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  08 ,2019

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(18)
■2013年3月13日(水)晴「蒲庭温泉→宮戸島」191キロ(木)(その2)

 名取市の閖上を出発。県道10号で名取川を渡り、仙台市に入る。そして県道10号を右折して荒浜へ。
 東日本大震災当日の2011年3月11日、ぼくは家にいた。超巨大地震の発生後はテレビの画面に釘付けになった。大津波による被害の情報が次々にもたらされる中で、ものすごいショックを受けたのは「浜に200人ほどの死体が打ち上げられている」というニュースが流れた時だ。
「これはとんでもない災害になってしまった…」
 と実感したが、それがこの仙台市若林区の荒浜だった。
 県道10号沿いの荒浜小学校の4階建の建物はまだ残っていたが、それ以外には家一軒見られない。一面の荒野の中に貞山堀が一直線になって延びている。日本最大の運河、貞山堀は伊達政宗の夢の跡。海岸には大津波から2年後の3月11日に開眼供養が行なわれた聖観音像が立っている。石碑には荒浜の全犠牲者の名前と年齢が彫り刻まれているが、2歳とか4歳、5歳…といった子供達の名前が胸にグサッと突き刺さってくる。あまりにも酷い現実だ。
 仙台港周辺も大きな被害を受けたところだが、大半の工場はすでに操業を再開している。小名浜同様、ここでも臨海工業地帯の復興は速い。
 県道10号から国道45号に合流し多賀城へ。多賀城では陸奥の国府、多賀城跡まで行った。多賀城跡は無事。「奥の細道」ゆかりの壷碑も無事だ。
 今回の大津波は死者2万1959人を出した明治29年(1896年)の「明治三陸大津波」同様、日本史上、最大といわれる869年の「貞観の大津波」に迫るものだ。
「貞観の大津波」で陸奥の国府は全滅した。多賀城跡だけでの比較でいえば、やはり1150年前の「貞観の大津波」の方がより大きな津波だったということになる。
 多賀城から七ヶ浜半島に入っていく。半島全体が七ヶ浜町になっているが、海岸地帯は大津波に襲われて大きな被害を出し、100人近い犠牲者を出した。そのような海岸のすぐ近くでも高台の家々は残っていた。
 七ヶ浜から塩竃へ。塩竃では奥州の一の宮、塩竃神社を参拝した。塩竈神社の参拝客は震災直後に比べたら、はるかに増えている。それだけ周辺の被災地が落ち着きを取り戻したからなのだろう。
 塩竃漁港は東北太平洋岸の漁業基地だが、震災のすぐ直後から魚市場は再開された。松島湾内に位置する塩竃は、七ヶ浜半島や松島湾の湾口に連なる桂島や野々島、寒風沢島といった浦戸諸島の島々に守られたおかげで、それほど大きな被害を受けずにすんだ。
 塩竃から松島へ。松島も大津波の被害はそれほどでもなく、シンボルの五大堂や国宝の瑞厳寺も無傷で残った。国道45号沿いの土産物店はいつも通りの営業で、松島湾の遊覧船も運航していた。
 復興一番乗りの松島は、大津波から2年後ということもあって、観光客はかなり戻ってきているように見受けられた。この日は平日にもかかわらず、若いカップルたちの姿を多く見かけた。
 松島からは海沿いの県道27号を行く。
 松島町から東松島市に入るとそこは「大塚」。JR仙石線の陸前大塚駅が海岸にある。駅も駅前の家並みも無傷。大津波の痕跡はまったく見られない。その次が「東名」で、ここには東名駅がある。
「大塚ー東名」間はわずか2キロでしかないが、この2キロが同じ松島湾岸を天国と地獄を分けた。ゆるやかな峠を越えて東名に入ると信じられないような惨状だ。大津波から2年になるが、依然として復興とはほど遠い光景をそのまま残していた。
 東名を流れる東名運河は石巻港と荒浜港(亘理町)を結ぶ運河の一部。北からいうと北上運河、東名運河、貞山運河(貞山堀)の3運河で石巻港と荒浜港が結ばれていたが、現在は運河としての役目を終え、灌漑用の水路になっている程度でしかない。
 太平洋と平行して流れるこれらの3運河が大津波襲来の際、どのような働きをし、かかわったかをすごく知りたいものだ。この運河のおかげで大津波がすこしでも弱まったのか、それとも逆に被害を拡大させたのか。
 東名から野蒜へ。ここも大津波をまともに受けたところ。JR仙石線の野蒜駅前でビッグボーイを停めた。駅前の県道27号の倒れた信号は撤去されていたが、架線の垂れ下がった野蒜駅はそのまま残っていた。錆びた線路もそのままだ。駅前のコンビニも店内が足の踏み場もないようなメチャメチャの状態で残っていた。東名から野蒜一帯を襲った大津波は松島湾からではなく、石巻湾の方から野蒜海岸の防潮堤を乗り越えて押し寄せてきたという。
 野蒜駅前からさらに県道27号を行く。鳴瀬川河口の堤防上のT字路を右折し、野蒜海岸を行く。大きな被害を受けた防潮堤は仮の修復工事が行なわれていた。東名、野蒜を襲った大津波はこの防潮堤を乗り越えたのかと思うとぞっとした。
 野蒜海岸から短い橋を渡って宮戸島に入る。よほど気をつけていないと、気がつかないような短い橋だ。震災ではこの橋が落下し、宮戸島は孤立した。松島四大観の筆頭、「壮観(大高森山展望台)」の下を通り、里浜から月浜、大浜と通って室浜へ。「日本三大渓」のひとつ、嵯峨渓のある室浜が県道27号の終点になっている。
 宮戸島の集落は松島湾の内海に面した里浜と太平洋の外海に面した月浜、大浜、室浜の4つの集落から成っている。人口はほぼ1000人。月浜、大浜、室浜はかなりの被害を受けた。大津波の直後は東名や野蒜で大きな被害が出たこともあり、宮戸島に入る橋が落下したこともあり、宮戸島の状況が東松島市の市役所には届かなかった。一時は1000人の島民全員が絶望視された。ところが実際には1人の犠牲者も出さなかった。これはすごいことだ。まさに「奇跡の島」。大地震の直後、「津波が来る!」ということで、島民全員がすばやく避難したからだ。
 宮戸島の島民のみなさんは、小さい頃から「地震が起きたら津波が来る」と頭にたたき込まれているという。避難してからがじつにすごい。無事だった家を中心にして島の米を集め、すぐに炊き出しが始まった。そのため島は孤立したが、救援隊が入ってくるまでの何日間かを島民のみなさんは互いに励ましあい、助け合って全員が生き延びたのだ。
 宮戸島では民宿「桜荘」に泊まった。窓を開けると、目の前には絵のように美しい松島湾が広がっている。この海が大津波の直後は瓦礫の海と化した。一面に埋め尽くされた瓦礫のせいで、海なのか陸なのか、わからないほどだったという。
「桜荘」の夕食はご馳走だ。刺身の盛合わせ、カニとツブ貝、キンキ(金目)の焼き魚、しめ鯖、サーモンの和え物、ワカメの辛し味噌和え、貝やエビなどの海鮮鍋と海の幸三昧。さらにそのあとカキの殻焼き、ホタテの貝焼き、カレーの唐揚げが出た。こんなにすごいご馳走なのに1泊2食の宿泊費は7870円だった。

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