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『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その1

『極限の旅』賀曽利隆(山と渓谷社、1973年)「現代の旅」シリーズ

第一章 下痢と事故と神様と(アジア)Rangoon→Jiddah

長良丸は遅れる
 この前の旅は、一九六八年四月に出て、翌年十二月までの約二十ヵ月間、オートバイでアフリカを一周し、アフリカ三十四ヵ国をまわった。泥と汗にまみれ、疲れきって、いつも空腹感にさいなまれるといった、ギリギリの旅であったが、その毎日はすばらしく、すっかりアフリカのとりこになってしまった。
 だが、そのときは、資金不足と、私自身の未経験さもあって、サハラ砂漠にはほとんど足を踏み入れることができなかった。一九六九年十二月に日本に帰ったが、それ以来ずっとサハラが頭から離れず、サハラ砂漠を最大の目的とした世界一周計画を作り、全精力を注ぎ込んで計画の実現と成功を目指した。
 二年近い歳月を費やし資料を集め、ルートを練り、バイトで資金を作りながら、オートバイでサハラを越える訓練を続ける。そして使うオートバイを、荒地走行用のハスラー・スズキTS二五〇Ⅲ型と決め、一九七一年七月二十八日に横浜を出航した日本郵船の貨物船、長良丸でハスラーをパキスタンのカラチに送る。長良丸のカラチ入港予定は八月二十四日で、私はそれに合わせてカラチにたどりついた。

 ビルマのラングーンから、インド、ネパールと、無理に無理を重ねた野宿を続けてきたので、パキスタンのカラチに着いたときは、疲れきってぐったりしていた。とにかく一晩熟睡したくて、路地裏のうす汚れた食堂で腹ごしらえをし、安宿を求めてさまよった。
 回教のモスク近くに、四ルピー(約一二〇円)のホテルがあって個室になっており、ベッドのほかにイスと机もある。そのホテルで一晩泊まることにしたが、まさか一晩中一睡もできなくなろうとは夢にも思わなかった。 
 そこは南京虫の巣窟であった。ウトウトしたなと思ったらやられ、また、ウトウトしたなと思ったらやられる。寝られたものではない。あまりのひどさにベッドをあきらめ、机の上に寝袋を敷いた。だが、またしてもやられ、それではと、最後に汚らしい床の上で寝た。それほどまでに涙ぐましい努力をしたのに結果は同じであった。いったいどこにこんなにたくさんの南京虫がいるんだろうと不思議であった。体じゅう、とくに腕とももがひどく、ぼりぼりとかきむしりながら、まんじりともせず一夜を明かした。かゆくてかゆくて気が狂いそうであった。
 私は、虫になさけないほど弱い。これは体質なのかもしれないが、この前アフリカを旅したときも、蚊、しらみ、のみ、南京虫、ブヨ、さらには得体の知れない虫と、気のやすまるひまもないほどやられ続けた。
 カラチからはハスラーとの旅がはじまるので、気分をさっぱりさせるため、「南京虫の巣窟ホテル」の前にある露店床屋に行った。床屋のおやじさんは小柄でおもしろい人。彼は私の顔を穴があくほどみつめると、だしぬけに「あんたはギルギット(パキスタン領カシミール)から来たのかね」と聞いた。「ちがうよ、日本から」「へえー! てっきりカシミールからだと思ったよ」と、いかにもびっくりしたといわんばかりの顔つき。
 ぼうぼうに伸びた髪を刈って、ひげをきれいにそって、そのあとで眠くなるほど気持ちよくマッサージしてくれ、それでたったの一ルピー(約三〇円)。同じ床屋なのに、どうしてこうも違うのだろう。日本の一回分で二十数回はできる勘定だ。


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