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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(7)

「鵜ノ子岬→尻屋崎」の東北太平洋岸ツーリングは出だしから大きなピンチを迎えた。

「国道6号が走れれば、何ということもないのに…」
 と、改めて爆発事故を起こした東電福島第1原発に、ムラムラッと胸にこみあげてくる怒りを感じた。

 東電福島第1原発の爆発事故によって福島県太平洋岸の「浜通り」は完全に分断され、メチャクチャにされてしまった。このように「東日本大震災」から1年たったというのに、浜通りの南から北に行くのはいまだに大変なことなのだ。

 さー、怒っていても仕方ない。

 とりあえずは来た道を戻り、いわき市の四倉まで戻った。
 四倉の海岸にV-ストロームを止めて、しばし太平洋を眺めた。

 気分が落ち着くと、『ツーリングマップル東北』を見ながらのプランニング。その結果、「男は度胸だ!」と、高速道路に賭けることにした。というのは前日の大雪で磐越道の小野ICから先はチェーン規制がかかっていたからだ。

「北に行くのには、もうそれしかない」と心に決めた。あとは「なるようになれ!」だ。いままでも、いつも、そうしてきたではないかと自分で自分にいい聞かせる。

 いわき四倉ICで常磐道に入った。

 いわき中央ICまでは2車線の対面通行区間。この間に雪はまったくなかった。

 いわき中央ICを過ぎたいわきJCTから磐越道に入った。ここから東北道の郡山JCTまでは全線が4車線。東北道に出られるかどうかが、大きな問題だ。

 磐越道を走りはじめる。最初のうちはまったく雪がない。高速性能抜群のV-ストロームなので、存分にその走りの良さを楽しんだ。

 いわき三和ICを過ぎたあたりから雪景色になってくる。幸い天気は回復し、日が差してくる。路面に雪はない。大量の凍結防止剤がまかれているのでアイスバーンの区間もない。それでも速度を落とし、突然、現れるかもしてないアイスバーンに最大限の注意を払った。

 いよいよ小野ICに近づいてくる。V-ストロームのハンドルを握りながら胸がドキドキしてくる。この先チェーン規制がかかっていたら、高速を降り、下道の国道348号で行くしかないのだが、阿武隈山地の雪の峠を越えられるとは思えなかった。

「ラッキー!」
 磐越道の小野ICから先のチェーン規制は解除されていた。さらに郡山JCTまでの間も路面に雪はなく、アイスバーンもなかった。

 郡山JCTで東北道に入り、福島西ICへ。この間は問題なく走れた。

 福島西ICで東北道を降りると福島市内へ。
 福島からは国道115号で浜通りの相馬に向かう。

 福島の市街地を過ぎたところで最初の峠を越えるが、無事、通過。峠の周辺は雪景色だが、路面に雪はなかった。

 最大の難関は霊山(825m)越えだ。

 ここでは幸いなことに気温が上がり、かなり強い日差しになったので路面の雪はシャーベット状になっていた。そのおかげでタイヤのグリップがあり、転倒することもなく走れた。霊山直下のゆるやかな登りを慎重に走りつづけ、ついに伊達市と相馬市の市境の峠に到達。峠の周辺はかなりの積雪の雪景色だが、路面に雪はなかった。アイスバーンもなかった。

 阿武隈山地の名無しの峠を下っていくと、周囲の雪はスーッと消えていく。

 山地から平地に下り、まもなく開通する常磐道の相馬IC(南相馬IC~相馬IC間は4月8日に開通)の近くを通り、相馬市の中心、中村の市街地に入っていく。そしてJR常磐線の相馬駅前でV-ストロームを止めた。大きな難関を突破したのだ。

「勝ったな!」
 カソリ、賭けに勝ち、浜通りの北側にやってきた。

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東北道の福島西ICに到着

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福島から国道115号を行く

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霊山の雪

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国道115号の名無し峠

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JR常磐線の相馬駅前
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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(6)

 いわき市の四倉舞子温泉「よこ川荘」で迎えた3・11の朝。「東日本大震災」からちょうど1年がたったのだ。

 渡辺哲さんと一緒に「よこ川荘」の周辺を歩く。隣の温泉旅館「なぎさ亭」は大津波に襲われ、3階建の1階部分が全滅、瓦礫はほとんど撤去されたが廃業した。

 舞子浜の海岸線を走る県道382号を渡り、海岸に出る。天気は曇り。冬を思わせるような冷たい風が吹き、太平洋の水平線上には厚い雲が垂れ込めている。

「この海が1年前、牙をむいて襲いかかってきたのか…」

「よこ川荘」に戻ると納豆と目玉焼き、塩ジャケの朝食を食べ、8時、出発。前日と同じようにカソリのスズキV-ストロームが先を走り、渡辺さんのヤマハ・セローがそれにつづいた。

 国道6号から県道41号に入り、県道35号との交差点まで行ったところでバイクを止め、ここで渡辺さんと別れた。自販機のカンコーヒーで別れの乾杯。それは同時に大津波で亡くなった大勢の方々への献杯でもあった。

 渡辺さんは県道35号を北へ。
 カソリはそのまま県道41号を走り、国道399号に出た。

 この国道399号は、爆発事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所の20キロ圏で通行止になっている国道6号の、最短迂回路になっている。

 小川から北上し、一気に山中に入っていく。国道399号を北上すると、周囲はあっというまに雪景色に変っていく。前日は東北の広い範囲で大雪が降ったのだ。峠道にさしかかると、路面は雪とツルンツルンのアイスバーン…。とてもではないが、V-ストロームで走れるような状態ではなかった。

 国道399号は通行止にこそなっていなかったが、地元の人に聞くと、チェーンを装着した四駆でも走行できるかどうかのような路面状況だという。

 国道399号はこの先、いくつもの峠を越えていわき市から川内村、田村市、葛尾村、浪江町と通って飯舘村に通じている。狭路の区間は舗装林道のような道。交通量も極めて少ない。そんな国道399号を走り、飯舘村からは八木沢峠を越える県道12号で南相馬市の原町に出るつもりでいた。

 その国道399号が通れない。
「さー、困った…」

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四倉舞子温泉の「よこ川荘」

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3・11の1年後の太平洋

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海岸には瓦礫の山

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「よこ川荘」の朝食

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「よこ川荘」を出発

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渡辺哲さんとの別れ。「またな~!」

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(5)

 久之浜から国道6号を北上。いわき市から広野町に入り、広野町と楢葉町の町境まで行った。

 そこが爆発事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所の20キロ圏で、警察の車両が国道を封鎖し、一般車両は通行止になっている。同行してくれている渡辺さんの家はここからすぐのところにあるのだが、行くことはできない。

 この東電福島第1原発の20キロ圏を折り返し地点にし、国道6号を戻っていく。

 それにしても信じられないようなことだが、国道6号という日本の幹線道路が1年たってもまだ通行止めなのだ。ぼくが知る限り、1桁国道がこのように長期間、通行止めになったケースは知らない。迂回路の県道35号→県道34号も通行止め。東電福島第1原発の爆発事故は福島県の太平洋側の浜通りを完全に分断してしまった。

 久之浜に戻ると、小学校の校庭の一角にできた仮設の商店街に寄った。そこの「からすや食堂」で夕食。ラーメンライス&餃子を食べた。ラーメンも餃子もじつにうまかった。

 この店は夫婦でやっている。もともとの店は久之浜の町中で、秋葉神社の近くにあったという。2人も秋葉神社が残ったのは不思議だといっている。我々が最後の客。我々が食べ終わると、2人は店の電気を消し、車で仮設住宅のある勿来に向かっていった。

 いわき市の北の久之浜と南の勿来では、かなりの距離がある。毎日、大変な距離を往復している。1日も早く久之浜に戻れるのを願うばかりだ。

 久之浜から四倉へ。
 今晩の宿、四倉舞子温泉の「よこ川荘」に到着。ここはいままでに何度となく泊まった宿。温泉に入ったあとは、渡辺さんと大広間でビールを飲んだ。

「よこ川荘」は海岸のすぐ近くにある宿で、大津波をまともに受けた。

 大津波直後の光景を見た渡辺さんは、
「カソリさん、よこ川荘はもう無理ですよ…」
 と、わざわざ電話をくれたほど。

 それが全国からやってきたボランティアのみなさんの支援もあって、見事に宿を再開させたのだ。
「大広間の50畳もの畳を全部、私が運び出したのよ!」
 というおかみさんの話は今や伝説だ。

 そんな「よこ川荘」のおかみさんは、「これ、食べなさい」といってマグロやカツオ、ホタテ、タコの刺身の盛合わせを持ってきてくれた。

「鵜ノ子岬→尻屋崎」第1日目の四倉舞子温泉「よこ川荘」では、渡辺さんとしこたま飲んだ。というよりも飲まずにはいられないような気分。復興からは、はるかに遠い東日本大震災から1年後の浜通りだった。

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閑散とした広野町役場

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国道6号の封鎖地点

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四倉舞子温泉の「よこ川荘」に到着

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渡辺さんとしこたま飲んだ

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「よこ川荘」のおかみさんの差し入れ

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(4)

 塩屋崎からは舞子浜を北上。松林の中の県道382号を走る。カソリのV-ストロームが先を行き、渡辺さんのセローがフォローする。

 県道382号は夏井川にかかる橋に大きな段差ができ、長らく通行止めになっていたが、今は通行可。問題なく走れる。

 海岸には大きな瓦礫の山がいくつもできている。
「(この瓦礫処理が)一日も早く終わりますように!」
 と願わずにはいられない。瓦礫の処理が終らないことには、復興はますます遠のくばかり。日本各地で被災地の瓦礫受け入れを反対している住民たちに見せたい光景だ。

 四倉で国道6号と合流し、波立海岸へ。
 短いトンネルで抜けたところが岬。波立岬といってもいいようなところなのだが、岬に名前はついていない。

 国道沿いの「波立食堂」は大津波に押しつぶされたが、反対側の「波立薬師」は無傷で残った。それ以上に驚かされるのは岬の岩礁に立つ赤い鳥居が残ったことだ。

「なぜ、どうして…」
 といいたくなるが、鳥居には何か目に見えない力があるのだろうか。それとも鳥居の形に何か秘密があるのだろうか。今回の大津波の被災地では、いくつもの鳥居が同じようにして残った。これはもう「鳥居の奇跡」としかいいようがない。

 波立海岸から久之浜へ。

 久之浜の海辺の町並みは壊滅状態。ここでは大津波に襲われ、それに追い討ちをかけるように大火に見舞われた。その中にあって秋葉神社だけが残った。一面の荒野と化した被災地にポツンと残った神社…。

 ここでもまたしても「なぜ、どうして?」の声が出てしまう。秋葉神社は火除けの神としてよく知られているが、まるでそれを証明するかのように大津波から残っただけでなく、大火も秋葉神社の手前で止まったのだ。

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無傷で残った波立薬師

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国道6号沿いの波立海岸

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「波立食堂」の跡

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大津波にも耐えて残った岩礁上の鳥居

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殿上崎の北側の久之浜漁港

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一面の荒野と化した久之浜の被災地

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久之浜の被災地にポツンと残った秋葉神社

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(3)

 東北・太平洋岸最南端の岬、鵜ノ子岬を出発。カソリのV-ストロームが先頭を走り、渡辺さんのセローがそれをフォローする。
 カソリ&渡辺の「浜通り」の旅がはじまった。

 国道6号経由で小名浜へ。

 2011年3月11日の東日本大震災の2ヵ月後に来た時は段差が連続した国道6号だが、今ではすっかり路面がよくなり、走りやすくなっている。

 国道6号から小名浜に向かう道も大半が新たに舗装され、段差や亀裂、陥没箇所がなくなっている。震災から1年、道路だけ見れば完全に復興しているかのように見える。

 信号もすべて点灯している。震災後しばらくは、信号の消えた交差点で各地からやってきた都道府県警の警察官が交通整理をしていた。そんな光景が今ではなつかしく思い出される。

 いわき市最大の漁港、小名浜には活気が戻っていた。

 東北最大の水族館「アクアマリン」は奇跡の復活をとげ、かつての人気スポット「いわき・ら・ら・ミュウ」も再開し、そこそこの人を集めて海産物を売っている。

 小名浜漁港の「市場食堂」も店舗を新しくして営業を開始している。わくわく気分で「市場食堂」で昼食。メニューは限られたものだが「マグロの漬け丼」(1350円)を食べた。一日も早く地元産の食材を使ったメニューが出ますように!

 ここまではよかったのだが…。

 漁港の岸壁で漁師さんたちの話を聞いたとたんに気持ちは暗くなる。

 魚市場は再開しているのに、水揚げされる魚はほとんどない状態がつづいているという。「小名浜」というだけで、まったく買い手がつかないのだ。金華山沖で獲ったカツオを小名浜漁港で水揚げすると、「キロ100円だよ」といって漁師さんは嘆いていた。福島県沖で獲れたのではないのに…。

 あまりの風評被害の大きさに、いいようのない怒りがこみあげてくる。

 小名浜からは三崎、竜ヶ崎、合磯岬、塩屋崎…と4、5キロの間隔で連続する岬をめぐる。それらの岬は漁港とセットになっている。竜ヶ崎の中之作漁港、合磯岬の江名漁港、塩屋崎の豊間漁港…と。それらいわき市内の漁港はどこも閑散としていた。

 漁は再開できるような状態なのだが、風評被害で漁師さんたちは漁に出て魚を獲っても、水揚げできないのだ。東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故の影響の大きさを目の当たりにするような思いだ。

 塩屋崎の南側は豊間海岸、北側は薄磯海岸で、海辺の集落はともに大津波に襲われて全滅した。いわき市内では最も甚大な被害を出したところで、300人を超える人たちが亡くなった。

 すでに瓦礫は撤去され、家々の土台が残っているだけで、一面の荒野にしか見えない光景が広がっている。住宅の高台への移転はまだ全くはじまってはいない。

 これが震災後1年の風化といものなのだろうか、あの大津波に襲われた直後の生々しい光景は、まるで幻であったかのようにさえ思えてくる。

 豊間と薄磯の両集落は全滅したが、岬の灯台の下に建つ美空ひばりの『みだれ髪』の歌碑は無傷で残った。ここはまさに浜通りの奇跡のスポットだ。

  暗らや涯なや塩屋の岬 
  見えぬ心を照らしておくれ 
  ひとりぽっちにしないでおくれ

『みだれ髪』の歌碑はまるで大津波を予見したかのようだ。

 美空ひばり人気とあいまって、この奇跡のスポットをひと目見ようと、観光バスやマイクロバスが次々にやってくる。大津波の被災地を巡る観光バスを数多く見るようになったのも、震災後1年という時間を強く感じさせた。

 塩屋崎の灯台は高さ50メートルほどの海食崖の断崖上に立っているが、いまだに立入禁止。それだけ大地震の被害が大きかったということなのだろう。

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小名浜漁港の岸壁

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小名浜の魚市場前の「市場食堂」

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「市場食堂」の「マグロの漬け丼」

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豊間から合磯岬を見る

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大津波で全滅した豊間の集落跡

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塩屋崎の美空ひばりの歌碑は残った!

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家々の土台だけが残る薄磯の集落跡

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(2)

 常磐道で一気に東北に入るのではなく、いわき勿来ICのひとつ手前、関東側最後の北茨城ICで高速を降り、まずは大津漁港に行った。

 そこはまるで大地震直後のような惨状。岸壁には大きな亀裂が何本も入っている。漁港の施設も壊滅状態。大津波というよりも大地震にやられたようだ。以前は無数の漁船で埋め尽くされ、活気にあふれていた大津漁港は閑散としていた。

 大津漁港からは海岸線を走り、五浦岬に立った。岡倉天心ゆかりの六角堂は10メートルを超える大津波で流されたが、復興プロジェクトが急ピッチで進み、まもなく完成するという。

 五浦温泉の「五浦観光ホテル」は営業していたが、日帰り湯「天心乃湯」は閉館したまま…。再建できるのかどうか。ここの湯には何度も入ったことがあり、食堂で「あんこう鍋」を食べたこともあるので、営業再開を願うばかりだ。

 関東と東北を分ける鵜ノ子岬にやってきた。
 岬をはさんで南の関東側が平潟漁港、北の東北側が勿来漁港になる。

 関東側の平潟漁港はアンコウ漁でよく知られている。ここもかなりの被害を受けたが、大津漁港よりはるかに復興が進んでいるように見受けられた。岬の突端まで行くと、断崖の岩壁が激しく崩れ落ちている。それはM9・0という超巨大地震のすごさをうかがわせるものだった。

 関東側の平潟漁港からいったん国道6号に出、茨城・福島の県境を越え、東北に入る。すぐに国道6号を右折し、鵜ノ子岬北側の勿来漁港へ。勿来漁港は茨城県側の大津漁港や平潟漁港ほどにはやられていない。それでも大津波に流されて破壊された漁船が何隻か見られた。

 漁港の岸壁にV-ストロームを停めると、ヤマハのセローに乗った渡辺哲さんがやってきた。渡辺さんのセローはすでに13万3000キロ。渡辺さんもセローもツワモノだ。

 渡辺さんの実家は楢葉町。爆発事故を起こした東京電力福島第1原発の20キロ圏内ということで、いまだ自宅には戻れない。すでに大津波から1年もたっているというのに…。そんな大変な思いをしているのだが、ライダー特有の明るさとでもいおうか、渡辺さんと話しているとかえって元気をもらってしまうほどなのだ。

 渡辺さんは今日一日、同行してくれるという。

 さー、鵜ノ子岬を出発だ。下北半島突端の尻屋崎を目指して行くぞー!

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北茨城の大津漁港

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漁港の岸壁は陥没している

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大津波から1年後の大津漁港

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天心ゆかりの六角堂

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勿来漁港に到着

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勿来漁港での渡辺哲さんとの出会い

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(1)

「東日本大震災」1年後の東北太平洋岸を走ろうと、2012年3月10日10時、東京・落合の山手通りに面した「スズキワールド新宿」を出発した。

 バイクはスズキのニューモデル、V-ストローム650ABS。全車、ABSのブレーキシステムを装着している。

 山手通りから首都高に入り、三郷料金所から常磐道を一路、北へ。

 V-ストロームの高速性能は抜群の良さ。アクセルを軽くひねるだけでキュィーーーンという心地よいエンジン音とともに一気に加速する。

 V-ストロームはロングツーリングにはピッタリなバイクだ。

 ポジションのとり方が楽なので自然体で乗れるし、20リッターという大型のタンク容量なので500キロ近く走れるし、2灯式のライトは明るいし、リアにほとんど段差がないので荷物も楽々積める。

 ということで今回は宿がとれないときのために、キャンピング用具一式の入ったツーリングバッグをリアにくくりつけている。

 ところでその3ヵ月前、2012年の正月はニュージーランドで迎えた。

 ニュージーランド南島の中心、クライストチャーチを拠点にレンタルバイクで2200キロ走ったのだが、これが縁というものなのだろう、バイクはV-ストロームだった。

 ニュージーランド南島ツーリングの拠点となったクライストチャーチは、「東日本大震災」の1ヵ月前、2011年2月22日にM6・1の直下型地震に見舞われ、町の中心街は壊滅的な被害を受けた。

 ニュージーランド南島ツーリングでは大地震の10ヵ月後に行ったのだが、中心街の広範なエリアには非常線が張られたままで、立入禁止になっていた。そんな町の姿を目の底に焼きつけて日本に帰ってきたのだった。

 常磐道では一気に東北に入るのではなく、関東側最後の北茨城ICで高速を降り、大津漁港へ。こうして「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」が始まった。

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スズキの650ccバイク、V-ストローム

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V-ストロームのフロント

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V-ストロームのエンジン

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常磐道の三郷料金所を出発

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ニュージーランド南島クライストチャーチの地震の爪痕

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クライストチャーチの中心街は立入禁止

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日本食べある記(20)福井の名産品と精進料理

(『市政』1995年7月号 所収)

福井駅前で見る名産品
 禅宗の曹洞宗の大本山、永平寺に行こうと、東京を出発。新幹線で米原まで行き、北陸本線の特急「雷鳥」に乗換え、福井で降りた。

 まずは福井駅周辺の名産品店を見てまわる。
 小鯛のささ漬けやヘシコ、上庄のサトイモ、銘菓羽二重餅などが目についた。

 福井県は東部の越前と、西部の若狭という旧2国から成っているが、小鯛のささ漬けは若狭の小浜の特産品。ささ漬けの小ダイはマダイとは違う種類で、大きくはならず、小浜周辺ではレンコダイと呼ばれている。

 今では全国区的に知られている小鯛のささ漬けも、戦前までは小浜市内で売られる程度だったが、戦後になると県内に広がり、さらに県外にも販路が広がっていった。

 その製法だが、ウロコを落とし、頭や内蔵、骨をとり除いた小ダイを三枚におろし、それを塩水に浸してから米酢に浸したものである。杉樽の中にたんねんに一枚づつ重ねて入れていくのだが、その際、防腐のために、小浜地方の山野に自生しているササを酢で洗って入れておくので「ささ漬け」の名がある。

 小鯛のささ漬けは私の大好物だ。酒の肴には絶好で、そのまますぐに食べられるところがすごくいい。

 福井県では、魚の糠漬けのことをヘシコといっている。魚はイワシ、サバ、コウナゴなどが使われるが、イワシとサバが一般的である。隣の石川県になるとイワシが多くなり、それをコンカイワシ(イワシの糠漬け)と呼んでいる。また、京都になると、魚の糠漬けのことをヘシコといっている。言葉の上からも、福井は京都に近い。

 話は横道にそれるが、福井の海と京都はきわめて近い。なおかつ、歴史的な結びつきも古い。

 京都から途中峠、花折峠と越えて琵琶湖の湖畔に出、さらに敦賀に至る越前街道は「トト(魚)街道」と呼ばれ、京都から周山を経て小浜に至る若狭街道は「サバ(鯖)街道」と呼ばれている。

 京都人にとって福井県の越前、若狭の日本海に通じる街道は、京都に海の幸をもたらす、まさに「魚街道」なのである。

 京都名物のサバズシにしても、京都でサバがとれるはずもなく、その食材は、福井産のサバなのである。日本海の浜でひと塩されたサバは、峠を越えるころには塩がなじみ、京都の台所、錦小路の市場に並ぶころには、ちょうど食べごろになっていた。

 話をヘシコに戻そう。

 イワシのヘシコだが、毎年5月、6月になると、越前海岸の沖合には、イワシの大群が押し寄せてくる。それを網漁で取るのだが、ヘシコに使うのには体長15センチほどのウルメイワシがいいとされている。ウルメイワシだと、骨がやわらかいので、ヘシコにしたときに骨ごと食べられるからである。

 イワシのヘシコの作り方だが、まずイワシの頭と内蔵をとり、塩漬けにする。

 桶に塩をまき、イワシを並べ、その上からまた塩をふる。このようにして塩をしたイワシを重ねて漬けこみ、押し蓋をし、重しをかけて1週間から10日ほど漬けこんでおく。桶の上に汁が上がってくるころをみはからって、一度、全部をとり出し、上汁でイワシの一匹一匹をていねいに洗う。

 次に、米糠に漬けこむ。使い古した米糠がいいとされている。ヘシコを漬けこむ米糠は、イワシから出る血汁と、一緒に入れるトウガラシで赤く染まっている。新しい米糠だと、なかなかいいヘシコはできないという。

 さて、糠漬けだが、塩漬けしたイワシと米糠を交互に重ね、一番上には塩をふって押し蓋をし、その上に重しをかけて漬けておく。夏の土用を過ぎたころから食べられるようになる。

 ヘシコは米糠を落として焼き、熱いご飯の上にのせて食べるのが、ふつうの食べかたになっている。

「上庄のサトイモ」というのは、九頭竜川流域の大野盆地の旧上庄村(現大野市)でとれるサトイモのことで、イモは小粒だが、身がしまっており、どんな料理につかっても煮くずれしないといわれている自慢のイモだ。

 福井駅近くのビジネスホテルで一晩泊まり、夜は居酒屋で飲んだ。酒の肴にはイワシのヘシコと「上庄のサトイモ」の「ころ煮」を頼んだ。イワシのヘシコは、私の口にはちょっと塩が強すぎたが、砂糖醤油で煮つめたサトイモのころ煮はうまかった。


永平寺の精進料理
 福井からはまず越美北線の列車に乗って一乗谷に行った。

 福井平野から山地に入っていくあたりに一乗谷駅があるが、そこから足羽川の支流、一乗谷川沿いにさかのぼったあたりが一乗谷になる。戦国大名の北陸の雄、朝倉氏の根拠地だったところだ。

 一乗城山(436m)の山頂を中心に一乗谷城があったが、今、残されているのは山麓の館跡や庭園ぐらいでしかない。朝倉資料館を見学し、福井に戻った。

 次に福井駅から京福電鉄越前本線に乗り、勝山まで通じている本線の東古市駅で永平寺線に乗換え、終点の永平寺に行った。

 永平寺も、一乗谷に似たようなところにある。九頭竜川が山地を抜け出、福井平野に流れ出るあたりに東古市駅があり、駅周辺が永平寺町の中心になっている。そこから九頭竜川の支流、永平寺川をさかのぼったところが、曹洞宗の大本山の永平寺だ。

 永平寺駅から永平寺までは300メートルほどあるが、その間の参道にはみやげ物店が軒を並べている。そこでは永平寺名物の永平寺そばや永平寺味噌、胡麻豆腐、ヤマゴボウの味噌漬けやたまり漬けなどを売っている。すりこぎなども見られる。店先に置かれた栗の実が季節を感じさせた。

 永平寺は、中国の宋に渡って禅を学んだ道元禅師が寛元2年(1244年)に開山した禅道場で、曹洞宗の大本山になっている。

 今でも厳しい修行の道場として、多くの修行僧が入山している。

 全山、深い杉木立につつまれた永平寺は、一般人の参詣者のにぎわいと、修行道場としての静けさを合わせ持っている。

 永平寺の参拝を終えたところで、門前の料理店で名物の精進料理を食べた。
 そのメニューは、次のようなものだ。

 1・ご飯
 2・湯葉入りのそば
 3・永平寺味噌を添えた胡麻豆腐
 4・ヤマイモをすりおろしたとろろ
 5・山菜料理(ワラビ、キクラゲ、ネマガリダケの竹の子が入っている)
 6・辛子味噌を添えたコンニャクの刺し身
 7・ミツバの胡麻あえ
 8・酢の物(ニンジン、キューリ、ワカメ、シラタキなどが入っている)
 9・煮物(サトイモ、ニンジン、フキ、シイタケ、凍み豆腐が入っている)
 10・漬物

 精進料理は肉や魚などの動物性の材料を一切使わずに、野菜や豆腐などの植物性の材料だけでつくりあげた料理だが、その精進料理のフルコースを食べてみると、まるで肉、魚をも食べたかのような満足感と満腹感を味わえた。最後に、茶菓子をつまみながら熱いお茶を飲み、永平寺の精進料理のフルコースを食べ終えた。

 ところで永平寺は、曹洞宗の大本山としての、禅道場として知られているだけではなく、日本の精進料理の中興の地としても重く見られている。

 というのは宋の禅宗の僧院での生活規範を道元がこと細かく伝え、その中に僧院での料理の作法、食事の作法もあったからだという。

 もともと禅宗では僧自身の労働を重要視し、それも修行とみなすところがあって、食事もすべて僧がつくった。僧院の料理長を典座といい、典座が雲水(修行僧)たちを指揮し、大勢の食事をつくったという。道元の著作には、料理と食事の作法を説いた『典座教訓』がある。

 さて、永平寺の精進料理だが、台所は庫院という建物にある。そこで雲水たちの食事や、一般の参籠者や来賓用の食事がつくられる。雲水たちの食事はきわめて質素なもので、精進料理のフルコースは来賓用の食事なのである。

 それは次のようなものだ。

 本膳に二ノ膳がつく。本膳は一汁四菜か五菜、二ノ膳は一汁三菜か四菜。食器は漆塗りの木器だ。

 本膳の汁は、豆腐にミツバなどの菜を入れた八丁味噌仕立ての味噌汁。平物は飛龍頭(がんもどき)とシイタケ、生湯葉、それにサトイモなどをつけた煮物。木皿は赤カブやレンコンなどのなます。小木皿はクワイセンベイなど。壺は胡麻豆腐。香のものとしては、カブラなどの一夜漬け。

 二ノ膳の汁は、清汁で、マツタケにキヌザヤを入れたり、そのほかのキノコ類や麸、キヌザヤを入れたようなもの。木皿にはお浸し。壺はユリ根やコンニャクを使ったあえもの。香のものとしては、シロウリの奈良漬け。

 私が永平寺の門前の料理店で食べた精進料理というのは、このような永平寺の来賓用精進料理を模したミニ版といったものなのである。

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日本食べある記(19)アマゴとそば米

(『市政』1995年6月号 所収)

徳島から祖谷山へ
 四国の秘境といわる祖谷は、古くは祖山とか弥山、伊屋山などと書いたという。四国第2の高峰、剣山(1955m)を源とする吉野川の支流、祖谷川流域の山村で、平家の落人伝説でよく知られている。

 祖谷の地名の由来としては、忌部神(忌部氏は古代、中臣氏と並んで朝廷の祭祀をつかさどった氏族)の住むところなので、祖山としたという説や、阿波を四国の祖とし、その祖山だという説、山々が重畳と重なり合ったその風景からきたという説……など、諸説がある。この地が、古い歴史を秘めていることは間違いない。

 そんな祖谷にスズキの250ccバイク、DR250Rに乗って行った。

 出発点は徳島。「四国三郎」の異名を持つ四国第一の大河、吉野川に沿って、鴨島、川島、山川、穴吹と走る。右手には徳島と香川の県境に連なる讃岐山脈のなだらかな山並みが、左手にはそれよりもはるかに高い四国山脈の山々が見える。

 吉野川は全長194キロ。四国の最高峰、石鎚山(1982m)の東、瓶ヶ森山を源にしている。高知県内を東に流れ、徳島県に入ると北の方向に流れを変える。大歩危、小歩危の峡谷を流れ、祖谷川を合わせて四国山脈を縦断し、山地を抜け出た池田で流れを東に大きく変え、約80キロ流れて徳島で紀伊水道に注ぎ込む。

 穴吹からさらに貞光、半田、三加茂、井川とDRを走らせる。池田を過ぎると、風景は一変。吉野川の両側には切り立った崖がそそりたち、激流が岩をかんで渦を巻き、白いしぶきをあげている。

 JR土讃線の祖谷口駅を過ぎたところが、吉野川と祖谷川の合流点。そこで吉野川本流と別れ、祖谷川沿いの祖谷街道を行き、祖谷に入った。


祖谷を行く
 祖谷川沿いの祖谷街道は幅狭い道。松尾川が合流する地点にある出合の集落を通り過ぎると、「祖谷渓」と呼ばれる大峡谷を行く。断崖絶壁が連続し、祖谷川の流れをはるか眼下に見下ろす。神峡とか馬蹄渓、小金剛などの絶景ポイントがいくつもあり、その数は60近くにもなるのだ。

 池田町出合の集落から西祖谷山村の中心、一宇まで、10キロあまりつづく祖谷渓だが、その中に祖谷温泉がある。峡谷を見下ろす断崖上に一軒宿「ホテル祖谷温泉」が建っている。
 DRを止めて、ひと風呂、浴びていく。

 この祖谷温泉には露天風呂がある。祖谷川の谷底にある露天風呂で、傾斜角が42度という逆さ落としのようなケーブルカーに乗って下っていく。

 祖谷川右岸の源泉の湯温は約40度。毎分1500リッターの湧出量という湯量豊富な温泉で、祖谷川の渓谷を眺めながら気分よく入れる露天風呂だ。

 祖谷渓を抜け出、西祖谷山村の中心、一宇に着いたところで、食堂に入り、昼食にする。祖谷は昔からのソバの名産地。ここでは手打ちそばを食べた。

 さらに祖谷川沿いに上流へとDRを走らせ、善徳の集落にあるかずら橋へ。ゆらゆら揺れるカズラでできた橋を渡る。足元に祖谷川の渓流を見下ろす。

 山口県岩国市の錦帯橋、山梨県大月市の猿橋とともに「日本三奇橋」に数えられていが、この善徳のかずら橋は長さ45メートル、幅1・5メートルで、川面から15メートルの高さのところにかかっている。

 この橋は昭和3年に完成し、それ以降、3年ごとに架け替えられてきた。カズラの中の水分が少なく、虫のつきにくい12月から1月にかけて架け替えるのだという。

 祖谷のかずら橋の材料は海抜600メートル以上の高地に自生しているシロクチカズラ。このカズラは太いものになると、周囲は15センチにもなるとのこと。火にあぶると細工しやすくなるという。

 かつては祖谷のあちこちにあったかずら橋は、弘法大師がつくったものだとか、屋島の合戦で敗れた平家の一門が、追手を避けるためにすぐに切り落とせるようにしたものだとか、その起源には諸説がある。明治末には全部で8つのかずら橋がかかっていたという。

 ところで祖谷にかぎらず、日本の山村には、フジやカズラでつくった橋があった。だが、近代になって鉄製のワイヤーでつくったつり橋が普及すると、あっというまにその姿を消していった。それだけに、祖谷のかずら橋は貴重なもので、国の重要民俗文化財に指定されている。

 この西祖谷山村善徳のかずら橋のほかにも、東祖谷山村にひとつ、かずら橋が復活し、さきほどの祖谷温泉(池田町)にもひとつある。

 祖谷川沿いにさらにDRを走らせ、西祖谷村から東祖谷村に入り、阿佐という集落に寄り道をする。ここには平家の落人の子孫、阿佐家がある。

 周囲を険しい山々に囲まれた祖谷は、平家の落人伝説でよく知られている。屋島の合戦で源氏に敗れた平家一門は、この四国山中の山村に落ちのびた。平敦盛の次男、平国盛の子孫が阿佐家だとのことで、平家の大旗、小旗の赤旗が、子孫代々、大事に保存されている。阿佐家のほかにも、久保家、菅生家、奥井家、有瀬家などの平家の落人の子孫がこの地に住んでいる。

 祖谷川沿いに池田に通じる祖谷街道が開通したのは大正年間のこと。それ以前は小島峠を越えて貞光へ、落合峠、桟敷峠を越えて三加茂へ、水ノ口峠を越えて井川へ、京柱峠を越えて大豊へと、高さ1000メートル級の峠を越え、吉野川流域の町々に通じていた。

 それらはどれも険しい峠道で、越えるのは容易でなかった。祖谷はよその世界とは隔絶されたようなところで、まさに隠れ里。平家の落人が住みつくのにふさわしい地形なのである。

 東祖谷村の役場前を通り、最奥の集落、名頃を通り、剣山中腹の峠、見ノ越を目指して登っていく。すでに祖谷川は小さな流れだ。

 見ノ越には食堂や売店があり、剣山神社がまつられている。ここから剣山にリフトが出ている。それに乗った。リフトの終点から一時間ほど歩くと、剣山の山頂。「剣」という名前とは裏腹に、なだらかな山だ。山頂には、平家再興のために埋蔵したという軍用金の目印の宝蔵石がある。四国山脈の山々の眺望を目の底に焼きつけ、見ノ越に下った。


アメゴとそば米の夕食
 見ノ越から来た道を下り、東祖谷山村の民宿で一晩、泊まった。

 宿の夕食にはアマゴの塩焼きが出た。祖谷ではアマゴのことをアメゴといっている。

 アマゴは“渓流魚の女王”とまでいわれているが、サケ目の淡水魚で、体長30センチほど。中部以西の西日本に生息し、東日本に生息するヤマメと似ている。西のアマゴ、東のヤマメといったところだ。

 アマゴの背面は淡い青紫色で、小さな黒点がある。体側には小判形の斑紋と赤色の小さな点がならんでいる。このアマゴの塩焼きを肴に冷たいビールをキューッと飲み干した。

 吉野川はアユの名産地で知られているが、祖谷川になると、高度が高くなる分だけ水温が下がり、アユは生息できない。祖谷川は渓流魚のアマゴの世界なのである。

 かずら橋の周辺には食堂やみやげもの店が軒をならべているが、そこでの名物はアマゴの塩焼き。どの店も、店先に置いた火床の炭火のまわりに、串刺しにしたアマゴを円状に立て、遠火で焼いている。こんがりといい具合に焼けたアマゴは、川魚特有のほのかな香りをあたりに漂わせ、思わずゴクンとのどが鳴ってしまうほど。そのアマゴの塩焼きを今、食べている。

 そのほかの夕食の料理は、ワラビやキクラゲなどの山菜・キノコ料理、ゴボウやニンジン、凍豆腐、コンニャク、チクワの入った煮物、ダイコンなますといったもの。

 ご飯は麦(大麦)の入った麦飯だ。
「アーッ!」
 と、驚いたのは、米を大きくしたような、灰色の粒々の入った汁である。それは「そば米雑炊」だった。

 そば米というのは、ソバの穀粒をゆでて殻を取り除いたもの。
 ソバの食べ方は、ふつうは粉食で、穀粒をいったん粉にし、その粉に湯をかけて掻く「そばがき」や、粉を麺に打ち細く切る「そば切り」が代表的な食べ方になっている。ところがそば米は粉食ではなくて粒食なのである。

 さて、そば米雑炊である。
 まず、そば米をよく洗い、ゆでたあと水気を切っておく。次に、うす口醤油、酒、塩でだし汁の味を調え、鶏肉、野菜、ちくわ、油揚げなどを入れて煮る。最後にそば米を入れ、ミツバを添える。このそば米雑炊は、祖谷のハレの日の膳には欠かせない料理だったという。

 ソバの起源は中国・雲南地方とかバイカル湖の南側一帯などといわれているが、日本には7、8世紀ごろに伝わった。そば米というのは、その当時の古い食べ方を今にとどめている。その後、そばがきが一般的な食べ方になり、麺に打つようになったのは江戸時代になってからだ。我々がふつうに「そば」といっているソバの食べ方は一番新しい食べ方なのである。

 日本は「粒主粉従(粒食が主で粉食が従)」の国。粉食の代表格の麦でさえ、麦飯のように粒食にしてしまう国なのだ。ソバも、もともとは粒食だったことが、そば米からうかがい知ることができる。

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日本食べある記(18)イクラ丼とジンギスカン

(『市政』1995年5月号 所収)

和商市場のイクラ丼
 太平洋岸の釧路からオホーツク海岸の網走へ、スズキの250ccバイク、DR250Sで北海道を走ろうと、東京発釧路行きのフェリー、近海郵船の「サブリナ」号に乗った。

 東京港フェリー埠頭発が23時55分、釧路港フェリー埠頭着が07時30分。豪華大型フェリーでの、31時間35分の船旅だ。

 釧路港のフェリー埠頭に降り立ったときは、
「ほんとうにバイクで走れるのだろうか…」
 と、不安でいっぱいだった。

 というのは、マグニチュード8・1という大地震、「北海道東方沖地震」に道東が直撃された直後のことだったからだ。

 緊張した面持ちで釧路市内に入っていく。だが、被害個所はあまり見られないし、車も順調に流れているので、ホッとひと安心した。

 釧路といえば、なんといっても和商市場。「霧の町」にふさわしい、町全体をすっぽりと包み込んだ霧の中を走り、JR釧路駅前まで行く。駅近くにDRを止め、和商市場に入り、サケやカニ、イクラやタラコなどの北海の幸がズラリと並ぶ市場内を見てまわった。

 そのあと、早朝から営業している市場内の食堂で、釧路の名物料理、イクラ丼を食べた。イクラ丼は、釧路の名物料理というよりも、ウニ丼と並ぶ北海道の名物料理といったほうがいいだろう。

「イクラ」はロシア語で魚卵の総称だが、それが日本では、サケやマスの成熟卵を指す言葉になっている。それと、生筋子をばらして塩漬け、醤油漬けにしたものも「イクラ」と言っている。塩漬けのイクラは明るい赤色をしているが、醤油漬けにしたイクラは黒ずんでいる。釧路では塩漬けのイクラよりも、醤油漬けのイクラの方が好まれているようだ。

 ホカホカの丼飯の上に、ゴソッとイクラののったイクラ丼は、まさに北海道の味覚。食材の良さとボリュームの豊かさを十分に感じる。

 このイクラ丼は、もともとはサケの漁場や加工場で始まった料理だったが、飯とイクラの色の取り合わせの良さや味の良さが受けて、たちまち評判となり、北海道を代表するような郷土料理になっていった。


釧路湿原から屈斜路湖畔へ
 釧路から国道391号を北へ。霧が晴れると、晩秋の抜けるような青空が、見渡す限りに広がっている。

 国道391号は釧路湿原の東側を通っている。ちょっと寄り道して、釧路湿原の細岡展望台に立った。すると足元には日本最大の湿原が広がっていた。その風景は東アフリカを連想させるもの。野性動物の楽園の草原地帯を思い起こさせるような風景なのだ。

 屈斜路湖を水源とする釧路川が大きく蛇行して流れ、流れていく先には、白っぽく見える釧路の町並みが広がっている。目を釧路川の上流に向けると、正面には雌阿寒岳、右手には雄阿寒岳と、雲ひとつかかっていない阿寒の山々を眺める。湿原を海に見立ててのことなのだろう、対岸の突き出た丘陵地には「宮島岬」とか「キラコタン岬」といった地名がつけられている。

 弟子屈に着いたところで、温泉めぐりを開始する。

 まずは摩周温泉。弟子屈の市街地にある温泉で、「弟子屈温泉浴場」の湯に入る。つづいて郊外の鐺別温泉へ。ここでは「亀の湯」に入った。

 2つの温泉の共同浴場の湯に入ったところで、弟子屈からカルデラ湖の屈斜路湖へ。

 屈斜路湖畔には、点々と温泉がある。そこはまさに温泉の宝庫。「温泉天国」といっていい。

 屈斜路湖畔の温泉めぐりの第1湯目は、この近辺では最大の温泉地になっている川湯温泉。ここでは、共同浴場の湯に入った。

 第2湯目は、仁伏温泉。湖畔の「屈斜路湖ホテル」の湯に入る。内風呂と露天風呂。露天風呂の湯船の底には、小石が敷きつめられ、その感触が気持ちいい。

 第3湯目は、砂湯温泉。湖畔に木枠で囲った露天風呂があるが、観光客が大勢やってくるところなので、ちょっと恥ずかしくて入れない。そこで、熱い湯に手をひたし、顔を温泉の湯で洗って入ったことにした。

 第4湯目は、池ノ湯温泉。湖畔には無料の露天風呂がある。その広さといったらなく、高級温泉ホテルの大浴場以上、といったらいいのだろうか。湯につかりながら眺める屈斜路湖がたまらない。

 第5湯目は、古丹温泉。やはり湖畔に無料の露天風呂がある。湯船は二つに分けられ、いちおうは男湯と女湯になっているが、お互いにまる見え。このあたりのおおらかさが、いかにも北海道らしい。

 第6湯目は、和琴温泉。湖に突き出た和琴半島のつけ根に無料の露天風呂がある。だが、残念ながら熱くて入れず、すぐ近くの温泉宿「ホテル湖心荘」の湯に入った。


美幌峠のジンギスカン
 和琴温泉を最後に、屈斜路湖畔の温泉めぐりを終え、国道243号で美幌峠を登っていく。峠道を登るにつれて見晴らしがよくなる。

 弟子屈町と美幌町の境の美幌峠は標高493メートル。峠からの展望は抜群だ。北海道屈指の絶景峠といっていい。とくに弟子屈町側の眺めがいい。

 左手に斜里岳を望み、正面の山並みの間には、摩周岳が顔をのぞかせている。真下には屈斜路湖が広がり、その中には、ポッカリと中島が浮かんでいる。さきほどの和琴半島が、湖に突き出ているのが見える。その右手には、うっすらと噴煙を上げる硫黄岳。峠を覆いつくすクマザサが、風に揺れてカサカサ鳴っている。

 美幌峠からの眺望を目の底に焼きつけたところで、峠のレストランでジンギスカンを食べる。ジンギスカンといえば、イクラ丼と同じように、北海道を代表する郷土料理になっている。

 独特の兜のような形をした鉄鍋で、羊肉と付け合わせの野菜類を焼いて食べるジンギスカンは、ボリューム満点の料理。ずっしりと腹にたまる。

 北海道料理というのは、どれをとっても、ボリューム満点。量が多いということが、北海道料理の大きな特徴になっている。

 食べ方にしても、チマチマ焼くのではなく、ドサッと羊肉や野菜類を入れ、豪快に焼く。大陸的なのである。羊肉は焼きすぎると固くなってしまうので、まだ赤身が少し残っているくらいのをタレにつけて食べる。

 ジンギスカンにはこのように、羊肉を鉄鍋で焼いてからタレにつける方法と、もうひとつ、あらかじめタレに浸しておいた羊肉を焼く方法がある。
 ともにタレがジンギスカンのポイント。各店ごとに、秘伝のタレを持っている。

 羊肉はくさみが強いとよくいわれるが、北海道のジンギスカンに関してはそのようなことはない。羊肉を食べる習慣が、日本の他地方よりも根強いことが影響し、ジンギスカン用の羊肉専門の会社もあるほどで、それだけ羊肉の食べ方の研究がなされているということなのだろう。

 とはいっても、北海道での羊肉の歴史はそれほど古いことではない。羊肉を食べる習慣は、戦前にも北海道の一部農家ではみられたとのことだが、一般的になったのは戦後のことでなのである。

 戦後のモノのない時代に、食料や衣類の不足を解消するために、羊の飼育を奨励したことが大きなきっかけになっている。羊の頭数が増えれば、それだけ食用の羊肉も市場に多く出まわるからである。

 札幌郊外には札幌の町並みを一望する羊ヶ丘展望台があるが、それはかつて月寒牧場の名前で知られた畜産試験場の一角にある。ここでは昔も今も羊を飼育していて、羊ヶ丘展望台のレストランはジンギスカンを名物料理にしている。北海道に根づいた羊を飼う伝統、羊肉を料理する伝統をみることのできる場所でもある。

 ところで、この兜形の鉄鍋で羊肉を焼いて食べる料理が、どうしてジンギスカンと呼ばれるようになったのかは諸説があって定かではない。日本人が名付けたことは間違いないようなのだが。

 中国北方の、羊肉を鉄板の上で焼いて食べる料理の日本化したものがジンギスカンだとのことだが、その羊肉料理がモンゴルの英雄ジンギスカンに結びついたということなのだろう。

 美幌峠の絶景とジンギスカンに十分満足し、美幌の町へと下っていく。美幌からさらに網走へとDRを走らせ、オホーツク海を見た。


===
管理人お邪魔コメント:
ワタクシが2009年夏に道東を旅した時は、帯広の有名店でも肉は外国産(たしかOZ)でした。
純北海道産のジンギスカンを食べたいなぁ。

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「カソリの温泉めぐり・東京編」(4)

 京急蒲田駅で下車した蒲田では、温泉銭湯「蒲田温泉」(入浴料450円)の湯に入った。真っ黒な黒湯。低温湯(42度)と高温湯(46度)の2つの湯船。湯に入れた手はまったく見えない。東京の温泉の大半は黒湯だが、蒲田温泉の黒湯はとくに黒い。人工温泉の2つの湯船は無色透明の湯。ひとつは電気風呂でビリビリッとくる。もうひとつは超音波風呂だ。

 湯から上がると、2階の無料休憩室へ。そこでは大田区のB級グルメ「東京大田汐焼きソバ」(680円)を食べた。うどん風の麺がいい味を出している。

 京急蒲田駅に戻ると、次の雑色駅で下車。ここでは温泉銭湯「さがみ湯」(入浴料450円)に入る。大浴場と露天風呂の温泉は黒湯。大浴場には白湯の湯船もある。

「京急編」の第4湯目は、雑色駅の次の六郷土手駅で下車する六郷温泉。駅の近くにある温泉銭湯「六郷温泉」(入浴料450円)の黒湯に入った。ここは東京の温泉銭湯の老舗的存在。「これぞ温泉銭湯!」という風情が漂っている。

 こうして東京の温泉めぐり第1弾目の「京急編」を終えたが、第2弾目の東急編・池上線編では13湯、小田急・京王編では7湯、大江戸線編では4湯、浅草・上野編では5湯、足立区編では3湯、池袋・東上線編では4湯と合計40湯の「東京の温泉」に入った。

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「蒲田温泉」

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「蒲田温泉」2階の無料休憩室

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雑色の商店街

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京急六郷土手駅に到着

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「六郷温泉」

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「カソリの温泉めぐり・東京編」(3)

 京急(京浜急行)の大森町駅からは、13時15分発の普通・神奈川新町行きに乗った。次が梅屋敷駅。その次の京急蒲田駅で降りる。到着は13時18分。大森町駅からの料金は130円だ。

 京急本線から羽田空港線が分岐する京急蒲田駅は劇的に変わった。

10月21日に京急全線の高架化が完成し、京急蒲田駅は3階建てのホームになったのだ。それによって羽田空港への便はさらに増えた。今や羽田空港線は京急のドル箱だ。

 平成12年にはじまった高架化工事のうち、京急蒲田駅の立体化工事は世紀の大工事といっていい。14年かけて一応の完成にこぎつけたが、最終的には平成26年まで立体化事業の工事はつづくという。

 京急蒲田駅から「京急編」第2湯目の蒲田温泉に向かう。

 駅前の第一京浜(国道15号)に出るとビックリ。羽田空港線の電車が通るたびに渋滞の長い車の列ができた踏切は、跡形もなくなくなっている。その先の第一京浜と環八の交差点の立体工事も終了し、ここでも渋滞は完全に解消されている。

 東京のすごさを目の当たりにするような京急蒲田の駅前だ。

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京急蒲田駅に到着

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京急蒲田から羽田空港へ。快速特急や急行が次々に出ていく

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3階建のホームになった京急蒲田駅

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10月21日に京急の全線高架化完成

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第一京浜の踏切がなくなった!

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これが京急の本線と羽田空港線の立体交差

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第一京浜と環八の立体交差も完成!

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「カソリの温泉めぐり・東京編」(2)

 平和島温泉から第一京浜(国道15号)の平和島口交差点に戻ると、そこからは旧東海道を歩く。

 日本橋を出発点とする東海道は、東京都内では品川宿と大森、六郷の3区間にのみ旧道が残っている。それだけに大森の第一京浜の東側を通る旧東海道は貴重な存在だ。

 さすが「海苔の大森」だけあって、海苔問屋が目につく。

「和中散」の店跡もあった。
「和中散」というのはよく知られた東海道の道中薬。大森には3軒の和中薬の店があったとのことで、ここ中原の店は江戸に最も近い人気の店だったという。宝永年間(1704年~1711年)創業の店は、昭和11年(1936年)までつづいたという。

「海苔」と「和中散」それと「麦藁細工」が、大森の三大名産品になっていた。

 旧東海道は環七にぶつかる。
 東京の幹線道路に出るといっぺんに現実に引き戻されるような感じがするが、環七を横切り、さらに旧東海道を歩く。産業道路との分岐点、大森警察署のある交差点で第一京浜に吸収され、幅広の道になる。

 旧東海道の大森区間を歩けてほんとうによかった。これも平和島温泉のおかげというもの。第一京浜の「駅入口」の信号を右に曲がり、京急の大森町駅前に出た。ここからは京急の各停で京急蒲田駅に向かうのだ。

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平和島温泉「クワハウス」に隣接する複合ビル

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旧東海道を歩く

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大森の旧東海道

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環七近くの旧東海道

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京急大森町駅の高架化完成

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高架になった京急大森町駅

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