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「南米・アンデス縦断」(40)

 12月26日。ビーニャ・デル・マルの「ホテル・キャンタマール」の朝食を食べ、9時に出発。チリの首都サンチャゴ外港のバルパライソへ。その間は10キロほど。30分もかからずに着いた。メンバー全員のバイクを駐車場に止め、各自、自由行動での町歩きを開始する。バルパライソには世界遺産の古い町並みも残っている。

 まずは銀行で両替。チリの通貨はチリ・ペソ。レートは100ドル49000ペソで、1ペソは0・2円ほどだ。

 バルパライソはチリ第一の港町。丘陵地帯がセントロ(町の中心街)と港を取り囲んでいる。町を取り囲む丘の数は全部で45もあるという。見上げると、丘の上の方までびっしりと家々が建ち並んでいる。

 そんな急坂を登るアセンソール(ケーブルカー)が何本も通っている。どのアセンソールも100年以上も前にできたもので、今でも市民の欠かせない足になっている。そのうちの1本に乗ったが、料金は100ペソ。日本円で20円ほど。丘の上からバルパライソの港と町並みを一望した。

 中心街のレストランで昼食。駐車場に戻り13時にバルパライソを出発した。

 いよいよチリの首都のサンチャゴに向かう。途中で高速道路に入り、バルパライソから120キロ走って16時、サンチャゴに到着した。ペルーのリマを出発してから25日目、4744キロ走っての到着だ。

 我々の宿は「モンテカルロホテル」。緑に囲まれた広い中庭がある。そこにバイクを並べて止めた。ここには連泊するのだ。

 夕食はホテル近くのレストランで。厚さ2センチ以上もあるブ厚いビーフステーキを食べたが、値段は何と6700ペソ、日本円で約1340円でしかない。サンチャゴ到着を祝ってビールで乾杯し、そのあとはチリワインを飲んだ。

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ビーニャ・デル・マルの「ホテル・キャンタマール」の朝食

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バルパライソの中心街

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サンチャゴの「モンテカルロホテル」

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夕食のビーフステーキ

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「南米・アンデス縦断」(39)

 12月25日。夜明けのラ・セレナの町を歩く。コピアポと同じように、ここでも朝は濃い霧に覆われている。これも寒流のフンボルト海流の影響か。

「セレナ」はスペイン語で「静か」の意味で、ラ・セレナは名前通りの静かな落ち着いた町。緑も多い。このラ・セレナあたりが、乾燥した北部チリと湿潤で温暖な中部チリの境で、ここより北は不毛の砂漠地帯、南は肥沃な農業地帯になる。

 ラ・セレナの町を1時間ほど歩いて「ラ・セルナプラザホテル」に戻ると朝食。ジュースとヨーグルト、コーンフレーク、パン、ハム、チーズ、ケーキの朝食を食べる。

 9時に出発。ラ・セレナから国道5号は高速道路になる。クリスマスでガラガラの高速道路を快適に走る。南に下るにつれて霧は晴れた。

 高速道路のサービスエリアで昼食。ライスを添えたハンバーグを食べる。午後になるときれいな青空が広がった。

 チリ第一のリゾート地、ビーニャ・デル・マルに近づいたところで首都サンチャゴに通じる国道5号を離れ、海沿いの道を行く。ザパリャル、キンテロ、コンコンと通り、17時、今日の目的地のビーニャ・デル・マルに到着。ラ・セレナから422キロだ。

「ホテル・キャンタマール」に入ると、さっそくビーニャ・デル・マルを歩く。さすがチリ第一のリゾート地だけあって、海岸通りを大勢の人たちが歩いている。砂浜にも家族連れなどの姿を多く見たが、ここでも海に入っている人はほとんどいなかった。

 町の中心はベルガラ広場。この町の創設者のベルガラ像が建っている。高級ホテルの「ホテル・オイギンス」も広場に面して建っている。中心街のピザ専門店でピザを食べ、クリスマスのイルミネーションで輝く夜の町を歩き、我々のホテルの「ホテル・キャンタマール」に戻った。ここまで来れば、首都のサンチャゴまではあともう一息だ。

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「ラ・セルナプラザホテル」の朝食

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ビーニャ・デル・マルの海岸通り

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夕食のピザ

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「南米・アンデス縦断」(38)

 12月24日7時、コピアポの「ホステリア・ラスピルカス」の朝食。ジュース、パンとハム、チーズ、フルーツポンチを食べ、コーヒーを飲んで出発だ。

 国道5号を南へ。朝のうちは冷たい霧がたちこめていた。霧が切れると青空が広がった。アタカマ砂漠は終わったが、乾燥した風景がつづく。まわりの山々に緑はまったく見られない。

 国道沿いのレストランで昼食。カツとソーセージにライスが添えられている。ライスの上にはオリーブの実がのっている。

 15時、コピアポから340キロのラ・セレナに到着。ここが今日の目的地。「ラ・セルナプラザホテル」に入ると、さっそく町を歩く。町の中心はアルマス広場。そのまわりにはカテドラル(大聖堂)や市庁舎、郵便局がある。ここから海岸まで歩く。海岸に出たところには灯台が立っている。

 そこから南へ。ラ・セレナビーチの長い砂浜がつづく。クリスマス休暇の観光客の姿を多く見かけたが、海に入っている人はほとんどない。寒流のフンボルト海流が流れているので冷たい海なのだ。

 ビーチを歩き終えて灯台まで戻ると、警察のバイク隊のみなさんが灯台前に集結していた。カメラを向けると、隊長はピシーッと背筋を伸ばしてポーズをとってくれた。バイク隊の隊長に「我々もバイクでハポン(日本)からチリまで来たんですよ」というと、同じバイク仲間ということで喜んでくれた。

 バイク隊のみなさんに手を振って別れ、町に戻っていった。

 ラ・セレナはスズキの250ccバイク、DR250Sを走らせての「南米一周」(1984年~1985年)での思い出の地。チリの首都のサンチャゴから500キロを走り、ラ・セレナまでやってきた。そしてこの町からアンデス山脈のアグアネグラ峠(4765m)を越え、アルゼンチンを目指したのだ。

 ラ・セレナから60キロ東のビクーニャまでは舗装路。アンデス山脈から流れてくる川に沿った道で、沿道にはブドウ園が見られた。

 ビクーニャでタンクを満タンにした。タンクは9リッター。それと5リッターの予備のポリタンにもガソリンを入れた。さらにいつも非常用に1リッターのガソリンを持っているので、15リッターのガソリンを確保した。

 DR250Sの燃費は1リッター当たり約30キロなので、計算上では約450キロ走れる。これでアグアネグラ峠を越え、アルゼンチン側のサンファンまで十分に行き着けるはずだと計算した。

 ビクーニャを出発したときは5000メートル近い峠を越えるということで、ずいぶんと緊張した。

 舗装路が途切れ、ダートに突入すると大きな石がゴロゴロしていた。ガタンピシャンとDRがバラバラになってしまいそうなものすごい振動だ。

 アンデス山脈の奥深くに入っていくと目の前にはそそりたつ岩山。頂上近くは雪をかぶっていた。見上げる空は狭く、その狭い空は強烈に青かった。

 ビクーニャから90キロ走ると、チリ側の国境事務所に到着。すると、峠近くで大規模な崖崩れがあって、アグアネグラ峠は通行不能だという。何ということ…。もうガックリ。ピーンと張り詰めていた心の糸がプッツンと切れてしまった。

 国境警備隊の隊員は落胆したぼくの顔を見て気の毒に思ったのだろう、なぐさめるような顔つきで、氷の入った冷たいジュースを持ってきてくれた。それを飲み干すと気分は落ち着いた。
「仕方ないな、アグアネグラ峠は諦めよう」
 という気になり、気分を切り替えてサンチャゴに戻ることにした。

 アグアネグラ峠を下り、ビクーニャからラ・セレナに急いだ。

 というのは、どうしても銀行の開いている時間までにラ・セレナに着き、トラベラーズチェックをチリのお金の替えなくてはならなかったからだ。

 ところがラ・セレナの町の入口で、追い越し違反で警察に捕まってしまった。

 センターラインが点線の区間は追い越し可だが、実線の区間は追い越し禁止になる。それを知りながら、急いでいたこともあって前を走る車を不用意に追い越してしまった。運悪くその先でポリスチェックをやっていた。

 チリの交通違反のシステムは、違反の切符を切られるのと同時に免許証も取り上げられてしまう。指定された日時に出頭し、そこで罰金を払い、免許証を返してもらうようになっている。

「いやー、まずいな。これで何日かラセレナで足止めを食ってしまう」
 ポリスチェックはパトカーに乗った警官が2人でやっていた。そのうちのでっぷりと肥った警官はさかんにぼくのことを弁護してくれた。

 彼はもう1人の警官に、
「ハポネス(日本人)のツーリスタ(旅行者)だから、我々の国の交通法規はよく知らない。それだから、今回は見逃してあげよう」
 ぐらいのことを言ってくれたようで、そのおかげでなんと反則切符を切られないですんだ。

「助かった!」

 だが一難去ってまた一難。アグアネグラ峠を越えてアルゼンチンに入るつもりにしていたので、チリのお金はほとんど残っていなかった。ポリスチェックにひっかかり、時間を費やしてしまったので、ラ・セレナの銀行の営業時間にはもう間に合わない。

 そのことを2人の警官に話すと、パトカーの無線でラ・セレナの警察署に連絡をとってくれた。すると警官は「OKだ」と言って、ここで待っているようにといった。

 何がOKなのかさっぱりわからなかったが、言われるままに待っていると、もう1台のパトカーがサイレンを鳴らしてやってきた。

 2人の警官よりも若い彼らの上司の警官が、50ドルのトラベラーズチェックを両替してくれるというのだ。

「(またしても)助かった!」
「チリとハポン(日本)はアミーゴ(友人)だから、キミを助けるのは当然のことだ」
 と、若い警官はうれしいことを言ってくれた。

 3人のチリ警察の警官たちとガッチリと握手をかわして別れ、ラ・セレナからサンチャゴに向かった。遠ざかるラ・セレナの町をバックミラーで見ながら、
「チリはいい国だ、ほんとうにいい国だ」
 と、心底そう思ったものだ。

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コピアポの「ホステリア・ラスピルカス」の朝食

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国道5号を南下する

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国道沿いのレストランで昼食

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昼食のカツライス

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レストランの働き者の女性

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ラ・セレナの灯台

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ラ・セレナのビーチ

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灯台の前に集結したバイク隊の警官

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

「南米・アンデス縦断」(37)

 12月23日。「ホステリア・チャニャラル」の朝食を食べ、チリ太平洋岸の町、チャニャラルを出発。パンアメリカンハイウエイの国道5号を南下する。1時間ほど走ったところで太平洋の海岸で止まり、ここで我々はしばらく海と戯れた。ここではまだ砂漠と海が接しているような風景だった。

 さらに太平洋岸を南下。カルデラを通り、コピアポの町に近づくと農場や牧場の緑が見えてくる。アタカマ砂漠が終わった。

 アタカマ砂漠南端の町、コピアポには昼過ぎに着いた。チャニャラルからは168キロでしかない。このコピアポが今日の目的地。町のレストランで昼食。鮭料理を食べると、今晩の宿「ホステリア・ラスピルカス」へ。部屋に入るなり、バタンキューの瞬間寝。1時間以上、ぐっすり眠った。「カソリの瞬間寝」というのは横になるのと同時に、時間にすれば1、2、3でほんの3、4秒で寝てしまうことだ。

 何とも気持ちのよい眠りから目覚めると、コピアポの町を歩いた。緑が多い。町の中心にはサンフランシスコ教会がある。

 コピアポもアントファガスタと同じように内陸の銀や銅の鉱産資源の集積地。町は太平洋岸から離れた標高365メートルの地点にあるが、さきほど通った北西に60キロほどのカルデラ港から鉱産物は積み出されていく。

 夕食も町中のレストランで。カラスガイにライスを添えた海鮮料理を食べた。太平洋岸に細長く延びるチリでは、このようにいたるところで魚介料理を食べられるのが何ともうれしい。これでアンデス山脈を越えてアルゼンチンに入ると、魚から肉へとガラリと変わってしまう。それが南米の面白さといったところだ。

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国道5号沿いの太平洋

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昼食は鮭料理

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コピアポのサンフランシスコ教会

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夕食の魚介料理

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