著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
Administrator:ウザワ・K

電子で復刊!
カテゴリー
Amazon
ブログ内検索 by Google
広告も社会の窓。
最近のコメント
RSSフィード
FC2ブログランキング
このブログが面白いと思ったらたまに(あるいは頻繁に!)クリックしてくださいね(ポチっとな)。それで何が起こるのかは僕も知らんけど…。
カソリお役立ちリンク
管理人推奨リンク

カソリの林道紀行(24)関東編(その2)林道旋風

(『バックオフ』1996年6月号 所収)

一路、北へ。
目指せ“上毛三山”!


 4月6日午前6時、夜明けを迎えたばかりの東京・日本橋に、我ら「野武士軍団」の面々が集合。DJEBEL250XCの賀曽利隆、XLR250RMの坂間克己、アフリカツインの菅原裕。各自、出来たばかりの「林本」を持っている。

 林本というのは、『林道ネットワーク』の本のこと。それを「リンボン」と呼ぶ。「リンボン」は、我ら「野武士軍団」のキーワード。林本・関東篇の林道を総ナメにしようと思うのだ。ターゲットは通り抜け林道。

 6時30分、我ら「野武士軍団」は、同行のDR250Rに乗る迫坪直樹カメランマンとともに、東京・日本橋を出発。高速は一切、使わない。一路、北へ。上州を目指す。上州の名山、赤城山、榛名山、妙義山の“上毛三山”がメインのエリアだ。

 R17→R407→R50経由で群馬県の桐生市へ。もう、山々が目の前だ。そこからR122で山中に入っていく。桐生から25キロ、東村の小中で国道を左折。名所の大滝へ。大滝が記念すべき第1本目の林道、小中新地林道の入口。バイクを並べて記念撮影したあと、いよいよ、関東のダートを走り出す。

 小中新地林道は走りやすい。ゆるやかな峠を越えるが、峠周辺からの眺めもよい。ダート10キロの小中新地林道を走りきり、根利宿に出た。

 そこから第2本目の栗原川林道に入っていく。峠までは除雪されていたので楽に走れた。林道入口から7キロ地点で栄沢林道との分岐点。そこがゆるやかな峠になっている。峠の先が、かなりの残雪。オー、行け、行けと強引に残雪の峠を突破したが、しばらく下ると、また、登り。もう、アウトだ。死に物狂いでバイクを押した。

 北関東の林道は、4月に入っても、まだ、冬景色。残雪との大格闘の末に、やっと峠まで戻り、根利宿に引き返す。ヘトヘト‥‥。薗原湖のわきを通り、R120に出、沼田に向かう。椎坂峠を越えたところで、振り向くと、赤城山の雪が夕日にうっすらと赤く染まっていた。
 沼田からR145で松ノ湯温泉に行き「松渓館」に泊まった。


榛名山から妙義山へ、
上毛三山は味がある!


 翌朝は松ノ湯温泉「松渓館」の奥さんに無理をいって早めに朝食をつくってもらい、7時、出発。1日を最大限につかって関東の林道を走りまくるのだ。

 R145沿いのコンビニでバイクを止め、カンコーヒーを飲みながら「林本(リンボン)」の榛名山、妙義山周辺のページをたんねんに見る。リンボンはほんとうに手離せないよ。

「さあ、榛名山だ!」
 中之条からR353に入り、JR吾妻線の小野上駅近くで国道を右折し、榛名山の林道群に北側から入っていく。

 まずは北榛名山林道だ。喜び勇んで林道に入ったものの、舗装路がつづき、
「えー、全線が舗装かよー」
 と、泣きたくなったころに、やっとダートになった。

 我ら「野武士軍団」の面々は、ダートに入ると、急に生き生きとした表情に変わる。その目に見えた変化がおもしろい。まさに“ダート命”の軍団なのだ。


榛名山北側斜面を貫くダート

6キロ(途中に2キロほどの舗装区間がある)の北榛名山林道を走り、つづいて、榛名山林道に入っていく。工事区間を抜け出た先の、県道の高崎榛名吾妻線にぶつかるまでの間は、かなりラフなダート。轍が深く、水溜まりが連続している。短い区間だけど、走りがいのあるダートに、うれしくなってしまう。

 県道で外輪山の峠を越え、榛名湖畔に下る。次に天神峠を越え、峠道を下り、榛名神社を過ぎたところで左折し、榛名山南側斜面を貫く南榛名山林道に入っていく。ダート7キロ。さきほどの北榛名山林道は寒々としていたが、この南榛名山林道は暖かな日差しが差し込めていた。


林道で食う釜めしのうまさ。
野武士軍団、歓喜の声!


 榛名山から妙義山へと、舞台を移す。R18を走り、松井田に近づくと、特徴のあるギザギザした山の形の妙義山が間近に迫ってくる。“上毛三山”の最後の山。妙義荒船林道も北側から入っていく。

 入口は碓氷峠下の横川。横川といえば“釜めし”。名物の釜めしとカン入り緑茶を買い、ザックに入れ、妙義荒船林道に向かっていく。R18から6キロ、裏妙義の妙義湖畔を過ぎると待望のダートに入る。上毛三山の林道群のなかでは、一番おもしろく走れる妙義荒船林道だ。

 妙義山の岩山の姿が遠ざかると、稜線に向かって一気に登っていく。中之岳林道との分岐点あたりは広々と開けている。さっそくバイクを止め、弁当の釜めしを開く。ゴックンとつばを飲み込むほどのうまさ。林道で食べる釜めしは、最高の味だ。
 ダート15キロの妙義荒船林道を走り、和美峠に出た。


関東最長の御荷鉾を走った。
さあ、最後はナイトラン!


 和美峠からR254の下仁田に下り、そこから、南牧川沿いに勧能へ。田口峠を越えれば信州という西上州最奥の集落だ。

 勧能から関東最長ダートの御荷鉾スーパー林道に入っていく。ふつう御荷鉾といえば、神流湖のわきから入っていくが、我ら「野武士軍団」、それを逆コースで走ろうというのだ。

 まずは御荷鉾のファースト・ステージの塩ノ沢峠へ。その間は大石がゴロゴロしているハードな区間だったが、ダートは均され、ずいぶんと走りやすくなっている。おまけに、1キロの舗装区間もできている。
「御荷鉾も変わったなあ!」

 だが、ほんとうに変わったのは、その先だ。
 20キロのダートを走り、県道と交差する塩ノ沢峠を過ぎ、御荷鉾のセコンド・ステージに入ると、舗装路が延びている。ダートになっても、乗用車で楽に走れるくらいのいい道になっているではないか‥‥。
「おー、これが、御荷鉾かよ」
 と、カソリ、DJEBELのハンドルを握りながら、思わず叫んでしまう。

 林道沿いには森林公園ができ、展望台ができ、休憩所ができている。これでは、“御荷鉾観光林道”ではないか‥‥といいながら20キロのダートを走り、万場から上がってくる道と交差する塩沢峠に到着した。

 塩沢峠から神流湖までのサード・ステージは、さらに道がよくなり、舗装区間も長くなる。稜線近くを走るので眺望は抜群。眺めのよさだけは、以前と変わりがない。サード・ステージのダート区間は10キロ。こうして50キロのダートを走り、神流湖畔に出たが、50キロは50キロ、御荷鉾が関東最長のダートであることには変わりがない。

 R299で志賀坂峠を越え、秩父へ。日暮れ。ラーメン屋でラーメンライスを食べてパワーをつけ、林道ナイトランの開始だ。まずは奥武蔵篇の広川原逆川林道。4キロのダートを走り、峠を越え、名栗に下った。

 最後が奥多摩篇。小沢峠を越え、青梅へ。さらに、五日市へ。そこから盆堀林道に入っていく。体はクタクタに疲れているが、気分は不思議なほどに爽快だ。ダート7キロの盆掘林道を走り、和田峠を越えてR20に出た。

 23時、相模湖駅前にゴール。日本橋から676キロ。そのうち123キロがダートだった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの林道紀行(23)関東編(その1)

賀曽利隆の雪中オフロー道
目指せ! 野反峠&尻焼温泉露天風呂!!
(『バックオフ』1995年3月号 所収)


1995年の“走り初め”は雪中ツーリングだ。
アイスバーンにおびえ、雪道に悪戦苦闘する雪中ツーリングこそ、走り初めにふさわしい! ということで、カソリ&ハニーの“極寒コンビ”、今年も雪中野宿ツーリングに挑戦し、命を張ったバトルを繰り返す。
さて、その結果は……。


雪の峠道に突入!カソリVSハニーの激闘開始

 新年早々、『BO』編集部で、ハニー(丹羽和之さん)と落ち合い、カソリ&ハニーの“極寒コンビ”は上信越国境の野反峠に向かう。

 バイクはカソリがDJEBEL200、ハニーがセロー。ともに車高が低く、両足ベタづきでき、中低速域でのねばりのあるエンジン特性なので、雪中ツーリングにはもってこいのマシンである。

 ぼくは根っからの“熱帯派人間”。雪とか寒さは大嫌いだ。が、ハニーは“寒帯派人間”。おまけに冬山のエキスパートなので、寒くなればなるほど喜々としてくる。信じられないよ。そんなハニーなので、「今年こそは!」の意気込みで“打倒カソリ”に熱く燃えている。

 群馬県長野原から我ら“極寒コンビ”、いよいよ野反峠を目指す。峠下の和光原を過ぎると、チラチラと雪が降りはじめ、一面の銀世界。その変化が鮮やかだ。

 雪の峠道に突入! カソリ&ハニーのバトルの開始だ。といっても、速さを競うのではない。ハニーがぼくと雪道で速さを競うなんて、まだ、10年早いというものだ。
 そこで、転倒の回数を競う。もちろん、少ないほうが勝ちである。

 峠道を登るにつれて雪は深くなる。タイヤはノーマルのままなので、ツルッ、ツルッと滑り、何度か転倒しかけたが、そのたびにグッとこらえて踏みとどまる。高度を増すにつれて天気は荒れ模様になり、吹雪の中を走るのだ。

 ハニーはこの1年間、“打倒カソリ”を合言葉に修行を重ねただけあって、なかなか転倒しない。だが、峠道を登りつづけ、急勾配のコーナーにさしかかったところで、ついにスッテーン! 
 雪の中でもがいているハニーの姿を見て、
「ヘヘヘヘー、ハニーよ」
 と、カソリ、勝ち誇ったような声を出して笑ってやった。

 これで緊張の糸の切れたハニー、つづいて2度目、3度目と連続転倒し、カソリVSハニーのバトル第1弾“雪中ラン”は、3対0でカソリの勝ちとなった。


腰までもぐる雪を踏み分けて、ついに到達した野反峠!
氷点下15度の厳冬雪中野宿!!
やったぜー、カソリ&ハニー、峠に到着!


 野反峠に近づくと、雪はさらに深くなり、ついに自走不能……。1台のバイクを2人がかりで押し上げる。ギアを1速もしくは2速に入れ、半クラッチを使い、バイクを降りて押す。もう1人が雪まみれになって、リアを押し上げる。そうやって、雪深いセクションを突破していくのだが、これが、キツイ、キツイ……。

 心臓がパカパカ音をたてて、口から飛び出しそうになるし、吹雪だというのに大汗がタラタラ流れ出るし、もう最悪!

 つかのまの休憩では、2人とも、雪の上に大の字になってひっくり返ってしまう。冷っとした雪の感触が、たまらなく気持ちいい。
「フーッ」と、大きく息をつきながら、
「ハニーよ、ナ、ナンデ、こんなに苦しい思いをしなくてはならないんだろうね」
 と、泣き言をいうのだった。

「さー、ハニー、行くゾ!」
 と、気合を入れる。わずかな休憩で体力をとり戻し、再度、雪道に挑戦。ありがたいことに、雪雲が途切れ、夕日が射してくる。気分まで、パーッと明るくなる。あと、もうすこしだと、ハニーと励ましあって、ついに、野反峠に到達した。

 太平洋と日本海を分ける中央分水嶺の野反峠は、別名、富士見峠。残念ながら富士山は見えなかったが、眺望は抜群。浅間山や八ヶ岳、奥秩父連峰が見渡せた。

 野反峠での雪中野宿。雪原を踏み固めてテントサイトをつくりテントを張る。とはいっても、強い季節風が吹きまくっているので、テントを張るのも楽ではない。ヘタをすると、テントごと吹き飛ばされてしまいかねないからだ。

 天気はすっかり回復し、晴れ渡った西空に夕日が落ちていく。日が暮れると、まるで冷凍庫のなかにほうり込まれたような寒さ。0度前後だった気温は、あっというまに氷点下10度まで下がる。

 テントの中でラジウス(灯油用の携帯コンロ)の火を起こし、野菜をふんだんにブチ込んで肉を焼き、それをつまみながらカンビールをガンガン飲む。ハニーとの話もはずむ。ラジウスの火とキャンピングガスの灯で、テント内は十分に暖かい。なんともいえない幸せなひとときだ。雪中走行の、雪中野宿の辛さなど、どこかに吹き飛んでしまう。

 焼き肉をたらふく食べた。カンビールもたらふく飲んだ。
 カンビールの空きカンがズラッと並び、カンの冷や酒をも飲みほすころになると、昼間の雪との大格闘の疲れがドドドドドーと噴きだし、猛烈な睡魔に襲われる。もう、目をあけていられない。2枚重ねにしたシュラフにもぐり込むのと同時に、底無し沼のような深い眠りに落ちていく。

 いつも使っているペラペラのシュラフを内側にし、もうひとつの3シーズン用を外側にしたのだが、シュラフの2枚重ねの威力は絶大だ。明け方は氷点下15度まで下がったが、それほどの寒さを感じることなく眠れた。このスタイルで、厳冬期の「釧路―稚内」の往復では、氷点下25度の雪中野宿をしたこともある。

 夜明けの寒さは強烈!テントを出ると、針でチクチク刺されるような痛みを肌に感じる。寒いはずである。空には雲ひとつない。浅間山がよく見える。

 サラサラの雪を手ですくい、雪でもって顔を洗う。キリリッと、肌がひきしまるようで、なんともいえずに気持ちいい。
 ハニーが起きると、ハム&チーズのサンドイッチ、スープの朝食。食後の1杯のコーヒーがうまい。雪中野宿で飲むコーヒーの味には、また格別なものがある。

 そしていよいよ、ハニーとのバトル第2弾“雪中水泳”の開始だ。
 これがキツイ。海パンに着替え、裸になって、素足で雪の中をズボズボ歩く。スタート地点の高台に立ち、「よーい、ドン」の合図とともに、雪の中に飛び込むのだ。この“雪中水泳”、何がキツイかって、足、足なんですよ。なんと紫色に腫れあがり、凍傷寸前。自分のヤワな足を思い知らされる。
 この勝負は引き分け。さすがに“打倒カソリ”に燃えるハニーだけあって、今年は気合が入っている。

“雪中水泳”のバトルを終えると、野反峠から白砂山の方角に向かって、尾根道を歩いてみる。左手に見下ろす野反湖は全面氷結しているが、この水は魚野川→中津川→信濃川となって新潟で日本海に流れ出る。右手の渓谷の水は、白砂川→吾妻川→利根川となって銚子で太平洋に流れ出る。今、ぼくたちは、日本列島を二分する中央分水嶺を歩いているのだ。“気宇壮大”といった気分。目の前に見える山のピークまで登り、そこから野反峠に引き返した。

 我ら“極寒コンビ”、バイクのシートに凍りついた雪を振り払い、エンジンをかける。十分にアイドリングしたところで出発だ。

 名残おしい野反峠に別れを告げ、峠道を下っていく。前日、さんざん苦労して登った雪道も、下りは楽だ。ただ気をつけなくてはならないのは、ツーッとスピードがのってしまうので、登り以上に転倒しないようにすることである。うっかりブレーキでもかけようものなら、ステーンといってしまうので、こまめにギアチェンジを繰り返す。

 登りで3回転倒したハニーは、下りはゼロ回。立派なものだよ。ハニーとのバトル“雪中ラン・峠道下り篇”は引き分けだ。

 野反峠を下ったところで、車が止まり、乗っている人に呼び止められた。
 埼玉県所沢市の田中英樹さん。
「こんな季節に、こんなところをバイクで走るだなんて……、カソリさんに違いないって、そう思ったんですよ。やっぱりカソリさんだ!」

 そういって喜んでくれた田中さんは、ふだんはXLRバハに乗る『BO』の愛読者なのである。
 田中英樹さんとガッチリ握手をかわして別れたあと、ハニーとのバトル第3弾“滝打たれの行”に挑戦だ!


“極寒コンビ”が“極楽コンビ”に変身して温泉三昧!
尻焼温泉の露天風呂は無料&混浴。最高だ!


 カソリVSハニーのバトル第3弾の舞台は、野反峠下の名瀑“白糸の滝”。だが“白糸の滝”すっかり凍りつき、巨大な氷柱になっている。そこで“滝打たれ”から“氷中沐浴”に種目を変更。滝壺の厚い氷を丸太でブチ破り、氷がプカプカ浮かぶ中で、沐浴しようというのだ。

 海パンに着替え、氷の上を歩き、「ウォー!」と、雄叫びを上げ、滝壺の氷水につかる。
「ヒェーッ、痛、痛いよー」
 全身があっというまに凍りつく。
 心臓も凍りつく。

 それを我慢して氷水につかったが、カソリ&ハニー、ほぼ同時に滝壺を飛び出し、この勝負も引き分け。ハニーよ、なかなかやるなあ。

 壮絶なバトルを終えると、“極寒コンビ”のカソリ&ハニーは“極楽コンビ”へ、ガラリと変身し、野反峠下の温泉三昧をくりひろげる。

 まず、第1湯目は、尻焼温泉。長笹沢川をせき止めた天然の大露天風呂に入る。川の中から熱い湯が湧き出ているのだが、ブクブク湧き出る湯の上に尻を乗せようものなら、
「アッチチチー」 
 と、飛び上がってしまうほどで、まさに尻焼温泉なのである。

 ここは無料で、うれしい混浴。昼間だと水着で入浴する女性が多い。が、夜になると、水着を着る女性はほとんどいない。月光に照らされた素肌の美女と一緒になったときなど、
「おー、これぞ、日本の温泉だー!」
 と、絶叫したくなるほどである。

 つづいて、第2湯目の花敷温泉「花敷の湯」(入浴料500円)、第3湯目の応徳温泉「六合山荘」(入浴料300円)の湯に入る。最後が湯ノ平温泉(入浴料500円)。
 たっぷりと長湯し、東京に戻ったが、雪道&温泉を存分に満喫した1995年の“走り初め”だった。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

日本列島岬めぐり:第40回 佐田岬(さだみさき・愛媛)

(共同通信配信 1990年)

 佐田岬は四国最西端の岬だ。
 八幡浜から佐田岬半島を行く。国道197号で向かったのだが、この半島は日本で一番細長く、付け根から岬までは50キロ以上もある。

 国道197号はかつて、ゴロあわせで「イクナ酷道」といわれほどで、海沿いの曲がりくねった狭い道だった。それが今では半島の尾根筋を走るハイウエーに変身。右手に瀬戸内海、左手に宇和海と、同時に2つの海を見ながら快適に走れる。四国側の終点、三崎港からは九州へ、大分へと海上の道が続いている。

 亜熱帯樹アコウの日本最北の群落のある三崎からは、カーブが連続する狭い道がつづく。岬先端の駐車場にスズキ・ハスラーTS50を停め、ヤブツバキなど照葉樹がおい茂る山道を歩き、岬先端の灯台へ。

 夕暮れの佐田岬から豊予海峡対岸の九州を眺める。高島がはっきりと見えている。その向こうの佐賀関半島は青く霞んでいる。やがて九州側・関崎の灯台に灯が入り、四国側・佐田岬の灯台にも灯が入った。

 暮れなずむ岬周辺の風景を眺める。点々と岩礁がある。数百メートル先の小さな標識灯が点滅しているあたりが黄金バヤだ。ここは瀬戸内海有数の難所だが、岩礁の周りは魚たちの格好のすみか。タイやサワラなど高級魚の一本釣りの好漁場になっている。

 またこのあたりは海士(あま)漁の本場。男たちが海に潜り、アワビやサザエ、テングサを採っている。海に潜るのは男の仕事と決まっていて、戦前は遥か遠く済州島や朝鮮半島南岸の海まで出稼ぎ漁に出ていた。漁民たちにとっては、すべてがひと続きの海なのである。

misakimeguri-40-9924
佐田岬の突端から九州を眺める

テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行

四国八十八ヵ所めぐり(112)

2009年5月1日(小豆島・その15)

 旧池田町(小豆島町)から土庄町に戻り、第46番の多聞寺、第47番の栂尾山、第48番の毘沙門堂とまわる。

 多聞寺は大きな寺。ここでは鐘楼門の山門をくぐり、本堂、大師堂と参拝し、地下通路の護摩堂にも入っていった。この寺の開基は行基菩薩だといわれ、本尊の薬師如来も行基作といい伝えられている。

 栂尾山は山中の札所。山道を歩いていく。岩屋の中に本堂があるのだが、その入口前には展望台。小豆島の山間の風景を見下ろした。

 第48番の毘沙門堂も小豆島の豊かな自然に囲まれた札所で、参拝がてらたっぷりと森林浴をした。木々の緑は目にしみるようだった。

shikoku2009-112-2963
第46番・多聞寺の山門

shikoku2009-112-2964
多聞寺の本堂

shikoku2009-112-2965
多聞寺の大師堂

shikoku2009-112-2966
多聞寺近くの千枚田

shikoku2009-112-2967
第47番・栂尾山への山道

shikoku2009-112-2968
栂尾山本堂への入口

shikoku2009-112-2969
栂尾山からの眺望

shikoku2009-112-2971
洞窟内の栂尾山

shikoku2009-112-2974
第48番・毘沙門堂への参道

shikoku2009-112-2972
毘沙門堂

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

日本列島岬めぐり:第39回 部崎(へさき・福岡)

(共同通信配信 1990年)

 九州最北端の岬、部崎には、門司港駅前から向かった。昭和17年の関門トンネルの完成以前は、九州鉄道網のターミナル駅だっただけに、門司港駅には歴史を積み重ねてきた風格が残っている。

 まず、和布刈神社に寄った。この神社は関門海峡をまたぐ全長1068メートルの関門橋の真下にあり、目の前の早鞆の瀬戸は日本三急潮のひとつになっている。

 ちょうどうまい具合に、潮の変わり目にぶつかった。日本海から瀬戸内海へ、まるで急流の川のように、潮が渦を巻いて流れていく。
 激流を押し切って進もうとする小船は、人が歩くほどのスピードしか出ない。潮の流れがいかに速いかが、一目でわかる光景だ。

 この和布刈神社の北に、まだ九州はあった。
 コンテナヤードになっている田野浦と太刀浦の両埠頭だが、このあたり一帯は埋立地なので、もともとの九州でいえば、和布刈神社は最北になる。

 新港の埠頭からさらに砕石場の中をスズキ・ハスラーTS50で走り、企救半島突端の部崎に立った。ここが九州最北端の岬(とはいっても田野浦と太刀浦はそれよりも若干、北になるが)。

 丸みを帯びた石がゴロゴロしている海岸には、高さ20メートルほどの「僧清虚」の白い像が海に向かって建っている。

 僧清虚は天保年間(1830~44年)に部崎の崖の上に草庵を結び、沖を航行する船の目印になるよう、夜になると火を焚いて航海の安全を祈ったという。

 部崎は関門海峡の出入口にあたる岬で、まさに航海の要衝の地。洋式灯台ができるはるか以前に、雨の日も風の日も岬で火を焚きつづけた僧清虚は、日本の灯台事業の先駆者といえる人だった。

misakimeguri-39-0111
九州最北端の部崎に立つ灯台

テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行

日本列島岬めぐり:第38回 都井岬(といみさき・宮崎)

(共同通信配信 1990年)

 宮崎から都井岬に至る約90キロの日南海岸は、国定公園に指定されている。国道220号と南郷町から入っていく県道はロードパークと呼ばれているが、どこから見ても、目の覚めるような海の青さだ。

 沿道にはフェニックスやリュウゼツランなどの亜熱帯樹が茂り、季節の花々が咲いている。日南海岸の尽きる都井岬の白い灯台は高さ10メートルだが、海上から灯火までは250メートルもの高さになる。

 都井岬は波の侵食に残った砂岩と頁岩が交互に層を成して重なり合っている。ここは野生馬で有名だ。元禄10年(1697年)、高鍋藩主秋月種政が軍用馬の増産のため、都井岬に御崎牧を設けたことに始まるという。

 その後、御崎牧の馬は長い年月の間に野生化し、290年の自然放牧に耐えた純度のきわめて高い日本馬として国の天然記念物に指定された。

 都井岬は日本最北の蘇鉄の自生地としても知られている。約3000本の蘇鉄も、国指定の天然記念物になっている。

 また岬には御崎神社がある。創建は和銅元年(708年)といわれ、蘇鉄の自生する断崖を背に、小さな社が建っている。

 沖縄の御嶽を思い起こさせるような風景で、きっと背後のそそり立つ岩山が御神体になっているのだろう。もともとは日本の神社は沖縄の御嶽と同じように拝殿も神殿もなく、自然自体が御神体になっていた。
「ここでは、岬そのものが神だった」
 と、そんなことを考えながら蘇鉄の覆いかぶさる参道を歩き、御崎神社に参拝した。

misakimeguri-38-0999
都井岬の断崖を背にする御崎神社

テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行

日本列島岬めぐり:第37回 佐多岬(さたみさき・鹿児島)

(共同通信配信 1990年)

 大隈半島の鹿児島湾岸を走る国道269号を南下し、佐多町の伊座敷からは県道で日本本土最南端の岬、佐多岬に急いだ。岬に立って東シナ海に沈む夕日が見たかったのだ。

 だが、岬入口の漁村、大泊に着いたときには夕方の5時を過ぎていた。大泊-佐多岬間の9キロは有料道路の佐多岬ロードパークで、5時にはゲートが閉じられる。

 まだ明るいうちから浜辺で野宿。流木を集めて火をたいた。
 暗くなると集落から「夕焼け放送」が聞こえてくる。小中学生が交代で本を朗読する声が、スピーカーにのって流れてくるのだ。
 港からは漁船が次々に出ていき、やがて黒々とした水平線上に、まばゆいほどに漁火がともった。

 翌朝、8時にゲートが開くのを待って、往復400円の有料道路代を払い、佐多岬に向かってスズキ・ハスラーTS50を走らせた。その途中、北緯31度線を越える。そこには「カイロ、ニューデリー、上海、ニューオーリンズ」と、同緯度の都市名を書いた木標がある。

 北緯30度59分30秒の佐多岬の展望台に立った。
 目の前の大輪島にある佐多岬灯台は慶応2年、江戸幕府と米、英、仏、蘭の4ヵ国との間で取り決めた条約に基づいて、全国8ヶ所に設けられた灯台の1つである。明治4年の完成時は菜種油を使っていたという。

 佐多岬の展望台からは、大隈海峡を隔てた水平線上に、左から種子島、屋久島、口永良部島が淡く、墨絵のように見えた。

misakimeguri-37-0983
佐多岬突端から見た大輪島と灯台

テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行

四国八十八ヵ所めぐり(111)

2009年5月1日(小豆島・その14)

「小豆島八十八ヵ所めぐり」の出発点、土庄町の土庄港に戻ってきた。小豆島は東部の小豆島町(内海町と池田町の2町が合併)と西部の土庄町の2町からなっているが、土庄港は小豆島へのフェリーが発着する一番、重要な港といっていい。

 なお小豆島へのフェリーだが、四国の高松港からは土庄港(1時間、1日15便)へ、池田港(1時間、1日8便)へ、草壁港(1時間、1日5便)へと出ている。

 本州側からだと姫路港から福田港(1時間40分 1日8便)へ、岡山県の日生港から大部港(55分 1日5便)へ、新岡山港から土庄港(1時間10分 1日17便)へ、宇野港から土庄港(1時間30分 1日7便)へと出ている。

 土庄の「マルセ食堂」で昼食。「島じまん定食」(680円)を食べたが、さすが小豆島、じつにうまいソーメンだった。

 土庄から中山へと山中に入っていく。もう一度、小豆島町に入り、第43番の浄土寺を参拝。ここには同じ境内に第45番の地蔵堂がある。つづいて第44番の湯船山へ。ここも小豆島町になる。

 湯船山は殿川ダムの脇を通っていくのだが、すぐ近くには湧水の「湯船の水」があり、その下には湯船の千枚田が広がっている。

「湯船の水」には、次のように書かれた案内板が立っている。
「この豊富で清らかな湧水はどんな日照りでも涸れることのない貴重な水源として、地元の人々の飲み水や共同の洗い場の用水、さらには千枚田と呼ばれる急斜面の水田の感慨用水として、昔から大切に利用され、守られています」

 瀬戸内海の島々はどこも水不足に泣かされてきたので、「湯船の水」のような湧水は貴重な存在だ。

shikoku2009-111-2952
土庄港に戻ってきた!

shikoku2009-111-2953
昼食の「島じまん定食」

shikoku2009-111-2954
第43番・浄土寺の山門

shikoku2009-111-2955
浄土寺の本堂

shikoku2009-111-2956
浄土寺を参拝

shikoku2009-111-2957
第45番の地蔵堂

shikoku2009-111-2958
殿川ダム

shikoku2009-111-2960
第44番の湯船山

shikoku2009-111-2962
湯船の水

shikoku2009-111-2959
湯船の千枚田

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

四国八十八ヵ所めぐり(110)

2009年5月1日

 池田周辺の札所めぐりがつづく。
 第38番の光明寺、第39番の松風庵とめぐり、いったん池田港の岸壁に立ったあと、池田の町並みを見下ろす山上へと登っていく。

 第41番の仏谷山、第42番の西の滝へ。
 仏谷山の本堂と大師堂は洞窟の中。岩屋の中に本尊の薬師如来がまつられいるが、神秘的というよりも、何かおどろおどろしい世界だ。

 西の滝からは池田湾を見下ろすが、瀬戸内海の対岸には五剣山がそそりたっている。本堂から奥の院、山上の護摩堂とまわった。
 第28番、三都半島の薬師堂から、ここ第42番の西の滝までが旧池田町内になる。

shikoku2009-110-2933
2933、第38番・光明寺

shikoku2009-110-2935
2935、第39番の松風庵に到着

shikoku2009-110-2934
2934、松風庵

shikoku2009-110-2937
2937、保谷寺の山門

shikoku2009-110-2938
2938、保谷寺の本堂

shikoku2009-110-2939
2939、保谷寺からの眺め

shikoku2009-110-2942
2942、第41番・仏谷寺

shikoku2009-110-2945
2945、西の滝の参道

shikoku2009-110-2946
2946、西の滝の山門

shikoku2009-110-2951
2956、西の滝の本堂

shikoku2009-110-2948
2948、西の滝の護摩堂を見上げる

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

四国八十八ヵ所めぐり(109)

2009年5月1日(小豆島・その12)

 ひきつづいて池田周辺の札所をめぐる。
 第34番の保寿寺庵を参拝。ここでは本尊の無量寿如来の真言「オンアミリタテイセイカラウン」を3度、唱える。高台に立つ保寿寺庵からは県道250号沿いの家並みを見下ろした。

 県道250号沿いの道の駅「小豆島ふるさと村」でスズキ・アドレスV125Gを停め、コーヒーを飲んでひと息入れたところで、池田の町の中心街に入っていく。池田港にも行く。岸壁には高松行きのフェリーが接岸していた。

 池田を見下ろす山手に登り、第35番の林庵を参拝し、つづいて第36番の釈迦堂と第37番の明王寺を参拝した。
 第36番の釈迦堂と第37番の明王寺は同じ境内にある。明王寺は大きな寺だ。

 釈迦堂には「国宝・釈迦堂」の看板が掲げられているが、ここは室町時代の典型的な建築様式で、国の重要文化財に指定されている。小豆島内の国の重要文化財に指定された建築物はこの釈迦堂だけ。堂内には弘法大師作といい伝えられている釈迦如来坐像がまつられている。

shikoku2009-109-2923
第34番・保寿寺庵

shikoku2009-109-2922
保寿寺庵本尊の真言を唱える

shikoku2009-109-2924
保寿寺庵から見下ろす家並み

shikoku2009-109-2925
県道250号沿いの道の駅「小豆島ふるさと村」

shikoku2009-109-2926
池田港

shikoku2009-109-2927
瀬戸内海の対岸に五剣山を見る

shikoku2009-109-2928
池田の町並みを見下ろす

shikoku2009-109-2929
第35番・林庵

shikoku2009-109-2930
第36番・釈迦堂

shikoku2009-109-2931
第37番・明王寺

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

四国八十八ヵ所めぐり(108)

2009年5月1日(小豆島・その11)

 池田周辺の札所をめぐる。
 第31番の誓願寺では、見事な彫刻がほどこされた鐘楼門の山門をくぐると、本堂前の大蘇鉄が目に飛び込んでくる。樹齢1000年以上といわれているが、主幹の高さは2メートル、根回り6メートルという日本一の大蘇鉄。国の天然記念物に指定されている。

 第32番の愛染寺には真柏の古木がある。これは樹齢900年以上。このような古木があることが、小豆島の寺々の歴史の古さを証明していた。愛染寺では本堂を参拝したあと、奥の院にも足を延ばした。

 第33番の長勝寺は大きな寺。ここには「伝池田八幡本地仏坐像」がまつられている。3体の坐像は頭は仏像だが、首から下は神。日本の神仏混淆を象徴するかのような像なのである。

 これら3番の札所をめぐったあと、「池田の野天桟敷」を見た。
 石垣を段々にして築かれた野天の桟敷で、高さ15メートル、幅200メートルの6~8段の階段になっている。これを見た瞬間、
「おー、インカの遺跡!」
 と思ったほど。アンデス山中のインカの遺跡を連想させるものだった。

 秋祭りの太鼓や神輿の大練りを見物するものといわれているが、小豆島で盛んな農村歌舞伎がここで演じられたのかもしれない。野天桟敷のてっぺんに立つと、池田の町並みや池田港が一望できた。

shikoku2009-108-2909
第31番・近願寺の山門

shikoku2009-108-2910
近願寺の大蘇鉄

shikoku2009-108-2911
近願寺の本堂

shikoku2009-108-2916
愛染寺の鐘

shikoku2009-108-2917
愛染寺の本堂

shikoku2009-108-2918
愛染寺の真柏の古木

shikoku2009-108-2913
愛染寺の奥の院

shikoku2009-108-2914
愛染寺の奥の院から見る家並み

shikoku2009-108-2919
第33番の長勝寺

shikoku2009-108-2920
長勝寺から池田の中心街を望む

shikoku2009-108-2921
池田の野天桟敷

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの焼きもの紀行(9)

海を渡った伊万里を追って(9)

 インドのボンベイに行ってから6年後の1990年、50㏄バイクで「世界一周」したが、そのときトルコのイスタンブールで「古伊万里」を見た。

『50ccバイク世界一周2万5千キロ』(JTB 1992年刊)では、イスタンブールでの「古伊万里」との出会いを次のように書いている。

2700年の都市の歴史
 ボスポラス海峡に面したイスタンブールの歴史は古い。
 紀元前7世紀に、ギリシャ人の植民都市ビザンチウムとして建設されたことにはじまる。それがイスタンブールの都市としての第一歩。今から二千数百年も前のことだ。

 西暦330年には、古代ローマ帝国の皇帝コンスタンチヌスが都をビザンチウムに移し、コンスタンチノポリスと名前を変えた。それがイスタンブールの旧称コンスタンチノープルのもとになっている。

 ローマ帝国の東西分立(395年)以降、1453年まで、イスタンブールは東ローマ帝国の首都。それ以降は、バルカン諸国、アラビア諸国、さらには北アフリカ諸国を含め、当時としては世界でも最大級の領土を支配したオスマントルコの首都となった。東ローマ帝国の旧勢力をこの地から一掃し、名前をコンスタンチノープルからイスタンブールに変え、イスラム文化圏の一大中心地になった。

 1923年にケマル・アタチュルクの革命によって共和国になり、首都はアンカラに移された。だがそれまでの二千数百年間というもの、イスタンブールは欧亜にまたがるこの地域の中心でありつづけ、現在でも人口300万人のトルコ最大の都市である。

 それにしても、「すごいなあ!」と感嘆してしまうのは、日本では考えられないような都市としての歴史の長さだ。

 日本の都市の歴史といえば、東京が500年(太田道灌の江戸城築城が1457年)、大阪が500年(蓮如の石山本願寺建立が1496年)、京都でさえ1200年(桓武天皇の平安京遷都が794年)でしかない。それにひきかえ、イスタンブールの2700年というのは、桁違いの長さだ。

 イスタンブールは、トルコ最大の都市だけあってにぎやか。人の波、車の波であふれかえっている。そんなメインストリートのORDV通りにある「KENT」というホテルに泊った。中級クラスのホテルだが、それでも宿泊費は5万リラ。日本円で2500円ほどだ。ただし、50㏄バイクのスズキ・ハスラーTS50をあずかってもらうためのガレージ代に1万リラを取られたのが痛かった。

 さっそく、町に出る。
 まずは昼飯だ。屋台をみつけ、ヨーグルトつきのピラフを食べ、すぐ近くのチャイハナ(カフェ)でチャイを飲む。水タバコを吸っている人を何人も見かける。

「古伊万里」のコレクション
 イスタンブールはボスポラス海峡南口のヨーロッパ側に位置している。金角湾(角のような形をして奥深くまで切れ込んだ湾。見た目には隅田川ぐらいの幅で、川のように見える)を囲む数個の丘の上に発展した都市。金角湾をはさんで北側が新市街、南側が旧市街になる。

 ということで、金角湾南側の旧市街を歩く。
 さすがにイスラム教文化圏の一大中心地だけあって、歴史の古いモスクがいくつもある。奈良や京都で寺社めぐりをするように、イスタンブールではモスクめぐりをする。

 最初はアヤ・ソフィア寺院。325年にローマ皇帝のコンスタンチヌスによって起工されたこの建物はギリシャ正教の本山だったが、1453年にオスマントルコが支配するようになってからというものイスラム教寺院に変り、今は建物全体が博物館になっている。

 次にスルタン・アフメット・モスク、通称ブルー・モスクに行く。17世紀につくられたモスクで、トルコでは唯一の6本のミナレット(塔)を持っている。なお、6本以上のミナレットというと、聖地メッカにあるカーバ神殿の7本だけである。ミナレットの数はモスクの格を表している。ブルー・モスクの中に入ると、天井一面に貼られたタイルの青さに目が染まりそうだ。

 モスクめぐりのあとはトプカピ宮殿。東ローマ帝国を滅ぼし、オスマントルコを打ち立てたメフメット王が、1564年から15年の歳月をかけて造った宮殿だ。それ以降、350年間、オスマントルコの王たちが代々住む宮殿となった。
 1923年のケマル・アタチュルクの革命後は博物館になっている。

 その展示がすごい。ダイヤを無数に散りばめた玉座や数多くの宝石類には目を奪われる。中国製陶磁器の収集も見事なものだ。が、なんと、それに隣り合って「古伊万里」のコーナーもあった。
 日本でもめったに見ることのできないような赤絵の大壷や大皿など、全部で200点あまりの「古伊万里」が展示されていた。

 そこには次のような説明があった。
「このコレクションは17世紀から19世紀にかけて日本から輸出されたもので、九州の有田でつくられました。伊万里焼で知られていますが、有田に近い伊万里港から船積みされたので、その名があります」

 鎖国体制化の江戸時代にあって、磁器の技術を飛躍的に向上させた有田は、17世紀の後半から19世紀にかけて、長崎・出島のオランダ東会社を通してヨーロッパ各地に伊万里焼を盛んに輸出した。当時の日本の、華やかな輸出商品だった。そのような江戸期の「古伊万里」がヨーロッパから、さらには欧亜の接点のイスタンブールまで入ってきていたのだ。

 ヨーロッパの古城などでは、中国製磁器とともに、「古伊万里」の装飾用の壷を飾っているところもある。
 有田の九州陶磁文化館や足利の栗田美術館にはまとまった「古伊万里」のコレクションがあるが、世界中を探しても、トプカピ宮殿ほどの「古伊万里」のコレクションはないだろう。あらためてオスマントルコの力のすごさを感じてしまう。

 薄暗い宮殿内を出、見晴らし台に立つと、目の前には真っ青なボスポラス海峡が広がっている。1隻の大型船が黒海から地中海へと進んでいく。海峡の対岸はアジア側のウスクダルの町並み。

 そんな欧亜を分ける海峡の風景を見ていると、たまらない気分になってくる。アジアの東端の日本と、アジアの西端のトルコ。その両者のつながりに思いを馳せる。

「古伊万里」は、はるか遠く喜望峰を越え、ヨーロッパ経由の「海上の道」でイスタンブールに入ってきた。このイスタンブールこそ、「陸上の道」シルクロードの終着点だった。いつの日か、シルクロードの全域を踏破してみたいぼくにとって、トプカピ宮殿から見下ろすボスポラス海峡は何とも刺激的で、
「また、きっと来るからな!」
 といった熱い思いで、海峡の風景を目の底に焼きつけるのだった。

 それから16年後の2006年、400㏄バイクのスズキDR-Z400Sで東京を出発し、神戸港から中国船に乗って天津に上陸。西安を出発点にし、イスタンブールへとシルクロードを横断した。2006年のときもイスタンブールの町を歩きまわり、トプカピ宮殿で同じように「古伊万里」を見た。(了)

yakimono-9-5656
トプカピ宮殿から見るボスポラス海峡。対岸はアジア側のウスクダルの町並み

yakimono-9-5650
トプカピ宮殿の「古伊万里」

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

海道をゆく(21)「紀伊半島編」

(『ツーリングGO!GO!』2005年9月号 所収)

(紀伊半島・海道ルートを走る)
 出発点は伊勢道の勢和多気IC。高速を下りると、紀伊半島一周ルートのR42を南下した。荷阪峠を越え紀伊に入る。そのとたんに太陽の光が強くなった。

 峠下の紀伊長島から海岸線を行く。「尾鷲-熊野市」間のR42は内陸ルートになるので、その間は海沿いのR311を行った。熊野市からふたたびR42。熊野川の河口を渡ると和歌山県の新宮だ。那智、勝浦、太地と通り、串本へ。そこからは紀伊大島と本州最南端の潮岬に寄り道した。

 串本から田辺へ。田辺では白浜温泉に立ち寄り、御坊へ。御坊でいったんR42を離れ、紀伊半島最西端の日ノ岬に立ち、そこから県道24号→23号→20号で有田へ。この海沿いの県道ルートがすごくよかった。有田から和歌山まではR42を走った。

(紀伊半島・山岳ルートを走る)
 和歌山からR24で奈良県の五條まで行き、そこから紀伊半島縦断ルートのR168を南下。天辻峠を越え、十津川沿いに下った。

 紀伊半島屈指の名瀑、笹ノ滝に寄り道したあと、十津川村の温泉地温泉、十津川温泉、上湯温泉と3湯をめぐった。奈良県から和歌山県に入り、熊野本宮大社に参拝したあとは、本宮温泉郷の湯の峰温泉、渡瀬温泉、川湯温泉の3湯をめぐった。こうして熊野川沿いに新宮へと下った。途中、志古ではウォータージェット船に乗り、瀞峡めぐりをした。

 新宮からR42で熊野市まで行くと、そこから紀伊半島縦断の第2弾目を開始。R42→R309→R169で北山川沿いに伯母峰峠に向かっていく。伯母峰峠のトンネルを抜け出たところで大台ヶ原まで行き、樹林の中を歩いた。R169に戻ると、今度は吉野川沿いに下り、吉野山と大峰山登山口の洞川まで行った。そして五條に戻った。ここからはR24→R370→R169→R370→県道16号→R166→R368という紀伊半島横断ルートを走り、伊勢道の勢和多気ICに出た。

(一言コメント)※写真は割愛
01、勢和多気IC 紀伊半島への玄関口
02、荷坂峠 紀伊と伊勢の国境の峠
03、道の駅「紀伊長島マンボウ」 マンボウの串焼き
04、R311 「尾鷲-熊野」間はきらめく海道!
05、九鬼 「九鬼水軍」の根拠地
06、鬼ヶ城 奇岩洞窟と千畳敷
07、獅子岩 高さ25mの獅子が熊野灘に向かって吠える
08、七里御浜 熊野から新宮まで砂浜海岸が続く
09、道の駅「紀宝町ウミガメ公園」 目の前の井田海岸でウミガメが産卵
10、熊野川河口 紀伊半島の大河、ここより熊野灘に流れ出る
11、熊野速玉大社 「熊野三山」のひとつ
12、神倉神社 538段の急な石段。社殿からは新宮を一望!
13、「浮島の森」 浮島の上はジャングル!
14、「徐福公園」 公園内には徐福の墓。新宮は「徐福伝説」の地
15、補陀落山寺 「補陀落渡海」の寺
16、那智の滝 日本一の名瀑
17、熊野那智大社 「熊野三山」のひとつ
18、青岸渡寺 ここは「西国三十三番」の1番札所
19、太地 かつての日本の捕鯨基地
20、国民宿舎「白鯨」 クジラのフルコースが食べられる
21、古座川河口 紀伊半島の海道の絶景地
22、古座川の一枚岩 ここは「日本のエアーズロック」
23、橋杭岩 南紀のシンボル。海岸には大小40もの奇岩
24、串本温泉 本州最南の温泉。共同湯の「サンゴの湯」
25、堅野崎 岬には日本最古の石造り灯台
26、海金剛 紀伊大島一番の海岸美!
27、潮岬 本州最南端の岬。広々した園地
28、白浜温泉 海岸の露天風呂「崎の湯」は超魅力!
29、田辺 熊野街道の大辺路と中辺路はここで分岐
30、日ノ岬 紀伊半島最西端の岬
31、白崎 紀伊水道に突き出た白い岬
32、和歌山城 和歌山は紀伊54万石の城下町
33、日前宮 紀伊の一の宮
34、紀ノ川 紀伊の「母なる流れ」。大和では吉野川になる
35、加太 古くからの港。友ヶ島への船が出る
36、淡島神社 境内をうめつくす人形
37、田倉崎 目の前には友ヶ島。夕日がすばらしい!
38、高野山 空海が開山。真言宗の総本山の金剛峰寺
39、紀見峠 紀伊と河内の国境の峠
40、五條 R168で新宮へ
41、天辻峠 R168の峠。峠を越えると十津川の深い谷
42、谷瀬の吊り橋 十津川をまたぐ長さ297mの吊り橋
43、笹の滝 駐車場から徒歩10分。豪快な滝
44、湯泉地温泉 共同浴場の「泉湯」
45、十津川温泉 共同浴場の「庵の湯」
46、上湯温泉 渓流沿いに露天風呂
47、熊野本宮大社 「熊野三山」の中心。ここは全国の熊野神社の総本社
48、湯の峰温泉 日本最古の歴史を誇る名湯
49、渡瀬温泉 西日本最大の露天風呂
50、川湯温泉 河畔に共同浴場。冬期間は川原に仙人風呂
51、瀞峡 紀伊半島屈指の峡谷美
52、志古 瀞峡のウォータージェット船が出る
53、雲取温泉 山間の1軒宿の温泉。白濁色の湯がいい!
54、伯母峰峠 大台ヶ原への入口
55、吉野山 金峯山寺前で吉野葛三昧
56、ニホンオオカミの像 捕獲された日本最後の狼像
57、高見峠 高見山近くのR166の峠
58、月出露頭 中央構造線の露頭

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

四国八十八ヵ所めぐり(107)

2009年5月1日(小豆島・その10)

 草壁の「高橋旅館」の朝食を食べ、7時30分に出発。「さー、アドレスよ、今日も頼むぞ!」とひと声かけて走り出す。

 まずは草壁港へ。高松行きフェリーのわきにアドレスを停めて記念撮影だ。
 草壁からは島国道の国道435号を西に走り、小豆島町の旧内海町から旧池田町へと入っていく。「小豆島八十八ヵ所」のうち、前日まわった第1番から第27番までは旧内海町内の札所だが、第28番から第48番までは旧池田町内の札所になる。

 国道を左折し、三都半島に入っていく。半島東岸の道を南下し、小豆島最南端の地蔵崎を目指す。その途中の長崎には延長200メートル、幅60センチ、最も高いところで高さが1・6メートルという土づくりのしし垣が残っている。ミニ版「万里の長城」といったところだ。

 江戸時代の中期に築かれたもので、島内のしし垣は総延長で120キロにも達したという。ここでは人間とイノシシの壮絶な戦いの歴史を垣間見ることができる。

 第28番の薬師庵を参拝し、最南端の地蔵崎に立つ。対岸は四国本土最北端の竹居岬。五剣山がよく見える。その右手には屋島がうっすら霞んで見えている。岬の沖合いを高松行きのフェリーが通っていく。四国本土との間は「海の銀座通り」。大小の船が次々に通過していく。

 ところで地蔵崎が小豆島最南端といったが、厳密にいうとその西側にある岬、釈迦ヶ鼻がほんとうの最南端の地。そこには園地があり、小公園になっている。

 地蔵崎からは三都半島西岸の道を北上。第29番の風穴庵、第30番の正法寺を参拝した。山の中腹にある風穴庵からは神ノ浦を見下ろした。風光明媚な地にある庵。山中を抜け出たあたりにある正法寺は行基の開基だといい伝えられている。本尊は大日如来。本堂の前で大如来の真言「オンアビラウンケンバサラダトバン」を3度、唱えた。

shikoku2009-107-2892
「高橋旅館」の朝食

shikoku2009-107-2893
草壁港

shikoku2009-107-2894
三都半島東岸の道を南下

shikoku2009-107-2897
地蔵崎の沖合いをフェリーが行く

shikoku2009-107-2898
地蔵崎の灯台

shikoku2009-107-2900
釈迦ヶ鼻の園地

shikoku2009-107-2902
第29番の風穴庵に到着

shikoku2009-107-2903
風穴庵を参拝

shikoku2009-107-2904
風穴庵から神ノ浦を見下ろす

shikoku2009-107-2905
三都半島西岸の道を北上

shikoku2009-107-2907
第30番・正法寺の山門

shikoku2009-107-2908
正法寺の本堂

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

四国八十八ヵ所めぐり(106)

2009年4月30日(小豆島・その9)

「小豆島八十八ヵ所」の第26番・阿弥陀寺と第27番・桜ノ庵をめぐる。
 阿弥陀寺では山門の鐘楼門をくぐり、本堂を参拝。
 桜ノ庵の本尊は十一面観音だが、その真言が奉納されている。これはほとんどの札所でも同様に奉納されていることだが…。

「オンマカキャロニキャソワカ」
 と、十一面観音の真言を3度、唱えた。

 この阿弥陀寺、桜ノ庵の近くには小豆島ならではの「オリーブ園」がある。
 道の駅「小豆島オリーブ公園」もある。公園内には「オリーブ記念館」(無料)。ここではギリシャ、ローマ時代のオリーブづくりを模型で展示している。小豆島はギリシャのミロス島と姉妹島になっているが、ミロス島といえばあの「ミロのヴィーナス」が発見された島。そんなミロス島の紹介もしている。芝生広場にはギリシャ風車もある。

「サン・オリーブ」の3階には小豆島オリーブ温泉「サン・オリーブの湯」(入浴料700円)。瀬戸内海を一望する総ガラス張の大浴場。歩行浴や寝湯、打たせ湯、露天風呂など全部で8種の温泉浴を楽しめる。

 草壁に戻ると、「高橋旅館」に泊った。
 ここの夕食がよかった。タイ、ヒラメの刺身、ハマチの焼き魚、煮魚、天ぷら、さらには牛のタタキ、豚鍋…と食べきれないほど。これで1泊2食8000円!

shikoku2009-106-2880
第26番・阿弥陀寺の山門

shikoku2009-106-2881
阿弥陀寺の本堂

shikoku2009-106-2882
第27番・桜ノ庵

shikoku2009-106-2883
桜ノ庵を参拝

shikoku2009-106-2884
桜ノ庵の本尊、十一面観音の真言

shikoku2009-106-2887
オリーブ園

shikoku2009-106-2886
オリーブの木

shikoku2009-106-2888
夕日が落ちていく

shikoku2009-106-2889
夕日に染まる内海湾

shikoku2009-106-2890
草壁の「高橋旅館」

shikoku2009-106-2891
「高橋旅館」の夕食

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

最近の記事
月別アーカイブ
小さな天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
QRコード
QRコード