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  10 ,2014

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


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Author: 賀曽利隆
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Category: 南米・アンデス縦断2007-2008

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「南米・アンデス縦断」(59)
 1月11日。「ホテル・エスパネ」の朝食を食べ、8時30分に出発。 一歩、フエゴ島を走りはじめると、とても島とは思えないほどの広さに圧倒される。大陸そのままといった感じの大平原がはてしなくつづく。地平線に一直線に突き刺さるような道を走りつづける。道を横切る羊の大群に出会ったが、これはパタゴニアでは見られない光景だ。

 南緯55度の世界最南の町ウシュアイアとアルゼンチンの首都ブエノスアイレスを結ぶ道に合流し、国境に到着。チリ側の国境事務所で出国手続きを終えると、アルゼンチン側の国境事務所に向かった。ここはぼくにとっては忘れられない国境なのだ。

「南米一周」(1984年~1985年)の時のこと。
 チリ側からアルゼンチン側に入ると、「ツーリスタ・ハポネス!(おー、日本人の旅行者よ!)」と国境事務所の係官に大歓迎され、熱いコーヒーまで入れてくれた。
「で、キミに頼みがあるのだけど…」

 このフエゴ島の国境を通過する日本人旅行者の数はけっこう多いとのことで、スペイン語をまったく話せないし、読めないという日本人旅行者も多いという。そこで次のような質問事項を日本語で書いて欲しいと頼まれたのだ。

「あなたの名前は?」
「生年月日は?」
「独身ですか? 結婚していますか?」
「どこから来ましたか?」
「どこに行きますか?」

 おやすい御用と引き受けたのはいいのだが、なにしろ「悪筆カソリ」、それを見た日本人旅行者たちはきっとアルゼンチン人の書いた日本語だと思ったことだろう。アルゼンチン側の国境事務所で入国手続きをしていると、そんな思い出が鮮やかに蘇ってくるのだった。

 国境を越えたアルゼンチン側で昼食。カップヌードルとサンドイッチを食べた。

 国境を越えるとすぐにサンセバスチャンの町。そこからウシュアイアへは国道3号(ルータ・トレス)を南下していく。この国道3号はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスとウシュアイアを結ぶアルゼンチンの幹線国道で、全長は3000キロを超える。チリ領内ではルートナンバーが変わり、フエゴ島内が国道257号、マゼラン海峡を渡った大陸側が国道255号になっている。

 フエゴ島最大の町リオグランデを過ぎると、平地から山地に入っていく。南米大陸を南北に走るアンデス山脈の最南端の山々。高さは1000メートル前後でしかないのに、どの山も雪をかぶっている。

 雪山に手が届きそうなくらいの峠を越えた。
 峠を下り、谷を抜け出ると、前方にビーグル水道が見えてきた。
「やったー! ついにやって来たぞ、ウシュアイアだ!」

 20時、ウシュアイアに到着。ペルーの首都リマを出発してから38日目。9082キロを走っての到着だ。
 それにしても南緯55度という世界最南の町は寒かった。夏の盛りだというのに周囲の山々は冬景色同然で、雪化粧をしている。

 我々はウシュアイアの町をひとまわりしたあと、ビーグル水道の浜辺に立った。対岸はチリのナバンノ島。さらにその南には小島が点在し、ホーン岬で南米は尽きる。その南の世界といえばドレーク海峡をはさんで南極大陸のアンタルティカ(南極)半島になる。そこまでの距離は800キロほどでしかない。ウシュアイアから南極大陸はきわめて近い。

 ウシュアイアでは「ホテル・ティエラ・デル・フエゴ」に泊まった。その夜はウシュアイア到着を祝っての大宴会。シャンパンを景気よく開け、ビールやワインを飲み干した。

 じつは出発前、「南部アフリカ」(2003年~2004年)と「サハラ砂漠縦断」(2004年~2005年)、「韓国往復縦断」(2005年)を一緒に走った島田利嗣さんからカンパを預かっていた。島田さんは今回の「南米・アンデス縦断」にも参加するつもりで楽しみにしていたが、病に倒れ、参加できなくなってしまった。

 そんな島田さんから、「カソリさん、ウシュアイアに着いたらみなさんで祝杯を上げてください!」といって預かったカンパ。それを使わせてもらっての大宴会なのだ。大宴会は夜中までつづいた。最後に全員で「島田さん、ありがとう!」と声を上げ、大宴会はお開きになった。

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フエゴ島を走る!

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一直線に延びる道

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羊の群れに出会う

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ウシュアイアに到着!

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Category: 南米・アンデス縦断2007-2008

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「南米・アンデス縦断」(58)
 マゼラン海峡入口のブルネス要塞からプンタ・アレナスに戻ると、プンタ・アレナス港のフェリー乗場へ。それほど待つこともなくフエゴ島のボルベニール港行きのフェリーがやってきた。接岸すると乗客が先に降り、つづいて車が降りる。いよいよ乗船開始。まずは我々のバイクが乗船。そのあと車が乗り込む。乗船するとすぐさま甲板に上がった。

  17時、定刻通りの出港。穏やかなマゼラン海峡を行く。プンタ・アレナスの町並みは遠ざかり、前方のフエゴ島の島影が次第にはっきりとしてくる。平坦なフエゴ島なので、島というよりも、大陸が横たわっているかのような見える。フエゴ島の面積は47990平方キロ。北海道には及ばないものの、九州よりもはるかに大きい。島の西側がチリ領で、東側がアルゼンチン領になっている。その南側に我々の目指す南緯55度の世界最南の町ウシュアイアがある。

 マゼラン海峡は荒れることもなく、天気が崩れることもなく、プンタ・アレナス港を出てから2時間30分後の20時、フエゴ島のポルベニール港に到着。フェリーを下船し、相棒のDR-Z400Sでフエゴ島を一歩、走り出す瞬間の気分はもう最高だ。

 宿は港に近い「ホテル・エスパネ」。夕食はホテルのレストランで。ワインを飲みながらライスの添えられたビーフステーキを食べた。

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プンタ・アレナス港のフェリー乗場

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フエゴ島に渡るフェリーがやってきた

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フェリーに我々のバイクを積み込む

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ただいまマゼラン海峡を横断中!

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フエゴ島のポルベニール港に到着

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夕食のビーフステーキ

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Category: 南米・アンデス縦断2007-2008

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「南米・アンデス縦断」(57)
 1月10日。「ホテル・イスラ・レイ・ホルヘ」の朝食を食べ、8時、プンタ・アレナスを出発。マゼラン海峡沿いの道を南下し、マゼラン海峡の入口にあるブルネス要塞まで行く。ブルネス要塞は南米大陸最南の地だ。

 マゼラン海峡を左手に見ながら走る。フエゴ島がはっきりと見える。プンタ・アレナスから60キロ走るとブルネス要塞に到着。1843年に築かれた要塞で、それが復元されて史跡公園になっている。錆びた大砲の砲身がマゼラン海峡に向いている。

 ブルネス要塞を見てまわると、要塞内の道をさらに南下し、最南端のサンタ・アナ岬まで行った。南米大陸の道はここで尽きる。南緯53度38分15秒、西経70度54分38秒のサンタ・アナ岬は南米大陸最南端の岬だ。

「南米大陸一周」(1984年~85年)の時もブルネス要塞に来たが、そのときは軍がここを管理していた。軍のみなさんの好意でひと晩、泊めてもらった。職業軍人のベネガスさんがキャプテン格で、彼の下に19歳とか20歳といった若い兵士たちが6人いた。

 軍の宿舎での夕食では、ぶ厚いビーフステーキをご馳走になった。ビーフステーキを食べながら、ベネガスさん、若い兵士たちとワインを飲みながら、日本のこと、チリのことなど、いろいろ話した。ぼくはカタコトのスペイン語なのだが、カタコト語の威力とでもいおうか、言葉でそれほど不自由することはなかった。

「南米一周」をスタートさせた頃は英語がこれほどまでに通じないとは思ってもみなかったので、けっこう困った。しかし「言葉は慣れ」で、単語をつなぎ合わせた程度のカタコトのスペイン語でもけっこう通じるものなのだ。

 チリでは18歳から20歳までが徴兵期間だとのことで、若い兵士たちは全員が徴兵期間中。任期を終えて、早く家に帰りたいと、誰もが口々にいう。

 日本には徴兵制度がないというと、うらやましそうな声を上げた。
「明日の昼には、ペスカド(魚)を料理するからゆっくりとしていきなさい」
 と、ベネガスさんにいわれ、翌朝は8時過ぎまで寝た。

 朝食のあと、午前中は要塞を見学した。この地方の先住民の使ったカヌーや農具なども展示されていた。

 天気がめまぐるしく変わった。青空が広がっていたのに、あっというまに黒雲に覆われ、冷たい雨がザーッと降ってくる。それもつかのまで、雨が上がると、何事もなかったかのように青空が広がる。それなのに、すぐにまた雨が降ってくるといった繰り返し。マゼラン海峡の太平洋側の方向を見ると、黒雲が垂れ込めている。それが次々に大西洋側へと流れてくる。

 昼前にプンタアレナスに出かけていたベネガスさんが、ゴッソリと魚を買い込んで戻ってきた。さっそく若い兵士たちが手際よく料理する。頭と尾を落とし、3つに切り、開き、ころもをつけて揚げた。魚のフライにゆでたジャガイモと刻んだキャベツを添えるとでき上がり。昨夜につづいての、ワイン飲み放題の「ペスカド・パーティー」だ。

 そんななつかしのブルネス要塞をあとにし、プンタ・アレナスに戻ると、レストランで昼食のサンドイッチを食べた。プンタ・アレナスからは午後のフェリーでフエゴ島に渡るのだ。 

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マゼラン海峡を見ながら走る。対岸にはフエゴ島

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南米大陸最南端の道

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ブルネス要塞の入口

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ブルネス要塞に到着

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なつかしの兵舎

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ブルネス要塞の砲台

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ブルネス要塞南端への道

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南米大陸最南端のサンタ・アナ岬

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