著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
Administrator:ウザワ・K

電子で復刊!
カテゴリー
Amazon
ブログ内検索 by Google
広告も社会の窓。
最近のコメント
RSSフィード
FC2ブログランキング
このブログが面白いと思ったらたまに(あるいは頻繁に!)クリックしてくださいね(ポチっとな)。それで何が起こるのかは僕も知らんけど…。
カソリお役立ちリンク
管理人推奨リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ユーラシア大陸横断(10)クラスノヤルスク→マリンスク

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年7月14日(日)晴夕方雷雨 クラスノヤルスク→マリンスク 380キロ
 7時、朝食。ホテルのレストランでのバイキング。オレンジジュースを飲み、ここぞとばかりにたっぷりとサラダを食べる。ボリューム満点のロシアン・オムレツがうまかった。黒パンにソーセージもよく合うとりあわせ。

 8時、出発。エニセイ川からは川霧が立ち上っている。
 クラスノヤルスクからはM53でさらに西へ。ゆるやかな峠を越える。この峠がエニセイ川とオビ川の水系を分けている。

 昼食は草原で。パンとサディーンの缶詰。ブヨにやられる。
 昼食後の昼寝のあと出発。オビ川の水系に入ったところで、川沿いで小休止。そこでは地元の若者たちが川遊びをしていた。そんな若者たちとの交流会。

 宿泊地のマリンスクに到着したのは16時。ホテルの部屋でシャワーを浴びると、町に出る。そのころから急に黒雲が空を覆い、やがて稲妻が光り、バサーッと雨が降ってくる。あわててホテル前まで戻り、カフェに飛び込みビールを飲む。豪雨だ。空が抜けるかのような雨の降り方。
 やはり雨に濡れた女性がカフェにやってきた。思わずみとれてしまうような美人。シベリアにはほんとうに美人が多い。彼女はコーヒーを飲みながら雨宿り。雨が小降りになると出ていった。

 ホテルのレストランでの夕食。メインディッシュはマッシュポテトとキューリ、トマトの添えられたカツレツ。

川遊びをしていたシベリアの若者たちとの交流
川遊びをしていたシベリアの若者たちとの交流(以下、同)

川遊び02

川遊び03

川遊び04

川遊び05

川遊び06
スポンサーサイト

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

ユーラシア大陸横断(9)タイシェット→クラスノヤルスク

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年7月13日(土)晴午後雷雨 タイシェット→クラスノヤルスク 409キロ
 8時、ピロシキ&紅茶の朝食。
 9時、出発。M53でクラスノヤルスクに向かう。
 カンスクで給油。地元の人たちのの給油を見ていると、満タンにすることはほとんどない。5リッターとか10リッター、入れている。それもオクタン価80ぐらいのガソリンを入れる。

 草原でのピクニッックランチ。パン&サディーンの缶詰、それとトマト&キューリ。
 タイシェットから400キロ余りを走ってクラスノヤルスクに着いたのは17時30分。クラスノヤルスクは人口100万人を超える大都市。高層の「クラスノヤルスクホテル」に泊まる。ホテル前の広場には噴水。市民の憩いの場になっている。コカコーラとペプシコーラの大きな看板。シアターもある。若い女性たちはスケスケルック。下着が透けて見える。というよりも誇示しているかのよう。

 夕食はホテル近くのレストラン。ライス、サーモン、ハム、ソーセージの夕食。デザートはケーキ。飲み物は紅茶。ロシアでは紅茶がよく飲まれる。
 夕食後、エニセイ川の川沿いの道を歩く。
 北極海に流れ出るシベリアの大河、エニセイ川は全長4130キロ。クラスノヤルクは北極海から3000キロ近くの内陸なのに、エニセイ川の川幅は1キロ以上もある。堂々とした大河の風格だ。
 大河というのは夢をかきたてるもの。またいつの日か、シベリアにやってきて、エニセイ川の川船を乗り継いで、シベリアの奥地まで旅してみたい、と「シベリア大河紀行」への想いを馳せた。

1764、シベリアの町。柵内のジャガイモ畑には白い花が咲いている
シベリアの町。柵内のジャガイモ畑には白い花が咲いている

1766、シベリアの原野は花の季節
シベリアの原野は花の季節

1767、国道を離れてのダートラン
国道を離れてのダートラン

1765、クラスノヤルスクの町並み
クラスノヤルスクの町並み

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

ユーラシア大陸横断(8)サヤンスク→タイシェット 

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年7月12日(金)曇のち晴 サヤンスク→タイシェット 408キロ
 8時朝食。ポリッジを食べる。
 9時出発。
 サヤンスクから62キロ地点のクィトゥンという町を過ぎるとダートに入る。M53のダートなので、道幅は広い。バスや大型トラック、乗用車が猛烈な土ぼこりを巻き上げて走る。そんなダート区間が何区間かあった。ダートの合計は約80キロ。
 昼食は草原で。シートを広げ、カップヌードルとパン&イワシの缶詰。
 M53はシベリア鉄道に沿っている。シベリア鉄道の駅前で小休止。そこで6輪駆動のバスを見る。

 タイシェットに到着したのは18時。
 シベリア鉄道タイシェット駅の駅前ホテルに泊まる。ピルメニ(水餃子)とオリーブ入りサラダの夕食のあと、タイシェット駅に行く。
 ちょうどモスクワ発北京行きの12両編成の列車が到着した。ウランウデからモンゴルのウランバートルを経由して北京まで行く列車。最後尾の1両はハルビン行きだった。この車両はチタから中国国境のマンチューリを経由してハルビンまで行く。そんな列車を見ると、無性に乗ってみたくなった。

 ホテルに戻ると、カフェでビールを飲む。ターニャとイラ、2人のロシア人女性と一緒になった。ぼくはターニャにすっかり気に入られたようで、手をつかまれ、スピーカーから流れてくる音楽に合わせて彼女と踊った。
 夜がふけてきたところで、ターニャに「ドスビダーニア(さよなら)」といって部屋に戻ろうとした。するとターニャは「まだ、帰っちゃダメよ」といって、ぼくをギュッと抱きしめる。豊満な胸をゴリゴリッと押しつけてくる。そして「ブチュッ」という感じでキスするのだ。まわりのギャラリーはやんやの喝采。
 名残おしかったが、そんなターニャと別れて部屋に戻った。すると今度は蚊の猛攻。
 タイシェットの夜は、まさに天国と地獄。

1747、朝食のポリッジ
朝食のポリッジ

1748、M53のダート区間
M53のダート区間

1752、夕食のピルメニ
夕食のピルメニ

1754、タイシェット駅
タイシェット駅

1756、モスクワ発北京行きの列車
モスクワ発北京行きの列車

1757、タイシェット駅前の蒸気機関車
タイシェット駅前の蒸気機関車



管理人コメント:
さっさと挿さないから刺されるんですよ。。。おっと!(撤収!)

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

ユーラシア大陸横断(7)イルクーツク→サヤンスク

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年7月11日(木)曇のち晴 イルクーツク→サヤンスク 292キロ
 9時、朝食。黒パン&ブリニー(クレープ)、サラダ、マンティー(中国語のマントーからきている。中国の包子風)。
 午前中は東シベリアの中心都市、イルクーツクを歩く。
 アンガラ川の流れ。オベリスク。郷土資料博物館を見学。肌寒い。
 ライス&肉料理、スープの昼食を食べ、13時、出発。

 M53(国道53号)を西へ。このM53はクラスノヤルスクからノボシビルスクまでつづいている。
 ルートナンバーだが、ウラジオストックからハバロフスクまではM60、チタからイルクーツクまではM55、イルクーツクからノボシビルスクまではM53、ノボシビルスクからチェラビンスクまではM51になる。

 イルクーツクから300キロほど走ったサヤンスクで泊まったが、この町の「エルマークホテル」はよかった。ヨーロッパのリゾートホテル風。シベリアにもこのようなホテルがあるのだ。
 パン(白、黒)、肉&ジャガイモ、マス料理、サラダ、デザートのスモモという夕食の後、町をプラプラ歩いた。高層の団地。ホテルに戻ると、ベッドにゴロンと横になり、シベリアの地図を見る。ぼくにとっては、これが何よりもの至福の時なのだ。

1736、イルクーツクの中心街
イルクーツクの中心街

1732、イルクーツクの発電所
イルクーツクの発電所

1734、イルクーツクで出会ったカップル
イルクーツクで出会ったカップル

1735、イルクーツクを流れるアンガラ川
イルクーツクを流れるアンガラ川

1738、昼食のライス&肉料理
昼食のライス&肉料理

1739、イルクーツクから西へ。M53を行く
イルクーツクから西へ。M53を行く

1741、クラスノヤルスクへの道標
クラスノヤルスクへの道標

1742、サヤンスクの「エルマークホテル」
サヤンスクの「エルマークホテル」

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

ユーラシア大陸横断(6):ウランウデ→イルクーツク 

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年7月10日(水) 晴 ウランウデ→イルクーツク 465キロ
 8時、朝食。パン&ブリニー(クレープ)、目玉焼き。レストランのウエイトレス、ロシア系ナターシャとモンゴル系ターニャはともに美人。2人と仲良くなる。9時、出発。ガソリンスタンドではサハリンからやってきた車と出会う。父と子。少年サーシャとはカタコトのロシア語で話す。サーシャは我々のバイクを目を輝かせて見ていた。

 ウランウデから150キロ、バイカル湖が見えてくる。海とまったく変らない大きさ。見渡す限りの水平線。波が押し寄せてくる。ここで「大湖浴」。湖水は思ったほど冷たくはない。湖岸をシベリア鉄道の列車が通り過ぎていく。
 昼食はインスタントラーメン。

バイカル湖南岸のガソリンスタンドで給油。ゆるやかな山並み。
 イルクーツクに近づくにつれて暑くなる。
 18時、イルクーツクに到着。郊外のホテルに泊まった。バイクはアンガラ川河畔の有料駐車場。夕食はライス、肉団子、ソーセージ、チブリャック。

1725、バイカル湖の湖岸に立つ!
バイカル湖の湖岸に立つ!

1726、バイカル湖南岸のガソリンスタンド
バイカル湖南岸のガソリンスタンド

1729、バイカル湖を見下ろす
バイカル湖を見下ろす

1731、イルクーツクに到着
イルクーツクに到着

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

秘湯めぐりの峠越え(19):鳥居峠(群馬・長野)

 (『アウトライダー』1995年5月号 所収)

R144沿いの温泉めぐり
 長野原からは、R145で群馬・長野県境の鳥居峠に向かう。
 羽根尾の交差点(ここはR144、145、146の3本の国道の起点になっている)からは、R144になる。
 いよいよ北関東温泉三昧の最後の行程。信州街道のR144沿いの温泉を総ナメにするのだ。

 第1湯目は半出来温泉「登喜和荘」(入浴料300円)の湯。半出来などというと未完成の温泉をイメージしてしまうが、半出来という集落にあるので半出来温泉。ここでは木の湯船の内風呂と露天風呂に入ったが、源泉の湯温は43度とジャスト適温なのだ。

 第2湯目は平治温泉(入浴料200円)。国道から2、30メートル入ったところにあって、ちょっとみつけづらいが、湯はいい。
 ここでは毎夕、長野原から車を走らせてやってくるという年配の人と一緒に湯につかった。その人は平治温泉の効能を強調する。
「この湯に入るようになってからというもの、それまでさんざん悩まされていた神経痛がウソのように治った。体の調子もすっかり良くなったね」
 その人の話によると、このあたりの大地主、黒岩平治さんの土地から湧き出た温泉なので「平治温泉」なのだという。

 第3湯目は、JR吾妻線の終点、大前の駅前にある嬬恋温泉「つまごい館」(入浴料400円)。湯量の豊富な温泉だ。ここは我がなつかしの温泉。
 吾妻線の長野原~大前が開通したのは1971年のことで、その直後に大前にやってきた。そのころは宿もなく、ホームの目と鼻の先に、木枠で囲った無料湯の露天風呂があるだけだった。学校帰りの小学生がランドセルを湯船のわきにおいて、遊び気分で湯に入っていた。そんな子供たちと一緒に入ったのが、ぼくにとっての嬬恋温泉。出発を待つ列車を目の前で眺めながら入る湯だった。

鳥居峠越え
 これら3湯の温泉に入ったところで、大笹を通る。大笹の集落を抜け出るあたりの吾妻川の河畔には、信州街道(上田街道)の大笹関があった。当時は吾妻川には、はね橋がかかっていたとのことで、いったん事が起きると橋を切り落とし、交通を途絶させたという。現在は復元された関所の門がこの地にある。また、R144の吾妻川にかかる橋は“御関所橋”になっている。
 第4湯目は、つつじの湯温泉(入浴料1000円)で、大浴場と露天風呂に入ったが、ここには乗馬コースやアスレチック場もある。

 中央分水嶺の峠、標高1362メートルの鳥居峠に到達。峠を越えて群馬県から長野県に入った。
 峠の茶屋で信州そばを食べ、峠を下っていった。
 峠下の渋沢温泉(入浴料800円)に入り、真田氏発祥の地の真田を通り、上田に到着。北関東温泉三昧第2弾の「沼田→上田」は全行程が155キロだった。

 上田では上田城址を歩く。
 上田城は真田昌幸の手により、天正13年(1585)に完成した城だ。江戸時代になると、上田城主は真田氏から仙石氏、松平氏と変わっていったが、その影は薄い。上田といえば、やはり“六文銭”の真田氏なのである。
 上田からは、R18→R17と、国道を走りつないで東京に戻った。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

秘湯めぐりの峠越え(18):暮坂峠編

 (『アウトライダー』1995年5月号 所収)

四万温泉の「御夢想之湯」
 R145とR353が合流する中之条に着いたときには、すでに夕暮れが迫っていた。 今晩の宿を暮坂峠下の沢渡温泉にしようと決め、ぼくの温泉ツーリングの必需品『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)のページをめくり、沢渡温泉の何軒かの宿に電話を入れた。その結果、「宮田屋旅館」で泊めてもらえることになった。遅い時間の到着にもかかわらず、夕食も用意してくれるという。

 宿が決まり、食事にもありつけることになり、ほっとした気分で、R353の行き止まり地点にある四万温泉まで行く。
 上州でも有数の大温泉地の四万温泉は、四万川の渓流沿いにある温泉口、山口、新湯、日向見の4つの温泉地からなっている。

 温泉口から日向見までは4キロほどの距離がある。
 最奥の日向見温泉には、無料の共同浴場があるとのことで、行ってみる。
 薬師堂に隣あった「御夢想之湯」という趣のある名前の共同浴場だ。ところが入浴時間は午前10時から午後4時まで。残念ながらすでに閉まっている。そこで、共同浴場に一番近い温泉旅館の「中生館」に行き、宿での入浴を頼むと、なんと、「御夢想之湯」の鍵を貸してくれたのだ。
 ぼくの、なんとしても四万温泉の湯に入りたいという熱意が通じたのかもしれない。ともかく、そのおかげで、「御夢想之湯」に入ることができたのだ。

「御夢想之湯」は、名前どおりの温泉情緒にあふれる湯だった。
 木の湯船、木の洗い場。木の香がそこはかとなく漂ってくる。一人、湯につかっていると、まさに夢想の世界で遊ぶことができた。
「御夢想之湯」は、無料の共同浴場とはいったが、そこには“善意の箱”が置いてある。100円玉を入れようか、500円玉を入れようか迷ったが、「中生館」のやさしそうな若奥さんの顔が浮かび、500円玉を入れた。
「中生館」の若奥さんにはよ~くお礼をいって共同浴場の鍵を返し、身も心もほかほかの、あったかな気分で夜道を走り、7時半、沢渡温泉に到着した。
 
沢渡温泉「宮田屋旅館」
 沢渡温泉は開湯800年の歴史を誇る温泉だ。
 すぐさま「宮田屋旅館」に行った。遅い時間の到着にもかかわらず、宿のおかみさんはすこしもいやな顔もしないで、快く迎えてくれた。それが何ともうれしい!

 ちょっとだけ時間をもらい、食事の前にパッと温泉に入る。木の香がプーンと漂う湯船に身をひたし、1日の走りの疲れを癒した。
 湯から上がると、夕餉の膳が部屋に運ばれてくる。ヤマメの塩焼きやゼンマイの煮物、コンニャクの刺し身、キジ鍋など、ふんだんに山里の味覚が盛りこまれた食事だった。

暮坂峠越え
 翌朝は5時、起床。ゆっくりと朝風呂に入り、早めの朝食を頼み、7時半に沢渡温泉を出発する。
 県道中之条草津線で暮坂峠を越える。
 標高1086メートルの暮坂峠には、双体の道祖神と地蔵がまつられている。
 さらに、漂白の歌人、若山牧水の像と歌碑が建っている。歌碑は「枯野の旅」だ。

  乾きたる
  落葉のなかに栗の実を
  湿りたる
  朽葉がしたに栃の実を
  とりどりに
  拾うこともなく拾いもちて
  今日の山路を越えて来ぬ

  長かりしけふの山路
  楽しかりしけふの山路
  残りたる紅葉は照りて
  餌に餓うる鷹もぞ啼きし
  上野の草津の湯より
  沢渡の湯に越ゆる路
  名も寂し暮坂峠

 若山牧水が暮坂峠を越えたのは、大正11年10月のこと。
 草津温泉から六合村の小雨を経て沢渡温泉に向かったが、途中、花敷温泉でひと晩泊まり、翌日、暮坂峠を越えた。
 この暮坂峠は、古くからの、上州と信州を結ぶ街道の峠。それは沼田から中山峠を越えて中之条に出、沢渡温泉から暮坂峠を越えて草津温泉へ、さらに渋峠を越えて信州に通じる街道だった。

 暮坂峠を越え、中之条町から六合村に入る。
 峠を下っていくと、正面には雪化粧した白根山が見えてくる。峠下の集落、暮坂を通り、六合村の中心、小雨へ。そこからR292で長野原に出た。JR吾妻線の長野原草津口駅前の自販機で買ったカンコーヒーを飲み、ホッとひと息つくのだった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

秘湯めぐりの峠越え(17) 中山峠編

(『アウトライダー』1996年6月号 所収)

3つの名前を持つ中山峠
「日光→沼田」の北関東温泉三昧・第1弾にひきつづいての第2弾は、「沼田→上田」。中山峠、暮坂峠、鳥居峠という3峠をこえながら、その間の温泉に入りまくろうというものだ。
 出発点の沼田は、利根川の河岸段丘上の町で、沼田盆地の中心地になっている。城跡の沼田公園に行くと、戦国大名の真田氏の家紋“六文銭”の旗がたなびいている。

 沼田城は天文元年(1532)に沼田氏12代目の沼田顕泰が築城したとのことだが、天正8年(1580)に信州上田の真田正幸が入り、沼田を支配し、5層の天守閣を築いた。天守閣があった天守台には、“御殿桜”と呼ばれる樹齢400年以上の桜の古木が、枝を大きく広げている。その下に立ち、花の季節の見事さを想像してみるのだった。

 北関東温泉三昧第2弾は、この“六文銭”の旗を追っていくようなものだが、真田氏の足跡を逆にたどって中山峠、暮坂峠、鳥居峠を越え、信州の上田を目指すのだ。
 さあ、出発だ。スズキDJEBEL200のエンジンをかけ、走り出す。

 沼田の市街地を離れ、利根川を渡り、R145を行く。まずは中山峠を越えて、中之条を目指す。
 じきに中山峠にさしかかる。沼田市と高山村の境の峠だ。
 峠には“権現峠・標高740m”と書かれた木標が立っている。中山峠は権現峠ともいわれる。このように峠に2つの名前がついているのは珍しいことではない。ところがこの中山峠には、さらに、もうひとつの名前がある。今井峠といわれることもあるのだ。3つの名前を持つ峠というのは、そうそうあるものではない。

 ちなみに中山というのは、高山村側の地名で、今井は沼田市側の地名、権現は峠近くの地名ということになる。沼田側の人たちにとってみたら、高山村の中山に通じる峠なので中山峠だが、高山側の人たちにとっては、沼田市の今井に通じる峠なので今井峠になる。中山峠が今井峠よりも一般的なのは、沼田と高山の力関係といえる。

 ところで、この中山峠は、ぼくにとっては忘れられない峠なのだ。
 10年以上も前に、そのときもやはり沼田から中山峠を越えようとしたのだが、真冬の峠越えで、峠道にさしかかると、カチンカチンに凍りついたアイスバーンに行く手をはばまれた。あとわずかで峠というところまで登ったが、後輪がツルツル滑って空転し、ついに峠越えを断念。沼田までもどったのだ。雪や氷のない季節だったら、難なく越えられる峠なのだが‥‥。

 それ以降、中山峠を越えることはなかった。というのは、東京から中之条や長野原方面に行く場合、渋川からR353で中之条に出るのがふつうのルートで、わざわざ沼田まで行ってR145を走り、中山峠を越えることはないからだ。
 中山峠を越え、中之条に下っていくときは、10何年ぶりかで、胸のつかえがとれたような気がした。

 中山峠を下りはじめたところには、“大理石村”がある。素通りしてしまったが、石のテーマパークで、ここには160年前に建てられたというスコットランドの古城「ロックハート城」が移築されているという。

 中山峠の峠下が三国街道の中山宿。ここには新田本陣が残っているが、中山峠を越える街道と三国街道が、この地で交差している。
 高山村から中之条への途中では、高山温泉「いぶきの湯」(入浴料300円)、大塚温泉「金井旅館」(入浴料200円)、新中之条温泉「観音の湯」(入浴料300円)と、3湯の温泉に連チャンで入った。

 そのうち、大塚温泉はちょっとわかりずらいところにある一軒宿の温泉だが、湯量はきわめて豊富。温めの湯で、長湯できる。混浴で、常連のオバチャンと“湯の中談義”をした。豊富な湯を使って、養魚池ではテラピアを養殖している。泊まり客にはテラピア料理が出るという。今度は、テラピア料理でも食べがてら、泊まりで来るとしよう。

 この大塚温泉の歴史は古く、250年も前から、地元の人たちの共同浴場として使われてきた。開湯はさらに古く、鎌倉時代にまでさかのぼるという。
 そんな大塚温泉の湯から上がると、中之条へと向かっていった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「オーストラリア2周」後編:第6回 ケアンズ→シドニー

※全行程10647キロ(ダート2本2447キロ)


 ガルフ(カーペンタリア湾)横断を走破してたどり着いた太平洋岸のケアンズでは、DJEBEL250XCのタイヤ、チェーン、スプロケットを交換し、準備万端整えたところで出発だ。
さー、北へ。目指せ、ケープヨーク!

 我らオフロードライダにとって、大陸最北端のケープヨークは、まさに聖地なのだ。そこまでの1000キロあまりのロングダートは川渡りあり、深い砂道あり、えぐれたギャップあり‥‥で、胸がドキドキハラハラの“聖地巡礼”の世界。
“豪州の熱風カソリ”、北へ! 荒野へ!!

ケープヨーク半島へ
 ケアンズを出て、海沿いの道を行くと、サトウキビ畑が延々とつづく。最後の町モスマンでスズキDJEBELの17リッタータンクを満タンにし、ケープヨーク半島へと入っていく。
 フェリーでデイントリー川を渡り、トリブレーション岬を過ぎると、待望のダートルートになる。ダートの両側には熱帯雨林の樹木がおい茂っている。昼なお暗いジャングルの世界。アップ&ダウンの連続で、急勾配の登りではギアをローまで落とすこともあった。

 拳大の石がゴロゴロしているセクションやツルツルヌタヌタのセクション、けっこう深い川渡りと難所がつづく。まだ雨期に入ってまもない時期なので走れるが、これで本格的な雨期になったら、もうお手上げだ。きついダートは40キロほどつづいた。
 ケアンズから250キロ走り、クックタウンの町に到着。そのうち、ダートは105キロ。ここまでは、「ケープヨーク往復」のちょうどいい肩ならしといったところだ。夕暮れの珊瑚海を見渡す「シービュー・モーテル」で泊まる。夕焼けにまっ赤に染まった海がきれいだった。

 翌朝は5時半起床。シャワーを浴び、パン&チーズ、紅茶の朝食をすばやく食べ、6時に出発。緊張の一瞬。いよいよ「ケープヨーク往復」の本番だ。
 クックタウンの町から12キロ、舗装路を走った地点でダートになるが、ここを過ぎると、あとはケープヨークまで際限のないダートがつづく。
 ダートに入った初っぱなで、蜂にやられた。クソーッ! 首を刺された。痛テテテーッ。あっというまに首がパンパンに腫れ上がり、肩まで腫れてきた。まずはケープヨーク走破のきつーい洗礼を一発、受けた。

 クックタウンから38キロ地点の分岐を左へ、ローラへ。交通量はほとんどない。赤土の道。カンガルーが飛び出してくる。川渡りや山越えが連続する。ところどころ岩盤が露出して、バンバン跳ねながら走る。ダダダダダッと激しく振動しながら走るきついコルゲーションの区間もある。いったんケープヨーク半島縦断のメインルートに出、クックタウンから140キロのローラへ。ここで早めの昼食にした。まずは第1ステージ突破といったところだ。

やったぜ大陸最北端!
 ローラからは、レイクフィールドナショナルパーク内の道を行く。野鳥の宝庫。木陰にDJEBELを止め、昼寝したが、ギャオーギャオオオーと鳴く熱帯の鳥におこされた。
 平原には無数のアリ塚。雨にやられてズボズボヌタヌタのセクション、深い轍のできたセクション、砂深いセクションなどを走り抜き、ローラから200キロ、メインルートのマスグレイブに出た。第2ステージの突破だ。

 マスグレイブからメインルートを北へ。3連のロードトレインとすれ違うときは、猛烈な土煙りを浴びせられる。追い抜きが大変だ。この土煙りの中を走り、じっとチャンスをうかがい、登りでガクッと速度を落としたときにロードトレインを追い抜くのだ。ジェットコースターのようなアップ&ダウンが連続するセクションもあった。

 マスグレイブから106キロ走りコーエンに到着。ここで日暮れ。ナイトランでさらに北に70キロ走り、アーチャーリバーに到着。ロードハウスのレストランでブ厚いラムステーキを食べ、キャラバンパークで泊まったが、これでケープヨークへの第3ステージを突破した。

 翌朝6時、アーチャーリバーを出発。ここから50キロ行った地点で、カーペンタリア湾のウエイパに通じるメインルートのペニンスラー・ディベロップメンタルロードと分かれ、ケープヨークに通じるテレグラフ・ロードに入っていく。
「頼むゾ、DJEBELよ。さー、目指せ、ケープヨーク!」

 雨期の悪路を突破して、何本もの川を渡っていけるのかどうか、はたしてケープヨークにたどり着けるかどうか、命を張った賭をしているような気分なのだ。途中でトラブッたら、誰にも助けてもらえない。雨期の道をケープヨークまで行く車はほとんどないからだ。

 メインルートとの分岐点から75キロで、ウエンロック川にさしかかる。ケープヨークまでの間では、ジャーディン川に次ぐ大きな川だ。まず、歩いて川を渡る膝上ぐらいの水位だ。けっこう流れが速い。バイクで走れそうなラインをみきわめ、対岸に渡ったところにザックを置き、今度は空身でDJEBELに乗る。転倒だけを気をつけて川を渡った。

 ウエンロック川から42キロ行ったところが、テレグラフ・ロードの旧道と新道の分岐。旧道に入っていく。道幅が狭くなり、何本もの川を渡る。砂深いところもある。旧道を70キロ走ると新道と合流。ホッとする間もなく、そこから10キロ走るとふたたび分岐。ここでも旧道に入っていく。

 分岐点から10キロ行ったところでエリオット滝を見る。日本の吹割滝に似ている。この間の旧道でも、ひんぱんに川渡りをする。不注意に川に突っ込み、あやうく水没しそうになったこともある。ジャーディン川の岸までの道は深い白砂。暑さが厳しい。砂道との戦いで水を飲みつくし、ヒイヒイいいながら川岸に出た。だが、とてもではないが、1人で渡り切れるような川ではない。残念無念‥‥。来た道を戻り、新道に出、30ドル(往復の運賃)を払ってフェリーに乗り、対岸に渡った。

 アーチャーリバーから375キロでバガマの町に到着。ケープヨークまでは、あと30キロほどだ。ここで給油。冷たいコカコーラをガブ飲みし、生き返ったところで、海辺のキャラバンパークに泊まる。
 翌日、ケープヨークへ。熱帯雨林の中の、赤土の道を行く。駐車場にDJEBELを止め、森の中を歩くと、突然、海に出た。目の前がオーストラリア最北端のケープヨーク。岬への道を歩き、ついに珊瑚海とアラフラ海を分けるケープヨークに立った! まさに感動の瞬間だ。

恐怖のナイトラン
 ケープヨークからケアンズに戻ると、「オーストラリア一周」のゴールのシドニーを目指す。その途中でもう一度、広大な内陸、アウトバックの世界に入っていった。
 ヒューエンデンの町に通じるケネディー・デベロップメンタルロードが最後のダートになったが、ここでは夕日が地平線に沈んでから2時間ほどの間に、なんと17回ものカンガルーの飛び込みがあった。

 一番強烈だったのは、右から2頭、左から1頭のカンガルーが同時に、DJEBELのヘッドライトをめがけて飛び込んできたときだ。3頭のカンガルーは交差してジャンプしたが、そのうちの1頭は信じられないことに、真上にジャンプした。
「ヤッター!」
 と、まさに心臓が凍りつくような思いをしたが、からくも体を伏せてその下を走り抜けた。

 今回の「オーストラリア2周7万2000キロ」では、3分の1の2万キロ以上がナイトランだったので、カンガルーとの遭遇は100回を超えた。コーナーを曲がったところで走行車線上にチョコンと座っていたカンガルー、フェイントをかけ、時間差で飛び込んできたカンガルー、Uターンしたカンガルー‥‥と、何度も命の縮むような目にあったが、さすがに“強運(悪運?)カソリ”、一度もカンガルーにはクラッシュしなかった。神に感謝しよう。

 シドニーに到着して、いったん、ダート編の「オーストラリア一周」を成しとげたあと、さらにエクストラ・ステージだ、とアデレードからメルボルンへともう4000キロ走り、シドニーに再度、戻ってきた。
 全行程3万6110キロの「オーストラリア2周」後編だった。(了)

■コラム■
ケープヨーク
 オーストラリアの大陸最北端の地、ケープヨーク(ヨーク岬)は、ケープヨーク・ペニンスラ(ヨーク岬半島)の突端で南緯10度45分。現地の道標では、アボリジニの言葉でケープヨークを意味する“バジンカ”になっている。英語では“ザ・TOP”。
 まさに大陸のてっぺんなのである。

 このケープヨークには、ケアンズの町から往復したが、往路と復路ではできるだけルートを違えた。全行程2500キロで、そのうちダートが2049キロだった。それを5日間で走った。最高におもしろいダートラン!

 ケープヨーク近くの中心となる町はバガマで、ここにはガソリンスタンドとスーパーマーケットがある。ケープヨークはこの町から30キロほどだ。
 バガマから舗装路を北に7キロいくと海辺のセルシアに着くが、そこにはキャラバンパークと併設のミニショップ、レストランがある。セルシアで眺めるアラフラ海に落ちていく夕日は見事だった。


※この項終了

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「オーストラリア2周」後編:第5回 アリススプリングス→ケアンズ

※全行程4350キロ(ダート5本1603キロ)
 (『バックオフ』1997年7月号 所収)

 大陸中央部のアリススプリングスからトップエンドのダーウィンまで1500キロ、その間は、一気走りに挑戦だ!
「オーストラリア一周」前編の「ロード編」では、アデレード→アリススプリングス1557キロを20時間50分で走った。今回はそれにひきつづいての“大陸縦断一気走り”の第2弾目ということになる。
 アリススプリングス→ダーウィンの1500キロを、20時間を切って走りたいのだ。
「さー、行くゼー!」

大陸縦断一気走りに出発!
 アリススプリングスの中心街にあるモーテルで2、3時間寝たあと、午前0時を期して、ダーウィンまでの一気走りに出発だ。
“豪州の熱風カソリ”、やる気満々なのである。ダーウィンまでの1500キロをなんとしても20時間を切って走りたい!
 DJEBEL250XCのセル一発でエンジンをかける。エンジン音が寝静まった街に響きわたる。緊張する。胸がドキドキしてくる。はたして、うまくいくかどうか‥‥。

 大陸縦断の、R87のスチュワートハイウエーを北へと走り出す。市街地を抜け出ると、もう灯ひとつ見えない。満天の星空のもとをただひたすらに走る。最初のうちは気が張っているのでよかったが、すぐに強烈な睡魔に襲われ、眠くてどうしようもない。仕方なく町から30キロほどの南回帰線のモニュメントで止まり仮眠する。15分くらいのつもりが、なんと45分も寝てしまった。だが、そのあとは心身ともにすっきりし、100キロごとに小休止した。

 5時30分、なんともうれしい夜明け。長い長い夜がついに終わった。
 6時10分、日の出。雲ひとつない東の空に大きな朝日が昇る。デビルマーブルで小休止。
 7時30分、アリススプリングスから506キロのテナントクリーク着。その先、R87とR66の分岐点、スリウェーズのロードハウスで朝食。
 9時を過ぎると急速に暑くなる。エンジンへの負担を考え、速度を10キロ落とし90キロ前後で走行する。猛烈な暑さ&睡魔との戦いの連続。

 13時、823キロ地点のR87とR1の分岐点着。ロードハウスのハイウエーインで昼食。スチュワートハイウエーはここからR1になる。
 16時30分、1086キロ地点のマタランカ着。暑さは依然、厳しい。
 17時40分、1185キロ地点のキャサリン着。18時40分、日の入り。19時20分、日が暮れる。ナイトランになってもまだ暑い。そして21時50分、ダーウィンに到着。アリススプリングスから1502キロだった。

雨期のガルフ横断
 ダーウィンからはカーペンタリア湾周遊(ガルフ横断)ルートで南太平洋岸のケアンズに向かうのだが、このカーペンタリア湾というのは『恐るべき空白』のバーク探検隊が目指したアラフラ海最大の湾で、西はアーネムランド、東はケープヨークのヨーク半島でもって限られ、湾口のはるか北にニューギニア島が横たわっている。東西700キロ、南北800キロという日本の湾とは桁違いの大きさなのである。このカーペンタリア湾岸地方には、ほとんど人は住んでいない。

 ダーウィンからカカドゥー・ナショナルパーク経由でキャサリンに戻り、バックパッカーズの「クックバラ・ロッジ」で泊まった。
 翌日は、その南100キロのマタランカに行き、マタランカ温泉の湯につかる。ここでは日本出発の前に「豪州軍団」のナース上原がプレゼントしてくれた手拭いを使った。

 マタランカでR1と分かれ、カーペンタリア周遊(ガルフ横断)ルートのロッパーハイウエーに入っていく。R1から135キロ地点で舗装が切れ、ダートに変わる。きついコルゲーション。日が暮れる。ダートナイトラン。44キロのダートを走り夜の8時前にロッパーバーに着いた。
 こにはポツンと1軒、ストアがある。パンとチキンを買い、その裏のモーテルに泊まる。シャワーを浴びてさっぱりしたところで、ベジパンにチキンの夕食。ベジパンというのは、パンにオーストラリア特有のペーストのベジマイトを塗ったものだ。

 翌朝9時、ロッパーバーのストアがオープンするのと同時に給油し、0・5リッターのミネラルウォーター2本とリンゴ&オレンジを買い、全線ダートのガルフトラックに入っていく。コルゲーションはそれほどきつくもなく、砂も石も少ないので走りやすかったが、この地方はすでに雨期に入り、路面の水溜まりが連続している。うっかりと大きな水溜まりに突っ込むと、グチャグチャの泥にはまり込み抜け出せなくなってしまうので、慎重にひとつづつ避けて走った。

 ロッパーバーから302キロ地点のT字路を左へ、アボリジニの町ボロルーラに向かう。さらにダートを50キロ走ると、R1のカーペンタリアハイウエーの舗装路に出る。ロッパーバーからここまで、ガルフトラックは353キロのダートコース。ほとんど交通量がないので、自分だけの世界をひたすらに走るようなものである。

 ボロルーラに着くと、町の中心にあるスーパーマーケットでパックになったビーフの弁当を買い、コーラを飲みながら食べる。この町のアボリジニは活き活きとしている。
 ボロルーラからクイーンズランドとの州境までは、全線ダートのウォロゴラングロード。途中、ロビンソン川など何本かの川を渡るが、雨期なのでかなりの水量。ダートナイトラン。十四夜の月がまぶしいほどだ。

 20時30分、ウォロゴラングに到着。荒野の中にポツンと1軒、ロードハウスがある。まずキューッと冷えたVBのカンビールを飲み、ひと息ついたところでステーキハンバーガーの夕食を食べ、キャラバンパークに泊まる。ぼくのほかには誰もいない。雨期のガルフ横断ルートに入ってくるようなモノ好きは、そうはいないのだ。

 その夜は地獄の苦しみを味わう。
 草の上にシュラフを敷き、眠ったが、メタメタに蚊にやられた。クソーッ。顔がデコボコになる。蚊の猛攻から逃げるように、シュラフの中にもぐり込むと、今度は汗がドクドク流れ出る。苦しくなってシュラフから顔を出すと、また蚊の猛攻だ。
 翌朝は夜明けとともに起き、シャワーを浴び、シュラフの上に座ってベジパンの朝食を食べる。すると、ワーッと蠅が群がってくる。目、鼻、耳、口と、ところかまわず入ってくる。蚊&蠅のダブルパンチ。雨期のガルフ横断はきつい‥‥。

東に満月、西に夕日
 ノーザンテリトリーからクイーンズランド州に入る。道はダートのままだが、路面の状態は悪く、きついコルゲーションがつづく。この道には名前がついていないがヘルゲート(地獄門)のロードハウスを通るので、ヘルゲートロードとしておく。
 ヘルゲートのロードハウスでサンドイッチ&コーヒーの朝食。大平原に出ると、道は雨でやられ、深い轍ができている。

 ダート240キロのヘルゲートロードを走り、バークタウンに到着。この“バーク”は『恐るべき空白』の探検家バークに由来している。バークタウンからはダート133キロのバークタウンロードを走り、バーク&ウィルスロードハウスに出たが、この「バーク&ウィルス」も『恐るべき空白』のバーク&ウィルスにちなんでいる。

 カーペンタリア湾岸地方では最大の町ノーマントンに向かう。大平原。夕日が西の地平線に落ちていくと、東の地平線からは満月が昇る。すごい光景だ。DJEBEL250XCに乗りながら“豪州の熱風カソリ”恍惚状態になってしまうのだ。

 ノーマントンのモーテルで1泊し、翌朝、カーペンタリア湾を目の前にするカルンバまで行く。ついに見たゾ! という気分なのだ。ガルフ横断とはいっても、湾まで出られて、海を見られるところはほとんどないからだ。海を望むカフェでコーヒーを飲む。店の老夫婦が犬とたわむれている。時間が止まってしまったかのようなカーペンタリア湾だった。

 ここから全線ダートのバークディベロップメンタルロードに入っていく。チラゴエの町まで540キロ、その間は“給油不可”なのだ。
 いよいよガルフ横断最後の難関。通る車はほとんどない。道は雨にやられ、深い轍が掘れている。ルート沿いには牧場がつづく。頻繁に牛と遭遇。何度もぶつかりそうになり、ヒヤッとする。
 夕方、チラゴエに到着。そこから山越えのルートでケアンズに向かった。

■コラム1■
トップエンド
 ノーザンテリトリーの北部地方はトップエンドと呼ばれているが、それはオーストラリア地図の一番上に位置しているからだ。その言葉には“地の果て”の響きがある。
 トップエンドの中心地のダーウィンでは毎週木曜日にナイトマーケットが開かれている。そこでは、タイ人の店で超激辛サラダのソムタムを食べ、ラオス人の店でライスヌードル(米粉麺)を食べ、ベトナム人の店でパパイアを食べた。トップエンドはアジアに限りなく近い世界なのである。

■コラム2■
アボリジニ
 ダーウィンの海辺の公園で、3人のアボリジニが昼間から酒を飲んでいた。男1人と女2人。たまたま公園を散歩していてその近くを通ったぼくは、彼らに手招きされるままに一緒に飲んだ。驚いたのは、3人とも別々に、ずいぶんと遠くからダーウィンに来ていることだ。
男はシンプソン砂漠のバーズビルからラクダを連れてきた。女は西オーストラリアのワーバートン、もう1人はアリススプリングスからだった。
アボリジニの言葉を教えてもらったりしたが、なかなかこのような、アボリジニと話す機会というのはなかった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「オーストラリア2周」後編:第4回 パース→アリススプリングス

※全行程5178キロ(ダート5本2614キロ)
 (『バックオフ』1997年6月号 所収)

 ナラボー平原横断をなしとげてたどり着いた西オーストラリアの州都パースは、のびやかな都市だ。オーストラリアの未来を感じさせる明るさがある。
 ここではうれしいライダーたちとの出会いが待っていた。我らライダーにとって、旅の途中で出会う仲間ほどうれしいものはないが、なんと、前回の「オーストラリア一周」(ロード編)で出会った“七夕ケアンズ組”の面々と、ここでばったり再会したのだ。

 さて、そんなパースを後にし、1700キロのロングダート、キャニングストックルートに挑戦。ストックというのは、家畜のことで、ストックルートというのは“牛追い道”といったところだ。
「チャレンジ!」
 と、“豪州の熱風カソリ”、DJEBEL250XCに乗りながら何度も、何度も叫び、キャニングストックルート入口の町ウィルナに向かっていた。

“七夕ケアンズ組”と再会!
 パースでは、バックパッカーズの「RBP」に泊まった。ここは日本人ライダーの溜まり場になっている。
 ここでなんと、前回の「オーストラリア一周」(ロード編)で出会った“七夕ケアンズ組”のうち、GOTO姉、ユキちゃん、コースケ、マツバの4人と再会する。
 ここで会ってまたあそこで会ってと、これがオーストラリアのよさ!

“七夕ケアンズ組”というのは、単独でオーストラリアを旅している日本人ライダーたちが、七夕(7月7日)の日にクイーンズランド州のケアンズの町に集まり、オーストラリア最北端のケープヨークを目指したのだが、その総勢18名のメンバーをいう。ぼくは彼らに追いつき、2晩、一緒にキャンプした。
 前回のナラボー平原横断で出会ったタマさんも“七夕ケアンズ組”だったし、ぼくがシンプソン砂漠横断をなしとげることができたのも、DR350でシンプソン砂漠を横断した“七夕ケアンズ組”のノリさんの情報によるところが大きい。

 オーストラリア人にモテモテの美人ライダーのGOTO姉は、セローで5万3000キロを走り、パースがバイクの旅のゴールになったが、
「カソリさんは、一度、日本に帰り東北、北海道と走り、再びオーストラリアにCOME BACK! あーたは一体、いつお休みしているんですか。少しはお家に帰って、奥さんとイチャイチャしときなさい!
 と、ありがたきアドバイスをノートに書いてくれた。

 XT350でまわっているコースケはエミューのイラストつきで、
「若き日に旅せずして、老いて何を語らんや。出逢いは宝!」
 と、ノートにそう書いてくれた。
 その夜は大宴会。プレンティーハイウエーで転倒し、足の骨を折ったマツバ、目をやられ、あわや失明というピンチを乗り越えたユキちゃんとツワモノぞろいの飲み会は、真夜中の午前2時までつづくのだった。

1700キロのダートルートに挑戦!
 パース郊外の「スズキ・ノース」で、DJEBEL250XCのタイヤとチェーン、スプロケットを交換し、R95のグレートノーザンハイウエーを北へ、キャニングストックルート入口の町、ウィルナを目指す。
「いよいよだな!」
 と“豪州の熱風カソリ”気合十分。

 ところでぼくがキャニングストックルートを初めて知ったのは、1973年の「オーストラリア一周」のときで、本気になって走ろうと思ったのは、その10年後のことである。 風間深志さんと1980年にホンダXR200でキリマンジャロに挑戦し、1982年にはスズキDR500で「パリダカールラリー」に参戦した。
 そのあとの“カソリ&風魔コンビ”の第3弾目が、このキャニングストックルートになるはずだった。

 ところが、計画が固まった時点でテレビがからみ、そのせいで、いいようにかきまわされてしまい、結局、ぼくたちのキャニングストックルート計画は、ポシャってしまった。なんとも悔しい話だ。
 ぼくはこの後遺症を今でも強く引きずり、テレビ関係の人間は、絶対に信用しない。
 その後ぼくは、1984年から翌85年にかけて、半年ががりで、「南米一周4万3000キロ」の旅に出た。
 風間さんはといえばバイクでのエベレスト挑戦から、さらには、北極点、南極点踏破という偉業を達成した。

 キャニングストックルートにまつわる出来事を思い返しながら、R95を北へと走り、パースから840キロのメカタラに着く。ここでR95を右折しウィルナロードに入っていく。
 すぐにダートになり、土煙りを巻き上げながら走る。エミューがひんぱんに飛び出してくる。全部で4度合計16羽のエミューが飛び出してきた。そこで、このウィルナロードを“エミュー街道”と名づけた。
 ウィルナが近づくにつれて、緊張感が高まってくる。
「さー、うまくいくかどうか‥‥」
 ぼくの胸は高鳴る。

 というのは“「ハロー、マイフレンド!」(今日は、我が友よ!)作戦”で、キャニングストックルートを走破しようと思っているからだ。
 ウィルナのキャンプ場でキャニングストックルートに入っていく4駆を待ち、彼らに、「ハロー、マイフレンド!」
 と、声を掛けて親しくなり、ガソリンを運んでもらおうという魂胆なのだ。

 R95のメカタラから180キロでウィルナに着く。すぐにキャラバンパークに行く。旅行者の車は1台もない。キャラバンパークは、ガラーンとしていた。
「ヤバイなあ‥‥」
 すぐに、ブリスベーンのAMAのロンからその名前を聞いていたキャラバンパークのおばちゃん、トリッシュ・グッドフレイさんのところに行き話を聞く。すると、キャニングストックルートに入っていく車は、来年の冬になるまで、もう1台も来ないという。キャニングストクルートに4駆が入っていくのは、5月下旬から9月上旬までだという。
「しまった、1ヵ月、遅かったか」
 キャニングストックルートのほぼ中間点を南回帰線が通っているが、この線の北は猛烈な暑さ。10月からら4月までの夏の間は走れないのだ。

「よーし、作戦の変更だ!」
 と、さっそくキャニングストックルートの地図を広げ、“単独行”での挑戦を考える。 ウィルナからホールスクリークまで1724キロある。だがその手前168キロのアボリジニのコミュニティー、ビリルナで給油できるので無給油区間は1556キロになる。先月号のナラボー平原横断では1061キロを無給油で走り、ガソリンを4リッター残したが、そのときはリアバッグの上に5リッターのポリタンを積み、全部で37リッターのガソリンを持った。そのポリタンを20リッターにし、全部で52リッターのガソリンを持つことは可能だ。

 52リッターのガソリンを持ち、シンプソン砂漠横断のときと同じ燃費のリッター25キロで計算すると、自走できるのは1300キロ‥‥。ダメだ‥‥。そこでさらに考え、ついに、名案を思いついたのだ。
 キャニングストックルートのほぼ中間点、ウエル(井戸)23(ルート上には点々と井戸がある)からいったんR95のカプリコン(南回帰線)ロードハウスに出、そこで給油し、またウエル23に戻るという案だ。これだと1200キロ、1200キロの2行程、合計2400キロで走れる。いったんは、このカプリコンロードハウスを使う案で走ろうと決めたのだが、どうしても足が前に出なかった。結局キャニングストックルートを断念。また、次の機会だ‥‥。
 ウィルナからメカタラに戻り、R95を北へ。カプリコンロードハウスのキャラバンパークで泊まり、ダート331キロの、強烈な暑さのマーブルバーロードを走り、インド洋岸の港町ポートヘッドランドに出た。

ロングダートを走り、アリススプリングスへ
 ポートヘッドランドからR1のナイトランで800キロ走り、ダービーの町に着く。このあたりにはボーブに木が多く見られる。ボーブというのは、アフリカのバオバブと同じ木で、世界でもオーストラリア北部のこのあたりと、アフリカのサバンナ地帯で見られるだけだ。
 ダービーからダート592キロのギブリバーロードに入っていく。最初のうちは走りやすいダートで、大きな岩山を越え、キングレオポルド山脈の峠を越える。
 中間点のマウントバーネットのロードハウスを過ぎると、ガクッと道の状態が悪くなる。

 ギブリバーを通過。ここにはステーション(牧場)があるだけで、ほかには何もない。交通量のほとんどない赤土の道をただひたすらに走る。ところどころ、砂が深い。このギブリバーロードでは、何人もの日本人ライダーが転倒し骨折しているが、ブルダストにハンドルをとられての転倒だ。荷物を満載にしているので気をつけて走っても転倒してしまう。
 それと、腹わたがよじれるくらいのコルゲーション(洗濯板道)での猛烈な振動。ダダダダダッと、まるで機関銃でも連射されているかのよなだ。DJEBELがバラバラになってしまうのではないかと、本気で心配してしまう。

 ギブリバーロードの後半戦ではまた、何本もの川渡りをしなくてはならなかった。このあたりは、すでに雨期に入り、川には水が流れていた。深いところで膝ぐらいだった。
 夕暮れ時の雷雨がすさまじい。稲妻が大空を何本も駆けめぐる。ゴロゴロドカーンとすぐ近くに落ちたときは「ヤッター!」と、肝をつぶす。
 そのうちに、たたきつけるような雨が降り出す。川の水量はあっというまに増え、渡るのが怖いくらいの激流に変わる。舗装路に出、カナナラの町に着いたときは心底ホッとした。

 カナナラからは、ダート440キロのダンカンハイウエーを走り、ホールスクリークに向かう。路面は大雨にすっかりやられ、トラックの通った跡は深くえぐれている。
 路面のあちこちには、大きな水溜まりができている。それをひとつづつ避けながら走る。下手してその中に突っ込むと、グチャグチャの泥沼地獄にはまり込み、にっちもさっちもいかずに、抜け出せなくなってしまうのだ。
 北風が強くなる。熱風。あまりの暑さに水を飲みつくしてしまう‥‥。
「水、水、水! 水を飲みたい!」
 と水を連発する。オーストラリアの北部地方の自然は厳しい。

 ホールスクリークに着くと、腹がダッボンダッボンになるくらいに冷たい水をガブ飲みし、ロードハウス
のレストランでTボーンステーキを食べ、ダート897キロのタナミロードでアリススプリングスに向かう。
 R1をダービー方向に15キロ走ったところで左に折れるのだが、タナミロードはその入口からダートだ。
 キャニングストックルートの地図とピッタリ同じ数字の168キロ地点でビリルナとの、T字の分岐点に到着。ここを右に入ればキャニングストックルートなのだが、
「きっと、また、来るからなあー!」
 と、叫んで直進し、タナミロードでアリススプリングスに向かった。

 ホールスクリークから315キロ地点で、西オーストラリアとノーザンテリトリーのボーダー(州境)に到着。一直線のダートルートがズドーンという感じで延びている。ノーザンテリトリーに入ると、路面の状態はすこしよくなった。
 1週間のうち、金曜日から月曜日までの4日間だけ給油できるラビットフラットのロードハウスに着くと、まずは冷たいVBのカンビールをキューッと飲み干し、それからガソリンンを入れてもらうのだった。
 タナミロードのダートから舗装路に変わる地点では、DJEBELを止め、思いっきり「万歳!」を叫び、アリススプリングスに向かった。

■コラム1:南回帰線■
 今回の「オーストラリア2周7万2000キロ」では、8地点で南回帰線を越えたが、この南緯23度26分30秒の緯度線はおおよその、温帯圏と熱帯圏の境になっている。
「アフリカ一周8万5000キロ」のときには、赤道にこだわり、あっちの赤道、こっちの赤道と何地点もの赤道を越えたが、「オーストラリア一周」でも、同じようにして、あちらこちらの南回帰線を越えたのだ。南回帰線というのは「オーストラリア一周」の絶好のポイントになっている。

■コラム2:ロードハウス■
 オーストラリアツーリングで、ロードハウスほどありがたいものはない。そこでは給油し、レストランで食事し、ショップで買い物をし、パブがあれば、冷たいビールを飲むことができる。
ロングダートのギブリバーロードでは、途中に1ヵ所、マウントバーネットにロードハウスがあるが、猛烈な暑さの中を走ってきたので、まず冷えたコーラを飲み、さらに冷蔵庫の冷えたスイカとトマトをむさぼり喰った。ロードハウスはまさにオアシスのようなもの。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

秘湯めぐりの峠越え(16)坤六峠編

 (『アウトライダー』1996年6月号 所収)

4湯連チャン…
 金精峠を下った片品村の中心、鎌田で、沼田に通じるR120と分かれ、R401で尾瀬に向かっていく。
 R401沿いの片品温泉「千代田館」(入浴料500円)と、尾瀬戸倉温泉「富士見旅館」(入浴料500円)の2湯をハシゴ湯する。「金精峠編」の白根温泉から数えると、4湯連チャンになるので、けっこう足腰にくる。

坤六峠越え
 尾瀬戸倉温泉のある戸倉でR401(群馬県側のこの国道は、尾瀬の三平峠下で行き止まりになる)と分かれ、群馬県道60号片品水上線で坤六(こんろく)峠に向かっていく。

 富士見峠に通じる道(途中からは登山道)と分岐し、鳩待峠に通じる道(峠で行き止まりになる)と分岐する。これら、尾瀬の南側の、三平峠、富士見峠、鳩待峠は中央分水嶺の峠で、峠を越えた北側の尾瀬沼や尾瀬ヶ原は、只見川→阿賀川→阿賀野川と、日本海に流れ出る川の水系になる。それに対してそれら尾瀬の峠の南側は、太平洋に流れ出る利根川の支流、片品川の水系になる。

 かつてはハードなダートだった坤六峠の峠道も、いまでは全線が舗装路。快適な山岳ツーリングコースになっている。晩秋の北関東の、尾瀬へとつづく山々の風景を眺めながら走り、片品村と水上町の境になっている坤六峠に到着。

 峠には、坤六峠越えの林道完成記念碑が建っている。それをみるとわかるが、昭和43年の林道完成時の群馬県知事は神田坤六さんという人。そうなのだ、坤六峠の峠名は、この坤六さんからきている。政治家という人種は、ほんとうに名前を残したがるもののようだ。

利根川本流沿いの温泉めぐり
 坤六峠を越え、利根川の支流、片品川の水系から、利根川本流の水系に入っていく。
 坤六峠下の湯ノ小屋温泉では、「龍神」(入浴料1000円)の大露天風呂に入った。湯につかりながら、渓流美と紅葉美を同時に楽しんだ。この露天風呂では沼田市内の救急病院の先生と一緒になり、いろいろと話した。まだ若い先生だったが、こうして自然に囲まれた温泉に入るのが何よりもの息抜きになるという。

 つづいて、宝川温泉「汪泉館」の露天風呂に入った。入浴料は1800円。入ろうかやめようか、さんざん迷ったが、一軒宿の宝川温泉を落としたくなかったので1800円を払った。温泉に入るさいの入浴料だが、ぼくはいちおう1000円を目安としており、それ以上のところには、よっぽどのことがないかぎり入らない。
 宝川温泉は人気の湯なので、入浴料が1800円でも、宿前の駐車場は車で満杯だ。

 利根川の本流沿いに走り、藤原ダムを通り、R291に合流し、水上温泉へ。
 関東でも有数の大温泉地の水上では、ちょっとわかりずらい場所にある共同浴場(入浴料70円)の湯に入る。湯船は小さいが、ザーザー音をたてて湯があふれ出ている。

 最後の温泉は、谷川岳方向に向かって、3、4キロほど山中に行った谷川温泉。
 ここでは、町営「湯テルメ谷川」(入浴料500円)の大浴場と露天風呂に入った。露天風呂では、隣の女湯から聞こえてくる若い女性たちの声が気になった。車で旅している彼女たちとは、「湯テルメ谷川」に同時に着いて、同時に入ったからだ。女子大生風のかわいらしい女性たちだった…。

 こうして「金精峠編」&「坤六峠編」の中禅寺温泉から谷川温泉まで、全部で12湯の温泉に入った。
 水上からはR291→R17で沼田へ。「日光→沼田」の165キロが、北関東温泉三昧の第1弾だ。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

秘湯めぐりの峠越え(15)金精峠編

 (『アウトライダー』1996年6月号 所収)

奥日光の温泉めぐり
 神奈川県伊勢原市の自宅を出発したのは、午前10時を過ぎていた。
 200㏄のツーリング用バイク、スズキDJEBEL200を走らせ、R246で都内へ。環8経由で外環道に入り、東北道、日光宇都宮道路と高速道を一気走りし、14時、日光に到着。ここまでの210キロをノンストップで走ったが、13リッターのビッグタンクを搭載したDJEBEL200なので助かった。

「さー、温泉だ!」
 と、気合を入れ、JR日光線の日光駅前をスタート。R120を行く。まだ紅葉の残るいろは坂を登り、中禅寺湖へ。奥日光の温泉めぐりの開始だ。
 第1湯目は、中禅寺湖畔の中禅寺温泉。みやげもの店で入浴料の500円を払い、隣あった「マリーナホテル湖月」の大浴場に入る。なんと入浴客はぼく一人。温泉ホテルの湯船を独り占めにしたのだ。
 温泉のハシゴ旅で入る、この第1湯目ほどうれしいものはないが、湯につかりながらのガッツポーズで、
「やったゼー!」
 と、叫んでやるのだった。

 第2湯目は、同じく中禅寺湖畔の菖蒲ヶ浜温泉の「幸の湖荘」(入浴料300円)。地方公共団体職員の共済施設なので設備がいい。
 第3湯目は、R120から山王峠方向に向かって走ったところにある光徳温泉。光徳牧場がすぐ近くだ。シラカバ林に囲まれた温泉リゾートホテルの「日光アストリアホテル」(入浴料1000円)の内風呂と露天風呂に入った。
 こうして奥日光の豊かな自然に囲まれて湯につかっていると、つい4、5時間前まで、東京の大渋滞にもまれてバイクを走らせていたのが、まるでうそのようだった。

金精峠下の日光湯元温泉
 光徳温泉からR120に戻り、湯ノ湖から流れ落ちる高さ45メートルの湯滝を見、湯ノ湖の湖畔にある日光湯元温泉に行く。そこが今晩の宿泊地。金精峠下の日光湯元温泉には、全部で30軒ほどの温泉ホテルや旅館があり、奥日光最大の温泉地になっている。
「さあ、宿をどこにしようか‥‥」
 と、いつものように『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)のページを開き、日光湯元温泉の項を見る。けっこう宿泊料金の高いホテルや旅館がずらりと並んでいる中にあって「紫雲荘」や「湯元旅館」が安そうだった。

 さっそく電話すると、一番最初に電話した「紫雲荘」が宿泊0K。一発目の電話で宿を確保できたときのうれしさというのは、わかってもらえるだろうか。ということで「紫雲荘」に行ったのだが、家族的な雰囲気の、肩肘張らずに泊まれる宿だった。
 まずは温泉。ハシゴ湯で入る温泉と、泊まりの宿で入る温泉は、また味わいが違うのである。湯量が豊富。熱い湯が音をたてて、湯船から流れ出ている。泉質は硫黄泉。湯につかると、ザーッと盛大に湯がこぼれ出る。温泉はこうでなくては。どっぷりと湯に身を沈めていると、無上の喜びを感じる。温泉ほど気分をハッピーにさせてくれるものもない。

 湯から上がると、冷たいビールをキューッと飲む。
「ウメー!」
 1日の走りを終え、温泉につかり、湯上がりのビールを飲むこの瞬間は、まさに至福のときだ。人生、ほかに何を望むことがあるのだろうか‥‥と、心底、そう思ってしまうほどだ。
 夕食には、日光らしく、湯葉料理や湯葉の入った煮物が出たが、夕食後に湯に入り、寝る前にも湯に入り、翌朝も、起きるとすぐに湯に入った。

 朝風呂から上がると、夜明けの温泉街を歩いた。晩秋の山の空気を吸いながらのプラプラ歩きは気持ちよかった。湯ノ湖の湖畔を歩き、70度以上の高温の湯が湧き出ている日光湯元温泉の源泉を見、温泉神社と温泉寺に参拝した。
 この日光湯元温泉には、何度か泊まったことがある。一番最初は10数年前のことだ。そのときは「自在の湯」と「御所の湯」という2つの共同浴場があった。ひなびた湯小屋の共同浴場で、たしか、2つとも無料湯だったと思う。温泉宿に泊まって共同浴場の湯に入るのは、それはまたいいものだが、湯につかりながら地元のみなさんといろいろと話した思い出が残っている。だが、今はもう共同浴場はない。それがちょっぴり寂しかった。

天気がガラリと変わった金精峠越え
 日光湯元温泉の「紫雲荘」では早めの朝食にしてもらい、7時半に出発。金精峠を越える有料の金精道路を走ったが、8時前なので無料。“早起きは三文の得”といったところだ。
 晩秋の奥日光の峠道は寒い。身震いしながらDJEBEL200に乗る。金精峠に向かって峠道を登るにつれて、眺望がよくなる。日光湯元温泉の温泉街を見下ろす。湯ノ湖を一望する。日光のシンボル、男体山が弱々しい朝日を浴びて、うっすらと赤く染まっている。前方には、温泉岳(2338m)がそびえている。

 金精峠は、全長755メートルの金精トンネルによって貫かれているが、ヘアピンカーブの連続する峠道を登りつめ、金精トンネルの入口に到着。
 栃木県日光市と群馬県片品村の境になっている金精峠は、奥日光の最高峰“日光白根”の白根山(2577m)と温泉岳の間の峠で、標高2024メートルと高い。峠の頂上には、男性器をかたどった金精さまをまつる金精神社があり、峠名はそこからきている。子供のできない女性たちは、どうか子宝に恵まれますようにと、峠の金精さまに願をかけたという。

 金精峠はかつては、木叢峠とも呼ばれていたそうで、その名からもわかるように、峠周辺はうっそうと茂る原生林で覆われていた。この金精峠をブチ抜く金精トンネルが完成したのは昭和40年のこと。全長755メートルの金精峠の完成によって、初めて車で金精峠を越えられるようになったのだ。なにしろ雪深い奥日光のこと、金精道路は12月から4月まで冬期閉鎖となる。

 ぼくにとっては、忘れられない金精峠越えがある。
 何年か前のことだが、今回と同じように日光湯元温泉に泊まり、翌日、金精峠を越えて沼田に向かった。ところが金精峠を抜け出たあたりでガス欠。コックをすでにリザーブにしておいたのをついうっかりと忘れてしまったのだ。ギアをニュートラルにして峠をなんとか下り、丸沼湖畔の丸沼温泉までバイクを押した。そして、丸沼温泉でガソリンをわけてもらった。今となっては、なつかしい思い出だ。

 そんな金精峠だが、峠のトンネルに入り、栃木県側から群馬県側に向かって走る。ところが、トンネルを抜け出たところでは、
「シマッター!」
 と、思わず声をあげてしまった。路面が凍結し、ツルンツルンのアイスバーン。心臓が凍りつくような瞬間だが、からくもバランスを保ち、転倒もせずに左コーナーを曲がることができた。
 金精峠を越えて変わったのはそれだけではない。一面の深い霧なのだ。視界が10メートルもないような濃霧の中をヨタヨタしながら峠道を下っていくのだった。

鎌田の尾瀬鎌田温泉
 金精峠を下り、菅沼、丸沼という2つの湖を通りすぎたあたりで霧が切れた。峠下の、白根温泉「加羅倉館」(入浴料400円)の湯に入る。大浴場は湯気がもうもうとたちこめている。源泉は62度という高温の湯。泉質は含芒硝食塩泉。「加羅倉館」は午前6時半から午後8時半まで入浴可で、ツーリング途中の立ち寄りの湯としては絶好だ。

 片品村の中心、鎌田に着くころには、日が差してきた。ここでは、尾瀬鎌田温泉「梅田屋旅館」(入浴料600円)の「水芭蕉の湯」と名づけられた趣のある内風呂に入り、それに隣あった露天風呂にも入った。鎌田は昔の三平峠を越えて会津に通じる沼田街道の宿場町だったところで、「梅田屋旅館」は、歴史と風格を感じさせる宿の造りだ。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリ、先日の「バーレーン対ウズベキスタン」戦を語る。

録画で「バーレーン対ウズベキスタン」を見ました。
試合終了間際までウズベキスタンが圧倒的に攻めながら0対0。
このまま引き分けならば、日本にとってはベストの展開だったのですが…。

バーレーンはロスタイムのフリーキックでゴ~ル!
日本がよくやられる右45度のフリーキック。
管理人さん、3月28日はけっこうヤバイですよ。
まあ、また引き分けならいいか…。
もし、負けたら超ヤバイ…。

テーマ : 管理人より
ジャンル : その他

カソリから先日のオーストラリア戦の感想が届きました。

管理人より:
カソリはどうやら九州にお出かけしていたようで、先日の日本代表VSオーストラリア戦について、以下のようなメールが届きました。

~~~~
サムライvsコアラ戦は鹿児島のホテルで見てましたよ。
なんともはやイライラのつのる試合でしたねえ…。
前半の15分ぐらいで1点取っていれば、
大量点の試合でしたよねえ。
すくなくとも3-0では勝てました。
なんというか…、ゴール前での突破力、強引さ、得点への感性のなさ…、
そんなものを感じましたねえ。
まあ、管理人さん、負けなくってよかったですね。
最後はほんと、前回のワールドカップのあの悪夢がよみがえってくるようでした。

ところで鹿児島のホテルにはジュビロ磐田のメンバーも泊まっていました。
13階の展望浴場(天然温泉)の湯につかり、桜島を眺めながら、
ジュビロの選手たちと裸のつき合いをしました。
今、鹿児島でキャンプ中なんですね。
で、そんなことがあったので、今年はジュビロを応援しちゃおうかな…。
ジュビロよ、今年こそ、ガンバレよ~!

テーマ : 管理人より
ジャンル : その他

最近の記事
月別アーカイブ
小さな天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
QRコード
QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。