著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
Administrator:ウザワ・K

電子で復刊!
カテゴリー
Amazon
ブログ内検索 by Google
広告も社会の窓。
最近のコメント
RSSフィード
FC2ブログランキング
このブログが面白いと思ったらたまに(あるいは頻繁に!)クリックしてくださいね(ポチっとな)。それで何が起こるのかは僕も知らんけど…。
カソリお役立ちリンク
管理人推奨リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

六大陸周遊1973-74 [完全版] 001

第1章 アジア編


2冊の本のおかげだ!

 サハラ砂漠縦断を一番の目的とする「世界一周」(*電子書籍版『極限の旅1971-72』にあたる)から帰ると、すぐに次の計画をつくり上げた。というよりも、旅している最中に次の旅を計画していたというほうが正確だろう。それは「六大陸周遊計画」だ。アジア→オーストラリア→アフリカ→ヨーロッパ→北アメリカ→南アメリカという順番で、世界の六大陸をまわろうというものだった。期間はおよそ2年とした。ぼくの頭の中には、世界を駆けめぐることしかなかった。
 ほんとうは全コースをバイクで走りたかったが、大陸から大陸へとバイクと一緒に渡るのは多額の費用がかかってしまうので、今回はヒッチハイクをメインにし、その中でバイクの旅を織りまぜていくことにした。例えばアジアではタイのバンコクでバイクを借り、タイ国内をまわったあとバンコクで返し、オーストラリアではシドニーでバイクを借り、オーストラリアを一周したあとシドニーで返し、アフリカでは南アフリカのヨハネスバーグでバイクを借り、南部アフリカの一周を終えたあとヨハネスバーグで返し……という方法をとることにした。
 旅の資金ですごくありがたかったのは本の印税。この時期、ぼくは自分にとって最初の本となる『アフリカよ』(浪漫)と第2冊目になる『極限の旅』(山と渓谷社)をほぼ同時に書いた。
『アフリカよ』は「アフリカ一周」(1968~69年)を書いたものだが、そのきっかけはなんともラッキーなものだった。まさに「強運カソリ」を地でいくような話なのである。
「世界一周」(1971~72年)に旅立つ前に、『現代の探検』(山と渓谷社)で「アフリカ一周」のときの「ソマリア縦断」を書かせてもらった。
 そのとき『現代の探検』の編集長、阿部正恒さんから東京農業大学探検部OBの向後元彦さんを紹介された。向後さんを訪ねていった先は、偉大なる旅人であり民俗学者の故・宮本常一先生が所長をしていた、日本観光文化研究所(観文研)だった。そこでは向後元彦さんから宮本先生の長男、都立大学山岳部OBの宮本千晴さんを紹介してもらった。宮本さんとの出会いは、ぼくにとってはまさに運命的なものといっていい。
 世界を知りつくしている宮本千晴さん、向後元彦さんの話しはぼくの胸の中、奥深くにしみ込んでいった。それからというもの、宮本さんや向後さんの話しを聞きたくて、ひんぱんに観文研を訪ねた。
 観文研では『あるくみるきく』という月刊誌を出していた。ある日、宮本さんに、それに「アフリカ一周」を書いてみないかといわれた。『あるくみるきく』は毎月、特集形式で出していたので、それに書くということは本を1冊書くようなもの。自分にできるかどうか、自信がなかった。
 すると宮本さんは、「そんなに大げさに考えなくてもいい。旅の間で印象に残ったことをカードに書けばいい」と言ってくれた。そこで「世界一周」に旅立つまでに、全部で150枚くらいのカードを書いた。
 ぼくが出発してからというもの、それを向後元彦さんと早稲田大学探検部OBに伊藤幸司さんが整理し、編集してくれた。書いた本人がいないのだから、さぞかし大変な作業だったことだろう。その『あるくみるきく』の「アフリカ一周」は、ぼくがロンドンの「アエロス」でバイトをしているときにでき上がった。1冊送ってもらって、それを見たときのうれしさといったらなかった。
 ところが、その『あるくみるきく』の「アフリカ一周」に目を止めてくれた人がいた。作家の坂口安吾や壇一雄らと懇意にしていた編集者、故・八木岡英治さんである。ぼくが「世界一周」から帰るとまもなく、八木岡さんが訪ねてきた。会うなり『あるくみるきく』の「アフリカ一周」はおもしろかった、ぜひとも本にしましょうといってくれたのだ。そのようないきさつで『アフリカよ』は出来上がった。
 ところでゲラ(校正)が出たとき、八木岡さんはそれを作家の壇一雄に読んでもらった。壇さんはすごくおもしろがってくれたという。そして、本の前書きに、
「ここに青年の行動の原型があり、純粋な旅の原型がある。何か途方もなく大きな希望があり、夢がある。ぼくが今、二十歳で、この著者と同じことが出来ないのが、唯一、残念なことである」
 と書いてくれた。
 八木岡さんの話しによると、壇さんは『アフリカよ』のゲラを読むとすぐに、ぼくに会いたいといったという。今となっては何とも残念なことなのだが、壇さんに会うこともなく「六大陸周遊」に出発してしまった。
 もう1冊の本の『極限の旅』は、山と渓谷社の書籍編集部に移った阿部正恒さんが企画し、編集してくれたもので、「世界一周」を書いた。本の完成はぼくが「六大陸周遊」に出発してからのことだったが、阿部さんの一存で、なんと、本の印税を出発前に出してくれた。このようにして『アフリカよ』と『極限の旅』の2冊の本の印税を手にして「六大陸周遊」に旅立った。それは1973年8月15日のことで、「世界一周」から帰国してまだ1年もたっていなかった。それでも出発できたのは、この2冊の本の印税によるところがきわめて大きかった。

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

コメント

Secret

最近の記事
月別アーカイブ
小さな天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
QRコード
QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。