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岬めぐり(64)富津岬(千葉)

はじめに管理人コメント:
お待たせしましたっ! 2008年にカソリがめぐった日本一周・岬めぐり&島巡りの後半「東日本編」をお送りしていきます。

====
富津岬(千葉)2008年11月22日
11月20日、「東日本編」の開始。東京・日本橋をスタートし、浜松へ。スズキの本社でアドレス2号のアドレスV125Gリミテッドを引き取り、22日に再度、東京・日本橋を出発。
第1番目の岬が東京湾・浦賀水道に突き出た富津岬だ。

5978、富津岬の展望台
富津岬の展望台

5979、富津岬を一望
富津岬を一望

5980、浦賀水道の対岸の観音崎を望む
浦賀水道の対岸の観音崎を望む

5983、富津岬入口の「小松」で昼食。「海鮮丼」を食べる
富津岬入口の「小松」で昼食。「海鮮丼」を食べる





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旧満州走破行2004 写真(11)

7807、大慶油田
大慶油田

7812、馬車が行く。ハルビン郊外で
馬車が行く。ハルビン郊外で

7821、ハルビン郊外のダートを行く
ハルビン郊外のダートを行く

7836、トウモロコシの収穫
トウモロコシの収穫

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旧満州走破行2004 写真(10)

7760、チチハルの中心街
チチハルの中心街

7755、チチハル郊外の丹頂鶴の飛来地
チチハル郊外の丹頂鶴の飛来地

7799、チチハル近郊の食堂で食べたドジョウの味噌煮
チチハル近郊の食堂で食べたドジョウの味噌煮

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旧満州走破行2004 写真(9)

7659、大興安嶺山脈の少数民族、オウンコ族の麺
大興安嶺山脈の少数民族、オウンコ族の麺

7705、大興安嶺山脈の峠
大興安嶺山脈の峠

7746、内蒙古自治区と黒龍江省の境
内蒙古自治区と黒龍江省の境






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カソリの峠越え(25):中国編(8) 山口の峠(パート2)

 (『月刊オートバイ』1996年4月号 所収)

「山口の峠」の第2弾は、秋吉台周辺の峠。日本最大のカルスト台地、秋吉台は山口県内でも最高のツーリング・スポットだ。
 台地に露出した石灰岩の岩柱(ラピエ)が無数、林立している風景は、
「おー!」
 と、思わず声が出てしまうほど。日本離れした風景なのである。

 その地下にある大鍾乳洞の秋芳洞が、これまたすごい。地下神殿といった趣の日本一の鍾乳洞なのだ。
 秋吉台、秋芳洞をしっかりと目に焼き付け、山陽から山陰へ、山陰から山陽へと、次々に中央分水嶺の峠を越えていくのだった。

連泊の湯田温泉
 前回の「山口の峠・パート1」では、山口県の県庁所在地、山口市を出発点にして、山口盆地の峠を越えた。
 最後に防長(今の山口県は周防と長門の2国からなっていた)の歴史がしみついた萩往還(往還とは街道のこと)の坂堂峠を越え、山口に戻ったのだ。

 この坂堂峠だが、下っていくとすぐに山口の市街地が見え、五重塔のある瑠璃光寺のわきに出る。山々が山口の町並みのすぐ背後まで迫っているのがよくわかる坂堂峠だった。
 宿泊は山口の中心街に隣あった湯田温泉。民営国民宿舎の「小てる」に連泊した。受付のオッサンはブスッとしているし、サービスのあまりよくない宿(1泊2食6000円という安い宿泊費なのだから、当然のことか‥‥)だが、連泊すると、わが家に帰ってきたような安堵感を感じる。

 さっそく、温泉に入る。無色透明の湯につかると、1日走った疲れがスーッと抜けていく。ツーリングには、なんたって温泉だ!
 湯上がりにキューッと飲む冷えたビールがうまい。そして食堂で夕食。そのあとは、部屋でビールを飲みながら、
「さーて、明日はどんなふうに走りまわろうか‥‥」
 と、計画をねる。

 部屋に広げた地図(昭文社の分県地図・山口県)をたんねんに眺める。ぼくはこの時間が好きなのだ。地図はビールのつまみには最高!
 あきることなく、いつまでも見つづける。頭の中いっぱいに、夢がふくらんでいく。ぼくにとっては、地図ほど夢をかきたてられるものはない。
 日本の地図でも、世界の地図でも、地図ならば何でもいいのだ。地図を見ていると、無性にオートバイを走らせて、思いっきり駆けまわりたくなってくる。

 存分に地図を楽しむと、今度は時間をかけてゆっくりと湯につかる。温泉効果と1日オートバイで走りまわった疲れとあいまって、ぐっすりと眠ることができる。この眠りの気持ちよさがあるので、ぼくはよけいに温泉が好きなのだ。

防長国境の峠
 翌朝は、いつものように朝風呂に入り、宿で朝食を食べ、8時に「小てる」を出発。峠越えの相棒スズキDJEBEL200のエンジンを始動させ、あたためたところで走りだす。
 第1番目の峠はR435の大峠だ。
 山口の市街地を抜け出るとすぐに登りがはじまる。登坂車線のある峠道を一気に駆け登り、峠を貫くトンネルにさしかかる。

 トンネルの入口には、
「国道435号 最高地点大峠 標高298m」
 と書かれた木標が建っている。
 さらに、そのわきには、駐車場つきの峠公園があるのだ。DJEBELを止めて、日本風庭園の東屋でひと休みする。
 山口県はほんとうにエライのだが、多くの峠で、キチッと峠名を表示しているし、このような峠公園がいくつもある。
 ところで大峠は日本中にある峠名。峠名のベスト10に入るくらいに多い。大峠に対して小峠もあるが、小峠の方は、大峠ほど多くはない。

 大峠のトンネルを抜け、峠下ったところで、国道を右折し、今度は旧道で大峠を越える。峠の頂上には、石づくりの“国境”の碑が建っている。
 大峠は山口市と美東町の境の峠だが、山口市は旧国名でいうと周防(防州)になり、美東町は長門(長州)になる。大峠は防長国境の峠なのである。

 R435の旧道の大峠近くからは、県道309号に入り、明敷峠に向かう。車1台がやっと通れるくらいの道幅。小刻みなコーナーが連続する。
 美東町と旭村の境の明敷峠に到着。大規模林道(舗装路)が、峠で分岐している。この明敷峠は大峠の北側の峠になるが、中央分水嶺の峠で、瀬戸内海側の山陽と日本海側の山陽を分けている。
 明敷峠を越え、R262の旭村の中心地、佐々並まで下る。カンコーヒーを飲んで気合を入れ、
「さー、行くゾ」
 と、DJEBELにひと声かけ、来た道を引き返しもう1度、明敷峠を越え、旧道の大峠からR435戻るのだった。

城下町の萩へ
 美東町からR490を北上。途中の分岐を右へ。県道32号萩秋吉線で雲雀峠を越える。標高246メートルの中央分水嶺の峠だ。ここにも峠名を表示する木標が立っている。
 この県道32号は、萩秋吉線の名前どおり、萩と秋吉を結ぶメインルートで、交通量も多い。

 美東町と旭村の境の雲雀峠を下るとR262に合流し、山口県の日本海に流れ出る川のなかでは最大の阿武川に沿って走る。もう、日本海がすぐ近くだというのに、阿武川の両側には山々が迫っている。
 突然、といった感じで山が途切れると、海沿いの平野の向こうにミニ富士の山が見える。萩の指月山だ。

 阿武川は、海に入る手前で松本川、橋本川の2つに分かれ、三角州をつくる。その上にできたのが、毛利氏36万石の城下町、萩なのだ。萩は島のようなもの。2つの川に挟まれた“島”が川内、川向こうが川外と呼ばれている。
 DJEBELで城下町の萩に入っていく。萩は戦災にもあわなかったし、急激な近代化の波にもまれることもなかったので、今でも城下町の面影がよく残っている。“城下町絵図”といった古地図を見ながらでも町をまわれるくらいだ。

 萩城址に行く。萩城は日本海に突き出た指月山にあった。どこからでも目につく形の山なので、町の中から、ひょっとした拍子に屋根と屋根の間に見えたりする。
 萩城は指月山麓の本丸と一の丸、二の丸、指月山頂の詰の丸から成っていた。麓の平城と山頂の山城を組み合わせた平山城だった。DJEBELを止め、かつては五層の天守閣がそびえ建っていた天守台に立ち、冷たい木枯らしに吹かれていると、
「諸行無常」
 の言葉どおりの、歴史の無常を強く感じるのだ。

 萩からは日本海沿いのR191を下関方向にわずかに走り、左折し、R490を今度は南下する。国道とは名ばかりのマイナーなルートで、山中に入ると、ルートをフォローするのも難しい。2つの名無し峠を越え、中央分水嶺の笹目峠を越え、また、美東町に戻ってくるのだった。

秋芳洞と秋吉台
 美東町から秋芳町に入り秋芳洞を見学。さすがに東洋一といわれる大鍾乳洞だけあって、観光シーズンを外れた季節にもかかわらず大勢の観光客が来ていた。とくに、団体が目立つ。
 秋芳洞の入口までは、500メートルほどの歩道。その両側には、みやげもの屋がずらりと並んでいる。特産の大理石を加工した置物などのみやげものが目につく。

 入洞料の1240円は、ちょっと痛いが、秋芳洞にはそれだけの見る価値がある。洞内のひんやりとした空気。音をたてて流れる透き通った水。“黄金柱”と呼ばれる高さ15メートルの大石灰崋柱や“百枚皿”と呼ばれる“千枚田”風の石灰華段丘は目に焼きつく自然の神秘だ。秋芳洞を歩いていると、地底の大神殿かなにかに、迷い込んだような錯覚にとらわれる。

 秋芳洞からは、通称“カルスト・ロード”の県道32号萩秋吉線で、カルスト台地の秋吉台を行く。
 ラピエと呼ばれる白っぽい石灰岩柱が、無数、草原に林立している。この風景は、色こそ違うが、アフリカのサバンナ地帯や北部オーストラリアなどで見る無数のアリ塚に似ている。
「この下が、秋芳洞なのか‥‥」
 と、感動してしまう。
 同じ石灰岩でできたものだけど、カルスト台地の秋吉台と、鍾乳洞の秋芳洞では、まったく異なる世界。それが地上と地下で、隣りあっている。これは、まさに芸術品。自然は天才だ!

 カルスト台地の秋吉台を走り、大正洞の前を通り、景清洞へ。ここでは鍾乳洞に入らず、人工温泉の「景清洞トロン温泉」(入浴料500円)の湯に入った。
 さっぱりした気分でふたたび走り、県道32号から28号に入り、中央分水嶺の山中峠を越える。気がつかないまま、越えてしまいそうになるほどの、ゆるやかな峠。中国山地もこのあたりになると、角のとれた、台地に近いような山並みになる。
 そんな山中峠を下り、三隅町のR191に出た。

心に残る於福温泉
 三隅町のR191のすぐ近くに、湯免温泉がある。町営の「湯免ふれあいセンター」(入浴料500円)の大浴場と露天風呂に入り、食堂で遅い昼食を食べ、もう1軒、「湯免観光ホテル」の大衆浴場(入浴料150円)にも入った。
 連チャンの湯にのぼせ、フラフラになったところで寒風を切り裂いて走るのもなかなか、気分のいいものである。

 湯免温泉を出発し、R191を萩方向にわずかに走り、国道を右折。県道36号で中央分水嶺の杉山峠に向かう。さきほどの山中峠よりは、はるかに峠らしい峠で、山深い風景になる。
 三隅町と秋芳町の境の杉山峠を越える。秋芳町に入り、峠を下ったところで、白糸ノ滝に寄り道する。県道から2キロほどの距離。

 白糸ノ滝の入口には、雌雄2体のカッパ像がまつられている。遊歩道を歩いて滝の下までいったが、その名のとおり、優美な滝だ。
 滝壺の水を手ですくってバシャバシャと顔を洗う。
「ヒェー!」
 と、思わず声が出てしまうほど冷たい水だ。頭の芯にまでズッキーンと響くような冷たさだった。

 杉山峠を下り、山地を抜け出たところで、県道239号で鐙峠を越える。ゆるやかな峠を下っていくと、さきほどの景清洞の近くに出る。急に、もう1度、カルストが見たくなり、秋吉台を往復した。そして、再度、鐙峠を越え、秋芳町の中心、秋吉に出た。すでに日は落ち暗くなっていた。
 秋芳町の秋吉からは、R435で美祢へ。炭鉱で栄えた美祢だが、今では、セメントの原料、石灰岩の大産地になっている。

 美祢からは、R316を北上。日本海側の長門市を目指す。大ヶ峠の下、於福温泉でDJEBELを止めひなびた温泉宿の「ふくや旅館」で泊まる。
 湯に入り、夕食を食べたあと、浴衣に半天という格好で、下駄をカランコロン鳴らしながら、駅まで歩いていく。JR美祢線の於福駅だ。駅の待合室でカンコーヒーを飲む。ただ、それだけのことだけど、すごく幸せな気分になる。

 次に、共同浴場(入浴料150円)に行く。
 番台のおじいさんに、どこから来たのかと聞かれ、
「神奈川県から」
 と答えると、
「それは遠くから、よく、来たねー!」
 といわれ、
「この於福温泉は1300年前に弘法大師によって発見されたので“弘法の湯”ともいわれているのだよ。湯の放射能の成分が、体にとってもよく効く。今の時代、湯を循環させて使っている温泉が多いけれど、ここは、みんな、流しっぱなし。使い捨てだから、いつも、新しい湯だよ」
 と、於福温泉の説明もしてくれた。

 共同浴場の湯船は2つ。やはり、おじいさんが、湯につかっていた。今度は、そのおじいさんと“湯の中談義”をする。
「こうして、毎日、温泉に入れるのが、人生の最高の幸せだね」

 翌朝は、朝風呂に入り、早めにしてもらった朝食を食べ、7時半に於福温泉を出発。じきに、大ヶ峠にさしかかる。峠のトンネルの入口には、
「国道316号最高地点 大ヶ峠 標高213m」
 の木標が立っている。

 大ヶ峠は美祢市と長門市の境の峠。美祢市側にはラブホテルがあって峠の風景をブチ壊しているが、トンネルを抜けた長門市側には“大ヶ峠隧道開通”の記念碑が建つ峠公園がある。錦鯉の泳ぐ池があり、きれいなトイレもある。
 大ヶ峠を下ったところが長門湯本温泉。共同浴場の「恩湯」(入浴料140円)に入ったあと、長門市の中心街へ。JR山陰本線の長門市駅前を「山口→長門」のゴールにするのだった。






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旧満州走破行2004年 写真(8)

7500、内蒙古の砂丘。満州里近くで
内蒙古の砂丘。満州里近くで

7503、黒龍江上流の流れ。満州里近くで
黒龍江上流の流れ。満州里近くで

7511、満州里の中露国境
満州里の中露国境

7520、満州里周辺の中露国境
満州里周辺の中露国境

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旧満州走破行2004年 写真(7)

7327、ハイラルの中心街
ハイラルの中心街

7357、遊牧民のテント(パオ)。ハイラルの近郊で
遊牧民のテント(パオ)。ハイラルの近郊で

7397、内蒙古の羊の放牧。ハイラル近郊で
内蒙古の羊の放牧。ハイラル近郊で

7490、内蒙古のラクダ。ハイラル近郊で
内蒙古のラクダ。ハイラル近郊で

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旧満州走破行2004 写真(6)

6986、中国最北端の地。漠河村(北極村)で
中国最北端の地。漠河村(北極村)で

7131、大興安嶺山脈を行く。黒龍江省と内蒙古自治区の境で
大興安嶺山脈を行く。黒龍江省と内蒙古自治区の境で

7190、大興安嶺山脈の峠
大興安嶺山脈の峠

7245、内蒙古の平原を走る
内蒙古の平原を走る

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カソリの峠越え(24):中国編(7) 山口の峠(パート1)

 (『月刊オートバイ』1996年3月号 所収)

「冬がなんだー!」
 と、カソリ、気合を入れて、本州西端の山口県に向かった。
 冬の峠越えだ。
 県都、山口を出発点にし西へ、西へと峠を越えていき、山口の峠を総ナメにしてやった。

 今回はその第1回目。山口盆地の峠だ。
 日本の県庁所在地の中でも、一番小さいといわれる山口は、盆地の町。周囲をゆるやかな山並みに囲まれている。
 その、山口盆地をとり囲む峠をひとつ、またひとつと越えていったのだ。

湯田温泉で生き返る
 山口の峠越えに向かったのは1995年の12月上旬。寒さが厳しい…。
 夜明け前に、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。峠越えの相棒は、スズキDJEBEL200だ。
 DJEBELのシートにうっすらと下りた霜を振り払い、セルスターターを押してエンジンをかける。ギアを入れ、クラッチをつなぎ、走り出す。その瞬間の寒さといったらない…。思わず、泣きが入る。
「さー、やるゾー!」
 と、気負いたっていた気分はシュンとなえ、
「ほんとうに、山口まで、走っていけるのかなあ…」
 と、弱気になってしまう。
 そんな自分自身にムチを打ち、
「おい、がんばれよ」
 と、叱咤激励するのだ。

 秦野中井ICで東名高速に入り、山口を目指し、西へ西へと走る。
 夜明けの富士山がすばらしい。DJEBELに乗りながら、しばらく寒さも忘れて、雪化粧した富士山を眺めた。
 東名から名神、中国道と高速道をただひたすらに走りつづる。天気はいいのだが、昼になっても気温は上がらず、寒い思いをする。

 日暮れに山口ICに到着。伊勢原から930キロの山口の市街地に入り、湯田温泉の民営国民宿舎の「小てる」に泊まる。
 山口の中心街に隣りあった湯田温泉は、その昔、白狐が湯につかって傷をなおしたことから発見されたという伝説の伝わる温泉で、800年もの歴史を持っている。源泉の温度は66度と高く、山陽路では随一といわれる温泉。山口は鹿児島や鳥取、甲府などと同じように、温泉のある県庁所在地になっている。

「小てる」の、公衆温泉浴場にもなっている温泉の湯につかったときは、
「ふー、助かった!」
 と、思わず安堵の声が出てしまう。温泉のよさ、ありがたさが、とってもよくわかる‥‥。
 生き返るような気分というのは、こういうときのことをいうのだ!
 湯田温泉の湯は、無色透明無味無臭。湯の感触がやわらかで、体にふわっとまとわりつくような感じだ。
 湯から上がると、食堂で夕食。湯上がりのビールがうまい。最高の幸福感を感じる瞬間で、
「やっぱり、旅立って、よかったなあ」
 と、心底、そう思うのだった。

山口探訪
 翌朝は、目をさますのと同時に、朝風呂に入る。
「うわー、気持ちいい!」
 ぼくはこの寝起きの朝風呂が大好きなのだ。寝ている間に、体内に溜まった毒素を全部、はきだすかのような気持ちのよさなのだ。日本人には、やっぱり温泉だ。

 朝食を食べ、8時に「小てる」を出発。まずは、山口の市内を見てまわる。
 山口は人口10万人ほど。日本の県庁所在地の中では最小の町だが、戦国時代には、大内氏の城下町としておおいに栄えた。
「東の小田原、西の山口」
 といわれたほどの繁栄を謳歌したのだ。その当時、京都はうちつづく戦乱で焼け野原になり、東京や大阪は、まだ、町にもなっていなかった。

 最初に行ったのは、山口駅だ。幹線の山陽本線から外れた山口線なので、県庁所在地の駅とはいっても、どことなくのんびりとしたローカル線の雰囲気が漂っている。
 次に、ザビエル記念聖堂に行った。天文19年(1550)、宣教師のフランシスコ・ザビエルがこの地にやってきて、キリスト教を布教した。
 そんな、歴史の教科書にもかならず出てくるザビエルゆかりの記念聖堂だが、なんと、無残な姿をさらしていた。5年前の1991年9月5日に焼失し、焼け落ちたままの姿をさらしていたのだ。ザビエル記念聖堂といえば、山口のシンボルだったのに‥‥。

 最後に、瑠璃光寺に行った。室町時代に建立された名刹で、国宝の五重塔がある。見事な塔で、じっと眺めていると、不思議なほどに気持ちが落ちつく。仏塔には、そんな魅力が隠されている。
 しっとりとした落ち着きのある山口は、印象深い町だった。

荷卸峠で考える
 さー、峠越えの開始だ。山口を出発し、R376の荷卸峠に向かう。R9を右折するとすぐにゆるやかな上り坂を登っていくが、それは仁保峠。JR山口線の線路を陸橋でまたぐが、そのあたりが峠。陸橋の下には仁保駅がある。仁保峠を越えた仁保川の流域が仁保郷になる。
 仁保から山中に入り、峠道を登っていく。山口市と徳地町の境の荷卸峠に到着する。国道のすぐわきを中国道が走り、そこには、荷卸峠PAがある。

 この荷卸峠の名前の由来は知らないが、“荷卸”というのは、いかにも峠らしい。
 昔は、峠には市がよく立った。峠のこちら側の産物と、向こう側の産物を、峠に立つ市で売り買いしたのだ。
 峠に市がたつのは、なにも日本に限ったことではない。南米一周したときは、アンデスの3000メートル級、4000メートル級の峠をいくつも越えたが、何度となく、峠に立つインディオの市を見た。
 荷卸峠にも、同じように昔は市が立ったのではないか‥‥と、“荷卸”という峠名から、そう想像するのだった。

シシ垣の峠
 荷卸峠を下った徳地町の中心、堀からは、R489を北上し、“船路”の交差点を左折。県道20号に入っていく。荷卸峠の北側の峠を越えるのだ。
 峠下が“夏焼”の集落。この地名は、焼き畑にちなんだもの。焼き畑は現在の日本からは消えてしまったが、つい4、50年前までは、日本各地の山村でおこなわれていた。

 焼き畑というのは、山野を切り払って焼き、その跡を畑にしたものである。
 日本には、焼き畑にちなんだ地名が数多くある。荒所、荒巻、狩野、加納、刈谷、神野、桐山、木場、小出、佐須、双里、草連、薙畑、焼野‥‥と。
 焼き畑がらみの地名は、まだまだたくさんある。これだけ焼き畑にちなんだ地名があるということは、日本人の生活と焼き畑が、切り離せないほど、盛んにおかなわれていたことの証明なのだ。

 荷卸峠の北側の峠は、松柄峠。峠の周辺は、けつこう平坦で、民家があり、田畑もある。
「おや!?」
 と、目をひくのは、田畑をぐるりと取り囲むトタンの囲いだ。それは、イノシシを防ぐ“シシ垣”。シシ垣は中国山地の山村でよく見られるが、これがないと田畑は一夜にしてイノシシに荒らされてしまう。人間とイノシシのはてしない戦いをシシ垣に見ることができる。
 松柄峠には、苔むした道路改修記念碑が建ち、小さな石の祠には、木像の仏像がまつられていた。
 徳地町と山口市の境の松柄峠を越え、山口盆地に下っていく。下りは急勾配。道幅の狭い峠道。峠を下りきると、R376の仁保に出た。

山口の峠は“たお”
 R376の“井開田”の交差点を右折し、県道123号で仁保川沿いに上流へと走り、峠を越える。野谷峠だ。樹林の中の、うす暗い峠で、切り通しになっている。中国自然歩道の経路にもなっている。
 野谷峠を越え、下っていくと、さきほどのR489に出る。そのあたりが、野谷の集落。峠名は、この野谷の集落からきているのだろう。つまり、山口側からみると、野谷に通じる峠という意味だ。

 ところで、同じ中国地方でも岡山県あたりだと、峠のことを“たわ”といっているが、広島県や山口県になると、“たお”といっている。野谷峠も、“のだにたお”という。
 さらにもうひとつ、野谷峠の南側の峠を越える。そこは、広々とした開けた風景。峠を越え、下ったところの店で、パンと牛乳の昼飯。店のオバサンに、今、越えてきた峠の名前を聞くと、“たおの”といっているとのこと。きっと、野原のように広い峠なので“峠(たお)野(の)”なのだろう。
 これら2つの峠も、ともに山口市と徳地町の境の峠になる。

“陰陽”を分ける峠
 野谷峠と、もうひとつの峠を越えて仁保に戻ると、そこから峠越えのルートで阿東町に向かう。交通量のほとんどない峠道。道幅も狭い。
 峠が山口市と阿東町の境になっているが、この峠には、名前がないようだ。
 山口市と阿東町の境の、この名無し峠は、“陰陽”を分ける中央分水嶺の峠。
“陰陽”とは、日本海側の山陰と、瀬戸内海側の山陽のこと。峠をはさんで北側の阿東町を流れる川は、日本海に流れ出る。阿東町は山陰側になる。南側の山口市を流れる川は、瀬戸内海に流れ出る。山口市は山陽側になるのだ。

 峠を下ると、JR山口線の篠目駅近くで、R9に出る。R9で山口へ。
 阿東町と山口市の境の木戸を越える。木戸山(542m)のすぐ北側の峠で、さきほどの名無し峠と同じように、陰陽を分ける中央分水嶺の峠である。
 木戸峠を全長823メートルの木戸山トンネルで抜け、山口盆地へと下っていく。曲がりくねった、急勾配の峠道。R9の難所だ。短いトンネルが連続する。峠道を下りきったところが仁保峠、荷卸峠を越えるR376との分岐点だ。

 そこから、R9を木戸峠まで引き返す。もう一度、木戸山トンネルを抜けたところで右折し、ダートに入っていく。車1台がやっと通れるくらいの道幅。
 DJEBEL200は、ダートに入ると、活き活きとした走りをみせる。さすがにオフ車だけのことはある。林道の左側の谷は、ゾッとするほど深い。ガードレールんもないので、転落しないように走る。そんなスリルを味わいながら、5キロのダートを楽しみ、R376の仁保峠に出た。
 
日本の歴史を変えた峠
 ふたたびR9で、木戸峠に向かう。今度は、峠の木戸山トンネルの手前を左に折れ、R262に入っていく。じきに、峠。だが、この峠には、名前がついていないようだ。
「国道262号最高地点・423m」の表示がある。
 このR262の名無し峠も、陰陽を分ける中央分水嶺の峠。峠をわずかに下ったところが、山口市と旭村の境になっている。旭村に入ったところには、カートのコースがあった。

 R262の名無し峠を下ったところで、国道を左折し、県道62号に入り、坂堂峠に向かう。峠下の長瀬という集落を過ぎると、まもなく、旭村と山口市の境の坂堂峠だ。峠の周辺は、山口県の森林公園、21世紀の森になっている。
 標高511メートルの坂堂峠は、萩往還の越える峠で、歴史が古い。萩往還というのは、長州藩の城があった萩から山口を通り、山陽道の三田尻(防府)に通じる街道だ。
 坂堂峠には、峠の歴史の古さを感じさせるかのように、高さ2メートルくらいの花崗岩でできた国境の碑が建っている。それには、

  南 周防国吉敷郡
  北 長門国阿武郡

 と、彫り刻まれている。
 現在の山口県は、昔の周防、長門の2国から成っているが、坂堂峠はその国境なのだ。 幕末から明治維新にかけて、この坂堂峠は、歴史の表舞台だった。

 中国地方の10国を支配していた毛利氏は、関ヶ原の戦いで徳川軍に敗れ、それまで中国地方の10国を支配していたものが、防長(周防・長門)の2国に領地を減らされ、日本海側の萩に城を構えた。
 そのため、毛利の徳川への怨念は消えず、毎年元旦には、家老が藩主の前に出て、「幕府追討の儀、いかがいたしましょう」と、うかがいをたてた。藩主は、
「いまだ時期尚早である」
 と、答えた。それを二百数十年もつづけた。そんな毛利の徳川への怨念が、幕府を倒したともいえる。

 長州の維新の志士たちは萩からこの坂堂峠を越えて山口へ、さらには江戸へと倒幕を目指して旅立った。長州藩の城も、幕末になると、萩からやはり坂堂峠を越えて、山口に移された。
 江戸から明治へと、激動の日本史の表舞台となった坂堂峠を越え、山口へと、下っていくのだった。

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旧満州走破行2004 写真(5)

6746、中国・ロシア国境を流れる黒龍江(アムール川)。黒河で
中国・ロシア国境を流れる黒龍江(アムール川)。黒河で

6824、黒河から中露国境沿いに北へ。羊の群れを追っている
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日本のバイク遺産目録―1970年代か...
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旧満州走破行2004 写真(4)

6636、海倫で泊まったホテル
海倫で泊まったホテル

6639、海倫の中心街
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6704、小興安嶺山脈の紅葉
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6737、小興安嶺山脈の峠
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旧満州走破行2004 写真(3)

6468、ハルビンの聖ソフィア寺院
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6488、ハルビンの松花江に落ちる夕日
ハルビンの松花江に落ちる夕日

6563、ハルビンを出発。スズキQS110での「旧満州一周」
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旧満州走破行2004 写真(2)

6293、瀋陽からハルビンへ
瀋陽からハルビンへ

6315、旧満州の平原に落ちる夕日
旧満州の平原に落ちる夕日

6328、徳恵のレストランで夕食。「石林大鍋」
徳恵のレストランで夕食。「石林大鍋」

6345、徳恵の市場での朝食
徳恵の市場での朝食

6370、徳恵の市場で麺を打っている
徳恵の市場で麺を打っている

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6238、中国南方航空で瀋陽へ。北朝鮮の上空
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6239、中国・北朝鮮国境の鴨緑江を通過
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6245、中国・東北部最大の都市、瀋陽
中国・東北部最大の都市、瀋陽

6260、瀋陽の「蒸気機関車博物館」に展示されている満鉄の「アジア号」
瀋陽の「蒸気機関車博物館」に展示されている満鉄の「アジア号」





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カソリの峠越え(23):中国編(6) 山口・島根県境の峠

 (『月刊オートバイ』1995年2号 所収)

 広島・山口・島根3県の県境にそびえる冠山(1339m)から西につづく山並みは、山口・島根の県境になっている。つまり、峠が県境なのだ。
 山口から島根へ、島根から山口へ……と、ひとつづつ県境の峠を越えていったのだが、あらためて、
「日本は“峠の国”だな」
 と、実感させてくれるほど、峠が多いエリアだ。

岩国で錦帯橋を見る!
 山口・島根県境の峠越えの出発点は、岩国だ。
 夜明けの岩国港の岸壁にスズキDJEBEL200を止め、瀬戸内海を赤々と染めて昇る朝日をながめる。感動の瞬間。思わず手を合わせたくなるほどの神々しい光景だ。
 空には、雲ひとつない。
「やったネー!」
 と、もう、それだけでうれしくなってしまう。

 早朝のJR山陽本線の岩国駅でもDJEBELを止め、カンコーヒーを飲みながら、地図を広げる。これはぼくの峠越えの、儀式のようなものだ。
「さあ、出発だ!」
 DJEBELのアクセルを軽く開き、R2で錦帯橋へ。

 岩国駅から4キロほどの錦帯橋は、錦川にかかる木造の名橋だ。歴史的な橋としては、日本を代表するものといっていい。錦川対岸の山の上には、岩国城が見える。
 錦帯橋は長さ210メートル、幅5メートル。5個の美しいラインを描くアーチをクギを1本も使わず、木組みによってつなぎ合わせた特殊な構造だ。そのために、“日本三奇橋”のひとつに数えられている。その他の2つは木曽ノ桟(長野県)と大月の猿橋(山梨県)になる。

 この錦帯橋は歴史の古い橋で延宝元年(1673)に、岩国藩主の吉川広嘉が架設したという。日本の技術のすばらしさを証明しているようなものだが、それ以来、20年ごとにかけかえられてきた。そんな錦帯橋を歩いて渡り、また、戻ってくるのだ。
 錦帯橋の下を流れる錦川の清流には、目を奪われてしまう。澄みきった流れなのだ。このあたりは山地から平地へ流れ出るところだが、瀬戸内海の河口まではわずかな距離でしかない。それでいて、この清流だ。“山紫水明”の国、日本を強く感じさせてくれる。

錦川に沿って傍示ヶ峠へ
 錦帯橋を十分に堪能したあと、錦川沿いにR2を走る。数キロ走り、左に折れていくR2と分かれ、R187に入っていく。このR187で、山口・島根県境の第1番目の峠、傍示ヶ峠を越えるのだ。
 R187はいい!
 たえず左手に、錦川の清流をながめながら走る。快適なリバーサイド・ラン。DJEBELのエンジン音も、ひときわ軽快に聞こえる、というものだ。錦川の両側には山々が迫っている。対岸には錦川清流鉄道が走っている。

 岩国から40キロ、錦町に到着。錦川清流鉄道の終点だ。錦町駅前でDJEBELを止め、記念撮影。この錦川清流鉄道は、旧国鉄時代は岩日線。岩国と島根県の日原を結ぶ計画だったが、残念ながら線路は錦町より先には延びなかった。
 錦町の、錦川にかかる橋のたもとのコンビニ店で、おにぎりとカン入りのお茶を買い、河原で朝食。朝日を浴びながら、錦川の清流を目の前にしておにぎりを食べる。ただ、それだけのことなのだけど、無性にうれしくなってしまうのだ。

 錦町を出発。R187の山口・島根県境の傍示ヶ峠へ。ゆるやかな登り。標高375メートルの峠に着くと、そこには戦前の昭和14年に建てられた石の道標があった。それには、
「山口線日原駅へ 九里三十四町 島根縣廰へ 六十三里十三町」
 と、彫り刻まれていた。

“傍示”というのは、杭などを立てて境界の目印にすることだか,信州の分杭峠と同じように、昔はこの峠にも、境界の杭が立っていたのだろう。
 なお、傍示ヶ峠の峠は、“たお”と読む。この地方では、峠を“たお”という場合が多い。

 この傍示ヶ峠がいいのは“峠公園”といってもいいような、駐車場つきの小公園が、峠にあることだ。そこには、周辺の案内板も立っている。これで、峠の歴史でも書いてあれば、もういうことはない。
 日本は“峠の国”なのだから、みんながもっと、もっと峠に目を向けたらいいと、ぼくはいつも思っている。そのひとつの方法として、傍示ヶ峠のような“峠公園”が、あちこちにできればいい。
 島根県に入り、峠を下っていくと、六日町。そのままR287を北へ、日原まで走る。六日町―日原間は30キロほどだ。

中国道に沿った峠越え
 日原からR187を再度走り、六日町へと戻る。その途中では、柿ノ木温泉と木部谷温泉の2湯に立ち寄る。
 柿ノ木温泉には「はとの湯荘」(入浴料250円)。体の芯から暖まる茶褐色の湯。湯から上がると、タダで使える全自動血圧計が目に入り、計ってみた。最高血圧136mmHg、最低血圧89mmHgで、正常値という結果がでた。

 なにしろぼくは、会社などには勤めたこともないので、健康診断を受けたこともない。「だいたいね、健康診断なんて受けるから、病気になるんだよ」
 などとウソぶいているカソリだか、血圧が正常値だとわかり、ホッとするというか、うれしくなってしまうのだ。

 木部谷温泉の「松の湯」(入浴料350円)は間歇泉。15分間休止したあと、5分間、茶褐色の湯が噴き上がる。
 ここの湯では、山口からやってきたという、60代半ばの人と一緒になった。
「この湯は体によく効くんでね、車を走らせて、けっこうひんぱんに来てるよ」
 という。

 その人は4年前に、車で北海道一周した。退職記念だったという。
「北海道はいいよ。キミも一度、行ってみたらいい。なにしろ広さが違う。20キロも30キロも、直線がつづくところもあるんだよ」
 温泉が大好きな人で、北海道各地の温泉に、入りまくったという。
 このように、湯につかりながら、人の話を聞くのはいいものだ。裸同士のつきあいとでもいうのか、まったくの見ず知らずの人とでも、うちとけて話すことができるのだ。

 傍示ヶ峠下の六日町に戻ると、今度は、島根県道12号六日町―鹿野線を走り、島根・山口県境の米山峠を目指す。この県道は、中国道に沿っている。
 中国道の全長3260メートルの米山トンネル入口を右手に見下ろす地点を過ぎると、道幅の狭い峠道に入っていく。交通量はほとんどない。

 ブラインドのコーナーが連続する峠道を登りつめ、県境の米山峠に到達。山口県側に入ると、島根県道12号は、山口県道12号に変わる。峠を下っていくと、米山トンネルを抜け出た中国道とふたたび出会い、峠下の集落、米山に着く。米山峠は、この米山にちなんだ峠名だ。

 山あいに点々とつづく集落を通り過ぎ、錦川沿いの小盆地の町、鹿野に着く。
 米山峠を越えるこのルートは、中国道の六日町ICと鹿野IC間ということになる。高速道を走ると、あっというまに走りすぎてしまう1区間。だが、こうして峠を越えていくと、しみじみとした旅の情感を味わえるのだ。

連続する峠越え
 鹿野の食堂で、早めの昼食。大盛りラーメンに、大盛りライス。腹ごしらえしたところで、R315で徳佐に向かう。これがおもしろい峠越えルートなのだ。
 錦川上流の鍋川に沿って走り、まず最初は、標高585メートルの河内峠を越える。この峠の周辺が、錦川の源流になる。

 錦川、佐波川、阿武川が山口県の“3大河川”になっているが、そのうち全長110キロの錦川が、最長の川になっている。岩国でその下流を見、錦町で中流を見、鹿野で上流を見、河内峠で源流を見た。こうして1本の川を通して見るのは、おもしろいものだ。
 河内峠を下ると、佐波川上流の河内の集落。ここには柚木慈生温泉(入浴料500円)があって、ひと風呂浴びていく。

 河内からすぐに、次の峠の野道峠への登りがはじまる。野道山(924m)の西側にある峠だ。R315はトンネルで峠を抜けているが、ここにはダートの旧道がある。距離は短いが、けっこう荒れたダートの峠道を走った。
 野道峠は、同じ山口県でも、瀬戸内海側と日本海側に分けている。佐波川は錦側と同じように瀬戸内海に流れていくが、野道峠を下った徳佐盆地になると、そこを流れる阿武川は、日本海に流れ出る。

 阿武川上流の小盆地、徳佐でR9にぶつかる。そこを折り返し地点にし、もう一度、野道峠、河内峠を越えて鹿野に戻る。鹿野-徳佐間の往復は50キロ。今度は鹿野から、小峰峠、仏峠という山口・島根県境の峠を越えるのだ。

 鹿野でカンコーヒーを飲んでひと息入れ、さ、出発だ。またR315を走り、鹿野、河内峠の中間点あたりで、“柿木30キロ”の標識に従って国道を右折。山口県道3号の新南陽日原線に入っていく。交通量は少ない。
 じきに小峰峠にたどり着く。DJEBELを止め、メインスイッチをオフにすると、あたりにはシーンとした静寂が漂っている。
 その静けさを破るかのように、伐採の音が聞こえてくる。それが山々にこだますると、よけいに静けさを感じさせるのだ。

 小峰峠を越えて島根県に入ると、さきほどの米山峠と同じように、ルートナンバーはそのままで、島根県道3号になる。峠を下っていくと、柿ノ木温泉のある柿木村だ。
 柿木村で来た道(島根県道3号)を引き返し、途中で右折し、仏峠に向かう。標識も何もないので、
「ほんとうに、この道でいいのかなあ……」
 と、頼りない気分だ。それでも、交通量のほとんどない、道幅の狭い峠道を登っていくと、県境の峠に到着。峠は切り通しになっているが、コンクリート壁には赤いスプレーで“仏峠・650m”と書かれてあった。

 仏峠を越えて山口県に入ると、佐波川の源流。渓谷を下っていくと、さきほどのひと風呂浴びた柚木慈生温泉の近くで、R315に出る。R315を走り、野道峠のトンネルを抜け、阿武川上流のの徳佐盆地へと下っていった。

最後はR9の野坂峠
 徳佐盆地は標高300メートルほどの高地で、山口県では一番の寒冷地になっている。そのため、ここでは、リンゴが栽培されている。特産の“徳佐リンゴ”である。西国・山口で、リンゴがとれるのだ。
 徳佐から石州(岩見)街道のR9で、山口・島根県境の最後の峠、野坂峠に向かう。ゆるやかな登り。峠の山口側が、野坂の集落。

“のさかだお”ともいわれる野坂峠は、標高370メートル。歴史の古い峠で、現在は山口・島根県境の峠だが、かつては長門(長州)と岩見(石州)の国境の峠になっていた。 また江戸時代には、長州藩と岩見の津和野藩の藩境の峠だったので、峠をはさんだ両側に、それぞれの藩の国境警備の番所が置かれていた。

 そんな野坂峠をトンネルで抜ける。山口側はゆるやかな登り坂だったけれど、峠を越えた島根側は、急な下り坂になる。峠を下ると津和野の町だ。
“小京都・津和野”をDJEBELでひと回りする。日本の“五大稲荷”に数えられている太鼓谷稲成神社に参拝。西日本の稲荷信仰のメッカなので、大勢の参拝者を見る。

 朱塗りの鳥居のトンネルを登るにつれて、津和野の町と津和野盆地を見下ろすようになる。その中を流れる津和野川もよく見える。社殿まで登ると息が切れるほどだが、境内からのながめはすばらしい。津和野盆地を一望! 目の前には、お椀をふせたような形の青野山(908m)がそびえたっている。

 心に残る津和野の町を後にし、R9で日本海に面した益田へ。そして浜田へ。その途中では荒磯温泉「荒磯館」(入浴料600円)の湯に入る。日本海を目の前にする大浴場と露天風呂はすばらしい。ちょうど日本海の水平線に夕日が沈むところで、海がまっ赤に燃えている。
 浜田到着は19時。浜田道→中国道→名神→東名と高速道を900キロ走りつづけ、14時間後の9時に、神奈川県伊勢原市の自宅に戻った。





バイク・メンテナンス―「いつ・ど... 名倉 早苗, 千葉 博

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