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日本食べある記(13)甲州ブドウと甲州ワイン

(『市政』1994年12月号 所収)

甲州街道で勝沼へ
 日本一のブドウの産地、山梨県勝沼町に、東京からバイクを走らせて行った。勝沼は甲州街道の宿場町なので、甲州街道、現在の国道20号を走った。

 東京から大垂水峠を越えて神奈川県に入り、上野原町で山梨県に入り、山梨県東部の中心地、大月へ。そこから笹子峠に向かった。

 現在でこそ、中央自動車道や国道20号は、長大なトンネルで笹子峠を抜けているが、かつての笹子峠は甲州街道第一の難所になっていた。

 笹子峠を境にして、その東側、大月や都留を中心とする山梨県東部地方は“郡内”と呼ばれ、関東との結びつきが強かった。それに対して峠の西側、甲府を中心とする甲府盆地は“国中”と呼ばれ、独立したひとつの世界をつくっていた。

 笹子峠は甲州を郡内と国中の二つの世界に分けていたのだ。

 大月から桂川(神奈川県に入ると相模川になる)の支流、笹子川に沿って国道20号を走ると、前方には、まるで両手を広げて立ちふさがるかのような高い山々が見えてくる。郡内と国中を分ける山並みだ。北は大菩薩連峰へとつづき、南は御坂山地へとつづいている。

 やがて、笹子に着く。笹子峠下の集落。JR中央本線の笹子駅がある。国道沿いには歴史を感じさせる造り酒屋がある。笹子は甲州街道の宿場だ。

 笹子を過ぎると国道20号は笹子トンネルに入っていくが、その手前を左に折れ、旧道で笹子峠へ。家並みが途切れ、峠道にさしかかると、もうすれ違う車もない。山々の木々がわずかながらに紅葉していた。

 クネクネと曲がりくねった幅の狭い峠道を登りつめ、古びたトンネルを抜けて笹子峠を越える。

 笹子峠は標高1096メートル。桂川・相模川の水系と、笛吹川・富士川の水系を分けている。甲州街道第一の難所といったが、国道20号の笹子トンネルが開通するまでは峠道での大型トラックのすれ違いは極めて難しかった。そこで大型車はいったん富士山麓の富士吉田に出、国道137号の御坂峠を越えて甲府に下っていったほどなのだ。それはほんの3、40年前のことでしかない。

 笹子峠を甲府盆地側に下った集落が駒飼。峠をはさんで笹子と相対する甲州街道の宿場。ここにはかつて、30軒もの旅籠があっておおいににぎわったという。甲州街道最大の難所の笹子峠を越えてきた旅人や、これから峠に向かう旅人たちが、ここでひと晩、泊まることが多かったからだ。

 駒飼周辺の春の景色はすばらしい。一面、花園になる。このあたりには果樹園が多いが、桃や李の花が満開のころはそれは見事だ。桃のピンクの花と李の白い花が、まるで色のついた雲が山肌一面にたなびいているかのように見える。

 駒飼から下っていくと、国道20号に合流し、さらに勝沼へと下っていく。山地を抜け出ると、突然、目の前には甲府盆地が開けてくる。感動の光景。白根三山を中心とする南アルプスの高峰群を正面に望み、右手には金峰山などの奥秩父連峰、はるか遠くには八ヶ岳を望む。

 あたりは一面のブドウ畑。山裾も、盆地内の平地も、すべてがブドウ畑になっている。それはまさに“日本一のブドウの里”を実感させる光景だ。

甲州ブドウを食べる
 国道20号のすぐわきにある大善寺に立ち寄る。拝観料を払って庭園を見たあと、堂々とした山門をくぐり、石段を登り、国宝に指定されている鎌倉時代につくられた本堂の薬師堂を参拝する。この薬師堂は葡萄薬師ともいわれている。

 勝沼とその周辺は、日本一のブドウの産地だが、その栽培の歴史は古く、文治2年(1186年)までさかのぼるという。その発祥の地が、大善寺ということになっている。

 大善寺に伝わるブドウ伝説がおもしろい。養老2年(718年)、僧行基がこの地を訪れ、日川(笛吹川の支流)で修行したところ、満願の日、夢の中に右手にブドウの房を持った薬師如来の姿が現れたという。行基はその夢をたいそう喜び、早速、夢の中に現れた姿と同じ薬師如来像を彫り刻んでまつったのが葡萄薬師だという。それ以来、薬園をつくって民衆を救い、法薬のブドウのつくり方を村人に教えたので、この地でブドウが栽培されるようになり、それが甲州ブドウの始まりになったという。

 ブドウの原産地はコーカサス地方からカスピ海南岸にかけての一帯。今から4000年前には栽培されていたというほどの、きわめて歴史の古い栽培作物である。

 ブドウの伝播だが、シルクロード経由で中国にもたらされた。シルクロート沿いの砂漠のオアシスはどこもブドウの産地だが、とくにトルファン盆地などは世界最上のブドウの産地として知られている。

 中国でブドウが栽培されるようになったのは紀元前のこと。それが日本に伝わったのは、時代が下り、鎌倉時代の初期のことといわれている。

 ブドウが甲州の特産品として世間の注目を浴びるようになるのは、さらに時代が下り、江戸時代の中期、甲州街道を行き来する馬で江戸の問屋に運ばれるようになってからのことだという。

 大善寺の参拝を終え、国道20号の旧道で勝沼の市街地に入っていく。道路の両側には、それこそ、切れ目なしに観光ブドウ園がつづいている。

 バイクを止めて、観光ブドウ園でとれたてのブドウを賞味する。
 昔なつかしい「甲州ブドウ」や、新しい品種の「ナイアガラ」、「タノレット」といった品種を味わってみる。そのほか店先には「巨峰」や「ネオマスカット」、「マスカットベリーA」などのブドウが並んでいる。

 店の人に話をきくと、ブドウの季節は次のようになる。
  7月 デラウェア(小粒で甘い)
  8月 キャンベルアーリー(黒紫で中粒)
     巨峰(大粒で甘味が強い)
  9月 ネオマスカット(青色)
     マスカットベリーA(黒色)
  10月 甲州(赤紫色の在来種)

甲州のワイン造り
 甲州ブドウのあとは甲州ワインだ。ワイナリー(ワインの醸造所)を見学する。
 勝沼はブドウの収穫量だけではなく、ワインの生産量も日本一を誇っている。全部で30あまりのワイナリーがブドウ畑の中に点在し、全国のワイン総醸造高の7割近くをこの地で生産している。

 大手ワインメーカー、メルシャンワインのワイナリーを見学させてもらった。
 ちょうどブドウの収穫のまっ最中だったこともあって、ワイナリーにはコンテナに入ったブドウが続々と運びこまれていた。

 破砕→圧縮→発酵→樽貯蔵→ビン貯蔵という一連のワインづくりの工程を見せてもらったのだが、随所に、近代的な機械が使われている。

 案内嬢の説明で興味深かったのは、赤ワインと白ワインのつくり方の違いである。
 赤ワインは、破砕のままの状態で発酵させたあと、圧搾するのだが、色が充分に出ると、適度の渋みを得た段階で果皮と種子を取り除く。ワインの色や渋み(タンニン)は、果皮や種子から得られるのだという。

 それに対して爽やかな風味を身上とする白ワインは、果皮からの色と種子からの渋みを避けるために、破砕のあと、すぐに圧搾する。つまり、赤ワインと白ワインは、発酵と圧搾の工程が逆になるというのだ。

 ワイン用のブドウは、生食用とはまた違った種類のものを用いている。

 赤ワインに適しているのは、カベルネ・ソービニョ、メルロー、ピノ・ノワール、ブラッククイーンといった、色の濃いブドウである。

 白ワインに適しているのは、甲州、セミヨン、シャルドネ、リースリングといった、薄赤紫の甲州を除けば、薄緑色のブドウである。

 メルシャンワインのワイナリーのすぐ近くには、ワイン資料館がある。明治37年に宮崎第二醸造所として建設されたもの。現存する日本最古のワイン醸造所として、この建物自体が日本のワインの貴重な歴史的資料になっている。

 ここで目を引くのは、明治時代のワインづくりの道具類だ。ブドウを砕く破砕機、果汁を受ける大桶“半切れ”、果汁を運ぶ手桶、圧搾機、発酵中の果汁を攪拌する櫂、桶に溜まったかすをすくいとる“かすり”、濾過機、コルク打栓機など、先人たちの智恵を感じ、見ていて飽きなかった。

 甲州ワイン造りの先人たちの紹介も興味深かかった。

 殖産興業政策を押しすすめた大久保通にはじまり、明治10年に祝村葡萄酒会社を創設した藤村紫朗、高野正誠、土屋龍憲、ワインづくりに一生をかけた宮崎光太郎、神谷伝兵衛、川上善兵衛らが紹介されている。

 その夜は町営の“ぶどうの丘センター”に泊まり、まずは大展望風呂の温泉「天空の湯」に入る。見渡す限りのブドウ畑が夕日に染まっている。湯から上がると、待望の甲州ワインを飲みながらの食事だ。甲州ワインの旨さが腹にしみる。

 勝沼の地は、甲府盆地に流れ込む笛吹川の扇状地で水はけがよく、乾燥している。気温の日較差も大きい。砂漠の熱風を彷彿とさせる“笹子おろし(フェーン現象)”も吹く。甲府盆地東端の勝沼一帯はこのように、ブドウ栽培には絶好の条件を備えたところなのである。

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

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