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  11 ,2017

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


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Category: 食文化研究

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日本食べある記(16)北海の魚介料理
(『市政』1995年3月号 所収)

稚内公園からの眺望
 札幌発22時の寝台急行「利尻」に乗って、日本最北の町、稚内に行った。

 稚内到着は、まだ暗い午前6時。列車を一歩降りたときの寒さといったらない。気温は氷点下10度。冷気がキリキリと肌を突き刺すような寒さだ。寒さこそ厳しいが、駅周辺の積雪はそれほどでもない。

 宗谷本線の終着、稚内駅は北緯45度24分44秒に位置し、日本鉄道網の最北端駅になっている。ちなみに最東端駅は根室本線の東根室駅(北海道)、最南端駅は指宿枕崎線の西大山駅(鹿児島県)、最西端駅は松浦鉄道のたびら平戸口駅(長崎県)になる。

 夜が明けたところで、凍てつく寒さの中、稚内の町を歩きはじめた。

 稚内の語源は「冷水の流れる沢」を意味するアイヌ語の「ヤムワッカナイ」だとのことだが、その語感どおりの、ピリリッと引き締まった空気の冷たさだ。

 まず最初は稚内のシンボルの稚内公園に行く。駅の正面に見える海岸段丘(高さ約80メートル)の上にある公園だ。

 北門神社のわきから出るロープウェイに乗ると、一緒になった地元の小学生たちに、
「おじさん、このロープウェイは日本で一番短いんだよ」
 と教えられた。多分、そうなのだろう。

 海岸段丘上の稚内公園からの眺望はすばらしい。真下に稚内の市街地と稚内港を見下ろす。稚内の町並は、この海岸段丘と海岸の間に細長く延びている。右手のはるか遠くには日本本土最北端の宗谷岬(北緯45度31分14秒)が、左手にはノシャップ岬が見える。

 稚内港の向こうに広がる海は宗谷海峡。水平線上には、うっすらとサハリンの島影が見える。日本にいながらにして異国が見える感動というのは、表現のしようのないほどのものだ。思わず海を越えて、さらに向こうの北の世界へと行ってみたくなる。

 ところで日本から見える異国としては、対馬北端からの韓国と、与那国島西端からの台湾があるが、稚内もしくは宗谷岬からのサハリンが一番見える確率が高い。
 宗谷海峡の幅は、宗谷岬とサハリン南端の間ではわずかに40キロほどでしかない。

 稚内公園では稚内の開基100年を記念して1978年に建てられた「開基100年記念塔」の展望台に登る。

 360度の大パノラマは圧巻。右手にオホーツク海、正面に宗谷海峡、左手に日本海と、稚内を取り囲む三つの海を一望し、サハリンと礼文、利尻の島影を眺める。海上にスーッとそそりたつ利尻富士の優美な姿には目を引き寄せられた。

 次にパリンパリンに凍りついた雪道を踏みしめて、「氷雪の門」を見にいく。このモニュメントは旧樺太(サハリン)への望郷の念と、かの地で亡くなった大勢の我が同胞の霊を慰めるもので、望郷の門とブロンズ像、黒大理石の霊石が三位一体となって、サハリンを真正面に眺める高台の上に建っている。

 その隣には「九人の乙女の碑」。終戦直後の1945年8月、ロシア軍による旧樺太の真岡(現ホルムスク)への侵攻の最中、真岡郵便局の交換台を最後まで守り抜き、そして自ら命を絶った九人の若き電話交換嬢の霊を慰めている。碑に彫られた「皆さん これが最後です さようなら さようなら」が胸に残る。。

稚内港で北の世界を思う
 稚内公園から稚内港へと下っていく。かつての、日本の北の玄関口を偲ばせる半アーチ式の北埠頭ドームを歩き、稚泊航路の記念碑を見る。

 稚泊航路というのは、大正12年に鉄道省によって開設された稚内と旧樺太の大泊(現コルサコフ)を結ぶ航路で、日本の北への交通の動脈になっていた。昭和20年に閉鎖されるまで、稚泊連絡船は、300万人あまりの乗客を運んだという。

 稚泊航路のほかに稚内と本斗(現ネベリスク)を結ぶ稚斗航路もあった。稚内は現在、コルサコフ、ネベリスクの両市と友好都市の提携を結んでいる。

 今年(1995年)の5月からは、「稚内―コルサコフ(169キロ)」間に定期船が就航するという。新しい時代を予感させる稚泊航路の復活。稚内がふたたび日本の北の玄関口となり、活気づき、繁栄することを願ってやまない。

 私たちがふだん見なれている日本地図だと、稚内は最北で、まるで地の果てであるかのような先入観を持ってしまう。しかし、それはとんでもない間違いで、稚内は最果てどころか、限りなく広い北の世界へとつながっているのだ。

 宗谷海峡の向こうには、北海道をわずかに小さくしたくらいの面積のサハリン(7万4000平方キロ)が横たわり、さらに間宮海峡で隔てられたサハリンの対岸は沿海州(プリモルスキー)で、その面積は北海道の2倍くらいもある。沿海州はさらに日本の27倍もの面積のシベリアへとつづいている。それら広大なエリアのすべてが稚内と結びつく可能性があるのだ。

 寒風が吹きすさぶ稚内港の岸壁に立っていると、私の思いは海峡を越えた北の世界へと飛んでいくのだった。

稚内の郷土料理店で
 稚内港をあとにし、ノシャップ岬へ。岬の先端には、赤白に塗りわけられた灯台が建っている。高さ42メートル。島根県の日御埼灯台に次いで、日本第2位の高さを誇っている。

「ノシャップ」は、アイヌ語で顎を意味するそうだが、岬が顎のように突き出したところにある集落、それがノシャップで、ノシャップにある岬だからノシャップ岬になるという。漢字を当てはめると野寒布岬になる。

 岬には、ノシャップ寒流水族館があって、水量90トンという自慢の大回遊水槽では、チョウザメやホッケ、ソイ、カレイなどの北海の魚が群遊し、迫力満点だ。

 稚内めぐりの最後は稚内温泉。日本最北の温泉である。ここでは「稚内市民温泉保養センター」の湯に入った。含硼酸・重曹の強食塩泉。塩分が濃すぎるというので、源泉の湯を5倍にうすめているとのことだが、それでもまだかなり塩分の濃い湯である。稚内市民の憩いの場で、大浴場にはなごやかな空気が満ちあふれていた。

 稚内温泉は1978年に誕生した比較的新しい温泉で、それ以前は豊富町の豊富温泉が日本最北の温泉になっていた。

 稚内温泉の湯を存分に楽しんだあと、夕暮れの稚内駅に戻り、駅周辺を歩く。

“郷土料理”の看板を掲げた店が目にとまり、「網元」という料理店に入り、北海の味覚を味わった。

 まずはホタテガイとホッキガイの刺し身。ホタテガイはオホーツク海の猿仏で取れたもの、ホッキガイは日本海の抜海と稚咲内で取れたものだと、店の主人は説明してくれた。「ともに地元産の天然もの。“下りもの”ではありませんよ。どうです、味が違うでしょ」と自慢気だ。

 なるほど店の主人のいうとおりで、ホタテは養殖もの特有のクニャッとしたやわらかさがなく、シコシコとした歯ごたえ。ほのかな甘味のある、トロッとした脂分が上品だ。ホッキガイも湯には通していないので、自然のままの色あいである。

 ところで私がおもしろいと思ったのは、店の主人の使った“下りもの”という言葉である。それは、「ヨソから入ったものではなくて、地元のものですよ」といいたくて使った言葉だが、“下りもの”とは近世、上方から江戸へ、主に船で運ばれたものを指した。東京あたりでは死語になっているような言葉が、“下り”の終着点の稚内であたりまえに使われているところに、文化の伝播・残留のおもしろさが感じられた。

 これは余談になるが、私たちがふだん使っている「下らない」も、「下りものにさえならないもの」からきているといわれている。このように“下りもの”には、上方の人間の、江戸の人間に対する見下した目、態度というものが多分に含まれている。

 ホタテとホッキの刺し身の次に、ホッケの開きを焼いてもらう。これがうまい。皿からはみだすくらいの大きなホッケは、たっぷりと脂がのっている。とくに身と皮の間の脂分はたまらない。焼き方が上手なので、皮も骨も、まるごと食べることができた。

 焼き魚の次に、これは稚内名物というよりも、北海道名物といったほうがいいウニ丼を頼んだ。ところが店の主人は、地のウニは今は取れないので、
「下りものになってしまうのだけど」
 と、言葉を濁した。その表情からは、下りものよりも、地のものを食べさせてあげたいという気持ちが読みとれたので、地のものを使ったイカ・イクラ丼に変えた。

 こうして2時間以上をかけて、北海の味覚を賞味した。とことん味にこだわる「網元」の主人の態度には心を打たれるものがあった。大満足で稚内駅へ。22時05分発の寝台急行「利尻」で札幌に向かうのだった。

テーマ : 国内旅行    ジャンル : 旅行

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