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  11 ,2017

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


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Author: 賀曽利隆
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Category: アフリカ縦断2013-2014

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アフリカ縦断2013-2014(その24)
「ナイロビ→ケープタウン編」(24)


 1月5日5時、夜明けとともに起き、まずはシャワーを浴びる。お湯がふんだんに出るのがありがたい。我々がテントを張ったすぐ隣りには南アフリカからやってきたピーターとレナタの白人夫婦がテントを張っていた。そんな2人と話した。2人はケープタウンから車で北上し、カラハリ砂漠を縦断してここまでやってきた。やはり雨には相当やられたとのことで、一面水びたしになったカラハリ砂漠の写真を見せてもらった。

 ピーターはバイクが大好き。ヤマハのテネレに乗っている。来年はレナタと2台のバイクでケープタウンからエチオピアのアディスアベバまで行きたいといっている。

 パンとハム&トマトの朝食を食べ、7時に「アレブッシュ・ロッジ」を出発。ウイントフックの町中を走り抜けていく。なつかしの町だ。

 ウイントフックに初めてやってきたのは1973年~74年の「南部アフリカ一周」。南アフリカのヨハネスバーグを出発点にし、スズキGT550で南アフリカ、スワジランド、レソト、南西アフリカの4ヵ国をまわった。ナミビアの当時の国名は南西アフリカ。ウイントフックに到着すると、中心街のカイザー通りにあるバルスワモータースを訪ねた。ここは大きな会社で、いくつかの部門に分かれていたが、そのうちのひとつがスズキのバイクを扱う部門だった。

 バルスワモータースでは応接室に通された。真っ白なカバーのかかったソファーに座るのは気が引けた。なにしろバイクに乗りっぱなしなので、全身ほこりまみれ、泥まみれといった格好だったからだ。バルスワモータースのみなさんは、「そんなことはすこしも気にしませんよ」といった顔をしてくれる。

 ありがたいことに、ひとしきりの歓談のあと、レストランでフルコースの昼食をいただいた。そして食後のコーヒーを飲みながら、会社のみなさんと話した。その時、「午後、すこし時間をとってもらえますか」といわれ、気軽に「いいですよ」と答えた。

 すると驚いたことに、次々と新聞の取材を受けた。

 南西アフリカには英語、アフリカーンス、ドイツ語の3紙の新聞があって、なんとその3紙、すべての記者とカメラマンが取材に来た。バイクで南西アフリカにやってきた日本人がよっぽど珍しかったのだろう。このことによってぼくは、当時の日本と南西アフリカの距離の「遠さ」を実感した。南西アフリカに住む日本人は1人もいなかった。

 何日かをかけて北部地方をまわり、ウイントフックに戻ると、バルスワモータースを再訪した。修理工場の一角を借りてGT550の整備をさせてもらった。それが終わると、しばらくバイクをあずかってもらい、町を歩いた。するとなんとも驚いたことに、「新聞、読みましたよ。がんばって下さいね」と、何人もの人たちに声をかけられたのだ。

 昼食はすこし贅沢しようと、レストランに入り、ステーキを食べた。ぶ厚いステーキに大満足し、1ラント30セントの食事代を払って店を出ようとすると、なんと店の主人は「いいから、いいから」といって受け取らない。

「キミのことは新聞で読んだ。私もバイクが大好きでね。できることならキミと一緒にバイクで旅したいよ」と笑いながらいうのだった。

 午後になってバルスワモータースに戻ると、トールさんというドイツ人の婦人がぼくを待っていた。南西アフリカで生まれた人なので、ドイツ系南西アフリカ人というべきなのだろう。彼女は日本人の若い女性と文通していた。

「ぜひとも家に来て、お茶でも飲んでいって下さい」
 といわれ、彼女の車に乗って家まで行った。

 トールさんには4人の男の子と3人の女の子がいる。居間にはなんとヒットラーの肖像画がかかっていた。

 文通しているのは多治見の女性で「トキ・ヨーコ」さん。トールさんは二言目には「ヨーコ」、「ヨーコ」で、大変だ。
「マイ・リトルガールのヨーコは…」といった具合で、この1年あまりの間にヨーコさんとの間でやりとりした手紙の束を見せてくれた。

 トールさんは何日か前に大西洋岸のウオルビスベイに行ったそうで、港で日本の漁船を見かけ、うれしくなって声をかけた。すると漁船員たちに大歓迎されて、ずいぶんと楽しい時間を過ごしたという。多治見のヨーコさんのおかげで、大の日本びいきになったトールさんも、ぼくのことは新聞の記事で知った。バルスワモータースに、「カソリさんがウインドフックに戻ったら、すぐに連絡して欲しい」と伝えていたそうだ。

 トールさんにバルスワモータースまで送ってもらうと、その日の夕方、ウイントフックを離れた。ほんとうはもう1日ぐらい、ウインドフックに滞在したかったのだが(バルスワモータースのみなさんにも、そういわれてひきとめられたのだが)、ある日、突然といった感じでこの町の有名人になってしまい、なんとも居ずらくなってしまったのだ。「有名人って、大変なんだなあ…」と思うカソリ。そんななつかしい出来事が、つい昨日のように思い出されてくるのだった。

 ウイントフックから北へ。街道沿いには一面に黄色い花が咲いていた。70キロほど走ったオカハンジジャで進路を西に変え、大西洋岸のスワコップムントに向かった。

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夜明けの「アレブッシュ・ロッジ」

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ウイントフックの郊外

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パーキングエリアで小休止

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ナミビアのゆるやかな山並み

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DR-Z400Sは今日も快調!

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オカハンジャへの道

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