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東アジア走破行(15)台湾往復縦断

「東アジア走破行」の第12弾目は2011年の「台湾往復縦断」。5月26日から8日間、台湾のスズキ、台鈴工業の125㏄スクーター、「TEKKEN(鉄拳)125」で1155キロを走った。台北の台鈴工業本社前を出発点にし、台湾南部の中心都市、高雄で折り返した。往路は「海編」で台北から台中、台南と台湾の西海岸を南下し高雄へ。復路は「山編」で高雄から阿里山、拉拉山と台湾山脈(中央山脈)沿いに北上して台北に戻った。

 とくに印象に残ったのは後半の「山編」だ。
 高雄を出発した日は関子嶺温泉に泊まった。日本の蔵王温泉を思わせるような高地の温泉。「関子嶺統茂温泉會舘」に泊まったのだが、ここの大浴場も露天風呂も泥湯。大浴場には裸で入り、混浴の露天風呂には水着で入った。水着着用がちょっと日本の温泉とは違うところだが、灰色の湯にどっぷりとつかっていると、九州・阿蘇の地獄温泉「清風荘」の泥湯、「すずめの湯」に入っているかのような錯覚にとらわれた。湯の色、湯の質も似ている。

 台湾有数の観光地、阿里山には大陸からの観光客がどっと押し寄せ、ちょっとしたブームになっていた。阿里山から台湾最大の湖、日月潭に下ったが、ここも大陸からの観光客でおおにぎわい。大陸からの観光客をねらった大きなホテルがオープンしたばかりで、このように台湾の観光地はどこも大陸からの観光客で大変なにぎわいだった。

 日月潭から埔里(プーリー)へ。この町は「台湾のへそ」。町中に「台湾中心碑」が建ち、そこには「山清水秀」と彫り刻まれている。

 埔里は1999年9月21日の台湾大地震(台湾では「921大地震」といわれている)の震源地に近く、町は大きな被害を受けたが、今は復興し、人口10万の町に大地震の痕跡はほとんど見られない。M7・6のこの大地震では2000人以上の死者が出た。

 台湾では今回の東日本大震災の発生と同時に全国的な義援金の募金活動がはじまり、早々に100億円を超える多額の義援金が送られ、日本でも大きなニュースになった。台湾のみなさんは日本の一大事を心から心配してくれたのだ。

「日本は一昨年の台風のときや10年前の921大地震のときにいち早く支援してくれたから、今度は台湾が日本を助ける番」という話を各地で何度も聞いたが、とくに埔里での募金活動はすごかった。町をあげての募金活動だったという。

 そういう話を聞くにつけ、日本はもっと、もっと台湾を大事にしなくてはいけないと思うのだ。世界中を探しても、台湾以上に親日的な国はないし、台湾人以上に、日本大好きな国民はいない。

 埔里から台湾山脈高地の清滝へ。日本でいえば八ヶ岳の清里といったところ。台湾でも人気の山岳リゾート地、清滝では「日光清滝」というペンションに泊まった。そこのベランダからの眺めは最高で、幾重にも重なり合った山々を一望した。

 清滝からの道がすごかった。山上道を登り、太魯閣国立公園に入り、標高3090メートル地点の展望台でTEKKENを停めた。TEKKENは125㏄とは思えないようなパワフルさで、何なく3000メートル地点を越えてしまう。

 展望台からの眺めは絶景。中央山脈から雪山山脈へと連なる何峰もの3000メートル峰を一望する。右奥には台湾の最高峰、玉山(3952m)が見えている。

 台湾は日本以上の山国で、玉山を筆頭に3000m峰は何と133峰を数える。ちなみに日本で3000m峰というと9峰でしかない。台湾の3000m峰の大半は台湾の脊梁山脈の中央山脈にあるが、雪山山脈にも雪山とか大雪山といった3000m峰がある。

 標高3090メートルの展望台からさらに登りつづけ、ついに標高3275メートルの峠、武嶺(ウーリン)に到達。「嶺」が峠を意味するので、日本風にいえば武峠になる。 日本の自動車道の最高所峠というと山梨・長野県境の大弛峠。標高は2360メートル。武嶺はそれよりも1000メートル近くも高い。台湾にはきっと武嶺よりも高い峠があるはずだ。

 武嶺を下った環山という山間の村では山地民タイヤル族の小学校を訪ねた。全校生徒39人という小学校だが、低学年から高学年までの全員が日本の「東北大地震(トンペイ・ターティツァン」を知っている。先生たちを含めてみなさんが「東北(トンペイ)」を心配していた。

 ここでは高学年のみなさんは華やかな色どりの民俗衣装に着替え、タイヤル族の唄を歌い、踊りを披露してくれた。地元の年配のみなさんも集まり、日本語のきれいな歌を歌ってくれた。給食を生徒たちと一緒に食べて別れたが、一生、忘れることのできない環山のタイヤル族の小学校だ。

 最後は拉拉山の山上の宿「京仁山荘」に泊り、台北に戻ったが、昨年の「台湾一周」につづいての今年の「台湾往復縦断」。「台湾をもっともっと走りまわりたい!」という熱い想いを胸に抱いて日本に帰ってきた。

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