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東アジア走破行(7)中朝国境走破行

「東アジア走破行」の第5弾目は2003年の「中朝国境走破行」だ。

 2003年9月25日はぼくにとっては一生涯、忘れられない歴史的な日になることだろう。鴨緑江河口から図們江(朝鮮名 豆満江)河口を目指すバイクツアー「中国・北朝鮮国境を行く!」の出発の日だからだ。

 成田から意気揚々とした気分で中国・東北地方最大の都市、瀋陽に飛び、「中朝国境走破行」の幕が切って落とされた。

 翌26日、ツアー参加者の「七人の侍」のバイクとサポートカーのマイクロバスは瀋陽を出発。バイクは中国・斉南スズキ製の125㏄バイク、GS125の新車。リアにはスズキの旗がとりつけられている。旗をなびかせて走る姿は、戦国時代の武田軍の「風林火山」の旗指物に相通じるものがあり、バックミラーに映る「七人の侍」の姿には胸にジーンとくるものがあった。

 マイクロバスにはこのバイクツアーを主催した「ツアープランナーズ・オーバーシーズ」社長の藤間剛さん、車での27万キロの「世界一周」を成し遂げた大内三郎さん、世界242の国と地域をまわった荻野洋一さんの日本人3人と、「瀋陽・中国旅行社」副社長の王麗華さん、ガイド兼通訳の呂徳成さん、「斉南スズキ」メカニックの陳さん、広報の成さん、それと運転手の、中国人5人が乗っている。

「斉南スズキ」の2人は山東省斉南の本社から来てくれた。特筆すべきなのは王麗華さん。彼女の人脈と尽力のおかげで中国公安と中国東北軍から特別な許可を取ることができたのだ。

 遼寧省の省政府からの許可を得て、瀋陽から丹東までは、高速道路の「瀋丹高速」を走った(中国ではバイクでの高速道路の走行は禁止されている)。途中、本渓に寄り、北朝鮮との国境の都市、丹東に着いたのは日が暮れてからだった。

 丹東のICには公安のパトカーが我々を出迎えてくれていた。レクサスのパトカーの先導で中国辺境(国境)最大の都市、丹東の中心街に入っていく。

 17階建の高層ホテル「丹東国際酒店」でバイクを止め、荷物を置くと、レストランでの夕食。丹東到着を祝い、「鴨緑江」という名前のビールで乾杯した。ぼくは「鴨緑江」の名前にすっかり酔ってしまった。

 20歳のときに「アフリカ一周」をして以来、ぼくは20代の大半を費やしてバイクで世界を駆けまわったが、世界地図を見るたびに「鴨緑江」には目がいった。バイクで東京を出発し、朝鮮半島を縦断し、「鴨緑江を渡って中国に入りたい!」というのが、ぼくの30数年来の夢だったからだ。
「今、その現場にやって来た!」

 夕食には何品もの中国料理が出たが、最後を飾ったのは鴨緑江でとれたツァンギョという魚の料理。淡白な味わいの白身の魚。まずは味覚で鴨緑江を味わった。

 夕食を終え、ホテルの部屋に入ると、すぐに窓をあけて外を見た。手前の丹東はまばゆいばかりのきらめく夜景に包まれているが、黒々と流れる鴨緑江の対岸、北朝鮮の新義州の町には明かりひとつ見えない。世界が漆黒の闇の中に沈んでいる。
「明と暗」。
 鴨緑江をはさんだ2つの世界のあまりの違いの大きさには、言葉もないほどだった。

 翌日は鴨緑江にかかる橋を歩き、鴨緑江の遊覧船に乗って北朝鮮側の岸辺スレスレのところまで行った。丹東は河口から40キロほどの地点。ちょうど満潮なのだろう、鴨緑江は逆流し、河口から上流へと、渦を巻いて流れていた。

 丹東を出発。鴨緑江の岸辺の道を走る。対岸は北朝鮮。川に浮かぶ中州の大半は北朝鮮領だという。鴨緑江の一番下流のダム、太平湾ダムを過ぎたところで鴨緑江を離れた。

「鴨緑江よ、いつの日か、今度はバイクで越えてやるゾー!」
 と叫んで鴨緑江に別れを告げ、満族(満州族)自治県の寛甸、桓仁を通り、峠を越えて遼寧省から吉林省に入った。

 吉林省の通化でひと晩泊まり、白山、撫松と通り、延辺朝鮮族自治州に入る。

 二道白河に到着。この町が中朝国境の聖山、長白山(朝鮮名 白頭山)への玄関口。朝鮮では始祖檀君伝説の山であり、中国では清朝発祥の地とされている。ここでは現地ガイドの朝鮮族の女性、張成姫さんが我々を待ってくれていた。さっそく長白山へ。閉山間際のこの時期なので、山頂までいけるかどうか不安だった。

 長白山登山口の駐車場にバイクを止め、ここでパジェロに乗り換える。我々は超ラッキーだった。その前々日には雪が降り、山頂までは行けなかった。前日も残った雪が凍りついてアイスバーン化し、やはり山頂までは行けなかった。さすが「強運のカソリ」、わずかな隙間をついて長白山の山頂まで行くことができたのだ(これは後日談になるが、この夜、山頂周辺では雪になり、長白山はそのままシーズンを終えて閉山されたという)。

 中国と北朝鮮の国境に連なる長白山脈最高峰の長白山は標高2749メートルの火山。この山から黄海に向かって鴨緑江が、日本海に向かって図們江が流れ出る。東北地方を貫流する大河、松花江も長白山が源流になっている。

 我々が立ったのは外輪山のピークのひとつの天文峰(2670m)。眼下には大カルデラ湖の天池が広がっている。湖の中央が中国と北朝鮮の国境。天池を取り囲む外輪山の峰々は山頂周辺がうっすらと雪化粧している。北朝鮮側の将軍峰が一番高く、中国側で一番高いのは白雲峰(2691m)。山頂の気温は氷点下1度。吹き抜ける風は冷たく、耳がちぎれそう。そんな寒風に吹かれながらも熱い気分で天池を見下ろした。

 山頂から下ると、天池から流れ落ちる大滝の長白山瀑布を見た。標高1250m地点の大滝で高さは68メートル。3条になって流れ落ちている。この滝が黒龍江(アムール川)に合流する松花江の源だ。滝のすぐ下には温泉が湧いている。その夜は大滝に近い「長白山国際旅遊賓館」に泊まったが、豊富な湯量の大浴場は日本風。湯があふれ出る湯船にどっぷりとつかった。 

 長白山から延辺朝鮮族自治州の中心、延吉へ。さらに中朝国境の町、図們へ。そこからは中朝国境を流れる図們江に沿って走った。図們江の対岸は北朝鮮。手の届くぐらいの川幅でしかない。

 揮春でひと晩泊まり、中朝露3国国境の防川に向かう。揮春から46キロ地点、中国と北朝鮮を結ぶ橋のかかっている圏河までは2車線の舗装路。現地ガイドの張さんは揮春からバスに乗り、この橋を渡って北朝鮮に入り、羅津から清津まで行ったことがあるという。

 圏河から先はダート。中国の領土が針のように細長くなる地点には、「UN(国連)メモリアルパーク」の石碑が建っている。そこにバイクを停め、悠々と流れる図們江の川原に降りた。対岸は北朝鮮。漁をする小舟が見える。

 ここではびっくり。なんとぼくのすぐわきに男が1人いるではないか。まるで「渓流浴」でもしたかのようで、濡れた体を拭いている。一瞬、図們江を渡ってきた北朝鮮からの脱北者か!?とも思ったが、まったく荷物は持っていないし、堂々とした態度なので、図們江に沐浴に来た人なのだろうということで自分を納得させた。

 この地点の道の反対側はロシア領。錆びた鉄条網が張りめぐらされている。きっとみんなやっているからなのだろう、鉄条網にはたるんだ箇所があり、そこをくぐり抜けてロシア領に入った。ロシアへのビザなし入国(密入国?)!

「道一本が中国領」といったダートを走り、揮春から69キロ走って防川に着いた。ここはちょっとした観光地。軍の監視塔に隣りあって3階建ての土産物店がある。その屋上が「一眼望三国」の展望台。北朝鮮側には「朝鮮(チョーセン)」、日本海側には「日本海(ルーベンハイ)」、ロシア側には「俄羅斯(オロス)」と、上にハングル、下に漢字で書かれている。

 足下を図們江が流れている。
 右側の北朝鮮と左側のロシアを結ぶ鉄道の鉄橋がかかっている。
 その先の日本海は日の光を浴びてキラキラ光り輝いている。
 北朝鮮側の豆満江駅とロシア側のハサン駅がはっきり見える。

 ハサン駅の背後はゆるやかな山並み。その山並みの向こうはなつかしのザルビノ港だ。 前年の「ユーラシア大陸横断」の第一歩がザルビノ港だった。ロシアへの入国手続きでこの港に降りたとき、ぼくは地図上で見たザルビノ近くのロシア・中国・北朝鮮の3国国境に猛烈に心を揺り動かされ、「いつの日か、きっと3国国境に立ってやる!」と心に誓った。それからわずか1年で、その3国国境に立つことができた。

 名残惜しい防川を後にして延吉に戻る。ここで現地ガイドの張さんと別れ、敦化へ。敦化から吉林に向かう途中で威虎嶺を越えたが、この峠までが延辺朝鮮族自治州になる。

 吉林、長春と通り、10月2日、2590キロを走って瀋陽に戻ってきた。スズキGS125はヘッドライトやテールランプのバルブ切れ以外はトラブルもなく、完璧に走ってくれた。

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