旅立ったのが、50㏄バイクでの東海道往復。『がむしゃら1500キロ』という本になり、今でも多くの人たちに読まれている。とくに、我らツーリング派ライダーにとっては、誰もが知っている、まさに古典の領域に入ろうかという本なのである。この本には、みずみずしい感性、旅人としての素養のすばらしさ、若者だけが持ちえる向こうっ気の強さ、自分自身を見つめ直そうとする人生へのひたむきさ、旅の途中で目にする風物や出会ったいろいろな人たちの描写‥‥と、一気に読ませるだけの魅力がちりばめられている。さらに、40年前の東海道の状況もよくわかる。

 ぼくは今回、新潮文庫版とちくま文庫版、2冊の『がむしゃら1500キロ』の文庫本をポケットに入れ、浮谷東次郎の足跡を追って東海道を往復しようと、ハスラーに乗って市川までやってきた。名作を手に、その舞台をまわるのは、すごくいい旅の方法だ。芭蕉の『奥の細道』の文庫本を手にして旅するときのような、なんともいえない胸のときめきをおぼえる。

 東京の日本橋からは、国道1号(東海道)を走り、大阪に向かう。浮谷東次郎の『がむしゃら1500キロ』を縦糸に、自分なりの東海道へのこだわりを横糸にし、東海道往復の旅を織り上げていこうと思うのだ。

 東京・日本橋から小田原までは、ただ、ひたすらに走った。浮谷東次郎は午前4時15分に市川を出発すると、小田原までの120キロ弱を3時間で走っているのだ。そして小田原に着くと、行きつけのドライブインでサンドイッチの朝食を食べている。

 ぼくの小田原到着は7時20分。市川から本気で走り、3時間5分かかった。恐るべし、15歳の浮谷東次郎‥‥。彼は速かった!

 40年後の今日では、国道沿いに早朝から開いているドライブインはないので、小田原駅近くの「ミスタードーナツ」でドーナツを2つ買い、それを持って小田原城に行く。缶入り紅茶を飲み、ドーナツを食べながら、自分と浮谷東次郎を比較して考えてみた。

 当時、50㏄バイクの免許(許可証)は14歳で取ることができた。市川に代々つづく名家に生まれた浮谷東次郎は、14歳になるとすぐに免許を取り、お父さんにクライドラーの新車を買ってもらう。1台8万5000円。大学出の初任給が1万円にも満たない時代。お父さんが大の車好きということもあったが、それは経済的に恵まれていた浮谷家だからこそできたことでもあった。

 浮谷東次郎はクライドラーを手に入れるとすぐに、軽井沢まで、走りに行っている。さらに、箱根までは、何度となく走っている。そして、中学3年の夏休みに大阪行きを思いつく。このあたりがなんともすごい!

 浮谷東次郎よりも5つ年下のぼくも、14歳で免許を取ろうと、14歳の誕生日が来る日を心待ちにしていた。ところがぼくが14歳になる直前に制度が変わり、免許は16歳にならなくては取れなくなってしまった。あのときの落胆ぶりは40年近くたった今でもはっきりと覚えている。それと同時に、国のやることは絶対に信用できないといった、権力への強い不信感もそのときに持った。

 それでどうしたかというと、16歳(高校1年)になるのと同時にバイクの免許を取り、小遣いを貯めた5000円を持って東京・上野のバイク屋に行き、ブリジストン・チャンピョンという中古の50・バイクを買った。初めてのツーリングは伊豆。ほんとうは伊豆半島を一周したかったのだが、東京から伊東まで行き、また東京に戻ってくるので精一杯。東次郎のように大阪まで行くことなど、およびもつかなかった。ぼくがその後、バイクで大阪まで行くのは、19歳になってからのことである。


東海道の峠越え
 国道1号は、日本の大動脈だけあって、バイパスが発達している。日本で一番、バイパスの多い国道で、有料のバイパスが何本もある。これら、有料、無料を問わず、バイパスはパスし、旧道をたどって大阪まで行くことにする。

 それと、これは自分自身の東海道へのこだわり方だが、「東京→大阪」間の峠をしっかりと見ていくことにする。

 小田原を出発。箱根湯本から箱根峠を目指して登っていく。ハスラーのエンジンはうなりをあげている。50ccバイクにとって、箱根の坂は、なんともきつい。登るにつれて、道のわきには雪が積もり、コーナーはアイスバーンになっている。ハスラーで切る風が冷たい。

 芦ノ湯温泉を過ぎたところで、国道1号の最高地点(標高874m)を通過。名前はついていないが、ここが、国道1号の最初の峠。いったん、芦ノ湖畔に下り、神奈川・静岡県境の箱根峠に到達。標高846メートル。二重式火山、箱根山の外輪山の峠だ。箱根峠を越えてしまうと、東京がぐっと遠くなる。

 三島に下る。天気は快晴。雪をかぶった富士山の姿が、目の中いっぱいに飛び込んでくる。三島の手前に錦田の一里塚。「江戸より二八里」の地点だ。

「江ノ島、鎌倉など、とうてい追いつくことのできないこの素晴らしさ。東京に近かったら、もっとひらけるのになあ‥‥」と、浮谷東次郎を残念がらせた沼津の海岸で、30分ほど眠る。寒さからやっと解放される。春を思わせるような日差しを浴びて眠る気持ちよさといったらない。

 すっきりとした気分で静岡へ。富士川を渡り、旧東海道の由比宿と興津宿の間の薩○峠を越える。峠からの眺望は抜群。足下に国道1号と東名高速。国道1号は海岸ぷちを走り、新東海道の東名高速は薩○トンネルで峠を抜けている。左手に雪化粧した富士山。正面には、キラキラ輝く駿河湾の海越しに青く霞む伊豆の山々を眺める。

 13時、静岡に到着。東京から200キロ。「ファミリーマート」で、おにぎりと缶入り緑茶を買い、それを昼食にし、宇津谷峠に向かう。安倍川を渡り、丸子宿を過ぎると、峠への登りがはじまる。この宇津谷峠は、峠の“トンネル博物館”のようなところだ。明治9年に完成したレンガ造りの明治トンネル、昭和9年に完成した昭和第1トンネル、昭和34年に完成した昭和第2トンネル、平成7年に完成した平成トンネルがある。さらに時代をさかのぼると、江戸時代の東海道の峠道がある。最古の峠道といえば“蔦の細道”と呼ばれる平安時代の官道だ。これら宇津谷峠の峠道のうち、昭和第1トンネルを抜け、岡部宿に下っていった。

 大井川を渡り、金谷から牧ノ原台地を登っていく。ゆるやかな峠を越え、もうひとつ、峠を越える。そこが、金谷町と掛川市の境になっている佐夜ノ中山。“夜泣石”伝説で知られる昔からの東海道の難所だ。浮谷東次郎が走った1950年代の東海道といったら、その半分は未舗装路。日本は世界でも冠たる“悪路の国”だった。当然、佐夜ノ中山の道も悪かったが、浮谷東次郎は次のように、佐夜ノ中山の峠越えを描写している。

「峠にさしかかる。どうしてどうして、相当の峠だ。もちろん道が舗装されているはずもなく、大きな石がコンニチワと大きな顔をそこいら一杯に出していた。岩の上を走っているような道路だった」

 天竜川を渡ると浜松。浜松といえば、ホンダ、ヤマハ、スズキの、世界のオートバイ3大メーカーが、この町で生まれ、この町で育った。浜松はまさに、世界のオートバイ産業のメッカなのである。浮谷東次郎もここでは、ヤマハの工場を見学したかったのだが、東海道から離れているということで断念している。

 1950年代だと、浮谷東次郎の乗ったドイツ製クライドラーの優秀さを見てもわかるように、日本製のオートバイはドイツ車などのヨーロッパ車に太刀打ちできなかった。それが1960年代になると立場が逆転し、それ以降、ヨーロッパ車はどんどん日本車に駆逐され、消えていった。

 浜松の市街地を走り抜けたところで、旧国道1号沿いにあるスズキの本社に立ち寄る。ハスラーの故郷だ。スズキの本社では、営業推進部の宮本佳英さんと安藤勝博さんに会い、2人と社員食堂でコーヒーを飲みながら話した。2人とも、ぼくよりはるかに若いが、浮谷東次郎のことはよく知っていた。

 だが、その知り方の違いがおもしろい。4輪から入ったカーレース大好きの宮本さんは若くして死んだ“天才的レーサー”として、浮谷東次郎を知った。一方、2輪から入ったオートバイ大好きの安藤さんは、学生時代、バイク仲間からすすめられて『がむしゃら1500キロ』を読み、ずいぶんと深い感銘を受け、それで浮谷東次郎を知った。

 ぼくはといえば、後者の安藤さん派で、『がむしゃら1500キロ』の単行本が出てまもないころに読み、やはり安藤さんと同じように深い感銘を受けた。その後、『俺様の宝石さ』と『オートバイと初恋と』をも読み、東次郎の生き方に共感をおぼえるところが大きかった。

 宮本さん、安藤さんの見送りを受け、スズキの本社を出発。国道1号に合流すると、まもなく、浜名湖が見えてくる。
「地図で見ても、海と浜名湖とはつながっているように書かれているし、実物も確かに海とつながっている。こいつは湖ではない。インチキだと思う。いや確かにインチキだ」
 と、浮谷東次郎が怒った浜名湖の湖面は、夕日を浴びて紅に染まっていた。

 ゆるやかな峠の潮見坂を越え、静岡県から愛知県に入る。日が暮れたところで、国道1号沿いの食堂に入る。そこはトラック運転手たちの、溜まり場のような店。このような店は安くてうまいのだ。トラック運転手たちの会話をさりげなく聞きながら、650円の焼き魚定食を食べた。


大渋滞のつづく豊橋、岡崎の町を通り過ぎ、名古屋へ。
 21時30分、名古屋市に入る。東京から370キロ、17時間かけての名古屋到着だ。一刻も早く宿をみつけて泊まりたい。桶狭間の古戦場がすぐ近くにある名鉄の中京競馬場駅前でハスラーを止め、駅周辺に安宿を探す。だが、ない。疲れきった体にムチを打って、さらに国道1号を走り、今度は名鉄の鳴海駅前でハスラーを止める。タクシーの運転手に聞くと、「喜久水」という旅館が駅の近くにあるという。

 さっそく、「喜久水」に行ってみる。うまい具合に部屋が空いていた。すでに10時を過ぎていたが、宿の主人は遅い時間の到着にもかかわらず、気持ちよく泊めてくれた。素泊まりで4800円。風呂に入り、布団にもぐり込むと、バタンキュウー状態で深い眠りに落ちていった。

 浮谷東次郎も名古屋で泊まった。素泊まりで350円という安宿だ。最初は1泊2食の料金だと思っていたのだが、それが素泊まりの料金だとわかると、「メシはでないのか、350円とは安すぎたかな。風呂にはいって金を払ってしまった今ではどうにもならない。やれやれ、大変なところに泊まってしまった」
 といったセリフをはくのだ。

 それにしてもすごいのは、彼は6時半に名古屋に着いている。当時の東海道の道の悪さを考えると、驚異的な速さといっていい。

 浮谷東次郎は名古屋に着いて、名古屋弁を耳にし、感動している。このあたりの、旅人としての感性が、すごくいい。言葉が変わると、「遠くにやって来たなあ!」と、実感するものなのだ。

 おもしろかったのは、道路地図探し。東海道のガタガタ道の振動で道路地図を落としてしまい、夕食後、本屋に行くのだが、
「どこの本屋にも、気のきいた道路地図なんてものは、ただの一枚もなかった」
 と、嘆いている。このあたりに、日本の40年間の変化がよく出ている。日本はその間、急速にモータリゼーション化し、今ではどんな田舎町の書店に行っても、何種類ものロードマップが並んでいる。


鈴鹿峠を挟んだ2つの世界
 浮谷東次郎は名古屋を6時に出発しているが、ぼくはそれよりも1時間早い、5時に、鳴海の「喜久水」を出発。鈴鹿峠の周辺をじっくりと見てみたかったからだ。

 名古屋の中心街を走り抜け、木曽川を渡ったところで日が昇る。愛知県から三重県に入り、四日市の「日永の追分」でハスラーを止める。この追分は、東海道と伊勢参宮街道との分岐点。嘉永2年に建立された石の道標には、
「右 京大坂  左 いせ参宮道」
 と、彫り刻まれている。常夜燈もある。

 国道1号沿いの喫茶店で、モーニングサービスの朝食をすませ、鈴鹿峠へ。峠下の関は、東海道53次の宿場町のなかでは、一番、当時の面影を残こしている。東海道と伊勢別街道の「東追分」から、東海道と大和街道の「西追分」までの間が関の宿場町で、まるでタイムスリップしたかのような家並みを見ることができる。東海道の難所、鈴鹿峠を間近に控えた関は重要な宿場で、本陣が2軒、脇本陣が2軒、旅籠が42軒、あったという。 関からいよいよ、鈴鹿峠を登っていく。旧道で坂下の集落に寄っていく。碓氷峠下、上州側の坂本の集落とそっくりなたたずまいだ。

 鈴鹿峠を登りつめ、峠のトンネルを抜け、三重県から滋賀県に入る。わずかに下ったところで国道1号を左に折れ、旧道で峠まで登る。峠周辺は一面の茶畑。その中に、人の背丈の倍以上もある大きな常夜燈。さすがに東海道! この「万人講常夜燈」ほど大きな常夜燈というのも、そうそうあるものではない。

 鈴鹿峠を下った土山の道の駅「あいの土山」で小休止。うどんを食べる。汁の色の薄さが関西圏に入ったことを教えてくれた。
 この道の駅、「あいの土山」には、
「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨がふる」
 と、『鈴鹿馬子唄』の1節が大書きされている。これはじつにうまく峠の天候を歌っている。鈴鹿峠の東側、坂下の集落は晴れているが、鈴鹿峠は曇り、鈴鹿峠の西側、土山は雨が降っているということだ。

「三島照る照る 小田原曇る あいの関所は雨がふる」
 と、箱根の『長持唄』でも、同じように歌われている。箱根峠の西の三島は晴れ、東の小田原は曇り、そして関所がある箱根峠周辺は雨。何度か峠を越えていると、この唄どおりの天候の変化によくぶつかるものだ。

 ところで、「あいの関所」の“あい”は、三島と小田原の間の意味だが、「あいの土山」の“あい”は、鈴鹿峠をはさんで坂下と相対する土山だという説や、山間の“あい”だという説、土山は昔から鮎の名産地で鮎が訛っての“あい”だという説など諸説があって定かでない。

 鈴鹿峠を下り、東海道と中山道が合流する草津に近づいたところで、浮谷東次郎はスイカ売りの少女を見かける。彼女のなかに、清らかさと素直さを見てとった東次郎は、
「自分はこうしてあそびまわっている、あの女の子が一心にスイカを売っているというのに‥‥」
 と感じ、情けなくなってしまうのだ。と同時に、ある種の悲しみをも感じ、
「自分も何かを作ろう、何かを生産しよう」
 と、いかにも若者らしい純粋さで決心するのだ。それが、『がむしゃら1500キロ』を書き上げる大きな動機になった。

やったゼー、大阪到着だ!
 大津から滋賀県と京都府の境の峠、逢坂山を越える。峠には“逢坂山関址”の石碑と常夜燈。京阪京津線の電車が通っている。峠を下ると山科。そこでいったん国道1号と別れ、日ノ岡峠を越える。京阪京津線の九条山駅のあたりが峠である。今でこそ、50ccバイクでも簡単に越えてしまうが、昔は東海道最後の難所だった。雨や雪が降ると、牛や馬に引かれた荷車はぬかるみに車輪をとられ、立ち往生した。そのため、車石と呼ばれる表面に溝を彫った石を敷きつめ、舗装道路にした。荷車の車輪が車石の溝に沿って進めるようにしたのである。

 日ノ岡峠を下ると、京都の中心街。京阪三条駅前に出、三条大橋にさしかかる。ここが、東海道の終点だ。

 三条大橋で鴨川を渡り、再度、国道1号に出る。京都府と大阪府の境が、国道1号の最後の峠、洞ヶ峠。天王山の合戦で、筒井順慶がこの峠に陣をはり、豊臣勢と明智勢の戦いの状況を眺め、どちらに味方しようかと思案した。その故事にちなみ、洞ヶ峠といえば、「洞ヶ峠を決め込む」といった使い方をするように、日和見の代名詞にもなっている。

 京都から大阪までは、途切れることのない大渋滞。それをスリ抜け、スリ抜けしながら走り、ついに17時ジャストに大阪駅前の梅田新道の交差点に着いた。名古屋から210キロ。12時間かかっての到着だ。ここが国道1号の終点であり、また、九州の門司までつづく国道2号の起点になる。

 梅田新道を左に折れ、御堂筋に入ったところでハスラーを止め、
「やったゼー、大阪到着だ!」
 と、一人でガッツポーズをとるのだった。

 浮谷東次郎は大阪では、「新大阪ホテル」に泊まっている。そのホテルがどこなのか、『旅』編集部の渡辺香織さんが調べてくれた。昭和10年に開業した「新大阪ホテル」は現「ロイヤルホテル」などの前身で、昭和48年に閉鎖されていた。「ロイヤルホテル」といえば、大阪ナンバーワンのホテルではないか。それなのに、渡辺さんは、
「カソリさん、ロイヤルホテルに部屋をとっておきましたから」
 と、さりげなくいうのだ。

 御堂筋を南下し、中之島に入り、「ロイヤルホテル」に行く。さすがに、大阪ナンバーワンホテル! 30階建ての高層ホテルは、大阪の夕空を背にして聳えたっていた。そこに、うす汚れた格好で、50ccバイクで乗りつける。なんとも気がひけるが、もう、どうしようもない。覚悟を決めてフロントへ。すると、プレジデンシャルタワーと呼ばれる特別室が用意されていた。23階の特別室から見下ろす大阪の展望は、それは素晴らしいものだった。

 浮谷東次郎の母方のおじいさん、堀川辰吉郎は戦前・戦中は中国大陸を舞台にして大活躍し、戦後は地元の福岡を拠点にし、東京では「帝国ホテル」、大阪では「新大阪ホテル」の1室を借りきって常宿にしていた。

 浮谷東次郎はそんなおじいさんを頼って大阪にやってきた。そして「新大阪ホテル」に3泊し、その間、大阪市内を走りまわっている。

 この「ロイヤルホテル」では、うれしい出会いが待っていた。ホテルの副総支配人の田口憲さんとの出会いだ。田口さんは、大のオートバイファン。FXRTという日本にはほとんどないタイプのハーレーに乗っている。うらやましいのだが、奥様としばしばタンデム(2人乗り)ツーリングをしている。そんな田口さんは、
「あの、“オートバイのカソリさん”がやって来る!」
 ということで、心待ちにしてくれていたという。なんとも、うれしい話ではないか。

 その夜は、田口さんにすっかり、ご馳走になった。企画部の福本敦洋さん、営業企画室の奥野元さんも同席してくれ、話しは際限がないほどにはずんだ。それまでは、大阪の最高級ホテルということで、自分とは縁の遠かった「ロイヤルホテル」だったが、こうして田口さんらと親しく話したことによって、急速に身近なものに感じられるようになる。
「やっぱり、最後は人なんだなあ」


今も生きつづけるクライドラー
 浮谷東次郎は大阪を出発したあと、いったん神戸まで行き、大阪に戻り、そして紀伊半島を一周して東京に向かおうとした。だが、真夏の猛暑にやられ、紀伊半島一周を断念。再度、大阪に戻ると、途中、大津、名古屋、箱根湯本で泊まり、1500キロを無事に走りきって、市川の自宅に帰り着いた。

 ぼくは翌早朝、4時に「ロイヤルホテル」を出発。浮谷東次郎と同じルートの関ヶ原経由で名古屋へ。

 ところで浮谷東次郎は関ヶ原を過ぎたところで、イタリア製バイクに乗ったイタリア人宣教師のエンリコさんに出会う。彼との出会いは、『がむしゃら1500キロ』のハイライトシーンといってもいい。一緒に走り、大垣の食堂で一緒に食事し、そのまま名古屋の熱田神宮近くの教会で泊めてもらっている。その教会を何とか探しだそうと、熱田神宮に参拝したあと、近くにあるカトリックとプロテスタント、2つの熱田教会に行ったが、
「それはコンクリート造りで、まわりは割合に高いコンクリートのへいで囲まれている。その灰色のへいを越えて、屋根の上に十字架が見えていた」
 と、浮谷東次郎が描写している教会とは違うものだった。

 13時30分、名古屋を出発。一路、東京へ。ハスラーのエンジン全開で走る。17時10分、浜松着。19時50分、静岡着。21時30分、三島着。22時45分、小田原着。その夜は、さらに国道1号を走り、二宮の海岸で野宿。相模湾の波の音を聞き、星空を見上げながら、シュラフにもぐり込んで眠った。

 翌朝は、5時30分、夜明けとともに出発。平塚、横浜、川崎と通り、多摩川を渡り、9時30分、東京・日本橋に到着した。だが、『がむしゃら1500キロ』を追っての旅はまだ終わらない。日本橋から千葉街道で江戸川を渡り、市川へ。市川駅前でハスラーを停める。全行程が1182キロの「市川-大阪」の往復だった。

 旅の最後のしめくくりに、市川駅にほど近い浮谷家を訪ねた。東次郎のお母さんの和栄さん、お姉さんの朝江さんに会ったが、大歓迎された。お2人とも、上品さを体いっぱいに漂わせているような方だった。広い庭の一角には、「浮谷東次郎記念館」ができていた。そこには東次郎のレーシングカーのロータスElan1600やトヨタS800などとともに、あのドイツ・クライドラー社製2サイクル50・エンジンのクライドラーが展示されているではないか。胸がジーンとしてしまう。自転車に小さなエンジンがついた程度のバイク。
「よく、これで、市川-大阪を往復したものだ」
 と、クライドラーの実物を見て、しみじみとそう思うのだった。

 これは旅を終え、帰宅してからのことになるが、浮谷東次郎が関ヶ原で出会ったイタリア人のエンリコさんと連絡がついた。エンリコさんは72歳。すでに42年間、日本に滞在し、現在は金沢市の三馬教会で神父をしている。エンリコ神父は、40年近くも前の浮谷東次郎との出会いをまるで昨日の出来事であるかのように、はっきりとおぼえていた。名古屋で一緒に泊まった教会は日比野教会だとも教えてくれた。雨の中で出会い、一緒に走り、食堂で一緒に食事をし、教会で一緒に泊まって夜遅くまで語り合ったことなど、エンリコ神父が語る浮谷東次郎の思い出話しを聞いていると、あらためて、浮谷東次郎という人物のすごさを感じさせられるのだった。

 浮谷東次郎さん、『がむしゃら1500キロ』のおかげで、いい旅ができましたよ。

(終)

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

本を旅する(1):松尾芭蕉『おくのほそ道』

 1987年から88年にかけて、半年がかりでサハラ砂漠を往復縦断した。バイクは200ccのスズキSX200R。軽量のバイクで、徹底的に荷物を削り落とした装備でサハラの砂道を走破しようとしたのだ。

 ギリギリまで減らした荷物だったが、どうしても1冊だけ、本を持ちたかった。何にしようか、ずいぶんと迷ったが、何度でも読める本ということで『おくのほそ道』の文庫本にした。

 一望千里の砂道を走り、オアシスにたどり着き、ナツメヤシの木陰で読む『おくのほそみち』はよかった。日本で読むのとはまた違い、何ともいえない清涼感をともなって胸にしみてくるのだった。

 サハラ縦断だが、まず1本目のルートでサハラ砂漠を縦断し、ギニア湾岸ベニンのコトヌーの町に着いた。ここで隣国ニジェールのビザを申請したのだが、なんと2週間近くも待たされた。その間に何回、『おくのほそ道』を読んだかしれない。

 海岸近くのキャンプ場に滞在したのだが、日中は暑くて、暑くって、まったく動く気にもならないので、ココヤシの木陰に長椅子を持ち出して昼寝。目がさめると『おくのほそ道』を読むというのが日課になった。

 なにしろ暇なものだから『おくのほそ道』の本文から、本文評釈、発句の評釈、曾良随行日記、解説、芭蕉略年譜、歌枕解説と、一字一句のもれもなく、すべてを読みつくした。さらに読むだけではあきたらなくなり、芭蕉さんへの失礼もかえりみずに、次のようなカソリの『おくのほそ道』発句10選を選んでみたのだ。

 草の戸も 住み替わる代ぞ 雛の家(深川)
 行く春や 鳥啼き 魚の目は涙(千住)
 夏草や 兵どもが 夢の跡(平泉)
 蚤虱 馬の尿する 枕もと(尿前)
 閑かさや 岩にしみいる 蝉の声(山寺)
 五月雨を 集めて早し 最上川(大石田)
 暑き日を 海に入れたり 最上川(酒田)
 汐越や 鶴脛ぬれて 海涼し(象潟)
 荒海や 佐渡に横たう 天の河(出雲崎)
 あかあかと 日はつれなくも 秋の風(金沢)

 このように「サハラ往復縦断」の旅の間中、『おくのほそ道』は何度となく楽しませてくれた。ぼくはこのあたりが古典のすごさだと思っているが、繰り返し、繰り返し、何度でも読める。また読むたびに、微妙に変わってくる読後感がおもしろかった。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

カソリの島めぐりデータ

「島めぐり日本一周」
(2001年3月22日~2002年4月27日)
全行程 2万5282キロ

(本州東部編)
001 月島(東京)
002 佃島(東京)
003 石川島(東京)
004 伊豆大島(東京)
005 利島(東京)
006 新島(東京)
007 式根島(東京)
008 神津島(東京)
009 八丈島(東京)
010 父島(東京)
011 母島(東京)
012 仁右衛門島(千葉)
013 寒風沢島(宮城)
014 雄島(宮城)
015 福浦島(宮城)
016 宮戸島(宮城)
017 田代島(宮城)
018 網地島(宮城)
019 金華山(宮城)
020 出島(宮城)
021 大島(宮城)
022 蕪島(青森)
023 大島(青森)
024 弁天島(青森)
025 帆掛島(秋田)
026 飛島(山形)
027 白山島(山形)
028 弁天島(山形)
029 粟島(新潟)
030 佐渡(新潟)

(北海道編)
031 礼文島(北海道)
032 利尻島(北海道)
033 焼尻島(北海道)
034 天売島(北海道)
035 奥尻島(北海道)

(本州西部編)
036 城ヶ島(神奈川)
037 江ノ島(神奈川)
038 弁天島(静岡)
039 佐久島(愛知)
040 篠島(愛知)
041 日間賀島(愛知)
042 坂手島(三重)
043 菅島(三重)
044 答志島(三重)
045 賢島(三重)
046 紀伊大島(三重)
047 淡路島(兵庫)
048 家島(兵庫)
049 大多府島(岡山)
050 前島(岡山)
051 北木島(岡山)
052 仙酔島(広島)
053 田島(広島)
054 横島(広島)
055 向島(広島)
056 岩子島(広島)
057 因島(広島)
058 生口島(広島)
059 高根島(広島)
060 大久野島(広島)
061 大崎上島(広島)
062 長島(広島)
063 大芝島(広島)
064 下蒲刈島(広島)
065 上蒲刈島(広島)
066 倉橋島(広島)
067 能美島(広島)
068 周防大島(山口)
069 沖家室島(山口)
070 平郡島(山口)
071 長島(山口)
072 笠戸島(山口)
073 彦島(山口)
074 竹ノ子島(山口)
075 角島(山口)
076 青海島(山口)
077 見島(山口)
078 大根島(島根)
079 江島(島根)
080 西ノ島(島根)
081 島後(島根)
082 城島(京都)
083 鷹島(福井)
084 大崎島(石川)
085 弁天島(石川)
086 能登島(石川)

(四国編)
087 大毛島(徳島)
088 島田島(徳島)
089 小豆島・前島(香川)
090 小豆島・本島(香川)
091 沖ノ島(香川)
092 豊島(香川)
093 直島(香川)
094 本島(香川)
095 広島(香川)
096 津島(香川)
097 大島(愛媛)
098 伯方島(愛媛)
099 大三島(愛媛)
100 生名島(愛媛)
101 弓削島(愛媛)
102 佐島(愛媛)
103 興居島(愛媛)
104 中島(愛媛)
105 二神島(愛媛)
106 青島(愛媛)
107 九島(愛媛)
108 大島(高知)
109 柏島(高知)
110 中ノ島(高知)
111 竹ヶ島(徳島)

(九州編)
112 筑前大島(福岡)
113 志賀島(福岡)
114 壱岐(長崎)
115 対馬(長崎)
116 加部島(佐賀)
117 いろは島(佐賀)
118 福島(長崎)
119 平戸島(長崎)
120 生月島(長崎)
121 針尾島(長崎)
122 福江島(長崎)
123 中通島(長崎)
124 若松島(長崎)
125 漁生浦島(長崎)
126 有福島(長崎)
127 日島(長崎)
128 樺島(長崎)
129 維和島(熊本)
130 大矢野島(熊本)
131 野牛島(熊本)
132 永浦島(熊本)
133 前島(熊本)
134 天草上島(熊本)
135 天草下島(熊本)
136 通詞島(熊本)
137 下須島(熊本)
138 長島(鹿児島)
139 上甑島(鹿児島)
140 中島(鹿児島)
141 下甑島(鹿児島)
142 種子島(鹿児島)
143 屋久島(鹿児島)
144 奄美大島(鹿児島)
145 徳之島(鹿児島)
146 沖永良部島(鹿児島)
147 与論島(鹿児島)
148 桜島(鹿児島)
149 天神島(鹿児島)
150 銅島(宮崎)
151 巾着島(宮崎)
152 青島(宮崎)
153 島野浦島(宮崎)
154 細島(宮崎)
155 姫島(宮崎)

(沖縄編)
156 沖縄本島(沖縄)
157 伊江島(沖縄)
158 瀬底島(沖縄)
159 古宇利島(沖縄)
160 奥武島(沖縄)
161 屋我地島(沖縄)
162 宮城島(沖縄)
163 平安座島(沖縄)
164 宮城島(沖縄)
165 伊計島(沖縄)
166 浜比嘉島(沖縄)
167 藪地島(沖縄)
168 久高島(沖縄)
169 アージ島(沖縄)
170 奥武島(沖縄)
171 瀬長島(沖縄)
172 久米島(沖縄)
173 奥武島(沖縄)
174 渡嘉敷島(沖縄)
175 城島(沖縄)
176 阿嘉島(沖縄)
177 慶留間島(沖縄)
178 外地島(沖縄)
179 座間味島(沖縄)
180 粟国島(沖縄)
181 宮古島(沖縄)
182 石垣島(沖縄)
183 与那国島(沖縄)
184 竹富島(沖縄)
185 黒島(沖縄)
186 波照間島(沖縄)
187 小浜島(沖縄)
188 西表島(沖縄)

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

岬めぐり

1989年以降にカソリが踏破した岬の数々!

「日本一周」(1989年8月17日~11月16日)
001 富津岬(千葉)
002 洲崎(千葉)
003 野島崎(千葉)
004 太東崎(千葉)
005 刑部崎(千葉)
006 犬吠崎(千葉)
007 鵜ノ岬(茨城)
008 三崎(福島)
009 塩屋崎(福島)
010 黒崎(宮城)
011 御崎(宮城)
012 岩井崎(宮城)
013 トドヶ崎(岩手)
014 黒崎(岩手)
015 尻屋崎(青森)
016 大間崎(青森)
017 北海岬(青森)
018 立待岬(北海道)
019 汐首岬(北海道)
020 恵山岬(北海道)
021 ペペシトレ岬(北海道)
022 絵鞆岬(北海道)
023 地球岬(北海道)
024 襟裳岬(北海道)
025 愛冠岬(北海道)
026 霧多布岬(北海道)
027 落石岬(北海道)
028 納沙布岬(北海道)
029 知床岬(北海道)
030 能取岬(北海道)
031 宗谷岬(北海道)
032 野寒布岬(北海道)
033 雄冬岬(北海道)
034 積丹岬(北海道)
035 神威岬(北海道)
036 弁慶岬(北海道)
037 茂津多岬(北海道)
038 尾花岬(北海道)
039 白神岬(北海道)
040 高野崎(青森)
041 龍飛崎(青森)
042 黄金崎(青森)
043 入道崎(秋田)
044 禄剛崎(石川)
045 越前岬(福井)
046 立石岬(福井)
047 経ヶ岬(京都)
048 地蔵崎(島根)
049 日御崎(島根)
050 毘沙ノ鼻(山口)
051 部崎(福岡)
052 波戸岬(佐賀)
053 神崎鼻(長崎)
054 野母崎(長崎)
055 瀬詰崎(長崎)
056 野間岬(鹿児島)
057 坊ノ岬(鹿児島)
058 長崎鼻(鹿児島)
059 残波岬(沖縄)
060 備瀬崎(沖縄)
061 辺戸岬(沖縄)
062 金武岬(沖縄)
063 カンナ崎(沖縄)
064 知念岬(沖縄)
065 荒崎(沖縄)
066 喜屋武岬(沖縄)
067 玉取崎(沖縄)
068 平久保崎(沖縄)
069 御神崎(沖縄)
070 高那崎(沖縄)
071 西崎(沖縄)
072 東崎(沖縄)
073 佐多岬(鹿児島)
074 都井岬(宮崎)
075 鶴御崎(大分)
076 関崎(大分)
077 黒津崎(大分)
078 佐田岬(愛媛)
079 由良岬(愛媛)
080 高茂岬(愛媛)
081 足摺岬(高知)
082 室戸岬(高知)
083 蒲生田岬(徳島)
084 日ノ岬(和歌山)
085 潮岬(和歌山)
086 大王崎(三重)
087 伊良湖岬(愛知)
088 御前崎(静岡)
089 大瀬崎(静岡)
090 御浜崎(静岡)
091 旅人岬(静岡)
092 恋人岬(静岡)
093 黄金崎(静岡)
094 波勝崎(静岡)
095 石廊崎(静岡)
096 爪木崎(静岡)
097 稲取岬(静岡)
098 真鶴岬(神奈川)
099 剱崎(神奈川)
100 観音崎(神奈川)

「東北一周」(1997年6月12日~6月21日)
    三崎(福島)
101 合磯岬(福島)
    塩屋崎(福島)
102 鵜ノ尾岬(福島)
    黒崎(宮城)
103 白銀崎(宮城)
104 大須崎(宮城)
105 白浜岬(宮城)
106 金比羅崎(宮城)
107 神割崎(宮城)
108 岩井崎(宮城)
    御崎(宮城)
109 広田崎(岩手)
110 黒崎(岩手)
111 碁石岬(岩手)
112 尾崎岬(岩手)
113 綾里岬(岩手)
114 死骨崎(岩手)
115 馬田岬(岩手)
116 大釜崎(岩手)
    トドヶ崎(岩手)
117 閉伊崎(岩手)
118 龍神崎(岩手)
119 真崎(岩手)
120 熊ノ鼻(岩手)
121 御殿崎(岩手)
122 弁天崎(岩手)
123 北山崎(岩手)
    黒崎(岩手)
124 葦毛崎(青森)
125 中山崎(青森)
126 物見崎(青森)
    尻屋崎(青森)
    大間崎(青森)
    北海岬(青森)
127 夏泊崎(青森)
128 弁天崎(青森)
    高野崎(青森)
129 鋳釜崎(青森)
    龍飛崎(青森)
130 権現崎(青森)
131 大戸瀬崎(青森)
132 行合崎(青森)
    黄金崎(青森)
133 舮作崎(青森)
134 須郷崎(青森・秋田)
135 チゴキ崎(秋田)
    入道崎(秋田)
136 芹田岬(山形)
137 三崎(山形・秋田)

「日本一周」(1999年4月1日~11月7日)
138 汐吹崎(静岡)
    石廊崎(静岡)
    大瀬崎(静岡)
    御前崎(静岡)
    伊良湖岬(愛知)
    大王崎(三重)
    潮岬(和歌山)
139 江崎(兵庫)
140 鳴門岬(兵庫)
    蒲生田岬(徳島)
    室戸岬(高知)
    足摺岬(高知)
    佐田岬(愛媛)
141 鳥取岬(愛媛)
142 観音崎(香川)
    部崎(福岡)
143 長崎鼻(大分)
    関崎(大分)
    鶴御崎(大分)
    都井岬(宮崎)
144 ダグリ岬(鹿児島)
    佐多岬(鹿児島)
    長崎鼻(鹿児島)
    瀬詰崎(長崎)
    神崎鼻(長崎)
    波戸岬(佐賀)
    毘沙ノ鼻(山口)
145 川尻岬(山口)
    日御崎(島根)
    地蔵崎(島根)
    経ケ岬(京都)
    越前岬(福井)
    禄剛崎(石川)
146 鵜ノ子岬(茨城・福島)
    鵜ノ尾岬(福島)
    黒崎(宮城)
    白浜岬(宮城)
    神割崎(宮城)
147 南端岬(宮城)
    御崎(宮城)
    トドヶ崎(岩手)
    熊ノ鼻(岩手)
    北山崎(岩手)
    黒崎(岩手)
    物見崎(青森)
    尻屋崎(青森)
    大間崎(青森)
    立待岬(北海道)
    汐首岬(北海道)
    恵山岬(北海道)
    尾花岬(北海道)
    地球岬(北海道)
    襟裳岬(北海道)
    納沙布岬(北海道)
148 プユニ岬(北海道)
    能取岬(北海道)
149 キムアネップ岬(北海道)
150 ウスタイベ岬(北海道)
    宗谷岬(北海道)
    野寒布岬(北海道)
151 金比羅岬(北海道)
    雄冬岬(北海道9
    積丹岬(北海道)
    神威岬(北海道)
    弁慶岬(北海道)
    白神岬(北海道)
    高野崎(青森)
    龍飛崎(青森)
    権現崎(青森)
    須郷岬(秋田・青森)
    入道崎(秋田)
    三崎(山形・秋田)
152 角田岬(新潟)
    富津岬(千葉)
    洲崎(千葉)
    野島崎(千葉)
    犬吠崎(千葉)
    三崎(福島)
153 竜ヶ崎(福島)
    合磯岬(福島)
    塩屋崎(福島)
    観音崎(神奈川)
    剱崎(神奈川)
154 荒崎(神奈川)

「日本一周」(2001年3月22日~2002年4月27日)
155 乳ヶ崎(東京)
156 風早崎(東京)
157 赤崎(東京)
158 小岩戸ヶ鼻(東京)
159 南崎(東京)
    富津岬(千葉)
    洲崎(千葉)
    野島崎(千葉)
160 八幡岬(千葉)
161 八幡岬(千葉)
    太東崎(千葉)
    刑部崎(千葉)
    犬吠崎(千葉)
    鵜ノ岬(茨城)
    鵜ノ子岬(福島)
    三崎(福島)
    塩屋崎(福島)
162 三石崎(宮城)
163 二鬼城崎(宮城)
    白浜岬(宮城)
    神割崎(宮城)
164 龍舞崎(宮城)
    御崎(宮城)
    広田崎(岩手)
    碁石岬(岩手)
    トドヶ崎(岩手)
    北山崎(岩手)
    黒崎(岩手)
    物見崎(青森)
    尻屋崎(青森)
    大間崎(青森)
    高野崎(青森)
    龍飛崎(青森)
    権現崎(青森)
    須郷岬(秋田・青森)
    入道崎(秋田)
165 八幡崎(山形)
166 弾崎(新潟)
167 沢崎鼻(新潟)
    襟裳岬(北海道)
    納沙布岬(北海道)
    プユニ岬(北海道)
    能取岬(北海道)
    宗谷岬(北海道)
168 スコトン岬(北海道)
169 澄海岬(北海道)
170 金田ノ岬(北海道)
171 富士岬(北海道)
172 沓形岬(北海道)
173 御崎(北海道)
174 石崎(北海道)
    積丹岬(北海道)
    神威岬(北海道)
    弁慶岬(北海道)
    茂津多岬(北海道)
175 青苗岬(北海道)
176 弁天岬(北海道)
177 稲穂岬(北海道)
    尾花岬(北海道)
178 鮪ノ岬(北海道)
179 館ノ岬(北海道)
    白神岬(北海道)
    汐首岬(北海道)
    恵山岬(北海道)
    地球岬(北海道)
    観音崎(神奈川)
    剱崎(神奈川)
    石廊崎(静岡)
    旅人岬(静岡)
    御浜岬(静岡)
    大瀬崎(静岡)
    御前崎(静岡)
    伊良湖岬(愛知)
180 羽豆岬(愛知)
    大王崎(三重)
181 御座岬(三重)
182 樫野崎(和歌山)
    潮岬(和歌山)
    日ノ岬(和歌山)
183 田倉崎(和歌山)
184 潮崎(兵庫)
    鳴門岬(兵庫)
    江崎(兵庫)
185 御崎(兵庫)
186 久須美鼻(岡山)
187 梶ノ鼻(広島)
188 地蔵ヶ鼻(広島)
189 牛ヶ首(広島)
190 尾ノ鼻(広島)
191 大崎鼻(山口)
192 大鼻(山口)
193 家房崎(山口)
194 梶取岬(山口)
195 瀬戸岬(山口)
196 田ノ首(山口)
    毘沙ノ鼻(山口)
197 長尾ノ鼻(山口)
198 白島崎(島根)
199 都恋崎(島根)
    経ヶ岬(京都)
    禄剛崎(石川)
200 孫崎(徳島)
201 黒崎(香川)
202 地蔵崎(香川)
203 六角鼻(香川)
204 藤崎(香川)
205 屋形崎鼻(香川)
206 后飛崎(香川)
207 大崎鼻(香川)
208 乃生岬(香川)
209 仏崎(愛媛)
210 多々羅岬(愛媛)
    鳥取岬(愛媛)
211 赤崎(愛媛)
    佐田岬(愛媛)
212 大崎鼻(愛媛)
213 勤崎(高知)
    足摺岬(高知)
    室戸岬(高知)
    蒲生田岬(徳島)
    部崎(福岡)
214 鐘ノ岬(福岡)
215 神崎鼻(福岡)
216 海豚鼻(長崎)
217 牧崎(長崎)
218 黒崎(長崎)
219 左京鼻(長崎)
    波戸岬(佐賀)
220 初崎(長崎)
221 大碆鼻(長崎)
    神崎鼻(長崎)
222 津和崎(長崎)
223 脇岬(長崎)
    瀬詰崎(長崎)
    長崎鼻(鹿児島)
224 喜志鹿崎(鹿児島)
225 門倉岬(鹿児島)
226 早崎(鹿児島)
227 浦崎(鹿児島)
228 永田岬(鹿児島)
229 矢筈岬(鹿児島)
230 笠利崎(鹿児島)
231 曽津高崎(鹿児島)
232 金見崎(鹿児島)
233 犬田布岬(鹿児島)
234 伊仙崎(鹿児島)
235 国頭岬(鹿児島)
236 田皆岬(鹿児島)
    佐多岬(鹿児島)
    都井岬(宮崎)
    鶴御崎(大分)
237 観音崎(大分)
    残波岬(沖縄)
238 真栄田岬(沖縄)
239 西崎(沖縄)
    備瀬崎(沖縄)
    辺戸岬(沖縄)
240 カベール岬(沖縄)
    喜安武岬(沖縄)
241 マハナ岬(沖縄)
    玉取崎(沖縄)
    平久保崎(沖縄)
    御神崎(沖縄)
    西崎(沖縄)
    東崎(沖縄)
    高那崎(沖縄)

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

カソリの峠越え・2006年

(2006年)
 この年に越えた峠は139峠 初めての峠は21峠

     大鍋越え(静岡)2月2日・12
     御殿峠(東京)3月17日・4
     土山峠(神奈川)3月27日・6
     ヤビツ峠(神奈川)3月29日・12
     半原越(神奈川)4月3日・3
     土山峠(神奈川)4月4日・7
     牧馬峠(神奈川)4月4日・3
     三増峠(神奈川)4月6日・3
     志田峠(神奈川)4月6日・3
1556 順礼峠(神奈川)6月14日
1557 物見峠(神奈川)6月14日
1558 むじな坂峠(神奈川)6月14日
     中山峠(神奈川)6月15日・2
1559 尺里峠(神奈川)6月17日
     都夫良野峠(神奈川)6月19日・2
     半原越(神奈川)6月20日・4
     三増峠(神奈川)6月20日・4
     志田峠(神奈川)6月22日・4
1560 渋沢峠(神奈川)6月22日
     篠窪峠(神奈川)6月22日
     七国峠(神奈川)6月24日・5
     菩提峠(神奈川)6月26日
1561 朝比奈峠(神奈川)6月27日
1562 六国峠(神奈川)6月30日
     姥石峠(岩手)7月7日・3
     小友峠(岩手)7月7日・2
     立丸峠(岩手)7月7日・4
     国境峠(岩手)7月7日・6
     一ッ森峠(青森)7月8日・6
     天狗峠(青森)7月8日・6
     津軽峠(青森)7月8日・6
     河北林道の峠(秋田)7月8日・8
     真昼岳峠(秋田・岩手)7月9日・4
     南本内林道の峠(岩手・秋田)7月9日・3
     松ノ木峠(秋田)7月9日・3
1563 真坂峠(秋田)7月9日
1564 立石峠(秋田)7月9日
     大峠(山形・福島)7月9日・6
     唐沢峠(福島)7月10日・6
     田代山峠(福島・栃木)7月10日・17
     馬坂峠(福島・栃木)7月10日・5
     鍋越峠(宮城・山形)7月16日・5
     花立峠(宮城・山形)7月16日・8
     鬼首峠(宮城・山形)7月16日・5
     花山峠(秋田・宮城)7月16日・8
     大森峠(岩手・秋田)7月17日・4
     田原峠(岩手)7月17日・2
     越路峠(岩手)7月17日・2
     姥石峠(岩手)7月17日・4
1565 折壁峠(岩手)7月17日
     赤羽根峠(岩手)7月17日・3
     仙人峠(岩手)7月17日・3
     石塚峠(岩手)7月18日・5
     鍬台峠(岩手)7月18日・6
     羅生峠(岩手)7月18日・6
     赤坂峠(岩手)7月18日・2
1566 箱根峠(岩手)7月18日
     笛吹峠(岩手)7月19日・4
     早坂峠(岩手)7月20日・7
     野上峠(北海道)7月22日・3
     香須美峠(北海道)7月24日・4
     幌内越峠(北海道)7月24日・2
     貝梨峠(岩手)7月25日・5
1567 芦名沢林道の峠(岩手)7月25日
1568 背あぶり峠(山形)7月26日
1569 菅沼峠(山形)7月26日
     赤崩山峠(山形・福島)7月26日・7
     犬越路(神奈川)7月26日・7
     顔振峠(埼玉)11月1日・4
     白石峠(埼玉)11月1日・4
     雁坂峠(埼玉・山梨)11月2日・7
     十石峠(群馬・長野)11月3日・5
     塩ノ沢峠(群馬)11月3日・5
     内山峠(群馬・長野)11月3日・12
     碓氷峠(群馬・長野)11月4日・15
1570 須賀尾峠(群馬)11月7日
     天神峠(群馬)11月7日・3
     野反峠(群馬)11月8日・2
     渋峠(群馬)11月8日・7
     鳥居峠(群馬・長野)11月9日・10
     地蔵峠(群馬・長野)11月9日
1571 赤根峠(群馬)11月10日
     三国峠(群馬・新潟)11月10日・11
     坤六峠(群馬)11月11日・6
     金精峠(群馬・栃木)11月11日・7
     椎坂峠(群馬)11月11日・3
     中山峠(群馬)11月11日・3
     中山峠(群馬)11月12日・4
     椎坂峠(群馬)11月12日・4
1572 牛石峠(群馬)11月13日
     細尾峠(栃木)11月14日・4
     金精峠(栃木・群馬)11月14日・8
     山王峠(栃木・福島)11月16日・24
     尾頭峠(栃木)11月16日・15
1573 県道63号の峠(栃木)11月19日
     月居峠(茨城)11月20日・2
     柳沢峠(山梨)11月22日・7
     大丹波峠(山梨)11月22日・4
     風張峠(山梨)11月22日・2
     二ッ石峠(東京)11月22日・3
     箱根峠(神奈川・静岡)11月23日・18
     乙女峠(神奈川・静岡)11月23日・5
     大垂水峠(東京・神奈川)12月1日・7
     犬目峠(山梨)12月1日・2
     笹子峠(山梨)12月1日・15
     柳沢峠(山梨)12月2日・8
     雁坂峠(山梨・埼玉)12月2日・8
     富士見峠(長野)12月6日・20
     和田峠(長野)12月8日・13
     権兵衛峠(長野)12月8日・5
     治部坂峠(長野)12月10日・5
     平谷峠(長野)12月10日・2
     売木峠(長野)12月10日・2
     新野峠(長野・愛知)12月10日・2
     善知鳥峠(長野)12月12日・8
     鳥居峠(長野)12月12日・15
     地蔵峠(長野)12月12日・9(開田)
     九蔵峠(長野)12月12日・5
     地蔵峠(長野)12月13日・10(開田)
     九蔵峠(長野)12月13日・6
     長峰峠(長野・岐阜)12月13日・8
     清内路峠(長野)12月13日・3
     境峠(長野)12月14日・3
     安房峠(長野)12月14日・10
     葛葉峠(長野)12月16日・19
     佐野坂峠(長野)12月17日・11
1574 矢越峠(長野)12月17日
1575 室賀峠(長野)12月18日
1578 平井寺峠(長野)12月19日
     三才山峠(長野)12月19日
     和田峠(長野)12月19日・14
     大門峠(長野)12月19日・6 
     笠取峠(長野)12月19日・6
     内山峠(長野・群馬)12月21日・13
     野辺山峠(長野・山梨)12月22日・13
     信州峠(山梨・長野)12月23日・9
     笹子峠(山梨)12月24日・16
     籠坂峠(山梨)12月25日・13
     山伏峠(山梨)12月25日・8

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

一の宮めぐり

1999年の「日本一周」と2001年~2002年の「島めぐり日本一周」でめぐった、日本全国の「一の宮」100社

畿内 5国
001 山城 賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社のこと)
002     賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社のこと)
003 大和 大神(おおみわ)神社
004 河内 牧岡(ひらおか)神社
005 和泉 大鳥(おおとり)神社
006 摂津 住吉(すみよし)神社
007     坐摩(いかすり)神社

東海道 15国
008 伊賀 敢国(あえくに)神社
009 伊勢 椿大神(つばきおおかみ)社
010     都波岐(つばき)神社
011 志摩 伊雑(いざわ)宮
012     伊射波(いざわ)神社
013 尾張 真清田(ますみだ)神社
014     大神(おおみわ)神社
015 三河 砥鹿(とが)神社
016 遠江 小国(おぐに)神社
017     事任(ことまま)八幡宮
018 駿河 浅間(せんげん)大社
019 伊豆 三嶋(みしま)大社
020 甲斐 浅間(あさま)神社
021 相模 寒川(さむかわ)神社
022     鶴岡(つるがおか)八幡宮
023 武蔵 氷川(ひかわ)神社
024     氷川女体(ひかわにょたい)神社
025 下総 香取(かとり)神宮
026 上総 玉前(たまさき)神社
027 安房 安房(あわ)神社
028     洲崎(すのさき)神社
029 常陸 鹿島(かしま)神宮

東山道 8国
030 近江 建部(たてべ)大社
031 美濃 南宮(なんぐう)大社
032 飛騨 水無(みずなし)神社
033 信濃 諏訪(すわ)大社上社(本宮と前宮)
034     諏訪(すわ)大社下社(春宮と秋宮)
035 上野 貫前(ぬきさき)神社
036 下野 二荒山(ふたあらやま)神社
037 陸奥 馬場都々古和気(ばばつつこわけ)神社
038     八槻都々古別(やつきつつこわけ)神社
039     石都々古別(いしつつこわけ)神社
040     鹽竈(しおがま)神社
041 出羽 大物忌(おおものいみ)神社

北陸道 7国
042 若狭 若狭彦(わかさひこ)神社
043     若狭姫(わかさひめ)神社
044 越前 気比(けひ)神宮
045 加賀 白山比○(しらやまひめ)神社
046 能登 気多(けた)大社
047 越中 気多(けた)神社
048     高瀬(たかせ)神社
049     雄山(おやま)神社峰本殿
050     雄山(おやま)神社祈願殿
051     雄山(おやま)神社前立社殿
052     射水(いみず)神社
053 越後 弥彦(やひこ)神社
054     居多(こた)神社
055 佐渡 度津(わたつ)神社

山陰道 8国
056 丹波 出雲(いずも)大神宮
057 丹後 篭(この)神社
058 但馬 出石(いづし)神社
059     粟鹿(あわが)神社
060 因幡 宇倍(うべ)神社
061 伯耆 倭文(しどり)神社
062 出雲 出雲(いずも)大社
063     熊野(くまの)大社
064 岩見 物部(ものべ)神社
065 隠岐 水若酢(みずわかす)神社
066     由良比女(ゆらひめ)神社

山陽道 8国
067 播磨 伊和(いわ)神社
068 美作 中山(なかやま)神社
069 備前 吉備津彦(きびつひこ)神社
070     石上布都魂(いそのかみふつのみたま)神社
071 備中 吉備津(きびつ)神社
072 備後 吉備津(きびつ)神社
073     素○鳴(すさのお)神社
074 安芸 厳島(いつくしま)神社
075 周防 玉祖(たまそ)神社
076 長門 住吉(すみよし)神社

南海道 6国
077 紀伊 日前(ひのくま)神宮
078     国懸(くにかかす)神宮
079     伊太祁曽(いたきそ)神社
080     丹生都比売(にぶつひめ)神社
081 淡路 伊○諾(いざなぎ)神宮
082 阿波 大麻比古(おおあさひこ)神社
083 讃岐 田村(たむら)神社
084 伊予 大山○(おおやまずみ)神社
085 土佐 土佐(とさ)神社

西海道 11国
086 筑前 筥崎(はこざき)宮
087     住吉(すみよし)神社
088 筑後 高良(こうら)神社
089 豊前 宇佐(うさ)神宮
090 豊後 西寒多(ささむた)神社
091     柞原(いすはら)神社
092 肥前 與止日女(よどひめ)神社
093     千栗(ちりく)八幡宮
094 肥後 阿蘇(あそ)神社
095 日向 都農(つのう)神社
096 大隅 鹿児島(かごしま)神宮
097 薩摩 新田(にった)神社
098     枚聞(ひらきき)神社
099 壱岐 天手長男(あめのたながお)神社
100 対馬 海神(わだつみ)神社

合計68国 100社

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

カソリの新・峠越え:神奈川(18)六本松峠(ろっぽんまつとうげ)

 七国峠(神奈川-17参照)を越えて松田町の小田急線・新松田駅前をゴールにしたが、今度はそこをスタート地点にして六本松峠に向かう。県道77号を戻り、大井町を通って中井町に入り、富士見橋の交差点まで戻る。

 ちなみにこの県道77号は国道246号の絶好の抜け道。日曜や祭日、御殿場方面から国道246号で東京方面に向かうと、松田の手前あたりから渋沢、秦野、伊勢原としばしば大渋滞になる。バイクならばすり抜けできるが、クルマだとそうはいかない。で、ぼくはクルマのときは旧道で松田の市街地に入り、この県道77号をよく使う。この道が渋滞することはほとんどない。

 富士見橋の交差点で県道77号から県道709号に入っていく。というよりもこの交差点では国道1号に通じる県道709号の方がメインルートで、そのまま2車線の道を行けば、県道709号になる。県道77号は左折するが、そこから先は道幅が狭くなる。

 さて六本松峠への道だが、県道709号を南下すると中井町から小田原市に入り、板呂橋の交差点を右折する。その道は広域農道の秦野小田原線。けっこう交通量の多い道で、峠に向かって登っていくと、猛スピードで下ってくる車とすれ違ったりして何度かひやっとした。六本松峠に向かう前に、この広域農道の峠を越える。名無しの峠だ。

 板呂橋の交差点から3キロほどの地点が峠。そこからは連続する急カーブで一気に峠を下る。峠を下りきると、丹沢の山塊から相模湾の海岸へと延びる丘陵地帯の裾野を通る県道72号の田島石橋の交差点に出る。JR東海道線の国府津駅までわけない距離なので、いったん国道1号に出、国府津駅前まで行ってみた。

 国府津駅前から来た道を引き返し、県道72号の田島石橋の交差点を右折し、さきほどの広域農道の秦野小田原線に入る。そして峠を越える。峠から1キロほど下ったところに「六本松 下曽我方面」と書かれた小さな看板が出ているが、そこが六本松峠への入口で左折する。車1台がやっと通れるくらいの道幅だ。道沿いには梅林。ちょうど梅の実を収穫している最中だった。

 梅林が途切れると森林地帯に入り、広域農道の入口から1キロほどで峠に到達。六本松峠の由来となって六本松はすでになく、最後の1本は明治末に枯れはてたという。六本松峠は東側の中村と西側の曽我を結ぶ古道。源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、上洛や富士の巻き狩りのときにはこの峠を越えたという。また巡礼道でもあり、順礼峠(神奈川-10参照)と同じように板東33ヵ所5番札所の小田原・飯泉から6番札所の厚木・飯山に向かっていくときに越える峠だったという。峠周辺は一面のミカン園になっている。

 六本松峠からの下りは急坂だ。一気に県道72号へと下っていく。県道の反対側は曽我梅林。ここには3万本もの梅が植えられているとのことで、日本でも屈指の大梅林になっている。曽我梅林には中河原梅林、原梅林、別所梅林とあるが、そのうち最大の別所梅林をバイクでぐるりとまわってみた。収穫はまだのようで、梅の木にはたわわに実が成っていた。

 この年の2月中旬には、梅の花見に曽我の梅林に行った。ちょうど花盛りで、白梅の花の下にゴザを敷き、大勢の人たちが梅の花見を楽しんでいた。白梅の中にポツン、ポツンとある紅梅がほどよいアクセントとなって梅林に華やかな彩りを沿えていた。目の前には箱根の山々。右手には真っ白に雪化粧した富士山を望んだ。梅の花越しに眺める富士山はひときわすばらしいものだった。

 梅林の売店では小田原名産の梅干しを売っていたが、飛ぶような売れゆきだった。曽我梅林の主な品種は十郎、杉田、白加賀。そのうち十郎は梅干し用の最高品種だとのことで、肉質がよく、果肉が多い。杉田は曽我梅林では古くから栽培されている品種で、種が小さく、果肉が多い。白加賀はふっくらとした円形で、果肉の毛が短く、見た目にもきれいで、梅酒用としては最適だという。

 そんな曽我梅林をあとにし、県道72号を北上。大井町を通り、松田町に入り、最後は国道255号経由で小田急線の新松田駅前に戻った。松田発、松田着の六本松峠越え。全行程は35キロ。新松田駅前からは国道246号に出、伊勢原に戻った。

広域農道秦野小田原線の峠
広域農道秦野小田原線の峠

六本松峠
六本松峠

六本松峠のミカン園で
六本松峠のミカン園で

曽我梅林の梅
曽我梅林の梅

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの新・峠越え:神奈川(17)七国峠(ななくにとうげ)

 ツーリングというのは何日もかけなくても、たとえば日帰りのワンデーツーリングでも十分に楽しめる。ワンデーどころか、ハーフデーでも同様に楽しめるものだ。伊勢原市の我が家を拠点にして越えている神奈川県内の峠越えなどは、ぼくにとっては絶好のワンデーツーリング、ハーフデーツーリングのコースといえる。みなさん方もぜひとも自分の家を拠点にして、ワンデーツーリング、ハーフデーツーリングをどんどんやってみて下さい。きっと新たな発見がありますよ。それがまた新たなおもしろさにつながっていくとぼくは思うのです。

 ということで2006年6月24日はハーフデーツーリングの峠越え。午前中は目いっぱい仕事(原稿書き)をし、昼飯も家で食べ、久しぶりの青空に、「それ、行けー!」という気分で出発した。目指すは七国峠。それにひきつづいて六本松峠も越えるつもりだ。

 スズキDR-Z400Sを走らせ、伊勢原から大磯に通じる県道63号を南下。伊勢原市から平塚市に入り、丹沢から流れ出る金目(かなめ)川にかかる吾妻橋手前の交差点を右折。今度は県道62号を行く。そのあたりが金目の中心地だ。金目川の河畔には順礼峠(神奈川-10参照)でもふれた板東33ヵ所観音霊場の7番札所、金目観音(金目山寺)がある。

 そこではタクシーで巡礼している年配の人に出会った。その人は小田原駅前からタクシーに乗り、5番札所の小田原の飯泉、6番札所の厚木の飯山と巡り、7番札所の平塚の金目にやってきた。今回はここを最後に小田原駅に戻るという。人ごとながら、タクシーでの巡礼だと、ずいぶんとお金がかかることだろうと余計な心配をした。バイクならば2、3リッター分のガソリン代の3、400円ですむのに…と思ってしまう。

 光明寺の先が東海大学の正門。ついでだからと東海大学の湘南キャンパス内をぐるりとまわった。そして東海大学正門前のすぐ先、土屋橋の交差点を左折し、金目川にかかる土屋橋を渡る。その道は県道77号で、七国峠を越えていく。橋を渡ったところにはファミリーマート。そこでバイクを停めて小休止。

 店の入口にはツバメの巣があってかわいらしい5羽のひな顔をのぞかせていた。我が家にもツバメの巣が2つあって、毎年、巣立っていくので、缶コーヒーを飲みながらしばらくはツバメのひなたちと、ひんぱんにやってくる親鳥を見ていた。

 県道77号で七国峠へ。峠下が土屋の集落。その近くには神奈川大学のキャンパスもある。ゆるやかな峠道を登りつめると七国峠。峠には「七国峠」のバス停。峠上には民家や畑もある。けっこう車の行き交う峠だ。峠で県道を左折し、登っていくと、ゴルフ場のわきにある七国峠の展望台に出る。そこからの眺めは「平塚八景」のひとつに数えられている。

 ところで七国峠だが、相模、武蔵、伊豆、駿河、甲斐、下総、安房の七国が見えるのでこの峠名がある。ほんとうに七国も見えるのだろうか…と半信半疑だったが、篠窪峠(神奈川-16参照)のときに越えた渋沢峠の近くには八国見山(319m)という山があるので、きっと七国峠からも7国が見えたのだろう。神奈川県内にはもうひとつ、七国峠がある。東京都にはなんと3つの七国峠がある。

 七国峠を越えると、平塚市から中井町に入り、そのまま県道77号を走っていく。秦野と二宮を結ぶ県道71号を横切り、中井の町役場近くを通り、県道710号にぶつかる富士見橋の交差点に出る。そこを過ぎると大井町に入り、篠窪峠に通じる「篠窪入口」の交差点を過ぎ、東名高速沿いに松田町に入っていく。そして小田急線の新松田駅前を七国峠越えのゴールにした。伊勢原からは28キロだった。

金目観音
金目観音

東海大学のキャンパス内。広い!
東海大学のキャンパス内。広い!

七国峠に到着!
七国峠に到着!

七国峠のバス停
七国峠のバス停

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの新・峠越え:神奈川(16)篠窪峠(しのくぼとうげ)

 秦野峠(神奈川-14参照)、犬越路(神奈川-15参照)につづいて、3日連続の峠越えで篠窪峠に向かった。なんともうれしくなるような「峠越え三昧」の日々。

 2006年6月24日午前9時、出発。まるで通い慣れた道を行くかのように伊勢原市の自宅からスズキDR-Z400Sを走らせ、国道246号を西へ。善波峠を越え、秦野盆地に入っていく。秦野を通り、渋沢の「曲松」の交差点で国道を左折。県道708号に入っていく。

 道幅の狭いこの県道が篠窪峠に通じている。すぐに小田急線の踏み切りを渡る。右手には渋沢駅。踏み切りを渡ったところには稲荷神社。境内には樹高25メートルという大銀杏の木がある。また境内の一角には「大山道」の碑が建っている。この篠窪峠越えの道は昔からの大山参拝の「大山道」だった。

 県道708号を行くと、まずは最初の峠を越える。渋沢峠だ。峠をトンネルで抜けると、道は新道と旧道に分かれるが、左手の旧道を下っていく。するとすぐに「峠」の集落。集落名が「峠」というのだ。集落の入口には「峠」のバス停がある。渋沢峠と深く結びついた「峠」の集落なのだが、同じような「峠」は信州にもある。

 中山道の宿場、妻籠から旧道で馬籠峠を越えると、峠のすぐ近くが「峠」の集落。「峠」の集落を走り抜け、さらに馬籠峠を下ったところが馬籠宿になる。信州の「峠」の集落ではかつては市が立ったという。峠の向こう側の産物とこちら側の産物が市に並んだという。峠というのは2つの世界を結びつける場所にもなっているのだ。

 渋沢峠の落ち着きのある静かなたたずまいの「峠」の集落を走り抜け、新道と合流し、篠窪峠に向かっていく。その途中でもうひとつ、ゆるやかな峠を越える。名無しの峠のようだ。その峠が秦野市と大井町の境になっている。峠を下っていくと小盆地にある篠窪の集落。そこにはうっそうと茂る森に囲まれた三島神社がある。県道をまたぐ椎の大木は樹齢500年だという。古い歴史を感じさせる篠窪だ。

 そんな篠窪の集落を過ぎると、じきに篠窪峠。幅広の篠窪トンネルで峠を抜けると風景は一変し、正面に連なる箱根の山々がドバーッという感じで目の中に飛び込んでくる。松田から小田原にかけての町並みも見える。相模湾、伊豆半島も見える。さらに峠道を下ると、東名高速のわきを走る県道77号にぶつかる。そこは「篠窪入口」の交差点だ。

 そこから篠窪の集落まで戻り、今度は篠窪峠の旧道を行く。三島神社のわきから入っていく道が篠窪峠の旧道だ。ゆるやかな登り。ほどなく峠に到達。峠の畑にはソバの白い花が咲いていた。峠には「富士見塚」。それは矢倉沢往還の一里塚だという。矢倉沢往還というのは、今の国道246号の古道といっていい。そこはまた鎌倉幕府を開いた源頼朝が峠の榎木の木に馬を留め、富士山を眺めた場所。その風雅を偲んで「富士見塚」といわれるようになったという。

 峠からわずかに登ったところには「見晴休憩所」がある。そこからの大展望はすばらしいものだ。箱根の山々を一望し、右手には富士山も見える。酒匂川流域の平野を眼下に見下ろす。正面には箱根の外輪山、明神岳の麓には富士フイルムの工場群が威容を誇っている。そんな風景を目に焼き付け、篠窪峠を下った。

 旧道を下っていくと、大井町から松田町に入り、新道と同じように東名高速のわきの県道77号にぶつかる。そこの交差点もやはり「篠窪入口」。県道77号を行き、小田急線の新松田駅前でDRを停め、「篠窪峠越え」のゴールにした。新松田駅といったら、小田急線の渋沢駅の次の駅。電車でいえば「渋沢-新松田」という1駅間で、篠窪峠という峠を越えるだけで、これだけのいろいろなものが見られるのだ。そんなことを強く感じながら新松田駅前から国道246号に入り、伊勢原に戻るのだった。

篠窪峠新道のトンネル
篠窪峠新道のトンネル

篠窪峠旧道の富士見塚
篠窪峠旧道の富士見塚

篠窪峠旧道
篠窪峠旧道

旧道近くの「見晴休憩所」
旧道近くの「見晴休憩所」

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの新・峠越え:神奈川(15)犬越路(いぬごえじ)

 秦野峠(神奈川-14参照)を越えようとした翌日(6月23日)は犬越路に向かった。西丹沢の険しい山並みを越えていく峠だ。秦野峠はおおいに期待して向かったが、犬越路は最初からバイクでは越えられないとわかっていたので、それほどの期待感はない。だが、バイクで無理ならば、絶対に歩いて峠までは登ってやるという覚悟だ。犬越路本来の峠道にはおおいに期待を寄せた。

 午前9時30分、伊勢原の自宅を出発。スズキDR-Z400Sを走らせ、前日と同じように国道246号を西へ。天気は今日もなんとかもちそうだ。秦野、渋沢、松田、山北と通り、中川温泉に通じる県道76号に入っていく。ロックフィルダムの美保ダムで休憩。ダム上を歩き、丹沢湖を眺めた。

 優美な永歳橋で丹沢湖を渡ると、県道76号を左折し、犬越路に向かう前に世附(よづく)峠に向かう。美保ダムは酒匂川の上流、世附川と中川川、玄倉川の3本の川の合流地点にできたダムだが、これら3本の川は合流して河内川になり、国道246号との交差点近くでもうひとつの流れ、鮎沢川と合流し、酒匂川になる。世附峠に通じる道はそんな酒匂川上流の世附川に沿っている。丹沢湖が途切れると世附の集落。そこにゲートがあって峠への道は通行止めだ。

 ぼくが初めて世附峠を越えたのは今から30年以上前の1975年。神奈川と静岡の県境の峠だが、神奈川側は大荒れのダート。必死の思いでこの世附の集落へと下った。そんな思い出が鮮やかに蘇る。当時は廃道同然のような道でも自由に走れたのだ。

 県道76号に戻ると、丹沢湖沿いに走る。湖が途切れると、信玄の隠し湯で知られる中川温泉、さらには最奥の集落の箒沢へ。そこには「箒杉」がある。推定樹齢は2000年。神奈川県を代表する古木。と同時に樹高45メートル、胸高周囲12メートルという巨木で、じつに目立つ大杉だ。「箒杉」前の「箒杉茶屋」で手打ちのそばを食べながら、間近に大杉を眺めた。

 箒沢から中川川に沿ってさらに奥に入っていくと、県道沿いに「西丹沢自然教室」(入館無料)がある。そこに展示されている2万5000分の1の丹沢の地形模型はよくできていて、丹沢の山並みのみならず、丹沢の峠がじつによくわかる。そこから1キロ行ったところが犬越路への分岐点。右折し600メートルほど登るとゲートで引き返した。

 犬越路を初めてバイクで越えたのは先の世附峠と同様、1975年のことだった。峠を貫くトンネルは完成していたが、山を崩しただけといった感じの峠道はすさまじいばかりのハードなダートで、岩の上を乗り越えて走るので、バイクがバラバラになるのではないかと恐怖感をおぼえたほどの激しい振動。そんな峠道を走り、犬越路を越えて道志川の谷へと下った。

 それ以降、犬越路は何度となく越え、真冬の雪道に挑戦したこともある。そのときは真っ暗やみのトンネル内であやうく氷山に激突するところだった。トンネルの天井から垂れ落ちる水が、路面にカチンカチンのとがった氷の山を造っていたからだ。間一発で避けれたが、激突していたらえらいダメージを食らうところだった。そんななつかしの犬越路も、近年はすっかりバイクでは越えられない峠になってしまった。

 分岐まで戻ると、今度は川沿いに直進。キャンプ場の前を通り、分岐から800メートルほど行くとゲート。直進する道は白石峠に通じている。峠までは3・8キロの表示があった。

 犬越路への登山道はその行き止まり地点から右に入っていく。峠までは2・5キロ。バイクを止め、歩いていく。東海自然歩道の一区間になっているが、けっこう荒れた登山道で、木橋が流されていて2度、3度と川渡をする。峠まであと700メートルという地点で渓流を離れ、一気に登っていく。きつい登りでヒイヒイいってしまう。大汗をかき、Tシャツは汗でビショビショ。おまけに激しく雨が降ってくる。やっとの思いで犬越路に到達。そこには立派な木造りの避難小屋ができていた。避難小屋の中に入り、ペットボトルのお茶を飲んで、ホッとひと息入れるのだった。

 標高1060メートルの犬越路は山北町と相模原市の境。旧津久井町が相模原市と合併したからだが、神奈川県でも一番山深い峠が相模原市の境というのが、ちょっと信じられないような思いだった。戦国時代、甲州の武田軍は北条氏の小田原を攻めたが、そのとき信玄は犬を先導させてこの峠を越えたというので「犬越路」の峠名があるという。

 降りしきる雨をついて峠を下り、バイクに戻ったが、往復で2時間20分の犬越路。中川温泉まで戻ると、雨はやんでいた。ここでは「ぶなの湯」(入浴料700円)に入り、峠道の登り下りで疲れきった体をもみほぐした。ほんとうに体にしみる「ぶなの湯」だった。中川温泉を最後に国道246号に出、伊勢原に戻った。

犬越路への道のゲート
犬越路への道のゲート

犬越路への川渡り
犬越路への川渡り

犬越路に到達!
犬越路に到達!

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの新・峠越え:神奈川(14)秦野峠(はだのとうげ)

 2006年の梅雨の最中。新・峠越えはつづく。この年の梅雨はラッキーなことに、一面ベターッと雨雲が覆うような梅雨空でも、それほど雨は降らない。雨がシトシト降る中を走り出すのは辛いものがあるが、雨さえ降っていなければ、「それ行けー!」という気分になるものだ。

 ということで6月22日、午前中は天気がもちそうだなと判断を下し、午前9時に出発。目指すのは秦野峠だ。秦野峠の登り口は中山峠(神奈川-11参照)、尺里峠(神奈川-12参照)と同じ寄(やどりぎ)。このところ毎日のように「寄通い」をしている。

 スズキDR-Z400Sを走らせ、伊勢原の自宅から国道246号を西へ。我が家から寄入口の交差点までは19キロ。30分もかからずに走っていける。交差点の角にあるセブンイレブンで缶コーヒーを飲み、ひと息入れて寄へ。中津川沿いの寄のいくつかの集落を走り抜け、尺里峠への分岐、中山峠への分岐も通りすぎ、丹沢の奥深くへと入っていく。

 寄の最奥の集落は稲郷。そこから1キロほどで分岐。直進する道は雨山(あめやま)峠方向に延びる宇津茂林道だが、ゲートで通行止め。その地点から雨山峠までは4・2キロの表示。今度、いつか雨山峠までは歩いていってみよう。その一帯は「やどりぎ水源林」。森林内には周遊歩道がある。

 秦野峠への道はその分岐を左折し、寄大橋を渡っていく。ところが橋を渡ってすぐのところ、100メートルも走らない地点にゲート。かなり期待してここまで来たのだが、残念ながら秦野峠林道も通行止めになっている。そこには詳細な「秦野峠林道」の案内図が出ている。秦野峠を越えると、八丁の奥の皆瀬川の源流地帯に下り、そこからもうひとつの峠、ブッシェ峠を越えて丹沢湖の湖畔に下っていく。秦野峠を越えられないのならば、反対側にまわって、反対側のゲートまで行ってみようという気になった。

 来た道を引き返すのも芸がないので、別ルートで国道246号に出ようと、その分岐点近くから三廻部(みくるべ)林道に入っていく。中山峠の北の名無し峠を越える舗装林道だ。ところがこの三廻部林道もゲートで通行止め。丹沢の林道群というのは、このように絶対にバイクのすり抜けをも許さないというガチガチのゲートだらけだ。しかたなく来た道を引き返し、もう一度、寄を走り抜け、国道246号に出た。そこから山北を通り、中川温泉から犬越路に通じる県道76号に入っていった。

 三保ダムの手前で県道76号と分かれ、丹沢湖沿いに県道710号を走る。丹沢湖が尽きるあたりに「丹沢湖ビジターセンター」(入館無料)がある。そのわきから入っていく道が秦野峠を越える秦野峠林道。

 湖畔を離れ一気に山中を登っていく。しかし、「丹沢湖ビジターセンター」から1・4キロ地点にゲート…。そこからスゴスゴと戻るのだった。

 丹沢の自然を紹介する「丹沢湖ビジターセンター」を見学したあと、最後に玄倉林道を走る。県道710号はそのまま玄倉林道につづいている。舗装が途切れ、ダートに突入。秦野峠を越えられなかった腹立たしさもあり、路面の水溜まりは避けずにそのまま突っ込み、盛大な水しぶきを巻き上げながら走った。玄倉川沿いに丹沢山中の奥深く、塔ノ岳近くまで延びている玄倉林道だが、「丹沢湖ビジターセンター」から3・1キロの地点にゲートがあってそこから戻らなくてはならなかった。林道の行き止まり地点までは自由に走れたころがなつかしい。

 秦野峠はまだぼくの越えていない峠なので、なんとしても越えてみたい。
「たとえば1年に1度とか2度、林道開放日があってもいいのではないか…」
「だけど、事故を考えると、林道管理者としてはそうもいかないのだろうなあ…」
 そんなことを考えながら丹沢湖をあとにし、国道246号に出、伊勢原に戻った。

寄にやってきた!
寄にやってきた!

秦野峠林道の寄側
秦野峠林道の寄側

秦野峠林道の玄倉側
秦野峠林道の玄倉側

秦野峠林道のゲート
秦野峠林道のゲート

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの新・峠越え:神奈川(13)都夫良野峠(つぶらのとうげ)

 2006年6月19日、都夫良野峠を越えようと、スズキDR-Z400Sを走らせ、山北に向かった。国道246号の旧道で山北の中心街へ。

 尺里峠(神奈川-12参照)を下って出た「高松山入口」のバス停前を通り、JR御殿場線の山北駅前に出る。駅前には「山北町ふるさと交流館」(入館無料)。木をふんだんに使った2階建ての建物。そこに展示されているSLの写真は迫力満点だ。昭和初期の山北駅構内のもので、何本もの線路が走っている。山北は鉄道の町だった。

 山北駅を通る御殿場線はもともとは日本の鉄道の大幹線、東海道線の一部だった。山北は「鉄道の町」として繁栄した。それが昭和9年(1934年)、熱海-函南間の丹那トンネル(7804m)の完成によって、国府津-沼津間の御殿場線はローカル線になり、山北の「鉄道の町」としての役割も終わった。「山北町ふるさと館」に展示されているSLの写真は、山北が「鉄道の町」として繁栄を謳歌した最後の時代のものといえる。

 駅前食堂(ぼくはこの駅前食堂が大好きなのだ)でラーメンセットの昼食を食べたあと、都夫良野峠を越える前に山北の周辺をまわることにする。まずは県道725号で八丁へ。国道246号の旧道で山北を走り抜けるとき、いつも気にかかっていたのが「八丁」への道標。「いったいどんなところなのだろう、どんな道なのだろう…」という興味だ。

 県道725号を行くと、皆瀬川の渓流沿いに舗装林道のような狭い道がつづき、6キロほどで戸数が数戸の八丁に着く。山深い小集落。その先は林道で通行止め。ゲート前で引き返したが、ここまでやってきて、胸のつかえがとれたような気分。我々ライダーというのは道の尽きるところまで走ってみたいものなのである。

 山北に戻ると、次に大野山の山頂を目指す。いったん国道246号に出、すぐに右折。都夫良野峠に通じる道との分岐は直進し、そこから5キロほど狭い曲がりくねった道を登ると大野山の山頂だ。標高723メートル。山頂周辺は牧場になっている。眼下には丹沢湖を見下ろす。その向こうには丹沢の主脈となる山並みが連なっている。そんな大野山山頂からの眺めを目に焼き付けたところで来た道を引き返し、都夫良野峠への道との分岐に戻った。そこには「都夫良野入口」のバス停がある。

 東名高速をまたぎ、東名高速の都夫良野トンネル入口を見ながら都夫良野峠を登っていく。ゆるやかな登り。茶畑が広がる。峠には都夫良野地蔵がまつられている。お堂の境内には夏草に覆われた石仏群。都夫良野峠は東名高速の都夫良野トンネルの真上になる。東名高速では、日本坂トンネルに次いで2番目に長い都夫良野トンネル。このトンネルを走っているとき、真上に忘れ去られたような峠があることを思い浮かべるだけで、すこしは心豊かに走れるというものだ。

 都夫良野峠を下ったところには「神奈川古道50選」の案内板。都夫良野峠越えの道は「神奈川古道50選」に選ばれている。都夫良野は後醍醐天皇ゆかりの地。吉野の都を逃れ、この地に立ち寄ったとき、酒匂(さかわ)川を望む景色が吉野に似ていたので、「おお、都よ、それ吉野よ」といったという。ちょっとこじつけっぽい話だが、それ以来、この地を「都夫れ良野」と書き、「都夫良野」と呼ぶようになったのだという。

 都夫良野峠越えの古道は「奥山家(おくやまが)道」ともいわれた。奥山家三ヵ村の玄倉、世附、中川の奥山家三ヵ村に通じる道だったからだ。都夫良野峠を下っていった湯触(ゆぶれ)の集落あたりからの眺めはすばらしいものだった。酒匂川の谷間を見下ろし、その向こうには山の斜面から山頂近くへとつづく谷峨(やが)の集落を眺めた。

 都夫良野峠越えの道は酒匂川の上流、河内川沿いの県道76号に出るが、そこから国道246号経由で山北に戻ってきた。山北駅前の「さくらの湯」(入浴料400円)に入り、さっぱりした気分で国道246号を走り、伊勢原に戻るのだった。

昭和初期の山北駅
昭和初期の山北駅

八丁に到着
八丁に到着

大野山の山頂
大野山の山頂

都夫良野峠
都夫良野峠

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの新・峠越え:神奈川(12)尺里峠(ひさりとうげ)

 中山峠(神奈川-11参照)を越えた翌日の6月16日、今度は尺里峠を越えようと、ふたたび寄(やどりぎ)に向かった。前日と同じように午前10時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。

 スズキDR-Z400Sを走らせ、国道246号を西へ。秦野市と松田町境の寄入口の信号を右折し、県道710号に入っていく。この道が寄に通じている。巨大な採石場跡を右に見、深い渓谷を左に見ながら走る。この谷の奥に集落があるとは思えないほど山深い風景だ。やがて中津川沿いの開けた風景に変わる。劇的な風景の変わり方。そこが寄だ。ほかの世界とは隔絶されたような小世界。中津川沿いには点々と集落がつづく。

 寄の田代で県道を左折し、中津川にかかる田代橋を渡ってすぐに左折し尺里峠へ。県道との分岐点には「田代向」のバス停がある。それがいい目印になっている。つづいて虫沢川にかかる谷戸橋の手前を右へ。虫沢川に沿って登り、虫沢の集落へ。

 尺里峠は峠を越えると山北町の尺里に下っていくが、寄側からいえば尺里に通じているので尺里峠の名前がある。この尺里峠の別名は虫沢峠。山北側からいえば寄の虫沢に通じる峠なので、虫沢峠になる。尺里峠、虫沢峠の2つの峠名のうち、尺里峠がより一般的になっているので、いまでは尺里峠といわれている。

 このような例は日本の各地で見られる。よく知られているところだと、伊豆半島の国道136号の中伊豆から西伊豆へと越えていく土肥峠だ。伊豆国の中心の三島や中伊豆の人たちにとっては西伊豆の土肥に通じる峠なので土肥峠だが、土肥や西伊豆の人たちは同じ峠を船原峠を呼んでいる。西伊豆側から峠を越え、下ったところが船原だからだ。そこには船原温泉がある。さらに船原からは狩野川沿いの町々を通り、三島へと通じている。船原峠は西伊豆から中伊豆、三島方面に通じる峠なのだ。

 東京・檜原村と山梨県・上野原市の間には東京都と山梨県の境となる山並みが連なっている。昔は武州と甲州の境となるこの甲武国境の山並みを越える峠がいくつもあった。そのうちのひとつが西原(さいはら)峠だ。檜原村最奥の集落、数馬から越える甲武国境の峠で、峠を越えると旧西原村の郷原の集落へと下っていく。反対に山梨県側の旧西原村の人たちはこの峠を数馬峠と呼んでいる。数馬に通じる峠だからだ。西原峠、数馬峠と2つの名前を持つこの峠も、現在では西原峠が一般的になっている。

 さて、虫沢の集落から登っていく尺里峠だが、登るにつれてきれいな茶畑の中を行く狭い道になる。「高松山」とか「高松方面」の表示が所々にある。やがて杉林の中に入っていく。峠道沿いの小さな畑はトタンと金網で囲われている。イノシシから畑をまもる「猪垣(ししがき)」だ。山地民と猪の壮絶な戦いの一端をこの猪垣にかいま見る。

 尺里峠に到達。峠は十字路になっている。右は高松山への道。そのまま峠道を下り、高松の集落に寄っていく。そこには山北町立・川村小学校の高松分校があった。神奈川県内では唯一の分校だ。かつては20名以上の生徒がいたということだが、現在ではわずか2名。小学校1年生から3年生までの間の分校で、今年は開校50年周年だという。日本中からあっというまに消えていった分校がこうしてしっかりと残っているということに思わず感動し、「50周年記念」に拍手を送りたい気持ちでいっぱいになった。地元のみなさん方や先生らにとってはさぞかしご苦労の多いことだろうが、このまま高松分校が残ってほしいと思うのだった。

 日本は山国だ。そんな山国・日本では山村がすっかり衰退している。山村の子供の数も急速に減っている。山村で出会うのは年寄りばかりというのが現状(もっとも今の日本では、それは何も山村に限らないが…)だ。日本人が山地で生活できなくなるというのは、山国・日本の崩壊ではないか…。そんなことを痛切に考えさせられた尺里峠の高松の集落であり、高松分校だった。

 高松からさらに下ったところが尺里。東名高速道の橋脚の下をくぐり、国道246号旧道の「高松山入口」のバス停に出た。そこから国道246号の旧道で山北の町並みを走り抜け、国道246号を横切り、洒水(しゃすい)の滝を見にいく。日本の滝100選にも選ばれている名瀑だ。その入口にある岩清水の名水を飲んだ。ひやっとした感触のうまい水だった。こうして洒水の滝を最後に伊勢原に戻ったが、全行程60キロの尺里峠越えだった。

イノシシから畑をまもる猪垣
イノシシから畑をまもる猪垣

尺里峠
尺里峠

高松分校
高松分校

洒水の滝
洒水の滝

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの新・峠越え:神奈川(11)中山峠(なかやまとうげ)

 2006年6月15日、秦野盆地西端の峠、中山峠に向かった。我が家に近い峠なので、朝食後、ひと仕事かたづけ、10時に出発。国道246号を西へ、スズキDR-Z400Sを走らせる。善波峠を越えて秦野盆地に入り、秦野の中心街近くを走り抜け、小田急線の渋沢駅近くを通り過ぎる。このあたりまでが秦野盆地。国道の右手には丹沢の山々が連なっている。丹沢の山並みを間近に眺められるのが秦野盆地の大きな魅力だ。

 丹沢から流れ出る四十八瀬川にかかる甘柿橋を渡り、「菖蒲」の交差点で国道246号を右折。丘陵地帯の道を行く。右手には秦野盆地の広がりが見渡せる。菖蒲を通り、三廻部(みくるべ)の分岐を直進。道幅がぐっと狭くなる。この道が中山峠に通じている。峠まではゆるやかな登り。やがてゴルフ場沿いの道になる。

 中山峠は太平洋クラブ相模コースのゴルフ場わきの峠で、秦野市と松田町の境になっている。この峠が秦野盆地とこれから下っていく谷間の小盆地、寄(やどりぎ)の境にもなっている。

「中山峠」というのは、日本中にある峠名。北海道の国道230号の中山峠などは「揚げいも」が名物になっているので、とくによく知られている。ぼくはいままでに1500余の峠を越えているが、自分の越えた峠を整理・分類してみると、峠名で一番多いのは「桜峠」で22峠ある。とくに西日本に多い峠名だ。

 それにひきつづいての第2位が「中山峠」になる。中山峠は全部で16峠を越えた。中山峠は桜峠とは反対に東日本に多い峠名。つづいて第3位は「地蔵峠」と「大峠」で、それぞれ15峠を越えた。中山峠と地蔵峠、大峠はきわどく競り合っている。第5位以下になるとガクッと数が少なくなるが、第5位は山伏峠と三国峠で8峠、第7位は中山峠と似た峠名だが山中峠の7峠、第8位は鳥居峠(鳥井峠を含む)の6峠、第9位は富士見峠と堀切峠の5峠で、第5位から10位までもほとんど数に差はない。

 そのほかに多い峠名というと国見峠、観音峠、山王峠、椿峠、水越峠、大坂峠、七国峠、七曲峠、物見峠、白石峠、清水峠、矢筈峠などがあげられる。

 さて秦野市と松田町境の中山峠だが、峠で道は2本に分かれる。ともに寄に下っていくが、直進する舗装林道の土佐原林道を行く。峠上にはこの土佐原林道の開通記念碑が建っている。中山峠を越えて寄側を下っていくと茶畑が多く見られるようになる。峠を境にしての、鮮やかな風景の変化だ。林道沿いには名水。そこには地蔵がまつられ、名水を飲めるようにと柄杓も置いてある。休めるようにと石づくりの椅子もある。バイクを停めて小休止。柄杓で名水を飲んだが、じつにうまい水。やわらかな感触の水で若干の甘味を感じる。つづけて2杯目、3杯目と飲み干した。このように丹沢の周辺には何ヵ所にも名水がある。

 土佐原林道を下っていくと、寄郵便局のわきに出た。ここまで我が家から21キロ。1時間ほどで着いてしまう。しみじみと我が家は「峠越え」には絶好の拠点だなと思うのだ。伊勢原を拠点にすると、神奈川県内の大半の峠にわけなく行ける。これは「峠越えのカソリ」にとっては、何ともありがたいことだった。

 小田急線の新松田駅に向かっていくバスが通り過ぎたが、それは富士急バス。秦野盆地は神奈中バスだ。峠を越えるとバスが変わるのは、よく見られることだ。

 寄には大杉があった。寄神社入口の大杉で樹齢580年。地上12メートルのところで何本かの大枝に分かれているが、樹高30メートル、周囲6・4メートルという見上げるような大杉だ。神社の境内には大銀杏もある。樹齢700年。樹高は30メートル、周囲6・2メートルと大杉に負けない大木。このような巨木があるというところに寄の歴史を感じた。ほかの世界とは隔絶されたような谷間に開けた小世界の寄をあとにし、中津川沿いに走る。集落を抜け出ると深い谷間を見下ろし、やがて国道246号に出、そこから伊勢原に戻った。

中山峠
中山峠

中山峠の名水
中山峠の名水

峠道沿いの茶畑
峠道沿いの茶畑

寄の大杉
寄の大杉

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

カソリの新・峠越え:神奈川(10)順礼峠(じゅんれいとうげ)

 2006年6月14日、梅雨の合間を縫っての峠越え。我が家に近い順礼峠を目指す。「天気は大丈夫そうだな」と見極め、昼過ぎに出発。スズキDR-Z400Sを走らせて七沢温泉へ。そこまで7キロ。土山峠編(神奈川-3参照)のときにも立ち寄った「七沢荘」(入浴料1000円)の露天風呂に入る。ここはぼくの好きな温泉なのだ。

「七沢荘」の湯から上がると、すぐ近くにある順礼峠への登り口に行く。七沢温泉とは県道64号をはさんで反対側(東側)だ。

 順礼峠への登り口近くにバイクを停め、歩いて登っていく。順礼峠を越える自動車道はなく、歩いての峠越えになる。山道を登りはじめると、じきに鹿よけの防護柵。自分で防護柵をあけ、また閉めておく。峠までは0・6キロ。15分ほどで登れた。

 順礼峠は板東33ヵ所の札所巡りの巡礼道。5番札所の飯泉(小田原・勝福寺)から6番札所の飯山(厚木・長谷寺)に向かう途中で越える峠だった。しばし峠にたたずみ、白装束に身を包んだ巡礼者たちが、この峠を越えていった時代を偲んでみるのだった。

 順礼峠は十字路になっている。峠を越える「峠道」と尾根を行く「山上道」が峠で交差している。峠は交差点。そのため「辻」といわれることもある。奈良県の国道168号の天辻峠の「辻」などがその例だ。

 いったん、来た道を戻り、DRに乗る。七沢のコンビニでおにぎりとペットボトルのお茶を買い、「七沢森林公園」(入園無料)に行く。駐車場(平日は無料)にバイクを停め、今度は歩いて尾根道を行く。展望台のある「ながめの丘」から順礼峠へと下っていく。下りきったところが巡礼峠になる。

 峠というのは峠道を行けば、登りつめたところが峠になるが、尾根道を行くと下りきったところが峠になる。たとえば、みなさんもよく走る伊豆スカイラインや芦ノ湖スカイラインなどのスカイラインは現代版の山上道。それらスカイラインを走ってみればよくわかることだが、下りきったところが峠になっている。峠を通過すると、また登りになる。

 それはさておき、順礼峠からさらに尾根道を歩き、白山まで歩いていく。歩きやすい山道。森林浴をしながら気分よく歩ける。こうしてバイクを離れ、自分の足で歩いてみるのもいいものだ。白山への途中では物見峠、狢坂(むじなざか)峠と、2つの峠を越える。尾根道を行くので「峠を越える」という表現は当たらないかもしれない。より正確にいえば「峠を通る」、もしくは「峠を通過する」ということになるのだろう。

 ところで物見峠は急な坂を登りつめたところが峠になっていた。そこに「物見峠」の表示があった。地形的には「物見峠」ではなく「物見山」。峠を越える峠道は残っていないのでなんともいえないが、おそらく物見峠を歩いて越えていた当時の峠は、今の「物見峠」の表示のある山頂の南側か北側の尾根の鞍部であったことだろう。狢坂峠も同様だ。今の狢坂峠もやはり山頂になっている。これら巡礼峠、物見峠、狢坂峠の3峠のうち、きちんと峠道が残っているのは順礼峠だけだった。

「七沢森林公園」から1時間30分、3キロほどの尾根道を歩いて標高283メートルの白山に到着。Tシャツは汗でビショビショ。でも最高に気持ちいい。繰り返しになるが、このようにバイク旅に「歩き」を織りまぜるのはすごくいい方法だとぼくは思っている。

 白山の山頂に誰もいないのをいいことに、裸になってさきほどのコンビニで買ったおにぎりを2個をむさぼり食った。元気が出たところで、山麓の飯山の長谷寺に下っていく。往路は男坂、復路は女坂。この飯山の長谷寺は「飯山観音」で知られているが、桜の季節には大勢の花見客がやってくる。飯山観音を参拝したところで、展望台のある白山の山頂に戻った。

 こうして夕方、「七沢森林公園」に戻ってきたが、往復で3時間30分の山歩きだった。バイクのブーツのままで歩いたので、ちょっと足が痛くなったが、それがかえって心地よかった。DR-Z400Sに乗ると、10分もかからずに我が家に到着。「順礼峠」というひとつの峠を目指しただけで、存分に丹沢の自然を満喫することができたのだ。

順礼峠への尾根道
順礼峠への尾根道

順礼峠の地蔵
順礼峠の地蔵

白山の山頂
白山の山頂

「七沢森林公園」から夕暮れの七沢を眺める
「七沢森林公園」から夕暮れの七沢を眺める

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

最近の記事
月別アーカイブ
小さな天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
QRコード
QRコード