「軽岡峠」カソリからの補足メール届きました。

コメントの返信にもしておりますが、カソリから軽岡峠についてメールが届きましたので転載しておきます。

~~~~~~~~~
 ぼくが国道158号の軽岡峠を初めて越えたのは、1979年8月8日のことでした。その当時の軽岡峠はトンネルではなく、つづら折りの峠道で峠を越えていきました。車1台が通れるくらいの道幅の狭い道で、峠の頂上には「軽岡峠 頂上」と書かれた木標識が立っていました。白いペンキで塗られた木標で、それに黒字でそう書かれていたのたのです。

 その後、トンネルが開通し、新軽岡峠となり、さらに今のトンネルへとつづいていきます。今のトンネルはそれ式でいうと新新軽岡峠ということになります。さらにその後、東海北陸自動車道のトンネルが完成しましたが、それは新新新軽岡峠ということになります。

 一番北に新軽岡峠のトンネルがあり、その南に現在の国道158号の新軽岡峠のトンネルがあり、その南に東海北陸道の新軽岡峠のトンネルがあり、さらにその南に軽岡峠の峠越えの旧道があります。軽岡峠はこんな図式になっています。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


カソリと走ろう! 第10回:「サハラ砂漠縦断」

※管理人注:この記事にはライダーの事故死についての記述があります。読み進める上で読者のご判断をお願いいたします。
~~~~~~~~~~~~~~
 (『バックオフ』2005年4月号 所収)

「チュニス→タマンラセット」
 今回の「サハラ砂漠縦断」の出発点はチュニジアの首都、チュニス。まずはアフリカ大陸最北端の地中海に突き出たブラン岬に立ち、我ら「ホガール軍団」は2004年12月4日、15台のバイクを走らせ、チュニスから南へ。

 北アフリカ最古のイスラムの町、カイロワンを経由し、チュニジア南部のサハラ砂漠に入っていった。サハラの乾ききった空気を切り裂きながらスズキDRーZ400Sを走らせるていると、
「おー、これぞ、我が世界!」
 と叫びたくなってくる。

 サハラのオアシス、トゥズールからアルジェリア国境へ。国境越えが大きな難関。アルジェリアは1990年代に入るとイスラム原理運動の嵐が吹き荒れ、内戦同様の状態に陥った。そのためサハラ砂漠縦断など、とてもではないができるような状態ではなかった。
「パリ・ダカール・ラリー」にしてももう10何年もアルジェリアをコースには組み入れられないでいる。

 アルジェリア情勢が急速によくなったのを見極めての、今回の我々の「サハラ砂漠縦断」。「ホガール軍団」は新たなサハラ砂漠縦断の歴史を切り開こうとしているのだ。なにしろアルジェリアのサハラ砂漠といったら「サハラの中のサハラ」なのである。

「道祖神」の菊地優さんの獅子奮迅の活躍のおかげで、1日がかりになったが、我々全員の入国手続きと15台のバイクの通関が終わった!

 エルウエッド、トゥグール、ワラグラのオアシスを通り、ガルダイアの南でアルジェリアを縦貫するN1(国道1号)に合流。このN1こそ、サハラ砂漠縦断の一番の幹線の「ホガール・ルート」なのだ。サハラ砂漠の中心部のホガール山地を越えていく。

 世界でも最大級の砂丘群、グラン・エルグ・オクシデンタル(西方大砂丘群)の東端を走り、エルゴレア、インサーラのオアシスを通り、北回帰線を越え、12月10日、サハラ砂漠最奥のタマンラセットに到着した。

「タマンラセット→アガデス」
 チュニスからタマンラセットまでは2400キロ。ここはまさにサハラ最奥のオアシス。北の地中海からも南のギニア湾からも海からは限りなく遠い。
「キャラバンサライ」に泊まり、タマンラセットとその周辺をまわる。圧巻は北85キロの「アセクラム」。標高2585mのこの地点はホガール山地のメインスポットといってもいい。

 山上には「フーコー神父」のエルミタージュ(隠遁所)がある。その前に立つと、ホガール山地の奇峰群を一望する。地球とは思えない別世界の風景。反対側に立つと、ホガール山地の最高峰タハト山(2908m)を間近に眺める。やがてタハト山から南へとつづく山並みに大きな夕日が落ちていく。日が落ちると、急激に気温が下がる。ここには宿舎がある。7人用と8人用の2部屋。夕食後、我ら「ホガール軍団」の面々はベッドの上に敷いたシュラフにもぐり込んで眠った。

 翌朝は夜明け前に「フーコー神父」のエルミタージュに登る。ものすごい星の数。スースーッと流れ星が満天の星空を横切っていく。1分間に2、3個は見える。遠くにはタマンラセットの町明かり。やがて夜明けを迎える。東の空が白みはじめ、みるみるうちに空全体が橙色に染まり、奇峰群の向こうに朝日が昇る。あまりにも神々しい朝日に思わず手を合わせてしまう。

 タマンラセットに戻ると、我ら「ホガール軍団」は砂道走行の練習をする。ワジ(涸川)の中につづく砂道を走り、そしてニジェールのアガデスへ。チュニスからつづいた舗装路はタマンラセットの南、28キロ地点で途切れ、いよいよ最大の難所に突入。一面の砂の海の中に幾筋もの轍がついている。比較的走りやすそうな轍をみつけ、それをフォローしていくのだが、砂深い轍になると転倒する人が続出。きつい砂道との闘いがはてしなくつづく。

 タマンラセットから110キロ地点で事故発生。BMWのGS1200に乗る大家央(ひさし)さんがギャップにはまり前転宙返りするような格好で吹っ飛ばされた。段差の下がフカフカの砂溜まりになっていた…。

 我々にとってものすごくラッキーだったのは、参加者の中に福岡市の救急車に乗務している栗木邦正さんがいてくれたこと。栗木さんは「ファラオ・ラリー」や「パリ・ダカール・ラリー」の海外ラリーの経験もある。栗木さんはすぐさま大家さんをみてくれた。鎖骨が折れているとのことで、手際よく三角巾で応急処置をしてくれた。

 事故現場近くでキャンプ。夕日がサハラの地平線に落ちていく。そこからタマンラセットに携帯で電話すると、夜の10時過ぎになってトアレグ族のタトゥーが運転するランドクルーザーが来てくれた。「キャランバンサライ」のオマールも一緒だ。そのランクルの屋根に事故車のBMWを乗せるつもにしていたが、重すぎてうまくいかない。そこで急きょ、BMWにはぼくが乗り、タマンラセットの病院に向かった。

 夜の砂漠を走り出した瞬間、ぼくは凍りついた。BMWは事故のダメージでヘッドライトの光軸が下がり、ハイビームにしてもほんの目の前を照らす程度。高速で走れば何なく突破できる砂道も、暗い中でヨタヨタ走ると、やたらと転倒してしまう。そのたびに渾身の力をこめてGS1200を起こすのだ。もうヘトヘト。

 全部で7回も転倒し、夜中の3時前にタマンラセットに到着。大家さんの収容された総合病院はしっかりとした設備でひと安心。救急病棟ですぐさまレントゲンをとってもらうとやはり鎖骨が折れていた。大家さんは残念ながら日本に帰国することになった。

 翌日、キャンプ地に戻ると、国境のオアシス、インゲザムを目指して南下。見渡す限りの平坦な砂漠では自由自在にどこでも走れる。砂もそれほど深くないので高速走行ができる。DRのアクセル全開で走っていると、風間深志さんと一緒に走った「パリ・ダカ」のシーンが思い出された。砂嵐にも遭遇。視界がゼロになるほどではなかったが、ザーザー吹きつける砂の中で写真をとったら、一発でカメラがやられた。シャターが下りなくなってしまったのだ。

 タマンラセットから400キロ走り、インゲザムに到着。ホガール山地を下りきったところなので強烈な暑さ。それまでが寒いサハラだったので、あまりの暑さに頭がクラクラしてしまう。
 インゲザムの町から10キロ走ったまさに砂の海の中に、ポツンとアルジェリア側の国境事務所がある。そこででひと晩キャンプし、翌日、出国。アルジェリアからニジェールに入った。

 ニジェール側国境事務所のあるアッサマカから180キロ走り、アルリットに到着。ここから舗装路になる。我ら「ホガール軍団」は、これで「サハラ砂漠縦断」を達成したという喜びで、みんなで握手をかわした。アルリットの町中の食堂で食べたサラダつきの昼食がとびきりうまかった。そして12月18日の夕刻、アガデスに到着した。

「アガデス→アクラ」
 ニジェールのアガデスはサハラ砂漠を海にたとえれば港のようなところ。ここで準備を整え、サハラ砂漠縦断の車やトラックは960キロ北のアルジェリアのタマンラセットや1700キロ北東のリビアのセブハなどへと向かっていく。そんなサハラ砂漠南端のオアシスで1日、ゆっくりと過ごした。

 その夜、驚いたことに鎖骨を折った大家さんがタトゥーの運転するランクルにGS1200を積んでアガデスにやってきた。これから先、鎖骨バンドをしてバイクに乗り、ガーナのアクラまで走るという。ツワモノだ!

 翌12月20日、腕におぼえのある8名は、アガデスの東側に広がるテネレ砂漠を目指した。午前9時に出発。先頭をDR-Z400Sの黒岩文雄さんが走り、ぼくが最後尾を走ってみなさんを間にはさんでフォローするような形にした。それにサポートカーのランクルが2台ついた。

 土漠の細かな土が溜まった道も、砂深い轍も快調に走り抜け、波のように次々と押し寄せる砂丘群を越えていった。テネレの砂丘群の美しさは話には聞いていたが、想像以上のものだった。

 そんな砂丘越えでリザーブになった。コックの切り換えに手間取り、スピードが落ち、スタックしてしまった。痛恨のリザーブだ。高速で走行しているときはおもしろいように砂丘を登れるが、いったんスピードが落ちると、あっというまに砂にめりこんでしまう。砂丘の頂上まで半クラを使ってバイクを押し上げ、そこから全速力で「テネレ組」を追ったが、すでにその姿はまったく見えない。一刻も早く追いつこうとアクセル全開で飛ばした。

 大砂丘を飛び越えたときは、
「やったー!」
 と、思わず目をつぶる。砂丘を越えた向こう側が急傾斜で落ちていたからだ。たたきつけられ、バウンドしたが、かろうじて転倒をまぬがれた。

「テネレ組」に追いつけないまま「テネレの木」に着いてしまった。
 かつては砂丘群を抜けたこの平坦な砂漠に、どこからでも目につく木が1本、あったという。だが今は枯れ、それに代わって鉄製のポールが立っている。「サハラで遭難か…」と体が震えてくる。

 夕日が地平線に近づいたころ、サポートカーが来てくれた。助かった!
 それにはサハラを知り尽くしているミッシェルが乗っていた。彼はアガデス方向に戻り、8台のバイクのタイヤの跡を確認すると、1本だけ離れていったタイヤの跡を追ってここまで来たという。なんとも不運なことだったが、砂丘群を間に置いてルートが2本に分かれてたのだ。

 ぼくはその右側を走り、「テネレ組」は左側を走った。サポートカーはぼくが来ないのに気がつき、2本のルートが合流する手前の、分かれている地点で止まったのだという。 サポートカーはぼくを残し、「テネレ組」のいる地点に戻っていった。すぐに全員を連れてくるからと言い残して。

 ところがいつまでたっても戻ってこない。
 日が落ち、暗くなりはじめたころになってサポートカーが戻ってきた。なんと黒岩さんが事故を起こしたという。

 すぐさま現場に急行。するとすでに黒岩さんの息はなかった。栗木さんが懸命になって人口呼吸をほどこしていたが、ほぼ即死状態で、黒岩さんの息は戻らなかった。

 黒岩さんはルートが2本に分かれた間の砂丘をバイクで飛び越えようとしたという。
 全速で砂丘に突っ込み、バイクから体が離れ、なんと砂丘のてっぺんから60メートルも飛んで砂の大地に頭から突っ込んだ。
 栗木さんの見立てでは脳挫傷だという。

 すでに携帯でアガデスに連絡がいき、道祖神の菊地さんと医師の乗ったランクルが真夜中に事故現場に到着した。医師の検視の結果も栗木さん同様、脳挫傷で即死というものだった。黒岩さんの遺体はアガデスに送られていった。

 翌朝、「テネレ組」はテネレの木まで行った。
「日本人ライダー黒岩文雄、この地に死す」
 モニュメントに英語で書き、カンビールやビスケットなどをそなえて全員で手を合わせ、黒岩さんの冥福を祈った。

 12月22日、アガデスを出発。
 南下すると、みるみるうちに緑が増してくる。砂漠からステップ、サバンナ、熱帯雨林と鮮やかな植生の変化が見られる。ついにギニア湾岸に出て12月31日、ガーナの首都、アクラに到着。チュニスから6763キロの「サハラ砂漠縦断」だった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


うわ、決勝は今日というか明日の明け方ですか!

03:20サッカー・コンフェデレーションズカップ2009・決勝「ブラジル×アメリカ」(最大延長6・30まで)清水秀彦青島達也ジョン・カビラ本田朋子

やばいです。月曜日の仕事に影響が・・・てか、起きられるかな?
チベット出発前のカソリもこれは見るんじゃないかな???

続きを読む

テーマ : とりあえずまぁいろいろと・・・
ジャンル : その他


日本列島岬めぐり:第22回 入道崎(にゅうどうざき・秋田)

 (共同通信配信 1990年)

 天下の奇祭「なまはげ」で知られる男鹿半島は東西28キロ、南北20キロ、その最北端が入道崎である。

 男鹿半島は「男鹿島」ともいわれる通り、大昔は島だった。それが秋田県の二大河川、米代川と雄物川の運ぶ土砂によってつくられた砂丘で陸続きになった。北の米代川がつくり出したのが能代砂丘、南の雄物川のが天王砂丘である。

 入道崎は秋田県内でも屈指の観光地で、大駐車場は観光バスや乗用車で満車状態。凝灰岩や集塊岩から成る海岸段丘が海に落ちる崖っぷちでは子供たちがたこ揚げをし、恋人たちが肩を寄せ合って海を見ていた。

 岬の先端に立つ高さ24メートルの白黒2色の灯台に息を切らせて登ると、岬周辺の海岸線を一望。眼下に水島を見下ろした。

 入道崎のすぐ近くに畠漁港がある。急坂を下って漁港に降りてみた。この辺は冬のハタハタ漁で知られているが、漁から帰ったばかりの漁師さんは、
「(ハタハタは)最近は獲れなくなったなあ…。12月からが漁期だけど、最盛期はほんの10日ほどでしかない」
 といって嘆いていた。

 この漁師さんは秋田名物の「しょっつる」についても話してくれた。
「昔はどの家でも自家製のしょっつるをつくっていた。しょっつるを買うなんて考えられなかったよ。それが今ではどの家も醤油を買っている」

しょっつるはハタハタだけでなく、コウナゴからもつくっていたな。ハタハタやコウナゴを半年から1年、桶に漬け込んで塩辛にして、袋に入れて搾った汁がしょっつるだよ」 

 男鹿半島の「しょっつる」は、能登半島の「いしる」と並んで、日本に最後まで残った魚醤油。半島というのは、古い文化の残るところなのである。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行


日本列島岬めぐり:第21回 龍飛崎(たっぴざき・青森)

 (共同通信配信 1990年)

 津軽半島最北端の龍飛崎にはJR津軽線の終着駅、三厩駅前から国道339号で向かった。
 この国道がおもしろい。竜飛の集落に入ると、岬の台地上に登る階段になる。もちろん車は通れない。「人道・階段国道」である。このような階段国道は日本でも唯一のもの。車で岬の台地上まで行く場合は、集落の手前の自動車道で登っていく。

 本州・最果ての漁村、竜飛の行き止まり地点には、北津軽の金木で生まれた小説家太宰治の記念碑が建ち、『津軽』の一節が次のように刻み込まれている。
「ここは本州の袋小路だ。読者も銘記せよ。(中略)そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである」

 私は1978年に初めて龍飛崎に来た。そのときの龍飛崎はまさに太宰治の言葉通りの袋小路で、来た道を戻るしかなかった。しかし今では国道339号が全線開通し、日本海側の小泊に抜けられる。

 竜飛漁港から自動車道で高さ100メートルほどの海岸段丘上に登った。龍飛崎の駐車場からは歩いて岬の灯台へ。その先には海上自衛隊のレーダー基地がある。

 龍飛崎は昔も北方警備の要衝の地だった。弘前藩は文化5年(1808年)、ここに台場を築き、狼煙台と砲台を設置した。

 岬の突端から、日本海に落ちていく真っ赤な夕日を眺めた。水平線に夕日が沈むと、北海道の上空が焼けただれたような夕焼けに染まり、やがて20キロ離れた北海道最南端の白神岬の灯台に灯が入った。松前の町明かりが輝きはじめ、日本海の水平線上にはずらりとイカ釣り船の漁火が並んだ。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行


カソリ、コンフェデ・スペインVSアメリカを語る。

カソリよりコンフェデ、追加メールです!
ちなみに管理人は1日遅れの録画中継になった時点で追ってません! 平日、眠いし!

~~~~~~~~~~~~
 コンフェデ杯の準決勝、スペイン対アメリカは衝撃の結果でしたね。まさかスペインが0対2でアメリカに負けるとは…。誰が予想したことでしょう。「無敵艦隊」、南アフリカで撃沈といったところでしょうか。
 これが一発勝負の怖さ。圧倒的な強さで予選リーグを勝ちあがったスペインとかろうじて決勝トーナメントに滑り込んだアメリカ。試合もほとんど90分を通してスペインのペースだったではないですか。こういうことってあるんですねえ。




テーマ : とりあえずまぁいろいろと・・・
ジャンル : その他


東アジア走破行(5)ソウル→北朝鮮(その2)

 北朝鮮に上陸した2001年6月4日の午後は、金剛山の登山口までバイクで登る。
 急勾配、急カーブの狭い道。日本でいえば舗装林道のようなもの。気温は30度を超える猛暑。それを1150ccのBMW、R1150RTで登っていくのだからたまらない。あっというまにオーバーヒート気味になり、エンジンから発する高温の熱で自分自身もオーバーヒート気味になってしまう。これならば小さなバイクの方がよっぽど楽だ。

 金剛山の登山口の駐車場に到着。川原に降り、渓流の冷たい水を手ですくって顔を洗う。そこには清水も湧き出ていた。キリッとしたうまい水。
「ムル(水)、チョータ(good)!」
 一緒に飲んだ韓国人ライダーは声を上げた。

 金剛山登山口から下り、金剛山温泉の湯に入る。北朝鮮の温泉に入れるとは思ってもみなかった。大浴場と露天風呂。湯につかりながら金剛山の山並みを一望した。湯から上がると、北朝鮮製のアイスクリームを食べた。1個1ドル。

 夕日が金剛山の山々に落ちていくころ、長箭(チャンジュン)港に戻り、現代商船「現代金剛(ヒュンダイ・クンガム)号」の船室でひと晩、泊まった。そこは北朝鮮にいながら、韓国そのものの世界。東の空からは満月が昇る。

 北朝鮮をバイクで走れたのはこの日、1日だけだった。
 走行距離も87キロでしかなかった。だがぼくは、これを“偉大なる第一歩”だと思っている。
 北朝鮮に風穴があいたのだ。きっと近い将来、夢の「北朝鮮一周」や「朝鮮半島縦断」ができるようになる!

 翌日は金剛山登山。
 昨日の登山口まではバスで行き、チョンソンデー(天仙台)とマンヤンデー(望洋台)の2つの岩峰に登った。

 山道の途中には、北朝鮮側の監視をも兼ねているのだろう、男女がペアになって立っている。韓国人たちは北朝鮮の人たちにすごく興味があるようで、何度となく座り込んで話しているシーンを見かけた。女性たちは美人が多く、「南男北女」をいたるところで実感した。

 一緒に歩いた韓国人女性は、
「北朝鮮に来たという気があまりしない。みんな無表情で、北朝鮮人に会ったという気がしないのよ。自由がないのね。ここへ来る途中の家々には電気が通っていなかったし…。食料も配給だとのことで、それが十分ではないって聞いたわ」
 と、そんなことをいっていた。

 また年配の日本語を話せる人は、
「金剛山に来ることができたので、もう私には思い残すことは何もありません」
 ともいっていた。韓国人にとって金剛山は、それほどの山なのだ。

 韓国KBSのチョイさんは、
「(同じ民族として)今の北朝鮮の貧しさを見ていると、悲しくなります。やせた人間、やせた牛…」
 といって目を伏せた。

 午後は世界でも最高レベルの北朝鮮サーカスを見た。
 北朝鮮で忘れられないシーンがひとつある。KMFのシン会長、副会長格のチョーさん、それと現代(ヒュンダイ)のチョーさんの3人と、北朝鮮側高官3人の会談に同席させてもらった。それはまるで板門店での南北会談を見るようだ。

 北朝鮮側はKMFの「北朝鮮ツーリング」に対して、ずいぶんと好感を持っているようだった。近いうちに、「必ずや、陸路、北朝鮮に入れるようにする」ともいっていた。

 ぼくは3人の北朝鮮の高官に「お会いできてうれしいです」と日本語でお礼をいって握手して別れたが、そのうちの一人の高官は「ようこそ!」と日本語でいってくれた。

 名残惜しい北朝鮮‥‥。2日間の北朝鮮での全日程が終了すると、その夜、「現代金剛(ヒュンダイ・クンガム)号」は長箭(チャンジュン)港を離れた。
 韓国の東海(トンへ)港に戻ったときの我々の第一声は「おー、フリーダム(自由よ)!」だった。

 東海(トンへ)港を出発したのは11時。帰路はBMW/R1200Cに乗った。アメリカン風のスポーティーなバイク。国道7号線で北の江稜(カンヌン)まで行き、そこから朝鮮半島を横断.韓国では一番有名な峠といっていい大関嶺を越え、296キロ走り、19時ソウルに到着した。全行程749キロの「ソウル→北朝鮮」だった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


海道をゆく(7)「淡路島編」

 (『ツーリングGO!GO!』2005年5月号 所収)
※地図につけた解説。このブログ記事では地図を省略してあります。

(一言コメント)
1、江崎 淡路島最北端の岬
2、岩屋港 タコフェリー発着の港
3、洲本城跡 三熊山の山頂に天守閣
4、生石鼻 沼島が見える
5、土生港 沼島への船が出る
6、沼島 関西圏屈指の海釣りのポイント
7、諭鶴羽山 淡路島の最高峰
8、潮崎 淡路島最南端の岬
9、阿万海岸 きれいな砂浜
10、福良港 天然の良港
11、鳴門岬 対岸は大毛島の孫崎
12、高田屋記念館 高田屋嘉兵衛の記念館

1、淡路IC
 神戸淡路鳴門自動車道の淡路ICは高速道路を使って淡路島に入るときの玄関口。関東圏からだと東名→名神→中国道→山陽道を経由し三木JCTからそのまま明石海峡大橋を渡り、1枚の通行券で来られる。東京から淡路ICまでは613キロ。

2、岩屋港
 明石港へのたこフェリーの発着する港。ここが淡路島内のR28の起点になる。淡路島内の終点は南部の福浦港。淡路島を縦貫するR28は神戸が起点で明石でR2と分かれ、四国本土の鳴門市でR11に合流。徳島が終点になる。
 島の2桁国道というのは、ほかには鹿児島から種子島、奄美大島を経由し、沖縄本島の那覇へと通じるR58があるだけ。
 この岩屋港からR28→県道76号→県道25号→県道31号と時計回りに淡路島を一周したが、その距離は173キロ。さすが瀬戸内海第一の島だけのことはある。島一周ルートが10キロ以下だと小島、50キロまでが中島、50キロ以上は大島というのが「カソリの島基準」。100キロ以上は超大島になる。淡路島は日本でも数少ない超大島なのだ。

3、洲本城跡
 淡路島最大の町、洲本は6万石の旧城下町。町を見下ろす三熊山(133m)の山頂に城があった。そこには復元された天守閣(無料)がある。三熊山ドライブウエイ(無料)で登っていける。天守閣からの眺めは絶景だ。前方には洲本の町並みが広がり、淡路島東海岸の海岸線を一望する。背後には幾重にも連なる山々。淡路島南東部の山並みは高く険しい。山麓には「淡路文化資料館」。

4、土生(はぶ)港
 洲本からは海沿いの県道76号がおすすめルート。生石(おいし)鼻を過ぎると沼島(ぬしま)を見ながら走る。土生港から沼島へ1日10便、船が出ている。この沼島は関西圏では屈指の海釣りのポイント。大物のタイがよく釣れるという。紀伊水道北部に浮かぶ沼島はかつては漁業でおおいに栄え、「沼島千軒」といわれたほどだ。

5、諭鶴羽(ゆづるは)山
 淡路島の最高峰。標高608m。海岸から県道535号で登っていくと諭鶴羽神社の前を通り、山頂までバイクで行ける。そこには諭鶴羽神社のお旅所。海岸からはもう1本のルート、黒岩林道経由でも行ける。
 黒岩林道にはおそらく日本で唯一の「猪垣(ししがき)ゲート」。イノシシなどの野生動物の進入を防ぐもので、ゲートを自分であけて自分で閉めるもの。ここでは大鹿が道を横切り、さらに2頭のイノシシがバイクの前を走った。黒岩林道のダートは3・5キロ。自然度満点のエリア。

6、阿万海岸
 きれいな砂浜の海岸。四国の山々を間近に見る。漁港の岸壁からは淡路島最南端の潮崎を目の前に見る。残念ながら岬への道はないが、岬の近くまでは道幅の狭いダートで行ける。これがすさまじい道でオニグモのクモの巣だらけ。その中をバイクで突っ込んだので、バイクにもぼく自身にのクモ巣がからみつき、「スパイダーマン」になってしまった。

7、福浦(ふくら)港
 淡路島内のR28の終点。律令時代からの四国街道の終着駅としておおいに栄えた。ここは淡路と四国を結び付ける重要な拠点だった。高台から見下ろすとよくわかるが、文字通りの天然の良港だ。鳴門海峡をまたぐ大鳴門橋の完成以前はここから鳴門港にフェリーが出ていた。

8、鳴門岬
 鳴門海峡をまたぐ大鳴門橋の淡路島側の岬。もともとの岬名は門崎だが、今ではすっかり「鳴門岬」が定着した。ここには「道の駅 うずしお」がある。展望台(無料)から見下ろす鳴門海峡の渦潮がすごい。対岸は四国の大毛島突端の孫崎。右手には小豆島が青く霞んで見える。ここのレストランでのおすすめは「鯛丼」(1050円)。タイの本場だけのことはある。

9、高田屋嘉兵衛記念館
 江戸時代後期の豪商、高田屋嘉兵衛の資料館(入館料300円 10時~16時 月休み)。嘉兵衛の生まれ故郷、五色町都志の県道31号のすぐわきにある。入口には嘉兵衛の石像。思わず函館にそびえ立つ嘉兵衛の銅像と比べてしまったが、函館の方がはるかに立派だ。
 嘉兵衛はこの地に生まれ、28歳のときに蝦夷地の箱館(今の函館)に渡った。そこを拠点に海運や造船、北洋での漁場経営など幅広く手掛けた。さらに千島列島への航路を開き、択捉島を開発した。まさに北方の偉人。
 近くには高田屋嘉兵衛公園(五色ウエルネスパーク)。そこには高田屋嘉兵衛とロシアのゴローニン提督が並ぶ「日露友好の像」が建っている。公園への入園は無料。

11、伊○諾(いざなぎ)神宮
 五色町の北隣り、一宮町にある淡路の一の宮。拝観は無料。淡路というのは佐渡、隠岐、壱岐、対馬とともに日本に5国ある「島国」のひとつ。祭神は伊○諾大神と伊○○大神の2神。イザナギは「古事記」の国生み神話の男神、イザナミは女神。
 淡路島は「国生み神話」発祥の地。「古事記」によると大八州(おおやしま日本のこと)のうち、一番最初にできたのが淡路でつづいて四国→隠岐→九州→壱岐→対馬→佐渡→本州という順番で日本国ができあがった。それを頭に入れて伊○諾神宮を参拝すると、ありがたさがぐっと増すというものだ。

12、野島断層
 県道31号沿いの北淡町は阪神淡路大震災で大きな被害を受けたところ。震災から10年たっても、いまだに町の中心には空き地が多く、大地震の傷跡を見せている。この大地震でできた野島断層を長さ140mのドームで覆って保存し、展示しているのが「野島断層保存館」(入館料500円 9時~17時 年中無休)。国指定の天然記念物にもなっているが、ドームのおかげで風化しないところがいい。
 野島断層は「北淡町震災記念公園」(無料)内にあるが、売店でのおすすめは「たこ団子」(300円)。名物の北淡タコの入った団子だ。

13、江崎
 淡路島最北端の岬。断崖上には灯台。海辺を走る県道31号沿いの江崎公園には明治4年初点灯のこの灯台のモニュメントがある。播磨灘対岸の明石の町並みがよく見える。夜だと町明かりはまばゆいばかり。

(食べものガイド)
たこ焼きコロッケ
「道の駅 あわじ」で食べた。1ヶ60円。明石海峡名物のタコを使った明石焼き(たこ焼き)をつぶして焼いたもの。歯ごたえのあるタコだ。たこコロッケ(110円)、たこ天ぷら(200円)、たこめし(400円)もある。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


カソリは宇宙人。

60代編日本一周パート2を終え、骨休めをしているはずのカソリからメール届きました。

~~~~~~~~~~
7月1日に出発しますが、
「チベット横断」に行ってきます。
バイクでの「チベット横断」は世界初(外国人ライダーにとって)。
全力をつくしてきますよ。
~~~~~~~~~~

エ・・・・(絶句)

団塊の世代は生命力が違う・・・。

(チベットに行ったら地下王国アガルタのレポートも・・・おっと、こりゃヘンテコネタだった。)

テーマ : 管理人より
ジャンル : その他


カソリ、オーストラリア戦に怒る。

管理人より:
秩父巡礼から戻った賀曽利から、サッカーメールが届きました。
またスレ違いご容赦。さすがに御大のメールをコメント欄にぶらさげられないゾ、と。
で、以下。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
 残念ながらコンフェデ杯のスペイン対南ア戦は見られませんでした。それにしてもスペインは強いですねえ! それともうひとつ、エジプトの大健闘ぶりが目を引きました。

 その前のワールドカップ最終予選の日本対オーストラリアは見ましたよ。その日の宿、埼玉県・寄居の「かんぽの宿寄居」の大画面のテレビで見ましたよ。もう、頭にきましたね。中沢がいなかったのが直接の敗因だと思ってますが、それよりも何よりも力の差を感じました。ヨーロッパ組がいなかったなんて、言い訳にもならない。オーストラリアの壁は厚かったし、ドイツ大会のあの屈辱のシーンがよみがえりました。

 おもしろかったのはその後の北朝鮮対サウジアラビア戦でした。お互いに2位をかけての戦いだっただけに、まさに死闘。北朝鮮のチョンテセ(川崎フロンターレ)がよかったですねえ。

 それとサウジの選手のオーバーヘッド。ほんとうにおしかったのですが、もしあれが決まって1対0でサウジが勝っていたら、近年まれにみる歴史的はシュートでしたね。それほどきれいなシュートでした。おかげで寝たのはすでに夜が白々と明けたころ、いやいや完全に朝になってからのことでした…。

テーマ : とりあえずまぁいろいろと・・・
ジャンル : その他


東アジア走破行(4)ソウル→北朝鮮(その1)

1通のFAX
「韓国一周」の翌年、2001年3月22日に50㏄バイクでの「島めぐり日本一周」に旅立った。「本州東部編」、「北海道編」、「本州西部編」、「四国編」、「九州編」、「沖縄編」と、6分割での「日本一周」だ。

 最初の「本州東部編」を走り終えて帰宅したのは5月27日。その間に自宅に送られた郵便物やFAX、メールの中に、韓国モーターサイクル連盟(KMF)会長の申俊容さんからのFAXがあった。

 それは何と、朝鮮半島の南北分断後、初となるソウル発の北朝鮮(金剛山)ツーリングにぼくを招待したいという内容のものだった。それを目にしたときは信じられないような思いで、「ウソーッ!」と叫んでしまったほどだ。
「そんなこと、できるわけがない」
 という思いだった。

「韓国一周」での一番感動的なシーンは、韓国最北端の「高城統一展望台」からの眺めだった。そこから朝鮮半島随一の景勝地、「海金剛」を見下ろした。風の強い日で、東海(日本海)には無数の白い波頭が立っていた。海に落ち込む山々は白っぽい山肌を剥き出しにし、南北の軍事境界線上には鉄条網の長い線が延々と延びていた。トーチカが点在する丘陵地帯の左手には、朝鮮半島の名峰、金剛山が雲を突き破ってそびえていた。

「高城統一展望台」からの風景を眺めながら、
「いつの日か、北朝鮮に入って、今度は北朝鮮側から海金剛を見てみたい!」
 と熱望した。

 このような「海金剛」への熱い想いがあったので、翌朝、半信半疑でKMFに電話した。すると北朝鮮ツーリングに出発するのは6月2日だとのことで、まだ、間に合うという。すぐにパスポートのコピーをFAXで送り、デジカメでとった自分の顔写真をメールで送った。「これで必要なもの、すべてが整いましたよ」とKMFから折り返し電話が入ったときは、何か、キツネにつままれたような気がした。北朝鮮への入国手続きはすべてKMFがやってくれるという。

ソウルへ…
 5月31日にソウルに飛んだ。完成してまもない仁川国際空港に降り立つと、KMF申会長の美人秘書、ジュリア・キムさんが出迎えにきてくれていた。「ほんとうにバイクで北朝鮮に行けるのだろうか…」と、半ば賭けのような気分でソウルにやってきたので、まずはほっとひと安心といったところだ。きれいな英語を話すジュリアは「もうすでに(北朝鮮行きの)すべての用意は整っていますよ」とうれしいことをいってくれた。

 KMFの車でソウル市内へ。「ホテル・ニューワールド」に部屋が用意されていた。1泊20万ウォン(約2万円)の部屋。自分1人の旅だったら、まずは泊まれないような高級ホテルだ。部屋に荷物を入れ、ひと息ついたところで、ジュリアは「日式専門店」に連れていってくれた。そこではすしや刺し身、てんぷら、豆腐といった日本料理の夕食を腹いっぱいに食べた。美人で聡明なジュリアと一緒なので胸がときめいた。

 翌日は朝食後、ジュリアが迎えにきてくれた。「BMWコリア」の本社へ。そこでドイツ人社長のフリンガーさんに会った。今回の北朝鮮ツーリングはBMWが全面的にバックアプしているとのこと。「BMWコリア」は、1150ccのR1150RTの新車をぼくのために用意してくれていた。それに乗って「ホテル・ニューワールド」に戻ったが、北朝鮮が一気に近づいたような気がした。

 その夜は中華料理店での夕食会。KMF会長の申俊容さん、FIM(国際モーターサイクル連盟)のウィルソンさん、BMWコリアのフリンガーさん、それとカソリが一同に会した。ウイルソンさんはイギリス人。日、韓、英、独と国際色豊かな顔ぶれがそろった。

 北朝鮮ツーリングにはそのうちカソリ、ウィルソンさん、フリンガーさんの3人がバイクで行き、申さんは車での同行になる。「(朝鮮半島が南北に分断された以降)ソウルからバイクで北朝鮮に行くのは初めてのことになる」と申さんは強調したが、南北融和の進展を強く感じさせるソウル発の北朝鮮ツーリングだ。

 申さんは韓国ではよく知られたレーシングドライバー。韓国と北朝鮮の双方に太いパイプを持っているので、このソウル発の北朝鮮ツーリングが実現したという。そんな申さんは世界中から300台以上のバイクを集めての北朝鮮ツーリングを計画していた。今回はそのプレラン(事前走行)。日本人ライダーにも大勢来てもらいたいとのことで、それでぼくを招待したようだ。

朝鮮半島横断
 6月2日午前8時、BMWのR1150RTに乗って、ソウルのオリンピック記念公園に行った。そこが「北朝鮮ツーリング」の出発点。BMWやハーレーなど、全部で13台のバイクが集合した。ウィルソンさん、フリンガーさん、カソリの3人の外国人のほかに10人の韓国人が参加している。彼らは韓国内のバイククラブの会長やバイク誌の編集長だという。

 オリンピク記念公園前でのセレモニーの後、大勢の見送りやテレビカメラの中を走り出したときは、ふと「パリ・ダカ」の出発シーンが目に浮かんだ。1982年、冒険家の風間深志さんと2人だけの「チーム・ホライゾン(地平線)」を結成して参戦したときは、パリのコンコルド広場が出発点だった。大観衆で埋めつくされたシャンゼリゼ通りを走り抜け、凱旋門をぐるりと回ってパリ郊外に出たが、そんな20年前を思い出させるようなソウル出発のシーンだった。

 ソウルから東海(日本海)側の港町、東海を目指す。そこから船にバイクを積んで北朝鮮の長箭港に渡るのだ。国道6号で漢江沿いに走り、北漢江と南漢江の合流点からは南漢江に沿っていく。BMWのR1150RTは車体の大きさと重さが気になったが、走るほどに慣れていった。

 国道6号→国道42号→国道38号というルートで朝鮮半島を横断し、夕方、太白に着いた。太白山脈の山中にある町。市庁舎で市長の歓迎を受けたあと、パトカーに先導されて市内を回り、焼肉店で夕食。そのあと郊外の「ヒル・ハウス」という洒落たホテルに泊まった。韓式のオンドルの部屋で、布団をそのまま床の上に敷く。畳と床、このあたりが日韓の違いだ。

 翌日は太白郊外に申さんが総力を上げて建設中のサーキットを見学する。「テベック・シン・ジュヨン・サーキット」。完成すれば韓国初の国際級サーキットになるという。

 太白から東海へ。国道38号で太白山脈を下っていく。R1150の車体の大きさ、重さにはもうすっかり慣れていたので、急勾配、急カーブの山道もそれほど気にならなかった。こうしてソウルから366キロ走って東海港に到着した。

東海港を出港
 東海港の岸壁には現代商船の「ヒュンダイ・クンガム(現代金剛)号」(2万7000トン)が接岸していた。真っ白な船体の大型客船。岸壁に13台のバイクを並べ、1台づつクレーンで甲板につり上げる。バイクをのせるのは初めてのことなので船員たちはとまどっていたが、メンバー全員で協力し、無事に13台のバイクを積み終えた。

 イミグレーションでパスポートに出国印をもらい、北朝鮮入国の許可証を首からぶらさげ、「ヒュンダイ・クンガム号」に乗船。19時、出港。レストランでのバイキング形式の夕食を終えると、ミーティングルームでの北朝鮮入国に際しての説明会が始まった。この船には500人あまりの金剛山登山の韓国人が乗っている。観光客は船が長箭港に着くと、専用バスで金剛山に向かっていくのだ。

 ミーティングでいわれた事項は次のようなものだった。
(禁止事項)
 1、長箭港の写真を撮ること
 2、移動中のバスから軍事施設や兵士、住人の写真を撮ること
 3、移動中のバスから風景の写真を撮ること
 4、北朝鮮人ガイドの写真を撮ること
 5、移動が禁止されている物の運搬
 6、指定場所以外に巻きタバコ、紙くず、空きビン、ビニール袋を投げ捨てること
 7、指定場所以外での喫煙
 8、指定以外のトイレと風呂の利用
 9、旅行者用施設を傷つけたり、破壊すること
 10、自然環境を傷つけたり、汚すこと
 11、岩や木をスケッチすること
 12、植物、岩石、土壌を採取すること
 13、動物を捕まえること
 14、山火事を起こすこと

(持ち込み禁止の品物)
 1、10倍を超える倍率の双眼鏡や望遠鏡
 2、160ミリを超えるレンズを付けたカメラ
 3、24倍を超える倍率のビデオカメラ
 4、個人的な医療目的以外の内容が記述されたラベルが付帯する怪しい物
 5、旅行目的に反する印刷物、写真、カセットテープ
 6、韓国通貨
 7、ニセ札
 8、医学的な意図をともなわない毒物、薬、有毒な薬品
 9、武器、銃弾、爆発物、放射能物質
 10、引火性の物質
 11、軍用のアクセサリー
 12、無線機器
 13、そのほか旅行目的にそぐわない物
 それにつけ加えて伝染病の汚染地域から来た人は入国が禁止されるという。

「現代」の租借地?
 東海港を19時に出港した「ヒュンダイ・クンガム号」は翌朝、韓国・北朝鮮国境の海を北上していた。水平線から朝日が昇る。北朝鮮の山々がはっきりと見えてくる。高城の沖合を通過し、7時、「ヒュンダイ・クンガム号」は真っ白な船体を長箭港の岸壁に横付けした。長箭港の港湾施設のすべては「現代」によってつくられた。ここは「現代」の租借地のようなものだ。

 金剛山観光を取り仕切っているのは「現代峨山」。峨山は韓国最大の財閥、「現代」の創業者、鄭周永の生まれ故郷の峨山里にちなんだもの。峨山里は今の北朝鮮領内で金剛山北側の50戸ほどの集落だという。金剛山観光の現代商船の大型客船といい、金剛山観光拠点の長箭港といい、「現代峨山」の会社名といい、「現代」の北朝鮮に寄せる想いの深さを感じるのだった。

 朝食後、韓国人観光客はバスに乗って金剛山に向かっていったが、我々は東海港のときと同じように13人のメンバー全員で協力し、13台のバイクを船から下ろした。緊張の北朝鮮入国。ここでは日本のパスポートは一切、見られることはない。日本とは国交のない国だからだろうか。

 入国手続きは想像していたよりもはるかに簡単なもので、「北朝鮮ツーリング」の参加者リストに照らし合わせ、写真つきの北朝鮮入国許可証にポンとスタンプが押されるだけ。パスポートに入国印を押されることもなかった。こうしていよいよ「北朝鮮ツーリング」が始まった。

田植えをする若い女性たち
 長箭港から前に3台、後に2台の車に挟まれて、13台のビッグバイクが走りはじめた。高城と元山を結ぶ鉄道に沿った道に出る。道の両側にはフェンスが張られ、それこそ100メートルおきぐらいに若い兵士が立っている。彼らは上官からそう言われたからなのだろう、炎天下、誰ものが無表情で、直立不動の姿勢で立っていた。

 ちょうど田植えの季節。若い女性たちが田植えをしていた。田植え機などの機械は一切見られない。全員が手植えだ。昔なつかしい光景。「早乙女」の言葉を思い出す。日本でもひと昔前までは若い女性たちが田植えをしていた。

 朝鮮半島では「南男北女(ナムナムプクニョ)」といわれるとおり、田植えをする女性たちは美人ぞろい。中には手を振ってくれる人もいる。バイクを走らせながら手を振りかえすと、すかさず車から降りてきた監視員に「手を振ってはいけない!」と注意されてしまった。田植え前の水田では男の人が牛に犂を引かせ、田を耕している。田を耕すのは男の仕事、田植えは女の仕事とはっきり分かれているようだった。

 道をはさんだ反対側は麦畑。そこはまさに「麦秋」の風景。実った麦が重そうに穂を垂れている。麦刈りをしている畑もある。ソバ畑では白い花が咲き、ジャガイモの白い花も咲いていた。

「海金剛」の展望台に立つ!
 舗装が途切れ、ダートに入っていく。もうもうとした土ぼこりを巻き上げながら走る。やがて道幅が狭くなり、峠を越えて海岸に出た。そこが「海金剛」だった。

 金剛山の山並みが東海(日本海)に落ちる海岸一帯が「海金剛」。朝鮮半島随一の海岸美を誇る景勝地なのにもかかわらず、ここには何もない。日本だったらみやげもの店や食堂などがズラッと並ぶ観光地になっているようなところなのだが…。

 駐車場にバイクを停め、海岸にせり出した展望台に立った。左手には白っぽい断崖が海に落ち、正面には岩礁がいくつか浮かんでいる。右手には韓国最北端の「高城統一展望台」が遠望できる。

「韓国一周」で「高城統一展望台」から「海金剛」を見下ろしたのは2000年9月。そのときの「今度は北朝鮮側から海金剛を見てみたい!」という願いが、わずか9ヵ月後にかなったことになる。ぼくの想いが通じたのだ。

 次に高城近くの三日湖に行き、展望台から「天女伝説」の湖を見下ろした。松林に囲まれたきれいな湖。その中央には小島が浮かんでいる。展望台から海は見えなかったが、山間の平地は一面の水田。山裾に家々が見えた。

 昼食は金剛山観光の拠点となる施設内のレストラン。ビビンバと、ひとつひとつが大きい北朝鮮風の餃子を食べた。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


コンフェデ2009スペイン×南アフリカ

本日深夜・・・というか明日の明け方ですか。
珍しく地上波。カソリは旅先でみられるかな?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
03:20サッカー・コンフェデレーションズカップ2009「スペイン×南アフリカ」W杯前哨戦・EURO王者の闘い清水秀彦森昭一郎ジョン・カビラ本田朋子(5・30終了)

テーマ : ごあんない
ジャンル : その他


秘湯めぐりの峠越え(33)高森編(熊本・宮崎)

 (『アウトライダー』1995年11月号)

地獄温泉の混浴露天風呂
「牧ノ戸峠編」の温泉めぐりを終えた翌朝は、7時半に長湯温泉を出発。
 梅雨の最中にもかかわらず、朝から上天気。四ッ口峠を越えて竹田に出、岡城址を見てまわる。本丸跡に立ち、九重連山の山々をながめた。

 竹田からはR57を走り、大分県から熊本県に入る。
 阿蘇の外輪山を越え、一宮を通り、午前10時、JR豊肥線の立野駅に到着。そこで、一緒にバイクでオーストラリアを走った錦戸陽子さんと落ち合う。
 前夜、長湯温泉から電話を入れたのだ。
 さらに、錦戸さんのバイク仲間のヤマハDT200WRに乗る小笠原隆一さんと、ホンダXLR125Rに乗る小林良彰さんもやってくる。

 みんなで近くの喫茶店「とちのき」に行き、コーヒーを飲みながら、バイク談義に花を咲かせた。
 小笠原さんは熊本市内で「小笠原写真館」という写真館をやっている。休みというと、日帰りで九州の林道を走っている。小林さんは大学生で、すっかりバイクのおもしろさにはまりこんでしまった。これから2人で小国郷周辺の林道を走りにいくのだという。

 錦戸陽子さんは素敵な肥後美人。熊本市内の病院に勤務する看護婦さん。彼女からは、“肥後モッコス”で知られる肥後の男について聞く。よくいえば芯が通っていて、意思強固なのだが、悪くいえばいこじな頑固男ということになるらしい。肥後の男たちよ、錦戸さんにそっぽを向かれないように、もっと頭をやわらかくしてガンバレよ!

 セローに乗ってきた錦戸さんは、ぼくの阿蘇の温泉めぐりにつき合ってくれるというのだが、小笠原さんと小林さんも、最初の温泉には同行してくれた。

 第1湯目は栃木温泉。喫茶店「とちのき」のすぐ近くにある「荒牧旅館」(入浴料400円)の湯に入る。大浴場の湯につかりながら、目の前の、阿蘇外輪山をながめる気分は最高だ。湯から上がると、「荒牧旅館」の前で、全員で記念撮影。そのあと、小笠原さんと小林さんは、林道を走りに小国へと向かっていった。

 第2湯目は栃木原温泉。「いろは館」(入浴料500円)の湯に入ったが、ここで食事をすると入浴料が300円になるというので、昼食に高菜定食を注文した。これが、大正解。高菜飯、団子汁、馬刺し、芥子蓮根と、熊本の郷土料理をひととおり食べられる、うれしくなるような定食。それを錦戸さんの説明を聞きながら食べるので、よけいに味わい深いものになった。

 第3湯目は湯ノ谷温泉。「阿蘇観光ホテル」の奥にある露天風呂(入浴料200円)に入る。青空を見上げながら、気分よく湯につかれる露天風呂だった。

 これら阿蘇の3湯の温泉に入ったところで、有料の阿蘇登山道路を登っていく。
 その途中では、米塚の前でバイクを止め、ヒーヒーハーハー息を切らして米塚を登る。日本各地の山を登っている錦戸さんは、息も乱さず、平気な顔をしている。

 米塚の頂上からの眺望は抜群。やわらかな牧草の緑につつまれた阿蘇を一望する。阿蘇カルデラ内の町や村がよく見える。阿蘇外輪山の向こうには、たなびく雲の上に、九重の山々がつらなっている。

 阿蘇山上のドライブインで小休止。コーヒーを飲みながら、あれこれと話しているうちに、阿蘇山上空はあっというまに黒雲に覆われる。もう1杯、おかわりと、コーヒーを飲んでいるうちに、ザーッと雨が降り出す。雷をともなった土砂降りの雨だ。
 なんともラッキーな雨。この雨のおかげで、錦戸さんと一緒に、阿蘇の名湯、地獄温泉に泊まることになった。

 阿蘇中腹の一軒宿「清風荘」に着くと、まずは湯に入る。
 湯から上がると、イロリ焼きの夕食だ。スズメやウズラ、シシ肉、カモ肉などを串刺しにして、イロリの炭火で焼き、阿蘇の地酒の冷酒を飲みながら食べる。酔うほどに、錦戸さんとの話がはずんだ。

 ゆっくりと時間をかけた食事のあとは、酔いざましにプラプラと外を歩く。
 嵐のような雨は上がり、雲の切れ間からは、月が顔をのぞかせている。そのあと混浴の露天風呂「すずめの湯」に入りにいく。灰を溶かしたような湯の色なので、女性の入浴客も多い。温めの湯なので長湯もできる。

 錦戸さんとは寄り添うようにして、露天風呂の消灯時間の12時になるまで入っていた。
 肥後美人と一緒の露天風呂…。一生の幸運を使いきったかのような至福の時だった。

 翌朝は、5時、起床。朝風呂に入り、6時、出発。
 阿蘇外輪山の俵山峠まで錦戸さんと一緒に走り、そこで熊本市内へと下っていく彼女と別れた。
「カソリさん、私、ここからの阿蘇の眺めが一番好きなの」
 と、錦戸さんがいうほどの、俵山峠からの阿蘇の眺めだった。

 気をとりなおし、R57に出、熊本へ。熊本城の下にDRを止め、そこを出発点にして日向に向かう。
 もう一度、地獄温泉に戻り「清風荘」(入浴料400円)の露天風呂に入る。つづいて垂玉温泉「山口旅館」(入浴料600円)の露天風呂に入る。さらに久木野温泉(入浴料300円)、阿蘇下田温泉(入浴料300円)、阿蘇白水温泉(入浴料400円)、高森温泉(入浴料400円)と、阿蘇の温泉に入りまくり、阿蘇外輪山の高森峠を越えた。

 熊本県から宮崎県に入り、天岩戸温泉(入浴料400円)、日之影温泉(入浴料300円)と立ち寄り、日向へ。マリンエキスプレスの19時発川崎行きフェリー「フェニックスエキスプレス」にスズキDR250Rともども乗り込み、九州に別れを告げるのだった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


秘湯めぐりの峠越え(32)牧ノ戸峠(大分)

(『アウトライダー』1995年11月号 所収)

「水分峠編」の日向→久留米」では、全部で22の温泉に入りまくったが、「牧ノ戸峠&高森峠編」の「久留米→日向」では、それをはるかに上まわる38湯の温泉に入った。
 ぼくは断言できる。
 我ら“温泉民族・日本人”にとっては、1湯でも多くの温泉に入ったほうがいい!

 温泉の宝庫、九州中央部のなかでも、今回走った大分県の九重連山周辺や熊本県の阿蘇周辺は、とびきりの温泉の宝庫だ。
 水分峠からやまなみハイウェイの牧ノ戸峠を越え、阿蘇外輪山の高森峠を越えながら、1湯、また1湯としらみつぶしに温泉に入っていった。

小国郷の温泉めぐり
 筑紫平野のまっただなかに位置する久留米では、久留米温泉のクアハウス「湯の坂」に行った。だが、入浴料が1800円と高く、おまけに10時オープンで1時間ほど待たなくてはならなかったので、入口のタラタラ流れ落ちている湯で顔を洗ってごまかし、それをぼくにとっての久留米温泉とした。

 さー、出発だ!
 スズキDR250Rのアクセルを吹かし、R210を走り、大分県の日田へ。
 盆地の町、日田からはR212に入り、大山川の渓谷を走る。この大山川は、筑後川上流の玖珠川に流れ込む川。大分県から熊本県に入ると、そこは小国。小国町と南小国町から成る阿蘇外輪山北麓の小国郷は、きわめつけの温泉の宝庫なのだ。

 地図を何度も繰り返してながめ、小国郷のあちらこちらに点在する温泉をひとつ、またひとつと“はしご湯”していくのだが、バイクの機動力があるからこそできる温泉めぐりの仕方だ。

“小国郷温泉めぐり”の第1湯目は、県境を越えてすぐのところにある杖立温泉。渓流に沿って10数軒ほどの温泉宿が建ち並んでいる。日本有数の“渓谷美の温泉”。ここでは目の前の渓流をながめながら、無料&混浴の「湯元・露天風呂」に入る。温めの湯。混浴の湯とはいっても、入浴客はぼく一人。誰かのいたずらなのか、忘れ物の女性用パンツが、石にかぶせられていた。それがけっこうなまめかしくて、淡いピンクの下着についつい目がいってしまう。

 第2湯目は満願寺温泉。共同浴場「満願寺温泉会館」のかわいらしい湯船の湯につかったが、入浴料の100円は料金箱に入れるようになっている。
 第3湯目は扇温泉。「おおぎ荘」(入浴料500円)の露天風呂に入る。小山のてっぺんにある湯で、眺望抜群だ。

 第4湯目は小田温泉。温泉民宿「夢の湯」(入浴料300円)の内風呂に入ったが、ここには露天風呂もある。宿の主人はバイクが大好きで、ニューモデルのDR250Rを見ると、ここはどうだ、あそこはどうだといった品評会になる。そのような宿の主人なので、ライダーの泊まり客ならば、きっと歓迎されることだろう。

 第5湯目は黒川温泉。杖立温泉と並ぶ小国温泉郷最大の温泉地で、10数軒ほどの温泉宿が山あいに固まっている。ここでは共同浴場「地蔵の湯」に入ったが、入口で料金箱に100円を入れると自動的にゲートが開き、さらに中でもう100円を入れるというシステムになっている。温泉情緒半減といったところだが、入浴料金を踏み倒す人がいるからこうなってしまうのだ。すくなくとも、我ら、“温泉派ライダー”は、最低限のマナーだけは絶対に守ろうではないか。

 第6湯目は田ノ原温泉。温泉旅館「湯の迫」の内風呂と露天風呂に入った。露天風呂の湯につかりながらながめた田植えの終わったばかりの水田の風景が目に残った。
 第7湯目は山川温泉。誰もいない共同浴場(入浴料200円)の湯につかったが、青味がかって見える硫黄泉の湯は、いかにも体に効きそうだった。

 第8湯目は○ノ湯温泉。「松屋旅館」(入浴料300円)の混浴の大露天風呂に入ったが、残念ながら入浴客はぼく一人だった。
 第9湯目は岳ノ湯温泉。ここでは「友愛山荘」(入浴料300円)の内風呂の湯に入ったが、宿のおかみさんのやさしさと、湯の絹のような肌ざわりの良さが印象的だ。この、岳ノ湯温泉の集落がすごい。ふつうの民家の庭先や畑の中から、ものすごい勢いで、水蒸気が噴き上がっていた。

 こうして、きわめつけの温泉の宝庫、小国郷の9湯の温泉を総ナメにしたところで、R387で熊本県から大分県に入っていく。大分県側のR387沿いには3湯の温泉があり、川底温泉では「螢川荘」(入浴料500円)、法泉寺温泉では「法泉寺観光ホテル」(入浴料500円)、壁湯温泉では「福元屋旅館」(入浴料200円)の湯に入る。そのうちの壁湯温泉「福元屋旅館」の湯は、天然&混浴の洞窟風呂で、カソリの選ぶ“日本の露天風呂ベスト10”にも入るような温泉だ。

 今晩の宿は、筋湯温泉の「両筑屋」。共同浴場「うたせ大浴場」のまん前にある温泉旅館だ。夕食後、宿の湯に入り、さらに何本もの打たせ湯が豪快に流れ落ちている「うたせ大浴場」の湯に入るのだった。

やまなみハイウェイの温泉めぐり
 翌日は、筋湯温泉に近い大岳温泉「泉水荘」(入浴料200円)、河原湯温泉の共同浴場(入浴料200円)、湯坪温泉の温泉民宿「みやま」(入浴料300円)の3湯に入ったあと、R210へと下っていく。
 R210に出ると、水分峠まで登り、やまなみハイウェイに入っていく。この九重連山を貫く山岳ハイウェイ沿いの温泉に入りまくるのだ。

 第1湯目は湯平温泉。山下池からやまなみハイウェイを12キロほど下ったところにある温泉情緒にあふれる温泉だ。狭い石畳の道の両側に、50軒あまりの温泉宿が建ち並んでいる。ここには全部で5つの共同浴場があるが、そのうちの「中ノ湯温泉」に入る。入浴料の100円は賽銭箱に入れるようになっている。えらい熱い湯で、そのまま湯船に飛び込んでいたら、全身大火傷になるところだった。ガンガン水を入れてやっと入れたが、湯から上がると、体はゆでダコのように真っ赤になっていた。

 第2湯目は筌ノ湯温泉。やまなみハイウェイの飯田高原の交差点から2キロほど西に入ったところにある。ここの共同浴場(入浴料200円)は、“日本の共同浴場ベスト10”に入るくらいのもので、石づくりの湯船といい、うぐいす色をした含芒硝重炭酸土類泉の湯といい、申し分がなかった。

 第3湯目は阿蘇野白水温泉。やまなみハイウェイの飯田高原の交差点から、今度は10キロほど東に行ったところにある。「白水荘」(入浴料200円)の湯に入ったが、ここの水はよっぽどの名水なのだろう、次から次へと水をくみにくる人たちがやってくる。九州でも一番といっていいくらいに自然の残る黒岳北麓の温泉だ。

 第4湯目は長者原温泉。やまなみハイウェイの中心地的存在のところだが、ここでは、「九重ハイランドホテル」(入浴料500円)の湯に入った。

 第5湯目は寒ノ地獄温泉。これが何で温泉なのといいたくなるが、入浴料400円を払って、水温14度という渓流浴するのと変わらない冷水につかる。ところがこの冷水は、万病に効くとあって、やってくる人があとをたたない。ほんとうに不思議なのだが、この冷水から上がると、体は温泉に入ったときと同じようにポカポカしているのだ。

 第6湯目は星生温泉。「九重星生ホテル」(入浴料300円)の大露天風呂と、それに隣あった、きわめて酸性の強い湯の桶風呂に入った。
 第7湯目は牧ノ戸温泉。「九重観光ホテル」(入浴料300円)の大浴場と露天風呂に入る。ホテルの敷地内からは猛烈な勢いで水蒸気が噴き上げているが、それは地球の持つエネルギーのすごさをみせつけるものだった。

 こうして、やまなみハイウェイ沿いの7湯の温泉に入り、牧ノ戸峠を越え、瀬ノ本高原からは阿蘇一宮へと下った。
 阿蘇神社に参拝し、R57に出たところで、瀬ノ本高原まで引き返す。
 そこからは、R442を行く。赤川温泉の国民宿舎「久住高原荘」(入浴料300円)、七里田温泉の「大船荘」(入浴料200円)の湯に入り、長湯温泉の「丸長旅館」に泊まった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


ヘボ試合。

管理人@やっぱりカソリがいないのでひとり言、です。

「3試合連続、アジアレベルでヘボ試合やってんじゃねえ!」

と怒鳴りたくなるような試合でした。ええ、日本VSオージー戦です。

そして阿部・・・。

あと、玉田と中村ケンゴはナニやってたの? 居酒屋で見てたというのもあるが(TV画面=小)、ほんとにワカランかった(笑)。松井も周りの脚ひっぱる感じで。ぜんぶスローダウンしたり、ヒールで流れたりとか。要らんって。

関東をうろうろしているであろうカソリもおかんむりでしょう・・・。
しばらく代表は忘れないとね。さ、Jリーグ、Jリーグ!

テーマ : 癒されない心
ジャンル : その他

著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
Administrator:ウザワ・K

電子で復刊!
カテゴリー
Amazon
ブログ内検索 by Google
広告も社会の窓。
最近のコメント
RSSフィード
FC2ブログランキング
このブログが面白いと思ったらたまに(あるいは頻繁に!)クリックしてくださいね(ポチっとな)。それで何が起こるのかは僕も知らんけど…。
カソリお役立ちリンク
管理人推奨リンク
最近の記事
月別アーカイブ
小さな天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
QRコード
QRコード