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カソリの島旅(49)因島&生口島(広島)

(『ジパングツーリング』2002年3月号 所収)

 尾道は瀬戸内海の島巡りの拠点には最適のところだ。
「しまなみ海道」の開通以前の尾道の駅前桟橋はすごかった。ここからは対岸の向島や因島、生口島、大三島、伯方島、大島といった芸予諸島の島々のみならず、四国本土の今治や松山に行く連絡船がまるで大きなバスターミナルからバスが発着するように、ひんぱんに出入りしていた。

 駅前桟橋の待合室といったら、JR尾道駅のそれよりも、はるかに大きなものだった。 待合室に座っていると、いろいろな島の話しが聞こえてきた。

 壁に貼られた航路図を見ると尾道と今治の間は芸予諸島の島々によってびっしりと埋め尽くされ、その間を航路を示す色とりどりの線が複雑にからみあって引かれていた。
 瀬戸内海の島への夢を猛烈にかきたてられる尾道だった。

「さー、行くゾ!」
 と、スズキSMX50にひと声かけて、そんな尾道駅前を出発。
 芸予諸島の島巡りの開始だ。

 尾道大橋(50円)で向島に渡り、しまなみ海道の因島大橋(50円)で因島に渡る。自動車専用のレーンの下段に歩行者、自転車、原付専用のレーンがあるのだが、料金は出口の料金箱に入れるようになっている。

 因島の国民宿舎「いんのしまロッジ」でひと晩、泊まった。夕食がよかった。タイとハマチの刺し身、サワラのたたき、カニ&タコの鍋、それに揚げたてのエビとカキのフライが出た。

 翌朝、因島から生口島に渡る。
 しまなみ海道の生口橋でも渡れるが、フェリーの方がおもしろいので、金山港から三光汽船のフェリー「第三いんのしま」に乗った。1日38便、ほぼ20分おきに出ている。料金もバイクともで125円と安い。所要時間は5分だ。

 生口島の赤崎港に上陸。“島国道”の国道317号を南下。芸予諸島の生名島、磐城島、伯方島と愛媛県側の島々を見ながら走る。島の南端までいくと、しまなみ海道の多々羅大橋でつながった大三島が見えてくる。大三島も愛媛県の島。これら愛媛県側の島々は「四国編」のときにまわる予定だ。

 島の西側にまわり込み“西の日光”ともいわれる耕三寺を参拝。朱塗りの五重塔、日光の陽明門風の孝養門、堂々とした本堂と見てまわったが、入場料の1000円は高い。
「生口島一周」を終え、フェリーで因島に戻った。

 金山港に戻ると、そこから時計回りで因島を一周。
 さきほどの“島国道”の国道317号を行く。しまなみ海道の生口橋の下をくぐり抜け、国道と別れ、海沿いの県道366号を行く。佐木島、小細島、細島と見ながら走り、島の北端で国道317号と合流。この地点がかつてのフェリー乗り場。今はしまなみ海道の因島大橋がそれにとってかわっている。

 その因島大橋の下をくぐり抜ける。本土側を走っているときは、橋というのはたいして気にならないが、本土と島を結ぶ橋、島と島を結ぶ橋というのはものすごく意識するし、心にも残る。

 因島を横断する国道317号と再度、別れ、海沿いの県道366号を南下。
「村上水軍」にちなんで「因島水軍ライン」と名づけられた県道366号からは百島、田島、横島がよく見える。

 さらに南下し、因島の南端までくると、狭い水道をはさんで弓削島、佐島、生名島、岩城島などの島々を見る。これらはすべて愛媛県の島。まさに芸予諸島どおりの光景で、広島県の安芸と愛媛県の伊予の国境にまたがるこの一帯は島また島、多島海の風景なのである。

「因島一周」の出発点、金山港に戻ると、今度は島の中央部を北上。島とは思えない長いトンネルの大山トンネル(704m)を走り抜け、中庄へ。そこに「因島水軍城」(310円)がある。

 因島といえば瀬戸内海を牛耳った「村上水軍」の島。そこには村上家に伝わる鎧・兜や古文書などが展示されている。「村上水軍」の主力艦だった大阿武船の精巧な模型が目についた。
 因島からは因島大橋で向島に渡り、向島からは尾道大橋で尾道に戻った。

 尾道では国道2号のすぐわきが乗り場になっている「千光寺山ロープウエイ」(往復440円)で千光山の山頂展望台まで行く。
 そこからの眺めは絶景!

 尾道の市街地と対岸の向島の間は大河を思わせるような尾道水道。瀬戸内海に浮かぶ島々はまるで山脈の山々が連なっているかのように見えた。
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四国八十八ヵ所めぐり(135)

2009年5月6日(徳島→京都・その2)

 高野山西口の大門を過ぎて、山上の宗教都市、高野山に入っていく。
 真言宗の総本山、金剛峯寺前の駐車場にアドレスを止める。
 空海(弘法大師)によって開かれた金剛峯寺の参拝。それを終えると、根本大塔、金堂、御影堂、西塔とまわった。

 その中でも根本大塔は高野山のシンボルといっていい。この塔は真言密教の宝塔すなわち大日如来塔なのである。

 弘法大師の壮大な構想によって造りはじめた根本大塔だが、その完成は大師以後のことになる。完成後は何度となく焼け落ち、現在の塔は6代目で、昭和9年に再建されたものだという。

 根本大塔の案内板には次のように書かれている。
「この塔は高野山を象徴する八葉蓮華として山々の巾台になぞらえられる。即ち高野山の教理上の中心として大日如来を象徴するものである。方形の初層に裳層(もこし)をつけ、覆鉢の上に屋蓋を重ねた一層塔である。塔内の五仏のうち中尊が胎蔵界大日如来、四仏は金剛界の阿閃・宝生・弥陀・釈迦の四仏で、それによって胎金両部不二の深義をあらわす。このようにこの塔は絶対仏大日如来のシンボルであり、高野山の教理上の中心である」

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山上の宗教都市、高野山

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高野山の案内板

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金剛峯寺の参道

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金剛峯寺の本堂

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金剛峯寺のお接待

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金剛峯寺の石庭

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根本大塔の参道

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根本大塔

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金堂

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御影堂

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西塔

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ジャンル : 車・バイク

四国八十八ヵ所めぐり(134)

2009年5月6日(徳島→京都・その1)

 5時30分、徳島駅前の「東横イン」を出発し、徳島港へ。和歌山港行きの南海フェリー「かつらぎ」に乗船。5時55分に出港。甲板から離れゆく徳島港、離れゆく四国を眺めた。
「さらば、四国よ。またな!」

「おにぎり&お茶」の朝食を食べると、1時間以上、何とも気持ちの良い朝寝。目が覚めると、フェリーは和歌山港に近づいていた。
 7時55分、和歌山港に到着。和歌山からは国道24号で高野口へ。紀ノ川を渡り、高野山を目指して登っていく。

「四国八十八ヵ所めぐり」を終えたら、最後に高野山の奥の院を参拝することになっている。高野山に来ないことには、「四国八十八ヵ所めぐり」は終らないのだ。

 高野山こそ弘法大師の聖地。ここは大師入定の地で、大師はこの地でいまだに生きつづけていると信じられている。

 新緑の高野山への道を登りつづけ、南海の高野山駅に立ち寄り、そして大門に到達。見上げるほどの巨大な山門。仁王像が立ち尽くす仁王門だ。ここは高野山の西の入口。ここから山上の宗教都市、高野山がはじまる。

 大門は元禄元年(1688年)に炎上し、宝永2年(1705年)に再建された。それが今のものだという。
 大門を見上げていると、空海が青春の日々を過ごした唐の都、長安が連想された。
「シルクロード横断」(2006年)の出発点となった西安の町並みが、まぶたに浮かんでくるのだった。

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早朝の「東横イン徳島駅前」を出発

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フェリーに乗船。離れゆく徳島港

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朝食の「おにぎり&お茶」

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和歌山港に上陸

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高野口を流れる紀ノ川

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高野山を登っていく

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南海の高野山駅

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高野山の大門

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大門の仁王像

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四国八十八ヵ所めぐり(133)

2009年5月5日(脇町→徳島・その2)

 阿南からは国道195号で高知に向かっていく。那賀川の清流を見ながら走る。じつにきれいな流れ。あまりの渓流美にアドレスを何度か、止めた。

 県境の四ツ足峠(トンネル)を越え、高知県に入る。
 峠下のべふ峡温泉(入浴料600円)の湯に入っていく。まわりの山々の緑を眺めながらゆったり気分で湯につかった。

 さっぱりした気分で大栃へ。山上の集落をいくつも見る。ここでは谷間ではなく、山上の世界が生活の舞台になっている。

 土佐山田(香美市)、後免(南国市)と通り、17時、高知に到着。連日の高知。
 高知の中心のはりまや橋から高知駅前まで行った。

 さー、ここからが勝負だ。
「行くぞ!」
 高知から高松へと四国を縦断し、さらに徳島まで行くつもりなのだ。はたしてうまくいくかどうか…。

 17時15分、高知駅前を出発。国道32号で高松を目指す。根曳峠を越え、大歩危を通り、池田までは前日と同じコース。池田着は18時45分。

 池田から吉野川を渡り、県境の猪ノ鼻峠(トンネル)を越えて香川県に入る。琴平を通り、高松に到着したのは20時。

 高松から国道11号で徳島に向かう。途中、志度で夕食。チェーンのうどん店「はなまる」で天ぷらつきの「ぶっかけうどん」(850円)を食べた。

 疲れきった体にムチ打って、さらに夜の国道11号を走る。香川・徳島の県境を越え、鳴門を通り、24時、日付の変る前に徳島駅前に到着した。
「やったね!」
 第2弾目の「徳島→徳島」は445キロ。
 今日一日では525キロを走った。

 今回の「四国八十八ヵ所めぐり」では最高の走行距離だ。目いっぱい走ったという満足感のおかげで、疲れも吹っ飛んだ。

 徳島駅前の「東横イン」に泊ったが、「1日525キロ」のおかげで快眠をむさぼった。ぼくはバイクに乗ると、1キロでも多く走りたいのである。

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那賀川の渓谷を行く

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那賀川沿いに走る国道195号

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四ツ足峠のトンネル

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べふ峡温泉

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べふ峡温泉の大浴場

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大栃の山上の集落

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高知は市電の走る町

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高知の中心のはりまや橋

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高知を出発。いざ、高松へ!

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志度の「はなまる」で夕食

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夕食は「ぶっかけうどん」&「天ぷら」

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徳島駅前に到着!

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四国八十八ヵ所めぐり(132)

2009年5月5日(脇町→徳島・その1)

 ビジネスホテル「マツカ」の朝食を食べ、8時、脇町を出発。まずは国道193号で徳島・香川県境まで行き、そこで折り返した。

 脇町に戻ると次に阿波の名所、「土柱」に行き、歩いて見てまわる。ふたたび脇町に戻ると、アドレスを停め、古い家並みを歩いた。このようにバイクを停めて、ちょっと歩いてみるのはすごくいいバイク旅の方法だ。

 脇町からは国道192号で吉野川沿いに走り、10時、徳島に到着。
 これで第1弾目の「徳島→徳島」、終了。「四国横断」の往復は833キロになった。 徳島駅前を出発点にしての「徳島→徳島」の第2弾目に出発。

 徳島から国道55号を南下し、阿南へ。まずは四国本土最東端の蒲生田岬を目指す。
 阿南の市街地を走り抜けたところで国道55号を左折し、県道26号→県道200号を経由して岬の突端へ。遊歩道を歩き、石段を登ると岬の展望台。そこには白い灯台が建っている。岬のさらに先には岩礁がつづく。四国最東端の伊島が見える。この島には阿南の橘港から連絡船が出ている。天気は悪く、雨雲が垂れ込めているので、紀伊水道対岸の紀伊半島はまったく見えなかった。

 蒲生田岬からは来た道を引き返し、岬近くの船瀬温泉(入浴料500円)の湯に入る。大浴場と露天風呂。露天のうたせ湯もある。露天風呂はショウブ湯で季節を感じさせた。湯から上がると昼食。うどんつきの「にぎり寿司セット」(1300円)を食べた。

 こうして船瀬温泉でひと息入れ、阿南に戻ったが、阿南からは国道195号で高知に向かう。アドレスで四国を縦横無尽に走りまくってやるのだ。

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3339、ビジネスホテル「マツカ」の朝食

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3340、国道193号の徳島・香川県境

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3341、「土柱」の案内板

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3343、これが阿波の土柱!

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3344、脇町の古い町並み

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3346、吉野川の流れ

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3348、徳島駅前を出発

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3349、四国本土最東端の蒲生田岬

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3350、蒲生田岬の灯台

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3351、蒲生田岬先端の岩礁

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3352、四国最東端の伊島

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3354、蒲生田岬の緑のトンネル

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3355、蒲生田岬から眺める阿南の海岸線

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3357、船瀬温泉

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3358、昼食の「にぎり寿司セット」

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日本列島岬めぐり:第47回 大王崎(だいおうざき・三重)

(共同通信配信 1990年)

 志摩半島東南端の大王崎には、近鉄の鵜方駅前から海沿いの道を南下して向かった。
 その途中、志島という集落を通った。ここは我がなつかしの地!

 志摩といえば海女漁の本場だが、何年か前の夏、ここの海女たちに漁に連れていってもらったことがある。船に乗って沖に出ると、海女さんたちは耳に栓をし、水中眼鏡をかけた。チューブの浮き輪に網をつけた「タンポ」を海に投げ入れ、鉄製のカギを持って海に飛び込んだ。

 アワビやサザエをつかんで浮かび上がってくると、腰に巻いた綱と結んだタンポにそれを入れ、「アーフッ」と大きな声を出したり、「ヒューッ」と口笛を吹くようにして息を整え、また海に潜っていった。
 そんなシーンが目に浮かんでくる。

 熊野灘と遠州灘を分けて突き出た岬、大王崎に到着。岬周辺の地名は波切(なきり)。何ともうまい地名のつけ方なのだろうと感心してしまう。
 熊野灘と遠州灘は、ともに船乗りに恐れられた難所。その2つの海の荒波を切り分ける所が波切なのである。

 江戸時代の波切港は江戸と上方間の風待港として、また海が荒れたときの避難港としてにぎわった。この港には米や酒樽、塩、材木、ミカンなどを積んだ船が頻繁に出入りした。

 大王崎は「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」
 と、歌にまで歌われた。ちなみに神前(こうざき)とは二見ヶ浦近くの神前岬、鎧とは国崎(くさき)の鎧崎のことで、波切の大王崎と合わせ、このあたりの海の三大難所になっていた。

 土産物屋がずらりと並ぶ小道を歩き、岬の灯台へ。断崖を見下ろし、その向こうに広がる太平洋の大海原を眺めた。

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灯台から見下ろす岬突端の岩礁

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日本列島岬めぐり:第46回 潮岬(しおのみさき・和歌山)

(共同通信配信 1990年)

「ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ巡航船…」
 と、ついつい口ずさんでみたくなる「串本節」の串本から、本州最南端の岬、潮岬に向かった。

 岬への道沿いには点々と集落があるが、家々の周りや畑の周りの防風林が目につく。潮岬は室戸岬と並ぶ「台風銀座」なのだ。

 岬周辺の旧潮岬村は、移民の盛んな村としても知られている。明治17年のオーストラリア・木曜島への移民を皮切りに、ジャワ島、フィリピン、ブラジル、ハワイと、戦前までに500人以上の村人たちが海を越えて移り住んでいった。
 なかでもオーストラリアへの移民が一番多かった。その大半は木曜島への移民で、アラフラ海で真珠貝を採った。

 昭和9年には直接アラフラ海に出漁するようになり、それ以降、村は「アラフラ景気」に沸いた。昭和13年にはアラフラ船団のうち2隻が遭難し、死者40人という大惨事が起きた。それにもかかわらず、アラフラ海への出漁は昭和36年までつづいたという。

 岬の先端には白亜の灯台。慶応2年(1866年)、欧米4ヵ国と結んだ江戸条約で全国8ヵ所に灯台が設置されることになり、潮岬と大島の樫野崎に建設された。この地に2つもできたのである。

 樫野崎灯台は明治3年の完成で、日本最古の石造灯台になっている。潮岬灯台は明治5年の完成。最初は木造だったが、明治11年に現在の石造りになった。

 潮岬灯台に登った。黒潮洗う岬周辺の海は、目のさめるような青さ。サンサンと降り注ぐ日の光は、肌を焼くほどの強さだった。

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本州最南端の潮岬

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四国八十八ヵ所めぐり(131)

2009年5月4日(宿毛→脇町・その2)

 四万十川河口の下田港を出発。四万十川下流に沿って県道20号を走り、中村へ。そこからは国道56号で高知に向かう。その途中では井ノ岬に立ち寄り、井ノ岬温泉(入浴料600円)の湯に入った。

 高知に到着すると高知城を歩く。堂々とした門構えの追手門から城内に入った。石段を登り天守閣へ。汗をかいたところで食べるアイスキャンデー風アイスクリームの「アイスクリン」(200円)が体にしみた。

 高知からは国道32号で池田(三好市)に向かう。
 根曳峠を越えると、「四国三郎」の吉野川の世界。大豊を過ぎたところで、国道の脇にアドレスを停めて小休止。そのときのことである。通り過ぎていった車がUターンして戻ってきた。かわいらしい女性の乗った車でカソリ、思わずにっこり。その女性は京都のバイクショップ、「レオタニモト」の小森詠子さん。

「四国八十八ヵ所めぐり」の出発点は京都だが、その前に何軒かのバイクショップに寄らせてもらった。「レオタニモト」はそのうちの一軒だった。

 小森さんのほかにお友達の本井さん、井上さんが一緒だったが、国道脇のしばしの談笑にすごく元気が出た。小森さんの乗った車を見送ると、アドレスも発車!

 高知・徳島県境の大歩危を通っていく。ここはすごいところで、四国の中央分水嶺の四国山脈を吉野川がブチ破っている現場なのだ。本来、吉野川は土佐湾(太平洋)に流れ出ていく川なのだ。このような例はほかには中国山地をつき破って日本海に流れ出る江ノ川しかない。

 大歩危・小歩危の名勝を見ながら走り池田へ。ここで夕食。といっても国道沿いの「サンクス」の「チキン南蛮弁当」。

 池田からは国道192号で吉野川沿いに走る。
 一気に徳島まで行くつもりだったが、ドドドドドッと眠気に襲われ、もう疲労困憊といった状態だったので、途中の脇町で泊った。ビジネスホテル「マツカ」に泊ったのだが、ベッドに横になるやいなやの速攻寝で、あっというまに深い眠りに落ちていった。これがカソリの「3秒寝」だ。

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下田港

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四万十川下流

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井ノ岬を望む

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井ノ岬温泉

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井ノ岬突端の岩場

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高知城の追手門

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天守閣への道

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高知名物の「アイスクリン」

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高知城

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国道32号の根曳峠

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四国山中を貫く国道32号

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高知・徳島の県境

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大歩危

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池田での夕食

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ジャンル : 車・バイク

四国八十八ヵ所めぐり(130)写真つづき

2009年5月4日(宿毛→脇町・その1)

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足摺岬突端への小道

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足摺岬の県道20号

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中村駅前に到着

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下田の食堂「奴」

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昼食の「刺身定食」

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四万十川河口の下田

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太平洋に流れ出ていく四万十川 

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四国八十八ヵ所めぐり(130)

2009年5月4日(宿毛→脇町・その1)

「ホテルあさひ」の朝食を食べ、8時、宿毛を出発。朝から雨が降っている。土佐くろしお鉄道の終着、宿毛駅前から走り出した。

 海沿いの国道321号で土佐清水へ。その途中では叶崎に立った。岬の突端には白い灯台。そこからは四国最南端の足摺岬がよく見えた。

 土佐清水からは小半島に入り、突端の足摺岬まで海沿いのルートの県道27号を行く。その途中の中浜は「ジョン万次郎」の生まれ故郷だ。

 足摺岬に到着。「四国八十八ヵ所」第38番札所の金剛福寺を参拝し、岬への小道を歩いていく。その入口にはジョン万次郎の大きな銅像が建っている。展望台に立ち、岬を一望。そのあと椿のトンネルを抜け、灯台前から岬突端の断崖上に立った。黒潮の洗う足摺岬、ここが四国最南端の地だ。

 足摺岬をあとにし、県道27号でぐるりと半島を一周し、国道321号に出た。
 国道321号で中村(四万十市)へ。四万十川下流の堤防上の道を走り、国道56号に合流。四万十川にかかる渡川大橋で中村の市街地に入っていく。土佐くろしお鉄道の中村駅前でアドレスを停めた。ありがたいことに雨は上がった。

「さ、行くぞ!」
 アドレスにひと声かけ、四万十川左岸の県道20号で河口の下田港に向かう。

 下田に到着すると、食堂「奴」で「刺身定食」(800円)を食べ、河口に向かって歩いていく。うず高く積もった砂利の上を歩いていく。

 四万十川の河口は堆積した砂利が砂嘴のように伸び、河口をふさいでいるので信られないほどの幅の狭さ。その幅狭い河口を通り抜けて、四万十川は太平洋へと流れ出ていく。昨夕の国道439号の矢筈峠はその源流、不入山近くの峠。

「昨日は源流、今日は河口!」
 こうして今、その河口に立っていることに感動してしまうのだった。

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宿毛の朝食

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雨の出発

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叶崎

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叶崎の灯台

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叶崎から見る足摺岬

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土佐清水港

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ジョン万次郎の故郷、中浜

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足摺岬

(※写真パート、つづきます)

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四国八十八ヵ所めぐり(129)

2009年5月3日(高松→宿毛・その2)

 徳島駅前を出発。スズキのバイクショップ「SBSブルースカイ」に寄ったあと、四国の名物国道、国道439号で高知県の中村(四万十市)に向かう。アドレスでの四国横断だ。国道439号は途中、見ノ越までは国道438号と重複している。

 徳島の市街地を抜け出ると、あっというまに山中に入っていく。道幅も狭くなる。谷間を走り、やがて最初の峠、川井峠に到達。そこからは正面に四国第2の高峰、剣山が見えた。
 
 次の峠は見ノ越。峠までは急カーブの連続する峠道。峠はトンネルで貫かれている。峠のトンネルを抜け出たところが剣山の登山口だ。

 ここで国道438号と分れ、日本の秘境祖谷を走り、3つ目の峠、京柱峠へ。林道のような狭路を登り、徳島・高知県境の京柱峠に到達。絶景峠で特に高知県側の眺めがすばらしい。
 京柱峠を下り、国道32号に合流し、大豊へ。そこで昼食。店でパンを買って食べた。

 大豊で国道32号と分れ、吉野川上流に沿って走る。高知県内も峠越えの連続で、郷ノ峰峠(トンネル)を越えて仁淀川の水系に入り、大峠(トンネル)を越え、矢筈峠(トンネル)を越えて四万十川の水系に入っていく。

 最後はナイトランで杓子峠を越え、徳島から346キロ走って中村(四万十市)に到着した。「サンクス」で「野菜カレー」の弁当を食べ、さらに国道56号を走り、21時、宿毛に到着。ビジネスホテルの「あさひ」に泊った。
 高松から501キロ。
「アドレスよ、よく走ったぞ!」

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徳島駅前を出発

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スズキのバイクショップ「SBSブルースカイ」に寄っていく

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国道438号で四国山中へ

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川井峠に到達

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正面に剣山が見えている

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国道438号から見る四国の山々

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見ノ越のトンネル

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剣山を間近に見る

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舗装林道のような国道439号

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京柱峠に到達

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京柱峠からの眺め

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大豊で昼食

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大峠のトンネル

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国道439号からの眺め

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矢筈峠のトンネルを抜け四万十川の世界に入っていく

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中村での夕食

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの林道紀行(30)東北編(その2)

みちのく5000(2)       
(『バックオフ』2005年8月号 所収)

「さー、東北のダートをガンガン走りまくるぞ!」
 と、カソリ、おおいに吼えまくる。
「林道の狼カソリ」は「みちのくの狼」となって、東北を駆けめぐるのだ。

目標は5000キロを走ること。そのうちダートは1000キロ。
東北を6ブロックに分けたその第1弾目は奥会津だ。
「BO木賊軍団」の面々との、胸踊る再会も待っている。

◇◇◇

 午前4時、東京・渋谷区の「BO」編集部前。DR250Rの“みちのくの狼”カソリと、DJEBEL200のブルダスト瀬戸は、ガッチリ握手をかわす。これからの、北を目指しての、長い旅路の第一歩が今まさにはじまろうとしているのだ。
「ブルダストよ、さー、行くゼ!」
 と、気合を入れ、セル一発、エンジンを始動させ、夜明けの東京を走り出す。

 ツーリング日和の上天気。胸がワクワクしてくる。首都高速から東北道に入っていったが、東の空からはまっ赤な朝日が登る。まるで“みちのく5000”の出発を祝ってくれているかのようだった。
 宇都宮ICから日光宇都宮道路に入り、今市ICで高速道を降り、R121を北に走る。

「林道の前には、まず、温泉だよ」
 と、川治温泉の露天風呂に入り、心身ともにさっぱりさせたところで、R121を離れ奥鬼怒へと入っていく。

 川俣湖にかかる大橋を渡ったところで右折し、馬坂林道へ。“みちのく5000”の記念すべき第1本目の林道。時間は午前9時。ブルダストとガッツポーズで走りはじめる。 水溜まりが連続するダートを走る。新緑が目にしみるほどまぶしい。まるで緑のトンネルの中を走っていくようなものだ。

 右手に川俣湖をながめ、湖が途切れると、渓流沿いに走り、やがて土呂部峠へと登っていく。第1本目の馬坂林道は、ダート19キロだった。

 土呂部峠からは、関東と東北を分ける帝釈山脈の田代山峠を越え、奥会津に通じる田代山林道を行く。ぼくの大好きな林道のひとつだが、この田代山林道の栃木側は、土呂部峠から8キロの地点で大崩落‥‥。

 工事現場の人たちは、
「今年いっぱいは、通れないかもしれないぞ」
 と、“我ら林道派”には辛いことをいってくれる。
「ブルダストよ、みちのくへの道のりは遠いねー」
 と、嘆きながら土呂部峠に戻った。

 峠から湯西川温泉に下る。
 平家の落人伝説の伝わる山間の名湯、湯西川温泉では、無料・混浴の共同浴場の湯に、地元のオバチャンと一緒に入る。

 湯から上がると、名産のソバを食べた。うーん、満足だ!
「よーし、ブルダストよ、今度こそは、絶対に奥会津に入るゾ!」
 と、ダート20キロの安ヶ森林道で帝釈山脈の安ヶ森峠を越え、ついに福島県に入ったのだ。

 第4本目の林道は、R352の旧道で中山峠に登り、そこから入る七ヶ岳林道。眺望抜群。奥会津の山々の稜線近くを縫って走る。
 奥会津の中心、田島に出、第5本目の林道、ダート30キロの大川林道に入っていく。
 男鹿岳の北側の峠を越えていくが、かなりのガレ場があり、駆け落ち風男女の乗ったマーチとすれ違い、カソリ&ブルダスト、ビックリ!
 それほどの路面の状態だ。

 大川林道を走りきって深山湖畔に出、那須温泉郷最奥の板室温泉に一晩、泊まる。
 1日でダート105キロを走破したので、グッタリ。夕食を終えると、死んだように眠った。

 翌朝は板室温泉の「一井屋旅館」で朝風呂に入り、朝食をしっかりと食べてから出発。那須から塩原へと塩那道路を走る。

 ぼくがこの道を初めて走ったのは、今から20年近くも前のこと。完成して間もない時期で、当時は“塩那スカイライン”と呼ばれていた。自衛隊がつくった道で、スカイラインとは名ばかりの、すさまじいばかりのダートが延々とつづいた。岩を崩しただけ‥‥といったダートを跳びはねながら走った。

 当時はガードレールやカーブミラーは一切なく、那須・塩原間の2000メートル近い山並みの稜線を走るので、路肩を踏み外すと、それこそ何百メートルもまっ逆さまに転落ということになりかねなかった。
 塩那スカイラインは関東でも超一級のダートコースだった。
 あれから20年、那須、塩原側ともに舗装が延び、案内板や標識、保安設備ができつつあるが、やはり塩那は塩那、今でもハードなダートがつづいている。

 男鹿岳の南側で稜線上に登ってからが圧巻!
 DRを止めてのぞき込む谷の深さといったらなく、ゾクゾクッと体に震えがくるほど。ダートに入って19キロの地点には、陸上自衛隊第104建設大隊の塩那道路完成記念碑が建っていた。

 43キロのダートを走りきり、塩原へと一気に下る。塩原元湯温泉「元泉館」の湯に入り、長大なダートコースを走った疲れを癒すのだった。
 塩原からは、R400で尾頭峠のトンネルを抜け、上三依に下り、R121で山王峠を越えて奥会津へ。

 ところで、R400の尾頭トンネルは新しいが、峠は古い。
 尾頭峠を越える街道は会津東街道と呼ばれていた。それに対して、R121の山王峠を越える街道は、会津西街道と呼ばれていた。会津側の人たちはといえば、R121を日光街道と呼んでいる。山王峠を境にして、1本の街道が会津街道と日光街道に分かれるのだが、このあたりが峠と街道をめぐるおもしろさだ。

 奥会津に入ったところで、今度はR352を行き、中山峠のトンネルを抜け舘岩村へ。田代山林道に、福島県側から挑戦だ。
 田代山林道の福島県側は、栃木県側よりも、はるかに路面の状態がよく、けっこう高速で走れる。

 田代山峠の峠下の集落、水引を過ぎると、ダートに入っていくが、田代山林道には、何台もの乗用車が乗り入れていた。山菜採りの車だ。このあたりの山々は山菜の宝庫なのだ。

 田代山峠に向かって登っていくと、田代山(1926m)の登山口を通る。そこの駐車場にも、何台もの車が止まっていた。田代山の山頂近くは湿原になっているが、高山植物の宝庫で、この季節はニッコウキスゲやチングルマなどが咲いている。

 水引からダートを15キロ走り、福島・栃木県境の田代山峠に到着。眺望抜群の絶景峠で、しばし峠に立ちつくし、関東と東北を分ける帝釈山脈の山々をながめる。ぼくにとっては思い出深い峠で、あの時、この時と、いくつもの思い出を目に浮かべるのだった。

 田代山林道を下り、奥会津の湯ノ花温泉の共同浴場(入浴料200円)に入り、ダート3キロの唐沢林道で唐沢峠を越え、木賊温泉へ。露天風呂(入浴料200円)に入ったあと、木賊軍団の待つキャンプ地へと急ぐ。木賊軍団というのは、昨年、この地で開かれた“BO林道祭り”に参加した面々のこと。“BO林道祭り”の盛り上がりは大変なもので、夜通し大宴会がつづいたのだ。

 そんな木賊軍団の中の渡辺恒介さん、中田静香さんらが音頭をとって、今回の同窓会をやろうということになった。なつかしのキャンプ地に着いて驚いたのは、同窓会とはいっても、林道祭りのときと変わらない60人近いメンバーが集合したことだ。木賊軍団の結束は固い!

 夜空を焦がして大きな焚き火を燃やし、そのまわりでの大宴会は、いつはてるともなくつづいた。
 翌日は、木賊軍団の面々との辛い別れ。何名かの同志がカソリ&ブルダストの“みちのく5000”に同行してくれるというので、9時30分、名残惜しいキャンプ地を出発。戸板峠を越えるダート12キロの戸板林道を走り、駒止峠から鳥居峠につづくダート11キロの鳥居林道を走った。

 最後は今回2度目の大川林道。ダート30キロを走りきると、全員で板室温泉の湯に入った。
 西那須野塩原ICで東北道に入り東京へ。22時30分、BO編集部着。全行程955キロのうち、4分の1近い234キロがダートだった。


■コラム■
 関東北部から東北にかけては、性器をまつる信仰が盛んだ。     
 男性器は“こんせいさま”といわれ、「金精」とか「金勢」といった漢字が当てられる。栃木・群馬県境の金精峠なども、峠の上の、金精さまをまつる金精神社にその峠名は由来している。東北の温泉地をまわるとすぐにわかることだが、立派な金精さまをまつっている温泉宿が多い。

 このような性器信仰というのは、たんに子宝に恵まれますようにというだけではなく、生殖イコール豊作ということで、五穀豊穣への祈願にもなっている。
 東日本の世界というのは、西日本とは違って、おおらかな性の世界だった。
 東北に混浴の温泉が多いのもその名残り。東日本特有の、そのような背景があつての性器信仰なのだ。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

カソリの「宮本常一研究」(12)

 第7回目でふれた宮本常一先生の奥様が8月5日に亡くなられた。享年97歳。長年にわたって宮本先生を支えられた奥様だった。

 宮本先生ご夫妻には仲人をしていただいたこともあって、奥様には何かとご心配をいただいた。3人の子供たちが産まれるたびに、
「すこやかな成長を祈っていますよ」
 といったお葉書やお手紙をいただいた。

 我が夫婦は結婚してから2年後の1977年6月、生後10ヵ月の長女を連れてアフリカに旅立った。列車でシベリアを横断し、ヨーロッパを南下してアフリカ大陸に渡り、サハラ砂漠を縦断した。

 そんな赤ん坊連れの旅の出発前に、宮本先生のご自宅を訪ねた。
 長女は人一倍人見知りの激しい子だったが、先生の手にかかると泣きもせず、うれしそうにしている。奥様は先生は昔から子供をあやすのがとてもお上手だったといっておられた。

 我々は赤ん坊を長い厳しい旅に連れていくということで、周囲からはずいぶんと反対されたが、宮本先生は違っていた。

 反対するどころか、
「日本と同じようにヨーロッパにもアジアにもアフリカにも子供たちはいる。そこで生まれ、大きく育っているのだから、そう心配することはない。子供のペースに合わせて旅することだ。旅する中で子供を育てていけばいい」
 といって励ましてくださったのだ。

 先生のそのお言葉がどれだけ我々の支えになったことか。
 先生のかたわらでは、奥様が先生のいわれる一言、一言をメモ帳に書きとめておられた。そんな奥様の姿が印象的で、今でもはっきりと目に残っている。

 宮本先生の奥様のご冥福を心より祈っています。

テーマ : 民俗学
ジャンル : 学問・文化・芸術

カソリの島旅(47)田島(広島)

(『ジパングツーリング』2002年2月号 所収)

 鞆ノ浦からは海沿いの県道47号を行く。
 阿伏兎瀬戸越しに田島が見えてくる。内海大橋で本土とつながっている島。その内海大橋を渡って田島に入り、島を反時計回りに一周する。

 田島の北西側は開けている。対岸には本土側の沼隈町の造船所。尾道市に属する百島も目の前に見える。
 この田島と西隣りの横島は、新睦橋でつながっている。この2島を合わせて内海町。2島の間は湖のように波の静かな海。まさに内海だ。
 そこでは養殖漁業が盛んにおこなわれている。

 田島の南東側に出ると、ガラリとその顔を変える。人家はほとんどなくなる。山々が海に迫り、断崖となって海に落ちている。
 大雨に降られながら「田島一周」23キロを走り、内海大橋を渡って本土側に戻った。

テーマ : 国内旅行記
ジャンル : 旅行

四国八十八ヵ所めぐり(128)

2009年5月3日(高松→宿毛・その1)

 早朝の「東横イン高松兵庫町」を出発。高松駅前に立ったあと、高松城を散策。早朝から城内を散歩する人たちの姿が見られた。海辺に建つ高松城は「日本三大水城」のひとつとして知られている。

 高松から国道11号で徳島へ。
 その途中では何ヵ所かに寄っていく。

 まずは屋島だ。屋島突端の長崎ノ鼻までいく。岬の突端からは瀬戸内海の島々を眺めた。次ぎに五剣山のある庵治半島に入り、突端の竹居岬へ。ここが四国本土最北端の地になる。目の前の小豆島が大きく見える。竹居岬では道の尽きるところまで歩いた。そこには岩窟の中に馬頭観音がまつられている。

 国道11号に出ると、志度で朝食。「ガスト」の「モーニングセット」を食べた。

 国道11号で香川県から徳島県に入り、県道183号で鳴門公園に向かう。その途中で小鳴門海峡を渡り島田島へ。海はまるで川のように流れている。つづいて堀越海峡を渡り大毛島へ。淡路島と大毛島の間に大鳴門橋がかかっている。

 鳴門公園に到着。駐車場にアドレスを停め、エスカレーター(300円)で展望台に登った。そこからは渦潮の鳴門海峡にかかる大鳴門橋を一望。対岸には瀬戸内海第一の大島、淡路島が横たわっている。左手には第二の大島、小豆島が霞んで見えた。

 大毛島からは小鳴門橋を渡り、国道28号→国道11号で徳島に到着した。

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「東横イン高松兵庫町」を出発

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高松駅前

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高松城

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屋島突端の長崎ノ鼻へ

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長崎ノ鼻

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竹居岬の馬頭観音

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志度の「ガスト」で朝食

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小鳴門海峡

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鳴門公園のエスカレーター

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大鳴門橋を一望

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神戸淡路鳴門自動車道

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

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