「2004・旧満州走破行」(22)

9月29日(水)晴 漠河 第9日目

 中国最北の町、漠河の朝は寒かった。ガタガタ震えてしまう。水溜りには氷が張っている。吐く息は真っ白だ。まだ9月だというのに…。
 寒さに震えながら、早朝の漠河の町を歩く。

 まずは市場歩きだ。
 野菜売場ではキャベツが目についた。巨大なキャベツ。肉売場ではメインは「猪肉」。といっても豚肉のことで、三枚肉などが売られていた。
 果実売場や豆腐売場、豆腐のペーパー、干豆腐などを見る。

 ひととおり市場を歩いたところで、町の目抜き通りを歩く。店先に何種ものホウキの並ぶ雑貨屋に入ってみる。朝鮮族の犬肉料理、冷麺の店。その隣は水餃子の店。安宿を兼ねた食堂もある。

 1時間ほどの町歩きを終えると「北極賓館」に戻り、ホテルのレストランで朝食にする。饅頭と粥、ゆで卵、漬物で、饅頭は2種の肉饅、粥も2種で米粥と粟粥だった。

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漠河の市場歩き

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キャベツがデカイ!

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淡水魚を売っている

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肉は豚がメイン

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果実売場

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豆腐ペーパー

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湯気の立つ豆腐を売っている

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ホウキが並ぶ雑貨屋

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町の食堂

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食堂兼安宿

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ホテルの朝食

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


カソリの「宮本常一研究」(9)

「日本観光文化研究所」(第1回目)
(『ツーリングマップルマガジン』2008年Vol1 所収)

「我に師なし 我に弟子なし」
 そういいつづけてきた一匹狼のカソリだが、じつは1人、師がいる。それは柳田国男をしのぐとさえいわれている民俗学者の宮本常一先生だ。

 宮本先生は生涯を通して4000日以上も旅された偉大なる旅人でもある。その足跡は日本国中に及ぶ。
 ぼくは宮本先生がつくられ、所長をされていた日本観光文化研究所の所員だった。
 通称「観文研」。

 ここはじつにユニークな組織で、宮本先生の教えに興味を持ったり、共感して「所員になりたい!」と思ったら、誰でも自由に所員になることができた。所員とはいっても、別に給料が出るわけでもなく、拘束されるわけでもなかった。

 何ともありがったのは、
「君らを食わせてあげることはできないが、君らを歩かせてあげる」
 という宮本先生の方針どおり、所員は様々なテーマで日本中を旅する旅費をもらえたことだ。

 観文研の資金は全額、大手旅行社の近畿日本ツーリストから出ていたが、ぼくは観文研のプロジェクトで日本各地を歩くようになり、日本を知るようになった。

 ぼくが観文研とかかわるようになったのは、スズキTC250を走らせ、2年あまりの「アフリカ一周」(1968年~69年)から帰った直後のこと。

 当時カソリ、22歳。
 それから1989年3月、観文研が閉鎖されるまでの18年間、ずっと所員だった。

 日本観光文化研究所では「あるくみるきく」という月刊誌を出していた。まさに観文研のシンボルで、宮本先生はあふれんばかりの情熱をこめて、毎号の「あるくみるきく」の監修をされていた。

 1967年3月に出た「特集国東」が記念すべき第1号。
 それ以降、毎号、特集形式で出していった。

「あるくみるきく」のタイトル名からもわかるように、とにかく自分の足で歩き、自分の目で見、いろいろな人たちに話を聞き、それを文章にまとめたのが「あるくみるきく」。「あるくみるきく」の1冊1冊には宮本先生の熱い思いがこめられていた。

「アフリカ一周」の旅から帰ったあと、観文研に出入りするようになったといったが、宮本先生はきわめつけの貧乏旅行だったぼくの「アフリカ一周」をおもしろがってくださり、「あるくみるきく」に書かせてもらえることになった。とはいっても、なにしろ文章を書く術も知らないカソリだったので、大変なことになった。

 そんなときに、宮本先生のご子息の宮本千晴さんがじつに良いアドバイスをしてくれた。
「なあ、カソリ、そんなに大げさに考えなくってもいい。原稿にまとめなくてもいいから旅の間で強く印象に残ったことをカードに書いてみたらいい」

 宮本千晴さんのアドバイス通り、全部で150枚のカードに思い出のシーン、印象深いシーンを書き込み、それを終えると日本人ライダー初となる「サハラ砂漠縦断」を一番の目的とした「世界一周」(1971年~72年)に旅立った。

 その150枚のカードを編集してくれたのは東京農業大学探検部OBの向後元彦さんと早稲田大学探検部OBの伊藤幸司さんだった。

 2人は当時の日本の探検、冒険の世界をリードするような人。向後さんと伊藤さんはその150枚ものカードをたんねんにつなぎ合わせ、「あるくみるきく」の1冊にしてくれた。書いた本人がいないのだから、向後さんと伊藤さんはさぞかし苦労されたことだろう。

 こうして完成したのが「あるくみるきく」第66号の「アフリカ一周」だった。それを「世界一周」の途中、資金稼ぎのバイトをしていたイギリスのロンドンに送ってもらった。異国の地で、「あるくみるきく」の「アフリカ一周」の号を手にしたときの喜びといったらなかった。

「あるくみるきく」第66号の「アフリカ一周」には、さらに後日談がある。
 それを目に留めてくれた人がいた。作家の坂口安吾や壇一雄らと懇意にしていた編集者の八木岡英治(故人)さん。ぼくが「世界一周」から帰るとまもなく、八木岡さんが訪ねてきた。会うなり、「あるくみるきく」の「アフリカ一周」はおもしろかった、ぜひとも本にしましょうと、そういってくれたのだ。信じられないような話だ。このようないきさつで、ぼくにとっては最初の本となる『アフリカよ』が出来上がった。

 ところでゲラ(校正)が出たとき、八木岡さんは壇一雄さんに読んでもらった。壇さんは一気に読み終え、すごくおもしろがってくれたという。そして、『アフリカよ』の前書きに、「ここに青年の行動の原型があり、純粋な旅の原型がある。何か途方もなく大きな希望があり、夢がある。ぼくが今、二十歳で、この著者と同じことが出来ないのが、唯一、残念なことである」と、書いてくれた。

 壇さんは『アフリカよ』のゲラを読み終えるとすぐに、ぼくに会いたいと言ったという。しかし、残念なことに、ぼくは壇さんに会うことなく、次の「六大陸周遊」(1973年~74年)に旅立った…。

テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行


カソリの「宮本常一研究」(8)

「宮本常一先生の29回忌」(2009年1月30日)

 東京・西国分寺の東福寺で、宮本常一先生の29回忌がおこなわれた。
 宮本先生が亡くなられたのは1981年1月30日。ここ東福寺で先生の葬儀は行なわれた。それ以降、毎年、先生の命日の1月30日には大勢の人たちが東福寺に集まり、先生を偲んでいる。その間、「宮本常一先生を偲ぶ会」は一度も欠いたことはない。

 先生が所長をされていた日本観光文化研究所(1989年3月31日に解散)の所員や先生が教えておられた武蔵野美術大学の教え子、先生の書かれた膨大な書物を通して「宮本常一」を知った熱烈な宮本ファンなど50人ほどの人たちが、今年も東福寺に集まった。

 山陰の日笠寺のご住職でもある「あるくみるきく」の元編集長、山崎禅雄さんがこれも毎年のことだが、駆けつけて東福寺の本堂でお経を上げてくれ、ありがたいご講話をしてくれる。

 それがすむと、先生に「献杯!」をし、東福寺内での飲食が始まる。
 これが何とも楽しいのだ。

 先生を偲ぶのと同時に、先生が亡くなられた以降の過ぎ去った30年近い年月はあっというまに吹き飛び、観文研(日本観光文化研究所)での様々な出来事、思い出が語られる。

 ぼくは20代の前半で観文研にかかわるようになり、観文研が解散した40代の前半まで所員だった。毎年の「宮本常一先生を偲ぶ会」に参加するたびに、あらためて日本観光文化研究所を通して見聞きした先生の教えが自分のバックボーンになっていることに気づかされるのだ。

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西国分寺の東福寺本堂で行なわれた宮本常一先生の29回忌

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山崎禅雄大師のご講話

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宮本先生を偲んでの飲食は楽しい!

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日本観光文化研究所の先輩、三輪主彦さんと。
地学者の三輪さんにはいろいろと教えられた

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日本観光文化研究所を支えたお二人。
元武蔵野美術大学教授の田村善次郎さん(左)と
元「あるくみるきく」編集長の山崎禅雄さん

テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行


海道をゆく(18)「関東・東編」ガイド

(『ツーリングGO!GO!』2005年6月号 所収)

1、「旅立ち」の地
「関東・東編」の「東京→大洗」も出発点は日本橋。そこからはR14(千葉街道)で千葉に向かった。隅田川を渡ると両国。ここには大相撲の国技館と江戸東京博物館がある。その先の清澄通りを右折。芭蕉の「奥の細道・旅立ち」の地に寄っていく。

 清澄庭園のわきを通り、隅田川に流れ込む仙台堀川を海辺橋で渡った右側に「採茶(さいと)庵跡」。そこには旅立ちの姿の芭蕉像がある。芭蕉の『おくのほそ道』こそ、ぼくの旅の教科書。今までに何度、読んだことか。採茶庵近くの隅田川河畔には「江東区芭蕉記念館」(入館料100円 9時30分~17時 月曜休み)がある。

2、市川橋
 R14の江戸川にかかる橋。ここが東京・千葉の都県境で、旧国でいうと武蔵と下総(しもうさ)の「総武国境」になる。今回の「関東の海道を行く」では徹底的に国境にこだわったが、いままでに世界の国境を300余回も越えている「国境のカソリ」、日本でも旧国の国境にはものすごくこだわっている。国境がわかると「日本もおもしろく走れるようになるよ」とみなさんに断言しておこう。

 ところで下総だが、総(ふさ)の国が上総(かずさ)と下総の2国に分かれた。武蔵と下総の境は江戸川なのでじつにわかりやすい。市川橋を渡ると市川市で、そこが昔の下総の中心。R14からわずかに北に行ったところに京成電鉄の「国府台(こうのだい)駅」があるが、国府台が下総の国府(今でいえば県庁所在地)だった。

3、富津岬
 東京湾に突き出た下州(したず)と呼ばれる長さ5キロほどの砂州。その突端に展望台。積み木細工のようなユニークな形の展望台だ。そこからの眺めがすばらしい。自分が今、走ってきた道が砂州の中に一直線に延び、目を左に移すと、新日鉄の君津製鉄所が威容を誇っている。前面の海は浦賀水道。対岸は観音崎だ。その間の距離はわずか7キロ。

 ここは要衝の地。幕末には砲台、明治以降は東京湾防衛の海堡(かいほ)が築かれ、要塞地帯として一般人の出入りは厳禁だった。富津岬にはそんな歴史も秘められている。
 房総半島の「岬めぐり」はここからはじまる!

4、明鐘(みょうがね)岬
 R127は東京湾フェリーの出る金谷港を過ぎたところで明鐘岬をトンネルで通過。その先の海岸にバイクを止めて、岬を振り返る。この明鐘岬が「房総国境」の岬だ。我々はあまり意味を考えないで「房総」とか「房総半島」を使っているが、北の上総と南の安房を合わせたエリアが「房総」になる。房総国境は鋸山から清澄山につづく房総丘陵の稜線。この房総境を越えて安房に入ると、日の光が強くなり、山々の緑はより濃くなり、潮の香がプンプン漂ってくる。安房は「黒潮文化圏」の国だ。

5、大房(たいぶさ)岬
 館山湾の北側の岬。「だいぶさ」とか「だいぼう」などとも呼ばれる。。R127の富浦から入っていく。岬全体が大房(おおぶさ)公園。駐車場(無料)にバイクを止め、遊歩道で岬を一周。岬一周は30分ほど。展望台からは三浦半島を目の前に見る。その向こうには富士山。ここにはキャンプ場もある。

6、洲(すの)崎
 房総半島南西端の岬。東京湾岸の「内房」と太平洋岸の「外房」はここで分かれる。岬はこのように大きな境目になる。灯台からは三浦半島や伊豆半島、伊豆大島、富士山を眺める。とくに伊豆大島が大きく見える。灯台入口の「森田屋商店」では店のオバチャンの話を聞きながら、自家製の「ところてん」(250円)を食べた。岬周辺では「ところてん」の原料となるテングサが豊富に採れるという。

 岬近くの洲崎神社は安房の一の宮。急な石段を登って参拝(無料)。境内の御手洗山は斧のまったく入らない自然林だ。山の下半分のシイや上半分のヒメユズリハなどを中心とした樹林がテカテカと光り輝く濃い緑をつくり出している。この御手洗山は千葉県でも一番といっていい自然林の山。洲崎から海沿いの房総フラワーラインを走り、R410にぶつかったところにある安房神社も安房の一の宮になる。

7、野島崎
 洲崎から野島崎までのシーサイドランは楽しめる。切る風に黒潮の香りをかぎながらが走る気分は最高だ。房総半島最南端の野島崎は地名通りで、もともとは「野島」という島だった。それが元禄大地震(1703年)で陸地につながった。さらに関東大震災で隆起し、岬周辺の岩礁地帯が生まれた。

 野島崎に着くと、漁港の岸壁に立って漁船を眺め、岬の神社、厳島神社に参拝。見事な男根と貝の女陰が奉納されている。そして灯台へ。漁港と神社、灯台は岬の3点セットのようなもの。「野島埼灯台」には登れる(150円 8時50分~16時)。

 上から白浜町の外房海岸を一望。岩礁の海岸線は「白浜」というよりも「黒浜」だ。それでも「白浜」なのは、この地が紀州の白浜と黒潮で結びついているからなのだ。南紀白浜の漁民が黒潮に乗って移住し、進んだ紀州の漁法を房州にもたらした。黒潮でつながっている紀州と房州は近い。まさに「黒潮文化圏」。

8、仁右衛門島
 R128の太海にある仁右衛門島は「東京→大洗」間で唯一、渡れる島。太海港から手漕ぎの舟(1050円)で渡った。島まではわずか5分。仁右衛門島は太海港の目の前の島。島内の遊歩道を歩いて島を一周。ここは平野仁右衛門氏所有の島で、島内には源頼朝伝説の地などが残されている。仁右衛門島から太海港に戻ると、太海温泉「こはら荘」(入浴料300円)の湯に入った。うす茶色の湯。なかなかの泉質で肌がツルツルしてくる

9、小湊
 日蓮誕生の地で、ここには日蓮宗の大寺、誕生寺がある。小湊はまたタイの生息地でタイ見物ができる鯛ノ浦で知られている。今回、行ってみて感じたのは「おー、寂れたなあ…」ということ。以前はもっと観光客であふれていたのに…。門前の店も閉めているところが多かった。

 JR内房線の五井駅から出る小湊鉄道という鉄道がある。終点は上総中野駅だが、ほんとうは「小湊鉄道」の名前通り、房総国境の山並みを越えて小湊まで延ばす計画だった。今は超ローカル線の小湊鉄道。それが小湊まで延びることはまずないが、かつての小湊はそれほど人を集めるところだった。

10、鵜原
 興津と勝浦の間で、R128を走っていても気がつかないまま、通り過ぎてしまうようなところ。鵜原海岸は穴場的存在。ここはカソリの「旅人生の原点」なのだ。断崖が海に落ちる「鵜原理想郷」には毛戸岬、明神岬、白鳳岬の3岬。ともに「絶景岬」。高さ24m(そのうち海中部は8m)の「勝浦海中展望塔」(観覧料930円 9時~17時)も鵜原にある。海中展望室からはこの周辺に生息するアジやメジナ、イシダイなど多種類の魚を間近に見られる。

11、勝浦
「勝浦」の地名も四国、南紀にあるが、漁民の先祖は四国から渡ってきたといい伝えられている。ここも「黒潮文化圏」の地だ。漁港としての歴史は古く、外房でも屈指の水揚高を誇っている。勝浦といえば朝市。400年以上の歴史を持つ勝浦の朝市は「日本三大朝市」のひとつに数えられている。

12、八幡岬
 勝浦湾の東側に突き出た岬。この岬のおかげで勝浦港は天然の良港になっている。岬の展望台には徳川家康の側室「お万の方」の銅像が建っている。要害の地の八幡岬は勝浦城跡。お万の方はこの城の姫だった。落城の際、お万は断崖に布をたらし、海上に逃れたといわれているので、八幡神社下のその断崖は今でも「お万布さらし」といわれている。

 お万の方といえば、徳川御三家のうち、紀州家の藩祖(頼宣)と水戸家の藩祖(頼房)を生んだ女性。「お万の方」を通して外房の勝浦と名古屋、水戸がつながっているのが歴史のおもしろさ。またもし、お万が落城とともに命を落としていたら、今の名古屋や水戸はまったく違う顔をしているかもしれない。歴史で「もし」を考えるのはなんとも楽しいことだ。

13、御宿
 R128からわずかに入った御宿の砂浜にはラクダに乗った王子さまとお姫さまの「月の沙漠」像が建っている。ぼくは世界中の砂漠をバイクで走ってきたが、砂漠に突入すると、まるで条件反射のように「月の沙漠をはるばると旅の駱駝がゆきました 金と銀との鞍置いて二つならんでゆきました…」の歌を口ずさんでしまう。「ほんとうの砂漠はこんな甘いもんじゃないゼ」といいながら。この歌詞は青年詩人の加藤まさをによって1923年、御宿の地でつくられた。ここには「月の沙漠記念館」(9時~16時30分 水曜休み)があり、加藤まさをの人となりがわかる。しかし、沙漠に関する資料は何もない。

14、太東(たいとう)崎
 岬の展望台に立つと、九十九里浜の湾曲した長い海岸線を一望する。さらに刑部岬から「日本のドーバー」の異名をとる屏風ヶ浦から犬吠崎まで見える。「ウオーッ!」と思わず声が出る大展望。これほど長い海岸線の見えるところはそうはない。富津岬から太東崎までが「房総」だ。

15、九十九里浜
 太東崎から刑部岬までつづく長い砂浜。その距離は約60キロ。有料の九十九里道路を突っ走ったが、太平洋を眺めながら走る気分は爽快。ほぼ中間点の片貝からは一番、海に近い県道30号を走ったが、太平洋はまったく見えない。片貝のある九十九里町あたりを境に、九十九里浜の南の海岸地帯には栗生納屋とか西野納屋といった「納屋」のつく地名が多いが、北側の海岸地帯になると、西浜や長谷浜のような「浜」のつく地名が多くなる。

16、刑部岬
 岬には展望塔(無料)。真下に飯岡の漁港を見下ろし、その向こうには太東崎へと延びる九十九里浜を一望する。刑部岬から東に延びる海岸線が高さ4、50mの断崖の屏風ヶ浦。「日本のドーバー」といわれているが、ドーバーのホワイトクリフ(白い崖)とほんとうによく似ている。ぼくはフランスのカレーからイギリスのドーバーに何度かフェリーで渡ったが、ドーバー海峡越しに「ホワイトクリフ」を見ると、「イギリスだ」と実感する。

17、犬吠崎
 岬の灯台前には「犬吠埼ロカ岬友好記念碑」が建っている。それには「海終わり 陸始まる」と書かれている。ロカ岬はユーラシア大陸最西端のポルトガルの岬。そこには有名なポルトガルの詩人カモンエスの「ここに地尽き 海始まる」の言葉が記されている。それに対してのものなのだろう。

 それはともかくとして、犬吠崎のこの碑を見ると、2002年にロシアのウラジオストックを出発点にしてユーラシア大陸を横断し、ゴールのロカ岬に到着したときの感動が熱くよみがえってくるのだ。

18、銚子
 利根川河口の銚子漁港は日本屈指の大漁港。河口の川口町には「千人塚」がある。慶長19年(1614年)10月25日の大津波で銚子沖に出漁中の漁船が多数、遭難し、なんと1000人以上の死者が出たという。そのほかにも「海難漁民慰霊塔」や遭難者の墓があるが、利根川河口のこの地は海の難所。太平洋から銚子港に船を入れるのはそう簡単なことではなかった。銚子大橋で利根川を渡りながら、銚子のそんな歴史にも思いを馳せた。

19、鹿島神宮
 銚子からR124を行き、R51にぶつかったところが鹿島神宮。ここは常陸の一の宮。鹿島神宮のすごさはその境内林だ。関東第一といっていい原生林がここにある。奥多摩でも奥秩父でも奥日光でもない、鹿島臨海工業地帯を間近にする鹿島にそんなすごい自然が残されているのだ。

 本殿から奥宮への参道の両側には杉の大木が林立している。奥宮の裏手は「昼なお暗い密林」といった世界。鹿島神宮からR51を走るとよくわかるが、そんな原生林が延々とワールドカップの会場にもなったカシマスタジアムあたりまでつづいている。

「一の宮めぐり」のおもしろさは日本の旧国がよくわかるだけでなく、日本のもともとの姿とでもいおうか、手つかずの自然を見ることのできる場所なのだ。たとえば山城の一の宮、下鴨神社の境内林、糺(ただす)の森は関西圏では一番の自然林だし、能登の一の宮、気多大社の境内林も北陸圏では一番の自然林。言葉をかえれば、日本人はそれだけ日本の自然をズタズタにしてしまったということだ。

テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行


「2004年・旧満州走破行」(21)

9月28日(火)晴のち曇 塔河→漠河(その2) 第8日目

 アムールの町で昼食を食べ、中国最北の町、漠河に向かう。その途中では一時、天気が崩れ、雪がちらついた。まだ10月に入っていないというのに、北緯50度を超えるこのエリアでは、雪の季節が目前だった。

 漠河に近づくと、まずは「中国北極」の門をくぐり抜けていく。北極というのは中国の最北端のことで、最南端は南極、最東端は東極、最西端は西極という。

 つづいて「中国漠河」の門をくぐり、中国最北の町、漠河に入っていった。ひと晩、泊まったホテルも「北極賓館」だ。
 この日は「中秋節」。中秋の満月をめでて、夕食の前に「月餅」を食べた。

 夕食にはシカの焼肉が出た。そのほか野菜炒めや揚げ物、エビなど。スープは「飛龍湯」。夕食後、大滝さんと満月を眺めながらウイスキーを飲んだ。大滝さんの波乱万丈の人生を聞きながら飲む酒はメチャウマで、気がつくとウイスキーをひと瓶、空けていた。

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北へ。大興安嶺山脈の山々は紅葉している

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「中国北極」の門

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「中国漠河」の門

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「北極賓館」に泊まる

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月餅を食べる

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夕食の光景

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スープの「飛龍湯」

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


「2004・旧満州走破行」(20)

9月28日(火)晴のち曇 塔河→漠河(その1) 第8日目

 抜けるような青空の塔河を出発。冷たい風を切ってQS110を走らせ、中国最北端の地、漠河を目指す。

 大興安嶺山脈の中に、一筋の道がはてしなく延びる。2車線の舗装路だが、交通量はきわめて少ない。このあたりは全長1300キロの大興安嶺山脈の北端になる。

 日本で最長の山脈というと全長700キロの奥羽山脈になるが、大興安嶺山脈はその倍近い長さがある。北は黒龍江を越えてロシアのスタノボイ山脈(全長700キロ)につづいている。南西は中国の内蒙古自治区を東西に横断する陰山山脈(全長500キロ)につづいている。それらをすべて合わせれば、全長2500キロという長さになる。

 大山脈の大興安嶺山脈だが、見た目にはなだらかな丘陵の連なりといった感じで、1987年の大森林火災で焼き尽くされたこともあり、山々の樹木もまばらだ。

 昼過ぎにアムールの町の到着。この町の食堂で昼食にする。
 トウモロコシ粉&アワ粉でつくったホットケーキ、豚の血腸、豚の腸の燻製、そして最後に麺を食べる。

 同行の東京映像社長の大滝さんは「食」には大変、造詣の深い方。大滝さんの食文化のお話を聞きながらの食事はじつに楽しい。

 大滝さんの元気の源は「食べること」で、好き嫌いなく何でも食べてしまうその鉄の胃袋ぶりには感動してしまうし、教えられることが多かった。

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塔河を出発

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大興安嶺山脈を貫く一筋の道

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大興安嶺山脈の風景

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漠河への道は交通量極少!

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大興安嶺山脈北端の山並み

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中国最北端の地へ

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アムールの町の食堂で昼食

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トウモロコシ粉&アワ粉のホットケーキ

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豚の血腸

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豚の腸の燻製

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東京映像社長の大滝さん

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


「2004・旧満州走破行」(19)

9月28日(火)晴のち曇 塔河 第8日目

 塔河の夜明け。いやー、寒い。気温は氷点下だ。
 ひと晩、泊ったホテルの周辺を寒さに震えながら歩いた。

 8時、町中の食堂で昼食。揚げパンと五穀粥、豆腐などの入った鍋料理を食べる。
 朝食後、バイクでスズキQS110のオイル交換をしてもらう。

 それにしてもこの「QS110」は、信じられないほどの走りの良さ。昨日は「黒河→塔河」の494キロを走ったが、繰り返しになるがそのうちの465キロはダート。日本では考えられないような超ロングダートなのである。

 中国製スズキのQS110はその超ロングダートをまったく問題なく、平気な顔をして走りきってくれた。オイル交換を終えたQS110は、「あー、さっぱりした」といわんばかりの、より軽やかなエンジン音をあたりに響かせるのだった。

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塔河の夜明け

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町中の食堂で朝食

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揚げパン

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五穀粥

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豆腐などの鍋料理

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塔河のバイク店の修理工場

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スズキQS110のオイル交換

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


四国八十八ヵ所めぐり(92)

2009年4月27日(長尾→多度津・その2)

 第88番の大窪寺の参拝を終えると、国道377号→県道40号→国道11号で香川県から徳島県に入り、さらに県道41号→県道12号を走り、第1番の霊山寺に戻ってきた。

 なつかしさがグググッと胸にこみあげてくる。

「さー、四国八十八ヵ所をまわるぞ!」
 と、高揚した気分でこの寺にやってきたのは4月10日のことだった。

 あれから18日目、3449キロを走って、また霊山寺に戻ってきたのだ。

「四国八十八ヵ所」をまわり終えたお礼の参拝をする。本堂で、大師堂でと、自分でもびっくりするくらいスラスラと般若心経をあげることができた。これが18日間の成果というものか…。

 門前の店で昼食の「わかめうどん」を食べると、県道12号で吉野川の北岸を走り池田へ。JRの阿波池田駅前でアドレスを停めたが、「四国八十八ヵ所めぐり」の旅はまだまだつづくのだ。

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第1番霊山寺の山門

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霊山寺の多宝塔

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霊山寺の本堂

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霊山寺門前の店で昼食

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吉野川の北岸を行く

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四国山脈の山並み

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阿波池田駅前に到着

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


「2004・旧満州走破行」(18)

9月27日(月)晴のち曇 黒河→塔河(その4) 第7日目

 呼馬の町で昼食を食べ、13時、出発。町を出るとすぐにダートになるが、塔河を目指して突っ走る。

 このあたりは大興安嶺山脈の北端で、森林地帯がつづく。といっても大木はほとんど目にしない。細い木ばかりなので、うっそうとした森林ではなく、日の光が中まで差し込むような明るい森林だ。

 夕方になると、さらに気温は下がり、ガタガタ震えてしまう。グローブを冬用に変え、オーバーパンツをはき、ネックウオーマーをし、バンダナのマスクをする。

 ナイトランがきつかった。一段と寒くなり、寒さと戦いながらスズキQS110を走らせた。塔河に近づき、ダートから舗装路に変ったときは心底、ほっとした。

 塔河に到着したのは22時30分。黒河から494キロ。そのうち465キロがダートだった。

 こんな遅い時間の到着にもかかわらず、塔河では大歓迎され、ホテルでの深夜の宴会がはじまった。全部で20皿以上もの料理。大変なご馳走だ。ホテルの支配人の孫さんは北京ダックまで用意してくれていた。

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呼馬を出発

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塔河への道

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工事区間を走り抜けていく

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小休止

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大興安嶺山脈の森林地帯

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塔河の深夜の宴会

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北京ダックが出た!

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


四国八十八ヵ所めぐり(91)

2009年4月27日(長尾→多度津・その1)

 6時、第87番長尾寺前の「あづまや旅館」を出発。長尾の「サンクス」でおにぎり&お茶の朝食を食べ、県道3号を南へ。平野から山中に入り、前山ダムの脇を通る。ダム湖は登ってまもない朝日に照らされていた。4月も下旬だというのに冷え込みがきつい。

 県道3号→国道317号で第88番の大窪寺へ。

「四国八十八ヵ所」の結願所の大窪寺に着いたのは7時。長尾寺からは22キロだった。 山門をくぐり、本堂、大師堂と参拝する。ここには宝杖堂があって、88ヵ所をめぐり終えたお遍路さんたちの杖が納められていた。

 納経所に行き、最後のお墨書とご朱印を納経帳にもらう。最後の御影を御影保存帳にはさみ込む。

 ついに「四国八十八ヵ所」をまわり終えた。
 東京・日本橋を出発してから28日目。ここまでのアドレスV125Gの走行距離は4989キロになった。

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おにぎり&お茶の朝食

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朝日を浴びた前山ダムのダム湖

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第88番大窪寺の山々

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門前の店

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大窪寺の山門

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本堂の前でガッツポーズ

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宝杖堂

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新しい仁王門

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最後のお墨書とご朱印

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最後の御影

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


「2004・旧満州走破行」(17)

9月27日(月)晴のち曇 黒河→塔河(その3) 第7日目

 12時20分、黒河から250キロ走って呼馬の町に到着。

 まずは「中国石油」のスタンドで給油。町の目抜き通りでは、露天で牛肉を売っていた。トラクターにひかれた牛肉店。ドーンと牛の頭が置かれている。1キロとか2キロといった塊で牛肉を売っている。

 町の食堂で昼食。砂鍋と蒸餃子を食べた。日本で餃子といえば焼餃子だが、本場・中国では餃子といえば蒸餃子か水餃子。特別に注文しない限りは、焼餃子が出ることはほとんどない。

 砂鍋と餃子の昼食で元気を取り戻し、塔河に向かった。あと250キロ。何としても今日中に着かなくては…。

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呼馬の町に到着

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まずは給油

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ガソリンスタンドで出会った中国人ライダー

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露天で牛肉を売っている

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牛の頭も売り物

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豪快な売り方だ

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トラクターに引かれた牛肉店

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呼馬の食堂で昼食

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砂鍋と餃子

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


「2004・旧満州走破行」(16)

9月27日(月)晴のち曇 黒河→塔河(その2) 第7日目

 塔河に向かって走る。際限なくダートがつづく。

 道路沿いの村に着くと、スズキQS110を停め、小休止。村の1軒の家を見せてもらう。壁にはトウガラシ。ぶらさげて干している。庭には黒龍江の漁で使う舟。川漁でとれた魚を見せてもらった。その家では饅頭をご馳走になった。

 黒河から140キロほど走ると、前方にはゆるやかな山並みが見えてくる。大興安嶺山脈の支脈だ。

 大興安嶺山脈は全長1300キロ。黒龍江がその北端になるが、さらに黒龍江を越えてロシア側のスタノボイ山脈につながっている。

 峠道もゆるやか。一気に登り、峠でバイクを停める。峠上は小興安嶺山脈の峠がそうであったように平坦だ。

 峠を下っていくと大興安嶺山脈の山麓は広々とした農地になり、収穫間近の大豆畑が広がっていた。

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塔河への道沿いの村

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一軒の家を見せてもらう

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トウガラシを干している

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庭には川漁の舟

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黒龍江でとれた魚

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庭の片隅にあるトイレ

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饅頭をいただいた

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山羊の群が行く

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大興安嶺山脈に向かっていく

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大興安嶺山脈の樹林

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ここは大興安嶺山脈の峠

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大興安嶺山脈の山麓に広がる大豆畑

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際限なくダートがつづく

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


四国八十八ヵ所めぐり(90)

2009年4月26日(高松→長尾・その6)

 第85番の八栗寺からケーブルカーで下ると、国道11号で志度へ。瀬戸内海の志度湾に面した町だ。

 町中に第86番の志度寺がある。大草鞋のかかった山門(仁王門)は国の重要文化財。左右に立つ木造の金剛力士像は鎌倉時代の運慶の作だといわれている。境内には朱塗りの五重塔が建っている。本堂、大師堂と参拝。本堂も国指定の重要文化財になっている。

 志度からは県道3号を南へ。7キロほど走ると長尾の町中に入っていく。

 ここに第87番の長尾寺がある。本堂、大師堂を参拝すると、門前の「あづまや旅館」で泊った。

 ここはまさに巡礼宿。北海道の北見からやってきた夫婦、男性3人と一緒に夕食を食べたが、全員がお遍路さん。北見の夫婦は車でまわっていたが、男性3人は全員が歩き遍路。いよいよ間近に迫った第88番目に全員が気分を高揚させているようだった。

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第86番志度寺の山門

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志度寺の五重塔

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志度寺の本堂

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第87番長尾寺の山門

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長尾寺の本堂

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長尾寺の大師堂

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長尾寺の大楠

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第88番大窪寺への案内図

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長尾寺前の「あづまや旅館」

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「あづまや旅館」の夕食

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四国八十八ヵ所めぐり(89)

2009年4月26日(高松→長尾・その5)

 第84番の屋島寺からバスで琴電の屋島駅前に戻ると、今度はアドレスに乗って第85番の八栗寺へ。屋島の山上から見下ろした壇ノ浦に寄って八栗ケーブルカーの乗場へ。八栗寺はケーブルカーに乗って行くのだ。

 ケーブルカーは五剣山に向かって一気に登っていく。その中腹に八栗寺はある。

 ケーブルカーの八栗山上駅から門前の店先を通り、八栗寺の多宝塔の前を通り、鳥居をくぐり抜ける。正面には「聖天さん」で知られる歓喜天がまつられている。

 まずは聖天堂に参拝し、次に山門をくぐり、八栗寺の本堂と大師堂をめぐった。
 ケーブルカーの八栗山上駅に戻ると、門前の「伏石屋支店」で昼食。手打ちうどんの大盛(400円)を食べた。

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ケーブルカーで第85番の八栗寺へ

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五剣山を登っていく

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八栗寺の多宝塔

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鳥居をくぐっていく

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八栗寺の山門

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八栗寺の本堂

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八栗寺の大師堂

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門前の「伏石屋支店」で昼食

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手打ちうどんを食べる

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


「2004・旧満州走破行」(15)

9月27日(月)晴のち曇 黒河→塔河(その1) 第7日目

 今日の行程は塔河まで。500キロ近い距離があり、さらにその大半はダートだとのことで、まだ暗い5時前に黒河を出発。いよいよ寒さがきつくなってきた。

 黒龍江沿いの道を行く。やがて夜が明ける。あたりは一面の霧。霧の中から朝日が昇った。
 黒河から20キロほど行くとダートに突入。路面の状態はそれほど悪くはない。

 8時、黒龍江沿いの村に到着。村の食堂で朝食。粥と饅頭を食べた。食堂の前の道を馬車が通り過ぎていく。食堂の裏手は黒龍江。滔々と流れる大河の対岸はロシアだ。

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夜明けの塔河への道

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朝日が昇る

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収穫の終った大豆畑

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2台のスズキQS110

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ダートに突入

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小休止

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村の食堂で朝食

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黒龍江でとれた魚

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これも黒龍江でとれた魚

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食堂の前を馬車が行く

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食堂の裏手を流れる黒龍江

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食堂で出会った親子

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Author: 賀曽利隆
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