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  05 ,2013

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
Administrator:ウザワ・K

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Category: 管理人より

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『アフリカよ』ご紹介いただきました。ありがたし。
つんどく速報:20歳浪人生、アフリカ大陸へ行くことにした『アフリカよ 1968-69』

乗るしかないでしょ、このビッグ・ウェーブに!!

ということで、支援Share(やTweet)をいただけますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

いつか青年カソリの映画がカンヌに出品され、ワタクシもおこぼれでレッドカーペットを歩く気がするんだな。グラマラス女優に手を繋がれてね(妄想)。

テーマ : 管理人からのお知らせ    ジャンル : その他

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Category: 管理人より

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『極限の旅 1971-72』電子書籍版、販売開始!
(管理人より)
いよいよ発売開始となりました。ご吹聴、もしよろしければ支援買いと、何卒、何卒よろしくお願い申し上げます。(まだ「アフリカよ」を読み終わってないって? 積ん読も楽しいですよ~♪w)

カソリ御大からの「電子書籍版あとがき」をもって、宣伝文に代えさせていただきます。



===
『極限の旅』は一九七一年八月から一九七二年九月までの十四ヵ月間に及ぶ「世界一周」を書いたものだが、一番の目的は「サハラ砂漠縦断」だった。

「アフリカ一周」(一九六八年~一九六九年)を終えて日本に帰ったときは、「次はサハラだ!」と心に決めていた。

「アフリカ一周」ではスーダンのカルツームからエジプト国境に近いワジハルファまで、サハラ砂漠東部のヌビア砂漠をバイクで越える計画だった。ところがその自信がなく、バイクともども列車でヌビア砂漠を越えた。

 ヨーロッパから北アフリカのモロッコに戻ったときは、西端のルートでサハラ砂漠を縦断し、西アフリカのダカールまで行くつもりにしていた。しかし、ここでもサハラ砂漠の厚い壁にはね返され、どうしても砂漠に突入することができず、カサブランカからフランス船に乗ってダカールまで行った。

 アフリカを一周したとはいっても、サハラを越えられなかった悔しさがしこりとして残り、「次はサハラだ!」の思いが日に日に強くなっていったのだ。

 当時はバイクでサハラ砂漠を越えた日本人はいなかったこともあって、
「よし、自分がやってやろう!」
という気負いも手伝い、「サハラ砂漠縦断」を一番の目的とした「世界一周計画」をつくり上げた。とはいってもサハラ砂漠のド真ん中でバイクが故障したらどうしよう、道を見失ったらどうしよう…と、不安は尽きなかった。

 何としても自分の手でバイクを修理できるようにしなくてはいけないと、町の修理屋さんで一年間、仕事をさせてもらった。従業員がぼく一人というような店なので、何でもかんでもやらせてもらった。それがどれだけプラスになったことか。

 それと同時に「サハラ砂漠縦断」を想定しての走行訓練もはじめた。砂道を走るためには荷物をギリギリまで削って軽くしなくてはならない。その荷物もバイクにくくりつけるのではなく、ザックに入れて背負った方がいいと考えた。その走行に慣れるためにザックに二〇キロとか三〇キロの石を入れて背負い、遠州灘の砂浜を走ったり、本州中央部の峠道を走った。

 サハラにはこのように強い思い入れがあったので、ナイジェリアのラゴスからアルジェリアのアルジェまでのサハラ砂漠縦断を成しとげると、
「サハラはまだまだこんなものではないぞ」
という気分でさらにヒッチハイクでのサハラ砂漠縦断に旅立った。

 バイクでのサハラ砂漠縦断、ヒッチハイクでのサハラ砂漠縦断、これが本書の核心部になっている。

 あれから四〇年、サハラは一日としてぼくの頭を離れたことはない。一望千里の砂漠の風景がいつも目に浮かぶ。「サハラ命!」のカソリなのである。


二〇一三年五月二十七日



賀曽利 隆


テーマ : 管理人からのお知らせ    ジャンル : その他

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Category: カソリ本「一章瓶」

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『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その2
 日本郵船のカラチ代理店に問い合わせると、長良丸の入港は予定よりもだいぶ遅れ、九月上旬になるという。ガッカリしたが、そうとわかればカラチなどにいることはできない。私にとって、都市ほど無味乾燥なところはないからだ。さっそく地面いっぱいに地図を広げ、あれこれとプランを練る。
 だが、その日の午後突然不幸がやってきた。激しい下痢に襲われたのである。痛みはあまりないのだが、すこしでも水を飲んだり、食べたりすると三十分とはもたない。五日、十日と過ぎてもちっともよくならず、結局二十九日間続いた。その間の毎日は、たまらなく苦しい日々であった。
 バスのターミナル近くにたむろしている闇屋を相手に、ドルをルピーに交換すると、私はカラチを離れた。まずは、タール砂漠が見えるところに行くことにした。
 バスは、スーパー・ハイウェイを一〇〇キロ以上のスピードで突っ走る。かさかさに乾いた荒涼とした原野が矢のように飛び去って行く。
 終点のミルプールカスという町に着いたのは真夜中。夜が明けると、町の人をつかまえては、「あのーすみませんがどこに行ったらタール砂漠を見ることができるでしょうか?」と聞いてまわった。私に聞かれた人たちは、なに馬鹿なことをいってるんだろうと思ったに違いない。しかし、それでも皆、ああだこうだと、熱心に教えてくれる。
 キプロという村でバスを降り、一本道を歩いた。日ざしが強い。綿花畑の道を歩いていると、ありがたいことに、自転車に乗った若い人が後ろに乗せてくれた。
 インダス川から引いた一番東の運河を越えると、景色はいっぺんに変わり、緑はみるみるうちにうすれていく。正面には大きな砂丘があり、その麓にひっそりと部落があった。風紋の美しい砂丘の斜面をかけ登り、一番高いところに上った。ゆるやかに波打つ砂丘がはてしなく続き、地を這うような背の低い木々が、ぽつんぽつんと生えていた。

 私の今回の旅は砂漠が中心であった。このタール砂漠にはじまり、バルチスタン砂漠、西アジアの砂漠、アラビア砂漠、スーダンの砂漠、サハラ砂漠と……。アメリカに渡ってからも、ブラックロック砂漠、グレートソルトレーク砂漠、モハーベ砂漠、ヒラ砂漠、ユマ砂漠と、砂漠ばかりを追った。
 サハラ砂漠のあのとてつもない大きさ、すさまじい勢いで地を這っていく砂の流れ。厳粛な儀式を思わせる日の出、日没。火のように熱く焼けた砂の上を歩き続けた日々、そんなサハラでの思い出がたまらない。
 すべてのものを拒み、あいまいさを絶対に許さない厳しさ、気温の日較差が四十度にもなろうかという砂漠特有の厳しい自然風土に、私は強烈にひかれるものがある。


テーマ : 海外旅行記    ジャンル : 旅行