「南米・アンデス縦断」(42)

 2008年12月28日8時、チリの首都サンチャゴを出発。空は青く澄み渡り、朝早くから強い日差しが射し込めている。

 スズキの400ccバイク、DR-Z400Sを走らせ南へ、南へ。国道5号(パンアメリカンハイウエイ)を時速100キロ超のスピードで走る。

 抜けるような青空とカラッと乾いた空気。DRで切る風のサラッとした肌ざわりがなんともいえずに気持ち良い。

 この一帯はチリワインの産地。ブドウ畑が多い。モモやスモモなどの果樹園も多く見られる。ワイナリーも点在しているが、そのうちのひとつで止まり、ワイナリー内のレストランで昼食。うまい肉料理を食べた。

 さらに南へ。
 左手に長く延びるアンデス山脈の山並みを見ながら走る。アンデス山脈から流れ出る何本もの川を渡る。河原で川遊びをする家族連れの姿が見えた。

 小麦畑が黄色く色づいている。広大なトウモロコシ畑を見る。豊かな農地がパンアメリカンハイウエイ沿いに広がる。牧場も目につく。牧草地の中を馬に乗った牧童が駆け抜けていく。

 17時、サンチャゴから260キロ南のタルカに到着。「リルカイ・ホテル」に泊まったが、夕食はホテルの中庭でのバーベキュー。チリ産のワインを飲みながら、チリ産の肉をたらふく食べた。

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「モンテカルロ・ホテル」の朝食

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サンチャゴの郊外から高速道路に入る

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ワイナリーのレストランで昼食

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昼食の肉料理

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ワイナリーのブドウ畑

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夕食はバーベキュー

「南米・アンデス縦断」(41)

 チリの首都サンチャゴに到着した翌日は、相棒のスズキDR-Z400Sを「モンテカルロ・ホテル」の中庭に置き、1日かけてサンチャゴの町を歩きまわった。

 まずはサンチャゴの中心のアルマス広場に行く。広場の中央にはサンチャゴの基礎を築いたというペドロ・デ・バルディビアの騎馬像が建っている。広場の周辺には大聖堂や市庁舎、中央郵便局、国立歴史博物館などがある。

 次に中央市場へ。海産物や野菜類、肉などのの生鮮食料品の店がびっしりと並んでいる。その中でも目立つのは海鮮類の店。チリ人が魚や貝類をよく食べるということが、一目でわかる中央市場だ。

 中央市場内の食堂で昼食にする。
 まずは「ソパ・デ・マリーナ」(2000ペソ)。海鮮スープで貝類がゴソッと入っている。タラやホヤも入っている。ボリューム満点の海鮮スープだ。つづいて「セビチェ」(3000ペソ)を食べた。サーモンとフジツボのセビチェ(魚介類のマリネ)で、コリアンダーがのっている。両方、合わせても5000ペソ。日本円で約1000円。安くて美味でなおかつボリューム満点のチリの魚介料理にはうれしくなってしまう。

 中央市場からアルマス広場に戻ると、今度は地下鉄に乗って終点のキンタ・ノルマル駅まで行き、駅近くの公園を歩いた。さらに地下鉄を乗り継ぎ、サンチャゴの中央駅まで行く。ターミナル駅をプラプラ歩くのはじつに楽しい。新たな旅の夢がかきたてられるというものだ。

「モンテカルロ・ホテル」に戻ると、メンバーの長谷川さんと一緒に日本食レストランの「はな」に行く。まずは冷えたビールで乾杯。ここでは長谷川さんにすっかりご馳走になったが、舟盛りの刺身は食べきれないほどの大盛りだ。そのほか握りずしや冷ややっこ、串焼き、唐揚げなど、日本の味覚を満喫した。長谷川さん、ご馳走さま!

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連泊した「モンテカルロ・ホテル」

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サンチャゴの中心のアルマス広場

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サンチャゴの中心街を歩く

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中央市場の魚介類の売り場

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ボリューム満点の「ソパ・デ・マリーナ」

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サーモンとフジツボの「セビチェ」

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サンチャゴの地下鉄に乗る

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サンチャゴの中央駅

アフリカ縦断2013-2014(その33)

「ナイロビ→ケープタウン編」(33)


 ケープタウンに到着した翌日の1月15日は4時に起き、4時30分に「ケープタウンロッジ・ホテル」のロビーに集合した。集まったのは平本さんと尾原さん、それと賀曽利の3人。まだ暗い道を歩いてケープタウン駅まで行く。豪華寝台列車のブルートレインを見ようという趣向なのだ。

 ケープタウン駅の24番線ホームに入線した16両編成のブルートレインを見て感動したあと、ブルートレイン専用の待合室に入った。すると「コンイチハ」と日本語で挨拶され、紅茶まで出してもらった。きっと日本人観光客も多いのだろう。写真集のようなブルートレインのパンフレットをもらった平本さんは、「いつの日か、このブルートレインに乗ってみたい!」といって目を輝かせた。

「ケープタウンロッジ・ホテル」に戻るとレストランでの朝食。グアバジュースを飲み、クロワッサンとハム&チーズを食べ、8時30分にホテルを出発。全員で喜望峰に向かう。これが「アフリカ縦断」(ナイロビ→ケープタウン編)最後のツーリングになる。

 テーブルマウンテンを見ながら走り、喜望峰へとつづく小半島のケープ半島を南下する。サイモンズタウンの中心街を過ぎたところでは、ペンギンコロニーに立ち寄り、かわいらしいケープペンギンを見た。

 ケープタウンから80キロ、ケープ半島の南端に到着すると、まずは「ケープポイント」へ。駐車場にバイクを止め、ヒーヒーハーハー、息を切らせて坂道を歩いて登り、白黒2色の灯台のあるケープポイントに立った。絶景ポイントで、そこからは喜望峰の断崖を真下に見下ろせた。

 次に喜望峰へと海沿いの道を走る。道の尽きる地点には「CAPE OF GOOD HOPE 18°28′26″EAST 34°21′25″SOUTH」の碑が立っている。それには「ここはアフリカ大陸の最南西端地点」と英語とアフリカーンスで書かれている。なお英語の「CAPE OF GOOD HOPE」は,アフリカーンスでは「KAAP DIE GOEIE HOOP」になる。

 喜望峰の駐車場にバイクを止めると、岬突端の岩場に立ち、真っ青な大西洋に向かって「ウォォォー」と,雄叫びをあげた。
 そのあと岩場に座り込んだが、しばらくは動けなかった。
 17歳の夏の日が思い返されてならなかった。

「アフリカに行こう!」と思い立った「あの日」のシーンが、まざまざとまぶたに浮かんでくる。地理の地図帳の「アフリカ」のページを開き、ケープタウンとアレキサンドリアを結び、定規でピーッと赤線を引いた「あの日」のシーンだ。
「よーし、この線でもって、アフリカ大陸を縦断しよう」
 と17歳のカソリは、固く決心したのだ。

 ぼくにとってケープタウンは世界でも特別な地といっていい。1968年の「アフリカ縦断」では、どうしてもケープタウンを出発点にしたかった。ケープタウンに上陸したら喜望峰に立ち、それからアフリカ大陸を北上し、地中海のアレキサンドリアを目指すつもりでいた。

 ところが南アフリカのビザが取れず、ケープタウンを出発点にできなかった。 当時の南アフリカはアパルトヘイトの国。日本人はオナーブル・ホワイト(名誉白人)ということで、南アフリカでは有色人種の中で唯一、白人待遇を受けていた。それは日本が南アフリカの一、二の貿易相手国だったからだ。ということで日本人のビジネスマンは白人扱い。しかし同じ日本人でも旅行者はそう簡単には南アフリカに入れなかった。

 本連載の第1回目でふれたことだが、1968年4月12日に横浜港からオランダ船の「ルイス号」に乗って、「アフリカ縦断」に旅立った。この船はモザンビークのロレンソマルケス(現マプト)、南アフリカのダーバン、ポートエリザベス、ケープタウンと寄港し、大西洋を越えてブラジルのサントス、ウルグアイのモンテビデオ、さらにはアルゼンチンのブエノスアイレスまで行く船だった。

 出発前は毎日のように東京の南アフリカ領事館に通ったが、ついにビザを取れなかった。そのためケープタウンまで行くことができず、モザンビークのロレンソマルケスで下船し、そこを「アフリカ縦断」の出発点にしたのだ。その悔しさはいつまでも、いつまでもぼくの心に残った。ケープタウンから走り出したかった…。

 それだけに今回、こうしてケープタウンをゴール地点にすることができ、喜望峰に立つことができて、感慨はひとしおだった。

 名残おしい喜望峰に別れを告げ、我々はケープタウンに戻る。その途中では、サイモンズタウンのレストランで昼食のパスタを食べた。

 ケープ半島西岸の絵のように美しい海岸美を眺め、テーブルマウンテンを見上げながら走り、ケープタウンの中心街に入っていく。すると何と、ヤマハのテネレに乗るピーターとすれ違った。ピーターはすばやくUターンすると、我々を「ケープタウンロッジ・ホテル」まで先導してくれた。

 17時、「ケープタウンロッジ・ホテル」に到着。これにて「アフリカ縦断」の全行程終了。ナイロビからの距離は7395キロになった。全行程をノントラブルで走りきってくれた我が愛車、スズキのDR-Z400Sには、「ほんとうによく走ってくれた。DRよ、ありがとう!」と心からのお礼をいった。

 翌1月16日7時、「ケープタウンロッジ・ホテル」にはテネレに乗ってピーターがやってきた。これからケープタウン国際空港の近くにある「モルガン・カーゴー」までバイクを持っていくのだが、ケープタウンを知りつくしているピーターが案内してくれるというのだ。

 ケープタウンの中心街を走り抜け、空港に通じるN2(国道2号)を走り、1時間ほど走って「モルガン・カーゴ」の保税倉庫に到着。ここでピーターと別れた。ピーターはテネレを飛ばし、これから職場まで行くという。ほんとうにありがとう、ピーター!

 横浜港の本牧埠頭でバイクを送り出したときと同じように、各人のバイクのバッテリーの配線を外し、最後にバイクをバックに記念撮影をした。横浜港で受け取る日まで、しばらくの別れだ。

「モルカン・カーゴ」が用意してくれた車に分乗して「ケープタウンロッジ・ホテル」に戻った。

 その日の夕食は「富士yumi」という日本食のレストラン。刺身&天ぷらと日本の味を満喫。ご飯も味噌汁もうまかった。夕食を終えるとホテルに戻り、601号室のカソリの部屋での宴会開始。ビールやワインをさんざん飲んだ。

 参加者のみなさんには、今回の「アフリカ縦断」の一言コメントをもらった。

 亀石さん…ケープタウンに到着できてうれしい。次回は単独で!(この言葉通り亀石さんはケープタウンに残り、さらに何日か、旅をつづけた)
 栗山さん…「今、とっても楽しい旅をつづけてます。雨が降りつづいているけれど」と妻に手紙を書きましたよ(栗山さんはテント内で傘をさして寝た伝説の人)。
 平本さん…ダートを走り切れた自分の力に感動です。
 伊藤さん…こんなに楽しい時間を過ごせて。それがとってもうれしい!
 石井さん…もう、ハラハラドキドキの連続ですよ。
 榛澤さん…腰の痛みを乗り越えてケープタウンまで走り切れたことが何よりもうれしい!(榛澤さんは腰痛のため出発が危ぶまれたほど)
 尾原さん…自分勝手に走れたのがすごくよかった(尾原さんは速い。ナミブ砂漠をまるで我が庭のようにして走った)
 増田さん…日本での怠惰な生活を乗り越えてケープタウンまで走り切りました。日本に帰ったらまた怠惰な生活に戻りますよ(笑)
 小島さん…みんなのまとまり、「和」がすごい!

 翌1月17日13時30分、ケープタウン国際空港からエミレーツ航空のEK773便でドバイへ。ドバイでEK318便に乗り換え、1月18日18時45分に成田空港に到着した。

 空港に降り立ったカソリ、「さー、次はナイロビ→アレキサンドリアだ!」と、「アフリカ縦断・後編」への夢を新たにするのだった。(了) 

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いざ、喜望峰へ

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ケープペンギンを見る

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ケープポイントから見下ろす喜望峰

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喜望峰で記念撮影

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喜望峰に立つ!

アフリカ縦断2013-2014(その32)

「ナイロビ→ケープタウン編」(32)


 1月14日、6時、朝食。マヨパンとトマト、缶詰のビーン(豆)を食べ、8時、出発。N1(国道1号)のウースターからはグレートカルー、リトルカルーの丘陵地帯を豪快なアップ&ダウンの連続で一気に越えていく。

 そして南アフリカのインド洋岸の港町、ダーバン、イーストロンドン、ポートエリザベスを結び、ケープタウンに通じるN2(国道2号)に出た。その間はケープワインの一大産地。丘陵地帯の斜面にはブドウ畑が広がり、ワイナリーをあちこちで見た。かんきつ類やスモモなどの果樹園も見た。

 N2(国道2号)を横切り、ブレダスドルプの町へ。その間もアップダウンの連続。セローに乗る栗山さんは「北海道よりも1000倍も2000倍も大きい風景!」と感動した面持ちで言った。

 ブレダスドルプの町を過ぎると、風景は一転して大平原に変わった。

 12時、アフリカ大陸最南端のアグラス岬に着いた。岬には赤白2色の灯台。岬の突端には「アフリカ大陸最南端」の碑。それには「あなたは今、アフリカ大陸最南端の地に立っています」と、英語とアフリカーンスで書かれている。

 目の前の青い海に別に線が引かれている訳ではないが、ここで右手の大西洋と左手のインド洋の2つの大洋に分かれる。アグラス岬に立っていると、まるで地球を手玉にとっているかのような壮大な気分を味わうことができた。

 アグラス岬に立つのは「南部アフリカ一周」(1973年~74年)と、道祖神のバイクツアー「目指せ、アグラス岬!」(2003年~04年)に次いで3度目のことになる。中でも「目指せ、アグラス岬!」は忘れられない。アグラス岬に立った日の夜はブレダースドルプの町のキャンプ場に泊まった。我ら「アグラス軍団」は大晦日の町に繰り出し、レストランで盛大な宴会を開いた。特産のケープワインを何本もあけ、「乾杯!」を何度も繰り返し、アグラス岬到着を祝った。

 翌朝は2004年の元日。我々はブレダースドルプのキャンプ場で初日の出を見た。一片の雲もない快晴の空に昇る朝日は神々しいばかりで、思わず手を合わせた。真夏のアフリカ大陸最南の地には正月気分はまるでなかったが、口々に「明けましておめでとうございま~す!」と新年の挨拶をかわしたのだ。それがつい昨日のことのように思い出されるのだった。

 そんな思い出の地、ブレダースドルプの町に戻ると、ゴールのケープタウンを目指した。カレドンでN2(国道2号)に合流し、ゆるやかな峠を越えると、喜望峰へとつづく海岸線を一望した。さらにN2を走ると、ケープタウンのシンボルのテーブルマウンテンがどんどん大きくなってくる。

 そしてアグラス岬から200キロほど走ってケープタウンに到着。ナイロビを出発してから28日目、7232キロを走ってのケープタウン到着だ。 ケープタウンでは町中の「ケープタウンロッジ・ホテル」に泊まった。

 夕食はケープタウン一番の繁華街、ロング通りのすし店「ミナト」で。

 まずはビールの「ウイントフック」で乾杯。味よりも名前で選んだビール。そのあとで食べた何種もの握りずしはうまかった。香港人の板前さんが握ったすし。ビールを飲み干すと、つづいて日本酒の「白鶴」を升で飲んだ。

 最高の気分で「ケープタウンロッジ・ホテル」に戻ると、ピーターとレナタのカップルが来てくれた。今度はホテルのバーで2人と一緒にケープワインを飲んだ。

 ナミビアのウイントフックで会い、次にアラスで会い、最後に南アフリカのケープタウンで会ったピーターとレナタ。「アフリカ縦断」での忘れられない人になった。

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一面のブドウ畑

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アグラス岬へ

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アグラス岬の灯台

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アフリカ大陸最南端の碑

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ケープタウンまであとわずか

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ケープタウンに到着!

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ケープタウンのロング通り

アフリカ縦断2013-2014(その31)

「ナイロビ→ケープタウン編」(31)


 1月12日、国境のオレンジ川にかかる橋を渡ってナミビアから南アフリカに入った。いよいよ「アフリカ縦断」最後の国だ。南アフリカの入国手続きは簡単に済み、ゴールのケープタウンを目指し、N7(国道7号)を南下していく。

 国道沿いのレストランで昼食。この店の主人はポルトガル人で、我々が日本人だとわかると、「よく来てくれた!」といって歓迎してくれた。すかさず「ボンディア」(こんにちは)とポルトガル語で挨拶をした。ポルトガル人には親日的な人が多い。

 昼食のフィッシュ&チップスを食べ、ポルトガル人の店の主人に別れを告げ、さらにN7を南下する。ケープタウンに通じるN7は高速道路のような高規格道路になり、インターチェンジを通しての出入りになる。

 国境から120キロのスプリングボックで降り、町中のガソリンスタンドで給油したあと、郊外の「スプリングボックキャラバンパーク」に泊まった。

 テントを張り終えると焚火を開始。道祖神の吉岡さんが、日本から持ってきたサプライズの餅を出してくれた。さっそく焼いて食べる。1人2個の餅を食べたのだが、醤油につけて食べる餅のうまさといったらなかった。今回の「アフリカ縦断」最高のご馳走だ。

「おー、これぞ日本の味!」の声が出る。

 餅を食べながら「すしを食べたい」、「ラーメンを食べたい」、「あったかいご飯に納豆をかけて食べたい」などなど、「日本食談義」で我々はおおいに盛り上がった。

 翌日は6時、朝食。7時、出発。N7をひたすら南下する。交通量は少ないので快適走行。道路の工事個所がちょっと辛い。日本のように短い区間ではなく、長い区間での工事。その間は片側通行で、タイミングが悪いと長時間、待たされることになる。

 ガリエス、ビッターフォンテインと通り、バンリーンスドルプの町で昼食。カルテックスのガソリンスタンドのレストランでハンバーグを食べた。

 このガソリンスタンドの一角にはミニショップに隣り合ってベンツの販売店があった。店内には新車が無造作に並べられている。日本でいえば地方の小さな町のガソリンスタンドにベンツの販売店があるようなもの。それはアフリカでは一番の経済大国、南アフリカを見せつけるような光景だった。

 さらにN7を南下し、15時、シトルスダルの町に到着。ここまで来れば、ゴールのケープタウンまではあとわずか。150キロほどでしかない。だがここでN7を離れ、アフリカ大陸最南端のアグラス岬に向かう。

 ゆるやかなアップダウンのつづく丘陵地帯に入っていく。一気に緑が増え、豊かな農業地帯に変わる。ケープタウンからヨハネスバーグに通じるN1(国道1号)に出ると、ウースターの町へ。町の郊外にある「ニッキーズ リゾート&キャンプサイト」に到着。ここが「アフリカ縦断」最後のキャンプ地だ。

 高台にあるキャンプ場。ウースリーの光の海のような町明かりを眼下に見下ろした。東の空には十三夜の月が明るく輝いていた。ウースリーの町明かりを眺めながらのパン&ビーフシチューの夕食。そのあとはカンビールを飲み、ワインを飲んだ。名残りおしい最後のキャンプだった。

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ポルトガル人のレストランで昼食

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N7(国道7号)を南下

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南アフリカのガソリンスタンド

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N7(国道7号)の道標

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N1(国道1号)に出る

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最後のキャンプ…

アフリカ縦断2013-2014(その30)

「ナイロビ→ケープタウン編」(30)


 1月11日。夜明け前に起き、全員でフィッシュリバーキャニオンへ。朝日に照らされた大峡谷を見ようという趣向だ。砂漠に昇る朝日にフィッシュリバーキャニオンは刻一刻と色を変えていく。そんな大峡谷の色の変化を展望台に立ち尽くして見つづけた。

「ホバスキャンピングサイト」に戻るとマヨパン&紅茶の朝食を食べ、8時に出発。この日はアイアイ温泉までの80キロほどなので、すごく楽な行程だ。高速ダートを走り出すとまもなく「世界一周」チャリダーの伊藤さんの自転車を追い抜いた。
「ガンバレ、伊藤さん!」

 ナミビア一番の温泉、アイアイ温泉のキャンプ場「アイアイホットスプリングスリゾート」に到着したのは10時。「ホバスキャンピングサイト」から73キロだ。さっそく豪華な温泉施設の温泉に入る。その入浴料は10ナミビアドル。日本円では100円ほどでしかない。昼食はキャンプ場内のレストラン。フィッシュ&チップスを食べた。昼食後はナミビアのビール「TAFEL」を飲んだ。1本18ナミビアドル(約180円)。

「よーし、今日は徹底的に飲もう!」
 と決め、夕方までに全部で8本の「TAFEL」を飲んだ。
 ほろ酔い気分での夕食では、オリックスのステーキを食べた。

 1月12日、5時起床。満天の星空。夜が明け、マヨパン&紅茶の朝食を食べ、7時出発。ナミブ砂漠を南下し、10時には南アフリカとの国境に到着した。

 アイアイ温泉から140キロほどだ。
 ナミビア側での出国手続きを終え、国境のオレンジ川を渡る。
「おー、なつかしのオレンジ川よ!」

 ぼくが初めてこのオレンジ川を渡ったのは「南部アフリカ一周」(1973年~1974年)の時のことだった。「南部アフリカ一周」では南アフリカのヨハネスバーグを出発点にし、スワジランド、レソト、南西アフリカ(現ナミビア)の4ヵ国をスズキのGT550で走った。全行程1万キロの「南部アフリカ一周」ではどのようにしてオレンジ川を渡るかが、大きな問題だった。

 その時はケープタウンから北上したのだが、南西アフリカの国境に近づくにつれて不安が増した。「国境はいったい、どうなっているのだろう」という不安だ。

 南西アフリカ入国のビザも許可証も持っていなかった。国境で追い返されたら、「もうそのときはそのとき」と覚悟を決めていた。

 ヨハネスバーグを出発する前には南アフリカの内務省に行った。南西アフリカへの入国について聞くためである。特別な許可証のようなものが必要なのか、それともビザが必要なのか。

 南西アフリカは1884年にドイツ領になったが、第1次世界大戦後の1920年に南アフリカの委任統治領になった。第2次世界大戦後は国連の信託統治領への移行を勧告されたがそれを拒否し、南アフリカは実質上、南西アフリカを支配していたのだ。

 内務省では「あっちだ、こっちだ」と次々に窓口をたらい回しにされたが、結局、最後まで明快な回答を得ることができなかった。というよりも、わざとはっきりとさせないような節を感じた。ということで、南西アフリカはビザなしで行くことにしたのだった。

 乾ききった丘陵地帯を走り抜け、オレンジ川の河谷に入った。
「この流れが南アフリカと南西アフリカの国境なのか」
 と、感動した面持ちで眺めた。

 国境に到着すると、じつに意外というか、拍子抜けしてしまった。出入国のチェックがまったくなかったからだ。南アフリカ側、南西アフリカ側には、ともに国境のイミグレーションや税関、検問所のたぐいは一切なかった。オレンジ川にかかる橋の上にGT550を停めた。茶色に濁った水が流れ、川の両側だけにわずかな緑が見られた。それらをとりまく茶褐色の山肌には草木一本なかった。

 今回、ナミビア側での出国手続きを終えてオレンジ川にかかる橋をDR-Z400Sで渡っていると、40年前の「南部アフリカ一周」のシーンが鮮明な画像で蘇り、胸がいっぱいになってしまうのだった。

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早朝のフィッシュリバーキャニオン

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アイアイ温泉への道

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アイアイ温泉のキャンプ場に到着

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アイアイ温泉に入る

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南アフリカ国境へ

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これがナミブ砂漠での最後の記念撮影

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南アフリカ国境に到着!

アフリカ縦断2013-2014(その29)

「ナイロビ→ケープタウン編」(29)


 1月10日。夜明けとともに起きると、キャンプ場内のトレッキングコースを40分ほど歩いて岩山の頂上に立った。そこからは岩峰群の向こうに広がる大平原を一望。すごい眺めだ。やがてキャンプ場をぐるりと取り巻く岩山の端から朝日が昇った。岩山の頂上からは急ぎ足で下り、朝食に間に合わせた。

 いつものマヨパン&紅茶の朝食を食べ、ピーターとレナタのカップルには「ケープタウンでまた会いましょう~!」といって別れ、アラスのキャンプ場「クレインアラスビスタ」を出発。キートマンスホープに通じる幹線道路を行く。

 アラスから100キロ走ったゴアゲブの町で給油する予定だったが、町は廃れ、ガソリンスタンドも廃墟同然になっていた。
 さー、困った。

 ここで道祖神の吉岡さんが取った手は、ゴアゲブで分岐する道を北に40キロほど行ったバサニエで給油するというもの。サポートカーだけが行ってジェリカンを満タンにし、我々バイク部隊はどこか日蔭を見つけて車を待つことにした。

 ところがキートマンスホープへの幹線道路を東に向かって走ったが、行けども行けども木一本、はえていない。日蔭はまったくないのだ。

 もはやここまでと、仕方なく道路沿いの空き地にバイクを止め、そこで車を待つことにした。頭上にはギラギラ照りつける太陽。一片の雲もない。頭がクラクラしてくる。そんな灼熱の太陽の元でみなさんは各自それぞれの方法で休憩をとった。

 旅に出てからひげを伸ばし始めた伊藤さんは、バックミラーを見ながらひげのお手入れ。最年長の榛澤さんは、まるで灼熱の砂漠を楽しむかのように裸になって日光浴している。いやー、お元気だ。女性ライダーの平本さんはセローの作り出すわずかばかりに日蔭で横になっている。もうすっかり「アフリカ縦断旅」になじんでいるみなさんだ。

 こうして4、50分待ち、サポートカーがやってきたところで再度の出発となった。

 アラスから180キロ走ったシーヘイムでキートマンスホープに通じる2車線の幹線道路を右折し、世界でも最大級の大峡谷、フィッシュリバーキャニオンに向かう。

 フィッシュリバーキャニオンへの道は幅広の高速ダート。土煙をモウモウと巻き上げて走る。道路に沿って大西洋の港町リューデリッツと南アフリカを結ぶ鉄道が通っている。昼食の時間になっても我々は日蔭を見つけられず、この鉄路を使った。

 鉄道の橋脚の下にもぐり込み、枯れ川の砂の上にシートを広げ、頭を橋にぶつけないようにして昼食にした。パンと缶詰。食べ終わると、すばやく15分間の昼寝をした。すべてを焼き尽くすような灼熱の砂漠でも、こうして太陽光線さえ遮れば、けっこう快適にすごせるのだ。

 シーヘイムからダートを130キロ走り、フィッシュリバーキャニオンに近い「ホバスキャンピングサイト」に到着。広々としたきれいなキャンプ場だ。

 各自、テントを張り終えると、バイクを連ねてフィッシュリバーキャニオンに行く。
 10キロほどのダートを走り、パックリと口をあけた大峡谷を一望した。峡谷の深さは550メートル。壮大な眺めだ。

 曲がりくねって流れるフィッシュ川がはるか下の方に小さく見えている。砂漠の中を流れる川なので水量は少なかったが、いったん洪水になると大量の水が流れ下るという。削りとられた岩山に緑はほとんど見られない。

 フィッシュリバーキャニオンの全長は160キロ。アメリカのグランドキャニオンに次ぐ世界第2位の大峡谷だといわれている。

 我々は展望台から両方向に延びるダートを走り、夕日に染まるフィッシュリバーキャニオンをバックに記念撮影した。

 キャンプ場に戻ると、「世界一周」中の日本人チャリダーの伊藤さんに出会った。伊藤さんは福島出身で、5年近くをかけての「世界一周」。これからケープタウンに向かっていくという。夕食の席に伊藤さんを招き、ライス&シチューの夕食を一緒に食べた。

 道祖神の吉岡さんは同じ自転車での「世界一周」ということで、伊藤さんとの「世界一周」談義で盛り上がる。我々のビール、ワインの飲み会は夜中までつづいた。

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アラスの岩山に朝日が昇る

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ピーター&レナタと伊藤さん

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アラスのキャンプ場をあとにする

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鉄道の橋の下にもぐりこんでの昼食

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ナミブ砂漠の一直線の道

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夕日を浴びたフィッシュリバーキャニオン

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フィッシュリバーキャニオンでの記念撮影

アフリカ縦断2013-2014(その28)

「ナイロビ→ケープタウン編」(28)

 1月9日。5時、起床。まだ、真っ暗だ。テントを出ると、ジャッカルがやって来た。1頭だけでキャンプ地を徘徊して去っていった。人を襲うことはないと聞いていたが、あまり気持ちのいい来訪者ではない。見上げると満天の星空。天の川が天空を横切る。大河が滔々と流れているかのようだ。南十字星もよく見える。

 トイレ、シャワーをすませ、キャンプ場周辺の荒野をプラプラ歩いていると夜が明ける。夜明けの空の色の変化はじつに美しい。思わず見とれてしまう。やがて一木一草もないナミブ砂漠の岩山から朝日が昇る。

 6時、朝食。マヨパン(マヨネーズを塗ったパン)とオレンジ。飲み物は紅茶だ。

 7時、「セスリエム・キャンピング」を出発。ガソリンスタンドで給油し、ナミブ砂漠を貫く一直線のダートを行く。路面の整備された幅広のダートで100キロ以上の速度で走れる。日本の林道とはまったく違う高速ダートだ。高速ダートを走りながらガゼルやジャッカルなどの野生動物を見る。

 セスリエムから30キロほど走った地点には、一軒宿の温泉施設があった。まるでナミブ砂漠の蜃気楼を見るかのようだ。その名は「Le Mirage Lodge & SPA」で、まさにナミブ砂漠の「蜃気楼温泉」。残念ながら温泉に入る時間はなく、温泉施設の外観の写真だけを撮って走り出した。

 気温がグングン上昇する。一片の雲もなく、強烈な太陽光線を浴びながら走りつづける。日蔭がないので、休憩もできない。

 この一帯にはわずかばかりの草がはえている。牛や羊の姿はほとんど見ることはないが、途切れることなく大牧場がつづいている。高速ダートの両側には鉄線が張られている。牧場と牧場の境目には、グリッドが道を横切っている。グリッドは格子状に何本かの鉄棒を渡したもので、この境目を家畜が行き来することはないという。

 この大牧場地帯では頻繁にオリックスが飛び出してきた。バイクのエンジン音に驚き、猛然とダッシュする。思い切りジャンプしてフェンスを飛び越えようとするオリックスもいる。うまくフェンスを飛び越えられなくて、鉄線にからまって倒れ込むオリックスもいる。そんな姿を見るとついついかわいそうになり、DRの速度をガクッと落とし、オリックスを先に行かせるのだった。

 ついに道の脇に一本の木をみつけた。日蔭にシートを広げ、そこで全車を待って昼食にする。パン&コンビーフ。昼食後には15分間の昼寝をした。この短い眠りがパワーを復活させてくれる。

 セスリエムから140キロ地点の分岐点にはガソリンスタンドがあった。ここで給油。まさに「砂漠のオアシス」といったところで、キャンプ場もある。風車の回る堀り抜き井戸で水を得ている。ミニショップで冷えたコカコーラを買い、一気に飲み干したが、このうまさは砂漠ならではのものだ。

 ここの分岐は右折するのだが、ナミブ砂漠内の道標はしっかりしているので道に迷う心配はない。さらに100キロのダートを走ると、T字の分岐にぶつかる。そこは右へ。さらに110キロ、とてつもなく大きな風景の中を走りつづけ、ついに舗装路に出た。

 セスリエムから350キロの連続ダートだ。
 この高速ダートでの対向車とのすれ違いや追い抜きは大変だ。

 地平線上にポツンと車が見えると、やがて長い砂煙の尾を引いて車が近づき、そしてすれ違う。お互いに100キロ以上の走行でのすれ違いなので、モウモウと立ち込める砂煙の中を走り抜けることになる。跳ね上げる小石がヘルメットに当たり、ビシバシと鋭い音を上げる。大石が腹に当たり、ボディーブローを喰らったときは、思わず「ウーーーッ」と呻き声をあげてしまう。

 追い抜きはもっと大変だ。先行する車の巻き上げる砂煙の中に入ると、もう前方はまったく見えない。視界ゼロの中を100キロ以上の速度で走る。いくら交通量が少ないとはいっても、もし対向車が来ていたら避けようがない。追い抜きのたびに命を張るような思いで砂塵の中を走り抜けた。

 それだけに舗装路に出たときは、よけいにホッとしたのだ。

 この舗装路は大西洋岸のリューデリッツと内陸のキートマンホープスを結ぶ幹線道路。 T字を右折し、アラスの町に入っていく。ここで給油し、町から5キロほど行ったところにあるキャンプ場「クレインアラスビスタ」に泊まった。我々がテントを張っていると、すぐ隣のサイトにはウイントフックのキャンプ場で一緒になったピーターとレナタの夫婦がやってきた。「いやー、いやー!」で、2人とは固い握手をかわした。旅はまさに人との出会いの連続だ。

 夕食のあと我々はピーターとレナタのテントに行き、紅茶やワインをいただいた。奥さんのレナタは素敵な女性で日本人的なおくゆかしさがある。英語での会話だったが、みんなにわかるように、きれいな英語でゆっくりと話してくれる。そんなレナタは我々の唯一の女性メンバーの平本さんを激賞する。

「男性の中でただ一人の女性なんて…。すごくエライし、すごく勇気がある!」

 2人は来年は2台のバイクで「ケープタウン→アディスアベバ(エチオピア)」を往復するといっていたが、レナタはきっと平本さんに影響されたからなのだろう、バイクは彼女と同じ、ヤマハのセローにするという。

 ひとしきり会話が弾んだあとは、ピーターはギターを弾いて聞かせてくれた。
 ピーターとレナタは我々よりも先にケープタウンに戻るということで、我々がケープタウンに到着する日には、ホテルまで来てくれるという。

 2人に「おやすみなさい」をいってテントに戻ると、寒さに震えながらシュラフにもぐり込んだ。昼間の強烈な暑さはまるでウソのようにしんしんと冷え込んでくる。これが砂漠。昼間と夜の気温はまったく違うのだ。

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早朝のナミブ砂漠

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ナミブ砂漠の温泉

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灼熱のナミブ砂漠を行く

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谷間へと下っていく

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ナミブ砂漠の道標

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一直線の道がつづく

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うれしいピーターとの再会!

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アラスのキャンプ場に到着

御大20140627

kasori20140627.jpg

管理人です。すっごく久しぶりに賀曽利御大にお会いしました。
メールでやり取りしているので、1年半ぶりくらいの感じはしなかったのですが。光陰矢の如し。

オヤジのサシのみでしたがイタリアン→タイ料理と盛り上がりまくり。
玉稿ならぬ玉写真+資料類を拝借。

PCの環境がWin8.1となり昔の環境が吹き飛んでいますが、夏を目標になんとか頑張ります。。。
著者・管理人

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