17
27
  04 ,2009

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
Administrator:ウザワ・K

カテゴリー
Amazon
ブログ内検索 by Google
広告も社会の窓。
FC2ブログランキング
このブログが面白いと思ったらたまに(あるいは頻繁に!)クリックしてくださいね(ポチっとな)。それで何が起こるのかは僕も知らんけど…。
月別アーカイブ
小さな天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
QRコード
QRコード
--

Category: スポンサー広告

Tags: ---

 

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

30

Category: 峠越え<2>:秘湯めぐりの峠越え

Tags: ---

Comment: 0  

秘湯めぐりの峠越え(29)安房峠(岐阜・長野)
 (『アウトライダー』1995年9月号 所収)
          
なつかしの新平湯温泉!
 糸魚川から富山までは、北陸道を一気に走る。親不知(おやしらず)を過ぎ、富山県に入ると、やっと雨は上がる。富山からは神通川沿いにR41を南下し、岐阜県に入った。

 神岡の手前で、国道からわずかに右手に入ったところにある割石温泉「神岡町老人福祉センター」(入浴料360円)の湯に入り、かつては鉱山町として栄えた神岡へ。神岡からは神通川の上流、高原川に沿ってR471を走り、奥飛騨温泉郷最大の温泉地、新平湯温泉へ。なつかしの「静山荘」に泊まる。宿のオジサン、オバサンともにお元気だった。

 ぼくが初めて「静山荘」に泊まったのは、今から20年も前のことで、そのときは新婚旅行でやってきたのだ。
 新婚旅行とはいっても、貧乏旅行で、妻の洋子とは、東京・新宿駅を鈍行列車で発ち、松本から大糸線に乗り、糸魚川で1泊した。

 翌日は富山から高山線に乗り、神岡線に乗換え、終点の神岡で下車。たまたま駅前に止まっていたバスに飛び乗り、この新平湯温泉までやってきた。当時は山あいのひなびた温泉で、一重ヶ根温泉といっていた。

 季節外れだったこともあって、大半の宿が閉まっていたが、「静山荘」のオジサン、オバサンは無理を聞いてくれ、ゆっくりしていきなさいといって泊めてくれたのだ。ありがたかった。あやうく新婚旅行で宿なしになるところだった。ぼくたちは「静山荘」が気に入り、2泊した。あのころは、金はなかったけれども、時間だけはたっぷりあった‥‥。

「静山荘」に2度目に泊まったのは、それから10年後、バイクで奥飛騨の峠を越えたときのことだった。
 そのときは、ここ上宝村の村長さんが「静山荘」にやってきて、村長さんが来たからと、議員たちも集まり、臨時村議会風酒宴となり、ぼくもその席に呼ばれた。酔うほどに、みなさんの本音がポンポンと飛び出し、酒宴は夜遅くまでつづき、忘れられない一夜となった。そのおかげで、上宝村がものすごく自分に身近なものに感じられたのだった。

 新平湯温泉の「静山荘」というのは、ぼくにとっては、そのような、なつかしの温泉宿。夕食を終え、コンコンと湯が流れつづける湯船に身をひたしていると、あっというまに過ぎ去っていった歳月が、なつかしく、いとおしく感じられ、胸がジーンとしてしまう。

 翌日は、前日の悪天候とはうってかわって、雲ひとつない上天気。抜けるような空の青さだ。「静山荘」のご主人、曽祢辰三さん、奥さんの静子さんに別れを告げ、奥飛騨温泉郷の温泉めぐりを開始する。

 まず、第1湯目は、栃尾温泉。穂高連峰から流れ出る蒲田川の河畔にある露天風呂に入る。青空のもとで入る大露天風呂は気分爽快。
 第2湯目は、新穂高温泉。新穂高温泉というのは、蒲田、佳留萱、槍見、中尾、穂高、新穂高などの温泉の総称で、ここでは、蒲田川の川原の混浴大露天風呂「新穂高の湯」とバスターミナルにある「新穂高温泉アルペン浴場」の湯に入った。ともに無料湯だ。

 第3湯目は、福地温泉。奥飛騨の民家を移築した「昔ばなしの里」にある「石動の湯」(入浴料500円)に入る。移築民家の田頃家にある湯で、内風呂のあと、露天風呂の湯につかった。目の前のキリの木には、紫色の花が咲き、まわりの山々の緑が色鮮やかだ。
 第4湯目は、安房峠下の平湯温泉。温泉街からは離れた山中にある大露天風呂「神乃湯」(入浴料300円)に入る。栃尾温泉、新穂高温泉、福地温泉、平湯温泉と、奥飛騨温泉郷では露天風呂三昧をしたが、どこも、心に残る湯だった。

安房峠は穂高連峰の大展望台!
 平湯温泉を最後に、奥飛騨温泉郷の温泉めぐりを終え、R158で北アルプスの安房峠を登っていく。DR250Rのアクセルを吹かして峠道を登るにつれて見晴らしがよくなり、岐阜・長野県境に連なる北アルプスの高峰群を間近に眺めるようになる。青空を背にした峰々の残雪の輝きがまぶしい。

 標高1790メートルの安房峠に到着。安房山(2219m)のすぐ北側の峠だ。
 安房峠からの展望は抜群。長野県側に目を向けると、真正面に穂高が見える。左から右に、西穂高岳(2909m)、奥穂高岳(3190m)、前穂高岳(3090m)と連なる穂高連峰の峰々をあますところなく眺めることができる。安房峠は穂高連峰を眺めるのには最適の、大展望台になっているのだ。

 岐阜県側に目を移すと、四ッ岳(2745m)などの山々が見えるが、残念ながら乗鞍はその影に入って隠れてしまっている。
 安房峠から眺めるこれら3000メートル前後の北アルプスの山々は、どの山も、まだたっぷりと雪を残していた。

 安房峠の峠の茶屋で、うまいコーヒーを一杯飲み、名残おしい峠を出発。タイトなコーナーが連続する峠道を下る。峠下には中ノ湯温泉があったが、安房峠を貫くトンネルの工事現場になってしまい、今はない。トンネル工事は、平成9年の完成を目指し、長野県側でも岐阜県側でも、急ピッチの様相だ。

 安房峠を下ると、信州側の温泉めぐりを開始する。第1湯目は、坂巻温泉の露天風呂。R158沿いにある一軒宿(入浴料300円)の温泉だが、トンネルを抜け出て次のトンネルに入る間にあるので、気をつけていないと通り過ぎてしまう。

 第2湯目は、R158から5、6キロ、山中に登ったところにある白骨(しらほね)温泉で、以前の無料の露天風呂が新しく生まれ変わり、川原の洒落た露天風呂になった。そのかわり、入浴料も500円になった。“白骨”の名前どおりの白濁した湯の色だ。

 第3湯目は、白骨温泉から2キロほど行った一軒宿の泡ノ湯温泉(入浴料500円)。ここでも大露天風呂に入ったが、白骨温泉以上に白い湯だ。
 最後に、山地から平地に抜け出たあたりにある一軒宿の妙鉱温泉(入浴料300円)の湯に入り、松本ICに戻った。「松本→松本」474キロの「北アルプス一周」だった。

スポンサーサイト

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

29

Category: シルクロード横断2006

Tags: ---

Comment: 0  

シルクロード横断:第50回 シバース→カッパドキア
 シバースからカイセリへ。アナトリア高原もこのあたりになると、大分、高度を下げてくる。ベステペレール峠、ラレベリー峠と2つの峠を越えたが、ともに標高1350メートルの峠だった。

 アナトリア高原は一面、枯草で黄色くなっている。羊の群れを追う牧童の姿が見える。牧草地帯から農地になると、ビートの収穫の最中だった。

 カイセリに近づくと、標高3916メートルのエルジャス山が見えてくる。富士山にも似た、万年雪をいだく山。カイセリはその裾野の町だ。古くからの交通の要衝の地で、中部アナトリアの中心地になっている。

 歴史の古い町で、古代はマザキヤと呼ばれた。カエセリという地名は、ローマ時代にティベリウス皇帝がこの町の美しさに歓喜し、「カエセレ!」(皇帝カエサルの町)といったことに由来しているという。

 ビザンチン帝国時代にはキリスト教の影響を強く受け、11世紀から13世紀にかけてのセルジュック・トルコ時代にカエセリは最も栄えた。

 そんなカエセリから、アナトリア高原の中央部に広がる大奇岩地帯のカッパドキアに入っていった。
 13世紀のシルクロードのキャラバンサライを見学し、アバノスの岩窟レストランでピラフと煮豆の昼
食を食べ、ネブシェヒルの「ユクセラーホテル」に泊まった。ここで連泊することになっている。

 カッパドキアの奇岩は世界遺産にも登録されているが、そのエリアは広い範囲に渡り、エリア内にはネブシェヒルやアバノス、ギョレメ、ユルギュップの拠点となる町々が点在している。
「ユクセラーホテル」のレストランでピラフとチキンの夕食を食べると、我ら「ハマム同盟」はギョレメのハマムに行った。

 そこでは信じられないようないい思いをした。何と混浴で、デンマークからやって来た北欧の女性たちと一緒になった。彼女らは体にバスタオルを巻きつけ、浴室の大理石に横たわっていた。すらっとの伸びた真っ白な足が目に焼きついて離れなかった。

アナトリア高原を行く
アナトリア高原を行く

5549、13世紀のキャラバンサライ
13世紀のキャラバンサライ

5554、カッパドキアの奇岩地帯
カッパドキアの奇岩地帯

5558、ホテルの夕食
ホテルの夕食

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

28

Category: シルクロード横断2006

Tags: ---

Comment: 2  

シルクロード横断:第49回 エルジンジャン→シバース
 エルジンジャンからはE80→E88でシバースに向かった。
 その途中では2つの2000メートル級の峠を越えた。最初の峠は標高2160メートルのサカルトゥタン峠。2番目の峠は標高2190メートルのキジルダッグ峠。

 峠はトルコ語では「ゲジディ」になる。サカルトゥタン峠だとサカルタン・ゲジディ、キジルダッグ峠だとキジルダッグ・ゲジディになる。
 ともにアナトリア高原の峠なので、2000メートルを超えるといっても、それほどの高さは感じない。

 キジルダッグ峠の「キジル」は「赤い」を意味する。「ダッグ」は「山」を意味する。つまりは「赤い山」。その峠名の通りで、峠を越えると、まわりの山々は燃えるような、真っ赤な山肌をした山になる。山肌に樹木はまったくない。乾燥しきった山岳風景。強烈な眺めだ。

 その「赤い山」が途切れると、今度は目のさめるような青石の露出した山になる。赤と青のコントラストが、どぎついほどの色鮮やかさだった。まさに原色の世界。

 峠を下ると、黒海に流れ出るキジルイルマク川に沿った道になる。
 キジルイルマック川だが、「キジル」はさきほどキジルダッグ峠同様、「赤い」を意味する。「イルマック」は「川」の意味。キジルイルマック川というと「赤い川川」になってしまうが、このような例はいくらでもあるので、そのままキジルイルマック川としておこう。
 キジルダッグ峠は名前通りの「赤い山」だったが、キジルイルマック川の方は「赤い川」ではなく、青々とした流れだった。

 エルジンジャンから252キロ走り、14時、シバースに到着。町の中心街の「コスクホテル」に泊まる。部屋に荷物を置くと、さっそく町の探訪。市場を歩いた。ブドウやザクロが山積みにされていた。
 夕食は町中のレストランで。黒ダイの焼き魚を食べた。魚がよく食べられるトルコらしい夕食だ。夕食後は我ら「ハマム同盟」、連夜のハマムに繰り出すのだった。


※管理人コメント:
「赤い山」の「キジルダッグ」ですが、正確な発音は「クズルダア」とのことです。詳細はコメント欄をご覧ください。

5530、E88を行く
E88を行く

5532、シバースの目抜き通り
シバースの目抜き通り

5535、市場を歩く
市場を歩く

5536、ハマムの外観
ハマムの外観

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

26

Category: シルクロード横断2006

Tags: ---

Comment: 0  

シルクロード横断:第48回 エルズルム→エルジンジャン
 エルズルムでは中心街にある「ディラベールホテル」に泊まった。翌朝、夜明けとともに町を歩く。快晴。だが、それほどの寒さではなかった。

 町を歩きながら1990年の「世界一周」がしきりと思い出された。そのときは50㏄バイク、スズキ・ハスラーTS50での「世界一周」だった。今回とは逆のルートで、イスタンブールからイラン国境に向かったのだが、ここエルズルムが寒さのピークだった。今回とほとんど同じ時期だったが、気温は氷点下まで下がり、あまりの寒さに頭がズキズキ痛むほどだった。

 ホテルの朝食を食べ、8時、出発。いつものように、我ら「シルクロード軍団」は「目指せ、イスタンブール!」の掛け声をかけて走り出す。

 エルズルムからはE80を行く。イランのタブリーズからトルコ国境までは、アジア・ハイウエイのA01だった。それがトルコに入るとヨーロッパ・ハイウエイのEに変る。片側2車線の広々とした道。路肩も広い。

 やがてE80は峡谷に入っていく。大河、ユーフラテスの峡谷だ。
 エルズルム北東のカラ川とアララト山を源とするムラト川が合流してユーフラテス川になるが、トルコから南流してシリアに入り、南東流してイラクへ。下流のメソポタミア平原でティグリス川と合流し、ペルシャ湾に流れ出る。全長2800キロ。西アジア第一の大河だ。トルコ、シリア、イラクと3国を流れる川なので、たびたび紛争の火種にもなっている。

 そんなユーフラテス川の峡谷を見ながらの昼食。チーズサンド&ポテト。トマトのまるかじりがうまかった。
 アスカルを通り、2000メートル級の峠を越える。
 テルカンを通り、周囲を3000メートル級の山々に囲まれたエルジンジャンの盆地に入っていく。盆地の中心地がエルジンジャン。

 エルズルムから192キロのエルジンジャンには14時に着いた。町の目抜き通りに面した「ギリシタンホテル」に泊まる。日暮れまでまだたっぷりと時間があるので目抜き通りを歩き、広場を歩いた。そのあと店でサッカーボールを買い、公園で久クンや慎吾クンを引っ張り込み、地元の少年たちと一緒にサッカーをした。けっこうムキになってゲームもしたのでクタクタ。

 町中のレストランでピラフ&チキンの夕食を食べたあとは、昨夜にひきつづいてのハマム。「ハマム同盟」の面々と一緒に蒸気風呂を楽しむ。アカスリをしてもらって、湯上りのチャイを飲んで。それで12リラ。日本円で1000円ほどだ。

5506、エルズルムの町並み
エルズルムの町並み

5507、4車線のE80
4車線のE80

5510、ユーフラテス川の峡谷
ユーフラテス川の峡谷

5517、エルジンジャンのバイクショップ
エルジンジャンのバイクショップ

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

25

Category: シルクロード横断2006

Tags: ---

Comment: 0  

シルクロード横断:第47回 ドーバヤジット→エルズルム
 トルコ東部、イランとの国境に近いドーバヤジットでは、町の中心にある「ヌフホテル」に連泊したが、2日目も、展望レストランからはアララト山がきれいに見えた。雪をかぶったアララト山(5165m)を見ながら食べる朝食はなんとも優雅なものだった。

 2006年10月2日8時、ドーバヤジットを出発。「シルクロード横断」のゴール、イスタンブールを目指す。トルコ横断の開始。スズキDR-Z400Sに「頼むぞ!」とひと声かけて走り出す。

 ドーバヤジットの町を離れるまではアララト山には雲ひとつかかっていなかった。それが…、あっというまに天気は変り、山麓まで行ったときには山頂はすっぽりと雲に覆われてしまった。残念…。富士山型の小アララット山(3898m)には雲はかかっていなかった。

 アララト山の山麓からは標高1600メートルの峠を越える。峠道を下っていくと、隣国アルメニアの最高峰、アラガッツ山(4094m)がよく見えた。峠を下りきったところがアルメニアとの国境の町、イグディールだ。

 街道沿いのレストランでピデ(ナン)、ショルボ(スープ)、肉料理、サラダの昼食を食べ、カルスの南を通ってエルズルムに向かう。このカルスの近くにはアニ遺跡がある。アルメニア教会の中心地として栄えたアニは、シルクロードの中継都市としても繁栄を謳歌した。11世紀前半の最盛期には人口は10万人を超え、1001もの教会のある町といわれたほど。

 カスピ海に流れ出るアラス川沿いに走り、16世紀のオスマントルコ時代の石橋、チョバンデデ橋を見る。そして標高2000メートルの峠を越え、トルコ東部の中心地、エルズルムへと下っていく。川の流れが変る。標高1853メートルのエルズルムの周辺は、ペルシャ湾に流れ出るユーフラテス川の源流地帯になっている。

 ドーバヤジットから353キロ、17時にエルズルムに到着したが、日が落ちると急速に気温が下がった。
 夕食はカバブー。そのあと町のハマムに繰り出した。「道祖神」の菊地さんを隊長に、「ハマム同盟」を結成したのだ。

 ハマムとはトルコやアラブ圏特有の蒸気風呂。蒸気浴しながら大理石の上でゴロンと横になった。アカスリもやってもらったが、すご~く気持ちいい。我ら「シルクロード軍団」、ハマムにすっかりはまり、このあと宿泊地の町に着くとハマムを探すのだった。

5473、雲をかぶったアララト山
雲をかぶったアララト山

5478、アルメニアの最高峰、アラガッツ山を眺める
アルメニアの最高峰、アラガッツ山を眺める

5492、アラス川にかかる石橋のチョバンデデ橋
アラス川にかかる石橋のチョバンデデ橋

5494、街道沿いでは巨大キャベツを売っていた
街道沿いでは巨大キャベツを売っていた

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

25

Category: 食文化研究

Tags: ---

Comment: 0  

日本食べある記(4)讃岐のうどん
 (『市政』1991年4月号 所収)

 瀬戸大橋の完成で消えていった宇高連絡船は、岡山県の宇野と香川県の高松を結んでいた。
 私は高松に行くのに、何度かこの宇高連絡船に乗ったことがある。宇高連絡線というのは高速道路、もしくは列車で瀬戸大橋を渡るよりもはるかに、
「四国に渡った!」
 という気分にさせてくれるものだった。

 そのような宇高連絡船での強烈な思い出が、ひとつある。
 宇野発14時54分の便に乗った時のことだ。
 その日は8月11日で、連絡船はお盆の帰省客を乗せ、超満員だった。
 連絡船の甲板の片隅には“さぬきうどん”と染め抜かれたのれんをぶらさげた店があった。私は乗船してすぐに甲板に上がったのにもかかわらず、すでに讃岐うどんの店の前には長蛇の列ができていた。

 甲板のあちらこちらではベンチに座ったり、甲板にそのままベタッと座りこんだり、デッキにもたれかかったり…とさまざまな格好で、男も女も、大人も子どもも、湯気のたちのぼるうどんをすすっていた。それは壮観で、“うどん王国・讃岐”に入っていくのにふさわしいながめだった。

 私も列に並び、やっと手に入れた讃岐うどんを賞味した。
 夏の強い日差しを浴び、青々とした瀬戸内海をながめながら味わう讃岐うどんは、格別なものだった。さすがに讃岐うどんだけのことはあると思わせたのは、うどんの腰が強く、粘り気があり、うどんの歯ごたえがなんともいえずにいいことであった。

 それに汁が違う。
 醤油味よりも塩味をきかせているので、汁が澄んでいる。見た目にきれいなのである。 汁のだしも、味には定評のある瀬戸内海産のいりこを使っているとのことで、味が単調ではなく、手のこんだコクなのだ。

 いりこは東日本では煮干しといっているものだが、西日本のものは一味違う。とくに瀬戸内海産のいりこは、味が天下一品。カタクチイワシやマイワシ、ウルメイワシの幼魚を煮てから干したもので、「だしじゃこ」とか「ちりめんじゃこ」、またはたんに「じゃこ」などとも呼ばれている。

 塩味といりこだしが、讃岐うどんの味のベーになっているのだが、讃岐産の讃州塩は播州塩とともに、味の良さで知られていた。
 塩の代名詞として“十州塩”の言葉が今でも残っているが、日本の主要な塩の生産地帯でもあった播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門、阿波、讃岐、伊予の瀬戸内十ヶ国の塩のうちでも、とくに播州の赤穂塩と讃州塩が良質なものとされていた。
 讃岐うどんの塩味は、そのような讃岐の塩づくりの伝統に裏打ちされたものなのだ。

 ところで、私のまわりでうどんを食べている人たちの話し声が、耳に入ってくる。
 うどんをすすりながら、うどん談義をやっている人たちもいた。
「東京で暮らしていて、なにがつらいかって、この讃岐うどんを食べられないことほど、辛いことはないよね。東京のうどんといったら、食えたものではない。汁は醤油でまっ黒だし、気持ちは悪いし、だいいち、味がないんだ。うどんもフニャフニャだし…。東京の人間って、よくあんなうどんを平気な顔して食えるよなぁって感心してしまう」
「大阪のうどんは、けつね(きつね)で有名だけど、讃岐のうどんとは汁のだしが違う。大阪のは、カツオだし。うどんの味は、やっぱりいりこだしにかぎるよ」

 讃岐人と思われる、三十前後の帰省客同士のうどん談義を聞きながら私は、なぜ、こんなにも大勢の人たちが讃岐うどんを食べる為に長い列をつくるのだろうという疑問に、答えを得た思いがした。讃岐への帰省客は故郷の目の前にして、讃岐の土を踏む前に、一刻も早く故郷の味を確かめたかったのだ。

 その時私は、自分自身の体験を思いおこさずにはいられなかった。私は1年とか、2年といった、長期間にわたって海外を旅したことが何度かある。海外を旅している間は別に日本食を食べたいとも思わないのだが、いったん日本の土を踏むと、砂漠で水を求めるかのように無性に日本の味が恋しくなる。

 すし屋を見かければ、ほとんど無意識のうちにのれんをくぐり、すしをつまんでいる。すしだけではない。うどん、そば、ラーメン、うなぎ、てんぷら…と食べ歩く。家でも、ご飯にワカメの味噌汁、納豆、さらには塩ジャケ、塩辛、のり、豆腐、漬け物…等々、日本の味を十分に口にするまでの何日間かは、日本的な味以外は体が受け付けないのである。宇高連絡船の船上での光景は、私の体験の、それに近いように思えてならなかった。

 海を渡って、東京や大阪に出て行った讃岐人にとっては、東京や大阪はしょせん異国でしかないのだ。異国からの帰省で、最初に出会う国の味が、宇高連絡船の讃岐うどんの味なのである。
 それだからこそ、一刻も早く国の味を確かめたくって、味覚を通して国を確かめたくって、船内を走ってまでも大勢の乗客が甲板の讃岐うどんの店に駆けつけたのだろう。
 甲板の讃岐うどん店前の行列は、連絡船が高松港に着く直前まで、つづいたのである。

 さて、高松である。
 高松には何度かいったことがあるが、讃岐うどんを食べるのが目的で行ったこともある。その時は徹底的にうどんを食べ歩き、朝、昼、晩と1日3度、うどんを食べたほど。

 まず、高松の玄関口、JR高松駅構内でうどんを食べた。
 うどん屋のメニューは、かやくうどん、冷やしうどん、きつねうどん、月見うどん、天ぷらうどん、肉うどんと、うどん一辺倒なのである。東京ならば“立ち食いそば”になるところだが、高松では“立ち食いうどん”。ここでは一番安いかやくうどんを食べた。ちくわ、かまぼこ、なると、それにネギが入っただけのうす味のうどんだが、ほかによけいなものが入っていないだけに、うどんの味がひときわ際立っていた。

 高松駅構内の“立ち食いうどん”ではないが、高松の町を歩いていて目につくのは“うどん”“手打ちうどん”“讃岐うどん”“饂飩屋”…と、うどんの看板を掲げている店の多いことだ。東京ならばあたりまえに見られるそば屋の看板は、ほとんど目に入らない。

 何軒もの店に入って食べたが、人気の老舗の店にも入った。
 そこのメニューは、かけうどん、湯だめ、釜あげうどん、きつねうどん、わかめうどん、ざるうどん、しっぽくうどん、天ぷらうどん、肉うどん、天ざるうどん…で、私はそのうち、釜あげうどんとしっぽくうどんを注文した。

 釜あげうどんは、ゆであげたうどんをそのまま、湯とともに桶に入れたもの。それを薬味のネギとショウガ、ゴマの入った汁につけて食べる。しっぽくうどんはニンジン、カボチャ、ナス、カシワ、油揚げの入った煮込みうどんだった。
 店の主人が話してくれた。
「ウチでは、うどんの原料にこだわっていますよ。讃岐うどんは、讃岐のムギを使って、讃岐で食べてもらって、はじめて讃岐うどんといえるのではないでしょうかね」

 店の主人は、讃岐産の小麦粉をこねて、足で踏みつける。
「踏めば踏むほど、粘り気が出てくるのですよ」
 といいながら、さらに、踏みつける。

 そうすることによって、讃岐うどん特有の生木を折るような、しなやかな腰の強さが生まれるのだという。それを打ち板にのせ、くりかえしくりかえし、麺棒でのばす。そんな、うどんづくりの工程を見せてもらった。

 そのほか、高松で食べたうどんで印象に残っているのは、冷やしうどんと醤油うどん。
 夏だったこともあって、炎天下を歩き、歩き疲れて食べた冷やしうどんのヒヤッとした舌の感覚は強烈だった。さっぱりとした味わいの1杯のうどんは、私にふたたび歩く元気を与えてくれた。
 醤油うどんは釜からあげたばかりのうどんに、醤油とネギをふりかけたもの。うどん本来の持つうまみを充分に味わうことができた。

 ここに、ひとつのデータがある。
 年間1人当たりのうどんの消費量が多い県のベスト5。それは次のようなものである。
   1位 香川県 120玉
   2位 群馬県  41玉
   3位 佐賀県  38玉
   4位 埼玉県  37玉
   5位 山梨県  35玉

 このように、香川県は断トツで1位になっている。ちなみに、うどんの消費量の少ない県は千葉県(8玉)、岩手県(9玉)、茨城県(10玉)、新潟県(11玉)、長崎県(12玉)となっている。
 さすがに“うどん王国・讃岐”だけあって、香川県には「讃岐うどん研究会」という、うどん研究会がある。
 そこの香川県全域で5000人を対象に行ったアンケート調査からも、うどんがいかに讃岐人に密着しているかが、うかがい知ることができた。

 うどんの好き嫌いについては、「大好き」(44・3%)、「まあまあ好き」(48・5%)を合わせると、9割以上の人が「好き」と答えている。
 反対に「やや嫌い」(5・1%)、「嫌い」(0・4%)と、「嫌い」と答えた人は、5パーセントほどでしかない。

 うどんを食べる回数では、「毎日食べる」(11・7%)、「週に数回、食べる」(42・3%)と5割以上の人が、ほぼ毎日うどんを食べている。
 このように讃岐人のうどん好きは際立っている。
 うどんの味にはうるさい讃岐人だけに、高松ではどんな店に入っても“讃岐うどん”の味には、まずハズレはなかった。

テーマ : 旅と美味    ジャンル : 旅行

24

Category: 管理人より

Tags: ---

Comment: 0  

管理人より世相について一言
SMAPとかフツーにキライというか、TV見ない私にとってはどーでもいいんですが。

でも、どう考えたって、

深酒して深夜の公園で全裸”自爆”した<<<<<(越えられない壁)<<<<<タクシー運転手を殴ったりする「これが金融危機の構図なのでございます」アナウンサー(こんな解説ありかよ)、や、吉本社員マネージャーの髪の毛を引っつかんでボコボコにした”お笑い芸人”(なんで復帰してるんだ?)、や、同じメンバーでひき逃げしたやつ(これも普通引退だろ?)・・・

じゃないんですかね?

TVは腐ってますよマジで(上さんはまだ見てるけど)。
というわけで、ブログを読みましょう(笑)!

PS地デジ反対!www
てか、草薙君はアナログ人間だったというオチでどお?

テーマ : 管理人より    ジャンル : その他

23

Category: 食文化研究

Tags: ---

Comment: 0  

日本食べある記(3)長崎のチャンポン
 長崎といえば、日本の、西に向けた玄関口。特急「かもめ」で長崎駅に着くと、まずは稲佐山に向かった。
「高い所から見下ろす」
 それは、町を見るときの基本だ。

 ロープウェーで稲佐山に登った。標高は332メートルだが、海からスーッとそそり立つ山なので、それ以上の高さに見える。山頂からは、長崎が一望できる。
 思わず息を飲み込むほどの、すばらしい眺め!
 眼下には奥深くまでも切れ込んだ海。それが長崎港だ。“天然の良港”の言葉がぴったりで、いかにも深そうな海だ。

「鶴の港」の名前どおり、鶴が大きく羽を広げたような形をしている。足もとの海岸には、林立する三菱造船所のクレーン。鉄を打つ音やサイレンの音が、山肌を這い上がって聞こえてくる。
 五島列島に向かう連絡船の汽笛。魚市場、漁港岸壁にずらりとならんだトロール漁船。稲佐山の山頂に届く音や、山頂からの風景は、まさしく港町・長崎そのものであった。

 7つの丘に囲まれた長崎の町。平地はほとんどない。わずかに浦上川沿いに、細長くのびた平地がある程度だ。長崎駅や繁華街の浜町周辺にビルが集中し、その背後の丘の斜面には、びっしりと家々が建ち並んでいる。三方を山に囲まれ、残る一方を海に向けた長崎をとりまく地形が、稲佐山の上からだとよくわかるのである。

 長崎港の出口には、大小いくつかの島々が浮かび、その向こうには、東シナ海の大海原が広がっている。その海はさらに、南シナ海、マラッカ海峡、そしてインド洋、大西洋へとつづいている。
 江戸時代、鎖国していた日本が、中国やオランダを通じて世界に開いた唯一の窓、それが長崎!
「あの海を越えて唐人船が、南蛮船が、紅毛船(オランダ船)が、長崎にやってきた…」
 そんな感慨が胸にこみあげてきて、私はなかなか稲佐山の山頂を立ち去ることができなかった。

 カステラ、べっ甲細工、ビードロ細工、唐人館、唐寺、オランダ坂、洋館、天主堂、石橋…などと、異国の風一色に染めあげられた感のある長崎の町は、どこを歩いてもエキゾティズムに満ちあふれている。それを求めて、大勢の人たちが長崎にやってくるというのも、もっともなことだとうなずける。
 私も長崎の異国情緒にたっぷり浸りながら、町を歩いた。だが、テクテク、テクテクと自分の足で歩いた長崎で、それ以上に強く心に残ったのは、各町々にある市場だった。

 いくつもある市場のなかでも、築町市場には、数日間の長崎滞在中に、何度となく足を運んだ。築町市場は、東京でいえば銀座に相当する浜町から、電車通りを一本渡ったところにある。私は市場に、長崎人の生活のにおいをかぎにいったのである。

 長崎に行ったのは、夏だった。
 築町市場の朝は早い。
 夜が明けてまもない5時には、長崎から山ひとつ越えた茂木からやってきたおばさんたちが公設市場の周辺に露店を出し、生きのいいエビやアナゴ、グチ、タチウオなどを並べて売っている。
「なにか、いらん」
「こうてねー」

 とりたてのザッコエビ(サイマキエビ)を、早起きしてでも買いにくる人たちが、けっこういるというのだ。おばさんたちはそのような買い物客に声をかけている。
 茂木といえば、千々石湾(橘湾)に面した港町で、天草航路の船が出ている。背後の山の斜面は段々畑になっており、特産のビワが栽培されている。

 こうして5時前後に店を出しているということは、夜中の2時、もしくは3時に家を出て、商品をとりそろえ、そして夜明けの築町市場にやってくるのだろう。働き者の日本女性の典型を、おばさんたちの姿に見るような思いがした。

 6時を過ぎると、公設市場内の店々が開きはじめる。
 魚市場から仕入れたばかりのタイやカレイ、ブリ、タコ、イカ、ワタリガニなどの新鮮な魚介類が鮮魚店の店頭に並ぶ。
 サメ肉の湯びきを売る店もあった。長崎では、サメのことをフカと呼んでいるが、肉は一種独特のくさみがある。また、それがいいのだろう。表面は、いわゆるサメ肌で、ザラザラしている。ザラつきをとるために、湯に浸してやわらかくし、タワシでこそぐ。それを3ミリほどの厚さで筒切りにし、沸騰している湯の中に通し、すばやく冷たい水で冷やしたものがフカの湯びきである。新鮮なものはくさみが少なく、酢味噌で食べるのが一般的だという。

 やがて鮮魚店につづいて、乾物店、精肉店、青果店、雑貨店などの店が開きはじめた。
 長崎滞在中は“長崎の味”を求めて食べ歩いた。
 まずは「吉宗」の茶碗蒸しと蒸しずし。看板どおりにすごかった。
 浜町にある「吉宗」は、創業が慶応2年(1866年)という老舗だが、茶碗蒸しと蒸しずしを名物にしている。

 大きなどんぶりで出てくる茶碗蒸しには、同じような大きさのどんぶりで出てくる蒸しずしがつきもので、両者を合わせて“夫婦蒸し”と呼んでいる。セットになった夫婦蒸しを食べに、わざわざ長崎にやってくる人もいるくらいだ、
 茶碗蒸しの具は、アナゴや白身の魚、鶏肉、シイタケ、キクラゲ、ギンナンなど。

 まず、よくかきまぜた卵の中にだし汁を加えて卵汁をつくる。次に、どんぶりにさきほどの具を並べ、卵汁をかけ、その上にかまぼこと焼き麩をのせ、蒸し器に入れる。蒸しあがる途中で、ミツバを添える。このように、ボリューム満点の茶碗蒸しなので、それだけてお腹がいっぱいになるほどだ。

 また、対になる蒸しずしは、かために炊いたご飯に酒と塩で味付けをしただし汁をふりかけてよく混ぜ、さらに甘辛く煮付けたタケノコ、ゴボウを細く刻んで混ぜる。どんぶりにそれを盛り、30分ほど蒸したあと、上に錦糸卵、でんぶ、刻んだアナゴをのせ、もう一度蒸す。錦糸卵の黄色、でんぶの桜色、焼きアナゴの茶色と三色の配色が色鮮やかで、味のみならず、目でも楽しめる料理なのである。

 長崎の味で忘れることができないのが卓袱(しっぽく)料理。
 中華料理に、南蛮(ポルトガル)風、紅毛(オランダ)風西洋料理の技術を加えてできあがった日本料理、といったところであろうか。和洋中折衷の、まさに長崎らしい味覚である。
 丸い膳に乗った料理を、小皿に取り分けて食べる、料理は大鉢、中鉢、小菜盛、ご飯、煮物、水菓子、最後に梅椀(おしるこ)とつづく豪華なものだ。

 卓袱料理は、今ではすっかり料亭の料理になってしまったが、もともとは家庭で客をもてなす料理であった。めいめいの膳に別々に盛るのではなく、大きな食卓の上に、全員の分を料理別の皿に盛り、各人が小皿で取り分けて食べる中国風の食べ方は、鎖国をしていたころの日本ではさぞかし珍しい、異国の料理、異国の食習慣に見えたことであろう。

 卓袱とは中国語で卓にかける布、つまりテーブルクロスのことだというが、外来の文化をたくみに日本のものにしてしまう日本人のすごさを卓袱料理にも見ることができるのである。

 さて、あれこれ食べ歩いた結果だが、長崎の味といえば、やはり長崎チャンポンだ。
「ビールと日本酒、ウィスキーをチャンポンに飲んだから、ひどい二日酔いだよ…」
といった具合に、チャンポンは何でもかんでも一緒くたに混ぜ合わせるという意味の日本語にさえ、なっている。

 長崎はさすがにチャンポンの本場だけあって、「チャンポン」の看板をあちこちで目にする。
 このチャンポンの語源、また料理の起源だが、その説にはいろいろとあるようだ。だがチャンポンという料理は長崎からはじまったのは間違いない。

 私が聞いた長崎チャンポンの誕生は、次のような話であった。
 チャンポン誕生の地は、大浦天主堂の下にある創業明治32年の中華料理店「四海楼」だという。創業者の福建省出身の華僑、陳平順さんが考案者だというのだ。

 当時の長崎は、中国との距離がきわめて近かった。そのせいもあって、上海などからの留学生が多かった。陳さんは、留学生たちに、安くておいしくて、ボリュームのあるものを食べさせてあげたかった。そこで考えついたのが、季節ごとの海や山の幸が一緒くたに、どっさり入った麺で、それが長崎チャンポンになったという。

 チャンポンの麺は独特で、唐灰汁に浸し、唐灰汁をしみ込ませてある。鳥のスープと豚のスープを混ぜ合わせた汁がチャンポンの命で、その作り方は店ごとの秘伝になっているという。具には四季の野菜や豚肉、カマボコ、イカ、エビ、貝類、キクラゲ、タケノコなどがあり、どっさり入っている。

 皿うどんもチャンポンに負けずに有名だが、長崎には2種類の皿うどんがある。ひとつは野菜や肉、魚介類などを炒め、麺を入れ、スープを少々加え、汁気がなくなるまで炒めたもので、長崎ではこれが本来の皿うどんだといっている。つまりは汁ナシのチャンポンといったところだ。もうひとつは細いパリパリの麺に、くず粉でトロッとさせた具をかけたものである。

 長崎は中華料理のおいしい町。
 中華料理店はおしなべてどの店も安く、うまく、量が多い。
 長崎、神戸、横浜といったら日本の中華料理の本場だが、長崎は神戸、横浜に比べたら、その歴史ははるかに長い。それだけに長崎の中華料理には、しっかりとした年季が入っている。そのような土壌がある長崎だからこそ、チャンポンもこの地で生まれたのに違いない。

テーマ : 旅と美味    ジャンル : 旅行

22

Category: 60代日本一周「岬めぐり+島めぐり」2008

Tags: ---

Comment: 0  

日本一周・岬めぐり(121)沢崎(新潟)
沢崎(新潟)12月17日
 14時、両津港に戻ると、すぐさま時計回りでの「南佐渡一周」の開始。県道45号を南下し、赤泊、小木と通って佐渡南西端の沢崎に到着。岬の突端には灯台。海岸の岩の上に座り、日本海に落ちていくでっかい夕日を眺めた。

 小木から国道350号で両津へ。その途中でははたの温泉「松泉閣」(入浴料500円)の湯に入り、湯から上がると「夕映え食堂」で「ラーメン&おにぎり」(600円)を食べた。手づくりのおにぎりがうまい。19時、両津港に到着。「南佐渡一周」は122キロ。19時30分発の佐渡汽船「おおさど丸」で新潟に戻った。

6985、両津港から「南佐渡一周」に出発
両津港から「南佐渡一周」に出発

6990、佐渡南西端の沢崎
佐渡南西端の沢崎

6992、沢崎の灯台
沢崎の灯台

6996、沢崎から眺める日本海に落ちる夕日
沢崎から眺める日本海に落ちる夕日

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

21

Category: 60代日本一周「岬めぐり+島めぐり」2008

Tags: ---

Comment: 0  

日本一周・岬めぐり(120)弾崎(新潟)
弾崎(新潟)12月17日
 相川から県道45号で佐渡の西海岸を北上。外海府海岸を行く。巨大な一枚岩の「大野亀」を過ぎると佐渡最北端の弾崎。

 灯台の先には往年の名画「喜びも悲しみも幾歳月」の像が建っていた。主人公の灯台守の夫婦像だ。弾崎からは内海府海岸を南下し、両津港に戻ったが、「北佐渡一周」は125キロだった。

6969、佐渡の北端を行く
佐渡の北端を行く

6972、巨大な一枚岩の大野亀
巨大な一枚岩の大野亀

6976、弾崎の灯台
弾崎の灯台

6979、弾崎の「喜びも悲しみも幾歳月」の像
弾崎の「喜びも悲しみも幾歳月」の像

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

21

Category: 60代日本一周「岬めぐり+島めぐり」2008

Tags: ---

Comment: 0  

日本一周・岬めぐり(119)長手岬(新潟)
長手岬(新潟)12月17日
 新潟港から佐渡汽船の大型フェリー「おけさ丸」に乗り、佐渡の両津港に渡った。両津を出発点にしての「佐渡一周」の開始。佐渡は8の字形にまわった。

 最初は北佐渡の一周で、時計回りにまわる。両津から国道350号で真野湾の湾岸に出る。波ひとつない静かな海。真野湾沿いに県道45号を走り、まずは長手岬に立った。スズキ・アドレスV125Gリミテッドを停め、岬先端の岩場地帯をプラプラ歩いた。

6941、佐渡の両津港に上陸
佐渡の両津港に上陸

6949、波ひとつない真野湾
波ひとつない真野湾

6950、長手岬に到着
長手岬に到着

6953、岬先端の岩場地帯
岬先端の岩場地帯

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

20

Category: 60代日本一周「岬めぐり+島めぐり」2008

Tags: ---

Comment: 0  

日本一周・岬めぐり(118)八幡崎(山形)
八幡崎(山形)12月16日
 酒田港からスズキ・アドレスV125Gリミテッドともども、飛島行きの船「ニューとびしま」に乗り込み、飛島に渡った。日本海の海上から眺める雪をいだいた飛島は見事なものだった。

 飛島の勝浦港に上陸すると島北端の八幡崎へ。そかからも鳥海山がよく見えた。岬の高台にまつられている八幡神社に参拝し、岬突端の岩場を歩いた。

6896、「ニューとびしま」から見る鳥海山
「ニューとびしま」から見る鳥海山

6899、飛島の勝浦港に上陸
飛島の勝浦港に上陸

6905、飛島最北端の八幡崎から眺める鳥海山
飛島最北端の八幡崎から眺める鳥海山

6904、八幡崎突端の岩場地帯
八幡崎突端の岩場地帯

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

20

Category: 60代日本一周「岬めぐり+島めぐり」2008

Tags: ---

Comment: 0  

日本一周・岬めぐり(117)三崎(秋田・山形)
三崎(秋田・山形)12月15日
 秋田・山形県境の三崎に到着。不動崎、大師崎、観音崎の3岬を総称して三崎といっている。駐車場から観音崎の展望台まではすぐに登れる。そこには展望台。正面の水平線上にはまっ平な飛島が浮かんでいる。
 この展望台から眺める日本海に落ちる夕日はすばらしいの一言。おすすめは遊歩道で歩くこれらの3崎めぐり。三崎から南の日本海の岸線は単調になり、目ぼしい岬はなくなる。三崎を越えて山形県に入ったところで、出羽の一の宮、大物忌神社に参拝した。

6864、三崎の展望台
三崎の展望台

6865、三崎から眺める飛島
三崎から眺める飛島

6868、三崎の海岸線
三崎の海岸線

6872、出羽の一の宮、大物忌神社
出羽の一の宮、大物忌神社

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

19

Category: 60代日本一周「岬めぐり+島めぐり」2008

Tags: ---

Comment: 0  

日本一周・岬めぐり(116)入道崎(秋田)
入道崎(秋田)12月14日
 男鹿半島西海岸のきれいな海を見ながら走り、半島北端の北緯40度線上の岬、入道崎に到着。岬の周辺は芝生に覆われ、ここでの潮騒を聞きながらの昼寝は気持ちいい。
 高さ24メートルの白黒2色の灯台には登れる。上からの眺めは最高。日本海の海岸線を一望。眼下に水島を見下ろす。

 入道崎は東北の岬の中では一番の観光地。大駐車場には観光バスや乗用車が並び、食堂、みやげ物店が軒を連ねる。そのうちの1軒で「なまはげ丼」(2500円)を食べた。イクラ、アワビ、ホタテ、カニ、エビ、ウニ、トビコ(トビウオの子)ののった豪華海鮮丼。それにハタハタの魚汁がついている。

6830、男鹿半島の西海岸を行く
男鹿半島の西海岸を行く

6834、入道崎の灯台
入道崎の灯台

6835、店先にはなまはげ
店先にはなまはげ

6836、入道崎の「なまはげ丼」
入道崎の「なまはげ丼」



すかさず管理人コメント:
それにしても「なまはげ丼」って、どこがなまはげやねん! というネーミングですね。看板の写真では「海鮮」なまはげ丼とあるので、まぁ基本海鮮丼って意味なんでしょうが。。。
かといって、なまはげの肉は食いたくないしなぁw

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

19

Category: 60代日本一周「岬めぐり+島めぐり」2008

Tags: ---

Comment: 0  

日本一周・岬めぐり(115)潮瀬崎(秋田)
潮瀬崎(秋田)12月14日
 男鹿半島の2番目の岬は潮瀬崎。ゴジラ岩が日本海に向かって吠えている。大岩のゴロゴロしている岬で、ここは男鹿半島の南西端。
 岬の突端には灯台。潮瀬崎を過ぎると五社堂のある門前の集落で、そこには巨大ななまはげ像が建っていた。

6823、潮瀬崎に到着
潮瀬崎に到着

6826、岬の突端には灯台
岬の突端には灯台

6827、大岩のゴロゴロしている海岸
大岩のゴロゴロしている海岸

6829、潮瀬崎に近い門前のなまはげ像
潮瀬崎に近い門前のなまはげ像

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。