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六大陸周遊1973-74 [完全版] 012

徒歩40キロの国境越え

 インドネシア側の国境の町、アタンブアから国境を越え、ポルトガル領ティモールに入るのは大変なことだった。
 その間、車はまったく通っていないので、40キロを歩かなくてはならない。
「さー、これからが勝負だ!」
 といってイギリス人のデビッドと顔を見合わせた。
 昼過ぎにアタンブアを出発し、歩きはじめたが、暑さが厳しい。タラタラと汗が流れ落ちてくる。デビッドは壊れかけたトランクをかかえたり、頭にのせたりして歩いたが、なんとも歩きづらそう。そのため、休憩する回数が多くなった。
 歩いているときは辛いことばかりではなかった。小さな集落に着くと、フランシスさんという人の家に呼ばれた。すでに退役した軍人だが、太平洋戦争中は日本軍の一員として戦闘に参加したという。インドネシアの独立後は陸軍に入り、スマトラ、カリマンタン、セラウェシ、マルク諸島とインドネシア各地を点々とした。そんなフランシスさんとの出会いは楽しいものであり、聞いた話は心に残った。
 日が暮れ、アタンブアから20キロ歩いたところで、アタポポという小さな港町に着いた。ここはまだインドネシア領内だ。日中の暑さがあまりにもきついので、ほんとうは夜通し歩きたかった。だが、警察で止められた。「明日、キミたちのパスポートと荷物を検査する」といわれ、やむをえず警察の一室を借り、ひと晩そこで眠った。
 夜が明けても、すぐには出発できなかった。警察の署長が来るのを待たなくてはならなかったからだ。8時過ぎになって、やっと署長が来た。パスポートと荷物を調べられ、9時過ぎになって、「行ってもよろしい」ということになった。国境まであと15キロだという。
 ぼくたちが歩きだしたころには、すでに灼熱の太陽がジリジリと照りつけていた。のどの渇きがひどく、水筒の水はあっという間に空になる。小さな集落が点々とあって助かったが、集落に着くたびに水をもらった。
 すばらしくきれいな浜辺に出た。あまりの暑さに我慢できず、デビッドと裸になって泳いだ。透き通った海。しばし、焦熱地獄の苦しみを忘れることができた。
 国境に通じる小道は海岸を離れ、なだらかな丘陵地帯に入っていく。懸命になって歩きつづけ、インドネシア側の国境事務所に着いた。足はふらつき、熱射病寸前で、頭から何杯もの水をかけてもらった。ひと息ついたところで、飲み水をもらい、ガブ飲みした。ここで再度、出国手続きをする。アタンブアのイミグレーションですでに出国手続きをしているので、ここでの手続きは簡単なものだった。
 国境事務所の係官たちに「さよなら」をいってポルトガル領ティモール側のバドガデ(*いまGoogleアースではBatugadeだがママでOKか)に向かっていく。そこまで5キロだという。じきに干上がった川を渡る。その川には木の橋がかかっている。橋の中間がインドネシアとポルトガルの国境。橋を渡ってポルトガル側に入ると、これでほんとうのインドネシアとの別れになった。
 ぼくはインドネシアがすっかり好きになっていた。いつの日か、今回のスマトラ島からティモール島への「大スンダ、小スンダ列島横断」ルートよりも北、「カリマンタン(ボルネオ島)→セラウェシ島→マルク諸島→イリアン・ジャヤ(ニューギニア島)」のルートで旅したいと思った。
 ぼくとデビッドは最後の力を振りしぼって歩き、日の落ちる前に、ポルトガル領ティモールのバドガデ(*)の町に着いた。ぼくたちは大きな難関を突破した。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

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