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  10 ,2017

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


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Category: カソリ本「一章瓶」

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六大陸周遊1973-74 [完全版] 011
分断された島を行く

 フローレス島のエンデ港を出港したのは夜の10時。ティモール島のクーパン港に到着したのは翌朝の8時。さすがに動力船は早い。フローレス島からティモール島までは10時間の船旅だった。
 クーパン港に上陸して、「とうとう小スンダ列島の東端までやって来た!」と感動した。「ティモール」はインドネシア語で「東」を意味する。ティモール島は直訳すれば「東島」だ。
 船内では33歳の軍人、アブドラハマンさんと親しくなった。彼に「ぜひとも家に寄っていってほしい」と言われ、ベモ(乗合タクシー)で港から10キロほどの、クーパン市内のアブドラハマンさんの家に行った。
 5年ぶりの故郷だとのことで、お父さんもお母さんもアブドラハマンさんの顔を見ると、泣いて喜んだ。彼はカリマンタン(ボルネオ島)での共産ゲリラとの戦闘で、左足を切断した。相手方のチェコ製の機関銃にやられたのだという。
 アブドラハマンさんの家で食事をご馳走になり、クーパンを出発。ポルトガル領ティモールとの国境に向かっていく。
 ティモール島は分断された島で、西ティモールはインドネシアだが、東ティモールはポルトガル領。陸路で国境を越えるのは、きわめて難しいと言われていた。その国境越えの困難さに、あえて挑戦するのだ。
 ティモール島はフローレス島と比べると、はるかに道はよく、交通量も多い。アディーさんという40過ぎの人が運転するトラックで、国境まで乗せてもらった。カタコトの日本語を話せる人だった。オイサ村近くの平原を走っていると、アディーさんは太平洋戦争中のここでの戦闘を話してくれた。
「日本軍の兵士たちは、この平原にパラシュートで降下した。だけどアメリカ軍とオーストラリア軍が待ち伏せしていてね。日本兵は次々に撃ち殺された。ほとんど全員が死んだよ」と、アディーさんはいかにも無念だと言わんばかりの口調だった。
 インドネシアでは、いろいろな人たちから太平洋戦争当時の話を聞いた。だが不思議なことに、インドネシアの人たちは日本のことをあまり悪くは言わない。最初は、ぼくが日本人なので気をつかっているからだろうと思っていた。ところがそうでもないようだ。
「大東亜共栄圏」の建設を旗印に日本が欧米諸国と戦ったことが、インドネシアの人たちに勇気を与え、インドネシア独立の大きな助けになったと、多くの人たちが同じようなことを言った。それまでのオランダの統治時代がひどすぎたということか。
 国境の町アタンブアに着くと、アディーさんと別れる。ぼくたちはインドネシアを出国するためにイミグレーションに行った。胸がドキドキする。というのは、インドネシアのビザがとっくに切れているからだ。ここに来るまで何度も警察でパスポートをチェックされたが、幸いなことにビザ切れはみつからないで済んだ。
 だが、さすがというか、イミグレーションの係官はそうはいかなかった。ぼくのパスポートを見るなり、ビザ切れを指摘した。ビザの延長で20USドル(約6000円)を取られるのか…。しかし、なんともラッキーなことに、イミグレーションの係官は「ビザ延長の手数料として1500ルピア(約1200円)を払いなさい」といって、それで無事、出国手続きは終わった。
 スマトラ島のメダンからティモール島のアタンブアまで、なんとも長い旅路の「インドネシア横断」だった。

テーマ : ツーリング    ジャンル : 車・バイク

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