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世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


著者・管理人

Author: 賀曽利隆
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31

Category: [オリジナル企画]18きっぷ旅2010冬

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「青春18きっぷ2010」(1)
第1日目(伊勢原→東京・その1)

 12月10日、「青春18きっぷ」での鉄道旅に出発。
 この日はいつもどおり、愛犬エリちゃんの散歩をし、朝食を食べ、9時30分に自宅を出た。小田急線の伊勢原駅まではぷらぷら歩き、9時58分発の10両編成の急行新宿行きに乗った。

 いつもはまったく気にすることもなく乗ってしまう小田急線だが、この日は別だ。車窓からの風景はまばゆいほどキラキラ光り輝いて見えた。

 JR全線の普通列車に乗れる「青春18きっぷ」は12月1日に冬期の発売が開始され(発売の終了は12月31日)、12月10日から2011年の1月10日まで利用できる。ということで、初日のこの日に旅立ったのだ。

 青春18きっぷは1万1500円。この券1枚で5日間、使える。切符には5回分の日付印を押してもらう欄があり、1日の最初の乗車駅でその日の日付印を押してもらう。

 10日の出発といったが、「青春18きっぷ」を使うのは翌日の11日から5日間にした。というのは宇都宮線の一番電車、上野発5時10分の宇都宮行きに乗り、その日のうちに青森まで行きたかったので、上野駅近くでひと晩、泊らなくてはならなかった。

 そこで前日はあまり時間を気にすることなく、通常料金で東京の近郊路線を乗り継ぐことにした。
 一番北は北海道の旭川。さー、うまく行けるかどうか…。

 ぼくは鉄道旅も大好きで、今年は福岡から鹿児島まで列車乗り継ぎで九州を縦断した。鹿児島からは新幹線の乗り継ぎで東京まで帰ってきた。

 バイク旅のときも、しばしば鉄道の駅を使う。バイクを駅前に停めて待合室でカンコーヒーを飲むのだ。駅前旅館に泊まり、駅前温泉に入り、駅前食堂で食事するのも賀曽利流ツーリングの定番になっている。

 さて、小田急線の海老名駅でJR相模線に乗り換え、11時32分発の4両編成の電車で終点の茅ヶ崎駅へ。
 改札口を出て北口、次に南口を歩き、駅前通りの「あづま寿司」で昼食にする。にぎりずしの「おこのみ1番」(550円)を、お茶を飲みながら食べた。そして茅ヶ崎駅に戻った。

 さあ、東京・近郊線の完全乗車(完乗)の開始だ~!

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小田急線の伊勢原駅、駅前の大山・阿夫利神社の大鳥居

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新宿行きの急行に乗る

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車窓から見る大山

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相模川を渡る

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海老名駅に到着

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すっかりきれいになった海老名駅東口

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茅ヶ崎行きの電車

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相模線は単線

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茅ヶ崎駅、こちらは東海道本線。15両編成の電車が入線

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茅ヶ崎駅南口

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「あづま寿司」の「おこのみ1番」

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テーマ : 鉄道の旅    ジャンル : 旅行

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Category: 実は鉄っちゃん、カソリの旅!

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「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(3)
(月刊『旅』1994年1月号 所収)

池袋発の鈍行列車で東北へ
 1993年10月21日、東京・池袋駅。
 9時06分発の宇都宮線黒磯行き鈍行列車に乗り込んだ時は、「ヤッタネー!」という気分で、うれしさが胸にこみあげてきた。前から一度、池袋駅から東北へ、旅立ってみたいと思っていたからだ。

 池袋駅というのは、特別な意味を持っている。ぼくは西武池袋線の江古田駅近くで生まれた。その後、池袋が始発の東武東上線の常磐台駅近くに移り、西武池袋線の石神井公園駅近くで育ち、高校も西武池袋線の大泉学園駅近くの都立大泉高校だったので、小さいころからなにかというと池袋に出た。
 当時はまさか池袋から宇都宮や黒磯方面に列車が出るようになるとは夢にも思わなかった。

 11両編成の黒磯行きは通勤列車の折り返しで車内はガラガラ。後4両が宇都宮で切り離されたが、黒磯までゆったりと座ることができた。

 車窓を流れていく風景をながめながら、鈍行乗り継ぎ温泉めぐりの“3種の神器”、JTBの大型時刻表の10月号と、やはりJTBの「全国温泉案内1800湯」、「温泉宿泊情報・東日本編」のJTBトリオのページをくり返しめくるのだ。そのたびに、旅への期待感が、いやがうえにもふくらんでくる。

 今回は、福島→青森間の奥羽本線の鈍行列車を乗り継ぎながら、沿線の温泉に入りまくろうと思っているのだ。
 黒磯から福島までの東北本線は、4両編成の列車で、もとは栄光の寝台特急の車両。それだけに、何か寂しさが漂っていて、場末の飲み屋あたりで出会う厚化粧した店のママを連想させた。

 左手に那須連峰の山々をながめているうちに、栃木県から福島県に入る。関東から東北に入ったのだ。旧奥州街道の白坂宿が近い白坂駅を過ぎ、東北の玄関口、白河へと、列車はスピードを上げてスーッと下っていく。

 白河から郡山を通り、二本松駅に着くと、安達太良山がよく見える。
 吾妻連峰の山々が見えてくると福島だ。福島駅到着は14時26分。東北温泉めぐりの出発点に立った。
「さー、やるぞー!」と、福島駅のホームで叫ぶカソリ。

飯坂温泉の共同浴場めぐり
 福島から福島交通飯坂線に乗り、2両編成の電車で終点の飯坂温泉へ。料金は350円。今回の奥羽本線鈍行乗り継ぎでは、東北ワイド周遊券(2万2650円)を使ったが、この福島~飯坂温泉間の往復運賃700円が、東北ワイド周遊券以外に使った唯一の交通費になる。

 福島駅から20分ほどで飯坂温泉駅に着く。目の前が飯坂温泉の温泉街。摺上川の両側に温泉宿が建ち並んでいる。昔から鳴子温泉、秋保温泉とともに“奥州三名湯”に数えられる飯坂温泉は、芭蕉の「奥の細道」にも登場するので、駅前には芭蕉像が立っている。

 駅から歩いて2分くらいの「平野屋旅館」に飛び込みで行ったが、首尾よく部屋が取れた。内湯に入ってさっぱりしたあと、いよいよ飯坂温泉大探検の開始だ。

 まずは、天王寺温泉、穴原温泉の2湯へ。飯坂温泉の温泉街を抜け、国道399号を歩く。果樹園のまっ赤に色づいたリンゴがたわわに実っている。

 30分ほど歩くと、天王寺温泉と穴原温泉の2湯に着く。最初は摺上川右岸の一軒宿、天王寺温泉の「おきな旅館」に行ってみる。だが、入浴のみは断られた。次に対岸の穴原温泉の「吉川屋」で入浴を頼んだが、やはり断られた。

 仕方ないか…‥。
 ともに「泊まってみたいな!」と思わせる温泉宿なので、今度は泊まりで来よう。そのかわり、共同浴場「天王寺穴原湯」に入り、飯坂温泉に戻るのだった。

 飯坂温泉駅前にある案内所で飯坂温泉の案内図をもらい、共同浴場をチェックする。飯坂温泉は共同浴場が数多くあることでも知られているが、全部で9湯ある。これら9湯を総ナメにしようと思うのだ。
 共同浴場の入湯料は50円。時間は6時から22時と、きわめて入りやすい。

 売店で共通の入湯券を9枚買い、摺上川の川っぷちにある「波来湯」を第1湯目にする。熱い湯。ほかに入浴客が1人いたが、よくもまあ、入っていられるなと感心するほどの湯の熱さ。歯をくいしばり、じっと動かないようにして湯につかる。湯から上がると、体全体がゆでダコのように赤くなっていた。

 第2湯目は「切湯」。これまた熱い湯。熱い湯というのは湯疲れが激しく、2湯入っただけなのに足腰がフラつき、9湯全湯制覇への道の遠さを感じてしまうのだ。第3湯目の「仙気の湯」は木曜日が定休で入れなかったが、残念というよりも、ホッとしてしまった。

 第4湯目の「導泉の湯」を出るころにはとっぷりと日が暮れ、摺上川にかかる由緒ある十綱橋の上で冷たい風に吹かれ、体を冷ますのだ。
「平野屋旅館」にいったん戻り、夕食をすませると、共同浴場に再度、挑戦する。

 第5湯目は、飯坂温泉の中では一番よく知られている「鯖湖湯」。趣のある建物。このあたりが飯坂温泉発祥の地で、碑が建っている。やはり熱い湯。子供たちがザーザー水を流し込んでいる。これ幸いとばかりに、子供たちと一緒に入る。共同浴場では、同じようなことを大人がやると、たちまちひんしゅくを買ってしまうが、子供なら許されるのだ。

 第6湯目の「透達湯」は改装中(このあとまもなく「鯖湖湯」は閉鎖され、「透達湯」跡に新「鯖湖湯」が誕生した)で入れず、第7湯目の八幡神社近くの「八幡湯」に入った。湯から上がるとフーッと肩で大きく息をし、自販機の冷たい缶ジュースをたてつづけに2本、飲み干した。

 第8湯目の「大門の湯」は、木曜日定休で入れなかった。大門坂の高台にあるこの共同浴場からは、福島の夜景を一望する。光の海の中心には、信夫山の黒々した姿が横たわっている。目の底に残る福島の夜景だ。

 ついに最後の湯、第9湯目の「十網湯」までやってきた。ここも、熱い湯。飯坂温泉の共同浴場は、例外なしに、どこも熱い湯。飯坂の人たちには感服してしまうのだが、飛び出したくなるほど熱い湯なのに、平気な顔して入っている。

「その秘訣は何ですか?」
 と聞くと、
「慣れですよ、慣れ!」
 という答えが返ってきた。

 湯につかる前に、何杯も湯をかぶるというのも、熱い湯に入るコツのひとつのようだ。「十綱湯」を出るころには、腰が抜けたかのようで、もう、フラフラ。一歩一歩、踏みしめるように夜道を歩く。

「温泉はもうたくさん…」といった気分だったが、「平野屋旅館」に戻るとすぐさま浴衣に着替え、今度は宿の湯に入った。広々とした湯船を独り占めにし、湯船からザーザー流れ落ちる湯の音を聞きながら、思いっきり体を伸ばして湯につかった。

 つい今しがた「温泉はもうたくさん…」といっていたことなどすっかり忘れ、
「やっぱり、温泉は何度、入ってもいい!」
 と、思ってしまうのだ。湯上がりに飲む冷蔵庫のビールが、最高にうまかった。残念ながら9湯の共同浴場全部のうち3湯には入れなかったが、満足できる飯坂温泉の共同浴場めぐりだった。


共同浴場バロメーター論
 福島発7時00分の奥羽本線下りの鈍行一番列車に乗る。2両編成の新型車両の電車。福島~山形間(愛称は山形線)は、完成した山形新幹線用の標準ゲージの線路になっているので、乗り心地がよく、車内もゆったりしている。

 電車は板谷峠に向かって登っていく。天気は崩れ、雨が降り出す。福島県から山形県に入り、板谷駅を過ぎると、奥羽山脈の板谷峠の長いトンネルに入っていく。トンネルを抜け出ると、信じられない光景! 
 天気はガラリと変わり、透き通った青空が広がっていた。周囲の山々の紅葉が色鮮やかだ。

 板谷峠を越え、奥羽本線は奥州から羽州へと入っていく。列車での峠越えもおもしろい。
 板谷峠を下っていくと、その名も峠駅。名物“峠の力餅”で知られている。板谷峠の登りは急勾配なので、かつての奥羽本線鈍行はスイッチバックで峠を越えた。板谷峠をはさんだ2つの駅、板谷駅と峠駅の旧駅にもその名残が見られる。

 さらに板谷峠を下り、米沢盆地に入ると、すっぽりと霧に覆われている。福島は薄日が射す程度の曇り、板谷峠の福島側は小雨、板谷峠は晴れ、板谷峠の米沢側は濃霧と、峠を境にして天気がめまぐるしく変わった。

 米沢で山形行きの4両編成の電車に乗り換え、赤湯で下車。山形新幹線の開通に合わせ、すっかりきれいな駅に生まれ変わっている。駅舎内には「サーマル・プラザ」というインフォメーションセンターもある。駅の案内所で市内地図をもらい、「開湯900年」をキャッチフレーズにしている赤湯温泉を歩く。

 すっぽり霧に包まれた南陽市の中心、赤湯の町を歩きながら、「丹波湯」、「大湯」、「あずま湯」、「とわの湯」、「烏帽子の湯」という順序で、5つの共同浴場に入った。どこも入浴料は70円。2時間半かけて、赤湯温泉の全部の共同浴場に入ったが、ちょうど赤湯の町をぐるりとひとまわりするようなコースになるので、
「共同浴場めぐりは、町歩きの方法としても最適の方法だな!」
 と、カソリ、一人でウンウンとうなずくのだった。

 赤湯温泉の共同浴場めぐりを終えるころには、霧は晴れる。抜けるような青空。空が高い。爽やかな空気の肌ざわりに、東北の秋を感じた。

 赤湯発11時19分の快速「ざおう」に乗るつもりでいたが、東京行きの「つばさ」を見ると、「つばさに乗りたい!」という気持ちを押さえられなくなり、「このワイド周遊券でも乗れるのだから、まあ、いいか…」と、11時04分発の「つばさ113号」に乗った。

 米沢盆地から山形盆地へと、ゆるやかな峠を越える。峠周辺は一面のブドウ畑。わずか13分間であったが、次の駅、かみのやま温泉駅までの“つばさの旅”を存分に楽しんだ。

 かみのやま温泉駅で「つばさ」を降り、駅近くの中華料理店でカソリの定番メニュー、ラーメンライスで腹ごしらえをし、それをパワー源に上山温泉でも共同浴場めぐりをする。「中湯」、「新丁温泉」、「下大湯」、「湯町共同浴場」、「新湯共同浴場」、「二日町共同浴場」という順に6湯の湯に入った。入浴料は30円。つい、この前まではたったの10円で、“10円湯”で知られていた。

 ぼくは、共同浴場というのは、温泉地の格、つまり温泉番付の絶好のバロメーターだと思っている。これを「カソリの共同浴場バロメーター論」という!?

 草津温泉のように、誰もが、いつでも、それも無料で入れる共同浴場がいくつもある温泉というのは、きわめて格が高い。それ式でいうと、入浴料金が安く、営業時間が長く、外来者でも自由に入れる共同浴場の数が多い飯坂温泉、赤湯温泉、上山温泉の3湯は、奥羽本線沿いの横綱級の温泉なのである。


北国美人のほほえみ
 かみのやま温泉駅から山形へ。4両編成の電車。山形盆地の稲田の向こうに、青空を背にした蔵王の連山が、クッキリと浮かび上がっている。山形到着は14時56分。すぐさま15時06分発の新庄行きに乗り換えたが、電気機関車に引かれた4両編成の列車で、いっぺんにローカル線の雰囲気となる。

 “将棋の町”天童で下車し、駅にある「将棋資料館」(入館料300円 9~18時)を見学したあと、徒歩20分の天童温泉に行き、市営公衆温泉浴場「ふれあい荘」の湯に入った。

 天童からは、真室川行きの3両編成のディーゼルカーで東根へ。すっかり日が暮れた東根駅に着くと、『温泉宿泊情報・東日本編』を頼りに、東根温泉の「最上屋旅館」に電話を入れる。宿泊OK。このように、ぼくの宿選びは、いつものように出たとこ勝負。あらかじめ宿を決めておくことはない。

 東根温泉までの1キロほどの道のりを急ぎ足で歩く。列車以外の交通機関は、自分の足だけ、これが「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」の旅の仕方なのだ。

「最上屋旅館」の湯に入り、夕食をすませると、東根温泉の公衆温泉浴場めぐりの開始。
 第1湯目は「石の湯」。見たところはふつうの民家で、隣りの家に風呂をもらいに行くといった風情だ。男湯と女湯の境は、曇りガラス。女湯に入っている若い女性が湯船から立ち上がるたびに、彼女の体の線がガラスに映る。
胸のふくらみまで、はっきりと見えてしまう。

 なぜ、女湯に入っているのが若い女性だとわかるのかというと、玄関に若い女性向きの靴があったからだ。カソリ、そのあたりのチェックにぬかりはない。

 彼女が湯から出るまでは入っていようと、長湯を決め込む。彼女の裸身がガラスに映るたびに、目をこらしてしまう。なんとも胸の躍るひと時。彼女が湯から上がる。ぼくもそれに合わせて湯から上がる。玄関で、さもバッタリと出会ったかのように、湯上がりの彼女と顔を合わせた。

 思ったとおりの北国美人! 
 軽く会釈したが、白い肌がピンクに染まった“湯上がりの北国美人”は、
「いやーねー、あなた、私のこと見ていたでしょ」
 といった非難めいた素振りはまったく見せず、ニコッと、ほほえみ返してくれた。

 このあたりが、ほんとうにいいんだなあ…。
 東北人の心のやさしさが、そっくりそのまま顔に出ていた。
「石の湯」を出てからも、ぼくの心の中は、“湯上がりの北国美人”のほほえみのおかげで、いつまでもポカポカとあたたかかった。

 第2湯目「沖の湯」、第3湯目「オオタ湯」、第4湯目「市営厚生会館」と入り、東根温泉の公衆温泉浴場めぐりを終え、最後に「最上屋旅館」の湯に入る。湯上がりのビールを飲んでから寝たのだが、なにしろ1日の歩き疲れと湯疲れとで、布団に横になるやいなやバタンキューの爆睡状態だった。


駅から徒歩1分、横手駅前温泉
 東根発6時45分の奥羽本線下り新庄行きの鈍行一番列車に乗る。電気機関車に引かれた3両編成の列車。新庄着は7時34分。ここからが大変だ。山形県から秋田県へ、鈍行列車で県境を越えるのは、きわめて難しい。次の列車というと、11時56分なのである。

 鈍行での県境越えの難しさは、福島県から山形県に入る時もそうだった。福島発7時00分、8時30分の次は、なんと13時15分発になってしまう。さらに、秋田県から青森県に入るのも、大館発5時44分、6時38分、7時53分の次というと、13時40分なのである。

 新庄で4時間以上も待つことはできないので、仕方なく、7時50分発のL特急「こまくさ1号」(山形→秋田)で県境を越え、秋田県の湯沢まで行くことにした。

 特急列車は新庄を出ると真室川に停車し、県境周辺の山間部に入っていく。山形県最後の駅が、難解地名や難解駅名でたびたび登場する“及位”。これで“のぞき”と読む。
 渓谷沿いには一軒宿の及位温泉がある。その名前にひかれ、一度は泊まってみたいと思っている温泉なのである。

 及位駅を過ぎると、L特急「こまくさ1号」は雄勝峠のトンネルに入っていく。神室山地と丁岳山地を分ける山形・秋田県境の峠で、院内峠ともいわれる。奥羽本線と並行して走る羽州街道(国道13号)も雄勝峠をトンネルで抜ける。ピューッと鋭い気笛を響かせてトンネルを抜け、秋田県に入る。峠を下ると雄勝町の院内だ。

 阿武隈川流域の福島盆地を出発した奥羽本線だが、山形県に入り、中央分水嶺の峠、板谷峠を越えると、この雄勝峠までが最上川の世界、雄勝峠を越えると、雄物川の世界に入っていく。奥羽本線には、峠を越えるたびに変わっていく東北大河紀行のおもしろさがある。

 L特急「こまくさ1号」は雄勝川沿いの横手盆地に入り、水田地帯をひた走る。横堀(雄勝町)に停車すると、次が湯沢だ。このあたりは、奥羽本線沿線の中でも、一番の豪雪地帯として知られている。

 8時45分着の湯沢駅で降りると、駅近くの食堂で名物の稲庭うどんを食べる。細い麺。素麺に似ている。駅周辺の土産店でも、乾麺の稲庭うどんは大きなスペースを取って売られている。

 稲庭うどんは湯沢に近い稲川町稲庭でつくられる伝統的な製法のうどん。その起源は古く、江戸時代前期までさかのぼり、秋田潘の御用達で、幕府への献上物とされた輝かしい歴史を持っている。

「さー、歩くぞ!」
 気合を入れて早足に湯沢温泉へ。駅から20分ほど歩いた「サンパレスみたけ」の湯に入り、同じ道を駅に戻る。湯沢始発の2両編成のディーゼルカー、快速「おものがわ」に“すべりこみセーフ”といった感じで間に合った。

 湯沢の次は横手。横手駅前には“平成の湯”がある。平成2年12月にオープンした横手駅前温泉の「ゆうゆうプラザ」。ここでは宿泊もできる。47度の湯が毎分600リットル湧き出している本格的な温泉だ。

 魅力はなんといっても駅から近いこと。徒歩1分という、鈍行乗り継ぎで入るのには最適な温泉。「中部一周」の鈍行乗り継ぎで入った上諏訪温泉の駅前にある「丸光デパート」(丸光温泉)のようなものだ。

 さっそく湯に入る。男湯が「天人峡」、女湯が「由布院」。この名前も気に入った。天人峡は北海道、由布院は九州の名湯だ。広々とした大浴場の湯につかる。湯量が豊富で、肌がたちまちスベスベしてくる。泡風呂や打たせ湯、露天風呂もある。湯につかっていると、ピュー、ピューと入れ換え作業をしている電気機関車の汽笛が聞こえてくるところが、いかにも駅前温泉だ。
  

矢立峠越えの温泉めぐり
 横手始発の2両編成のジーゼルカーで秋田県へ。雄物川流域の水田地帯を走る。日本でも有数の穀倉地帯。この年、東北の稲作は記録的な大冷害で壊滅的な被害を受けたが、同じ東北といっても山形・秋田の日本海側は、宮城・岩手の太平洋側ほどひどくはやられなかった。

 このあたりが、奥羽山脈をはさんでの奥州と羽州の違いになる。
 太平洋側は夏の冷たい東風ヤマセの影響をモロに受けて冷夏になりやすく、日本海側はその影響をあまり受けずに気温が上がる。

 秋田から大館までは、新型車両の3両編成の電車。帰宅する高校生を乗せて超満員。高校生たちは次の土崎駅でゴソッと降り、八郎潟駅を過ぎると車内は空いた。前方に長々と横たわる白神山地の山々が見えてくると東能代。五能線の分岐する駅だ。ここを過ぎると、秋田県のもう一本の大河、米代川に沿って走る。

 大館からは弘前行きの2両編成のディーゼルカー。車内はガラガラ。大館駅を出発すると間もなく秋田・青森県境の矢立峠に向かっての登り勾配となる。列車は速度をガクッと落とす。

 15時31分、秋田県最後の駅、矢立峠下の陣場駅着。そこで降りた。下車した乗客はぼく一人。次の駅、青森県の津軽湯の沢駅までは歩いていく。歩いて矢立峠を越え、矢立峠周辺の温泉全部に入ろうと思うのだ。

 奥羽本線に並行して羽州街道(国道7号)を歩く。轟音をとどろかせて矢立峠を登り降りするトラックの風圧をまともに受けながら歩くのが辛いところだ。3分ほど歩くと下内沢温泉。ここでは大館市営「峠の家」の湯に入る。国道7号と分かれ、秋田杉の大木が空を突く山道を10分ほど歩くと一軒宿の日景温泉に着く。日景温泉にはどうしても泊まりたかったので、前夜、東根温泉から電話を入れておいたのだ。

 さっそく総ヒバ造りの大浴場に入る。青森特産のヒバの木は潮や風雨に強いので、下北や津軽の海岸地帯の民家ではよく使われている。そのことからもわかるように、温泉の湯屋や湯船の材質としてもきわめてすぐれている。

 ほのかに漂うヒバの香をかぎながら湯につかる。湯量が豊富。いかにも温泉らしい白濁色した湯が、おしげもなく湯船の木枠からあふれ出ている。露天風呂にも入る。燃えるような紅葉が、目の中に飛び込んでくる。温泉につかりながら紅葉狩りをしているようなものだ。

 湯から上がると、一人、ビールで乾杯。この日景温泉が、ぼくにとっては第500湯目の温泉になるからだ。日本中の温泉に入ってやろうと、自分の入った温泉の記録を取りはじめたのは、1975年2月のこと。

 第1湯目は広島県の湯来温泉。第100湯目は神奈川県の底倉温泉、200湯目は北海道の十勝温泉、300湯目は熊本県の山鹿温泉、400湯目は福島県の幕川温泉。温泉めぐりをはじめてから18年もかかっての500湯達成だが、ビールをキューッと飲みながら、
「さー、次の目標は1000湯だ!」
 と、日本の全湯制覇への思いを新たにするのだった。

 翌朝は、朝食を食べてから出発。国道7号を歩き、矢立峠へ。その途中で一軒宿の「矢立温泉」の湯に入る。矢立温泉は赤湯で知られている。赤湯の名前通り、赤土を溶かしたような湯の色。10人ほどの人たちが肩を寄せ合うようにして湯につかっている。秋田弁と津軽弁が入り混じって飛びかうあたりが、県境の峠の湯らしいところだ。

 天気は冬間近を思わせる時雨模様。青空が広がったと思う間もなく、黒雲が空を覆い、ザーッと雨が降ってくる。それもつかの間で、また青空が広がるといっためまぐるしさ。気まぐれな天気の峠道を歩き、秋田・青森県境の矢立峠に到着。吐く息がまっ白になるほどの寒さ。峠を吹き抜けていく冷たい風が肌に突き刺さる。

 矢立峠を青森県側に下り、相乗温泉の湯に入る。次に峠下で国道を左に折れ、30分ほど歩いた湯ノ沢温泉の「湯の沢山荘」の湯に入る。国道に戻ったところで、ラーメン屋でラーメンライスを食べ、12時ジャストに奥羽本線の津軽湯の沢駅に着いた。列車だとわずか7分の陣場駅→津軽湯の沢駅間を20時間かけて歩いたことになる。

 津軽湯の沢発の列車は14時05分。まだ、2時間5分あるので、古遠部温泉まで行くことにした。駅前は羽州街道と津軽街道の、2本の街道の合流点。そこにある復元された津軽藩の碇ヶ関の関所を大急ぎで見て、津軽街道(国道282号)を懸命になって歩く。まるで競歩のようなものだ。

 30分ほど歩き、国道からさらにダートの山道を10分ほど歩くと、一軒宿の湯治宿風「古遠部温泉」に着く。湯量豊富な石づくりの湯船にドボンと飛び込み、すぐさま着替え、来た道を引き返す。帰路ももちろん競歩的歩き方。このようなスレスレのきわどい芸当をやって14時05分の列車(1両のディーゼルカー)に間に合わせた。

 次の碇ヶ関駅で降り、碇ヶ関温泉の「大丸ホテル」の湯に入り、大鰐温泉駅へ。いよいよ、奥羽本線鈍行乗り継ぎの最後の温泉、大鰐温泉だ。飯坂温泉から数えて15湯目になる。

「沢田客舎」とか「阿保客舎」、「小林客舎」といった”客舎”(旅館よりもひとランク下の宿で、今の時代でいえば民宿か)の看板がかかる大鰐の温泉街を歩き、共同浴場めぐりをする。どこも入浴料150円。すっかり本降りになった雨に降られながら「山吹湯」、「若松会館」、「青柳会館」、「霊泉大湯」と4湯に入った。今回の奥羽本線鈍行乗り継ぎの温泉めぐりでは、最後まで共同浴場にとことん、こだわってみた。

「あー、これで終わってしまうのか…」
 そんないいようのない寂しい気持ちを胸に押し込め、大鰐温泉駅18時16分発の青森行きに乗る。2連の電気機関車に引かれた4両の客車には空席が目立つ。雨が雪に変わり、ポツンポツンと灯りの見える津軽平野がうっすらと白くなっていく。長い長い冬に入った東北を感じながら、奥羽本線の終着駅・青森へ。駅前食堂でいくら丼を食べ、20時12分発の急行「八甲田」に乗り込む。「津軽」とともにまもなく消えていく急行列車だ。

「八甲田」は定刻どおりに青森駅を出発し、20時51分に野辺地駅に着く。ここでかなりの乗客が降り、車内は空いた。窓の外を見ると月が出ている。日本海側と太平洋側では天気が違う。

 上野駅到着は翌朝の6時58分だった。



===
管理人たまらず:
>・・・“及位”。これで“のぞき”と読む。
>渓谷沿いには一軒宿の及位温泉がある。その名前にひかれ、一度は泊まってみたいと思っている温泉なのである。

⇒てか、"ノゾキ温泉"は相当、やってるでしょ! "チラミ温泉"も含めたら相当数(笑)

テーマ : 鉄道の旅    ジャンル : 旅行

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「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(2)
(月刊『旅』1993年2月号 所収)

23時40分発の大垣行きに乗って
 東海道線の長距離最終、23時40分発の大垣行き列車に乗るために、東京駅の7番ホームに立った時は、胸がジーンとしてしまった。
「久しぶりだなあ…」
“鈍行乗継ぎ”をひんぱんにやっていたころは、何度もお世話になった列車だ。

 超満員でまったく空席ができず、通路でゴロ寝した時は、見ず知らずの女の子と抱き合うような格好で寝た。身動きできないので仕方なかったのだが、いまだに彼女の肌の温もりが残っているほどだ。

 かなり酔っぱらったサラリーマン風の人と同席した時のことも忘れられない。その人は静岡を過ぎたところで、突然、起き上がり、叫んだ。
「ここは、どこだー!」
「今、静岡を過ぎましたよ」
「エ? 平塚で降りるはずだったのに…」

 大垣行き以前の大阪行にも何度か乗ったことがある。電気機関車に引かれたチョコレート色の客車で、車内の暗さと座席の固さ、連結器のガシャガシャーンという音が、20年以上もの年月を越えて、鮮やかによみがえってくるのだった。

 大垣行きは23時29分の入線。11両編成の2つのドアの車両。23時40分、定刻どおりに出発したが、通路に立つ人が出るほどの混み具合。新橋、品川と停車し、深夜の東京を離れていく。

 今回の鈍行乗り継ぎ旅では、東京駅のみどりの窓口で、オーダーメードの乗車券をつくってもらった。「東京→豊橋(東海道本線)→岡谷(飯田線)→松本(中央本線)→糸魚川(大糸線)→直江津(北陸本線)→長岡(信越本線)→上野(上越・高崎線)」の切符1枚(1万2050円)を持って、鈍行列車を乗継ぎながら、3日間で沿線の温泉に1湯でも多く入ろうと思うのだ。

 ねらい目は、駅前温泉、もしくは駅から徒歩10分とか15分ぐらいの温泉。はたして何湯入れるやら、期待と不安の入り混じったような気分なのである。

 1時5分、大垣行きは小田原を発車すると快速になり、車内放送がなくなる。2時32分、静岡に着くと、かなりの乗客が降り、車内はガラガラになる。ゆったりと、足を伸ばして寝られるようになる。浜松まではノンストップ。4時15分、浜松を発車すると各駅停車となり、4時49分、豊橋に着いた。


飯田線の2つの駅前温泉
 豊橋駅でトイレ、洗面をすませ、さっぱりした気分で6時発の飯田線一番列車に乗り込む。2両編成の天竜峡行き。車内はガラガラ。定刻どおりに豊橋駅の1番ホームを発車する。するとまもなく、夜が明ける。東の空がまっ赤に燃えている。すばらしい天気で、空には一片の雲もない。

 豊川、新城、本長篠と通り、7時12分、湯谷温泉着。無人駅に降り立った乗客は、ぼく一人だ。
「さー、温泉めぐりの第1湯目だ!」
 この、温泉めぐりで入る第1湯目ほどうれしいものはない。

 さて、1200年の歴史を誇る湯谷温泉には、駅周辺に10軒あまりの温泉ホテル・旅館がある。そのほか、食堂「やまと」に併設された温泉浴場「温泉お風呂」(11時~24時。入浴料700円)、公共の温泉施設「鳳来ゆーゆーありいな」(10時~21時、入浴料600円)があるが、時間が早いので、まだ、ともにオープンしていない。そこで温泉宿を1軒1軒、聞いてまわる。
「あのー、入浴、お願いできませんか…」

 これが、けっこう辛いのだ。ケンもホロロに断られた時など、ガックリしてしまう。全部のホテル、旅館をまわったが、結局、全部で断られてしまった。が、そのくらいのことで諦めるような“温泉のカソリ”ではない。

 今までまわったホテル、旅館の中で、一番感じのいい応対をしてくれたところにねらいをつけて、再度、挑戦。駅前温泉ホテルの「グランドホテル鳳陽」に行く。フロントに、平身低頭してお願いする。鈴木博則さんという方だった。
「なんとか、入浴させていただけませんか」

 鈴木さんは、ぼくのあまりのしつこさに根負けして、
「これは、私の一存で…」
 ということで、鈴木さんの好意で、「輝陽の湯」に入浴させてもらった。それも入浴料はタダ。おまけにタオルまでつけてもらった。

 無色透明の食塩泉の湯につかり、ガラス張りの浴室ごしに宇連川の鳳来峡を見下ろしていると、第1湯目の温泉に入ることのできた喜びが、ジワジワとこみあげてくる。夜行列車に乗ってきた疲れもいっぺんに吹き飛ぶ。鈴木さん、ありがとう!

 飯田線も鳳来寺山下の湯谷温泉駅を過ぎると、急に山深くなる。このあたりの奥三河の山々にはイノシシが多いのだろう、トタン(シシ垣)で囲った山の田畑が目につく。谷は深く、トンネルが連続する。

 愛知から静岡県に入り、中部天竜、水窪を通って長野県へ。天竜川に沿って電車は走る。切り立ったV字の谷を行くのでトンネルの連続だ。

 第2湯目は、天竜峡温泉。1989年に湧き出た新しい温泉だ。ここには数軒の温泉ホテル・旅館があるが、湯谷温泉とはうってかわって、どこでも入浴させてもらえた。そのうち、駅前の「彩雲閣・天竜峡ホテル」の湯に入った。ちょうど窓の下が天竜船下りの乗り場で、湯につかりながら、船頭さんの鮮やかな棹さばきを見ることができた。

 天竜峡駅を過ぎると、山峡の風景から盆地の風景へと、大きく変わる。右手には南アルプス、左手には中央アルプス。日本アルプスの高峰の山頂周辺はすでに雪化粧をしている。抜けるような青空を背にした雪の白さがきわだっていた。

 飯田、駒ヶ根、伊那市と通り、15時16分、終点の岡谷に着いた。伊那谷(伊那盆地)から諏訪盆地へと入ったのだ。


上諏訪温泉&下諏訪温泉のハシゴ湯
 岡谷駅では、いったん改札を出て、上諏訪までの切符を買う。190円。「東京都区内発→東京都区内着」の切符から外れるルートだからだ。そのついでに岡谷駅周辺を歩いた。岡谷からは15時31分発の茅野行きに乗ったが、飯田線のあとだと、中央本線は鈍行といえども、急行か特急列車のような速さを感じるのだった。

 下諏訪を通り、15時40分、上諏訪着。温泉ハシゴ旅のはじまりだ。まずは上諏訪駅1番ホームの簡単な小屋掛けをした駅露天風呂に入る。湯の中では初老の人と一緒になったが、
「私はこの湯が好きでねェ。わざわざ“あずさ”をひと列車遅らせて、入ったんだよ」
 という。松本への出張の帰り道だそうで、この湯に入るために上諏訪で下車し、もう一本あとの“あずさ”で東京に帰るのだという。このように上諏訪駅の駅露天風呂の愛好者はきわめて多い。
 
 長湯するという“出張のサラリーマン氏”と別れ、駅を出る。次に、駅前デパートの「諏訪丸光」に入る。5階の丸光温泉へ。日本広しといえども、デパートの中に温泉があるのはここだけだろう。閉湯間際ということもあって、500円の入浴料を250円にまけてくれたが、客はぼく一人であった。

 上諏訪温泉の第3湯目は、「片倉館」(10時~19時、入浴料260円)の千人風呂だ。ところが駅から徒歩5分の「片倉館」に着くと、改装中で、休業。残念‥‥。
「まあ、仕方がないな」
 と、諏訪湖の湖畔に出る。夕暮れが迫り、小波ひとつない湖面は夕焼けに染まっている。諏訪盆地を見下ろす八ヶ岳の峰々が、紫色のシルエットになっている。

 今晩の泊まりは、下諏訪温泉だ。16時57分発の松本行きで1駅戻り、下諏訪で下車する。諏訪盆地の駅の位置関係だが、東京方面からいうと茅野→上諏訪→下諏訪→岡谷という順になる。下諏訪駅からプラプラと10分ほど歩き、諏訪大社下社の秋宮に参拝。境内の「ホテル山王閣」に泊まり、まずは湯に入る。

「ホテル山王閣」はぼくの好きな温泉宿のひとつ。宿泊料は安く、諏訪盆地を一望できる大浴場はすばらしい。夜ともなると、湯につかりながら諏訪の夜景を眺めることができる。食事も満足できるものだ。この日も、マグロの刺身とコイのアライ、コイのうま煮、てんぷら、茶碗蒸し、信州そば…と、料理の品数が多かった。

 ところで下諏訪温泉には、全部で8湯の温泉浴場がある。夕食後、8湯制覇に挑戦することにし、下諏訪案内図を広げ、・遊泉ハウス児湯→・旦過湯→・菅野温泉→・新湯→・矢木温泉→・みなみ温泉→・湖畔の湯→・富部温泉という順序で入りまくることにした。 8湯制覇の成功を諏訪大社に祈願したあと、夜の下諏訪の町を歩きはじめる。人どおりは少ない。町のネオンも少ない。店は早々とシャッターを降ろしている。

 3湯目の「菅野温泉」ぐらいまでは楽だったが、5湯目の「矢木温泉」を過ぎると湯疲れと歩き疲れでかなり辛くなってくる。7湯目の「湖畔の湯」を出るころには腰が抜けたかのように体はフニャフニャになり、歩くのも楽でない。

“湯疲れ”とはよくいったもので、心底、疲れきってしまう。体は鉛のように重くなり、心臓の動悸が激しくなり、「絶対に下諏訪温泉の共同浴場の全湯制覇をするんだ」といった意気込みも、もうどうでもよくなってくる。そんな自分を叱咤激励する。

 時間が迫っているので、湯疲れした体にムチを打って走り、ギリギリで富部温泉に飛び込み、ついに下諏訪温泉8湯制覇をなしとげた。最後の力をふりしぼって「ホテル山王閣」に戻ると、バタンキューで翌朝まで死んだように眠った。温泉のハシゴ湯は体力を激しく消耗する。でも‥‥、これがいいのだ。下諏訪温泉というものが、自分の体にしっかりと刻みこまれる。なんともいえない旅の達成感を感じるのだった。

 下諏訪温泉の温泉浴場は、どこも入浴料が150円(「湖畔の湯」は180円)。8湯全部入っても1230円。営業時間も5時30分から22時と入りやすい。なんとも安い、なんとも心に残る1230円の下諏訪温泉8湯制覇であった。


大糸線沿線の温泉ハシゴ旅
 翌朝は、5時半起床。すぐさま着換え、下諏訪駅へと、まだうす暗い道を歩く。6時05分発の松本行き一番列車に乗るころには夜が明けた。うれしいことに、今日も快晴だ。八ヶ岳と南アルプスの間の、ポコンと落ち込んだところ(国道20号の富士見峠あたり)に、富士山がクッキリと浮かび上がっている。八ヶ岳の山の端が、赤々とまるで炎のように燃えている。

 岡谷を通り、塩嶺トンネルを抜けて松本盆地に入ると、今度は北アルプスの山々が間近に迫ってくる。峰々の山頂周辺の雪が光り輝いている。気温がグッと下がったようで、あたりは一面、霜でまっ白。昇ったばかりの朝日を浴びてキラキラ光っている。

 松本からは大糸線に乗り、北アルプスの山々を眺める。松本→糸魚川間の大糸線沿線のハシゴ湯旅のはじまりだ。信濃大町で乗り換え、8時30分、信濃木崎着。ぼく一人が無人駅に降り立ち、木崎湖温泉へと歩いていく。左手に雪をたっぷりとかぶった針ノ木岳を見る。木崎湖温泉では「仁科荘」のかわいらしい湯船の湯につかった。宿の玄関前では奥さんがせっせと白菜、野沢菜を漬けていた。本格的な冬が、もう目前の木崎湖温泉だった。

 木崎湖温泉では、仁科三湖のひとつ、木崎湖まで歩いていく。湖畔のキャンプ場には人っこ一人いない。このあたりは森城跡。森城は武田信玄の越後に対する最前線基地といったところで、案内板によるとかなりの規模の城だったようだ。

 10時24分発の白馬行きに乗る。木崎湖、中綱湖、青木湖と、仁科三湖を車窓から眺めているうちに、ゆるやかな峠を越える。国道148号の佐野坂トンネルの真上を通っていくのだが、この峠は、安曇野を流れる高瀬川(松本盆地で犀川と合流し、長野盆地で千曲川と合流し、信濃川となって日本海に流れ出る)と、糸魚川で日本海に流れ出る姫川とを分ける分水嶺になっている。

 白馬からは11時発の快速南小谷行きに乗る。この列車は新宿7時発の“あずさ1号”で、信濃大町から快速になるのだが、特急列車にタダ乗りしたような得した気分を味わう。

 11時16分、南小谷着。駅前の国道148号を下里瀬温泉まで歩いていく。徒歩30分。「サンテイン・おたり」の湯に入る。ここには打たせ湯、寝湯、泡湯とある。クアハウス風の温泉施設だ。湯から上がると、徒歩15分の中土駅へと歩いた。

 中土駅からは、12時45分発の糸魚川行きに乗る。1両のジーゼルカー。それでも車内はガラガラだ。隣り駅の北小谷で下車。まずは徒歩10分の来馬温泉「風吹荘」の湯に入る。ここには食堂もあって、湯上がりにてんぷらそばを食べる。さすがに信州、手打ちそばが絶品だった。

 北小谷駅から次の平岩駅までは、国道148号を歩き、その間にある島温泉、猫鼻温泉、蒲原温泉、白馬温泉とハシゴ湯するつもりでいた。だが…。

 島温泉は国道沿いの、一軒宿の温泉。外で野沢菜を漬けている宿の奥さんに入浴を頼むと、「ごめんなさいね、湯を落としてしまって…」ということで入れなかった。猫鼻温泉も一軒宿。入浴のみの温泉施設で、宿泊はできない。国道から100メートルほどの急坂を下っていったが、なんと休業中。

 長野県から新潟県に入り、国道から200メートルほど下った蒲原温泉へ。ここも一軒宿。だが‥‥、浴槽の排水工事の最中で、またしても入れなかった。もう、ガックリ…。このように、温泉のハシゴ湯というのは、なかなか、思いどおりにはいかないものなのである。

 葛葉峠を越え、峠下の白馬温泉へ。やっと「白馬観光ホテル」の湯に入れた。白い白馬大仏の前にある温泉宿だ。北小谷から2時間以上も歩いた疲れも吹き飛び、温泉のありがたさをしみじみと実感する。

 16時30分、平岩駅到着。姫川を渡り、姫川温泉の「ホテル白馬荘」に泊まる。平岩駅は新潟県だが、徒歩3分の姫川温泉は長野県になる。さっそく露天風呂と内湯に入り、そのあとで夕食となったが、給仕してくれた若奥さんが話してくれた。

「このあたりでは、ずいぶんと雪が降りますよ。ひと晩で1メートル以上積もることも珍しくありません。雪を見たくて来られる常連のお客さまもいらっしゃいますが、雪を見たいだなんて…」
 若奥さんの口調はいかにも、「私には理解できません」といいたげであった。


ひなびた越後路の温泉、湯治宿
 鈍行乗継ぎの温泉めぐりも、あっというまに最終日。3日目は越後路の温泉だ。5時起床。朝風呂に入ったあと、5時半、宿を出る。前夜の若奥さんの話しではないが、天気が崩れ、雪がボソボソと降っている。

 雪道を歩き、6時04分発の糸魚川行き一番列車に乗った。糸魚川に着くと、雪は雨に変わった。糸魚川から直江津へ。天気がめまぐるしく変わる冬の日本海。直江津に着くと、雲の切れ目から日が射していた。

 8時、直江津から4つ目の潟町着。日本海に面した鵜ノ浜温泉に行く。徒歩7分。ここには共同浴場(11時~16時30分)があるが、まだ開いていない。そこで隣りの「グランドホテルみかく」で入浴させてもらった。塩辛い、緑色がかった湯。泉質は含重曹食塩泉。リウマチや神経痛によく効くという。

 湯から上がると、日本海の砂浜を歩く。猛烈な北西の季節風が吹きつけ、日本海は大荒れに荒れ、大波が押し寄せていた。

 9時32分、柏崎着。土砂降りの雨。ズブ濡れになって30分以上も歩き、柏崎温泉へ。だが温泉宿を聞いてまわったが、どこも入浴はさせてもらえない。濡れネズミになって、惨めな気分で柏崎駅に戻った。温泉めぐりも楽ではない。

 11時31分、柏崎から4つ目の越後広田着。降りつづく雨の中を20分ほど歩き、広田温泉へ。湯治宿の「湯元館」で入浴させてもらった。肌にツルツルする湯で、泉質はさきほどの鵜ノ浜温泉と同じ含重曹食塩泉。近郷近在からやってくるおじいさん、おばあさんたちでにぎわっていた。このあたりは、信越本線の直江津―長岡間でも一番の豪雪地帯だとのことで、温泉宿の建物や庭木の樹木は、長い冬に備えてしっかりと雪囲いされていた。

 越後広田発13時26分の長岡行きに乗り、2つ目の塚山で下車。徒歩5分の西谷温泉「中盛館」の湯に入る。ここも広田温泉と同じような湯治宿。広田温泉、西谷温泉はともにハデさはまったくなく、その土地にしみついたようなひなびた感じが漂い、ぼくの旅心をいたく刺激するのだった。

 越後路の最後の温泉は越後滝谷駅から徒歩20分の長岡かまぶろ温泉。無人駅に降り立つと、雨は雪に変わり、まるで吹雪の様相だ。横なぐりに吹きつけてくる雪のためカサもさせず、雪に降られっぱなしで長岡かまぶろ温泉まで歩いた(いや、走った)。

 入浴料700円を払い、すぐさま名物のかま風呂に入る。まわりの壁を土で塗りつけた大かまの中には、ゴザが敷いてある。木の枕をして、ゴザの上で体を横たえる蒸し風呂だ。汗が吹き出してきたところで湯船の湯につかり、また雪の中を越後滝谷駅へ戻るのだった。

 16時54分発の水上行に乗る。小千谷を過ぎると雪が多くなる。小出、浦佐、六日町と通り、越後湯沢を過ぎると、さらに雪が多くなる。それが清水トンネルを抜け、湯檜曽に下り、水上に着くころには雪は消えた!

 水上では共同浴場の湯に入った。湯谷温泉にはじまった温泉めぐりの第14湯目だ。残念ながら上越線の長岡~水上間の温泉には入れなかったが、また、次の機会に入ろう…。

 水上発19時45分発の高崎行きに乗り、途中、新前橋で上野行きに乗り換え、終着の上野到着は22時40分。乗った列車は全部で24本。使い慣れたオーダーメードの切符を改札口で出すのが、なんとも惜しい気がした。

テーマ : 鉄道の旅    ジャンル : 旅行

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Category: 実は鉄っちゃん、カソリの旅!

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「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(1)
(『月刊旅』1992年7月号 所収)

“青春18きっぷ”で東北一周
 鈍行列車に乗り継いで温泉めぐりをするようになったきっかけは、“青春18きっぷ”を使っての「東北一周」。それは、月刊『旅』(JTB発行)の企画だったが、編集部の上野光一さんからその話を聞いたとき、
「えー、上野さん、“青春18きっぷ”って、ぼくでも使えるんですか?」
 と、真顔で聞いてしまった。

「いやだなー、カソリさん、知らないんですね。“青春18きっぷ”には、年齢制限はないのですよ」
 と、上野さんは笑顔で答えた。

 ぼくは列車は小さいころから大好きだったが、20代の一時期には、夢中になって鈍行列車の乗り継ぎをしたことがある。列車の旅で一番おもしろいのは、“鈍行乗り継ぎ”だと信じて疑わなかった。1ヵ月あまりをかけて、寝袋ひとつを持って駅泊しながら、本州内の各線を乗り継いだこともある。あのころはまだ、“青春18きっぷ”はなかった。

 30代になっても列車の旅はあいかわらず続けてはいたが、ひんぱんに新幹線に乗るようになり、特急列車や寝台車にも好んで乗るようになった。そうなると、“鈍行乗り継ぎ”の旅は、なかなかできなくなってしまうものだ。

 そのようないきさつがあったので、“青春18きっぷ”を使って東北を一周することになったとき、ぼくは心の中で「しめた!」と叫んだのだ。あれだけ夢中になった“鈍行乗り継ぎ”のおもしろさが、40代も半ばを過ぎたこの年になって、きっとまた、よみがえってくるに違いないと、大きな期待を抱いたのである。

“青春18きっぷ”を使っての「東北一周」をよりおもしろいものにしようと、次のような“カソリ流5つのルール”をつくってみた。
1・列車は鈍行に限る。
2・旅の仕方は、鈍行列車と徒歩のみで、バス、タクシーは一切使わない。
3・毎朝、一番列車に乗って出発する。
4・宿泊は駅に近い温泉宿とする。
5・温泉宿はあらかじめ目星はつけても予約はしない。


 “カソリ流5つのルール”のうちの5だが、泊まる宿をあらかじめ決めてしまうと、どうしても行動が制限されてしまうからだ。旅は出たとこ勝負のほうが、はるかにおもしろくなるものだと思っている。

 このような“カソリ流5つのルール”を決めて、早春の東北を目指し、高崎線の一番列車、上野発5時13分の高崎行きに意気揚々とした気分で乗り込んだ。

 ところで“青春18きっぷ”だが、1冊が5枚つづりになっていて、料金は1万1300円ときわめて安い。1枚2260円でまる1日、JR全線の快速を含む普通列車に乗り放題で乗れる。ただし、一年中使えるというものではなく、使用期間が限られるという制限がある。

“青春18きっぷ”以外の持ち物といえば、JTBの大型時刻表とやはりJTB刊の『全国温泉案内1800湯』、『温泉宿泊情報』のJTBトリオ。これらは“鈍行乗り継ぎ温泉めぐり”には絶対に欠かせない“三種の神器”なのである。


日本海、伝説の地の温泉
 東京・上野駅を出ると、高崎、水上で乗り換え、13時11分、新潟に到着。新潟からは、13時49分発の白新線経由羽越本線の村上行きに乗る。4両編成の電車。

 豊栄からは“女子高生風4人組”が乗り、通路をはさんでぼくとは反対側の4人掛けの座席に座った。さすがに越後美人の国だけあって、4人ともそろって美人。

“女子高生風4人組”は座席に座るなり、持ち寄ったチョコレートやクッキー、キャンディー、シュークリーム‥‥と、いやはやいやはや、よく食べること。口をモグモグさせながらにぎやかに、楽しそうに話す。どうも仲良し同士の高校卒業旅行のようで、村上に近い瀬波温泉に行くようだ。高校生最後の一番楽しい時期を友人たちと温泉で過ごすだなんて‥‥、なかなか、やるではないか。

 そんな“女子高生風4人組”の会話をさりげなく聞いて楽しんでいるうちに終点、村上に着いた。

 村上からは、15時31分発の秋田行きに乗り換える。電気機関車に引かれた4両の客車。車内は座席がほぼ埋まるくらいの混雑度だ。左手に日本海を眺めながら北へ。沖には粟島が浮かんでいる。電気機関車のピューッという鋭い警笛音に旅心が刺激される。

 ところで、村上から山形県境に向かっていくにつれ、車内はどんどんすいてくる。県境を越えるころにはガラガラだ。それが、山形県内に入ると、また乗客は増えてくる。これを称してぼくは「カソリの鈍行列車県境の法則」と呼んでいるが、この法則があてはまるのは、なにも羽越本線の新潟・山形の県境にかぎったことではなく、ほとんどの県境にあてはまることなのである。

 16時45分、三瀬着。無人駅で、降りたのはぼく一人。出羽を貫く海岸沿いの街道の宿場町だった三瀬の町並みを歩き、国道7号に出、今晩の宿泊地の由良温泉に向かう。

 ここだけは、どうしても泊まれないと困ってしまうので、前夜、東京から電話を入れておいたのだが、海辺の高台に建つ国民宿舎の「庄内浜由良荘」に行く。ぼくの部屋は4階で、窓いっぱいに夕暮れの日本海が広がっている。さっそく、2階の大浴場へ。湯につかりながら、湯気で曇った窓ガラス越しに、水平線上に灯りはじめた漁火を見る。

 湯から上がり、浴衣に着替えると、食堂での夕食。夕食のあとは、今度はゆっくりと湯を味わうかのように長湯した。漁火の火が一段と輝きを増していた。

 この国民宿舎近くの浜辺には、由良の由来を書いた案内板が立っていた。その説明が興味深い。
「古代蜂子皇子(羽黒山開山の祖)が丹後の由良から船で北上し、出羽の由良近くの八乙女ノ浦で、8人の乙女の舞いに魅せられて上陸した」とある。

 その伝説は、海上の道でつながった日本海文化圏を強く感じさせるものだし、修験道の親玉のような人物が庄内美人にコロリとまいってしまうというのも、なんとも人間くさくて心ひかれる話だ。

 そんな伝説の地の由良温泉は、国道7号のすぐわきにある。ぼくは今までに何度か国道7号をバイクで走っているが、このようなところがあったなんて‥‥、気がつかなかった。これも“鈍行乗り継ぎ”の旅のよさというものだ。


“日本海美人地帯”を貫く羽越本線
 羽越本線の一番列車に乗るため、翌朝は4時半の起床。宿泊費は前の晩に払ってあるので、5時前に「庄内浜由良荘」を出る。玄関は閉まっているので、裏口の非常口からコッソリと出ていく。いくら一番列車に乗るためとはいえ、泥棒のようで、ちょっと気がひける。

 1時間かけて三瀬駅まで歩くと、駅舎には先客がいた。とれたての魚を売り歩く行商の“三瀬のオバチャンたち”。
「足が痛くてよー。困ったもんだのぉー。ピップ、はってんだども‥‥」
「それは困ったもんだのぉー」
「うんだ」
 と、そんな会話が聞こえてくるが、語尾の「のぉー」が耳に残る。

 三瀬発6時27分の酒田行きに乗ったのは、3人の“三瀬のオバチャンたち”とぼくの4人だけ。車内はガラガラだ。車窓には庄内平野が広がり、正面に鳥海山、右手に出羽三山がよく見える。3人の行商の“三瀬のオバチャンたち”は、鶴岡で降りた。

 酒田到着は7時38分。ここで7時58分発の秋田行きに乗り換える。電気機関車に引かれた3両の客車は満員。だが、「カソリの鈍行列車県境の法則」どおりに、秋田県境に近づくにつれて車内はガラガラになっていった。それが、秋田県内に入ると、あっというまに乗る人が多くなり、羽後本庄駅に着くころには満員だ。

 本庄ではゴソッと降り、また、ゴソッと乗った。乗客総入替えといった感じなのだ。ここでは、小さな子供を2人連れた“秋田美人の若いお母さん”と一緒に座る。子供用のお菓子をもらったりして‥‥。

 羽越本線最大の喜びは、なにしろ“日本海美人地帯”を縦貫する路線なので、こうして次から次へと車内で美人と出会えることだ。それともうひとつうれしいことは、“日本海美人地帯”の美人というのは、まわりにごくあたりまえに美人がいるせいなのだろう、自分が美人だという意識がうすく、あまりツンとしていないことだ。秋田美人のついでにいえば、その本場は横手、角館といわれている。

 羽越本線の終点、秋田には、9時59分に到着。“秋田美人の若いお母さん”と、すっかり仲良くなった2人の子供たちと分かれ、駅周辺を30分ほどプラプラと歩いた。


五能線で出会った津軽美人
 秋田駅で「わっぱ舞茸弁当」と「秋田魁新聞」を買って、奥羽本線の10時52分発東能代行きに乗り込む。日本各地の駅弁を食べること、地方紙をよむことは、“鈍行乗り継ぎ”の旅の大きな楽しみである。

 ところが、羽越本線以上の幹線の奥羽本線なのに、列車は1両の気動車。超満員の乗客なので、とてもではないが、駅弁をたべたり、新聞を読んだりすることはできなかった。

 東能代に着き、12時20分発の五能線深浦行き2両編成の気動車に乗ったところで、やっと「わっぱ舞茸弁当」を食べ、「秋田魁新聞」を読むことができた。

 左手の車窓いっぱいに広がる日本海を眺めながら走る五能線の旅は楽しい。白神山地の山並みが断崖となって日本海に落ち込む須郷岬を過ぎ、青森県に入るあたりの風景は、とくに見事だ。思わず窓ガラスに顔を押しつけて、流れていく風景に目をこらしてしまう。

 深浦では1時間以上の待ち合わせ。その間を利用して、漁港を歩き、日本海航路の北前船の資料を展示している歴史民俗資料館を見学する。深浦は上方と蝦夷を結ぶ北前船の寄港地として栄えたが、ここでも海路によって結びついた日本海文化圏というものを強く感じるのだった。

 15時30分発の深浦始発の弘前行きに乗る。2両の気動車。ぼくの乗った車両の乗客は5人だけ。深浦を発ってどのくらいたっただろうか、前の座席の女性が何かの拍子で立ち上がり、後を振り向いた。その瞬間、彼女とパッチリ目が合った。うそー。なんと、年のころは21、2といった絶世の津軽美人。細面の整った顔だち、まっ白な肌、長い黒髪‥‥。彼女と目があってからというもの、すっかり心がかき乱され、おちおち車窓の風景を楽しんではいられない。 

 鰺ヶ沢では16分の停車。すぐに駅待合室のキオスクに行き、アーモンドチョコを買い、車内に戻ると、「ひとつ、どうですか?」と声を掛ける。
 大成功! 
 そのおかげで同席することができた。彼女は弘前まで行くところだった。女子大生で、弘前で下宿しているという。

 ぼくは残念ながら五所川原で下車しなくてはならなかったが、“五能線の津軽美人”と向かいあっていろいろと話した30分あまりは、舞い上がるような気分で、あっというまに過ぎ去ってしまった。彼女と握手して別れたが、五所川原駅のプラットフォームに降り立っても、いつまでもポーッとしていた。

 五所川原からは440円の運賃を払い、津軽鉄道で金木に向かう。五所川原と津軽中里を結ぶ津軽鉄道はストーブ列車で知られているが、岩木川下流の津軽平野をトコトコと、といった風情で走っていく。

 五所川原から25分の金木は、作家の太宰治の生まれた町。生家は「斜陽館」という旅館になっている。ぼくが今晩泊まる宿は、駅から徒歩5分の金木温泉の一軒宿「金木温泉旅館」。泊まり客はぼく一人。大広間にポツンと座り、夕食を食べていると、何とはなしにわびしさを感じてしまう。

 温泉旅館は公衆温泉浴場をも兼ねているが、こちらの方はよかった。地元の人たちと一緒の湯に入っていると、駅の待合室でそれぞれの土地の言葉を聞くのと同じで、津軽弁での会話が聞こえてくる。それだけでのことで、金木が、津軽の世界が、ぐっと身近なものに感じられるようになってくるのだった。


奥羽山脈の峠上の温泉
 翌朝は、夜明けとともに「金木温泉旅館」を出発。金木の町を歩き、太宰治の生家の旅館「斜陽館」を外から眺める。そして6時58分発の一番列車、五所川原行きに乗った。五所川原から五能線、奥羽本線経由で青森に到着したのは、9時ちょうど。駅前食堂で朝食。本州の終着駅到着を祝って、一人で乾杯!

 朝っぱらのビールが腹にしみる。
 ビールを飲みおわったところで“すじこ定食”を食べた。

 青森からは9時47分発の盛岡行きに乗り、岩手県に入る。
 盛岡到着は13時50分。すぐさま13時53分発の田沢湖線の大曲行きに乗り換える。盛岡からはジグザグと何本かのルートで奥羽山脈を横断しながら南下していくのだが、田沢湖線がその“奥羽山脈横断線”の第1本目になる。

 奥羽山脈の県境の峠をトンネルで抜けて秋田県に入り、大曲へ。大曲からは、奥羽本線で横手へ。横手からは“奥羽山脈横断線”の第2本目の北上線に乗るのだ。 

 横手駅前の公衆電話で『温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら県境の峠、巣郷峠の真上にある巣郷温泉に電話したが、うれしいことに一発目の電話で「蘭寿苑」の宿泊がOKになった。今晩の宿も決まって、心豊かな気分で、17時30分発の北上行きに乗る。

 2両編成の気動車。新型車両なので、乗り心地が最高にいい。窓が広く、大きく、眺望も抜群だ。スピードが速いし、パワーもあって、ジーゼルのエンジン音も静か‥‥と、いいことずくめなのである。

 秋田県側の最後の駅、黒沢で下車。うれしいことに「蘭寿苑」のおかみさんが、乗用車でもって迎えにきてくれていた。このあたりが東北人のやさしさ。儲けにもならない一人ぽっちの客なのに‥‥。

「蘭寿苑」は木造2階建ての、新しい建物。プーンと漂う木の香がたまらない。すぐさま入った湯もいい湯で、湯船からはザーザー音をたてて湯が流れ出ている。湯量の豊富な温泉だ。おまけに、夜も昼も、1日24時間、入れるようになっている。

 湯から上がると、部屋に夕食を運んでくれた。なんと、刺し身、焼き魚、エビや山菜のてんぷら、煮物、酢の物、カニや鶏肉、野菜の入った鍋、茶碗蒸し‥‥などなど、全部で11品もの料理が出た。「蘭寿苑」の1泊2食の宿泊料金は7000円。とても7000円とは思えないような豪華な夕食に大満足。“温泉宿イコール高い”のイメージが定着してしまった昨今だが、探せばまだこのような温泉宿があちこちにあるのだ。

 翌朝は、目をさますなり、すぐに湯につかる。ぼくはこの目覚めの湯が大好き。温泉の朝湯ほど気持ちいいものもない。湯から上がったところで、朝早い時間なのにもかかわらず、宿のおかみさんには、黒沢駅まで車で送ってもらった。
 おかみさん、ほんとうにありがとう!


東鳴子温泉“駅前湯治宿”
 北上線の黒沢発7時05分の一番列車、北上行きに乗り、県境の巣郷峠を越えて岩手県に入る。峠を下ったところが「ほっとゆだ」駅。ここで途中下車。なにしろ、駅舎内に公衆温泉浴場のある駅なので、素通りすることはできない。

 入浴料120円を払って入った湯は、地元の常連客でにぎわっていた。絶好の社交場といった感じで、湯につかっていると、ポンポンと飛び交う地元ならではの話がぼくの耳に飛び込んでくる。さすがに駅舎内の温泉だけのことはあって、浴室内には信号灯がついている。列車の到着する45~30分前までは青、30~15分前までは黄、15分以内になると赤がつく。45分以上の時間があるときは無灯火だ。

 浴室内の信号が黄色から赤に変わったところで湯から上がり、売店で「岩手日報」を買い、8時36分発の北上行きに乗った。

 北上到着は9時18分。北上からは東北本線で一関へ。一関から大船渡線で太平洋岸の気仙沼に出、気仙沼線・石巻線で小牛田へ。小牛田からが“奥羽山脈横断線”の第3本目、陸羽東線になる。

 15時16分発の鳴子行きに乗り、終点の鳴子へ。
 駅周辺には、鳴子温泉の高層温泉ホテルが建ち並んでいる。温泉街を歩き、東北では数少ない延喜式の式内社になっている鳴子温泉神社に参拝。温泉地に“温泉神社”はつきものだが、東北では数の少ない延喜式内社の温泉神社があるということは、それだけで、鳴子温泉の歴史の古さを証明している。

 共同浴場「滝乃湯」に行く。すぐ近くの「高橋商店」で入浴券(150円)を買って湯に入る。常連のお年寄りたちと一緒の湯。熱めの湯と温めの湯の、2つの湯船がある。白濁した湯の色。打たせ湯もある。この「滝乃湯」は、駅前温泉の共同浴場としては最高の部類のもので、ぼくは鳴子温泉にくるたびに入っている。

 鳴子温泉の「滝乃湯」に満足したあと、鳴子からひと駅戻った東鳴子駅で下車し、東鳴子温泉の、ホームから見える駅前温泉旅館「初音」で泊まる。東鳴子温泉は大温泉地の鳴子とは違って、田園の中の温泉といった雰囲気。「初音」は湯治宿風。だが、春の彼岸も過ぎ、すでに湯治客は帰ったのだろう、宿はガランとしていた。湯治客用の炊事場も、きれいにかたづけられていた。

 さっそく、湯に入る。チョコレート色がかった茶褐色の湯の色。脱衣所は男女別々だか、中で一緒になる混浴の湯。ほかに入浴客もなく、自分一人で入る静かな湯だった。  

 夕食を終えると、今度はゆっくりと湯に入る。湯から上がると宿の近くを歩き、焼きいもを買って帰る。部屋の映りの悪いテレビを見ながらホカホカの焼きいもを食べていると、陸羽東線の最終列車が宿の窓ガラスを震わせて通り過ぎていった。

 翌日は「東北一周」の最終日。5枚つづりの“青春18きっぷ”だが、とうとう最後の5枚目の日になった。
 陸羽東線の東鳴子発7時00分の一番列車で新庄へ。新庄からは8時49分発の奥羽本線・仙山線経由の仙台行き快速「仙山6号」に乗る。山形~仙台間が“奥羽山脈横断線”4本目の仙山線。「仙山6号」はその間はノンストップだった。

 仙台からは11時13分発の常磐線、平(1994年12月1日より「いわき」に駅名を変更)行きに乗り、平到着は13時58分。だが、そのまま常磐線で東京に帰るようなカソリではない。阿武隈山地を横断する磐越東線に乗り郡山へ。郡山からは水郡線に乗り水戸へ。

 水戸到着は20時25分。いよいよ“鈍行乗り継ぎ”の最後の列車、水戸発20時45分の上野行きに乗った。8両編成の電車。土浦で4両連結され、12両編成で走り、終着駅の上野到着は22時48分だった。

 高崎線の上野発高崎行きを最初に、水戸で乗車した常磐線の平発上野行きを最後に、「東北一周」では全部で32本の列車に乗った。
 1万1300円の“青春18きっぷ”でこれだけ夢中になって楽しめるなんて‥‥。

 まるまる5日間の、時刻表だけを見ていればいいという至福の時に、ぼくは心から感謝するのだった。そして上野駅の到着ホーム、11番線で、改めて思った。
「列車旅は、“鈍行乗り継ぎ”が一番だ!」


■今回入った温泉
1・由良温泉(山形県)
2・金木温泉(青森県)
3・巣郷温泉(岩手県)
4・川尻温泉(岩手県)
5・鳴子温泉(宮城県)
6・東鳴子温泉(宮城県)

テーマ : 鉄道の旅    ジャンル : 旅行

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Category: 台湾一周2010

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2010台湾一周(29)墾丁→瑞穂(その5)
6月21日(月)晴

 大渓小学校では高学年のみなさんの踊りを見せてもらった。
 女子生徒は赤、男子生徒は黒を基調としたパイワン族の民族衣装を着ている。それにはきれいな刺繍がほどこされている。女子生徒も男子生徒も頭には飾りの輪をつけている。

 女子生徒たちは手をつなぎ、足を振り、ステップを踏んで踊る。男子生徒は戦いの踊りなのだろうか、武器のような棒を持って踊る。
 踊りに合わせてパイワン族の先生が澄んだきれいな声で歌を歌う。心にしみ込むような歌声だ。
 女子生徒と男子生徒は手をつなぎ、やがてフィナーレを迎える…。

 生徒たちの踊りを見せてもらったあとは、6年生の教室で昼食をいただいた。
 粟のチマキ。中には豚肉が入っている。それをコリコリした食感のカタツムリの煮つけをつまみながら食べた。

 昼食後、校長先生、担任の先生をまじえて生徒のみなさんとおおいに語り合った。
 みなさんからはいくつかの質問が飛び出したが、西方さんの通訳で、それらの質問のひとつひとつに答えていった。

 みなさんとの別れのときがやってきた…。
 まだ若い校長先生とは何度も握手をかわし、先生方1人1人とも握手をかわした。
 そして全校生徒に見送られ、大渓小学校をあとにした。

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大渓小学校の生徒のみなさんがパイワン族の伝統的な踊りを見せてくれる

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粟(餅粟)のチマキ

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カタツムリの煮つけ

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クラス全員の似顔絵

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校長先生、担任の先生をまじえてクラスのみなさんと話す

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

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Category: [オリジナル企画]18きっぷ旅2010冬

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■業務連絡:カソリさん、いつから18きっぷ連載を開始するんですか~?
管理人です。
師走の忙しさに埋没していましたが、いつからオリジナル企画の18きっぷ旅報告連載が始まるんでしょうか!
現時点で管理人にも不明です…。m(_ _;)m

しばしお待ちを。

===
同日18時過ぎ追記:

最初の原稿を拝受しました!
将来の課金モードを見据えて、どう展開するかな…少し思案のしどころ。

テーマ : 管理人からのお知らせ    ジャンル : その他

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Category: 台湾一周2010

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2010台湾一周(28)墾丁→瑞穂(その4)
6月21日(月)晴

 台湾東海岸の大渓に着くと、小さな町の入口にある大渓小学校を訪問。全校生徒の出迎えを受けた。校長先生や先生方にも暖かく迎えられた。生徒のみなさんには綺麗な花で飾った冠を頭につけてもらった。そんな生徒のみなさんたちとの記念撮影がはじまった。

 うれしいことに掲示板には、「鉄人賀曽利さん歓迎!」の手書きの大きなポスターが貼られていた。それを描いてくれた女子生徒とは2ショットの記念撮影。

 このエリアは昨年(2009年)の台風で大きな被害を受けたところ。小学校は見た目には元どおりになっているかのようだった。

 台鈴からの文房具用品やスズキのグッズが大渓小学校に送られ、そのあとは全校生徒、校長先生や先生方、台鈴のみなさんたちの記念撮影。そして今回の「台湾一周」でのクライマックスシーンといってもいいような、大渓小学校でのイベントがはじまった。

 大渓小学校の生徒は全員が台湾の先住民、パイワン族。
 山地民の彼らと接していると、1976年にこの地方を訪れたときのことが、なつかしく思い出されてくるのだった。

 そのときはパイワン族とルカイ族の村を訪ねたのだが、とくに石造りのパイワン族の家が印象に残っている。
 石を積み上げた壁柱、大きな一枚石の壁板、石で葺いた屋根と、まさに「石の家」だった。
 外は猛暑といってもいいような暑さだが、「石の家」に入ると、ひんやりとして涼しかった。

 そこは粟をつくる村で、粟餅をいただき、粟酒をふるまわれた。粟を貯蔵する高床式の4本足の倉も見せてもらった。

 粟は3月中旬に種をまき、7月の中旬に収穫し、8月15日には村をあげて盛大な粟祭りをするという。粟餅と粟酒は間近に迫った粟祭り用のもの。

 あれから30数年、今でも石の家や粟の栽培が残っているのだろうか…。
 大渓小学校のパイワン族の生徒のみなさんを見ていると、そんなことを考えてみるのだった。

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大渓小学校に到着

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大渓小学校の生徒たちのお出迎え!

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大渓小学校の生徒たちと記念撮影

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「鉄人賀曽利さん歓迎!」のポスターが貼られている

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「鉄人賀曽利さん歓迎!」を描いてくれた女子生徒と

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大渓小学校の全校生徒と校長先生や先生方、台鈴のみなさんとの記念撮影

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Category: 子連れサハラ縦断1977~78

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子連れサハラ縦断(2)
(『月刊アフリカ』1978年11月号 所収)

オカリナ計画

 第4回目のアフリカ旅は自分1人ではなく、パートナーがいた。妻となる洋子だ。彼女は「六大陸周遊」(1973年~74年)からの帰国を首を長くして待ってくれていた。

 洋子は障害児をあずかる保育園で看護婦として働いていた。仕事が終ったあと、東京・阿佐ヶ谷の「オカリナ」という喫茶店でよく会った。アフリカの地図を目の前にして、あれこれと計画を練った。こじんまりとした「オカリナ」は居心地がよく、いつも長居した。

 そこで生まれた計画のあらましは次のようなものだ。
 横浜港から船でソ連のナホトカに渡り、シベリア鉄道でソ連を横断し北欧に入る。
 北欧から鉄道でヨーロッパを南下し、スペイン、ポルトガルへ。

 スペインのアルヘシラス港からジブラルタル海峡をフェリーで渡り、アフリカ・モロッコのタンジール港へ。
 北アフリカを列車で行き、アルジェリアのアルジェへ。そこから「サハラ縦断」を開始。ニジェールのアガデスを経由し、ナイジェリアのギニア湾岸のラゴスへ。

 ラゴスからは「アフリカ横断」。ザイールの熱帯雨林を抜け、東アフリカ・ケニアのインド洋岸のモンバサを目指す。

 アフリカを旅していく中で、砂漠・サバンナ・熱帯雨林の各一地点に滞在する。そこではできるだけアフリカ人のごく普通の生活に密着する。
 横浜からモンバサまでは1年あまりを予定する。

 モンバサに到着した時点で体力的にも、金銭的にも余裕があったら、モンバサ港から船でインドのボンベイ港に渡り、さらに東南アジアの国々をめぐり、タイのバンコクから日本に帰る。その場合は全部で1年半を予定する。
 ぼくたちはこの計画を「オカリナ計画」と名づけた。


「雪おろしでも手伝いに行くよ」

 1974年の暮、上越線の夜行の鈍行で洋子の故郷、新潟県の小出に行った。列車が清水トンネルを抜け出ると、夜目にも鮮やかな雪の白さ。スキー場の灯がまばゆいばかり。小出駅に着くと、1時間ほど歩いた。凍りついた雪道に滑り、ツルン、スッテンとたてつづけにころんだ。その格好がおかしいといって洋子は笑った。さすが雪国に生まれ育っただけあって、雪道に慣れている洋子は、1度もころぶことはなかった。

 洋子には故郷の話を何度か、聞いていたので、以前から興味を持っていた。
「雪おろしでも手伝いにいくよ」
 と、軽い気持ちで小出までやってきたのだ。

 雪は2メートル以上、積もっていた。あたり一面、すっぽり雪に包まれていた。
 夜が明けた頃、洋子の家に着いたが、お父さん、お母さんには暖かく迎えられ、甘酒をご馳走になった。冷え切った体に甘酒がしみ込んでいくようだった。
「雪おろしを手伝うよ」
 といっておきながら、いざ屋根の上に登ってみると、雪を下ろすどころか滑り落ちないようにするので精一杯…。


1万円の結婚式

 それから3ヵ月後の1975年3月に我々は結婚した。
 最初は、
「2人だけの結婚式をしよう。どこか山奥の神社に行って、パチン、パチンと手をたたくんだ。そうだ、北アルプスが見える奥飛騨あたりがいいなあ…」
 などと話していた。

 ところがまわりからの反対、圧力は強く、結局、我々は結婚式を挙げることになった。とはいっても式の費用など一銭もなかった。

 そこでぼくの所属していた日本観光文化研究所(観文研)の宮本千晴さんにいろいろとお願いしたのだ。
 まずは結婚式場。1日1万円で借りた保育園が会場になった。
 次に仲人。宮本千晴さんご夫妻にお願いしたが、
「カソリな、こういうのはオヤジの方がいい」
 といって観文研所長の宮本常一先生ご夫妻に頼んでくれたのだ。

 宮本先生といえば日本民俗学の最高峰のような方。生涯を通じてほとんど仲人をしていないが、息子の千晴さんからのたっての頼みということで引き受けてくださった。

 さらに観文研の神崎宣武さんが神主をしてくれることになり、工藤員功さんが会場の飾りつけをしてくれ、山田まり子さんや佐々木真紀子さんらの女性陣がたいそうな料理をつくってくれた。

 式のプロデューサーは宮本千晴さんだ。昼過ぎに始まった結婚式は延々と夜遅くまでつづいた。
 ぼくは腰が抜けるほどしこたま飲み、足がもつれてふらついた。夜も10時過ぎになって大宴会はお開きになったが、宮本常一先生ご夫妻をはじめとして、宮本千晴さんや観文研のみなさんのおかげで結婚式をあげられたようなものだ。

 結婚式に使ったのは1万円だけ。
 カソリが結婚したということで、多くの人たちからお祝いをいただいた。それがそっくりそのま「オカリナ計画」の資金の一部になった。

テーマ : 海外旅行    ジャンル : 旅行

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Category: 子連れサハラ縦断1977~78

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子連れサハラ縦断(1)
(『月刊アフリカ』1978年11月号 所収)

20歳の旅立ち

 ぼくが初めてアフリカを旅したのは20歳の時のことだった。
 とにかく日本を飛び出し、広い世界を自由自在に駆けめぐりたかった。
 1968年4月から20ヵ月あまりをかけ、スズキの250ccバイク、TC250を走らせてアフリカ大陸を一周した。

 野宿したり、村々で泊めてもらったりという、宿泊費ゼロの超貧乏旅行。食費をギリギリまできりつめたので、いつも腹をすかせていた。泥水をすするということもたびたびで、何度も病に倒れた。そのたびに立ち上がれたのは、アフリカの人たちの温かな心づかいのおかげだった。
 この「アフリカ一周」ですっかりアフリカのとりこになってしまった。

 2度目のアフリカは「サハラ縦断」がメインだった。
 1971年8月から14ヵ月をかけ、スズキの250ccバイク、ハスラーTS250を走らせて「世界一周」。タイのバンコクを出発点にインドから西アジア、アラビア半島を横断し、紅海を渡ってアフリカへ。砂漠の砂道や雨期直後の泥道との悪戦苦闘の末、アフリカ大陸横断を成し遂げ、西アフリカのギニア湾岸に出た。そして地中海を目指してサハラ砂漠を縦断したのだ。

 サハラは途方もなく大きかった。水も食物もとことん乏しい世界。強烈な太陽光線に焼きつくされ、ユラユラ揺れる逃げ水が砂漠一面に広がっている。蜃気楼の水面には荒れた岩山の影が映っている。

 そのような極限の世界でも、サハラの人たちは毎日の生活を営んでいた。ラクダやロバ、ヤギ、ヒツジとともに、わずかばかりの水と草を求めて広大なサハラを移動していた。

 3度目のアフリカでは、アフリカ大陸の国々、すべてに足を踏み入れようとした。
 1973年8月、タイのバンコクを出発点にし、アジア→オーストラリア→アフリカ→ヨーロッパ→北アメリカ→南アメリカと世界の6大陸をめぐったが、残念ながらアフリカではボツワナ、赤道ギニア、ビニア・ビサウの3ヵ国には入れなかった…。

 このときは主にヒッチハイクで6大陸を駆けめぐった。
 アフリカのヒッチハイクは楽ではなかった。2日も3日も、1台の車も通らず、100キロ以上歩きつづけたこともある。日暮れが近づくと、村で止まり、
「ひと晩、泊めてもらえないでしょうか」
 と、身振り手振りを織り交ぜて頼み込む。このような時、まずこばまれることはなかった。それどころか、食事を出され、地酒を振舞われることがたびたびだった。


「砂漠・サバンナ・密林計画」

 ぼくの旅の仕方は向こうへ、その向こうへと、絶えず移り動いていくものだった。地図上に自分の足跡の赤線を引いていくような旅だった。そのような赤線が延びていくことで十分に満足だった。その赤線を延ばしていくためなら、どんな苦労もいとわなかった。

「あの国境を越えるのは無理だ」
「あの地域に入るのは不可能だ」
 といった話を聞くと、よけいに行ってみたくなり、そのような国境、地域を目指したものだ。

 だが3度のアフリカの旅で、アフリカの地図をほぼ自分の足跡の赤線で埋め尽くしてしまうと、何か、胸の中にポッカリと穴があいたような気分で、虚しさ、寂しさを感じるようになった。あれほど夢中で駆けめぐっていたアフリカはスーッと遠ざかっていくような気がした。

 そのようなときに、ぼくは以前から願っていたアフリカの旅をしたいと思うようになった。それはアフリカの地図上に線を引くような旅だけではなく、アフリカの地図上に針の先でつついたような1地点に滞在する旅を織り交ぜていく旅の仕方だ。そこに住む人たちの中に入り込み、通過していくだけでは見ることのできない、アフリカの人たちの生活ぶりを見てみたいと思うようになった。

 で、4度目のアフリカの旅はこのような旅にしようと決めた。アフリカの砂漠・サバンナ・密林の3地点に焦点を当てるのだ。
 名づけて「砂漠・サバンナ・密林計画」。
 アフリカを旅していく中で、この砂漠・サバンナ・密林の1地点づつに滞在し、アフリカの普通の人たちの生活ぶりを見てみようとしたのだ。

 アフリカの多くの人たちは、きわめて強く自然と結びついた生き方をしている。アフリカの代表的な自然といったら砂漠・サバンナ・密林だ。もちろん砂漠が突然サバンナに変わり、密林に変わるというものではない。

 乾燥度の違いにより、例えばサハラ砂漠を例にとると、その南には「サヘル」と呼ばれるステップ地帯が広がり、乾燥したサバンナから徐々に湿潤なサバンナに変わり、熱帯雨林地帯に入っていくという構図になっている。
 アフリカを旅していく中で、この砂漠・サバンナ・密林に住む人たちに目を向けようという試みだ。

テーマ : 海外旅行    ジャンル : 旅行

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Category: 台湾一周2010

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2010台湾一周(27)墾丁→瑞穂(その3)
6月21日(月)晴

 楓港の交差点は台北から台中→台南→高雄と台湾の西海岸を南下する国道1号の終点だ。ここから台湾山脈の南端を越えて東海岸に出、国道9号で北上していく。

 その前に楓港の交差点にあるマンゴーの販売店に立ち寄った。
 楓港の周辺は台湾屈指のマンゴーの産地。店先で販売するだけでなく、ここからは箱詰めにされたマンゴーが台湾の各地に送られていく。

 店の奥さんと2ショットの写真を撮ったあと、楓港産のマンゴーを賞味する。とろけるような甘さがたまらない。

 収穫したマンゴーを満載にした軽トラがやってきた。それにはかわいらしい子供が乗っていた。台鈴の李さんがスズキのグッズをあげると、はにかみながらも喜んでいた。
 いやー、かわいらしい!

 楓港を出発。
 正面に立ちふさがるようにして連なる山並みに向かって走る。片側2車線の道は1車線になり、山中に入ると峠に向かって登っていく。大型トラックのけっこう走っているので追い越しが大変だ。
 ゆるやかな峠を越えると太平洋が見えてくる。
 台湾海峡から太平洋へ、海が変った。

 台湾東海岸の大渓に到着。緑が濃い。
 キャッサバ畑を見る。ココヤシの葉が風に揺れている。亜熱帯というよりも熱帯の風景。日差しも強い。

 この一帯は昨年(2009年)の台風で大きな被害を受けたところ。そんな大渓にある大渓小学校を訪問することになっている。

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楓港のマンゴーの販売店

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楓港のマンゴーは台湾全土に出荷される

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楓港のマンゴーをいただきま~す!

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台鈴の李さんはスズキのグッズをプレゼント

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マンゴー販売店の石敢当

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楓港から台湾の東海岸へ

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大渓のキャッサバ畑

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緑濃い大渓の風景

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

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Category: 林道紀行

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カソリの林道紀行(36)東北編(7)吹雪の山形縦断編
(『バックオフ』1996年1月号)
みちのく5000(7)

十部一峠、18時。
猛吹雪、気温、氷点下12度。
酒田、20時。
猛烈な季節風、風速35メートル。

みちのくの冬の厳しさを思い知らされた。
すさまじい。あまりにもすさまじい。
季節は11月、それもまだ上旬だというのに‥‥。
カソリ、暴風雪にもみくちゃにされながら、それでも走った!

◇◇◇
 みちのくの初冬の嵐は、東京を出発する前からわかっていた。天気予報は繰り返して、東北の日本海側は大荒れの天気になるだろうといっていた。
 だが、そのくらいのことで、
「ハイ、そうですか」
 といって、尻尾を巻いて逃げるようなカソリではない。
「よーし、やってやろうじゃないか」
 と、よけいに気分を熱くさせて、初冬の嵐に立ち向かっていくことにした。

 真夜中の12時に、東京・渋谷のBO編集部を出発。バイクはいつものDR250R。だが、いつもの相棒のブルダスト瀬戸は、今回は一緒でない。それがちょっぴり寂しいことだった。

 東京を出発するときから、みちのくの嵐を予感させるような荒れ模様の天気。激しく降りしきる雨をついて、首都高から東北道を北へと、DRを走らせる。
 それにしても、この季節の雨は辛いゼ。ほんとうに…。
 雨と寒さと睡魔のトリプルパンチに見舞われ、メロメロ状態で、那須高原SAにたどり着いた。

 レストランの屋根の下でゴロ寝。雨具を着、ヘルメットをかぶったまま、1時間ほど眠る。目を覚ますと、体は氷のように冷えきっていた。

 福島県に入り、白河を過ぎると、やっと雨は上がった。そのかわり、奥羽山脈から吹き下ろす風がすさまじい。DR250Rは、まるで木の葉のように、強風にもてあそばれてしまう。
 安達太良SAで朝食。いつもの豚汁定食。1杯の豚汁で生き返る。

 6時、福島飯坂ICに到着。ここで、岩手県在住のカメラマン、伊勢ひかるさんと落ち合う。伊勢さんは福島から青森まで、今回のエリアFの全行程を同行してくれるのだ。

 R13で山形県境に向かう前に、飯坂温泉に立ち寄る。共同浴場の「鯖湖湯」でひと風呂浴びたあと、福島交通の終点、飯坂温泉駅前で、芭蕉像に対面。芭蕉は「奥の細道」で飯坂温泉に1泊している。
「芭蕉さん、また会いましょうね」
 と、芭蕉像にひと声かけ、福島を出発するのだった。

 福島は晴れていた。つかのまの晴れ間といったところだ。
 R13で山形県境に向かっていくと、前方には、まっ黒な雨雲。あっというまにそのなかに突っ込み、冷たい雨が降りだす。もう、冬の雨だ。

 長い東栗子トンネルを抜け、山形県に入ったところで、国道を左折。板谷の集落へ。ここから、吾妻山北麓の秘湯群に入りまくるのだ。

 第1湯目は、五色温泉。板谷の集落から、かなり登ったところにある一軒宿の温泉だ。雨が雪に変わり、チラチラ舞っている。さっそく「宗川旅館」の内風呂に入る。緑色がかった湯の色。湯につかった瞬間に、雨と雪の寒さに痛めつけられた体に血の気が戻る。この、温泉の瞬間的な効果はすごい! 
 体中に、いっぺんに元気がよみがえってくるのだ。

 五色温泉からは、五色温泉林道で滑川温泉へ。5キロのダート。雪の降り方は勢いを増し、落ち葉の上に新雪が積もっていく。
「おー、そうだよ、こうでなくては!」
 と、最初のうちは、降りしきる雪を喜ぶ余裕がまだあった。

 滑川温泉も一軒宿の温泉。冬期休業の準備であわただしい「福島屋」の内風呂に入る。湯治客に人気の温泉だけあって、湯がいい。硫化水素泉の湯には湯の花が浮いている。
 滑川温泉から姥湯林道で最奥の、日本屈指の秘湯、姥湯温泉へ。
 4キロのダート。
 激しく降りしきる雪で林道はすでにまっ白だ。

 滑川温泉から姥湯温泉への道は急勾配。スイッチバックがあるほど。
 登りきれなくなると、DRを押し上げる。雪にツルッと滑り転倒‥‥。もう、雪との大格闘の連続。やっとの思いでたどり着いた姥湯温泉なだけに、雪見露天風呂は格別だ。
 ここも一軒宿だが、「桝形屋」も冬期休業の準備であわただしかった。みちのくの山あいの温泉宿は、長い、長い冬ごもりに入るところだった。

 同じルートで板谷に戻り、ダート5キロの板谷峠を越える。峠下の湯ノ沢温泉に入り米沢へ。
 里にはまだ雪はなく、冷たい雨が降っていた。

 米沢からは最上川沿いにR287を走る。冷たい雨が降りつづく。オフロードブーツの中はズボズボビショビショで田んぼ状態。足が凍りつき、もう、感覚もないほどだ。

 大江町の中心左沢からはR458で十部一峠に向かう。峠に向かって登るにつれて、雨は雪に変わる。高度を増すにつれて、気温がグングン下がり、雪が深くなる。
 すでに交通は途絶え、通る車はまったくない。
「引き返せばよかったかなあ‥‥」
 と、悔やんだが、もう遅い。
「なんとしても峠まで行くのだ」
 まるで憑かれたように雪道にアタックし、ひたすらに峠を目指す。

 きつい登りがつづく。
 ツルッと滑り、思いっきり左足で踏んばったが、そのまま、股裂き状態で転倒。このダメージは大きかった。左足つけ根の痛みのために、ほとんど踏んばりがきかなくなり、たてつづけに転倒。そのたびに体力を消耗していく。
 死にものぐるいで十部一峠に到着したときは、うれしかったよー。
 これでまた、力が蘇った。

 だが、冬のみちのくはそんなに甘くはなかった。
 十部一峠の下りは、猛吹雪だった。
 猛烈な勢いでたたきつけてくる雪のため、ゴーグルが使えない。そのため、裸眼で走るのだが、目に突き刺さってくる雪は凶器そのもの。

 十部一峠から20キロ以上走り、肘折温泉の灯が見えてきたときは、
「助かった!」
 と、神仏に手を合わせて感謝したくなるほどだった。

 肘折温泉からR47に下ると、雪は消えた。
 だが、R47で日本海に近づくと、今度は猛烈な季節風だ。
 真横から吹かれると、DRはフワーッともっていかれ、何度も対向車線に飛び出しそうになる。これほどの風は、南米の“風のパタゴニア”以来のこと。
 猛烈な季節風にもみくちゃにされながら、9時過ぎに鳥海山中腹の湯ノ台温泉「鳥海山荘」に着いた!

 翌日は、鳥海山の東側を越える奥山林道に入っていく。この林道は、県境の峠を境に手代林道となり、秋田県側の湯ノ沢温泉方面に通じている。奥山・手代林道は、林道を走りつないでの東北縦断では、欠くことのできない林道になっている。

 奥山林道のダートに入り、県境の峠に向かって登っていく。高度を増すにつれて、あっというまに雪が深くなる。またしても、雪との大格闘。車の轍が途切れると、純白無垢の雪原に、DRのタイヤの跡だけが残る。それは幻想的な光景だった。

 なんとか峠まで行きたい!と思ったが、積雪が30センチを超えると、もう、にっちもさっちもいかない。で、残念ながら、林道入口から10キロの地点で引き返すことにした。ほんとうは、奥山・手代林道をメインに鳥海山周辺のダートを何本か走りたかったのだが、この雪ではどうしようもない‥‥。

 R7に出、日本海の海岸線を北上する。雪雲の切れ間から見える右手の鳥海山はすでに冬景色。左手の日本海は大荒れに荒れ、牙をむいて、大波が海岸に打ち寄せていた。

 山形県から秋田県に入り、「奥の細道」最北の地の象潟へ。蚶満寺に参拝。ここでは、飯坂温泉に次いで2度目の、芭蕉像との対面をした。

 芭蕉がこの地にやってきたころは、象潟はその地名どおりの、風光明媚な潟だった。だが、その後の象潟大地震で地盤が隆起し、かつての潟に浮かぶ小島は、今では水田の中にこんもりと盛り上がる小丘になってしまった。当時と変わらぬままに、小丘は、松の古木で覆われている。
 おしかったなあ、象潟は‥‥。
 もし潟のままだったら、象潟は松島と同じような名所になっていた。

 象潟は「奥の細道」のクライマックスシーン。ここでの描写がぼくは好きだ。
「風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天をささえ、その影映りて江にあり」。
 これは「奥の細道」随一の名文といっていい。
 胸がジーンとしびれてしまう。

 名残おしい象潟に別れを告げR7で本荘へ。
 R107で横手へ。
 横手駅前温泉でたっぷりと時間をかけて湯につかり、予定を変更してJR奥羽本線の横手駅前を今回のゴールにするのだった。


■コラム■共同浴場の魅力           
 今回のエリアFの出発点の福島では、飯坂温泉の共同浴場「鯖湖湯」に立ち寄った。熱めの湯につかったときの極楽気分といったらない。東京から福島まで、雨中、夜通し走った辛さなどいっぺんに吹き飛んでしまう。
 また、これが共同浴場のよさなのだが、湯の中での地元のみなさんとの話が楽しい。
 ぼくはこれを称して“湯の中談義”といっている。

 東北でも有数の大温泉地の飯坂温泉はいい。何がいいかって、ここには「鯖湖湯」のほかにも、「波来湯」や「切湯」、「仙気の湯」など全部で8湯もの共同浴場があり、入浴料はどこも共通で、50円と安い。おまけに、朝早くから夜遅くまで入れる。
 温泉はこうでなくては!

 共同浴場というのは、温泉地の格を見る絶好のバロメーター。これを称して“カソリの共同浴場バロメーター論”というのだが、いい共同浴場のある温泉地というのは、きわめて格が高いといえる。それ式でいうと、飯坂温泉などは横綱級の温泉地なのである。

 飯坂温泉の全8湯の共同浴場の中でも、この「鯖湖湯」が一番だ。
 新しく建て直されたばかりなので、木の香がプンプン漂い、気分よく湯に入れる。ここは飯坂温泉発祥の地で、歴史も古い。芭蕉が「奥の細道」でやってきたときも、この湯に入ったかもしれない。

「鯖湖湯」は“日本の共同浴場ベスト10”に入るような湯。東北ではそのほか、宮城県鳴子温泉の「滝ノ湯」や山形県小野川温泉の「尼湯」などの共同浴場がすごくいい。


■データ編■
(林道)
1、五色温泉林道
ダート距離10km(往復)
走りごたえ☆☆☆
景色のよさ☆☆☆
五色温泉の一軒宿、「宗川旅館」のわきから入っていく。山中を小刻みなカーブの連続で抜けていく。滑川温泉の手前で舗装路にぶつかるが、岩盤を流れ落ちる滝が見事。

2、姥湯林道
ダート距離8km(往復)
走りごたえ☆☆☆
景色のよさ☆☆☆☆
滑川温泉から姥湯温泉へ、一気に駆け登っていく林道。ほかでは見たことがないのだが、4輪用のスイッチバックがある。急勾配の登り。姥湯温泉で行止まり。

3、板谷峠林道
ダート距離5km
走りごたえ☆☆☆
景色のよさ☆☆☆
板谷の集落からJR奥羽本線の板谷駅前を通り、板谷峠に向かっていくと、峠の1キロ手前でダート。中央分水嶺の板谷峠を越え、峠下の笠松温泉までが、ダート区間。

4、R458
ダート距離22km
走りごたえ☆☆☆☆
景色のよさ☆☆☆☆☆
十部一峠越えのルートで、国道に昇格し、R458になった。舗装区間が延びているが、それでもまだ、十分におもしろく走れるダートーコース。峠下には肘折温泉。

5、奥山手代林道
ダート距離20km(通行可能区間の往復)
走りごたえ☆☆☆☆☆
景色のよさ☆☆☆☆☆
鳥海山を越える東北屈指の林道。山形側の升田から秋田側の百宅に通じる。山形側は奥山林道、秋田側は手代林道になる。峠を越えた秋田側の大清水は鳥海山の登山口。                        

(温泉)
1、飯坂温泉「共同浴場・鯖湖湯」(入浴料50円)。
飯坂温泉は宮城県の鳴子温泉、秋保温泉とともに“奥州三名湯”に数えられる。東北有数の大温泉地。

2、五色温泉「宗川旅館」(入浴料500円)。
一軒宿の温泉。白鳳時代に発見されたという古い歴史を持つ。森林浴できる樹林の中に露天風呂がある。

3、姥湯温泉「桝形屋」(入浴料400円)。
吾妻連峰の稜線を目の前にする渓谷の温泉。露天風呂の湯につかりながら、ニホンカモシカを見ることもある。

4、滑川温泉「福島屋」(入浴料300円)。
渓谷の一軒宿の温泉。湯治客に人気の湯。大浴場、露天風呂ともに混浴。名瀑の大滝、亀滝が近い。

5、湯ノ沢温泉「すみれ荘」(入浴料400円)。
板谷峠から米沢盆地に下ったところにある。立ち寄りには絶好の温泉。レストランで食事もできる。

6、湯ノ台温泉「鳥海山荘」(入浴料300円)。
鳥海山の中腹(南側)にある温泉。奥山手代林道入口の升田に近い。鳥海山の自然を満喫できる宿。

7、横手駅前温泉「ゆうゆうプラザ」(入浴料700円)。
横手の町のど真ん中で、最高の温泉気分を味わえる。夕方4時以降は、入浴料400円。

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2010台湾一周(26)墾丁→瑞穂(その2)
6月21日(月)晴

 台湾最南端の岬、ガラン鼻に立ったあと、岬周辺に広がるガラン鼻公園を歩く。
 きれいな園地。高台からは北へと延びる台湾西海岸の海岸線を望む。
 そこには白亜のガラン鼻灯台が建っている。1882年に造られたもので、高さは21メートル。海面からの高さは55メートルだという。

 ガラン鼻公園には台湾の領域を示す「台湾全図」があった。
 台鈴の李さんは、全図の右上にある枠で囲った部分を指し、
「カソリさん、ここは台湾領だからね。日本領でも中国領でもないからね」
 と、きっぱりといいきった。

 李さんが指差したところには「釣魚台」と書かれている。
 台湾では尖閣諸島のことを釣魚台といっている。主島の魚釣島からきているのだろう。 李さんの言葉でひとつ興味深かったのは、「中国領でもないからね」だった。
 ここでも台湾は台湾、中国は中国という台湾人の強い気持ちの一端がうかがい知れた。

 最後に台湾最南の廟、保安宮を参拝し、ガラン鼻を離れた。何とも名残おしいガラン鼻だった。
 来た道を戻り、墾丁の「マクドナルド」で朝食。チーズバーガーを食べた。

 墾丁から恒春へ。映画「海角七号」の舞台になった町。道標には車城まで7キロ、楓港まで21キロとある。
 恒春から福安宮のある車城を通り、台東への道が分岐する楓港に到着。ここから台湾の東海岸に入っていく。

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ガラン鼻公園を歩く

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ガラン鼻公園から台湾西海岸の海岸線を見る

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ガラン鼻灯台

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ガラン鼻公園の台湾全図

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保安宮を参拝

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墾丁のマクドナルドで朝食

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墾丁にやってきた観光バス

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恒春に到着

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楓港の交差点

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楓港の道標。ここは国道1号の終点

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カソリの島旅(87)高知→徳島
(『ジパングツーリング』2002年6月号 所収)

 高知から国道55号で室戸岬へ。
 その途中、安芸市の食堂「矢流」で、土佐名物のドロメ(シラウオ)を食べた。ドロメの酢の物とドロメ汁のついたドロメ定食(1800円)だ。
 1999年の「日本一周」で食べ損なっているので、3年越しの願いをかなえたことになる。

 室戸岬からは四国の東海岸を北上。高知県から徳島県に入る。
 徳島県に入ってすぐのところにある竹ヶ島へ。短い橋で渡っていける島だ。ここは漁業の島。同じような漁業の島、高知県の柏島、中ノ島同様、竹ヶ島にはバイクで走れるような道はない。だがSMX50ともども島に入ったというだけで、それなりの満足感があるものだ。

 国道55号を北上。
 海南町から牟岐町にかけての海岸からは出羽島、津島、大島の3島を見る。そのうち出羽島は有人島だ。阿南市に入ったところで、阿波橘駅近くの答島港に急ぐ。そこから四国最東端の島、伊島に船が出ている。

「間に合った!」
 答島港到着は16時15分。伊島への船の最終便は16時30分だと聞いていた。
 ところが待合室前の岸壁には伊島行きの船は見えない…。

 港で作業している人に聞いてみると、最終便は15時30分に出たという。
「四国一周の最後は伊島だ!」
 と、気合を入れて答島港まで来ただけに、ガックリきた。

「よし、それならば」 
 と気持ちを切り替え、四国本土最東端の蒲生田岬に向かう。
 オープンしてまもない船瀬温泉「保養センター」(入浴料500円)の湯に入り、岬近くの民宿「あたらし屋」に泊まる。

 翌朝、夜明けの蒲生田岬の展望台に立った。
 雲ひとつない東の空が赤くなり、赤みを増し、やがて朝日が昇る。なんとも神々しい眺め。岬の沖に浮かぶ四国最東端の伊島も赤く染まっている。

 そんな蒲生田岬をあとにし、阿南から徳島へ。
 徳島港に到着し「四国編」を終えた。 全行程1874キロの「四国一周」。
「オーシャン東九フェリー」の東京港行き「おーしゃん うえすと」に、SMX50ともども乗り込むのだった。

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Category: 台湾一周2010

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2010台湾一周(25)墾丁→瑞穂
6月21日(月)晴

 墾丁のリゾートホテル、「福容大飯店」を出発。台湾最南端のガラン鼻に向かう。

 海岸には船帆岩。台鈴の李さんは、
「(この岩は)アメリカの元大統領のニクソンに似ているっていわれてるんだ」
 と教えてくれた。
 そういわれてみると、尖った鼻が似ているようにも見える。

 台湾最南の小さな町並みを走り抜け、台湾最南の旅館の前を通り、ガラン鼻の入口へ。
 そこからは亜熱帯樹のおい茂る林間の小道を行き、ついに東経120度50分00秒、北緯21度53分59秒のガラン鼻に立った。ガラン鼻は今回の「台湾一周」では一番期待したポイントなので、まさに感動の瞬間だ。

 目の前にはフィリピン・ルソン島との間のバシー海峡が広がっている。水平線上に島影は見えない。岬のすぐ沖を漁船が通り過ぎていった。
 台湾最南端碑の前で台鈴のみなさんと一緒に記念撮影。

 最南端碑の前には最南端周辺の案内図がある。
 それを見ながら「岬」について考えた。

 ガラン鼻の鼻は「岬」を意味している。日本でも岬、崎のほかに鼻のついた岬名は数多くある。日本本土最西端の岬は神崎鼻、薩摩半島南端の岬は長崎鼻…といった具合だ。

 台湾最北端の岬は基隆の北の富貴角、台湾最東端の岬は三チャオ角で、やはりこの「角」も岬を意味している。三チャオ角のすぐ北には鼻頭角がある。

 そのほか台湾の地図をざっと見ると、基隆の近くには野柳岬がある。台湾では「岬」という字が日本で意味するところの岬として使われている。

 ところで「峠」は日本人の作り出した日本の国字だが「岬」は漢字になる。だが意味がまったく違う。
 中国語の岬は英語でいうところの「ケープ」や「ポイント」でなく、山々が平地に落ちる先端をいう。

 何をいいたいかというと、中国には地形としての岬は数多くあるが、地名としての岬はひとつもない。半島名はあっても岬名のない国なのだ。それは朝鮮半島も同じで、半島名はあっても岬名はない。このあたりは朝鮮半島が日本以上に中国文化の影響を強く受けてきたからだろうと、「岬のカソリ」は考えている。

 岬名のあるなしが日本と中国との大きな違いになっている。
 台湾は岬名の数はそれほど多くはないが、ちょうど日本と中国の中間にある国といっていい。

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「福容大飯店」のプールを見下ろす

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部屋から台湾最南端のガラン鼻を見る

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「福容大飯店」を出発

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船帆石

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台湾最南の町並み

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台湾最南の旅館

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ガラン鼻の入口

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台湾最南端のガラン鼻に到達!

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台鈴のみなさん

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台湾最南端の案内図

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バシー海峡を漁船が行く

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2010台湾一周(24)台南→墾丁(その9)
6月20日(日)晴

 台鈴のみなさんと一緒に、台湾最南のリゾート地、墾丁を歩く。まるで不夜城のよう。 無数のネオンが光り輝いている。ものすごい人出。車道まではみ出した人の波が際限なくつづいている。

 まさに夜市といったところで、雑貨や衣類、サトウキビのジュース、フルーツジュース、饅頭、揚げパン、鶏の丸焼き、アヒルの炙り肉、魚餅などなど、もう無数といっていいくらいの屋台が出ている。それらをひとつづつ、のぞいていくのは楽しいことだった。

 大通り沿いには「巴士海峡」という名の旅館があった。
「巴士海峡」というのは台湾とフィリピン・ルソン島との間のバシー海峡のことだ。その看板を目にしたとき、夢はさらに南の世界へと飛んでいった。

 いつの日か九州から沖縄へ、そして台湾からフィリピンの島々、ボルネオ島、さらにはインドネシアの島々へ、南へ南へと海上の道を行きたくなったのだ。

 墾丁にはレストランも何軒もある。
 そのうち、我々が入ったのはタイ料理店。タイの歌を聞きながら、タイのダンスを見ながらタイ料理の数々を食べた。最後はエビ入りの「トムヤムクン」で。

 何とも忘れられない墾丁の夜となった。

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墾丁の屋台を見てまわる

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墾丁のレンタルバイク

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墾丁のレストラン

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墾丁のタイ料理店で夕食

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タイ料理の数々

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エビ入りのトムヤムクン

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フルーツのデザート

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