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「2004・旧満州走破行」(12)

9月25日(土)曇 五大連池(その2) 第5日目

 五大連池のレストランで昼食を食べ、午後もさらに五大連池をまわる。
 氷洞に入ると、中は氷点下5度。そこには氷の塔があった。

 五大連池は広大なエリアにまたがっているが、その間では「石海」と呼ばれる溶岩の石原を歩いた。一望千里の石原。噴火のすさまじさが容易に想像できた。日本でいえば岩手山の焼走りや浅間山の鬼押し出しのような風景だ。直径350メートル、深さ145メートルの爆裂火口にも行った。

 帰路は農村地帯を経由して五大連池の町へ。その途中では収穫した大豆を満載にしたトラクターを何台も見た。
 五大連池の町に戻ると、「五大連池市賓館」に泊まった。夕食はホテル近くのレストランで。この日は「東京映像」社長の大滝さんと息子の尚の誕生日。中国人スタッフは大きなバースデーケーキを用意してくれていた。大滝さんには特別に幅広の長寿うどんがふるまわれた。いつまでもお元気で!

 大盛り上りの五大連池の夜だった。

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五大連池を貫く道

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五大連池の紅葉

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石海を一望する

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爆裂火口

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五大連池のガイドの張雪鷹さん

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収穫した大豆を満載にしたトラクター

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五大連池市賓館

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五大連池の町並み

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大滝さんと尚はこの日が誕生日

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四国八十八ヵ所めぐり(84)

2009年4月26日(西条→高松・その7)

 第77番道隆寺からは丸亀の市街地を走り抜け、宇多津の第78番郷照寺へ。行基によって開基された寺で、本尊の阿弥陀如来像も行基の作。ここは時宗の寺で、開祖の一遍上人もここにしばらく逗留したという。本堂の2層の屋根に特徴がある。大師堂の横には万体観音の洞窟がある。

 郷照寺からは常盤公園のある聖通寺山を越えていく。そこからは瀬戸大橋を眺め、坂出の市街地を一望した。

 坂出の中心街を走り抜け、第79番の天皇寺へ。寺の入口には赤い鳥居が立っている。まずはそのまま真っ直ぐ行ったところにある白峰宮を参拝。つづいて天皇寺の本堂と大師堂を参拝した。ここには日本武尊伝説の「八十場の泉」があり、いまもこんこんと湧き出ている。

 ここを最後に高松へ。高松駅前でアドレスを停めた。
 駅前の讃岐うどんの店「めりけんや」で夕食。「カレーうどん」を食べ、「東横イン高松・中新町」に泊った。

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第78番郷照寺の山門

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郷照寺の本堂

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郷照寺の大師堂

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郷照寺の庭園

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左手に瀬戸大橋が見える

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坂出の町並みを一望

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天皇寺入口の鳥居

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白峰宮

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高松駅前に到着

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夕食のカレーうどん

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「東横イン高松・中新町」に到着

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四国八十八ヵ所めぐり(83)

2009年4月26日(西条→高松・その6)

 第75番善通寺のある善通寺からは、多度津街道の国道319号で瀬戸内海に面した多度津に向かっていく。その途中に第76番の金倉寺がある。山門(仁王門)をくぐり境内に入ると、大楠が目につく。本堂、大師堂と参拝。本堂には大念珠。この滑車にぶらさがった「願供養念珠」を願掛けしながらまわすと願いがかなうという。

 金倉寺をあとにし、多度津の駅前を通り、第77番の道隆寺へ。堂々とした造りの山門(仁王門)をくぐると、参道の脇にはずらりと観音像が並んでいる。本堂、大師堂と参拝。

 ここの本尊は薬師如来。本尊は50年に一度のご開帳で、次回は2033年。「目なおし薬師」といわれ、眼病に霊験あらたかだという。

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第76番金倉寺の山門

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金倉寺の大楠

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金倉寺の本堂

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金倉寺本堂の「願供養念珠」

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金倉寺の大師堂

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金倉寺の納経所

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道隆寺の大師堂

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「2004・旧満州走破行」(11)

9月25日(土)曇 五大連池(その1) 第5日目

 五大連池に到着すると、郊外の溶岩台地へ。ここは火山地帯で全部で14の火山がある。だが、活火山はひとつもない。12の死火山と2つの休火山があるとのことで、最後の噴火は280年前のことになる。

 溶岩台地には「五大連池」の名前通りに5つの池がある。一番大きい第3池の周辺は公園になっている。池には観光客のボートが浮かんでいる。公園内のレストランで昼食。川魚料理を食べた。

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溶岩台地

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第3池の公園

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最大の第3池

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香辛料や漢方薬を売っている

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昼食の川魚料理

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四国八十八ヵ所めぐり(82)

2009年4月26日(西条→高松・その5)

 第74番の甲山寺から第75番の善通寺へ。ここは弘法大師誕生の地だけあって、善通寺の町中にある善通寺は四国八十八ヵ所の中でも飛びぬけて大きい。参拝客も多く、大駐車場は車でびっしり埋め尽くされている。観光バスも多い。八十八ヵ所めぐりのお遍路さんよりも、一般の参拝者の方がはるかに多い。

 ここは高野山、東寺と並ぶ真言宗の三大霊場になっている。

 寺は東院と西院に分れ、東院には金堂(本堂)、五重塔、釈迦堂などがある。境内には樹齢千数百年の大楠。西院には御影堂(大師堂)や地蔵堂、宝物館がある。御影堂には大師の自画像がまつられ、50年に一度、開帳される。

 次回の開帳は2035年だ。宝物館には大師ゆかりの品々が展示されているが、錫杖は唐(長安)留学中に密教の師、恵果から授けられたものだという。

 善通寺参拝では、大駐車場から石橋の斉世橋を渡って正覚門(西門)をくぐり、西院→東院→西院という順にまわった。 

 善通寺の参拝を終えたあとは大駐車場前の香色山のミニ四国八十八ヵ所をめぐった。

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第75番善通寺の大駐車場

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善通寺の案内図

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斉世橋から正覚門を見る

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仁王門

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この流れが東院と西院を分ける

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樹齢千数百年の大楠

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五重塔

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金堂(本堂)

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御影堂(大師堂)へ

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御影堂

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香色山のミニ四国案内板

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海道をゆく(17)「伊豆半島&静岡編」ガイド

※これ以降、本カテゴリのタイトル番号を通番に変更しています。
(『ツーリングGO!GO!』2005年6月号 所収)

1、潮吹崎
 伊豆半島「岬めぐり」の最初の岬。岬先端の岩場には潮吹岩がある。満潮時や荒天のときには、入口が狭く、中が広い徳利型の岩の口から潮が吹き上げる。
 岬の台地上の扇山展望台からは正面に川奈崎、背後に真鶴岬を眺める。岬に立って、別な岬を眺めるのはいいものだ。ところが今回は崩落の危険があるとのことで、潮吹岩への道も扇山への道も通行止めになっていた…。

2、赤沢温泉
 伊豆半島「温泉めぐり」の第1湯目で入った。海岸にうれしい無料湯の混浴露天風呂がある。湯は温めだったが、十分に入れた。湯につかりながら眺める赤沢海岸の海がいい。
 このあと大川温泉「磯の湯」(入浴料500円 10時~18時 年中無休)と熱川温泉「高磯の湯」(入浴料600円 9時30分~17時 年中無休)の2湯にも入った。ともに東伊豆の海を目の前にする温泉。海を見ながら湯につかるのは格別な気分。

3、稲取岬
 岬の高台上には白い四角い「稲取岬灯台」。その前の展望台からは太平洋を一望する。稲取港北側の黒根岬とトモロ岬もよく見える。この位置からだと2つの岬は重なり合って見える。
 灯台前の「どんつく神社」には毎年6月の第一火曜と水曜の「どんつく祭り」で引き回される巨大な男根がまつられている。木製のツルツルの男根。テカテカ光っている。もう「スゲー!」のひと言。
 神社前には「愛恋岬」の歌碑ができていた。その前に立つと、鳥羽一郎の「愛恋岬」の歌が流れてくる。つい先日、「しまなみ海道」の大島のカレイ山展望台で「瀬戸の水軍」の歌を聞いたばかりなので、「鳥羽さん、また会いましたね」と歌碑に向かっていってやった。稲取岬は今、「愛恋岬」で売り出し中。

4、白浜
 R135沿いの白砂の海岸。夏は海水浴客でおおいににぎわう。ぼくが「白浜」の地名ですぐに連想するのは「黒潮文化圏」。高知、南紀、伊豆半島、房総半島の「白浜」は黒潮という南から北への「海道」でつながっていた。名物の「サンマずし」も南紀の「サンマずし」との関連が大。
 ここの白浜神社は伊豆最古。祭神は伊古奈比○(いこなひめ)命。伊豆の一の宮、三島大社の祭神、事代主(ことしろぬし)命の妃だ。ということで白浜神社も伊豆の一の宮といっている。境内にはご神木の樹齢2000年の柏槇(ビャクシン)。アオギリの古木もあるが、この地は世界のアオギリの自生北限地。植物相でみても貴重なところといえる。

5、爪木崎
 須崎半島突端の岬。100万株の野水仙で知られ、12月下旬から1月中旬にかけて岬は水仙の花で揺れる。台地上には灯台。そこからは伊豆諸島の島々を眺める。
 灯台西側の断崖は「俵磯」といわれ、玄武岩の見事な柱状節理を見ることができる。岬の北側の磯は海草類の宝庫。海女さんたちがワカメやテングサ、ヒジキを採っている光景が見られる。

6、恵比寿島
 須崎半島南端の須崎漁港前の小島。島には橋を渡って入っていける。島全体が「恵比寿島公園」になっている。島のてっぺんに夷子神社。展望台からは伊豆諸島を眺める。灯台もある。島一周の遊歩道プラプラ歩きはじつに楽しい。
 島の東側の岩場は絶好の海釣りポイントで多くの釣り人を見る。島の西側は「千畳敷」の岩畳。ここならではの風景だ。

7、下田
「下田」は「浦賀」と同じように日本開国の歴史の舞台。下田港近くには「ペリー上陸の地碑」が建っている。下田港を見下ろす下田公園にはペリーとハリスのレリーフがはめ込まれた「開国記念碑」。その前が下田最大の祭り「黒船祭」式典の会場になる。
 東側の須崎半島に囲まれた下田港は天然の良港。江戸時代には上方と江戸を行き来する帆船の風待ち港としておおいに栄えた。
 下田は上方の文化がいち早く伝わるところだった。安政元年(1854年)、ペリーは「ポーハタン号」に乗ってふたたび来航。幕府はついにその威力に屈して日米和親条約を締結し、開国した。そのとき日本で最初に開港したのが下田港。もしタイムスリップできるなら、この時代の下田を見てみたかった!

8、玉泉寺
 R135から須崎への道に入ってすぐのところにある。安政3年(1856年)、ここに最初の米国領事館ができた。アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスは下田に上陸すると、この寺を住居兼総領事館とした。境内にはハリスの記念碑と「ハリス記念館」(入館料300円)。ペリー艦隊の乗組員の墓もある。

9、了仙寺
 R136から下田港への道の途中にある。日米下田条約締結の地。日本が開国した日米和親条約は東海道の宿場町、神奈川で結ばれたので神奈川条約ともいわれる。その具体的、補足的な条約が下田条約になる。
 境内には「宝物館」(入館料500円)。ここは日本最大の黒船資料館だ。了仙寺のすぐ近くには「下田開国博物館」(入館料1000円 8時30分~17時)もある。

10、石廊崎
 伊豆半島最南端の岬。ちょっとショックだったのはジャングルパークが閉鎖されたこと。石廊崎にやって来る観光客が減ったのかなあ…。
 岬には灯台と石室神社。熊野神社の祠がまつられた岬の突端は「伊豆七島」の絶好の展望台。正面に新島を見る。そこに描かれた「伊豆七島展望図」には大島、利島、新島、式根島、神津島のほかに、式根島の後方に三宅島、式根島と神津島の間に御蔵島が出ている。
 しかし、この2島が見えることはほとんどない。今までに何度も石廊崎には来ているが、ぼくの経験からいうと1月の初中旬が一番、見える確率が高いし、またよく見える。大島から神津島までがはっきりと見える。夜、この岬に立つと、その手前の神子元島の灯台には驚かされてしまう。異様なくらいに明るい光を放っているのだ。

11、雲見温泉
 西伊豆の「温泉めぐり」の第1湯目。R135から崖を下った海岸に無料湯の混浴露天風呂がある。入口には「雲見温泉露天風呂 使用期間 6月中旬~9月中旬」とあるが、それ以外の季節でも入れる。おそらく湯温が低いからなのだろう。温めの湯につかり、目の前に広がる西伊豆の海を見る。
 つづいて北隣りの石部温泉の「平六地蔵露天風呂」に入った。ここも無料湯の混浴露天風呂。平六地蔵が見下ろす広い露天風呂を独占。平日の夕方ということで、ぼくのほかには誰もいない。ここはジャスト適温で広々とした露天風呂なので申し分ないのだが、ひとつ残念なのは湯船からは海が見えないことだ。

12、松崎温泉
 松崎海岸に落ちる夕日を見届けると、松崎温泉の国民宿舎「伊豆まつざき荘」(電話0558-42-0450)に泊まった。ここは西伊豆のカソリの定宿。人気の国民宿舎だが、平日だと飛び込み同然で泊まれることが多い。宿のみなさんは親切だし、夕食には海の幸がふんだんに出る。
 この日もアジの姿造りとマグロの刺し身、ダイコンを添えたサバの煮魚、アジなどのテンプラ、小魚の酢の物、小魚入りのダイコンなます…。ご飯は小エビを炊き込んだもの。追加でサザエの壺焼きを食べたが、ここのいいところは追加の魚介料理が豊富なことだ。
 湯もグー。石造りの広い湯船にはゆったりとつかれる。ひと晩中、入浴可なので夜中に目覚めると、すかさず湯に入った。夜明けに目覚めると、まずは寝起きの湯。これが最高に気持ちいいのだ。

13、堂ヶ島温泉
「沢田公園露天風呂」(入浴料500円 7時~19時)では朝湯を楽しんだ。ここの最大の魅力は露天風呂から眺める堂ヶ島の海岸美。遊覧船でめぐる海食洞の天窓洞のある亀島や蛇島、稗三升島を間近に見下ろす。駿河湾も一望だ。

14、浮島(ふとう)温泉
 共同浴場の「しおさいの湯」(入浴料500円 8時~19時)に入った。こぢんまりとした趣のある檜の湯船。湯につかりながら目の前の、これまたこぢんまりとした庭園を見る。「しおさいの湯」につかると、以前の無料湯だったことの共同浴場を思い出す。朽ちかけた湯屋だったが、地元のみなさんと一緒に入るぬくもりのある湯だった。「しおさい」の湯から海岸に出たところが浮草海岸。波静かな小さな入江だ。

15、田子
 R135の旧道を走ると険しい山並みがそのまま海に落ちる西伊豆の地形がよくわかる。その間にはいくつもの入江。
 そんな入江のひとつに田子漁港がある。ここは遠洋漁業の根拠地でカツオ漁で知られている。田子のカツオはうまいのだ。ここはまた伊豆カツオ節の本場で「田子節」をつくっている。「カツオ節」も「黒潮文化圏」のキーワード。南は鹿児島の枕崎から北は福島の中之作まで、黒潮文化圏にはカツオ節の産地が点々とある。

16、宇久須温泉
 ここではR135沿いの「うぐすの湯」(入浴料1000円 10時~21時)に入った。泡風呂に打たせ湯、寝湯、一番上に展望風呂。石の湯船に木枠の展望風呂は湯けむりがモウモウとたちこめる。
 湯から上がると、同じくR135沿いにある「八起」(電話0558-55-0859)で名物の「こあじ鮨」(小1200円)を食べた。ひと口サイズの小さな握り。アジの上にショウガと刻みネギがのっている。店の主人の話を聞きながら食べた。
 宇久須にはもう1軒、「こあじ鮨」を名物にしている店があるが、「そこは私の真似をしたもの」と店の主人は怒っている。ご主人は30年前に東京・芝から宇久須に移った。その理由というのはここだと新鮮な魚が手に入るからだという。宇久須での地魚との出会いの中で「こあじ鮨」を考案したという。

17、恋人岬
 駐車場から岬まではかなり歩くが、その間、自分一人なのはけっこう辛い。この岬にやってくるのはラブラブの若いカップルが大半だからだ。岬の突端には「愛の鐘」。自分一人で鳴らしても仕方ないので、カップルが3度、鳴らすのを見ていた。
 展望台からは海越しに富士山を見る。この恋人岬の展望台は「富士見台」といわれていた。昭和58年には「富士見遊歩道」として岬までの遊歩道が整備され、平成元年にグアム島の「恋人岬」と提携し、それまでの名無し岬(土肥の町の南側)が日本版の「恋人岬」になった。それが大当たり。今では西伊豆有数の観光地だ。それにあやかって土肥の町の北側には新たに「旅人岬」ができた。

管理人注:
この最後のところは、笹倉明の小説『旅人岬』にあやかって、と書くべきでしょうね。詳細は笹倉ブログへ!(笑)

18、土肥金山
 土肥に着くと、時間をかけて「土肥金山」(入山料840円 9時~16時30分)の坑道をめぐり、金山資料館を見学した。坑道には等身大の電動人形で当時の金採掘の様子が再現されている。
 土肥金山の開発は慶長15年(1610年)から。日本では佐渡金山に次ぐ第2の金山で、その坑道の総延長は100キロにも及ぶという。金山資料館には金山奉行の大久保長安像があった。岩見銀山や佐渡金山の奉行も大久保長安が勤め、金銀の増産を果たした。
 だが、不正な蓄財があったとして、死後、7人の子供たちは切腹させられた。大久保長安は謎の多い人物だ。同じ金山資料館には200キロの金塊。手を入れて触れるようになっている。この妖しげな金色の輝きが人心を惑わすのだ。

19、御浜(みはま)岬
 戸田港は達磨火山の河口湖。そういわれてみると、「なるほど!」という地形をしている。南側に長く突き出た岬が御浜岬。諸口神社があるので「御浜」なのだ。
 ここはスカシユリの群生地。6月には5万本ものスカシユリの花が咲き、岬はオレンジ色一色に染まる。ハマユウの群生地もある。7月から8月にかけては3万株のハマユウが白い花を咲かせる。イソブキの群生地もある。秋には3万株のイソブキが黄色い花を咲かせる。
 さらに岬の突端にはイヌマキが群生している。古木は樹齢数百年。全長750mの発達した砂嘴(さし)の御浜岬には豊かな自然の残されている。

20、「造船郷土博物館」
 西伊豆の小港に過ぎない戸田が、「造船日本」の夜明けの地であることが、御浜岬の突端にあるこの博物館を見学すればよくわかる。
 安政元年(1845年)、ロシアの使節、プチャーチン提督以下500名を乗せたロシア軍艦の「ディアナ号」(2000トン)は下田港に碇泊中、11月4日に起きた安政の大地震で大きな被害を受けた。「ディアナ号」は戸田港で修理することになり、回航中に沈没。ロシアに帰れなくなったプチャーチン提督は幕府に代船の建造を願い出た。
 その願いがかない、戸田で1艘の西洋型帆船がつくられた。それが「ヘダ号」。このとき船造りにかかわった戸田の船大工7人と配下の大工たちが、日本の近代造船界の祖となっていく。「ヘダ号」型の船はその後、戸田で6隻、東京の石川島で4隻、つくられた。(データ)入館料300円 9時~16時30分 水曜休み 電話0558-94-2384

21、国民宿舎「伊豆戸田荘」
 御浜岬の付け根にある「伊豆戸田荘」にはひと晩、泊まった。夜明けに屋上から眺めた岬越しに富士山がじつに見事。ここでの夕食だが、9月下旬から5月中旬までは「深海魚ずしコース」を頼める。深海魚の刺し身、煮つけ、フライ、マリネつき。戸田港は深海魚の水揚げされる漁港なのだ。とくに世界最大のカニ、高足ガニが有名。
「造船郷土博物館」には「深海生物館」が併設されているが、そこでは体長3mの高足ガニや数々の深海魚が見られる。

22、大瀬崎
 駿河湾の西浦海岸西端の岬。御浜岬と同じような砂嘴の岬だ。岬越しに富士山を眺める。ここではバイクを駐車場に止め、歩いた。
 岬の先端には大瀬神社。1500年もの歴史を誇る神社。境内には伊豆七不思議のひとつの神池。海のすぐそばなのに淡水なのだ。神秘的な池には3万匹以上の淡水魚がいるという。岬の先端は柏槇(ビャクシン)の樹林で覆われ、樹齢1000年以上の大木が何本もある。

23、三保
 三保は地形がおもしろい。全長4キロの砂嘴で、その先端には鎌崎、真崎、吹合岬の3岬がある。長い砂嘴に守られた内側が清水港、外側の長い砂浜が日本三大松原のひとつ「三保の松原」になる。その入口には駿河屈指の古社の御穂(みほ)神社。
 松並木の参道を真っ直ぐ海岸に向かったところに伝説の「羽衣の松」がある。樹齢650年で今では樹勢が衰え養生中だ。そこから富士山は見えない。清水灯台のある吹合岬まで行くとよく見える。駿河湾越しの富士山。吹合岬には三保飛行場。岬に飛行場があるのはここだけか…。

24、日本平
「清水日本平パークウエイ」(無料)で日本平に登ると、ぼくは真先に「日本武尊」を探した。思った通りで、やっぱりあった。タケルの像と碑が別々の場所にあった。
「日本平」の地名は日本武尊東征にちなんだもの。タケルはこの地で駿河を見回したというので「日本平」なのである。東名高速の日本坂トンネルの「日本坂」もタケルの越えた峠だから「日本坂」。
 焼津も草薙(静岡)もタケル伝説がらみの地名。ただし「静岡」はきわめて新しい地名で明治維新以降のものでしかない。もともとは「駿府」。勝てば官軍、負ければ賊軍で、駿府は官軍によって静岡に変えられた。
 静岡市街地北側の「賊機(しずはた)山」にちなんで名付けられた。さすがに「賊岡」にはできなかったのだろうが、それにしても静岡県人はよくだまっていたものだ。ここでも穏やかな駿河人を感じる。

25、久能山
 久能山の徳川家康をまつる東照宮にはR150側から登った(日本平からはロープウエイがある)。以前に来たときは1159段の石段などへでもなかったが、今回はヒーヒーいって登った。これって、花粉症のせい? いや、歳のせいなのか…。
 久能山の久能城はもともとは武田信玄が築いたもの。苦労して武田軍を撃退したあと家康はことのほか、この地を重要視し、「久能城は駿府城の本丸」といってたほどだ。家康は死後、ここに埋葬され、2代目将軍の秀忠が東照宮の社殿を創建した。(データ)拝観料350円 8時30分~17時 年中無休

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四国八十八ヵ所めぐり(81)

2009年4月26日(西条→高松・その4)

 第72番の曼荼羅寺から第73番の出釈迦寺へ。その間は数100メートルほどでしかない。参道には弘法大師像。無人市では玉ネギを売っていたが、4、5個入って100円は安い。

 山門をくぐって境内に入っていく。ここは「真魚(まお)」と名乗る弘法大師幼少時の伝説の地。ある日、一切衆生を救わんと誓願し、「我が願い叶うならば、釈迦如来よ、現れたまえ、もし叶わぬならば我が身を捨てて諸仏に供養し奉る」といって谷底へと身を投げる夢を見た。すると紫雲の雲がたなびいて釈迦如来が現れ、「一生成仏」と告げ、落下する真魚を天女が抱きとめた。

 境内の案内板には、そんな「捨身ヶ嶽禅定」が絵入りで紹介されている。

 つづいて第75番の甲山寺へ。真新しい山門をくぐると、手水場も完成したばかりという真新しさ。弘法大師は日本最大の溜池の満濃池をわずか3ヵ月で大改修したが、その報奨金の一部をあててこの寺を開創したという。

 甲山寺の参拝を終えると、近くのうどん店「せい麺や」で昼食。「ぶっかけうどん」(330円)を食べたが、すごい腰の強さとしこしこした歯ごたえには驚くほどだった。

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第73番出釈迦寺の参道

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出釈迦寺の無人市

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出釈迦寺前の溜池

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出釈迦寺の山門

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出釈迦寺の休憩所

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出釈迦寺の本堂

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出釈迦寺の大師堂

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四国巡礼150回記念碑

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「捨身ヶ嶽禅定」の大師伝説

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バイクでの巡礼

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第74番甲山寺の山門

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甲山寺の手水場

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甲山寺の本堂

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甲山寺の大師堂

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甲山寺近くの「せい麺や」

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ぶっかけうどん

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

ヘンテコ会 2010春

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カソリ氏はとことん嬉しそうだ(笑)


管理人より:
本日はスガワラユウコ女史の個展にカソリと出かけて、そのワインバーで飲んできたのだ。
盛り上がりました。何の話で、って?

ええと…カソリがヒッチハイク時にゲイに襲われそうになった話(多数例あり)と、女子からのスガへの告白話、ついでに情熱あふれるTVマンからのスガへのセクハラ物語(笑)。

いやぁ、世界を股にかける人々は体験が深いですね~。
僕ももっと外で遊ばないと!

テーマ : 管理人からのお知らせ
ジャンル : その他

「2004・旧満州走破行」(10)

9月24日(土)曇 海倫→五大連池 第5日目

 8時、海倫を出発。道路沿いには一面の大豆畑が広がる。その大半はすでに収穫されていたが、まだこれからという収穫間近の大豆畑も多く見られた。

 10時、北安に到着。ここで国道202号にぶつかる。この国道202号は東北(旧満州)の幹線でロシア国境の黒河が起点。ハルビン→吉林→瀋陽と通り大連が終点になっている。

 北安からは完成してまもない道を走り五大連池へ。その途中では道路沿いの小さな村で止まった。大豆の収穫の真っ最中。収穫した大豆を満載にしたトラックターが次々にやってくる。

 11時、五大連池に到着。海倫からは170キロだ。

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一面の大豆畑

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五大連池への新しい道

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中国石油のGSで給油

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GSで見かけたトウガラシ

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小さな村に入っていく

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大豆の収穫の真っ最中

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村の周辺の大豆畑

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五大連池に到着

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「2004・旧満州走破行」(9)

9月25日(土)曇 海倫 第5日目

 6時、起床。洗面、トイレ、シャワーのあと、早朝の町を歩く。
 そして朝市へ。そこでは揚げたての油條と豆乳の軽食を食べた。あたたかい豆乳には砂糖を入れる。油條は朝食には欠かせない。これで1元5角。日本円では20円ほどだ。

 海倫で泊った「金豆大カ」に戻ると、ホテル近くのレストランで朝食。ここではバイキングの朝食だ。朝粥は中国の朝食では欠かせないものだが、アワとコーリャンの2種の粥を食べた。

 それと饅頭。具の入っている饅頭と、何も入っていない饅頭の2種ある。ここでは饅頭は主食的な食べ物で、中に何も入っていない饅頭は、日本でいえばご飯のようなもの。饅頭を食べながらおかずを食べるのだ。

 朝食をしっかりと食べて、五大連池に向けて海倫を出発した。

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海倫で泊った「金豆大カ」

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ホテルのロビーに入れたバイク

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早朝の海倫

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朝市を歩く

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油條と豆乳

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油條を揚げている

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ここで朝食

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朝食のおかず

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揚げパンもある

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饅頭と粥

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

四国八十八ヵ所めぐり(80)

2009年4月26日(西条→高松・その3)

 第70番の本山寺から国道11号を走り、鳥坂峠で左折して第71番の弥谷寺へ。国道から2キロほど。ここは山中の寺だ。108段の長い階段を登っていく。さらにきつい登りの石段で本堂へ。大師堂へは靴を脱いで上がる。新緑がまぶしいくらいの弥谷寺だ。

 山中から西讃の広野に下り、第72番の曼荼羅寺へ。山門をくぐって境内に入ると、本堂の旧い棟瓦が飾られている。ここには名物の「不老の松」があったが、松くい虫にやられて枯れてしまった。そこには枯れた「不老の松」の幹に彫られた「笠松大師」がまつられている。

 曼荼羅寺の本堂、大師堂を参拝。この寺は弘法大師出自の佐伯氏の氏寺。佐伯氏に関しては司馬遼太郎の『空海の風景』に詳しく描かれている。

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第71番弥谷寺の長い階段

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弥谷寺の弘法大師像

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弥谷寺の新緑

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弥谷寺の磨崖仏

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弥谷寺からの眺め

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弥谷寺の本堂

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弥谷寺の大師堂入口

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参拝を終え、弥谷寺の階段を下る

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札所への道標

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西讃の広野。ここが空海の故郷

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第72番曼荼羅寺の山門

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曼荼羅寺本堂の旧い棟瓦

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曼荼羅寺名物「不老の松」

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曼荼羅寺の笠松大師

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曼荼羅寺の本堂

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曼荼羅寺の大師堂

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ジャンル : 車・バイク

四国八十八ヵ所めぐり(79)

2009年4月26日(西条→高松・その2)

 第66番の雲辺寺を下り、第67番の大興寺へ。山裾にはいくつもの溜池がある。カイツブリや青サギなどの水鳥を見る。大興寺は地元では山号をとって「小松尾寺」と呼ばれている。カヤと楠の古木があって、ともに樹齢は1200年と推定されている。「弘法大師お手植え」伝説の古木だ。

 大興寺の本堂の左側には大師堂、右側には天台大師堂がある。ここはかつては天台・真言両宗の修行道場として栄え、天台宗12坊、真言宗24坊があったという。

 大興寺からは観音寺の町中に入り、第68番神恵院と第69番観音寺へ。この2寺は隣り合っている。同じ山門から入っていく。四国八十八ヵ所の中でも、同じ境内に2寺が隣り合っているのはここだけ。先に神恵院、つづいて観音寺と2寺の参拝を終えると、納経所で2寺のお墨書と朱印をもらった。納経所も同じで、ひとつだけである。

 観音寺から国道11号に出て、第70番の本山寺へ。山門をくぐり、本堂と大師堂を参拝。境内には五重塔が建っている。鎌倉時代に建てられた本堂は国宝。本尊は四国八十八ヵ所でも唯一の馬頭観音だ。そのせいなのか、境内には実物大の馬2頭の像があった。

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1884、山裾の溜池

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1898、第67番大興寺への道

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1899、大興寺の山門

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1900、大興寺のカヤの古木

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1901、大興寺の楠の古木

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1903、大興寺の本堂

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1904、第68番神恵院と第69番観音寺の山門

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1905、神恵院本堂の入口

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1906、神恵院の本堂

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1907、神恵院の大師堂

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1909、観音寺の本堂

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1917、第70番本山寺の山門

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1913、本山寺の五重塔

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1914、本山寺の馬の像

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四国八十八ヵ所めぐり(78)

2009年4月26日(西条→高松・その1)

 さー、「四国八十八ヵ所めぐり」の再開だ。
「ルートイン西条」の朝食を食べ、国道11号で県境を越え、香川県に入る。
 讃岐(涅槃の道場)編の札所めぐりの開始だ。

 第66番の雲辺寺へ。ここはロープウェイで登っていく。愛媛・香川県境の雲辺寺山(916m)の山頂直下にある寺。四国八十八ヵ所の中では最高所になる。

 ちなみに第2位は第12番の焼山寺(800m)、第3位は第60番の横峰寺(700m)、第4位は第21番の太龍寺(610m)、第5位は第20番の鶴林寺(550m)になる。

 ロープウェイの山頂駅から歩いて雲辺寺へ。その途中の五百羅漢像には目を奪われた。再建工事中の本堂で、次に大師堂で般若心経をあげたが、四国八十八ヵ所めぐりを再開した喜びが胸にこみあげてきた。

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2443、「ルートイン西条」の朝食

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2444、白装束と頭陀袋

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2446、頭陀袋の中身

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2448、「ルートイン西条」を出発

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2449、国道11号の愛媛・香川県境

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1885、雲辺寺へのロープウェイ

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1886、ロープウェイのお遍路さん

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1887、ロープウェイからの眺め

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1888、愛媛・香川の県境をまたぐ

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1889、参道沿いの五百羅漢像

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1890、雲辺寺の案内板

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1891、雲辺寺の本堂

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1892、雲辺寺のビンズルさん

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1894、雲辺寺の大師堂

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1895、雲辺寺本堂の完成予想図

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1896、雲辺寺の狸さん

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「2004・旧満州走破行」(8)

9月24日(金)晴 ハルビン→海倫(その2) 第4日目

 興隆を出ると、再び悪路を走る。舗装の壊れた穴ぼこだらけの道を行く。
 トウモロコシ畑が広がっている。そのまわりにはポプラの防風林。コーリャン畑も見られる。コーリャンには赤い穂。収穫間近を思わせた。「満州」といえばコーリャンを連想するが、今では大半がトウモロコシ畑になっている。

 夕日が西の空に傾くと、急速に気温が下がり、切る風は冷たさを増す。QS110に乗りながら、平原に落ちていく夕日を眺める。
 日が沈むとナイトラン。QS110のライトは明るいので問題ナシ。

 19時45分、ハルビンから260キロ走り、海倫に到着。今晩の宿は「金豆大カ」。2台のQS110はホテルの中に入れた。

 夜の町を歩き、食堂で夕食。ここで食べた冷麺は美味。キューリやネギ、肉、それと香菜を豆腐の皮で巻いて食べたが、これも美味!
 中国では食事が楽しい。

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穴ボコだらけの道を行く

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ポプラの防風林

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トウモロコシ畑

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コーリャン畑

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コーリャンの穂

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ポプラ並木

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池ではアヒルを飼っている

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海倫に到着。バイクはホテル内に入れる

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夕食の冷麺

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夕食の光景

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食後にはスイカを切る

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四国八十八ヵ所めぐり(77)

2009年4月25日(大島→西条・その8)

「大島八十八ヵ所めぐり」を終えると、大島一周道路の県道49号で大島最北端のカヤトマリ灯台前を通り、第1番の正覚庵(霊山寺)に戻ってきた。無事に88ヵ所をまわり終えたお礼の参拝をする。

 そして宮窪の町へ。
「能島水軍」で昼食にする。鮮度抜群の「刺身定食」を食べ、宮窪を出発点にして大島を一周。降りしきる雨をついてアドレスV125Gを走らせ、1時間後に宮窪に戻ってきた。32キロの「大島一周」。

 このような島に88ヵ所の札所がある。それらをめぐると、大島が一周32キロだとはとても思えないほど、大きな島に感じられてくるから不思議だ。

「大島八十八ヵ所」は代表的な島四国だが、大島のみならず伯方島にも大三島にもある。大三島に近い生名島にも弓削島にもある。いつか機会があれば、それらの島々の88ヵ所もめぐってみたいものだ。

 宮窪を出発。下田水の漁港の岸壁にアドレスを停め、もう一度、じっくりと大島の風景を眺めた。それを最後に大島に別れを告げ、しまなみ海道の来島海峡大橋で今治に戻った。

 今治からは国道196号→国道11号で西条へ。「ひうちの湯」に入る。湯から上がるとラーメン専門店の「山小屋」で夕食。坦々ラーメンを食べ、「ルートイン西条」に泊った。

「さー、明日からは四国八十八ヵ所めぐりの再開だ!」

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大島最北端のカヤトマリ灯台

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大島北端の海

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第1番の正覚庵

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大島から眺める大三島

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宮窪の「能島水軍」で昼食

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刺身定食を食べる

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大島を一周して宮窪港に戻ってきた

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下田水港の岸壁で

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来島海峡大橋を渡る

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夕食の坦々ラーメン

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「ルートイン西条」に到着

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

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