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「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」(15)

(月刊『旅』1995年3月号 所収)

谷地頭温泉の市営温泉浴場
 前回の終着点、青森からは、20時56分発の函館行きL特急「はつかり21号」に乗った。もうこの時間帯だと、普通列車(快速)もないので、特急列車に乗るしかなかった。列車は青函海底トンネルを走り抜けて北海道に入り、22時59分に函館に到着した。

 函館では駅近くのビジネスホテル「ホテル第2オーシャン」に泊まり、翌朝、4時起床。すぐさま夜明け前の町へと出ていった。函館の朝は早い。午前4時を過ぎると、駅前の朝市には明かりが灯りはじめ、早々と営業をはじる食堂もある。そのうちの一軒に入り、北海道の名物料理、三平汁をフーフーいいながら食べた。

 三平汁で体を暖め、パワーをつけたところで、凍てつく寒さの中を谷地頭温泉へと歩いていく。その間、3、4キロ。歩道に降り積もった雪はパリンパリンに氷つき、ツルツル滑る。怖いな、危ないなと、へっぴり腰で歩いているうちに、ステーンと見事にひっくり返ってしまった。その痛いことといったらない‥。これが「函館→稚内」間の第1回目の転倒だ。

 函館山東麓の谷地頭温泉には、市営の公衆温泉浴場がある。入浴料320円。公営の温泉浴場としては、日本でも屈指の大きさを誇り、600人を収容できる。

 朝は6時から夜は9時半までと、営業時間が長い。ここはまさに市民の憩いの場。6時のオープンとともに次々と入浴客がやってきて、大浴場はけっこうな賑わいをみせる。いかに市民に親しまれているかがよくわかる温泉だ。顔見知りの人たちが多いようで、和気あいあいの雰囲気。その中に我が身をひたしていると、心の中まで暖かくなってくる。茶褐色をした湯はかなり塩分が強い。含硼酸・土類石膏の強食塩泉だ。

 北海道の第1湯目、谷地頭温泉の湯を十分に堪能したところで、7時過ぎに函館駅に戻り、7時15分発の函館本線・大沼公園行きに乗る。5両編成の気動車。前の2両が大沼公園行きで、後ろの3両は七飯止まりになる。さすがに寒さの厳しい北海道、窓が二重になっている。

 定刻どおりに列車は函館駅を出発。いよいよ稚内までの“鈍行乗り継ぎ”の開始だ。

 列車が動きだし、函館駅のホームを離れていく瞬間は、まさに胸が踊る。列車は函館平野を走り、七飯駅を過ぎると山中に入っていく。峠を越える。すると、どうだろう‥、まっ白に氷結した湖の向こうに雪化粧した駒ヶ岳が見えてくるではないか!
 感動の北海道冬景色だ。

 大沼公園駅で下車し、大沼温泉に入ろうと、まず駅近くの「ホテルニットー大沼」に行く。だが入浴は宿泊者のみ。次に「大沼山水旅館」に行く。すると休業中。残念ながら大沼温泉には入れなかったが、大沼公園駅で降りてよかった。

 氷結した大沼の湖畔に立って駒ヶ岳を眺めることができたし、隣りあった小沼では、岸辺で群れ遊ぶ白鳥をあきずに眺めていた。

「クックー、クッククー」と鳴いて飛んでいく白鳥の姿には、「あー、これが冬の北海道なんだ」と思わせる無垢の美しさがあった。

 函館本線と室蘭本線の分岐駅、長万部には11時54分着。なにしろ列車の本数の少ない函館本線、次の列車はというと、2時間半後なのだ。そこで、長万部温泉をからめて長万部をピクニック気分で歩くことにした。

 駅前の「かにめし本舗」で名物駅弁の「かにめし弁当」(1000円)とお茶を買い、それを持って海岸に行く。波静かな内浦湾の海岸線がきれいな弧を描いている。砂浜に新聞紙を広げ、その上に座って食べる。

 満腹になったところで、駅から徒歩5分の長万部温泉に行く。1957年の、天然ガスの試掘中に温泉が湧出したという。“長万部温泉発祥の地”碑に隣りあった「長万部温泉ホテル」の湯に入る。ここは公衆温泉浴場で、番台で入浴料の320円を払うようになっている。


豪雪のニセコを歩く
 長万部発14時27分の、函館本線・小樽行きに乗る。1両の気動車。長万部の町中ではほとんど雪は見られなかったが、峠に向かって走るにつれて、一面の雪景色に変わる。

 ゆるやかな峠に到達。国道5号が並行して走っている。峠の真上に、蕨岱駅。ここで太平洋に別れを告げる。

 太平洋側と日本海側に二分するこの峠を境にして、雪の量は劇的に変わる。北海道も本州と同じで、冬の日本海側世界は圧倒的に雪が多い。この“名無し峠”を越えると、北海道縦断のゴール稚内までは、ずっと雪景色を眺めながら、日本海側世界を行くことになる。

 蕨岱から黒松内に下り、もうひとつの峠、目名峠を越える。峠のトンネルを抜け出るとそこはニセコ連峰山麓の蘭越町で、雪の量はさらに多くなる。ニセコ周辺は、北海道でも有数の豪雪地帯なのである。

 15時45分着の昆布駅で下車し、ニセコ温泉郷の温泉めぐりを開始する。まず駅から徒歩5分の昆布川温泉「幽泉閣」(入浴料300円)の湯に入る。湯から上がり外に出ると、なにしろ気温が低いので、体の火照りはいっぺんに吹き飛んでしんまう。

「これは、中途半端な寒さではないゾ…」
 と、気を引き締め、腹にグッと力を入れ、気合を入れて雪道を歩きはじめる。これからニセコ連峰中腹のニセコ湯本温泉を目指し、12キロの道のりを歩くのだ。

 積雪は1メートルを超えているが、道路はしっかりと除雪されているので、車はふつうに走っている。それほど歩きにくくもない。

 ところが夕暮れが近づくと、急速に路面は凍りつき、ツルンツルンのアイスバーンに変わる。ここで2度目の転倒。それ以降、さんざんアイスバーンには悩まされるようになる。強烈な寒さで、手袋をした手はキリキリ痛むのだが、転倒が怖くてポケットに手を入れることもできない。

 日暮れの風景はすばらしい!
 正面にニセコ連峰の主峰群、右手に蝦夷富士の羊蹄山、左手には茜色に燃える夕空…と、ニセコの夕景色を堪能した。

 日が暮れる。夜道を歩く。スキー場のこうこうと輝く明かりがまぶしい。不夜城のようだ。分岐点を右に折れてニセコ昆布温泉に寄り、「ニセコグランドホテル」(入浴料700円)の湯に入り、いよいよニセコ湯本温泉へ。

 ゆるやかな登りがはてしなくつづく。いささかバテ気味。チョコレートをかじって元気をつけ、「あと、もうひと息」と、自分で自分を励ます。

 チセヌプリスキー場の明かりが間近に迫り、温泉の匂いをかいだときは、「助かった!」と、生き返るような思いだ。

 ニセコ湯本温泉には、夜の8時前に到着。山小屋風温泉宿の「ロッジチセハウス」に泊まる。まずは温泉だ。泉質の違う湯船にひとつづつ入ったあと、雪がチラチラちらつく露天風呂の湯につかる。すぐ横のゲレンデをスキーヤーたちがシュプールを描いて滑り降りていく。湯につかりながら、そんな光景を眺めていると、不思議でならない。自分一人が、まったく異質な世界に飛び込んだような違和感を感じた。

 翌朝は4時半に出発。一歩、宿を出たときの寒さといったらない。

 気温氷点下15度。昨夜来の雪は、ニセコおろしの烈風にのって激しく舞い、地吹雪の様相だ。路面にはかなりの雪が積もっているが、その中をスニーカーで歩く辛さ‥。ただ、まったく水分がないかのようなサラサラの雪なので、昨夜のアイスバーンに比べたらかえって歩きやすかった。

 猛烈な寒さと地吹雪に全身で立ち向かい、大格闘し、ただひたすらに歩きつづけた。うっかり足を止めようものなら、凍死しかねないような寒さだった。

 うっすらと夜が明けたころに、昆布駅に到着。時間は6時半だ。すぐさま、昆布川温泉の「幽泉閣」に駆けつける。まだ、外来客の入浴時間ではなかったが、無理をいって入浴させてもらった。浴室に飛び込み、湯を何杯かかぶったときの、温泉のありがたさといったらない。芯まで凍りついた体のすみずみに、瞬時にして、ドクドクと音をたてて血が流れはじめたような気がした。
「助かったー!」
 という声が、思わず口をついて出る。


“峠のカソリ”、塩狩峠の塩狩温泉に泊まる
 昆布発7時48分の小樽行きに乗る。2両編成の気動車。倶知安、仁木と雪が深い。列車は雪けむりを巻き上げて雪原を突っ走る。余市を過ぎると、左手の車窓には日本海が見えてくる。北西の季節風をまともに受けて、海は猛り狂い、まっ白な波頭をあちらこちらで見せていた。

 小樽着9時54分。小樽からは、快速列車に乗って札幌へ。JR北海道のドル箱路線の小樽ー札幌間は、「これが同じ函館本線?」といいたくなるほど列車の本数が多い。また、小樽ー札幌ー旭川間は電化されている。

 札幌に着くと、30分ほど駅周辺を歩く。駅前で3度目の転倒‥。すぐ近くにいた女の子たちにクスクス笑われ、痛さよりも恥ずかしさが先にたった。ここで早めの昼食にし、札幌ラーメンを食べた。

 札幌から旭川へ。列車は雪の石狩平野を走る。江別、岩見沢と通り、美唄で下車。美唄温泉に行くつもりにしていたが、歩くと1時間ほどかかるといわれ、残念ながら断念‥。なにしろツルツル滑る雪道、氷道なので、いつものように走ることもできない。美唄温泉のかわりに美唄の町を歩いた。

 美唄からは、砂川、滝川と通り、江部乙で下車し、駅前温泉の江部乙温泉に行く。雪が一段と多くなる。函館本線の「函館ー旭川」間では、このあたりが一番の積雪量。降り積もった雪は高さが2メートルを超え、駅舎の屋根も、すっぽりと雪で覆い隠されていた。

 江部乙温泉の一軒宿「えべおつ温泉」は、公衆温泉浴場(入浴料400円)になっている。町の人たちが、次から次へとやってくる。湯は海水よりも濃いと思われる強食塩泉。ま水を沸かした湯船もある。サウナもある。次の列車までかなりの待ち時間があるので、体がクニャクニャフニャフニャになるくらいに長湯した。湯から上がると、自販機の冷たいカンコーヒーをたてつづけに2本飲んだ。

 ところで、温泉内の自販機だから、当然、すべての飲み物がCOLDになっている。おもしろいのは、町中の自販機も、HOTよりも圧倒的にCOLDが多いことである。このあたりが本州とは違う。冬の北海道は、汗が流れ出るくらいに家の中の暖房をガンガンきかせるので、温泉から上がったときと同じように、冷たい飲み物が欲しくなるのだろう。冬の北海道は、家の中に一歩入れば夏と変わらない。北海道から上京してきた人たちが東京の冬の寒さを嘆くのも、それは無理のないこと。江部乙温泉で、北海道の冬と東京の冬の違いを考えてみるのだった。

 16時22分、江部乙発。列車は夕暮れの雪原を走る。灯りはじめた家々の明かりが、ポーッと、純白の雪原に映っている。

 17時10分、函館本線の終点、旭川着。17時40分発の宗谷本線・名寄行きに乗り換える。2両編成の気動車。列車は比布を過ぎ、蘭留を過ぎると、ジーゼルのエンジン音を苦しげに響かせて、塩狩峠を登っていく。

 18時28分、塩狩着。塩狩峠の真上にある駅。塩狩峠は石狩と天塩の境の峠で、北海道第1の大河、石狩川と、第2の大河、天塩川を分ける分水嶺の峠になっている。北海道の峠には、塩狩峠のような名前のつけ方の、国境の峠がいくつもある。石狩・十勝国境の狩勝峠、石狩・北見国境の石北峠、釧路・北見国境の釧北峠など。

 塩狩峠には、塩狩温泉の一軒宿「塩狩温泉観光ホテル」がある。そこが今晩の宿。雪道を歩き、駅から徒歩2分の「塩狩温泉観光ホテル」に着くと、
「カソリさんですよね。『旅』の連載、毎月、楽しみに読ませてもらっています。それできっとここにも来てくれるだろうって、ずっと待っていたんですよ」
 と、フロントの青年に、そう声をかけられた。

 青年は池田耕太郎さん。
 もらった名刺にはフリートラベラーとある。いいねー、“フリートラベラー”だなんて‥。池田さんは自由気儘に日本各地を旅していたが、いつしか北海道にはまり込み、この塩狩温泉をベースに、仕事をしては旅に出、また仕事をしては旅に出ているという。まさにフリートラベラーなのである。

 塩狩温泉の酸性緑ばん泉の湯に入り、鴨鍋の夕食を食べたあと、池田さんには、手製の「天塩川沿い“一軒宿の秘湯”案内」と名づけた天塩温泉地図を見せてもらった。写真入りで、全11湯のコメントが加えられた、なかなかの労作なのである。

 天塩の温泉の中では、明治38年開湯の五味温泉がもっとも古く、大正10年開湯の塩狩温泉がそれに次ぐという。池田さんの話を聞き、温泉地図を見せてもらっていると、
「今度はバイクで来よう! 天塩の全湯制覇を成しとげてやろう!」
 と、旅の最中でありながら、また新たな旅への気持ちに駆りたてられた。


豊富温泉へ、極寒の地を歩く
 翌朝は5時半に起き、時間をかけて朝風呂に入り、6時53分発の名寄行きに乗る。ここでは旭川行きの待ち合わせ。宗谷本線の上り下りの一番列車同士が、塩狩駅ですれ違う。ただ、それだけのことだが、何か、感動のシーンなのだ。

 塩狩峠から名寄盆地へと下っていく。「函館ー稚内」の北海道縦断も最後のステージ。道南、道央から、道北へと入っていく。

 天気が目まぐるしく変わる。
 塩狩峠では雪がチラチラ降っていた。峠下の和寒では雪がやみ、曇り空。それが士別まで来ると、まるで雪雲を吹き飛ばしたかのような快晴の空になる。

 名寄で稚内行きに乗換え、美深まで来ると、ふたたび曇り空。8時47着の天塩川温泉駅で下車すると、激しく雪が降っていた。

 一面の銀世界の中を歩き、駅から徒歩15分の天塩川温泉へ。その手前で氷結した天塩川を渡る。氷の割れ目からわずかに川の流れが見えている。凍りついた大河の光景を見たとき、ぼくは無性に厳冬のシベリアを旅してみたくなった。氷点下30度、40度という極寒の地を歩き、厚い氷の張ったアムール川(黒龍江)を見てみたいと思ったのだ。

 天塩川を見下ろす高台の上に、天塩川温泉の音威子府村営「住民保養センター天塩川温泉」(入浴料200円)がある。近代的な施設の温泉宿。

 東京の大学のスキー部が合宿していた。ここの大浴場では、のぼせるくらいに長湯した。というのは極端に鈍行列車の本数の少ない宗谷本線なので、次の列車というと、なんと、5時間後なのである。
途中でカンジュースやカンビールを飲み、3時間、湯に入った。

 昼になったところで、センター内の食堂で“音威子府そば”のてんぷらそばを食べた。骨太の、北の大地の人々を思わせるような、腰のある黒々とした麺。カラッと揚げた大きなエビが3つものっていた。

 13時36分発の稚内行きに乗り、途中、天塩中川で下車。駅から徒歩20分のぽんぴら温泉の一軒宿「ぽんぴらアクアリズイング」(入浴料300円)に行く。ここは第三セクターが経営する“日本最北のクアハウス”で、新しい、近代的な建物。大浴場も湯船も広々している。これで入浴料が300円というのはなんとも安い。高級温泉ホテルなみの入浴気分を味わえる温泉だ。

 天塩中川から豊富へ。豊富到着は、すっかり日の暮れた17時48分だった。

 列車を降り、駅舎を一歩、出たときの寒さといったらない。氷点下20度近い強烈な寒さに、思わず立ちすくんでしまう。豊富温泉までの6キロの道のりを歩いていくのだが、
「ほんとうに歩けるのだろうか‥‥」
 と、すっかり弱気になってしまう。

 地表のものすべてが凍りつくような、はく息がパリパリ音をたてて凍りつくような寒さ‥。あまりの寒さに思考能力が消え失せ、頭の中がまっ白になってしまったほどである。まさに、“極寒地獄”。

 豊富温泉までは必死になって歩いた。軍手の上にバイク用のグラブをはめ、マフラーでほおかむりして歩いたが、手の指先はちぎれんばかりに痛み、耳も我慢できないほどに痛くなる。1時間半かかって豊富温泉に着くと、今晩の宿「豊富観光ホテル」に入る前に、豊富町営温泉「ふれあいセンター」(入浴料400円)の湯に入る。ザックからタオルを取り出すと、ぽんぴら温泉で使った濡れたタオルは、コンクリートの棒のようにカチンカチンになって凍っていた。

「ふれあいセンター」の湯は、草色をしている。塩分が強く、湯の表面には脂分が浮いている。入浴している人に聞くと、この脂分が体によく効くのだという。湯に入って、人心地がついたところで、「豊富観光ホテル」に行く。

 カニや刺し身、貝料理、鍋物‥‥といった豪華な夕食をすませたところで、大浴場の湯にゆっくりと入る。ここの湯は、無色透明無味無臭。湯がザーザー音をたててあふれ出る湯船につかり、大浴場を独り占めにし、おもいっきり体を伸ばした。生き返るような思いというのは、まさにこのことだ。


ここがゴールだ! 日本最北の稚内温泉
 翌朝は5時半、起床。朝風呂に入り、つかのまの天国の気分を味わう。湯から上がると「さあー、行くゾー!」と気合を入れて出発。ほんとうに気合を入れないことには、歩けないくらいの寒さなのだ。凍りついた雪道をサクサクサクサク踏みしめて歩く。

「人間の体って、よくできているなあ!」
 と感心してしまうのは、前夜よりもさらに厳しい夜明けの寒さなのにもかかわらず、その寒さに体が慣れていったことだ。自分自身の体の適応能力を実験しているようなものだ。

 8時前に豊富駅に到着し、8時33分発の稚内行きに乗る。1両の気動車は、豊富駅を出ると、広大なサロベツ原野を走る。雪原の向こうに、スーッときれいな曲線を描いて、利尻富士がそびえ立っている。

 9時18分、宗谷本線の終点、稚内に到着。日本鉄道網の最北の駅だ。さっそく凍てつく寒さの中を歩きはじめる。まず、高台の稚内公園に登り、稚内の中心街と稚内港、その向こうに広がる宗谷海峡を見下ろす。

 次に稚内港へ。半アーチ式の北埠頭ドームを歩き、稚泊航路記念碑を見る。稚泊航路とは大正12年に開設された稚内と樺太(サハリン)の大泊(コルサコフ)を結ぶ航路で、日本の北への動脈となっていた。1945年に閉鎖されるまで、稚泊連絡船は300万人あまりの乗客を運んだという。

 まもなく、稚内市民待望の「稚内ーコルサコフ」間の定期船が就航するとのことだが、それは新しい時代を予感させる稚泊航路の復活だ。

 ぼくは1991年に「東京ー稚内」をバイクで走り、稚内港からロシア船にバイクを積んでサハリンのホルムスク(旧真岡)に渡り、サハリン南部を走りまわった。だがそれは、けっこう大変な、難しいことで、誰でもができるというものではなかった。

 しかし「稚内ーコルサコフ」間に定期船が就航すれば、もっと簡単にサハリンに渡れるようになるだろうし、サハリンにバイクを持っていけるようになるかもしれない。それはまさに、新しい“北海道ツーリング”の時代の到来だ。

 稚内港から海沿いの道を4キロほど歩き、ノシャップ岬へ。その間のアイスバーンで転倒‥。函館から数えて8回目の転倒だ。

 ノシャップ岬からは、ゴーゴーと音をたてて吹きつける雪まじりの季節風をついてさらに4キロほど歩き、日本最北の稚内温泉へ。市営の「稚内市民温泉保養センター」(入浴料400円)に到着したときは、
「バンザーイ!」
 と、大声で叫んでやった。
「とうとう、ここまで来たのか」
 という感動だった。

 稚内温泉の塩分の強い湯につかっていると、“鈍行乗り継ぎ”の温泉めぐりのさまざまなシーンが、次から次へと思い出されてならなかった。
「ありがとう、日本の温泉よ!」
 と、お礼をいいたい気持ちでいっぱいだった。

 稚内温泉から稚内駅まで、また8キロあまりの道のりを歩いて戻る。

 稚内の市街地に戻り着くころには、すっかり日は暮れていた。“郷土料理”の看板を掲げた「網元」という店に入り、北海の味覚を味わった。まずは、ホタテガイとホッキガイの刺し身。ホタテガイはオホーツク海の猿払でとれたもの、ホッキガイは日本海の抜海と稚咲内でとれたものだという。
「ともに、地元産の天然ものですよ。どうです、味がちがうでしょ」
 と、店の主人は自慢気だ。

 なるほど、ホタテガイには、養殖もの特有のフニャッとしたやわらかさがなく、シコシコッとした歯ごたえがある。ほのかな甘味の脂分がなんともいえない上品さをかもしだしている。ホッキガイも湯に通していないので、自然のままの色あいだ。

 次に、ホッケの開きを焼いてもらう。これが、じつにうまい。皿からはみだすくらいの大きさで、たっぷりと脂がのっている。とくに身と皮の間の脂分がたまらない。最後に北海道を代表する味覚の“ウニ丼”を食べ、満ち足りた気分で、稚内駅に戻るのだった。

 稚内発22時05分の寝台急行「利尻」で札幌へ。札幌到着は、翌朝の6時00分。札幌からは、一路、東京へと向かう。特急「スーパー北斗2号」で函館へ。快速「海峡6号」で青森へ。L特急「はつかり18号」で盛岡へ。最後は東北新幹線の「やまびこ50号」。東京駅の13番線ホーム到着は、稚内出発から21時間27分後の、19時32分だった。

 うれしいことに、この「鈍行乗り継ぎ湯けむり紀行」の連載を企画してくれた『旅』編集長の秋田守さんと、連載を担当してくれた渡辺香織さんが、ホームに出迎えに来てくれていた。

 お2人と、がっちり握手をかわす。そのとき、“鈍行乗り継ぎ”の「日本一周」が終わってしまったことを強烈に感じた。

 全部で329本の列車に乗り継いでの「日本一周」だった。

(了)

テーマ : 鉄道の旅
ジャンル : 旅行

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