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六大陸周遊1973-74 [完全版] 004

ジャワ島横断

 スマトラ島南端のタンジュンカランからはテレクベトゥン、パンジャンと3つの町がつながっている。そのうちのパンジャンからジャワ島へ、連絡船が出ている。
 1973年8月27日、夜明けとともに、バスでパンジャン港へ。朝焼けで、東の空は色鮮やかに燃えていた。ジャワ島のメラック港行きの連絡船は11時出港だというのに、すでに大勢の人たちが列をつくって並んでいた。
 港には連絡船の乗客相手の露店が何軒も出ていた。そんな露店のひとつで朝食にする。地面に座り、おかずつきの飯を3杯、食べた。1杯が25ルピア(約20円)。8時には連絡船の切符が売り出された。400ルピア(約330円)だった。
 10時、乗船。11時、連絡船は定刻通りにパンジャン港を出港。小島がいくつか見える。どの島も濃い緑で覆われている。
 連絡船はスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡を行く。真っ青な海だ。
 船内ではポルトガル人の旅行者に会った。オリベイラさんという66歳の人。ぼくと同じように、ズッシリと重いザックを背負って世界をまわっている。頭こそすっかりはげ上がっているが、話していると、66歳という歳をすこしも感じさせない。
 オリベイラさんは日本にも来たことがある。
 2ヵ月ほど滞在し、北は稚内から南は種子島までまわった。
「ここがよかった、あそこがよかった」と、日本各地の地名がポンポンとオリベイラさんの口から飛び出してくる。
「日本を旅するのは鉄道が一番」
「日本の中では東北が一番」
 ともいっていた。
 前方のジャワ島が次第に大きく見えてくる。スマトラ島との見た目の違いの大きさに驚かされてしまう。海から見るスマトラ島はしたたるような緑色。ところがジャワ島は茶色一色だ。開発の違いもあるだろうが、それ以上に気候の違いが大きいようだ。スマトラ島はほぼ一年中、雨の降る熱帯雨林気候。それに対してジャワ島は雨期と乾期がはっきりと分かれるサバンナ気候。8月というと、ジャワ島は乾期の最中なのだ。
 スマトラ島のパンジャン港から5時間で、連絡船はジャワ島のメラック港に到着した。港に隣接してバス乗り場がある。客引きに引かれるままに、ぼくとオリベイラさんはジャカルタ行きの急行バスに乗った。ジャカルタに着いたときには、すでにとっぷりと日は暮れていた。バスターミナルでオリベイラさんと別れ、中心街を歩いたが、インドネシアの首都とは思えないほどの暗さだった。
 1000ルピア(約825円)払って「HOTEL SEMARANNG」に泊まったが、ひと晩中、蚊にやられた…。
 インドネシアからはポルトガル領ティモール経由でオーストラリアに渡るつもりにしていたので、翌朝はジャカルタのポルトガル領事館にビザをもらいに行った。そこでは、別れたばかりのオリベイラさんと再会した。
 さらに、そこではイギリス人旅行者のデビッドにも再会した。なんという偶然。彼は28歳で、マレーシアのペナン空港で会った。デビッドはきれいにひげをそり、世界を長く旅しているとは思えないほど、こざっぱりしていた。彼もメダンに渡り、スマトラをバスで横断するというので、話がはずんだ。デビッドはバスでスマトラ島を横断したあと、パンジャン港から夕方の連絡船に乗り、ジャワ島に渡ったのだという。ぼくたちはポルトガル領事館近くのカフェで夢中になって旅の話をした。
 ポルトガル領ティモールのビザを発給してもらうと、オリベイラさんとデビッドに別れを告げる。デビッドには「私もタカシと同じように、これから島づたいに東に行く。そしてポルトガル領ティモールからオーストラリアに渡るつもりにしているので、またどこかで会えるかもしれないな」といわれた。オリベイラさんには「ポルトガルに来たときには、ぜひとも我が家に寄りなさい」といわれた。そしてポルトガル北部の港町、ポルトの住所を書いてくれた。
 ジャカルタのガンビール駅から16時50分発のスラカルタ行き急行列車に乗り、ジャワ島中部のジョク(*グ?)ジャカルタに向かった。車窓を流れていく風景はスマトラ島とは大違いで、きれいに耕された水田がつづく。ジャワ島はアジアでも有数の人口密度の高いエリアなのだ。やがて日が暮れ、田園風景は闇の中に沈んでいく。
 ジョク(*グ?)ジャカルタ到着は午前3時37分の予定。乗り過ごさないようにと、緊張していたので、おちおち寝てもいられない。ところが4時になっても、5時になってもジョク(*グ?)ジャカルタには着かない。そのうちに夜が明けてしまう。列車がジョク(*グ?)ジャカルタ駅に到着したのは、4時間遅れの8時前のことだった。
 なぜ、ジョク(*グ?)ジャカルタ駅で下車したかというと、カンボジアのアンコールワットと並び称される東南アジア屈指の仏教遺跡、ボロブドールに行ってみたかったからだ。ボロブドール遺跡はジョク(*グ?)ジャカルタの北西約50キロのところにある。
 バスに乗り継ぎ、ボロブドール遺跡へ。入場料の25ルピア(約20円)を払って石段を登っていく。英語の案内板には、
「ボロブドール遺跡は9世紀に造られたもの。8層から成る安山岩の建造物で高さは32メートル。一番下の正方形の壇の一辺は128メートル。全部で72のストーパ(仏塔)があり、最上部のストーパが最大」
と書かれていた。
 東南アジア屈指の仏教遺跡といっても、訪れる人は少なく、ピラミッド状の遺跡を独り占めにしているような気分だ。
 ボロブドール遺跡のてっぺんからの眺めはすばらしいもので、北東にメラピ山(2911m)(*2014年現在、2930m)、北西にスンビン山(3371m)、南西にメノーレ連山を望み、山々に囲まれた盆地にはココヤシが茂り、畑ではタバコが盛んに栽培されている。そんな眺望を目に焼きつけたところで、ボロブドール遺跡のてっぺんで昼寝した。
 ジョク(*グ?)ジャカルタ駅に戻ると、列車でスラバヤへ。ジャワ島では首都のジャカルタに次ぐ第2の都市だ。ここでひと晩泊まり、翌日、バニュワンギに列車で向かった。厳しい暑さ。車窓からはポツン、ポツンと富士山型の火山を見る。地図を見ると、それらの火山はどれも3000メートルを超えている。山岳地帯に入ると、松林を多く見かける。山の斜面を切り開いたコーヒー園もところどころで見る。途中の停車する駅では、ものすごい物売りの攻勢。あまりのすごさに、列車の扉は閉められたまま。ジャワ島東端のバニュワンギ駅に到着したのは、スラバヤ駅を出てから7時間後のことだった。すでに日はすっかり暮れていた。
 ここから次の島、バリ島に渡る。スマトラ島とジャワ島は大スンダ列島になるが、バリ島からは小スンダ列島になる。今度は小スンダ列島の島々を東へ、東へと進んでいく。

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

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