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東アジア走破行(10) 韓国往復縦断(2)

「東アジア走破行」第7弾目の「韓国往復縦断」(2005年10月)では、韓国最北端の地、北緯38度35分12秒、東経128度22分30秒の高城統一展望台で折り返し、束草に戻った。
 その途中では、日本海の海岸にある李承晩の別荘を見ていく。李承晩(1875年-1965年)といえば、かの悪名高き「李承晩ライン」で知られる韓国初代の大統領。この別荘は1953年以降、使われたものだという。
 それにつづいて金日成の別荘に行く。別荘近くの日本海の海岸は映画の舞台になったところで、そこでは韓国人の婦人3人がうれしそうに記念撮影をしていた。金日成(1912年-1994)といえば北朝鮮の独裁者。1948年から1994年までの長きにわたって北朝鮮を支配した。この別荘は1945年以降、使われたものだという。
 別荘内に展示されている朝鮮戦争(1950年-1953年)での北朝鮮の侵攻図には目を奪われた。それには「6・25」と赤字で大きく書かれているが、北朝鮮は1950年6月25日をもって韓国に侵攻した。怒涛のごとく南進し、あっというまに釜山近くまで攻め込んだ。韓国政府はあわや済州島に逃げ落ちるという寸前まで追い込まれたのだが、北朝鮮の侵攻図にはそれが描かれている。朝鮮戦争は1953年7月27日に停戦。しかしそれは終戦を意味するものではない。いまだに朝鮮半島に一発触発のきな臭さが漂うのは、朝鮮戦争が終結していないことが大きく影響している。
 金日成の別荘では1枚の写真にも目を引かれた。この別荘に遊びに来ていた金正日の写真だ。晩年の醜さからは想像もできないようなかわいらしい少年の姿が目に残った。
 それにしても李承晩と金日成という、今日の韓国と北朝鮮に大きな影響を与えた2人の人物の別荘が日本海の海岸のすぐ近くにあったというのは、何とも興味をおぼえる話ではないか。
 束草の「シップホテル」に戻ると、海沿いの食堂で夕食。キムチなどズラズラッと10皿の料理が並んだ。それをご飯とチゲと一緒に食べた。金属の箸と匙、ご飯の入った器も金属器。これが韓国の食の3点セット。韓国語でチョッカラという箸は長さが20センチにも満たない短いもので、なおかつ細い。この短い細い金属の箸に慣れるのには、なかなか時間がかかるものだ。一方の匙はスッカラといわれるが、匙面は楕円形で、柄は真っ直ぐになっている。長さは箸とほぼ同じ。韓国での箸と匙の使い方は、はっきりと分かれている。箸でおかずをつまみ、匙でご飯と汁をすくう。食堂でまわりの人たちを見ていると、箸よりもより頻繁に匙を使っているように見える。箸を使っているのが目に入らないくらいで、韓国における匙の重要性を思わせるような食堂での光景だ。
 食べ方で日本と大きく違うのは、ご飯と汁は各人に配られるがおかず類はみんなで一緒に食べることだ。直箸で口まで運ぶ。取箸や取皿はない。みなさんの食べ方を見ていると、ご飯や汁の入った器を手で持ったり、直接口をつけたりはしない。器は膳に置いたままで、匙ですくって食べる。熱伝導率の高い金属器を使ってきた韓国の食の習慣が、このような食べ方になったのだろうか。それとも、もともとこのような食べ方なので金属器が発達したのか。非常に興味をそそられる。
 夕食を食べ終わると、メンバーのみなさんと一緒にナイトマーケットを歩く。魚介類の夜市。生きのいい鮮魚が並び、生簀の活魚も売られている。露店の天ぷら屋を発見。おばちゃんの揚げたての天ぷらは超美味。我々はゴソッと天ぷらを買い、それを肴にマッカリや焼酎を飲んだ。

 翌日は夜明けとともに起き、海岸線を歩いた。きれいな朝日が日本海の水平線に昇る。町並みの向こうには韓国一の名峰、雪岳山の峰々が見える。なつかしの雪岳山。束草は雪岳山の玄関口になっている。
 雪岳山は太白山脈の主峰で、標高1708メートルの青峰山が最高峰。北の弥矢嶺と南の寒渓嶺を結ぶ稜線の東側が外雪岳、西側が内雪岳と呼ばれている。金剛山と並ぶ昔からの朝鮮の霊峰で、山中には神興寺や百潭寺などの古刹がある。束草からバスで終点の雪岳山国立公園入口まで行き、全長1100メートルのロープウェイで権金城の山上駅へ、そこから徒歩10分ほどの権金城の岩峰の頂上に立つというのが最もポピュラーな探訪コースになっている。
 1973年に来たときは雪岳山の岩峰のひとつ、蔚山岩に登った。梯子や鎖を使うけっこうきつい登りだったが、苦労して登ったかいがあった。山頂からの眺望はすばらしいものだった。見渡すかぎりの大展望は、今だに目に焼きついて離れない。足下に束草の町並を見下ろし、その向こうには日本海がはてしなく広がっていた。目を北に向けると、金剛山へとつづく山並みを一望し、はるかかなたには町並みが見えた。一緒に登った仁川から来たという大学生の5人組は、「あれは北朝鮮の高城だ!」と、口々にいっていた。
 韓国の山の表情はあの頃とはずいぶんと変わっていた。1973年当時は、やたらとはげ山が目立った。この30年余、韓国では植林に力を入れてきたが、その成果がはっきりと出ている。山々には樹木が茂り、かつてのはげ山も今では青々としている。
「シップホテル」に戻ると、前日と同じ食堂で朝食。前日と同じメニューに焼き魚がついた。
 束草を出発。海沿いの国道7号を南下。襄陽に向かっていく途中では国道の右手に連なる雪岳山の山々を眺めながらDR-Z400Sを走らせた。1973年の蔚山岩の山頂から眺めたシーンが、DRに乗りながら鮮やかに蘇ってくる。「またいつの日か、束草に来よう!」。そのときは雪岳山の最高峰の大青峰に登るのだ。
 襄陽から江陵、東海と日本海沿いの町々を通り過ぎていく。三陟からは国道38号で内陸に入り、太白山脈の山中の町、太白へ。ここは「東アジア走破行」第3弾目の「ソウル→北朝鮮」(2001年)の思い出の地だ。
 太白からは国道31号を南下し、江原道から慶尚北道に入る。太白山脈の山中に食堂を見つけ、昼食にする。ここではうどんを食べた。名古屋のきしめん風のうどんだったが、麺には腰がなくフニャフニャ。つづいてキムチと納豆でご飯を食べた。納豆を「チョングッチャン」といってたが、味噌と合わせたもの。日本の納豆とは味が違うが、韓国にも納豆があることを知って感激して食べた。日本と韓国はやはり似たような食文化圏にある。食堂の裏手には自然木を使った2段重ねのミツバチの巣箱があったが、これも九州山地の山中で見たものと似ていた。
 国道31号をさらに南下し、三者峠を越える。ここには「峠の茶屋」があって、韓国風のおでんを食べた。そのあと地元産のリンゴ、「ヒロサキ」を食べた。この地方のリンゴは小さいものだったが、日本の津軽のリンゴを入れてから、このような大きなリンゴが出来るようになったのだという。
 三者峠を越えると、英陽、青松と太白山脈の山中の町を通り、浦項へ。「韓国往復縦断」の往路編のときと同じように「ラマダアンコールホテル」に泊まり、韓国の名物料理、「サムゲッタン」の専門店で夕食にする。サムゲッタンは若鶏の腹の中に高麗人参やなつめ、糯米、栗、ニンニクなどを入れて煮込んだ料理。これを食べるとものすごく元気が出る。カソリ、さっそくサムゲッタンにかぶりつき、きれいに食べつくすのだった。

 翌朝の朝食はホテル近くの食堂で。朝食のおかずは全部で10皿出た。その中にはドングリの粉から作ったコンニャク状の「トトリーム」や桔梗の根の「トラジ」があった。トトリームは日本でも九州山地の山村に残っているカシの実の粉から作るカシノミゴンニャクとまったく同じもの。トラジは体にすごくいいという。
 浦項を出発し、迎日湾に突き出た岬、シャンギ串へ。ここには灯台があり、奇妙な手のモニュメントもある。韓国人はこの岬が韓国本土の最東端だといってるが、GPSで計測すると、それよりも南の地点が韓国本土の最東端地点になる。最東端地点の入口には「海成水産」という水産会社がある。ここは「東アジア走破行」第2弾目の「韓国一周」(2000年)で、カソリが韓国本土の最東端と確定したポイントだ。韓国人が最東端だといっているシャンギ串は東経129度34分10秒。カソリの確定した「海成水産」の脇の道を入った海岸は東経129度34分54秒。このようにかなりの差で「海成水産」の海岸の方が東になる。
 韓国本土最東端の地点に立ったあとは、海沿いの道を走って蔚山の町に入っていく。
 ここは韓国最大の財閥「現代」の企業城下町。現代造船や現代重工、現代自動車などの大工場群がつづく。なお「現代」だが日本語では「ゲンダイ」、英語では「ヒュンダイ」、韓国語では「ヒョンデ」になる。
 蔚山からは国道14号で釜山へ。10月14日16時、釜山港の国際フェリーターミナルに到着。「釜山→釜山」の「韓国往復縦断」は1178キロになった。国際フェリーターミナル内の食堂で最後の食事。カルビ、ビビンバ、プルコギ、鍋と、我々はたら腹食べた。
 いよいよ韓国に別れを告げるときが来た。出国手続きを終え、関釜フェリーの「はまゆう」に乗船。船は定刻通り、20時に釜山港を出港。船が釜山港フェリー埠頭の岸壁を離れると、我々はビールパーティーを開始した。350ml(170円)と500ml(220円)の缶ビールをガンガン飲みながら、「韓国往復縦断」の思い出話に花を咲かせた。 10月15日8時、関釜フェリーの「はまゆう」は下関港に到着。下船したところで「韓国往復縦断」のメンバーのみなさんと別れた。ぼくはここから日本海に沿って新潟へ。

 まずは下関の唐戸市場に行きすしを食べる。日本に帰ってきたらコレが一番。アナゴ、赤イカ、タイ、ヒラマサ、サバ、アジ、ヒラメ、カイバシラと8種取って1050円。それを下関名物の「フグ汁」(500円)を飲みながら食べた。
 下関駅前から日本海沿いの国道191号を行く。本州最西端の毘沙ノ鼻に寄り、難解地名の特牛(こっとい)を過ぎたところで角島に渡り、本州最西北端の川尻岬に立った。川尻岬の近くにはなぜか中国の楊貴妃の墓がある。長門ではB級グルメの「焼鳥」を食べ、萩では海辺の萩城跡を歩き、須佐の食堂で「焼肉定食」を食べた。
 山口県から島根県に入り、益田で国道9号に合流。浜田を通り、出雲市駅前の「東横イン」に泊まった。

 出雲市駅前の「東横イン」では「おにぎり&味噌汁」の朝食を食べてから出発。出雲大社を参拝し、出雲神話の舞台にもなっている稲佐の浜でDR-Z400Sを止め、波静かな日本海を眺めた。日御碕に到着すると、まずは日御碕神社を参拝し、次に200円を払って日御碕灯台に登る。さすが日本一のノッポ灯台、息を切らして162段の階段を登っていく。高さ43メートルの灯台の上からの眺めは絶景だ。灯台を降りると、「まの商店」で「海鮮丼」(1200円)を食べた。朝獲りだというヒラマサがメチャうま。プリンプリンした食感がたまらない。
 日御碕から出雲大社に戻ると国道431号で松江へ。その途中では一畑薬師に寄っていく。仁王門、本堂、観音堂とまわったが、ここでは「合掌低頭」が胸にしみる。ぼくの好きな言葉だ。
 トローンとした湖面の宍道湖を見ながら走り、松江の町に入っていく。松江といえば松江城。慶長5年(1600年)に堀尾氏が築城した松江城は現存する日本の「12天守」のひとつ。城主は堀尾氏のあとは京極氏から松平氏へと変っていく。
 松江からさらに国道431号を行く。中海を見ながら走り、途中、隠岐へのフェリーが出る七類港に立ち寄った。国道431号に戻ると、境水道を跨ぐ境水道大橋の下をくぐり抜け、島根半島東端の地蔵崎へ。岬への入口が美保関。昔からの港町。DRを止めて漁港を歩き、古い町並みを歩き、美保神社を参拝した。美保関から地蔵崎へ。そこには美保関灯台が建っている。岬の断崖上に立つと、水平線のかなたに隠岐が霞んで見えた。
 地蔵岬で折り返し、境水道大橋を渡って鳥取県に入り境港へ。幅の狭い境水道が島根・鳥取の県境になっている。境港の隠岐へのフェリーターミナルに寄って国道431号を南下。皆生温泉を過ぎたところでは、日吉津温泉「うなばら荘」(入浴料450円)の湯に入った。無色透明の湯には苦味がある。浴室からは夕日に染まった美保湾が眺められた。 日吉津温泉からは国道9号のナイトラン。大山町の食堂「おおさか」で「焼き魚定食」(1150円)を食べ、鹿野温泉の国民宿舎「山紫苑」に泊まった。

 鹿野温泉の国民宿舎「山紫苑」の朝食を食べて出発。国道9号に近いJR山陰本線の浜村駅前でDR-Z400Sを止める。駅前には「貝がら節発祥の地」碑。つづいて国道9号の展望台、龍泉台でDRを止める。そこからは日本海の白兎海岸を一望。鳥取を過ぎたところで鳥取砂丘へ。砂丘のてっぺんまで歩き、日本海を見渡した。鳥取砂丘近くの砂地の畑では名産のラッキョウの紫色の花が咲いていた。 
 国道9号から国道178号に入り、鳥取・兵庫県境を越えると、日本海の海岸線を行く。浜坂を通り、余部鉄橋の下を走り抜け、香住からは県道11号に入る。県道11号からの眺めはすごい。海に落ちる断崖の連続する風景。円山川河口の津居山漁港から城崎温泉へ。ここではJR城崎温泉駅前の「さとの湯」(入浴料800円)につかった。
 円山川沿いに豊岡まで走ると、国道178号で河梨峠を越えて京都府に入った。
 波静かな久美浜湾から丹後半島に入り、日本海を見ながら走る。丹後半島最北端の教ヶ岬に到着。駐車場にDRを止め、岬の突端の灯台まで歩いた。ここは近畿最北の地。岬の展望台からは日本海に落ちていく真っ赤な夕日を眺めた。
 経ヶ岬からは若狭湾岸の道を南下し、伊根温泉の「桜泉荘」に泊まった。大浴場、露天風呂と入り、湯上がりの生ビールを飲んだあと夕食。タイ、イカ、アジ、サワラ、ダイリキ(カンパチの子供)とすべて地魚の刺身の盛合わせはうまかった。

 翌朝は朝湯に入り、湯から上がると朝食。温泉卵、煮物、酢の物、漬物、海苔のほかに一夜干しのカレーの焼き魚が出た。
 伊根温泉を出発。いよいよDR-Z400Sでの「韓国往復縦断」、最後の日だ。
「いくぞDRよ!」
 海岸沿いの道を走り、「浦島太郎伝説」の宇良神社を参拝。「徐福渡来の地」といわれる新井崎に寄り、伊根湾沿いに舟屋の並ぶ伊根の集落に入っていく。若狭湾の定置網でのブリ漁で知られる伊根は興味をそそられる。
 国道178号を南下。丹後の一宮、籠神社を参拝し、リフトに乗って傘松公園に登る。そこから日本三景の天橋立を見下ろした。
 宮津を通り、舞鶴に到着。「とれとれセンター」では若狭湾の海の幸を満喫。まずは生ガキを食べる。つづいてイカ、エビ、サザエ、ホタテの海鮮焼き。これら全部を合わせても1500円。鮮度抜群の海鮮焼きだ。
 舞鶴では引揚記念公園内にある「引揚記念館」を見学。ここには数多くの戦後の引揚者の資料が展示されている。引揚者を乗せた引揚船といえば「興安丸」だ。下関と釜山を結ぶ関釜連絡船の新鋭船だった「興安丸」による引揚者数は17891名。全部で22回、引揚船としての航海をした。中国大陸や朝鮮半島、シベリア、樺太からの引揚者は舞鶴港に上陸した。
 ところで関釜連絡船は昭和10年代に入り、日本の大陸への進出が加速度的になると、次々に新造船が造られていく。昭和11年には当時の日本としては最優秀船として海運界から注目された7000トン級の「金剛丸」型が就航し、さらに昭和17年には8000トン級の「天山丸」型が就航。「興安丸」はその第2船目として造られた。そのあとに「崑崙丸」も就航している。
 これら関釜連絡船の新鋭船の船名を見ると、当時の日本の大陸進出に賭けた想いを見ることができる。「金剛丸」は朝鮮半島の金剛山に由来している。「天山丸」は中央アジアの天山山脈に由来している。「興安丸」は北東アジアの大興安嶺山脈に由来している。そして「崑崙丸」はヒマラヤ山脈の北側に延びる崑崙山脈に由来しているのだ。
 舞鶴からは国道27号を行く。京都府から福井県に入り、小浜を通り、敦賀へ。
 16時、敦賀に到着。下関から800キロ。敦賀では「日本海さかな街」で「海鮮丼」(1580円)を食べた。タイ、マグロ、ハマチ、アジ、ヒラメ、サバ、サケ、タコ、イカ、ウナギ、イクラと何と11種もの具がのっている。これを最後に敦賀ICで北陸道に入り、福井、金沢、富山と走り、新潟県に入る。糸魚川、直江津と過ぎ、米山SAでDRを止めた。夜の日本海を見たが、それが最後の日本海になった。
 長岡JCTで北陸道から関越道に入り、東京へ。環8経由で東名に入り、伊勢原の我が家に到着した時には白々と夜が明けていた。

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