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  08 ,2019

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。 20歳でのアフリカ一周から、60歳還暦での「300日3000湯」ツアーまで、そしてその先へ・・・。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。


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Category: 鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018

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「鵜ノ子岬→尻屋崎2012~2018」(19)
■2013年3月14日(木)晴「宮戸島→大船渡」212キロ(その1)

 宮戸島の民宿「桜荘」の朝食を食べ出発。もう一度、宮戸島をまわり、東松島市の中心、矢本へ。JR仙石線の矢本駅前でビッグボーイを止めた。仙石線は鳴瀬川を渡ったところにある陸前小野駅から石巻駅までは再開されている。
 陸前小野駅から松島に近い高城町駅の間は不通のままで、JRの代行バスが走っている。その不通区間に野蒜駅と東名駅がある。この2つの駅を内陸側に移し、新たに新野蒜駅と新東名駅をつくり、2015年には仙石線の全線を開通させるという。そのときは仙台から石巻まで、仙石線の全線に乗ってみたいものだ。頑張れJR、頑張れ東北!
 矢本からは国道45号→国道398号で石巻の町に入っていく。石巻でも石巻駅の駅前でビッグボーイを止めた。
 石巻駅を起点にして石巻をまわる。ゴーストタウン化した旧北上川の川沿いはそのままの風景だが、道をふさいでいた乗り上げ船は撤去されていた。川岸から日和山に登り、展望台から旧北上川の河口と石巻漁港を見下ろした。山裾と海の間は瓦礫が撤去され、更地になっている。
 日和山からの眺めを目に焼き付けたところで、石巻漁港へとビッグボーイを走らせた。 遅々として復興の進まなかった石巻漁港とその周辺だが、やっと動き出した。漁港の岸壁はかさ上げされ、漁船が接岸している。仮設の魚市場も完成した。水産加工場も次々に完成している。東北太平洋岸有数の漁港、石巻港が復興すれば、石巻の町全体が活気づく。1日も早い復興を願うばかりだ。
 うれしかったのは仮設の市場食堂、「斉太郎食堂」の営業再開だ。
 以前の「斉太郎食堂」と比べるとずいぶん狭くなったが、食堂内はほぼ満員という盛況ぶり。すこし早めの昼食にし、「海鮮丼」(1000円)を食べた。
 石巻漁港の魚市場内にあった頃の「斉太郎食堂」はほんとうによかった。ぼくは日本一の市場食堂だと評価していた。早朝から営業していたし、メニューは多彩で料金は安く、ボリュームも満点。魚介類の新鮮さは群を抜いていた。ゆったり気分で食べられる広い食堂で、三陸の「海の幸」を味わいながら漁業関係者の会話をそれとなく聞くのが大きな楽しみだった。客の大半は漁業関係者だった。
 石巻からは国道398号で女川へ。万石浦沿いに走り、女川町に入る。万石浦沿いの女川は大津波の被害をまったく受けていない。ところがJR石巻線の浦宿駅前を過ぎ、ゆるやかな峠を登り、峠上の女川高校を過ぎると風景は一変し、全滅した女川の中心街が眼の中に飛び込んでくる。被災地の瓦礫は撤去されていたが、倒壊してひっくり返ったビルはそのまま残されている。ここで驚かされたのは、町中を貫く新しい国道だ。計画路線は見上げるような高さを通ることになっている。
 女川から国道398号で三陸のリアス式海岸を行く。ふたたび石巻市に入り、雄勝へ。 大津波のメモリーだった公民館の屋根上に乗ったバスは3・11から1年を機に下に降ろされたが、その公民館も取り壊されていた。雄勝湾の一番奥の雄勝には何も残っていない。ひとつの町が完全に消えた。復興の芽すら見えない。
 雄勝から釜谷峠を越えると東北一の大河、北上川の河畔に出る。そこには新北上大橋がかかっている。橋の一部が流されたので、長らく通行止になっていたが、今はその区間に仮橋がかかっているので何ら問題なく通行できる。
 新北上大橋のたもとの右手には、今回の大津波では一番の悲劇の舞台になったといっていい大川小学校がある。ここでは78人の生徒と11人の職員が大津波に流された。そのうち助かったのは4人の生徒と1人の職員だけだった。ここは北上川河口から約5キロの地点。太平洋から5キロも離れた内陸まで、これだけの大津波が押し寄せるとは誰も想像もしなかったのだろう。大川小学校の校舎はまだ残っていた。
 新北上大橋を渡り、旧北上町に入っていく。北上川の川沿いには吉浜小学校がある。この吉浜小学校にも大津波が押し寄せた。3階建校舎の3階までが浸水した。校舎の正面にある時計は地震発生時の14時46分で止まっている。この時、吉浜小学校はすでに放課後で、49人の生徒のうち、卒業式の準備で残っていた6人の生徒と教職員は校舎の屋上に逃げて助かった。
 吉浜小学校のすぐ近くには避難所になっていた石巻市北上総合支所がある。ここでは悲惨を極め、避難してきた57人の内、何と54人もの人たちが亡くなった。その中には吉浜小学校の生徒が7人もいた。
 白浜岬で北上川の河口を見たあと、相川漁港に行く。ここには相川小学校がある。海岸のすぐ近くにあるのにもかかわらず、70余名の生徒、全員が無事だった。地震発生と同時に生徒たちは教職員と一緒に小学校の裏山を駆け登った。その3日前に相川小学校では津波の非難訓練がおこなわれた。先生や生徒たちは避難訓練通り、迷うことなく裏山に登った。相川小学校の裏山というのは、大川小学校の裏山よりもはるかに急な登りだ。
 同じ石巻市内にある大川小学校と吉浜小学校、相川小学校の3校はれぞれの明暗を分けてしまったが、とくに大川小学校と相川小学校の違いはただひとつ、常日頃から津波の避難訓練をしていたかどうか、ということである。
 国道398号を北へ、石巻市から南三陸町に入る。三陸屈指の海岸美を誇る神割崎の真っ二つに割れた「神割伝説」の大岩を見、大津波を連想させる「波伝谷」を通り、国道45号に合流する。以前は「海の畑」を思わせる志津川湾だったが、養殖筏は大津波で根こそぎやられ、まる裸にされたような海になってしまった。そんな志津川湾にもかなりの養殖筏が見られるようになっていた。
 志津川の町中に入っていくと、震災から2年が過ぎたというのに、復興にはほど遠い光景がひろがっている。志津川漁港に行くと大津波によって破壊された防潮堤はそのままだが、造船所が仕事を再開し、新しい漁船を造っていた。
 志津川につづいて歌津の町に入っていく。ここも壊滅状態。海沿いを走る国道45号の橋は落ちたままだ。そんな歌津の町並みをJR気仙沼線の歌津駅から見下ろした。線路が流された気仙沼線の開通の見込みはまったくたたず、代行バスが走っている。
「南三陸町」というのは2005年10月に志津川町と歌津町が合併して誕生した町。震災前はほとんどの人が知らなかったような町名だが、今回の大津波で全国に知られるようになった。
「三陸」も同じことがいえる。
 明治29年(1896年)6月15日の「明治三陸大津波」は、死者2万1959人、行方不明者44人という未曽有の大災害になってしまったが、この大津波で「三陸」の名は日本全国に知れ渡り、その名が定着した。
 国道45号で南三陸町から気仙沼市に入っていく。気仙沼では潮吹岩で知られる岩井崎に寄り道した。国道45号から岬までの道沿いは大津波にやられ、すさまじい惨状を見せていた。これが震災から2年という時間のすごさとでもいおうか、瓦礫はきれいに取り除かれ、不思議なほどの落ち着きを見せていた。
 岩井崎の食堂や土産物店、旅館はすべて大津波によって破壊された。それが何とも不思議なことに、岬の突端に建つ第9代横綱の秀ノ山像は無傷で残った。ここも「奇跡のポイント」。なお秀ノ山は両国国技館入口の壁画で大きく描かれている横綱だ。
 岩井崎をあとにし、気仙沼の中心街に入っていく。
 JR気仙沼線の南気仙沼駅周辺は大津波に激しくやられたところだが、大震災から2年がたち、浸水した水は完全に引いていた。手つかずだった瓦礫も大半が撤去されている。それが気仙沼線の終点の気仙沼駅周辺になると、ほとんど大津波の被害を受けていない。わずかな高さの違い、地形の違いによって、これほどまでの差が出るのが「津波被害」なのである。
 気仙沼湾は奥深くまで切れ込んだ海。その海を突っ切って何隻もの大型漁船が陸地に乗り上げた。震災直後は折り重なった乗り上げ船の下をくぐり抜けていく迷路のような道もあった。それが、今では大型漁船1隻を残して、すべての乗り上げ船は撤去された。残った乗り上げ船をめぐって保存か撤去かで今、気仙沼は議論の最中だ。
「東日本大震災」からから2年がたって、石巻の「鯨大和煮」の缶詰型大看板や雄勝の公民館屋上に乗り上げたバスなど、大津波のシンボル的なものはすでに撤去されてなくなっている。この気仙沼の乗り上げ船などが保存の方向に動いているが、今回の大津波のすさまじさを後世に伝える3・11の記念碑的なものは「復興」とともに必要なことではないかと感じるのだった。

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