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「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(7)

(月刊『旅』1994年8月号 所収)

本州最西端の下関が出発点
 京都駅を出発し、山陰本線の鈍行列車を乗り継いで5日目の早朝、下関駅に到着。本州最西端のターミナル駅に降り立って、ぼくの胸は踊る。下関駅は大陸への夢を限りなくかきたててくれるからだ。

 ぼくは現在までに、全部で世界の123ヵ国に足を踏み入れているが、初めての異国の地は韓国の釜山で、1968年のこと。まだ、朝鮮戦争の余燼が残っているかのような、騒然とした釜山の町だった。

 その後、韓国には何度か行ったが、東京から下関まで列車で行き、下関から関釜フェリーに乗って釜山に渡るというのが決まったパターンになっていた。釜山の町は、韓国の経済成長に合わせ、行くたびに発展していた。このように下関駅というのは、ぼくにとっては大陸への玄関口なのである。

 1時間半ほどかけて、下関駅の周辺を歩く。
 駅前から東へ。唐戸方向へ数百メートル歩き、細江町の交差点まで行ってみる。角にはすっかり新しくなった下関警察署がある。旧下関駅は、このあたりにあった。現在の門司港駅を上回るような、立派な駅舎だったという。

 旧下関駅は、1942年(昭和17年)に関門海底トンネルが完成するまでは、まさに本州の終着駅であった。と同時に、駅に接続する鉄道桟橋からは、関門連絡船が関門海峡対岸の門司へ、関釜連絡船が朝鮮海峡を越えて釜山へと出ていた。
 下関は2つの海峡の町なのだ。

 下関の鉄道桟橋は、1901年(明治34年)5月の関門航路、1905年(同38年)9月の関釜航路開設に伴ってつくられたものだが、1914年(大正3年)7月には長さが562メートルの本格的な岸壁が完成した。その当時の時刻表を見ると、関門連絡船が1日26便、関釜連絡船が1日2便出ていた。

 その後、関釜航路は隆盛の一途をたどり、1936年(昭和11年)には、当時の最優秀船として海運界の注目を集めた7000トン級の金剛丸が就航し、1942年(昭和17年)には8000トン級の天山丸、さらに1943年(昭和18年)には同じく8000トン級の崑崙丸が就航した。

 この「天山」、「崑崙」の船名がいいではないか。
 中央アジアへの限りない夢をいつも胸に抱いているぼくにとって「天山」、「崑崙」は、胸にジーンと響いてくる船名なのである。

 当時、下関がいかに重要であったかは、戦前に計画された“弾丸列車計画”からも、うかがい知ることができる。

 それは、時速200キロの弾丸列車が東京―下関間を9時間で結ぶというもので、1940年(昭和15年)に着工、15年後に完成するはずであった。しかし、戦争の暗い影にはばまれ、東京―下関間の弾丸列車は幻のままで終わってしまった。

 さらに関釜航路も、太平洋戦争が激しくなるとアメリカ軍の攻撃をひんぱんに受け、旧国鉄の海の女王たちは次々に沈没したり座礁して消えていった。

 崑崙丸などは潜水艦の魚雷攻撃を受けて一瞬のうちに沈没。600人近い死者を出した(その慰霊碑が、関門海峡を見下ろす日和山公園に建っている)。
 1945年(昭和20年)8月の終戦とともに、関釜連絡船は40年の歴史にピリオドを打った。

 関門海峡を目の前にする旧鉄道桟橋跡に立つと、無性に、下関から朝鮮半島に渡りたくなる。
「釜山から列車で、朝鮮半島を北上するんだ。38度線を越え、鴨緑江を渡り、中国に入って……、そしてユーラシア大陸を横断するんだ。ゴールは、イギリスロンドンのビクトリア駅がいいな」
 などと、夢をみるのだった。


山陽本線は温泉不毛地帯
 山陽本線の“温泉はしご旅”の開始だ。
 下関駅の9番ホームから、7時44分発小郡行きの鈍行列車に乗る。新田原(日豊本線)始発の4両編成の電車。車内は通勤客でほぼ満員。さすがに山陽本線だけあって、ローカル線そのものといった山陰本線とは違う。乗客はどことなくよそよそしいし、列車のスピードもグーッと速くなる。

 ところで、鈍行列車を乗り継ぎ、温泉を“はしご湯”しながら「日本一周」をすることになったとき、『旅』編集長の秋田守さんにはすかさずいわれた。
「カソリさん、山陽本線はどうします?」

 さすが『旅』編集長、じつによくわかっていらっしゃる。
 そうなのだ、山陽本線沿線には、ほとんどといっていいくらいに温泉はない。

 そこで今回は、山陽本線をメインルートにし、臨機応変に支線に入っていくつもり。
 山陰本線沿線はまさに温泉天国だったが、山陽本線沿線になると、日本でもきわめつけの温泉不毛地帯。このように山陽と山陰は、なにかにつけて違うのである。
 小野田、宇部と通り、8時28分、厚東着。山陽本線“温泉はしご旅”の第1湯目、持世寺温泉への下車駅だ。

 この第1湯目というのは、心が騒ぐものだ。
「いったい、どんな温泉なのだろう……」
「はたして、うまく入浴させてもらえるのだろうか……」
 と、期待と不安が入り交じり心が落ち着かない。

 あいにくの天気で、雨が降っている。ホームの端に立つと、秋芳台から流れてくる厚東川の対岸に、温泉宿が見えている。ところが道は大回りしているので、歩くと30分以上もかかった。

 持世寺温泉には「上の湯」、「菊泉」と、2軒の温泉宿があるが、その手前に公衆温泉浴場(入浴料400円)もある。
 助かった!
 
 熱い湯、冷泉の、2つの湯船。第1湯目で、なおかつ、数少ない山陽本線の温泉ということもあって、いつくしむような気持ちで熱い湯、冷泉と、2つの湯船に交互に入った。こうして第1湯目に入ることができて、ほんとうにありがたいなと思うのだった。

 持世寺温泉の湯は、高濃度の放射能泉。体によく効くというので、湯治を兼ねてやってくる常連客が多い。湯船の中では、そんな常連客の1人と話したが、
「とくにこの冷泉がいいんだ。万病に効くよ」
 と、自信たっぷりの顔つきでいう。

 ぼくは温泉の、理屈や科学的根拠などでは説明できない、この体験的世界が好きなのだ。人間にとっては、自分自身の体で得た体験というものが一番。科学はしょせん、その後追いでしかない。科学が人間の体験で得た、得られたものを上回ることはありえないと断言しておこう。


歩いて、歩いて、また歩いて…
 山陽本線で厚東から小郡まで行き、山口線に乗り換え、湯田温泉へ。
 ここでは「アルカディア湯田温泉」という、温泉つき高層マンションの1階にある公衆温泉浴場(入浴料450円)の湯に入る。熱い湯で、水でザーザーうめて、やっと入れた。山口も湯田温泉があるので、温泉町の県庁所在地ということになる。

 小郡に戻ると、ふたたび山陽本線に乗る。
 徳山を通り、13時02分、戸田着。雨は音をたてて降っている。傘をさし、湯野温泉を目指して歩く。30分ほど歩くと、湯野温泉の「紅葉館」に着く。だが、入浴のみは断られた。

 さらに10分、ズブ濡れになって歩き、国民宿舎「湯野荘」へ。ありがたいことに入浴OK。入浴料は450円。国民宿舎の温泉というのは設備の整っているところが多いと前にもいったが、「湯野荘」も例外ではない。大浴場の湯に気分よくつかっていると、辛い思いがいっぺんに吹き飛んでいく。これが温泉効果というものだ。

 気持ちがいっぺんに明るくなり、また、平気で雨の中を歩いていけるだけの元気がよみがえってくるのだ。

 戸田発15時02分の列車に乗り、徳山を通り、15時36分島田着。今晩の泊まりは駅近くの三島温泉の「光楽荘」。だがその前に、三丘温泉、呼鶴温泉の、2つの温泉に行くことにした。かなりの距離があるので、気合を入れ、足早に歩く。雨が上がったのが、なによりもありがたいことだった。

 1時間半近くかかって、三丘温泉の「バーデンハウス三丘」に着く。が、なんと、入浴料は1400円…。
「仕方ないよなあ…、なにしろ、温泉不毛地帯の山陽なのだから」

 三丘温泉から、また1時間以上歩き、呼鶴温泉へ。この呼鶴温泉は、岩徳線の高水駅に近い。地元の人たちで混み合っている公衆温泉浴場(入浴料400円)の湯に入る。

 湯から出るころには、すっかり日は暮れていた。
 三島温泉の「光楽荘」に、
「すいませーん、すっかり遅くなってしまって」
 と、電話を入れ、懸命になって歩く。

「光楽荘」に着いたのは8時過ぎ。だが、おかみさんはすこしもいやな顔をしないで、夕食を用意して待ってくれていた。


穏やかな風景の毒ガスの島
 翌朝は、いつもどおりに、一番列車に乗る。島田発6時22分の広島行き。8両編成の電車だ。最初はガラガラだった車内も、柳井、岩国と通り、広島県に入るころには満員になる。中国地方第1の都市、広島の持つ吸引力の大きさを見せつけられる。

 東京への一極集中がいわれて久しいが、各地方ごとにみると、北海道は札幌に、東北は仙台に、九州は福岡に、それと同じように中国は、広島にどんどん一極集中化している。鈍行列車に乗って旅していると、そんな日本の現状がよく見える。

 さらに各県ごとにみると、県庁所在地への集中が著しい。
 東京への中央集権化と同時に、そのミニ版の各地方ごとの中央集権化がどんどん進んでいる。
 日本は地方分権化の難しい国だ…。中央集権国家としての、千何百年もの歴史の色が濃すぎるのだ。

 7時24分、大野浦着。目の前に、宮島を眺める。駅から30分ほど歩くと宮浜温泉。ここでは、国民宿舎の「宮浜グリーンロッジ」「宮浜シーサイドホテル」「宮浜グランドホテル」「旅館石亭」とまわったが、どこでも入浴のみは断られ、これが最後だと「旅館かんざき」で聞いてみた。

 するとありがたいことに、おかみさんは、
「いいですよ、どうぞ」
 と、やさしい声でいってくれる。入浴料500円。純日本風な造りの宿で、手入れのいきとどいた庭園がきれいだ。さっそく、湯に入る。なめらかな感触の湯だった。

(このような温泉宿というのは、強く心に残るもの。その半年後にバイクで山陽を旅したときには、今度は「旅館かんざき」で泊まった)。

 宮浜温泉の湯に入ったあと、大野浦発9時14分、呉線経由の三原行きに乗る。
 広島を過ぎると電車は呉線に入り、呉を通り、11時33分、忠海着。駅近くの波止場から、大久野島温泉のある芸予諸島の大久野島に船で渡る。

 わずかに15分ほどの船旅だが、瀬戸内海の風景を楽しめる。大久野島に着くと、目の前には、大三島が横たわっている。

 絵のように美しい瀬戸内海の風景とはうらはらに、大久野島は、どす黒いほどに暗い歴史を引きずっている。1900年(明治33年)に、軍港の呉を護る要塞地帯になって以来、一般人の立ち入りの許されない島になった。

 そんな大久野島に1929年(昭和4年)、日本陸軍の毒ガス製造工場が建設された。 最盛期には5000人もの工員がいたという大毒ガス製造工場となり、年間1200トンの各種毒ガスがつくられた。

 この毒ガス製造工場は、終戦の1945年(昭和20年)にアメリカ軍の手によって爆破され、徹底的に破壊された。しかし、その間に製造された膨大な量の毒ガスは、いったいどのようにして使われたのか……。日本国内で使われたとは考えられないので、当然、国外で使われたのだろう。

 日本人は戦時中に、日本がやられたことはいまだに一生懸命に訴えているが、日本人が海外でやったことに対しては無視というか、いたって冷淡だ。それではいけないことを、大久野島はぼくたちに教えてくれている。

 毒ガス資料館(無料)を見学する。
 展示されている工員たちの完全装備がものものしい。防毒マスク、防毒服、防毒靴…。このような装備をしても、毒ガスにやられた工員たちは終戦後、後遺症にさんざん悩まされたという。そのほか、陶磁製の毒ガス製造機器類や、何枚もの毒ガス製造工場の写真が興味深かった。

 そのあとで、大久野島温泉の「大久野島国民休暇村」(入浴料300円)の湯に入る。ガラス張りの大浴場の湯につかりながら、波ひとつない瀬戸内海を眺めていると、穏やかな風景と毒ガスの島という暗い過去のギャップのあまりの大きさに、驚かされてしまうのだ。
                                       

尾道の町を歩き、尾道の温泉宿に泊まる
 大久野島から三原港に高速船で渡る。芸予諸島の島々や、四国の今治への船が出ている三原港は、瀬戸内海に向かってのターミナル駅といったところだ。

 港を出ると、目の前がJRの三原駅。山陽本線の鈍行、15時19分発の岡山行きに乗る。 三原の2つ先の尾道で下車。今晩の泊まりは、尾道郊外の養老温泉だ。

 宿に向かう前に千光寺にいってみる。急な坂道を登っていくと、参道は、桜が満開。
「あー、日本の春だー!」
 と、感動してしまう。

 息を切らして千光寺まで登ると、茶屋のとろっと甘いあめ湯を飲みながら、尾道の市街地を見下ろす。さらに正岡子規や志賀直哉、林芙美子など、全部で25もの文学碑が建っている「文学のこみち」を登っていく。

 文学碑をひとつずつ見ていったが、
「あれは伊予 こちらは備後 春の風」
 という句碑が心にしみた。「物外」という地元の寺の住職の句だった。

「文学のこみち」を登りつめたところが、千光寺公園の山頂展望台。その上から、尾道をとりまく風景を眺める。まるで下から吹き上げてくるかのように、山陽本線の列車の音や国道2号の車の音、尾道水道を行き来する船の汽笛が、町のざわめきに混じって聞こえてくる。

 尾道水道の対岸には、向島がどっしりと横たわっている。さらにその向こうには、因島や大三島などの島々が見える。それらは、瀬戸内海に浮かぶ島々だと頭でわかっていても、大河をはさんだ対岸の、山岳地帯を眺めているような気がしてならなかった。
 それほど、幾重にも重なりあった山々だった。

 千光寺公園の帰路はロープウエーで下り、尾道の町をプラプラ歩きながら、養老温泉に向かう。
 山陽新幹線の新尾道駅に出る。

 そこから国道184号を歩き、ゆるやかな峠を越えた先で右に折れ、養老温泉に行く。3軒の温泉宿。そのうち、公衆温泉浴場と一緒になっている「養老温泉本館」に泊まった。

 ゆっくりと、時間をかけて湯に入る。桜の季節らしく、花見を終えてやってきた人たちもいる。ほろ酔い加減で、あそこの小学校の校庭の桜はどうだ、あそこの土手の桜はどうだと、花見の名所の品評会をやっている。

 湯につかりながら、そんな地元の人たちの話を聞いているのは、たまらなくいいものだ。
「今、自分は尾道にいる!」
 といった実感を持つことができる。

 湯から上がると、部屋の膳には夕食が用意されていた。
 タイ、ハマチ、イカの刺身とタコの酢のもの、煮貝…と、瀬戸内海の海の幸が並ぶ。そのほかに茶碗蒸しと鶏のから揚げがついている。これで「養老温泉本館」の宿泊料金(1泊2食)は6500円。うれしくなってくる。刺身を肴に、ビールをキューッと飲み干す。
「養老温泉に乾杯!」


頭をひねった岡山の温泉めぐり
 養老温泉から尾道駅まで6キロほどあるので、翌朝は4時起床。旅の毎日というのは、ほんとうに不思議なのだが、ふだんの生活だと、午前4時起きというのは、たんに苦痛でしかない。それが旅の毎日になると、ごくあたりまえにできてしまうのだ。

 4時15分に宿を出発する。夜明けの道を歩き、5時51分発の岡山行きに乗った。
 三原始発の4両編成の電車は、広島県から岡山県に入り、6時49分、倉敷に着く。

 伯備線に乗り換え、総社で下車し、総社温泉の温泉旅館「ニューきび路」(入浴料1000円)の湯に入る。大岩風呂の「吉備の湯」に足を伸ばしてつかっていると、早起きした疲れも、スーッと抜けていく。

 さっぱりした気分で、総社から吉備線に乗り、岡山に出た。
 岡山から姫路までは、何度も地図を広げ、どのようにしてまわろうか、さんざん頭を悩ませた結果、津山線、姫新線経由で行くことにした。

 岡山発8時37分の播州赤穂行きに乗り、次の高島で下車する。ここで山陽本線とはしばらくのお別れだ。
 高島駅から30分以上歩き、田園の一軒宿、湯迫温泉の「白雲閣」(入浴料600円)の湯に入る。豪華なつくりの浴室と湯船だ。

 そこから30分ほど歩き、津山線の備前原駅に出る。岡山から2つ目の無人駅。
 津山線はいっぺんにローカル線色が濃くなる。

 津山線の気動車に乗り、途中、福渡で下車。八幡温泉「みずほ荘」(入浴料1200円)の湯に入る。ここでは温泉と観劇がセットになっている。湯から上がると、舞台のチャンバラ時代劇を見るのだった。

 13時50分に美作の中心、津山に着いた。盆地の町だ。
 津山は花見客でごったがえしていた。ぼくも人の流れにのって、津山城址の桜を見にいく。さすがに西日本屈指の桜の名所といわれるだけのことはあって、城址の石垣と今を盛りに咲き誇る桜の花のとりあわせは、それは見事なものだった。        

 津山から姫新線で姫路に向かう。
 林野駅で下車し、“美作三湯”で知られる湯郷温泉で泊まることにする。

 ところが、駅前から『全国温泉宿泊情報』(JTB刊)を見ながら20軒以上の温泉宿に電話を入れたのだが、すべて満員。土曜日の午後で、なおかつ桜が満開となれば、当然のことか…。

 とにかく湯郷温泉まで行くことにする。
 30分ほど歩き、湯郷温泉に到着。温泉街を歩いていると、「湯郷サンシティ」というビジネスホテルが目に入る。聞いてみると、なんともラッキーなことに、部屋が空いていた。ビジネスホテルに泊まり、公衆温泉浴場「湯郷鷺温泉」(入浴料300円)の湯に入りにいく。人気の湯で、地元の人、旅人が合わさって、ワサワサと混んでいた。


「中国一周」の最後は有馬温泉
 翌日は中国地方一周の最終日。“青春18きっぷ”の使える最終日でもある。
 5時前に宿を出発。夜明けの道を歩き、林野発5時34分の姫路行き2両編成の気動車に乗る。車内はガラガラ。
 岡山県から兵庫県に入ったあたりから、座席はポツポツと埋まっていく。

 姫路着7時23分。
 姫路で乗り換えた山陽本線経由東海道本線の野洲行き新快速は、津山線、姫新線とローカル線の列車を乗り継いだあとだけに、目がまわるくらいの速さだ。

 8時05分、神戸着。5番ホーム中央あたりの海側には、東海道本線と山陽本線の接点を示す木標が立っている。木標の東海道本線側には“東京起点589K340M02”、山陽本線側には“神戸起点0K0M”と表示されている。

 それを見て、
「あー、とうとう、ここまで来たんだなあー」
 といった、うれしいような、寂しいような気分を味わう。
 神戸から下関までが山陽本線になる(なお下関―門司間も山陽本線)。

 中国地方一周“温泉はしご旅”の最後は、有馬温泉だ。
 神戸で降り、駅前の湊川神社に参拝し、多聞通りを新開地まで歩いていく。

 神戸電鉄(神鉄)の三田行き準急電車に乗り、有馬口駅で乗り換え、新開地駅から45分で有馬温泉駅に着く。持世寺温泉から数えて第14湯目の有馬温泉では、「有馬温泉会館」(入浴料460円)の湯に入った。

 塩分の濃い赤茶けた湯。さすがに関西の温泉の代名詞、有馬温泉だけあって混んでいた。湯から上がると、冷たいカンコーヒーを一気に飲みほした。

 ひと息ついたところで、ここまでの道のりを振り返ってみる。
 持世寺温泉から有馬温泉までの14湯中、山陽本線の駅から歩いていった温泉は8湯。だが、そのうち駅から徒歩30分以内の温泉といったら三島温泉と宮浜温泉の2湯しかない。さらにそのうち、温泉地となっているのは宮浜温泉しかない。
 山陽本線は“鈍行乗り継ぎ”で温泉めぐりをするのには、じつに大変な路線だ。

 有馬名物の“炭酸せんべい”を土産に買い、神戸電鉄で三田に出る。
 今回の「中国一周」では“青春18きっぷ”を使ったので、新開地ー有馬温泉(460円)と有馬温泉ー三田(410円)の合計870円が、途中で払った電車賃ということになる。

 三田からは、福知山線の快速で大阪に出た。
 ひとつ残念だったのは、福知山線沿線の温泉に入れなかったこと。武田尾駅のちかくには武田尾温泉があり、宝塚駅近くには宝塚温泉がある。これら温泉には、また、別な機会に入りに来よう。

 大阪からは、12時00分発の長浜行き新快速に乗る。
 東京までの長い、長い“鈍行乗り継ぎ”の旅。
 米原、豊橋、沼津で乗り換える。

 米原から東京まではずっと、中高年の登山者のグループと一緒だった。グループで“青春18きっぷ”を購入し、全員がそれをもっての旅だった。“青春18きっぷ”には、このような使われ方もあるのだ。

 21時26分に東京駅7番ホームに到着。下関から全部で25本の鈍行列車を乗り継いでの東京到着であった。

◇◇◇
今回入った温泉
1、持世寺温泉(山口県)
2、湯田温泉(山口県)
3、湯野温泉(山口県)
4、三丘温泉(山口県)
5、呼鶴温泉(山口県)
6、三島温泉(山口県)
7、宮浜温泉(広島県)
8、大久野島温泉(広島県)
9、養老温泉(広島県)
10、総社温泉(岡山県)
11、湯迫温泉(岡山県)
12、八幡温泉(岡山県)
13、湯郷温泉(岡山県)
14、有馬温泉(兵庫県)

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

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