著者・管理人

Author: 賀曽利隆
Twitter:@kasori3000
Administrator:ウザワ・K

電子で復刊!
カテゴリー
Amazon
ブログ内検索 by Google
広告も社会の窓。
最近のコメント
RSSフィード
FC2ブログランキング
このブログが面白いと思ったらたまに(あるいは頻繁に!)クリックしてくださいね(ポチっとな)。それで何が起こるのかは僕も知らんけど…。
カソリお役立ちリンク
管理人推奨リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

六大陸周遊1973-74 [完全版] 010

続・帆船の旅

 フローレス島に上陸してやれやれと安堵したのも束の間、村人たちに聞くと、なんとそこからは道がないのでどこにも行けないという。レオという町まで船で行けば、島の中心のエンデに通じている道があるという。
 ぼくたちはすごくラッキーだった。
 スラウェシ島のウジュンパンジャン(*ウジュン・パンダンではないか? また、現・マカッサルと付記する予定)からきている大型の帆船「チンタ・コモド号」(50トン)が、ちょうどレオに向けて出港するところだった。急遽、その船に乗せてもらえることになったのだ。
 乗組員の1人がメインの高いマストにスルスルッと登り、帆を張る。次にサブのマストにも帆が張られ、「チンタ・コモド号」はラブハンバジョ港を離れていった。何か、南海の海賊船に乗り込んだかのような気分になった。
「チンタ・コモド号」はフローレス島のあとは、スンバ島のビマ港、ジャワ島のスラバヤ港、カリマンタン(ボルネオ島)のバンジュ(*ャ?)ルマシン港、スマトラ島のメダン港とまわり、4ヵ月あまりの航海ののち、スラウェシ島のウジュンパンジャン(*ウジュン・パンダン?)港に戻るという。大航海ではないか。
 船長はソーロンさんという32歳の人。顔つきが日本人に似ている。船乗りになってすでに20年になるという。「インドネシアの海は知り尽くしている」と自信満々。潮風にさらされた顔は赤銅色に光り輝いている。乗組員はソーロンさんを含めて全部で13人だ。
 ラブハンバジョ港を出て2日目、朝のうちは風があって快調に進んだが、やがて風が止むと、「チンタ・コモド号」も帆のみなので、パッタリと止まってしまう。ただただ、じっと風を待つだけ。昼が過ぎ、午後3時くらいになったところで風が吹きはじる。船が進みはじめると、乗組員たちは大騒ぎだ。帆船が魚群の中に入ったという。小魚を餌にして、乗組員たちは2、30センチくらいの魚を次々と面白いように釣り上げた。全部で50匹以上は釣り上げただろうか。「チンタ・コモド号」は漁船へと大変身。乗組員たちは忙しげに、釣った魚を焼いたり、干物や燻製にした。
 うれしいことに、「チンタ・コモド号」に乗るころには、ぼくの目のまわりの傷も大分よくなってきた。毎日、デビッドに手鏡を借りて傷口のガーゼを取り替えていたが、潮風のおかげで化膿することもなく、傷口もふさがってきた。
「よーし、もうガーゼはいらない」
 と、赤チンを塗るだけで傷口の処置を終えた。右目をふさぐようにしてガーゼをしていたので、それが取れたときの解放感と言ったらない。世界が急に開けたようなものだ。
 ラブハンバジョ港を出て3日目。雲の切れ間から朝日が昇る。遠くにレオのカリンディ港が見えてきた。いいペースでカリンディ港に近づいていったが、なんと港を間近にしたところで、無情にも風はパタッとやんだ。船も止まってしまった。ところが、ここからがすごい。船長のソーロンさんの掛け声で、乗組員全員が懸命になって櫂をこいだ。50トンもの帆船を櫂だけで動かすのだ。
 浜辺近くまで来ると、船から小舟が下ろされ、ぼくたちはそれに乗り移った。ソーロンさんをはじめ、乗組員のみなさんが手を振ってくれている。こうしてフローレス島に上陸したが、「チンタ・コモド号」のみなさんとの別れは辛かった。旅は別れの連続だ。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

コメント

Secret

最近の記事
月別アーカイブ
小さな天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2カウンター
QRコード
QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。