著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
Administrator:ウザワ・K

電子で復刊!
カテゴリー
Amazon
ブログ内検索 by Google
広告も社会の窓。
最近のコメント
RSSフィード
FC2ブログランキング
このブログが面白いと思ったらたまに(あるいは頻繁に!)クリックしてくださいね(ポチっとな)。それで何が起こるのかは僕も知らんけど…。
カソリお役立ちリンク
管理人推奨リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「南米・アンデス縦断」(8)

「ナスカ→クスコ」間はアンデス山脈の峠越えの連続だ。午前中だけで8峠を越えた。

 日本だと、たとえば奥羽山脈の峠越えではひとつの峠を越えれば、奥州側から羽州側に下っていく。三国山脈でも同じ。三国峠というひとつの峠を越えれば、関東から越後に下っていける。

 ところが何本もの山脈から成るアンデス山脈では、山脈を1本づつ越えていくので、まるで際限のないかのような峠越えになる。これが世界の大山脈というものだ。

 午後一番で越えた第9番目の峠(4330m)の一帯は平坦な高原地帯。その中にはいくつもの湖が見られた。

 峠を下ったところではパンパマルカ川を渡ったが、この川はアマゾン川の支流、パンパ川の上流部になる。

 第10番目の峠は標高3980メートル。このあたりで4000メートルの世界は終わりを告げ、3000メートルの世界になっていく。

 14時50分、ナスカから346キロのチャルワンカに到着。ここで給油。町の標高は2885メートルで空気の濃さを感じた。

 16時50分、ナスカから465キロのアバンカイに到着。ここは標高2280メートルでさらに空気は濃くなった。

 アバンカイを過ぎたところでアプリマック川を渡った。この川がアマゾン川の最長本流(最大本流はクスコの北を流れるウルバンバ川)になる。その源はかぎりなく太平洋に近い。アマゾンという大河は太平洋岸スレスレぐらいのところを源とし、南米大陸を横断し、大西洋に流れ出ていく川なのだ。

 アプリマック川はアバンカイを過ぎたところでパンパ川を合わせ、マンタロー川と合流してエネ川になり、さらにタンボ川になり、ウルバンバ川と合流し、ウカヤリ川と名前を変え、最後にアマゾン川となって大西洋に流れていく。

 アマゾン川の全長は6300キロ。長さではアフリカのナイル川(全長6990キロ)に次いで世界第2位だが、流域面積ではナイル川やミシシッピー川などを大きく引き離して、ダントツで世界第1位になっている。

 アマゾン、ナイル、ミシシッピーの「世界3大河川」を一目見ればすぐにわかることだが、アマゾン川の水量は桁外れに多いし、下流の川幅の広さといったらない。アマゾン川は他を圧して世界最大の川になっている。

 アプリマック川を渡ったあとさらに2峠を越え、22時15分、「インカ帝国の都」のクスコの到着した。ナスカから665キロ。クスコの標高は3399メートル。4000メートル級の峠を越えてくると、このくらいの高さではまったく息苦しさを感じない。

 クスコでは町中の「ムナワシイン」に泊まり、近くのレストランで遅い夕食。ペルーの伝統料理の「ロモサルタード」を食べた。肉はアルパカだ。

IMG_5827.jpg
アンデス山中の4000mの高原地帯を行く

IMG_5828.jpg
いくつもの湖を見る

IMG_5829.jpg
第10番目の峠。標高3980m

IMG_5830.jpg
アマゾン川の上流地帯

IMG_5831.jpg
パンパ川上流のパンパマルカ川

IMG_5833.jpg
アルパカ肉の「ロモサルタード」
スポンサーサイト

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

ひっそりと(?)作業、進行中。

(管理人)
みなさん忙しいのか、方々で"弾薬切れ"の今日この頃です。
管理人は実弾すなわち現金が切れかけており、上さんは近いうちキレるでしょう。ははは・・・。

saharamap006_46.jpg


砂漠の狐、賀曽利さんのサハラ縦断の地図を作ってみました。
いま、ゆっくり仕込みを続けております。そうこうするうちに、六大陸周遊の原稿が揃ってきたりして・・・。

乞うご期待。

テーマ : 管理人からのお知らせ
ジャンル : その他

「南米・アンデス縦断」(7)

 12月7日。今日の目的地はクスコ。600キロ以上あるので、5時起床、5時半朝食、6時には出発だ。

 ナスカからは国道26号でアンデス山脈に入っていく。DR-Z400Sのアクセルをふかして峠道を登り、30キロ走ったところで第1番目の峠(1620m)を越えた。峠の周辺には草木1本、見られない。まさに砂漠の風景だ。

 最初の峠を越えると一気に高度を増していく。

 67キロ地点で第2番目の峠を越えるが、標高は3290メートル。3000メートルの世界に突入だ。第3番目の峠は標高3795メートル。第4番目の峠は3960メートルでほぼ4000メートル。このあたりになると草が生えている。峠ではアルパカを追う少年たちに出会った。

 峠を下ったところがナスカから157キロのプキオの町。標高は3050メートル。ここで給油した。
 プキオを出ると、いよいよ4000メートルの世界に入っていく。

 第5番目の峠は標高4210メートル、第5番目の峠は標高4380メートル、第7番目の峠は標高4325メートル。このあたりになると息苦しくなる。DRはそれほど高度の影響を受けることもなく快調に走り、いつも通りのエンジン音を響かせている。

 12時、第8番目の峠に到達。標高は4265メートル。ここで昼食。道祖神の菊地さんが用意してくれたおにぎりを食べた。アンデスの4000メートルの峠で食べるおにぎりの味は格別だった。

IMG_5815.jpg
ナスカの朝食

IMG_5816.jpg
第1番目の峠(1620m)

IMG_5820_20130725091916.jpg
第2番目の峠(3290m)

IMG_5822.jpg
第3番目の峠(3795m)で出会った少年たち

IMG_5824.jpg
第4番目の峠(3960m)からの眺め

IMG_5825.jpg
第5番目の峠(4210m)に立つ!

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「南米・アンデス縦断」(6)

 ナスカでは「ナスカ・ラインズ・ホテル」に泊まった。「リネアス・デ・ナスカ」(ナスカの地上絵)を英語でいえば「ナスカ・ラインズ」になる。「ナスカの地上絵」をホテル名にしている「ナスカ・ラインズ・ホテル」は、プールもあるようなナスカの最高級ホテルなのだ。さっそくきれいなプールでひと泳ぎする。乾いた空気なのでプールから上がったときは気持ちよかった。

 そのあとはナスカの町を歩いた。人口3万人ほどのこじんまりとした町。夕方になってホテルに戻ると、メンバーのみなさんとビール宴会。これが楽しい!

 夕食は町中のレストランで。

「ロモ・サルタード」と「サラダ」を食べる。ロモというのは牛のヒレ肉。サルタードは炒めるという意味で、牛肉の入った野菜炒めといったところ。それにライスとポテトがついている。

 夕食が終わると、メカニックの小島さんは、トラブルを起こした対比地さんのセローの修理をする。小島さん、ご苦労さま!

 対比地良輔さんは25歳。今回の参加者の中では一番若い。彼とは2006年の「シルクロード横断」を一緒に走っている。

 これは後日談になるが、対比地さんは2011年には見事、「世界一周」を成しとげた。そのときの対比地さんの「世界一周」を応援する下記のようなカソリの一文が残っているので紹介しよう。題して「リョースケ、がんばれ!」。


◇◇◇


「道祖神」のグランドバイクツアー、2006年の「シルクロード横断」(天津→イスタンブール)、2007年~2008年の「南米・アンデス縦断」(リマ→ブエノスアイレス)で一緒に走った対比地良輔さんが、6月30日、「世界一周」に出発します。スズキDR-Z400SMを走らせてシベリアを横断し、ウラル山脈を越え、ヨーロッパに向かっていきます。

 今の時代、若者たちはすっかり内向的になり、海外への夢をなくし、無気力になっているとよくいわれますが、対比地良輔さんの「世界一周」はまさにそれをブチ破るかのような快挙はないですか。胸が躍ります。

 艱難辛苦の連続だった「シルクロード横断」、「南米・アンデス縦断」では苦楽どころか生死をともにした我々、仲間としては、
「リョースケ~、がんばれよ~!」
と、大きな声で声援を送りたくなります。

 ということでみなさん、良輔君の旅の安全と旅の成功を願って、集まろうではありませんか。そしてみんなで良輔君を励ましてあげましょう。

 旅の途中、何度となく苦しい目にあうことでしょうが、そのたびに良輔君はきっとみなさんの励ましを思い浮かべ、またがんばろうという気持ちになると思います。
(2011年4月18日)

IMG_5808.jpg
ナスカで泊まった「ナスカ・ラインズ・ホテル」

IMG_5810.jpg
ナスカの町を歩く

IMG_5813.jpg
夕食の「ロモ・サルタード」

IMG_5814.jpg
夕食のサラダ

IMG_5811.jpg
夜遅くまでバイクの修理をするメカニックの小島さん

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

時間がかかってしまい恐縮ですが、リリース。




こちらもよろしくお願い申し上げます。
つくづく、リフロー型電子書籍、なかんずく写真集って作るのが難しいです…。
固定レイアウトの紙の書籍はこの辺がやっぱり強い、と。

(昨日からしばらく、30%分のポイント返還キャンペーンが始まっているようです。すごいねAmazonさん。)

管理人 拝

テーマ : 管理人からのお知らせ
ジャンル : その他

「南米・アンデス縦断」(5)

「ナスカの地上絵」で有名なナスカに到着すると、セスナ機に乗っての遊覧飛行。

「ナスカの地上絵」は国道1号でナスカ平原を走っていてもまったくわからない。国道沿いには展望塔が立っているが、それに登ってもあまりよくわからない。だがこうして軽飛行機に乗って見下ろすと、じつによくわかる。「ナスカの地上絵」を見るには、空から見下ろすしか方法はない。

 ナスカ谷とインゲニオ谷の間のナスカ平原には、コンドルやハチドリ、ペリカン、オウム、クジラ、サル、イヌ、クモ、トカゲ、木、さらには三角形や長方形などの図形が何本もの線で大地に刻み込まれている。絵の大きさは10メートルぐらいから300メートルほどのものまである。絵の数は約30個、線の数は300本を超えるという。

 こうして「ナスカの地上絵」が現在まで残ったのは、この地がほとんど雨の降らない砂漠地帯だからだ。

 2世紀から7世紀ごろまで栄えたナスカ王国は、高度に発達した文明を持っていた。数多く出土しているナスカ時代の壺を見れば、一目でそれがわかる。何色もの色を出している彩色土器は、その当時としては世界の最先端をいく技術だった。

「ナスカの地上絵」は誰が、何のために、と謎だらけで、宇宙人の宇宙船の基地説を唱える人もいる。だが、高度に進んだナスカの文明を知ると、これはナスカ人がつくったものに間違いないと確信できるのだ。

「ナスカの地上絵」の研究に生涯をかけている研究者が何人もいるという。その中でもドイツ人女性の「マリア・ライヘ」はよく聞く名前だ。これら「ナスカの地上絵」の研究者の中でも、まだ、これといった定説はないようだ。いくつかある説の中では、「ナスカの地上絵」はナスカ人が毎年の暦をつくるのに必要としたという説が有力のようだ。

「ナスカの地上絵」を見下ろしたあとは、ナスカの町中のレストランで昼食。サラダ、ライスつきの「チキンカツレツ」を食べた。

IMG_5801.jpg
このセスナ機で「ナスカの地上絵」を見下ろす

IMG_5799.jpg
「ナスカの地上絵」の土産物

IMG_5807.jpg
「ナスカの地上絵」の模型。中央を走るのが国道1号

IMG_5802.jpg
昼食の「チキンカツレツ」

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「南米・アンデス縦断」(4)

 12月6日7時、「レアル・ホテル」の朝食。パン、バター、スクランブルエッグ、コーヒーの朝食を食べ、8時、出発。イカの町の郊外に広がるイカ砂丘に行く。ここで小休止。砂漠大好きの新保さんは愛車のホンダXR250バハを駆って砂丘を自由自在に走りまわる。新保さんとは一緒に「サハラ縦断」(2004年~2005年)を走ったが、そのときも何度となく砂丘を走りまわった。

 ところで1984年~1985年の「南米一周4万3402キロ」では、コロンビアを出発点にして反時計まわりで南米を一周した。エクアドルからペルーに入ったときは驚かされた。国境を越えたとたんに乾燥した気候に変わったからだ。砂まじりの熱風が吹きつけ、街道沿いの風景からはみるみるうちに緑が消え、あっというまに砂漠になった。

 これが国境のおもしろさといったところで、国境線という目に見えない1本の線を境にして、同じ太平洋側でもエクアドル側は濃い緑色の世界、ペルー側は不毛の砂色の世界に劇的に変わった。

 それにしても、まさかペルーに入ってすぐに砂漠になるとは想像もしていなかった。このペルーの太平洋岸の砂漠は、そのままチリのアタカマ砂漠へとつづく。

 ペルーの砂漠の風景は一様ではない。一面の砂の海だったり、深さ3、40センチの亀裂の入ったヒビ割れた土漠だったり、緑のまったくないゴツゴツした岩山地帯だったり。 きれいな砂丘があらわれてくると、その美しさに魅せられ、街道を外れ、砂丘の下までバイクを走らせた。エンジンを止めると、あたりはシーンと静まりかえっていた。

 高さ100メートルほどの砂丘に砂を崩しながら登った。砂丘の頂上からの眺めは壮観。茫々と広がる大砂漠のなかに、蛇行し、うねるようにして黒々とした舗装路が延びている。足もとのバイクは豆粒ぐらいにしか見えない。砂丘の頂上からの下りは砂にまみれになって、ゴロンゴロンところがり落ちた。

 アンデス山脈から流れ出る川の流域だけに緑が見られ、サトウキビなどの農地になっている。砂漠も水さえあれば、豊かな農地になることを証明しているかのような風景。川の下流地帯には町ができている。砂漠のオアシスといったところだ。幅数キロの緑色の世界。川の流域を離れると、また一木一草もない砂漠が延々とつづいた。

 イカ砂丘を見ていると、そんな「南米一周」でのペルーの海岸地帯につづく砂漠の風景が思い出されてならなかった。

 イカからは国道1号を南下。乾燥した風景がつづく。
 岩山地帯を抜け出ると、「ナスカの地上絵」で有名なナスカ平原に入っていく。イカからナスカまでは160キロほどだ。

IMG_5788.jpg
イカの町

IMG_5789.jpg
イカを出発

IMG_5790.jpg
イカの町の郊外に広がるイカ砂丘

IMG_5791.jpg
国道1号で岩山地帯を走り抜けていく

IMG_5794_20130718133517.jpg
ここは「ナスカの地上絵」で有名なナスカ平原

IMG_5795.jpg
道祖神の菊地さんとガイドのヤマグチさん

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「南米・アンデス縦断」(3)

 昼食を食べ終わると出発。ところが1台のバイクがパンクしている。メカニックの小島さんの出番だ。見事な早業であっというまにパンク修理を終え、我々は何事もなかったかのように走り出した。

 太平洋岸の国道1号を南下。夏のバカンスの季節ということもあって、浜辺では家族連れの姿を多く見かけた。ところが日本の夏の海水浴場とは異なり、海に入る人は誰もいない。寒流のフンボルト海流の影響で、海水は冷たく、とてもではないが海には入っていけないのだ。

 そればかりではない。
 海から冷たい霧が押し寄せてくると、熱帯圏にもかかわらず、DR-Z400Sに乗っていると震えてしまうほどだ。

 右手に太平洋、左手にはアンデスへとつづく山並みを眺めながら走り、18時、リマから300キロの町、イカに到着。ここの「レアル・ホテル」に泊まる。プールつきのホテルだが、暑くはないので、ひと泳ぎしようという気分にはならなかった。

 メンバーのみなさんとは、さっそく宴会を開始。「ポジョ」(鶏肉)を食べながら、ペルーのビール、「クリスタル」を飲み干した。

 ホテルのレストランでの夕食は「ビーフステーキ」。それにはライスとポテト、トマト、サラダ菜が添えられている。

 リマに到着して以来、ほとんど毎食、ライスを食べているが、ペルーでは米がよく食されているようだ。

IMG_5782.jpg
パンクの修理をするメカニックの小島さん

IMG_5780.jpg
国道1号沿いの町

IMG_5787.jpg
イカの「レアル・ホテル」

IMG_5783.jpg
「ポジョ」を食べながらビールを飲む

IMG_5784.jpg
夕食の「ビーフステーキ」

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「南米・アンデス縦断」(2)

 2007年12月5日、いよいよ出発の朝を迎えた。

 ペルーの首都リマを出発点にし、世界最南の町、ウシュアイアを目指してアンデス山脈に沿って南下していくのだ。

「ラシエンダ・ホテル」のレストランでトーストとチーズ、ハム、ベーコン、ソーセージの朝食を食べると、我ら18名のメンバーはホテル前の駐車場に勢ぞろいした。

「目指せ、ウシュアイア!」
 と、全員で気勢を上げ、各人のバイクのエンジンをかけて走り出す。

 15台のバイクにはサポートカーが1台ついた。それには道祖神の菊地さんとメカニックの小島さん、ガイドの日系人のヤマグチさん、それと女性の参加者1名が乗っている。運転手はペルー人のアンドレスだ。

 カソリ号はスズキの400ccバイク、DR-Z400S。このDRでは道祖神のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」シリーズのうち、2002年の「ユーラシア横断」(1万5970キロ)、2004年~2005年の「サハラ縦断」(6763キロ)、2005年の「韓国縦断」(2974キロ)、2006年の「シルクロード横断」(1万3171キロ)を走っている。

 リマ市内のガソリンスタンドで給油し、太平洋岸の国道1号を南下。20キロほど走ったところで海岸に出ると小休止。そこからは太平洋を右手に見ながら走った。

 街道沿いの町のレストランで昼食。我々は走り出した喜びもあって、テーブルを囲みながら話が弾んだ。

 ここでの昼食は「アロス」と「カウカウ」。アロスはライスで、カウカウはジャガイモの煮込み。その中には牛の腸か入っている。それにユカイモのフライの「ユカスフリータス」がつく。ユカイモというのは、南米(アマゾン流域)原産のキャッサバのこと。ジャガイモも南米(アンデス高地)原産。ジャガイモやユカを食べていると南米を強く実感するのだった。

IMG_5772.jpg
朝食のチーズ、ハム、ベーコン、ソーセージ

IMG_5774.jpg
我らのバイクが勢ぞろい!

IMG_5776.jpg
ガソリンスタンドで給油し出発

IMG_5778.jpg
街道沿いの町のレストランで昼食

IMG_5781.jpg
「南米・アンデス縦断」のメンバー

IMG_5767.jpg
「アロス・コン・カブカブ」

IMG_5770.jpg
「ユカフリータス」

IMG_5769.jpg
ガイドの日系人のヤマグチさん

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「南米・アンデス縦断」(1)

「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」の第13弾目、「南米・アンデス縦断」に出発したのは2007年12月2日のことだった。

 新宿13時12分発の「成田エクスプレス23号」に乗り、成田空港到着は14時28分。成田空港では総勢18名のメンバーのみなさんとと落ち合う。その中には道祖神の菊地さんやメカニックの小島さんもいる。

 我々は意気揚揚とした気分で17時10分発のCO(コンチネンタル航空)006便に乗り込んだ。ぼくにとっては1984年から85年にかけての「南米一周4万3402キロ」以来の南米なので、胸の高鳴りがおさえられなかった。

 日付変更線をまたぐので、同じ日の13時50分にアメリカのヒューストンに到着。成田→ヒューストン間の飛行時間は10時間40分。そこでCO590便に乗り換え、23時15分にペルーのリマに到着。ヒューストン→リマ間の飛行時間は6時間35分。東京を発ったその日のうちに、リマに着いたのが信じられないような思いだ。

 空港内の両替所でペルーの通貨ソルに替える。1ドルが2・9ソル。1ソルは約40円になる。

 空港からリマの中心街にある「ラシエンダ・ホテル」へ。ベッドの上で、思いっきり足を延ばして眠れるのがありがたい。

 翌朝は7時、朝食。これが記念すべき南米での第一食目になる。チーズ、ハム、ベーコン、ソーセージとパン、それとオムレツ。オムレツはスペイン風。飲み物はパパイヤジュース。朝食を食べ終わると、リマの中心街を歩いた。

 9時、我々は全員でカヤオ港へ。いよいよ大仕事のバイクの引き取りだ。1日かけて頑張ったのだが、残念ながらバイクは引き取れなかった。

 ホテルに戻ると夕食。レストランでリマのビール「クスケーニャ」で乾杯。そのあと、ライスを添えたビーフステーキを食べた。ライスは長粒米だ。

 翌日は1日かけてのバイクの引き取り。道祖神の菊地さんの獅子奮迅の大活躍があって、バイクを引き取れたのは税関の閉まる直前の17時。我々が愛車に乗って港を出られたのは21時。そこから24キロ走って22時40分にリマの「ラシエンダホテル」に戻ってきた。

 これで「南米・アンデス縦断」の準備は整った。
 明朝には出発だ。

IMG_5748.jpg
記念すべき南米の第一食目!

IMG_5751.jpg
スペイン風オムレツ

IMG_5756.jpg
リマの中心街

IMG_5759.jpg
リマの町を歩く

IMG_5752-2.jpg
リマのビールで乾杯!

IMG_5754.jpg
夕食のビーフステーキ

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(66)

 7月20日6時、青森駅前の「東横イン」を出発。青森駅前から国道7号に出ると、青森県庁前で国道4号に入っていく。青森県庁前が国道4号と国道7号の接続地点になる。 国道4号から東北一のゴールデンルート、国道103号で八甲田へ。青森の中心街を抜け出たあたりのコンビニでV-ストロームを止め、おにぎり&お茶の朝食にした。

 天気は快晴。一片の雲もない。抜けるような青空の下、V-ストロームを走らせ、八甲田へと向かっていく。青森の市街地から八甲田は近い。雲谷温泉の入口を過ぎると萱野高原への登り道になる。「岩木山展望所」でV-ストロームを止め、つづいて萱野高原でV-ストロームを止めた。青空を背にして連なる八甲田の主峰群を一望だ。

 萱野高原からは「雪中行軍避難者銅像」に寄ったあと、日本の名湯、酸ヶ湯温泉へ。朝7時から入れるが、混浴の千人風呂の方ではなく、国道103号から右手に入ったところにある「まんじゅうふかし」に行った。ここはカソリのおすすめポイント。木製の長椅子に座ると絶妙のポカポカ感で最高の気持ちよさ。「まんじゅうふかし」の蒸気浴はたまらない。

 酸ヶ湯温泉から北八甲田と南八甲田を分ける傘松峠に向かっていくと天気は急変した。天気予報で聞いていた通りで、太平洋からの冷たい風に乗って霧が押し寄せてくる。「ヤマセ」だ。傘松峠は濃霧にすっぽりと覆われていた。傘松峠下の睡蓮沼は八甲田の絶景ポイントだが、やはり濃霧で八甲田の主峰群はまったく見えなかった。

 猿倉温泉、谷地温泉、蔦温泉と通り、焼山で国道102号に合流。ここからは日本一の渓流美を誇る奥入瀬渓流沿いに走る。国道のすぐ脇を奥入瀬渓流が流れている。国道102号と国道103号の重複区間を走りながら見る奥入瀬渓流の風景はすごい!

 奥入瀬渓流を抜け出ると、十和田湖畔の子の口に到着。奥入瀬川はここから流れ出る。観光船の発着する岸壁でV-ストロームを止め、十和田カルデラの大湖、十和田湖を眺めた。子ノ口で重複する2本の国道は分れ、国道102号は十和田カルデラの外輪山の峠、滝ノ沢峠を越えて黒石へ、国道103号は発荷峠を越えて大館に通じている。

 子ノ口からさらに国道103号を行く。青森・秋田県境の休屋で昼食。「とちの茶屋」で「ヒメマスの姿焼き定食」を食べた。そのあとうっそうとおい茂る森に囲まれた十和田神社を参拝し、中山半島の湖岸を歩き、十和田湖のシンボル、「乙女の像」を見た。

 休屋を出発。秋田県に入り、発荷峠へ。峠の手前の展望台から十和田湖を見下ろした。湖に突き出た中山半島と御倉半島がよく見える。この2つの半島は、十和田カルデラの中央火口丘の一部。発荷峠は外輪山の峠になる。十和田湖は火山を見るのには絶好のフィールドといえる。

 発荷峠を下り、大湯温泉から東北道の十和田ICに出た。
 十和田ICで東北道に入り、次の鹿角八幡平ICで降りる。そして八幡平横断の八幡平アスピーテラインに入っていく。

 ふけの湯温泉では混浴の大露天風呂に入った。
 ここには男性専用、女性専用の露天風呂もあるが、混浴の大露天風呂が一番広い。といっても入浴客はカソリと巣山カメラマンの2人だけだったが。

 ふけの湯温泉を後にし、秋田・岩手県境の見返峠へ。ここでも「ヤマセ」のすごさをみせつけられた。秋田県側は抜けるような青空ではるか遠くの鳥海山まで見えるのに、岩手県側は押し寄せるヤマセで視界はゼロに近い。目の前に聳える岩手山はまったく見えなかった。

 八幡平アスピーテラインで岩手県側に入り、山裾の大更まで下っていく。大更まで下るとヤマセは消えて晴れていた。最後は岩手山の「焼き走り溶岩流」。宮沢賢治の詩碑の前にV-ストロームを停め、1719年の岩手山の大噴火で流れ出た溶岩流の上を歩いた。ここを最後に大更から国道282号→国道4号で盛岡へ。

 東北道の盛岡ICに近い「ぴょんぴょん舎」で「盛岡冷麺」を食べ、巣山カメラマンと別れ、東京に向かった。盛岡ICを出発したのは19時。高速性能抜群のV-ストロームで東北道を一気に走り、浦和の料金所に到着したのは翌7月21日の2時15分。関東は雨だった。こうして「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」を終えた。

 V-ストロームよ、お疲れさま!
(了)

IMG_1077.jpg
八甲田の萱野高原

0508.jpg
十和田湖の子ノ口

IMG_1079.jpg
発荷峠の展望台

IMG_1084.jpg
八幡平アスピーテラインに入る

0594.jpg
ふけの湯温泉の混浴露天風呂

0618.jpg
岩手山の「焼き走り溶岩流」に立つ

IMG_1095.jpg
東北道の浦和料金所に到着

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(65)

 7月19日7時、大間崎の「海峡荘」を出発。大間からは国道338号を南下し、佐井村に入る。アップダウンの連続する海岸線を走り、下北半島随一の名所、仏ヶ浦へ。

 断崖上の展望台から仏ヶ浦の全景を見下ろしたあと、駐車場にV-ストロームを停め、遊歩道を下っていく。徒歩約20分。ここでは日本最北のニホンザルのお出迎え。

 仏ヶ浦の極楽浄土のような風景を存分に眺めたところで、津軽半島の蟹田へのフェリーの出る脇野沢へ。そこから海沿いの道を走り、行止り地点の九艘泊に到着。漁港の片すみにV-ストロームを停め、断崖絶壁が海に落ちる北海岬の遊歩道を歩いた。

 九艘泊から脇野沢に戻ると、フェリー乗場前の「ドーム」で昼食。「アワビ丼」を食べた。コリコリした食感のアワビが丼飯を埋めつくしていた。

「昨日は尻屋崎ホタテの刺身、今日は北海岬アワビ丼!」。
 これが下北半島ツーリングだ。

 脇野沢から陸奥湾の海岸線を行く。波ひとつない穏やかな海。むつ市の中心、田名部からは県道4号で恐山へ。恐山は一大火山群の総称。外輪山の峠近くにある「恐山冷水」では、ヒヤッと冷たい湧水を飲む。ヒバ林に囲まれたこの湧水は、昔から不老不死の名水として知られている。車が次々に止まり湧水を汲んでいく。

 恐山の外輪山の峠を越えると神秘的な宇曽利山湖の湖畔に下っていく。湖越しに見る恐山は目に残る風景。三途の川を渡って菩提寺の山門をくぐり、恐山の地獄を歩く。「日本三大霊場」、「日本三大地獄」で知られる恐山。大祭を前にして境内には口寄せで霊を呼ぶイタコの小屋掛けができていた。

 恐山地獄のあとは恐山天国。菩提寺境内の恐山温泉の湯に入る。全部で4つの湯屋があるが、カソリのおすすめは混浴の「花染の湯」。入山料の500円を払えば、温泉には無料で入れる。ヒバの湯屋、ヒバの湯船と洗い場。硫黄の匂いの漂う熱めの湯は最高。これで色白の東北美人と一緒になればもういうことはないのだが、残念ながら入浴客はほかにはいなかった。こうして地獄と天国を同時に味わえるのが恐山だ。

 田名部に戻ると、国道279号で下北半島の付け根の野辺地へと、一気に陸奥湾岸の道を走り抜ける。野辺地から国道4号で青森へ。夕日に向かって突っ走る。その途中で夏泊半島に入っていく。この日は雲ひとつない夕暮れ。夏泊半島北端の岬、夏泊崎に到着すると、海を真っ赤に染めて落ちる夕日を見た。

 夏泊半島を一周して国道4号に出ると青森へ。20時、青森駅前に到着。駅前の「東横イン」に泊まったが、カメラマンの巣山さんとは青森到着を祝してカンビールで乾杯だ。

IMG_1049.jpg
大間崎の漁港に朝日が昇る

0279.jpg
下北半島の名所、仏ヶ浦

0298.jpg
下北半島南東端の北海岬

IMG_1060.jpg
「ドーム」の「アワビ丼」

0378.jpg
恐山温泉「花染の湯」に入る

IMG_1067.jpg
夏泊崎の夕日

IMG_1068.jpg
青森駅前に到着

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「鵜ノ子岬→尻屋崎2012」(64)

 名残おしい尻屋崎を出発。Vストロームでの旅はまだまだつづく。

 岩屋に戻ると、海峡食堂「善」で昼食。「ホタテの刺身定食」を食べた。津軽海峡を眺めながら食べるホタテの刺身はうまかった。ホタテの味の良さに風景の良さがプラスされるので、よけいにうまさを感じる。風景は一品以上のおかずになる。これがバイクツーリングの良さというものだ。

 大満足で岩屋を出発。県道6号から大間崎への最短路の県道266号に入っていく。以前はかなりのダート区間が残っていた県道266号だが、現在は全線が舗装。広狭混在の道に変わりはないが、交通量極少ルートなので快適に走れる。

 国道279号に合流するとイカ漁の盛んな大畑漁港に立ち寄り、大畑からは海岸近くの木野部峠を越え、下北半島の名湯、下風呂温泉に下っていく。

 下風呂温泉では共同浴場の「大湯」に入った。ここではうれしい湯の中談義。熱めの湯につかりながらUターンで故郷に戻ってきたという年配の人と話した。こうした裸の付き合いができるのが日本の温泉の大きな魅力というものだ。

 下風呂温泉をあとにし、本州最北端の大間崎に到着。ここではカソリ、初転倒…。

「こゝ本州最北端の地」と彫り刻まれた石碑の前にバイクを置いて写真を撮ろうとしたとき、縁石にステップを接触させて転倒した。足の上にバイクがのってしまい、身動きがとれなくなった。V-ストロームは214キロと、このクラスでは最軽量のバイク。走っているときは軽快なのだが、足の上にのってしまうと、いやー、重い、重い。

 足がはさまってしまったので、まったく身動きがとれず、自分一人では持ち上げられない。カメラマンの巣山さんに「助けてー!」と叫んで起こしてもらった。

 そんなハプニングはあったが、心に残る大間崎になった。クキド瀬戸をはさんだ弁天島には白黒2色の大間埼灯台。津軽海峡の対岸には北海道がはっきりと見えている。

 夕日を浴びた大間崎の漁港での撮影を終えると、本州最北宿の民宿「海峡荘」に行く。いつものカソリ流で飛び込みで行ったのだが、快く泊めてもらうことができた。

 うれしいことに夕食も用意してくれた。
 巣山カメラマンとの大間での「宴会」の開始だ。

 ビールでの乾杯したあとは、宿のおかみに下北の地酒をついでもらう。夕食は豪華版の海鮮料理。大間マグロのトロつきで、見た目には牛の霜降りそっくり。トロッとした絶妙の味わい。大間産の生ウニもついている。

 我々の酒量はさらに上がった。夕食を食べ終えても「大間宴会」はつづき、部屋での飲み会になる。深酒で足も腰もふらついてきた頃、
「カソリさん、ちょっと出てきます」
 といって巣山さんはカメラを手にして外に出た。

 戻ってくるなり大間崎の夜景の写真を見せてもらった。降るような星空のもと、宿の前に立つ「本州最北端の地碑」の写真はすごいの一言。それはゾクゾクッとするほど迫力で、津軽海峡の無数の漁火やほのかな函館の町明かりが背後に映し込まれていた。巣山カメラマンのプロ根性を見せつけられたような思いがした。

IMG_1022.jpg
岩屋の海峡食堂「善」

IMG_1026.jpg
「ホタテの刺身定食」

IMG_1028.jpg
下風呂温泉の共同浴場「大湯」

IMG_1031.jpg
大間崎の漁港

IMG_1032.jpg
大間崎の本州最北端の碑

IMG_1035.jpg
大間崎の民宿「海峡荘」

IMG_1039.jpg
「海峡荘」の夕食

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

最近の記事
月別アーカイブ
小さな天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
QRコード
QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。