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アフリカ縦断2013-2014(その21)

「ナイロビ→ケープタウン編」(21)


 1月2日5時、夜明けとともに起き、トイレ、シャワーのあとはテントを撤収し、広い「モタロッジ」内を歩いた。6時、朝食。いつものようにマヨパンを食べ、7時には出発だ。

 ジンバブウェとの国境のカズングラはボツワナ最北端の地。そこからジンバブウェ国境に沿ってナタまで南下してきた。ここで進路を大きく西に変え、カラハリ砂漠の北縁を通ってナミビア国境に向かっていくのだ。

 ナミビア北部の町、ナタの分岐はきわめて重要。南への道はフランシスタウンから首都のハボローネに通じている。首都のハボローネは南アフリカ国境近くの都市。地図を見ればすぐにわかることだが、面積60万平方キロという広大な国土の右隅に偏っている。その国土の大半はカラハリ砂漠で、7割を占めている。

 朝のうちこそ雨は降っていなかったが、「トランス・カラハリ・ハイウェイ」を走り出してまもなく雨になる。これで16日連続の雨。それにしても「何で砂漠で雨に降られるの?」といいたくなってしまう。しかし、このあたりは砂漠とはいっても12月から3月にかけてが雨期で、それもかなりの量が降る。青々と茂る街道沿いの草木がそれを証明している。「トランス・カラハリ・ハイウェイ」沿いには広大な牧場がつづくが、牛などの家畜を見ることはほとんどない。

 途中、「Nxai Pan ナショナルパーク」を横切った。前日の「カズングラ→ナタ」間ではナショナルパークでもないのに何度も象を見たので、きっとそれ以上の象を見るのではないかと期待したが、ここでの象との遭遇はなかた。

 ナタから320キロ走りマウンの町に到着。郊外の「シタトゥンガ・キャンプ」に泊まった。キャンプ場内のレストランで昼食のピザを食べる。その頃には晴れてきた。テントを張り終えると、ここぞとばかりに濡れたウエアなどを干す。しかし晴れ間はほんのわずかで、無情にもザーッと雨が降り出す。せっかく乾かしたのにビショ濡れだ。雨宿りを兼ねてレストランに逃げ込み、ビンビールの「ウイントフック」を飲むのだった。

 夕食はキャンプ場内の屋根の下で。道祖神の吉岡さんがそばを作ってくれた。そばにはゆで卵とハムがのっている。年越し用に日本から持ってきたもので、我々は1日遅れの年越しそばを食べた。

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「ナタロッジ」のプール

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ナタの分岐

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「トランス・カラハリ・ハイウェイ」を行く

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雨期のカラハリ砂漠北縁の風景

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「シタトゥンガ・キャンプ」への道

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昼食のピザ

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雨が上がって濡れたものを干す

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夕食のそば
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アフリカ縦断2013-2014(その20)

「ナイロビ→ケープタウン編」(20)


 2014年1月1日。ビクトリアフォールズの「ビクトリアフォールズ・キャンプ&ロッジ」で迎える新年。朝から土砂降りの雨なのが辛いところだ。プールサイドの屋根の下での朝食。マヨパン(マヨネーズを塗った食パン)にトマトをのせて食べる。デザートはマンゴー。ちょうどマンゴーの季節なので、連日食べ放題。何しろカソリの大好物のマンゴーなので、4個目、5個目…と、いくらでも食べられる。

 出発の準備が大変だ。雨に濡れながらの撤収。濡れたシュラフをまるめ、ビショビショのテントをたたむ。
 7時30分、激しく降りつづく雨の中を出発。ボツワナ国境をめざしてザンベジ川の南側の道を行く。路面には象の巨大な糞がボソッ、ボソッという感じで落ちている。まだ新しい。道を横切るかもしれない象には最大限の注意を払ってDR-Z400Sを走らせた。と同時に、象に出会えるかもしれないという期待感もあった。

 8時30分、ビクトリアフォールズから70キロのボツワナ国境に到着。この間では象との遭遇はなかった。ジンバブエの出国手続き、ボツワナの入国手続きを終え、1時間半ほどでボツワナに入った。ボツワナ側の国境の町はカズングラ。前回紹介した4国国境の町だ。カズングラはザンベジ川をはさんでザンビア側とボツワナ側の両方にある。

 ボツワナはぼくにとっては初めての国。これでアフリカ大陸内でいまだ足の踏み入れていない国は、赤道ギニアとギニアビサウの2ヵ国になった。この2国にはぜひとも行ってみたい。

 カズングラから20キロほどでカサネに到着。この町の中国人の店で両替してもらった。1ドルが8プーラ(1プーラは約12円)。中国人の店はかなり大きな雑貨屋でレジは若い中国人女性。辺境の地に根をおろしている中国人のすごさを感じてしまう。

 ボツワナの通貨、プーラを手に入れると、さっそくショッピングセンターのファストフード店でパパとフィッシュ&チップス、肉汁を買って食べた。パパはトウモロコシの粉を熱湯で練り固めたもの。それを肉汁と一緒に食べる。東アフリカのウガリ、マラウィ、ザンビア、ジンバブウェのシーマと同じものだ。

 昼食を食べ終わるとカサネを出発。カズングラまで戻り、今度は南へ。あいかわらず雨が降りつづいている。無人の荒野を300キロほど走ってナタへ。その間では何度も象を見た。10頭近い群れも見た。最初のうちは「おー、象だ、象だ!」とDRに乗りながら歓声を上げていたが、そのうちに慣れてしまい、あたりまえの光景になった。「カズングラ→ナタ」間では、全部で20数頭の象を見た。

 18時、ナタに到着。郊外の「ナタロッジ」のキャンプ場に泊まる。雨のキャンプは大変だ。濡れたテントを張り、濡れたシュラフを敷く。ひとつありがたいのは、シャワールームのシャワーからはふんだんに湯が出ることだ。

 夕食はキャンプ場内のレストランで。カンビールの「セントルイス」を飲んだあと、鍋に入った肉料理を食べる。ライスつき。夕食を食べながら、「この雨はいちまでつづくのでしょうねえ」と、話題はもっぱら雨、雨、雨…。

 今回の「アフリカ縦断」は雨に降られっぱなし。ナイロビを出発した日から雨に降られている。ケニア、タンザニアではザーッと降っても、すぐに上がって青空が広がった。しかしマラウィになると雨の降る時間は長くなり、ザンビア以降はいつも雨雲が垂れ込めているという状態だ。この日で15日間連続の雨になる。

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カサネのショッピングセンター

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昼食のパパとフィッシュ&チップス

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ナタへの道。制限速度は120キロ

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国道のすぐ脇で象を見る

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大平原が広がる

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ナタのガソリンスタンド

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「ナタロッジ」での夕食

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夕食の肉料理

アフリカ縦断2013-2014(その19)

「ナイロビ→ケープタウン編」(19)


 12月31日5時、起床。トイレ、シャワーをすませ、6時、朝食。マヨパンに魚のかんづめ、それとバナナ、マンゴーを食べる。さらにキャンプ場の庭に成っているグアバの実を取って食べた。
 7時、リビングストンの「ジョリーボーイズ・キャンプ」を出発。ジンバブウェ国境までは10キロほど。ザンビアでの出国手続きを終えると、ザンベジ川にかかる橋を渡ってジンバブウェに入った。ジンバブウェのビザは国境で取ったのだが、30USドル。この国の通貨はUSドルなのだ。

 いよいよ「アフリカ縦断」のハイライト、世界最大のビクトリアの滝を見る時がやってきた。
 ビクトリアフォールズの町中にある「ビクトリアフォールズ・レストキャンプ」にテントを張ると、我々はビクトリアの滝へと急ぐ。気持ちがはやる。駐車場にバイクを止めると、大地を揺るがすような轟音が聞こえてくる。

 ゲートで入園料を払い、かわいらしい猿が群れる森の中を通り抜けると、目の前に巨大なビクトリア滝が現れた。あまりのすごさにしばらくは声も出ない。ザンビアとの国境を流れるアフリカ第4の大河、ザンベジ川が幅1700メートルにわたって118メートルの落差で落ちていく。
 大滝には虹が何本もかかっている。夕立のような水しぶきを浴びて体中が濡れているのも忘れ、茫然として大自然の驚異に見入った。1855年にリビングストンがヨーロッパ人としては初めてこの滝を目にしたときは、どんなにか驚いたことだろう。リビングストンは当時のイギリスの女王、ビクトリア女王にちなんで「ビクトリアの滝」と命名した。

 ぼくは1968年の「アフリカ縦断」の時に初めてビクトリアの滝を見た。その時はローデシア(現ジンバブエ)南部の中心地、ブラワーヨからビクトリアの滝に向かった。ビクトリアフォールズの町に着くなり、ビクトリアの滝に直行。そして大滝を目の前したときは「おー、これぞアフリカ!」と叫んだものだ。

「六大陸周遊」(1973年~74年)の「アフリカ編」の時もビクトリアの滝を見た。今回と同じルートで、ザンビアの首都ルサカからリビングストンまで行った。ビクトリアの滝はリビングストンの町から南に10キロほどのところにあるが、その時も高揚した気分でビクトリアの滝へ。大滝を目の前したときの感動は、じつに大きなものがあった。耳をつんざくような轟音。水しぶきを浴びて、びしょ濡れになりながらも滝を見つづけた。

 ビクトリアの滝はザンビアとジンバブエの国境だが、ジンバブエ側の方がザンベジ川の本流が流れているので、はるかに規模は大きい。ザンビア側は水量が少ないので、雨期に見るのに限るという。その意味では、1974年に行ったときはちょうどいい時期だった。反対にジンバブエ側は水量の減る乾期の方がよく見えるという。

 1968年の「アフリカ縦断」のときには、ジンバブエ(当時のローデシア)側で乾期のビクトリアの滝を見た。ということでこの世界一の大滝を両側から、それも滝を見るのには一番いい時期に見ることができた(これまでの世界の旅でアフリカのビクトリアの滝、北米のナイアガラの滝、南米のイグアスの滝と「世界三大瀑布」を見てきたが、ビクトリアの滝が世界一だ)。 1974年の時の話をもう少しつづけよう。

 ザンビアからローデシア(現ジンバブエ)に通じる鉄道は、ビクトリアの滝のすぐ下、ザンベジ川の幅狭い谷間を通っている。「あれ!」と目を疑ったのは、鉄橋の上に長い編成の貨物列車が止まっていたからだ。当時、国境は閉鎖され、ザンビアとローデシア(現ジンバブエ)間の鉄道は止まっていた。ところがザイールのルブンバシから送られてくる鉱物資源に限り、ザンビア政府は列車の通過を認めていた。現在ではその鉄橋を観光列車が行き来している。これも40年間の変化というものだ。

 1974年の時は、ビクトリアの滝からリビングストンに戻ると、さらにカズングラまで行った。ザンベジ川の上流に向かって50キロほど行ったところがカズングラ。ここにはザンビア側の国境事務所とボツワナへのフェリー乗り場があるだけだが、カズングラでは4つの国が接している。ザンベジ川対岸の正面がボツワナ、右側が南西アフリカ(現ナミビア)、左側がローデシア(現ジンバブエ)だ。ザンベジ川の川岸に立ち、世界で唯一の4ヵ国が接する国境を見て、もう大感動だった。

 ビクトリアの滝はアフリカでも特別の地なので、1968年、1974年と話が飛んでしまったが、ここからは2013年のことである。

 ビクトリアの滝から「ビクトリアフォールズ・レストキャンプ」に戻ると、ビクトリアフォールズの町を歩いた。欧米の観光客の姿を多く見かけた。まもなく迎える新年で町はわきたっていた。

 大晦日の夕食は町のレストランで食べた。ライス&ビーフ。これで2ドル(約200円)。しわだらけのクシャクシャの1ドル札2枚で食事代を払った。まもなく90歳になろうかというムガベ大統領の独裁がつづくジンバブエは経済が破綻し、自国の通貨も崩壊してしまった。そのためアメリカドルを自国の通貨として利用しているのだ。それ以前の通貨は土産物屋で売っている。信じられないことだが、「ビリオン(10億)」紙幣があるのだ。1ビリオンの紙幣は10憶ドル、5ビリオンの紙幣は50億ドルということになり、数字の0がズラズラズラッと並んでいる。

 現在、ジンバブエで流通しているUSドル紙幣は国内では使えても、他国ではまず使えない。両替しようとしても替えてもらえないないからだ。それほどボロボロのドル紙幣なのである。世界にはこういう国もある。

 午前0時になると花火が打ち上げられ、町のあちこちから「ハピーニューイヤー!」の声が聞こえてくる。2013年は2014年に変わった。 

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ビクトリアの滝の入口

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ビクトリアの滝

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ザンベジ川にかかる国境の橋

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夕食の「ライス&ビーフ」

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ジンバブウェの5ビリオン・ドル紙幣

アフリカ縦断2013-2014(その18)

「ナイロビ→ケープタウン編」(18)

 12月30日5時、起床。夜中に大雨に降られた。テントの中まで浸水し、大変だった。屋根の下までテントをズルズル引っ張って再度、寝なおしたのだが、シュラフはビショビショ。その雨も夜明けには上がった。トイレをすませ、たっぷりとシャワーを浴びた。お湯がふんだんに出るので助かった。

 マヨパンの朝食を食べ、7時、「エウレカ・キャンピングパーク」を出発。
 ルサカからはザンビアで一番の幹線道路を走り、ジンバブエ国境のリビングストンの町に向かっていく。さすがザンビアでも一、二の幹線道路だけあって交通量が多い。大型トラックやバスが100キロ以上の高速で疾走する。
「ルサカ→リビングストン」の道も、「チパタ→ルサカ」同様、1968年の「アフリカ縦断」で走ったのでなつかしい。

 そのときの様子を紹介しよう。

◇◇◇

 ルサカからリビングストンに向かう途中では、ひと晩、マザブカの町で泊まった。このへんからリビングストンにいたる一帯は、この国でも最も豊かな地域で、町などもヨーロッパ的色彩の強い美しい町が多い。アンゴラのロビトからザイールのカタンガ州(現シャバ州)を通って、ローデシア(現ジンバブウェ)やモザンビーク、南アフリカに行く鉄道も通っており、沿線には大規模なトウモロコシ畑やタバコの農園が見られる。マザブカはそんな中の町だった。しかしザンビアの大きな問題の一つとして、この豊かな地域とそれ以外の地域との大きな格差があげられる。その格差は一朝一夕では埋めることができないように思われた。

 翌朝、日の出前に出発したが、身を切られるような寒さ。途中、モンゼの町で焚火を見つけてあたらせてもらったが、なかなか火から離れることができなかった。この国もローデシアやマラウィと同じように国土の大半は1000メートル以上の高地で、高原を吹き抜ける風の冷たさといったらなかった。

 リビングストンまでの道は全線が舗装されており、どの車も弾丸のように走り去っていく。昼頃、道端の草の上に座ってパンをかじっていると、1台の新しい車がリビングストンの方向に向かい、140キロか150キロぐらいのものすごいスピードであっというまに消え去った。飛ばすなあ~と思っていると、それから1時間後、ジンバの町を30キロほど過ぎた地点で、さきほどの乗用車が無残な姿で横転し、運転していた若いヨーロッパ人は血まみれになって毛布にくるまれていた。見ただけでは生きているのか、死んでしまったのかわからなかったが、通りがかりの車でリビングストンに運ばれていった。現場はゆるやかなカーブで、車は曲がりきれなかったようだ。このように、スピードを出し過ぎたためにハンドルを切りそこねてひっくり返ったり、道のわきに飛び出したりする事故を何度も見た。

 午後の3時前にリビングストンに着き、タンザニアのビザを取るとルサカにとって返した。途中、カロモの町の教会で泊まった。ひと昔前まではヨーロッパ人入植者たちで賑わったであろうこの教会も、今では鬼気迫る廃墟だった」(1973年浪漫刊の『アフリカよ』より)

◇◇◇


 ルサカを出ると、ザンベジ川の支流のカフエ川を渡り、120キロほどでマザブカに到着。マザブカの町は1968年の「アフリカ縦断」で見た時とは違い、当時のきれいな町の面影はなかった。マザブカからのハイランドの豊かさも消えていた。

 マザブカからモンゼを通り、チャマに到着。「マザブカ→チョマ間」は160キロ。町中の雑踏を走り抜け、郊外の街道沿いのレストランで昼食。「チキン&チップス」を食べた。そのあと30分の昼寝。チョマを過ぎるとカロモ、ジンバを通り、ルサカから500キロのリビングストンに到着。この町はイギリスの探検家デビッド・リビングストンにちなんで名づけられた。ザンビアでは英語名の地名がどんどん変えられたといったが、その中にあって、リビングストンだけは残された。ザンビア政府がリビングストンの業績を評価しているからだろう。

 リビングストンの人口は10万人で、ザンビアでは3番目に大きな町になる。歴史の古い町でもある。1907年にノース・ウエスタン・ローデシアの首都になった。1911年、ノース・ウエスタン・ローデシアとノース・イースタン・ローデシアが合併し、ノースローデシア(北ローデシア)になったときも、リビングストンが首都だった。

 リビングストンでは「ジョリーボーイズ・キャンプ」に泊まった。キャンプ場内のレストランで「ライス&ビーフシチュー」の夕食。そのあとレストランでザンビアのビール「MOSI」を飲んだ。

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1850、「エウレカ・キャンピングパーク」を出発

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1854、街道沿いの露店でバナナを食べる

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1860、マザブカの町

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1865、ザンビアの子供たち

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1871、チョマの町

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1872、昼食の「チキン&チップス」

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1875、「ジョリーボーイズ・キャンプ」に到着

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1881、夕食の「ライス&ビーフシチュウ」

アフリカ縦断2013-2014(その17)

「ナイロビ→ケープタウン編」(17)


 12月29日、朝食を食べ、7時にカチョローラ村を出発。一本道で首都ルサカに向かう。1968年の「アフリカ縦断」のときにも通ったなつかしの道だ。

 1968年のときは大変だった。その途中で渡るザンベジ川最大の支流、ルワングワ川の鉄橋が爆破されたとのことで、厳重な警備態勢が敷かれていた。行く先々でパスポートチェックを受けたり、荷物を徹底的に調べられた。

 あれから46年。
 まったく何事もなかったかのような穏やかな道をひた走る。

 カチョーラ村から1時間ほどでルワングワ川の鉄橋にさしかかる。鉄橋を渡りながら1968年の「アフリカ縦断」のシーンが思い出されてならなかった。

 あの時はルアングア川に近づくと、100台以上のタンクローリーやトラックが数珠つなぎになって停まっていた。タンクローリーが圧倒的に多かった。急崖を下って川岸まで降りると、爆破された鉄橋が見えた。現場では軍隊が仮橋をつくっている最中だった。

 幸いなことに、バイクの強みを最大限に発揮し、軍の小船にバイクごと乗せてもらい対岸に渡ることができたのだ。対岸にも数えきれないほどの大型トラックやタンクローリーが、いつになるかわからない開通を待っていた。

 このルートは内陸国のザンビアにとっては、今も昔も生命線。とくにガソリンなどの石油製品はモザンビークのベイラ港から鉄道でマラウィのサリマに送られ、そこから1000キロもの道のりを越えて首都ルサカまで送られていく。

 ルアングア川の鉄橋を渡りながら下を見ると、1艘のカヌーが茶色い川面を流れ下っていくのが見えた。目に残るシーンだった。

 首都のルサカに向かって走ると雨が降り始めた。雨具を着ての走行。「あー、またか」という重い気分だったが、ありがたいことに雨は1時間ほどで上がった。

 ルサカ近郊の町までやってきたところで昼食。食堂でシーマを食べる。シーマには魚と青菜が添えられている。

 カチョローラから300キロ走ってザンビアの首都ルサカに到着。ルサカの中心街を走り抜け、郊外にある「エウレカ・キャンピングパーク」に泊まった。

 ここは農場内のキャンプ場。金さんこと伊藤さんと、まるで自然公園のように広いキャンプ場内を歩いた。草原や森林もある。ここは野生動物の天国のようなところで、シマウマやガゼルの群、さらにはキリンを見た。我々はまるでナショナルパークにテントを張っているようなものだ。

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ルアングア川にかかる鉄橋

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ルアングア川の流れ

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ルアングア川のカヌー

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前方には雨雲…

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昼食のシーマ

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ルサカに到着

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キャンプ場のシマウマ

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キャンプ場での夕食

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

アフリカ縦断2013-2014(その16)

「ナイロビ→ケープタウン編」(16)


 12月27日5時起床。6時朝食。まずはキャンプ場内のマンゴーの木の枝に飛びつき、食べごろのマンゴーを取る。マンゴーを食べてからマヨパンの朝食だ。

 7時、ザンビア東部のチパタを出発。この町は独立前はフォートジェームソンという名前だったが、独立後、チパタになった。ザンビア中部にカブエという鉱山町があるが、ここも独立前はブロークンヒルという英語名だった。独立後、英語や仏語の地名が現地語名に変わったのはザンビアのみならず、アフリカの各国で見られることだ。

 ザンビアが独立したのは1964年10月24日。東京オリンピックの閉会式の日に独立した。「ザンビアは今日、この閉会式の日に独立しました!」というテレビのアナウンサーの声をぼくはまだ覚えている。その生まれたばかりのザンビアの国旗を持った選手たち(たしか4、5人だったと思う)が誇らしげに国立競技場を行進した。

 チパタから首都のルサカへ。一直線に伸びる2車線の舗装路。ルサカからマラウィの首都リロングウェに行く直通の「ザンビア・マラウィバス」とすれ違った。この道はモザンビーク国境のすぐ北側を通っている。チパタから90キロのカテテで分岐する道はモザンビーク国境を越え、ザンベジ河畔のテテに通じている。

 10時、チパタから180キロのペタウケの町に到着。ここで給油。

 11時30分、国道沿いに「THULA」というロッジを見つけ、ロッジ内のレストランで昼食にする。客は我々だけ。それでも相当、待たされた。その間はテレビでイギリスのプレミアリーグのサッカーの試合を見ていた。

 1時間近く待たされてやっと食事が出てきた。メニューにはチキンカレーや魚料理などがあったが、我々の一番人気は「Tボーンステーキ」。ライス付きとシーマ付きがあるが、「カソリ&石井」のシーマ大好きコンビはいつものようにシーマだ。

 昼食のあとは東屋の屋根の下にシートを広げて昼寝する。みなさんはすでに「アフリカ縦断」の旅にすっかり慣れ、すぐに寝られる。ここではたっぷりと時間を使い13時30分の出発だ。

 ニンバの町を通り過ぎ、15時30分、本日の目的地のカチョローラ村に到着。国道沿いにある「カチョローラ・キャンプ場」に泊まった。ここでもまずはマンゴー取り。竿を使ってキャンプ場内にあるマンゴーの木から実を落とし、全部で10個以上のマンゴーを食べた。歯で皮をむき、甘味満点の実にかぶりつく。食べ終わる頃には手も顔もベトベト状態。この一帯はマンゴーの収穫の季節で、国道沿いではマンゴーを山盛りにして売っていた。

 マンゴーに大満足してからテントを張ったのだが、張り終えた頃から雨が降りはじめる。東屋の屋根の下に逃げ込み、雨宿り。

 そこではキャンプ場のオーナーのジョージと話した。朴訥とした感じの人。ジョージの話で忘れられないのは「メイド・イン・チャイナ」だ。 ザンビアにはものすごい勢いで中国製品が入り込んでいる。しかし「メイド・イン・チャイナ」は衣類でも靴でも電器でも、何でもすぐにダメになるという。それに対して「メイド・イン・ジャパン」は丈夫で長持ちし、「フォーエバー(永遠)」だという。

 その後がいい。ジョージは「But, China is a good country.(だけど中国はいい国だ)」というのだ。ジョージの「But, China is a good country.」は大うけで、その後、我々の流行語になった。何かというと「But, China is a good country.」と、ジョージの口真似をするのだった。ジョージよ、我々をおおいに楽しませてくれてありがとう!

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朝食の光景。後ろにはマンゴーの木

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チパタの町への道に出る

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国道の脇で小休止

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ペタウケのガソリンスタンド

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首都ルサカへ。一直線の道がつづく

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昼食のTボーンステーキ

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カチョローラ・キャンプ場に到着

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カチョローラ・キャンプ場からの眺め

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

アフリカ縦断2013-2014(その15)

「ナイロビ→ケープタウン編」(15)


 12月27日5時起床。まずはトイレ&シャワー。「ウイールハウス マリーナ」のキャンプ場はふんだんに水が出るし、シャワーからは熱い湯が出る。さっぱりした気分で夜明けのマラウィ湖畔を歩いた。

 6時、朝食。マヨパンのあとマンゴーにかぶりつく。3個、4個と食べ放題だ。

 7時、サンガベイの「ウイールハウス マリーナ」を出発。マラウィ湖畔にキャッサバ畑をみつけると、バイクを止めて畑の中を歩いた。

 マラウィの主食はトウモロコシだが、キャッサバも重要な食料になっている。イモを粉にするというよりも、イモのまま焼いて食べることが多い。これが西アフリカになると、いったん粉にして熱湯で煮固め、餅状にして食べる。

 来た道を引き返し、サリマの町に戻る。そして首都のリロングウェへ。交通量が一気に多くなる。ゆるやかな登り。バイクを止めると、我々は高台から雄大な風景を見下ろした。

 サリマから80キロほどでマラウィの首都リロングウェに到着。スーパーマーケットで買い出しをする。ここでは冷えたコカ・コーラを飲んだが、1本200クワチャ(約50円)。

 1時間半ほどのリロングウェ滞在で隣国のザンビアへ。国道沿いのセコンダリー・スクール(中高等学校)の木陰にシートを敷いて座り込み、さー、昼食だ。リロングウェのファストフード店で買ったハンバーガーとフライドポテトを食べる。そのあとは速攻で短い昼寝。これがすごく体に効く。

 ザンビア国境に向かって走ると雨が降り出してくる。バイクを止め、マンゴーの木の下で雨具を着て走った。

 リロングウェから130キロ走るとザンビア国境に到着。今回のマラウィはぼくにとっては46年ぶりのことになるが、こうして国境までやってくると、1968年の「アフリカ縦断」でのマラウィが懐かしく思い出されてくるのだった。

 1968年の「アフリカ縦断」ではモザンビークからマラウィに入り、マラウィ湖から流れ出るシレ川を渡った。当時は「マラウィ湖」ではなく「ニアサ湖」といっていた。シレ川を渡ると、マラウィ最大の都市ブランタイヤー、当時の首都のゾンバと通り、サリマへ。サリマからは今回と同じルートでリロングウェから国境を越えてザンビアに入ったのだ。

 1968年の「アフリカ縦断」の日記帳を開いてみると、「マラウィで気のついたこと」と題して、次のように書かれている。

1、いたるところで大統領ドクター・バンダの写真が飾られている。大統領は62歳。独身で、彼の女秘書が実質上の妻だと聞いた。
1、ミニスカート禁止令が出ている。
1、ガソリンはシェル、トータル、モービル、カルテックスの欧米系。1ガロン5シリング。
1、1970年には首都がゾンバからリロングウェに移るとのことで、そのためリロングウェに通じる道路は工事個所が多かった。
1、車は日本車が多い。トヨタ、ニッサン、ダイハツ。
1、警官の免許証チェックに何度も出会った。
1、インド人商店が多いが、インド人たちは親切に応対してくれた。
1、マラウィの主食はメーズ(トウモロコシ)。粉にして食べる。
1、マラウィ人は穏やかな性格。みなさん、表情が明るい。
1、マラウィの国土は大半が山地で、日本と似ている。
1、マラウィの国土の大半をニヤサ湖が占めている。

 マラウィ、ザンビアの出入国の手続きはスムーズで、1時間ほどでマラウィからザンビアに入った。
 国境で両替をすると1USドルが5クワチャ。1ザンビア・クワチャは約20円だ。

 国境近くの町、チパタで給油し、郊外の「ママルーラ・キャンプ場」に泊まった。テントを張り終えると、まずはキャンプ場内のバーでザンビア産ビールの「モシ」をキューッと飲み干した。1本10クワチャ(約200円)。そのあとキャンプ場内のレストランで夕食の「ラザニア」を食べた。ザンビアの辺境の地といってもいいチパタのキャンプ場で食べるイタリア料理は格別だ。

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夜明けのマラウィ湖畔を歩く

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マラウィ湖畔のキャッサバ畑

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サリマからリロングウェへの道

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リロングウェを走る日本の中古車

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木陰での昼食

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ザンビア国境への道

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チパタ郊外の「ママルーラ・キャンプ場」

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夕食の「ラザニア」

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

アフリカ縦断2013-2014(その14)

「ナイロビ→ケープタウン編」(14)


 12月26日、夜が明けるとテントを撤収してトーマスの家を出、マラウィ湖畔の「ンジャヤ・ロッジ」のキャンプ場に戻った。あいかわらず水は一滴も出ないので、シャワーはもちろん、トイレも使えない。おまけに黒雲が押し寄せてくると、ザーッと雨が降ってくる。逃げるまもなく、土砂降りの雨にズブ濡れになった。もう最悪を通り越して呪われたような気分だ。

 水が出ないので朝食を食べずに出発。幸い雨は上がった。トーマスの家に寄って夫妻に別れを告げてンカタベイの町中へ。早朝から開いている食堂でパンと紅茶の朝食を食べ、ホッとひと息つくことができた。

 ンカタベイからはマラウィ湖畔の道を南下する。2車線のこの道はマラウィを南北に縦貫する幹線道路なのだが、交通量は相変わらず少ない。

「ンジャヤ・ロッジ」ではトイレを使えなかったので、人家が途切れたところでの「ブッシュトイレ」。「出すものは出す」、これが元気で旅をつづけるための基本だ。「食う寝る出す」の中でも「出す」が、一番大事だとぼくは思っている。

 左手にマラウィ湖を見ながら走り、やがてゴム林の中に入った。天然ゴムはすっかり合成ゴムに押されているので、まだこうしてゴムの木からゴムを採取しているとは思わなかった。かなり規模の大きなゴム園だ。

 ンコタコタの町を通り、マラウィ南部に入っていくと交通量は少しは多くなった。
 国道沿いの食堂で昼食。シーマに鶏と豆、野菜がついている。

 首都のリロングウェに近いサリマの町では大統領一行とすれ違った。警官が大勢出て、すべての交通を止める。その中を大統領一行の乗った何台もの車が猛スピードで走り抜けていく。どの車に大統領が乗っているのかはわからなかった。

 サリマでは給油できなかった。
 2ヵ所のガソリンスタンドに行ったのだが、ともに「ノーぺトロール(ガソリン)」。

 仕方なく今日の宿泊地、マラウィ湖のサンガベイに向かっていったが、その途中にあるガソリンスタンドでやっと給油できた。しかしこれは例外的なケースで、今回の「ナイロビ→ケープタウン」では、ガソリンに困ることはほとんどなかった。

 このガソリンスタンドのミニショップでは、ソフトクリーム(ストロベリー)を食べた。350クワチャ(約87円)。ボリュームたっぷりで、味もなかなかのものだった。

 サンガベイでは「ウイールハウス マリーナ」のキャンプ場に泊まった。

 目の前にはマラウィ湖が広がっている。対岸のモザンビークの山々がはっきりと見える。このあたりのマラウィ湖はほぼ最南になる。グレートリフトバレー内にあるマラウィ湖からはシレ川が流れ出て、アフリカ第4の大河、ザンベジ川に合流する。

「ウイールハウス マリーナ」のバーでマラウィのビール「クチェクチェ」(600クワチャ・約150円)を飲みながら、暮れゆくマラウィ湖を眺めた。そのあとレストランで「ビーフ&ライス」の夕食。マラウィのライスはタンザニアに負けず劣らず、十分においしい。

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「ブッシュトイレ」で小休止

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ゴム園の中を行く

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マラウィを南北に縦貫する道

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昼食のシーマ

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マラウィの子供たち

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「ウイールハウス マリーナ」のキャンプ場

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マラウィ湖を見ながらビールを飲む

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夕食の「ビーフ&ライス」

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

アフリカ縦断2013-2014(その13)

「ナイロビ→ケープタウン編」(13)

 12月24日5時、夜明けとともに起き、マラウィ湖畔を歩く。やがてマラウィ湖の東側に連なる山の端から朝日が昇る。7時、パンとスクランブルエッグの朝食。8時、「チティンバ・キャンプ場」を出発。マラウィ湖畔の道を南下する。行けども行けどもマラウィ湖が見えている。

 やがてマラウィ湖畔を離れ、山中を縫って走り、マラウィ中部の中心地ムズズには10時に到着した。町中を走り、あともう少しでムズズの町を抜け出ようかというところで、スピード違反で捕まった。ここでもタンザニア同様、スピードガンで計測していた。5000クワチャ(約1250円)の罰金はその場で払った。

 ムズズを過ぎると突如、激しい雨が降り出した。雨具を着るのが遅れ、ずぶ濡れになってしまった。そんな雨も1時間ほどでやんだ。

 ムズズからマラウィ湖に下ったところがンカタベイ。驚いたことに港には1000トン以上はありそうな船が停泊していた。マラウィ湖の湖畔に造船所があるとも思えないので、「いったい、どこから運び入れたのだろう」と不思議だった。

 ンカタベイでは連泊だ。けっこう期待したンカタベイなのだが…。

 湖畔のチカレビーチにある「ンジャヤ・ロッジ」のキャンプ場に泊まった。ここまでのキャンプ場はどこもまったく申し分なかったが、ここは最悪。水が出ない。おまけにクリスマスイブなので、夜になるとビーチの舞台では大音量の生演奏が始まった。それに合わせて大勢の人たちが踊りまくっている。真夜中を過ぎても大音量の生演奏はつづき、眠れたものではない。仕方なく3時過ぎに湖畔のパーティー会場まで行き、明け方までつづいた生演奏を見ていた。

 次の日は一日、ンカタベイの町を歩いた。木陰を見つけるとしばしの昼寝。海岸の露天市は賑やかだ。魚売り場にはマラウィ湖で獲れた魚が並んでいる。

 その夜もビーチでの大音量の生演奏が始まった。2夜連続で一睡もできないのはあまりにも辛い。そこで近くのトーマスの家に逃げ込んで中庭にテントを張らせてもらった。じつはトーマスの奥さんのアリスにお金を払って、バイクのウエアなどを洗濯してもらったのだ。テントを張り終えると、トーマスは夕食ができたので、一緒に食べようという。星空の下、ランプの灯りでの食事。シーマと肉汁を手づかみで食べるのだが、トーマスはぼくの方にそっと肉を多く入れてくれた。忘れられないトーマス夫妻。

 トーマスの家の中庭は「ンジャロ・ロッジ」のキャンプ場よりも、はるかによかった。


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1601、マラウィを南下する

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1608、マラウィ湖の船

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1609、マラウィ湖の渡し船

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1627、ンカタベイの露天市

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1629、露天市に並ぶマラウィ湖の魚

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1676、マラウィ湖で湖水浴をする人たち

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1680、トーマスの家の中庭にテントを張る

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1685、トーマスの家の夕食

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