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東アジア走破行(13)広州→上海

「東アジア走破行」の第10弾目は2009年12月1日~12月12日の「広州→上海2200キロ」。この中国ツーリングはいろいろな意味で、すさまじいものだった。またそれを成しとげたことによって自分が新たなステップを踏み、別な世界に昇っていったような気もするのだ。

 12月2日、広州に到着。人口1500万の広州はすさまじいばかりの大気汚染。息をするのも苦しいほど。世界第2の工業生産地帯、珠江デルタの中心都市だけあって、町は車の洪水だ。いたるところで大渋滞がつづく。

 そんな広州を出発点にし、スズキの125ccスクーター、アドレスV125Gを走らせ、国道324号で上海を目指した。驚いたことに国道324号沿には途切れることなく市街地がつづいた。ちなみにこの国道は福建省の福州から広東省の広州を経由し、雲南省の昆明に至る全長2600キロもの国道だ。

 福建省に入るとわずかに田園風景を見たが、すぐに廈門へとつづく市街地に入っていく。さらに泉州から省都の福州へと市街地がつづく。広州から福州までは1220キロ。福州からは国道104号→国道320号で上海まで行くのだが、その間もほぼ同様で、なんと「広州→上海」の2200キロ間がメガロポリスになっている。「ボストン→ワシントン」、「東京→大阪」などを上回る世界最大のメガロポリスといっていい。

 人口1600万の上海は世界一の工業生産地帯、長江デルタの中心都市。広州からつづいた大気汚染は途切れることはなく、ついに中国では抜けるような青空を一度として見ることはなかった。民族の存亡にもかかわるようなすさまじい大気汚染なのだが、それをあまり気にも留めない中国人に驚きを感じてしまった。

 福建省でひとつうれしかったのは、空海の中国上陸地点である霞浦に行けたこと。郊外の赤岸には「空海大師記念堂」が建っている。

 それにしても空海は強運な人間だ。804年の第17次遣唐使船に乗ったのだが、4隻のうち2隻は嵐で沈没。空海の乗った船は沈没をまのがれ、この地に漂着した。空海は上陸の許可が下りるまでの40日間、霞浦に滞在したのだ。なお、そのときの4隻のうち1隻だけは予定通り、寧波港に到着。その船には最澄が乗っていた。アドレスではこの年の4月から5月にかけて「四国八十八ヵ所めぐり」をしたので、自分の頭の中では四国と中国がつながった気分。次ぎの機会にはぜひとも、霞浦→福州→長安(西安)と空海の足跡をたどろうと思った。

 福建省から浙江省に入り、楽清の町でひと晩、泊まった。
 その翌日(12月10日)のこと。朝から雨が降っていた。50キロほど走ったところで、ゆるやかな峠を越える。時速60キロほどで2車線の峠道を上り、ブラインドになった左コーナーにさしかかった。すると何と、雨で滑り、スピンしたトラックが自分の目の前に飛び込んできた。
「あ、やったー!」


 その瞬間、次ぎ次ぎに頭の中から指令が飛んでくる。
「目をつぶるな」、「ここでは死ぬな」、「どうすれば助かるか考えろ」。

 トラックが自分の目の前で横向きになって止まるのと、アドレスで突っ込むのとはほぼ同時だった。すさまじい音とともにアドレスは吹っ飛ばされた。

 衝突の瞬間、ぼくは一瞬たりとも目を閉じることなく、目をカーッと見開いたままトラックに突っ込んでいった。そのときどうすれば助かるか、それだけを考えていた。

 トラックの中央部には人間が滑り込めるスペースがある。そこに賭けたのだ。転倒し、右手、右膝で受身をとりながら、ものすごい勢いで滑り込んだ。その結果、思惑通り、そのスペースにすっぽり入り込むことができた。

 トラックを降りてきた運転手はぼくの姿が見えないので、顔が青ざめるくらいの恐怖心を感じたという。さらにそのあとトラックの下から這い出してきたのでさらに恐怖心は増し、膝がガタガタ震えたという。

 それにしてもラッキーだった。

 トラックが止まるのと、それに衝突するのはほぼ同時だったが、ほんの1、2秒という、わずかな時間差があった。トラックの方が先に止まったのだ。この「1秒、2秒」でいろいろなことが見えるし、いろいろなことが考えられるし、いろいろなことが実行できる。そのおかげで助かったようなものだ。

 それともうひとつラッキーだったのは、トラックの側面には日本のような巻き込み防止のバーがついていないことだった。百戦練磨のカソリ、全身を強打したのにもかかわらず、右手で防御し、頭だけは打たなかった。

 すさまじい痛みの中で道路上に立ち尽くし、警察が来るのを待った。その間にいろいろなことを考えた。12月10日が自分の命日になってもおかしくないような状況だったが、こうして生き延びられたことに感謝した。「生きている!」という実感。だが、すぐに考え直した。「いや、生きているんではない、生かされているんだ」。ぼくはこのとき悟りの境地に入ったかのような心境になった。何か、目に見えない大きな力によって守られ、「オマエはまだ生きていろ!」といわれたような気がした。

「自分にはまだまだやりたいことがいっぱいある。よし、次は中国一周だな」
 と、事故現場で「中国一周計画」をプランニングするのだった。

 中国警察の動きは速かった。10分もしないうちに2台のパトカーがやってきた。事故現場を調べ、すぐに楽清の市民病院へ。右手、右膝をやられたが、骨には異常ナシ。右膝を2針縫う程度で済んだ。次に警察署で事故の調書がとられる。トラックの運転手が「すべては自分の責任です」と最初からいっているので、ここでもまったく問題ナシ。まるで警官が裁判官でもあるかのように、賠償金として5000元(約75000円)を払うようにと運転手に命令した。

 調書に右手人差し指で捺印したあと、運転手は「私には子供が4人いまして…」と泣きついてくる。一人っ子政策の中国で、何で4人も子供がいるの?といいたかったが、まあ、仕方ない。病院代の2000元を払うということで和解した。

 事故でメチャクチャになったアドレスだが、それは前面のみ。エンジンのある後部はまったく無傷。エンジンもかかる。そんなアドレスに乗り、グローブのように腫れあがった右手でハンドルを握り、天台、紹興、杭州と通り、翌12月11日14時45分、上海に到着した。広州から2252キロだった。


(この「広州→上海」は近日中に連載を開始しますので、ご期待ください)

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