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  08 ,2019

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


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Author: 賀曽利隆
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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(2)
■2012年3月11日(日)曇のち晴 「いわき→相馬」263キロ

 四倉舞子温泉「よこ川荘」で迎えた3・11の朝。「東日本大震災」から1年がたった。渡辺哲さんと一緒に「よこ川荘」の周辺を歩く。隣の温泉旅館「なぎさ亭」は大津波に襲われ、3階建の建物の1階部分が全滅。瓦礫はほとんど撤去されたが廃業した。舞子浜の海岸線を走る県道382号を渡り、海岸に出た。冬を思わせるような冷たい風が吹き、太平洋の水平線上には厚い雲が垂れ込めていた。
「この海が1年前、牙をむいて襲いかかってきたのか…」
「よこ川荘」に戻ると納豆と目玉焼き、塩ジャケの朝食を食べ、8時、出発。
 カソリのV-ストロームが先を走り、渡辺さんのセローがそれにつづく。
 国道6号から県道41号に入り、県道35号との交差点まで行ったところでバイクを停め、ここで渡辺さんと別れる。自販機のカンコーヒーで渡辺さんと乾杯。それは同時に大津波で亡くなった大勢の方々への献杯でもあった。
 渡辺さんは県道35号を北へ、カソリはそのまま県道41号を走り、国道399号に出た。この国道399号は、爆発事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所の20キロ圏で通行止になっている国道6号の、最短迂回路になっている。
 小川の町から北上し、一気に山中に入っていく。
 国道399号を北上すると、周囲はあっというまに雪景色に変る。前日は東北の広い範囲で大雪が降った。峠道にさしかかると、路面は雪とツルンツルンのアイスバーン。とてもではないが、V-ストロームで走行できるような状態ではなかった。国道399号は通行止にこそなっていなかったが、地元の人に聞くと、チェーンを装着した四駆でも走れるかどうかのような路面状況だという。
 国道399号はこの先、いくつもの峠を越えていわき市から川内村、田村市、葛尾村、浪江町と通って飯舘村に通じている。狭路の区間は舗装林道のような道。交通量も極めて少ない。そんな国道399号を走り、飯舘村から八木沢峠を越える県道12号で南相馬市の原町に出るつもりでいた。
 いやー、まいった…。
「鵜ノ子岬→尻屋崎」の東北太平洋岸ツーリングは出だしから大きなピンチを迎えた。
「国道6号が走れれば、何ということもないのに…」
 改めて爆発事故を起こした東電福島第1原発に胸にこみあげてくるような怒りを感じた。東電福島第1原発の爆発事故によって福島県太平洋岸の「浜通り」は完全に分断され、メチャクチャにされてしまった。「東日本大震災」から1年たったというのに、浜通りの南から北に行くのはいまだに大変なことなのだ。
 怒っていても仕方ない。
 とりあえずは来た道を走り、いわき市の四倉に戻った。
 四倉の海岸にV-ストロームを停め、しばし太平洋を眺めた。
 気分が落ち着いたところで、『ツーリングマップル東北』を見ながらのプランニング。その結果、「男は度胸だ!」と、高速道路に賭けることにした。というのは前日の大雪で磐越道の小野ICから先はチェーン規制がかかっていたからだ。
「北に行くのには、もうそれしかない」と決めた。あとは「なるようになれ!」だ。
「いままでも、いつも、そうしてきたではないか」
 いわき四倉ICで常磐道に入る。いわき中央ICまでは1車線区間。この間に雪はまったくなかった。いわき中央ICを過ぎたいわきJCTから磐越道に入る。ここから東北道の郡山JCTまでは全線が4車線。東北道に出られるかどうかが、大きな賭けだ。
 磐越道を走りはじめる。最初のうちはまったく雪がない。高速性能抜群のV-ストロームなので、存分にその走りのよさを楽しんだ。
 いわき三和ICを過ぎたあたりから雪景色に変わった。だが幸い天気は回復し、日が差してくる。高速道の路面には雪はない。大量の凍結防止剤がまかれているのでアイスバーンもない。それでも速度を落とし、突然、現れるかもしてないアイスバーンに最大限の注意を払った。
 いよいよ小野ICに近づいてくる。V-ストロームのハンドルを握りながら胸がドキドキしてくる。この先チェーン規制がかかっていたら、ここで高速を降り、下道の国道348号で行くしかないのだが、阿武隈山地の雪の峠を越えられるとは思えなかった。
「ラッキー!」
 磐越道の小野ICから先のチェーン規制は解除されていた。さらに郡山JCTまでの間も路面に雪はなく、アイスバーンもなかった。
 郡山JCTで東北道に入り、福島西ICへ。この間も問題なく走れた。
 福島西ICで東北道を降りると福島市内へ。そこからは国道115号で浜通りの相馬に向かう。
 福島の市街地を過ぎ、最初の峠を越えるが、無事、通過した。峠周辺は雪景色だが、路面に雪はなかった。
 最大の難関は霊山(825m)越えだ。
 ここでは幸いなことに気温が上がり、かなり強い日差しになったので路面の雪はシャーベット状になっていた。そのおかげでタイヤのグリップがあり、転倒することもなく走れた。霊山直下のゆるやかな登り坂を慎重に走りつづけ、ついに伊達市と相馬市の境の峠に到達。峠周辺はかなりの積雪だが、路面に雪はなかった。アイスバーンもなかった。
 阿武隈山地の名無しの峠を下っていくと、周囲の雪はスーッと消えていく。山地から平地に下り、まもなく開通する常磐道の相馬IC(南相馬IC~相馬IC間は4月8日に開通)の近くを通り、相馬市の中心、中村の市街地に入っていく。そしてJR常磐線の相馬駅前でV-ストロームを停めた。大きな難関を突破したのだ。
「勝ったな!」
 カソリ、賭けに勝ったのだ。
 相馬駅前では宮城県大崎市の武内さんから携帯に電話をもらった。
 2010年の「林道日本一周」のとき、わざわざ秋田県の横手駅前まで来てくれた人。奥さんとお子さんたちと相馬まで来たとのことで、「一緒に昼食を食べましょう」という。すぐさまぼくは『ツーリングマップル東北』にも載っている国道6号沿いの「白瀧」で会いましょうと返事をする。
 相馬駅前からV-ストロームを走らせ「白龍」へ。そこで武内さん一家と落ち合った。みなさんと一緒の楽しい食事。ぼくは名物の「ほっき飯」を食べた。
 このあと武内さん一家は松川浦へ。そこで「東日本大震災」の発生した14時46分を迎え、家族全員で黙祷するという。
 ぼくは相馬市の「白龍」から国道6号を南下。南相馬市に入ったところで14時46分を迎え、V-ストロームを路肩に停めると1分間の黙祷をした。
 その瞬間、神奈川県伊勢原市の自宅にいたときの、1年前のあの揺れの大きさが蘇ってきた。M9・0という超巨大地震(M8・0以上は巨大地震、M9・0以上は超巨大地震と呼んで区別している)のすさまじさで、震源地からはるか遠く離れているのに震度5強の強い揺れだった。いままで体験したことのないようなユサユサユサユサとした揺れが長くつづいたのだ。
 南相馬市では国道6号の通行止地点まで行った。そこが爆発事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所20キロ圏の北側になる。
 国道6号の通行止地点で折り返し、海沿いの県道260号→県道74号を行く。沿道には延々と大津波の被災地がつづくが、すでに大半の瓦礫が撤去され、はてしなく広がる無人の荒野を行く。もう何と表現していいのかわからないが、日本であって日本でないような光景だ。
 そんな県道74号沿いの蒲庭温泉の一軒宿「蒲庭館」で泊まった。ここは「東日本大震災」の2ヵ月後の5月11日にも泊まった宿。若奥さんはぼくのことをおぼえていてくれた。そのときに聞いた若奥さんの話は忘れられない。
 高台にある学校での謝恩会の最中に、巨大な「黒い壁」となって押し寄せてくる大津波を見たという。大津波は堤防を破壊し、あっというまに田畑を飲み込み、集落を飲み込んだ。多くの人たちが逃げ遅れ、多数の犠牲者が出てしまった。この地域だけで250余名の人たちが亡くなったという。
「地震のあと、大津波警報が出たのは知ってましたが、どうせ4、50センチぐらいだろうと思ってました。まさかあんな大きな津波が来るなんて…」
 3・11から1年後、今回聞いた若奥さんの話も深く心に残った。
「被災したみなさんは1年たってもまだ現実を受け入れられないのです。悪夢を見ているのではないか、朝、目をさませば、また元の村風景、元の家、元の生活…が戻ってるのではないかって思っているのです。あまりにも一瞬にして多くの人命と財産を失いましたから…」
 そんな話を聞いた直後にけっこう大きな地震に見舞われた。ガガガガガッと電気ドリルか何かでコンクリートに穴をあけるような衝撃。3・11から1年たっても頻繁に余震に襲われているという。
 刺身や焼き魚、貝のグラタン…などの夕食を食べ終わった頃、一緒に「シルクロード横断」や「南米・アンデス縦断」を走った斎藤さんが、車を走らせ、横浜から来てくれた。「カソリさん、明日は途中まで一緒に走らせてくださいよ」という斎藤さん。「どうぞどうぞ」と答えるカソリ。
 2人で大津波で犠牲になったみなさんの冥福を祈り、まずはビールで「献杯」。そのあと深夜まで我々の温泉宿での宴会はつづいた。

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