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『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その7

大洪水
 八輌の客車を引張るジーゼルカー、マンダレー行き急行列車はモンスーン期の、ビルマの穀倉地帯をひた走りに走る。一面に水をかぶった水田がどこまでも続き、田植、稲刈りをする女たち、牛を使って田を耕す男たち、かけ声をかけながら水牛を追う少年、そんなビルマの人たちが車窓から眺められた。
 列車の中ではティン・ウィンさんという人と一緒であった。温厚な感じの五十歳近い人。駅で止まるたびに、バナナの葉に盛られた口がひんまがりそうになるほどからいカレーライスや、見た目にはザクロを小さくしたようなメングティという果物、梅ぼしに似ているメンバンディー、油であげたサムザーを買ってくれる。「どうもありがとう。だけど、もうほんとうにけっこうですから」ティン・ウィンさんがあまりにも親切にしてくれるので、私は申し訳なくてそういって断ったが、彼はにこにこと笑い、気にしなさんなといわんばかりの顔つき。
 マンダレーの手前で彼は降りた。私たちは何度も固く握手をし、最初で最後の別れを惜しんだ。私の旅での出会いは、いつもこの悲しいゆきずりの人間どうしのふれあいで終わる。長い一生の間に、いったい何人のひとと会うのだろうか。そしてたった一度の出会いが一生忘れられない人となる。決して再会できぬゆきずりの人たち――。
 マンダレー――ビルマの古都。
 いたるところに小乗の仏教寺院があり、古い歴史を感じさせる。そこには、なにかほっとさせる空気があった。一段、二段、三段……と、マンダレーの丘の階段を上りはじめる。あまりにも長いので何度か大きく息をつく。階段の途中にはたくさんの仏像があり、熱心な仏教徒たちはそのたびに頭を深々と垂れた。私の数えかたに間違いがなければ、最後の石は一七二九段目であった。丘の上からの展望は絶景。全市を一望のもとに見下すことができ、遠くには川幅をぐっと広げ氾濫したイラワジ川が見渡せた。
 ビルマ貨幣はビルマ経済の不振を反映して対外的に力が弱く、インドに入国したら両替できないといわれ、マンダレーからラングーンに戻ると、持っているビルマの金、全部(といっても一五〇〇円ほど)を使うことにした。
 タクシーでラングーン見物としゃれこみ、目鼻だちのすっきりした精かんな顔つきの、ベンガル人モハメッドさん運転の一九四五年型超おんぼろタクシーに乗る。タクシーはいまにもこわれてしまいそうな音をたて、ガッタン、ガッタンとラングーンの町を走りまわった。一九四五年型といったら、いまから二十七年前である。日本では戦争末期、終戦後のガソリン不足で木炭車が走っていたそうだ。その頃の自動車を大事に大事に使っているのだ。ものが極端に少ない国、日本のように一、二年使って交換というわけにはいかないのだ。

テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

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