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秘湯めぐりの峠越え(37)川汲峠(北海道)

 (『アウトライダー』1996年7月号 所収)             

 北海道ツーリングの出発点に最適な函館は温泉町でもある。有名な湯ノ川温泉のほかに谷地頭温泉、函館温泉とあるが、それらの湯に入ったところで出発だ。

 道道722号で亀田半島の川汲峠を越えたが、内地では初夏になろうかという季節なのに、峠周辺は雪景色‥‥。

 太平洋岸に出る。R278で鹿部温泉まで行って引き返し、恵山岬周辺の温泉に入り、最後に戸井町の戸井温泉に立ち寄り、函館に戻るのだった。

季節が違うゼ、北海道は…
「ヒェー!!」
 ぼくは東日本フェリーの「びるご」を下船するなり絶句してしまう。冬用のグローブを持ってこなかったことを悔やんでしまう。

 スズキDJEBEL250XCとともに函館港のフェリー埠頭に降り立つと、なんと、5月の連休が間近だというのに、ミゾレ混じりの雨が降っているではないか…。

 時間は6時30分。なにはともあれ温泉だとばかりに谷地頭温泉に急ぐ。函館駅前に出、市電の通りに沿って走り、終点の谷地頭へ。函館山を目の前にする谷地頭温泉の「市営公衆温泉浴場」に着くと、心底、ホッとした。

 フェリー埠頭から10キロほどの距離でしかないのに、手はすっかりかじかみ、指先がジンジン痛む。DJEBELのフルカバーの大型ナックルガードがなかったら、とてもではないが走れなかった。顔も寒風が突き刺さりヒリヒリ状態。すさまじい寒さ。これでは、真冬と変わりがない。

 自動券売機で入浴券を買い、もどかしいような気分でブーツを脱ぐ。番台のオバチャンに入浴券を渡し、ウエアを脱ぐ。大浴場に入ると、まずは、桶で湯をかぶる。
「生き返ったー!」

 谷地頭温泉の「市営公衆温泉浴場」は、日本でも最大級の公営温泉浴場だ。
 だ円形の湯船には、100人は楽に入れる。洗い場も、一度に50人ぐらいが使えるし、脱衣所のロッカーは192番まであった。

 赤茶けた色の湯につかる。
 塩分の濃い熱い湯。湯の熱さに、体が慣れてくると、
「フーッ」
 と、大きく息をつく。

 東京から700キロ、東北道を夜通し走り、午前2時50分青森発の東日本フェリー「びるご」に乗ったのだが、そんなきつい走りの疲れも、いっぺんに吹き飛ぶほどの気持ちよさ。

 湯から上がると、再度、ミゾレ混じりの雨の中を走り函館駅前へ。
 朝市の一角にある「きくよ食堂」で三平汁をフーフーいいながら食べ、それをパワー源にしてさらに函館温泉、湯ノ川温泉の湯に入り、川汲峠に向かうのだった。

恵山岬の無料露天風呂
 恵山岬の海は大荒れだ。
 小雪混じりの強風にあおられた太平洋は牙をむき、あちらこちらに白い波頭が立っている。近くの鹿部では港を出た漁船が転覆し、大騒ぎになっていた。北の海の厳しさを思い知らされる出来事だ。

 恵山は海辺の火山。山裾は断崖となって海に落ち込んでいる。その先端が恵山岬。海辺の道は、恵山岬でプッツンと途切れている。この恵山岬の水無海浜温泉には、いい露天風呂がある。それも無料湯の露天風呂なのだ。

 R279から椴法華村の海辺の道に入り、数キロ行くと、恵山岬に着く。高台の上には灯台。その前に“恵山岬”と彫られた石碑が建っている。

 水無海浜温泉の国民宿舎「恵山荘」のわきの道を下ったところに無料露天風呂。石のゴロゴロした海岸に、コンクリートで囲った湯船が5つある。だがそのうちの3つは、荒波の海に完全に沈んでいた。

 手前の2つには、なんとか入れそうだ。
 だが、ザバーッ、ザバーッと荒波が入り込んでいるので、湯温は海水とほとんど変わらない。
「よーし、入るゾ!」
 と、覚悟を決める。

 この無料露天風呂に入っているシーンを写真に撮りたかったので、誰かに撮ってもらおうと、人が来るのを待つ。肌を突き刺すような寒風に我慢できずに、露天風呂を見下ろす電話ボックスの中に逃げ込む。
「ヒュー、ヒュー、ヒュルルン」
 ゾッとするほどのものすごい風の音。

 30分ほど待つと、車に乗った若いカップルがやってきた。
「お願いします」
 すぐさま、ウエアを脱ぎ、タオル1枚を持って湯船に入る。

「ギャオー!!」
 あまりの冷たさに歯がカチカチ鳴ってしまう。おまけに、ザバーッと入り込む大波と肌を突き抜けていく風の冷たさ‥‥。

「おー、凍え死ぬ‥‥」
「早く恵山荘の温泉に入ったほうがいいわよ」
 という彼女の忠告通りに、崖の上の「恵山荘」に行き、大浴場の湯に飛び込む。地獄のあとの天国だった。

■コラム■川汲峠
 道南の渡島半島は先が二又になっている。その二又の東側の半島が亀田半島で、太平洋と津軽海峡に分けている。亀田半島の先端が恵山岬、津軽海峡に突き出た岬が汐首岬だ。駒ヶ岳、横津岳、恵山、函館山と那須火山帯の火山が噴出し、そのために温泉が多い。この亀田半島を越える峠が川汲(かっくみ)峠である。

 川汲峠には、函館郊外の湯ノ川温泉から、道道722号で向かっていった。海岸を離れ、トラピスチヌ修道院を過ぎると、あたりは一面の雪景色になる。信じられない…。5月になろうかというのに。

 函館側からの峠へのアプローチは長い。峠に近づくにつれて雪が降ってくる。次第に激しくなり、降りしきる雪をついて、スズキDJEBEL250XCを走らせるのだった。

 川汲峠は函館市と南茅部町の境の峠。標高428メートル。峠の北東2キロの台場山は絶好の展望台で、“道南の十国峠”といわれるほど。峠のトンネルを抜け出ると、海に近いとは思えないほどの山深い風景。その中に川汲温泉がある。「川汲温泉ホテル」の湯につかったときは、ほんとうに、生き返ったよ。それほど強烈な寒さなのだ。

 川汲温泉から下ると、じきに海が見えてくる。そこがコンブで知られる南茅部町の川汲。函館から30キロ。「川汲峠越え」は、道南のおすすめツーリングコースである。


「川汲峠編」で入った温泉一覧
1、谷地頭温泉  市営湯(入浴料340円) 北海道函館市谷地頭町 
函館市営の公衆温泉浴場。6時から21時30分までと、入りやすい。函館市民の絶好の憩いの場。

2、函館温泉   函館温泉ホテル(入浴料550円) 北海道函館市大森町  
湯につかりながら津軽海峡を眺める。緑がかった湯の色。塩分が濃い。ロシア蒸気風呂もある。

3、湯ノ川温泉  根崎湯(入浴料340円) 北海道函館市湯川町  
湯ノ川温泉には5つの温泉銭湯があるが、そのうちのひとつ。市営熱帯植物園の前にある。無色透明の湯。

4、川汲温泉   川汲温泉ホテル(入浴料300円) 北海道南茅部町川汲  
川汲峠下の山中にある1軒宿の温泉。無色透明の湯は丸みがあって肌にやさしい。窓越しに川汲峠の峠道を見下ろす。

5、大船温泉   公営湯(入浴料300円) 北海道南茅部町大船  
「南茅部町民保養センター」の湯。大浴場と露天風呂。国道から数キロ入る。

6、鹿部温泉   亀乃湯(入浴料340円) 北海道鹿部町鹿部   
国道沿いにある共同浴場。6時~21時と入りやすい。すぐ近くに北海道では数少ない間欠泉がある。

7、水無海浜温泉 恵山荘(入浴料300円) 北海道椴法華村恵山岬 
恵山岬の海岸段丘上にある国民宿舎。ここから見るイカ釣り船の漁火が幻想的だ。

8、御崎海浜温泉 浜の湯(無料湯)   北海道恵山町御崎   
恵山下の行き止まり地点近くにある無料湯の露天風呂。屋根つき、脱衣所つき。地元の方々が大事にしている温泉だ。

9、恵山温泉   町営湯(入浴料250円) 北海道恵山町柏野   
町営湯「恵山町老人福祉センター」の湯に入った。大浴場の壁には見事な恵山岬のモザイク画。黄土色の湯。

10、戸井温泉   公営湯(入浴料300円) 北海道戸井町原木   
国道からわずかに山側に入ったところに「ふれあい遊湯館」。無色透明の湯。汐首岬に近い。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

秘湯めぐりの峠越え(36)傘松峠(青森)

 (『アウトライダー』1996年6月号 所収)

 八甲田山は紅葉のまっ盛りだった。
「おー、これぞ、日本一の紅葉!」
 と、思わずそんな声が出てしまう。

 あまりにもきれいな、目のさめるような赤や黄に染まった木々の葉に、スズキDJEBEL200を何度、止めたことか。
「すごいゾ!!」

 そんな八甲田山には、名湯、秘湯があちらこちらにある。まさに温泉天国。青森を出発点にし、R103で傘松峠を越え、R102で十和田に下っていったが、ルート沿いの温泉に1湯、また、1湯と入るのだった。

消えゆく八甲田の秘湯…
「カサカサ、カサカサ」
 乾いた音をたてながら、ブナの落ち葉がびっしりと敷きつめられた山道を歩く。八甲田山の温泉群の中では、一番の秘湯といわれている田代元湯温泉に向かっているのだ。

 胸がワクワクしてくる。
“秘湯めぐりのカソリ”、今までに何度もその名を聞いているが、いつも行きそこねていた温泉。それだけに、「今度こそは!」という気持ちが極めて強いのだ。

“八甲田・雪中行軍”の銅像前から南に2キロ走り、左に折れ、ブナ林の中のダートを1キロ走り、行き止まり地点に着いた。そこにスズキDJEBEL200を止め、歩きはじめた。こう書くと、簡単な道のりのようだが、温泉への案内は一切出ていないので、道を探すのに、さんざん苦労した。

 DJEBELを止めた地点から山道を下り、10分ほど歩くと、渓流のわきに出る。微塵の汚れもないきれいな流れ。その渓流を渡ったところに山中の1軒宿「やまだ館」があった。だが、渓流わきの秘湯の1軒宿はすでに朽ちはじめ、廃業状態になっていた。

 ありがたいことに、湯屋はそのまま残り、自噴の湯がこんこんと木の湯船に流れ込んでいた。すぐさまブーツを脱ぎ、ウエアを脱ぎ、湯につかる。ジャスト適温。いい湯だ!
 湯屋から外に出たところに、木の湯船と岩風呂の露天風呂がある。湯船の底に苔がはえはじめていたが、両方とも、十分に、気持ちよく入れる湯だった。

 露天風呂の湯につかっていると、もう1人、入浴客がやってきた。やはりライダーで、浜松から三沢に移ってきたというKDX125氏。彼からいろいろと話しを聞いて、すべてを理解することができた。このきれいな渓流にダムをつくるので、そのために田代元湯温泉は廃業に追い込まれたのだという。

 何ということ‥‥。
 日本中を探したって、これほどいい温泉は、そうはない。
阿蘇の戸下温泉や岩手県の石淵温泉が消えたように、八甲田山の田代元湯温泉も、ダム建設のせいで消えていこうとしている。何も、こんなところにダムをつくらなくてもいいのに‥‥。

混浴千人風呂
 傘松峠にほど近い酸ヶ湯温泉は、さすがに八甲田山の一番人気の温泉だけあって、広い駐車場は観光バスや自家用車で埋めつくされていた。豪壮な造りの一軒宿に入ると、混浴の千人風呂も、ワサワサという感じで混み合っていた。

 ぼくはこの酸ヶ湯温泉は好きで、以前に何度か来たことがある。酸ヶ湯の名前通りの強酸性の湯。それだけに体によく効くと評判の湯で、湯治客が多く、湯治場の風情をよく残していた。が、それも今では、昔の話し‥‥。

 驚いたのは、混浴の千人風呂に、男女の入浴ゾーンを分ける男ゾーンと、女ゾーンができていたこと。混浴の湯とはいっても、男の入浴客のほうが圧倒的に多い。

 女ゾーンの湯には、オバチャン、オバアチャンに混じって若い女性が3、4人入っていたが、当然のことながら、男たちの視線は若い女性に集中する。これでは、あまりにも、彼女たちがかわいそうではないか。

 東北の温泉の魅力のひとつに、混浴の湯の多いことが上げられる。オバチャン、オバアチャンと一緒になるのもいいが、若い女性と一緒になったときなど、胸がときめき、しばらくは舞い上がった気分で、その思い出はいつまでも忘れないものだ。

 宮城県の湯ノ倉温泉や岩手県の大沢温泉、松川温泉、秋田県の赤川温泉、孫六温泉などの混浴の湯でのいい思いは、ぼくにとっては一生の宝物といってもいいほどなのである。

 このように、混浴の湯で若い女性と一緒になるということは、それほどまでに男を有頂天にさせるもの。だが、混浴の湯には、それなりのマナーというものがあるのだ。見て見ぬふりとでもいうのか、ごく自然体で湯につかることである。でないと、岩手県の須川温泉や秋田県の玉川温泉のように、せっかくの混浴千人風呂が男女別々の、壁で仕切られた小さな湯船になってしまう。

 せかされるような気分で湯から上がり、酸ヶ湯温泉を後にしたが、混浴千人風呂がいつまでも残りますように! と祈りながら、傘松峠に向かっていった。混浴千人風呂というのは、混浴の魅力、千人風呂の魅力を合わせ持った、超魅力の温泉だからなのである。

■コラム■            
 東北の名峰、八甲田山は、一大火山群の総称だ。最高峰の大岳(1585m)をはじめ、高田大岳、硫黄岳などの8峰がある。

 楯状火山(アスピーテ)の上に、円錐状火山(コニーデ)、釣鐘状火山(トロイデ)がのるような形になっている。山上には、湿原が多い。「神の田」といわれる湿原がそれら8峰の各所にあるところから、「八神田」と呼ばれ、それが「八甲田」になったという。

 広い意味で八甲田山というと、それら8峰の「北八甲田」のほかに、赤倉岳や乗鞍岳、櫛ヶ峰などの「南八甲田」の山々をも含む。その「北八甲田」と「南八甲田」の間の峠が傘松峠なのである。

「傘松峠編」で入った温泉一覧
1、三内温泉  「三内温泉」(入浴料300円) 青森県青森市三内   
縄文遺跡の三内丸山遺跡近くの温泉。東北道の青森ICにも近い。公衆温泉大浴場。塩分を含んだにごり湯。飲湯可。

2、雲谷温泉  「雲谷温泉」(入浴料300円) 青森県青森市雲谷   
R103から500メートルほど入ったところにある公衆温泉浴場を兼ねた一軒宿の温泉。宿の前からは八甲田山を眺める。

3、田代元湯温泉「やまだ旅館」(入浴無料) 青森県青森市駒込   
ランプの宿として知られていた渓流沿いの一軒宿の温泉だったが残念ながら廃業。東北屈指の秘湯が今、消えていく。

4、深沢温泉  「深沢温泉」(入浴料300円) 青森県青森市駒込   
田代平にある1軒宿の温泉。内風呂と混浴の露天風呂。食堂もある。湯上がりに食べた山菜うどんがうまかった。

5、八甲田温泉 「八甲田温泉」(入浴料500円) 青森県青森市駒込   
大浴場は草色の湯、露天風呂は白濁色の湯と異なる泉質。冬期休業。

6、寒水沢温泉 「ホテル八甲田」(入浴料500円) 青森県青森市荒川   
八甲田山ロープウェイの麓駅に隣り合ったリゾートホテル。リッチな気分で入浴できる。

7、城ヶ倉温泉 「ホテル城ヶ倉」(入浴料500円) 青森県青森市荒川   
ブナ林と白樺林の中にたたずむ北欧風造りの温泉リゾートホテル。岩風呂の大浴場。

8、酸ヶ湯温泉 「酸ヶ湯温泉」(入浴料400円) 青森県青森市荒川   
標高920メートルの青森県最高所の温泉。千人風呂はヒバの木の湯船。6ヵ所の源泉はそれぞれに成分が違う。

9、猿倉温泉  「猿倉温泉」(入浴料400円) 青森県十和田湖町奥瀬 
蔦川最上流の1軒宿の温泉。2つの湯船。湯量豊富。熱い湯は灰色、温い湯は白濁色。露天風呂と天然蒸気の蒸し風呂もある。

10、谷地温泉 「谷地温泉」(入浴料300円) 青森県十和田湖町谷地 
山中の1軒宿の温泉。“400年の秘湯”。熱めの湯は白色、温めの湯は草色っぽい。昔ながらの素朴さが残る湯治宿。

11、蔦温泉  「蔦温泉旅館」(入浴料300円) 青森県十和田湖町奥瀬 
八甲田山中では酸ヶ湯温泉と並ぶ人気の湯。古風さを残す1軒宿の温泉。総ブナ造りの大浴場。無色透明の湯。飲湯可。

12、焼山温泉  「町民の家」(入浴料200円) 青森県十和田湖町法量 
奥入瀬渓谷の入口、焼山にある。猿倉温泉から引湯。十和田温泉郷とも呼ばれているが、約20軒の宿がある。


管理人コメント:
うおお! 旅行前にこの記事をアップしておれば・・・。酸ヶ湯が千人風呂だと知ってはいましたが(だから行った)、あそこまで強烈な混浴とは知らず。ウチは上さん(小さなタオル一枚ぶら下げ、娘を連れてて目があまり良くない)が犠牲になってしまいました・・・。今回の旅行中、だいぶトラウマになってた模様。
構造がストリップ小屋みたいになってるのが良くないし、券売機から脱衣場に至るまでの注意喚起も足りないようです。
ま、そんなのも混浴の面白いところなんですが。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

管理人一家、夏休みから帰還しました

え~、カソリブログと直接関係ない話ですみません!

昨晩、管理人一家は夏季休暇より無事に帰着しました。
カソリに当てられて(?)の激旅です。ま、レベルは違いますが。

1)上野~青森の昼行バス
2)青森でレンタカー、酸ヶ湯・谷地温泉~十和田湖~黒石
3)18きっぷ開始、青森~登別(泊は登別温泉ではありません=意味深)
4)登別~狩勝峠~帯広
5)帯広~釧路~根室
6)根室をレンタカーでまわる。夜行バスで札幌へ
7)早朝の札幌から小樽~長万部~函館
8)函館散策。函館~青森
9)青森から昼行バスで上野→自宅

よくよく考えたら9日間も国内を旅行していたことなんて・・・。
あ、学生のときに2週間とかあったか。
しかし家族でここまでやってしまったので、これから財政を立て直すのが大変です。
というかヤバイ。

道中、「こんなところもカソリは走り回っているんだろうなぁ、この温泉も絶対に入っているだろうなぁ・・・」と驚くことしきりでした。改めて、日本は広いです!

詳細はヘンテコでレポート予定です。興味のあるかたはそちらもぜひ。
ということでカソリブログの更新も復帰します~。

読者の皆様も夏バテには負けずにステキな夏休みを!

テーマ : とりあえずまぁいろいろと・・・
ジャンル : その他

日本列島岬めぐり:第36回 久成崎(くなりざき・沖縄)

 (共同通信配信 1990年)

 石垣島の石垣港は八重山諸島の玄関口。そんな石垣港から沖縄最南端の波照間島に渡った。波照間島は有人島としては日本最南端の島になる。

 高速船「第8あんえい丸」で石垣港を出ると、あっというまに竹富島のわきを通り過ぎ、新城島を左手に見て西表島の大原港に入港した。ここまで30分。

 すぐに出港し、うねりの大きな外海に突っ込んでいく。うねりの山から谷に落ちるときは、たたきつけられるような衝撃を感じる。大原港から30分後に着いた波照間島は南海の孤島だった。

 島に上陸すると、すぐさま50㏄バイクで走り始める。
 隆起サンゴ礁の波照間島は島全体が平で、一面のサトウキビ畑になっている。石灰岩を砕いて、大規模なサトウキビ畑も造成中。

 八重山諸島のなかで石垣島に次いで耕地面積の広い波照間島は、一周すれば10キロほどの小島。だが250戸の戸数があり、750人ほどの人たちが住んでいる。

 外周道路を折れ、ダートを走ると、日本最南端の久成崎に出る。観光客でにぎわう日本最北端の宗谷岬と比べると、あまりにも寂しい。岬にはまったく人影はなく、サンゴ礁の海岸にはポツンと「日本最南之碑」が立っていた。
 それと「波照間の碑」があって、それには北回帰線まで65キロ530メートルと書かれてあった。

 その夜は島の民宿に泊まった。気温は30度を下がらず、汗をタラタラ流しながら寝苦しい熱帯夜を過ごした。10月中旬のことだった。

 その夜、日本最北端の宗谷岬では氷点下になった。同じ日の同じ時間、北と南では気温が30度以上も違った。日本は広い!

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

日本列島岬めぐり:第35回 西崎(いりさき・沖縄)

 (共同通信配信 1990年)

 石垣島の石垣港を離れて4時間、「フェリーよなくに」は日本最西端の島、与那国島の久部良港に入港。目の前には日本最西端の岬、西崎が断崖となってそそり立っている。

 久部良港に上陸すると、まずは港近くのクブラバリ(久部良割り)に行った。ここは悲しい歴史の現場で、案内板には次のように書かれていた。

「クブラバリの岩の割れ目は全長15メートル。幅の広いところは3メートル、狭いところで1メートルで、深さは7メートルある。その昔、中山王府は先島(宮古、八重山)の人口を調査し、貢租を人頭割に改めた。それは15歳以上のすべての男女に賦課する過酷な人頭税であった。

 その影響は王府からはるか遠い与那国にまで及んだ。村では人減しのために妊婦を集め、この岩の割れ目を飛び越えさせた。体の丈夫な女は飛び越えることができたが、そうでない女は流産したり、転落死することもあったという」

 西崎に立った。
 岬の断崖の上には「日本最西端碑」と灯台。久部良港と久部良の集落を見下ろす展望台からは、洋上のはるかかなたに年に数回、台湾が見えるという。

「新高山(台湾の最高峰、玉山3997m)が、こんなに大きく見えますよ」
 と、石垣で出会った与那国島の出身者は両手を広げた。

 その人にいわせると、台湾山脈の4000メートル近い高峰群が、水平線上にズラズラズラッと一列に連なって見えるという。その風景は島ではなく、大陸そのものだという。

 与那国島は東西11キロ。東端の岬、東崎(あがりさき)に行ったあと、夕方に西崎に戻った。水平線上には雲が多く、夕日はその中に隠れてしまった。しかしその直後、ほんの数分のことだが、台湾の島影の一部が薄暮の中に浮かび上がって見えた。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

日本列島岬めぐり:第34回 平久保崎(ひらくぼざき・沖縄)

 (共同通信配信 1990年)

 那覇からフェリー「飛竜3」で18時間かけて渡った石垣島の石垣は八重山諸島の中心地。石垣港に上陸すると、50ccバイクを走らせ、日本最南の国道390号で石垣島最北端の平久保崎に向かった。

 太平洋に流れ出る宮良川の河口まで来ると、河岸はヒルギ林の濃い緑で彩られている。ヒルギの類などを総称してマングローブといっているが、日本では西表島が有名だ。

 しかし石垣島にも、吹通川や北部の小河川の河口などにはマングローブが群落を成している。 無数の気根を水中に伸ばしたマングローブ林の風景は日本離れしたもので、赤道直下のアフリカ・インド洋岸や熱帯アジアの海岸を思い起こさせた。

 国道390号をさらに北へ。サトウキビ畑が広がっている。それと牧場が目につく。牛、馬のほかに水牛を見かけるところがいかにも石垣島らしい。

 石垣から北に38キロの伊原間で、日本最南の国道は尽きる。その先は県道で、細長い平久保半島に入っていく。半島の一番狭まったところが船越(ふなくやー)という地名。太平洋と東シナ海の両方の海が眺められる。幅が300メートルほどしかない地狭で、地名通り、昔はくり舟を担いで渡ったという。

 石垣島最北の集落、平野には、「南の北の家」というユーモラスな名前の民宿があった。それ式の言い方をすると、平久保崎は「南の北の岬」ということになる。

 石垣島最北端の平久保崎に立った。白い灯台のある岬周辺は牧場になっている。断崖上に腰を下し、亜熱帯樹の緑で縁どりされた長い砂浜を見下ろした。

 海底が透けて見える。ライトブルーの海は海底が砂地で、モスグリーンの海はサンゴだという。人影のまったくない岬からの風景は心に残るものだった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

日本列島岬めぐり:第33回 喜屋武岬(きゃんみさき・沖縄)

 (共同通信配信 1990年)

 沖縄の人たちはよく、「辺土岬から喜屋武岬まで」という。沖縄本島最北端の辺土岬から最南端の喜屋武岬までということで、沖縄本島の全土を意味している。

 その喜屋武岬には与那原から国道331号で向かい、途中、沖縄第一の聖地、斉場御嶽に立ち寄った。歴代の琉球王たちが欠かさずに参拝したところ。本土でいえば伊勢神宮のようなところだが、御嶽は自然そのものが拝殿であり本殿なのだ。

 斉場御嶽はタブやシイ、クス、アカギなどの常緑樹がうっそうと茂り、昼なお暗い世界になっている。いかにも神々が宿っていそうな岩の下に拝所があって、黒い線香と米粒、菊の葉、赤い饅頭が供えられていた。

 摩文仁の丘やひめゆりの塔などの南部戦跡を見てまわり、喜屋武岬に行くと、そこには白い灯台と平和の塔が建っていた。摩文仁の丘から喜屋武岬にかけての島尻地方は、太平洋戦争末期の沖縄戦最大の激戦地。アメリカ軍に追いつめられた数万の沖縄住民や学徒隊、防衛隊、そして日本軍の将兵が最期をとげた沖縄戦終焉の地でもある。平和の塔の前で心より手を合わせた。

 東シナ海に突き出た岬の突端に立つと、さらに南にもうひとつの岬、荒崎があった。そこまで行ってみる。

 4輪駆動車がやっと走れるくらいのガタガタ道の行き止まり地点に50ccバイクを止め、覆いかぶさる草木を払いながら歩き、荒崎の岩場に出た。

「もうこれ以上、沖縄本島に南はない!」
 という地点まで歩き、そこで東シナ海の水平線に近づいた夕日を眺めた。水平線に沈んでいく夕日を眺めながら、いい知れぬ満足感に浸るのだった。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

日本列島岬めぐり:第32回 辺戸岬(へどみさき・沖縄)

 沖縄本島を南北に走る国道58号を北上し国頭(くにがみ)へ。沖縄では昔から島の北を頭や上、南を尻や下とする観念があり、本島の北半分を国のカミと考え、「国頭」と呼んだ。近世になると、国頭地方は山原(やんばる)とも呼ばれるようになった。

 国頭村の中心、辺土名(へんとな)の町並みを走り抜けて国道58号のソテツ並木を走り、本島最北端の辺土岬に到着。辺土には「遠く離れた海上の道」の意味があるという。

 辺土岬の先端には「祖国復帰闘争碑」が建っている。そこからは平べったい与論島が見える。与論島までは25キロ。復帰以前の沖縄人は、どのような思いで「日本の与論島」を眺めたことだろうか。

 アメリカ軍の占領当時、日本とアメリカ領オキナワの国境は辺土岬から14キロ北の北緯27度線であった。岬に近い最北の集落、辺土の人たちは祖国復帰を誓い、サンフランシスコ条約調印の日の4月28日になると毎年、辺土岬で大きな火を焚いた。それに呼応して与論島の人たちも火を焚いたという。

 沖縄の祖国復帰は昭和47年。その直後に建てられた祖国復帰闘争碑には、27年間に及ぶ沖縄人の苦しみの歴史が刻み込まれている。

 辺土岬は目の前の海を太平洋と東シナ海に分けている。サンゴ礁の断崖にぶち当たる波は砕け、岬の上までしぶきが飛んできた。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

日本列島岬めぐり:第31回 長崎鼻(ながさきばな・鹿児島)

 日本鉄道網の最南端駅、JR指宿枕崎線の西大山駅は、駅舎もないような寂しい無人駅。ホームの先端には「日本最南端駅 北緯31度11分」と書かれた木標が立っている。20時40分発の西鹿児島行き最終列車が出た後、ホームのベンチで寝袋にくるまって1夜を明かした。

 翌朝は5時10分発の枕崎行き始発列車が来る前に、西大山駅を出発。5キロと離れていない薩摩半島最南端の長崎鼻で夜明けを迎えた。東の空が白み始め、色づいてくる。やがて対岸の大隈半島の山々から朝日が昇った。鹿児島湾口の海が赤々と染まり、大隈半島先端の佐多岬灯台の灯が消えた。

 目を反対側に移すと、スーッと延びる海岸線上に、「薩摩富士」の開聞岳が朝日を浴びてそそり立っている。標高922メートル。海岸にそびえる山なので、開聞岳は数字以上の高さを感じさせる。

 長崎鼻は浦島太郎伝説の地。浦島太郎が亀に乗ってやってきた竜宮城はこの地にあるといい伝えられてきた。岬の竜宮神社は乙姫をまつっている。

 浦島太郎伝説は日本各地に残されている。この長崎鼻をはじめとし、丹後半島の経ヶ岬や海から遠く離れた木曽谷の名所、寝覚ノ床…などが伝説の地で、スケールの大きな昔話になっている。

 長崎鼻を歩く。ここはソテツの自生地で、国の天然記念物に指定されている。岬の先端には灯台があり、その先には岩礁地帯が広がっている。水平線上には硫黄島や竹島、黒島の口之三島が霞んで見える。岬の突端に立ち、南の海の竜宮城に思いを馳せるのだった。

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日本列島岬めぐり:第30回 坊ノ岬(ぼうのみさき・鹿児島)

 薩摩半島南西端の坊ノ岬に行く前に、薩摩半島北西端の野間岬に立った。両岬とも東シナ海に突き出た岬である。

 野間岬は昔、笠沙之碕と呼ばれた「古事記」の舞台である。日本初代の神武天皇のおじいさんにあたるニニギノ命が木花開耶姫と出会い、結ばれる。岬の近くにはニニギノ命が上陸したという黒瀬海岸があるし、2人が住んだ笠沙宮跡もある。

 野間岬から坊ノ岬までの海岸は切り立った断崖が連続するリアス式海岸。点在する入江には小さな漁村がある。

 野間岬が神話の岬だとすると、坊ノ岬はそれ以降の歴史の岬ということになる。岬に近い坊津はかつては伊勢の安濃津、筑前の博多津とともに、「日本三津」と呼ばれ、中国大陸や南方諸国との交易の拠点になっていた。

 この辺りは日本から中国大陸に最も近く、遣唐使船も坊津から出ていた。きらびやかな唐の文化にあこがれた多くの若者たちが、ここから東シナ海の波浪を越えていったのである。

 そんな坊津の港口にある坊ノ岬まで大汗をかいて山道を歩いた。岬に立つのはけっこうしんどいことだが、岬に立った瞬間にはその辛さや苦しさは吹き飛んでしまう。

 坊ノ岬先端の灯台からの眺めはすばらしいく、東シナ海の大海原は夕日を浴びてキラキラ光り輝いていた。

「この海をまっすぐ西に行けば、長江の河口のたどり着ける…」
 暮れなずむ岬にしばしたたずんだが、中国大陸への夢が駆けめぐり、熱い血の流れを感じるのだった。

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日本列島岬めぐり:第29回 瀬詰崎(せづめざき・長崎)

 (共同通信配信 1990年)

 名物のチャンポンと皿うどんを食べた長崎から国道251号で島原半島に入っていった。50ccバイクを走らせ、丸一日をかけて半島を一周。島原半島には心ひかれるものがった。

 雲仙岳西側の小浜温泉の湯につかり、島原名物の具雑煮を食べた。具がどっさり入っていて、数えてみると、全部で11種類もあった。小浜温泉から半島最南端の岬、瀬詰崎にかけてが最も島原らしい。

 国道251号を南下し、崖下を走っているときのことだ。台地上に登る細道が目に入った。すぐに国道を外れ、軽トラックが通れるぐらいの小道を登ってたどり着いた上の世界は、「あっ!」と驚くほどだった。下からではうかがい知れない島原人の生活の舞台になっていたからだ。

 段々畑は天に届かんばかりにつづき、1段1段の畑の境には、それこそ汗と涙の結晶のような石垣が築かれている。さらに小道を登りつめ、台地のてっぺんに立つと、天がぐっと近くなる。目の前の海には天草が浮かび、右に視線を移せば、島ひとつ見えない東シナ海の大海原が広がっていた。

 天草へのフェリーが出る口之津から瀬詰崎への道に入っていった。岬近くの漁村は亜熱帯樹のアコウが群生していた。サツマイモ畑が広がる台地がストンと落ちたところが瀬詰崎。有明海口の早崎瀬戸に突き出た岩礁の上に灯台が立ち、その向こうには天草下島がはっきりと見える。天草まではわずか4キロでしかない。

 早崎瀬戸は浅瀬が多く、潮の流れが速いので、昔からの海の難所。とくに大潮の満潮時や干潮時は潮流が段をなして押し寄せ、激しく渦を巻いて荒れ狂うという。

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日本列島岬めぐり:第28回 神崎鼻(こうざきばな・長崎)

 (共同通信配信 1990年)

 北松浦半島の神崎鼻は、日本本土最西端の岬である。
 とはいっても最北端の宗谷岬や最東端の納沙布岬、最南端の佐多岬に比べると、ほとんど知られていない。

 北松浦半島には焼き物の町、伊万里から入り、日本最西端駅に立ち寄った。1978年の「日本一周」で来たときは「国鉄・平戸口駅」だったが、それが「松浦鉄道・たびら平戸口駅」に変わっていた。

 1978年の「日本一周」では神崎鼻を探し当てるのにずいぶんと苦労した。町役場で聞いてみても、よくわからない。地図で見当をつけて神崎漁港まで行った。浜で魚を干していたおばさんたちに聞いてみたが、地元の人たちでさえそこが日本本土最西端の地であることを誰一人、知らなかった。

 というよりも、目の前に平戸島が長々と横たわっているので、最西端の意識がほとんどなかったといった方がより正確であろう。

 神崎鼻はこの10年余で大きく変った。町の案内図にはひと際目立って「日本本土最西端の地」が書き込まれ、神崎鼻に入る道の角には「日本本土最西端・入口」の看板が立っている。また神崎鼻まで来てみると、案内図まで出ていた。

 コンクリートの遊歩道を歩いた行き止まり地点には、
「日本本土最西端の地 北緯35度12分53秒 東経129度33分17秒」
 と彫り刻まれた立派モニュメントが建っていた。
 一体、この10年余の間に何が起きたのだろうか。

 神崎鼻の岩場は磯釣りには絶好のポイントで、何人もの釣り人たちが釣り糸を垂れていた。目の前には平戸島のほかに、西海国立公園の九十九島の小島群が散らばり、水平線上のはるかかなたには五島列島の島影が見えた。

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日本列島岬めぐり:第27回 波戸岬(はどみさき・佐賀)

 (共同通信配信 1990年)

 東松浦半島の九州北西端の岬、波戸岬には城下町の唐津から向かったが、その前に岬近くの名護屋城跡を歩いた。

 名護屋城は豊臣秀吉が大陸に賭けた壮大な夢をみた城で、1592年~1594年の文禄の役、1597年~1598年の慶長の役と、2度にわたる朝鮮半島出兵の大本営になった。5層7重の天守閣を持った城はわずか5ヵ月で完成したという。

 城を中心とした広い範囲に徳川家康、前田利家、上杉景勝…と、豪華な顔ぶれの諸大名たちが陣を張った。現在、全部で126ヵ所の陣跡が確認されている。

 まるで秀吉の夢の跡を見るかのように名護屋城の石垣は崩れ、本丸跡は広々とした草原になっている。そんな草原に大の字になってひっくり返り、青空を見上げていると、どこからともなく大名たちの話し声が聞こえてくるようだった。

 波戸岬は玄海国定公園の中心のひとつになっている。岬の周辺は海中公園。円形の海中展望台が建っている。ビジターセンターもある。

 遊歩道を歩いて岬の先端に立った。すると驚いたことに、目の前の松島と加唐島の向こうに壱岐が大きく横たわり、さらにその向こうに対馬が霞んで見えた。

 波戸岬の先端には、石垣で囲った岬神社がある。そこに居合わせた地元の老人に聞くと、対馬が見えるのは年に数回のことでしかないという。私はそのうちの1回にめぐり合ったのである。

 対馬の向こうはもう朝鮮半島。波戸岬から壱岐、対馬を眺めていると、歴史の舞台に立っているかのような気分になった。豊臣秀吉が朝鮮半島出兵の大本営を波戸岬に近い名護屋に築いたのも、もっともなことだとうなずけるのだった。

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日本列島岬めぐり:第26回 日御碕(ひのみさき・島根)

 (共同通信配信 1990年)

 鳥取県と島根県の県境は分かりにくいが、米子と日本海有数の水揚げ高を誇る漁港の境港は鳥取県である。境港から境水道橋を渡った島根半島の美保関は島根県になる。

 地図を見ると、島根半島がじつに奇妙な形をしていることがよくわかる。どこからか無理やり引っ張られてきて、強力な接着剤かなにかで宍道湖、中海の北岸にくっつけられたような地形、とでも言えばいいのだろうか。

 本来ならばその南の米子、松江、出雲市辺りが海岸線になっていいはずである。この奇妙な形の島根半島こそが出雲神話の古里だ。

 まずは、島根半島東端の地蔵崎に行く。ここには美保関灯台があり、岬の突端に立つと、隠岐の島影がくっきりと水平線上に浮かび上がっていた。

 地蔵崎は古来「美保之碕」と言われてきたが、出雲神話の「国引伝説」では能登半島から引っ張られてきたことになっている。海越しに眺める大山を杭にし、綱を掛けて引っ張った。皆生温泉から境港にかけて延びる弓ヶ浜は、その綱の跡だという。

 次に、島根半島西端の日御碕に行く。岬の突端には高さ44メートルの日本一のノッポ灯台が立っている。息を切らし、足をガクガクさせて登りつめた灯台の上からの眺めはすばらしく、島根半島北岸の海岸線を一望できた。

 日御碕は出雲神話の「国引伝説」によると、朝鮮半島から引っ張られたことになっている。出雲・石見国境の三瓶山に綱を掛けて引っ張り、その綱の跡が園の長浜だという。

 また島根半島は隠岐やロシアの沿海州辺りから引っ張られてきたことになっている。
 日御碕に立って地図を見れば見るほど、出雲神話の「国引伝説」が真に迫ってくるのだった。

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カソリの島旅(8)神津島

(『ジパングツーリング』2001年7月号 所収)


神津島
 式根島の民宿「鈴豊」で朝食を食べる。夕食にはメジナの刺し身と煮魚が出たが、朝食にはカワハギの仲間のウスバハギの焼き魚が出た。魚が大好きのカソリなので、朝からうまい魚を食べられてご機嫌だ。これが島の民宿のよさというもの。

 8時40分発の東海汽船の「さるびあ丸」で式根島から終点の神津島に渡る。神津島到着は9時20分。「さるびあ丸」は多幸湾・三浦港の桟橋に接岸する。目の前には神津島の最高峰、天上山(574m)がそびえている。
 多幸湾の海の青さと砂浜の白さのコントラストがなんとも強烈だ。

 神津島の幹線道路「神津本道」で唯一の集落に向かっていく。ここに神津島村役場があり、店々があり、島民の大半が住んでいる。人口2400人の神津島なので、かなり大きな集落になるのだが、ここにはとくに名前がついていない。島のパンフレットを見ても「村落」とあるだけだ。

「村落」に着くと、ガソリンスタンドで給油。伊豆大島ではリッター131円、新島ではリッター165円だったが、神津島になると172円だ。島外から入ってくるモノの値段がピーンと跳ね上がるのが島の宿命‥‥。

 島の最高峰の天上山に登った。登山口にバイクを停め、そこから頂上を目指して直登する。あっというまに大汗をかく。樹林地帯を抜け出ると、岩肌がむきだしになった荒涼とした風景。猛烈な風が吹き荒れ、体ごと飛ばされそうになる。

 山頂に立つと、真下には「村落」を見下ろし、反対側に目を移すと、三宅島と御蔵島を眺める。三宅島からは白色の噴煙が上がっている。天上山は火山で、火口内は「表砂漠」、「裏砂漠」と呼ばれる砂漠の風景だ。

 神津島でひとつ驚いたのは、この島が昔からの黒曜石の産地だったことだ。黒曜石というのはガラス質の火山岩で先史時代には切れ味の鋭い石器として使われていた。九州の阿蘇山や信州の和田峠、北海道の十勝岳が黒曜石の産地として知られ、九州産や信州産、北海道産の黒曜石は広範囲に交易されていた。ところがこの神津島産も同様に広範囲に渡って交易されていたのだ。

 神津島産は伊豆諸島のみならず、関東を中心とした本土(内地)にも出回っていたという。おー、歴史のロマン。縄文の時代にも船を自由自在にあやつって黒曜石を売りさばく商人がいたとのだろうか。

 天上山を下ると、そんな黒曜石を使った工房を見学させてもらった。ぼくは初めて原石を見たが、表面は薄茶色、中はきれいな黒色だ。「村落」に戻ると「郷土資料館」(入館料300円)を見学。

 最後に神津島温泉の湯に入った。村営「神津島温泉保養センター」は休業中だったので、そのかわりに、神津島漁港を目の前にする「山下旅館」(入浴料400円)の湯に入った。塩分の強い湯。窓をあけると、ちょうど夕日が港の向こうに落ちていくところだった。さっぱりした気分で、今晩の宿となる民宿の「あさえ」に泊まった。

 翌朝は「村落」内をまわった。「流人墓地」には、オタア・ジュリアの墓がある。朝鮮貴族の娘だったジュリアはキリシタン大名の小西行長の養女になり、後に徳川家康に仕えた。ところが、慶長12年(1612年)の「キリシタン禁止令」に触れ、神津島に流された。そのジュリアを偲んで毎年「ジュリア祭」がおこなわれている。

 次に神津島を開いたといわれる物忌奈命をまつった物忌奈命神社に参拝。境内はタブやシイなどの照葉樹で覆われている。

 それを最後に、東海汽船の東京行き「さるびあ丸」にコンテナに積まれたスズキSMX50とともに乗り込んだ。

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