ユーラシア大陸横断(37)ポルト→ロカ岬

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年8月11日(日)晴 ポルト→ロカ岬 362キロ
 早朝のポルトの町を歩き、8時、朝食。丸いポルトガルパンとハム、チーズ。
 9時、ポルトを出発。A1(高速1号)を南下。
 首都リスボンからシントラ経由でヨーロッパ最西端のロカ岬へ。

 15時、ついに「ユーラシア大陸横断」のゴール、北緯38度47分、西経9度30分のロカ岬に立った。我ら「ユーラシア軍団」の全員でロカ岬に立つことができた。それが何よりもうれしいことだった。

 岬には赤い灯台。岬突端の断崖上には十字架の塔が建っている。塔には「ここに地果て、海始まる」と、ポルトガルでは一番よく知られている詩人、ルイス・デ・カモエンスの詩の一節が刻み込まれている。
 ロシアのウラジオストクを出発してから41日目、1万4001キロを走ってのロカ岬到着。途中の列車での約1000キロを足せば約1万5000キロになる。

 スズキDR-Z400Sはほんとうによく走ってくれた。
 ノントラブルだっただけでなく、新車状態のまま、つまりタイヤやチェーンなどの消耗部品を含め、一切の部品交換なし(唯一、オイルフィルターを交換した)で「ユーラシア大陸横断」を走りきってくれたのだ。
 これはすごいことだとぼくは思っている。
 ありがとう、DR400よ!!

1893、リスボンに到着
リスボンに到着

1889、リスボン郊外のシントラ
リスボン郊外のシントラ

1892、ロカ岬に到着!
ロカ岬に到着!

1891、DRよ、よくやった!!
DRよ、よくやった!!

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


ユーラシア大陸横断(36)サンチャゴ→ポルト

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年8月10日(土)雨のち晴 サンチャゴ→ポルト 260キロ
 7時、朝食。オレンジジュース、コーヒーを飲み、パン、チーズ、ハム、サラミの朝食を食べる。
 8時、出発。ビゴを通り、国境のミノ川を渡ってポルトガルに入る。スペイン・ポルトガル国境もフリーパスだった。

 12時、バナ・デ・カステロに到着。大西洋が見える。いよいよ、「ユーラシア大陸横断」のゴール、ロカ岬が視野に入ってきた。海辺のレストランで昼食。白身の魚料理を食べた。ポルトガル人は日本人と同じように魚をよく食べる。
 15時、ポルトに到着。中心街のホテルに泊まり、町を歩いた。

 夕食はチャイニーズレストラン「北京酒楼」で。ポルトといえば「ポートワイン」。まずはワインで乾杯。ロカ岬へのゴールが間近に迫り、高揚した気分で乾杯を繰り返した。そのあとワンタン麺やチャーハンを食べた。

 ポルトはポルトガル北部の中心都市。17世紀以来、「ポートワイン」の積み出し港として世界的に知られるようになったが、その歴史はさらに古く、古代までさかのぼる。ワインを飲みながら、そんなポルトの歴史をしのんでみた。

1884、大西洋の海岸に出る
大西洋の海岸に出る

1885、遠浅の海
遠浅の海

1886、海辺のレストランで昼食
海辺のレストランで昼食

1887、ポルトの中心街
ポルトの中心街

1888、ポルトで見る大西洋
ポルトで見る大西洋

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


日本一周パートII、そして昨日のバーレーン戦

管理人より:
スーパー旅烏のカソリ氏は、今度は4月1日より6月20日まで、日本一周パートIIの旅に出るそうです。各回でいろいろテーマもあるとのこと、展開を楽しみに待ちましょう(スズキのHPで速報するそうです。URL判明次第こちらでもご報告しますね)。

さて、昨日のバーレーン戦について、出発前のカソリよりメールが届きました。

~~~~
昨日のバーレーン戦は何とも残念なことに、東京モーターサイクルショーと重なってしまい、家に帰ってきたのは夜の11時過ぎ…。もうすでにテレビでの中継は終ってしまい、夜中のスポーツニュースを待たなくてはなりませんでした。

で、なによりも1対0で勝って「よかった!」と思いましたよ。思わず「やった、やった!」と家の中で雄叫びを上げてしまったほどです。

前後半を通じての何本ものシュートが決まらなかったいらだたしさはありましたが、中村(俊)のあのFKが相手の頭に当たろうが何だろうが、決まったシーンには胸が熱くなりました。あのときの遠藤・中村コンビの息もぴったりだったように見えました。俊輔の執念を見たような思いです。

内田のバーをたたいたシュートはおしかったなあ…。内田はほんとうによくなっていると思いますよ。次のウズベキスタン戦でびしっと決めて欲しいし、最終予選でもう1試合残っているオーストラリア戦にはぜひともいい展開、試合運びで2-0、もしくは3-0で勝って欲しいものです。

~~~~以上、引用

ということで、モーターショウのお色気お姉ちゃんたちに鼻を伸ばしているうちに、中継を見損ねたようですね~。
でもこれで、カタール戦までには出場が決まるでしょう! いや是非!

テーマ : 管理者から
ジャンル : その他


ユーラシア大陸横断(35)レオン→サンチャゴ

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年8月9日(金)曇のち雨 レオン→サンチャゴ 330キロ
 7時、朝食。パン、チーズ、ハム、コーヒー。
 8時、出発。レオンからはN120→N6→A6でクルーニャに向かう。

 天気は崩れ、雨が降り出す。雨の峠越えは寒かった…。
 雨宿りをするかのように、カフェで昼食。ソーセージと骨つき肉を食べる。

「N」は国道。「A」は高速道路。スペインではオートピスタといっている。
 クルーニャからサンチャゴへ。15時、サンチャゴに到着。郊外のホテルに泊まった。歩いて町の中心へ。

 サンチャゴは中世以来の聖地。聖ヤコブ巡礼の終点として全ヨーロッパから大勢の巡礼者を集めている。
 フランスのバイヨンヌを出発して以来、徒歩や自転車の巡礼者たちを何度となく見かけたが、すべての人たちはここ、サンチャゴを目指していたのだ。日本の四国八十八ヵ所巡礼の旅と似ている。そんなサンチャゴ巡礼の道は「カミノ・デ・サンチャゴ」といわれている。

 古い町並みを歩き、カテドラル(大聖堂)へ。そこでも大勢の巡礼者を見かけたが、ゴールまでたどり着いた安堵の表情がどの顔にも浮かんでいた。
 夕食はホテル前のレストランで。本岡さんと一緒にぶ厚いビーフステーキを食べた。本岡さんは「ユーラシア軍団」唯一の女性だ。

1881、サンチャゴの旧市街
サンチャゴの旧市街

1882、サンチャゴの大聖堂
サンチャゴの大聖堂

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ジャンル : 車・バイク


ユーラシア大陸横断(34)ブルゴス→レオン

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年8月8日(木)晴 ブルゴス→レオン 196キロ
 7時、朝食。3種類のパンとチーズ、ハム、サラミ。
 8時、出発。N120を行く。イベリア半島をズバッと貫く国道で、交通量もそれほど多くはないので走りやすい。スズキDR-Z400Sのアクセルを思いっきり開けて走った。乾いた高原の風が気持ちいい。

 昼食は国道沿いのカフェで。
 パン、チョリソー、ポテトチップス、チーズ、それとコーヒー。これで7ユーロ。フランスよりもはるかに安い。カフェの娘・イエニーが、かいがいしく母親の手伝いをしている。まだ14歳。胸のふくらみが初々しい。

 15時、レオンに到着。「ホテル・ルイス・デ・レオン」に泊まる。ホテル前のデパートを歩いた。5ユーロのTシャツを1枚、買った。
 夕食は前日にひきつづいて、「香港酒家」というチャイニーズレストラン。「青島」ビールを飲みながらチャイニーズ・サラダ、焼きそばを食べた。

1879、レオンの中心街
レオンの中心街

1880、レオンの郊外
レオンの郊外

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ジャンル : 車・バイク


ユーラシア大陸横断(33)バイヨンヌ→ブルゴス

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年8月6日(火)晴 バイヨンヌ→ブルゴス 386キロ
 7時、朝食。ホテルのレストランで。クロワッサン&フランスパンとハム、チーズ、サラミ、コーヒー。
 8時、出発。ピレネー山脈に向かっていく。じきに山中に入り、フランス・スペインの国境を越える。小さな流れに架かる橋が国境。だが、いわれないとわからないほどで、まったくのフリーパスでスペインに入った。

 ピレネー山脈の標高1057メートルのイバネッタ峠を越え、パンプローナの町に下っていく。ここはスペインからの分離独立を求めているバスク人の古都。つづいてビトリアの町を通り過ぎたが、ここはバスク国の首都といったところだ。

 イベリア半島に入ると、いっぺんに風景が変り、乾燥した牧草地が広がっている。一面のヒマワリ畑も見られた。
 16時、ブルゴスに到着。「ホテル・プエルタ・デ・ブルゴス」に泊まる。

 町を歩く。バーに入り、スパニッシュオムレツとオリーブの実を添えた魚料理を食べながらセルベッサ(ビール)を飲む。
 夕食はチャイニーズ・レストランで。ワンタンがうまかった~!

1875、ピレネー山脈のイバネッタ峠を越える
ピレネー山脈のイバネッタ峠を越える

1877、刈り取られた牧草地
刈り取られた牧草地

1876、一面のヒマワリ畑
一面のヒマワリ畑

1878、ブルゴスで泊まったホテル
ブルゴスで泊まったホテル

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ユーラシア大陸横断(32)モンルッソン→ペリグー

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年8月5日(月)晴のち曇 モンルッソン→ペリグー 260キロ
 7時、朝食。パン、チーズ、ハム、それとヨーグルト。
 8時、出発。N145→D940→N141→N21を行く。「N」は国道、「D」は地方道になる。

 リムーザン高地の峠を越え、歴史の古いリモージュの町を走り抜け、街道沿いの店で昼食。ピザとコカコーラ。これで3ユーロ。

 15時、ペリグーに到着。そこからさらに10キロほど走った森の中にある「ホテル・レクルース」に泊まる。古城のようなたたずまい。夕食はホテルのレストラン。フルコースでフォアグラつき。ワインで乾杯。スープのあと待望のフォアグラ、そして魚料理、カモ肉料理を食べた。

2002年8月6日(火)曇のち晴 ペリグー→バイヨンヌ 420キロ
 7時、朝食。クロワッサン&フランスパンとコーヒー。
 8時、出発。ラスコーではラスコー洞窟に立ち寄る。動物を描いた旧石器時代の壁画を見ようとしたのだが、残念ながら相当待たなくてはならないので断念…。

 フランス南西部の中心、ボルドーを通り過ぎ、スペイン国境へ。
 昼食は街道沿いのレストランで。日替わり定食(メニュー・ド・ジュール)を食べる。サラダにビート、七面鳥の肉料理にポテト、焼トマト。これで10ユーロだった。

 18時、スペイン国境に近いバイヨンヌに到着。町中のホテルに泊まり、町を歩く。川沿いのレストランで夕食。メンバーの水島さんと一緒に食べた。まずはボルドーの赤で乾杯。スペイン風のスープを飲み、メインディッシュの魚料理を食べた。

1874、街道沿いのレストランで昼食
街道沿いのレストランで昼食

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ユーラシア大陸横断(31)ベルフォール→モンルッソン 

(『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年8月4日(日)曇のち晴 ベルフォール→モンルッソン 494キロ
 7時、ホテルのレストランで朝食。クロワッサンとフランスパン、それとコーヒーというシンプルなもの。
 8時、出発。A36→A31→A6とフランスの高速道路、オートルートを走りつないでいく。

 ドイツのアウトバーンは無料だったが、フランスは有料。とはいっても、高速代は日本の6分の1程度。速度制限があるので、アウトバーンのような猛スピードで走る車は見かけない。
 マコンで高速を降り、モンルッソンへ。

 16時、モンルッソンに到着。川に面した「アイビス・ホテル」に泊まる。さっそく町を歩く。
 旧市街を歩く。丘の上に登り、そこから町を一望。新市街にある「カルフール」のマクドナルドで夕食。コカコーラの大とポテトチップス、チキンバーガーで6ユーロ。「カルフール」で買ったリンゴをかじりながらホテルに戻った。

1867、ベルフォールでA36に入る
ベルフォールでA36に入る

1869、モンルッソンの中心街
モンルッソンの中心街

1870、モンルッソンの道標
モンルッソンの道標

1871、モンルッソンの自動車学校
モンルッソンの自動車学校

1872、モンルッソン郊外の家並み
モンルッソン郊外の家並み

1873、モンルッソンの旧市街
モンルッソンの旧市街

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ユーラシア大陸横断(30)ビルツブルグ→ベルフォール

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)
 
2002年8月3日(土)晴 ビルツブルグ→ベルフォール 411キロ
 早朝のビルツブルグの町を歩く。マイン川の両岸に古い町並みが広がる。ここは南ドイツ、バイエルン地方の古都。
 日本にも滞在し、なじみの深い医者であり博物学者のシーボルトは1796年、この町で生まれた。シーボルトにちなんだ「シーボルト広場」や「シーボルト通り」があった。シーボルトの銅像も建っていた。

 7時、朝食。ホテルのレストランでのバイキング。ここぞとばかりにしっかり食べた。
 8時、出発。A81→A6→A5とアウトバーンを走りつなぎ、フランスに入った。
 国境に近いミュールーズの町で昼食。ハム&チーズのサンドイッチとコカコーラ。

 14時、ベルフォールに到着。この町の「ホテル・メルクール」に泊まる。早い到着だったので、さっそく町を歩く。駅にも行った。パン屋でフランスパンを1本、買って、歩きながら食べた。
 夕方には「ユーラシア軍団」のメンバーと街角のバーに入り、ビールを飲む。そのあとピザ専門店でピザを食べた。

1868、ベルフォールの町の中心街
ベルフォールの町の中心街

1866、ベルフォールで泊まった「ホテル・メルクール」
ベルフォールで泊まった「ホテル・メルクール」

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ユーラシア大陸横断(29)ベルリン→ビルツブルグ

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年8月2日(金)晴 ベルリン→ビルツブルグ 548キロ
 7時、ホテルのレストランで朝食。パン、チーズ、ハム、ソーセージ、スクランブルエッグ。それとデザートのフルーツポンチ。
 8時、出発。ベルリンからは、アウトバーンを激走。

 A9を南下。ベルリンとミュンヘンを結ぶ重要なルートだ。その大半は片側3車線。スズキDR-Z400Sのアクセル全開で150キロから160キロで走っても、ベンツやBMWなどにスーッと抜かれてしまう。アウトバーンは速度無制限。速い車は時速200キロ以上で走っている。

 17時、マイン川の河畔の町、ビルツブルグに到着。ここはロマンチック街道の町。夕食後、町を見下ろす古城まで歩いていった。

1864、ビルツブルグを流れるマイン川
ビルツブルグを流れるマイン川

1863、ビルツブルグの古城
ビルツブルグの古城

1865、マイン川にかかる石橋
マイン川にかかる石橋

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ユーラシア大陸横断(28)ポズナニ→ベルリン

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年8月1日(木)晴 ポズナニ→ベルリン 278キロ
 6時、朝食。コーンフレーク、パン、チーズ、ハム、コーヒー。
 7時、出発。国道2号を走り、ポズナニから176キロでドイツとの国境に到着。ポーランドの出国手続きを終え、オーデル川を渡ってドイツに入った。時間は10時だ。

 国境からベルリンは近い。A12→A10とアウトバーンを走り、12時にはベルリンに到着。昼食のサンドイッチを食べたあと、ベルリンの町を歩く。地下鉄にも乗った。ベルリンの中心、ブランデンブルグ門にも行った。なつかしい。1990年の「世界一周」が無性になつかしく思い出された。

 その前年、1989年11月9日に「ベルリンの壁」が崩壊。ぼくの行った1990年9月の時点では、まだ、かなり「ベルリンの壁」が残っていた。ブランデンブルグ門と、かつての東西ベルリンを結ぶ唯一のゲートだったチェックポイント・チャーリーの間を歩いた。

 そこでは衝撃の光景を目にした。世界中からやってきた旅行者たちが、いたるところでハンマーやバールで「ベルリンの壁」をぶち壊し、そのカケラを拾っていたのだ。

 ぼくもオーストラリアから来たという青年に鉄パイプを借り、コンクリートの壁をたたいた。
「ガーン、ガーン!」
 という音が耳の奥底に響き、こびりつくようにいつまでも残った。
 東西ドイツが統合されたのはその直後の10月1日のことだった。

1861、ベルリンに到着
ベルリンに到着

1862、ベルリンの地下鉄
ベルリンの地下鉄

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秘湯めぐりの峠越え(24)板谷峠(山形)

 (『アウトライダー』1995年8月号 所収)

吾妻山麓の温泉群を行く
 福島・山形県境の大火山群、吾妻山周辺の板谷峠、白布峠、中山峠を越え、吾妻山麓の温泉を総ナメにしようと、「福島→福島」のコースをつくり、東北道の福島西ICに降り立った。峠越えの相棒は「インドシナ一周10000キロ」を走ったスズキRMX250Sだ。

 高速道路の料金所を出、R105を走りはじめると、正面に連なる奥羽山脈の山々がよく見える。右手には吾妻山、左手には安達太良山。ともに火山で、この2つの火山の周辺には、温泉がいくつもある。

 R105を右折し、吾妻山麓の道、通称フラワーラインに入っていく。沿道にはリンゴ園が多い。リンゴの木には赤い実がたわわに成り、東北の秋を感じさせた。そのフルーツラインを左折し、第1湯目の微温湯温泉を目指し、吾妻山を駆け登っていく。

 フルーツラインから10キロ(途中の3キロはダート)ほど走った、山中の行き止まり地点に、微温湯温泉がある。一軒宿の秘湯。周囲の山々の紅葉が色鮮やかだ。
「旅館二階堂」(入浴料500円)の湯に入る。“微温湯”どおりの湯で、湯温33度という温い湯に長時間入るのが微温湯温泉の特徴だが、もうひとつ、熱い湯の湯船もある。酸性明ばん泉の温泉だ。

 微温湯温泉の湯から上がると、フルーツラインまで戻る。次に、磐梯吾妻スカイラインへの道に入り、ふたたび吾妻山に向かって登っていく。
 山中に入ったところに、一軒宿の信夫温泉がある。つり橋を渡った、渓流のわきにある温泉だが、残念ながら入浴のみは不可…。

 さらに吾妻山に向かって登りつづけ、磐梯吾妻スカイラインの料金所の手前にある高湯温泉に到着。標高750メートルの高地にある温泉で、山形県の蔵王温泉、白布温泉とともに、“奥羽三高湯”に数えられている。かつては“吾妻高湯”といわれたが、今では吾妻がとれて、たんに高湯温泉といわれている。

 ここでは「安達屋旅館」(入浴料500円)の湯に入る。木の湯船の大浴場は湯量が豊富で、ザーザー音をたてて、湯が湯船からあふれ出ている。白濁色の硫化水素泉の湯は、いかにも温泉という感じがする。内風呂につづいて、露天風呂にも入った。

 微温湯温泉、高湯温泉と、秘湯、名湯の湯を存分に堪能したところで、来た道をフルーツラインまで引き返し、福島県内では最大の温泉地、飯坂温泉の温泉街に入っていく。ここではすっかり新しい建物に建て替えられた共同浴場「鯖湖湯」(入浴料50円)の湯に入り、飯坂温泉の奥にある穴原温泉の「富士屋旅館」に一晩、泊まった。

板谷峠越えの秘湯めぐり
 翌朝は、5時、起床。いつものように寝起きとともに湯に入る。この寝起きの湯の気持ちよさといったらない。早めにしてもらった朝食を宿で食べ、7時、出発。R13で山形県境に向かう。

 阿武隈川流域の、“中通り”の盆地の町、福島を離れると、すぐに山形県境に向かっての登りがはじまる。全長2376メートルの東栗子トンネルを抜けたところで山形県に入り、国道を左折し、板谷峠下の集落、板谷へ。奥羽本線が通り、板谷駅がある。

 ところでR13の峠だが、東栗子トンネルを抜け出て山形県に入ると、もうひとつ、全長2675メートルの西栗子トンネルがあり、それが奥羽山脈の中央分水嶺の峠を貫くトンネルになっている。この2本の長大なトンネルは昭和41年に完成したが、それ以前のR13は、北の栗子山(1216m)南麓の栗子峠を越えていた。

 さて、吾妻山北麓の秘湯めぐりの開始だ。
 第1湯目は、板谷から5キロほど登ったところにある一軒宿の五色温泉。「宋川旅館」(入浴料500円)の露天風呂に入る。湯は男女別になっているが、簡単に女湯をのぞけるようになっているのがいい。樹林に囲まれた露天風呂で、湯につかりながらの紅葉狩りを楽しんだ。ここの湯は、新緑の季節がおすすめ。露天風呂はまばゆいほどの若葉に包まれるが、そんな湯につかりながらの森林浴が最高だ。

 五色温泉から板谷に戻り、旧羽州街道の板谷峠に向かって登っていく。峠の手前の分岐点から数キロ走ると、第2湯目の滑川温泉に着く。一軒宿「福島屋旅館」(入浴料300円)の湯に入る。大浴場は混浴。若干、白濁した湯には、湯の華が浮いている。もう1湯渓流のわきにある露天風呂にも入る。ここも混浴なのだが、残念ながら入浴客はともにぼく一人だった。

 第3湯目は、滑川温泉からさらに奥へ、ダートを4キロほど行った行き止まり地点にある姥湯温泉。きわめつけの秘湯だ。ここも一軒宿の温泉で、「枡形屋旅館」(入浴料300円)の露天風呂に入る。まわりを断崖絶壁に囲まれているが、運がいいと、急崖を駆けるニホンカモシカの姿を見ることができるという。
 これら3湯は絶対におすすめの秘湯だが、日本列島を太平洋側と日本海側に分ける中央分水嶺の峠、板谷峠の太平洋側になる。

 板谷峠手前の分岐点に戻り、いよいよ、峠へ。ダートに入る。交通量はほとんどない。1キロほどのダートを走ると、板谷峠に到着。峠を示すものは何もない。高圧線の鉄塔が峠のすぐわきに立っている。

 板谷峠は標高760メートル。旧羽州街道の峠で、江戸時代には、米沢藩の江戸への参勤交代路。福島盆地と米沢盆地を結ぶ重要な幹線になっていた。それが明治になると、北の栗子峠を越える“万世大路”が完成し、板谷峠はあっというまに忘れ去られてしまう。板谷峠にRMXを止め、しばし、峠をめぐる歴史の変遷に想いを馳せたが、それは胸にしみるようなひとときだった。

 板谷峠を越え、阿武隈川から最上川の水系に入っていく。ダートから舗装路に変わるあたりには、一軒宿の笠松温泉「笠松旅館」(入浴料300円)がある。一見すると、民家風の温泉宿の湯に入り、それを第4湯目にし、さらに峠道を下っていく。

 板谷峠下の集落、大沢を通り、米沢盆地に入りかかるあたりには、第5湯目の湯ノ沢温泉がある。ここでは一軒宿「すみれ荘」(入浴料400円)の大浴場の湯に、気分よくつかった。
 こうして吾妻山北麓の5湯の温泉を“はしご湯”して米沢盆地に入っていったが、すでに刈り取りの終わった田圃がはてしなく広がる米沢盆地の風景は目に残るものだった。

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ユーラシア大陸横断(27)ワルシャワ→ポズナニ 

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年7月31日(水)晴 ワルシャワ→ポズナニ 350キロ
 7時、「ホテル・アラミス」の朝食。パンと2種類のチーズ、ハム、サラミ、サラダ、それとゆで卵。
 8時、出発。国道2号でポーランド西部の中心都市、ポズナニへ。北ヨーロッパの大平原をスズキDR-Z400Sで突っ走る。

 昼食は国道2号沿いのレストラン。まずはスープ。酸味のあるトラディショナルなスープだ。そのあとでカツレツ、ポテト、キノコ、サラダのメインディッシュを食べた。
 17時、ポズナニに到着。町中を走り抜け、郊外の湖畔の宿で泊まる。山荘風の「レスト・ラクノクス」。

 猛暑の中を走りつづけたので我ら「ユーラシア軍団」、さっそく湖に飛び込み、泳いだ。きれいな湖水なのだが、藻がすごい。あっというまに藻が体にからみついた。湖でひと泳ぎしたあと、「レスト・ラクノクス」のレストランでまずはビールで乾杯。そのあとスープ、カツレツ、ピラフ、サラダの夕食を食べた。

国道2号でポズナニへ
国道2号でポズナニへ

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ユーラシア大陸横断(26)ブレスト→ワルシャワ

 (『ツーリングGO!GO!』2002年11月号 所収)

2002年7月30日(火)晴 ブレスト→ワルシャワ 225キロ
 8時、「ホテル・インツーリスト」のレストランでの朝食。
 9時、出発。5キロほどでポーランド国境に到着。
 ベラルーシの出国が大変だった。出国を待つ長い車の列に並び、やっと最初のバーまで来たが、何とラインが違うと難クセをつけられ、別のラインの最後部に戻された。
 延々と待たされ、やっと最初のバーを突破し、2番目のバーまで来ると、今度は出国税を払っていないといわれ、別なオフィスで1人20USドルを払わされた。

 最後はパスポートコントロール。
 国境事務所までの100メートルほどの車の列はほとんど動かない。動かないまま、昼が過ぎた。この日も猛暑。日影をさえぎるものもない。モロに直射日光を浴びつづけるので、頭がガンガン痛み出してくる。もう日射病でぶっ倒れる寸前だ。

 ぼくはそれまでに世界の130余国に入ったが、出国手続きでこれほど待たされた国はない。我慢に我慢を重ね、やっとベラルーシを出国。ポーランドに入国手続きにはほとんど時間はかからなかった。
 ベラルーシからポーランドに入ったのは国境に到着してから6時間後の15時過ぎだった。

 国境からは国道2号で首都ワルシャワへ。
 18時、ワルシャワに到着。「ホテル・アラミス」に泊まる。夕食はホテルのレストラン。ライス&チキン。
 夕食後、夜の町を歩いた。

 ワルシャワは1990年の「世界一周」以来で、12年ぶりになるが、町並みはすっかりきれいになっていた。車も新車がバンバン走っている。ボロ車はほとんど見られない。市電もバスも新しくなっている。店のショーウインドーには豊富な商品が並んでいる。

 1990年に来たときはとにかくモノがなかった。
 スーパーマーケットに入っても、閑散とした品揃え。町を走りまわっているのは大半がオンボロ車。
 町のあちこちにはフリーマーケットができていた。そこでは野菜類やリンゴ、オレンジなどの果物類、キャンディーやチョコレートなどの菓子類、パン、チーズ、ハムといった食料品から衣類、本、工具、カセットテープ、ラジカセ、カメラ…と、いろいろなものが露店もしくは小屋掛けの店で売られていた。

 売る側も、買う側も、嬉々としている(ように見えた)。
 ぼくはそのとき、ふと戦国の武将、織田信長が岐阜城下に開いた楽市、楽座がこんなものでなかったかと思ったほどだ。
 1990年はまさに激動の「東欧の時代」で、社会主義体制が崩壊し、資本主義体制に組み込まれていった年。ワルシャワは資本主義体制下の12年間で大きく変ったのだ。

1859、ワルシャワで泊まった「ホテル・アラミス」
ワルシャワで泊まった「ホテル・アラミス」

 

テーマ : ツーリング
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秘湯めぐりの峠越え(23)栗駒峠(秋田・岩手)

栗駒峠の峠上の温泉
 十文字からは、来た道を引き返し、大森山峠下の成瀬温泉まで戻る。そこでR392と分かれ、R342で大森山峠よりもさらに南の栗駒峠に向かう。
 奥羽山脈の西側の山麓を走り、栗駒峠へと登っていく。

 秋田・岩手県境の栗駒峠は、秋田・岩手・宮城3県境にそびえる円錐状火山、栗駒山(1628m)の北側中腹の峠。標高1200メートル。この一帯は栗駒国定公園に指定されている。栗駒山は、別名、須川岳ともいわれる。
 栗駒峠には、北海道の塩狩峠の塩狩温泉や、岩手・秋田県境の巣郷峠の巣郷温泉と同じように、峠のま上に温泉がある。秋田県側には秋田須川温泉、岩手県側には須川温泉。ともに湯量の豊富な温泉で、峠はもうもうとたちこめる湯煙りにつつまれている。

 まず秋田側の秋田須川温泉(入浴料350円)の湯に入る。湯から上がると、峠のみやげもの店をのぞく。あけび細工などの民芸品を売っている。店先の何種ものキノコやリンゴ、カリンなどが、東北の秋を感じさせた。
 次に、県境を越え、岩手側の須川温泉(入浴料400円)の湯に入る。大浴場は入浴客で混み合っていたが、目の前にいる人の顔さえ見えないほどの湯煙りだった。以前は混浴の千人風呂だったとのことだが、今は男女別に分けられている。須川温泉の泉質は緑ばん明ばん泉。天然蒸し風呂も有名だ。

 栗駒峠周辺は、すでに紅葉も終わり、木々の葉は落ち、冬枯れの風景を見せていた。
 東北の奥羽山脈横断の峠越えルートは、冬期間、閉鎖されるところが多い。さきほどの大森山峠は11月下旬に閉鎖され、開通するのは、5月中旬のことである。この栗駒峠も同様で、11月上旬には閉鎖され、開通するのは、5月中旬から下旬のこととなる。

 奥羽山脈は、まさに太平洋側の奥州と、日本海側の羽州を分ける自然の大障壁となっている。一年中、奥羽山脈を越えられる峠は、限られた峠でしかない。冬期間でも、奥羽間を自由に行き来できる峠道というのは、東北人の悲願になっている。

R342沿いの温泉めぐり
 栗駒峠は岩手県一関市と秋田県東成瀬村との境の峠。秋田県側から岩手県側に入り、一関の市街地に向かって峠を下っていく。
 峠の上ではすでに紅葉は終わっていたが、峠を下っていくにつれて、紅葉前線に追いついたとでもいうのか、まだ紅葉の最中で、赤や黄に染まった山々の風景が目を楽しませてくれた。道路上には、敷きつめられたように、落ち葉が落ちていた。

 栗駒峠を下ると、峠下のR342沿いの温泉めぐりの開始だ。
 第1湯目は、真湯温泉。
 北上川の支流、磐井川最上流の、一軒宿の温泉だ。すっかり近代的な設備に生まれ変わったクアハウス風「真湯山荘」(入浴料300円)の露天風呂に入る。真湯温泉は、古くからの湯治場として知られ、須川温泉の“直し湯”などともいわれた。

 第2湯目は、祭畤温泉。
 祭畤山(990m)の山麓に湧く一軒宿の温泉。「祭畤温泉有朋亭」の「遊湯館」(入浴料300円)の湯に入る。祭畤とは古代中国の伝説上の五帝が祭事を行い、遊ぶ庭だとのことで、祭畤山はこの地方の霊山になっている。祭畤温泉は昭和61年10月に発見された自噴温泉。「遊湯館」は公衆温泉浴場になっており、地元の人たちにも親しまれている。木をふんだんに使った浴室で、湯船も広々としている。

 第3湯目は、奥厳美温泉。
 ここも一軒宿の温泉で、「奥厳美温泉有朋亭」(入浴料300円)の湯に入った。昭和63年2月に掘り当てた温泉で、祭畤温泉とは同じ会社の経営だという。
 第4湯目は、矢びつ温泉。
 ここもやはり一軒宿の温泉だが、入浴のみは不可。残念ながら入れなかった。

 第5湯目は、厳美渓温泉。
 ここには3軒の温泉宿があるが、3軒とも、入浴のみは不可。R342の温泉めぐりの最後で2湯連続で入れなかったのは、なんとも後味の悪い結末だったが、これも仕方のないこと。温泉というのは、その場所に行けば入れるというものではないのだ。

 気分を晴らす意味もあって、RMX250Sを降り、名所の厳美渓を汗を流して歩きまわった。観光客が大勢来ていた。磐井川が川床の石英安山岩質の凝灰岩を浸食し滝や瀞、甌穴をつくりだしている。そんな厳美渓の渓谷美を堪能するのだった。
 厳美渓を後にし、一関に出、一関ICから東北道を一路、福島へと南下していった。

テーマ : ツーリング
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Author: 賀曽利隆
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