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カソリの峠越え(34) 中国編(17):江川の峠(パート2)

(『月刊オートバイ』1992年11月号 所収)

 前回の「江川の峠(パート1)」では、広島県の三次を出発点にして中国地方最大の河川、江川本流の峠を越え、また三次に戻ってきた。
 三次盆地の中心、三次はまさに「江川の町」といったところで、江川本流の可愛川と支流の神野瀬川、西城川、馬洗川が三次で合流している。まるであっちからも、こっちからもといった感じで大きな川が流れ込み、江川となって中国山地を突き破り、日本海に流れ出ていく。
 今回の「江川の峠(パート2)」では、支流の神野瀬川と西城川の峠を越えようと思う。

まずは赤名峠だ!
「江川の峠(パート2)」の出発点はJR三次駅。駅前に相棒のスズキDR250Sを止め、待合室で自販機のカンコーヒーを飲みながら地図を見る。
「よーし、この峠を越えよう、この峠も越えよう」
 とプランニングしているときは無上の喜びを感じてしまう。
 三次駅はJR芸備線の駅だが、そのほか江川河口の江津に通じる三江線と瀬戸内海の福山に通じる福塩線がここから出ている。だがどの路線もローカル線なので、待合室にはのんびりとした空気が漂っている。それが何ともいえずにいい。
 さー、出発だ。
 キック一発、DRのエンジンをかけると、アクセルをひと吹かしして走りはじめる。三次の中心街をひとまわりしたあと、R54に入る。前回は三次から南へ、上根峠を越えて広島まで走ったが、今回はR54を北へ、広島・島根県境の赤名峠を目指すのだ。
 神野瀬川の支流、布野川に沿って走り、三次盆地から山間に入っていく。谷間には点々と集落がつづく。季節は5月の下旬。田植えの終わったばかりの水田がきれいだ。やがて赤名峠への登りがはじまる。ゆるやかな登り。DRのアクセルを開き、速度を上げて一気に登りつめると赤名峠のトンネル。広島・島根県境の赤名峠は標高580メートル。山陽と山陰を結ぶ昔からの重要な峠で、トンネルを抜けると島根県の赤来町だ。
 島根県側を下っていく。R54沿いには赤白のスノーマーカーが点々と立っている。赤名峠を境にして島根県側はかなりの雪が降るのだろう。
 峠を下った赤来町の中心地が赤名。赤名峠は赤名にちなんだ峠名だ。赤名からさらに頓原町の頓原まで下り、そこで折り返し、再度、赤名峠を越えて三次に戻った。

神野瀬川に沿って
 三次の中心街にある食堂で昼食にする。ここでは「ワニ」を食べた。ワニといっても、アマゾンやナイルにいるワニではない。日本海から入ってくるフカのことをワニといっている。ワニの刺し身を食べたが、正直いってそれほどうまいものではなかった。それでも、「おー、これがワニか!」といった旅の感動があった。三次ではワニを食べたいと思っていたからだ。おもしろいことに、広島県内でもワニを食用にしているのは江川の流域だけで、瀬戸内沿岸でワニを食べることはない。島根県の日本海側でも食べない。ワニはまさに広島県内の江川を象徴するかのような食べ物だ。
 三次から今度は江川支流の神野瀬川に沿って走る。広々とした三次盆地の水田地帯から中国山地の谷間に入っていく。DRのエンジン音を響かせ、神野瀬川の流れを見ながら走る。
 沓原ダムという小さなダムに出た。地図を見ると、沓原温泉という温泉がある。しかし一軒宿の温泉は木造の建物は朽ちはて、今は誰もいない。「ちょっとひと風呂、浴びていこう」と思っていただけに残念だ。
 神野瀬川の両側に迫る山々はいよいよ険しくなる。
 神野瀬川源流の高野町に入ると、高暮ダムのわきを通り、ダム湖を見ながら走る。渇水で水量が減り、湖底が見えているダム湖は痛々しい。
 高野町の中心、新市に着く。このあたりになると、谷間を抜け出し、ゆるやかな山並みに囲まれた小盆地の風景に変わる。

神野瀬川源流の峠越え
 高野町の新市から、神野瀬川の源流地帯の峠を越える。まずはR432の王貫峠。7キロほどで広島・島根県境の王貫峠に到達。中国山地は全体がなだらかな山並みなので、新市からの峠道もゆるやかな登りだ。
 R432の広島県側は2車線の峠道だが、王貫峠を越えて島根県側に入ると、とたんに狭路の峠道に変わる。広島と島根という両県の経済力の違いをこれみよがしに見せつけているようで、あまり気分のいいものではない。
 王貫峠を下っていく。峠道はかなり急な下り坂。高野町の新市から20キロ、仁多町の三成に着く。歴史を感じさせる古い町並みがつづく。町の中央を斐伊川が流れている。島根県の東半分は旧国でいうと出雲になるが、斐伊川は出雲国最大の川。出雲神話の八岐大蛇伝説でよく知られている。
 三成で折り返し、再度、王貫峠を越えて高野町の新市に戻った。
 次に高野町の新市からさらに神野瀬川の流れに沿って走り、源流の峠、俵原越に向かっていく。神野瀬川の流れはどんどん小さくなり、最後はチョロチョロと流れる小川に変わる。そして俵原越に到達。俵原越も王貫峠同様、広島・島根県境の峠だ。峠の周辺は樹林がうっそうとおい茂っているので、見晴はよくない。
 俵原越を越えて島根県側に入り、狭路の峠道を下り、さきほどの仁多町の中心、三成の町に出た。王貫峠越えの時と同じように三成で折り返し、俵原越をもう一度越え、高野町の新市に戻った。
 神野瀬川源流の最後の峠は王居峠。これで「おおいだわ」と読む。中国地方では峠のことを「たわ」とか「たお」という場合が多い。
 さて、すっかりなじみになった高野町の新市を出発。R432を走り、俵原越への道との分岐を過ぎると、じきに王居峠に到達。峠のすぐ地下まで民家がある。峠上には王居峠神社がある。
 R432の王居峠は高野町側はゆるやかな地形だが、峠を越えた比和町側は険しい地形で急勾配の峠道に変わる。峠を境にして、神野瀬川の水系から、江川のもうひとつの支流、西城川の水系へと変わる。峠を下っていくと前方には中国山地の山々が重なり合い、比婆山が見えてくる。峠下の比和町の中心、比和まで下ると、比和温泉の「あけぼの荘」に泊まった。比和町営の温泉宿で、1泊2食が5000円という安い宿泊料金がありがたかった。

「鬼の舌震」って何?
 翌日は比和温泉から王居峠、俵原越と越えて島根県に入り、仁多町の中心、三成まで下る。この近くのは「鬼の舌震」という名所がある。その名前にひかれて行ってみた。
 斐伊川の支流、馬木川沿いの駐車場にDRを止めると、遊歩道を歩き、「小天狗岩」や「ほんど岩」といった奇岩を見ていく。この奇岩のそそり立つ峡谷が「鬼の舌震」だ。
「鬼の舌震」は出雲神話の舞台で、案内板には次のような説明が書かれている。

**
 阿井の里に美しい娘が住んでおり、この娘を慕って日本海に住む悪いワニが夜な夜な川をさかのぼってきた。娘はこのワニを嫌って大岩で馬木川をせき止め、姿を隠してしまった。しかしワニの娘に対する気持ちは変わらず、その後も幾度となく、川をさかのぼってきたとのことです。この「ワニの慕ぶる」が転訛して「鬼の舌震」になったといわれています。
**

「ワニの慕ぶる」が「鬼の舌震」になったというのは、こじつけの感がしないでもないが、ワニには興味を引かれる。三次の食堂で「ワニの刺身」を食べたが、ワニというのはフカのことだ。
「因幡の白兎伝説」でもワニが登場する。白兎はワニを海に並ばせ、その上をピョンピョン飛び跳ねて海を渡ろうとしたのだが、そのワニもフカのこと。しかし、「鬼の舌震」のように、海から遠く離れた山奥深くまでフカがやってくるとは考えられないので、きっと何か、別なものだろう。それでは、それは何なのだろうと考えてみた。
 ワニには渡来人という意味もある。大陸からやってきた渡来人は海岸地帯から山中へと入り、そこで土着の日本人と衝突したという話は各地で聞いたことがある。この一帯ではタタラ製鉄が盛んにおこなわれていたが、それにたずさわる肌の色の違う渡来人もやってきて鬼と呼ばれたという話も聞いたことがある。
 日本人ならば誰もが知っている鬼も、よくよく考えてみると謎だらけ。「ワニとオニ」は何ともおもしろいではないか。いろいろと考えさせられた「鬼の舌震」だ。
 それと斐伊川といえば八岐大蛇伝説の舞台。高天原を追われた須佐之男命は出雲にやってきた。斐伊川の上流から流れてくる箸を見て、人が住んでいるに違いないと、上流へとさかのぼっていく。すると1軒の家があり、年寄夫婦と美しい娘が泣いていた。「この山の奥に八岐大蛇が住んでいます。頭が8つあって、目がホウズキのように真っ赤に燃えています。尾も8つで、背中には木が生えています。8人の娘がいましたが、7人まで八岐大蛇に食べられてしまいました。今度はこの娘の番なのです」という話を聞くと、須佐之男命は策略をめぐらして八岐大蛇を退治し、美しい娘(奇稲田姫)を妻にするという話。このような伝説に興味を持つのは、ツーリングをよりおもしろくする、すごくいい方法だといっていい。

三井野峠のループ橋
 仁多町の中心、三成に戻ると、R314で島根・広島県境の三井野峠に向かっていく。斐伊川に沿って走り、仁多町から横田町に入る。峠下の板根からは今年(1992年)の4月23日に完成したばかりのループ橋を登っていく。日本のループ橋というと、伊豆半島の天城峠、九州の加久藤峠が有名だが、三井野峠のループ橋もそれらに負けてはいない。高低差170メートルの2重のループだ。
 ループ橋を登りきって三井野峠に到達。斐伊川の源の峠で、峠上は広々とした高原の風景。JR木次線の駅があるし、スキー場もあるし、ちょっとした町並みもある。ここは中部地方のR156の蛭ヶ野峠とそっくりな地形。蛭ヶ野峠の周辺は蛭ヶ野高原といわれているが、三井野峠の周辺は三井野原高原といわれている。
 JR木次線の三井野原駅近くの食堂で昼食にする。ここでは出雲名物の割子そばを食べた。3段に重ねた円形の器にそばがはいっているのだが、それを1段づと、そばにツユをかけて食べていく。
 同じ日本でも、東日本だとそばのうまいところはいくらでもあるが、西日本だと限られてしまう。その中にあって出雲は昔からのそばの名産地。とくに三瓶山の山麓でつくられるそばの味には定評がある。
 食堂の壁には出雲の方言が貼られていた。
「だんだん」は「ありがとう」
「ばんじまして」は夕方のあいさつ
「ちょんばし」は「少し」
「まくれる」は「ころぶ」
 日本各地の方言はおもしろい。
 ところで三井野峠のすぐ東側には三国山(1004m)。旧国名でいえば出雲・伯耆・備後の三国国境だが、現在では鳥取・島根・広島3県の境になっている。

西城川に沿って
 三井野峠を越えて広島県に入る。ループ橋がひつようなくらい急な登りの島根県側とはうってかわって、広島県側はゆるやかな下り。国道のわきをサラサラ音をたてて小川が流れているが、これが江川の支流、西城川の源流だ。
 西城川に沿って下り、一軒宿の比婆山温泉の前を通り、R183に合流する。このあたりになると西城川は成長し、かなりの水量の川になる。
 西城川に沿ってR183を走り、西城の町に入っていく。西城川は大河の風格を漂わすくらいの大きな川になっている。そんな西城川を見ながら走り、庄原まで行った。
 庄原からはR432で朝出発した比和温泉のある比和へ。王居峠の下で国道と分かれ、広島と島根の県境に連なる比婆山の麓を通っていく。比婆山は中国山地を代表する山のひとつだが、吾妻山(1240m)や烏帽子山(1225m)などの山々を総称して比婆山と呼んでいる。
 さきほどの比婆山温泉に出ると、一軒宿の「熊野湯旅館」に泊まった。この地方ではよく知られている熊野神社が近い。翌日はR183で出ると、西城、庄原とは逆方向の鍵掛峠に向かう。地元の人たちは「かっかけ」と呼んでいる。広島・鳥取県境の鍵掛峠を越えて鳥取県に入ると日南町の中心の生山まで下り、そこで折り返した。
 R183を引き返し、もう一度、鍵掛峠を越える。広島県に入ると西城、庄原を通り、三次に戻った。「江川の峠」の最後となる次回の「江川の峠(パート3)」も、三次が出発点になるのだ。

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