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世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


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Author: 賀曽利隆
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Category: カソリの島旅

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カソリの島旅(93)那覇→東京
(『ジパングツーリング』2002年12月号)

「沖縄本島一周」を終え、那覇に戻ると、泊港近くの「沖縄オリエタルホテル」に泊まった。そこから大ちゃんこと高橋大輔さんに電話すると、すぐに来てくれた。大ちゃんには1999年の「本土編・日本一周」のときに、八甲田で開催されたスズキのイベント、ツーリングオアシスで出会った。

 青森市の職員だった大ちゃんは、公務員を辞め、心機一転、沖縄に移り住み、就職情報誌「イエローブック」の営業をしている。

 そんな大ちゃんとは那覇のメインストリート、国際通りにある民謡酒場「地酒横町」に行き、生ビールで乾杯し、しばらくぶりの再会を喜びあった。そのあとは生の琉球民謡を聞きながら、乾杯を繰り返す。大ちゃんに教えてもらいながら、阿波踊りのような「カチャーシャ」を一緒になって踊った。

 民謡酒場を出ると、今度は国際通りからわずかに入ったところにある「うちなー家」に行き、泡盛を盛大に飲みながら、ジーマミー豆腐、島ダコの刺し身、海ブドウ(海草)、マグロ&カツオのガーリック、島ラッキョウ、サメの煮つけ‥と、琉球料理を食べまくった。「うちなー家」を出たのは3時。「沖縄オリエンタルホテル」に戻ると、バタンキューで深い眠りに落ちた。

 翌日は午前中は那覇、午後は首里をまわり、夕方、那覇に戻った。

 大ちゃんは泊港までスクーターに乗って迎えにきてくれ、那覇を案内してくれたのだ。行ったところは牧志公設市場。国際通りから入ったところにあるが、那覇の台所のような市場。「金壺中華食堂」で朝粥(300円)を食べ、牧志公設市場を歩く。

 そこには日本というよりもタイのバンコクやインドネシアのジャカルタなど、東南アジアそっくりの空気が漂っている。ずらりと並んだ初めて名前を聞くようなトロピカルフルーツの甘い香りに、頭がクラクラッとしてくる。異国情緒満点。魚売り場では本土で見られないような原色の、色鮮やかな魚が所狭しと並んでいる。その中でも、赤い魚のミーバイが最高級魚だと大ちゃんが教えてくれた。

 野菜売り場ではタロイモの一種、水田で栽培されるターム(田芋)、乾物売り場では、乾燥させて棒状になった海ヘビのイラブーが見られた。

 圧巻はなんといっても肉売り場。肉といっても豚肉である。豚の顔の皮のチラガーや豚の耳のミミガーが目につく。豚足が山積みにされている。塩漬けにされた三枚肉が無造作に並んでいる。内蔵もごく当たり前の顔をして店先に並んでいる。沖縄人がよく豚を食べるのが一目でわかる牧志公設市場での光景だ。

 牧志公設市場近くの食堂「きよちゃんぐあ」で昼食を食べたあと、大ちゃんと別れ、那覇から琉球王朝の都の首里へ。高台にある復元された首里城を歩く。守礼門から歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門と5つの門をくぐり抜けると、中庭の「下之御庭」に出る。そこでは琉球古典音楽の演奏と琉球古典舞踊をやっていた。

 広福門で入場券を買い、奉神門を通って「御庭」に入る。正面に正殿、右手に南殿、左手に北殿。首里城は日本の城というよりも朝鮮半島や中国の城に近いもの。首里城は資料館にもなっているが、そこに展示されている14世紀から16世紀にかけての「大交易時代図」には目を奪われた。当時の琉球はアジア各地と盛んに交易していた。

 首里城の見学を終えると、城の周辺の園比屋武御嶽石門、王陵の玉陵(たまうどん)、琉球王家別邸の識名園と見てまわり、金城町の石畳道を歩いた。那覇に戻ると、大ちゃんと夕食を食べ、大ちゃんの家に泊めてもらった。

 那覇の泊港から出るフェリーに乗って島巡りをする。
 その第1弾が久米島だ。

 9時30分発の「フェリーなは」(久米商船)にスズキ・バーディー90とともに乗り込む。フェリーが泊港を出ていくときがすごくいい。
港をまたぐ泊大橋をくぐり抜け、泊漁港、那覇新港を右手に見、港外に出ていく。防波堤に大きく書かれた「アジアの十字路・那覇港」の文字が誇らしげで強く印象に残った。そうなのだ、那覇はアジアの十字路なのである。

 天気は快晴。海がよけいに青い。フェリーの甲板からずっと海を見る。最初に見える島は慶伊瀬島。平べったい島で、今にも波間に消えてしまいそう。日本で一番、低い島?

 次に左手に慶良間諸島の島々が見えてくる。前島、渡嘉敷島、座間味島という順に見える。11時45分、渡名喜島の渡名喜港に到着。渡名喜島は1島1村で、渡名喜村になっている。人口は600人ほど。沖縄では2番目に小さな村だ。

 12時に渡名喜港を出港。前方には久米島がうっすらと見えている。2つの島のように見える。北と南に山があって間が平坦だからだ。

 久米島に近づき、最南端の岬のすぐ近くを通過。切り立った岸壁がストンと海に落ちている。海が青い。色が濃い。吸い込まれそうな群青色だ。久米島の兼城港に到着したのは13時30分。那覇・泊港からは4時間の船旅。水深が見るからに浅そうな港で、フェリーの操船の難しさが容易に想像できた。

 久米島に上陸すると、港のターミナルビル内の喫茶店「蛍」で、沖縄そばと同じような久米島そば(500円)を食べ、「久米島一周」に出発。バーディー90を走らせ、時計回りで島を一周する。天気は変わらず、朝からずっと快晴で雲ひとつない。久米島はサトウキビ栽培の盛んな島。島のあちこちでサトウキビの刈り取りをしている。

 島の西側にある久米島空港に立ち寄り、島の北側では海辺の具志川城跡を見る。石垣が残っている。この具志川城主が沖縄本島に逃げ落ち、本島最南端の喜屋武岬近くに具志川城を築いたという。沖縄を代表する銘酒「久米仙」の工場を見学し、島の最高峰、宇江城岳(309m)山頂にある宇江城の城跡に立ち、久米島を一望した。

 島の北部、比屋定バンダの断崖上の展望台からは渡名喜島、慶良間諸島、粟国島を見た。この比屋定にはウィダ石(太陽石)がある。今から500年前、この地の“堂の比屋”という人が石に刻んだ数本の線を目印にして太陽の動きを測定したという。夏至の日の出は粟国島の真上に、冬至の日の出は慶良間諸島の久場島の真上にくるとのことだが、その間を往復する太陽を観測しつづけた。新奥武橋で奥武島に渡り、夕日が沈むころ兼城港に戻り、仲泊の民宿「南西荘」に泊まった。

 久米島から那覇に戻ると、泊港から出るフェリーに乗っての島巡りの第2弾目、慶良間諸島の渡嘉敷島に向かう。

 10時発の渡嘉敷村営の「フェリーけらま」にバーディー90ともども乗り込む。フェリーが那覇港外に出ると、那覇空港に着陸する旅客機、つづいて航空自衛隊の戦闘機がフェリーの真上を横切っていく。あまりの轟音にビックリ。

 慶良間諸島の一番、沖縄本島寄りの島、無人島の前島に近づいたところで船内放送があり、ザトウクジラを見ることができた。慶良間諸島は「ホエールウオッチング」の名所になっている。

 11時10分、「フェリーけらま」は渡嘉敷港に到着。さっそく渡嘉敷島を走る。まずは北へ。城島が目の前に見える。干潮のときには歩いて渡れる島だ。海岸通りの行き止まり地点からは前島がよく見える。

 港に戻ると、島北端の「国立青年の家」へ。そこから大谷林道に入っていく。この大谷林道の入口にはゲート。それはハブの進入防止のためのゲートで、いかにも沖縄らしい。「国立青年の家」の広大な敷地も、ハブ進入防止のコンクリートで囲まれている。舗装路を3キロほど走ると待望のダート。1キロあまりのダートを走ったが、あともうすこしで抜け出るというところで大崩落現場。そこから来た道を引き返した。

 渡嘉敷港に戻ると、今度は南へ。山間の水田では、3月中旬だというのにすでに田植えが終わっていた。

 渡嘉敷島の最南端を目指して走る。渡嘉志久ビーチ、阿波連ビーチと見ていくが、すばらしい海の青さ。とくに阿波連ビーチは今までの「島巡り日本一周」で見たビーチの中では、最高の美しさといっていい。阿波連ビーチの白い砂浜を歩きながら、対岸の阿嘉島、慶留間島、外地島を眺めた。

 渡嘉敷島の南端は舗装林道の前岳林道。行き止まり地点にバーディー90を停め、渡嘉敷島南端の風景を目に焼き付けた。狭い海をはさんで対岸のウン島を見る。

 渡嘉敷港に戻ると、港のターミナルビル2階の「渡嘉敷村民俗資料館」を見学。油壺のアンダチブや水瓶のミジガミ、豚肉の塩漬け用のスウチキーガミなどが展示されている。そこでぼくの目を引いたのは、戦前の島にあった鰹節工場の模型だ。カツオの頭、内臓をとるところから始まる鰹節づくりの工程が詳しく書かれている。

 16時発の「フェリーけらま」で那覇に戻ると、泊港には大ちゃんが出迎えに来てくれていた。大ちゃんの家に荷物を置くと、大ちゃんの同僚の山さんと3人で那覇の中心街にある天然温泉、ゆんんたくあしび温泉「りっかりっかの湯」(入浴料950円)に入った。温泉でさっぱりし、民謡酒場「地酒横丁」に行き、そのあとは居酒屋の「むつみ園」で夜中過ぎまで泡盛を飲んだ。

 那覇・泊港発のフェリーに乗っての島巡り、第3弾目は阿嘉島&座間味島だ。

 10時発の座間味村営の「フェリーざまみ」に乗船。このフェリーは阿嘉島を経由して座間味島まで行く。
「フェリーざまみ」は 11時30分、阿嘉島の阿嘉港に到着。ここで下船し、阿嘉島と橋でつながっている慶留間島、外地島の3島をめぐる。

 まずは昼食。港近くのパーラー「みやま」でタコライスを食べた。これはタコスのライスバージョン。タコスの中身をトウモロコシ粉の皮で包むのではなく、ライスの上にのせてある。メキシコ生まれのタコ(メキシコでは最後のSを発音しないのでタコになる)がアメリカ経由で沖縄に入り、沖縄料理のタコライスになった。タコスとライスを結び付けるところがすごい。阿嘉島でタコライスを食べながら、中米から琉球へと伝わった食文化、世界をダイナミックに駆けめぐる食文化に思いを馳せるカソリだった。

 タコライスに大満足して阿嘉島を走り始める。島には限られた道しかないが、その行き止まり地点まで行ってみる。まずは天城展望台に立ち、目の前に連なる岩礁と慶良間諸島最西端の久場島を眺めた。そして北へ。道の両側はうっそうとおい茂る亜熱帯樹に覆われている。阿嘉港から8キロ走ると、人一人いないきれいなビーチに出て道はそこで尽きる。目の前には屋嘉比島。久米島へのフェリーから見た目立つ島だ。そこから阿嘉港に戻った。

 次にもう1本の道を北へ。その道は3キロで行き止まり。やはりきれいなビーチで、対岸の座間味島とその周辺の無人島の島々を見る。誰もいないのを幸いに、すっ裸になり、透き通った青い海で泳いだ。慶良間諸島の海を独占しているかのような気分だった。

 阿嘉港に近い民宿「オーシム」に泊まり、翌日は南へ。阿嘉大橋で慶留間島に渡り、さらに慶留間橋で外地島に渡った。

 慶留間島は慶良間諸島の有人島の中では、一番小さな島。慶留間の集落内にある「高良家」を見る。船頭主家(しんどうしゅや)と呼ばれる旧家で、先祖は琉球の大交易時代には、唐船の船頭として大活躍したという。

 外地島は無人島。ここには慶良間空港があり、RAC(琉球エアーコミューター)が1日1便、那覇との間を飛んでいる。この島には「世界平和祈念碑」が立っている。太平洋戦争末期の1945年3月26日早朝、米軍第77師団がこの地に上陸した。外地島は太平洋戦争での「米軍上陸第一歩」の地。

 慶良間諸島に米軍が上陸したことによって、多くの島民が集団自決した。渡嘉敷島では329人、座間味島では171人、慶留間島では53人、屋嘉比島では10人、阿嘉島では2人と、言葉を失うほどの悲惨さだ。

 阿嘉港発11時45分の「フェリーざまみ」で座間味島に渡る。12時、座間味港到着。港前の食堂「ざま味」で「沖縄そば」を食べ、バーディー90を走らせ、島の西半分を時計回りでぐるりと回る。

 阿真ビーチからは対岸の阿嘉島を見る。
 島の西端、神の浜展望台からは目の前に屋嘉比島、左手に阿嘉島、その間に久場島を見る。

 島の北岸、稲崎の展望台ではホエールウオッチングをしている人たちがいた。ここでクジラを発見すると、無線でホエールウオッチングの船に連絡する。この季節だとほとんど毎日、クジラを見ることができるという。

 最後に島一番の絶景ポイントの高月山の展望台に立ち、座間味港に戻った。15キロの島半周。

 次に島の東側の行き止まり地点のチシ展望台まで行ってみる。その途中の古座間味ビーチがきれいだった。
 座間味港に戻ると、「慶良間海洋文化館」を見学し、港に近い「ペンションざまみ」に泊まり、翌日、那覇に戻った。

 那覇・泊港発のフェリーに乗っての島巡りの最後は粟国島だ。

 10時発の粟国村営の「フェリーあぐに」に乗り、12時30分、粟国島に到着。フェリーターミナルビルの「港食堂」で「ソーキそば」(500円)を食べると、さっそく粟国島を走りはじめる。

 まずは島の西端のマハナ岬へ。そこまで6キロ。岬の高さ100メートルの断崖上には展望台と灯台。港に戻ると、サンゴ礁のウーグ浜を歩く。そこではタナジャーという貝を採る人たちを見る。ソテツの大群落を見、最後に洞寺へ。琉球民謡「むんじゅる」発祥の地碑と「むんじゅる像」が建っている。港に戻ると、14時発の「フェリーあぐに」で那覇泊港に戻った。

 那覇泊港から那覇新港へ。
 大ちゃんらが見送りにきてくれる。有村ラインの「クルーズフェリー飛龍21」に乗船。那覇から名古屋へ。「島巡り日本一周」もあとは八重山諸島編を残すだけとなった。

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

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Category: カソリの島旅

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カソリの島旅(92)東京→那覇
(『ジパングツーリング』2002年11月号)

「沖縄編」ではスズキSMX50からスズキ・バーディー90へとバイクを換えた。
 2002年3月1日、バーディー90で東京・日本橋を出発し、国道1号を西へ。
 翌日、名古屋港から有村ラインの「クルーズフェリー飛龍」(1万6000トン)にバーディー90とともに乗った。

 名古屋港ではうれしい出会いが待っていた。

「飛龍」を運航する有村産業の足立浩二さんが出迎えてくれ、大阪南港まで同行してくれた。足立さんは大のバイクフリーク。さらに大阪からやってきた鰐淵渉さん、藤原延興さん、京都からやってきた吉田和弘さんも、足立さん同様、大阪南港まで同行してくれた。おかげでなんとも楽しい「名古屋→大阪」の船旅になった。

 那覇新港到着は3月4日午前7時。名古屋港からは大阪南港経由で44時間の船旅。バーディー90で那覇新港の岸壁に降り立ったときは感激の瞬間だ。

「とうとう、沖縄までやってきた!」
 この時点で「島めぐり日本一周」をスタートさせてから1年が過ぎていた。

 有村ライン「クルーズフェリー飛龍」をバックに記念撮影をし、バーディー90で走り出す。「沖縄本島一周」の開始。沖縄本島を一周しながら、周辺の島々をまわるのだ。

 那覇新港を出ると、港近くの喫茶店「サーフサイド」で「沖縄そば」(500円)を食べた。「沖縄そば」といっても、そば粉で打ったソバではない。小麦粉からつくる麺なのだが、うどんでも中華麺でもない。あえていえば中華麺風。「沖縄そば」は「沖縄そば」なのだ。

 麺の上にはランチョミートとカマボコ、紅ショウガ、それと刻みネギがのっている。調味料は七味唐がらしと島唐がらし。島唐がらしは沖縄独特のもので、泡盛に唐がらしを漬けたもの。沖縄人の大好きな「沖縄そば」を食べ、「沖縄にやってきた!」という強烈な実感をも味わった。

「沖縄そば」に大満足して、那覇からは国道58号を北へ。この58号は鹿児島以南の最重要幹線国道。鹿児島市内の西郷隆盛像前が起点で種子島、奄美大島と経由し、沖縄本島北部の奥から西海岸を縦貫し、那覇の明治橋が終点になっている。

 浦添市、宜野湾市、北谷町と走り抜け、嘉手納町に入ると、米軍の広大な嘉手納飛行場のすぐわきを通る。国道スレスレでジェット戦闘機が爆音を轟かせて着陸する。パイロットの顔がはっきりと見える。ここでは国道沿いのチェーン店のベーカリー「ジミーズ」のパンを食べた。有村産業の足立さんの「ジミーズのパンはおいしいですよ」の一言を思い出したからだ。

 読谷村に入ったところで国道58号を離れ、沖縄を代表する名岬の残波岬へ。石灰岩の断崖上には白亜の灯台。青い空と海の青さと灯台の白さの対比が色鮮やかだ。岬近くの残波ビーチの砂の白さも目に残る。

 読谷村から恩納村に入る。

 もうひとつの岬、真栄田岬に立ち、民俗村の「琉球村」(840円)を見学し、沖縄では数少ない温泉、山田温泉の「ルネッサンス」(1050円)の湯に入り、国道58号に戻った。

 ふたたび国道58号で沖縄本島の西海岸を北上。東シナ海の遠浅の海を見ながら走り、名護を目指す。その途中、万座毛に立ち寄った。台地上の遊歩道を歩き、断崖に打ち寄せては砕ける波を見下ろした。

 沖縄本島北部の中心地、名護に到着。町の入口にある食堂「丸隆」で「ゴーヤチャンプル」を食べた。ゴーヤ(にがうり)を使ったチャンプル(豆腐入りの炒めもの)で、これも沖縄を代表する味覚。ゴーヤの舌を刺激する苦味は、まさに沖縄を感じさせる。

 名護でひと晩泊まり、翌日、国道449号で本部半島の本部港へ。鹿児島と那覇を結ぶフェリーの寄港する本部港だが、ここからは伊江島にもフェリーが出ている。1日4便。第1便は9時発。それまでに時間があったので、港前の食堂「みなと屋」で朝食にした。味噌汁を食べる。味噌汁といっても本土のものとは違い、それだけでおかずになる。丼に入った味噌汁には豚肉や豆腐、卵、野菜類がごっそり入っている。それにご飯と漬物がついている。

 9時発のフェリー「いえじま」で、沖縄編第1島目の伊江島に渡る。バイクの料金は原付が680円で2輪が890円だが、バーディー90は2輪料金になる。原付は50ccだけだという。仕方ないな。

 目の前の瀬底島、水納島と見ながら本部港から30分、伊江島の伊江港に到着。島を時計回りに一周した。農業の盛んな島で、電照ギクやタバコの栽培が目についた。ここはまた“伊江牛”で知られる和牛の産地。黒毛和牛の牧場をあちこちで見る。

 島の西端は西崎。その一帯は米軍の演習場。「基地を返せ!」の大看板。基地のフェンス前で写真を撮ろうとしたら、パトロールの車がやってきて、日本人警備員に「写真を撮るな!」と大声で怒鳴られた。

 島の北岸は湧出(ワジー)海岸。その名の通り、ここにはコンコンと湧き出る泉があって島の水源になっている。「伊江島一周」の最後に、島の中央にそびえる城山(172m)の展望台に立った。平坦な伊江島を一望し、海の向こうの本部半島の山々を遠望。そして13時発のフェリーで本部港に戻った。

 本部港の目の前に見える瀬底島には瀬底大橋で渡り、瀬底ビーチまで行った。本部半島に戻ると本部の中心街を走り抜け、「沖縄海洋博公園」の「海洋文化館」(170円)を見学し、本部半島突端の備瀬崎に立った。

 今帰仁村の運天港からは17時25分発のフェリー「第8古宇利丸」で古宇利島に渡った。時計回りで島を一周。古宇利島は一周7キロの小さな島。平坦な島で、一面、サトウキビ畑が広がっている。港のすぐ近くには小さな神社があった。そこには名称「お宮」(シチャバアサギ)と書かれてあった。ご神体は自然石。御嶽(うたき)を思わせるようで、いかにも沖縄らしい。ひと晩、港前の民宿「しらさ」に泊まり、運天港へ、そして名護に戻った。

 名護ではこの町のシンボルの「ヒンプンガジュマル」の大木を見、「名護博物館」と沖縄のビール、「オリオンビール」の工場を見学し、名護城跡を歩いた。

 東江小学校の横にある「ひがし食堂」で昼食。「三枚肉そば」を食べた。沖縄そばに豚の三枚肉がのっている。麺といい、三枚肉(肋肉)の味といい絶品だ。

 名護からは国道58号を北に走り、橋でつながっている奥武島と屋我地島に渡る。奥武島の入口には「津波被災地跡」の碑が建っている。1960年の南米チリ沖地震の大津波では、東北の三陸海岸が大きな被害を受けたが、沖縄のこの地も同様で、奥武島や屋我地島に渡る橋が流され、小学校が全壊し、死者3人を出している。

 奥武島から屋我地島に渡ると島の突端まで行く。そこは古宇利島に通じる古宇利大橋の建設現場。平成16年に完成予定の古宇利大橋は全長1960メートル。完成すれば沖縄最長の橋になる。屋我地島を30キロほど走り、奥武島経由で名護に戻った。「ヒンプンガジュマル」近くの山羊料理専門店でヤギ刺しを食べ、「ノーマンシーホテル」に泊まった。

 名護から再度、国道58号を北へ。奥武島への入口を通り過ぎ、大宣味村に入ると、宮城島を通過する。よっぽど気をつけていないと、島だと気がつかないままに通り過ぎてしまう。

 名護から北に60キロ、沖縄本土最北端の辺戸岬に到達。岬の突端には「祖国復帰闘争」碑が建っている。正面には与論島、左手には伊是名島、伊平屋島が見える。「辺戸岬レストハウス」内にある「復帰記念資料館」(無料)を見学し、沖縄本島最北の集落、奥へ。ここが沖縄本島内の国道58号の起点になる。奥では「奥交流館」の郷土資料館(200円)を見学した。

 沖縄本島最北の集落、奥では「奥共同売店」であんパンを買って食べた。この「奥共同売店」こそ、沖縄各地にある共同売店の第1号店。明治39年(1906年)にできた。奥周辺の林道群を走ったあと、県道70号で沖縄本島の東海岸、太平洋岸を南下していく。交通量のきわめて少ない道で、左手に太平洋を眺めながら、気分よく走れる。太平洋は、西海岸の東シナ海よりも濃い海の色。群青の海が広がる。

 安田(あだ)、安波(あは)と通り過ぎると、山原(やんばる)の山中に入っていく。
 このあたりは沖縄本島でも一番豊かな自然が残されている。沖縄本島の最高峰、与那覇岳(498m)を遠くに見ながら南下し、東村に入り、村役場近くの民宿「マリンガーデンひがし」に泊まった。

 翌日はここから国道331号を南下。海沿いのルート。走りはじめると、まもなく慶佐次の集落に着く。ここには沖縄本島では最大のマングローブ林、「慶佐次湾のヒルギ林」がある。遊歩道を歩きながらオヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギなどの国の天然記念物に指定されているマングローブ林を見た。

 東村からいったん名護に出たあと、国道329号で太平洋岸を南下。辺野古の米軍基地「キャンプシュワープ」のフェンスが国道の両側につづく。宣野座村を通り、金武町に入ると町の中心には米軍基地「キャンプハンセン」がある。正面ゲート前の「ゲート1」という店でタコスを食べた。1パック5個入りで500円。米兵の利用も多いのだろう、値段はドルでも表示していた。

 太平洋岸の金武町からは東シナ海側の恩納村へと沖縄本島を横断した。このあたりが沖縄本島でも一番、幅の狭いところで、その距離はわずか3・6キロでしかなかった。

 恩納村ではスズキの350ccバイク、グースで「日本一周」中の朋ちゃんこと磯部朋子さんにバッタリと再会した。朋ちゃんと一緒に万座毛を歩き、「万座ビーチホテル」のラウンジで一緒にグアバジュースを飲んだ。

 朋ちゃんと別れ、金武町に戻ると、石川市、具志川市の町並みを走り抜け、与勝半島に入っていく。屋慶名港を通り、半島突端のホワイトビーチへ。米軍専用のビーチで、入口は厳重な警戒ぶり。写真を撮ったらここでも日本人警備員に、すごい形相で怒られた。

 屋慶名港まで戻ると、橋でつながっている藪地島に渡った。島に入るとすぐにダートに突入。ダートは1・3キロ先で行き止まり。そこは聖地のジャネー洞。一人で入っていくのが怖くなるようなおどろおどろした様相だ。

 洞窟内には「弥勒神」や「国主神」、「藪地龍神」などの神々がまつられている。弥勒菩薩が弥勒神になるのも沖縄ならではのこと。ジャネー洞窟近くの海岸に出ると、対岸には与勝半島の平敷屋の白っぽい町並み。印象的な眺めだ。

 藪地島から与勝半島に戻ると、今度は海中道路で平安座島に渡った。海中道路は見違えるような、すごくいい道に変わっていた。この海中道路というのは、平安座島の石油基地のために海中につくられた全長4700メートルの道路で、その途中には全長280メートルの平安座海中大橋がある。

 平安座島からは、さらに橋で宮城島、伊計島へとつながっているが、伊計島まで行く前に、もうひとつの橋、全長1430メートルの浜比嘉大橋で浜比嘉島に渡った。浜比嘉島には浜と比嘉の2つの集落があるので“浜比嘉”の島名がついている。浜も比嘉もともに古い沖縄の姿を今にとどめるような、そんな集落のたたずまいだ。

 浜比嘉島では浜の「東の御嶽」と比嘉の「シルミチューの洞穴」に行った。

「東の御嶽」は「シヌグ祭り」で知られている。「シルミチューの洞穴」は、琉球の開祖、アマミチューとシルミチューの住んだ洞穴だといわれている。毎年の年頭拝では比嘉のノロ(神事をつかさどる神職の女性)が、浜から小石1個を拾って洞穴内の壺に入れて拝むという。

「シルミチューの洞穴」内には、女性器を表す鍾乳石の陰石があり、子宝を授かる霊石として崇拝されている。そんな「シルミチューの洞穴」には、遠方からも大勢の人たちがやってくる。ここは沖縄を代表する聖地のひとつなのだ。

 浜比嘉島から浜比嘉大橋で平安座島に戻ると、宮城島経由で伊計島へ。

 平安座島では原油基地、石油基地の巨大なタンク群が目立つ。平安座島から宮城島に渡る桃原橋は全長18メートルの短い橋で、よっぽど気をつけていないと、わからないままに宮城島に入ってしまう。

 宮城島に入ったところが桃原港。宮城島ではサトウキビ畑が目立った。宮城島からは赤い伊計大橋で伊計島に渡る。ここではタバコ畑が目立った。島の突端にはリゾート施設の「ビッグタイムリート」がある。平安座島からここまで18キロだった。

 与勝半島は北の金武湾と南の中城湾の2つの海に分けている。平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島は金武湾に浮かぶ島々で、藪地島などとともに与勝諸島と呼ばれている。与勝諸島には、このほかに津堅島がある。この島には平敷屋港からフェリーが出ている。残念ながら津堅島には行かなかったが、きれいな海岸線のつづく島ということで知られている。

 伊計島から平安座島に戻ると、浜比嘉大橋を目の前にするビジネスホテルの「ホテル平安」に泊まった。平安座島には原油基地、石油基地があるからなのだろう、「ホテル平安」は満室になった。

 翌日は平安座島から具志川市に戻り、海沿いの道を南下した。沖縄市に入ると、開発か自然保護かで大きく揺れている泡瀬干潟の前を通る。反対の声を押し切って、まもなく干潟の干拓工事がはじまるという。国道329号に合流すると、中城村では沖縄の名城の中城城跡を見てまわった。琉球石灰岩で築いた城の石垣が見事だ。

 与那原町からは国道331号で知念半島に入っていく。沖縄第一の聖地、斎場(せいふぁ)御嶽からは「神の島」で知られる久高島を眺めた。その「神の島」、久高島に渡ろうと、知念村の安座間港に行った。

 安座間港からは旅客船「新龍丸」の船長を拝み倒してバーディー90ともども、乗せてもらった。海にはうねりがあって「新龍丸」はかなり揺れた。安座間港から25分で久高島の徳仁港に着いた。久高島は沖縄第一の聖地。伝統的な祭りが残り、とくに12年に1度、午年の旧暦の11月15日から5日間にわたっておこなわれる「イザイホー」はよく知られている。

 久高島は中城湾口の細長い島。知念半島の知念岬の沖合に浮かんでいる。島の南端、徳仁港から港周辺の久高の集落を走り抜け、島の北突端のカベール岬まで走った。といっても4キロほどでしかない。岬に立ち与勝半島と与勝諸島の島々を眺めた。久高の集落に戻ると、食堂「とくじん」で魚汁定食を食べ、民宿「にらい荘」に泊まった。

「新龍丸」で安座間港に戻ると、国道331号で沖縄本島南部の海岸線を行く。その途中、知念村では知念城跡、玉城村では玉城城跡と2つの城跡を見た。

 また、玉城村では奥武橋で沖縄本島とつながっている奥武島に渡った。島一周2キロの小さな島だが、なかなかおもしろい。サンゴ礁の海岸では大勢の人たちが出て、沖縄人の大好きな海草、アーサを採っていた。民宿を兼ねた島の食堂「あけぼの荘」で淡白な白身の魚、タマンの魚汁定食を食べたが、店のおかみさんは「おまけよ」といってアーサ汁とナガイユの刺し身をつけてくれた。

 沖縄本島南部の糸満市に入ると、平和祈念公園へ。「沖縄県平和祈念資料館」(300円)を見学。数多くの沖縄戦の証言に胸を打たれた。ひめゆりの塔では「ひめゆり平和祈念資料館」(300円)を見学。沖縄戦で亡くなった219名の少女たちの写真の前では涙を流している人たちが多かった。

 最南端の喜屋武岬に立ち、最後に短い橋でつながっている瀬長島を一周し、3月11日の夕刻に、那覇に戻ってきた。911キロの「沖縄本島一周」だった。

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カソリの島旅(91)鹿児島→東京
(『ジパングツーリング』2002年10月号)

「九州南部編」の島めぐりを終え、鹿児島港に戻ってきた。さー、ここからは「九州東部編」の開始だ。

 鹿児島では城山に登った。
 城山は鹿児島の町にせり出したシラス台地の先端。高さ108メートル。展望台に立つと、町の騒音がまるで劇場の天井桟敷で聞くどよめきのように山の斜面を這い上がってくる。

 足下は天文館、いづろ通り、朝日通りとつづく鹿児島の繁華街。その向こうの鹿児島湾(錦江湾)には桜島がどっしりと横たわっている。

 桜島は噴煙を空高く舞い上げている。巨大なかたまりとなった噴煙は大隅半島の方向へ、長く尾を引いて流れていく。

「地球が生きてる!」
 と、思わずそんな言葉が口をついて出る。
 城山の展望台からの展望は最高だ。

 鹿児島の市街地を一望し、桜島を目の前に眺め、さらに背後の大隅半島の山々を望む。この風景を目に焼き付けると、スズキSMX50のエンジンをかけ、桜島から大隅半島へと向かった。

 鹿児島の中心街から国道10号で国分に向かって走り出すと、冷たい風が吹きつけてくる。SMXのハンドルを握りながら、思わず身をすくめてしまう。寒い‥。あらためて鹿児島以南の南の島々のあたたかさがよくわかった。奄美諸島ではじとーっと汗ばむほどで、Tシャツ1枚で走ったこともある。こうして身を切られるような冷たい風に吹かれていると、何か、急に現実に引き戻されたような気分になる。

 国分の先の分岐を右へ、国道220号で大隅半島に入っていく。
 桜島口からは国道224号で桜島に入っていく。

 今でこそ本土と地つづきになっている桜島だが、もともとは独立した島だった。それが大正3年(1914年)の大噴火で大量の溶岩が流れだし、大隅半島と陸つづきになった。本土との接合部が桜島口なのだ。

 有村溶岩展望台に立ち、流れ出た溶岩原越しに噴煙を上げる桜島を見た。そのあと古里温泉「古里観光ホテル」(入浴料1050円)の湯に入る。生き返った! 

 次に大正の大噴火で埋まってしまった烏島の埋没地を見る。ここは周囲500メートルほどの小島だったが、あらためて桜島の噴火のすさまじさを見せつけられた。

 桜島温泉の国民宿舎「さくらじま荘」(250円)、白浜温泉の「温泉センンター」(300円)の2湯に入り、大正の大噴火で高さ3メートルの鳥居が埋まった「埋没鳥居」を見る。そして桜島口に戻った。「桜島一周」は40キロだった。

 桜島口から大隅半島を南下。垂水を通り、半島の西側、鹿児島湾側を行く。鹿屋の海岸には地つづきになっている天神島があった。「荒平天神」をまつる小島。これも「島巡りの日本一周」をしているから気がついた島で、今までに何度も同じルートを走っているが、この天神島は一度として自分の目に入らなかった‥。

 大根占、根占と通り、佐多町の伊座敷へ。そこから日本本土最南端の佐多岬に向かっていく。大泊から有料の佐多岬ロードパークウエイ(400円)を走り、駐車場からは有料のトンネル(100円)を歩き、御崎神社に参拝したあと、岬の突端に立つ。目の前の岩に灯台。その左手の水平線上には長々と種子島が横たわっている。ちょうど種子島から鹿児島港へと九州商船のフェリーが岬のすぐ近くを通りすぎていくところだった。

 佐多岬から根占に戻ると、根占温泉の「ネッピー館」に泊まった。

 翌日は大隅半島を横断し、志布志から宮崎県に入る。都井岬へ。灯台に登る。水平線上には種子島が霞んで見える。種子島までは70キロ。さらにここからは年の数回、屋久島が見えるという。屋久島までは140キロ。きっと山が高いので見えるのだろう。そのあと日本北限のソテツの自生地を歩き、断崖にまつられた御崎神社まで行った。

 都井岬から北へ、日南海岸を行く。
 海の青さがきわだっている。天気は快晴で、抜けるような青空を映した日南の海は、よけいに青かった!

 都井岬から南郷までの国道448号は「アイランドウオッチング」には最適のルート。バイクを走らせながら次から次へと島を見るのはじつに楽しい。

 日南海岸の「アイランドウオッチング」の第1島目は鳥島。第2島目は辛島。ともに無人島だが、辛島は猿の生息する島として知られている。対岸の本土側はきれいな白砂の石並海岸。そこから望遠鏡で猿の生態を見られるのだ。全島が亜熱帯樹で覆われた辛島には100匹余の野猿が生息している。辛島の野猿は海水浴をしたり、餌を洗って食べたりと文化度の高い猿だという。

 第3島目は築島。有人島だ。第4島目は銅島で陸つづきになっている。南の串間市と北の南郷町の境で、島は両市町をまたぐ夫婦漁港の一部になっている。島は天然の防波堤。 南郷町に入ると、第5島目の黒島、第6島目の烏帽子島、第7島目の大島が見えてくる。黒島、烏帽子島は無人島だが、大島は有人島で日南海岸では最大の島。江戸時代には飫肥藩の馬を飼育する牧場になっていた。

 国道448号は南郷町の中心、南郷の町並みに入り、JR日南線の南郷駅前で国道220号にぶつかる。「都井岬→南郷」間の国道448号は、日本でも最高の部類に入る「アイランドウオッチング」のルートだった。

 南郷町の南郷からは国道220号で日南海岸を北上していく。国道脇の臼井津港に寄っていく。遠洋漁業の基地にもなっている大きな漁港だ。この港の一角から大島行きの船が出ている。町営船の「あけぼの3」が接岸していた。1日6便の高速船。フェリーはない。

 臼井津港を過ぎると、小場島が見えてくる。無人島。その周辺には七ッ岩。小場島を見ながら南郷町から日南市に入り、市の中心の油津へ。油津港は日南海岸第一の港で、藩政時代は特産品の「飫肥杉」の積み出し港として栄えた。またここは、カツオやマグロの遠洋漁業の一大基地にもなっている。

 油津から北に行ったところに、安産の神、夫婦和合の神としてよく知られている鵜戸神宮がある。洞窟の中にまつられた社殿。乳の出ない若妻はこの洞窟の天井からしたたり落ちる清水を飲むと、乳が出るようになるという。門前のみやげもの店では、この御乳岩から出る水でつくった飴を売っている。

 そんな鵜戸神宮だが、日本初代の天皇、神武天皇のお父さんとお母さんをまつっている。ここは「古事記」や「日本書紀」の世界なのだ。

 国道220号をさらに北上し、日南市から宮崎市に入と、巾着島が見えてくる。小内海漁港の目の前にある地つづきの島。この巾着島も天然の防波堤。漁民のみなさんにとってはきっとすごくありがたい島だろう。そして堀切峠を越える。峠を下ると青島だ。

 日南海岸第一の観光地にもなっている青島は周囲1・5キロの小島。島には弥生橋がかかっているが、干潮時には地つづきになる。歩いて青島を一周。この小さな島に4300本ものビロウ樹がおい茂っている。ここは日本でも有数の亜熱帯植物の群落地で107種の自生植物があり、そのうち27種が亜熱帯植物だという。その代表がビロウ樹だ。青島というと「鬼の洗濯板」が有名だが、砂岩と頁岩から成る海岸の岩のうち、波で頁岩だけが削られたもの。「青島一周」はこの島特有の自然を間近に見られて楽しい。

 青島はまた海幸彦、山幸彦伝説の地。青島神社は山幸彦の彦火火手見尊(ひこほほでみのみこと)をまつっている。神社に隣り合った「日向神話館」(入館料600円)がよかった。日向神話の12景がろう人形で展示されている。天照大神に命じられて瓊瓊杵命(神武天皇のおじいさん)が天下るところから始まり、神武天皇が大和を平定するところで終わる全12景。まるで「古事記」を目で見るかのようだ。

 夕暮れの青島をあとにし、宮崎へ。ラーメン店でネギミソラーメン&ライス(750円)を食べた。

 宮崎からは夜の国道10号を走り、日向を通って延岡へ。延岡からは国道388号でリアス式海岸の日豊海岸に入っていく。大分県との県境を越え、佐賀関までつづく日豊海岸は、日南海岸と同じように国定公園に指定されている。

 ひと晩、須美江海岸の民宿「大洋」に泊まり、翌朝、浦城港へ。

 浦城は「浦城水軍」の根城だった。入口が狭く、奥深くまで切れ込んだ浦城湾は水軍の根拠地としては絶好。沖合から見つけ出すのはきわめて困難だった。

 そんな浦城港から日豊汽船のフェリー「にっぽう3」で島浦島に渡った。島の周辺は「海の畑」といったところで、タイやカンパチなどの養殖漁業が盛んにおこなわれている。20分で到着した島浦島は宮崎県では最大の島。漁業のきわめて盛んな島で、宮崎県では、一番の漁業基地になっている。

 島浦島は島全体が山がち。フェリー港から島浦トンネルを抜けると、島浦の集落。漁港は無数の漁船で埋めつくされている。魚の加工場からはプーンと魚のにおいが漂ってくる。漁船をつくる造船所もある。道はフェリー港から3キロ走ったところで行き止まり。島全部の道を走っても8キロ。そんな島浦島をあとにし、浦城港に戻った。

 浦城からは国道388号を北へ。前日の「日南海岸編」にひきつづいての「日豊海岸編」の「アイランドウオッチング」だ。

 第1島目は高島。北浦町の古江漁港の堤防越しに見た。

 国道388号では大苦戦。大分県との県境の峠に向かっていくと、舗装林道と変わらない道になり、大分県に入り、あともうひと息で蒲江というところで大崩落。宮崎県側に戻り、大きく迂回してまた大分県に入らなくてはならなかった。
 この時間のロスが痛かった。

 蒲江に着くと、砂浜の海岸から第2島目の深島と第3島目の屋形島を見た。さらに国道388号を北上し、佐伯市に入ったところで、九州最東端の鶴御崎へ。細長い半島の最後の集落、梶寄まで来ると、第4島目の大島が見えてくる。鶴御崎は佐多岬と同じで有料。300円払って入る。岬には灯台。その先に「九州最東端碑」が建っている。岬の先端からは四国の山々がよく見えた。

 鶴御崎から佐伯に向かっていくと、第5島目の八島、第6島目の大入島が見える。大入島は佐伯港の目の前の有人島。1500人あまり住んでいる。フェリーで渡るつもりでいたが、残念ながら時間切れで諦めた。

 佐伯からは国道217号で佐賀関へ。その間では彦島、網代島、地無垢島、黒島、保戸島、津久見島、そして最後に高島を見た。全部で13島の「日豊海岸アイランドウオッチング」。
 佐賀関から別府温泉へ。温泉旅館「一力」で泊まった。

「九州東部編」の最後の日は、夜中から土砂降りの雨だった。

 別府の温泉旅館「一力」を5時15分に出発。国道10号に出たところに24時間営業の「麺勝」。ここで特製ジャンボうどん(800円)を食べ、パワーをつけて雨の中を走り出す。日出で国道213号に入り、国東半島北端の国見町の伊美港へ。そこから姫島行きのフェリー「姫島丸」に乗った。伊美港から25分、7時55分に姫島に着いた。

 ザーザー降りの姫島を走る。まずはフェリー港から左へ。この道はすぐに採石場で行き止まり。次に正面の道を行く。この道は観音崎で行き止まり。最後にフェリー港から右へ。海沿いに走り、姫島最東端の柱ヶ岳鼻へ。岬には白い石づくりの趣のある姫島灯台。

 姫島の最後は拍子水温泉。「温泉センター」の湯に入った。入浴料250円。赤茶けた湯。浴室の窓越しに姫島灯台を見る。姫島の全走行距離は21キロになった。

 フェリー「姫島丸」で伊美港に戻ると、国道213号で宇佐へ。そして国道10号で北九州へ。新門司港到着は17時。19時10分発のオーシャン東九フェリー「おーしゃん いーすと」で東京に向かった。

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カソリの島旅(90)東京→鹿児島
(『ジパングツーリング』2002年9月号)

「九州一周」の第1周目では、北部と西部の島々をめぐった。それにひきつづいての第2周目では南部と東部の島々をめぐる。今回はそのうち「九州南部編」の島めぐりである。

 2002年1月11日、東京港フェリー埠頭発19時10分のオーシャン東九フェリー「おーしゃん のーす」(1万1200トン)にスズキSMX50ともども乗り込み、北九州の新門司港に向かった。

 途中、徳島港に寄港し、新門司港到着は1月13日の5時30分だ。
 新門司港に上陸すると、門司港駅まで行き、そこから国道3号で鹿児島へ。
 福岡、熊本と通り、鹿児島県に入る。

 ひと晩、川内駅前温泉の「川内ホテル」に泊まり、翌朝、鹿児島へ。
「北九州→鹿児島」は387キロ。

 鹿児島港北埠頭から九州商船の「フェリー出島」で種子島に向かう。「九州南部編」の島めぐりの開始だ。

 九州商船の「フェリー出島」は鹿児島港北埠頭を8時30分に出港し、種子島の西之表港へ。鹿児島湾には厚い雨雲が垂れ込めている。船は鹿児島湾を南下し、10時55分、日本本土最南端の佐多岬沖を通過。そのころから前方の空が明るくなってくる。

 12時20分、種子島北部の西之表港に到着。うれしいことに、日が差している。種子島は西之表市、中種子島町、南種子島町の1市2町から成っているが、西之表が島の中心になっている。港近くの民宿「みゆき」に宿をとると、さっそく種子島を走り出した。

 まずは西之表市役所近くにある「鉄砲館」(入館料310円)を見学。戦国時代、江戸時代と時代ごとの鉄砲の展示が圧巻だ。天文12年(1543年)に種子島に伝来した鉄砲はその後の日本の歴史を大きく変えた。

 西之表から最初に島北部を一周。最北端の喜志鹿崎まで行った。岬の突端には白い灯台。前方の海には島影ひとつない。東海岸に出るとサトウキビ畑が目につくようになる。

 西之表に戻ると次に島南部を一周。南北に細長い島を横断し、最南端の門倉岬を目指し、東海岸(太平洋側)を南下する。サーファーのメッカの鉄浜海岸や見事な海岸美を誇る犬城海岸を見て門倉岬に到着。ここが鉄砲伝来の地。岬にはその碑が建っている。夕暮れの門倉岬をあとにし、西海岸(東シナ海側)を北上し、西之表に戻った。「種子島一周」は181キロになった。

 西之表の民宿「みゆき」の朝食は地鶏のタマゴつき。濃厚な味わい。なんともヘルシー。ここでは40羽の地鶏を飼っている。

 7時30分に出発。国道58号を南下。国道沿いの栖林神社には「日本甘薯栽培初地」の碑が建っていた。

 元禄11年(1698年)、第19代種子島の島主、種子島久基(栖林公)は琉球王に懇願して1籠の甘薯(サツマイモ)をもらいうけ、この地で栽培を始めた。それが後に日本本土に広がっていく。新大陸(中米)原産のサツマイモの栽培は鉄砲伝来と同じように、日本の歴史を大きく変えた。

 サツマイモの栽培が日本各地に広まるにつれて日本の人口は爆発的に増えた。この栖林神社は「カライモ神社」とも呼ばれているが、種子島や九州南部ではサツマイモのことをカライモと呼んでいる。種子島はこのように、鉄砲、甘薯と日本の歴史を大きく変えた舞台なのだ。

 最後に「種子島宇宙センンター」に立ち寄り、河内温泉「温泉センター」(入浴料300円)の湯に入り、種子島南部の島間港へ。そこから10時45分発の「フェリー太陽」で屋久島の宮之浦港に向かった。

「フェリー太陽」の甲板からの眺めは印象深い。前方には屋久島、後方には種子島。この2つの島はまったく違う。屋久島は円形で種子島は細長い。屋久島は山また山。種子島には平坦だ。

 種子島、屋久島は『ツーリングマップル』(九州編)と合わせ、鹿児島港でもらった案内図を使った。この案内図の片面には種子島、もう片面には屋久島が出ている。種子島に山はひとつもないが、屋久島には九州の最高峰、標高1935メートルの宮之浦岳を筆頭になんと51峰もの山名がのっている。

 11時50分、宮之浦港に到着。雨が降っている。日本でも最多雨地帯の屋久島。まあ、屋久島らしいということで我慢した。

 宮之浦を出発点に屋久島を一周。時計回りにまわる。

 林の中にポツンとある楠川温泉の湯に入り、宮之浦から20キロの安房へ。そこから標高1230メートルの地点にある「紀元杉」へ。その途中の「屋久杉自然館」(入館料600円)を見学。そこで驚かされたのは、屋久島の降水量の分布を示す地形の模型「カサダス」。なんと宮之浦岳周辺の年間降雨量は1万ミリにも達する。このとてつもない量の雨が屋久杉を育てる。

「紀元杉」を見て安房に戻ると千尋の滝を見、尾之間温泉、平内海中温泉、湯泊温泉と3湯をハシゴ湯し、落差が88メートルの大川の滝を見、道幅の狭くなる西海岸を走って宮之浦港に戻った。「屋久島一周」は155キロ。港近くの民宿「みよし屋」に泊まった。

 屋久島の夜はすごかった。ひと晩中、雨が降りつづいた。まるで嵐。窓ガラスにたたきつける雨の音‥。さすが雨の屋久島だけのことはある。

 民宿「みよし屋」での朝食。屋久島の隣、口永良部島から来ている学校の先生、2人と一緒に食べる。その最中に屋久島から口永良部島に行くフェリーが欠航になったとの知らせが入った。2人の先生は困ったような顔をした。そのフェリーに乗るつもりにしていたからだ。これが離島の厳しさ‥。海が荒れると、島への足が奪われてしまう。

 ザーザー降りの雨の中を出発。宮之浦から白谷雲水峡に向かって登っていくと、奇跡が起きた。雨雲が切れ、青空が顔をのぞかせ、日が差してくるではないか。

 白谷雲水峡はすばらしいところだ。渓流の美しさには目を奪われた。
 屋久島の自然美を存分に味わう。

 屋久島の杉の巨木というと、樹齢7000の縄文杉が断トツだが、次いで樹齢4000年、そのあとに紀元杉、弥生杉、大王杉の樹齢3000年組が来る。白谷雲水峡ではそのうち弥生杉を見た。ここを最後に屋久島から鹿児島港に戻った。

 鹿児島新港18時分発のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル8」で奄美大島の名瀬港へ。船が出港するときはドラが鳴り響き、五色のテープが乱れ飛んだ。「これから南の島々に行くんだ!」という気分がいやがうえにも盛り上がる。

 名瀬港到着は翌朝の5時。11時間の船旅だ。

「大島」は日本の島のなかでは、おそらく一番、多い島名であろう。
 主な大島だけでも30近くある。それら数多くある大島の中でも奄美大島は最大で周防大島、伊豆大島とともに「日本3大島」といわれている。奄美大島は日本の島の中では佐渡島に次いで第5位。

 第1位は択捉島、2位が国後島の北方領土、3位が準本土といっていい沖縄本島なので、奄美大島は実質的には日本第2位の大きさの島といえる。
 この大きさが奄美大島の絶対的な特徴だ。

 名瀬港に上陸すると、まずは奄美大島の北部を一周する。国道58号を北へ。本茶峠の本茶トンネルを抜ける。全長1055メートル。ここまでの「島巡り日本一周」で出会う最初の1000メートル級“島トンネル”ということになる。奄美大島北部、笠利町の赤木名を拠点にぐるりとまわり、最北端の岬、笠利崎と太平洋を一望するあやまる岬に立った。

 名瀬に戻ると、今度は国道58号を南へ。次々と長大なトンネルを抜けていく。最初が朝戸峠の朝戸トンネル(1725m)、次が和瀬峠の2000メートル級の新和瀬トンネル(2435m)、さらに三太郎峠の三太郎トンネル(2027m)、地蔵峠の地蔵トンネル(1065m)とつづく。

 新和瀬トンネルは日本最長の“島トンネル”だ。

 奄美大島以外に2000メートル級の“島トンネル”はないし、1000級が石垣島に1本あるだけ。奄美大島が日本の“島トンネル”の上位をほとんど独占している。

 国道58号は奄美大島南部、瀬戸内町の古仁屋で尽きる。鹿児島が起点の国道58号だが、種子島、奄美大島と縦貫し、この先の奄美諸島の島々を飛び越え、沖縄本島へと通じている。

 古仁屋に着くと、港の岸壁にSMX50を停める。ここからの眺めがすばらしい。大島海峡の対岸には長々と横たわる加計呂間島。目に残る海峡の風景。

 古仁屋からは奄美大島最南端の岬、皆津島を目指したが、道はヤドリ浜海岸というきれいな砂浜の海岸で行き止まり。古仁屋に戻ると、県道79号で名瀬へ。東シナ海の海岸線に沿っていく。その途中で奄美大島最東端の岬、曽津高崎に立った。

 19時、名瀬到着。全行程276キロの「奄美大島一周」。郷土料理店の「あさばな」で奄美大島名物の鶏飯を食べ、民宿「春日荘」に泊まった。

 名瀬港発5時50分のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル」に乗り、奄美諸島の次の島、徳之島へ。船内のレストランで和定食(630円)を食べ、ひと眠り。目をさますと、船はちょうど大島海峡の沖合を通過するところだった。右側の加計呂間島、左側の奄美大島を洋上から見る。徳之島の亀徳港到着は9時40分だった。

 さっそく徳之島を一周。反時計回りでまわる。一面のサトウキビ畑。製糖工場もある。徳之島の最高峰、井ノ川岳を左手に見ながら走る。右手の太平洋の水平線上には加計呂間島、奄美大島が見える。そして徳之島最北端の金見崎に立つ。岬には白い四角い灯台。岬の周辺はソテツの群生地で、ソテツのトンネルもある。

 豪快な花崗岩の海岸美のムシロ瀬を見て西海岸へ。今度は東シナ海沿いに南下していく。奄美のコンビニ「アイSHOP」で幕の内弁当(490円)の昼食を食べ、旧日本陸軍の浅間飛行場跡へ。かつての滑走路跡は、中央分離帯にソテツが植えられた直線道路になっている。

 この滑走路を神風特攻隊の若者たちが南の沖縄の空へと飛んでいった。若き特攻戦士たちの飛び立っていった滑走路跡をSMX50で走る‥。直線道路の行き止まり地点には特攻の碑が建っている。

 奄美海運のフェリーが寄港する平土野港を見、さらに南へ。

 徳之島最西端の犬田布岬に立つ。岬からは平べったい沖永良部島が見える。ここには太平洋戦争末期に犬田布岬沖で撃沈された戦艦大和を基艦とする巡洋艦、駆逐艦10隻の慰霊塔が建っている。あまりにも無用の長物だった戦艦大和。その最後の地が徳之島の沖合なのだ。

 徳之島最南の町、伊仙に到着すると最南端の岬、伊仙崎に立った。サンゴ礁のゴツゴツした海岸。岬周辺は赤土のジャガイモ畑。伊仙からは遠浅のサンゴ礁の海を見ながら走り、徳之島最大の町、亀津を通り、亀徳港に戻った。105キロの「徳之島一周」。もう一度、最北端の金見崎まで行き、民宿「金見荘」に泊まった。

 徳之島・亀徳港9時40分発の大島運輸のフェリー「なみのうえ」に乗り沖永良部島に渡った。沖永良部島・和泊港到着は11時30分。港前の食堂「丸福」で味噌ラーメンライスを食べ、「沖永良部島一周」に出発。反時計回りでの一周。北へ。島の最北端の国頭岬を目指す。島の北、より本土に近い方が国頭(くにがみ)になる。このあたりは沖縄と同じだ。

 その途中、笠石海岸に立ち寄る。展望台に上り、足下の亜熱帯植物園を見下ろし、サンゴの海を一望した。

 島の北にある国頭の集落では国頭小学校の校庭にある日本一のガジュマルを見る。大きく枝を広げたガジュマルで根回り8メートル、枝張りは直径が20メートルという大木。国頭の集落からさらに北に行ったところが国頭岬。そこには白い灯台が立っていた。

 国頭岬からは島の反対側、東シナ海側を南下していく。ワンジョビーチというきれいな砂浜の近くにあるソテツのジャングルを歩き、「和泊町歴史民俗資料館」(入館料200円)を見学。入口にある9本柱の高倉が目を引いた。さすが“ユリの島”、沖永良部島だけあってユリの展示が館内の大半を占めていた。

 沖永良部島王の世之主をまつる世之主神社を参拝し、沖永良部島北西端の田皆岬に立つ。奄美諸島の中でも屈指の名岬。岬には白い灯台が立ち、草地の園地の先は切り立った高さ40メートルの大断崖だ。

 田皆岬から知名へ。沖永良部島は和泊と知名、2つの町から成っている。島最南の知名港の岸壁に立つ。水平線上には厚い雲が垂れ込め、与論島は見えなかった。

 知名からは日本でも最大級の鍾乳洞、昇龍洞(入洞料1000円)へ。昇龍洞は全長2200メートルで、そのうち600メートルが観光洞になっている。鍾乳洞に入ってすぐの「入口広場」には目を奪われた。その先は地底のオブジェの世界。「ナイアガラの滝」や「クリスマスツリー」などの自然の造形美を見る。

 こうして和泊に戻った。全行程87キロの「沖永良部島一周」。ビジネスホテル「和泊港」に泊まり、夕食は昼食と同じ「丸福」で特大のお好み焼きを食べ、夜の町をプラプラ歩いた。

 沖永良部島・和泊港12時発のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル8」で与論島の与論港に向かった。船内のレストランでカレーライスの昼食を食べ、ひと眠りすると、船は与論島に近づいていた。

 与論島の与論港着は13時40分。奄美諸島も南下するにつれて島が小さくなる。与論島は奄美諸島の中では最小の島。周囲は22キロでしかない。

 与論港に上陸すると、島の中心、茶花まで行く。与論町の町役場前をスタートし、バス通りにもなっている県道の623号を北回り(時計回り)で一周する。

 与論島は平坦な島で、高い山はない。最高地点は海抜100メートルにも満たない。島は一面のサトウキビ畑。どこも収穫で忙しかった。そんな収穫の風景を写真にとらせてもらったが、そこでは刈り取ったサトウキビを1本、もらった。その場で食べてみる。歯で皮をはぎ、中の白っぽい芯をかじる。甘い汁が口の中いっぱいに広がる。それはまさに与論の味。県道623号での「与論島一周」は17キロだ。

 次に海沿いのルートを走る。さきほどとは逆に、反時計回りで島を一周する。赤白2色の灯台のある兼母海岸まで来ると、沖縄の伊平屋列島の島々が見える。与論港まで来ると、沖縄本島がよく見える。高台上にサンゴ礁の石垣が残る与論城跡からは、真正面に沖縄本島を見た。

 赤崎海岸、シーマンズビーチ、百合ヶ浜ビーチ、皆田海岸と与論島のすばらしい海岸を見てまわる。黒花海岸を過ぎた島北端の寺崎海岸は強烈な海の青さ。ここからは水平線上に霞んだ沖永良部島が見えた。

 つづいて宇勝海岸、品覇海岸と寄って茶花の町役場前に戻る。32キロの「与論島一周」。ひと晩、茶花の民宿「南海荘」に泊まった。

 翌日は「与論民俗村」(400円)を見学。ここでは島の昔ながらの生活ぶりが見てとれる。ご主人が「民俗村」を案内してくれる。ひととおり見てまわると、奥さんがツワブキの葉にフジマメ入りのおにぎりとトビウオの焼き魚をのせて「どうぞ」といって出してくれる。ありがたくいただいた。

 13時与論港発のマリックスラインのフェリー「クイーンコーラル8」に乗船。これにて「九州南部編」の終了。鹿児島港へと戻っていく。和泊、亀徳、名瀬と寄港し、鹿児島港到着は翌日の午前8時。19時間の船旅だった。

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カソリの島旅(89)長崎→東京
(『ジパングツーリング』2002年8月号)

 日本の西の玄関口、長崎に到着すると稲佐山(332m)に登った。

 山上の展望台からは長崎を一望できる。眼下には深く切れ込んだ長崎港。天然の良港で「鶴の港」といわれるように、鶴が大きく羽を広げたような形をしている。足下の海岸には林立する造船所のクレーン。鉄を打つ音やサイレンが聞こえてくる。長崎港から東シナ海に出ていく船の汽笛も聞こえる。魚市場を見下ろし、漁港岸壁にずらりと並んだトロール漁船を見る。

 そんな稲佐山の山頂に届く音や山頂から見る風景はまさに港町、長崎そのもの。長崎港の出口にはいくつかの島々が浮かんでいる。その向こうには東シナ海の大海原が広がる。そこにこれから向かう五島列島の島々が点在しているのだ。

 稲佐山を下り、長崎港へ。17時発の九州商船「フェリー福江」にスズキSMX50と一緒に乗り込み、五島列島の福江島へ。3時間25分の船旅だ。

 福江島の福江港に到着すると、港近くの「うおくに」で「うおくに定食」(1500円)を食べた。これがよかった。寒ブリの刺し身、カツオの煮魚、タコの甘露煮、エビのあえもの、タイのチゲ鍋風汁と魚三昧。さらに店の主人は「おまけだよ」といってしめさばをつけてくれた。うまいサバだ。

 福江の民宿「たが美」で泊まり、翌朝は7時半に出発。朝から雨が降っている。冷たい冬の雨‥。雨の中、五島列島最大の島、福江島を一周する。反時計周りでの「福江島一周」だ。

 最初は県道162号を行く。福江島東部の海沿いの道。いくつもの島々を見ながら走る。五島列島の五島はかつて宇久氏の支配時代に宇久島、中通島、若松島、奈留島、福江島の5島を総称したことに由来しているというが、実際には142島もの島々がある。県道162号からの眺めは、日本有数の群島の五島列島を強く感じさせるもの。福江島北部になると深く切れ込んだ入江沿いの道になる。雨はますます激しさを増し、SMX50に乗りながら泣きが入った。

 福江島北部の岐宿町で国道384号に合流。福江島西部の玉之浦町には荒川温泉。新しい建物の共同浴場の湯に入った。この湯には救われた。湯から上がると、生き返り、また「バイクに乗って走ろう!」という気になった。福江島南部の富江町でも富江温泉の湯に入った。ここを最後に福江に戻る。「福江島一周」は92キロ。最後の最後まで雨に降られた「福江島一周」だ。

 福江港発12時の九州商船「フェリー長崎」に乗って中通島へ。奈留島を経由し、13時40分、南北に細長い中通島の南端近くの奈良尾港に到着。ありがたいことに雨は上がった。

 国道384号を北上。白魚峠を越え、若松町、上五島町と通り、有川町の有川港へ。国道384号はここで尽きる。さらに北へ。中通島最北端の津和崎を目指す。細長い半島が20キロ以上も延びている。奈良尾港から69キロ走り、津和崎に到着。岬に立ち、目の前の野崎島、左手の小値賀島を見た。津和崎からは、来た道を奈良尾に戻った。

 中通島南端の奈良尾に戻ると、高台上にある奈良尾温泉「温泉センター」(入浴料200円)の湯に入り、民宿「あらた」に泊まった。ここの夕食がすごい。五島の海の幸を存分に味わう。ヒラスの刺し身、しめさば、サバの揚げもの、アジの生ずし、特大サザエの壺焼き、それと赤い魚のイトヨリの鍋と、まさに五島の魚づくしの夕食なのだ。民宿の奥さんはさらにかんころ餅を焼き、ザボンを切り、天日で干した自家製の干し柿を出してくれた。

 かんころ餅は五島名物。水の乏しい五島列島では、耕地の大半は畑。そこでは昔からサツマイモがつくられた。かつては島民の主食だった。そのサツマイモの皮をむき、1センチほどの厚さに切って半ゆでにし、寒風に当てて乾燥させたものが保存食のかんころ。それを糯米と一緒に搗き合わせたのがかんころ餅で、昔は正月でないと食べられないような御馳走だった。

 翌日はすばらしい天気。中通島から島づたいに日島まで行ってみる。まずは若松大橋を渡って若松島へ。次に漁生浦橋を渡って漁生浦島に渡り、堰堤上の道を通って有福島に入る。最後が日島。やはり堰堤上の道を通る。奈良尾港から日島までは30キロだ。

 日島の海岸には石塔群。鎌倉時代の後半から室町時代にかけての宝篋印塔や五輪塔、江戸時代以降の自然石を使った板碑などがずらりと並んでいる。その背後は断崖。日島を最後に奈良尾港へ。「フェリー長崎」で長崎港に戻った。

 長崎では名物「長崎チャンポン」を食べ、国道499号で長崎半島南端の樺島に向かっていく。海岸に出ると、高島が間近に見える。この島の炭田の歴史は古く、江戸時代中期には採炭されていたという。日本最初の西洋式採炭が行われたのも高島炭田だ。さらに南下すると、今度は端島が見えてくる。“軍艦島”で知られる端島は高島同様、炭田の島。炭鉱の施設や高層のアパートが林立し、対岸から見ると、まるで波を切って進む軍艦のように見える。

 長崎半島突端、野母崎の権現山展望台に立ったあと、もうひとつの岬、脇岬から樺島大橋で樺島に渡る。漁港近くでは特産のカラスミを干していた。それがいかにも樺島らしい光景。“日本の三珍味”で知られるカラスミはボラの腹子(卵巣)を原料としたもの。中でも樺島産や野母崎産のカラスミは最高級品として知られている。

 島先端の樺島灯台へ。展望台からは右手に野母崎、左手に天草諸島を見る。前方に広がる東シナ海に島影はない。

 樺島から長崎に戻り、島原半島に入っていく。海沿いに走り、最南端の瀬詰崎に立ち、早崎瀬戸対岸の天草諸島の島々を見る。島原港からは九州商船「フェリーくまもと」で有明海を渡り熊本新港へ。そこから宇土半島突端の三角へ。JR三角線の終点、三角駅前の旅館「うめや」に泊まった。

 三角からは天草諸島の“島めぐり”がはじまるが、その前に、戸馳大橋で宇土半島対岸の戸馳島に渡った。温暖な気候の戸馳島では果樹栽培が盛んで、ちょうどミカンの出荷の最盛期だった。ミカンよりもはるかに値段の高い柑橘類のデコポンもたわわに実っていた。花卉栽培も盛んでビニールハウスをあちこちで見かけた。

 戸馳島東側の若宮海水浴場の砂浜からは、八代海の対岸に青く連なる九州本土の山なみを眺めた。西側の行き止まり地点からは、天草諸島の維和島を目の前に眺めた。戸馳島には島一周の道はないが、道が入り組んでいるので、小さな島をぐるりとまわって戸馳大橋に戻ると、26キロも走っていた。

 戸馳大橋からすぐ近くの三角駅に戻ると、カンコーヒーを飲んで出発。さー、行くゾ、天草諸島の島々へ!

 三角から国道266号を行く。交通量が多い。天草五橋の1号橋、天門橋で大矢野島に渡る。天門とは“天草の門”からきている。まさに「天草、ここよりはじまる!」といったところ。ぼくは“天草”の語感が好きだ。そんな天草は大小合わせて110余の島々から成る一大群島だ。

 国道266号を離れ、さきほど戸馳島から見た維和島まで行く。西大維橋を渡って野牛島へ、次に東大維橋を渡って維和島に入った。維和島の西側はリアス式海岸で、そこでは盛んにクルマエビが養殖されている。ここは日本でも有数のクルマエビの生産地なのだ。

 大矢野島に戻ると、西大維橋のたもとにある藍の湯温泉「生潮」(入浴料400円)の湯に入った。天草の1湯目。浴室からは西大維橋を見る。若干の塩分。肌にやさしい湯の感触だ。

 国道266号に戻り、南へ。国道沿いには「天草四郎メモリアルホール」。大矢野島は江戸時代初期の島原の乱で16歳にして首領になり、幕府軍と戦い、戦死した天草四郎の生まれた島だといわれている。天草四郎は永遠の美少年、英雄として天草人の心に今も残る。

 大矢野島から天草上島まではわずか2キロほどでしかないが、その間で天草五橋の2号橋(大矢野橋)、3号橋(中の橋)、4号橋(前島橋)、5号橋(松島橋)と次々に渡っていく。その間で目にする島々が風光明媚な天草松島。天草随一といってもいいほどの風景だ。遊覧船がそんな島々の間を縫って行く。

 天草上島に渡ったところで、千厳山(166m)山頂の展望台に登り、そこから今、通ってきた天草五橋や大矢野島、天草松島を見下ろした。さらに宇土半島や九州本土の山並みをも一望した。この山は手杓子山とも呼ばれているが、天草四郎の島原出陣のとき、この地で手杓子で祝酒を酌みかわしたのが山名の由来になっているという。

 千厳山を下ると、松島温泉の「ホテル天松」の湯に入り、近くの「清光鮮魚店」で貝汁定食(800円)を食べた。大きな椀にアサリがゴソッと入った汁。生け簀料理を食べさせてくれる店だが、活魚の小売もしている。今度天草の来るときは、ここでぜひとも生け簀料理を食べてみようと、そう思わせるような店だった。

 天草の中心、本渡に向かう。すぐに国道266号と324号に分岐するが、324号が本渡へのメインルートになる。北側の海岸線に出ると、対岸の島原半島がよく見える。雲仙普賢岳の平成新山もはっきりと見える。

 天草の上島と下島を結ぶ瀬戸大橋に近づいたところで、徒歩で「日本一周」中の小川貴裕さんに出会った。横浜の人だが、鹿児島を出発してからすでに8ヵ月。太平洋岸を北上して北海道まで行き、今度は日本海岸を南下して天草までやって来た。鹿児島からはさらに沖縄へと南下していくという。バイクと徒歩という違いはあるが同じ「日本一周」の同志。ガッチリと熱い握手をかわして小川さんと別れた。

 天草下島の中心、本渡からは海沿いの国道324号を行く。前の日に立った島原半島南端の瀬詰崎を今度は天草側から見る。島原半島の口ノ津港へのフェリーの出る鬼池港と、通詞大橋でつながっている通詞島に寄り、富岡港へ。ここからは長崎半島の茂木港行きのフェリーが出ている。港の一角には白っぽい石が積まれていた。これが天草下島特産の天草石。磁器の原料だ。港正面の高台には富岡城跡が見える。

 富岡からは西海岸を通る国道389号を南下。山々が海に迫っている。苓北町から天草町にかけてのこの一帯には採石場が多い。それらはさきほどの磁器の原料となる天草石の採石場だ。下田温泉の共同湯「白鷺館」(入浴料200円)の湯に入り、大江と崎津の天主堂を見、国道266号に合流。

 天草の4湯目、牛深温泉の「温泉センター」(入浴料400円)の湯に入り、天草下島南端の牛深へ。熊本県下では一番の水揚げ量を誇る漁業の町なだけに、牛深には活気があった。牛深からは通天橋で対岸の下須島に渡り、砂月海岸の民宿「さつき」に泊まった。

 下須島の民宿「さつき」のある砂月海岸はすばらしくきれいな砂浜だ。海水浴場になっている。朝日が昇ると、砂月海岸の海はキラキラと黄金色に輝いた。

 下須島から牛深に戻ると、8時発の三和商船のフェリー「天長丸」に乗って対岸の長島へ。フェリーの甲板から離れていく牛深港を見る。港をまたぐ牛深ハイヤ大橋が目立つ。やがて牛深港が遠ざかり、牛深の町なみが遠ざかり、天草下島も遠くなっていく。天草との別れ‥。フェリー「天長丸」は長島海峡を横断し、8時30分、長島の蔵之元港に到着した。ここはもう鹿児島県だ。

 蔵之元港からは国道389号を南下。長島の土は赤い。この赤土の畑で特産のジャガイモをつくっている。見事な段々畑がつづく。ひとつひとつの畑は石垣で囲まれている。先人たちの血のにじむような苦労がみてとれる石垣だ。

 黒之瀬戸にかかる黒之瀬戸大橋を渡って九州本土へ。国道3号で阿久根を通り、川内から串木野へ。串木野港から甑島列島へのフェリーが出ているのだ。13時発の甑島商船のフェリー「こしき」に乗った。

 甑島列島は上甑島、中甑島、下甑島の3つの島から成っている。「フェリーこしき」は3つの島々に寄港し、下甑島の手打港が終点になる。ぼくは一番最初に着く上甑島の里港で下りた。串木野港から里港までは1時間25分の船旅だ。

 さっそく上甑島を走り出す。北へ。

「長目の浜展望台」に立つ。ここからの眺めはすばらしい。鍬崎湖、貝池、なまこ池の3つの潟湖を一望する。手前の鍬崎湖には15キロもの大ウナギが生息しているという。ここはまさに神秘の世界だ。

 上甑島の北への道は桑ノ浦の集落で行き止まり。里港から16キロ。次に南へ。甑大明神橋、鹿の子橋と2つの橋を渡って中甑島に入る。道は中甑島の中心、平良で行き止まりになる。ここから帽子山の展望台まで登ると足もとには平良港を見下ろし、南に目を向けると、中甑島ごしに夕日を浴びた下甑島を見た。

 里港に戻ると、港前の里村温泉「甑島荘」(入浴料300円)の湯に入った。赤茶けた湯。タオルがあっというまに赤くなる。湯から上がると、民宿「かねきや」へ。夕食には鹿児島名物のキビナゴの刺し身と塩焼きが出た。

 翌日、串木野港に戻ると鹿児島へ。

 鹿児島からは、一気走りで北九州へ。鹿児島駅前から門司港駅前まで、国道10号経由で461キロ、それを15時間41分で走った。そして新門司港からオーシャン東九フェリーの「おーしゃん いーすと」で東京に向かった。

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カソリの島旅(88)東京→長崎
(『ジパングツーリング』2002年7月号 所収)

「九州編」の開始だ。 

 北海道、本州、四国とまわり終えた「島巡り日本一周」も、あとは九州と沖縄を残すだけとなった。ところが、九州も沖縄も島の数がものすごく多いので、そう簡単にはまわりきれない。そこで「九州編」では北部編、西部編、南部編、東部編と4分割してまわることにした。

 東京港からオーシャン東九フェリーで北九州の新門司港まで行き、そこを出発点に、反時計回りで九州を一周しながら島々をめぐるのだ。

 12月10日、東京港フェリー埠頭。19時10分発のオーシャン東九フェリー「おーしゃん うえすと」にスズキSMX50ともども乗り込み、北九州に向かう。途中、四国の徳島港に寄港し、北九州の新門司港到着は12日の5時。さー、九州を走るゾ!

 北九州の新門司港を出発すると、まずは九州本土最北端の部崎に立つ。対岸には本州側の町灯かり。沖に停泊している何隻もの貨物船の灯も見える。高台上の岬の灯台が暗い海に鋭い光を投げかけている。

 次に門司港駅に行く。九州鉄道網の起点。鹿児島本線も日豊本線もここから始まる。時間はまだ6時前なので、駅構内の人影はまばらだ。

 門司港駅前から海沿いの国道199号で小倉へ。小倉からは有料の若戸大橋で洞海湾を渡って若松へ。JR筑豊線の起点、若松駅構内の「東筑軒」で月見うどんを食べ、ひと息ついて若松からは国道495号を行く。遠賀川の河口を渡り、芦屋の町を走り抜け、垂水峠を越えて玄海町に入った。

 玄海町田島にある宗像大社を参拝したあと、神湊港から9時30分発のフェリー「おおしま」で九州の第1島目となる筑前大島に渡る。20分の船旅。

 筑前大島は1島1村で、島全体が大島村になっている。時計回りに島を一周。宗像大社の中津宮に参拝し、島の北側にある「沖津宮遙拝所」では沖合48キロの沖ノ島に向かって手を合わせた。玄海町田島の辺津宮、筑前大島の中津宮、沖ノ島の沖津宮の3社を合わせて九州屈指の名社、宗像大社になるのだ。

 筑前大島では最高峰、標高222mの御岳山頂の展望台に立ち、九州本土の山々を眺めた。島の北岸の岬、神崎鼻では大島灯台と戦時中の砲台跡を見た。島東端の岬、加代鼻からは沖合の地島を見た。

 そして筑前大島温泉「潮路の湯」(入浴料600円)に入り、最後に「民具資料館」(入館料100円)を見学して全行程28キロの「筑前大島一周」を終えた。フェリーターミナル内の食堂でカレーライスを食べ、13時発のフェリーで神湊港に戻った。

 国道495号で津屋崎、古賀、新宮と通り、福岡市に入る。和白から志賀島へ。短い志賀島橋で、本土側の“海の中道”と呼ばれる砂州とつながっている。島に入ってすぐのところに志賀海神社。“お島さま”とか“お志賀さま”ともいわれ、海の守護神として広く信仰されている。

 志賀島は時計回りで島を一周する。博多湾に浮かぶ能古島がすぐ近くに見える。そのわきを大型フェリーが通り過ぎていく。島を一周しながら金印公園、蒙古塚と見てまわる。ともに志賀島が大陸との深いかかわりを持っている島であることを実感させる。

 金印公園は天明4年(1784)に島の農民が「漢委奴国王」と彫り刻まれた金印をみつけたところ。実物は福岡市立博物館で展示されている。蒙古塚は2度の蒙古軍襲来で戦死した数万の蒙古兵を弔うもの。島の東側に出ると右手に相ノ島、左手筑前大島を見る。全行程10キロの「志賀島一周」だ。

 福岡の中心、天神到着は15時50分。佐賀県の呼子へ。
「急げ!」
 大渋滞の福岡市内を走り抜け、国道202号を西へ。前原、二丈と通り、佐賀県に入る。そのころから雨が降りだす。唐津に着くころには土砂降りだ‥。激しい雨をついて走り呼子港へ。間に合った!

 18時発の壱岐・印通寺港行き、九州郵船のフェリー「あずさ」に飛び乗った。じつはこのフェリーでカブで島めぐりをしている西牟田靖さんと待ち合わせをしたのだ。西牟田さんとは何度も握手をかわして再会を喜びあい、すぐさまカンビールでの乾杯となった。 壱岐南部の印通寺港に到着したのは19時10分。さっそくスーパーで食料、酒を買い、フェリーターミナルの屋根の下での宴会だ。

 カンビールを次々にあけ、お互いの旅の話に花を咲かせる。日本のみならず、世界中を旅している西牟田さんだが、彼とは2000年の夏、サハリンの州都、ユジノサハリンスクで出会った。そのときも西牟田さんはカブだった。なつかしいサハリンの話でも盛り上がる。最後は壱岐の麦焼酎「天の川」でしめ、我らの宴会は12時過ぎにお開きになり、テントを張って眠った。

 翌朝はまだ暗いうちに起き、印通寺港を出発。一緒の西牟田さんはバイクを那覇においてきているので、壱岐ではレンタバイクでまわるという。彼とは夜、芦辺港で落ち合い、21時35分発のフェリーで一緒に対馬に渡ることにする。

 壱岐は時計まわりで一周する。壱岐は4町から成る島だが、まずは石田町の印通寺港から郷ノ浦町の郷ノ浦港に国道382号で向かう。郷ノ浦港では7時発の博多港行きフェリーが出港するのを見届けると、北の勝本町の勝本港へ。ここで壱岐島内の国道382号は尽きる。勝本港からは芦辺町の芦辺港経由で印通寺港に戻った。壱岐の第1周目は44キロだった。

 つづいて第2周目に出発。第1周目と同じように時計回りでまわる。今度は壱岐のあちらこちらを見てまわる。見どころのたくさんの壱岐はツーリングには絶好の島だ。

 郷ノ浦に向かう国道382号から1キロほど南に入ったところの岳ノ辻の展望台に立つ。標高213m。ここが壱岐の最高峰で志原岳ともいう。岳ノ辻を下り、壱岐最南端の海豚(いるか)鼻へ。岬越しに加唐島や小川島、松島、馬渡島といった呼子周辺の島々を見る。

 壱岐では一番にぎやかな町、郷ノ浦に着くと、「壱岐郷土館」を見学し、壱岐最西端の牧崎へ。壱岐では一番といっていい海岸美が見られる。「鬼の足跡」と呼ばれるちょっと不思議なつくりの海食洞もある。

 郷ノ浦に戻ると、国道382号を北へ。その途中では壱岐の一の宮、天手長男(たながお)神社に参拝。そして名湯、湯ノ本温泉へ。国民宿舎「壱岐島荘」の湯に入ったが、高温で湯量が豊富。うす茶色の湯が湯船からあふれ出ていた。この湯は傷にすごく効くという。

 勝本港からは芦辺港経由で印通寺港へ。その途中では壱岐最東端の左京鼻に立った。そして最後に原ノ辻遺跡を見学。第2周目は105キロだった。

 壱岐南部の印通寺港から東部の芦辺港に戻り、フェリーターミナルで西牟田靖さんと落ち合った。彼は印通寺でバイクを借り、それを返し、バスで芦辺港までやってきた。西牟田さんとの連夜の宴会だ。港前のダイエーで買った刺し身やチクワ、ソーセージなどをつまみにカンビールを飲み、焼酎を飲んだ。壱岐は麦焼酎の名産地。おおいに飲みながら、お互いが見た壱岐を話した。これがなんとも楽しいひと時!

 21時25分発の九州郵船のフェリー「ニューつしま」にSMX50ともども乗り込み、対馬の厳原港へ。厳原港到着は23時40分。その間は船内でぐっすり眠った。

 対馬南部の厳原港に到着すると、西牟田さんに見送られ、午前0時を期して対馬北部の比田勝港を目指して出発。西牟田さんは厳原から韓国に渡り、さらに中国東北部を目指すという。

 厳原港からは国道382号を北上。強烈な寒さでSMX50のハンドルを握る手の指先はジンジン痛んでくる。暖流の対馬海流の影響で、もうすこし暖かな島かと思っていた‥。

 夜中の交通量はほとんどない。南部の厳原町から美津島町、豊玉町、峰町、上県町と南北に細長い対馬を走り抜け、北部の上対馬町に入り、2時30分に国道382号の尽きる比田勝港に着いた。

“島国道”の382号は、じつは比田勝が起点で、対馬を縦断し、壱岐を縦断し、呼子から唐津へ(この間は国道204号と重複)。唐津が終点になる。

 比田勝港のかたすみにテントを張って2時間ほど眠り、まだ暗い中、対馬最北の地、鰐浦にある「韓国展望台」に行く。自衛隊の基地のある海栗(うに)島の向こうが韓国。その間の距離はわずか50キロでしかない。対岸の釜山の夜景がよく見える。水平線は釜山の町明かりを映して赤く染まっている。猛烈な北西の季節風に吹かれながら釜山の夜景を見つづけた。

 比田勝港に戻ると対馬の東岸を走る県道39号を南下。山また山で平地はほとんどない。茶屋隅峠を越え、国道382号に合流したところで、豊玉町の和多津美神社に参拝。すぐ近くの烏帽子岳山頂の展望台に立つ。そこからは韓国の山々がはっきり見えた。次に峰町の海神(わだつみ)神社に参拝。この神社が対馬の一の宮。これで日本全国の「一の宮めぐり」の達成だ。

 ぼくは国内のツーリングを重ねていくうちに、日本を現在の県単位で見るのではなく、旧国単位で見ていった方がよっぽどおもしろいと思うようになった。その旧国のシンボルとして一の宮に焦点を当てたのだ。県の歴史はたかだか100年。それに対して旧国の歴史は千数百年にもなる。

 国道382号で厳原に向かう。万関橋を渡って対馬・上島から下島に入る。もともと対馬はひとつの島だったが、浅茅(あそう)湾東側の地峡に運河が掘られ、上島と下島の2島に分かれた。

 厳原港を出発してから12時間後、250キロを走って厳原に戻ってきた。対馬の中心的存在の厳原は宋氏10万石の城下町。今でも残る武家屋敷跡や藩校「日新館」の門などが城下町厳原を強く感じさせてくれた。

 厳原からは対馬・下島を一周。南部は北部に比べると、よけいに山々が高く険しくなる。島全体が平坦で広々としている壱岐と山また山の対馬は好対照をなしている。午後になると天気は崩れ、強風にのって雪が舞った。

 南端近くの豆酘(つつ)まで行き、椎根という集落では珍しいものを見た。石屋根の建物。何か、異国の風物を見るような思いがした。最後はうなりをあげて吹きつける雪まじりの強風をついて走り、厳原に戻った。全行程324キロの対馬。さすがに大きな島だ。

 対馬から壱岐経由で呼子港に戻ると、ひと晩、港近くの「富士屋旅館」で泊まった。翌朝は宿の朝食を食べ、呼子名物の朝市を歩いた。

 呼子を出発。SMX50で走り出す。呼子大橋を渡って加部島に入る。その昔は姫島と呼ばれ、朝鮮、中国と大陸への拠点として栄えた島だ。佐賀県内では最古といわれる田島神社に参拝し、隣合った「郷土歴史資料館」(無料)を見学し、「風の見える丘公園」の展望台に立った。

 そこからは目の前に小川島、左に加唐島、松島、さらに壱岐が見える。島最北端の岬には灯台。その周辺は広々とした牧草地。島の最高峰、天竜岳にも登った。「加部島一周」は10キロだった。

 呼子に戻ると、次に名護屋城跡を歩き、「名護屋城博物館」(無料)を見学。そこでは日本水軍の安宅船と朝鮮水軍の亀甲船の模型が目を引いた。最後に波戸岬に立った。

 国道204号を南下。玄海町、肥前町と通り、伊万里市に入ったところで福島大橋を渡って福島に入る。1島1町で全島が福島町(長崎県)になっている。島の入口に福島温泉。国民宿舎「つばき荘」(入浴料300円)の湯に入った。うす茶色をしたいい湯だ。

 時計回りで福島を一周する。島の東側では海に落ちる棚田を見、島最北端の初崎ではツバキの原生林の中を歩き、展望台から元寇の島、鷹島を眺めた。

「福島一周」の20キロを走り終えると、国道204号で伊万里に出る。伊万里からさらに国道204号を行く。佐賀県から長崎県に入り、平戸島へ。日本最西端駅の松浦鉄道「たびら平戸口駅」に寄ったあと、国道383号の有料橋、平戸大橋で平戸島に入る。2輪料金は100円だが、原付は10円。この安さが50ccバイクの大きな魅力だ。

 島の中心、平戸の町に入っていく。天文18年(1550)にポルトガル船が入港して以来、平戸は日本最初の国際港として繁栄した。その名残をとどめる石橋のオランダ橋を見、平戸港に面した「オランダ商館」跡に行く。オランダ船が平戸にやってきて「オランダ東印度(インド)会社平戸支店」を設けたのは慶長14年(1609)のことだった。

 平戸を拠点に「平戸島一周」。時計回りでまわる。海沿いの国道383号を南下。千里ヶ浜温泉「ホテル蘭風」(入浴料700円)の湯に入り、紐差では紐差教会の白亜の大天主堂を見る。国道383号が尽きると県道19号になるが、その行き止まり地点の宮ノ浦漁港まで行った。

 宮ノ浦からは県道19号を北上し、平戸に向かう。その途中では「切支丹資料館」(入館料200円)を見学。納戸神や踏絵、マリア観音など「隠れキリシタン」の迫害の歴史に胸を強く打たれた。こうして平戸に戻ったが、途中、川内峠に寄ったこともあって、「平戸島一周」は104キロになった。

 平戸の戻ってきたときは、日が落ち、すっかり暗くなっていた。生月島へ。来た道を引き返し、有料橋の生月大橋(50円)で生月島に渡る。電話ボックスから“島民宿”に電話すると、ありがたいことに、「鯨見荘」で泊めてもらえることとなった。宿の近くのコンンビニ「ファミリーマート」で弁当を買い、それを部屋で食べた。

 翌朝はすばらしい日の出。対岸の平戸島の山の端に朝日が昇る。宿のカマスの焼き魚つきの朝食を食べ、出発。反時計回りでまわる。生月島も平戸島と同じように南北に細長い島。ただし平戸島よりはるかに小さい。的山大島と度島を見ながら走り、島の最北端、御崎の大バエ灯台まで行く。ここは絶好の釣り場なのだろう、岬周辺の磯では大勢の釣り人を見る。

 生月島の西海岸を南下すると、水平線上に五島列島の島々を見る。西海岸に集落はなく、断崖が海に落ち込んでいた。生月島は「隠れキリシタン」殉教の島。ダンジク様や千人塚など、いくつもの聖地がある。「隠れキリシタン」の人々は今でも納戸神をまつっているという。

 全行程31キロの「生月島一周」を走り終え、平戸島経由で国道204号に戻り、佐世保へ。その途中では「日本一周」の約束の地、日本本土最西端の神崎鼻に立つ。目の前には長々と平戸島が横たわっている。平戸島を走ったあとで神崎鼻に立つと、いつもとはまた違う感動をおぼえた。

 佐世保では弓張岳山頂の展望台に立った。足下には佐世保の市街地が広がり、目を海側に向けると、九十九島の島々を一望する。平戸島も見える。さらには五島列島の島々が霞んで見える。

 佐世保からは国道202号で長崎へ。早岐で国道35号と分岐するが、その分岐点を過ぎるとすぐに短い橋を渡り、針尾島に入る。この橋は九州本土と針尾島を分ける狭い早岐瀬戸にかかっているが、小さな川程度にしか見えない早岐瀬戸なので、島に入ったことに気がつかないまま走り過ぎてしまう。この針尾島は佐世保湾と大村湾を分ける島で、針尾瀬戸にかかる有名な西海橋を渡って西彼杵半島に入っていく。

 針尾瀬戸は“日本三急潮”のひとつ。ここが大村湾唯一の出口で、橋の上からは激しく渦を巻いて流れる渦潮が見えた。

 国道202号で西彼杵半島の東シナ海側を南下。長崎までの間では本土と橋でつながっている大島、大瀬戸港の目の前に横たわる松島、九州最後の炭鉱(2001年11月に閉山)となった池島と、アイランドウオッチングしながら走り、長崎に到着した。

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「旧満州走破行2004」(88)
10月19日(火)晴のち雨 瀋陽→東京 第29日目

 中国・東北地方(旧満州)を離れる日がやってきた。

 5時起床、5時45分朝食。クロワッサンとフランスパン、コーヒーの朝食をすばやく食べると、6時15分、「商貿飯店」を出発。瀋陽国際空港へ。

 瀋陽の中心街を走り抜け、瀋陽と北朝鮮との国境の町、丹東に通じる高速道路「沈丹高速」を走る。

 7時、瀋陽国際空港に到着。出国手続きを終え、中国東方航空の成田行きCZ627便に乗り込んだ。

 8時30分、瀋陽を出発。飛行機の小さな窓から東北の大平原を見下ろす。あっというまに国境の鴨緑江を越え、北朝鮮の上空を行く。北朝鮮の畑作地帯を見下ろす。山地に入っていくと、山間に漂う雲を見下ろした。
「次は北朝鮮だな」
 と、「北朝鮮一周」への思いを新たにした。

「北朝鮮一周計画」は、瀋陽を拠点にして2003年に中朝国境の全域を走り終えたときに思いついたものだが、今回の「旧満州走破行」の最中に、「何としても実現させたい」と思うようになった。旅をしながら次の旅を計画するのはいつものことだ。

 中国東方機は朝鮮半島を離れると日本海を飛び越え、日本の上空へ。天気は変り、日本列島は厚い雲に覆われている。台風の影響で飛行機は大揺れ。

 12時05分、成田空港に着陸したときはホッとした。それと同時に「旧満州走破行」が終ってしまったことを実感するのだった。

(了)

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「商貿飯店」を出発

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瀋陽の中心街を走り抜けていく

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「沈丹高速」を行く

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瀋陽国際空港に到着

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中国東方航空機に乗り込む

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北朝鮮を見下ろす

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「旧満州走破行2004」(87)
10月18日(月)曇のち晴 瀋陽(その4) 第28日目

 瀋陽の町歩きを終え、連泊の「商貿飯店」に戻った。

 日が暮れたところでホテルを出発。夕暮れの町を歩き、上海料理の店「梅龍鎮」に入った。
「旧満州走破行」最後の夕食。アヒル肉、アヒルのレバーと、「アヒル」がメイン。

 湯波料理も出た。中国では湯波のことを「豆腐皮(トーフピア)」といっている。湯波の中に野菜などの詰め物がしてある。

 それと何と氷の上にのせたサーモンの刺身が出た。中国で刺身を食べるようになったのは最近のこと。これは日本食の影響といえる。

 最後はワンタン。胃にやさしいとでもいおうか、上海料理は東北料理に比べるとはるかに薄味で淡白。慣れ親しんだ東北料理はまさに田舎料理で味が濃く武骨だ。

 夕食を終え、「梅龍鎮」を出、夜の瀋陽の町をプラプラ歩く。いよいよ東北(旧満州)を離れるとなると、急に東北料理がなつかしくなってくる。1ヵ月あまり、毎日、食べつづけた東北料理の数々が目に浮かんでくるのだった。

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「商貿飯店」を出発

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上海料理の「梅龍鎮」で夕食

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メインはアヒル肉とアヒルのレバー

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湯波料理

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サーモンの刺身

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最後は上海風のワンタンだ

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「旧満州走破行2004」(86)
10月18日(月)曇のち晴 瀋陽(その3) 第28日目

 瀋陽駅から中山路を歩き、中山広場にやってきた。

 大連でも中山広場を歩いたが、「中山広場」の名称は中国・辛亥革命(1911年)の指導者、孫文の号の「中山」に由来している。孫文の広東省の出身地も今は中山市。中国では「孫文」よりも「孫中山」の方が一般的なのだ。

 瀋陽の中山広場には毛沢東の像が建っている。その下には兵士や農民たちの像。

 そんな中山広場に面して「遼寧賓館」がある。満州国時代の「大和ホテル」。今では瀋陽市の史跡に指定されている。中国東北地方の各地で、このように日本時代に造られた建物などがいまだに大事に使われている。

 中山広場からはショッピングモールを歩いて瀋陽駅に戻った。

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中山広場にやってきた

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中山広場の毛沢東の像

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毛沢東を守る兵士や農民たちの像

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中山広場に面して建つ「遼寧賓館」

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「遼寧賓館」の内部

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瀋陽市の史跡に指定されている「大和旅館旧址」

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ショッピングモールを歩く

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瀋陽駅に戻ってきた

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瀋陽駅の構内

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瀋陽駅前のバス乗り場

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瀋陽駅前の広告

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目を引くキヤノンの広告

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「旧満州走破行2004」(85)
10月18日(月)曇のち晴 瀋陽(その2) 第28日目

 午後は瀋陽駅から歩き始めた。

 瀋陽駅の駅舎はロシア人が建てたもので、今でもそっくりそのまま残っている。

 瀋陽駅は中国東北地方の拠点。ここから東北各地に列車が出ている。北京や上海への列車も出ている。北京まで約10時間、上海までは約30時間といったところだ。

 瀋陽駅前からは中山広場に向かって中山路を歩いた。

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瀋陽駅

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瀋陽駅前

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瀋陽駅近くの牛肉麺店

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ヒマワリの種などを売る露店

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瀋陽の市内バス

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街角の新聞売り

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ペプシコーラの看板

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ド派手な広告

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横断歩道橋からの眺め

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瀋陽の日本料理店

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