「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(50)

 7月15日5時起床。蒲庭温泉「蒲庭館」の朝湯に入り、朝食を食べ、7時30分に出発。スズキの650ccバイク、V-ストロームを走らせ、相馬市の中心、中村の町並みに入っていく。

 中村は相馬氏の城下町。明治維新後は原町(現南相馬市)に押されっぱなしで、その状況は現在もつづいている。中村と原町の対抗意識は相当なもの。この対抗意識が「相馬野馬追」をひときわ盛り上げているのかもしれない。

 中村の中村城址にある中村神社を参拝。これで小高の小高神社、原町の太田神社、中村の中村神社と、相馬野馬追の3社、すべてをめぐったことになる。相馬地方の一大イベント、相馬野馬追は毎年7月28日からの3日間、3社合同でおこなわれる。それに合わせて相馬には、またやって来るつもりだ。

 中村から県道38号で松川浦へ。松川浦といえば松をのせた小島が点在する潟湖で浜通り屈指の観光地だった。ここで海鮮料理を食べるのは浜通りツーリングの定番のようなもの。そんな松川浦も大津波の甚大な被害を受けた。

 大震災2ヵ月後に松川浦に入ったときは、あまりの惨状に目を覆った。漁船が陸に乗り上げて散乱していた。足の踏み場もないようなすさまじさで、陸上に散乱した漁船を撤去するだけでも大変なことのように思われた。

 しかし松川浦の復興は早かった。行くたびに乗り上げ船の数は減り、今ではもう1隻も見られない。瓦礫もすっかり撤去され、新しい家々が建ちはじめている。営業を再開した旅館や食堂を何軒も見る。「がんばっぺ、松川浦!」を合言葉に、松川浦のみなさんが一丸となって復興に立ち向かっている様子が伝わってくる。

 松川浦からさらに県道38号で浜通り最北の新地へ。大津波に襲われた海沿いの町並みは全滅。現在、瓦礫はすでにきれいに取り除かれているが、家々の土台だけが残った町跡に夏草が生い茂っている。それは胸に突き刺さ刺さってくるような光景だ。

 県道38号をさらに北上すると落下した橋で行止まりになる。宮城県境が目の前。ここで折り返し、国道6号で宮城県に入った。

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蒲庭温泉「蒲庭館」の朝食

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相馬の町

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中村神社を参拝

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松川浦の漁港

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夏草が茂る新地の町跡

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国道6号で宮城県に入る

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(49)

 南相馬市は4月16日に東電福島第1原発20キロ圏の規制線の変更により、ほぼ市内の全域に行けるようになった。そこで阿武隈山地の山麓を走る県道34号と旧陸前浜街道の県道120号、浜通りの幹線の国道6号、海沿いの県道255号と4本のルートで南相馬市と浪江町の市町境まで行った。国道6号は警察車両が道路を封鎖していたが、それ以外の3ルートはゲートのみだ。

 県道34号の浪江町側は広々とした吉沢牧場。『ツーリングマップル』にも出ているような広い牧場。その封鎖地点には「希望の牛達を生かして!」とか「殺処分反対!」とか「東電・国は大損害をつぐなえ!」などと大書きされた看板が立っている。それら1枚1枚の看板が胸に突き刺さってくる。みなさん、どれだけ辛い思いをしていることか…。

 ところで4月16日の東電福島第1原発20キロ圏の規制線変更は、相馬地方のみなさんにとってはすごくうれしいことだった。

 というのは相馬人の心の原点といってもいい「相馬野馬追」は、相馬市の中村神社と南相馬市の太田神社、それと小高神社の3社の祭りだからだ。昨年もあの未曾有の大災害のあと、相馬野馬追は開催された。しかし旧小高町の小高神社は立入禁止地域で、昨年の相馬野馬追は規模を縮小し、片肺で開催されたのだ。

 浪江町境まで通行可能になった国道6号で、その旧小高町に入っていく。小高神社は健在。しかし小高の町に人影はまったくなかった。大津波にやられた訳でもなく、大地震でつぶされた家が何軒かはあったが、、町民全員が避難したので無人の町になってしまった。3・11当時のままの町並みが、そっくりそのまま残っていた。

 旧小高町の小高神社、旧原町市の太田神社の2社を参拝し、海沿いの県道74号を行く。南相馬市から相馬市に入ったところにある蒲庭温泉の一軒宿「蒲庭館」に泊まった。カソリの浜通りツーリングには欠かせない蒲庭温泉にはいままで何度も泊まっている。東日本大震災の2ヵ月後にも、営業を再開して間もない「蒲庭館」に泊まった。

 そのときの若女将の話は忘れられない。

「高台にある学校での謝恩会の最中に、巨大な黒い壁となって押し寄せてくる大津波を見たんですよ。大津波は堤防を壊し、あっというまに田畑を飲み込み、家々を飲み込みました。多くの人たちが逃げ遅れ、大勢の犠牲者を出てしまいました。この磯部地区だけで250人以上の人たちが亡くなりました。大津波警報が出たのは知ってましたが、どうせ4、50センチぐらいだろうと思ってましたね。まさかあんな大きな津波が来るなんて…」

「蒲庭館」には今年の3月11日、東日本大震災の1年後にも泊まった。そのときの若女将の話も心に残った。

「被災したみなさんは1年たってもまだ現実を受け入れられないのです。悪夢を見ているのではないか、朝、目をさませば、また元通りの村の風景、元の家、元の生活が戻ってるのではないかって思っているのです。一瞬にしてあまりにも多くの人命とか財産を失くしてしまいましたからねぇ…」

「蒲庭館」の湯に入り、湯上りのビールをキューッと飲み干したところで夕食。部屋食だ。若女将は地酒の1合瓶を1本つけてくれた。

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南相馬の国道6号を南下

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太田神社の参道

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太田神社を参拝

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小高神社を参拝

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県道255号で浪江町境まで行く

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南相馬の破壊されたままの堤防

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蒲庭温泉「蒲庭館」に到着

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「蒲庭館」の温泉に入る

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「蒲庭館」の夕食

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(48)

 福島県太平洋側の浜通りは、東京電力福島第1原子力発電者の爆発事故によって、完全に南北に分断されてしまった。

 国道6号の広野町と楢葉町の町境からいわき市の四倉に戻ると、迂回路で浜通りの南部から浜通りの北部に向かっていく。その迂回路というのは阿武隈山地を南北に縦貫する国道399号だ。

 四倉から県道41号経由で国道399号に入ると、スズキの650ccバイク、V-ストロームを走らせ北へ。交通量はきわめて少ない。最初のうちは2車線の道だが、内倉湿原のある内倉を過ぎると1車線の狭い道になる。所々は2車線区間もある広狭混在の道。そして狭路の峠を越えて川内村に入る。峠を下ったところからは2車線の道になる。

 国道399号の「いわき市→川内村」の区間が改良されれば国道6号の迂回路になるのだが、この道を迂回路として使う車はほとんどない。距離はずいぶんと遠くなるが、国道399号の西側の国道349号が迂回路として使われているのが現状だ。

 川内村には村役場が戻り、村人たちが戻り始めているので、人々の生活の匂いがした。荒れ果てた田畑も少しづつだが耕されている。それでもまだ国道沿いで開いている店はほとんどない。戻ったみなさんの生活の不便さが容易に想像できた。

 川内村からは田村市、葛尾村、浪江町と通って飯舘村に入る。これら阿武隈山地の市町村の境はすべてが峠。川内村と田村市の境は名無しの峠、田村市と葛尾村の境は掛札峠、葛尾村と浪江町の境は登館峠、浪江町と飯舘村の町村境はいちづく坂峠だ。

 いちづく坂峠をはさんだ浪江町側の津島、飯舘村側の長泥はともに高濃度の放射能汚染地区。この日は7月14日でまだ通れたが、その3日後の7月17日には長泥地区は地区全体が封鎖され、国道399号もいちづく坂で通行止めになることが決まっていた。東電福島第1原発の爆発事故の影響は底なしだ。

 いちづく坂峠から下った長泥では住民の姿は消えていた。白い防護服を着て防毒マスクをした作業員たちが、グループになって除染作業をしていた。

 この日の長泥の放射線量は表示されていなかったが、浪江町側の赤宇木の線量は27・0マイクロシーベルトという桁はずれの数値。長泥もおそらく10を超える2桁の数値であろう。東日本大震災から1年後の3・11に通ったときは赤宇木が40で長泥が12で、桁外れの放射線量の高さだった。

 長泥から飯舘村の村役場へ。

 村役場前の線量計は小数点以下のほとんど問題ない数値まで下がっていた。村役場周辺でも白い防護服を着た作業員たちが放射能の除染作業をしていた。赤字で書かれた「除染作業中」の看板をあちこちで見た。

 飯舘村で阿武隈山地を東西に横断する県道12号に入る。

 県都福島と浜通りの浪江を結ぶ国道114号は国道399号と交差する津島より東が通行止めになっているので、県道12号は今や福島と浜通りの北部を結ぶ一番の幹線になっている。そのため交通量は大幅に増加し、大型トラックが列を成して走っている。

 県道12号の八木沢峠を越えて南相馬市に入る。浜通りの南部から大きく迂回して浜通りの北部に入ったのだ。

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JR常磐線の四倉駅前を出発

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国道399号を北上

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国道399号のいわき市・川内村境の峠

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放射線量のきわめて高い浪江町の津島

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赤宇木のこの日の放射線量は27・0マイクロシーベルトという桁外れの高さ

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いちづく坂峠を越えて飯舘村に入る

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封鎖される3日前の飯舘村の長泥

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飯舘村の村役場

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県道12号の八木沢峠

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク


「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(47)

 7月14日5時、いわき市の白米温泉「つるの湯」での目覚め。すぐさまトイレで出すものを出す。カソリにとって便秘はまったく無縁なもの。朝目覚めると、機械のように正確に出る。これは我が特技だ。

「(ツーリングの日々は日常とは時間が変るので)便秘になってしまうのですよ…」
 といった話をライダーのみなさんからよく聞くが、「朝起きたらすぐに出す」を体に覚えこませてしまうと、便秘にはならないものだ。

 ツーリング、とくにロングツーリングでは「食う寝る出す」が一番の基本だと思っている。どんなものでもおいしく食べられ、どんなところでもすぐに寝られ、そして出す。

「出すこと」は「食べること」以上に大事なこと。バイクでもマフラーがつまり、排気が十分にできなくなると、とたんに調子が悪くなる。人間の体も同じことなのだ。

 さて快便のあとは朝湯に入り、湯から上がると小雨の降る中、宿の周辺をプラプラ歩く。青々とした水田の風景が目にしみる。目の前のゆるやかに連なる山並みは茨城県側になる。

 7時、宿の朝食を食べる。アジの干物、目玉焼き、サラダ、山菜の天ぷら、海苔…をおかずに3杯飯を食べる。「朝食の3杯飯」、これもカソリ流。東北に入るとご飯がおいしくなるので、何ともうれしい朝食だ。

 宿の女将さんにお礼をいって、白米温泉「つるの湯」を出発。いったん常磐道のいわき勿来ICに戻り、勿来漁港まで行き、漁港の岸壁にスズキの650ccバイク、V-ストロームを停める。目の前に見えるのが東北太平洋岸最南端の鵜ノ子岬。海に落ち込む岩山の南側は茨城県の平潟漁港になる。

「さー、行くぞ!」
 と、V-ストロームにひと声かけて鵜ノ子岬を走り出す。

 国道6号経由でまずは小名浜漁港へ。岸壁には大型漁船が接岸しているが、再開された魚市場にはまったく活気が見られない。それが寂しい。風評被害で小名浜漁港に水揚げされる魚は売れないからだ。震災以前のような活気が戻るのはいつの日のことになるのか。

 小名浜からは三崎、竜ヶ崎、合磯岬、塩屋崎と岬をめぐる。岬と漁港は切っても切れない関係にあるが、竜ヶ崎の中之作漁港、合磯岬の江名漁港、塩屋崎の豊間漁港は復興には程遠い現状。大地震、大津波の被害と東京電力福島第1原発の爆発事故による風評被害のダブルパンチ、トリプルパンチを受けた浜通りの現状はあまりにも無惨だ。

 塩屋崎の奇跡のポイント、美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑の前でV-ストロームを停め、自販機の缶コーヒーを飲みながら、歌碑に彫り刻まれた歌詞を見る。

  春は二重に巻いた帯
  三重に巻いても余る秋
  暗らや涯なや塩屋の岬
  見えぬ心を照らしておくれ
  ひとりぽっちにしないでおくれ

「みだれ髪」が胸にしみる。「暗らや涯なや塩屋の岬 見えぬ心を照らしておきれ ひとりぽっちにしないでおくれ」の箇所には激しく心を揺り動かされてしまう。まるで今回の大津波を予測しているかのような歌詞ではないか。

 美空ひばり人気と大津波にも残った歌碑ということで、ここは以前にも増して訪れる人が多い。缶コーヒーを飲んでいる間にも、次々とマイクロバスや車がやってくる。残念なのは高さ50メートルの台地上に立つ塩屋崎の灯台には、いまだに登れないことだ。相当、大きな被害が出たのだろう。

 塩屋崎の南側の豊間と北側の薄磯はいわき市内でも最も大きな被害を出したところ。瓦礫の大半は撤去されてはいるが、全滅した集落の高台移転は難航しているようで復興の兆しはまったく見られない。

 塩屋崎から舞子浜の松林を走り抜け四倉へ。

 四倉からは国道6号を北へと走る。短いトンネルを抜け、波立海岸でV-ストロームを止める。ここも奇跡のポイント。カソリおすすめの「焼きハマグリ」の波立食堂は大津波に押しつぶされ、今は更地になっている。ところが国道の山側にある波立薬師は無傷で残った。さらに驚かされてしまうのは弁天島の岩礁に立つ赤い鳥居が残ったことだ。

 国道6号のその先の久之浜も奇跡のポイント。大津波に襲われた海岸一帯の町並みは全滅したが、その中にあって秋葉神社の鳥居と祠は残った。

 久之浜は大地震、大津波のあと、それに追い討ちをかけるように津波火災の大火にも見舞われた。その大火も秋葉神社のすぐそばで止まったという。「なぜ?」、「どうして?」と思わず声が出てしまう。秋葉神社は「火伏せの神」としてよく知られているが、まるでそれを証明するかのような久之浜の秋葉神社だ。

 塩屋崎の美空ひばりの「みだれ髪」歌碑、波立海岸の波立薬師と弁天島の鳥居、大地震、大津波、津波大火にも耐えて残った久之浜の秋葉神社は、浜通りの「三大奇跡のスポット」といっていい。

 久之浜からさらに国道6号を北上。いわき市から広野町に入り、楢葉町との境まで行く。町境が東電福島第1原発爆発事故による20キロ圏の規制線。警察車両が車を1台づつ止め、厳しく検問している。そこから先は一般車両の立入禁止区域になっている。

 広野・楢葉町境の規制線でUターンし、いわき市の四倉まで戻った。福島県の太平洋側の「浜通り」は、東電福島第1原発の爆発事故によって完全に分断されてしまっている。 それにしても国道6号という日本の幹線道路が、これだけ長い期間(2年4ヵ月)、通行止というのは前代未聞の話だ。

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鵜ノ子岬の勿来漁港

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復興にはほど遠い小名浜漁港

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閑散とした中之作漁港

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塩屋崎の美空ひばりの歌碑

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薄磯の被災地

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薄磯に咲くヒマワリ

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苦難の果て、Kindle版『アフリカよ』販売開始!!!

(管理人より)

寝ても覚めてもアフリカ。その数週間が、ようやく一段落です。
縦書レイアウト、ようやくVer12データを入れて、最後はカミさんのアカウントで購入してもらい、実機で確認できました。はぁああああ~~~~。

2013/04/24 22:00時点をもちまして、正式リリースとさせていただきます(まだ商品文面は挙動確認中と出てしまっているのですが・・・orz)。

今月末までは200円(最低設定価格)、ぜひぜひよろしくお願い申し上げます。また、旅好き、バイク好きの方にも何卒ご吹聴ください!!! どうか、最低でもシェアしてくださいね!

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http://www.amazon.co.jp/アフリカよ-1968-69-電子書籍新版-ebook/dp/B00CH33NW0/

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※なお、昨夜ご購入の方は、第2章から唐突に横書きのままと思います。
ご迷惑をお掛けしてしまい本当に申し訳ございません。

Kindleサポート経由で新しいバージョンをダウンロードできるよう、申請を出してまいりますので、いましばらくお待ちいただけますと幸いです。よろしくお願い申し上げます。

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Kindle『アフリカよ』購入された方へ(※現時点1名様)

サンプルではちゃんと縦書になり、ようやく右とじ形式にもできたので(バージョン10です!)、これでヤレヤレと思って自分で購入して確認したところ、第2章から後が全部横書き! しかも右とじ形式は存続なのでメッチャ変!!

・・・本当に申し訳ございません。

購入された現時点で1名様、もしこのブログをご覧になっているようでしたら、なるべく早く修正版を上げるようにしますので(しかし、ひょっとしたらAmazon Kindle特有の問題かもしれず、その場合はお手上げですけれど)、3~4日したらいったんコンテンツを機体から削除、改めて「クラウド」(過去に購入したコンテンツはある種の「権利」として、何回もダウンロードできます。というか、できるはずです←もう何にも信じられないワタクシ・・・ここ数週間こんなのと格闘してボロボロ)。

いましばらくお待ちください。

この度はご迷惑をお掛けしており誠に申し訳ございません。

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(管理人より)「アフリカよ」電子書籍新版、最後のむずかり状態。

(管理人より)
ふたたび恐縮です。

「アフリカよ」の電子書籍新版、最後のむずかり状態でございまして、2013/04/23午前中時点でパブリッシュされたのですが横書き状態で、修正には数日かかるかと思われます。

または、このまま横書きのままいかざるを得ないかもしれません。

いましばらくお待ちくださいませ(気の早い方は、Kindleストアで見つけて、試し読みだけしてくださって結構ですw)。

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(46)

 7月13日18時、「スズキワールド新宿」を出発し、「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」の第2弾目を開始する。スズキの650㏄バイク、V-ストロームに乗って一路、北へ。 山手通りを走り、首都高に入る。

 胸が高鳴ってくる。
「東北よ、待ってろよ!」
 と、V-ストロームに乗りながら叫んでやった。

 首都高から常磐道に入る。
 18時45分、三郷料金所着。

 19時30分、茨城県の友部SA着。ここで夕食。「いか納豆丼」(750円)を食べ、福島県のいわき勿来ICへ。「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」の第2弾目では、3月の「鵜ノ子岬→尻屋崎」のリベンジを果たすのだ。

 あらためていうが、鵜ノ子岬(福島県)は東北太平洋岸最南端の岬、尻屋崎(青森県)は東北太平洋岸最北端の岬になる。

 3月の東北はまだ冬同然の寒さだった。岩手県の宮古を過ぎると雪との戦いの連続。八戸から下北半島に入っていくと激しい吹雪に見舞われ、結局、尻屋崎まであと100キロという地点で断念し、東京に戻ったのだった。

 3月のV-ストロームはオレンジ色、今回のV-ストロームはホワイトだ。

 パワフルなエンジン、ゆったりとした乗り心地、自然体で乗れる楽なライディング・ポジション…と、V-ストロームはロングツーリングには絶好のバイクだ。

 ところで2012年の新年は、V-ストロームでニュージーランド南島を2200キロ走った。これは東京の旅行社「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」の第16弾目。ニュージーランド南島最大の都市、クライストチャーチを出発点にし、南島の南部周遊コースを走った。

 オアマルの海岸では世界最小のペンギン、ブルー・ペンギンの群れを見、インバーカーギルでは映画「世界最速のインディアン」の舞台を見、ミルフォードサウンドではフィヨルドの湾内のクルージングを楽しんだ。ニュージーランドの最高峰、クック山(3764m)に向かって突っ走るシーンは、強烈に目の底に残った。

 ニュージーランドの一般道の制限速度は100キロ。高速性能抜群のV-ストロームにはピッタリのコース。道は良く、交通量は少なく、快適なワインディングロードがつづくニュージーランドは、我らライダーにとっては夢のような国なのだ。

 この「ニュージーランド南島ツーリング」がカソリとV-ストロームとの宿命的な出会いになった。人生でも旅でも、何事においても、この「縁」が一番大事なことなのだとぼくは思っている。

「ニュージーランド南島ツーリング」にひきつづいて走った東日本大震災1年後の「「鵜ノ子岬→尻屋崎」では、東北を2800キロ走った。

 V-ストロームで走った「ニュージーランド南島ツーリング」と「鵜ノ子岬→尻屋崎」を合わせると5000キロになった。

◇◇◇

 7月13日21時、いわき勿来ICに到着。
 三郷料金所から2時間15分。距離は150キロほどでしかない。いわき勿来ICは福島県内では常磐道最南のインターになるが、東京から驚くほど近い。「東北」というと「遠い」というイメージがあるが、じつはそれほど遠くないのだ。

 いわき勿来ICから5キロほどの白米温泉の一軒宿「つるの湯」へ。友部SAから電話した宿で、快く泊めてもらえた。ここはいままでにも何度か泊まっているので、カソリの常宿といっていい。だいたいは今回と同じように遅い時間の到着なのだが…。

 白米温泉「つるの湯」はいわき勿来ICに近いし、このように遅い時間でも泊めてもらえるので、ぼくにとってはじつにありがたい温泉宿になっている。

 さっそく「つるの湯」のこじんまりとした湯船の温泉につかる。
 その瞬間、常磐道のナイトランの疲れが吹っ飛んでいく。
「う~ん、たまらん!」
 湯から上がると、カンビールで東北に「乾杯!」。
 いよいよ「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」の第2弾目が始まった。

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0665、V-ストロームで「スズキワールド新宿」を出発!

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0668、常磐道の友部SAに到着

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0669、友部SAの「イカ納豆丼」

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0771、白米温泉「つるの湯」

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0672、「つるの湯」の湯に入る

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7258、V-ストロームでの「ニュージーランド南島ツーリング」

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(管理人より予告)

最近、すっかり更新が遅れ、申し訳ございません。
(あんまり原稿の弾薬もなかったんだけど・・・w)

現在、賀曽利隆の名著『アフリカよ』を40年ぶりに新装復刊("電子書籍新版"と仮題をつけていますが、良案がありましたらぜひご教示ください!)すべく、ここ2~3週間レベルで邁進しております。

この後、問題なければ(←現状でいろいろ、あるんですけどねw)近日中(遅くとも4月中)にはAmazon Kindleストアより発売になると思います!

R18シーンもないですし、却下されることは、ないはずですが。

予価300円程度と、破格のスタートを予定しています。
全国のバイク好きのお父さん!
今夜のビールをひと缶ぐっと我慢して、300円をなんとか捻出しておいてくださいね!

スマホ、タブレット、各種Kindle(Fire HDやpaperwhite)、もちろんPC等でも読めます。
身の回りのバイク好き、旅好きの皆様にもぜひご吹聴ください!!

・・・何卒っ!!!!

管理人 拝

===
20130419追記
申し訳ございません、いま見ましたら、昨年年末にAmazonの価格設定およびロイヤリティ率が変更となっており:
https://kdp.amazon.co.jp/self-publishing/help?topicId=A29FL26OKE7R7B

非常に低い許諾料率になっております(電子化方式が異なるとはいえイーブック版がすでに出ているため、Kindleセレクトを選択できず)。
文筆業も編集業も、メガサイトの手の上で転がされる末端であるとよく分かる図式ですが・・・。

ということで、予価は変更の公算、大となります。
誠に申し訳ございません。

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日本食べある記(25)横浜の中華料理

(『市政』1995年12月号 所収)

中華街を歩く
 横浜の中華街(チャイナタウン)は、神戸、長崎とともに“日本の三大中華街”といわれる。その中でも、現在、一番活況を呈しているのが横浜の中華街だ。

 中華街の食べ歩きをしようと横浜に行き、JR根岸線の関内駅で下車し、北門の玄武門から中華街に入った。南門の朱雀門に対しての玄武門で、東門は朝陽門、西門は延平門の名前がついている。

 これら、四方の門に囲まれた一帯が横浜のチャイナタウン。面積は約18万平方キロ。横浜港に面した山下公園とほぼ同じ広さで、その中になんと300軒以上もの中華料理店が軒を連ねている。

 昔は南京町と呼ばれた横浜中華街だが、その歴史は安政6年(1859年)の横浜開港とともにはじまる。外国との貿易で、日本人商人と外国商館の間にたったのが、双方の言葉を理解できる中国人たちであった。

 中国人華僑たちは、その後、この山下町の一角に集まって住むようになり、チャイナタウンが形成されていった。

 横浜のチャイナタウンの町並みが整うのは明治中期以降のことで、百数十店の店舗を数えるに至ったが、そのうち中華料理店は1割にも満たない数だったという。当時の代表的な店は料理店、仕立屋、理髪店で、いずれも包丁、ハサミ、カミソリといった刃物を使う職人的な仕事で、それを称して、“三把刀”といったという。

 中華街で中華料理店の数が増えたのは戦後のことで、現在では500店舗のうち7割以上が中華料理店、並びに食料品店になっている。

 さて、玄武門をくぐり抜け、さらにもうひとつの善鄰門をくぐり抜けると、メインストリートの“中華街大通り”に入っていく。この中華街大通りを縦糸とすると、それと交差する香港通りや市場通りの小路が横糸で、それら縦糸と横糸が織り合わさって横浜の中華街ができあがっている。

 中華街大通りを歩くと、たっぷりと異国情緒を味わえる。そこは我々、日本人のイメージどおりの中国の世界で、屋根の反り上がった、きらびやかな朱塗りの建物の中華料理店が軒を連ねている。

“上海名菜”とか“広東料理”、“台湾料理専門”といった看板が目につく。飲茶の店も多い。中国人は日本人以上に茶を飲むのが好きな民族だが、飲茶というのは好みの種類の茶を飲みながら、茶請けの軽食の点心を食べるもの。点心には、甘い点心と塩味の点心の二系統があり、その種類は豊富だ。香港などでは、朝食には飲茶が一般的だ。

 また、店先で中国式の何段にも積み重ねた円形の蒸籠で、肉まんやあんまんなどの饅頭を蒸している光景もよく目にする。これは小麦を粉にし、饅頭や麺にする、いわゆる粉食圏の中国北部のものだ。

 横丁に入ったところにある小さな店の前に、長い行列ができている光景も中華街ではよく見かける。並んでも食べてみたい人気の店なのだ。

 月餅などの中国菓子を売る店や、甘栗を売る店、米粉、フカヒレ、ナマコ、クラゲなどの乾燥材料、紹興酒、茅台酒などの中国酒、烏龍茶、ジャスミン茶などの中国茶を売る食料品店も目につく。アヒル専門の店、焼き豚や豚足、豚耳、腸づめなど豚専門の店といった肉店もある。

 手軽に異国情緒を味わえるということで、大勢の日本人観光客の押し寄せる中華街だが、カメラを手にした中国人観光客も多く見受けられる。

 ちょうど日本人観光客がアメリカ・ロサンゼルスのリトルトーキョーや、ブラジル・サンパウロのリベルダーデの日本人街をなつかしさのこもった目で見てまわるのと同じで、中国人観光客も横浜の中華街を歩くことによって、一時代前の中国を感じ取っているようだ。北京や上海を歩いても、横浜の中華街のような風景に出会うことはない。今の中国国内には、このような町並みはないのだ。

 中華街大通りの一本西側の通りには、関帝廟がまつられている。

 関帝廟というのは、三国志の武将、関羽をまつるもの。関羽を関聖天として神格化し、家内安全、商売繁盛の神になっている。華僑社会の精神面でのシンボル的な存在で、神戸や長崎にもあるし、そのほか函館や沖縄にもある。

 関帝廟に隣り合って、横浜華僑総会の建物があり、中国人学校の横浜中華学院がある。まさに中華街の中心地といっていいようなところだ。

 その近くには、広東会館がある。同郷意識の強い華僑だが、そのほか福建会館や台湾会館などの同郷会館が横浜にはある。

 中華街の一角にある公園は、その昔の、大清理事府(領事館に相当する)の跡地とのことだが、そこで遊ぶ子供たちは日本語混じりの中国語を話していた。子供たちの元気な中国語の声を聞いていると、中国のどこかの町の一角に自分がいるかのような錯覚を覚えるのだった。


中華街の食べ歩き
 中華街をひととおり歩きまわったところで、食べ歩きの開始だ。

 まず、“粥”の看板を掲げた店に入る。中国人は、朝食に好んで粥を食べる習慣があるので、それにならっての粥なのである。

 店のメニューを見て驚いてしまったのだが、なんと、次のような12種類もの粥がある。

 ①魚丸粥(魚団子の粥)
 ②肉丸粥(豚肉団子の粥)
 ③三鮮粥(イカ、エビ、貝柱の粥)
 ④鮮貝粥(生貝柱の粥)
 ⑤蝦仁粥(エビの粥)
 ⑥鮑魚粥(アワビの粥)
 ⑦牛肚粥(牛モツの粥)
 ⑧猪肝粥(豚のレバーの粥)
 ⑨及第粥(五目肉の粥)
 ⑩皮蛋粥(ピータンの粥)
 ⑪青菜粥(野菜の粥)
 ⑫鶏蛋粥(たまごの粥)

 このうち、五目肉というのは、レバー、モツの肉団子のことで、ピータンというのは、アヒルのたまごを殻のまま灰汁に漬けたものである。

 値段は鮮貝粥と鮑魚粥が一番高く、1100円だったが、それ以外は500円ほどといったところである。

「すごいなあ!」
 と感動してしまうのは、粥ひとつをとってもこれだけの種類があること。中国人の食に対する貪欲なまでの執念を見せつけている。さまざまな食材を料理の中に取り込んでいるのがよくわかる。

 それら12種の粥の中から、どれにしようかさんざん迷ったが、私は蝦仁粥を注文した。これが大正解で、美味なものだった。

 とろっとした白飯の粥の中に、何びきかの小エビが入っている。粥自体にはとくに味つけはしていない。淡白な味わいだ。

 粥の上には、刻んだネギと輪切りにした油條、それと香菜の葉がのせてある。

 油條というのは、小麦粉をこねて発酵させ、それをひも状に延ばし、油で揚げたもの。香菜は独特の香りのするセリ科の一年草で、コエンドロ(コリアンダー)のこと。香菜の若菜は、中国料理には欠かせないアクセントになっている。また、その果実は香辛料として使われたり、健胃薬の原料になっている。

 粥を食べ終わったところで、プラプラ歩きながらの、ほんとうの食べ歩きを開始する。 最初は、粥にも入っていた油條である。揚げたてのを一本買い、歩きながら食べる。中国でも、同じようなことをしたなと、なつかしく思い出す。中国人は朝食で露店の油條を食べることが多い。歩道にテーブルを出し、そのわきで揚げている。

 次に、ゴマ揚げ団子である。黒あんを白玉団子で包み、ゴマをまぶして揚げたものだが、こってりとした黒あんの味が印象的。日本人の舌に合うようで、あちこちの店先でゴマ揚げ団子を売っているし、また、それを買う人は多い。ゴマ揚げドーナツもある。

 次に、肉マンとあんマンである。店先の蒸籠で湯気を立ち昇らせながら、蒸しているのをひとつづつ買って食べたが、ビッグサイズで、フーフーいいながらやっと食べきるほどのボリュームだ。

 饅頭というのは、中国北部では、麺と並んで主食となる食べ物だが、蒸し上げた饅頭のなかには何も入っていないものが多い。パンのような食べ方で、おかずと一緒に食べる。 肉マンのように具の入っているものは包子といっているが、中に入る肉の違いによって牛肉包子とか羊肉包子、猪肉(豚肉)包子などの種類がある。

 最後はチマキだ。笹の葉に包み、三角形に巻き上げて蒸した格好は日本のチマキに似ているが、味はまるで違う。日本のチマキのような淡白な味ではなく、ギトッと、油ぎっている。中には豚の脂身がはいっている。

 肉マン、あんマンがボリュームたっぷりだったので、チマキを食べ終わるころには、うごくのが苦しいほどの満腹感を感じるのだった。

 腹ごなしに横浜港に面した山下公園を歩き、日が暮れると中華街に戻った。

 食べおさめは、コースの夕食。一人でも食べられる広東料理店に入った。そのメニューは皮蛋豆腐(冷しピータンと豆腐)、油淋鶏(揚げた鶏の香味ソースかけ)、春巻、焼売、葱油麺(ねぎそば)、それとデザートの杏仁豆腐だ。

 こうして中華街を食べ歩くと、中国を味わうのと同時に、これが海外に向けて開けた横浜の味なのだと、強く実感するのだった。

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日本食べある記(24)輪島のいしる汁

(『市政』1995年11月号 所収)

輪島の朝市
 輪島を出発点にして、バイクで秋の能登半島を一周した。

 輪島では早朝の町を歩き、漁港に行った。ちょうど、水揚げされた魚のセリがおこなわれていて、漁港はにぎわっていた。

 セリが終わるころになると、海女さんたちは船に乗って出かけていく。沖合の七ッ島周辺で潜るという。

 輪島には海士町という町名があるくらいで、昔から海女(海士)漁が盛んだった。

 七ッ島のさらに北の舳倉島は夏の間、海士町の海女たちが季節的に移住し、海女漁をする島として知られている。

 海女さんとは別な女性の一団は朝市に、行商にと、手押しのリアカーに魚を積んで出かけていく。輪島の女性たちは働き者だ。

 次に有名な輪島の朝市を見に行く。
「買うてくれやー」
 と、オバサンたちの元気な声が飛び交う輪島の朝市は、八時から正午ぐらいまで、目抜き通りの本町通り
で開かれる。

 200あまりの露店が並び、新鮮な魚介類のみならず、野菜類や果物、菓子、雑貨類などを売っている。買い物客は、地元の人のほかに、観光客も多く見られた。

 輪島の朝市で私の目を引きつけたのは、ビンに入って売られている「いしる」だ。

 いしるというのは、イワシやイカなどを原料のしてつくる魚醤油のことで、おそらく「魚汁」からきた言葉であろう。輪島を中心とした奥能登特有の調味料で、場所によっては、いしりともいっている。

能登半島一周
 輪島の朝市を見てまわったあとは、いよいよ「能登半島一周」に出発。バイクを走らせ、時計まわりに半島を一周する。

 まずは外海の外浦海岸に面している“奥能登の千枚田”を見る。奥能登の山々が海に落ち込むあたりの斜面を切り開いてつくった千枚田。一枚一枚の田は、猫の額ほどの広さしかなく、それが段々になって海に落ちていく。

 その風景は日本人の米づくりへの執念を見せつけているし、また日本人の勤勉さを物語るものでもあった。

 奥能登はちょうど稲の刈り入れの季節。丸太を立て、孟宗竹を渡してつくった稲架に、刈り取った稲を掛けて干していた。高い稲架になると、12段になるものもあった。

 上時国家、下時国家の両豪農の家を見、断崖が海に落ち込む曽々木海岸を見、揚浜塩田を見ていく。

 日本海を左手に眺めながら走り、能登半島最先端の禄剛崎に到着。岬への道を歩いていく。柿の実が色づきはじめ、コスモスの花が咲いていた。

 禄剛崎には「日本列島、ここが中心」の碑が建っている。たしかに禄剛崎を中心に円を描くと、日本本土最北端の宗谷岬と日本本土最南端の佐多岬が円周上にくる。

 この「日本のヘソの地」碑だが、ほかにも長野県の松本市や辰野町、群馬県の渋川市、岐阜県の関市や美並村、兵庫県の西脇市などでも見たことがある。

 禄剛崎を過ぎると、能登半島も大きく変わる。

 外海の外浦海岸に沿った道から、内海の内浦海岸に沿った道になる。外浦海岸は波の荒い日本海の海だが、内浦海岸になると波静かな海で、海面にはさざ波ひとつない。まるで湖。外海から内海へと鮮やかな変化だ。

 珠洲市の中心、飯田の町並みを通り抜け、軍艦島の見附島を見、宇出津漁港ではイカを原料にして「いしる」をつくっている工場を見学した。

いしる汁を食べる
 輪島に戻ると料理屋で「いしる汁」を食べた。

 土鍋の煮たったいしるの中に、薄切りにしたナスと千切りダイコン、それとネギを入れて食べるというシンプルなものだが、これがすこぶるうまかった。

 ナスやダイコンにしみこんだいしるの味は、何か、特別の隠し味でも使っているかのようで、独特のうまみをかもしだしている。

 ここではそのほか、タコボウシとシシッポ、コブクを食べた。

 タコボウシというのはタコの頭で、アワビに似た味。シシッポは白身の魚で、淡白な脂分の上品な味わい。骨酒にもするという。コブクは唐揚げで食べた。輪島の海の幸に大満足だ。

 さて、いしるである。

 輪島でいしる汁を食べながら、思わず秋田のしょっつるの味がよみがえったが、輪島のいしるも秋田のしょっつるも、日本に残された数すくない魚醤油なのである。

 魚醤油というのは、魚を塩漬けにし、重しをかけて長期間、漬け込み、できた汁を漉し取ったもの。魚のたんぱく質が、魚の内臓にある酵素の働きによって分解されてできたものである。

 かつては日本の沿岸各地で魚醤油をつくっていたが、醤油に押され、次々に消えていった。最後まで残ったのが奥能登のいしると秋田のしょっつる。「食」の文化財といってもいいようなものだ。

 奥能登のいしるも輪島で2軒、珠洲で1軒、それと宇出津で1軒でつくられているだけだという。いしるができあがるまでには長い日数がかかり、イワシの場合で約半年、イカだと肉が固い分だけ発酵がおそくなり、1年近くもかかるという。

 その仕込みの開始の時期は、とくには決まっていないとのことだが、発酵がより早く進む夏を間にはさむという。

 いしるは煮もののほかにも、漬ものにも使われる。ナスやダイコンをいしるに漬けて一夜漬けにしたり、イカやフグなどの魚肉を漬けたりする。奥能登の人たちにとっては、いしるは欠くことのできない調味料になっている。

 ところで私は1992年から翌93年にかけて、バイクでインドシナを一周した。

 タイ、ラオス、ベトナム、カンボジアの4ヵ国をまわったのだが、それらインドシナの4ヵ国でつかわれている調味料はいしると同じ魚醤油だ。

 タイではそれをタイ語でナムプラーという。ナムが水を意味し、プラーが魚を意味する。いしるが魚汁からきているのではないかといったが、秋田のしょっつるも塩魚汁からきており、タイのナムプラーも、やはり同様に魚汁の意味なのである。

 ラオスではラオス語でナムパーといい、ベトナムではベトナム語でニョクマムといい、カンボジアではクメール語でトゥクトレーといっている。

 インドシナを旅すると、一目でわかることだが、この魚醤油抜きの食生活は、まったく考えられない。

 たとえばラオスである。海からはるかに遠い山岳地帯に住む山地民族の調味料も魚醤油のナムパーである。

 普通の家庭での食事というと、日本でいえば強飯になるが、もち米を蒸かしたカオニオに青菜の汁、それと塩漬けにした豚肉といった食事が一般的である。それに、調味料のナムパーがつく。

 ナムパーの中に、チョンチョンと刻んだトウガラシがはいっていることが多い。慣れるとご飯のカオニオに、このトウガラシ入りの魚醤油をつけただけでも、十分においしく食べられる。

 日本はインドシナを中心とした魚醤油の食文化圏の東端に位置している。その残り火が、奥能登のいしるや秋田のしょっつるなのである。

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日本食べある記(23)阿蘇の高菜飯と団子汁

(『市政』1995年10月号 所収)

阿蘇の旅の出発点は立野
 バイクで阿蘇をまわった。出発点は立野。阿蘇外輪山をぶち破るようにして流れ出る白川北岸の崖上の集落だ。

 JR豊肥本線が走り、立野駅がある。鉄道は急勾配のために、ここではスイッチバック方式になっている。また、立野駅からは、南阿蘇を通り、阿蘇外輪山の高森峠下の高森まで通じている南阿蘇鉄道が分岐している。

 立野は道路交通の要地でもある。熊本から大分に通じる国道57号が通り、宮崎県の高千穂に通じる国道325号が分岐している。

 ところで、立野に来る前に、肥後の一宮の阿蘇神社に参拝した。阿蘇神社の祭神は日本初代天皇の神武天皇の孫、健磐龍命だが、神社の案内には、

「古い昔のことですが、この阿蘇谷は満々と水をたたえた湖水でありました。阿蘇大神の健磐龍命は湖水の水を切って落とし、美田を開き、農耕の道を教え、国土の開拓に尽くされました」

とある。じつに興味深い阿蘇神社の由来だが、その案内どりに、大昔の阿蘇は、大カルデラ湖の阿蘇湖だったのだろう。その阿蘇の水が、外輪山の一番弱いところを破って流れ出た。その現場が立野なのである。

 阿蘇山は九州中央部の、霧島火山帯北部に位置する二重式火山の総称で、東西18キロ、南北24キロのカルデラは世界最大級のもの。阿蘇五岳といわれる高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳、根子岳の中央火口丘が阿蘇山の本体になっている。

 最高峰は高岳で標高1592メートル。活発な火山活動をつづけているのが中岳で絶えず噴煙を上げている。この中央火口丘の周辺には、地獄温泉とか垂玉温泉、湯ノ谷温泉といった温泉が何湯もある。

 阿蘇カルデラをとり囲む外輪山は、高低差が400メートル前後もあって岩屏風となってそびえている。

 阿蘇カルデラの北部、北阿蘇の谷は阿蘇谷と呼ばれ、黒川が流れている。南阿蘇の谷は南郷谷と呼ばれ、白川が流れている。黒川と白川は立野で合流し、白川となって熊本へと流れ下っていく。これがおおまかな阿蘇の構図だ。

高菜飯と団子汁
 JR豊肥本線の立野駅前では、一緒にオーストラリアをバイクで走った「豪州軍団」の仲間の錦戸陽子さんと落ち合う。さらに、錦戸さんのバイク仲間の小笠原隆一さんと小林良彰さんもやってくる。みんなでバイクを走らせ、近くの喫茶店「とちのき」に行き、コーヒーを飲みながら話した。

 小笠原さんは熊本市内で「小笠原写真館」という写真館をやっている。オフロードバイクが大好きで、休みというと九州各地の林道を走っている。小林さんは大学生で、すっかりバイクのおもしろさにはまりこみ、これから阿蘇北麓の小国周辺の林道を走りに行くという。

 熊本市内の病院で看護婦さんをしている錦戸さんは、素敵な肥後美人。バイクを乗りこなし、日本各地の山々を登るような強さをも持ち合わせている。

 彼女からは、「肥後モッコス」で知られる肥後の男について聞いた。よくいえば芯が通っていて、意思強固なのだが、悪くいえば頑固ということになるらしい。

 私は阿蘇の温泉めぐりをするつもりだったが、錦戸さんはそれにつき合ってくれるのだ。小笠原さんと小林さんも最初の温泉には同行してくれるという。

 ということで喫茶店「とちのき」のすぐ近くにある栃木温泉「荒牧旅館」の湯に入った。大浴場の湯につかりながら、目の前の、阿蘇の外輪山を眺める気分は最高だ。

 小笠原さんの話によると、阿蘇の中でも天然の樹林に覆われているのは、このあたりの外輪山だけだという。

 栃木温泉の湯から上がったところで、小笠原さんと小林さんは林道を走りに小国へと向かっていった。

 私と錦戸さんは、次の栃木原温泉「いろは館」へ。栃木温泉同様に湯量の豊富な温泉で、広々とした大浴場と露天風呂に入った。

 湯から上がったところで昼食。高菜飯定食を頼む。これがじつによかった。高菜飯のほかに団子汁、辛子蓮根、馬刺しと、熊本の郷土料理がひととおり食べられる定食なのだ。

 高菜飯は軽く塩をふりかけて炒めたご飯に、細かく刻んで油炒めした高菜漬と炒りたまごを混ぜ合わせたもの高菜の産地の阿蘇を代表する郷土料理になっている。

 簡単につくれるということもあって、この地方では欠かすことのできない家庭料理にもなっている。また、高菜飯にするのではなく、炒めた高菜漬をご飯のおかずにしたり、酒の肴にしている。

 高菜は辛子菜の一変種といわれ、野沢菜や壬生菜などに近い種類の菜だ。

 阿蘇を代表する郷土料理の高菜飯に対して、団子汁は熊本を代表する郷土料理といっていい。熊本の人たちはそれを“だごじる”といっている。

 団子汁とはいっても、汁の中に団子が入っているのではない。見た目には、名古屋のきしめんを厚くしたような麺が味噌味の汁の中に入っているが、これはゆであげた麺ではない。粉をこねたままの麺で、シコシコッとした歯ざわりと、小麦粉特有のざらついた舌ざわりがある。小麦粉をこねて団子にし、それをちぎっては汁の中に入れ、またちぎっては汁の中に入れるので、その名があるという。

 錦戸陽子さんは団子汁をつくるのが上手で、以前、食べさせてもらったことがある。きっと、母親ゆずりのつくり方なのだろう。

 彼女にそのつくり方を教えてもらったが、それは次のようなものだった。

 ①小麦粉に水を加え、耳たぶくらいの固さになるまでよくこねる。それを三〇分くらい寝かせておく。
 ②ニンジン、ダイコン、サトイモをいちょう切りにし、ごぼうをささがきに切る。
 ③炒めた豚肉と②の野菜を鍋で煮る。野菜が煮えてきたら、①の団子を手でちぎって入れる。
 ④小ネギをちらしてでき上がり。

 このように団子をちぎっては入れ、ちぎっては入れの、団子汁なのである。

 熊本県の隣、大分県でも、団子汁は熊本に負けず劣らずの郷土料理。だが大分では“ほうちょう汁”とも呼ばれ、アワビの腸を意味する鮑腸汁の字が当てられている。その由来がおもしろいというか、滑稽だ。

「その昔、肥後の殿さまは参勤交代の道中の宿で、アワビの腸を好んで食していた。ところがあるとき、海が荒れてアワビがとれず、困った家来が、小麦粉でこねて細く延ばしたものをゆでてアワビに似せたところからその名がある」

 私はほうちょう汁の語源は、山梨のほうとうや栃木のはっと汁などと同じものだと考えている。

 ところで「ウドン」だが、漢字で書くと「饂飩」になる。ところが、平安時代、もしくはそれ以前に中国から伝わった時点では「○(混の食偏。以下同様)飩」と書かれていた。○飩は小麦粉で皮をつくり、中にあんを入れたものだったという。つまりワンタンだ。日本では「ワンタン」も漢字で書くと「饂飩」になる。

 日本人は「ウドン」と「ワンタン」を取り違えてしまい、ウドンは千何百年もの間、名前と中身の違うまま現在に至っている。

 中国では「○飩屋」に入ってもウドンは食べられない。出てくるのはワンタンだ。「雲呑屋」の看板を掲げた店もあるが、そこでもやはり出てくるのは「ワンタン」。繰り返しになるが、「○飩」というのはワンタンのことなのである。

「○飩」の北京語発音は「フォントン」、上海語発音は「ユントン」、広東語発音は「ワンタン」になる。

 私は大分のほうちょう汁や山梨のほうとう、栃木はっと汁などの言葉がフォントンに由来していると考えている。それはおいて、熊本の団子汁や大分のほうちょう汁、山梨のほうとう、栃木のはっと汁などは、日本のうどんの原形であることに間違いはない。

 熊本名物の辛子蓮根は蓮根の穴に辛子味噌を詰め、衣をつけて油で揚げたもの。その歴史は熊本藩・細川家三第目の忠利の時代にまでさかのぼり、藩主側近の玄宅和尚が病弱な主君のために考案したものだという。

 阿蘇の火山灰が流れ、それが堆積した白川流域の熊本平野は、昔から上質な蓮根の産地として知られている。また蓮根は増血や精力増強の作用が大きいことでも知られている。そこで玄宅和尚は熊本産の蓮根でつくった辛子蓮根を藩主に差し出した。藩主は蓮根の歯ざわりと辛子味噌の刺激と味の調和がことのほか気にいったという。

 それ以来300年というもの、辛子蓮根は細川家の珍味、栄養食として、門外不出の料理となった。それが明治維新後、一般庶民の間にも広まり、弁当のおかずや酒の肴にと幅広く利用されている。

 馬刺しは信州や甲州、東北でよく知られているが、西日本で馬刺しといったら、熊本だけといってもいいほどだ。霜ふりの刺し身をショウガ醤油につけて食べる味のよさは、熊本ならではのもの。なぜ、熊本で馬刺しなのかよくわからないが、戦前、軍馬の生産が盛んだったことがかなり影響しているようだ。

 高菜飯、団子汁、辛子蓮根、馬刺しと熊本の郷土料理を十分に堪能したあと、阿蘇山上を目指して出発。その途中では、阿蘇中腹の湯ノ谷温泉の露天風呂に入った。

 有料の阿蘇登山道路を登っていったところでは阿蘇を一望する。阿蘇カルデラ内の町や村がよく見える。阿蘇の外輪山を目で追っていくと、その山並みが立野あたりでスパッと切れているのがよくわかった。

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Author: 賀曽利隆
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