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日本食べある記(22)与那国島の泡盛

(『市政』1995年9月号 所収)

日本最西端の地へ
 日本最西端の島、八重山諸島の与那国島には,石垣島の石垣港から船で渡った。

 午前10時、500トンのフェリー「よなくに」は、石垣港を出港。私はすぐさま甲板に上がり、八重山諸島の島々を眺めた。

“アイランドウォッチング”という言葉がぴったりなのだが、船上で地図を片手に島々を眺めるのは、この上もなくおもしろいことだ。

 フェリー「よなくに」が石垣港の防波堤を出ると、目の前には竹富島,左手には小浜島と西表島が見える。西表島は沖縄県第二の大島だけあって、山々には厚い雲がたれこめ、すごみを感じさせた。

 右手に鳩間島が見えてくると、西表島北端の宇奈利崎が近い。西表島が後方に去っていくと、もう前方に島影はまったく見えない。与那国島は絶海の孤島なのである。

 石垣港を発ってから4時間後、フェリー「よなくに」は、与那国島の久部良港に入港した。目の前にそそりたつ断崖の先端の岬が、日本最西端の西崎である。

 下船すると、さっそく西崎に行ってみる。岬には「日本最西端之地」碑が建っている。灯台と展望台もある。

 私は西崎の断崖の先端に立ち、目をこらして水平線上を眺めた。晴れていたが、残念ながら台湾は見えなかった。西崎からは、年に数回は台湾が見えるというのだが‥‥。

 地元の人に聞くと、
「台湾がはっきり見える日は、新高山(台湾の最高峰玉山3997m)がこんなに大きく見えますよ」
 といって両手を大きく広げた。

 その人の言葉によると、台湾は島ではなく、4000メートル近い台湾山脈の主峰群が水平線上にズラズラッと一列に連なって見え、大陸そのものなのだという。晴天のときよりもむしろ天気の崩れる直前のほうが、台湾がよく見えるという。

与那国島一周
 日本最西端の島、与那国島は面積が28・5平方キロの楕円形の島。一島一町で、全島が与那国町になる。町役場のある祖納と、港のある久部良、それと比川が、主な三つの集落になっている。

 久部良でバイクを借り、与那国島を一周した。島の一周といっても、その距離は40キロぐらいのものである。

 久部良港近く海岸では、石灰岩の千枚岩の割れ目のクブラバリ(久部良割り)を見る。そこは悲しい歴史の現場で、次のように書かれた説明板が立っていた。

「クブラバリの割れ目は全長15メートル、幅の広いところだと3メートル、狭いところで1メートル、深さは7メートルある。その昔、中山王府は先島(宮古、八重山諸島)の人口を調査し、それまでの石高に応じて納めさせていた公租を人頭割りに改めた。それは、15歳以上すべての男女に賦課する過酷な人頭税制度であった。

その影響は、はるか遠い与那国にまで及び、村では人減らしのために妊婦を集めては、この岩の割れ目を飛び越えさせたという。体の丈夫な女は必死の思いで飛び越えることができたが、そうでない女は流産したり、転落死することもあったという」

 久部良から比川へ。その途中では、水田を見た。ここでは1年に2度、米をつくる二期作をやっている。季節は10月も中旬が過ぎようかというころだったが、田に水を張り、これから田植えがはじまろうとしていた。その光景は、限りなく熱帯圏に近い与那国島を感じさせるものだった。

 うらやましくなるほどきれいな、それでいて人一人いない比川ビーチを見たあと、与那国島の中心地、祖納に行く。

 ここには、町役場があり、フェリー「よなくに」を運行している福山海運がある。スーパーマーケットもあるが、その前の交差点には島で唯一の信号がついている。信号を必要とするほどの交通量には見えないのだが、
「与那国にも、信号がありますよ」
 と、いいたげなところがいじらしい。

 祖納からは断崖絶壁のサンニヌ台、ローソク状の立神岩と見てまわり、与那国島東端の東崎まで行く。岬近くには、史跡にもなっている火番小屋のダテイクチデイがある。そこの案内板には、次のように書かれていた。

「1644年、尚賢王は、琉球官船の航路にあたる諸離島に対し、遠見番所の設置を命じ、火番小屋をつくらせ、海上監視や出入りする船の通報などをおこなわせた。三人の番人を置き、船が現れると、一人は早馬で村に駆け、“ンネー、ンネー”と連呼して、船が来たことを伝えた」

 そのダテイクチデイの前を通り過ぎ、右手に太平洋、左手に東シナ海と、二つの海を眺めながら岬への曲がりくねった道を走る。

 東崎は西崎以上の切り立った断崖で、海に突き出た細長い岬は牧場になっている。牛のほかに、与那国島特産の小柄な“与那国馬”が草を食み、たてがみを風になびかせていた。きれいな馬だ。“与那国馬”のいる東崎の風景は、目に残るものだった。

泡盛とカツオの刺し身
 東崎から西崎に戻り、与那国島の一周を終えた。東崎から西崎までの与那国島横断は10キロぐらいの距離でしかない。

 西崎に近い久部良の民宿で一晩、泊まった。日本最西端の宿だ。

 夕食には、カツオの刺し身が出た。すこぶるうまいもので、いくらでも食べられた。カツオというとタタキで食べることが多いが、刺し身もなかなかのものだなと思わせる味。 民宿の奥さんは、
「これは取れたばかりのものなのよ。さー、どんどん食べなさい」
 といって、カツオの刺し身のおかわりを持ってきてくれるのだ。

 さらに度数60度という、ウォッカのように強い与那国産の泡盛「どなん」をひとビン、ドンとテーブルの上に置いていく。カーッと燃えるような60度の泡盛とカツオの刺し身は、不思議なほどによくマッチした。

 民宿の奥さんの好意に甘え、遠慮なくカツオの刺し身を食べ、「どなん」を飲んだ。

 泡盛といえば沖縄特有の蒸留酒。全県で50以上の醸造元があるが、アルコール度数が60度という泡盛は、与那国だけでつくられている。与那国島は人口が2000人にも満たない島だが、その与那国だけで「どなん」「舞富名」「与那国」と、三つの醸造元がある。

 沖縄で酒といえば泡盛のことだが、与那国ひとつをとってみてもわかるように、沖縄の人たちは泡盛をよく飲む。

 泡盛の製法は15世紀の初頭にシャムから伝わったといわれている。琉球と東南アジア諸国との結びつきの深さがうかがい知れる話だが、それが九州に伝わり、焼酎になったという説もある。

 昭和初期に刊行された東恩納寛惇の『泡盛雑考』という本では、タイの蒸留酒ラオ・ロンと泡盛は香りと味、蒸留の装置、蒸留の仕方がきわめて似ていると指摘している。

 琉球と東南アジアとの交易によって南蛮甕に入った南蛮酒が伝わったことにより、在来の醸造酒から蒸留酒に変わり、沖縄特有の泡盛が誕生したと考えられているのだ。

 泡盛の原料は今でもタイ産の砕米である。日本産の米だと泡盛特有の、あの甘い香りの漂う濃厚な味がどうしても出ないという。製法の特色は沖縄独自の開発による「泡盛麹菌」という黒麹菌を使っていること。それを蒸した原料米に繁殖させて麹にし、仕込むのである。

 麹100キロに水170リッターを加えてもろみにし、25度から30度くらいで10日間あまり、半分を地中に埋めた甕で発酵させる。

 そのあとの蒸留は、直火式のかぶと釜蒸留機による。アルコール分40パーセントほどのものを南蛮甕に入れ、イトバショウの葉でくるんだ木栓でしっかりと栓をし貯蔵する。

 泡盛のなかでも、長く貯蔵したものをクース(古酒)というが、泡盛の熟成効果は大きく、貯蔵すればするほど風味が増すので、クースはより価値のある酒になっている。20年ものとか、30年ものといったクースも珍しくはない。

 泡盛の肴には、豆腐と塩辛が好まれる。私の好みをいえば、豆腐の加工品の“豆腐よう”である。中国から伝わったもので、豆腐を発酵させたチーズのような食品。先日、中国を旅したときに、“豆腐よう”とまったく同じものを食べ、あらためて両者の関係の近さを感じた。中国では朝粥のおかずとして出てきた。

 泡盛の名は、もともとはアワでつくったからだという説、醸造するときに泡が盛り上がったからだという説、杯についだときに盛り上がるからだという説、水を混ぜて泡のたたなくなる水量で計ったからだという説など諸説があるが、それはともかく、泡盛を飲んでいると、「今、沖縄にいる!」という強烈な実感を感じることができる。
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日本食べある記(21)三国のタラと花らっきょう

(『市政』1995年7月号 所収)

九頭竜河口の三国へ
 前回にひきつづいて、また福井にやってきた。今回は京福電鉄の三国芦原線に乗って九頭竜川河口の町、三国に向かうのだ。

 JR福井駅に隣りあった京福電鉄の福井駅を出ると、1両のワンマンカーの電車は広々とした福井平野を走る。やがて、福井県第一の大河、九頭竜川にかかる鉄橋を渡る。

 この九頭竜川は、岐阜県との境の油坂峠を源とし、中流に大野盆地、勝山盆地をつくり、下流に福井平野をつくり、三国で日本海に流れ出る。全長が119キロの川で、水源から河口までが福井県になる。

 前回ふれた戦国大名、朝倉氏の本拠地、一乗谷を流れる一乗谷川や、禅宗・曹洞宗の大本山、永平寺を流れる永平寺川も九頭竜川の支流になる。

 福井県は敦賀の北方、旧北国街道の木ノ芽峠あたりの山並みを境に、北は嶺北、南は嶺南と大きく二分される。そのうち嶺北の大半は九頭竜川の水系。九頭竜本流と支流の日野川や足羽川の水系になっている。

 福井駅から30分ほどで、福井県では最大の温泉地、芦原温泉のある芦原湯町駅に着く。ここでひと風呂、浴びていくことにする。

 芦原温泉には全部で70軒以上の温泉旅館、ホテルがあるが、京福電鉄の駅から歩いて5分ほどのところには、「セントピアあわら」という絶好の立ち寄り湯がある。

 近代美術館を思わせるような洒落た建物に入ると、展示コーナーになっている。

「温泉とは何か?」といったパネルや日照りだった明治16年に、あちこちで井戸を掘ると、湯が湧きだしたという芦原温泉の起源を紹介するパネルなどが展示されている。

 500円の入浴料を払って入ったここの湯はすばらしい。「天の湯」と「地の湯」があって、水曜日ごとに男湯と女湯がいれ替わっている。私が行った日は「地の湯」が男湯になっていた。

 ふんだんに木を使った湯船は、高温の湯と低温の湯に仕切られ、打たせ湯や寝湯、蒸し風呂などもある。銭湯とユートピアを掛け合わせての「セントピア」なのだろうが、温泉天国そのものといったところだ。

九頭竜川河口の三国港
 芦原湯町駅から、さらに京福電鉄の電車に乗ると、10分ほどで終点の三国港駅に着く。九頭竜川河口の三国港が目の前だ。

 三国港は江戸時代には千石船の北前船の出入りする港としておおいに栄え、その繁栄は明治初期までつづいた。今でも三国の古い町並みを歩くと、当時の栄華を偲ばせるような家並みに出会うことができる。

 北前船の航路は日本海経由の西廻り航路のことで、当時の日本にとっては太平洋経由の東廻り航路よりも、はるかに重要な航路になっていた。

 北前船は瀬戸内海を拠点にして日本海を北上していくものと、日本海の港を拠点とし、南下して瀬戸内海に向かっていくものがあった。

 春の三月ごろには、北の船が下ってきた。そして瀬戸内海の三原や尾道、牛窓といった港、さらには終点の大坂(大阪)で積み荷を売りさばき、北へと帰っていった。風運のいいときには、秋の9月、10月にもう一度、大坂に向かい、翌春に北の海に戻った。

 瀬戸内海から出る船は、4月の春風を利用して日本海を北上して、秋風の立つ頃に下ってきた。年に一往復というのが、だいたいふつうの航海であった。

 北前船の航路は北は深浦や十三湊、鰺ヶ沢といった津軽の港から、さらに蝦夷の松前まで延びていた。

 北前船は北国のニシンやサケ、コンブなどの海産物や羽州や北陸の米などを大坂に運び、大坂や瀬戸内からは、木綿や砂糖、塩、酒などを北国に運んだ。

 三国漁港の魚市場に行く。
 三国の魚市場は、夕方にセリがおこなわれる。タラや若狭ガレイなどが水揚げされていた。若狭ガレイは、この地方の名産。“若狭”とつくくらいだから、若狭が本場なのだろうが、越前の海でもけっこうとれるようだ。

 三国の町の宿に一晩泊まり、夕食は町の食堂で福井の地酒を飲みながら、タラのコブじめとハタハタの焼き魚を食べた。ハタハタといえば、秋田県の男鹿半島を思い出すが、男鹿半島の漁民のみなさんは、ハタハタがとれなくなったといって嘆いていた。ところが越前の海では、男鹿半島の海でとれなくなったハタハタがけっこうとれるという。

 それと、コブじめで食べたタラである。11月に入ったこの季節、三国漁港に水揚げされる魚の中ではタラが一番目立っていたが、北陸でタラというと富山県宮崎の名物料理タラ汁などでもわかるように、この地方にとってはなくてはならない魚なのである。

 民俗学者、宮本常一先生の『食生活雑考』(宮本常一著作集第24巻・未来社刊)の中に「タラ飯」の話が出てくるが、きわめて興味深いものなので、それを引用させてもらおう。宮本先生が昭和17年12月に能登半島を旅したときの、七尾湾口の鵜浦という漁村での話である。

◇◇◇
「タラがとれたぞォ、タラがとれたぞォ」と外を叫んで通っていく人がある。その声を聞くと息子の嫁になる人は籠を持ってとび出していった。息子が今日、漁に出ていっているのである。家の母刀自は早速イロリの火を強くし、大鍋を自在鉤にかけ、準備してまっている。そこへ息子と息子の嫁が、籠にいっぱいのタラを持って帰って来た。それを見て家族の者は歓声をあげた。井戸端でその魚を洗い、頭をはね、腸を出し、尾をとったものをザルに入れて台所へ持って来て、煮えたぎっている鍋の中へ入れる。やがて煮え上って来ると、母刀自は鍋をおろして蓋をとり、輪切りにした魚から骨をとる。そのたくみな手さばきに見ている方が心をうばわれる。骨をとり、皮をとり、煮た湯を捨て、あたらしい水を加えて、杓子で魚肉をつきくだくと米の御飯のようになる。煮上がるとイロリの火を細くし、鍋の中から茶碗へ魚肉をもりわける。人びとは熱いのをフウフウ息をふきながら食べる。
◇◇◇

 タラを飯にして食べる食べ方に驚かされてしまうが、実際に食べてみると生臭くもなく、魚肉を食べているという感じも少ないとのことで、とれたてのタラだからこそこのようなタラ飯にできるのだろう。かつての北陸の海では「タラ飯」にするほどタラが獲れた。

三国のラッキョウ畑
 翌日は三国の古い町並みを歩き、北前船の資料館を見学し、バスに乗って東尋坊に行く。輝石安山岩の柱状節理が日本海の荒波によって切り立った海食崖になり、高さは25メートルにも達する。断崖の先端に立って日本海をのぞきこむと、怖くなるほどだ。

 東尋坊は福井県でも屈指の観光地で、断崖へとつづく道の両側には、みやげ物店がずらりと建ち並んでいる。

 そこでは店先につるされた若狭ガレイの一夜干しが目についた。また小鯛のささ漬け、魚の糠漬けのヘシコなどもみやげ物といて売られていた。それともうひとつ目についたのは、三国特産の花らっきょうである。

 それを見て東尋坊から三国に戻ると、ラッキョウの産地の三里浜に行ってみた。

 三国の町は、九頭竜河口の右岸に位置しているが、新保橋で九頭竜川を渡った対岸の、左岸一帯が三里浜になる。三里浜は日本一のラッキョウの産地なのである。

 三里浜は日本海に沿った東西12キロの砂丘地帯で、現在、この地域の約8割の農家がラッキョウを栽培している。私が行ったときは、ちょうどラッキョウの赤紫色の花が三里浜の砂地一面に咲いていた。地味な色合いの花だ。10月中旬から11月にかけてが花の季節だという。

 ラッキョウはユリ科に属する多年草の草木で、オオニラとかサトニラともいわれる。原産地は中国およびヒマラヤ地方で、日本に伝播した時期ははっきりしていないが、江戸時代にはすでに栽培されていたという。

 三里浜一帯にラッキョウ栽培が定着するまでには多くの困難があった。

 江戸時代、三国港は日本海航路の千石船が出入りする港としておおいに栄えたが、九頭竜川をはさんでそのすぐ西の三里浜一帯は、日本海から吹きつけてくる強風のために田畑は砂に埋まり、村人たちは他の村へと逃げていくほどだったという。

 そのような惨状を目にした敦賀の唯願寺の住職大道(1768年~1840年)は防砂に取り組み、最初にネムの木を植えて砂地を落ちつかせ、次にマツやシイを植えて風を防ぎ、人が住めるようにし、徐々に耕地をふやしていった。

 明治初期になると天蚕糸の行商人がラッキョウを持ち込み、その栽培がはじまった。

 三里浜の砂地はラッキョウに合い、栽培面積は年ごとに増えていった。それを三国の商人が買い集め、京阪神市場で売りさばいた。大正年間になると、販路はさらに広がり、東京市場にも進出し、三里浜一帯は全国屈指のラッキョウの産地になった。

 この地方のラッキョウは一年掘りをしない。一年掘りのラッキョウは粒が大きくなり、やわらかくなるが、三里浜のように二年掘り、もしくは三年掘りするラッキョウは分けつするので粒が小さくなり、コリコリッとした歯ごたえで固くなる。それが越前名物の花らっきょうなのである。

 塩漬けされた三里浜の花らっきょうは大手食品メーカーにも大量に出荷され、そこでまた味つけされて、日本中に出荷されている。

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(45)

 3月20日。夜明けとともに雪の盛岡を歩いた。チラチラ雪が降っている。北上川にかかる開運橋を渡ったところでは凍った雪道に足を滑らせ、たてつづけに2度も転倒した。バイクでなくてよかった。

 目抜き通りの商店街を抜け、南部藩20万石の盛岡城址を歩き、花の季節にはまだほど遠い「石割桜」を見て盛岡駅前に戻った。

「東横イン」の「おにぎり&せんべい汁」の朝食を食べ、9時に出発。

 いつもならば遅くても8時には出るのだが、出発時間を1時間遅らせたのは、すこしでも雪がとけてから走り出そうと考えたからだ。

 9時出発は大成功。その間に天気が変わり、青空が広がり、日が差してくる。路面の凍りついた雪は早くもシャーベット状になっている。このあたりが、いくら寒いとはいえ、冬の雪と春の雪の違いだ。

 盛岡駅前から国道4号に出ると、もう路面に雪はない。前日とはうってかわって、V-ストロームでの快適走行だ。

 10時45分、花巻に到着。
 花巻では宮沢賢治命名の北上川の「イギリス海岸」を見る。雪解け水を集めた北上川は増水しているので、ドーバーのホワイトクリフ(白い断崖)を連想させる「イギリス海岸」とはほど遠い風景。そのあと丘陵地帯にある「宮沢賢治記念館」(入館料350円)を見学した。ここでは地元のライダー、和田福助さんに出会った。

 和田さんには「カソリさん、頑張って!」と応援され、「魚肉ソーセージ&リポビタンD」の差し入れをもらった。和田さん、ありがとう!

 花巻からさらに国道4号を南下。

 前沢では前沢温泉「舞鶴の湯」(入浴料500円)に入り、「牛の博物館」(入館料400円)を見学。そのあと博物館前のレストラン「ロレオール」で前沢牛を食べる。一番安いメニューの「前沢牛の南部鉄器焼き」を注文したのだがそれでも4000円…。

 前沢では相馬で会った武内さん一家とのうれしい再会。

 武内さん一家の乗った車と一緒に平泉まで走り、中尊寺を参拝した。そして平泉の駅前で武内さん一家と別れた。

 18時、一関ICに到着。
 東北道に入り、一路東京へ。東京までは一気に走るつもりでいた。

 ところが宮城県に入り、仙台を過ぎた頃から雪が降り始めた。3月の東北は、最後の最後まで甘くはなかった。
 白石を過ぎるとかなりの雪になる。またしても恐怖の雪の高速道路…。

 必死の思いで国見峠を越えて福島県に入ったが、峠を下った国見ICで高速を降り、国道4号を南下した。

 福島、郡山、須賀川と通り、雪が止んだところで白河ICで再度、東北道に入った。

 関東に入ると見上げる夜空は一面の星空。24時、東北道の浦和料金所に到着。盛岡から542キロ。ここからは首都高→東名で神奈川県の伊勢原へ。

 我が家に到着したのは2時過ぎ。V-ストロームでの全走行距離は2775キロになった。これにて「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」の第1弾目は終了だ。

「V-ストロームよ、雪にもアイスバーンにも負けず、ほんとうによく走ってくれた!」 夏にはまた、「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」の第2弾目をV-ストロームで走るのだ。

(了)

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雪の盛岡城址

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盛岡駅前の「東横イン」を出発

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国道4号で花巻へ

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花巻の「イギリス海岸」

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前沢牛の「南部鉄器焼き」

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平泉の駅前に到着!

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(44)

 岩手県から青森県に入ると、国道45号から海沿いの県道1号を行く。

 JR八戸線の線路を渡ったが、すぐ近くの階上駅から八戸駅までは列車が動いている。太平洋岸では久々に見る運行中の鉄道。ピカピカに光っている線路が新鮮に見えた。

 県道1号沿いでは海岸スレスレに建っている家々が無事だ。集落もまったく無傷のように見える。風光明媚な種差海岸を北上。葦毛崎の展望台に立ち、蕪島(陸地とつながっている)へ。蕪島周辺は津波にやられているが、大きな被害というほどではない。ウミネコに占領されている蕪島神社を参拝し、そのまま県道1号で八戸の中心街に入っていった。

 八戸も大津波に見舞われ、臨海工業地帯に大きな被害が出たが、県道1号沿いではまったく津波の被害は見られない。八戸はいつも通りの活況を見せている。海鮮市場もにぎわっている。東北・太平洋岸の北の拠点、八戸はそれほど大きな被害を受けなかったので、東北復興の大きな力になっている。

 八戸の中心街で国道45号に合流し、国道45号→国道338号で下北半島に向かっていく。

 下北半島入口の三沢では国道を右折し、三沢漁港に行った。ここでも7メートルの大津波に襲われたとのことで漁業施設には大きな被害が出ていたが、海岸からかなり離れている三沢の市街地は無事。三沢を過ぎると、大津波による被害はほとんど見られなくなる。

 三沢を過ぎると天気は急変した。

 空は鉛色に変わり、そのうち雪が降り出す。雪はあっというまに激しさを増し、猛烈な西風が吹きはじめ、吹雪になった。V-ストロームがフワーッと舞い上がりそうになるほどの風の強さ。走るどころか、吹き飛ばされないようにするので精一杯だった。

 ラムサール条約の登録地にもなっている仏沼まで行ったところで尻屋崎を断念。何とも悔しいことだが、この地点を最後に東京に戻ることにした。尻屋崎まであと100キロ。ゴーゴーと吹き付ける吹雪の中で立ち尽くし、3月の東北の自然の厳しさをあらためてかみしめた。

 三沢まで戻ると、「三陸温泉」(入浴料250円)の湯に入り、湯から上がると休憩室で昼食。koshiさんからの差し入れの魚肉ソーセージやチーかま、ぴり辛ちくわ、温泉卵を食べた。これは朝、「グリンピア三陸みやこ」を出ようとすると、V-ストロームのハンドルに掛けられたビニール袋に入っていたもの。手紙と先日の写真も添えられていた。最後にカンコーヒーと「リポビタンD」を飲み、出発。カンコーヒーもリポDもkoshiさんの差し入れだ。koshiさん、ありがとう!

 三沢から八戸に戻ると雪は止み、何事もなかったかのように青空が広がり、日が差していた…。
 15時20分、八戸北ICで八戸道に入った。この時点では八戸道→東北道で一気に東京まで走るつもりでいた。

 ところが3月の東北はそれほど甘くはなかった。軽米ICを過ぎた頃から雪が降りはじめ、九戸ICを過ぎるとかなり激しい雪になった。路面はあっというまに白くなる。恐怖の雪の高速道路。
「これはもうダメだ…」
 と路肩に出、ハザードランプを点滅させて走った。

 次の一戸ICで高速を降り、国道4号を南下。雪は一段と激しさを増す。

 とにかく転倒しないように走ったが、ここでの最大の難所は国道4号最高地点の十三本木峠(中山峠)。この十三本木峠を決死の覚悟で越えた。我ながらよく越えられたと思うほどの雪の峠越えだった。

 沼宮内、渋民と通り、盛岡市内に入るともう大雪の様相。国道4号は真っ白だ。

 からくも盛岡駅前に到着。駅前の「東横イン」に飛び込みで泊まれたときは、「助かったー!」と心の中で叫んだ。無事にここまで来られて、ほんとうによかった。

 雪が激しく降っているので、夕食は盛岡駅前の地下街で。盛岡に来たからにはと、「寿々花」という店で「盛岡冷麺」(900円)を食べた。

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三沢漁港

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雪が降ってくる

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猛烈な風が吹いている

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三陸温泉での昼食

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八戸北ICから八戸道に入る

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盛岡駅前の「寿々苑」

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「寿々苑」の「盛岡冷麺」

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(43)

 翌朝は夜明けとともに起き、朝湯に入った。朝食は古山夫妻と一緒に食べた。

 ひと晩中降った雪は明け方には止んでいて、まずはひと安心といったところだ。

 朝食を食べ終わったところで古山夫妻と別れ、8時、「グリンピア三陸みやこ」を出発。ありがたいことに青空が広がっている。

 スズキV-ストロームを走らせ、国道45号へ。この間の雪は心配したほどでもなかった。ところが国道45号を北上するにつれて路面の雪はあっというまに多くなった。

 下り坂が恐怖。速度を落として走り、ツルンツルンのアイスバーンでは足を着きながら走った。

 岩泉町の小本を通り、田野畑村に入っていく。
 いよいよ最大の難関、国道45号の最高所にもなっている閉伊坂峠に挑戦だ。

 長い登りがつづく。雪との大格闘の連続。気温は0度近いのだが、暑くて暑くて汗が噴き出るほど。峠の頂上に到達したときは思わず「ヤッタ!」のガッツポーズ。

 しかし峠道の下りは、登りよりもさらに大変だ。たえずバックミラーで後続車を確認しながら走った。後続車がやって来るといったん路肩に避け、車の流れが途切れたところでふたたび峠道を下った。

 ありがたいことに閉伊坂峠を下ると雪は消えた。
 普代村、野田村と国道45号の路面に雪はなかった。
 普代村では海岸地帯を走った。

 漁港は巨大な防潮堤に守られ、その内側の民家にまったく被害は出ていない。防潮堤や水門が破壊されたり、大津波が防潮堤を乗り越えたりして大きな被害の出た現場を各地で見てきたので、ここではホッと救われるような思いがした。

 とはいっても、ここでも相当な高さまで津波が押し寄せている。漁港近くの川沿いの山肌には、津波の駆け上った痕跡がはっきりと残され、20メートルぐらいの高さまで樹木はなぎ倒されていた。

 国道45号沿いの普代村の中心、普代の町では津波の被害は見られなかった。

 野田村は大きな被害を受けた。
 海岸の堤防は破壊され、海岸から離れている町並みのかなりの家が倒壊、260人もの犠牲者を出した。ここでは押し寄せる津波よりも、引き波によってさらわれたという。何もかも、すべてを海に持っていかれたほどの引き波の強さだという。そんな中にあって国道45号沿いの道の駅「のだ」は無事だった。

 野田からは海沿いの県道268号を行く。野田村から久慈市に入り、小袖海岸へ。ここは日本最北の海女漁の地。海女センターがあったが、津波で流されたのか、浜からは消えていた。

 小袖海岸のきれいな海岸線を行く。狭路のカーブ、トンネルが連続するので対向車が怖い。断崖が海に落ち込む海岸線を抜け出ると久慈の町。久慈には30メートル超の大津波が押し寄せたが、人的被害は死者・行方不明者6名。これは奇跡的な数字といっていい。

 久慈の国道45号にも雪はなかった。
 久慈から国道45号を北上し、岩手県から青森県に入った。

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「グリンピア三陸みやこ」から見る朝日

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「グリンピア三陸みやこ」の朝食

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野田村の中心街

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「頑張ろう野田村!」

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久慈漁港

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ジャンル : 車・バイク

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(42)

 気仙沼から国道45号を北上し、宮城県から岩手県に入る。この日の目的地は大船渡。陸前高田を通り、9時、大船渡のバイク店「オートランドリッキー」に到着。国道45号と国道107号の交差点に店はある。

「スズキきずなキャリイキャラバン」の活動が始まった。
 店内で奥様の入れてくれたコーヒーを飲みながら、三条社長の話を聞いた。

 ここは新しい店で、元の店は大津波で流された。三条社長はそれに屈することもなく、すぐさま、この新しい店を立ち上げた。お客さんの所有していた土地と建物を借り受け、それを新店舗にしたのだ。

 今回の大津波のような非常時では「絆」がすべてといってもいい。人と人とのつながりがいかに大きいかを教えてくれるような話。人は人に助けられて生きていくものだということを三条社長に教えられた。

 何ともうれしいことに、震災1年を前にして三条社長は借りていた土地と店舗をすべて買い取り、名実ともに自分の店にしたというのだ。隣接した土地には何年か後にはビルを建て、立派なショールームにしたいと熱をこめて話してくれた。

 大津波にも全く負けていない三条社長の強さ、奥様との二人三脚にも心を打たれた。

 大船渡からもカソリ、大阪モーターサイクルショー会場のスズキブースMCの原智美さんに携帯で電話し、大船渡の状況や「オートランドリッキー」の様子などを話し、三条社長にも登場してもらった。スズキ二輪のMさんがデジカメで撮った写真が会場のスクリーンに映し出されるようになっている。

 三条社長には昼時、盛駅に近い「ニュー香園」という中華料理店に連れていってもらい、「炒飯セット」をご馳走になった。その後、車で大船渡の町をぐるりとまわって案内してもらった。大船渡にも仮設の商店街や屋台村が誕生していた。

「スズキきずなキャリイキャラバン」は被災者のみなさんを支援するバイクやスクーターの無料点検だけでなく、スズキの電動スクーター「イ-レッツ」の試乗会をも兼ねている。それにはなんと神奈川県からやってきた古山夫妻が来てくれた。

 古山夫妻は日本のみならず海外もバイクで走っているが、今回は車での東北旅。2人は震災後、東北各地でのボランティア活動に参加するだけでなく、こうして2人で東北各地を旅している。

 前夜は大船渡の碁石海岸に泊まったとのことで、カソリが「オートランドリッキー」にいるという情報をキャッチして駆けつけてくれたのだ。

 さっそくイ-レッツを試乗した2人だが、
「新しい世界をのぞいたような気分!」
 とその印象を話してくれた。

 ぼくは夜は田老の「グリーンピア三陸みやこ」に泊まるつもりにしていたが、古山夫妻もそれに合わせて「グリーンピア三陸みやこ」に泊まるという。

 15時30分、「スズキきずなキャリイキャラバン」の活動終了。

「オートランドリッキー」の三条社長夫妻、スズキ二輪のMさん、「スズキきずなキャリイキャラバン」のチームのみなさんと握手をかわして別れ、大船渡を離れた。3日間、同行させてもらったので、スズキのみなさんとの別れには胸がジーンとしてしまった。

 V-ストロームを走らせ、大船渡から国道45号を北上する。
 釜石、大槌、山田を通り、夕暮れの宮古に着いた。

 宮古を過ぎるとまたしても雪…。やはり宮古を境にして天気が変った。
 宮古を過ぎると、より自然の厳しい北東北に入っていくという感じだ。

 雪は前回ほどの降り方でなかったので助かったが、ヒヤヒヤドキドキのナイトラン。速度をギリギリまで落とし、絶えず後続車をバックミラーで確認しながら走った。

「グリーンピア三陸みやこ」に到着したときは心底、救われるような思いがした。

 さっそく大浴場の湯につかり、湯船では思いっきり体を伸ばした。寒さでギュッと縮んでいた血管が一気に開き、血液が音をたてて全身を駆けまわっていくのがよくわかった。それにしても3月の東北は寒い。とくに北東北は…。ここではまだ真冬同然の寒さだ。

 湯から上がる頃、古山夫妻も「グリーンピア三陸みやこ」に到着。一緒に夕食を食べ、そのあとは飲み会になった。

 ビールを飲みながら2人の東北旅を聞いた。

 2人とも今は東北旅に夢中。奥さんの里美さんは『ツーリングマップル東北』命!といったような人で、片時も離さない。

『ツーリングマップル東北』の話題で大盛り上がりしたあとは、「鉄ちゃん」の古山旦那の鉄道の話になる。鉄道の専門用語がボンボン飛び出し、「鉄道旅」も大好きなカソリなのだが、もうついていくので精一杯。夫の隆行さんの鉄道への知識は相当なものだ。

 こうして「グリーンピア三陸みやこ」での夜は更けていった。

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8669、大船渡を貫く国道45号

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8670、国道45号沿いの「オートランドリッキー」

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8672、盛駅近くの「ニュー香園」

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8673、「ニュー香園」の「炒飯セット」

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8675、大船渡の「屋台村」

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8676、「グリーンピア三陸みやこ」に到着

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8677、「グリーンピア三陸みやこ」の夕食

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(41)

 早朝の「気仙沼歩き」を終え、高台上の「ホテル望洋」に戻ってきた。
 朝食を食べ、8時出発。
 スズキのみなさんの乗った車をV-ストロームでフォローする。

「ホテル望洋」の高台下の一帯は、「東日本大震災」では大地震に見舞われ、大津波に襲われ、さらにそれに追い討ちをかけるかのように大火で焼かれた。まさに三重苦だ。

 震災2ヵ月後に来たときはまだ焼き尽くされた町跡が生々しく残っていたが、今では瓦礫はすべて撤去され、何事もなかったかのように整地されている。

 気仙沼の大火は今回の震災では最大のものだ。

 この一帯が燃え始めたのは3月11日の夜になってからのこと。火は海上に流れ出した油に引火し、さらに燃え広がった。気仙沼湾は「火の海」になった。大津波で流された気仙沼港の22基のタンク、ドラム缶で6万本近くの油が大火をより大きなものにした。この大火で約10万平方メートルが全焼したという。

 鎮火したのは震災発生から12日たった3月23日の朝。出火原因は今だに特定されていないという。

 国道45号に通じる道路沿いの乗り上げ船は、震災1年後も、まだそのまま残っていた。この乗り上げ船は「第十八共徳丸」という330トンの大型巻き網漁船。この船を保存して大津波のシンボルにしようという計画もあるようだ。

 被災者のみなさんにとっては忌まわしい大津波の痕跡など見たくもないというのが本心だろうが、各地からその痕跡がどんどん消え去っていくなかで、象徴的なモノを残し、それを中心にして復興祈念公園を作るというのはひとつの考え方だと思う。

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気仙沼の「ホテル望洋」を出発

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大火に焼かれた一帯の瓦礫は撤去されている

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この乗り上げ船はまだそのまま残っていた

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2011年5月18日の気仙沼・鹿折地区

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(40)

 翌朝はスズキ二輪のMさん、「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんと一緒に、早朝の気仙沼を歩いた。

 気仙沼港前の「男山本店」の建物が目を引く。元々は3階建だったものが、1階と2階が潰れ、3階だけが残った。

「男山本店」は大正元年(1912年)創業の老舗。ほんとうにすごいことだが、このような大災害にもめげず、震災後も「蒼天伝」や「陸前男山」などの銘酒をつくりつづけている。
「がんばれ、男山!」

 気仙沼港の岸壁には大島航路の「おおしま」が停泊していた。

 この大島航路の再開は早かった。震災後、20日あまりで運航を開始した。気仙沼湾に浮かぶ大島は東北最大の有人島。2002年の「島めぐり日本一周」の時に渡った。

「島めぐり日本一周」ではスズキの50ccバイク、SMX50を使ったのだが、気仙沼港から大島までは人が300円、50ccバイクが600円で合計900円だった。ところが乗用車の料金となると5000円前後にもなる。島民にとっては大変な負担だ。

 そこで大島に住む人たちは車を2台、持つという話を聞いた。1人1台ではなく、1台を島内で使い、もう1台は島外で使うためのものだ。まさに二重の多大な出費。島での生活の大変さの一端をフェリーで垣間見たのだ。

 今、その大島への架橋計画が本格化しているという。大島大橋の一日も早い完成を願うばかりだ。

 気仙沼港前の森進一の「港町ブルース」の歌碑は残った。
「…あなたの影をひきずりながら港、宮古、釜石、気仙沼」が胸にしみる。それにしても「港町ブルース」に出てくる宮古、釜石、気仙沼はどこも大津波に激しくやられた。

 気仙沼港の周辺はまだ復興とはほど遠い状態だが、瓦礫のとり除かれたあとに花壇がつくられ、草花が芽を出しているのを見て救われる思いがした。瓦礫を撤去した跡地に新築の家が建っているのを見ると、我がことのようにうれしくなってしまう。かなり規模の大きな仮設市場「復興商店街」も完成していた。

 気仙沼の町は市役所周辺や気仙沼駅周辺、新市街地のように残った部分も多いので、きっと復興のペースが速まることだろう。

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早朝の気仙沼港

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3階だけが残った「男山本店」

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大島航路の「おおしま」

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森進一の「港町ブルース」の歌碑

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「瓦礫に花団」(ママ)!

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新しい家が完成!

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仮設市場の「復興商店街」

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震災前の気仙沼漁港

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(39)

 石巻からは国道45号を北へ。

 河北ICで三陸自動車に入り、終点の登米東和ICで降りる。仙台からつづく三陸自動車道の開通区間はここまで…。三陸海岸の1日も早い復興のためにも、この三陸自動車道の1日も早い全線の開通を願うばかりだ。

 三陸自動車道終点の登米東和ICから国道398号→県道202号→国道346号→国道45号で気仙沼へ。石巻から気仙沼に行くのには、このルートが最速のルートになる。距離は43キロでしかないのに、3時間もかかった。三陸自動車道が開通すれば1時間もかからずに行ける距離だ。

 石巻から気仙沼まではずっと雨…。冷たい雨中の走行には辛いものがあったが、
「雪にならなくてよかった!」
 と、天に感謝した。

 気仙沼に到着したのは18時30分。

 高台の「ホテル望洋」に泊まった。高台の下は一面、大津波に襲われた被災地なので、まったく明かりがない。それが何とも不気味だった。

 スズキ二輪のMさんや「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんと一緒に夜の気仙沼を歩き、漁港近くに完成した仮設の「復興屋台村」の店、一軒一軒をのぞいていく。そこには明かりが灯り、暖かさが漂い、店内からは笑い声が聞こえてくる。

 我々はそんな「復興屋台村」の中にある「はまらん家」という店に入り、まずは気仙沼の復興第一歩を祝して生ビールで乾杯。
 いやー、うまい!
 気仙沼名物の「はまらん焼」を食べながらさらに乾杯を繰り返した。

 気仙沼では仮設商店街の「復幸マルシェ」やこの仮設の「復興屋台村」が完成した。気仙沼漁港では水揚げがはじまり、仮設の水産加工施設も完成した。ここで感じるのはみなさんの復興に向けての熱意だ。
「頑張れ、気仙沼!!」

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気仙沼の「ホテル望洋」に到着

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気仙沼の「復興屋台村」

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「復興屋台村」を歩く

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「復興屋台村」の「はまらん家」

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「はまらん家」の「はまらん焼」

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(38)

 翌朝も、夜明けとともに起きた。「松島センチュリーホテル」の朝湯に入り、湯から上がると松島を歩いた。天気予報は雨だったが、青空が広がっているのがうれしい。

 7時、朝食。
 8時30分、スズキ二輪のMさんとホテルを出る。

「スズキきずなキャリイキャラバン」のみなさんの乗った車がホテルにやってくると、V-ストロームでその後について走った。
 今日の目的地も石巻だ。

「スズキきずなキャリイキャラバン」は石巻の中心街、合同庁舎前にある「山口輪業」に到着。ここは石巻の海岸から4キロ近くも離れているのに大津波に襲われ、「山口輪業」は全壊した。

 社長の山口さんは目の前の合同庁舎に逃げ込み、その後は5、6キロも離れた避難所暮らしがつづいた。避難所では大変な思いをしたが、骨身を惜しんでリーダー役を務めたという。

 山口社長のバイク店にかける想い、情熱にはものすごいものがある。

 毎日、避難所から「山口輪業」まで通い、メチャクチャになった店のあとかたずけをした。全国から駆けつけてくれたボランティアの人たちにはずいぶんと助けられた。とくにライダーの力が大きかったという。

 すべてを流されてしまったので一からの出直しだったが、
「俺は日本一の借金大魔王!」
 といって笑い飛ばすような豪快な山口さんは、借りられるだけのお金を借りて、被災後、何と1ヵ月で仮店舗をオープンさせた。

 まさに「不屈の男」だ。

 前日と同じように、ここ「山口輪業」から大阪モーターサイクルショー会場のスズキ・ブースのMC原智美さんに携帯で午前1回、午後2回、大津波に襲われた石巻の様子や「山口輪業」の様子、店の復興の進み具合などを話し、山口社長にも登場してもらった。

 それにしても不思議な気分だったのは、「アナログのカソリ」といわれるくらいで、
「携帯などは絶対に持たない!」
 といってたのに、こうして自分が携帯で石巻から大阪モーターサイクルショーに来てくれているみなさんに話かけていることだ。会場のみなさんからの質問にも携帯で答えた。

 天気予報は当り、午後から雨になった。

 15時30分、「スズキきずなキャリイキャラバン」はバイク、スクーターの無料点検を終え、「山口輪業」を出発。みなさんと一緒に石巻から気仙沼へと向かった。

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夜明けの松島を歩く

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松島のカキ漁の船

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「松島センチュリーホテル」を出発

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松島湾を眺める

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石巻の「山口輪業」での「スズキきずなキャリイキャラバン」

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昼食の弁当

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(37)

「石巻バイパス仮設住宅」での「スズキきずなキャリーキャラバン」の活動は15時30分で終了。「松島センチュリーホテル」に連泊するので、ここでいったんみなさんと別れ、カソリはV-ストロームを走らせ石巻に向かった。

 石巻に到着すると、旧北上川河畔の日和山に登った。日和山公園内には「奥の細道」の芭蕉&曽良像が建っているが、その像は無事だ。

 日和山の鹿島御児神社の鳥居前から旧北上川の河口を見下ろした。大津波から1年たったというのに、まったく復興のきざしの見えない石巻。あまりにも無残な姿に変わり果ててしまった町並みには、もう言葉もない。

 東日本大震災での石巻市全体の犠牲者は3700人を上回る。東北太平洋岸の市町村の中では群を抜く数字だ。鹿島御児神社前の展望台には多くの花が供えられているが、そこで手を合わせ、亡くなられた大勢の方々の冥福を祈った。

 日和山を下ると、廃墟と化した日和山下の町並みをひと回りした。

 石巻から奥松島の宮戸島へ。宮戸島は松島湾では最大の島。短い橋で本土とつながっているが、よっぽど気をつけていないと、わからないまま通りすぎてしまう。

 宮戸島では「松島四大観」の筆頭といわれる大高森(105m)に登り、「日本三景」の松島を一望した。寒風沢島や桂島などの浦戸諸島の島々が間近に見える。さらに「日本三大渓」の「嵯峨渓」を歩いた。見事な海岸美。東北の自然の美しさには、まったく変わりがない。

 宮戸島をあとにすると、野蒜、東名と東松島市の被災地を通り、松島に戻った。

「松島センチュリーホテル」でスズキ二輪のMさんと落ち合い、ホテル近くの「さんとり茶屋」で夕食。地酒の「小僧山水」を飲みながら、タコの唐揚げ、カキの殻焼き、ホッキの刺身など松島の海の幸を食べた。

 Mさんのお父さんの出身地は塩竃、お母さんの出身地は秋保で、ともに宮城県内だ。塩竃と秋保、東北の海と山の話を聞いていると酒量は上がり、Mさんと、しこたま「小僧山水」を飲むのだった。

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石巻の「鯨大和煮」はまだ残っていた

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日和山下の廃墟と化した町並みを行く

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「松島四大観」の大高森からの眺め

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宮戸島の大浜

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JR仙石線の東名駅跡

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「松島センチュリーホテル」に戻ってきた

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震災前の日和山から見下ろす石巻

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(36)

「松島センチュリーホテル」に戻ると朝食。ボリューム満点の朝食を食べ終ると、スズキ二輪のMさんとホテルを出る。

 8時30分、「スズキきずなキャリーキャラバン」のみなさんの乗った車がホテルにやってきた。さー、出発だ。

 V-ストロームでMさんの乗った車や「スズキきずなキャリーキャラバン」の車の後について走る。

 今日の目的地は石巻の仮設住宅。万石浦から県道234号を行ったところにある「石巻バイパス仮設住宅」に到着だ。ここには236戸の仮設住宅があるとのことで、石巻市や女川町の被災者が住んでいる。

 バイクやスクーターはみなさんにとっての重要な足。スズキはそれらを無料で点検している。まさに東北の復興支援、復興応援事業なのだ。

 カソリは何をするかというと、ここから大阪モーターサイクルショー会場のスズキ・ブースに携帯で電話し、MCの原智美さんに現地の様子、「スズキきずなキャリーキャラバン」の活動の様子などを午前中に1回、午後2回、話すのだ。

 すごくよかったのはここではいろいろな話を聞けたこと。
 女川の尾浦の漁師の話は興味深かった。

 銀ザケ、ホタテ、カキ、ホヤの養殖が尾浦の漁業を支える4本柱だったが、大津波ですべてが全滅。とくに出荷直前の銀ザケの被害が大きく、莫大な借金だけが残ったという。

 女川の尾浦の漁師の奥さんは怖くて海が見られない、松島の遊覧船も怖くて乗れない、瓦礫の山を見ると気持ちが暗くなってしまう、この1年は毎日のように泣いていた…といった話をしてくれた。

 そのほか日本中から来てくれたボランティアの人たちに助けられた、家が流されたとたんに親戚の人たちがすーっと離れていった、1日も早く以前のような家に住みたい、以前のような暮らしに戻りたい…といったみなさんの声も聞いた。

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「松島センチュリーホテル」の朝食

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「松島センチュリーホテル」を出発

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「スズキきずなキャリーキャラバン」

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「石巻バイパス仮設住宅」

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「石巻バイパス仮設住宅」の掲示板

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昼食の「トンカツ弁当」

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(35)

 翌朝、目覚めるとすぐに「松島センチュリーホテル」の朝湯に入った。最高の気持ち良さ。

 ぼくは温泉が好きだ。とくに目覚めてすぐに入る朝湯が好きなのだ。ここは絶景湯。大浴場の湯につかりながら「日本三景」の松島を眺めた。

 湯から上がると、「松島センチュリーホテル」を出発し、1時間ほど早朝の松島を歩いた。

 松島のシンボルの五大堂から国宝の瑞巌寺へ。松島は今回の大津波では他所と比べると被害は少なく、五大堂も瑞巌寺も無事だった。ほんとうによかった。

 松島は復興一番乗りといってもいいほどで、観光客の客足もかなり戻ってきている。

 しかし松島にもかなりの大津波が押し寄せたのは間違いない。「松島センチュリーホテル」に貼ってあった大津波の写真を見ると、それがよくわかる。

 水中には何台もの観光バスや乗用車が浮かんでいる。水の引いた商店街には乗り上げた車が見られる。桟橋に乗り上げた観光船も見られる。実際、桟橋の一部は激しく壊れ、福浦島への橋は通行止めのままになっている。

 隣の東松島市では1000人以上もの犠牲者が出たが、松島町では死者1人。これは奇跡といっていい。

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「松島センチュリーホテル」の朝湯に入る

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「松島センチュリーホテル」を出発

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「松島センチュリーホテル」前の松島湾

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松島のシンボル、五大堂は無事だ

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松島の観光船の乗場

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大津波に襲われた桟橋

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福浦島への橋は通行止め

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(34)

 南三陸町の志津川から国道45号→国道398号で女川へ。

 女川の町跡でV-ストロームを止めたが、見れば見るほど、すさまじいやられ方だ。

 今回の「平成三陸大津波」では、高さ35メートルの大津波が女川の町を襲い、中心部はほぼ全滅した。強い引き波によってひっくり返った鉄筋の建物が目立つ。これが女川の大きな特徴だ。

 1000人近い犠牲者が出たが、人口に対する死亡率でいうと、東日本大震災においては大槌町を上回り、女川町が最大になる。

 女川からはコバルトラインで牡鹿半島に入り、鮎川へ。震災直後から通行止になっていたコバルトラインは、北側の半分くらいは通行できるようになっている。

 牡鹿半島の中心、鮎川は大地震と大津波で町はほぼ全滅した。1年たってもそれほど町の様子は変らない。復興までには相当の年月がかかるであろうと思わせる光景だ。

 そんな鮎川から御番所山の展望台まで行き、目の前の海に横たわる金華山を眺めた。鮎川港から金華山への観光船は停ったままだ。

 鮎川から牡鹿半島西岸の県道2号で石巻へ。夜の石巻の中心街をひとまわりしたが、以前と比べると町ははるかに暗い。

 石巻からは国道45号を走り、20時、松島の「松島センチュリーホテル」に到着。まずは大浴場にどっぷりつかる。無色透明の肌にまとわりつくような松島温泉の湯。ツルツル湯だ。

 湯から上がったところでスズキ二輪のMさんと落ち合い、ホテル内の居酒屋に直行。生ビールで乾杯だ。そのあと牛タンや刺身、焼きイカなどを肴にして飲むほどに、中国談義に花を咲かせた。

 スズキの125ccスクーター、アドレスV125Gを走らせての「広州→上海」(2008年)の中国ツーリングには、Mさんが同行してくれた。そのときの中国談義で盛上がったのだ。松島の宿で振り返る「広州→上海」は何ともなつかしいものだった。

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女川の町跡

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瓦礫の撤去された鮎川

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鮎川で見る夕日

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石巻の中心街

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松島センチュリーホテルに到着

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牛タンをいただきま~す!

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2011年5月18日の鮎川

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(33)

 大船渡を出発し、国道45号を南へ。

 通岡峠を越えて陸前高田市に入り、高田の被災地を走り抜けていく。大津波に直撃されて全壊した道の駅「高田松原」が、再びオープンする日を願うばかりだ。

 それにしてもすごいのは、国道をはさんで道の駅と反対側のセルフのガソリンスタンド「おかもと」が、営業を再開したことだ。さぞかしその道のりは、大変なことの連続であっただろう。

 3月3日のオープンだという。そこには「がんばろう! 陸前高田」と大きく書かれている。「がんばれ、陸前高田のおかもと!」

 宮城県に入ると、唐桑半島突端の御崎まで行ってみる。

 御崎には御崎神社が祭られ、そこから先は遊歩道になっている。タブやツバキなどの照葉樹林がうっそうとおい茂り、岬突端への小道は昼でも暗い。黒潮の影響で、このあたりまで暖地性の照葉樹林が延びている。小道のわきには苔むした鯨塚。この一帯ではかつては、供養塔を立てるほど鯨を捕っていた。

 御崎の突端には黒色粘板岩の岩場が幅30メートル、長さ100メートルにわたって海に突き出ている。「八艘曳」と呼ばれる岩場で、御崎神社の祭神が8艘の船を従えてこの岩に上陸したという。まさに「御崎」なのである。

 国道45号に戻ると、バイパスで気仙沼を素通りし、南三陸町に入っていく。ここでは往路で入れなかった志津川のバス・ラーメン店「蔵八ラーメン亭」に寄り、「広東麺&餃子」(1150円)を食べた。ちょっとした旅行気分で食べることができた。

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陸前高田の国道45号を行く

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陸前高田の国道45号沿いのホテル

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御崎の御崎神社

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御崎突端の岩場

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志津川の国道45号

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志津川の「蔵八ラーメン亭」

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

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